...

1 県職員向け広報誌「ネットワークひろしま」に掲載したもの

by user

on
Category: Documents
1

views

Report

Comments

Transcript

1 県職員向け広報誌「ネットワークひろしま」に掲載したもの
県職員向け広報誌「ネットワークひろしま」に掲載したもの
∼シンガポール便り∼ vol.1
シンガポール広島事務所長橋本康男
シンガポールに新たに事務所を開設することになり,8 月 8 日に当地に赴任しました。
これまで「ロスアンゼルス便り」を連載しておられたロスアンゼルス事務所の河野所長
から引き継いで,今月から「シンガポール便り」をお送りしますのでよろしくお願いい
たします。
〔シンガポールの第一印象〕
さて,皆さんはシンガポールについてどのような知識をお持ちでしょうか。私自身は,
この 3 月末にシンガポール広島事務所駐在の内示を受けるまで,東南アジアで比較的経
済が発展していて NIES の仲間入りをしている国という程度の知識しかありませんでし
た。
その後あわてて本を読み,国民一人当たりの GNP が 10,450US ドル(日本は 23,730US
ドル)で,東南アジアの他の国,マレーシアの 2,130US 跡,タイの 1,170US 肱インドネ
シアの 490USF ルなどに比べて著しく高い(いずれも 1989 年)といったデータや歴史な
どは勉強しましたが,本当に驚いたのは 5 月に事務所の開設調査のために実際にシンガ
ポールを訪れたときのことです。
香港・タイ・マレーシア,インドネシアにそれぞれ 1 日ずつ滞在した後でシンガポー
ルに入ったのですが,4 日間の滞在で受けた印象は,一言でいえば,東南アジア地域に
はめ込まれた先進国の大都会というものです。(先進国という言葉にはいろいろな印象が
あるかも知れませんが,ここでは単に経済的に発展しているという意味です。)
世界一機能的との評価のある近代的な大空港,空港から都心に続くきれいな並木の高
速道路,70 数階建ての高層ビルなどが林立する都心,国中に計画的に建設された高層の
大住宅団地と整備された道路網,安心して飲める水・いずれも東南アジアの他の国とは
かなり異なった印象です。
シンガポール島は,北緯1度の赤道直下にあり,東西 42km,南北 23km,面積 617
平方 km で広島市よりも 2 割弱狭く,最高地点はブキティマ山の 177 メートルという小
さくて平らな島であり,そこに高度な機能が集積された都市国家です。人口は 269 万人
(1989 年)ですから,広島市よりやや狭い地域に,広島県全体の人口が納まっている国と
いうイメージでお考えいただければよいでしょう。そのような小さな国が世界経済の中
でかなりの役割を果たしており,・そこに住んでいる人々は,平均的に言って,周囲の
国々に比べ経済的にかなり高水準の生活を営んでいます。
周囲の国々を見た上でこの国に来ると「豊かさ」の意味について色々と考えさせられ
ますが,これについては次回以降に改めて書いてみたいと思います。
(家族について〕
8 月 8 日の赴任の際には家族も一緒に来ました。妻と小学校 4 年生の長女と 1 年生の
長男の 4 人家族です。これからこの国で家族と私が経験していく色々なことを,県職員
としての目を通して考え皆さんにお伝えし,あるいは御意見をお聞かせいただきながら
この欄を進めていきたいと考えています。
〔事務所の設置について〕
順番が逆になりましたが,最後に,事務所の設置について背景なり概要を簡単に説明
します。
この事務所は,広島県が単独で設置したものではなく,県内の各市,各商工会議所と
共同で設置したものです。この点では,ロスアンゼルス広島事務所と同じなのですが,
1
設置母体がロス事務所の場合は広島県商工会議所連合会であるのに対して,当事務所の
場合は新たに設立された広島県アジア経済交流協議会となっています。この協議会は,
アジア地域における県内産業の国際的展開の支援が重要になるとの観点から設立され
たものであり,将来的にはロス事務所を含めた海外事務所の一元的展開をめざしていま
す。
事務所の主な業務は,県内企業の東南アジアでの活動支援など東南アジアと広島県と
の経済交流の促進,新空港やアジア競技大会の PR などその他幅広い交流の促進といっ
たものです。事務所は県から派遣された私一人だけであり,郊外の工業団地の一画にあ
る㈱日本メディカルサプライ(本社広島市)のシンガポール工場内の一室を間借りしてい
ます。
事務所についてのお問い合わせなどは,商政課経済交流係内の広島県アジア経済交流
協議会までお願いいたします。
∼シンガポール便り∼ vol.2
当地に赴任して 2 か月近くが過ぎようとしています。予想していた以上に多忙な毎日
ですが,そんな中で感じていることをいくつかお伝えしてみます。
〔豊かさについて〕
シンガポールを形容する言葉は,クリーン&グリーンの公園都市などいくつもありま
すが,私としては「裏通りの安心感」をあげたいと思います。前回も少し触れましたが,
この国に来ての一番の感動がこの「豊かさ」から生まれる「裏通りの安心感」です。東
南アジア各国とも首都の表通りは外国人にとっても違和感のない近代部市ですが,それ
はいわば外国人とその国の一部の人連のための特別な世界であり,それがその国の社会
の実相を表している訳ではありません。もちろんシンガポールとてみんなが豊かな訳で
はなく学歴差などによるかなりの所得格差がありますが,社会の重心というか平均的な
レベルがどこにあるかという点において東南アジアの他の国々と大きく異なっていま
す。このことはいわゆる「外国人専用」の施設があまりないという言い方でも表せるの
ではないかと思います。ホテルにしてもデパートにしてもレストランにしてもどこも地
元のシンガボーリアンでにぎわっています。
社会における豊かさの格差があまりに大きいと,多くの人々はその社会のシステムを
信じることができず,どんなに懸命に努力しても一生チャンスが回ってこないと感じて
しまいます。そのような社会においては,人々はあきらめてしまうかあるいは自分だけ
でも何とかと思うようになるのではないでしょうか。それが社会の安定感の問題につな
がるような気がしています。
シンガポールで生活してみて感じる居心地の良さの原因の一つは平均的なシンガボ
ーリアンの生活レベルの高さから来るある種の余裕といったものが社会にあるからで
はないかと思います。
物質的な豊かさの尺度が人々の幸せの尺度とはならないことは理解できていても,シ
ンガポーリアンの自信と明るさに満ちた表情を見ていると豊かさの価値というものを
改めて感じさせられるとともに,日本の豊かさの中にいてその意味を十分に感じていた
だろうかと振り返るようになります。
〔他民族の国〕
2か月近く仕事をし生活をしている中で,本当に外国にいるのかと思うことがしばし
ばあります。それほどシンガポールは私にとって違和感のない国です。その主な理由は,
2
中国系が多数を占めることから外見の違いから生じる疎外感を感じることが少なく,ま
た先程述べたように先進国なみの豊かさを実現していることから生活レベルの違いに
よって生じる根拠のない優越感や劣等感を持つ危険が少ないなど,心理的障壁が少ない
ことにあるのだと感じています。
ただその中で強烈にこの国の特徴だと感じるのは,若く強力な政府の存在との存在と
多民族社会だという点です。政府についてはもう少し勉強したのちに触れてみたいと思
っています。もう一点の多民族社会という点についても,実際に理解が深まれば民族間
の感情的な問題など底流にあるいろいろな面が見えてくるのだとは思いますが,少なく
とも表面的には中国系 76%,マレー系 15%,インド系7%やその他の欧米系など,様々
な人々が互いに少しずつ譲り合いながらあるいは尊重し合いながら一つの国の中で暮
らしています。
この国では世界を感じることができます。
いろいろな民族がそれぞれの宗教,風俗,習慣を守りながらもシンガボーリアンとし
て一つの国をつくりあげている。そのような多様性への理解力,許容力といったものこ
そが,私達が「国際化」の中で世界と付き合っていくために最も必要となるものであり,
この国はそのような素直な国際感覚を学ぶのに最適な国ではないかと思っています。
〔英語について〕
既に英語が得意あるいは好きだという人には関係ないかと思いますが,この国の良さ
の一つは「語学」としての英語ではなくコミニニケーションの道具としての英語が実感
できる点ではないかと思います。
学生時代から英語が嫌いで,4 年前に民間企業派遣研修で1年間伊藤忠商事に派遣さ
れた際に初めて道具としての英語の意義を感じて勉強を始めた私にとって,多民族が共
通の意思疎通手段として英語を使用しているこの国は実際に仕事において英語を使う
場としてはなじみやすく,中国系英語とでもいうシングリッシニの世界で結構楽しくや
っています。いかに話すかよりも何を話すかが重要などといって英語が下手なことを言
い訳するのもいつまでもはできないと思いながら,冷汗をかきつつやっています。「英
語」についてはまた改めて触れてみたいと思います。
∼シンガポール便り∼ vol.3
シンガポールにきて 2 か月半,やっとビザもとれ屋台の食事にも慣れて,少しはシン
ガポーリアンらしくなってきたかなと思っているところです。
今回は事務所の一日を御紹介したいと思います。
〔事務所の一日)
9:00 懸案事項の確認,整理
在シンガポールの広島関係企業の社長さんに,先日広島 FM 来星(星=シンガポール)
時にインタビューに協力していただいたお礼の電話。
9:30 本日最初の訪問先に出発。
10:00 SBC(シンガポール放送)訪問。
SBC は日本の NHK のようなものだが民間 TV 放送局のないこの国では独占的な地位
を占めている。コマーシャルを流しているのが意外。
訪問の目的は,アジア大会の宣伝隊(シンガポール広島事務所)のシンガポール訪問時
に,ボッボとクックのぬいぐるみを TV に出してもらうよう交渉すること。
国際関係担当の部長のアポをとっている。先方はスポーツ担当のプロデューサー外 1
3
名が同席。協議の結果,①アジア大会自体が 3 年先であること,②ぬいぐるみを出演さ
せて話を聞くような適当な番組がないこと,などからこの件の実現は困難だが,宣伝隊
来星時に今後の進め方について改めて協議の場を持つことで合意。
11:20 広島大学への留学経験者訪問。
シンガポールから日本の大学に留学した人たちの会から紹介してもらって訪問。この
方は 1962 年の卒業で,久しぶりの広島ということで話がはずむ。他の広島大学留学経
験者の紹介をお願いして帰る。
12:30 事務所着。
近所のフードセンター(屋根だけある屋台の集合体)で昼食。
「ミー」というラーメン風
のものが 1 ドル 50 セント(120 円)。市内の中心部のエアコンのきいたレストランに比べ
ると値段も雰囲気も格段に庶民的。
13:30 午後の訪問に出発。
14:00 SMA(シンガポール製造葉者協会)事務局長訪問。
SMA は商工会議所の工業版とでもいうもので,シンガポールの地場の製造業者を中
心に 1,000 社以上の会員がいる。
ここの事務局長さんには,初めて訪問した際に,広島の企業からプラスチック成形を
しているシンガポール企業の紹介を依頼されている話をしたところ,ちょうど当日の夜
にプラスチック関係企業のレセプションがあるから紹介してあげようと,御自分の車で
同行していただくなど,いろいろお世話になっている。
本日の用件は,先方から提案いただいた業務協力協定の締結について広島側の組織見
直しの都合で先に延ばしたいということと,経済観光交流団来星時の表敬訪問の打ち合
せ。表敬訪問は昼食を用意しセットしていただけることとなった。
15:30 シンガポール政府貿易発展局(TDB)訪問。
「ひろしまフェア」の打ち合せのために,TDBの女性担当官を訪問。担当官といっ
ても自分のアシスタントを持ち広範な分野について責任を持っている。以前はシドニー
の事務所に 3 年いたとかで,この国の女性の活躍には感心させられる。TDBには都道
府県のフェアとしては初めて共催として参加してもらっており,記者会見場の提供,空
港への知事等の出迎えなどを依頼して帰る。
17:00 事務所帰着。
シンガポール日本商工会議所の新入会員紹介欄で見たという広島関係の方から電話。
訪問の約束をする。余談だが,この商工会議所の会員には規模により4ランクあり,当
事務所は広島県の駐在事務所だからといって大企業と肩を並べて A 会員になっている。
職員 1 名が郊外の工業団地内の工場に間借りしている当事務所としてはいささか面映ゆ
い。
17:30 事務所の終了時刻。
その日の訪問や電話の結果,確認の必要なものについては確認のレターを作って送付
し,広島側への報告の必要なものはメモを作成する。
以上,一部異なった日の活動を組合せていますが概略このようなものです。訪問件数
は,8 月が 26 件,9 月が 34 件,10 月が 43 件です。この時期あいさつ回り等があり特
に件数が多くなっていますが,平均して 1 日当たり 2∼3 件は訪問している計算になり
ます。中心部から離れた立地のために 1 件当たりの片道の所要時間が 30 分程度はかか
り,1 日に 4 件訪問の日には外回りだけで昼間がつぶれます。事務所の車の走行距離は,
月 2,000 ㎞(通勤含む)を超えています。
この外に,電話応対が今のところ 1 日平均 10 本程度はあり,資料作成,事務所の経
4
理,来客への対応等もあって,1 日があっという間に過ぎてしまいます。また,広島か
らの訪問者は,8 月が 2 件延べ 11 人,9 月が 4 件延べ 6 人,10 月が 7 件延べ 67 人とな
っています。
今までは「ひろしまフェア〕関連の事務が相当ありましたので,事務所の開設以来息
つくまもなく走ってきたという感じですが,フェアが終われば少し情報収集,提供活動
等にも力を入れていきたいと考えています。
∼シンガポール便り∼ vol.4
11 月2∼5日の「ひろしまフェア」,及び 11 月9∼17 日の「ジャパンフェスティバ
ル」のどちらも好評のうちに終わり,来星された訪問団も,無事所期の目的を達成され
たものと思います。ちなみに事務所開設以来の広島からの訪問客は 254 人,このうち事
務所を訪問された人数だけでも 143 人となっています。
〔産業の高度化と拠点性の確保〕
これまでの活動を通じて感じることは,日本との双方向での経済交流への期待と東南
アジアの経済活動の拠点となることへの意欲です。事務所活動について当地ラジオ局の
朝のニュース番組でインタビューを受けたり,地元紙に事務所の紹介記事が載ったりし
ましたが,いずれの場合も,関心は双方向での経済交流の促進と東南アジアの拠点とし
ての位置付けという点にあります。
天然資源がなく,広島市程度の面積に広島県程度の人口がいるだけのこの国にとって,
経済発展の成功を継続させていくためには,経済発展先進国との相互交流による産業の
高度化と,周辺諸国の経済発展の中で地域の拠点としての発展を実現していくことが不
可欠であり,政府もこれらの課題を明確に打ち出しています。恩恵的な交流ではなく対
等な交流という点に,この国の人々の自負と次のステッブヘの意欲が感じられます。
〔アセアン地域地方自治体駐在員会議〕
11 月順に,アセアン地域に立地する地万自治体事務所の駐在員会議がインドネシアで
開催され,参加してきました。タイから愛知県,長野県,マレーシアから名古屋市,シ
ンガポールから大阪府,大阪市,神奈川県,静岡県,福岡市,広島県の 9 構成員とオー
ストラリアからの愛知県,大阪府のオブザーバー参加などです。シンガポールの 6 事務
所のうち半分の3事務所はここ2年間での設置であり,この地域での地方自治体の動き
を示しています。
会議では各国の経済情勢の報告の外,事務所活動についての情報交換などが行なわれ
ました。事務所活動,運営については各県毎に若干異なり,地方自治体の海外事務所の
あり方については,まだ模索状態という段階ではないかと思います
〔インドネシアについて〕
会議の前に土,日の休みがあったので,インドネシアに家族を連れていきました。そ
の時の子供連の反応は「初めて外国に来た感じがした」というものです。つまり,シン
ガポールは経済的に豊かであり都市も整備されていて東京で暮らしているのと変わら
ないけれども,インドネシアに来て観光客相手の猛烈な物売りに出会い,街や村を見る
ことによって初めて日本とは違う世界を体験したというのです。一人当たり GNP が H
本の 40 分の 1 以下,シンガポールの 20 分の 1 以下という数字はこの国の一面しか表し
てはいないと思いますが,それでも人々の平均的な豊かさのレベルは示しています。
もちろん「豊かさ」は安易に判断されるものではなく,「幸せ」となるともう判断を
超えてしまいますが,少なくとも日本で平均的な生活をしていた子供連にとって,イン
5
ドネシアは違う国に見えたようです。
交流というのは,経済的発展の違いを超えてなされるべきですし,経済的豊かさの違
いによって無意味な偏見を持つことは避けるべきことですが,…般的な感覚としてこれ
がいかに難しいかも感じています。自分と異なる言葉をしゃべり,自分と異なる風俗,
生活習慣を持つ人々が,自分と同じ感情を持ち,自分と思いで人生を過ごしていること
を理解し受け入れること自体難しいのに,それに経済的な豊かさの違いが加わると,実
際問題としてはさらに難しくなります。
インドネシアから帰ってきて,「やっぱりシンガポールが落ち着くね」と家族で思わ
ず口に出てしまい,これではいけないのだろうなと思うと同時に,このシンガポールで
まず交流の経験を積み,それを拡げていくことがやはり必要なのではと改めて感じてい
ます。
〔クリスマスについて〕
話はがらりと変わってクリスマスについてです。11 月に入るとデパートや小テルなど
は趣向を凝らしたクリスマスの飾り付けを始め,ライトアップをします。
12 月になった今も相変わらずの暑さで休みの日にはプールのお世話になっているこ
の国では,サンタさんも水着で来るのではと家族で楽しみにしていたのですが,残念な
がらおなじみの雪景色!に赤いガウンのサンタクロースでした。
さすがにインド人街やアラブ人街ではクリスマスの飾り付けは見かけませんが,ショ
ッピングセンター街では商売の種は逃さない商人魂が健在です。
∼シンガポール便り∼ vol.5
あけましておめでとうございます。
シンガポールは雨期で少し涼しい季節となっていますが,それでも短バン,T シャツ
のお正月です。5,000 ㎞南の国から新年の御挨拶を申し上げます。
〔クリスマスとお正月〕
クリスマスでは随分盛り上がったこの国も,正月休みは元日だけで淡々とした年越し
です。もっとも,正月が年 4 回もあるこの国ではその度に大騒ぎしている訳にはいかな
いのかもしれません。多民族の国であることから,1 月 1 日,中国の正月(旧暦),マレ
ーの正月(イスラム教の祭),インドの正月(ヒンズー教の祭)の 4 回とクリスマスが国民の
休日となっています。
年賀状ではなくクリスマスカードの交換が一般的で,色とりどりのカードが 12 月の
初め頃から届きだして楽しませてくれます。事務所関係のカードは,氏名,会社名等を
印刷し,自筆のサインをするというのが一般的です。こちらでは,事務所経費の支払い
はほとんど小切手ですし,個人的な支払いも小切手とカード中心で,この外にも事務所
のレターなど全てにサインがついて回ります。
〔交流など〕
先日の土曜日は,子供連は日本人学校の友達の家に泊りに行き,親はシンガポールに
永住を決めて家も買っている近所の日本人の家を訪問し,翌日曜日には,シンガポーリ
