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Hodogaya Vol.106(aprox. 1.2MB) - web site of Hodogaya Catholic

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Hodogaya Vol.106(aprox. 1.2MB) - web site of Hodogaya Catholic
Catholic Hodogaya Church Magazine Vol.106 被昇天祭号
保土ヶ谷カトリック教会
発行:2016 年8 月14 日
堅信式で梅村司教さまをお迎えして
目 次
Photo: 北川 俊
イ
わたしの召し出し① 主任司祭 李ビョンホン………3
初聖体…………………………………………………………4 岡野神父さま 叙階式
… ………………………………4 堅信式…………………………………………………………5
聖母被昇天祭の思い出 佐藤恵子 ……………………6
世界にひとつだけの花 柏木昌子…
…………………7
青い目のサムライ神父 北川 恵…
…………………8
わたしの洗礼 永野 篤・古川泰子…
………………… 10
入門講座に来ませんか 岡田 俊…
……………… 12
娘からの巡礼だより 蓮田幸子 ……………………
カタツムリになる日 婦人会 …
…………………… 14
本の紹介 …………………………………………………
侍者勉強会 …
13
15
………………………………………… 15
総務お知らせ・編集後記 … ………………………………… 16
わたしの召し出し①
主任司祭 李ビョンホン
小学校 5 年、夏のキャンプにて 一番後ろ
(旗の列)
、左から4番目
1982 年小学校 3 年生の時、わたしは洗礼と初聖体を授けられました。今も変らな
いかもしれませんが、当時は、初聖体を受けますと侍者になれるのが男の子の憧れみ
たいだったと思います(女子の侍者はいなかった)
。しかし、原則として毎日のミサに
参加できないと侍者になれないという。わたしの家は教会からバスで約 30 分離れた
ところにあり、侍者になることを諦めてしまいました。
小学校 5 年生の頃、あるシスターから「ペトロ ! 教区の召命錬成会に行かない?」
と声をかけられましたが、知らないうちに「今年は都合が悪くていけないが、来年は
行きます」と答えました。結局、教区の召命錬成には一回も参加しなかったですが、
その当時のシスターとの会話が心の底に焼きついて離れなかったのです。
大学校に進学を決める時が迫ってきましたが、心の中で、
「召命錬成会に行き、司
祭になりたい」気持ちに対して「わたしのようなものが司祭になるなんてありえない」
というわたし、そして「結婚して家族をつくり、平凡な生活を送りたい」というわた
しがいました。
結局、そのまま大学校に入りましたが、同時に、教会学校のリーダーとして毎
週の土 ・ 日曜日はほぼ教会に入り浸るような楽しい生活を送りました。教会学校リー
ダー 3 年目になる時に、人生の転換点を迎えることになります。今までの助任司祭が
人事異動になり、新しい神父さんが赴任しましたが、その時、わたしは教会学校の代
表を任されていました。
ところが、新しい助任神父さんはものすごく厳しくて、ミサ中の子供の態度につい
て注意することや教会学校のイベント、そして予算執行など、一から十まで叱られる
ばかりでした。正にわたしの第一、信仰のピンチだったのです。その時、わたしは決
めました。
「今はわたしは教会リーダーの代表として辞めることができないが、一年
我慢して、責任から抜け出す瞬間、二度と教会には行かないようにしよう」と。
時は去り年末になったので、早く時間が通り過ぎるのを待っていましたが、ある日、
助任神父さんから呼ばれて「ペトロ、あなたは神学校へ行きなさい」と言われました。
わたしに信仰のピンチを与えた司祭、わたしが一番苦手で嫌だなと思っていた司祭
から積極的に司祭の道を勧められたのです。
