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4・5月合併号 Vol.292

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4・5月合併号 Vol.292
INDEX
1 ●震災特集 がんばろう福島!
そのとき販売店は?
2-3
お店・企業の対応
4-5
5-6-7 福島県内自治体取材
「おいしいもの」たちへ捧げる詞
8 ●喰珍訪 ふくしまの
●BMC広告マスター資格・PM資格
〒963-0724 福島県郡山市田村町上行合字北川田26-3
TEL(024)944・8400(大代) FAX(024)944・9980
IP電話:050-3000-9629 ホームページアドレス http://kenori.com/
2011年
4.5月合併号
vol.292
発行/株式会社福島県折込広告社<営業本部>
震災特集
青森、
岩手、
宮城、
福島と北関東各県は、
地震、
津波により計り知れない打
撃を受けましたが、
福島県は解決の糸口さえ見えない原発問題を抱え三
重苦の状況下にあります。
この原発問題は、
私達福島県民のみならず、
日本全体を暗く覆っており暗
澹たる思いでいっぱいです。
平成23年4月
代表取締役社長 大川原
順一
私達は
『前を向いて』
生きていく
おそらくは報道の通り長期戦になるであろうと思われます。
地元福島県に住む私達は、
この原発問題、
それによる風評被害、
経済の落
ち込みを考えた時、
ともすれば心が折れそうになります。
しかし、
私達には
「前を向いて」
生きていく以外に選択肢はありません。
平素は、
格別のお取引を賜り、
誠にありがとうございます。
私達は、
この地で復興の為、
その最前線で戦うことを社員全員で確認し、
この度の東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申
誓いあっています。
し上げますと共に、
被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
震災後も弊社は、
折込広告を中心としつつ、
全ての販促シーンに関わるべ
また、
弊社に対しまして、
数多くの皆様からご支援、
お見舞いを頂戴致しま
くSPエージェンシーへと変化し、
更にソリューションカンパニーを目指そう
した。
とする姿勢に変わりはありません。
誠にありがたく厚く御礼申し上げます。
お取引先の皆様は勿論のこと、
弊社を支えて下さっている新聞販売店の
役職員一同、
皆様の励ましの言葉一つ一つを胸に刻み、
復興に向け思い
皆様、
協力会社の皆様と共に、
少しでも早く復興が叶いますよう問題解決
を一つにし、
活動を開始してまいります。
本当にありがとうございます。
に取り組んでいく所存です。
さて、
東日本大震災により東北地方は壊滅的打撃を受けました。
一地方の中小企業に過ぎない弊社ですが、
「中小企業が日本を支えてき
復興への動きは、
まだその端緒を開くこともできず、
経済活動の復活もまま
た」
気概を忘れず、
石に噛りついてでも社員を守り、
家族を守り、
地域社会
ならない状況にあります。
のため力を尽くしていきます。
しかし、
燃料問題が解消されてきたことにより、
物流体制もほぼ整ってきま
皆様のご支援、
ご協力をお願い申し上げますと共に、
改めて皆様から頂戴
した。
被害が少なかった流通店の各店舗も相次いで営業を再開し、
被災
致しましたご支援、
お見舞いに対しまして御礼を申し上げます。
者へのエールを込めた新聞折込広告も実施されてきております。
僅かではありますが、
震災前の日常の状態へ向けた動きが出てきていま
す。
福島県以外の東北各県も太平洋沿岸部を除き、
すでに折込広告の取扱
いを再開しました。
私達は、
何とかこの流れ、
動きを強めていきたいと考えており、
そのための
活動を強く推し進めているところです。
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Yazzo Fukushima
1
そのとき販売店は?