ァンと結婚している日本人の家に家族で招待され,夕方にはオーストラリアから日本人
家族が遊びにくるなど,今のところ日本人社会の中でのつきあいが中心です。
シンガボーリアンとのつきあいは,8 月の赴任以来名刺交換をした人数は約 110 人(日
本人は約 140 人)ですが,個人的なつきあいとなるとまださほど多くはありません。少
しずつ機会を見つけていきたいと思っています。
6
なお,11 月 5 日のインドの正月(ディーババリ)には,事務所が間借りしている工場の
インド人守衛のバーラさんの家に招待されました。国民の約 9 割が公団住宅に住んでい
るというこの国の例にもれず,HDB(住宅開発局)のアパートの中の一軒です。
2 つの寝室と居間,台所・食堂という構成。湯船がなくシャワーとトイレがセットだ
ということを除けば日本のアパートと比べてさほど変わらない感じです。自己所有だけ
ども狭いので売ってもっと広いアパートを買おうと思っているとのこと。全ての所得階
層の人たちへの住宅供給をめざして低価格の住宅供給を進めてきて,今では持ち家率 8
割を実現しているこの国の成果を実感しました。
なお,政府は公共住宅の配分に当たって,それまで各民族毎に分かれて住んでいたの
に対して,政策的に混住を進めていますが,隣近所への無関心化が進む集合住宅自身の
問題もあり,その成果が出るまでにはもう少し時間がかかりそうです。
〔相互理解〕
いろいろな人に会って話をする中で,国際間の交流の難しさと興味深さを感じていま
す。こちらに来るまで外国人との付き合いなどほとんどなかった私にとって,言葉や風
俗習慣は違っても基本的には同じような考え方や感情を持っているということと,日本
人における塒合と同様にいろんな個人差があって「OO 人」としてひとくくりにはしが
たいというごく当たり前のことが身をもって理解できるというのは,素晴らしくまた楽
しい経験です。
それと同時に,このような相互理解を進めるためには,相手との関係について歴史の
分野にまでいたる理解が必要であることと,自分自身が伺を言いたいのかの自覚と相手
の考えを受け入れる柔軟性が大事だと感じさせられています。
歴史についていえば,以前タクシーの運転手さんから日本軍占領時期の虐殺について
延々と聞かされたこともあり,そのような歴史の理解と反省とそれに基づく相互理解の
重要性の認識なくしては将来にわたる付き合いは成り立たないと思っています。
次に,こちらに来てよく感じるのが日本語のあいまいさです。何が言いたいのかを整
理しはっきりさせておかないと,いざ英語で表現しようとする際,特に私のように下手
な英語の場合には詰まってしまいます。中身や結註がはっきりしないのに言い回しでな
んとなく分かったような感じになってその境しのぎをするという訳にはいかず,よい経
験をしています。
相互理解は,相手への尊重の念に基づく異質の考え方や風俗習慣の理解と受容から成
り立つのだと思いますが,自分自身の考えをどう相手に訴えていけるかも併せて重要で
あるように感じています。この歳になると無意識のうちに柔軟さを失ってしまいがちな
だけに,すなおな気持ちで楽しみながらやっていきたいと思っています。
∼シンガポール便り∼ vol.6
赤道直下の国だから波打ち際のヤシの木の下で毎日昼寝,とまではいわなくても,そ
の生活についてはあまり具体的なイメージはお持ちではないのではないかと思います。
私自身も赴任が決まるまではシンガポールのことについてほとんど知らず,また引っ
越し準備に入ってからも情報がなくて困りました。靴屋さんでは暑くて合皮の靴底では
溶けてしまうと言われたり,綿製品が手に入らないとか,Y シャツは半袖しか着ないと
か,G バンなんて暑くてはかないとか,子供の運動靴や本は3年分持っていくべきだと
か,今から考えるとおかしな情報が随分ありました。子供の教育も心配でしたし,治安
や衛生問題など知らないが故の不安はきりがありません。こういったいわば日常生活の
7
常識的な情報というのは案外手に入らないものです。
今回は,こちらでの生活の実際について少し御紹介してみたいと思います。
(はじめに)
一言で言ってしまえば,日本の夏に暮らしているのとほとんど変わりません。それも
大都会という点では,広島というよりは東京での生活のイメージに近いかも知れません。
国民の9割以上は団地住まいであり,外国人も例外ではありません。冷房完備の地下
鉄が東西南北に走り,バス路線も整備されています。タクシーは完全にメーター制であ
りチップや料金交渉の心配はいらずしかも格安です。治安上の不安もなく,東京で暮ら
す程度には安全だと思います。
(暑さについて)
確かに暑いのですが,何しろ夏しかない国ですから冷房は完備しており,むしろ冷え
すぎの対策として長袖のカーディガンなどは欠かせません。また,我が家のアバー.トは
海に面しているためよく風が通り,時々しかクーラーをつけることはありません。
靴にしても合皮の靴底が溶けるということなどもちろんなく,G バンもよく見かけま
す。我が家では G パンを日本に置いてきたのですが,後で送ってもらいました。その他
の衣料品にしても,日本にあるものはほとんど問題なく入手可能です。
ファッションについても,こんなに暑い国では工夫の余地などあまりないのではと思
っていましたが,なかなかに洗練されておりかつ大胆で目を楽しませてくれます。
(食について)
多民族の国だけあって,中国料理,マレー料理,インドネシア料理,インド料理など
いろいろな料理が楽しめます。それも,一人 1.5 ドル(120 円)で食べれる店から 100 ド
ルを超す高級レストランまで様々です。
シンガポールの良さは,東南アジアで唯一生水の飲める国ということで,フードセン
ターと呼ばれる屋台に近いような店で気楽に食事ができることです。当地の日本人の中
には敬遠する人もいますが,雰囲気になれてしまえば味も悪くなく格安の値段で各国料
理が楽しめます。シンガポーリアンも,普段は実質重視でフードセンターで食事をし,
時にはしゃれたレストランで楽しむなど上手に使い分けているようです。日本料理も,
フードセンターの店から高級レストランまで幅広く,日本そばや丼もの,てんぷらなど
もそこそこの値段で楽しめますし,日系のデパートへ行けば驚くほど豊富に日本食が手
に入ります。もちろん割高ですが,広島菜漬,おたふくソース,納豆からわさびやアジ
の開きに至るまで日本にあるものでこちらで手に入らないものはほとんどありません。
我が家では,家庭ではもっぱら日本食で,外では割高な日本食を敬遠して当地の料理を
楽しむというように使い分けています。ローカルのスーパーを含めても全体として物価
水準は日本より心持ち安い程度という感じですが,米,肉,果物はかなり割安感があり
ます。
個人的に一番不自由に感じているのは日本の本です。これとても紀伊国屋書店が5店
あり内容的には問題ないのですが価格が日本の 2∼3 倍であり,気軽に買うという訳に
はいきません。
(学校について)
赴任前の大きな心配の一つは子供の教育でした。ヤシの葉の屋根の学校でのんびり3
年間を過ごしたら日本に帰ってからが心配・・・というのは大きな間違いで,日本人学
校は小学校 1820 人,中学校 640 人と世界最大,昨年 9 月に我が家の子供と一緒に転入
した人数が 140 人など想像を超える規模です。小学校は施設が手一杯で第2小学校の計
画も持ち上がっています。生徒はほとんどみんな転校生なので転入生に対する受け入れ
もスムーズで全く問題がありません。とはいっても,学校の裏庭に体長2m近いブラッ
8
クコブラや野生の猿が出るなど熱帯の学校らしいところはありますが。
こちらの生活については,改めてもう少し詳しく御紹介してみたいと思います。
∼シンガポール便り∼ vol.7
早いものでもう年度が終わろうとしています。昨年春の人事異動から事務所の開設準
備に取りかかって以来,赴任,事務所開設,あいさつ回り,ひろしまフェア等々と夢中
で過ごしてきた1年でした。周囲の人々にも恵まれ外国での仕事という違和感はあまり
ないものの,天頂にかかるオリオン座や南天に輝く南十字星を眺めていると,異国に来
ているのだという実感がわいてきます。
(今年度の仕事について)
経済交流事業については,広島企業への現地企業の紹介,経済団体等の企業視察の斡
旋,当地の企業からの引合情報の提供,市場調査などのほか,当地経済団体との交流等
を進めてきましたが,まだ種蒔きの段階といったところです。この他にも,「ひろしま
フェア」などのイベント,シンガポール政府との技術協力協議,日本語教育図書の寄贈
を契機とする当地の技術専門.学校との交流事業,数多く訪れる訪問団(33 件 309 人)の訪
問先の設定,対応など,いろいろな事業が動きだしています。
(幅広い交流事業を)
当地の人に広島はもうすっかり復興しているのかと聞かれるなど,広島の今の姿はま
だまだ知られていません。もっと多くの人々に今の広島を知ってもらい,交流を進めて
いきたいと思っています。シンガポールのリー・クァン・ユー前首相も,ビジネスマン
と観光客だけでない幅広い交流をと言っており,それができるのは「地方」であると思
います。それも単なる人々の行き来の増加というだけでなく,学生の技術研修など双方
の将来につながる交流を促進していきたいと考えています。
(交流に当たって)
交流に当たってはまず相手の国を知ることが出発点となります。東南アジア各国とも
国内に複数民族を抱え,その中で国家としての統一性を確保し発展を実現しようと努め
ています。そのためには,異質撃ものの許容と,風俗習慣,容貌の違いを超えて理解し
協力し合おうとする日常生活レベルからの意識づくりが必要とされており,それは広島
がこれから世界と直接結びつき交流していく上で学ばなければならない点でもあると
思います。
こちらで暮らしてみて,中国系,マレー系,インド系, 欧米系などの人々に毎日会
っていると,日常生活の範囲内にあるいは視野の中に日本人しかいないという状況がい
かに特殊な世界であるかを感じます。異質なものを排除したり自分の価値観を押し付け
たりすることなく対等に話をしていくためには,寛容や尊重といったものが必要であり,
そのためには意識的な努力と経験の蓄積が必要です。相手を知らなければ知らないほど,
相手を自分とは異なる得体の知れないものと感じたり,単純化した一面的理解をしたり
してしまいます。それぞれの国の色々な断面を理解しながら柔軟な姿勢で相互理解を進
めていくことが重要だと思います。異質なものを受け入れるという点では,県の組織自
体も,新しい試みへの取り組みの評価,対応などまず変わるべき点が多いような感じも
強くします。
(相手の国を見る目)
先日インドネシアのスマトラ島ヘジャカルタから車とフェリーボートを乗り継いで
行ってきました。首都ジャカルタ周辺の喧騒しか知らなかった私には,インドネシアの
9
田舎の美しく豊かな街並みや田園鼠景は大きな驚きでした。一人当たり GNP といった
数字を見ているだけでは分からない側面を知ることができたと思います。
経済発展の状況が異なると,相手の国や人々の実際の姿を理解することは難しいもの
です。シンガポールですら,来訪者の中には来る前から自分なりの東南アジアのイメー
ジを作り上げてしまっていて,そのイメ一ジに合ったところだけをみて,やっぱり貧し
い国だとか汚い国だとかいった印象を持って帰ってしまう人がいます。肩の力を抜いて
対等に理解し合えるようになるまでには.まだまだ経験の蓄積が必要なようです。
(言葉について)
シンガポールでは英語さえできれば日常生活にも不自由はありませんし,マレーシア
でもかなり英語が通じますが,他の国ではそうはいきません。インドネシアにおいては,
タクシーの料金交渉程度はなんとかなるものの,一般的には英語はほとんど通じず不自
由な思いをしました。その国の人々とのコミニニケーションを図ろうとするためには,
やはり言葉の勉強が大切と改めて感じた次第です。
今回のスマトラ島は・アメリカ駐在8年に引き続きインドネシア駐在6年という㈱佐
竹製作所の駐在員の方の出張に同行をお願いしたものですが,この方は努力してインド
ネシア語を身につけておられ,当地の人々にすっかり溶けこんでいらっしゃいました。
また幅広いご経験と暖かい人柄からのお話は学ぶことが多くあり,このように多くの魅
力ある人々とお会いできることも海外駐在勤務の良さではないかと思います。
∼シンガポール便り∼ vol.8
新年度が始まり,慌ただしくまた新鮮な空気に包まれているのではないかと思います。
当地では,政府の予算年度は 4 月∼3 月であるものの学校は1月∼12 月であり,桜の
花もなく新緑萌ゆる季節という雰囲気もない淡々とした春?です。
ただし,当シンガポール広島事務所は,市内への移転が決まり事務所の車も買えるこ
ととなって,やっと一人前の事務所としての体裁が整い新たな出発点に立った気分です。
(県の国際化)
昨年 8 月の事務所開設以来の8か.月間を振り返ってみると,広島と東南アジアとの交
流が予想を上回るスピードで進んでいることを感じます。これは,この間の当事務所へ
の広島からの来客が 33 件 307 人という数にのぼることからもうかがわれますし,その
内容の幅広さからも感じられます。特に県職員が数多くまた幅広く海外に出るようにな
っていることに驚いています。海外との交流は,異なる環境下において仕事のやり方や
能力が問われますし,異なる組織のあり方を学ぶという点でも,県の仕事についてのよ
い見直しの機会となるのではないでしょうか。
(シンガポール政府)
広島市よりも2割程度小さい面積に広島県程度の人口が住んでいるいわば広島国と
いった規模のこの国が,外交,国防,内政の全てを自ら行い,しかも世界の中で大きな
存在感を持っています。この国の政府機関と付き合ってみて感じるのは,どの組織も驚
くほど小人数で構成されていることと幹部職員が若いということです。リー・クアン・
ユー前首相から引き継いだ 50 歳のゴー・チョクトン首相を筆頭に 30 代 40 代の大臣が
ならび,若い職員が責任あるポストに数多くついています。欧米風の組織蓮宮で個人の
権限と責任とが大きいということもあって,今までに知り合った政府職員には若くとも
責任を持って積極的に仕事に取り組んでいると感じさせられる魅力ある人が多かった
と思います。
10
(シンガポール政府の公務員と予算)
シンガポール政府の公務員の数は約 6 万 5 千人(国軍を除く。政府関係機関等を含める
と約 10 万人)です。教育省が 2 万 5 千人,警察を含む内務省が 1 万 4 千人,保健省が 8
千人などとなっています。ちなみに,広島県内の公務員数は,県,市町村合わせて約 7
万 1 千人とのことです。
1992 年度の政府予算総額は 170 億シンガポールドル(約 1 兆 4 千億円)で,教育・環境・
住宅などが 59 億ドル,国防・警察など安全保障関係が 49 億ドル,インフラ整備・経済
発展関係に 23 億ドルなどとなっていま.す。この国の予算で特徴的なことは,歳出にお
いて経常経費と開発予算とが分けられていることと社会保障費の比重が相対的に低い
ことです。全体として開発志向型の予算といえるかと思います。
(経済団体の交流)
昨年度末には企業グループの視察団や経済団体の訪問が続きました。このうちの商工
会青年部連合会の一行は,当地の青年実業家との交流の場を持ちたいとのことで,シン
ガポール中小企業協会(ASME)の幹部とのミーティングと昼食会をセットしました。組
織背景の異なる二つの組織の交流ということで若干心配していましたが,割合に和やか
に進んだと思います。ただ第 1 回目の交流ということもあって大きいテーマ'や具体的な
テーマが入り交じってポイントが絞りきれなかったのも事実です。海外との交流は,社
会経済環境を異にする人々に自分自身をどう説明しアピールし,また相手をどう理解す
るかということであり,共通の認識の下に共同して何かを作り上げていくためにはまだ
まだ経験の蓄積が必要なようです。
いずれにしてもこのような過程においてもそれぞれ学ぶことは多い訳で,今後交流機
会の増加を期待したいと思います。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼暑さについて∼
今回からしばらくシンガポールの生活について毎回簡単に紹介してみたいと思いま
す。
北緯 1 度,赤道直下のシンガポールということでまず暑さについてです。3 月末には
気温 34.7℃を記録するなど相変わらずの暑さが続いています。日本の真夏がずっと焼い
ているという感じです。家の中でも汗をかき,外では照りつける太陽を直接感じ,長時
間屋外にいようという気にはなりません。夜寝る際も,12 月頃の雨期のシーズンに一時
期夏布団が欲しい時期があった以外はタオルケット一枚で十分です。熱帯にいるのです
から毎晩熱帯夜ということになるのかもしれませんが,葎中汗をかきながら寝ています。
もっとも,仕事ではクーラーの効いたビルや車の中にいることが多いので暑さを直接
感じる機会はさほどありません。服装も,長袖シャツが正装と見なされている事もあっ
て通常は長袖シャツにノータイです。また,家族で買物などにでかける際には,冷房の
効きすぎ対策としてむしろカーディガンなどの用意が必要です。
∼シンガポール便り∼ vol.9
長かったゴールデンウィークも終わって…,というのは日本の話。当地ではこの期間
5 月 1 日がレーバーデイで休みとなっているだけです。多民族国家らしく各民族,各宗
教に配慮したものとなっていて興味深いので御紹介してみたいと思います。
(中国正月)
まず,唯一 2 日連続の休みとなっているのが中国正月(旧暦の正月)。工場などはほと
んど 1 週間休みとなり,マレーシアなどから働きにきている人たちはふるさとに帰りま
11
す。1月1日も休みなのですが淡々とした年越しであり盛り上がりません.国民の 78%
を占める中国系の人々にとってはやはり中国正月の方が本番という感じです。
正月が近づくとチャイナタウンは正月準備の買物客でごったがえし,威勢の良い物売
りの声が飛び交います。近くの大通りはライトアップされ,道ゆく人々もなんとはなく
そわそわした感じで,日本の年末と同じような雰囲気です。都心の広場には,小さな仮
設の観覧車やジェットコースター,メリーゴーランドなどの乗り物や射的屋,福引屋な
どが集まった臨時の遊園地ができて賑わいます。
お正月には,日本のお年玉と同じようなアンパオ(紅包)の習慣があります。日本と異
なるのは,結婚していなければいくつになってももらえることと,職場などでも出すと
いうような点でしょうか。金額は偶数が良いとされており,そのためにシンガポールで
は 2 ドル紙幣が発行されているといわれているほどです。
(イスラム教のお祭り)
各宗教のお祭りもそれぞれ休日となっています。まずイスラム教では,断食明けのお
祭りであるハリラヤ・プアサと巡礼のお祭りであるハリラヤ・ハジの 2 日です。ハリラ
ヤ・プアサはその前の 1 か月前の断食の月(ラマダン)が明けたことを祝う日。ラマダン
についてはその実際に触れることは少なく,この期間中マレーシアへ出張した際にマレ
ー料理の店が昼間ガランとしていたのが印象に残っている程度です。3 月の終わり頃か
ら祭りの中心となるゲイランロードはライトアップされ仮設の店が並びます。中国正月
で見られた仮設の遊園地が今度はこちらに越してきて営業しています。公団アパートの
マレー系の人の家では窓の外にクリスマスツリーにつけるような電球を取り付けて飾
り立てており,20 階建て程度の大きな建物のあちこちに思い思いの色と形で飾り付けら
れた明かりがチカチカしているのはなかなか壮観です。マレー系の人の比率が高いある
団地などは「シンガポールのラスベガス」と呼ばれています(?)