3
(次号につづく)
★初聖体おめでとう★
5 月28 日(土)に 4 人の子どもたちが初聖体を受けました。
初聖体の前に洗礼を受けました。二重の喜びに、保護者、代父母の皆さんが感動の涙を
流されていました。
洗礼のお恵みに与る経緯は人それぞれ。そして、洗礼までの道のりに困難があった 分
だけ喜びが大きかったようです。
初聖体を終えた 4 人は、これからミサの中で侍者としてのお勤めが可能になります。皆
さん、4 人の成長を温かく見守ってあげてください。
こどもたちのことば
なかなか洗礼受けれなかった
ので嬉しいです。
はじめてご聖体をもらえて
良かったです。
受ける気なかった
けど受けれて良かった
です。
やっと聖体をいただけるから
うれしいです。
★岡野神父さま、叙階おめでとうございます★
孤高の司教さまの仲間入り。
ロング & ワインディングロー
ドなれど、喜びもまた多き人
生かな。
みつよし
6 月4 日(土)
、大磯教会にて岡野充 良司祭が誕生しま
した。岡野神父さまは、神学校時代、1 年間毎週末、
保土ヶ谷で奉仕してくださっていました。
「助祭癖が
抜けなくて…」という新司祭さま、どうして、もう立
派な貫禄!です。感謝と喜びにあふれた一日でした。
4
★24名のみなさま、堅信おめでとうございます★
7 月 17 日、梅村司教様によって 24 名の信徒
当日のミサの福音が「マルタのたとえ話」で
に堅信の秘蹟が授けられました。
した。マルタは、非常に良く気づく人であっ
たが、私が私がという自分自身への気持ちが
梅村司教様は、当日のミサのお説教で、ご自身
強い人であった。良いおもてなしも、私が私
の神学生時代のことを話してくださいました。
がの気持ちが強くては良いおもてなしとはい
えない。一方マリアは、み言葉に耳を傾ける
神学生は、毎朝ミサに与るのですが、ある時
人であった。
指導司祭より次のように問いかけられたそう
司教様は、ご自身の経験とマルタのたとえ話
です。
から、信仰者としての生活は、
神様からの恵みに感謝しかない
「お前がここにいるのは義務ですか?」
ことを語りかけてくださいまし
「神学校にいることは義務ですか?」
た。
「三食の食事は義務ですか?」
・他人と比較して信仰を計らない
信仰者としての真の食べ物は
「ご聖体」
・与えられた恵みにどれだけ応え
です。
ているか、やらせていただける
「ご聖体に与ることは義務ですか?」
恵みに感謝する心
ご聖体に与れる幸せ、今から恵みの世界を生
イエス様がマルタ、マルタと呼びかけられた
きなさい、と語られたそうです。
ように、今この時もイエス様は私たちに呼び
司教様は、
イエス様が弟子達を導かれたように、
かけてくださっています。その呼びかけに応
この司祭は自分を導いてくれる、と思われた
えていきましょう、と司教様からのお言葉を
そうです。
いただきました。
5
聖母被昇天祭の思い出 聖母被昇天祭というと、私が小中学生の頃、長崎県平
戸市の川内峠という広い草原で行われていた野外ミサを
思い出します。8 月 15 日の夕暮れから、聖母被昇天祭と
して平和旬間を締めくくる平和祈念ミサが捧げられ、小
教区の皆さんと一緒に家族全員で毎年参加していました。
特設ステージに設けられた照明にはカブトムシなども
寄ってきますので、子供の私は、野外ミサということだ
けでも気分はワクワクしていました。参列者は地区内の
小教区からはもちろん、県内外からも多く、2000 人くら
いの規模でしょうか。地元のテレビカメラも取材に入っ
ていましたので、ミサから帰宅後はニュースを見て、
自分が映っていないか確かめていた、という覚えがあ
ります。
ミサが進むにつれて辺りは真っ暗になります。ミサの
佐藤恵子
終盤になると会場から見下ろす海上に十字が輝き出しま
す。何隻ものイカ釣り船が協力して十字に並び、いさり
火で十字架を輝かせていたのです。波に揺れながら輝く
十字架を眺めている間は、ゆっくりとした時間が流れ、
子供ながらに平和な気持ちになりました。
そんなこともあり、聖母被昇天の祭日と終戦記念日の
