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Nyorolita`s - はなさか合戦記

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Nyorolita`s - はなさか合戦記
Copyright (c) Nyorolita, 2013 (2015), All rights reserved.
Hanasaka Kassenki, Ver. 1.09
はなさか合戦記
(Ver.1.09, 2015/10/12 released)
第3部:第十一年秋の陣(続)
著作者:ニョロリータ
ニョロリータのサイト
http://nyorolita.web.fc2.com/
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Hanasaka Kassenki, Ver. 1.09
3. 第3部:第十一年秋の陣(続)
3.17 第ゼロ戦団の襲撃
「ケイちゃん!大丈夫?」
激しい戦いの余韻が残る合戦場で、周りが閉戦式の準備をしている中、東側中央の出
入口で親衛隊とともに待機していた総大将・上杉春日は、極めて異例ながら、親衛隊を
置いて南方の控え室に一人で駆け寄った。ベンチでくつろいでいた戦士たちは驚いて一
斉に起立し、朝倉も立ち上がろうとしたが、総大将は「皆さん、お座り下さい 。」と右
手を上げて制した。
黒の切付札に赤紫、金、萌黄、紺など様々な糸を織り交ぜて威した優美な芸術作品の
ような鎧をまとった総大将が現れると、周りは一瞬にして高貴な香りに満たされ、屈強
な戦士たちも全身が硬直し、座れと言われてもすぐに体が動かなかった。その様子を見
て総大将は、まずは自分が腰を落とすべきだと考え、朝倉を座らせながら自らもしゃが
みこんだ。
「総大将、ありがとうございます。なんとか大丈夫です。」
「春日さんでいいわよ。」
朝倉は、氷で冷やしている左手首に春日がそっと手を置くと、少し顔を赤らめた。
「よく戦ったわね。ケイちゃんのファイティング・スピリット、十分に見せてもらった
わ。ありがとう。」
そう言って総大将はすっと立ち上がり、「今川大将、それからサファイア湾岸の皆さ
ん、準優勝おめでとうございます。見事な合戦でした 。
」と控え室の中のみんなをねぎ
らった。
戦士たちは再び起立し、今川大将が、「ありがとうございます。次は優勝を目指し更
なる精進をお約束致します。」と答えた。春日は朝倉に「じゃあね。
」と一言残してベン
チを去り、次に北方のベンチを訪れスカーレット城西の戦士たちをねぎらった上で、親
衛隊のもとに戻っていった。
閉戦式は、総大将と親衛隊の入場で始まり、優勝戦団と準優勝戦団への表彰、優勝旗
と準優勝旗の授与、総大将の総評、そして四心旗を下ろしながら「ふるさと」を斉唱し、
最後にみんなで勝どきをし、総大将と親衛隊、各戦団が退場して終わる。
いつもならば閉戦式は、合戦が終わった後でもあるので、比較的リラックスした雰囲
気で行われるが、今回は、第ゼロ戦団がいつ襲撃してくるか分からないという異常な緊
張感の中で行われた。だんだんと黒い雲に支配され今にも雨が降りそうな空の下、優勝
旗と準優勝旗の授与が段取りどおり終わり、総大将が総評を行うために演壇に立った時、
ついに始まった。
午後三時四十九分、不意に城の本丸から大きな花火が何発か上がった。合戦場にいた
戦士たちも観客たちも皆が本丸のほうを見て、閉戦式を盛り立てるために上げられた花
火かと思ったが、そんな段取りにはなっていないはずだとすぐに気づいた総大将は、
「違
う。これは違う。」とつぶやいた。
それは、第ゼロ戦団の攻撃開始の合図であった。
異変に気づいた親衛隊は、鎧の下に隠し持っていた小銃や、馬の背に括り付けていた
ライフル銃を取り出し守りを固めた。合戦場のあちこちの配置されている警察官たちも
緊張した面持ちで辺りをうかがった。
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一気に空気が不穏になりざわめき始めた。
「皆さん、お静かに。観客の皆さんは警察官の指示に従ってゆっくりと避難を開始して
下さい。決して慌てないように。落ち着いて避難して下さい。」
総大将が観客に呼びかけたその三分後、本丸から一機のラジコンのヘリコプターが飛
来し、フィールドの上空で静止した。そして備え付けられたスピーカからメッセージを
流し始めた。
「我々は、第ゼロ戦団である。先ほど桜門と山里門 32を封鎖し、本丸と山里丸を占拠し
た。抵抗してきた警察官はすべて弓矢で射殺した。現在、本丸内に約五十名の人質を確
保している。しかし我々の要求が受け入れられれば、人質はすべて解放する。」
その声の持ち主はおそらく三十から四十代の男であり、低くて太いものの明瞭な話し
方であり、意志の強さが感じられる。
「まず、大阪府から一名、大開から一名、そして上杉春日自身が桜門まで来い。そうす
れば、三名と引き換えに、今、人質として確保している中から十名ほど解放する。三十
分以内に来い。さもなければ人質の安全は保証しない。それから、本丸内を偵察するよ
うなことは許さん。照明で照らし出すようなことも許さん。違反すれば人質を一人ずつ
見せしめに殺していく。警察や自衛隊が我々に攻撃を仕掛けてきたら、人質は直ちに全
員殺す。」
それだけを言い残してヘリコプターは本丸のほうに戻っていった。
この日も当然ながら大坂城公園は、合戦場とスクリーン観戦会場以外はすべて立入り
禁止としていたが、OCR関係者は本丸で工事を進めていたため、その人たちや現場の
警備員が人質になった。他方、警察官は、合戦場、スクリーン観戦会場、及び公園の周
囲には犬一匹も入れないぐらいの気合でびっしりと配置していたが、公園の真ん中にあ
る本丸と山里丸については、いきなりそんなところにテロリストたちが現れることは全
く考えていなかったため、桜門と山里門の前にそれぞれ二名を立たせていたに過ぎなか
った。
しかし全く想定外に第ゼロ戦団は突然、本丸に現れた。そのため、あっという間に工
事関係者が人質になり、桜門と山里門にいた警察官を殺害し門を閉じてしまったのであ
った。
場内が再びざわめいた。総大将を人質として差し出せという要求に誰もが戸惑い憤り
を覚えた。
慌てて総大将のもとにやってきたのは朝倉だった。さっきまでビリーの肩を借りてつ
らそうに立っていたのがうそのように総大将の前まで走ってきて 、
「総大将。やつらの
ゆうことに従う必要はありません。行かんといて下さい 。」と懇願した。織田も近くに
寄ってきて、朝倉に同意した。
「朝倉さん、織田さん。気持ちはうれしいけど、私が行くことで人質が解放されるのな
ら、私は行かなければなりません。」
総大将はやさしく諭したが、朝倉は引き下がらず食らいついた。
「どうしても総大将が行くとおっしゃるんやったら、私も行きます。おそばについてお
守りします。お願いです。一人は危険です。」
「ありがとう。でも、それで朝倉さんに危害が及べばたいへんです。やっぱり、私一人
が行きます。」
すると今度は親衛隊の柿崎隊長が詰め寄った。
32
OCRにより復元されている。
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「総大将。朝倉殿のおっしゃるとおりです。お一人は危険です。我ら親衛隊はまさにこ
ういう時こそ総大将をお守りするための部隊です。どうか私たちをおそばにつけていた
だきたくお願い致します。私たちはもとよりプロですから。」
「柿崎さん。親衛隊がプロの人たちであるのは犯人も知っているでしょうから、門の中
には私一人しか入れようとしないでしょう。ここは我慢して下さい。」
柿崎は納得せず、「総大将をお守りできないなら、親衛隊は存在意義がありません。
我々がついていながら、みすみす総大将をやつらに差し出すようなことをすれば、世界
の笑いものです。お願いです。我々がやつらと交渉します。それまでどうかお待ち下さ
い。」と必死に抵抗した。しかし総大将も負けてはいなかった。
「私はこれ以上犠牲者を出したくないんです。こういう時こそ、私が皆さんをお守りす
るべきなんです。お願いです。私一人で行かせて下さい。皆さんは待機して下さい。親
衛隊柿崎隊長、これは命令です!」
いつもは雅な香りを醸し出す総大将の鎧は、彼女が厳しい表情をすると、一気に周り
の空気を引き締めた。上杉春日が怒ったような表情を見せること自体珍しく三人は少し
驚いたが、彼女は怒っているわけではなかった。何を言われようが自分の意思を貫こう
としているだけだった。そして総大将に「命令」とまで言われた柿崎は、これ以上自分
の思いを通せなかった。
「柿崎さん、織田さん、朝倉さん、後はよろしくお願いします。じゃぁ、行ってきます。」
総大将は、軽くお辞儀をし、兜を親衛隊の一人に預けたままさっそうと馬に乗り、合
戦場の南東側の出入口のほうへ向かった。
「待って下さい、春日さん!こんなん嫌です!春日さんと私は友達やないんですか。そ
の…、親友やないんですか。親友やったら、なんで…、なんで私のゆうこと聞いてくれ
へんのですか!あの言葉はうそやったんですか!」
朝倉はあきらめきれず、総大将の馬を追いかけようとしたが、織田が彼女の右手首を
ぐっと握り、
「ご命令のとおりにしろ。
」と言って引き止めた。総大将は朝倉に何か一言
伝えようとしたのか一瞬振り返りかけたが、織田が代わりに言ってくれたと思ったのか、
結局、背を向けたまま何も言わず合戦場を去っていった。朝倉は自分の思いを結局春日
に受け止めてもらえなかったことでまさにその場で泣き崩れ、柿崎も自らの無力さに憤
りわなわなと震えていた。残っていた観客たちも総大将が犯人の要求に応じたと分かる
や、驚き嘆き、深く悲しみ、犯人たちをののしり、合戦場は異様な雰囲気に包まれた。
第ゼロ戦団は、はなさか府から一名、大開から一名も身代わりとして要求していたが、
桜門に最初に着いたのは、上杉春日総大将だった。
総大将は、桜門に通じる土橋の南側で馬を下り、そこからは一人で歩いて橋を渡り、
門の前までやってきた。
「わらわが総大将、上杉春日である!門を開けられよ!」
総大将は分厚い門をも突き通す勇ましい声で自らの名を告げた。普段、彼女は総大将
という立場であっても武士が話すときのような勇ましい言い方で話すようなことはせ
ず、そうした言葉遣いは決起大会での演説のような特別な演出が必要なときに限ってい
た。しかしこの時は違った。彼女にとって既に戦いは始まっているのである。この状況
において普段の話し方はありえない。
すると、門の内側から男の野太い声がした。
「腰につけているものを外し、その場に置け。」
総大将は、差していた太刀は外したが、
「女の身一つ。脇差の携帯は許されよ。
」と言
って逆に彼らに要求し返した。門の内側の声の主は、ふんと鼻で笑うも彼女の要求を受
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け入れ、一人がぎりぎり入ることができる分だけ門を開けた。
内側に入ると、そこには漆黒の鎧を着た長身の男が立っていた。
「ようこそ、武田総大将の妹さん。私が第ゼロ戦団の団長、新明だ。」
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3.18 第ゼロ戦団の要求
「上杉春日総大将、第ゼロ戦団に捕らわれる!」
この衝撃的なニュースは瞬く間に全世界に伝わった。そして 、
「我らの総大将をお助
けせねば」と、府内十二の戦団と城下町同盟の二十の戦団が自らの意思で直ちに出陣し
大坂城へそれぞれ向かい始めた。また、この一大事をリアルに共有したい人たちが日本
全国さらには世界中から集まり出した。
しかしはなさか府警は大坂城公園全域に加えてその周辺の地域も封鎖。また木下知事
はJRに対して環状線の大阪城公園駅と森ノ宮駅を通過するよう求め、蜂須賀市長は地
下鉄谷町線については天満橋駅と谷町四丁目駅を通過させた。さらに合戦場やスクリー
ン観戦会場にいた観客たち、本丸の外にいたOCRの工事関係者たちをすべて公園の外
に避難させた。
また敵方へ情報が漏れてしまうのを遮断するために、はなさか府警は、公園内から報
道関係者をすべて追放し、さらにヘリコプター等を使って空中から撮影したり、周辺の