(その他の宗教のお祭り)
ヒンズー教のお祭りについては,1 月号でも触れた光の祭りと呼ばれるディーパバリ
が休日となっています。このディーババリではリトルインディアのセラングーンロード
がライトアップされます。余談ですが,この国は全域で電線等が地中化されているため
通りに電信柱や電線等がなく,また野外広告物が厳しく規制されているために通りの風
景が極めてすっきりとしています。ライトアップは,通りの上に交互に電線を渡して豆
電球をぶら下げる訳ですが,電柱がないのでそのためにわざわざ柱を建てたりしていま
す。
キリスト教のお祭りとしては復活祭前の金曜日であるグッドフライデーとクリスマ
スが,仏教のお祭りとしては釈迦生誕際であるベザックデイがそれぞれ休日となってい
ます。
(この他の休み)
この他に 5 月 1 日のレイバーデイと 8 月 9 日の独立記念日(ナショナルデイ)とを合わ
せて年間 11日となります。
このうち,毎年日にちが決まっているのは新年とレイバーデイ,ナショナルデイ,ク
リスマスの 4 日だけで,その他の休日はそれぞれの暦などによっているため毎年時期が
ずれます。
ナショナルデイは,多民族国家であるこの国にとって国民の気持ちを一つにするため
の大切な行事であり,この日に行われるナショナルデイパレードは国の一大行事です。
パレードといっても街をねり歩く訳ではなく,国立殻技場を使って行われるマスゲーム
などを盛り込んだ大変に大がかりなイベントです。国民の多くはこのイベントを楽しみ
にまた誇りにしており,`ナショナルデイの前日に赴任したために赴任後しばらくは「ナ
12
ショナルデイパレードを見ましたか?」が挨拶がわりのようでした。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼救急車と消防車∼
当地ではパトロールカーは日本と異なり白…1 色に POLICE の文字で赤と青のランプ
ですが,救急車と消防車は日本と同じ白色と赤色に赤ランプです。ただ異なるのは通常
はサイレンを鳴らさずに赤ランプだけ点滅させながら走っていること。中にはサイレン
を鳴らしながら走っているのがあるので不思議に思って地元の人に聞いてみると,急ぐ
ときだけ嶋らすんだとのこと。意外な感じがしました。もう一つ意外なのが赤信号で止
まること。小さい国だから信号を待つ時間くらい問題じゃないのかも知れませんが,赤
ランプを点滅させながら信号で止まっている消防車を見たときにはさすがに驚きまし
た。
∼シンガポール便り∼ vol.10
夏至が近づいて日が長くなってきたことと思いますが,ここシンガポールでは一年中
暗いうちに起きなければなりません。シンガポールは東経 103 度で,東経 132 度にある
広島県とは経度で約 30 度西にあります。したがって太陽の昇るのが日本より 2 時間遅
いのですが時差は1時間です。つまり感覚的には毎日 1 時間早起きをしている感じです。
また,北緯 1 度とほぼ赤道直下に位置しているために,日本ではできない経験,すなわ
ち北に昇る太陽を眺めることができます。
■被占領 50 周年■
国立博物館で 1 月末から開かれていた占領時期紹介展が5月末に終わりました。これ
は今年の2月!5 日が第二次世界大戦時に日本に占領されて 50 周年に当たるのを機に距
催されたもので,若い世代を含めて沢山の人々を集めました。この占領時期には数千と
いわれる中国系住民が抗日華僑として日本軍により殺されたといわれており,その慰霊
碑が街の中心部に建てられています。2月には占領時期の日本軍の残虐行為を紹介する
ドラマが英語版,中国語版でそれぞれ放送され,赤ん坊まで殺すシーンなど悲惨な記憶
を新たにさせました。また,日本軍占領時期についての多くの出版物が書店の店頭に積
まれています。
これら一連の記念行事などは,決して反日感情を煽ろうとするものではなく,悲惨な
歴史を事実は事実として語り継いでいこうというもののようです。新聞の読者の投稿欄
に載った「忘れることはできないが許すことはできるのではないか。」というのが今の
シンガポールの姿勢を示しているように思います。私自身,事前調査でシンガポールを
訪れた際に,タクシーの迎転手さんから乗っている間中占領時期の日本軍の残虐行為に
ついて聞かされたことがありますし,占領時期の話を読んだり聞いたりすることもあり
ますが,日常的には反日感情を感じることはほとんどありません。ましてや観光旅行で
来られる場合にはそのような重さを感じることなく過ごされるでしょうが,過去の事実
についての無知やひとりよがりの正当化から驕慢な印象を与えることのないような配
慮も必要ではないでしょうか。親しくなったシンガポーリアンとこの件について話して
いる時に言われた,
「日本人はショートメモリーだから。
」という皮肉を込めた言葉に対
する答えが必要なような気がしています。過去の事実を理解した上でその反省の下に将
来へ向かってよりよい関係を築きあげることが求められていると思います。
■非常事態宣言下のバンコク■
5月に非常事態宣言下のバンコクに4日間行ってきました。
もちろん,わざわざこの時期を選んで行った訳ではなく,出張日がたまたま非常事態
13
宣言発令日に当たってしまったのです。少し前から雲行きがおかしいとは思っていまし
たし,出発直前には当日早朝に非常事態宣言が発令されたことは他県のバンコク駐在員
から情報が入ったのですが,前後のスケジュールが詰っており前回のクーデターの時も
街自体は平穏だったと聞いていましたのでとにかく行ってみることにしました。
バンコクヘの飛行機はほぼ満席でしたし,空港からホテルまでも特に変わった感じは
ありませんでした。今回の出張はタイに進出している広島県企業の 4 工場と 2 事務所の
訪問が目的であり,4工場についてはいずれもバンコク郊外にあり平常どおり操業して
いたので予定通り訪問できましたが,2事務所についてはバンコク市内にあり安全確保
のために事務所を閉鎖していたため訪問できませんでした。宿泊していたホテルが幸い
市内の紛争地域とは離れた地域にあったので滞在中特に身の危険を感じることもなく
市民生活も平穏に見え,あえて言えば軍の装甲車が道路を塞ぎ自動小銃を持った兵士が
郊外からバンコクに入ってくるバスを検問していたのが印象に残った程度でした。ただ,
日本人駐在員の方の話によると,スーパーが軒並み閉めてしまったので食料の確保が問
題になりつつあるとのことでした。日本企業の急速な進出にしたがってタイでも多くの
日本人が働いておられますが,製造築の場合,日本人1人で従業員100人以上の工場
を運営している例もあり,慣れない地でのご苦労が多い中で頑張っておられるのを見る
と,折角のこのようなつながりと経験を地域同士のより広い交流に結び付けていければ
と思います。
ところで,当地の方の話によると,今回の事件は従来のような一部の者による権力争
いというのではなく広く民衆を巻き込んだものという点で異なり,それが騒ぎが大きく
なった理由とのことです。経済発展の過程では,ある時期強権的な経済社会運営による
資本蓄積が必要とも言われますが,経済発展が急速に進み現実に豊かさへの道を歩みだ
したタイにおいて,民主化へのソフトランディングをどのように実現していくのかとい
う点で,このように動きが今後どのような展開をしていくか興味のあるところです。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼バス停と道路名∼
当地に来て驚いたことの一つは,バス停に名前がないことです。外の景色を見ていて
降りるところを判断する訳です。当地の人に不便じゃないかと聞いてみると,何千もあ
るバス停にそれぞれ名前をつけるなんて大変じゃないかとのこと。ところが道路には袋
小路にいたるまで全て名前が付けられており,大変だという点ではこちらの方こそ大変
なような気がするのですが習慣の違いとしか言いようがないのでしょうか。
∼シンガポール便り∼ vol.11
広島も暑い季節を迎えていることと思いますが,年中このような暑さの土地もあると
思えば少しは我慢しやすくなりませんか。当地の学校は6月と 12 月が休みなのに対し
て,日本人学校は8月を「夏休み」
,年末年始を「冬休み」としています。短パン,T シ
ャツで「冬休み」はないと思うのですが,季節感というものは抜けにくく,私も当地の
人との会話の中でつい「来年の秋」などという表現を使ってしまいます。
■受け入れる国際交流■
当事務所の仕事は経済交流関係が主ですがいわゆる国際交流事業とも無縁ではあり
ません。国際交流の意義というのは,単に仲良くすることは良いことだというだけでは
なく,交流を通じて異質な考え方・文化等と触れ合い,理解し受け入れることによって,
新たな発見が生まれ自分の世界が広がることだと思います。海外に出たときだけ開放的
14
な気分になり交流したつもりになるのではなく,もっと幅広く受け入れようとすること
が大切だと思います。いわば「受け入れる国際交流」が必要ではないでしょうか。県に
おいても,様々な形でもっと海外から人々を受け入れる事業を検討していただきたいと
思います。
■日本語熱■
シンガポールポリテクニック校では昨年から日本語授業を開設し,広島から 100 万円
相当の日本語教育図書を寄贈したことは以前にもご紹介しましたが,この日本語授業の
今年の受講希望者数は 1,200 人で,フランス語の 250 人,ドイツ語 90 人に比べて圧倒
的な人気となっています。
ただし,せっかく日本語を勉強して日系の企業に入っても日本人以外には昇進の道が
閉ざされているとの批判は相変わらずであり,このような日本語熱が失望に終わらない
ように日本側の変化も必要だと思います。
■経済交流団の派遣■
6月上旬には,シンガポール政府経済開発庁が組織した企業グループが広島と静岡を
訪問しました。静岡県のシンガポール駐在員と共同で受け入れ対応をしたものです。
訪問したのは中小企業のグループであり,日本の企業の実状の視察だけでなく,技術
提携や合弁事業,新たな取引機会の開拓などに意欲を持っています。経済交流が中小企
業にとってもフロンティアの開拓であることはどこの国でも同じようです。
■東マレーシア■
東マレーシアといってすぐに場所や地名が浮かぶ人はどのくらいいらっしゃるでし
ょうか。いわゆるボルネオ島の北側であり,サバとサラワクの2つの州があります。サ
バ州の州都はコタキナバルですが,日本ではサンダカンの方が有名かもしれません。サ
ラワク州の方はイギリス人ブルックの王国建設や首狩り族の歴史が有名です。どちらも
マレーシアの一部ではあるのですが,半島マレーシアに住むマレーシア人でもこの 2 州
に入る場合にはパスポートが必要となっています。人口構成でもサラワク州ではイバン
族などの原住民族が約半数を占めるほか,宗教的にもキリスト教徒が多いなど半島マレ
ーシアとはかなり異なります。街の風景は穏やかで市場には豊冨な果物が並んでいます。
ここにも日本企業が進出しており,今回は岐阜県の中小企業の合弁事業である陶器工場
を訪問しました。
■半島マレーシア■
半島マレーシアのマラッカの近くまで車で行ってきました。往復 350km 程で道も比較
的良く,十分日帰りが可能です。自分で車を運転して国境を越えるのは初めてだったの
ですが,ほとんど車から降りる必要もなくあっけないほどの簡単さです。
今回は広島関係企業の工場訪問が目的でした。この工場は隣接する日本の大手家電メ
ーカー用のブラスチック部品を製造しています。この家電電メーカーの工場は年間 200
万台のテレビを製造しており,単一の工場としては世界最大規模とのこと。クアラルン
プール(KL)には日本人学校もあり生活もさほど不自由はありませんが,このあたりでは
そうもいかず,これらの工場で働く日本人はほとんどが単身赴任です。中には KL やシ
ンガポールに家族を置いて週末だけ帰っている人もいます。日本企業の海外展開が驚く
ほどの規模と広がりで行われている中で,沢山の日本人が様々な厳しい生活環境の中で
暮らしています。
行きは幹線の国道を通っていきましたが帰りは西海岸沿いの村々を結ぶ道を通って
みました。ちょうど金曜日で,ゴムやヤシの林の中に点在する家々から若者から年寄ま
で男たちが近所のモスクへ三々五々集まっており,イスラムの国を感じさせる光景でし
た。
15
《マレーシア生活ひとくちメモ》∼イスラムの国の赤十字∼
日本でも病院や救急車は赤十字マークと決まっていますが,イスラム教の国では異教
徒の十字マークは使いません。そのかわりに三日月マークを使いますが,色は同じく赤
色となっています。こちらで生活していると,今までいかに宗教に無関心で過ごしてき
たかと感じさせられます。
∼シンガポール便り∼ vol.12
シンガポールに来て1年が経ちました。もうそんなに経ったかなという気持ちと,そ
うは言っても色々あったなという思いの両方です。県が主体となっての初めての事務所
設置であり,準備不足,認識不足の問題を抱えてのスタートでしたが,何とか軌道に乗
ってきたのではないかと感じています。私個人も,マレー人かと聞かれるほど色が黒く
なり,体重も7kg 増え,身長も伊藤忠商事出向の際に1cm 伸びたのに加えてまた1cm
伸びるなど,適当に順応しています。
■数字で振り返る1年■
256人 日本人以外と名刺交換した人数です。これに当地の日本人 294 人日本からの
来客 338 人を加えると随分多くの人々に会っています。色々な人と出会えるのがこの仕
事の楽しみの一つですが,困るのは名前が覚えられないことです。会社名よりも肩書き
や個人名が優先する社会で,名前を呼び合う機会が多いのですが,Mr. Seow Poh Leok
とか Mrs. Tay Chin Choy Yoon など発音自体やどこを覚えればよいのか悩む上,Dr.
