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母 校 沿 革
母 校 沿 革 昭和 13年 8月 母校創立者岩崎清一氏、岩崎通信機株式会社を設立 14年 5月 岩崎通信機株式会社、本社事務部門を東京市渋谷区代々木上原町に存置し、生産 部門を東京市世田谷区烏山町の新工場に開設。岩崎通信機青年学校の設置を文部 省に申請 14年 6月 岩崎通信機青年学校の設置認可される 16年 4月 烏山町に新たに用地を取得し校舎を建設、岩崎通信機青年学校を開設。また翌年、 社内に女子工員を対象とする私立青年学校岩崎実践女学校を併設 16年12月 8日 太平洋戦争はじまる 17年 5月 岩崎通信機、久我山台上に5万坪の用地を取得 17年 9月 岩崎清一氏、青少年教育の重大性を痛感し、石渡荘太郎氏(元大蔵大臣、当時大 蔵・外務両省顧問) 、船田中氏(当時日本商工会議所理事、戦後防衛庁長官、衆議 院議長)に諮って賛意を得、敷地を久我山台上に定めて中学校令による学校の設 立に着手。学園開設準備委員を佐々木周二氏等に委嘱 18年 1月 財団法人岩崎学園設立認可申請書ならびに久我山中学校設立認可申請書を文部省 に提出 18年 9月 29日 財団法人岩崎学園の設立および久我山中学校設置の件認可される 18年10月 服部教一氏、久我山中学校初代校長に就任 18年12月 岩崎学園校舎ほぼ完成 19年 2月 11日 岩崎学園第1回役員会を開催 19年 3月 久我山中学校第1回入学考査を実施(募集人員第1学年250名 志願者数702名 入 学許可307名) 19年 4月 服部教一氏、久我山中学校校長を辞任。落合盛吉氏、同校長に就任 19年 4月 5日 財団法人岩崎学園久我山中学校開校式ならびに第1回入学式を挙行 19年 5月 久我山中学校報国団団則制定。久我山中学校後援会を設置 19年10月 10月20日を財団法人岩崎学園創立記念日と定め、記念式典を挙行 19年10月 29日 久我山中学校校旗を制定し授与式を挙行 19年11月 3日 久我山中学校第1回運動会を開催。この頃、武道場ほぼ完成 20年 3月 18日 政府、決戦教育措置要項を発令 20年 3月 米軍空襲の間隙をぬって、久我山中学校、昭和20年度入学考査を実施 20年 3月 岩崎清一氏、 「学園三箴」を定める 20年 4月 久我山中学校、昭和20年度入学式挙行 20年 8月 15日 ポツダム宣言の受諾により、太平洋戦争終る 20年 9月 久我山中学校校友会会則を成文化 21年 6月 食糧危機のため6月14日より7月14日まで1か月間の臨時休校を決定 22年 3月 31日 教育基本法施行 22年 4月 1日 学校教育法に基づく学制改革により新制久我山中学校を設置 22年 5月 3日 日本国憲法施行 22年11月 三坂耿一郎教諭、第2回日展彫塑部に出品の塑像「青年座像」特選となる。同展後、 「青年の像」として母校の正面玄関に設置 23年 1月 生徒有志、生徒会を結成 23年 3月 新制久我山高等学校設置 23年 3月 久我山中学校第1回卒業式を挙行 23年 4月 新制久我山高等学校ならびに中学校女子部を開設 23年 4月 15日 新制久我山中学校入学式ならびに新制久我山高等学校開校式・入学式挙行 23年 5月 初の「久我山祭」を開催 23年 7月 校友会新聞部「久我山新聞」創刊号を発行 24年 1月 生徒会規約改正、施行 -1- 24年 3月 20日 財団法人岩崎学園の名称を財団法人久我山学園に変更の件認可 24年 3月 新制久我山大学工学部の設置認可される 24年 3月 落合盛吉氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長を辞任、久我山大学学長大橋 幹一氏、両校校長を兼任 24年 5月 高等学校第3学年、母校初の関西方面修学旅行実施 24年 5月 久我山大学開学式を挙行 24年 8月 31日 佐々木周二氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長事務取扱に就任 24年10月 久我山学園創立5周年記念式典ならびに同記念祭を挙行 24年11月 1日 佐々木周二氏、久我山高等学校長ならびに同中学校長に就任 25年 1月 中学校女子部、烏山校舎から久我山の本校舎に移転完了 25年 2月 20日 鈴木周三教諭、校務出張の途上、交通事故のため急逝。 22日 その校葬を 北烏山の西蓮寺において執行 25年 3月 久我山高等学校第1回卒業式を挙行 25年 6月 図書館(木造平屋建)竣工 25年 6月 同窓会、第1回定例総会を母校において開催 25年11月 久我山大学、廃止 26年 3月 財団法人久我山学園を学校法人久我山学園に組織変更の件認可 26年 3月 久我山中学校女子部、廃止 26年 9月 対日講和条約・日米安全保障条約調印 27年 3月 久我山中学校生徒募集を一時中止 27年 5月 校長佐々木周二氏、久我山学園理事長岩崎清一氏の委任を受け、國學院大學理事 松尾三郎氏・同小林武治氏と会談、両学校法人の合併に関する交渉を開始 27年 8月 学校法人國學院大學理事会、学校法人久我山学園との合併を決定 27年 9月 10日 國學院大學理事長・学長石川岩吉氏、久我山学園に来校し合併を宣言、校 名を國學院大學久我山高等学校・國學院大學久我山中学校と改称 27年 9月 國學院大學久我山高等学校・同中学校の校章改定 27年12月 23日 学校法人國學院大學と学校法人久我山学園との合併の件、文部省により認 可。