高層ビルから望遠カメラ等でのぞき見ることも禁じ、報道各社に対して、今回の事件に
ついて余計な詮索をせず、単に府側から伝える「事実」だけを流すよう求めた。しかし
このようなビッグ・イベントが目の前で起こっておきながらろくに取材ができないなど、
報道機関としてはその性格上耐え難いことなので、府との交渉の結果、桜門と山里門の
付近での定点撮影だけ許された。もっとも報道関係者の立入りが許されたわけではなく、
府側が設置したカメラの映像を流しても良いというだけであった。
さらに通信の規制も徹底し、午後四時三十五分、はなさか府の総合通信局から府知事
の名で大坂城公園を含めその周囲一キロメートル円内を対象に受発信制限令が出され、
同時にその地域を対象に全面的通信傍受を実施した33。
そして府警は、いつまでも合戦場に残留していた親衛隊やスカーレット城西、サファ
イア湾岸の戦士たちにも早く公園外に出るよう求めた。
「断る。」
織田は、腕を組んで憮然と答えた。
「我らの総大将は、待機せよと命じられた。そして、後はよろしくとおっしゃった。つ
まり、ここに留まり、機を見て救出せよということだ。なのに我らの総大将を置いてこ
そこそ逃げ出すなどできるわけがない。我々は侍だ!ばかにするな!」
すごい剣幕で追い返された府警はなす術がなく、スカーレット城西は府警の要請を無
視して桜門の南側の東寄り、つまり豊國神社の前に、また同様にサファイア湾岸はその
西寄り、つまり修道館の前に着陣した。そしてその両陣に挟まれる形で、つまり桜門の
真正面に、はなさか府・府警・大阪市・大開の合同対策本部が設置されることになり、
テントや机など様々な器材が運び込まれた。
そうした中、犯人側からの要求があってから一時間半も経った後、はなさか府と大開
からの人質兼交渉担当者がようやく桜門の前に現れた。はなさか府からは一橋企画室長、
大開からは武田理事が選ばれた。
33
今回のような大規模な組織的暴力犯罪行為が起きた場合に、その犯罪発生地域の周辺で
の通信を、緊急回線を除き、大幅に制限するとともに、その地域での通信内容を無制限に
傍受する措置である。通信の自由と通信の秘密を大きく制限するものであるため、裁判所
の事前の許可を得た上で、知事の名で実施されていた。
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八割ほど復元されつつあった本丸御殿の中の大広間に通された二人は、そこで第ゼロ
戦団の新明団長と会った。総大将もそこで待っていたが、団長と対面する形になる二人
とは違い、団長の右側で横を向く形で座らされていた。武田理事と上杉理事が部屋に入
って来ると総大将は一瞬驚きの声を発したが、すぐにぐっとこらえて平然を装った。
「遅すぎる。要求した時間内に来たのは、おまえたちの総大将だけだ。つまり、おまえ
たちは人質の命をなんとも思っていないことがよく分かった。」
開口一番、団長は不満をぶつけた。
「ま、待ってくれ。遅れたことは謝る。だから市民を殺すのはやめてくれ。」
武田理事が右手を前に出して自制するよう求めた。相手が慌てているのを見て団長は
にんまりと笑みを浮かべ、
「それは、おまえたちが我々の要求を受け入れるかどうかに
よる。」と悠然と構えた。
第ゼロ戦団は、五つの要求を挙げた。
一、はなさか府は自律的観光総合特区の認定を自ら返上し大阪府に戻ること。
二、はなさか府と大阪市はFALCONから脱退すること。
三、大開を解散し、全国的または世界的な合戦の運営組織を立ち上げること。
四、戦士のMRを認めること。
五、上杉春日は総大将を退位すること。
これらの要求を静かに聞いていた武田理事は、第ゼロ戦団が異なる主張を持ついくつ
かの集団からなる烏合の衆であると見た。しかしこういう相手と交渉するのは非常に難
しい。要求事項のうち仮に一つ、二つ受け入れたとしても、その要求を挙げた集団は満
足するかもしれないが、そうでない集団は満足しないため、全体としては集約できず妥
協を図ることもできない。結局、全部の要求を受け入れない限り、決着をつけることが
できないことになるのである。
最初の二つの事項については、はなさか府の一橋室長が、
「拒否する。」と明確に答え
た。残りの三つの事項についても、武田理事が、「同じく拒否する。
」と突っぱねた。大
よそ予想していた答えとはいえ、新明団長は不快な表情を顕わにし 、「おい!」と総大
将に向かって指差し、
「五つ目の要求はおまえ自身のことだ。おまえはどう思ってんだ。」
と問いただした。
総大将は、全く表情を変えずに、
「退位するつもりはありません。少なくとも、無抵
抗の市民を殺すような悪魔の手先に言われて退位することはありません 。」と言い放っ
た。
頭にきた新明団長は、その場にすっと立ち上がり、「えらそうに言いやがって。おま
えたちは、どうやら命知らずの大ばか者のようだな。誰一人、生きては帰れんぞ。特に
おまえ!最後は強制的に退位させてやるからな。」と語気を荒げて脅し、広間から立ち
去った。
団長を怒らせてしまい、怒りに任せて市民を殺す危険性も考えられたが、仮に殺して
しまうとはなさか側としてはますます要求に応じられなくなるのは明らかであるため、
このタイミングで殺すことはないだろうと四人は考えていた。
事実、第ゼロ戦団は、午後六時半、人質の中から女性や年配の者などを開放し、人質
の数を三十五人にまで減らすことにした。これは何も温情的な措置ではなく、単に人質
の管理を軽減したいだけである。しかし開放される女性の中には、同じ女性の総大将が
居残り、自分たちだけが解放されることに強い不満を持ち、女性を開放するというので
あれば総大将も開放するよう、第ゼロ戦団の団員に詰め寄る者が出てきて騒然となった。
「ちょっとあんたら、ええかげんにしいや。総大将も女やねんから開放せなあかんや
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ろ。」
「だめだ。あいつはおまえたちの身代わりだ。帰すわけにはいかん。」
「あんた!総大将に、あいつとはなんやの!謝りなさい!」
「うるさいやつらだな。さっさと帰れ!」
「帰るんはあんたらやろ。さっさと総大将を連れて来なさい!」
「おまえらに指図される筋合いはない!帰れ!帰れ!」
開放対象者が集められた、桜門枡形の多聞櫓 34の東側の広場で騒ぎが大きくなってき
たとき、本丸御殿の玄関から総大将が、槍を持った団員を左右に従えるかのようにして
現れ出てきた。玄関口から三歩ほど外に出たところで、左右の団員が総大将の前で槍を
交差させ、総大将と開放対象者の間に境を作った。玄関口の左右に据え付けられたたい
まつに見立てた人工の橙色のライトにゆらゆらと照らされ、彼女の袖や佩楯に押された
銀箔の四心紋をほのかに輝かせながら、総大将はにっこりと微笑み、手を振った。広場
は一瞬にして静まった。
「皆さん。私はこのとおり大丈夫です。」
総大将は両手を広げてゆっくりと話し始めた。
「ご心配いただきありがとうございます。皆さんは先にお帰り下さい。私は総大将です。
これも私の仕事ですから…、だから私はやるべきことをやるだけですから心配しないで
下さい…。きっとすぐに私も、それから残っている方々も一緒に、皆さんのもとに帰り
ます。それまでほんの少し待っていて下さい。お願いします。」
午後七時過ぎ、開放対象者約十五名は、総大将に説得されて桜門から外に出て土橋を
渡り、正面にある対策本部のテント前に歩いていった。既に木下知事が本部に駆けつけ
ており、その解放された人たちを出迎え、テント内で休憩をとるよう促した。テントの
中には、簡易的に組み立てられた机と椅子が並べられ、お弁当やお菓子、お茶、ジュー
ス、ビールなどが用意され、府の職員たちが要望に応じて配付していた。診療用のテン
トも張られ、気分の悪い者は医師や看護師の手当てを受けることもできた。
しかし皆一様に暗い顔をし、年配の警備員たちは自分たちこそ残るべきでありおめお
めと出てきて申し訳ないと嘆き、女性の中には泣いている者もいた。信心深い人は、あ
の方は観音様の化身に違いないと、桜門のほうを向いて手を合わせて拝んでいた。救助
された者の中には、「けぇさつがちゃんと取り締まらへんからこんなことになってしも
たんや!」と怒鳴る者もいれば、木下知事に「責任とってあんたが代わりに人質になり
なはれ。」と食ってかかる者や、
「あかん、犯人らも総大将のほうが人気やゆうのわかっ
てるから、知事じゃあかんわ。」と知事に恥をかかせる者もいた。
しかしこの時、最もどん底まで落ち込んでいたのは、朝倉景子であった。
「春日さんのええかっこしぃ。」
サファイア湾岸の立てたテントの片隅で、みんなに背を向ける形でパイプ椅子に座り
泣き続けていたが、これ以上涙が出なくなったのか、今度は怒りの気持ちが湧き上がっ
てきて、こぶしで自分の腿をたたいた。
「何よっ。総大将ってそんなにえらいんか。あんなもん飾りやろ。せやのに全部責任負
わされて…。だいたい春日さんはやさしすぎんねや。仕事やってゆわはるけど、仕事や
ったらなんでもせなあかんのか。」
総大将との涙の別れ以来、めそめそ泣いたり、泣きやんだと思ったらぶつぶつつぶや
34
OCRにより桝形が完全に復元されている。
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いたり、黙り込んだり、頭を抱え込んだり、周りの戦士や職員たちが声をかけても、
「ほ
っといて。」の一言のみ。夕食が配膳されても、「食べたない。」と拒否。さすがにこれ
ではダメだと思った今川大将は、午後七時半ごろ、
「ちょっと出かけてくる。
」と言って
馬に乗り、山里丸の北側の二の丸の極楽橋35付近に陣を敷いていたエメラルド千里を訪
ねた36。
この頃、府内十二戦団は、大坂城の本丸と山里丸を囲むように、二の丸と西の丸に次々
と着陣していた。大阪府警は、当初、公園内に乗り込もうとする各戦団を追い払おうと
したが、各戦団が、城西と湾岸には公園内に留まることを事実上認めておきながら、他
の戦団には認めないのは不公平だと警察に猛抗議し騒ぎ始めた。騒ぎを聞きつけた木下
知事は、テロリストたちを目の前にして一致団結して戦わなければならないときに、こ
んなことでもめるのはやめてくれと不満をぶちまけて、午後六時過ぎに渋々、府内全戦
団の着陣を許可した。37
エメラルド千里は、夕飯を食べ終わった後の片付けなどで慌ただしくしていたが、今
川大将のお越しとあって、六角大将が出迎えた。
「これはこれは今川さん。わざわざのお越し。どないしましたんや。」
「あぁ、六角さん。お久しぶりですな。いやぁ、お忙しいときにすんません。急ぎ、お
願いしたいことがありましてね。」
今川大将は、敵の襲撃が始まってからの簡単ないきさつと、朝倉景子の様子を説明し
たところ、六角大将は今川大将が何を依頼してきたのか察知し、
「おい!キミちゃん!」
と、夕飯の後片付けを手伝っていた紀昌美を呼び出した。
「はい、大将。何ですか。」
「今から、湾岸さんに行ってこい。」
35
二の丸から山里丸にかかる橋。OCRにより木製の橋に架け替えられている。
サファイア湾岸が陣を構える二の丸の桜門付近から、西の丸を通過し、高麗門をくぐり、
再び二の丸に入って、極楽橋に向かった。西の丸と二の丸を隔てる塀や高麗門も、OCR
により復元され、西の丸と二の丸の間の行き来も可能になっている。
37
ただし人数が多すぎると治安の確保が難しくなることから、一戦団二十人までに制限さ
れた。
36
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3.19 女の約束
今川大将と、エメラルド千里から護衛として付けられた二人とともに、エメラルドの
天使こと紀昌美が西の丸を通ってサファイア湾岸の陣にやってきた。早速大喜びしたの
はサファイア湾岸の男戦士たちだ。エメラルド色のハートや星形の象眼細工で彩られた
きらびやかな特注のカワイイ鎧を身に着け、両耳に彼女のトレードマークともいえるハ
ート形のピンクのイアリングを輝かせながら、にこっと笑顔を見せて彼女がテントの中
に入ってくると、中の雰囲気が一気に華やかになった。
「やっぱ、かっわいいなぁ~。」
サファイア湾岸の男戦士たちは、自分たちのヒロインが持ち合わせていない要素を改