Abdullah Hasbi Bin Haji Hassan などとなるともうお手上げです。なお,仕事の話や家
族の話などをしてみると,当たり前のことですが考えることは皆同じですし,同じ国で
も個人の考え方の差が大きいのもまた同じで,「○○人は」と一つにくくってしまうこ
との危険さを感じています。
74件 広島からの来客用に訪問アレンジした件数です。内訳は,政府機関 25 件,経
済団体等 22 件,企業 26 件,その他(家庭訪問)1件です。同じ1件でも簡単なもの手間
のかかったものと様々であり,それぞれに思い出があります。
344件 業務で訪問した件数です。企業訪問や来客の際の同行訪問などが主ですが,
中には広島から送ってきたビデオを検閲局へ持って行くという日本では想像できない
ような用務も入っています。
21件 出席したレセプションの数です。職員1名でも所長は所長ということで色々な
レセプションに招かれます。夫婦で招かれることも多く,広島ではパーティーなど縁の
なかった我が家では,最初はおっかなびっくり出席したものです。このようなレセプシ
ョンで知り合う人も多く,大事な交流機会となっています。また,地元の経済団体など
の招待の中には政府高官が主賓として出席するものが多く,前首相1回,首相1回,副
首相2回など貴重な経験をしています。
24,000km 運転した走行距離です。南北 20km 東西 40km の島の中でよく走ったものだと
思います。幸いにして無事故ですが,無違反の方についてはノーコメントということに
しておき,政府の一年間の交通違反罰金収入額 35 億円という数字をあげておきます。
■数字で見るシンガポールの生舌■
87% HDBと呼ばれる公団住宅に住む国民の割合です。これに民間アパートに住む
人を入れるとほとんどの人が高層住宅に住んでいることになり,一種の未来社会を彷彿
とさせる光景です。なお,政府の積極的な持ち家政策の下,CPFという一種の強制貯
16
蓄制度の効果もあって国民の持ち家率は 79%と世界有数の高さを誇っています。
$2.20(176 円)タクシーの基本料金です。来た当時は,タクシーと米(5kg 約 600 円)
と肉の安さに喜んだものですが,だんだんと割安感がなくなりました。当地ではタクシ
ーが高く感じるようになったら慣れてきた証拠というのだそうです。ちなみに,地下鉄
の初乗りは$0.60(48 円),バスの最低料金は$0.50(40 円)です。
$2.50(200 円)日本の缶ビールの平均的な安売価格です。普段は$2.80 位ですが,自
由価格のためこの程度で手に入ります。地元のアンカーやタイガービールも似たような
価格なので,もっぱら日本で飲み慣れたビールを飲んでいます。このようにビールは相
対的に割安感があるのに対して,日本酒は 1.8 リットルが 3,000 円程度で焼酎も日本酒並
みの値段でありちょっと手が出ません。
800万円 マツダクロノスのシンガポールでの値段です。車の関税が 200%の上に,車
の購入権とでもいうものの入札価格が最近では 200 万円程度するためにこのような価格
になってしまいます。このような高価格政策に加えて市街地へのラッシュ時の乗り入れ
には$3.00(240 円)徴収という制度により,渋滞からは無縁な街づくりが実現しています。
2,500 人 シンガポール日本人小・中学校の生徒数です。世界でも最大規模とのことで,
小学校は各学年 8 クラスあります。子供の教育のために単身赴任という例が多い東南ア
ジアでは極めて恵まれた国ですが,ほとんどの時間を日本語の世界で過ごすために当地
の子供達との交流の機会がないという問題もあります。なお,子供達はスクールバスで
通学しており,マレーシアのジョホールバールからの分を含めると小学校だけで 50 台
を超えるスクールバスが運行されています。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼TV の字幕∼
行政,教育は英語ですが,公用語は英語,中国語,マレー語,タミール語の4ヵ国語
となっており,TV の番組も各国語に配慮したものとなっています。もちろん3ヵ国語の
字幕を出すのは無理なので,中国語の番組に英語といったように 1 ヵ国語の字幕を付け
たり,ニュースは4ヵ国語それぞれ時間を分けて放送するなどの工夫をしています。香
港映画は,北京語を奨励する政府の方針にそって北京語への吹き替え版が放送されてい
ますが,元は広東語なので北京語と英語の字幕が付いています。
∼シンガポール便り∼ vol.13
先日,シンガポールの南にあるイ・ドネシア領のバタ嶋ビ。タン島へ行響てきました。
これらの島は成長の三角地帯と呼ばれる地域の一角にあり,シンガポールとインドネシ
ア両国の協力によって開発が進められています。今回は,シンガポール大学主催のセミ
ナーで知り合ったインドネシアの銀行のシンガポール駐在員からの招待で,シンガポー
ルの実業家など 19 人と一緒に2日間にわたって両島を案内してもらいました。
■成長の三角地帯■
1990 年に提唱されたもので,半島マレーシア南部のジョホール,シンガポール,それ
にシンガポールの南にあるパタ嶋・ビンタン島などのインドネシアのリアウ鵡の3地域
を結んだ地域において・それぞれの資源を生かして共に発展していこうというものです。
大雑把に言えば,シンガポールは情報,金融,輸送,研究開発の拠点として,人手不
足が問題となってきているジ寂ホールは比較的技術集約的な生産拠点として,1億8千
万人という豊富な人口を持つインドネシアはバタム島,ビンタン島を比較的労働集約的
な生産拠点として,共同で開発していこうというものです。
17
■バタム島■
バタム島は,ンンガポールから船でわずか 30 分の所にある,シンガポールの3分の
2ほどの大きさの島です。シンガポール政府系の企業とインドネシアのサリムグループ
とが開発会社を作り,工業団地の開発,電力,水の供給施設や通信,輸送施設の整備を
シンガポールの水準で行うとともに,企業誘致についてもシンガポール主導で行ってい
ます。今年の4月に第一期 70 ㌶が完成し,日本企業 16 社を含む 45 社が進出を決め,
29 社が既に操業を開始しています。従業員のほとんどはジャワ島などからの若者の出稼
ぎです。この島からは,シンガポールの高層ビルが延々と立ち並ぶ風景が海峡越しに良
く見え,まるで蟹気楼のように海に浮かんでいます。
■ビンタン島層
ビンタン島は,パタム島の東隣の島でバタム島よりも大きく,シンガポールの約2倍
の広さがある人口約 20 万人の島です。バタム島が既に開発が進んでいるのに対して,
まだほとんど開発されていません。原生林を切り開いて付けられている一部未舗装の道
路をバスで走り回りました。今回訪閤したのは,バタム島と同様に開発が刮画されてい
る工業団地の造成現場,全長約 5km の海岸線を利用して計画されている国際的なヒーチ
リゾートの開発予定地,パイナップル農場,それにコイの養殖場などです。
工業団地は,バタム島と同じくインドネシア領にもかかわらず通信はシンガポール経
由,運輸もシンガポール経由,電気は独自の発電施設ということで計画されており,シ
ンガポール並みのインフラ整備水準の確保をめざしています。産業立地面で見たインド
ネシアの問題点は,頻繁な停電や通信のトラブル,不十分な運輸施設などインフラの未
整備であり,シンガポールと共同開発することによりこれらの解決をめざしています。
リゾートビーチは,東南アジアのビーチの多くが砂を巻き込んで濁っているのに対し
て比較的透明度もあり,延長5km という広がりのあるヤシの木の生えた砂浜は,開発可
能性も比較的高いという印象です。パイナップル農場は新広島空港の 4 倍以上の面積と
いう日本の常識からはかけはなれた規模であり,見渡すかぎり一面パイナップル畑とい
うのはなかなかに壮観でした。ただし,このように大量のパイナップルをどう加工しど
う輸送しどう販売するかなどの問題はあります。
コイの養殖については,私自身素人でありどう評価すれば良いのか分かりませんが,
このような養殖場があること自体意外であるとともに,ツアー参加者にもコイについて
馴染みがあったり関心がある人が多いのに驚きました。
■今後の展望■
東南アジアでも,人口 300 万人のシンガポールは現在深刻な人手不足に悩んでおり,
人口 1,800 万人のマレーシアにも同様の問題があります。これらの国では賃金水準も急
速に上昇しており,この点でインドネシアはインフラや行政システムの整備が進めば今
後大きな産業発展が見込まれる国です。バタム島,ビンタン島の両島はシンガポールか
ら近くインフラの整備も見込まれ,ジャワ島などからの労働力の移入と定着などがうま
く進めば,今後大きな発展が期待されますし日本からの企業進出先としても魅力ある土
地です。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼ヤマハ音楽教室∼
シンガポールでも子供の音楽教育は熱心で,地元の子供たちを対象としたヤマハの音
楽教室が全部で5ヵ所にあります。教育システムは日本と同じで幼児科,ノユニア科,
ジュニア科専門コースなどがあります。我が家の息子はジュニア科専門コースにいれて
もらっていますが,日本人の子供は一人だけであり,ほとんどの時間を日本人学校で過
ごす彼にとってはよい交流の機会となっています。
18
∼シンガポール便り∼ vol.14
風邪がやっと治りました。シンガポールでひく風邪は当然ながら夏風邪です。今まで
は数日で治っていたのに今回は2週間以上も長引いてしまいました。年中タオルケット
1枚で寝ているため,たまに少し涼しいとすぐ風邪をひいてしまいます。幸い当地には
日本人医師が伺人かいるので医療面の心配はありませんが,9∼11 月の3ヵ月だけで来
客が団体 14 件 168 入,個人 10 件,訪問等アレンジ 49 件,シンガポールから広島へ2
件 11 人,周辺国への出張が7回という1年で最も忙しいシーズンと重なり長引かせて
しまいました。
■駐在員業務の舞台裏■
今回は,駐在員として具体的にどんなことをしているのか業務の一端をご紹介します。
地元企業への訪問アレンジ マレーシアとシンガポールで日系資本の入っていない企
業 4 社を訪問したいとのこと。シンガポールの方は今年の 6 月に地元の中小企業の広島
訪問団に協力したのでその関係で依頼できますが,マレーシアの方は企業名鑑などで調
べても決め手がなく,結局クアラルンプールにある名古屋市事務所に頼んで名古屋関係
の企業から取引先の現地企業を紹介してもらい,訪問して依頼しました。シンガポール
の現地企業についても,それぞれ事前に受入依頼に工場を訪閤しましたが,従業員数 30
人程度の小企業でも CAD(→註①)や NC 工作機(→註②)を導入して高度化を図っているこ
とに驚きました。
チャンギ空港撮影 新空港のPRビデオ用にシンガポールチャンギ空港の撮影をした
いとのこと。まず空港を管理する民間航空庁へ依頼のレターを送付。ちなみに当地では
レターでのやりとりが基本になっており,電話でのやりとりの後にも確認のレターを出
します。レターの返事と共に申請書の用紙が送られてきて早速申請。次に航空会社,空
港内の関連会社へも依頼のレターを崩すように指示が来て,さらに同行が義務付けられ
ているガードマン会社への手配が終わってやっと一件落着。
ホームビジット 日本語のできるシンガポーリアン5人と交流会をし,その後家庭訪問
をしたいとの依頼。困ったあげく日本への留学経験者の協会に依頼することとして,ま
ず会長さんを訪問し協力を依頼。OKをいただいた後広島大学への留学経験者にも個別
に協力を依頼。当地の親聞では,日本に留学しても,閉鎖的な社会,言葉の壁,物価高
などに悩んで日本嫌いになって帰る留学生が多いと紹介されていますが,広島大学への
留学生の一人からは立派な恩師に恵まれて実に幸せな留学生活を送ったとの話もお伺
いし,私たち一人ひとりの受け入れ方が与える影響の大きさを感じました。
老人ホーム 当地の老人ホームを訪問し福祉について知りたいとのこと。福祉関係の協
会で適当なところを紹介してもらい,その後受入依頼に訪問。体の不自由な人や高齢の
人の姿を街ではあまり見かけないシンガポールですが,もちろんそういった人々がいな
い訳ではなぐ,福祉国家を目指さないというシンガポール政府の方針の下で多くの福祉
施設は慈善事業として運営されています。
土地対策調査 シンガポールの土地取引制度について政府機関を訪問して調査したい
とのこと。当初思いついた官庁には他にも依頼案件が2件あるので直接行って依頼した
方が良かろうとまず依頼のための訪問希望のレターを送付。ところが忙しいから電話で
済ませようとのこと。シンガポール政府機関は感心するくらい小人数で沢山の事項をこ
なしています。電話でのやりとりの結果他の官庁の方が適当とのことで改めてレターを
出したらまた別の官庁を紹介されて,またまたレターを出し直してやっと訪問先が決ま
19
りました。
学校の提携協議 広島の専門学校から当地のポリテクニック校との提携協議のアレン
ジの依頼。同校とは普段から付き合いがあるので取り敢えず電話で依頼しておいて,そ
の後細かい打ち合わせに訪問。図書寄贈や学生の企業研修への協力の経緯もあるため当
日は関係各学部長を集めてくれるなど意欲ある対応をしてくれました・私としてはこの
ように社会人直前で具体的な問題意識と純粋さを併せ持っている学生の交流が面白い
のではないかと思っており,今後の発展を期待しています。
ガーデンシティ講演会 都市内の緑の確保に力を入れているシンガポールのガーデン
シティづくりについての講演を聞きたいので講師を探してほしいとのこと。以前レセプ
ションでシンガポール政府国立公園局に勤めておられる日本人の方に会ったことを思
い出して訪ねていってみました。ランドスケープアーキテクト(景観設計技術者)として
9年間もガーデンシティづくりに携わってこられたとのこと。意外なところから適任者
が見つかってほっとしました。このように,色々な付き合いの中から仕事につながって
いく例もあり,人との出会いが仕事のうちとなっています。
