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ジャン・プルーヴェ研究 ブリコルールとしてのジャン

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ジャン・プルーヴェ研究 ブリコルールとしてのジャン
9287
日本建築学会大会学術講演梗概集
(九州) 2007年 8 月
ジャン・プルーヴェ研究
―ブリコルールとしてのジャン・プルーヴェ―
ジャン・プルーヴェ
ブリコラージュ
正会員
正会員
○堺田健二*
小松幸夫**
レヴィ=ストロース
■はじめに
建設家ジャン・プルーヴェ(1901-1984)の独自性を単
に「職人」という称号によってアイデンティファイある
いはカテゴライズする言説は数多い。一方、プルーヴェ
の製品に見られるその革新性、合理性から彼を「エンジ
ニア」として位置づける言説もまた数多く存在する。こ
のことから分かるように、プルーヴェは複雑な多面体で
あり、見る角度によって、まるで違う形に見えてくる。
ここでは、主に自らの工場で培った、プルーヴェのもの
作りの思想に、ブリコラージュ的な側面があったことを
明らかにしている。ブリコラージュとは文化人類学者の
レヴィ=ストロースが、その著書「野生の思考」におい
て述べている言葉で、素人的な「器用仕事」と訳されて
いる。限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合
わせで使い、目下の状況で必要なものを作ることを指す。
さらに、このような作り方をする人のことをブリコルー
ルと言い、彼の知的努力は、一つの道具・素材が適用し
うる限りの使途の発見に集中される。
という。
これらのことから、プルーヴェは手持ちにどのような
素材があって、それを加工する技術はどのようなものが
あるのかを常に把握し、そこから観察、スケッチを繰り
返し、直感的に素材の可能性を発見していたことが理解
できよう。そして、その発見から得たアイデアは、工場
を手中に収めることで、すぐさま具現化することができ
た。例えば、長いスパンに渡って生産されたスタンダー
ド・チェアは、マイナーチェンジを繰り返し、驚くべき
数のバリエーションを生み出している。このようなとこ
ろにまさに、発見と生産の歴史が現れているのである。
■自動車・航空機
「もしも、家をつくるようなやり方で飛行機をつくっ
たとしたら、それは飛ばないだろう。」
プルーヴェはこの航空機メーカーの重役
による言葉を非常に気に入っていた。
プルーヴェにとって航空機や自動車はそ
れ自体が憧れであり、また自身のアイデ
■素材
アの元であった。プルーヴェの理想とす
「素材は何を思うのか?」
これは素材に対するプルーヴェ
の考えを端的に表しているとい
えよう。状況に応じて採用され
た素材は、鍛鉄の鍛冶製品に始
まり、スチール、ステンレス、 プルーヴェの工場での様子(※1)
アルミニウムといった金属シートの折り曲げ加工による
構造、様々な樹脂素材を駆使した防水シール、高い断熱
性能を持つサンドイッチパネルなど、多岐にわたってい
る。例えば金属シートは、製鉄工場で圧延されたばかり
の巨大な状態で仕入れられ、プルーヴェの工場でその都
度カットされ、折り曲げられ、成型された。また、プル
ーヴェは椅子やポスト、ファサードの構成材、といった
ものを作り出すのに同じ加工機械を使用し、クリシー人
民の家のファサード・パネルでは、道具の可能性や条件
からパネルのモデュールを決定している。また、プルー
ヴェの製品は、工場で生産されたものでありながら、し
ばしば躊躇や、再加工の後を見せる。さらに、他のプロ
ジェクトで余った端材は、別の小さなプロジェクトに転
用された。輸送過程で歪んでしまったスチール・パイプ
でさえ、即興的にその形状に見合った用途を見出された
る理論は建築の分野ではなく、自動車や
航空機産業の中にあったのである。
しかし、自動車や航空機の理論を厳密に
理解していたわけではなかった。プルー
ヴェはそれらの製品のスケッチを繰り返
し、直感的に手で学び、それを建築へと
置き換えていくことをしていた。
これはしばしば指摘される「シナジー効
果」又は「概念の置換」といった言葉で
表されている。
上:自動車のスケッチ(※2)
下:航空機のスケッチ(※3)
■ブリコラージュ
ここまでのことから、プルーヴェの中には何がしかの
理論体系は存在せず、常にその時の状況や素材・加工機
械、そしてスケッチを通し、それら全ての係わり合いの
中から製品は生み出されていたということが理解できよ
う。そのようにして生み出された製品は、必ずしも有効
性が伴っているのではなかったが、むしろプルーヴェに
とっては、製品に技術的工夫があるかどうかの方が重要
だったのである。時に過剰にがっしりとしている家具な
A study of Jean Prouvé
Jean Prouvé as bricoleur
KENJI Sakaida
YUKIO Komatsu
―573―
どのデザインはその為であると言えるだろう。
レヴィ=ストロースの言う、ブリコラージュにおいて
は、それぞれが等価であり一義的に決められた機能を失
った「断片」の組み合わせの中から、「全体」は生まれて