めて認識し実感した。
「朝倉さん。」
パイプ椅子に座ってどんより暗い雰囲気を醸し出してうつむいていた朝倉は、紀昌美
の声に素早く反応し振り返り、
「キミちゃん。
」といつになく弱々しい声で答えた。そし
て、さっと立ち上がり、がっつり彼女を抱き寄せ、緊張がほぐれたのかまた泣き始めた。
一分間ほど泣いて心が落ち着いてきた朝倉は、
「来てくれて、ほんま、ありがとう。座
って。」と言って、席につくよう促した。
長机の角を挟んで二人が椅子に座ると、朝倉は、「さっさとお茶ぐらい持ってきて。
」
とそばにいた後輩の男戦士たちに命令した。すると、男戦士十人が一斉に麦茶の入った
コップを持ってきて、「どうぞ、何杯でも飲んで下さい。
」と紀昌美に渡した。
「ちょっと、なんでうちには一杯だけなんよ。」
朝倉が不満を述べると、弓士ウィリアム・デルがもう一杯お茶をコップに入れて朝倉
の前の机の上にそっと置いた。朝倉は思わず表情を緩めて、「ありがとう、ビリー。
」と
礼を言った。紀昌美もデルに微笑みかけ手を小さく振った。デルも手を振って応えよう
としたが、周りの男戦士たちから冷たい視線の集中砲火を浴びていることに気づき、そ
そくさと後ろに下がり外に出て行った。
朝倉は、本丸で昼間の花火が上がってからの経緯を話し、紀昌美はうなずきながら聞
いていた。しかし春日との別れの場面になると、感極まってまたぼろぼろ涙をこぼし始
めたので、紀昌美は、「朝倉さん。つらい気持ちは同じよ。私だって春日さん、大好き
だから。」と優しく慰めつつ、
「それよりもうちょっと前のこと話して。今日の合戦、ど
うだったの?私、とても感動したよ。」と話題を変えさせた。
気を取り直して朝倉が今日のスカーレット城西との合戦の流れを説明していると、外
がなにやら騒がしいことに気がついた。ついさっき聞いた、あのラジコン・ヘリコプタ
ーのプロペラが回る音と、あの低くて威圧的な声が耳に入ってきた。
「しぃっ。やつらがまたなんかゆうてるわ。」
朝倉と紀昌美は話を中断して、何を言っているのか注意したが、テントの中からだと
声がこもってよく聞き取れない。そこで、外に出ようとしたところ、やつらの話は終わ
ってしまい、ヘリコプターの音も小さくなっていった。
すると、外にいたウィリアム・デルが慌てて中に入ってきて 、
「皆さん、聞いて下さ
い。」と声を張り上げた。
「私、ヘリコプターから声、聞こえました。そして言いました。残りの人質、みんな解
放すると言いました。」
テント内にどっと喜びの声が湧き上がったが、デルはそれをすぐに消そうと 、「静か
に。静かにして下さい。続き、あります。」とさらに大きな声を出してみんなを落ち着
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かせようとした。みんなが再び静かになったところでデルは続きを話し始めた。
「でも言いました。三十人の戦士たちと、えー、交代して、人質を解放すると言いまし
た。それから、今夜、十二時までに、三十人全員、桜門の前、集まれと言ってます。」
一気に重苦しい空気が立ち込めた。総大将に加えて戦士たちも人質に取り、自分たち
の要求を突きつけ、受け入れてもらえなければ全員殺す。誰が考えてもそうとしか思え
ず、恐ろしさのあまり戦士たちは動揺した。しかし朝倉は違った。彼女はほくそ笑んで
いた。
「へへ。そうなんや…。向こうから呼んでくれてんねやな…。春日さん、取り返すチャ
ンスやないの。」
朝倉はコップを手に持ち立ち上がり、腰に手を当ててお茶を飲み干し、
「キミちゃん。
一緒に来てくれるやんね。
」と紀昌美の肩をぽんと軽く叩いた。しかし紀昌美は意外に
も、「私でいいの?」とためらった。
「何ゆうてんの。もしかしてこわいん?」
「こわくない。」
きっぱりそう言って紀昌美も立ち上がった。彼女は怖気づいているわけではなかった。
「じゃあ、春日さん助けに行こ。」
「でも、私、朝倉さんみたいに強くないから…。今回、見たでしょ。私、負けてばかり
だったから…。」
朝倉は、今回の合戦での惨敗によって紀昌美のプライドが深く傷つき、いまだに立ち
直れていないことが分かった。
「勘違いせんといて。」
朝倉は、その釣り目を近づけて紀昌美をぐっとにらんだ。
「うちも、伊達さんにはボロ負けしてんで。しかも反則負けしてめっちゃかっこ悪かっ
たんやから。それに今日の合戦も、織田さんに勝ったゆうても、織田さんが負けてくれ
たんやし…。せやからうちも、勝つ自信があるわけやないねんで。勝つかどうか分から
へんけど、やってみぃひんかったら、勝つこともないやんか。」
紀昌美も、朝倉が言いたいことは理屈では理解していたが、まだ不安は拭えなかった。
勝つかもしれないが負けるかもしれない。しかも今度の場合、負けると自分の命を落と
してしまうかもしれないし、それ以上に、自分の失敗によって仲間が命を落とすような
ことにならないか、それが非常に心配だった。
朝倉は、紀昌美がまだ納得していない様子を見て、彼女の両肩に手を置いて優しく語
りかけた。
「わかった。キミちゃん。じゃあ、こうしよ。うちとキミちゃんは常に一緒に行動する。
キミちゃんが危なくなったらうちがカバーする。うちが危なくなったらキミちゃんがカ
バーする。ねっ!この勝負、うちが勝ってキミちゃんが負けたり、うちが負けてキミち
ゃんが勝ったりなんかせぇへんから。せやから、二人で力合わせて一緒に勝とっ。もし
あかんかったら、そん時は…、しゃあない、一緒に負けよぉ。ねっ、いい?女どうしの
約束やで。」
紀昌美は、その生来の大きな瞳をさらに開いて、宝石のようにきらきら輝かせながら
朝倉を見つめた。
「わかった。朝倉さんとずっと一緒ならいい。約束する。」
「よかった。ありがとう。キミちゃんがそうゆうてくれてうれしいわ。」
二人が固く握手をすると、周りから拍手が起こった。
「朝倉さん…、うれしいのは私のほう。信じてくれてありがとう。」
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えらくまじめな礼を言われて朝倉は照れを隠そうと 、
「そんな…、何ゆうてんの。う
ちは、その…、キミちゃんは強いし頭ええしかわいいし、それに…、大事な友達やと思
てるから…。」と言っているうちにますます照れくさくなって、とっさに紀昌美に渡さ
れたたくさんのコップのうち一つを手に取った。
「お茶で乾杯や。どこのテロリストか知らんけど、えらそうに御託並べてるアホな男ら
ボコボコにしばき倒して、春日さん助けるで。」
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3.20 河合の懸念
「河合くん、おなかの調子は大丈夫なん?」
対策本部のテントの外で、手配した夜食用のパンやお菓子やペットボトルの飲み物な
どの仕分けをしていた河合に筒井が後ろから話しかけた。
「え?あぁ、だいぶましになってきました。まだ違和感ありますけど。」
隣にいた竹中は、河合の仮病であることを知らされていたため、思わず笑いそうにな
った。
「大丈夫なんやったらええけど、今日の河合くん、なんか変やで。」
河合はギクッとして、「変ですか?」とうわずった声で反応し、頭をかいた。
「うん、変やな。うちは分かる。なんか…、隠してんのとちゃう?」
筒井は腰に手を当て、じっと河合を見つめ、私の目はごまかされへんでと暗黙のメッ
セージを送った。
「そ、そうですか…。変なんはおなかだけやと思いますけど。」
筒井はその答えには納得せず、河合の耳元に近づき 、
「ほんま、何でもゆうてくれて
ええんやから。」と小さくささやいた。
河合は、筒井のその思いやりがかえってつらく、
「すみません。」と無理やり謝って頭
を下げた。尊敬する先輩であっても、ここで白状するわけにはいかなかった。
「そう。」
筒井は、河合の態度から彼の覚悟を理解した。そして、少し陰りのある表情を一瞬見
せた後、口元だけにこりとスマイルを作って、「まぁ、あんまり無理したらあかんよ。
」
とねぎらってすぐにその場を去った。
「筒井さん、河合さんにはなんか優しいですよね。」
竹中が河合に話しかけると、「おまえ、からかってんのか。筒井さんは誰にでも優し
い方なんや。」と河合がまじめな顔をして反撃した。
「でも、筒井さん…。」
「分かってるって。後で謝っとくって。筒井さんとは、その…、なんてゆうか、もう少
し話し合ったほうがええと思ってるから。」
河合のまじめな性格からすると、筒井に対して悪いことをしているなという思いを抱
いていることは明らかだった。無駄口をたたかずさっさと仕事をするよう河合に促され、
竹中は素直に応じてスピーディに片付けていったが、つい一時間ほど前まで竹中はいつ
もと違って仕事のスピードが遅く明らかにやる気がなかった。
このような緊急事態の下、対策本部にいるはなさか府、府警、大阪市は、雑用をすべ
て大開に押しつけ、竹中はそれに対して反発していた。河合としても反発したい気持ち
はあるが、彼の性格上、目の前に仕事を与えられると、とにかくやってしまいたくなり、
不満は一時的に消えてしまうので問題はなかった。
しかし竹中ほどの優秀な人間であれば、この歴史的な緊急事態に自分がもっと中核の
部分で関与したいと望むのは当然であり、雑用ばかりさせられている現実に強い不満を
覚えてもやむを得ないだろうと河合は理解した。そこで河合は、自分自身としても、今
朝、朝倉社長から託されたことを実践するには自分一人だけでは無理であり、信頼の置
ける協力者が必要だと考え、一時間ほど前の十分間の休憩時間に、こっそりと今日、自
分が大開に出勤するまでのことを竹中に伝えた。竹中は、目を輝かせて、もちろん協力
するし、秘密は絶対に守ると宣言した。
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午後九時頃、十五分の休憩時間が与えられた。河合は、心身ともに疲れ切っていた。
この日、河合は、新大阪の「天下」を十一時過ぎに出た後、今日の合戦での武具改め
は下痢が心配なので休ませてほしいと神津係長に頼んだ。午前中の天下でのでき事を引
きずりながら武具改めで朝倉景子に会ってしまうと、何かとんでもないミスをしてしま
いそうに思えたからだ。係長の了解を得た後、一旦、自宅に立ち寄り、近くのファスト
フード店で昼食をとってから、午後二時ごろに大開の事務所に出てきて事務所内で仕事
をし、第ゼロ戦団の襲撃が始まると、総務係の指揮下に入り、桜門前の対策本部の設置
作業に追われた38。また午後六時半ごろになると府内の戦団が続々と二の丸や西の丸に
到着し、その受け入れの支援で多忙を極めていた。
河合と竹中は、大開専用のテントに入り、椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。テン
ト内に設置された、大開の会議室に置かれていた縦横一メートルのディスプレイでは、
延々と今回の襲撃事件のニュースが流され、先ほど、午後八時半過ぎに、第ゼロ戦団か
ら、三十人の戦士たちを身代わりの人質として出せと要求されたことから、各戦団から
戦団長が集まり、大開の理事たちやはなさか府、府警も交えて、その対応策を対策本部
の中で検討している旨をニュース・キャスターが伝えていた。
「河合さん。三十人っていうことは各戦団だいたい二人か三人ずつ出せっていうことで
すか。それとも、各戦団一人ずつと親衛隊十六人っていうのもありっすかね。」
「おそらく親衛隊は排除されるやろ。彼らがプロなんは敵も分かってるやろから。」
「それにしても敵もうまいことやりますね。まず一般市民を人質にとって、その交換と
して総大将を捕獲して、えらいことになったってことで各戦団がおびき寄せられて、そ
の上でまた一般市民の人質との交換として戦士たちを捕獲するっていう具合ですよ
ね。」
「確かに、各戦団もここまで来て今更、戦士たちを人質に出すのを拒否するんはちょっ
とかっこ悪いやろしな。」
しかし、各戦団はもちろん、大開としても容易に受け入れがたい要求であった。もし
敵が人質としてとった戦士たちを全員殺すようなことがあれば、特にその中にスター戦
士たちが含まれているようなことがあれば、合戦界にとって大打撃となる。
「せやけど、なんとなく想像できるんやけど、中にはこれ幸いと喜んでる戦士もおるや