註①CAD(Computer-aided design):コンピューターを利用した設計。「キャド」。
②NC(Numeral control):工作機:数値により指示されたとおりに加工する機械。
(朝日出版社「朝日現代用語知恵蔵 1990」より)
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼南十字星∼
南の地に来たなという実感が湧くものの一つに南十字星があります。ただし,シンガ
ポールでは星座の高度が低いので見える時間が比較的短く,12 月下旬に明け方見え始め,
6月頃には日暮れの空に見えますが,7∼12 月の間は見えません。正立した南十字星の
姿はなかなか美しく,上記の期間に南に来られる際には探してみられることをお薦めし
ます。
∼シンガポール便り∼ vol.15
当地での2度目の冬が近づいています。もちろん暦の上だけの話であり相変わらず暑
い毎日であることに変わりはありません。季節の変化がないというのは色々な違いを生
み出します。常夏の国では年中汗をかいていて新陳代謝が激しく体の休まる暇がないよ
うに感じますし,年中すくすく育っている緑の木を見ると年輪の積み重ねという言葉が
懐かしくなります。当地の木はおまけに年中雨にも恵まれているため苦労知らずで根を
はらずに上にばかり伸びていて,少し強い風が吹くと大木でもころりと倒れてしまいま
す。これから寒い冬に向かいますが,冬の貴重さを感じて楽しく過ごしていただきたい
と思います。
■東南アジアは一つひとつ■
当地を訪問される方々にはまず,マレーシアとインドネシアとどちらが大きいと思う
かと質問します。今までの経験ではほぼ半々に分かれます。答えは下表をご覧いただく
として,次に下表の3と4を見てください。一人当たりGNPについては以蘭も触れま
したが各国の人々の平均的な生活水準を比較的良く表していると思います。もちろん,
インドネシアには実際には沢山の極めて裕福な人々がいるなど,この数値だけでは一面
的な理解になる恐れがあるので,GNP総額など他のデータや社会の実像を見ることも
必要なのですが,いずれにしてもこれらの数殖だけ見ても各国の違いは大きく,ひとく
くりの理解はできません。
20
これらの国々との付き合いをしていく場合には,自分がその国のどの立場の人々と付
き合っているのかをよく理解しながら付き合っていかなければ,一面的な理解に陥る危
険があります。
■国際交流のメリット■
経済的な発展の差が大きいとつい国際協力的な恩恵的な付き合いに目が行ってしま
いますが,国によっては特にシンガポールでは,相互交流としての文字どおりの国際交
流が期待できます。がずれにしても,相手に何かをしてやるというのではなく,お互い
がメリットを感じなければ交流は長続きしません。
広島側のメリットとしては,日本というコップの中の序列意識を打ち破るという効果
が大きいと思います。海外との付合いにおいては,一地方だからという遠慮や「分をわ
きまえる」といった上下左右にらみの行動パターンではなく,自分がどう考えどの程度
の意欲があるかが問われます。こちらに意欲さえあれば,当地の人々には広島と直接付
き合うことへの抵抗はなく,積極的な反応が期待できます。内部調整力や組織内経験の
長さよりも企画力,実行力が問われることは,他の仕事にも好影響を及ぼすのではない
でしょうか。
また,異質なものとの付き合い方についても,学ぶことが大きいと思います。多民族
国家においては,融合ではなく共存という形で解決しており,新しいアイデアといった
ものを含めて異質なものに対しては排除といった形での反応が見られがちな日本にと
って自分のまわりを見直す良いきっかけになるのではないでしょうか。
■相手の反応は自分の心の鏡■
当地の新聞で,海外進出企業の日本人管理職へのアンケート調査結果としてシンガポ
ール人は無愛想だとの評価が報道された際に,あるシンガポール人から「数年で日本に
帰り本社の方ばかり見て日本人だけで固まって行動して心を開こうとしない日本人に,
なぜ我々だけが一方的に愛想よくできるのか」と言われました。当地で交流事業に携わ
る人々と話していても,依然として日本人の東南アジアへの偏見,蔑視を感じることが
あると聞きます。別に必要以上に力む必要はなく,肩の力を抜いて相手への配慮の通常
の常識をもって付き合えたらと思います。
■継続と責任■
当地で問題となるのは,日本からの訪問団の申には自分の都合だけを押し付け,しか
も帰国後は全く音さたが無くなる団があることです。海外に出たときだけ開放的な気分
になり,色々と風呂駁を広げたり無理な要求をしておきながら,帰国後は礼状も出さず
にそれっきりというのでは,とても交流の基礎となる相互信頼を築くことはできません。
継続してこその交流ですから,受け入れなどその後の継続も考えて責任ある対応をして
いく必要があると思います。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼団地国家シンガポール∼
シンガポールの特徴は,①多民族国家,②強力な政府,③団地国家,です。国民の 87%
が公団住宅に住んでいるこの国では,民間アパートを含めると国民のほとんどが高層住
宅住まいということになります。もっとも,最近建設されている.アパートは4部屋以
上で 100 ㎡∼130 ㎡であり,日本の水準に比べてかなり広いものです。これが 600∼2,
000 万円で買えます。給料月額 40%(内 18%は雇用主負担)という強制購制度のおかげも
あり,この国では持家率 80%を誇っています。以前は各民族毎にカンポンと呼ばれる集
落に住んでいたのが公団アパートでは混住しており,各民族の祭毎に団地のそれぞれの
家の前をライトアップして飾り付けている様は,この国を象徴する光景です。
21
∼シンガポール便り∼ vol.16
年の瀬が迫ってきました。日本では寒さの深まりとともに徐々に年の暮れを感じます
が,四季のないシンガポールではクリスマスの飾り付けが唯一の変化です。11 月から各
ショッピングセンターなどでは趣向を凝らした飾り付けが始まりますし,オフィスでも
クリスマスッリーを飾っているところが多いようです。当事務所では,入口においてい
る紅葉の造木を豆電球でライトアップしてせめてもの雰囲気を楽しんでいます。
■1 年を振り返って■
事務所の開設・立ち上げ,ひろしまフェアと無我夢中で過ごした昨年と比べて,今年
はアシスタントの正式雇用,事務所用車の購入,事務所の独立など事務所体制が整い,
活動内容の方も幅も広がって着実に活動が展開できた年だったと思います。
経済交流では,商工会議所,企業などの視察団が日系及び地元企業の訪問,企業交流
会
などをした外,地元企業のミッションも広島を訪問しました。シンガポールでは,地元
中小企業の発展のために海外展開を積極的に推進しており,その一環として日本企業と
の提携による周辺国での事業展開も奨励しています。地元中小企業は着実に育ってきて
おり,技術指向型の積極的で魅力的な経営者に数多く出会います。
一般交流でも,県・市町村職員団体,青年グループ,女性団体などが当地を訪問し,
街づくりの講演会,地元の人との交流会や老人ホーム,コミュニティセンターや地元の
マーケットの見学など多様な活動を行いました。
この外,学生や日系企業従業員が技術研修生として広島へ派遣されている外,高校生
6人が広島県高等学校音楽祭に招待されています。
このような仕事をしていると,広島県と東南アジアとりわけシンガポールとの交流に
ついて色々な手応えと可能性が感じられますし,交流を通じて得られるものも大きいと
思います。11 月には日本からの来客累計が 500 人を超えましたし,当地でも,600 人以
上の人々に出会っており,来年は交流の輪がもっと大きく広がっていくことを願ってい
ます。
■今年の重大ニュース■
東南アジア地域の今年の重大ニュースとしては,タイでの軍隊と民衆との衝突,フィ
リピンでの大統領の交替やアセアン各国による関税引下協定(AFTA)の合意など色々あ
りますが,シンガポールでは,11 月に発表された副首相が二人ともガンだとのニュース
がもっとも衝撃的だったと思います。
この副首相の内の一人は,独立以前から 32 年問にわたって合理主義,現実主義,効
率追求でこの国を引っ張ってきた偉大な指導者であるリークアンユー氏(1990 年 11 月に
当時 49 歳のゴーチョクトン氏に政権を譲り現在は上級相)の長男リーシェンロン氏であ
るだけに,このニュースは複雑な波紋を投げ掛けました。リークアンユー氏は,シンガ
ポーリアンに「あなたの国の自慢は?」と聞いた際に「リー・クアン・ユー」という答
えが返ってくるほど信頼され尊敬されている人物であるだけに,
「ゴーチ・クトンの次」
についてリーシェンロン氏は重要な立場にあります。余談ですが,氏は私と同じ 1954
年生まれであり,この点でも無関心ではあり得ませんでした。
ところで,リークアンユー上級相は首相を退任してから各国で講演をしており,その
内容は詳細に地元紙に紹介されます。最近印象に残ったものは,「民主主義は良い政府
を保証しない」というものです。地元紙1面トップで報道されたこの講演の趣旨を私な
りに要約すると,発展途上国にとっては民主主義よりもまず効率的で効果的かつクリー
22
ンな良い政府が必要であり,それによって社会の経済的発展も実現され,結果として民
主主義も生み出されるというものです。今の日本から見ると乱暴な感じがする意見かも
知れませんが,
当地において,政府組織の安定度,信頼度と経済発展,人々の生活水準との関係を見
ていると,民主主義は自動的には良い政府を生み出さない,まず良い政府の存在の重要
性を問題にすべきだとの主張は,シンガポールの成功を踏まえているだけに一面説得力
があるような気がします。議論の当否はさておき,現在の日本においても,行政が効率
と効果をめざして努力しなければ社会発展の足を引っ張りかねないという責任を感じ
ます。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼シンガポールのペット事情∼
シンガポールでは犬や猫をあまり見かけないとの感想を聞きます。観光客が訪れるよ
うなところでは確かにほとんど見かけませんし,住宅地区でも同様です。国民の9割以
上が団地住まいという住宅事情に加えて,国民の 14%を占めるマレー系の人々にとって
イスラム教では犬が不浄とされていることも影響しているかと思いましたが,地元の中
国系の人に聞くと犬を飼っていない訳ではなくあまり外へ連れて出ていないだけだと
のことです。その外のペットとしては,各団地には「水族館」という看板を掲げている
金魚屋さんがあるほか,小鳥屋さんもところどころにあります。民族によって好みのペ
ットも異なるようで,この点でも多民族社会を感じます。
∼シンガポール便り∼ vol.17
あけましておめでとうございます。シンガポールに来て2度目のお正月です。とはい
っても,中国系,マレー系,インド系ともそれぞれのお正月を持っているせいか,ここ
シンガポールのお正月は,はなはだ盛り上がりに欠けます。企業も休みとなるのは1月
1日だけです。ただし,普段は地元のカレンダーに従っている当事務所も,年末年始だ
けは日本の美風に従って,1年のけじめ?をつけています。
今年も1年間せっせとこのシンガポール便りを書こうと思いますので,ご愛読くださ
るようお願いいたします。また,ご意見,ご感想等お寄せいただければ幸いです。
■メイドと運転手■
先日当事務所を訪問された県職員から冗談半分に,「県庁では,橋本はシンガポール
でメイドを何人も使って運転手付きのいい生活をしているという話になっている。」と
いわれました。少し当地の生活についてご紹介してみたいと思います。先程の件でいう
と,我が家ではメイドさん(当地ではアマさんといいます。)も雇っていませんし,運転
手は私が務めています。ただし,当地では約6万5千人もの外国人メイド(シンガポー
ルからみての外国人でありその多くはフィリピンから)が働いており,共働きがほとん
どのシンガポール人家庭を支えています。
ところで,メイドを雇って運転手付きでというといい生活をしているような印象があ
るかも知れませんが,実際にはそうでもないようです。タイやインドネシアに駐在して
いる日本人の場合メイドと運転手を雇っているのが一般的なようですが,これは人件費
が安いことによるとともに,必要に迫られてという面もあるようです。すなわち,買物
一つとっても日本人が行くと値段が高くなるとか治安の問題があるとか,また交通状況
等から自分で運転するのが危険であるとかといったものです。いずれにしても,私とし
ては,いつでも一人で自由に買物に行けて,好きな時に自分で運転して出かけられる生
23
活の方が好ましいと思います。
■シンガポールの宙舌■
我が家の朝は6時過ぎから始まります。日本人学校のスクールバスが7時 20 分に迎
えに来るために,それまでにお弁当を作り朝食を済ませて子供達を送り出さなければな
りません。以前も書いたように,シンガポールでは太陽が昇るのが広島よりも2時間遅
いのに時差は1時悶しかないため,毎日暗いうちに起きることになります。日本ではお
弁当の必要がなかった分,妻に負担がかかっています。(ちなみに私はゆっくり寝てい
ます。)
買物は,妻が週に1回程度近所の市場(壁のない大きな屋根の下に肉屋,魚屋,八百
屋,果物屋,乾物屋などが詰め込まれているもので,床がいつも水洗いのため濡れてい
るのでウェットマーケットと呼ばれたり,売り切れたら昼頃から閉めてしまう店も多い
ためにモーニングマーケットとも呼ばれています。)に行ったり,週末に家族で地元や
日系のスーパーマーケットに行ったりしています。新鮮なものはウェットマーケットで,
その他の物は地元のスーパーマーケットで,日本食品は日系のスーパーマーケットでと
使い分けています。
小さい島で特に行くところもないので,週末はこのようなショッピングで終わってし
まいます。小学校2年生の息子は以前紹介しましたように地元のヤマハ音楽教室に週2
回通っていますし,5 年生の娘は週 3 回塾に通っています。シンガポールに来てまで塾!