震災
ている!」
特集 「情報を待っ
その一言に支えられて
南相馬市原町区 藤原新聞店 藤原 広幸
情報が欲しい
原町は
「屋内待避地区」
になり、
新聞も届かなくなっていましたので、
3
月24日頃から、相馬の配達を終えてから
「避難所」届け分を分けてもら
い、
原町に戻り警察、
消防、
市役所、
避難所に新聞を運んでいました。
こ
の頃から住民の自主避難が多くなりました。
そんな時、
同級生に会い自分の子供が津波で行方不明だと聞かされ、
「俺らは、
情報がないんだ!お前が新聞配らなくてどうするんだ!みんな情
報を待ってるんだぞ!な!藤原、
俺も手伝うからなんとかするべ!」
と言わ
3月11日は、
車で約80K離れた郡山市で会議でした。
地震後の混乱
れました。
目に溢れるものがありました。
そしてこの友人が配達再開の一
の中、
5時間かけて原町に戻りました。
途中、
津波の被害が出ていること
番目めの読者になりました。
次の日から相馬からいつもより多めに新聞を
は聞いていましたが、
まさか自分の町が被害にあっているとは思いもしま
持ってきて配達を始めます。
この時点でこの友人、
自分、
あと両親と読者3
せんでした。
12日朝4時ごろ、
いつものように自分の配達区域に行って
人からの再スタートです。
そして読者探しです。
取りあえず
「原町に残って
初めてその凄まじい光景を目の当たりにしました。
昨日まで
「おはよう!」
と
いる」
と電話をくれた友達から配り始めました。
声をかけていた人たちが、
家が、
集落180件の9割以上が無くなってい
次に、朝8時過ぎから配達しました。
これは、一旦、配達が途切れてし
まったため配達の認識が無いので、
新聞配達をしている姿を見てわかっ
るのです。
15日まで配達をしていましたが、
14日に
「屋内退避勧告」
が出てから
避難する人が目立ち17日ごろには8割の住民が町を後にしました。
てもらうためです。
また残っている読者を探し出すために、
配達を終えてか
ら昼間に車のある住宅、
夕方に電気のついているお宅を確認してまわり
新聞も16日以降届かなくなり、
やむを得ず大玉村の伯父宅に避難しま
ました。
少しづつ配達部数が増え、
感謝されました。
が、
中には
「新聞がな
した。
数日後、
店に戻ると
「臨時休業」
と書いておいた張り紙に
「情報が欲し
い生活に馴れてTVだけでも大丈夫」
という読者もいました。
この一言で
い、
配達できなければとりにくるから」
と読者の書き込みを見つけました。
新聞を配り続けなければ!と逆に奮起し
人気の無い町に
「情報」
求める読者がいると思うと胸が熱くなりました。
たりもしました。
読者の探し出しの一方、営業している
瓦礫に覆われた相馬松川浦
商店や理髪店、
人の集まりそうな所に新
聞を投げ込みをして、
口コミで100部ぐら
そのころ弟の経営する相馬店は、
配達員不足でした。
まず、
委託配達員
いまで部数は増えてきました。
▲瓦礫を縫って配達が続く
が津波で行方不明になり
(後に遺体で見つかりました)
、
避難して連絡のと
れない社員などもいて、
大変な状況でした。
残った社長とスタッフで夜中の
0時前から朝の8時まで配っても配達不能区域
(津波に遭った地区など)
が出る状態でしたので、
私がそこの欠配地区(松川浦)
に入ることにしまし
やっぱり新聞が無いと困るな!
その頃は朝3時に起床して相馬に行って配達し、
原町に戻ってからの
地元の配達終了が午前10時頃でした。
た。
松川浦地区は、
地震と津波とでいた
4月に入り、
元社員と二人体制となり、
新聞は鹿島区からの取出しが可
るところ瓦礫の山でした。
その中で、
高
能になりました。
多少時間も短縮ができ、
配達可能時間が増え、
読者は一
台などにかろうじて残った読者宅を探
気に150件
(1.
5倍!)
になります。
その後、
数日は、
配達・読者探し・口コ
し当て、新しい配達順路を作りながら
ミ
(他力本願)
の繰り返し。
そして配達順路の変更と確認とで、
朝3時から
の配達です。本当に悲惨な光景の中
▲こんな風景が続く
での配達です。
電気ガスが止まったなか、
踏みとどまっている被災者から
は、数日ぶりの新聞をみて
「情報がなかった。
(配達してくれて)
ありがと
う!」
と言われました。
その後数日∼一週間ほどすると、
避難していた人た
夕方5時まで動き回りました。
このころまで順路帳は頭の中だけで、
何かあったら配達不能!
(笑)
。
殴
り書きのメモと地図だけが資料でした。
そして一週間を過ぎた頃から電話が鳴り止まなくなりました、
「配達希
ちが帰ってきはじめ、
瓦礫の撤去、
ライフラインの復活など、
相馬、
松川浦
望」
のお客様からです、爆発的な状況
は目に見えて復興しているのがわかります。
そのたびに部数が増えていき
です。永年新聞販売店をやっています
ます。
現在も、
松川浦と原町の配達を両方続けていますが、
感じるのは原
が初めての経験です。
町と相馬の復興の温度差です。
原因は屋内待避の
「30kmライン」
です。
その後は事務も入れ、倍々ゲームで
読者が増えていきました。
原町は読者3人から再スタート
2
電話や来店するお客様がみな一様
に口にするのは、
「やっぱり新聞が無い
▲藤原夫妻
と困るな!」
の言葉です。
現在、
8人のスタッフで原町区を駆け回って現在
ら!」
と言われ涙が出る思いでした。
この出来事で、
あらためて新聞は、
まだ
部数も1300を越え
(4月15日現在)
、
今でも電話と来客がひっきりなしで
まだ必要とされ、
信頼されているのだと痛感させられました。
す。
今の悩みは、
人が足りず、
時間通りに配達ができないこと、
1日70件以上
南相馬市原町区は屋内待避&避難準備区域のため、
復興にも力注げ
は、
配達希望が受け付けられないことです。
また、
ある地区から購読希望を
ず、
不安な毎日が続いています。
もっと状況が悪くなるかも知れません。
で
受けましたが、
「人手不足でその地区は配れない」
と言うと
「それでは
(この
もとりあえず今は、
一部でも多く配達をして情報を読者に届けたいと思い
地区の分は)
自分が取りまとめるから新聞を分けてほしい、
とにかく情報が
ます。
ほしい!「
」その為なら手伝いますよ!大変なのは、
みんなわかっていますか
震災
特集
そのとき販売店は?