8 月 15 日が重なっていることは、幼い頃から認識しては
いましたが、特に気にもせずにいました。しかし大人に
なってから、無原罪の聖母の祭日と太平洋戦争が始まっ
た日本の真珠湾攻撃の 12 月 8 日が重なっていることを、
単なる偶然とは言い難いと感じるようになりました。
1549 年、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシス
川内峠●標高約 200m に広がる大草原。東に九十九
島及び西九州の連山、北に松浦潟や玄界灘、遠くは
壱岐・対馬を望み、西に東シナ海や五島列島を一望
に収め、眼下に古江湾や小富士、生月、大島と西海
国立公園随一の景観を眺められる
コ・ザビエルが鹿児島に着いた日が 8 月 15 日だったこと
から、ザビエルは日本を聖母に捧げたといいます。それ
を知った時、私は間違いなく聖母マリア様が日本を特別
に思い、祈り、取り次いで下さっていると思えました。
保土ヶ谷教会が被昇天の聖母に捧げられたというのも、
きっと偶然ではないのです。聖母マリア様をもっと身近
に感じ、祈り、頼っていきたいと思います。
6
世界にひとつだけの花
柏木昌子
独
りぼっちのイースターの晩。大好きな草彅
曲を聴きながら、イエス様の言われたこの言葉
君が 2003 年に主演した TV ドラマ「僕の生きる
を思いだしていた。又、自分の現在に照らし合
道」の 1 シーンを何度も観ていた。
わせていた。ほとんどの人は私の事を嫌ってい
進行性胃癌で余命 1 年の宣告を受けた主人公が
る。でも、好きな人もいるだろう。
(多分、とい
フラフラと立ち寄ったのは保土ヶ谷カトリック
うか、そうあって欲しい)そんな人の好みは小
教会だった。無表情で聖堂を歩く主人公。これ
さな事であって、神様の目から見たら、どれも
はかつての自分の姿でもある。保土ヶ谷教会の
みんな綺麗で、神様は愛しておられるのだろう。
聖堂が大好きであることに変わりはない。保土ヶ
私達 1 人 1 人は、神様から与えられた種、賜物
谷教会の誰もいない聖堂で、祭壇に向
をいただいているのである。
かって歩きながらイエス様と 1 対
バラや蘭のような高価な豪華な花が好きな人も
1の対決をする時間が何よりも
多い。が、自分は庭石菖やスミレのような野
好きだった。自分の罪をすべて
にひっそりと咲く、人や犬に踏まれている、
告白しても人は許してくれない
本当に花が好きな者にしか見てもらえない
が、イエス様は赦してくださる。
小さな花が好きだ。又、自分を植物
それを感じる時間が好きだった。
に例えるとドクダミだと思ってい
る。臭いから嫌う人が多い。雑
このドラマの主題歌に使われているのが
草として抜かれる事が多い。だが、
SMAP の「世界にひとつだけの花」である。
ドクダミは毒を出すからドクダミ
エンディングで草彅君が保土ヶ谷教会の聖堂を
の名前がついた。薬草として古くから役
歩くシーンに流れていた。
に立っているのである。知っている人にしか喜
「世界にひとつだけの花」の歌詞があまりにも聖
ばれないが。
書的であったので、調べてみると、この歌を作っ
亡き昭和天皇は「雑草という名前の植物はない」
た槇原敬之さんはどうやらクリスチャンである
と言われた。神様の目から見たら、
要らない人間、
らしい。
雑草などないのだ。
だから、自分に与えられた賜物を咲かせればい
いのだ。
「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野
の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
とにかく、置かれた場所で咲く。これが神の与
まして、あなたがたにはなおさらのことではな
えたことであると思う。
いか、信仰の薄い者たちよ。」
(マタイ 6. 30)
7
サ ム ライ 神 父
青い目の こ
の4月、
「茗荷谷、切支丹屋敷跡から人骨」という小さな新聞
記事に私は目を奪われました。たまたま勤務地のすぐそばに、江戸
時代最後のイタリア人宣教師が幽閉されており、その遺骨が出土し
