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「枝幸町自然・歴史マップ」を発行しました
№ 148 2 0 1 2 年 4 月 1 5 日 発 行 でんわ:0163-62-1231 FAX:69-2121 「枝幸町自然・歴史マップ」を発行しました ミュージアムでは、 枝幸の自然や歴史、文 化遺産などを地図で紹 介する「枝幸町自然・ 歴史マップ」を発行しました。 このマップは国の交付金事業の一 つとして計画し、昨年度一年間をか けて制作したものです。このほど、 学校や公共施設へ配布させていただ きました。 マ ッ プ は フ ル カ ラ ー で A1判 の 大 きなもの。広い枝幸町に点在する様 々な文化財を全て収録するにはこの くらいの大きさが必要でした。 収録内容は「遺跡」70ヶ所、「指 定 文 化 財 」 5ヶ 所 、「 自 然 環 境 」 20 ヶ所、「産業遺産」15ヶ所など、約 400地点にのぼります。 特に閉校した各地の学校や石碑、 神社など、地域の記憶が宿 る場所を収録しました。ま た、アイヌ語地名や地域の 伝承など、枝幸に住んでい てもなかなか知る機会の少 ない情報も入れました。 この地図を見ていただく と、枝幸の自然の豊かさ、 この地に暮らす人々が育ん できた歴史の豊かさを感じ ることができます。 今回の地図が「枝幸」と いう地域を再発見するきっ かけになればうれしいで す。また、学校での地域学 習や地理の勉強に役立てて いただければ幸いです。 ぜひ、機会がありました らご覧になってください。 「ガマ」探しています… 枝幸町自然・歴史マップ …数量限 定配布 中… 今年度、ミュージアムでは旭川市博物 館 に指導し ていた だき、 「ゴザ織 り講座 」 という体験教室の開催を予定していま す。これはアイヌ文化の伝統的な織物の 技法を使って、小さなコースターを編ん で いくとい う楽し い講座 です。 この織物 の材料 になる のが、植物 の「ガ マ 」。 穂 の 部 分 が ソ ー セ ー ジ の よ う な 形 になり、枯れてくると「ボワッ」と綿毛 が吹き出すあれです。ところが、このガ マ、枝幸町内で分布しているところが少 な いようで す。 ミュージアムの体験教室では、できる だけ地域の材料を使って昔の人々の技術 を 再現して います 。ぜ ひ、材 料になる「ガ マ」が生えているところをご存じの方は ミ ュージア ムまで ご教示 くださ い。 (ミュ ージア ム ℡62-1231 で す) 今月ご紹介させていただいた「枝幸町自然・歴史マ ップ」の公共施設への配布が完了しましたので、一般 向けの 提供を開 始しま す。 本来であれば皆様の各ご家庭にお届けしたいところ なのですが、印刷部数が限られているため希望される 方のみ 、ミュー ジアム で配布 いたし ます。 配布は無料ですが、お一人様一枚まで、ミュージア ムに来館された方に限らせていただきます。配布分の マ ッ プ は 500枚 を 用 意 い た し ま し た が 、 な く な り 次 第 終了となります。ご希望の方はぜひお早めにミュージ アムま でお越し くださ い。 ご注意! この地図にご紹介している場所は「観光地」ではありま せん。立ち入りの制限されている場所や危険な場所が多 数含まれています。こうした場所で事故に遭われても枝幸 町では責任 を負 うことは できません。 あくまで「地 域再発 見」のためにご覧ください。 神威岬クリーン作戦を実施します 5月 22日 ( 火 ) に 神 威 岬 で ク リ ー ン作戦を実施します。 この事業はミュージアムと目梨泊 小学校が協働し、浜頓別町教育委員 会と斜内自治会が連携して行うもので、今年で5 回目になります。 