いわき市小名浜 阿部新聞舗 阿部 浩治
震災日誌ドキュメント
以上停車はエンジンを切る、
など燃料規制を提示する。
「この空間
に放射能がただよっているのだろう・
・」
と不安を感じつつの不気
味な早朝配達であった。
音がしない、
車両が通らないなか、
家々の
明かりがホッと心を落ち着かせる。
この明かりの下で、
今も原発
情報を見聞きしながらいつでも逃げられる体勢をとっているの
だろうと推測した。
●3月11日 午後2時46分、
東北地方宮城福島県沖に
今後の方針として、
当地区に避難勧告が出るまでは配達すると、
て震度6強の大地震並びに、
大津波が小
強く心に誓う!何故なら
「情報を必要としている。
待っている人が
名浜の街を襲った。
義父の家も被害に遭
いるからである」
い、
その日の夜に現場の被害状況を見に
●3月17日 他店欠配2日目。
当店も燃料が減りわずかしかない。
行き
「これはまぎれもない事実」
と初め
●3月18日 他店欠配3日目。
僅かながら他紙読者からの動きが見られる。
て甚大かつ重大な災害と認識した。
●3月12日 新聞到着5時15分。交通事情による遅
●3月16日 「配達欠配のお詫び」
文を折込む。
社員には、
走行20km/h以下、
1分
▲阿部浩治氏
れ。
配達時に各避難所へ新聞を持って行った時、
相手紙に先に届けら
れ悔しがる。
しかしそこで初めて被災者と会話ができ、
今回の大
地震と大津波の怖さを語られた。
「新聞からの情報はありがたい」
と深々と頭をさげられた。
水が出ず改めて
「水」
の大切さを痛感し
た。
●3月13日 AM2:30避難所に先方より先に届けた。
情報は何より
「早く・正
確に届ける」
ことが大切である。
新聞屋さんとわかるや否や早朝にもかかわらず
「ドッと」
囲まれ
た。
「とにかく情報が欲しい」
と言われ、
「これは新聞を届けなけれ
ばならない」
という使命感がより強く生まれた。
街の状況は、
水は出ない、
店はやってないということで負の連鎖
を予感した。
そこでまず店を守るためにガソリンの確保に走る。
この時はスタンドの並びは少々で済んだ。
余震が続くなか、
今度は福島第一原発事故が発生。
爆発し放射能
汚染が懸念される。
夜通し状況把握に努めた。
●3月14日 放射能汚染拡大のおそれで30K圏内
「屋内退避」
が出され、
怯えた
つ。
放射能漏れが取りざたされ、
「当店も人的被害があるかもしれ
ない」
という周囲意見があり、
また同業他社からも同じ情報を入
手した。
明日の配達欠配を午後決定し配達パートに告げた。
新聞
対応としてお客様にどう提供しなければならないか考え、
本店・
支店・支所置きを決めた。
●3月15日 小名浜地区全販売店欠配。
早朝天候は雨。
私1人だけ出動。
避難所
へ配布に行くが、
雨ができるだけ付着しないよう何層も重ね着を
し、
最善をつくし戦場へ。
避難所では
「ほんとうにありがとう」
と
何度も感謝される。
また人も車も通らないこの暗閣の雨の中、
当店のバン逓送車を不
審車両だと思われ、
警察車両にあとをつけられるが、
新聞屋さん
とわかり理解された。
事務所の電話対応が追いつかず、
留守電に配達不能理由を吹き込
み対処した。
社員のご両親が、
いわき市では透析ができず、
東京に
「燃料明日以降残2日分持てば・
・
・」
と考える。
茨城の新聞店経営する父・兄に相談した。
燃料を供給してくれる
と聞き、
明日取りに行くことにした。
「ホッ」
とした。
●3月19日 他店欠配4日目。
相変わらず当店のみの配達。
早朝、
燃料調達の件
を社員に伝えると同時に、
万が一のことを伝えた(今日中には帰れ
ない、
交通事情・少ない燃料や手に入らないことも)。
●3月20日 雨の日の対応チラシを入れる。
「明日は人的被害考慮し配れない
かもしれない」
という内容。
●3月21日 天候雨。
この日より他店が一部配達再開となる。
他店も動き出したということで、
社員に放射能による欠配は回避
と告げた。
●3月22日 全社員に
「完全配達」
を指示する。
事務再開。
請求関係・避難止めに
よる数字の把握を開始。
●3月23日 避難止めによる大方の数字を把握。
●3月24日 専業社員のソフト面のケアを考えて、
内郷のいわき市保健セン
ターにて
「放射能スクリーニング」
を受けたが問題なし。
みんな安
堵する。
帰りに豊間から江名まわりで、
全社員に大災害の爪痕を
見せ、
改めて恐怖を感じた。
いわき市へ災害応援としてタオル300本を寄付した。
●3月25日 私と社員6人とで、