たというのです。DNA 鑑定により、1708 年に大小二本を差した侍
の扮装により屋久島に上陸したシドッチ神父であることが判明しま
した。
江戸に移送されたシドッチは幕政の中心を担っていた新井白石か
ら直接尋問を受けました。シドッチの人格と知識に深く感銘した白
石は、相応の礼をもって取り調べを行い、問答の要旨を自ら「西洋
紀聞」という著作にまとめています。ローマ碩学の宣教師と名高い
儒者でもあった白石の問答は、いわば東西の叡智の対決の記録とし
て興味がつきません。
なぜわざわざ遠い日本に布教に来たかを問われ、シドッチは「国
を論じるには、土地の大小や遠近は関係ない。
(途中にある広大だが
粗野な国々に比べ)日本はすべて良いものばかり」として日本の文
明の高さを理由にあげています。そして「カトリックは侵略の先兵
であるという」秀吉の認識はオランダの讒言でありそれを正したい
と主張しています。またスペイン・フランスの植民地は「其君とい
うものもなく、其民帰する所なかりしによれる所也」とし、日本の
北川 恵
ように発展している国についてはその恐れは全くない、と言ってい
ます。
シドッチはカテキズムを白石に伝えようとしたようですが、その
試みは成就したとは言えませんでした。白石はシドッチの説明を次
のように論理的に批判しています。
「創造主デウスが、天地万物をはじめから造ったのであれば、デウス
自体を何ものかが造って、天地がまだ存在しない時点で生まれたこ
とになる。そうでなくてデウスが自ら勝手に生まれるのなら、天地
も勝手に生まれておかしくない。
」
「果実を食うなという些細な食事の罪を、三千年後に再びデウスが
代って罪をうけるという。天戒はデウス自身が課したものではない
か。自分が課した罪を許すのに、なにほどのことがあろうか。さっ
さと許せばいいではないか。
」
「全能であるデウスはなぜ皆を善人につくって、全員をその教えに従
8
わせないのか。それができず、世界中の人を洪水で絶滅させるのな
ら全能の主とは言えないではないか。
」
「たまたまひどく愚かで、教えがあることを知らないものがいたとこ
ろで、そのものに何の罪があり咎めることがあろうか。それなのに、
世界の人をことごとく絶滅させておいて、世界を生み世界を養う大
父大君と自称するのはおかしいではないか。
」
いかがでしょうか。江戸期の一流の知識人・政治家であった白
石が真摯に18世紀のキリスト教に向き合い、その矛盾につまづい
た様子がありありとわかります。このつまづきは、キリスト教を知
らない日本人が最初に感じる違和感、①西洋中心の教えではないか、
②学問・知識として学んでいくと矛盾があるのではないか、という
点で現代にも脈々と通じているのではないかと思います。
残念なことに、
「西洋紀聞」にはキリスト教のキリスト教たるゆえ
1708 年 10 月、侍の姿に変
装して屋久島に上陸したシ
ドッチ
ん、新約聖書に描かれるイエスの愛の教えが全く触れられていませ
ん。シドッチが福音書について触れなかったとは考えにくいですが、
白石が理解不能の内容として意図的に省略したのかもしれません。
いずれにしても現代のキリスト教理解においては、神話的要素を含
む旧約聖書や様々な奇跡のわざなどの表面的な故事よりも、その裏
にある真の意味の解釈、隣人愛や自己や他者への許し、復活に込め
られた約束された希望などに重きが置かれていることは言うまでも
ありません。
放蕩息子を歓待する父親をみて孝行息子が拗ねる一節や、精神的
に疲れ果てた井戸端の女性がイエスの言葉で癒されていく一節など、
もし伝えられていたのであれば白石にはどう映ったことでしょうか。
「甚ダ理不尽、理解不能ナリ」で終わったか、それとも全く別の展開
がありえたのでしょうか。江戸の侍社会も現代同様の高度のストレ
ス社会であり、キリスト教の愛の本質が理解されたならば、白石も
黒田如水、小西行長、高山右近などの仲間となっていたことでしょう。
「西洋臭さを取り除き、学問として学ぶものではなく、今も生きてい
るイエスの心を感じる機会としてキリスト教に触れてもらいましょ