とは思うのですが,日本から進出している塾が大手だけで六つ七つあり,5年生ともな
ると 60∼70%の子供が塾に行っているとのことで,我が家でも「付き合い塾」となって
いる次第です。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼シンガポールの雨∼
シンガポールの年間降水量は 2,359mm で,広島市の 1,603mm に比べてかなり多くなっ
ています。互 2 月を中心に雨期とされていますが,実際には年中通して降ります。とは
いっても,短期集中型の雨であり,日本の梅雨のようにじとじとと降り続くことがない
ので,日本に比べて雨が多いという印象はありません。
雨の降り方の違いは,色々な面白い違いを生み出します。雨がすぐやむために長傘を
持って歩く習慣がなく日本から進出した長傘の問屋さんの商売がうまくいかなかった
とか,高速道路には立体交差の下に二輪車のための雨宿り場所が用意してあるなど当地
ならではの話です。すぐやむ分その降り方は強烈で,豪雨の時には昼間にライトを点け
ていても前の車が見えない程です。また,雨の境界がはっきりしているのも特徴で,大
きなグランドの半分だけ雨という経験もあります。
∼シンガポール便り∼ vol.18
シンガポール便りも早いもので 18 号を迎えました。広島を離れてからもう1年半も
経ったかなという感じです。夢中で取り組んでいるうちに,いつの間にかこちらの生活
にも随分なじんできています。最近は忙しい中にも少しは気分的にゆとりが出てきて,
一番おもしろい時期ではないかと思っています。ところで,当事務所の仕事は将来的に
も県行政全体としての仕事の広がりが期待され,私の"次"もぜひ県から派遣していただ
きたいと痛切に念願しています。
■中国正月■
当地最大の行事である中国正月が済み,街もやっと本当に年が変わったという気分に
24
なってきました。今年は日曜日と重なり3連休でした。中国正月はお互いに家庭を訪問
するのが習慣で,私も初日は当地の中華総商会のレセプション(商工会議所,主賓は副
首相)に出席,2日目,3日目はシンガポール人の家庭に家族で招待されてと,あっと
いう間に過ぎてしまいました。
■競争社会シンガポール■
西洋文化と東洋文化の接点として,競争社会,学歴社会,個人主義というのがシンガ
ポールについての印象です。よりやりがいのある仕事,より高いポスト,より高い給与
を求めて転職するのが当然のこととされています。これは,自分の仕事とそれに対する
評価について普段から真剣に考えているということでもあり,これは男性も女性も同一
です。
この背景としては,仕事の評価が墓本的に個人単位に個人の能力としてとらえられ,
個人の努力が重視されているという点があるようです。また,日本を上回る学歴社会で
もあります。大卒の平均初任給が 1,700 ドル(l ドル≒74 円→2月 17 日現在)に対して
高卒は 1,OOO ドル,中卒は 700 ドル程度と大きな開きがある上,その後の昇任,昇給も
学歴によって左右される面が大きいようです。教育も小学校 4 年生の試験以降幾度かの
試験によって成績別のコースに振り分けられるなど,日本以上に厳しい面もあるように
感じます。シンガポールのこのような厳しい面をみていると,馴れ合い,ぬるま湯,無
責任,悪平等,横並び主義といわれかねない面もあるものの,日本式のやり方が懐かし
くなります。
■当事務所のアシスタント自慢■
海外勤務初体験の私がまがりなりにも事務所開設1年半を充実した気分で迎えられ
るのも,当然ながらアシスタントさんのおかげです。当初は雇用を認められませんでし
たが,他の全ての自治体事務所で雇用していて重要な役割を果たしていること,予想以
上の仕事量の中でアシスタントなしでは事務所が成り立たないことなどを根気強く説
明した結果,雇用へと漕ぎつけました。当初その必要性が理解してもらえなかったよう
に,アシスタントさんといってもその仕事の内容がピンとこないと思いますので,少し
ご紹介します。
当事務所は職員2名だけのミニ事務所ですが,独立事務所として一通りの仕事があ
ります。すなわち,物品管理,各種経費支出と証拠書類の整理,毎月の決算,予算管理
等の庶務経理事務,電話応対,来客へのお茶などの受付業務,広島からの訪問団のため
のアポイントメントの取付交渉,詳細打合せ,レター作成,事務所活動記録の作成,東
南アジアの広鳥関係企業への毎月の資料送付などのアシスタント業務,来客用説明資料
のデータチェック及びデータ更新,資料収集などの調査研究業務といったようにその業
務は広範にわたっています。もちろん重要な交渉や個別業務の指示は私自身が行います
が,出張やアテンド,ミーティングと事務所を空けることが多く,かなりの部分は任せ
きりになります。また,当地の慣習,常識など外国人では分からないことも多く,そう
いった面では相談相手ということにもなります。当地では,女性のジョブホッピングも
一般的であり,また決められたことだけをビジネスライクにこなすだけだとの話も聞き
ますが,幸い当事務所のアシスタントさんは当地での評価が高く,私の自饗の種です。
名前は Ms. Hoo Pek Tim,年齢その他のデータは非公表となっています。日本語を教え
たいのですが,その時間がないのが悩みです。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼カード社会シンガポール∼
シンガポールに来て増えたものに,体重とカードの枚数とがあります。体重は,食べ
るものがみな旨くて 8kg 程増えていますが,カードの方も急激に増加しており常時 15
枚程度を携帯しています。広島では,銀行のキャッシュカードと運転免許証程度しか録
25
がなかった私ですが,カード社会のシンガポールではそうもいきません。労働ビザのカ
ード,日本人会等の各種会員カード,クレジットカード,各デパートの割引カード,銀
行・郵便局のキャッシュカードと増えるばかりです。
∼シンガポール便り∼ vol.19
日本では年度末が迫り何かと気忙しい時期かと思います。当地では学校の新学期が1
月ということもあり(大学等は7月),あまり年度末という感じはありません。4月初め
には1年8ヵ月振りに 1 週間ほど広島に帰る予定です。バタム島工業団地セミナーなど
のためあまり時間がないのですが,久しぶりの広島を見るのが楽しみです。
■インドの奇祭タイプーサン■
タイプーサンというのは,当地にいるインド系の人の半数以上といわれるヒンズー教
のお祭りで,今年は2月6日に行われました。宗教上の敬虞な行事を「奇祭」というの
はいささか不適当かも知れませんが,宗教の激しさに普段馴染みのない者から見れば,
これは奇祭としか呼びようがないような気がします。頬と唇に舌を貫いて上下左右に針
を刺し通し,身体にも針を刺してそれにオレンジや飾りをぶらさげたりして,20∼30kg
もあるというカバティという名の飾りを担いで約4km の道のりを歩く姿を見ると,我々
の理解を超えています。
頭では理解しているつもりだった多民族国家という言葉が,民族,宗教問の理解の困
難さ,隔たりの大きさと共に実感として感じられます。祈願あるいは祈願成就のお礼の
ための勤行だということですが,あれだけ針を刺してなぜ痛くないのか,血が出ないの
かといった単純な疑問など,朝早くから夜まで延々と続く行者の列の前には押し潰され
て,そのすさまじい宗教のパワーにただ圧倒されます。シンガポールの人口の 7%を占め
るインド系の人々の存在が急に大きく感じられました。
■イスラム教のラマダンロ
2月 23 日からイスラム教の断食月であるラマダンが始まりました。1ヵ月の間,太
陽が出ている間は飲み物も食物も摂ってはいけないというのです。年中日中は 30 度を
超えるこの熱帯の国でと思うのですが,普段宗教について無関心で過ごしている日本人
にはやはり理解しがたいものがあります。イスラム教の場合シンガポールの国民の 14%
を占めるマレー系の人々がほぼ全て信者だということからその影響は大きく,工場の生
産性が落ちるといわれています。それだけにラマダン明けのお祭りハリラヤブアサは喜
びも大きく,イスラム教の正月といわれるように大変にぎやかに祝われます。以前も書
いたように,マレー系の人の家の前は豆電球で飾り付けられ,その喜びを表しています。
■教育国家シンガポール■
最近シンガポーリアンと教育論議をしています。つまり,シンガポールと日本とどち
らの教育制度の方が子供達にとって厳しいかということです。日本の受験戦争というの
は当地でも有名で,またシンガポールにも6校ほどの日本の学習塾が進出していてかな
りの子供が通っていることから,日本の方が厳しいじゃないかというのが地元側の言い
分です。
これに対して私は,シンガポールの子供も 9 割程度は家庭教師に付いているといわれ
ているし,小学校4年生の進路振り分け試験から始まって小学校卒業試験,中学校卒業
試験などと試験によって進路が早くから振り分けられているシンガポールの方が途中
の挽回ができにくい分だけ厳しいじゃないかと反論します。すなわち,早くから個人の
26
能力に応じた教育をしていくのが良いという考えのシンガポールと,個人の能力の伸び
る時期には違いがあるので,あまり早くから振り分けずにみんなが同じように競争して
いくほうが良いという日本的な考えとの違いが議諭の基本にあります。
■かえるの釜ゆで■
また,当地の日系企業の方との間で最近話題になったものに,日本経済の将来は大丈
夫だろうかというのがあります。といっても別に大層な議諭ではなく,単に最近の日本
では寡占状態にあぐらをかいて,正当な競争を阻害し世界的に通用しない価格が維持さ
れている例があるが,そんなことでは国際的な競争力がなくなってしまうのではないか。
さらに,安定状態の中で周囲の環境の変化を理解しない年功序列幹部や前例踏襲スタッ
フが,自分の組織内経験だけを頼りに,新しい取り組みに対して問題点やできない理由
を数えあげているというのでは,世界の中で通用しなくなってしまうのではないか,と
いうものです。
いわば釜の中の蛙が周囲の温度の変化に気が付かずに知らぬ間に茄であがって死ん
でしまうのに似て,自分の都合の良い情報ばかり見ているうちに世間に通用しないまま
取り残されてしまうこともあり得ます。生き残りのためには組織の自己変革能力,すな
わち,環境の変化に対して新しい事業,組織内資源の再分配が必要であり,それが自律
的にできるかどうかが問題となっていますが,安定状態に慣れた組織ではなかなか難し
いようです。
《シンガポールひとくちメモ》∼矯正清掃命令∼
罰金国家ジンガポールでも,そこまでやるのかと話題となっているものに昨年の 11
月から導入された「矯正清掃命令」があります。ゴミ捨てに対しては,以前は約8万円
以下(2回目からは約 16 万円以下)の罰金だけでしたが,新たに,公共の場所を1∼3 時
間清掃することを命令する制度が導入されました。矯正清掃命令と書かれた上着を着せ
られて掃除をする姿が新聞に大きく載せられており,社会の違いを感じざるを得ません。
∼シンガポール便り∼ vol.20
新しいスタイルになった「ネットワークひろしま」でのシンガポール便りです。何事
によらずこのような前向きの工夫・実行は,今の広島県に最も求められているものだと
思います。新しい入れ物にふさわしい内容になるよう努力しますので,引き続きご愛読
くださるようお願いします。
■土佐維新■
3月末に(財)高知県政策総合研究所の一行6人が来星(→註参照)されました。'91 年
12 月に選出された橋本大二郎知事の三大公約の一つとして'92 年7月に県の 100%出資で
設立されたばかりのシンクタンクが,高知の今後のマスタープランづくりのためにシン
ガポールに学ぼうと,県・高知市の都市計画の実務レベルも含めたチームを派遣したも
のです。シンガポール政府機関の部長としてガーデンシティづくりに 10 年間も取り組
んできている日本人のランドスケーププーキテクト(景観設計技術者)の方をお迎えし
て連日深夜まで熱心に議論するなど,地域を変えようという熱気にあふれた一行でした。
海外から見れば,東京・大阪以外は横一線であり,今後の地域の発展は,その地域の
熱意と構想力,計画的具体的な取り組み,それに活力ある推進組織によるのではないか
と感じた次第です。
■発展するペトナム■
27
2月3月と計2回延べ2週間にわたってベトナムへ行ってきました。'76 年に学校を
卒業した世代としては,いささか感慨深いものがある訪問でした。'75 年の南北統一以
来,経済政策の失敗,国家丸抱え制に伴う競争原理の欠如による努力意欲の喪失などに
より極めて厳しい状況に置かれていましたが,'86 年からのドイモイ(刷新)政策の採用
以来,急速に経済発展への道を歩み始めています。最初の訪問はシンガポールの日本商
工会議所ミッションで,2度目は,広島県と広島商工会議所の共同ミッションでの訪問
でしたが,どちらのミッションでもメンバーの印象に強く残ったのは,ペトナムの人々
の勤勉さと向学心です。街には本屋が目につき,現地で働く日本人駐在員からの評価も
極めて高いものでした。
道には日本製バイクと自転車があふれ,自動車は警笛を鳴らし続けてその間を縫って
走っていきます。平和に見える現在でも戦争の傷跡は残っており,ホーチミン市にはア
メリカ軍等の残虐行為を告発する戦争犯罪博物館があり,ハノイには北爆によって破壊
された跡の残る鉄橋や爆弾によるクレーターがあります。南部でのゲリラ戦を戦った地
下トンネルなども保存されており,戦争が遠い過去のものではないことを思い出させて
くれます。電気,輸送関係などのインフラストラクチャーの未整備,ホーチミン市を中
心とする南部とハノイ市を中心とする北部との経済発展の格差,政治と市場経済体制と
の調和など多くの課題は抱えているものの,個人の創意努力が生かされる環境が生まれ
た今,勤勉で向学心の強い国民性からその将来には大きな可能性がありそうです。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼家庭教師社会シンガポール∼
シンガポールの教育制度については以前も触れましたが,この国の特徴の一つは,小
中高の生徒の約9割以上が家庭教師に付いているといわれることです。私自身もシンガ
ポールに来て以来,週に一度英文レターの家庭教師の所に通っていますが,ここにも多
くの地元の子供達が通っています。小学校の2年生から全学校において成績順のクラス
分けがなされるような徹底した成績別の教育システムにおいては,豊かさに関係なくほ
とんどの親が,決して安くない家庭教師のための支出を惜しまないのも当然かも知れま
せん。このような厳しい競争社会ですが,常に挽回のチャンスは与えられており,多民
族の小国家が生き残るには明確な基準の下での健全な競争が必要ということで,国民の
合意が得られているようです。
∼シンガポール便り∼ vol.21
外国で暮らしていると,為替レートの動きが気になります。昨年は1S ドル 80 円で予
算を組んでいたところそれよりも円安になった際に自動車の購入費等臨時経費として
多額の送金を受けたために,当事務所にとっては大きな為替差損が生じてしまい,その
後運営費で穴埋めするのに苦労しました。今年は幸いにして円高でスタートしており,
事務所も私もにっこり…です。
■広島県国際経済交流協会■
去る4月1日に,広島県国際経済交流協会が設立されました。当事務所の運営母体で
あった広島県アジア経済交流協議会と広島県貿易協会などが統合され設立されたもの
です。新協会は,従来の県,各市,各商工会議所に加えて,町村,商工会,企業を新た
に会員に加えた幅広いものであり,ロス事務所の運営も一体的に行うこととなります。
海外事務所の現場からすれば,業務量の半分以上を占め,しかも経済交流事業と明確に
区分しがたい一般交流の整理をどうするのかという問題は残るものの,折角の総合的な
28
経済交流組織の設立ですので,一層の交流促進に頑張っていきたいと思います。
■学生交流■
3月下旬には,学生の交流事業が2件続きました。広島情報専門学校と国立シンガポ
ールポリテクニック(SP)校との業務協力覚書の調印と広島の高校生が当地のラッフル
ズジュニアカレッジ(RJC)校を訪問しての音楽・日本語交流です。
SP校は生徒数約 1 万 6 千人でシンガポール最大のポリテクニック校であり,大学が
2校しかない当地ではその位置付けには大きいものがあります。広島県と同校との継続
的な交流の経緯もあり,スムーズに話が進みました。今後,学生やスタッフの交流など
多様な交流が期待されます。
高校生の交流は,昨年秋の広島県高校音楽祭に同校生徒のアンサンブルを招待しホー
ムステイも経験してもらったことに続くもので,相互交流事業として極めて好意的な対
応をしていただきました。同校はシンガポールで唯一日本語クラスを持っている学校で
あり,今回も広島からの高校生は日本語クラスの学生の家にホームステイさせてもらい,
翌日は一緒に登校して朝会にも参加,音楽等の授業に参加したり,同校生徒と共にアフ
タヌーンコンサートを開いたり,日本語のクラスで生徒との意見交換会をしたりと盛り
沢山の内容でした。
■新たな交流の時代■
このような若者の交流の中でめざしているものは,単なる儀礼訪問などの覗き見的体
験的「国際交流」や一方的恩恵的な「国際協力」ではなく,交流を通じて双方にメリッ
トがあり,お互いの対等な関係での理解を通じてより良い関係が生み出されるような継
続的な交流です。同時に,こうした交流の中で,日本の中の地方同士の相対的な競争だ
けでなく,地方から世界に向かって胸を張って主張できるような地球レベルの地域づく
りへの刺激も期待できると思います。
国際交流の基本は,無意味な優越感や劣等感を持つことなく肩肘はらずに対等に学び
刺激し合い,地球社会の中で自らを見直すことだと思いますし,特に若い人たちの役割
に期待したいと思います。このような幅広い交流を通じて,広島が得るものは大きいと
思いますので,今後の交流の拡大を期待しています。
《シンガポール生活ひとくちメモ》∼年中真夏日,熱帯夜∼
年中毎日が真夏日,熱帯夜,平均湿度 85%というのは,経験してみなければ分からな
いハードなものです。季節感がないと悩む以前に,どうやって体力を維持するかの方が
重大問題です。ある商社の方に言わせると,シンガポールでは日本の2倍歳をとるとの
ことですが,新陳代謝が常にハイな状態で,年中夜中に汗びっしょりで目が覚めるとい
うのを想像してみてください。4月に1週間ほど日本に帰った際に,布団をかぶって寝
れたのがとても幸せでした。
∼シンガポール便り∼ vol.22
1年8ヵ月ぶりに日本に帰り,福岡空港から博多駅,広島駅と乗り継いで帰る途中,
周りが全て日本人で日本語というのが随分と違和感がありました。すぐに感覚は戻りま