栄町地区の戸別訪問を行う。
声掛けとともに
「引越グッズ」
を災害応援として100個手渡した。
もちろん地域を
元気にすることもあるが、
私たちもまた災害当事者で共にあると
いう気持ちも感じとって欲しいということもあった。
「家があるだけありがたい」
「これを貰えるだけありがたい」
と感
謝された。
また、
「これからがんばるよ」
「絶対負けないよ」
と前向き
な言葉をいただき、
小名浜は大丈夫と確信した。
●3月26日 昨日に引き続き、
メンバ一全員による下神白地区に引越グッズ災
害応援として70個配布し
た。
他店より応援グッズ・
燃料の供給受ける。
集金
開始日を30日に決定し、
集金パートに連絡した。
行くための燃料の相談を受け、
迷わず命の選択を選んだ。
15L
を分けた。
▲被災した住宅への配達
3
お店・企業の対応
震災
義援金ハンバーガーで
特集 ひろがる支援の輪
モスバーガー本宮インター店・会津喜多方店
板橋 真仁 オーナー
くるのは
「水が出ない」
との声。
地元の白河市は断水状態が続いていまし
た。
ひとつの決心をした木村支配人代理は市役所に掛け合いました、
「ウ
チの入浴施設を無料で開放させて頂きたい」
。
断水に頭を悩ませていた
市役所側は二つ返事で快諾し、
こうしてお風呂の無料提供が始まりまし
た。
内装のひび割れ、
調理器具の傾き、
フライヤーからの油もれ。
モスバー
燃料の重油がある限りお風呂を開放し、6日間の提供期間でのべ
ガー本宮インター店でも今回の大震災の被害が出ました。
震災時は、
お
4000人以上の方が利用しました。
利用者は市内の方はもちろん、
近隣町
店にいたお客様を避難させ、
片付けのため一旦お店はクローズ。
その間も
村に避難してきた浜通りの方もいらっしゃいました。
入浴後、
利用者のみ
福島県の災害時帰宅支援ステーションの指定を受けていた同店では、
ト
なさんからはたくさんの感謝の言葉を頂いたそうです。
なかには、
後日
「お
イレなどを利用者に開放しました。
片
風呂を頂いたお礼に」
と同クラブでゴルフをプレーしてくれた方もいまし
付けが一段落した同日の夕方、
お店
た。
を再オープンすると、
食べ物を買い求
「今回の無料開放を決めた理由はひとえに地元への思いから」
と木村
める人でドライブスルーは30台以上
支配人代理は語ります。
地元密着型のクラブ運営を続けてきた同クラブ
の長蛇の列。
「お店を開けてくれてあ
だからこそ、
今回のような災害時の地域貢献が自然に実施できたと感じ
りがとう」
「がんばってね」
などの言葉
ました。
また5月14日には参加費の一部を寄付する復興チャリティーオー
を頂いたそうです。
その日は食材がな
プンを開催し、福島県の復興をさらに
くなるまで商品を提供し続けました。
▲板橋真仁 オーナー
翌日からは物流が滞り、
なかなかお店を開けられない日々が続きまし
後押しする予定です。
ただし、
いまの利
用者数は
「平年の3分の1程度」
と非常
たが、
新潟県新潟市にある新津店の協力を得て、
喜多方店は19日から、
に厳しい状態。
いまでも関東圏から応
本宮店は20日からオープンすることができました。
喜多方では避難してき
援するつもりでと、
プレーに来てくれる
た方々へ、
ハンバーガー400個の無償提供を行ない、
さらに
「自分たちが
お客様はいるそうですが、
「自分たちも
役に立てることはなにか」
を板橋オーナーや従業員が真剣に考えた結
含め福島県全体を助けるつもりで、
さ
果、
自店でのチャリティーが行われました。
内容は通常160円のハンバー
らに応援を頂ければありがたい」
と訴え
ガーを100円で販売し、
その売上のすべてを義援金として寄付するという
ています。
▲木村淳一 支配人代理
もの。
販売当日はオープン前から行列ができ、
予定販売数の300個が午
前中に売り切れたそうです。
チャリティー実施後は、
チラシを見た方から応援の言葉を頂いたり、
ほ
かの店舗オーナーからも
「ウチの店舗でも是非やりたい!」
との連絡をも
らったそうです。
「小さくても自分たちができる範囲で支援を行い、
その思
いが広がり、最後には大きな支援の輪になればうれしい」
と板橋オー
ナーは語ります。
震災
特集
お店・企業の対応
株式会社 リオン・ドール コーポレーション
会津から繋いだ食のルート
会津若松市に本社があるリオン・ドール コーポレーションは福島県中
通り、
会津地方、
栃木県、
新潟県に45店舗を展開している食品スーパー
お店・企業の対応
震災
地元への思いから始まった