う」
、これこそがシドッチ神父様が今ふたたびあらわれて私達に伝え
たいことかもしれません。
9
茗荷谷、切支丹屋敷跡から発掘され
た 3 基の墓と骨。DNA鑑定と骨の
形態分析により「170 センチ超のイ
タリア人中年男性」文献の特徴と一
致、シドッチと断定される
自宅に来られました。父親は入信勧誘のため
の訪問と警戒していましたが、同氏はキリス
ト教の事は一切語らず、毎日囲碁の相手をし
たそうです。その態度にかえって父親はカト
リック信者に興味を持ち始め、頑なだった拒絶
心が溶け、洗礼を受けたのでした。おばあちゃ
あの日 あの時 わたしの洗礼
んは高齢で洗礼を授かった後に病気を患い、男
の子が6歳の時に帰天しました。
男の子は成長し少年になると段々日曜日の御
ミサにあずかる事より野球をしたり、友達と遊
ぶ事が楽しくなりました。その頃兄2人は東京
の大学に進学し、少年を子供目線で信仰生活に
導く立場の人が身近にいませんでした。
少年が高校生になったある日、教会青年会で
私の洗礼
テレジアという女の子に出会いました。高校生
はその女の子に会うために再び教会に通いだし、
使徒ヨハネ 永野 篤
侍者の仕事や御説教内容より女の子の姿を見る
こと、会話する事に興味を覚えました。女の子
の家族は非常に熱心なクリスチャンでした。
50
が生まれました。その子の家族構成はお
その高校生が大学生になると2人は交際し、
ばあちゃん、両親、兄2人の6人家族でした。
浜市で生活をスタートさせました。転勤の影響
母親の意向で兄2人は高知聖園(みその)幼稚
で所属教会は金沢教会、山手教会、国府津教会、
園に入園し、そこで並存するカトリック新本町
保土ヶ谷教会と転々と変わりました。また日曜
教会に出会いました。母親と兄2人は神父様、
日の業務があり教会に行けない事もあり、夫は
シスターからキリスト教の教えを学び洗礼を受
小・中学生時期のように心がキリスト教から離
けました。
れてしまいました。しかし妻になったテレジア
その頃父親は自営業のため関西方面に出張の
は言葉ではなく、祈りと教会に通う行動で夫を
機会が多く、忙しい毎日を送っており、自分で
最低限の信者に立ち返らせました。まるで新本
意志を持たない乳児の洗礼には反対でした。し
町教会委員長のように。
かし母親と兄の信仰熱意が強く無事男の子は生
ある日夫は保土ヶ谷教会のケンズ神父様の御
後3ヶ月で洗礼を受けることができ、使徒ヨハ
説教の時間に自分が中途半端な信者では家族・
ネの洗礼名を授かったのです。乳幼児期の男の
共同体に申し訳ないという後悔の念に邂逅しま
子は御ミサ中、祭壇前をハイハイし、ヨチヨチ
した。彼には当初何故そのような変化が起きた
歩きしたため、神父様が御説教しながらついつ
かは解りませんでしたが、妻と母親の祈りの力
い男の子を目で追いかけたそうです。
に導かれた事に気づき、カトリック信者として
男の子が3歳の時、教会委員長の西田氏が
生きていられる事に感謝しているようです。
数年前、高知県高知市の或る町に男の子
大学生が社会人になると同時に二人は結婚し横
10
彼つまり私は二度と信仰を疎かにしてはいけ
母の死は、次女の出産後数か月経った時でし
ないと思っています。カトリック信仰が私に「自
た。容態が急変し、か細くなっていく息使いに
分よりも他人のために生きる」という使命を教
接した時に私ができた事は霊魂の救いを神に望
えてくれたから。
み、祈りを捧げる事でした。
(次は松田栄作さんへ)
私が受洗の恵みに与ったのは、その後 10 年程
後です。年月はかかりましたが、その間にも
神の働きかけがあった事に気づきます。神の御
私の洗礼
手の中に生かされていたのです。キリストはい
幼きイエズスのテレジア も愛を注がれる神を信頼し、私に示してくださっ
つも共に歩んで下さっていました。小さな者に
ている小路を歩んで行きたいと思います。
古川泰子
(次は阪上靖子さんへ)
私
ています。保土ヶ谷教会の元主任司祭で
は家の小さな祭壇に大切な物を 3 つ置い
あられた故松村神父様から頂いた“ピエータ”