したが,日本の社会と外国の社会との違いを感じました。
■多民族社会■
日本の社会の素晴らしさは,日本語の社会の中で,しっとりとした暖かさがあり,周
囲の人たちへの緊張感なしに共同して目標に向かって努力していけることだと思いま
29
す。もっともこれは閉鎖社会が長く続いたことにもよるものであり,内輪社会のぬるま
湯,馴れ合い構造を生み出す元ともなっていると思います。世界との付き合いの中で,
生活様式,価値観,宗教の違う人々を理解しようとせず,自分の社会の感覚を多様な価
値観の世界へ押し付けようとする,方向違いのことにつながりかねない危険があります。
当地に来て以来,色々な民族が一つの国,場所で暮らしていくことの難しさと,それ
が故に生まれてくる共存の知恵を感じます。声を出してあいさつするとか礼を言うとか
は,最初のルールです。これはまた,黙っていても分かったような気持ちになってもら
える社会と,自分を,自分の考えを言葉によって説明していかなければならない社会と
の違いでもあります。沈黙は金ではなく,相手に自分を認めてもらうためには,自分の
考えを要領よく整理して魅力的に説明していくことが必要です。そこでは,周囲への気
配りや協調性と同時に(これらはどこの社会でも必要とされるものです),明確な自己主
張がなければ評価のしてもらいようがありません。
慣れてしまえば,理不尽なわがままや押付けが通用せず,結果主義,合理主義が多様
な価値観の共存の知恵として採用されている社会の方が,さっぱりしていて良いと感じ
ることもあります。どちらの社会がいいとは言えませんし,それぞれに良さがあると思
います。恐いのは,どちらかが一方的に良いと主張することであり,扉を閉ざしてしま
うことになります。現代の社会は海外の社会と切り離しては生きていけませんし,世界
の中でその常識やルールに従ってメンバーの一員として認めてもらうことが必要です。
そのためには相互の交流を通じて刺激を受け見直しをしていくことが必要だと思いま
す。
これからは,好むと好まざるとにかかわらず世界の中での評価を避けることのできな
い時代であり,自分の社会の中だけで通用する理屈,常識に頼ったり,新しい取り組み
に対して問題点やできない理由,しない言い訳を並べるのではなく,世界の常識に通用
するかどうかを考えていく必要があると感じています。
■学生海外企業研修■
先月末,国立シンガポールポリテクニック校において,リムブーンヘン通商担当上級
国務相を迎えて同校の学生企業研修への協力企業の表彰式がありました。シンガポール
では,ポリテクニック校在学中の学生を1∼2ヵ月間,企業へ研修に派遣することが重
視されています。昨年からは海外の企業への派遣も開始され,第一回の海外研修に協力
した日本の㈱日本メディカルサプライと中国塗料㈱の2社と当事務所も,上級国務相か
ら同校の記念品の授与を受けました。このように,当地では実践的な教育への熱意が極
めて高く,政府としても積極的に支援しています。
《シンガポールひとくちメモ》∼わがまま,侮りがもたらすもの∼
本年2月に当地のホテルのバー(日本風のでなく西洋風の)で,2人の日本人(49 歳と
59 歳)がウェイトレスのお尻を触って逮捕され,罰金千ドル(当時約8万円)を課されて
国外追放になった事件があったばかりなのに,また日本人がシンガポール航空の機内で
スチュワーデスのお尻を触って逮捕されました。これを厳しすぎると見るかどうかは社
会風土の違いとしか言いようがないような気がしますが,どちらの場合も相手の抗議を
無視して繰り返したということですし,酔っ払いに対して特別に甘い日本の社会ではと
もかく,外の世界では許されないことです。自分のムラから外に出ても甘えが通用する
と思うのはそれこそ甘えた話であり,思い上がり,蔑視を指摘されても仕方がありませ
ん。
30
∼シンガポール便り∼ vol.23
シンガポールに来て丸2年が経とうとしています。2年前に当地に来た際には,ビザ
の申請や電話,学校などの手続き,事務所備品等の調達,挨拶回りなどに,慣れない土
地で一人で走り回りながら,海外における県単位の事務所というのは一体何をすればよ
いのか,明確なイメージがつかめずに悩んでいました。その後当地の人々の暖かい協力
のおかげで事務所活動も軌道に乗ってきて,やっと本格的な出発点に立ったと感じられ
る所まで来ましたが,もう任期の終わりが目の前に見えだしており,困惑しています。
■海外における地方事務所の役割■
海外事務所は,海外における県の窓口であると同時に,県自身にとっての海外への窓
口でもあり,海外との交流を進めていく拠点です。
これまでの活動を通して,国際交流を通して地域が得るものは大きく,事務所の果た
せる役割も大きいとの感を強くしています。交流を通してお互いの考え方,やり方の違
いを知り,自分の社会を見直すことは,地球時代における地域づくりに大切なことだと
思います。例えば県庁自身も,中にいればその存在は大きく感じられても外からみれば
社会の一つの構成員に過ぎず,それを考えれば,冗長な協議で時期を失したり,内部で
しか通用しない常識に依拠することなく,社会の変化に即応した対応ができるのではと
思います。
地域の独自事務所ならではのメリットは,経済交流面では,地元の企業や経済団体等
との継続的な接触による交流機会の開拓と,現場感覚を活かした情報収集・提供,相談
対応を,県内企業を対象として提供できることかと思います。一般交流面では,継続的
な交流事業のアレンジの外,現地の事情や経験を踏まえての助言,意見交換が大切だと
考えています。経済・一般とも交流事業においては,積み重ねによる経験と,相手との
継続的な協議に基づく信頼関係とが大切になってきます。交流を一過性の訪問事業に終
わらせないためには,こちらの考えを相手によく説明し理解を得た上で,双方にメリッ
トのある交流事業として企画していく必要があり,実績を積んでいくことによって広島
の信用を築いていくことが必要です。
■よろず相談所■
事務所を開設して2年も経つと,地元の人たちからも色々な相談が持ち込まれるよう
になります。日く,部品製造から組立分野へ進出したいのだが適当なパートナーがいな
いだろうか,日本の企業にFAXで発注書を送ったが返事がなく催促しても音さたがな
く困っている,新型のエンジン改良技術がオーストラリアで発明されたが関心のある企
業はいないか,日本の企業に勤めたいのだがどうすれば良いか,日本企業への就職は外
国人にとって不利と聞いているが本当か,インドネシアに建設中の工業団地に日本の中
小企業を誘致したいのだが,2年後に大規模な国際見本市を計画しているのだが,青少
年のオーケストラを率いて日本へ行くのだが楽器の通関にカルネという書類が必要か
どうか分からない,アジア競技大会のチケットを取り扱いたいのだが,日本語教師の継
続的確保について,など幅広い分野の話が舞込みます。中には広島県とは関わりのない
話もあるのですが,他に相談するところがないからなどと頼られると,つい引き受けて
しまいます。
《シンガポールひとくちメモ》∼豪華絢燗の結婚式∼
先日,シンガポーリアンの結婚式に家族で招待されました。新郎は空軍に勤める 32
歳のエンジニアで,新婦はコンピューター会社に勤めていて 27 歳です。シンガポール
では晩婚化の傾向が顕著:で,結婚しない女性の増加が社会問題となっています。シン
ガポールの結婚式は招待状記載時刻よりもはるかに遅れて始まると聞いていたので,定
31
刻より 30 分遅れで行ったのですが,それでも開始まで 20∼30 分待たされました。結局
夜の8時半に始まり,終了したのが 11 時過ぎ。当地では披露宴にはお金をかけるとの
ことで,ヒルトンホテルに 500 人以上を招待しての大宴会であり,唯一の日本人家族の
私たちは,シンガポーリアンのパワーと豊かさに圧倒されました。ちなみに,新婚旅行
はヨーロッパへ 3 週間です。
∼シンガポール便り∼ vol.24
去る8月 12 日に事務所開設2周年を迎えました。季節のないシンガポールでは,時
の過ぎるのを感じる機会が乏しく,あっという間に過ぎた感じです。事務所の実績と信
用が蓄積されていくに従って,仕事の幅が広がり内容も面白くなってきており,あと数
年は当地での仕事を楽しみたいと思っています。
■2 年間を振り返って■
この2年間の日本からの来客は,延べ 78 件,808 人。訪問先等の斡旋件数 165 件,面
会等の活動件数 866 件となっており,東南アジアの自治体関係の事務所としては,最も
多忙な事務所の一つだと思います。
当事務所の特徴は,各種の交流事業を数多く手掛けていることで,特に最近は,地元
の大学,高専,高校や地元企業などとの交流事業に力を入れています。これらの交流も,
単なる訪問ではなく,事前に手紙の交換などの準備をした上で,グループディスカッシ
ョンをするなど,より掘り下げた交流となるよう努めています。
■変化の時代層
最近,日本の新聞の購読を始めました。当地では,朝日新聞と日経新聞とが衛星通信
を使って同時印刷を行っており,日本と同じ朝刊が毎朝読めます。以前も一時購読して
いたのですが,日本の新聞があるとついそちらに目が行ってしまい,ただでさえ忙しく
て目が行きにくい地元紙を読む時間がなくなるので中止していました。
ところが,7月からの日本の政治の変化は,海外から見ていても大変興味深く,やっ
ぱり日本の新聞から情報をということで購読を再開した次第です。ほかの情報がほとん
どない状況で新聞だけを読んでいると,文字どおりよその国の話という感じで実感が湧
きませんが,逆に新鮮に楽しめます。いずれにしても,現代が変化の時代であると感じ
ます。今日が昨日と同じだったからといって,明日も今日と同じであるとは限らず,幾
多の選択肢の中から明日を選んでいっているのだということを,改めて思い出させられ
ます。
■言葉について■
シンガポールは,中国系 78%,マレー系 14%,インド系7%という多民族国家です。
国語はマレー語,公用語は英語,中国語,マレー語,タミール語の4言語となっていま
すが,教育,行政は全て英語であり,英語が共通言語として使われています。家庭では
それぞれの民族語を話しながら,社会では英語でコミュニケーションをするというのは,
多民族国家ならではの必要性によるものですが,壮大な社会実験だと思います。
この国では,外国語とは言わず,第一言語が英語,第二言語が各民族語とされていま
す。ちなみに第三言語は,日・仏・独語です。中国系の場合,家庭では,福建,潮州,
広東という各出身地の言葉を使うことが多いのですが,これらは標準中国語として採用
されている北京語とは全く異なるために,出身地の言葉,北京語,英語の 3 言語を話す
というのが一般的です。中国系同士でも英語で話をしたり,出身地の言葉や北京語で話
32
をしたりとまちまちです。当事務所のアシスタントさんは,私とは英語ですが,友人と
の会話は,英語と中国語のチャンポンで話しています。
学校の授業が英語であるためほとんどの人が英語を話しますが,多民族が共通語とし
て使っているという状況から,シンガポールの英語はやや特殊です。つまり,より簡単
に単純にということで,時制に厳しくないなど相当簡略化されており,日本人にとって
はなじみやすい英語だといえそうです。
《シンガポールひとくちメモ》∼カラオケ∼
東南アジアでもっとも普及している日本語は,「カラオケ」ではないかと感じます。
どこにいっても,
「KARAOKE」の文字が見られます。インドネシアのスマトラ島の地方都
市に行った際にもちゃんとあり,驚きました。このような所では客層を反映して,英語
と中国語の歌しかないことも多いようです。シンガポールでも好きな人は多く,先日も
地元の企業経営者の方との付き合いで,午後7時から午前1時までカラオケルームとい
う経験もしました。私はもっぱら聞き役なのですが,中国語で歌われる日本の歌という
のも風情があり,英語と中国語の歌の洪水の中で,楽しみました。
∼シンガポール便り∼ vol.25
先日,マレー半島往復 1,300k 皿のドライブ旅行に家族で行ってきました。南北に高
速道路の建設が進み,地方に至るまでダイナミックに経済的発展が進んでいるマレーシ
アを実感しました。51 年前に広島の第5師団などの日本軍が侵攻し戦った道ですが,平
和を実感しながら楽しんできました。
■シンガポールにおけるヒロシマ■
シンガポールに来て驚いたことの一つは,ヒロシマの原爆の扱われ方です。国立博物
館でシンガポールの歴史のビデオを見た際,日本軍による占領時期の虐殺事件や厳しい
生活の紹介の後で,突然大きな効果音とともに原子爆弾のきのこ雲が映し出され,「か
くして戦争は突然に悲惨な終末を迎えた。」との説明があり,ショックを受けました。
原爆が,戦争の悲惨さの象徴としてとともに,長くつらかった戦争。占領の終結の象徴
としても扱われています。観光地セントーサ島の歴史ろう人形館でも,占領時期の展示
の後に,一部屋全部を使ってヒロシマの原爆の展示がしてあります。
当地では,占領後1週間目から始まった日本軍の「検証」により,日本側の証言でも
約6千人もの人々が殺されたといわれています。独立の立役者であり 30 年間にわたっ
てこの国をリードしてきたリークアンユー元首相も,青年時代にこの日本軍の虐殺から
危うく逃げのびた経験が,自国の運命を自国で決められるようにと独立への情熱をかり
たてたと述べています。
痛みは,受けた側では忘れられません。また,外国人との相互理解が不得手で日本人
以外を人と見ないような日本軍のやり方に,恐怖感があったようです。言葉・宗教・文
化・外見の違う相手との交流には,相互の相違を受け入れ,同じ感情を持つ人間として
の仲間意識を持つことについての習熟が必要なようです。
この点で,ヒロシマは被害者としてだけではなく,戦争の悲惨さを知り,それを再び
引き起こさないための相互理解の必要性を理解する者としてのアピールが必要である
と思います。当地では,日本への期待やあこがれが大きい反面,不幸な歴史からの不安
感も残っており,このようなヒロシマのアピールは,両者の新しい関係を生み出してい
くと思います。戦争責任の問題についても,過去の事実の認識と反省の下に,相互理解
33
の促進と人的な交流の拡大という点で取り上げられるべきだと感じています。
シンガポールの中心地には,日本軍占領時期の犠牲者慰霊碑が建てられています。先
日地元の企業経営者から,この慰霊碑建立の際,その中止について日本から働き掛けが
あったなどの話も聞き,日本への安心感ある信頼の獲得の難しさを感じました。
交流とは相互に学ぶことであり,そのためには,お茶やお花といった伝統文化だけで
はなく,現代の産業社会に働く人々の幅広い相互理解が中心になるべきだと思います。
このような相互理解は,お互いの心の豊かさを生み出すと思いますし,ヒロシマはその
原点たりうると感じています。幸いこのような視点での当事務所の交流事業は,地元の
人たちからの理解と協力を得て,順次拡大をしていきつつあります。
《シンガポールひとくちメモ》∼陸路の国境越え∼
シンガポールの中心街から高速道路を 30 分も走ると,隣国マレーシアとの国境に出
ます。幅1km ほどの海峡が国境で,コーズウェーと呼ばれる土手道でジョホールバール
(JB)と結ばれています。
車でマレーシアに入る場合は,まずシンガポール側において,高速道路の料金所のよ
うな検査所で車に乗ったままパスポート検査を受け,次にガソリンが4分の3以上入っ
ているかチェックされます(マレーシアの方が物価が安いための規制)。コーズウェーを
渡った後で今度は同様にマレーシア側のパスポート検査を受け,税関でトランクを開け
て見せて終了。この間の所要時間ほんの数分で,あっけない国境越えです。1 日に何万
人もの人々が国境を行き来し,JBに住む日本人小中学生は,毎日この国境を越えてシ
ンガポールの日本人学校に通学しています。
∼シンガポール便り∼ vol.26
ついに新空港が開港します。昭和 55 年度から 57 年度までの3年間空港対策を担当し,
便利だが騒音問題や地形的制約から発展可能性に限界のある現空港と,少し不便だが将
来の航空輸送ネットワークのハブとなりうる新空港のどちらを選ぶのかと議論してい
た頃を懐かしく思い出すとともに,今から 10 年後の新空港の評価が気になります。昭
和 55 年度に広島空港基本調査が始まった時には,企画部交通対策課の中に空港担当が 2
名だけという状況でした。以来 13 年。時の流れの速さを感じるとともに,行政の仕事
の息の長さ,将来を見つめる目の大切さを感じます。
■レター社会シンガポール■
当地は西洋風のレター社会です。なんでも電話で済む社会と異なり,ことごとくレタ
ーが要求されます。当事務所でも,電話での打合せ後の確認レター,ミッションの受入
依頼レター,礼状,事業説明のレターなどなど常にレターを書いています。
レターは,個人をベースとして書かれるため,本人のサインがなければ出せません。
この点が,あるレベルまでの内部決裁があれば,知事名ででも文書が出せる組織との違
いだと感じます。サインすることにより,個人の責任が明確となり記録に残ります。代
理として出す場合には,自分の名前とサインのほかに,代理としての職名を書くか誰の
ために書いているかを明記します。差出人本人のサインが必要であるために,権限委譲
を進めて自分のサイγでレターが出せる人を増やさないと,仕事が進まなくなるという
面もあるようです。
レターシステムの中で私が特に気に入っているのは,CC(Carbon Copy)というシステ
ムです。レターを発送する際にその写しをレターの最後に CC: Mr.○○として表示した
34
人にも同時に送付することであり,これによって,第三者もレターの内容を知ることが
でき,情報を共有し,状況を把握することができます。なお,これには写しを送付する
ことによって,自分が相手との打ち合わせ内容に基づいて間違いなく次の行動を起こし
ていることを示す効果もあります。
■エクセレントリーダーとエクセレントスタッフ■
当地に来て感じるのは,企業の社長や部長クラスはもちろん,政府機関の部長,学校
長,学部長といった各部門の長の権限が大きく,その個性が大きく反映されることです。
もちろんそれは,厳しく実績と責任力問われることの裏返しでもあります。前述のレタ
ーも会でもみられるように,個人が前面に押し出される判会だということでしょう。
この国の教育制度も優秀なリーダーを育てようというシステムになっています。それ
はある面ではエリート教育であり,学歴社会として表れてしまいます。もちろん学校の
秀才が優秀なリーダーになるとは限らないというのは,洋の東西を問わず真実のようで
すが,限られた資源しかない小国が世界に伍して生き抜いていくためには優秀なリーダ
ーの養成が必要だというこの国の信念には,断固としたものがあります。
組織の無名性の庇護の下に無為無責任が許容されるということなく,個人の信用,企