岩崎清一氏、学校法人久我山学園解消のため同理事長を辞任し、学校法人國 學院大學顧問に就任 28年 2月 NHKテレビ本放送開始 28年 4月 國學院大學久我山分校開設 28年10月 武道場を柔・剣道場に二分する改修工事成り、柔道場開きを挙行 第1回中学校招待柔道大会を実施、以後、昭和37年まで10回に及ぶ 29年 1月 希望者の参加により初の寒稽古を実施、以後、恒例の寒稽古となる 29年 3月 國學院大學久我山中学校生徒募集を再開 29年 6月 旧図書館を國學院大學図書館久我山分館と改称、開館式を挙行 29年11月 2日 國學院大學久我山高等学校創立10周年記念式典を母校において挙行。 3日 同記念秋季大運動会を母校校庭において挙行。 5日 同記念講演会開催、 母校関係物故者慰霊祭を執行。 6日 記念芸能祭を神田共立講堂において開催 30年10月 柔道を体育科正課授業に採用する 30年11月 第2学年に移行した関西修学旅行を実施 31年 4月 柔道の三船久蔵十段を國學院大學大講堂に迎え、講演と実技披露。以後、昭和39 年まで母校において実施 31年 5月 校舎中庭にモルタル平屋建のクラブ部室棟を建設。翌昭和32年増築 32年 3月 國學院大學久我山中学校の生徒募集を中止。昭和34年度から休校 32年 4月 校長佐々木周二氏、学校法入國學院大學理事に就任 33年 3月 國學院大學久我山分校、渋谷本校へ 33年 4月 19日 前國學院大學文学部長武田禮吉博士(3月29日逝去)の國學院大學葬を執行、 教職員・生徒代表参列 33年 4月 制服を改定 33年 9月 校庭のバックネットを新装建設 -2- 33年10月 34年 2月 34年 2月 34年 2月 34年 4月 34年 5月 34年 5月 34年 8月 34年 9月 34年 9月 34年10月 35年 35年 35年 35年 3月 3月 4月 4月 35年 4月 35年 6月 35年 7月 35年 9月 35年10月 35年11月 35年12月 36年 4月 36年 5月 36年 5月 36年 6月 36年 9月 36年11月 37年 1月 37年 2月 37年11月 37年11月 38年 4月 38年 4月 38年 9月 38年11月 39年 2月 39年 4月 武道場を柔道場とする大改修工事並びに弓道場新設工事竣工。弓道場開きを挙行 図書館(旧大學図書館久我山分館)を校地東北端に移転 同窓会、結成10周年を迎え「久我山会」と呼称 「國學院大學久我山高等学校校報」創刊号を発刊 10日 皇太子殿下御結婚 体育館建設地鎮祭を挙行 制服の一部を改定、また制帽からアゴ紐をはずす 校友会の2階建部室新築工事竣工 26日 久我山会主催「創立15周年記念祝賀会」を杉並公会堂で開催、記念歌「伸 びゆく生命」 (海老名宏海氏作詞・間紀徹氏作曲)を発表 30日 学校法人國學院大學理事長・学長石川岩吉氏、健康上の理由により辞任、 佐佐木行忠氏、同理事長・学長に就任 23日 創立者岩崎清一氏の胸像(三坂耿一郎氏制作)の除幕式執行。同日、創立 15周年記念式典を体育館落成式と兼ねて挙行、併せて『創立15周年記念誌』を刊 行。また10日間にわたり記念展覧会(書道・美術・写真)を開催。 25日 同記念 大運動会開催 第11回卒業式を新設の体育館において挙行 卓球部東京都私立高等学校大会優勝記念として卓球全館(鉄骨平屋建)建設 昭和35年度入学式を新設の体育館において挙行 栃木市平井町に國學院大學栃木高等学校開校され、佐々木周二氏、初代校長を兼 任(昭和38年、新法人「國學院大學栃木学園」として独立) 初の第1学年生徒研修会を、静岡県御殿場市の国立中央青年の家において実施。以 後、現在に至る 6日 國學院大學名誉学長石川岩吉氏心不全のため逝去、享年85歳。同月16日 青山斎場において國學院大學葬を執行 クラブ活動の合宿所「三箴寮」完成 國學院大學常盤松校舎前に、故名誉学長石川岩吉氏胸像(三坂耿一郎氏制作)を 設立 生徒会規約を改正し、学芸・運動・風紀美化委員会新設 正面通用門管理所竣工 27日 閣議、国民所得倍増計画を決定し、高度成長政策開始 校友会の呼称を廃し、その機能を生徒会に統合する 柔道場神殿の竣工を機に、鹿島神官御祭神 建甕槌大神、香取神宮御祭神経津主 大神の御分霊を合祀 國學院大學優先入試制度要項決まる 夏期着用の制服を一部改定 「久我山祭」復活 生徒会に図書委員会を新設 久我山会、初の新年名刺交換会を母校において開催。以後、名称・会場を変えて 現在に至る 初の國學院大學優先入学試験実施 4日 國學院大學創立80周年記念式典を挙行 「國學院大學久我山高等学校紀要」第1輯を発行。以後、昭和40年11月の第3輯に及 ぶ 1日 佐藤三木雄教諭、教頭に就任 15日 理科会館竣工祭を執行し、使用開始 本校舎第1期工事を起工 第2学年、関西方面修学旅行(6泊7日)を実施、和歌山~高野山の新コースを加え る。なお昭和39年度より南紀州めぐりを加え昭和40年度に及ぶ 本校舎第2期工事着工のため正面玄関を残し旧木造校舎を撤去 新館本校舎第1期工事完了し、普通教室15教室使用開始 -3- 39年 5月 39年 9月 39年10月 39年10月 40年 2月 40年 40年 40年 40年 40年 4月 4月 5月 7月 7月 40年 8月 40年10月 40年11月 41年 4月 41年 4月 41年 5月 41年11月 42年 3月 42年 3月 42年 4月 42年 5月 42年12月 43年 1月 43年 7月 43年10月 44年 3月 44年 4月 44年 7月 44年 9月 44年 9月 44年10月 44年10月 44年10月 44年11月 45年 3月 45年 3月 45年 4月 運動部OBと在校生・教職員との合同体育大会「久我山オリンピック」を前年に ひきつづき開催、以後、昭和41年に及ぶ 27日 創立20周年記念体育大会を挙行 オリンピックに擬し、聖火を岩崎清一氏 邸からリレー 東海道新幹線運転開始。