の写真と、広島県の福山カトリック教会の信者
さん方からいただいた十字架のキリスト像と、
母の遺影です。
私が洗礼の恵みに与ったのは福山教会で、今
から 30 年前の私の誕生日でした。前年に、
保土ヶ
谷教会の故松村神父様から聖書の講義を受けて
いましたが、急な主人の転勤で、福山へ引っ越
すことになりました。ピエータの写真を見るた
びに、キリストを見つめる聖マリアの深く穏や
かな御顔に心を打たれます。
キリスト教との出会いは、神戸海星女子学院
小学校に入学し、
“公教要理”を習ったのが始ま
りでした。
わたしの祭壇の大切なものたち
洗礼を意識したのは、祖母の死と母の死に直
面した時の事でした。祖母の死は小学 6 年生の
時でしたが、そのまま見過ごす事ができず、習っ
た事を思い出して“望みの洗礼”を行いました。
直後に 2 人のシスターが駆けつけて来て下さり、
洗礼を授けてくださいました。その中のお一人
が保土ヶ谷教会ご出身の Sr. 浅沼であられた事は
40 数年後に知る事となりました。
11
キリスト教入門講座に来ませんか
キリスト教の入門講座は、一昔前まで公教要理といって、キリスト
の教えや規律等を神とはどのようなものかを問う形で教えていました。
しかし、現在行われているキリスト教入門講座は、知性に偏らず、人
と出会い、イエス・キリストと出会いの中から自らと出会い、共同体
の中で喜びに満たされて歩むために、分かち合いを中心に学んで行く
ものになっています。
保土ヶ谷教会における入門講座には、洗礼を受ける意思のある人を
対象に行うキリスト教入門講座と、洗礼を受けるか否かを問わずにキ
リスト教とはどのようなものかを学ぶ短期講座の2種類があります。
短期講座は聖書の教えを中心に約 6 ヶ月間行いますが、キリスト教入
門講座は第 1 期から第 3 期に分けて約 1 年間行います。
第 1 期はプレカテキズムと称され、
「自分らしく生きる」をテーマ
に一般の方が初めて教会の門をくぐり、入門式を受けるまでの間に
自らを問い、人と出会いながらキリスト教的観点からの人生観を学
び、入門式を受けます。
第2期はカテキズムと称され、
「キリストと共に生きる」をテーマに
イエス・キリストとはどのような人であったかを学び、イエス・キ
リストと共に信仰生活を送る為の基礎を学びます。そして、主任神
岡田 俊
父より選びの式(入信志願式)に推薦されます。
第 3 期は選びの式を受けた方が「秘跡とともに生きる」をテーマに
7つの秘跡について学び、私達の秘跡を通した霊的生活の基礎を学
び、入信の秘跡を受けます。また入信の秘跡後も、これまでの教会
が歩んだ道のりや教会のあるべき姿を学びながら、共同体での自分
のあり方を見つめ、共同体への積極的な参加を促します。
この様なカリキュラムで分かち合いを中心とした、人との出会い、
イエス・キリストとの出会いの中で学んで行くものですので、求道者
は共同体の一員として信徒の方との交わりの中で過ごす事は大変重要
なのです。
ですから、求道者や信徒と信仰について分かち合いたいと思ってお
られる方、分かち合いを中心とした入門講座に興味がある方、もう一
度キリスト教について学んでみようと思われる方、キリスト教入門講
座に来てみませんか。
保土ヶ谷教会の入門講座は日曜日のミサ後と火曜日の夜 7 時半から
とがあります。是非、ご参加いただければと思います。
12
娘からの巡礼だより
マリア・コルベ 蓮田幸子
お母さん、お元気ですか?
カルカッ
の町、
クルマでパヴァイアを出発して古世
た。木曜の朝早く、
フランスのルルドから帰ってきまし
昨日、
ら内
移動し、マルセーユの手前で海側か
スを通り抜けてマルセーユ方向へと
ソンへ向かいました。モナコ、ニー
た古
した。二重の防備の古い壁に囲まれ
のりを経てカルカッソンに到着しま
陸方面へ通路を変えて 700 キロの道
町全体が良く保存され、修復さ
1,200 年代に建てられたお城があり、
た。
まし
てい
わっ
が賑
さん
産や
世の町にお土
で来た
動するとルルドがあります。ここま
300 キロほどピレネー山脈の方へ移