特集 お風呂の無料開放
白河国際カントリークラブ 木村 淳一 支配人代理
震災発生時、白河国際カント
です。
そのリオン・ドールも3月11日に発生した地震では、
5店舗に建物
被害を受け、
4店舗が1週間の休業、
1店舗が1ヶ月の休業となりまし
た。
そんな中、
震災当日には臨時休業の店舗もありましたが、
翌日より休業
中以外の店舗では店頭販売を含め営業を開始します。
しかし、
震災の影
響で通常の商品入荷は止まった状態。
使命感から食の提供を最優先に
リークラブには約60名のお客様が
考え、
比較的被害の少なかった会津地方の取引先からの特別供給や、
いましたが、
木村支配人代理は従
南会津を経由した関東方面からの供給、
また隣接する新潟県からの供
業員に指示を出し、
迅速にお客様
給など、
複数ルートの非常体制で商品の入荷に取り組みました。
地域社
の避難誘導を行いました。翌日出
会の皆様のためを合言葉に、
小池社長のもと、
多くの社員が不眠不休で
勤してみると、
社内外から聞こえて
食の提供に努めたそうです。
4
そのほかリオン・ドールは、
福島県・新潟県・会津若松市・十日町市と
災害時の物資救護等に関する協定を結んでいることから、
浜通りの市町
会へ、
ランドセルや文具などを無償
提供する支援も行っています。
村や県内各地の避難所へ食料や水の供給支援を実施しました。
さらに
NPO法人
「日本を美しくする会」
の会津掃除に学ぶ会の代表として、
福島
県の教育庁を通じ、
避難した児童を受け入れている市町村の教育委員
震災
特集
福島県内自治体取材
ささえあおうフクシマソウル
復興へのスクラム
「けれど」
と彼女はほほえむをうかべます。
「海釣り公園で釣りをたのしむ
常連の方から問合せをいただき、
施設の状況はもちろんなんですが、
海
釣り公園施設の管理人の安否まで気にされた一言をつげられ、
胸がつ
まる思いでした」
。
この4月20日∼30日にかけては、
新地城址を会場に、
3万本のチュー
東日本大震災で未曾有の災害に見舞われた県内各地には、
これまで
リップが色とりどりに花をさかせる、
新地町の春の風物詩
「チューリップ
全国各地から数多くの救済や支援の手がさしのべられ、
県民にとって、
祭り」
が予定通りおこなわれ、
町民や訪れる方々の心をいやすことでしょ
非常に大きなささえとなっています。
う。
また、
8月ごろまで実施している花いっぱい運動では、
「もし、
建設中の
その思いを胸に、
県内各自治体では、
復興に向けさまざまなとりくみが
はじまっています。
今回は、
そのとりくみとともに、
心あたたまるエピソードをご紹介します。
のりこえていく フクシマ ソウル[浜通り]
伝統行事の開催
相馬家の始祖、
平将門による軍事訓練にはじまったとされ、
一千有余
年の歴史と伝統がいきづく国の重要無形民俗文化財
「相馬野馬追」
。
全国的に各地の催事が自粛ムードにおおわれるなか、
「相馬野馬追の
仮設住宅の周辺にさかすことができれば、
少しは住民の方々の心を、
なぐ
さめられるかもしれません」
とふっとささやいていました。
花に祈りをこめ
て、
願いをこめて。
45年目のキャラバン
いわき市小名浜を中心とした沿岸一帯もまた、
津波の被害を相当にこ
うむった地域。
県内でも屈指の観光施設や海水浴場がならび、
毎年多く
の観光客がおとずれます。
そのひとつ、
塩屋埼灯台のふもとには、
日本歌
謡界の頂点をきわめた伝説の歌手故美空ひばりさんのみだれ髪の歌碑
五郷騎馬会が、
今年の開催にむけ祭りの具体的な準備の協議にはいり
と遺影碑が記念碑としてたてら
ました」
と笑みをこぼしながら語るのは、
原町観光協会事務局長。
れてありますが、
ここにもまた、
当市は、原町区が屋内退避指示区域のため、時期や場所は未定だ
津波は容赦なくかけあがってき
が、
「津波による甚大な被害をこうむったこの相双地区にとって、
一筋の
ました。
「なんとかすれすれのと
光明を見たよう」
と一方ならぬよろこびを見せていたました。
ころで波は高どまり、記念碑は
「相馬野馬追」
は、
第二次大戦中も開催したほど、
地域に根づいた格式
難をのがれました。
そして、地震
高い文化財。
「県外からもメール等の問合せがあり、
こんなときだからこ
から1ヵ月を迎えた4月11日、
くし
そ、
開催にこぎつけたい」
。
くもこの日は、
闘病生活をのりこえて開催した伝説の東京ドーム
「復活コ
観光協会のある野馬追通りの銘醸館脇には、
小ぶりのソメイヨシノが、
満開の花をさかせていたました。
▲波立海岸の赤鳥居