第18回オリンピック大会を東京で開催 3日 創立20周年記念文化祭を開催。 20日 同記念式典を挙行、同日母校関係物 故者慰霊祭を執行。また記念祝賀会を開催。併せて記念誌『われらの道』を刊行。 24日 久我山会主催による久我山祭を日比谷公会堂において開催。記念歌「よろ こびの詩」(上村恭仁雄氏作詞・間紀徹氏作曲)を発表 16日 新館本館校舎第2期工事竣工祭を執行。中央昇降口にタイル壁画「青年の詩」 前島隆宇氏制作)を設ける 3月竣工の図書館開館 下足用ロッカーを設置し使用開始 12日 旧木造本館正面玄関、新館工事に伴い解体 新弓道場、理科会館西側に完成 全校生徒を対象とした「読書感想文募集」の実施要項を発表。以後、 「読書感想文 コンクール」として現在に至る 本館第3期工事に着工 旧弓道場射場を改装、 「ぎんなん寮」と命名し、合宿・集合等に利用開始 初の多摩湖一周校内マラソン大会を開催。以後、昭和43年第4回に及ぶ 國學院大學栃木短期大學新設され、佐佐木行忠氏初代学長、佐々木周二氏初代学 監をそれぞれ兼任 学長・理事長佐佐木行忠氏、春の叙勲に際し勲一等瑞宝章を受章 本館第3期工事竣工、ここに新館本校舎完成し、竣工祭を執行 生徒会館(食堂・部室)竣工、開館 第2学年、初の北九州方面修学旅行(6泊7日)を実施、昭和44年度に及ぶ 「校報」第100号記念特集を発行 1日 岩崎通信機株式会社中学校卒業女子社員を対象とする定時制女子部を開設 し、17日 第1回入学式を挙行 久我山会総会を兼ねて卒業生・在校生交歓の「久我山校友大会」を開催 校長佐々木周二氏、教育随想集『私学の歳月』を角川書店から刊行 塑像「青年の像」をブロンズに改める 生徒別館(鉄筋コンクリート4階建)竣工 23日 政府明治百年記念式典を挙行 第1回職員研修会を国立中央青年の家において実施 西館校舎竣工し、使用開始 21日 アポロ11号(米)、初の月面着陸に成功 25日 創立者岩崎清一氏、全身衰弱と気管支肺炎のため杉並区久我山の自邸にお いて逝去、享年75歳。 29日 築地本願寺和田堀廟所において岩崎通信機株式会社 社葬として葬儀を執行 26日 創立25周年記念式典を挙行。同日、25周年記念事業としての水泳プール竣 工祭執行 14日 岩崎清一氏の追弔祭を本校体育館において執行 創立25周年記念事業としての第2運動場竣工、使用開始 図書館上の3階増築および本館・図書館・理科会館接続の渡り廊下工事竣工 初の校外レクリエーション=スポーツの日、学年別行事を実施。以後、昭和49年 に及ぶ 14日 日本万国博覧会、大阪で開会 第2学年、初の九州一周修学旅行(7泊8日)を実施。以後、昭和48年度まで5回に 及ぶ 佐佐木行忠氏、学校法入國學院大學理事長・学長を辞任。松尾三郎氏、同理事長 -4- 45年 8月 45年 8月 45年 9月 45年 9月 45年10月 46年 3月 46年 3月 46年 8月 47年 5月 47年 8月 47年10月 47年10月 47年10月 47年11月 4 年 5月 48年 7月 48年10月 48年12月 49年 4月 49年 8月 49年10月 49年12月 50年 1月 50年 2月 50年 4月 50年 4月 50年 8月 50年 9月 50年 9月 50年10月 51年 1月 に就任 定時制女子部第4学年、第2回関西方面修学旅行(3泊4日)を実施。以後昭和53年 に及ぶ 長野県飯山市黒山学生村および奥多摩御嶽山宿坊において希望者による校外合宿 受験講習(6泊7日)を実施 初の校内水泳大会を母校プールにおいて開催。以後、昭和49年に及ぶ 第2学年、初の「文楽教室」を実施。以後、「演劇教室」 「歌舞伎教室」として第1 学年に継承、現在に至る 「学園之墓」を世田谷区北烏山の西蓮寺境内に建立。以後、毎年創立記念日前日に 供養 定時制女子部、第l回卒業式を挙行 幼稚園ホール(旧図書館)および同保育室をそれぞれ剣道場、合宿所に改装竣工 奥多摩御嶽山において希望者による校外合宿講習(6泊7日)を実施。昭和51年度 に及ぶ 日米沖縄返還協定発効し、沖縄県発足 昭和47年度職員研修会を3日間にわたり校内において実施。翌48年度に及ぶ 1日 校長佐々木周二氏、東京都教育功労者として表彰される 特別教育活動において顕著な業績を収めた部に対する特別功労賞および功労賞を 設け、初の授与式を挙行。以後、毎年度授与し現在に至る 弓道部、鹿児島国体に東京都代表として出場、高校男子団体遠的競技決勝リーグ において12射中11中をもって優勝 4日 國學院大學創立90周年記念式典を挙行 「環境美化の日」を毎月1回設定、現在に至る 文部省より、国立中央青年の家において実施の研修会研修成果追跡調査モデル校 に指定される オイルショック。エネルギー危機おこる 第2学年、今回をもって最後となった九州一周の修学旅行(8泊9日)を実施 16日 飯島政雄教諭、脳溢血のため急逝、享年58歳。 17日 その準学校葬を世田 谷区北烏山の西蓮寺において執行 生徒会、国立中央青年の家において第1回生徒会リーダーシップ研修会(2泊3日) を実施 19日 創立30周年記念式典を挙行。記念歌(第1学年・高瀬智樹君作詞、大久保正 義氏作曲)発表。特別教育活動功労賞表彰および30周年記念部旗授与式を挙行。 