ろなぁ。ボコボコにしばいたるとかゆうて、今頃意気込んでる人が…。」
河合としては、その意気込んでいる人にあの槍を渡さなければならないという明確な
ミッションをその兄である天下の社長から与えられてしまい、また、天下が作った不正
改造の武具をいざという時にどうやって戦士たちに渡すかという難問を抱えてしまっ
ていた。
河合は、午前中に訪問した天下で、あの特注の槍を無理やり受け取らされ、さらに、
朝倉社長に不正改造品の全部も今すぐ持っていくよう要求され、押し問答の末押し切ら
れ、岩井工房長が社有のライトバンを運転して河合とともにそれらをとりあえず河合の
自宅に運んで持ち込んだ。というか持ち込まれてしまった。
持ち込まれたのは、不正改造された、槍五十本、弓二十張、矢百八本、刀五十振り、
そのほかに兜や鎧や佩楯が五人分、それに特注の槍一本。武具装飾業者「天下」の会社
名が入った車で運んできているため、誰かに見られたとしても合戦用の武具だと言える
が、そんなに多くの武具を何ゆえ大開の職員の自宅に持ち込むのかと聞かれるともっと
38
一般市民は公園の外に退避させられたが、大開の職員は特別に公園内に留まることが認
められた。
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もらしい理由は簡単に思いつかない。
だが幸い河合の住んでいるアパートは、昼間はほとんど人気がなく、誰にも見られる
ことなく河合の部屋に武具をすべて運び込むことができた。
しかし、ではそれをどうやって公園内に持ち込み、朝倉景子や戦士たちに渡すかが大
問題であった。河合は最初、職場の倉庫にでも運びこむことを考えたが、今日は大坂城
公園の警備が厳しく、本物の武具であろうが合戦用の武具であろうがそんなものを持っ
ているのが見つかれば第ゼロ戦団の一味と思われ逮捕され得るだろうし、だいたい一人
で全部持っていくには何回も往復しなければならない。そのため結局、河合は、戦士た
ちには何事も起こらないことを祈りつつ、武具を自宅に置いたまま、大開の事務所に出
てきた。
しかしその祈りは通じず、こういう状況に至り、河合は何か良い方法はないかさっき
からずっと考えていたが、今日のような厳重な警備を潜り抜けることなどできるはずも
なく、単にイライラが積もるばかりであった。
また河合としては、仮に朝倉に渡すべきその槍だけでも公園内に持ち込めたとしても、
本当にそれを朝倉に渡して良いのかという疑問にも悩まされていた。第ゼロ戦団から本
丸内に来いと言われ、それに応じてまさに戦場に赴こうとする朝倉に槍を渡すというこ
とは、単に彼女をより危険な状態に追いやることの手助けをしているだけではないか。
槍など渡さず、そんな危険なところに行くなと止めるべきではないか。しかし朝倉の性
格からすれば、朝倉社長も言ったように、槍があろうがなかろうがどの道、戦場に飛び
込むことしか考えないであろうし、そうであればより強力な槍を渡すほうがやはり彼女
のためになるとも思える。しかし、しかし…、自分も一緒に戦場に行くならともかく、
槍だけ渡して自分は安全なところに留まるなど卑怯ではないか。
「河合さん。ご心配はよく分かります。だからここの仕事は僕にまかせていただいて結
構ですんで、ここ抜け出して下さい。『軍配』に行けば何か手立てが分かるかもしれま
せんし。」
竹中は、まじめで心優しい先輩に何とか助けたいと思い、今、自分自身が考えるベス
トの解を示した。
「やっぱり、そうなんかな…。」
河合も、軍配を経営する元城普請係長の黒田と会って話をすれば何らかの解決策が見
つかるような気がしていたので、同じようなことを竹中も考えていたことに心強く思っ
た。
「大丈夫です。理由は分かりませんが自信があります。とにかくあそこに行けば道が開
けると思います。道が開けば、河合さんだったら絶対うまくいくと思います。」
「そうかな…。」
「そうですって。河合さんがあきらめない限り、朝倉景子に間違いなく槍を渡せます。」
最も信頼している後輩にきっぱり断言されると、心の迷いが薄れてきた。
「分かった。おまえがそこまで言うんやったら、大丈夫なんかもしれん。」
午後七時前に解放された人たちに警察官が、文句を言われながらも聞き取りをした結
果、中の様子が少しずつ分かってきていた。
第ゼロ戦団は全部で四十人前後。全員が合戦の戦士たちと同じような甲冑を着け、槍
や弓矢を持っている。鉄砲やマシンガンのようなものを持っている様子はないが、小銃
を持っている者は何人かおり、本丸に近づこうと飛んできた球体偵察ドローンを小銃で
撃墜していた。女戦士も七、八人いる。トップらしき男は団長と呼ばれ、三十代後半か
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ら四十代くらいに見える。彼らは本丸御殿や山里丸から突然現れて、手際よく桜門と山
里門を閉め、門の前で警備していた警察官のうち三名が弓矢で射殺された。人質は、天
守閣の東側にある、松の木が点々と植えられている広場に集められている 39。UG、U
Bなどの電波機器やパソコン、カメラはすべて没収され返してもらっていない。残って
いる人質は、健康上問題のなさそうな男性のみである。
では、そのような甲冑をつけ武器を持った四十人ほどの者が白昼堂々と、どうやって
本丸に入ったのかという疑問について、軍配でサイバートリップをした河合と竹中には
容易に想像がついていた。あの地下道を使ったに違いない。
そして、もしその地下道が実在し、大坂城公園の外から本丸以外にも、公園の中のど
こかとつながっているのであれば、河合自身もそれを使って警察の警備に引っかかるこ
となく槍を公園内に持ち込み、朝倉に渡すことができるであろう。もっともこの計画の
実現可能性を確認するためには、もう一度軍配に行って黒田と話をする必要がある。
しかし、府・市・警察からいいようにこき使われ、次から次へと仕事を頼まれる現状
では、直ちに職場を抜け出して軍配に行くことは不可能に近い。朝の腹痛が再発したと
言って早退を申し出ても、診療所で薬をもらって来いと言われるだけであろう。
コーヒーを飲み終えて、大開専用テントの脇の仮設トイレで用を足し、再びテントに
戻ろうとしたところ、背後から「君、もしかして河合さんかな。」と声をかけられた。
「はい。河合です。何か?」
振り向くと、どこかで見かけたことがあるようで名前が思い出せない、頭をリーゼン
ト・スタイルにし、青色のシャツに真紅のネクタイを締めた五十代くらいの男が立って
いた。
「やっぱり。あぁ、私、ご存じか分からんけど、直江といいます。歌手である上杉春日
のマネージャーですわ。ちょっと急で申し訳ないんやけど、折り入って河合さんにお願
いしたいことがあるんです。」
河合は、自分の仕事と何の接点もなさそうな人から何のお願いをされるのかさっぱり
見当がつかず、「私にですか?」と思わず無愛想に問い返してしまった。
「もちろんです。河合さんは私のことを知らへんけど、私は河合さんのことを知ってい
る。単刀直入にゆうと、私は大事な歌姫を取られて困っている。そして河合さんも今、
困っているんじゃないですか?せやから…、一緒に軍配に行きませんか?一人より二人
のほうが心強い。」
何の脈絡もなくいきなり「軍配」の名前を出され、河合は、直江が自分のことをいっ
たいどこまで知っているのか不気味に思った。答えをためらっていると、直江は畳みか
けるように、「大丈夫。神津係長の了解はとってありますから。何も私の独断で行動し
てるわけやないんです。上杉理事の指示で動いてるんです。」と催促し、河合は半ば強
制的に連れ出された。
二人は歩いて玉造口に行き、そこで警察の検問をパスして外に出て、近くに停めてあ
った直江の車に乗って中央大通に出た。中央大通は、谷町四丁目交差点より東は封鎖さ
れ、警察車両が随所に配置されていた。
「やっぱりな。一台、つけてきよるわ。後ろ振り向いたりきょろきょろしたらあかんで。
UGも切っといて下さい。」
何ゆえ警察に追われる身になったのか理解できないまま、突然そうした状況下に置か
れ、河合は心臓の高鳴りを止められなかった。
39
OCRにより天守の東側に広場が復元されていた。
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Hanasaka Kassenki, Ver. 1.09
「まったく今日は朝からハードやなぁ。こんなことになるんやったらほんまに下痢で寝
込んでたほうがよかったわ…。あ~、さっさと家帰って風呂入りたいなぁ…。」
河合は、今日は既に十分仕事をした気持ちでいたが、今これからまたハードな仕事を
頼まれそうで、うんざりしていた。
封鎖地区を過ぎた後も二人はそのまま中央大通を西に向かった。警察が大坂城公園か
ら半径一キロメートルの円内に不要不急であれば入らないよう呼びかけていたことや、
大阪のビジネス街の各企業が従業員たちに早々に帰宅するよう指示していたこともあ
って、街はいつもより閑散としスムーズに走ることができた。
「本町のうちの大阪事務所にとりあえず行きますから。」
河合が、軍配に行くのではないのか尋ねると、直江は、
「まあ、行ったら分かります。
」
とだけ答えた。そして、つけていたラジオを消し、「河合さんは、上杉春日のことをど
う思う?」といきなり尋ねた。河合は、どう思うと抽象的な質問をされても困るなぁと
思いつつ、「責任感のある方だと思います。
」と無難な答えを差し出した。
「なるほど、さすがは河合さん、全くそのとおりですわ。歌手としてデビューした時か
ら今までずっとあの子はそうやった。だいたい、もともと総大将なんてゆうんは、合戦
界のイメージ・キャラクターにすぎんかったんや。合戦が汗臭い、泥臭い感じにならん
ように、明るくて元気で清楚な女の子を総大将やゆうて飾りとして据えたんや。せやけ
ど春日は、歌はうまいし美人やしまじめやし、なんとゆうか生来人々を魅了する才能が
あるんやな。その彼女がや、あの豊臣秀吉が着用してたといわれる鎧をモチーフにした、
あの色鮮やかな鎧をまとってみ。分かるやろ…。並々ならぬカリスマ性を持つようにな
ってきたんや。六月のあの決起集会での演説を聞いたとき、ほんま、なんてゆうか、今
までずっと一緒に仕事してきたハルちゃん…、いや春日が自分の手が届かんとこに行っ
てしもたように思えましたわ。」
「今日も各戦団は、大開からの指示もなしに、しかも警察の要請を無視して、総大将の
ために集まってきましたし、それに犯人側でさえ人質たちの騒ぎを鎮めるために総大将
を使ったようですし、それで人質たちも総大将に説得されて出てきましたからね。」
「そうなんや。ほんまに大したもんや…。せやから今、危険な状態になってきてるんや。
はなさかの上のやつらは、春日と春日のために集まってきた戦士たちをこのまま放って
おくと自分たちがコントロールできんようになることに気づいているはずや。そうなる
と、彼らはこの機に乗じてどうする?」
河合は、その答えを言っていいのかためらった。
「あまりにかわいそすぎる…。まじめに働いてるだけやのに…。君のゆうとおり、春日
は責任感が強いから、自分自身のせぇやと思って覚悟してる。もちろん朝倉景子も分か
ってる。せやから、朝倉も春日を守ろうと必死なんや。」
「たぶん朝倉は、自分も城に連れていけって総大将にせがんだでしょう。あいつ…、い
や、朝倉やったら、総大将を守るためなら自分が盾になるでしょうし、それに、さっき、
やつらから人質交換の要求が出ましたから、たぶん、人質候補に名乗り出て、本丸の中
に入って、隙あらば相手を殺してでも総大将を助けようとすると思います。」
「君は、朝倉のことをよう知ってるようやな。」
河合は、うっかりしゃべりすぎたと思い、「あくまで推測ですけど。
」とごまかした。
「でも、まぁ、その推測を続けると、やっぱり心配やないですか。朝倉のことも。」
河合は、直江が何を聞き出そうとしているのか警戒し、今度はガードを張って 、「そ
りゃそうです。戦士を守るのは大開の職員として当然ですから 。
」とおもしろくない答
えをした。
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「なるほど。立派なお答えや。それがほんまやったら、君も責任感の強い人間のようや
な…。せやから、私がいきなり軍配に行こうと誘ったときに断らんかったんやな。」