れていました。カルカッソンから
ソン
らせました。朝 6 時 30 分にカルカッ
なって、ルルドまでまたクルマを走
のだから一足伸ばそうと言うことに
分にはイタリア語のミサに参加でき
へ・・・。すぐ足を運び、10 時 30
告白
き、
に着
ルド
分ル
30
時
9
て
を出発し
岩にもキスをして、
ち、
されたところ>へ列に並んで番を待
グロッタ(岩穴)<マリア様が出現
ました。泉に行き、
また岩
語のロザリオに参加し、夜の 9 時に
、夕方の 6 時には岩穴でイタリア
その後ローソクを灯してお祈りをし
行き
はプール(泉の水に体を浸す)にも
お祈りしている姿を見ました。本当
々が
も人
つで
、い
行き
りに
お祈
穴へ
見ま
ようにと列を作って待っているのを
病気の人が何とか神様の祝福がある
たかったのですが、車いすの人や、
。勝行さん、お兄ちゃ
・。お母さんのこともお祈りしました
・
ずかしく思われ・
した。自分がプールに入ることが恥
、み
・・みんなの顔を思い浮かべながら
族、西山神父さま、深堀シスター・
の家
ルト
ルベ
、ア
ゃん
ぁち
おば
ん、
うに、
受け入れられる力を与えてくれるよ
ちの力で変えられない事は、
私た
に、
よう
える
を使
に命
幸せ
んなが平和に
れる勇気を持てるように。
私達の力で変えられることは変えら
しま
りで繋がることができるのだと確信
心で感じました。私達が本当にお祈
お祈りが本当に大切であることを
様のかんむりが蓋です。小瓶 4 つに
器に泉のお水を入れました。マリア
の容
の姿
ッタ
ナデ
ベル
様と
リア
した。マ
水を
ルナデッタの前に現れたとき「泉の
人にあげてください。マリア様がベ
お水を入れました。どなたか必要な
に食
って作られたハッカの飴もみなさん
言われました。ルルドの泉の水を使
飲んで、自分自身を清めなさい」と
べさせてくださいね。
いる
旅になります。私は、いつも生きて
ができるときはなおさらすばらしい
私は旅行が好きですが、霊的な旅
ドへ
でいます。でも、今回のようにルル
ているし、また、旅をしている気分
事は、旅をするようなものだと思っ
の幸
な、家族の愛に包まれるような最高
るのです。ほっと自分自身に返る様
にな
気分
った
に帰
り家
っか
とす
着く
リア様に会いに行きました。誰
に、もう一度だけ朝 5 時に岩穴にマ
る前
に帰
イア
ヴァ
。パ
です
るの
せな気分にな
で、マリア様にお祈りしました。
もいなくて、アルベルトと二人きり
××年 11 月 4 日 パヴァイアにて
實子 20
蓮田幸子さんのお嬢さんがルルドの泉を訪問した時のお手紙です。
「遠く離れている娘とは、お祈りで繋がっていることを信じています。娘の優しい便りにとてもうれしく涙ぐみました。
」
13
カタツムリになる一日
(開成町あじさいまつりキャッチコピー)
6月 10 日、婦人会遠足~秦野教会訪問~足柄上郡開成町あじさいまつりに行きました。
天気はもちろん真夏を思わせる晴れ!ロザリオ一環を終える頃バスはもうすぐ高速出口。
程なく秦野教会に着きました。ごミサの前に近くの水無川まで散歩。残念ながら富士山は雲に隠れ
ていました。
「あああっっ、この川の水は飲めませんよ!神父様ったら!」
秦野教会主任司祭の久我神父様は風邪をひいていらしたため李神父様の司式でごミサに与りまし
た。秦野教会は保土ヶ谷より信徒数も少なく聖堂も小さな教会です。下見に伺った時も当日も暖か
くおもてなしいただき、こちらが構えることなくごミサも流れていった印象をもちました。
久我神父様も入ってくださり記念写真撮影。私は呑気に近所を散策し、
教会に戻るとちょうど撮影が終わってしまったところでした。
秦野の皆さんにお別れし、クールな店長のいる釜めし屋へ。ビールを
ごちそうになり次はあじさい祭りです。
温泉旅館にきた気分。
神父様の音頭で乾杯!
あじさいは満開でした。テレビ中継で視た通りです。役員としては
ホッとしました。田んぼにはたくさんのおたまじゃくし。おさるさ
んの芸も見ました。しかし、なにせ暑いっっ!