同日、母校関係物故者慰霊祭を執行。また記念祝賀会を開催。 31日 久我山会、 創立30周年記念祝賀パーティを鉄道弘済会館において開催、記念事業として校長 佐々木周二氏の寿像設立を決議 第2学年、修学旅行(4泊5日)を関西方面に変更し実施 25日 國學院大學学長佐藤謙三氏、後腹膜腫瘍のため逝去、享年64歳。 2月9日 そ の國學院大學葬を大學大講堂において執行 創立30周年記念生徒会記念事業として全校生徒の総意により、本館正面玄関前庭 に筑波産の庭石を寄贈 柔道場、師範室等を新設する改修工事竣工 「校報」第200号を発行 10日 元國學院大學理事長・学長佐佐木行忠氏、脳血栓のため逝去、享年83歳。 23日 青山斎場において葬儀執行 生徒の日常の実践目標が決められ、全教室に掲示 第2学年、初の研修会(2泊3日)を国立中央青年の家において実施。以後現在に至 る 柔道場、新神殿清祓鎮座祭を執行 ラグビー部、第55回全国高等学校ラグビーフットボール大会に連続7回目の出場を 遂げ、決勝戦で目黒高校を降して初の全国制覇を達成 -5- 51年 3月 第25・26・27期(昭和48~50年度)卒業生寄贈の緋鍼大袖鎧一式を中央玄関に飾 る 51年 3月 北烏山に卓球場竣工 51年 4月 教頭佐藤三木雄氏、副校長に就任 51年 4月 定時制女子部、岩崎通信機株式会社の中学卒女子社員新規不採用に伴い、第1学年 の開設を停止 51年12月 第2体育館建設のため水泳プール・卓球会館・三箴寮・ぎんなん寮を撤去 52年 6月 「青年の像」を本館正面玄関ピロティに移設 52 年 6 月 創立者岩崎清一氏の胸像を体育館前から本館正面玄関ホールに移設 52年 6月 校長佐々木周二氏の寿像を理科会館前庭に設立し、除幕式を挙行 52年 7月 國學院大學教授樋口清之氏寄贈の甲胃一式(銘早乙女家忠・伝旗本伊奈半左衛門 着用)を2階ロビーに飾る 52年10月 全校強歩大会を高尾陣馬自然公園において実施 52年11月 第2学年、修学旅行コースを山陽・関西方面に変更して実施。以後、昭和57年度に 及ぶ 53年 3月 ラグビー部中華民国ラグビー協会の招請により台湾に遠征 53年 5月 文科会館建設のため剣道場・合宿所を撤去 53年 5月 第3運動場(ラグビー練習場)竣工 53年 5月 第2体育館竣工 54年 1月 ラグビー部、第58回全国高校ラグビーフットボール大会において黒沢尻工業高校 を降し、3年ぶり2回目の優勝 54年 2月 第1体育館、大改装工事竣工 54年 3月 野球部、第51回選抜高校野球大会に初出場、緒戦で敗退 54年 3月 定時制女子部、第9回卒業式を挙行し31日をもって廃校。卒業生総数554名 54年 6月 野球部第51回選抜高校野球大全に出場の記念映画「青春いまこそ」毎日映画社の 制作により完成 54年 8月 本館校舎の改修・空調設備設置各工事完了 54年10月 13日 創立35周年記念事業としての文科会館竣工。 15日 「創立者岩崎清一氏を 偲ぶ会」開催。 22日 創立35周年記念式典および記念歌「久我山讃歌」発表会を 挙行。 11月12日 35周年関係物故者慰霊祭を執行。 12月1日 同記念写真集『栄 光への久我山』発刊 54年12月 卒業記念樹による柔道場植込み改修完了し、「卒業記念庭園」と命名 55年 7月 創立35周年記念映画「君の青春のくがやま」(毎日映画社制作)完成 55年10月 24日 久我山会、初期年度(第1期~第6期)卒業生懇親会を京王プラザホテルに おいて開催 55年11月 防災総合訓練を実施。本校地震対策委員会(昭和54年11月発足)編の「地震災害 に備える」を作成配布 56年 4月 白山久二男教諭、教頭に就任 56年 5月 西館校舎北側に校地を拡大、通称「生徒広場」誕生 56年 8月 野球部、第63回全国高校野球選手権大会に出場 57年 4月 校長佐々木周二氏、國學院大學付属幼稚園長を辞任し、同幼稚園名誉園長に 同 副園長白山久二男氏、同園長にそれぞれ就任 57年 4月 誉田光順氏、小林實氏、千勝三喜男氏の3教諭、副教頭にそれぞれ就任 57年 4月 國學院女子短期大學、北海道滝川市に開学。校長佐々木周二氏、理事に就任 57年 4月 世田谷区北烏山の新弓道場(鉄骨木造2階建)竣工 57年 6月 第2体育館、被災復旧工事竣工 57年 9月 「校内授業公開日」新たに設定、第1回を実施。年間4回。以後、現在に及ぶ 57年10月 29日 久我山会、初期年度(第1期~第10期)卒業生懇親会を京王プラザホテルに おいて開催 57年11月 1日 國學院大學創立百周年記念祭を大學神殿において執行。 4日 同創立百周 年記念式典・祝賀会を新高輪プリンスホテルにおいて挙行。 6日 同記念祝典お -6- 58年 1月 58年 1月 58年 3月 58年 4月 58年 7月 58年 7月 58年10月 59年 3月 59年 3月 59年 3月 59年 4月 59年 5月 59年 7月 59年 9月 59年10月 59年11月 59年12月 60年 1月 60年 3月 60年 4月 60年 5月 60年 6月 60年 7月 60年 8月 60年 9月 60年10月 よび法人関係物故者慰霊祭を明治神宮会館において挙行、第1学年教員・生徒全員 参列 錬成館竣工 ラグビー部、第62回全国高校大会決勝戦において目黒高校を降し、3回めの全国制 覇。 