くるものであり、現在の状況に応じて多種多様に生まれ
てくるものであるという。だとすると、プルーヴェは素
材や加工機械を、このブリコラージュにおける「断片」
として捉え、自動車や航空機などの理論もまた、「断片」
として捉えていたと言うことができるであろう。また、
プルーヴェの作品の特徴としてしばしば挙げられる、少
ない種類の素材や部品を使い、時代の状況に合わせて、
多種多様な製品を生成していく「展開性」からもブリコ
ラージュの性格を説明できよう。
ところで、作品から見られる特徴である、部位の「可
動性」や「組立/分解性」からは、プルーヴェは建築や
都市に対して定着した永遠性を見ていなかったことが分
かる。このことから、建築や都市に対して、流動的なイ
メージを抱いており、言わば「未完成」の思想を持って
いたと言えるのではないだろうか。
この「未完成」の思想は、ブリコラージュによる断片か
らなる全体にも通じるものである。ブリコラージュによ
る全体は、あらかじめ明確に境界づけられた全体ではな
く、まだ他の断片が付け加わったり、内部の境界を横断
する結びつきが生まれたり、他の全体とも重複したりす
るような未完結の全体なのである。
レヴィ=ストロースは科学の方法においては、「構造
を用いて出来事を作る」のに対して、ブリコラージュで
は、「出来事を用いて構造を作る」のであり、それらの
二つは、手段と目的に関して、出来事と構造を与える機
能が逆になると指摘している。科学的な方法では、まず、
科学の体系がある。その体系に従って、推論が形成され、
それを実証するために実験が行われる。それが成功する
と、新しく発見された事象ないし概念が科学の体系のな
かに再帰的に組み込まれていくという仕組みになってい
る。だから、科学の方法おいては、まず、最初に、体系
があるということになる。このように、あくまでも最初
にあるのは、科学の体系であって、この体系に則ったか
たちで推論がなされ、実験という出来事が行われるとい
うことをレヴィ=ストロースは「構造を用いて出来事を
作る」と表現する。
これに対して、ブリコラージュの方法では、この思考の
経路が正反対のベクトルを向くことになる。ここでは、
科学の方法に見られたように、あらかじめ体系が与えら
れているわけではない。いわば偶然的に起こる出来事が
目のまえにおかれる。そのおかれた出来事を踏まえて、
世界の成り立ちが思考されるのである。
こういった思考の流れをレヴィ=ストロースは「出来事
*早稲田大学大学院理工学研究科 修士課程
**早稲田大学理工学術院 教授・工博
を用いて構造を作る」という言葉で示している。
このように、科学的な方法とブリコラージュの方法のあ
いだには、あらかじめ与えられている体系があるか否か
というところに大きな違いがある。プルーヴェの体系の
不在は、先述したとおりであり、このことはプルーヴェ
が本格的な建築教育を受けていなかったことも関係して
いるであろう。そして、この構造を作り出すブリコラー
ジュの性質は、プルーヴェが「工業化による建築」とい
う本を自ら関わって出版する際に「構造のアルファベッ
ト」と称して、極めて体系的にまとめられたことにも現
れている。
■ナンシーの自邸
この住宅はプルーヴェがマクセヴィルの工場を追われ
た直後の 1954 年の夏場の約三ヶ月間に建設された。ナン
シーの北西、かつてワイン畑であった南向きの急斜面の
中腹に、家族や仲間と共に、重機も使わず足場も組まず、
脚立と簡単な道具類のみで建設されたセルフビルドであ
る。しかも、プルーヴェは工場の片隅にあった様々なプ
ロジェクトの残り物の部品を現場へ運び、それらを改良
し、組み合わせながら即興的に建設していった。事実、
この住宅の設計図は書かれていない。自らの経験からの
直感を頼りに、自分の身体と身近
にある道具を使って、周りにある
断片化した材料をうまく組み合わ
せることでつくりあげていったの
である。これは、ブリコルールと
してのプルーヴェを最も端的に示す
エピソードである。
ナンシーの自邸(※4)
■結語
自ら体系を作り出す、ブリコルールとしてのプルーヴ
ェから透けて見えてくることとは、あくまでも内発的な
働きかけとして工業を捉える態度である。あるいは、技
術に対する保守性を保持し、また、それに対して主体性
を失わない態度であると言い換えてもいいであろう。
それは即ち、個人的な信念において働きかけるべき存在
としての社会が、同時に自己そのものをも内包する関係
性の総体であることに対して自覚的であったということ
を意味するのである。
これは、当時一般的であったテクノロジー、あるいは工
業に対する捉え方とまったく異なるものであり、プルー
ヴェをプルーヴェたらしめている最大の点なのではない
だろうか。
※1~4
ダヨ
「ジャン・プルーヴェ」監修:カトリーヌ・デュモン・
日本語版監:修山名善之/TOTO 出版
*Graduate School of Sci.&Eng., Waseda Univ.
**Faculty of Sci.&Eng., Waseda Univ. Prof., Dr.Eng.
―574―
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