ンサートの日だったんです」
とかたってくれたのは、
いわき観光まちづくり
ビューローの新妻課長。
昇天してなお物語りつづける昭和の偉人は、
い
わき市の守り神的存在のようです。
花いっぱい運動
同じ守り神の話題として、
波立海岸の弁天島に立つ赤鳥居もそのひと
つです。
地震の数十分後、
役場前の駐車場から見えた異常な光景に、
新地町
あの大津波がおそいかかっ
観光協会の村畑さんは、
愕然となりました。
普段なら、
おだやかな町並み
てきたにもかかわらず、
この赤
がたたずむその家々のむこうへ、
黒々とした高波が堤防をこえておしよせ
鳥居は、
びくともせずたちはだ
るさまに戦慄をおぼえ庁舎にかけあがったのです。
かり、
そばにある波立薬師を
見まもったようです。
彼女はいいます。
「例年なら、
町並みのむこうにある釣師浜海岸でおこ
その一方、
小名浜測候所に
なう夏の恒例行事、
『遊海しんち』
の企画をたてはじめるところでしたが、
海水浴場も、
漁港も、
海釣り公園も、
そして町並みも波にのまれました」
。
▲小名浜測候所
うえられている桜の樹もまた、
5
おしよせる津波にのまれました。
この桜は、
開花の目印とされる貴重な樹
タクシー等の交通機関をつかってほしい」
と複雑なうれしい悲鳴をこぼし
ながら、
この津波により花をさかせることの望みをたたれていました。
とこ
ていました。
ろが、
地震から4週目の4月9日。
その桜の樹に5つほどのつぼみが小さな
県中に位置する須賀川市。
こちらもまた、
この震災で、
市役所本庁舎の
花を咲かせ、
いわき市に、
桜の開花をもたらしました。
奇跡の樹に春がめ
倒壊の危機や、
市中心部市街地内建物の陥没等、
多大な被害を受け、
緊
ぶきました。
急災害対策本部を市総合体育館に移し、
復旧作業に追われています。
ま
そんななか、
いわき市といえば、
全国的にも有名なハワイアンズのお膝
た、
須賀川アリーナの他、
市内5施設に避難所を設け、
避難された方々をう
もとですが、
そのハワイアンズが、
今回の東日本大震災をうけ、
開館以来、
けいれています。
その須賀川市では、
例年の恒例行事として、
須賀川牡丹園
45年ぶりに全国キャラバン隊をくむそうです。
「少しでも風評被害を払拭
が、
この時期に開園となりま
し、
観光の街いわき市をもりあげるために全力を尽くしたい」
と新妻課長
すが、今年は、震災の影響
は、
熱い思いをにじませていました。
もあり、
開園すべきか否か、
須賀川市とともに、牡丹園
地域がたすけあう フクシマ ソウル[中通り]
避難所救援物資のメッセージ
福島市の避難所になっているパルセ飯坂には、
数百名の方が避難し
ています。
そこで、
全国から届く救援物資をふりわけていた福島市観光物
保勝会が協議をした結果、
やはり、
こんなときだからこ
そ、
地元の方はもちろん、
避
難されている方々の心のな
▲牡丹園
ぐさめに少しでも役だてたい、
との思いで開園にふみきりました。
産協会の深谷課長が目にし
牡丹園の駐車場や池周辺に地割れなどがありましたが、
さいわい、
牡
たもの、
それは、
ペットボトル
丹のほ場には地割れや陥没もなく、
被害も少なかったこともあり、
「私たち
が入った段ボール箱に、
送り
が手塩にかけて育てた大切な牡丹を、
ぜひこの機会にこそ見てほしい」
と
先からの手書きのあたたか
牡丹園保勝会の橋本管理次長は目をほそめます。
牡丹は、
1年に1度しか
いメッセージ。
咲かない花。
「今年は、
開園245年の記念の節目をむかえます。
この震災
がんばれ!愛知から祈っ
をともにのりきるためにも、
290種7000株の見事な牡丹を、
無料でご覧い
てます。
できるかぎり応援し
ます。
ただけるようにしました。
震災でつかれた心をなごませることができれば、
▲全国からの応援メッセージ
といった言葉の数々に、
「心をすくわれたこの言葉達を、
もっと役だてよ
う」
、
と深谷課長にあるアイディアがひらめきました。
すぐさま、
そばにいた
それがせめてもの願いです」
。
開園期間は、
4月28日∼5月31日となりますので、
一度、
足をはこんでみ
てはいかかでしょうか。
高校生ボランティアとともに、
その書かれた言葉をきりとり、
避難所の掲
先日、
東京のある企業から、母の日のプレゼントとして、
牡丹の鉢100
示板に全国からの応援メッセージとしてかざりはじめました。
このとりくみ
鉢の注文があったそうです。
名実ともに、
これまでの栽培にかけた思いが
は、避難所暮らしの方はもとより、