2月25日 優勝記念写真集『栄冠三たび』発刊 地質改良のための校庭の大改修工事終了、併せて校庭夜間照明灯を増設 8日 松尾三郎氏、学校法人國學院大學理事長を辞任し、小林武治氏、同理事長 に就任 西2号館建設のため生徒会館・生徒別館を撤去 「校報」第300号を刊行 新食堂(西館1号)竣工、使用開始 第2学年、萩・津和野・広島の新コースによる西中国方面修学旅行実施 昭和60年4月の久我山中学校再開および同年度からの高等学校女子生徒募集を法 人理事会において承認 17日 伊馬春部氏(本名、高崎英雄) 、肺炎のため逝去、享年75歳。氏は母校創立 35周年記念歌「久我山讃歌」作詞者。 28日 西2号館竣工 白山久二男教頭、中学校開設準備委員長に就任(60年4月、開設と同時に中学校主 事内定) 。誉田光順・小林實・千勝三喜男の3副教頭が教頭に就任 20日 増田勝善会計主任、病気のため逝去、享年68。加藤英夫、大坪公夫・中村 誠の3教諭と岡本三次技術員の4氏、勤続25年で表彰 ラグビー部、初の海外遠征(ニュージーランド)。現地高校と6戦し3勝3敗 創立40周年記念行事・記念事業の内容発表。日本芸術院会員高光一也氏より油絵 「ベルサイユの門」(15号)寄贈 『國學院大學久我山高等学校草創期史』 『創立40周年記念誌』刊行。記念歌「久我 山音頭」 (作詞・岡野弘彦氏、作曲・市川昭介氏) 。 19日 創立40周年に際し、関 係物故者慰霊祭挙行 佐々木周二学校長、勲三等瑞宝章叙勲。國學院大學創立102周年記念式典で、山本 順一・小林實両氏が30年勤続、倉田豊・上村恭仁雄・川福基之・飯塚広行・中村 金作の5氏が20年勤続で表彰。 野球部、明治神宮野球大会に初出場、初優勝(決勝戦対松商学園10対1) 母校野球部を主力とする東京選抜チームが台湾遠征(須崎昭三部長以下13名)。4 戦2勝2敗。ラグビー部、第64回全国高校大会出場、緒戦で報徳学園に4対16で敗退。 陸上競技部、第35回高校駅伝全国大会出場、41位 創立40周年記念事業の一環として美術展開催(26日~31日、於新宿センタービル 内朝日生命ギャラリー)。同記念事業として総合雑誌『久我山春秋』創刊号発刊 野球部、第57回全国選抜高校野球大会2度めの出場、緒戦松商学園に2対4で敗退 1日 高校女子部(新入生157名) ・中学校設置(新入生189名)、新生久我山スタ ート。山本順一・武井勇両氏が副教頭に就任。(山本氏は中学校副主事を兼務) 。 近藤芳金氏が事務長に、島田典次氏が会計課長に、蓑口清氏が庶務管理課長にそ れぞれ就任。松尾三郎記念賞制定 17日 「男女雇用機会均等法」制定。 22日 野畑利栄・千勝三喜男・小松原赳・西野邦冶・林廣の5氏、勤続25年で東京 都私立中学高等学校協会より表彰 全国青年の家連絡協議会と文部省との共同で研修会映画「心にひびく教室」 (仮題) が制作されることになり、本校がモデル校に選定 第1回松尾三郎賞を本校野球部が受賞 斉藤雄一君(3年)、アジアインターシティー大会で1万m優勝(33分35秒)。 24日 清水勇三氏(新日本交通観光社長)脳溢血で逝去 4日 中学校グランド竣工。理科会館屋上に天体観測ドーム(直径4.5m)新設。 中に15㎝EDマポクロマート屈折望遠鏡を設置 創立41周年記念で西2号館に南庭完成 -7- 60年11月 60年12月 61年 61年 61年 61年 61年 1月 2月 3月 5月 6月 61年 7月 61年 8月 61年 9月 61年10月 61年12月 62年 1月 62年 2月 62年 3月 62年 4月 62年 5月 62年 7月 62年 9月 62年10月 62年12月 63年 1月 63年 2月 63年 3月 4日 國學院大學創立103周年の記念式典で野本政明氏が勤続30年で、野畑利栄・ 千勝三喜男・小松原赳・西野邦冶の4氏が勤続25年で、大脇直泰・加藤明・鈴木慎 三・田中久子の4氏が勤続20年で表彰。 6日 ニュージーランドのウェリントン・ シタデル・バンドが本校訪問コンサート 11日 皇典講究所の“発祥記念碑”を日本大学と共同で建立(千代田区飯田橋)。 第36回全国高等学校駅伝競走大会で、陸上競技部が第20位(2時間11分17秒)。第2 回日米高校バスケットボール親善試合に、渡辺信宏君(3年)が全日本選抜チーム の一員として選ばれ活躍 スペースシャトル爆発事故 『久我山春秋』第2号発行 高校女子部、第1回創作ダンス発表会 23日 母校卒業生の神職関係同窓会発会式開催 水道週間東京都作文コンクールに土屋信太郎君(中学2年)が都知事賞受賞(題「神 聖な水」 ) 第2回松尾三郎賞、陸上競技部の松本秀之君(高校2年)が受賞 玉川上水清流復活 物理・生物実験教室、階段教室の改修工事完了 永年勤続者として、佐藤三木雄氏が勤続40年で、誉田光順氏が勤続35年で、近藤 芳金氏が勤続25年で、伊藤隆尚・坂田弘道・赤堀昭一の3氏が勤続20年で、北原重 信氏が勤続10年で表彰 陸上競技部、第37回全国高等学校駅伝競走大会で第12位(2時間9分50秒、東京都 新記録) ラグビー部、第66回全国高校ラグビー大会で、4度目の全国優勝成る(決勝戦対熊 谷工22対6)。 29日 優勝報告・感謝の会に於て、鈴木俊一東京都知事より月桂樹 と桜の木を寄贈。『久我山春秋』第3号発行 第11期卒業生有志よりランドサット宇宙写真寄贈。第3回松尾三郎賞、中村誠氏と ラグビー部が受賞。 23日 中学校生徒会が分離・独立 高校女子部テニスコート完成。クロスカントリー世界大会(ポーランド)に松本 秀之君(高校3年)が出場。女子部第2学年が最初の修学旅行(14~17日、萩・津 和野・広島) 。全国制覇のラグビー部に杉並区スポーツ栄誉章贈呈 1日 国鉄分割・民営化。JR誕生。 12日 小林武冶國學院大學理事長、腎不全・肝不全のため逝去、享年80歳。