! テントに入れば実
に気持ちいいのですが、それでは出店をひやかすこともできません。
田園風景を背景に、テントの中で
涼むみなさん
それでもなんとか私は帰りがけに山アジサイを買いました。アジサ
イを包みながらおじいさんが「まだ、昼ご飯たべてないんだよ。お客がひっきりなしで~」とぼ
やいておられました。
田園風景にお別れし、帰りの海老名SAでは冷たいものをいただきながら
多くの人とおしゃべりをする時間がもてました。
遠足が終わり役員一同ホッとしております。
皆さま時間をお守りくださってありが
とうございました。 婦人会役員 記
参加者の井上さんの水彩画。テン
トの中で涼んでいる方達を尻目
に、炎天下の中、さらさらとスケッ
チなさっていました
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本 のご紹介
『夜の聖堂』
草野早苗著 思潮社刊
保土ヶ谷教会の草野早苗さんが、2 冊目の詩集を出版されました。
バス、橋、アパート、ドラッグストア、インターフォンなどの、日常のさり
げない言葉に誘われて読んでいくと、たどり着いた先はいったいどこの世界
なのか。リアルな世界の裏側か、それとも心や記憶の底の底か。海に続く石
段を下りていくと、海には着かず、いつのまにか空へ向かっているのです。
そして、随所に想像力をかきたててやまない色彩と光の美しさがあります。
7 月 8 日付神奈川新聞に紹介
されました。カフェテリアの
図書にコピーを置いています。
ご自由にお取り下さい
最後の一編は、
「訪問者」という題です。不在がちだった自分を何度も訪ねてくれたらしい三人の
訪問者たち。西陽がさすまで、無音の静寂のなかで交わされた会話。大切なものをそっとテーブ
ルに置いて。深い余韻を残すこれらの情景を、どうぞ感じてください。 (広報 角屋)
侍者勉強会
トピックス ほどがやのこどもたち
6 月 5 日ミサ後に侍者勉強会が行われま
した。指導は今年も典礼の原田さんです。
侍者は、デビューすると、まず「ことば
の典礼」で朗読者の案内などをする右側
を担当します。1 年ほど勤めると今度は、
「感謝の典礼」でのお手伝いをする左側
を覚えていきます。
初 聖 体 を 終 え た ば か り の 子 ど も 達 も、
はりきって参加していました。
今回より、左側を勤める子ども達は、ミ
サ前にロウソクをつける、ミサ後にロウ
ソクを消すというお仕事を任されるよう
になりました。既に左側を担当している
子ども達も原田さんの説明に真剣に耳を
傾けていました。子ども達も緊張しなが
ら侍者のお勤めをがんばっています!
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総務よりお知らせ
(2016.2/27 〜 2016.7/9 まで)
♥転入 ようこそ
青木登美子さん 4 班(吹田カトリック教会より)
柏木昌子さん 5 班(大船カトリック教会より)
♥受洗
アッシジのフランシスコ 外川兼之さん
(3 月 13 日老人ホームにて ) マリア・クララ 荒島君子さん (3 月 27 日 )
マリア・ベロニカ 矢木俊枝さん (3 月 27 日 )
マリア 戸田フヂさん
(5 月 1 日 4 班 戸田忠澄さんのお母様 )
♥入門式
門屋琢也さん (6 月 5 日 )
吉野秀行さん (6 月 5 日 )
♥初聖体 姫野優璃さん (3 月 26 日 )
♥洗礼・初聖体
アシジのフランシスコ 内藤壮俊さん (5 月 29 日 )
コルカタのテレサ 谷田部理咲さん (5 月 29 日 )
小さき花のテレジア 石井遥華さん (5 月 29 日 )
ガブリエラ・フランチェスカ・アンナ 梅田唯奈さん
(5 月 29 日 )
♥堅信
ミカエル 永野 潤さん (3 月 26 日 )
♥司祭叙階式 フランシスコ牧山喜彦助祭 (4 月 29 日二俣川教
会にて )
ヨセフ岡野充良助祭 (6 月 4 日大磯教会にて )
✚命日
松村神父様 (2007.4.27)
日野神父様 (1989.4.28)
✚追悼ミサ
クララ・セシリア秋山宏美さん (7 月 2 日 )
■各班長紹介
①大川明子②稲垣絵美子③永野まゆみ
④松野明美⑤渡辺章
✚帰天 マリア 戸田フヂさん (5 月 1 日 )
アッシジのフランシスコ 外川兼之さん
(5 月 20 日 )
■総務
戸上美知子・北川知枝・西川康子・馬場せう
《編集後記》
今号もたくさんの方から貴重な原稿、写真をいただき、広報委員一同大変感
謝しております。8 月 15 日は聖母の被昇天の日。1945 年のこの日は太平洋
戦争の終わった日。平和への祈りを改めてしたいと思います。 (亀井)
8 月 18 日は戸田司教様の命日です。 (磯部)
*表紙のイラストは西川康子さん。今は、神父さまはじめ、関係者のご尽力
でマリアさまの 周りの木は切られ、足元にはお花が植えられています。
*ご意見、ご感想、イラスト、写真など、自由投稿お待ちしています。
【投稿先】
データの場合:kamey @ star.ocn.ne.jp(亀井)
手書きの場合:各委員のレターボックス まで
発行/保土ヶ谷カトリック教会 教会委員会 編集/広報委員会 HP http://hodogaya.catholic.ne.jp
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