マスメディアにもとりあげられ、言葉の
震災をのりこえて認められた、
何よりの証しではないでしょうか。
力、
人の思いの力の大切さがつたえられました。
また、
こうした避難所暮らしの方々がかかえている精神的な悩みを少し
でも解消しようと、
まち歩きツアーを企画実施したり、
まちなか広場での
交流イベントを開催するなど、
「ただ自粛するばかりではなく、
心のケアを
最優先に考えてとりくんでいきたい」
と話す深谷課長。
それぞれの地域再生
郡山市では、
市役所本庁舎が被害を受け立入禁止となり、
防災施設
として整備した開成山野球場を災害対策本部として、
災害復旧にとりくん
でいます。
ビッグパレットには富岡町、
川内村から多くの方々が避難され、
四季を愛でるなごみの園
全国的に有名な花見山公園には、
この季節、
毎年、
数十万人にのぼる
花見客が押しよせあふれかえります。
今年は、
この震災に配慮し、
シャトル
同町村の仮設の役場も機能しはじめています。
郡山の花見どころ開成山公園や大神宮では、
ライトアップや提灯等の
ディスプレイは自粛しましたが、
屋台も、
例年より数は少ないものの出店し
にぎわい、
多くの市民が春の雰囲気をあじわっていました。
バスの運行や出店の中止等、
例年とは異なる静かな開園となりました。
し
4月16日には、
郡山ユラックス熱海やカルチャーパークのカルチャーセ
かし、
開園してまもなく、
桃源郷の絶景をもとめて、
県内外からマイカーで
ンターが、
29日は、
ビッグアイのふれあい科学館、
大安場史跡公園
(古墳
やってくるお客がふえはじめました。4月中旬の週末には、市が指定した
を除く)
、
石筵ふれあい牧場、
カルチャーパークのドリームランドが通常営
420台の駐車場は午前中には満車となり、
近隣の住宅街にまで車の列
業を再開します。
その他、
5月、
6月にかけて、
東京で市の農産物安全PRを
ができるほど。
土日とも1万人を数えるお客が見え、
「できるかぎり、
バスや
実施予定しています。
6
本宮市では、
蛇の花遊楽園が通常営業を再開し、
5月に見ごろをむか
える藤まつりも開催予定です。
にふさわしい思い出づくりにぴったりのイベントです。
会津若松市では、
鶴ヶ城の天守閣の赤瓦リニューアル完成を記念し
鏡石町にある、
岩瀬牧場も通常営業を再開、
4月17日には、
さくら祭が
たオリジナル箸が、天守閣有料入場者に先着でプレゼントされます。
ま
催され、
ゴールデンウィークにはこどもまつり、
5月中旬からはしゃくやくま
た、
赤瓦リニューアルと保科正之公生誕400年を記念した
「会津鶴ヶ城
つりを予定中です
(詳細は、
各施設へお問合せ下さい)
。
歴史ウォーク」
が6月4日に開催を予定しています。
天栄村では5月下旬、
二岐山の山開きに合せ、
ぶな山荘駐車場で祈願
祭を予定しています
(詳細は、
天栄村観光協会へ)
。
こうして少しずつですが、
各地でにぎわいをとりもどしはじめようとして
います。
4月23日からスタートするJR只見線沿線をめぐる
「駅からハイキング&
ウォーキングイベント」
は5月5日まで開催されます。
会津地方の観光の活
性化と被災者応援元気プランとして、
会津坂下町、
会津美里町、
只見町、
柳津町の各駅と各町内にある観光施設をめぐるバスツアーです。
こうした
各市町村の元気発信イベントをバックアップするように、
福島県では、
福
風(評)
にも負けず
フクシマ ソウル[会津:福島県]
島県産の農林水産物を積極的にPRするための
「がんばろう ふくしま!」
キャンペーンをはじめました。安全性が確認された県産の農林水産物
を、
県内の販売店、
飲食店、
流通関係で優先的にとりあつかってくれる応
県内有数の観光地会津地方でも、
それぞれの自治体で、
風評を吹きと
援店を募集。
「がんばろう ふくしま!」
の統一ロゴやのぼりを配布し、
県
ばそうとゴールデンウィークから初夏にかけて、
さまざまな催しが予定さ
産の農林水産物を、
まずは地元から消費しましょうという、
いわば地産地
れています。
その一部を紹介します。
消による地元復興支援プロジェクトです。
今、
福島県は、
宮城や岩手とと
猪苗代町では、
野口英世記念館で、
5月5日のこどもの日に、
「こども餅
つき大会」
を開催します。
野口英世博士が母へおくった
「恩賜田」
の水田
もに震災、
津波による被害に加え、
原発、
風評被害の4重苦に対し、
自ら
確かな情報を発信することで、
一歩ずつ克服しようとしています。
で収穫したもち米を使用し、
杵と臼で餅つきをします。