昨年のクリーン作戦は 、予想外のクマ出没によ って枝幸チームは中止に 追い込まれました(浜頓 別チームはハンターに守 られながらゴミ拾いをし たそうです)。今年こそは実施したいですね。 平成22年2月、枝幸町と浜頓別町との境にそび える神威岬が国の名勝に指定されました。これは、 北海 道各地 に点在 するア イヌ文化 の聖地 を名勝と する「ピリカノカ」の一つとして指定されたもの です。神威岬はアイヌ語で「カムイ・エトゥ」。 「神 の鼻」を意味します。江戸時代末期の安政年間に、 この 地を訪 れた松 浦武四 郎は、同 行した アイヌ民 族が 「神霊 の宿る 地」と して、厚 く敬っ ていたこ とを記録しています。 戦前の女性団体を伝えるバッジ 神 威 岬 は 、 ア イ ヌ 文 化 の 聖 地 で あ る ばか り で な く、古代オホーツク人にとって最大の交易拠点「目 梨泊遺 跡」の 成立に も大き く関わっ ていま す。灯 台も航 路標識 もない 古代の 海で、神 威岬は 格好の ランドマークになっていたのです。 神 威 岬 に は 73科 236種 に も の ぼ る多様な植物が分布しています。岬 先端には海浜性の植物が、少し上る と高山性の植物が色とりどりの花を 咲 か せ ま す 。 枝 幸 地 方 で こ れ だ け 多 ■クロユリ 様性のあふれた植物相を保っている 場所は他にありません。 自然と歴史に彩られた大切な場所 …それが神威岬です。 こ こ 数 年 の 清 掃 活 動 に よ っ て 、 ゴ ■ミヤマオダマキ ミの量 は確実 に減っ てきま したが、 毎年新 たな不 法投棄 も確認 されて います 。こうし た心な いこと をする のは車 に乗っ ている 大人です 。次の 世代に 枝幸の宝を守り伝えましょう。 神威岬クリーン作戦に参加しませんか …愛国婦 人会記 章… 神威岬クリーン作戦に参加してみませんか。参加し 先月、歌登市街にお住まいの方から小さなバ ッジが寄贈されました。これは、戦前から戦時 中にかけて活動していた「愛国婦人会」の記章 です。愛国婦人会の起源は古く、明治時代にま でさかのぼります。明治から昭和への戦争が続 いた時代に、いわゆる「銃後の護り」として主 婦 たちによ って組 織され ました 。 バッジは古代の鏡の ような形をしていま す。表面には星と錨が 描かれており、戦時下 の世相を反映したデザ ■愛国婦人会バッジ(表面-裏面) イ ンになっ ていま す。 色 は銀色で 、裏 面には「通 常 愛國婦 人会 會員 」 と 彫られて いまし た。 枝幸・歌登の愛国婦人 会 は 昭 和 に 入 る と 、「 大 日 本国防婦人会」へと組織 替えしたようです。右の 写真は戦時中の枝幸。た すきをかけた主婦の皆さんが日章旗や千人針を 縫 っていま す。 昭和とい う時代 を伝え る貴重 な資料で す。 てくださる方は5月18日(金)までにミュージアム にお電話ください。マイクロバスに乗って出発します ★実施日時:平成24年5月22日(火)13:00~ (2時間程度を考えております) ★参加申込:ミュージアム(62-1231)まで 参加の方は13:00までにミュージアムに集合して ください。なお、ボランティア参加の皆様の安 全は、各自が責任をもって確保いただけるよう お願いします。 ★雨天の場合は中止とさせていただきます 5月 の 連 休 期 間 は 開 館 し ま す 5月の 連休の ご予定 は決まり ました か? ミュージアムは休まずに特別開館します。 4月29日~ 30日,5月 1日~3日 /5日間 連休期間中は、特別展「カメラがみた昭和 の枝 幸」を 開催して おりま す。 