佐々 木周二学校長、学校法人國學院大學・國學院大學栃木学園の理事長に就任。母校 名誉校長となる。 26日 小林武冶氏(従五位勲三等旭日中綬章叙勲)の大学葬が 青山葬儀場で行われる 佐藤三木雄副校長が校長代行に就任。 20日 女子部錬成館完成。ラグビー部、財 団法人東京都体育協会から、体育優良団体として表彰 レスリング練習場(烏山)竣工 本校OB、日笠山環君のご両親の労作『自然保護年鑑』が寄贈 創立43周年記念式典挙行。 19日 永年勤続者として、鈴木章之氏が勤続35年で、 武井勇・伊藤英夫・中村修己の3氏が勤続30年で、中畑竜三氏が勤続25年で、奥田 秀之助氏が勤続20年で、大久保正義氏が勤続10年で表彰。 20日 東京株式市場で14.9%の株価大暴落 陸上競技部、第38回全国高校駅伝競走大会で6位入賞(2時間7分38秒) 『久我山春秋』第4号発行。ラグビー部の渡辺敦史君(高校3年)がイングランド遠 征の高校日本代表の一員に選出 24日 佐々木周二学校長退任式挙行(名誉校長に就任)。高校女子部第1回卒業式 (卒業生155名) 。第4回松尾三郎賞を西岡収陸上競技部監督が受賞 8~11日 中学校1期生、伊勢・奈良・京都へ修学旅行。松本秀之君(高校3年)、 2年連続日本代表として世界クロスカントリー大会出場(ニュージーランド)。13 日 青函トンネル開通。 17日「久我山中学校の歌」(作詞、岡野弘彦氏・作曲い -8- 63年 4月 63年 5月 63年 6月 63年 9月 63年10月 63年11月 63年12月 64年 1月 (平成元年) 元年 3月 元年 4月 元年 元年 元年 元年 5月 6月 7月 7月 元年 7月 元年 8月 元年 8月 元年10月 元年10月 元年11月 元年11月 2年 1月 2年 2月 2年 2月 2年 3月 2年 3月 2年 7月 ずみたく氏)発表。 24日 中学校第1期生(185名)卒業式 佐藤三木雄校長代行、第5代校長に就任。小林實・千勝三喜男両教頭、副校長に就 任。山本順一・武井勇・野本政明・小松原赳の4氏、教頭に就任 本校35期卒業生、山本篤氏がチョモランマ・サガルマタ友好登山隊(日本・中国・ ネパール3国合同隊)の日本隊のメンバーの一員に選出 永年勤続者として、野澤義和氏が勤続25年で東京都私立中学高等学校協会より表 彰。 6日 本年度教職員研修会の要領発表(「初任者研修会」 ・ 「専任教職員研修会」 ・ 「特別研修会」) 21日 卒業生(第1期~17期)による佐々木周二理事長・佐藤三 木雄学校長就任祝賀会開催 24日 リクルートスキャンダル 17日 ソウル五輪開催 創立44周年記念式典挙行 國學院大學創立106周年記念式典挙行。中学校3年生163名による「インスタントラ ーメンの研究」が『毎日新聞』の家庭欄と『毎日中学生新聞』に掲載(のち『3分 間のひみつ』小冊子となる) 第10回「文庫による読書感想文コンクール」 (角川文化振興財団・東京新聞共催・ 文部省・東京都教育委員会他後援) 中学生の部で松本拓也君(1年)が優秀賞受賞。 陸上競技部、第39回全国高校駅伝競走大会で第7位(2時間7分39秒) 。バスケット ボール部、第19回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に出場し、2回戦で 敗退 7日 昭和天皇崩御。元号「平成」となる(国の内外、天地に平和が達成される、 意。出典『史記』・『書経』)。 24日 大喪の礼。『久我山春秋』第5号発行 中学校、日本英語検定協会より「団体賞」受賞(2年連続)。 19日 植井孝秀君(高 校2年)が第17回世界クロスカントリー選手権大会(ノルウェー)に日本代表で出 場。第10回「文庫による読書感想文コンクール」の参加校(中学の部1,189校)の 中から“学校賞50校”の一校に中学校が選ばれる 始業・終業の合図チャイムに。開校以来のべルをやめ、チャイム「ウエストミン スターの鐘」に 30日 松尾三郎元國學院大學理事長、心筋梗塞のため逝去。享年87歳 17・18日 久我山祭。本年度より6月実施となる 10日 大橋幹一元学校長逝去、享年91歳 20日 國學院大學、山田顯義伯の顕彰碑を文京区大塚・護国寺の山田伯墓所内に 建立。山田伯は國學院大學の前身である皇典講究所の初代所長 陸上競技部武井隆次君(高校3年)、全日本ジュニア選抜大会の5000mで優勝。世界 ジュニア選手権大会日本代表に 陸上競技部武井隆次君(高校3年) 、インターハイで二冠(1500m、5000mで優勝) 18日 創立35周年記念歌「久我山讃歌」の作曲者古関裕而氏逝去 19日 創立45周年関係物故者慰霊祭 20日 創立45周年記念式典挙行。記念歌「それぞれの季節」 (村田さち子作詞・青 島広志作曲)発表 21~26日 創立45周年記念美術展、世田谷美術館区民ギャラリーで開催 13日 初期・中期年度卒業生親睦会、創立45周年を祝う 14日 母校理科教諭故飯島政雄氏のレリーフ除幕式。久我山会が彫刻家三坂耿一 郎氏(元母校教諭)に制作依頼していたものが完成。理科会館入口に掲げる 15日 『創立45周年記念誌』発刊 陸上競技部武井隆次君(高校3年) 、松尾三郎先生記念賞受賞 武井隆次君(高校3年)、世界クロスカントリー選手権大会(フランス・エクスレ バン)に日本代表として参加 13日 曾根一幸君(中学3年)、日本WHO(世界保健機構)協会主催全日本中学 作文コンクールで厚生大臣賞受賞 11日 中学校女子校舎地鎮祭 -9- 2年 9月 高校男子部、セーター・ベスト制定。