河合はどう答えたらいいか迷い、「まぁ、そうです。
」とだけ返事した。
「それなら結構。河合さん、ぜひ一緒に行きましょう。私も大事な歌姫をこのまま失う
わけにはいかんのでね。」
どうも直江にうまく誘導されているかのように思えたが、確固たる意思をもって動い
ている人間に抵抗することは難しく、その相手が上杉春日の敏腕マネージャーともなれ
ば、河合のような若者が勝てるわけがなかった。しかし河合は根本的な疑問が沸いてき
て、質問せざるを得なかった。
「直江さん。そもそもなんで私を選んだんですか。なんで私のことをご存じやったんで
すか。」
「直に分かる。」
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3.21 軍配本店にて
直江たちは堺筋で右折して北上し、三百メートル余り行ったところで左折し西へ進み、
二、三回角を曲がったところにある小さな雑居ビルの前で車を停めた。ビルの二階には
「ハルッピ企画」と書かれた看板が掲げられていた。
二人は、階段で二階に上がり、事務所のドアの鍵を開けた。いつもであればこの時間
帯はまだ従業員の誰かがこの事務所で残業しているが、この日は大阪市から夜間外出自
粛要請が出されていることから、みんな帰っていた。直江は、部屋の明かりをつけ、河
合に中に入るよう促し、河合が入るとドアをすぐに閉め、中から鍵をかけた。そして部
屋の一角に設けた会議スペースに置いてあるテレビの電源をつけた。しかしその映像は
見ずに、テレビの横の壁に掛けてあった掛け軸をめくり、壁に埋め込まれていた小さな
ボタンを、持っていたペンの先で一回押し、その後五秒空けてもう一回押し、さらに四
秒空けて一回押した。すると、そのテレビの近くにある、隣の部屋に通じるためと思わ
れる鉄製のドアのノブの辺りからガチャッと音がした。
直江はそのドアを開け、黙って手招きをした。見ると、ドアの向こうはすぐ下へ降り
る急な階段になっており、直江が懐中電灯を持って先に下り、後から河合がついていっ
た。およそ百段の階段を下りきると鉄製の引き戸があり、そばの壁に設置されていた、
赤いランプが点灯しているカードリーダに直江がジャケットの内ポケットから取り出
したカードをかざすと、ピッと鳴ってリーダのランプが緑色に変わり、戸が自動的に開
いた。戸の向こうは左右に通路が伸びており、直江は左のほうに進んでいった。河合は、
もちろんこの通路には見覚えがあったが、あえてそれは隠してひたすら黙って直江の後
を追った。
「今、どっちの方角に歩いてるんですか。」
「西や。ちょっとしばらく歩くで。」
二十分ほど黙々と歩き続けると、右手の壁に、先ほどと同じような鉄製の引き戸が現
れ、その前で直江が止まった。戸の横には「UT1」と書かれたプラスティック製の札
が留められ、また近くには同じようなカードリーダが付けられていた。直江がカードを
かざすとピッと鳴って戸が自動で開き、その先の階段を登っていくとまた鉄製のドアが
あり、直江が同様の方法でドアを開けると、まぶしい光が差し込んできた。
そこは窓のない、机とパイプ椅子とホワイトボードしかない無機質な会議室だった。
「お待ちしてましたよ、お二人さん。」
「黒田さん。えっ?そうするとここは軍配ですか?西に向かっていたはずですが。」
河合は、なぜここに元城普請係長の黒田がいるのか理解できず、挨拶もせずに自分の
疑問をぶつけた。
「そうや。ここが軍配の本店や。河合君が九月に行った店は、あれは支店や。」
するとさらに驚いたことに、
「お待たせしました。」と笑顔の京極と厳しい顔の柿崎親
衛隊隊長が会議室の反対側のドアを開けて入ってきた。河合は状況が理解できず、やは
り同じく二人にも挨拶せず顔から汗を噴き出しながらぼぉっと突っ立っていた。
「さてと、メンバーがそろったところで作戦会議を始めよか。」
黒田は部屋の奥に置いてあるホワイトボードを背にして椅子に座り、黒田の右手に京
極と柿崎、左手に直江と河合が座った。河合は、いったいこれから何が始まるのか、ま
たなぜ自分がここに呼ばれているのかさっぱり分からず、緊張のあまり体が小刻みに震
えた。
黒田は河合の様子を見て、
「河合君。突然こんなとこに呼び出して悪かったな。
」と優
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しく話しかけた。河合はどう反応すれば良いのか分からず、「はい。
」とだけ答えた。
「まあ最初にゆうとくと、我々は決して怪しいもんではない。端的にゆうと、大開の別
働隊として、これから総大将と人質たちの救出に向かおうとしとんねや。」
「別働隊ですか…。」
「そうや。基本的にはなさかは第ゼロ戦団の要求を一切受け入れるつもりはないし、た
とえ総大将やそのほかの人質たちが死んでもそれは貫く覚悟なんや。実際、我々のつか
んでる情報やと、木下知事はどうも怪しい動きをしそうな感じで、戦士たちと一般の人
質とを交換する前に、なんかよぅわからん正体不明の部隊を本丸に侵入させようとしと
んねやけど、彼らは犯人一味をすべて殺すことが第一目標やと思って間違いない。つま
り総大将や人質の救出は二の次や。なんでそこまでするんやと思うやろ。答えは簡単や。
あのおっさんは、この機会に、抵抗する者はすべて抹殺したいんや。はなさかを売国奴
呼ばわりする者も、合戦をはなさか以外にもオープンにしようとする純派も、自分の考
えに逆らう抵抗勢力やからな。そいつらが一箇所に集まってきてるゆうことはある意味、
チャンスやろ…。木下知事は軽ぅて明るぅて素直なおっさんに思われとぅけど、それは
表の顔や。みんなだまされとるけどな。」
「とゆうことは、黒田さんらはその冷酷な知事に抵抗する勢力なんですかね…。もしそ
うなら、大開も表向きは知事に逆らえへんから、それで黒田さんらを別働隊として動か
そうとしてるんですか。」
「そのとおりや河合君。鋭いな。」
京極が口を挟んだ。
「はなさか府はそれでええかもしれんけど、大開としては上杉総大将を失うわけにはい
かんからな。二代目総大将は実にすばらしいお方やし、大開が府内十四戦団と城下町同
盟を押さえるには不可欠なんや。」
「じゃあ、その黒田さんらの別働隊は、石田理事長の直接の指示で動いてるんですか。」
河合は別働隊の組織的位置づけを確認しようとした。それが分からないと、これから
自分がこの別働隊に巻き込まれるとしても、誰が自分の身を保障してくれるのかさっぱ
り分からないためだ。それに対し黒田は、
「いや、違う。もっと上のレベルや。」とだけ
答えた。
石田理事長の上となると、それは大開という一法人を越え、合戦界全体に影響力を持
つ者であり、そうであればこの別働隊は、もしかしたらあの手紙の送り主の指示で密か
に動いている組織なのかと河合は推測した。
「黒田さんや京極さんたちがされようとしてることは分かりましたが、そもそもの疑問
として、なんで私をこの場に呼び出したんですか。」
河合が最も聞きたかったことについては、意外にも先ほどから黙ったままだった柿崎
が答えた。
「河合さん。それは河合さんが自分で選択したからです。そしてその選択肢も無意味に
河合さんの前に提示されたわけじゃなく、そもそもの原因はご自身にあるはずです。」
いきなり難しいことを言い出すなぁと思いつつ、返す言葉が見つからずに黙っている
と、柿崎がさらに続けた。
「私も同じなんです。恥ずかしながら、総大将をやつらに差し出す羽目になってしまっ
た以上、我々はなんとしてでもお救い申し上げなければならないんです。黒田さんと直
江さんから地下道の存在を教えていただいて、私はこれしかないと思いました。河合さ
んも同じなんじゃないですか?」
河合は、安易にそうだとは言えなかった。柿崎は親衛隊の本来の職務として実行しよ
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うとしているからいいが、河合が実行しようとしていることは職務上許されないことだ。
河合が何も答えようとしないため、柿崎がさらに自分の思いを語り始めた。
「河合さんは親衛隊なんかお飾りだと思ってるかもしれませんが、それでもいいんです。
なんと言われようが我々は春日様のおそばに仕えることができるだけで幸せなんです
…。春日様はお優しすぎるんです。優しすぎていつかその命を落としそうに思えてこわ
いんです。だからこそ我々は、まさに必死の覚悟でお守りしたいんです。それは隊員全
員の思いです。」
こう真剣な調子で迫られると、河合としても不退転の覚悟をするべき時が来たのだと
促されているように感じた。河合がなおも黙っていると、今度は京極が話しかけてきた。
「河合君、今朝、天下に行って来たやろ?」
いきなり急所をグサッと刺され、河合は思わず椅子の背にのけぞった。
「その…、まぁ、確かに行きましたが、何をしてきたかはお答えできません。守秘義務
がありますから。」
河合が突き放したような態度をとったにもかかわらず、京極は意外にも素直に了解し、
それ以上突っ込まず、とりあえず今すぐ自分がやるべきことをやってほしいと促した。
京極としては、河合と朝倉社長との間でどのような約束がなされたのか、諸々の調査か
ら大よそのことは想像できていたが、朝倉社長も一切口を割らなかったため、二人に任
せるほかないと考えていた。
黒田が時計を一瞥し再び会話に入ってきた。
「皆さん、我々には時間がありません。知事が忍びの部隊を突入させる前に我々が突入
する必要があります。実は…、地下道を含め城全体を集中管理する中央制御室が本丸の
地下にあるんですが、幸い、彼らはここに入ってません。つまり、やつらはこの地下道
システムを知っている何者かによって、市内のある入口から本丸と山里丸に出れる一つ
の行き方だけを教えられて、それでその何者かが実際に入口と出口の扉を開放させて、
やつらを城内に導いたと考えられます。」
「その…、誰なんですか、そんなことしたやつは。はなさか側に裏切り者がいるってゆ
うことですか。」
河合は恐る恐る尋ねてみたが、黒田も京極も分からないとだけ答えた。しかし河合は
食いついた。
「でも、地下道の存在、知ってる人って限られてるんじゃないんですか。それを制御で
きる人はもっと限られてるはずですよね。それやったら、そのシステムを動かしてやつ
らを本丸に入れた人間はだいたい特定できるんやないんですか。」
「河合君。今、君がそれを知ってどうするんや。」
いつもは笑顔を絶やさない温和な京極が、この時は厳しい顔で河合のほうをにらんだ。
「実のところ、我々は分かっている。せやけど、それを知る必要は君にはないし、もし
知ってしまうと命の保証はできない。まぁ、知らぬが仏や。」
京極の思わぬ迫力に押されて河合は、分かりましたとしか言えなかった。
「まあとにかく、我々は既にそのシステムへ外部からアクセスして、多少のことやった
ら制御することに成功してるんや。せやから親衛隊と河合君を地下道使って案内するこ
とは可能なんや。」
黒田が少し自慢げに言うと、直江が、「河合さん、急ごう。私が車運転するから、好
きなように指示してくれ。黒田さん、車どれか貸して下さい 。」と言い、車のキーを催
促した。
その時、黒田のUGにメールが入ってきた。メールの本文は「小豆袋」の三文字だけ
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書かれていた。
「そうか…。 ついに閉めよったか…。やつらが城内に忍び込んでいった地下道がさっ
き封鎖されたみたいや。これでやつらはもはや脱出不可能。いよいよ一網打尽にするつ
もりやな…。」
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3.22 総大将の戦い
「裏切られたか…。」
第ゼロ戦団の新明団長は、怒りと悲しみが入り混じった声を絞り出し、壁に手を当て
てうなだれた。
「治維(はるつな)さん、まんまと引っかかったってわけね。我々の存在と主張をアピ
ールして、さっさと引き上げるつもりだったのに、このままじゃ我々は単なる悪党とし
て一網打尽に始末されるだけじゃないの?」
そばに立っていた福場副団長もいら立ちを隠せなかった。
第ゼロ戦団は、この日の午後三時半頃、東横堀川の上を通る阪神高速一号環状線の地
下化工事の現場近くにある雑居ビルに工事従事者の姿をして入り、そこで甲冑に着替え
