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訃報 当社取締役会長 永山武臣(PDF:23.6 KB)

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訃報 当社取締役会長 永山武臣(PDF:23.6 KB)
平成18年12月15日
各
位
松
竹
株
式
会
社
代表取締役社長 迫本淳一
訃
報
当社取締役会長 永山 武臣(81歳)は、急性白血病のため12月13日午前7
時48分に死去いたしました。
つきましては、社葬を、下記の通り執り行います。
記
社
葬(松竹株式会社葬)
日
時 : 12月28日(木)午後0時から午後1時
場
所 : 築地本願寺
喪
主 : 永山 耕三
第二伝道会館(東京都中央区築地3−15−1)
葬儀委員長:代表取締役社長 迫本淳一
なお、誠に勝手ながらご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。
○永山武臣(ながやま
たけおみ)の履歴は以下のとおりです。
大正 14 年 8 月 30 日
学習院初等科、同
昭和 23 年 3 月
東京に生まれる
高等科を経て、京都帝国大学
同
経済学部へ進学
大学を卒業
(職歴)
昭和22年 10 月
昭和33年
7月
松竹株式会社
入社、東京劇場、歌舞伎座の監事室勤務を経て、
演劇部へ異動となりプロデューサーとなり、製作を担当。
昭和41年11月
演劇部長
昭和42年10月
取締役に就任
昭和43年
4月
常務取締役、同49年
昭和53年
1月
代表取締役副社長に就任
昭和59年
5月
代表取締役社長に就任
平成
3年
5月
代表取締役会長に就任
平成11年
5月
取締役会長に就任
10月専務取締役
(関連会社)
株式会社歌舞伎座
取締役会長
新橋演舞場株式会社
株式会社博多座
相談役
取締役会長
松竹衣裳株式会社
代表取締役会長
株式会社伝統文化放送
相談役
歌舞伎座事業株式会社
取締役会長
新橋演舞場サービス株式会社
取締役会長
(団体役員など)
(昭和 63 年就任)
社団法人
日本演劇興行協会会長
社団法人
国際演劇協会日本センター会長
東京商工会議所
(平成 10 年就任)
名誉議員(平成 16 年就任)、
元議員(昭和 59 年∼平成 16 年)、
元常議員(昭和 63 年∼平成 16 年)
日本経済団体連合会
評議員(平成 14 年就任)
全国間税会総連合会
名誉会長(前
財団法人
日本ユースホステル協会
財団法人
東京都ユースホステル協会
学士会
会長)(平成 10 年就任)
常任顧問
(平成 3 年就任)
名誉会長(前
会長)(平成 6 年就任)
(平成 9 年就任)
京都大学経済学部関係評議員
(昭和 52 年就任)
財団法人
松竹大谷図書館常務理事
社団法人
日本映画製作者連盟
元理事
社団法人
映画産業団体連合会
元理事長(昭和 63 年∼平成 7 年)、
(昭和 59 年∼平成 3 年、平成 7 年∼10 年)
常任理事(昭和 61 年∼63 年)、理事(昭和 59 年∼61 年、平成 7 年∼11 年)
元
郵政審議会委員(平成 6 年∼13 年)
(褒章・受章)
昭和61年
藍綬褒章
昭和62年
真山青果賞
平成
2年
パリ市ヴェルメーユ章
平成
2年
菊池寛賞
平成
4年
東京都文化賞
平成
4年
京都府より感謝状(南座の新装開場に対して)
平成
6年
長谷川
平成
7年
文化功労者
伸賞
平成11年
レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章
平成13年
郵政記念日に総務大臣より感謝状
平成16年
読売演劇大賞芸術栄誉賞
(略歴)
昭和22年(1947)10月、京都帝国大学経済学部に在学中から、松竹株式会社に入社。
東京劇場監事室勤務を経て、昭和26年(1951)1月、歌舞伎座の復興再開場と共に、歌
舞伎座監事室勤務となり、松竹創業者のひとり大谷竹次郎社長(後に会長)の薫陶を受ける。
同年の9世市川海老蔵(後の11世團十郎)7世尾上梅幸、2世尾上松緑らによる「源氏物
語」や、6世中村歌右衛門襲名披露興行など戦後歌舞伎のエポックとなる公演に係わる。
昭和28年(1953)
、学習院初等科時代からの友人、三島由紀夫氏に芥川龍之介原作「地
獄変」の歌舞伎化を依頼し、12月に歌舞伎座で上演。これが三島歌舞伎の第1作となる。
昭和33年(1958)演劇部へ移ってプロデューサーとなり、昭和35年(1960)の
第1回訪アメリカ歌舞伎公演から歌舞伎海外公演に参加、翌36年(1961)のソヴィエト、
39年(1964)のハワイ、44年(1969)のアメリカと海外公演を実現、これらの公
演を通じて歌舞伎に対する海外での評価は飛躍的に高まり、
「歌舞伎は旅する大使館」(昭和
53年オーストラリア公演時の現地劇評)と呼ばれるようになった。本年までに、33ケ国で
延べ56回の歌舞伎海外公演が行われ、そのうち41公演に同行し指揮をとった。
昭和42年(1967)演劇担当役員となってからは、歌舞伎をはじめ、新派、松竹新喜劇、
ミュージカル、翻訳劇など幅広い分野の演劇で製作、興行の責任者として活躍。ロック・ミュ
ージカル「ヘアー」
(昭和44年1969)や、
「アマデウス」
(昭和57年1982日本初演)
などの話題作も手がけた。
とくに歌舞伎では、昭和48年(1973)の7代目尾上菊五郎、同56年(1981)の
高麗屋三代、同60年(1985)の12代目市川團十郎をはじめ、近年の11代目市川海老
蔵、坂田藤十郎、18代目中村勘三郎に至るすべての襲名披露興行や、昭和63年(1988)
の歌舞伎座百年記念興行など、全公演の指揮にあたった。
またこの間、平成2年8月に、歌舞伎座で納涼歌舞伎を復活させ、同年以来、今日まで、歌
舞伎座では年間を通して毎月歌舞伎が上演されるようになった。これは、歌舞伎四百年、また
一世紀を超える歌舞伎座の歴史のなかでも、初めてのこととして特筆される。
また、平成3年(1991)には京都の南座を新装再開場、平成9年(1997)には大阪
道頓堀の大阪松竹座を演劇の劇場として新装再開場し、関西での演劇文化の興隆に尽くした。
また、昭和四十年代から、公立文化施設協議会との提携による歌舞伎の地方巡演の恒常化も
実現した。
加えて、渋谷のシアター・コクーン、平成中村座をはじめ、野田歌舞伎、
「NINAGAWA
十二夜」など、串田和美、野田秀樹、蜷川幸雄各氏ら現代の演出家を起用した新しい歌舞伎公
演の実現にも尽力した。
歌舞伎の製作者として、藍綬褒章、菊池寛賞、長谷川伸賞などを受け、平成7年には文化功
労者に叙せられた。また海外でも、歌舞伎の普及と文化交流の功績に対してシラク仏大統領よ
り、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受けたほか、各国で感謝状などを受けている。
本年9月29日には、国立劇場開場四十周年記念式典において、来賓として祝辞を述べた。
以上
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