当日は、
「野口英世
これからの福島県に、
ぜひ、
ご期待ください。
キッズ」
と称した館内ガイドクイズツアーもおこなわれますので、
こどもの日
そして、
復興へのスクラムを応援してください。
「絆」
よみがえれ、福島。
私たち福島は、
かならずよみがえります。
そんな願いを込めて、
ポスター・壁紙をつくりました。
皆様のアイディアで自由にお使いください。
弊社グループ会社 福島カラー印刷ホームページ
(http://f-color.biz/)
よりデータをダウンロードできます。
7
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ぐるっとふくしま
第9回
安くて 美味 いもの
探し旅
ふくしまの
「おいしいもの」
たちへ捧げる詞
このたびの大震災により、
ふくしまのたくさんの
「おいしいもの」
たちも
大きな被害を受けました。
長い時間は掛かるかもしれませんが、
再び私たちのもとへ戻ってきて
くれることを信じて待っています。
▶川俣町山木屋の
「山木屋牛乳」
さま
丹精込めて育てた牛から大切に搾り、低温短時間殺
菌によって搾りたての味と風味をそのままビンの中に閉
じ込めた自然のままの牛乳。
まるで生クリームのような味わいでおいしゅうございま
した。
何の罪もないのに生産をストップせざるを得ない
悲劇。
あなたを苦しめる原発からの見えない敵が早く消
えますように、
心から祈っています。
そしてまた、
あの究極の牛乳をどうか私たちに与えて
下さい。
▲山木屋ジャージー牛乳
▶双葉郡浪江町の
「なみえ太麺焼そば」
さま
極太麺にもやしと豚肉のシンプルな具、
これをうまみたっぷりの濃厚ソー
スで絡めたボリューム満点の焼そば。
地元の皆さんの熱い思いも加わっておいしゅうございました。
先日のニュースで、
各地の避難先に散り散りになっていたメンバーが久
BMC広告マスター資格
しぶりに顔を合わ
せ、
「なみえ太麺焼そ
ば」
を避難している
▲なみえ焼そば
方々に振る舞ったとお聞きしました。
これからの浪江町の復興のために、
きっと大きな力になることでしょう。
▶いわき市の
「めひかり
(目光)
」
さま
非常に傷みやすい魚で流通が難しいため、
食べたことが無い方もたくさ
んいらっしゃることでしょう。
私も大人になるまで名前すら聞いたことがありませんでした。
初めて唐揚げで食べた時のあのジューシーでホクホクした食感、
忘れら
れない程おいしゅうございました。
いわきの港が津波に呑み込まれ、
原
発の影響で船が出せない日々が続いて
います。
深海に生きるあなたまで、
どうか核の
ゴミが降り注ぐことがありませんように。
ふくしまのすべてのおいしいものに捧げ
る。
(クイッター鈴木)
▲めひかり
Business Marketing Communication Master
当社では今年の3月5日
(土)
に、
社団法人日本産業広告協会
マーケティング、
コピーライティング、
マーケティングリサーチなど、
多様な
が創設した
「BMC広告マスター」
資格試験で11名の合格者を出すこと
分野の知識習得に努めました。
ができました。
「BMC広告マスター」
は平成13年(2001年) に創設された
<BMC広告マスター>
資格で、産業広告などのBtoB広告に携わる人材の育成、
その知識・技
鈴木 道雄、
柳田 謙、
目黒 只司、
遠藤 芳之、
渡邉 淳美、
車田 裕人、
能の向上を図ることを目的に創設されました。
当社では*代表者が日本
若林 未央、
猪股 学、
星 晴雄、
小松 信哉、
木村 睦美
産業広告協会主催の講義を受講し、
社内ではその代表者を講師役とし
たセミナーを開催、
毎月1回半年間に渡ってBtoB広告の概要からウェブ
また一昨年から、社団法人日本プロモーショナル・マーケティング協
会が主催する
「プロモーショナル・マーケター認定資格試験」
に取り組ん
在当社には3名のプロモーショナル・マーケターがいます。
このように当社では広告に関する資格やセミナーなどを有効活用し、
できました。
これは、
プロモーションやマーケティングの計画から実行ま
お客様に最適な広告プランを提案するためのスキルアップを日々心がけ
でに至る専門的知識を有した人材の育成・認定を目的とした資格で、
現
ています。
〈プロモーショナル・マーケター有資格者〉
8
*
「クイッター鈴木」
はただの食いしん坊ではないのです。
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