高校女子部、オーバーコート制定 2年10月 平山信君(中学2年) 、東京都主催第34回発明工夫展で都発明協会会長賞受賞 2年11月 8日 「國學院宣言100周年記念祝賀会」開催(新高輪プリンスホテル国際館) 2年12月 27日 中学理科部、社会経済国民会議エネルギー教育情報センター主催「第2回太 陽電池工作コンクール」で「新エネルギー産業技術総合開発機構理事長賞」受賞。 長野間祐一君(中学1年)は審査員特別賞を受賞 2年12月 小川貴史君(中学1年)、毎日新聞・三井不動産主催「クリスマス・ウインドウア ート・コンクール」で「加藤芳郎賞」受賞 3年 1月 23~26日 中学2年生、自然体験教室。国立那須甲子少年自然の家で、スキー体験 を中心に実施 3年 3月 22日 中学部活動表彰式で各部に部旗授与 3年 4月 6日 中学校女子教室竣工 3年 4月 8日 はじめて中学部に女子生徒(122名)入学 3年 6月 23日 中学ラグビー部、関東大会準優勝 3年 8月 9日 野球部、第37回全国高校野球選手権大会出場。池田高校と対戦し、延長10 回、4対5で惜敗 3年10月 平成4年度高校入試に指定校推薦制度の導入を決定 3年11月 8日 第15回東京都児童生徒発明工夫展で小川淳・古賀玄明の両君(中学2年)優 秀賞を受賞。今井将・佐藤大輔・深沢浩司の3君(中学2年)も入賞 3年12月 21日 「校報」第400号発行 4年 1月 5日 中学ラグビー部、東日本大会で準優勝 4年 1月 7日 高校ラグビー部、全国高校ラグビーフットボール大会で準優勝 高校ラグビー部、松尾三郎先生記念賞を受賞。同部は杉並区スポーツ栄誉賞も受 賞 4年 4月 30日 高校男子部強歩大会。本年度より全学年で実施となる 4年 5月 11日 「久我山中学校の歌」作曲者のいずみたく氏逝去 4年 6月 30日 北烏山テニスコート竣工 4年 7月 本館校舎、5か年計画第1期改修工事始まる 4年 8月 24~30日 高校ラグビー部、日韓ジュニアスポーツ交流のラグビー日本代表とし て韓国へ 4年 8月 31日 中学弓道部、第16回東京都中学校弓道大会で団体優勝 4年 9月 20日 新国旗掲揚塔、第2体育館屋上に完成 4年10月 1日 小林實副校長、東京都教育功労賞受賞 4年10月 平成5年度高校入試に公募制推薦導入を発表。 4年10月 24日 國學院大學附属幼稚園、創立40周年記念式典・祝賀会挙行 4年11月 高校男子部生徒用新コート制定 4年11月 大森克彦君(中学2年)、第36回東京都発明工夫展で都教育委員会特別賞受賞 5年 1月 18~23日 寒稽古、伝統の柔道・剣道にダンス(中学2年生女子)も加え実施 5年 2月 バスケットボール部、松尾三郎先生記念賞受賞 5年 7月 本館改修第2期工事始まる。本館北側2~5階の外壁パネル取り付け、各階便所の改 修・増設など 5年 9月 4日 パソコン50台を備えたコンピューター教室開設、授業始まる 5年10月 16日 大川内章二氏(庶務・管理部)逝去、享年60歳 6年 1月 中学理科部、第9回エレクトロニクス工作コンテストで朝日中学生ウイークリー賞 受賞 6年 1月 冨木早苗さん(中学3年)、 「明るい選挙啓発ポスターコンクール」全国コンクール に東京代表として出展、都道府県選挙管理委員会連合会会長賞を受賞 6年 2月 23日 佐藤三木雄校長退任式 女子部卒業記念ブロンズ像「ぬいぐるみのポロ」(三坂制氏作製)除幕式 6年 2月 ラグビー部、松尾三郎先生記念賞受賞 6年 4月 1日 小林實元副校長、第6代校長に就任。4月6日に就任式。山本順一・武井勇両 - 10 - 6年 6年 6年 6年 6月 6月 7月 9月 6年 9月 6年10月 6年11月 6年12月 6年12月 7年 2月 7年 3月 7年 4月 7年 8月 7年 9月 7年10月 8年 3月 8年 4月 8年 8月 8年 8月 8年10月 8年12月 9年 4月 9年10月 9年12月 10年 1月 10年 9月 11年 3月 11年 4月 教頭、副校長に就任。西野邦冶教諭、教頭に就任。 高校の男子部・女子部を廃し、男女併学とする 18・19日 創立50周年記念久我山祭開催 高校男子部卒業記念時計塔(第40期~45期卒業生)本館前庭中央に設置 20日~8月8日 ラグビー部、創立50周年記念事業の一環としてカナダ遠征 1日 本館改修工事(第3期)竣工。本館1・2階の10教室にガス方式の空調設備設 置 17~23日 創立50周年記念「美術展」 、武蔵野市市民文化会館ギャラリーで開催 30日 創立50周年記念歌「久我山行進曲~今を生きよう」 (川崎洋作詞・新実徳英 作曲)発表 3日 創立50周年記念体育祭(高校)開催。 9日 創立50周年記念体育祭(中学) 開催。 19日 関係物故者慰霊祭挙行。 20日 創立50周年記念式典挙行。創立50 周年記念アルバム『輝』完成。 22日 創立50周年祝賀会開催(京王プラザホテル)。 25日 創立50周年を記念し、佐々木周二名誉校長の著書『私学の歳月』(昭和42年 10月初版上梓)再編され、新版として桜楓社より出版される 12日 創立50周年記念演奏会・演舞会を府中の森芸術劇場で開催。音楽部・ダン ス部・吹奏学部が出演 20日 久我山会制作の「母校創立50周年記念ビデオ『青春』」完成寄贈試写会。 25日 陸上競技部、第45回男子・第6回女子全国高校駅伝競走大会に、東京都代表 としての初の男女同時出場 28日 バスケットボール部、第25回全国高校選抜優勝大会で準優勝 23日 創立50周年記念「校歌・記念歌集」(CD)完成 予定されていた高校2年生の修学旅行(九州方面)、阪神大震災のため、7月に延期 1日 川福基之教諭、教頭に就任 3日 日本芸術院会員・元母校教諭三坂耿一郎氏逝去、享年89歳 1日 本館改修第4期工事竣工。