画力行動力が直接積われ,自己表現能力判断能力が重要となってきます。学歴・資格主
義の行き過ぎなどの弊害もありますが,実績チェックも厳しく,ポストに安住するとい
う訳にはいかないようです。また,実力主義の一環として,若手と女性の幹部登用がは
るかに進んでいます。社会全体の印象を一口で言えば,エクセレントリーダーのシンガ
ポールとエクセレントスタッフの日本という感じです。
《シンガポールひとくちメモ》∼スポーツ∼
シンガポールで人気のある3大スポーツは,ジョギング,水泳,サッカーとのことで
す。夜遅くでも女性が一人でジョギングをしていますし,年中夏のため年中屋外プール
で泳げます。このほか,テニス,スカッシュ,バドミントンなども盛んで,公営・民営
のスポーツ施設が整備されています。最近は地元の人のゴルフ人口も急拡大しており,
広島市よりも狭い国土に 300 万人が住んでいるというのに,国内にゴルフ場が 11 ヵ所
もあります。
もっとも,熱帯ゆえの暑さは強烈で,我が家の近くのプールでは,昼間泳いでいるの
は西洋系と日本人で,地元の中国系の人はタ方から来ているようです。
∼シンガポール便り∼ vol.27
事務所開設以来の日本からの研修・視察団の来客累計が,2年3ヵ月で 1,000 人を超
えました。97 団体で訪問等斡旋件数は 217 件。シンガポールから広島へも 17 団体,91
人の訪問をアレンジしています。
11 月の広島への訪問も,シンガポール大学日本研究学科の学生 20 人が2週間ホーム
ステイをして広島大学の日本語教師養成課程の学生との交流や企業訪問で社員と意見
交換,シンガポールポリテクニック校の学生 10 人が広島情報専門学校の協力で6週間
にわたって広島に滞在し4週間は広島企業で研修,シンガポールの中小企業を中心とし
た視察団が広島テクノプラザ等で電磁波障害防止技術を研修,など幅広いものです。
事務所開設以来,地元の人々の協力のおかげで,ネットワークも広がり,事務所の信
用も高まってきており,これまでの蓄積を基に,今後より多様な交流が,双方向で生み
出されることを期待しています。
35
■シンガポール観光案内■
直行便の就航で,シンガポールが随分身近に感じられるようになったのではないかと
思います。今回は,シンガポール観光の一端を御紹介します。ガイドブック等に豊富な
情報がありますので今更とは思いますが,ご参考になれば幸いです。
●多民族社会と熱帯
シンガポールの特徴は,多民族社会と熱帯です。中国系 78%,マレー系 14%,インド
系 7%というこの国では,政府の住宅政策による混住が進んではいるものの,リトルイン
ディア,アラブ人街,チャイナタウンといった民族色の強い地域も残っています。また,
仏教,道教,イスラム教,ヒンズー教,キリスト教など,各宗教の多様な寺院も見所で
す。
熱帯という点では,動物園とバードパークがお薦めです。動物園というと,日本では
ライオンが寒さに震えて狭いおりの中でしょんぼりしているという感じがあるかも知
れませんが,ここ熱帯の動物園では,おりや棚を意識させないオープンスタイルの広々
とした屋内に熱帯の動物たちがのびのびと暮らしています。象に乗ったり,オランウー
タンと肩を組んで写真を撮ったりと,参加型のイベントが多いのも特徴です。バードパ
ークも同様で,色とりどりの熱帯の鳥たちが集まっており,鳥と一緒に記念撮影をした
り,めずらしいバードショーを見たりと,随分楽しめます。
●往復3時間の海外旅行
今年9月号でも書いたように,隣国のマレーシアのジョホールバールへは,3時間あ
れば観光して往復してこれます。片道 30 分のドライブで隣国へ行けるというのはおも
しろい経験だと思いますし,街並の違いを楽しんでいただけると思います。
●シンガポール周辺のビーチリゾート
シンガポールから小型機で 40 分飛ぶとマレーシアのティマオン島に着きます。映画
「南太平洋」のロケ鍵として知られた島で,シュノーケリングで色とりどりの珊瑚と熱
帯魚が楽しめます。この他,タイのプーケット島,東マレーシアのコタキナバルなどの
ビーチリゾートへ足を伸ばすことも考えられます。
●日本語ツアー
全て組み込んであるパックツアーを選ぶのも一つの方法ですし,当地でも日本語ツア
ーを申し込むことかできます。年間 100 万人もの日本人が訪れるシンガポールでは,日
本語の観光バスも数社あります。
《シンガポール生活一ロメモ》∼結婚写真の撮影
当地では,新婚カップルがリボンとテープで車を飾り,ウェディングドレス姿で観光
名所などで記念写真を撮って回っている姿をよく見かけます。スタジオで撮影する場合
もあるそうですが,いずれの場合も多い人は数十枚も撮っています。
∼シンガポール便り∼ vol.28
シンガポールで3度目のお正月を迎えようとしています。地元の人たちの声に支えら
れての任期延長の意見書提出にもかかわらず,これが当地最後の正月になりそうです。
ゼロから懸命に積み上げてきた実績と信用がようやく蓄積されてきて,仕事の幅が広が
ってきているだけに,いささか残念な気もしますし,地元の人たちからなぜ今の時期に
帰るのかとも聞かれます。振り返れば,本当に地元の人たちに助けられての活動でした
し,元気づけられて,やってこれました。
36
■東西南北の交差点シンガポール■
当地に来るまでは,東南アジアというのは日本の南の海の果てにあるという程度のイ
メージしかありませんでしたが,こちらに来てみると,まさに世界の東西南北の交差点
に位置していると感じます。
地元の企業の人などと話をしていても,スイスの企業と共同で技術開発をしている,
オーストラリアからバイヤーが来る,カナダに留学していた,ベトナム・中国に投資し
ているなどなど,幅が広く,また,西洋と東洋との接点でもあります。
社会の考え方などは,むしろ西洋文化に属しているようです。実力主義と学歴主義が
混在しており,自分のキャリアアップのためには,転職を厭いません。実績が厳しく問
われ,驚くような若い幹部が組織を動かしています。経験をベースとし調和を重視する
組織から来た者には,あまりにドライに映りますが,責任がはっきりしており,各自が
頑張って努力している姿は共感できます。また,多民族国家であり英語を共通のコミュ
ニケーションの道具として利用していることから,言葉尻にこだわることなく,主張の
中身やその論理性が重視されるというのも,楽しい経験です。
■閉鎖組織?の日本■
当地で,なぜ日本人はあんなに一生懸命働くのかと聞かれることがあります。
そのような時には,日本人が閉鎖組織で働いているのが一つの理由と答えています。つ
まり,一旦組織に入ると,その組織の居心地が良くても悪くても通常は転職が考えられ
ず一生そこで過ごすので,居心地を良くするために周囲の人々との人間関係を重視し,
組織の発展と自分の発展とを同一視せざるを得ない。もっと自分を評価してくれる職場
を外に探すのではなく,自分が属している組織の中での発展をめざすために,力が内に
蓄えられ,継続的な努力を生み出し,時としてそれが大きな力になっていく。こう説明
すると,半分納得しながらも,なぜもっと自分の力を活かし可能性を伸ばすための場を
探さないのかとも聞かれます。
協調性や長い目で見た評価・人材育成も大切ですし,「今」について常に厳しい評価
がされるが故の緊張感もあり,どちらが良いとは言い難いようです。
《シンガポール生活一ロメモ》∼お風呂とシャワー∼
生活スタイルはその風土によって異なります。年中暑いシンガポールでは,日本のよ
うに冬に熱いお風呂に入って体を温めるという必要はありません。むしろ一年中汗をか
きっぱなしで,寝ているときにも汗びっしょりになることから,ゆっくりとお風呂につ
かるよりも,ひんぱんにシャワーを浴びるほうが向いています。このため,当地の住宅
ではシャワーだけでバスタブがないというのも普通です。
∼シンガポール便り∼ vol.29
2年半の蓄積で地元の人たちの間にスムーズに入っていけるようになればなるほど,
残り期間が僅かしかなく,これまでの努力の上に生まれた折角の関係を今後に生かして
いけないというフラストレーションにとらわれています。
日本でもそうなのでしょうが,海外では特に,信用と力量の蓄積が重要と感じていま
す。仕事を「こなす」「しのぐ」のではなく,積極的に何かを生み出そうとすると,経
験の蓄積と意欲に加えて,意識的な努力や勉強が必要なようです。当地でも意欲的な仕
事ぶりの人は多く,給与やポストと直接結びつくが故ではあるものの,働きながらの
MBA(経営学修士)の勉強などその努力ぶりには感心します。
37
■シンガポーリアンとの付き合いと議論■
当地に滞在する日本人でも,組織が大きくそこで働く日本人の数が増えれば増えるほ
ど,また,使えるお金が増えるほど,地元の人たちとの付き合いの度合いが少なくなる
ようです。幸い当事務所の場合,日本人一人で,頼れる日本の組織もなく,当初は予算
も他の自治体事務所に比較して桁違いに少なかったために,いろんな面で地元の人たち
に頼らざるを得ず,おかげで付き合いが広がっています。
こちらがお金を出す話であれば,相手も黙って従ってくれるかも知れませんが,相互
主義でやろうとすると,信頼がベースになり,手間もかかりますし,相互のメリットに
ついての議論が大切になります。
初対面の議論でも,当地では幹部からフランクでオープンです。この点では,内と外
を分け,上と下を考える日本人の方がよほど保守的と感じます。自分自身の会話能力の
制約もあり,紙やすりをもって小さな問題点をなくすように磨きたてるよりも,のみや
鋸で形を切り出していくような議論が大切と感じています。
当地に来て以来,事務所の信用をかけて,自分の考えと実績を言い訳なしに評価して
もらうという環境の中で過ごしてきたために,地元への責任上広島側へはストレートな
物の言い方をする習慣がついてしまっており,それが県庁への復帰に障害になるとの助
言もいただいていますが,それによって得るものが多かったのも事実であり,当分はこ
れでいこうかと思っています。
■海外での広島企業人の奮闘■
広島からの企業ミッションに東南アジアの事業環境等を説明する必要上,東南アジア
各地の広島関係進出企業等を訪問しています。その中で感じるのは,海外での事業にお
ける「人」の大切さであり,また,魅力的な人が多いことです。
特に,一人又は数人で数多くの地元の人たちと実際に事業を進め,現地の事情に疎い
本社を根気強く説得していかなければならないという環境で奮闘されている人たちは,
極めて自然に地元の人たちと接しています。それは,「必死になって肩の力を抜く」と
いうものかも知れませんし,「好きにならなければやってられない」という状況なのか
も知れません。
いずれにしても,そのような状況の中で,その国を好きになったり嫌いになったりし
ながらも,結局はその国のことを考えて一生懸命にやっておられます。最近は日本食の
材料が手に入り易くなったとはいうものの首都以外の土地ではそうもいかず,医療面の
心配も抱えながら,日本レベルの品質を確保しようと,文化・慣習の違いの中で人のつ
ながりを築いていこうと努力されている姿は,「国際化」のモデルと感じます。
《シシガポール生活一ロメモ》∼外食社会∼
共働きが多いシンガポールでは,外食が普通です。朝昼夜といつもフードセンター(屋
台風食堂街)は賑わっています。1 週間のうちに奥さんがタ食をつくるのは数日というの
も普通のようです。毎晩習慣的に連れ立って飲み歩くという風習もなく,早く帰宅した
夫が家族を連れて食事に出るというのは,日本の女性から見れば羨ましい光景かも知れ
ません。もちろん,個人差はありますが。
この食事で欠かせないのが,「チリ」です。チリというのは,唐辛子のことであり,
緑色のチリを酢に漬けてスライスしたものがポピュラーで,日本へ行ったシンガポーリ
アンが懐かしがるのもこのチリです。
∼シンガポール便り∼ vol.30
38
この便りももう 30 号,来月は最終回です。
地元の方々による送別会も始まりだしましたが,まだ今の仕事が終わるということに
実盛がわきません。短い間でしたが,すっかり気分を変えて没頭しなければならなかっ
ただけに,元の組織に戻るということが,何か不思議な遠い世界のことのように感じら
れます。
前回の商社での研蜂のとき以上に復帰後の違和感が大きいと思いますが,この変動の
時代に変化や改革から無縁でありうる世界はないでしょうし,県庁も社会の他の構成員
とともに同じ土俵でやっていかなければならないのですから,その中で自分の経験を生
かしていきたいと考えています。
■多様性の共存■
当地に来て最も印象に残ったことは,多様性の共存とその緊張感ではなかったかと思
います。
隣り合う国同士の一人当たりGNPが 20 倍も違っていたり,ーつの国の中でも高い
塀とゲートに囲まれた高級住宅地とスラムとが同居していたりという経済的状況の多
様,同じ職場で働く同僚が共通語としての英語以外に民族や出身地によってそれぞれ別
の言葉を仲間内で話すというような言語の多機性や宗教の多様性など,様々な意味の多
様性が混在しています。色々な状況が同時に存在しており,それが,
「昨日と同じ今日,
今日と同じ明日」という考え方を拒否し,ダイナミックさを生み出しています。そのよ
うな中で人々は,周囲の環境への同化よりも,自分というものの意識,主張,そのため
の努力へと動くようです。
■公平で明瑠な共遍の評価基準■
多民族の多様性の社会では「融合ではなく,共存」が基本原理であり,重要なのは,
公平で明確な共通の評価基準であり規範のようです。
シンガポールは罰金国家といわれるほど厳しい規制が多くありますが,これとても多
民族の寄り合い所帯としては止むを得ない面があったと題いますし,結果として国民が
誇り得るような国づくりが経済的発展を基軸として実現されてきたので,国民もついて
きたようです。もっとも,経済的に豊かになるにつれてより自由を求める面もあり,検
閲による情報統制への批判も含め,これからの舵取りには困難が予想されます。
学校や職埆では,試験の成績や菓績など分かりやすい評価基準が重視され,多国籍企
業が厳しい評価基準を持ち込んでいます。これについては,学歴主義の弊害もあるよう
に見受けられ,まだまだ過渡期の感はあります。
ただ,救いと感じられるのは,社会のオーブン性です。常に世界と接し交流している
ことから,世聞知らずの内弁慶に陥ることなく,不明朗な密室性の歪みというものが少
ないように感じます。
■ありがとうとあいさつ■
2 年半の海外生活にもかかわらず,妻子の英語はあまり上達しませんでした。子供た
ちについて言えば,朝7時過ぎにスクールバスで学校に行き,夕刻まで日本の学校と全
く同じ環境で過ごし(年に数回体長2㍍位のブラックコブラが校庭内に出ることを除い
て),週に何度かは塾にいくという生活では,致し方ないかも知れません。
その中での成果は,あいさつができるようになったことです。 Thank You
Good
Morning などだけは,きちんと言えるようになりました。それが最低限のマナーだか
らです。折角のこの習慣もあいさつのない日本に帰って急速に失われるという話を聞き,
我が家でも同じ道をたどるのではないかと心配しています。
《シンガポールひとくちメモ》∼南向きの部屋?∼
39
いくらシンガポールでも太陽は西からは昇りませんが,北には昇ります。北緯 1 度の
赤道直下のこの国では,春分と秋分には太隔が真上に昇り,日本の夏には北に昇ります。
このため,日本的な感覚での「南向きの部屋」という書葉の持つ「望ましいもの」と
いう響きはありません。もっとも,太陽は常に高い位置にあり,また,年平均最高気温
30.8℃という常夏の国ゆえ,部屋には日が差し込まないほうが良いのですから,それも
当然かも知れません。
∼シンガポール便り∼ vol.31
この便りも今回が最終回です。いままでお読みいただいた皆様に,心からお礼を申し
上げます。折りにふれ「読んでるよ」と言っていただいたことが,仕事にも本当に励み
になりました。
思い上がりや思い込みによる閾題もあったかと存じますが,自分なりに必死に取り組
んだシンガポールの日々の思いを,できるだけ素直に書いたつもりです。県庁を離れて
3年近く,こちらでの仕事に没頭しているっもりでも,やはり,このような世界の変動
の中で県庁はこれからどうしていくのだろうと,気になっていたと思います。東南アに
来てみて,将来へのビジョン・夢と,それを現実のものとしていく実行力の大切さを感
じるだけに,古巣への思いは強まりました。
色々失礼な表現は多々あったかと存じますが,なにとぞご容赦いただきたいと思いま
す。
■私にとってのシンガポール■
この3年近くのシンガポールでの経験が,私にとってなんだったのだろうかと考えて
みますと,やはりそれは,月並みではありますが,魅力的な人たちとの出会いであった
だろうと思います。
地元の入たち,当地で働く日本人,そして日本からの訪問者,みなそれぞれに魅力的
な人々が多かったと思います。懸命に夢中になって頑張ることが恥ずかしいことではな
く,夢や感性を大切に過ごしていくことが意味のあることだと感じさせられたのは,楽
しい経験でした。
それを財産として,次の出会いの際にも恥ずかしくないように,頑張っていきたいと
思います。
■終わりに当たって■
帰国の話を聞いて,少なからぬ入がなぜ今の時期に帰ってしまうのかと言ってくれま
す。土を耕し種を播き,今やっと若芽が出てきたところではないか。あなたが今の仕事
を続けられるようするには,私は誰に手紙を書けば良いのかと。
海外では,言葉の問題,生活習慣・社会常識の違い等により,重力が大きい世界で暮
らしているかのように,体が動きにくいものがあります。
しかしながら,人の付き合い,仕事の基本は同じであるように感じます。特にシンガ
ポールの場合,高度な経済成長の達成を背景として,自信とプライドを持った人々と,
正面からの議論を通じて,対等な関係で仕事を楽しめたと思います。
広島からの 1,100 人の来客の外に当地で名刺交換をした 1,200 人の過半数が地元の
人々であったことが,私の誇りです。
今,この国を離れるに当たり,いつかまた帰ってこれる日が来ることを願っています。
■交流の発展を■
40
当地では,戦争中の記憶故に日本への不安感は依然ありますが,同時に,高品質な製
品を生み出す国としてのあこがれもあります。このため,日本の企業や人々の実際の姿
を理解するために広島を訪問したいとの相談が,大学などから持ち込まれます。こうし
た若い人々を「受け入れる」ことは,私たち自身が周りを見回し,学ぶ機会にもなると
思います。双方のために,今後とも多様な交流が大きく広がっていくことを願っていま
す。
《シンガポールひとくちメモ》∼南十字星∼
シンガポールの思い出の一つは南十字星です。
暑さなどで眠れない夜に,中空に輝く南十字星が,心をなごませてくれました。
41
Fly UP