て戦士に変身し、秘密の鉄製のドアを開けて階段を下り、地下道に入って東に進み大坂
城の本丸と山里丸の下にたどり着き、そこからはしごを使って竪穴を登り、桜門と山里
門の近くの櫓にそれぞれ現れ出て、急襲をかけた。しかし午後十時頃、彼らにとっての
出口である雑居ビルを警備していた団員五人が何者かに突然襲われ全員殺害され、地下
道に通じるドアの錠を壊して開かないようにした。さらに彼らが登ってきた竪穴も、何
者かによって蓋が閉じられてロックされ、下りることができなくなってしまった。
新明が、みんなはどうしているのか聞くと、福場は 、
「かなりいきり立ってるわよ。
人殺しも厭わない血の気の多いやつらだから、もう止められないわよ 。」と投げやりに
なり、新明団長の判断にゆだねた。
新明は少し考えた上で、
「あの三人を呼んでくれ。こうなったらまずは一人を始末す
るしかない。」と福場に指示した。しかしすぐに待ったをかけた。
「いや。その前に、あいつと差しで話をする。」
人質となっている上杉総大将、武田理事、一橋室長は、本丸御殿の中でそれぞれ別の
部屋に閉じ込められ、それぞれ二人の男が監視していた。上杉春日は、LEDの行灯が
ともされているだけの薄暗い六畳の部屋の真ん中で目を閉じてひざを抱えて座ってい
た。新明団長の指示が下りてきて、春日は監視の男の一人に連れられて、新明のいる大
広間に通された。
「悪いが、二人だけで話をしたい。」
新明が持っていた扇子で部屋の外を指してそう言うと、そばにいた福場と、春日を連
れて来た男は部屋を出た。新明は、どこからか持ってきたパイプ椅子から立ち上がり、
また春日は部屋の中にゆっくり歩み入り、二人は大広間のほぼ中央で互いに仁王立ちし
て対峙した。
「新明さん、どうやら閉じ込められたようね。みんな大きな声で話してたから丸聞こえ
よ。」
舌戦の火蓋を切ったのは春日のほうだった。うっすら笑みを浮かべて相手を挑発した。
「おまえたちは心底、極悪人だな。俺たちの味方のような振りをしていたやつらも結局、
みんな工作員だったということか。おまえも、いくら善人面しても極悪集団の一味にす
ぎん。」
「そういう新明さんも善人面じゃないの?大学の先生みたいに知的な感じもするわ
よ。」
今度は少し嫌味を込めて微笑みかけた。皮肉であっても彼女のスマイルは人の心をと
ろりと溶かす強烈な魔力を持っているため、新明はそれを感じてか、ぷいっと外のほう
を向いた。
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「ふん。俺はおまえと違って極悪人の仲間じゃない。ただ、この国の行く末を案じてい
る一人として、おまえたち売国奴がやっていることが許されないと主張してきただけ
だ。」
「城を壊して、人も殺せば、十分、極悪人だと思うけど。」
春日が語気を強めて攻勢に出た。
「そうでもしないとおまえたちは問答無用で反対する者をみんな消していくじゃない
か!おまえたちのような独裁政治集団と一緒くたにするな!」
新明の怒気に押されて春日が少し黙ると、新明はくるりと振り返り、「おまえたちは
我々が入ってきた地下道の入口と出口を封鎖した。その上でこれから特殊部隊でも突入
させて我々を皆殺しにするつもりなのは明白だ。まったく、おまえたちのほうがよっぽ
どたちの悪い人殺しじゃないか。それともおまえは違うと言うのか。おまえだけは善人
だと言いたいんだったら、おまえの考えを言ってみろよ。おまえはこの国をどうしたい
んだ。
」と持っていた扇子を春日の目の前に突き出した。しかし春日は それをよけよう
ともせず、その大きな目を見開いて新明のくぼんだ目に視線を定め続けた。
「言えません…。私は大開の指示に従ってるだけだし、私が政治的な意見を言うことは
禁じられています。」
そう言って春日が視線を落とすと、新明はにやりと笑った。
「へへっ。ま、そうだな。所詮、おまえは人形にすぎん。なんにも分からんくせにえら
そうなこと言いやがって。総大将とか言ってもちっとも大したことないじゃないか。」
すると春日は顔をさっと上げて新明をにらみ、「人形で何が悪いのよ!人の心が分か
らない人間よりましよ!」と新明の侮辱に噛みついた。うまく切り返されたことに新明
はぶち切れ、「うるさい!人形のくせに!」と怒鳴り、扇子を春日の顔に投げつけた。
すかさず彼女は両腕で顔を覆おうとしたが、距離が近すぎて扇子の親骨が左頬に当たり、
左目の下を切って血がにじみ出てきた。
二人とも感情を抑えるのに三十秒ほどかかり、その間、息が詰まりそうな沈黙が部屋
に立ちこめた。
春日は、その張り詰めた空気の中で意を決して、
「一つ、聞いてもいいですか。
」と静
かに語りかけた。そして、新明の応諾を待たずに、「天守閣を破壊したのは本当に新明
さんたちですか。」といきなり直球をぶつけた。
「俺たちじゃないという証拠でもあるのか。」
新明はすぐに言い返したが、春日はさらに、
「いえ。でも、新明さんは、だいたい、
あの飛行機がどこで作られ、なんという型名なのかご存じですか 。
」と追撃した。扇子
を投げつけられる前より口調が若干丁寧になってはいたが、春日は相変らず攻撃的だっ
た。
「もちろん知っているが、おまえに言う必要はない。」
新明は面倒くさそうに答えながらも、春日の表情を注視した。
春日は、やはりこの人は何も知らないと確信した。知っていれば答えるはずだから。
「さっきから何が言いたい?」
今度は新明が質問した。それに対し春日は、「すみません、余計なことを聞いて。
」と
言って謝りつつも、ここで仕掛けてみることにした。
「新明さん…。本当は人に見せないことになっているんですけど、私の差しているこの
脇差、特別にお見せします。」
彼女は、腰に差していた脇差をゆっくり鞘ごと抜き取り、両手で丁重に新明に差し出
した。唐突に何をしたいのかいぶかりつつ、新明はその脇差の鞘を一目見てすぐさまそ
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の意味を理解したのか、押し黙ってしまった。
「私が総大将に就任したときにお祝いに頂いたものです。」
そう言って、春日は脇差を素早く引き取り腰に差し戻した。
「なぜそれを見せた?自分は扇子を投げつけられる女ではないと言いたいのか。」
「いいえ。新明さんがどこまで周りのことをご存じか確かめたかっただけです。」
バカにされたと感じた新明は、「さっきからえらそうに言いやがって!俺を怒らせて
何の得がある!」と怒鳴った。しかし彼が言い終わる前に春日は 、
「もうこれ以上、危
険なことはやめてほしいんです!」と言いかぶせた。
「これ以上危険なことをやって、新明さんに何の得があるんですか。新明さんの純粋な
思いに比べたら…、この戦い、合戦界の主導権を争うものにすぎないんです。純派や強
化派は苦し紛れに大掛かりな逆転劇を仕掛けたいと思いながら、自分たちに適当な大義
名分がないから、それでアンチはなさかの政治的な主張をされてた新明さんに近づいて、
自分たちのリーダーに立てたってことなんじゃないですか。新明さんの愛国心はただ乗
りされてませんか。なのに、ただ乗りした連中と一緒に心中されるんですか。」
春日は、新明との会話を通じて、新明も第ゼロ戦団も自分と同じ単なる操り人形にす
ぎないことが分かった。ここにいる人たちが城を破壊したのではない。その背後にいる
極悪人がすべて段取りして、この戦いのフィールドを用意して、そして彼らを聖戦士と
そそのかして、そのフィールドに立たせただけ。おそらくそうに違いない。
新明は、目の前にいる自分より年下の三十前の女が、その持ち前の度量と強い眼差し
と落ち着いた語り口によって、相手を巧みに引き込み納得させる能力に極めて長けてい
ることを感じざるを得ず、警戒した。
「俺に説教をする気か。そのためにおまえをここに呼んだんじゃない。」
「分かってます。私に協力を求めていらっしゃるんだと思いますけど、でもそれは無理
です。新明さんのおっしゃるとおり、私は人形にすぎません。はなさかがそう決めたん
でしたら…、それに従うしかありません。だから、今すぐ人質を解放して武装も解除し
て投降して下さい。お願いします。それしか助からないじゃないですか!」
「ふざけんな!さっきから言ってるだろ。極悪人はおまえらのほうだ。その極悪人に説
得されて投降してひざまずけだと!いい加減にしろ!我々も黙って殺されるのを待つ
ぐらいだったら、やりたくはないが、おまえも人質も殺すしかない。そのぐらいのこと
は分かっているだろ。」
春日は反論せずしばらく黙ってうつむいていた。
「私を殺す必要はありません。もしあなたたちが一人でも人質を殺したら、私はこの脇
差で自分の胸を刺します。あなたがたへの抗議の意味で。でも…、本当は…、私だって
死にたくなんかないです…。まだ二十八なのに、いっぱいやりたいことがあるのに、な
んで…、なんで殺されないといけないんですか。」
春日の声が震え、鼻をすする音が聞こえた。新明は再び外のほうを向いた。
「泣けば許してもらえるとでも思っているのか。まったく…、春菜さんと一緒で頑固な
やつだ。」
春日はぴたりと涙を止めて顔を上げた。彼女の両耳の真珠のピアスがキラリと光った。
「どういうことですか?姉のことを知っていらっしゃるんですか?」
新明はしばらく黙った後、
「もう過去のことだ。
」とつぶやいた。口を閉ざそうとする
新明に、春日は、
「教えて下さい。新明さん。」と訴えたが、ふと自分で気づき、「もし
かして…、姉が言ってた頼秀さんの先生って、新明さんのことですか?」と尋ねた。
「鋭いな。確かに、頼秀君を思想的にバックアップしていた。純派の考えは俺たちの考
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えと親和する。だから、頼秀君にはいろいろとサポートしたし、彼も俺を頼っていた。
さっきおまえは、俺が純派に利用されていると言ったが、そうじゃない。お互いに利用
していると言うほうが正確だ。」
「姉とも何回か会われたことがあるんですか?」
新明は一呼吸置いてから、「あぁ。実に素敵な方だった。頼秀君にはもったいないほ
どだ。」と感情を押し殺して平然と答えた。
「私にとっても姉は優しくて素敵な人でした。」
「彼の後を追って死ぬことなんかなかったのに。」
新明の言葉に引っかかった春日は、
「姉は病気で亡くなったんです。」と一言念のため
付け加えた。新明は、相変らず春日に背を向けたままだった。
「もういい。やはり、声といい、顔立ちといい、春菜さんと似ていて、正直、君と話し
ているとつらい。君の協力が得られないことは分かった。やむを得ん。最後の手段に出
るしかない。もう下がってくれ。」
春日はしばらく新明の背中を見つめていた。
「すみません。何もお役に立てなくて。自分が情けないです。」
かわいらしいせりふをつぶやきながらも、彼女は迷っていた。実は、新明たちをこの
城から脱出させる方法がまだ残っているからだ。しかしそれははなさかにとって最高機
密といえることだった。軍事要塞・大坂城が密かに持つからくり。その究極のからくり
を作動させる方法を春日は知っていた。しかしそれは、当然、自分の命と引き換えにな
ることを覚悟しなければならなかった。
「新明さん。もし人質たちを解放していただけたら、皆さんを城から脱出させてもいい
です。そのためには、私自身とこの脇差が必要です。どちらかが欠ければ、もはや皆さ
んが無事に脱出できる方法はありません。」
春日は珍しく心の動揺を顔に現しながら思い切った提案をした。しかし新明は、いっ
たいどうやって脱出させようとするのか、なぜ脇差のようなものが必要になるのかイメ
ージがつかめず、背中を見せながら黙ったままだった。
「わけは一切お話しできません。信じていただけるかどうかも新明さん次第です。そし
て、この方法は一回しか使えません。」
「よく分からんが、要するに自分を殺すなと言いたいんだろ?」
新明は、彼女が単に命乞いで言っているだけではないかと疑った。
「違います。一回しか使えないって言ってるじゃないですか。」
再び重い沈黙が流れた。
「悪いが、信用できない。」
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3.23 総大将の怒り
まさに命がけの提案をぶつけ、新明にそれでもよくよく検討するよう伝えて大広間を