本館3~5階の23教室内装替えおよび空調機設置 19日 教職員の拠出による創立50周年歌碑(「久我山音頭」歌詞の一節を岡野弘彦 氏揮毫)を建立・除幕式を挙行 31日 小林實校長任期満了により退任。山本順一副校長、武井勇副校長定年によ り退任 1日 千勝三喜男氏校長に就任。鈴木慎三教諭、教頭に就任 井口忠仁選手(44期野球部OB)アトランタ・オリンピック野球競技に出場、本 校関係者としてオリンピック初出場を果たし銀メダルを獲得 山本篤氏(32期ワンダーフォーゲル部OB)世界第2位の高峰ヒマラヤK2(8,611m) 日本山岳会隊の隊長として過去最多の12名の登頂に成功 19日 「國學院大學久我山中学高等学校創立50年史」 発刊 31日 サッカー部第75回全国高等学校サッカー選手権大会に初出場 1日 川福基之教頭、校長代理に就任。大林博義、鈴木光雄両教諭、教頭に就任。 中村誠、須崎昭三両教諭、副教頭に就任。高校部長に大林博義教頭、中学部長に 鈴木光雄教頭が就任 1日 校長千勝三喜男氏東京都教育功労者表彰を受賞、職員岡本三次氏東京都労 働精励者表彰を受賞 23~30日 高校女子バドミントン部、東京都代表として中国に遠征 8日 ラグビー部第77回全国高校ラグビーフットボール大会で11年ぶり5度目の 優勝 12日 ラグビー部創部50周年記念招待試合を武蔵野陸上競技場で開催。久我山高 校対伏見工業高校、オール久我山対明治大学 31日 千勝三喜男校長任期満了にて退任 1日 國學院大學久我山中学・高等学校長に校長代理川福基之氏が就任。中村誠、 須崎昭三両副教頭、教頭に就任。高校部長に鈴木慎三教頭、中学部長に中村誠教 頭が就任 - 11 - 11年 7月 11年 9月 11年10月 11年11月 11年11月 11年12月 12年 6月 12年 6月 12年 12年 12年 12年 13年 7月 8月 8月 9月 1月 13年 1月 13年 2月 13年 5月 14年 1月 14年 4月 14年 7月 14年 8月 14年 8月 14年 9月 14年10月 14年11月 15年 4月 15年 8月 15年12月 15年12月 15年12月 16年 4月 16年 9月 16年 9月 16年 9月 16年10月 17年 8月 18年 1月 8日 名誉校長佐々木周二氏、学校法人國學院大學理事長を辞任し、学校法入國 學院大學常任顧問に就任。宇梶輝良氏同理事長に就任 31日~8月16日 高校1年第1回イギリス語学研修(ソールズベリー、ロンドン) 25日 創立55周年記念体育祭(中学)開催。 27日 創立55周年記念体育祭(高校) 開催 18日 関係物故者慰霊祭挙行。 19日 創立55年記念式典挙行 11日~14日 創立55周年記念美術展三鷹市美術ギャラリーで開催 13日 初のオープンキャンパス実施 河内貴哉君(高校3年)プロ野球ドラフト会議にて広島・中日・近鉄の3球団から1 位指名を受け、広島カープに入団 15日 「久我山父母の会」発足、第1回総会開催 21日 第40回日米親善高校レスリング大会(ミシガン州代表対東京選抜)が母校 第2体育館で開かれる(母校レスリング部からも井上・高垣・村田3君が出場) 19日 「國學院大學久我山中学高等学校校報」 第500号発行 8日 高校サッカー部第45回全国高校総合体育大会(インターハイ)準優勝 久我山会結成50周年記念建造物の「時計塔付き守衛所」が正門脇に竣工。 1日 「時計塔付き守衛所」 落成式。久我山会より母校に寄贈 1日 新世紀2001年1月1日午前零時、久我山会より母校に寄贈した時計塔の再始 動式を、母校教職員代表・久我山会代表等が列席し挙行 13日 久我山会結成50周年記念パーティを京王プラザホテルで開催 『久我山春秋』第17号(佐々木周二先生米寿記念特集号)刊行 高校弓道部、ロンドンで開催された「ジャパン2001」の開幕デモンストレーショ ンで演武 19日 久我山会新年交歓パーティの会場を、例年の母校よりホテルに変更、以後 現在に至る 1日 教育組織を男子部、女子部の二部制とし、男子部部長に岡部定征教頭、女 子部部長に松原宏臣教頭が就任。授業週5日7校時制、中・高6か年を前期・中期・ 後期の3課程制を導入する 11日 大野文夫教諭肺腫瘍のため逝去 27日 佐藤三木雄元校長逝去、享年79歳 31日 本館耐震第1期工事竣工 2日~6日 中学3年生、従来の修学旅行に代わる、初の北海道自然体験教室実施 21日 國學院大學附属幼稚園創立50周年記念式典挙行 4日 國學院大學創立120周年記念式典挙行 8日 学校法人國學院大學理事に川福基之校長が、同評議員に岡部定征・松原宏 臣両教頭が就任 31日 本館耐震第2期工事竣工 1日 阿部美哉國學院大學学長逝去 25日 中学ラグビー部、第23回東日本中学ラグビーフットボール大会で初優勝 25日 高校バスケットボール部、第34回全国高等学校バスケットボール選抜優勝 大会でベスト8 1日 安蘇谷正彦教授、國學院大學学長に就任 創立60周年記念体育祭(18日 高校、25日 中学) 20日 ニュージーランド・オークランドグラマースクールのラグビー部、国際交 流のため来日、母校高校ラグビー部と親善試合(武蔵野陸上競技場) 24日 理科会館耐震工事竣工 2・3日 創立60周年記念久我山祭。 18日 創立60周年関係物故者慰霊祭。 19日 創立60周年記念式典挙行 27日 柔道場解体 16日 第1体育館耐震工事竣工 - 12 -