枝幸を訪れた明治の写真師 枝 幸 大 火 か ら 74年 … 写真師 小川 一真の こと… …資料 が語る教 訓… 明 治 29年 8月 、 皆 既 日 食 を 観 測 す るためにアメリカやフランスから多 数 の研究者 が枝幸 にやっ てきま した。 特 にデビッ ド・ト ッド博 士(写 真右 ) 率いるアメリカ隊は、日本政府の全 面的な支援を受け、枝幸村でも万全 の 準備を整 えて受 け入れ ました 。 ちなみにフランス隊については「三国干渉」と いう事件の直後だったために、日本 政府は強く警戒していたようです。 昭 和 15年 5月 11日 、 枝 幸 市 街 地 は 強 烈 な 「ヒカタ 」にさ らされて いまし た。 「ヒカ タ」 とは、オホーツク海沿岸に4月から5月にか けて吹 き付け る強い 南西風 のこと。 この日、枝幸市街地の南西にあたるケモマ ナイ開墾地で行われていた「火入れ」が強風 によってあおられ、市街地へと飛び火しまし た 。 こ の 日 の ヒ カ タ の 瞬 間 最 大 風 速 は 37m とも言われ、瞬く間に火災が市街地を飲みこ んだと 伝えら れてい ます。 こ の 大 火 災 で 457軒 の 家 屋 が 焼 失 し 、 2,5 00人 も の 住 民 が 被 災 し ま し た 。 こ の 時 に 失 われた貴重な資料や記録も数えきれません。 そ し て 何 よ り 16人 も の 尊 い命を 失った のです 。 トッド隊の枝幸村での状況は、ト ッド博士の奥さんにあたるメイベル ・トッドが旅行記に書き残していま す。一昨年、メイベルの旅行記『コ ロナ とコロネ ット 』の原本(写 真左) を町立図書館が購入してくれたおかげで、明治時 代 の枝幸の 様子が 少しず つ分か ってきま した。 この本には明治時代の枝幸村の写真が何枚も掲 載されています。写真は全て絵葉書のように構図 の定まったものばかりで、とても素人が撮影した ようには思えません。今回、江戸東京博物館学芸 員の岡塚章子先生からご 教 示 が あ り 、「 小 川 一 真 」 という写真師が撮影した こ とが判明 しまし た。 小川一真は幕末の生ま れ。明治という時代を迎え、社会が大きく変化す る中、写真師を志しました。アメリカに渡って最 新の写真術を学び、帰国後は第一線の写真師とし て 活躍して います 。 ト ッ ド 隊 に 写 真 師 と し て 加 わ っ た の は 36歳 前 後。学んだ技術に経験が加わり、素晴らしい写真 を何枚も残しました(写真上は小川撮影「村の大 工 」)。ト ッド隊 に随行し た村上 春太郎 の手記 にも、 観測基地の構内で「東京の写真師、小川一真氏と そ の 助 手 2名 」 が テ ン ト 暮 ら し を し て い た こ と が 書 かれてい ます。 日食の観測のために当時一流の写真師が枝幸に 派遣されていたことが分かりました。小川一真が 日本政府に派遣されたのか、トッド隊に雇われて いたのか詳しく分かりませんが、当時の日本政府 のトッド隊への厚遇ぶりを考えると、前者の可能 性 が高いの ではな いでし ょうか 。 日食観測そのものは失敗に終わりましたが、写 真師・小川一真が同行したことで、明治時代の枝 幸 村の貴重 な写真 が残る ことに なったの です。 枝幸市街地を襲った未 曾有の災害を後世に伝え るため、ミュージアムではこの事件に関する 資料を少しずつ集めてきました。写真上は当 時の枝幸警察署長、伊藤耕平が作成した被害 報告書。この報告書によれば 署 長 以 下 、 7名 の 署 員 が 自 ら 被災しながらも救護にあたっ てい たこと が分か ります 。 左は当時の枝幸村長、石川 誠治が作成した被害報告書。 短時間のうちに火災が広がっ たこ とを伝 えてい ます。 大火に関する多数の文書や写真は、私たち に火事の恐ろしさ、火災予防の大切さを伝え ていま す。 