後にした春日は、閉じ込められていた部屋に連れ戻された。そしてどっと疲れて、壁に
もたれてひざを伸ばして座った。頭がすっかり疲弊し何も考えられず呆然としていた。
この戦いを始めた何らかの理由があるにせよ、各プレイヤが自分たちの都合や願望に
合わせて動き出すことによって予想外の波乱が起こり、いったいこれからどう展開して
いくのか、春日には分からなくなってきた。
「おね様、茶々様。どうか私をお守り下さい。」
春日は心の中で何度も必死に祈った。不安と緊張で押しつぶされそうだったからだ。
喉が乾いたなと思ったその時、漆黒の鎧を着たスレンダーな一人の女が部屋に入って
きた。
「お茶でもいかがですか?」
彼女は、緑茶の入った湯呑みをお盆に載せたまま畳の上にそっと置き微笑んだ。
「大丈夫。毒なんか入ってないわよ。ちょっと話があるから、お茶を飲んだら私と一緒
に来てくれない?私は副団長の福場です。」
春日は、警戒しながらも湯呑みを手に取り、ぬるくなっていたお茶を一気に飲んだ。
春日が飲み終わると、
「大丈夫でしょ?信用した?じゃあ、行きましょ。」と福場は春日
に立つよう促し、「あんたたちはここで待ってなさい。
」と監視の二人に言い置いた。
福場と春日は無言のまま本丸御殿を出て、崩れ果てた天守跡の西を通り過ぎて、山里
丸のほうに少し下り、本丸の西側に備え付けられている隠し曲輪(くるわ)に入ってい
った。するとそこにはさらに三人の女が待ち構えていた。そして福場と合わせて四人に
取り囲まれた春日は異様な殺気を感じ取った。
「どういうこと?」
「話があるって言ったでしょ。あんまりほかのやつらに邪魔されたくないのよね。」
福場は鷹揚に構えてにやりと笑うと、ほかの三人も同時ににやりと笑った。
春日はそっと左手を滑らせ、腰につけた脇差がすぐに抜ける状態か確かめた。
「まあ、そんなに怖がらなくてもいいわよ。私たちはね、ただあんたに謝ってほしいの
よ。武田春菜総大将様にね。」
春日は、福場が何を言いたいのか理解できずに黙っていると、福場の右にいた女が、
持っていたUBの画面をオンにして初代総大将武田春菜の遺影を映し出し、福場に渡し
た。福場はそれを両腕で胸元に抱え、春日に見せた。
「私にどうしろって言うの?」
福場の顔をじっと見つめる春日の顔には明らかに動揺が読み取れた。
「我らの総大将、武田春菜様の前で謝ればいいのよ。お姉ちゃんを殺したやつらの言い
なりになってごめんなさい、総大将を勝手に名乗ってごめんなさい、それに、頼秀様を
横取りしようとしてごめんなさいって言えばいいのよ。ちゃんと心をこめて。」
春日は心の底から怒りがこみ上げ、全身に震えが走り、こぶしに力が入った。そして
うつむきながら目を閉じ、「許せない。
」と小声でつぶやいた。
「許せないのはこっちよ!あんたの裏の顔はみんなばれてんのよ!あんたが春菜様を
殺したようなもんよ!羽柴様も、頼秀様も、春菜様も、多くの仲間があんたたちに粛清
されたのよ!」
福場も怒りの形相になってきた。
「勝手な作り話に洗脳されて。サイバーの世界で姉をよみがえらせて、もてあそんでん
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のもあんたたちでしょ。」
「あら失礼ね。復活されたのよ。なんならここにご光臨いただいてもいいわよ。」
純派の中で、先代総大将を強烈に信奉している者たちが、サイバーの世界で武田春菜
のほぼ実物と言っていい立体CGを作り、声も再現させ、人工知能も入れて、神様のよ
うに崇め奉っていた。武田春菜は、春日に負けず劣らず美しくそしてエレガントな雰囲
気を持っていたため、女神様として作り出した開発者ですら酔いしれてしまい心を奪わ
れた。しかしそんなCGの姉がUBの画面で動き出し本物の妹に話しかけるなど、春日
には到底堪えられなかった。
「いい加減にして!!」
春日はついに堪忍袋の緒が切れ、腹の底から大声を張り上げた。
「あんたたちなんかに、私らの仲は絶対に切れないわよ!絶対!絶対!」
そう言い終るや春日は激昂のあまり涙がどっとあふれ出した。そして泣きながら、震
える歯を食いしばり大きく呼吸をして福場の顔をにらみつけた。しかし福場は落ち着き
払っていた。
「泣いても無駄よ。」
福場が目で仲間に合図を送ると、二人の女が春日の両腕を背後から取って抱え込み、
もう一人が腰に差していた脇差を鞘から素早く抜き取り福場に渡した。
「ふん!こんな偽物。春菜様が差していた脇差は私たちが持ってんのよ。」
「返して!」
「うるさい!」
福場は一喝するや、その脇差を持ったまま曲輪の塀に近づき、思いっ切り外に向かっ
て塀越しに放り投げた。脇差は一瞬、鈍く光って塀の外の暗い堀に消え落ちていった。
「これであんたは偽総大将ですらない。そのえらそうな口、利けなくしてやるわ。」
春日の両腕を捕らえていた背後の二人がぐいっと腕を骨が折れそうなくらいに締め
た上で、春日を下に押さえ込み地面にひざまずかせて前のめりにさせると、福場は春日
の左頬あたりを目がけて力強く蹴りを入れた。そして二人が春日の上体を起こさせると、
もう一人から槍を受け取り、石突のほうを前にして春日の右肩に振り下ろして一撃を食
らわし、さらに腹に強烈な突きを二発入れた。そして槍を反転させ、今度は穂先のほう
を前に向け、
「覚悟しなさい。本物よ、これは。
」と言って構えた時、突然、春日の背後
の二人が春日の腕を離して後ずさりしてしまった。
「やめろ!福場!」
福場が後ろを振り向くと、新明団長と男六人が曲輪の出入口から走ってきた。そして
新明は、福場の前まで来るといきなり彼女の顔をこぶしでぶん殴った。
「きさま、自分のやっていることが分かってんのか!」
殴られた勢いで右によろけた福場は左頬を手で押さえながら体勢を戻し何の表情も
浮かべずに平然と、
「治維さんってやっぱり女に弱いのね。もうあいつの手に落ちたの?
さっき二人っきりで何やってたか知らないけど。」と毒づいた。
「おまえは何も分かっていない。そして取り返しのつかないことをした。おまえは、今、
この時点で、副団長を解任する。」
新明のほうも何も感情を入れずに淡々と伝えるべきことを言い渡した。そして、春日
が口元から血を流しながら腹を抱えてうずくまり、とても歩けそうにないのを見て、部
下の男の一人に担架を持って来るよう命じて走らせ、また担架が来るまでの時間を節約
するために、もう一人に春日を担いで先に御殿のほうに連れて行くよう命じて春日を曲
輪の外に連れ出させた。
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春日が隠し曲輪の外に出て行きこちらが見えなくなったのを確認すると、新明は女四
人に、「武器を捨てて両手を頭の後ろにつけて後ろを向け。
」と命じた。
「いったい何のまね?遅かれ早かれあいつは始末するんだから。」
「言うとおりにしろ。」
「裏切り者はあんたじゃないの!」
福場の怒鳴り声の直後、銃声が鳴り響いた。
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3.24 陣中会議
「城内で何が起こったんや?」
隠し曲輪の堀を挟んで向かい側にある西の丸に陣を構えていたカナリア泉北の伊達
政村は、隠し曲輪のほうから何か刃物のような物が放り投げられたという何人かの証言
と、その隠し曲輪から聞こえてきた乾いた銃声に、ひどく胸騒ぎを起こさせる不気味な
予兆を感じていた。
「ちょっと、織田さんとこに行ってくるわ。」
伊達は馬に乗って、桜門に近いスカーレット城西の陣に向かった。まだ復元があまり
進んでいない西の丸の大阪城代の上屋敷の横を通り、さらに二の丸のほうに進んで、桜
門が左手に見えてくると、右手にサファイア湾岸の陣が現れた。その時、テントから朝
倉景子と紀昌美が談笑しながら出てくるのを目撃した。紀昌美がちょうど自陣に戻ろう
としていた時だった。
「やあ、お二人さん。キミちゃん、こっちに来てたんか。」
伊達が二人に馬上から話しかけてきたが、紀昌美はぷいっと後ろを向いた。伊達が馬
を降りて二人の元に近づいてくると、紀昌美は再び前を向いて 、
「なんで来たの?小次
郎さんに話すこと、ないよ。」と冷たく言い放った。仲が良かったはずの二人が気まず
い感じになっていることが分かった朝倉は、自分はこの場にいないほうが良いのではな
いかと思って、
「あ、じゃあ、私…。」と言いかけると、紀昌美が、「朝倉さん、私と一
緒にいて。」と体をぴたりと寄せてきた。
「キミちゃんには何回も謝ったやんか。理由をゆうたら言い訳は聞きたくないってゆう
し、素直に謝っても許さへんってゆうし、どうしたらええんや。」
紀昌美はその質問には答えずに、
「その話、したくない。なんでここに来たの?」と
最初の自分の疑問を改めて示した。伊達は不満げな顔をしながら 、
「城内から銃声が聞
こえてきたんや。おそらく本部も異変に気づいてるやろし。見ろ。本部のテントにさっ
きから慌しく人が出入りしてるやろ。それに…、ヘリの音が近づいてきてるし、とりあ
えず織田さんに相談しよぉ思てこっちに来たんや。」と説明した。
ヘリを飛ばすことは犯人側からの要求に反する。犯人側が怒れば人質が殺されるかも
しれない。
「なんでヘリなんか飛ばしてんのよ!伊達さん、私らも後で織田さんのとこに行きま
す。」
伊達は了解して馬に乗り、先に東のほうに走っていった。
「キミちゃん、伊達さんと何があったん?」
紀昌美は、朝倉の質問に対し、その円らな瞳に怒りの火を照らし出して、
「私が予戦
に負けて落ち込んでたとき、小次郎さん、ほかの女と寝てたのよ 。
」とストレートに答
えた。
「許せないでしょ?」
紀昌美にそう言われ、朝倉はとっさに、
「そ、そうね…。」と答えたものの、そもそも
男と付き合ったことがない朝倉にとってはそうした恋愛問題は想像の世界での話であ
り、自分が何か有益なアドバイスができるとも思えなかったので 、
「でも、話はしたほ
うがいいんちゃう?」とだけ当たり障りなく答えた。
紀昌美はしばらく黙って考えていたが、「分かった。朝倉さんがそう言うなら話す。
でも、朝倉さんも一緒に来て。」と助けを求めた。
「え?うち?おってもなんも役に立たへんけど…。」
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Hanasaka Kassenki, Ver. 1.09
「一緒にいてくれたらいい。」
そう言われると断れず、彼氏歴ゼロとバカにされた伊達とはあまり話をしたくないと
思いつつ了解した。
朝倉と紀昌美が織田信一のいるスカーレット城西の陣のテントに着いたときには、織
田、伊達のほかに、漆黒の三本槍の次男、三好政靖が円卓を囲んでいた。兄の長靖が伊
達と「第三年春生」の同期であり仲がいいことから、伊達がその弟の政靖に織田のところ
に来るよう呼んでいた。
「政さん!久しぶり。お兄さん、元気にしてはんの?」
「おぉ、朝倉さん。まずは準優勝おめでとう。今日の激戦、兄貴もベッドで見て興奮し
とったで。」
朝倉景子と三好政靖はともに「第六年春生」で同期であった。朝倉は「六春」の同期
の中で唯一、槍頭まで昇格しており、まさに出世頭であった。もちろん合戦界は実力社
会であるため、やっかみなどはない。同期にとって朝倉はライバルとして最高であり、
また「六春の星」として期待されていた。
「織田さん、政靖さん、お久しぶりです。私も朝倉さんと一緒について来ちゃいました。」
紀昌美は肩を少しすくめて得意の満面の笑みを二人に振りまき、伊達に見せつけた。
織田も政靖も上機嫌になって紀昌美を歓迎し、周りの戦士たちからも「ずっといてもい
いよ。
」と調子のいい声が上がり、彼女は礼を言って素早く伊達の隣ではなく政靖の隣
に座った。
二人が座ると、織田は急に真剣な顔になって話し出した。
「さっき大開の協力者からこっそり連絡がきた。本部は、十二時になるまでに、特殊部
隊を本丸に突入させることを決めたらしい。大開は反対したらしいけど、各国から強力
にプレッシャをかけられた日本政府とそれに同調する木下知事が強引に決めたらし
い。」
周りで聞いていた戦士たちに動揺の声が広がった。
「突入なんかしたら、犯人側が逆上して人質たちを殺すかもしれんって分かっててやる
んですか。」
政靖は素朴な疑問を素直に呈した。
「やつらには人質たちや総大将よりも守りたい利益があるってことなんやろけど、我々