『枝幸研究』配布&ウェブ公開開始 ミュージアム年報『枝幸研究』 第 1号 ~ 第 3号 ま で を ミ ュ ー ジ ア ム受付カウンターにて有償配布中 です 。そ れぞれ 頁数が 異なるの で、 ・枝幸研究 1号~350えん ・枝幸研究 2号~500えん(付録CD付き) ・枝幸研究 3号~400えん となっています。また、枝幸町ホームページ 上でも 公開し ていま すので ご覧くだ さい。 無数の三日月湖を生んだ川 神威岬リーフレットを作成 … 北見幌別 川と歌 登市街 地の今 昔… 町づくりの基礎になる資料に「航空写真」と いうものがあります。旧枝幸、歌登両町の役場 にはたくさんの航空写真があり、古いものの一 部 はミュー ジアム に保管 されて います。 歌登市街地の航空写真から街並みと北見幌別 川 の変遷を たどっ てみま しょう 。 北 見 幌 別 川 の 流 路 延 長 は 46.5 ㎞ 、 流 域 の 面 積 は 426.4平 方 ㎞ に の ぼ り ま す 。 こ の 川 の 特 徴 は、源流から河口までがすべて枝幸町内にある こと。北見山地最北端の函岳からポロヌプリ山 にかけての山々に源を発し、支流を集めながら 東 流すると 、やが てオホ ーツク 海へと 注ぎます 。 現在の歌登 市街地は、北 見幌別川の主 要な支流が全 て集まる合流 点 です。 この写真 は、 歌登市街を上 空から撮影したものです。画面左下が枝幸へと 続く道路、画面右側が本幌別・咲来方面になり ます。市街地の広がりは限られており、代わり にすさまじいまでに蛇行した北見幌別川の三日 月 湖が無数 に確認 できま す。 こ の 写 真 が 撮 影 さ れ た の は 昭 和 22年 の 10月 9日 。 こ の 時 代 、 日 本 の 上 空 を 自 由 に 飛 ぶ こ と が できたの は米軍 だけで した。 もう一枚 は、 半世紀後の平 成 12年 撮 影 の 写 真(右 )。 市街地の形 成が進んでお り、あれほど たくさんあっ た市街地周辺の三日月湖が全て消滅してること に驚かされます。北見幌別川の治水が進み、三 日月湖は埋め立てられて、見事な農地へと生ま れ変わりました。航空写真ではきれいなパッチ ワ ークのよ うにみ えます 。 航空写真は土地利用や環境の変化を知る大切 な資料です。こうした写真は町の財産としてミ ュ ージアム で保管 してい ます。 神霊の宿る聖なる場所…神威岬は、枝幸町を 代表する歴史的景観であるとともに大切な観光 資源です。毎年、ミュージアムを訪れる観光客 の皆様から、神威岬や目梨泊遺跡に関するお問 い合わせをいただくので、 見学の参考になるリーフレ ット を作成し ました 。 アイヌ文化の聖地として の神威岬、色とりどりの花 が咲き誇る神威岬、そして 古代オホーツク人による交 易のランドマークになった 神 威 岬 。 A4判 両 面 の さ さ やかな資料ですが、神威岬 の歴 史的背景 や自然 環境を 解説し ました。 神威岬を見学するには、やはり「カムイ岬公 園」からの眺望が一番です。日高山系から連な る北見山地の果てが、オホーツク海へと沈み込 む様 をじっく りと見 ること ができ ます。 ミュージアム受付カウンターに常備していま すので、関心のある方はぜひ手に取っていただ き、 神威岬を 見直し てくだ さい。 入館者合計 7 1 , 8 1 5人(4月15日現在) 5月の休館日情報 日 月 火 1 水 2 木 3 金 4 土 5 6 7 休館 14 休館 21 休館 28 休館 8 9 10 11 12 15 16 17 18 19 22 23 24 25 26 29 調整 30 31 13 20 27 4月25日~5月6日は休まず開館いたします