のほうもこうやって集まってんのに、ぼぉっと見てるだけっちゅうわけにはいかんわな。
織田さん、そう思いませんか。」
「あぁ、伊達君の言うとおりだな。我々は侍なんだし、総大将や一般市民を守れずして
侍とはいえん。もしここで我々が何もしなかったら、戦士たちは戦士でなく、単なるス
ポーツ選手にすぎなくなる。これは我々戦士たちの名誉をかけた戦いだと思ってる。」
「私は朝倉さんと一緒にみんなを助けると決めました。戦陣に加わります。」
紀昌美が威勢良く参戦の決意を述べると、朝倉が紀昌美のほうを向いて親指を立てて
微笑み、周りの戦士たちから拍手が沸き起こった。
「今、十一時です。みんなで本部に行って、十二時にやる予定の、我々と人質の交換を
今すぐしたいって犯人側に要求するよう言いませんか。」
政靖の提案に四人とも賛成し、すぐに席を立った。五人がテントを出ようとしたとこ
ろ、伊達が後ろから朝倉を呼び話しかけた。
「あぁ、この前の合戦やけど、いろいろ腹立つことゆうて悪かったな。まあ、あくまで
作戦上のことやから、その…、本心でゆうてるわけやないから、ごめんな。」
朝倉は、
「いえ、大丈夫です。私もいろいろ勉強になりました。
」と気にしていない素
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振りを見せつつ、
「彼氏いないんはほんまですから、気にしてません。」と明らかに強が
りだと分かるコメントを付け足した。それを聞いていた紀昌美は、
「ちょっとそこの人、
朝倉さんに声かけないで。」と横槍を入れた。
「おや、それは失礼じゃないですか。朝倉さんは多くの男たちに声をかけられて当然の
レイディです。紀昌美殿は、美しいヒロインは自分だけやと思っているんですか。」
「うそつきの人は声かけないでと言っているだけ。」
「ほお、僕は本気で朝倉さんのことが好きかもよ。」
「いちいち腹立つこと言うのね。」
伊達と紀昌美が言い争いをしているうちに、その魅惑的なレイディはとっくにテント
を出て本部のほうに向かっていた。
織田たち戦士たちはそのまま本部のテントに入ろうとはせず、スカーレット城西の戦
士たちを伝令として使って各戦団に、趣旨に賛同する場合は各戦団から一人、本部のテ
ントに来るよう求めた。既に城下町同盟の戦団も、玉造口の南の辺りから東外堀の脇に
ある合戦会場の付近、さらには北曲輪40にかけて集まり着陣していたことから、彼らに
も呼びかけがなされた。彼らもまた府警と激しい押し問答をし、大開も彼らの着陣を認
めるよう木下知事に働きかけたことで許可され、大坂城に早く着いた戦団から順次、幟
を立てていった。41
各戦団からの代表者が全員集まるまでには時間がかかることから、とりあえず、織田
信一、伊達政村、朝倉景子、三好政靖、紀昌美の五人が先に本部のテントに入ることに
した。
「話がある。知事に会わせろ。」
がたいの大きい織田が先頭に立ち、両腕を前で組み大きくて低い声で命令すると、テ
ント前で受付兼警備をしていた警察官二人は震え上がって、
「少々お待ち下さい。」と言
って一人が中に入っていった。同時に織田もテントの中にずかずかと入ろうとしたため、
もう一人の警官がここで待つよう言って止めようとしたが、織田は、「待ってられん。
」
と警官の腕を振りほどき、その後から朝倉たちもついていった。
「さすが織田さんや。こうゆう時、有無をゆわさんもんな。」
朝倉は感心しながらも、テントの中にいる職員たちを隈なく目で追っていた。本部の
テントは各戦団のテントよりずっと大きなもので、中には五十人近くの者がいた。大き
な手振りで電話で話している者、喧々諤々話し合っている者、コンピュータ画面をにら
みながらキーボードを早打ちする者、ヘッドホンで何かを聞いている者、飲食物を運び
込んだり配布したりする者、そうした人たちを掻き分けていくと、何台もの大型ディス
プレイを見ながら取り巻きの者に説明を求めている木下知事、その隣に大開の石田理事
長がいた。
「これは織田さんに皆さん。やはり来られましたな。」
木下知事は椅子から立ち上がり、ニヒルな笑みを浮かべて戦士たちを迎えた。
40
41
大阪城ホールのあたりから、北外堀沿いに城の北側を西に伸びているエリア。
ただし公園内に入られる人数は、一戦団あたり十人までに制限された。
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3.25 河合の決断
「河合さん。さっきから黙ってるけど、怒ってるんですか。なんでこんなことに自分が
巻き込まれなあかんねやって、そうゆう気分なんか。」
「怒ってるわけやないです。厄介なことに巻き込まれ、厄介な仕事を押し付けられる能
力に長けてる自分にうんざりしてるんです。」
直江と河合は、軍配本店を後にし、直江の運転するライトバンでなにわ筋を北上し、
河合の指示により、野田にある「御屋形荘」に向かっていた。
「それに、柿崎さんがおっしゃってたことを思い出してたんです。柿崎さんは私に原因
があるからこうゆうことになったってゆぅてはりましたけど、原因なんて考えられませ
ん。私は、はめられてるだけです。なんでか知りませんけど。」
直江は、ハンドルを片手で握りながらタバコに火をつけふかし始め 、「河合さんは大
開に入って何年ですか?」と唐突に聞いた。河合は、質問の真意を探ることなくほぼ反
射的に「四年目です。」と無愛想に答えた。
「じゃあ、そう思うんもしゃぁないかな。せやけど、君は自分自身を過小評価してるな。」
河合は、武具改めの仕事に携わっていない直江が何を評価できるのかと少し反感を覚
え、
「四年目として普通に評価いただければ結構です。」と素っ気なく生意気な回答をし
た。
「そうやないんや。どうゆうたらええかな。君は自分のこと、単なる武具改め係の一員
やと思てるかしらんけど、既に選ばれた人材なんや。もうちょっとゆうと、要するに今
回、君を別働隊の一員として選んだのはトップの方々なんやで。」
河合は、竹中と自分宛に送られてきた例の手紙を思い出した。あの点字はやはり「ね」
を表していたと考えて間違いなさそうだった。しかし先ほどから同じ質問に戻ってくる
が、そんなトップの人たちがなぜ自分を選んだのかが分からなかった。
「まだよぅわかってへんみたいやから、二つヒントを出そか。まず、総大将は自分が総
大将を辞めるときに、次の総大将候補を挙げる権利があるんや42。」
人差し指を立ててハンドルにコンコン当てながら、ちらりと河合のほうを見たが、彼
が全く表情を変えないことから直江は話をさらに続けた。
「二つ目、春日にとって一番の親友で絶対の信頼を置いてんのが朝倉景子や。とゆうか、
超お気に入りや。大好きなんや。それはあの方々もご存知やし、せやから朝倉に強い興
味を持ってはるし、朝倉についていろいろ調べた結果を踏まえて、我々とかにも指図し
てはんねや。河合さん、もう分かったやろ。」
河合は何かに気づいたのか、あるいは何かスイッチが入ったのか、先ほどまでのなん
となく冷めた感じで疲れがにじみ出た表情が全く消えうせた。そして同時に、今度は全
身を緊張させ、それは合戦前に控え室でベンチに座ってフィールドを見ている戦士たち
の表情と同じように、鋭い目つきで少し遠くを見ているときのような顔立ちになってい
た。直江は河合の態度の変化を察したが、相変らずまともに返事をしようとしないため、
「頼むからもうこれ以上言わさんといてくれよ。ほんま、特別サービスなんやで 。」と
言って話を締めた。
42
大開は、総大将を選任または解任しようとするときは五人から構成する委員会を作って
審議を行い多数決で判断する。総大将自身はその委員にはなれないが、委員たちに意見を
述べることができる。新しい総大将を選ぼうとするときは、現在の総大将が挙げた候補者
はもちろん委員会で審議の対象となる。
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それから河合は完全に黙りこくってしまい、ただぼんやりと車窓を眺めていた。直江
も特に話しかけず、彼にじっくり考えさせた。
河合の自宅の御屋形荘に着いたときには午後十一時二十分を少し過ぎていた。
「随分おんぼろなアパートやなぁ。天下の大開さんの職員が、こんなとこゆうたら失礼
やけど、なんか昭和時代の歴史的建造物みたいなとこに住んではるやなんて。」
「レトロな感じで結構人気の物件なんですねけど。」
河合の強がりに直江は、
「河合さん、いつの間に不動産屋になりはったんや。
」と言っ
て少し笑って、
「まぁせやけど、確かに今時、こんな建物珍しいやろから、人気かもし
れませんなぁ。
」と同調してみせた。実際、河合のアパートは、国際色豊かな住人たち
によって満員御礼であった。
「ほんまは私も、もっとええとこ住みたいですよ。実際、大開の給料なんて知れてます
し。せやけど私みたいなんでも、地味な仕事やけど定職に就けてありがたい思てるんで
す。」
直江は、目の前の青年が本当にまじめで責任感の強い男なんだなと次第に興味を持ち
始めた。
「でも、武具改めの人は行動がいろいろ制限されるから、特別手当が出てるんやろ。」
「大した額やないです43。直江さんと私とでは住んでいる世界が違うんです。」
そうあっさり言われてしまうと寂しいなぁと直江が思っていると、河合が 、「ま、息
が詰まりそうなとこですけど、どうぞ。部屋に案内します 。」と玄関脇のパネルに自分
の指をかざしてセキュリティ・ロックを外してドアを開け、中に入るよう促した。
直江に続いて河合が中に入り、奥へ伸びる廊下の右側の三つ目の自分の部屋のドアを
見たとき、何かがいつもと違うと直感した。小走りでドアに駆け寄ると、鍵がかかって
いない。すぐさまドアを開けて中を見ると、武具がきれいさっぱり消えている。
「どうしたんや。」
後から部屋に入ってきた直江が河合に聞いた。
「ないんです!槍五十本、弓二十張、矢百八本、刀五十振り。兜も鎧も佩楯も。戦士た
ちに渡すつもりの改造品が全部、誰かがいつの間にか持ち出してるんです。」
河合はすっかり狼狽し、直江も事態を飲み込めず黙っていると、後ろで、開けっ放し
のドアをノックする音が聞こえた。
「はなさか府警の者です。お荷物は我々が運び出しました。」
ドアのそばにはスーツ姿の刑事らしき男が二人立っていた。一人は異常なほど細身で
あごひげを生やし黒いスーツを着ており、もう一人はやや長身で切れ目の面長でグレー
のスーツを着ていた。
「お二人とも、ご同行いただけますよね。」
もう一人の黒いほうが丁寧かつ威圧的に部屋の外へ出るよう促した。河合はすっかり
混乱し動揺し胸の高鳴りが外から聞こえそうだった。
「これって夢なんか現実なんか…。夢やったら、ここでええから目ぇ覚ましてくれ。」
残念ながらどう考えてもリアルすぎる状況に、河合は十分目を覚ましていることを再
認識せざるを得なかった。しかし、こんな重大な局面で警察に捕まればこれまでやって
きたことがすべて台無しになってしまう。これが現実であるならば、これから我が身に
どのような危険が降りかかってくるのか、親や職場にはなんて説明すればいいのか、河
合の心はもはや折れる寸前だった。
43
武具改めの特別手当として給料に毎月五万円加算されている。
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一方の直江は全く動じず、この刑事らしき二人の男が何者なのか、ずっと黙って冷静
に分析を続けていた。
「あぁ、ベッドの下に置いてある槍、忘れんように持っていって下さい。」
ベッドの下には、河合があの特注の槍を、ほかの不正改造品とは別にして置いていた。
なぜこれだけ警察は持っていこうとしなかったのか疑問に思ったが、河合は素直にその
槍をそこから取り出して両手で抱え、直江とともに部屋を出た。
四人はアパートから一分ほど歩き、路上に停めてあった二台の車に分乗した。それぞ
れ運転手が車内で待機しており、直江と河合は別々の車に乗せられた。野田阪神前の交
差点に出て、国道二号線を梅田方面に走り出すと、直江が乗っていた車に同乗していた
グレーのほうの男が、「これから、ヨーゲンに行きます。」と直江に伝えた。
「西天満のお茶屋さんの『養源』ですか?」
直江が聞き返すと、その男はそうだと答えた。それを聞いて直江は急に緊張を解き 、
「そういうことだったんですか。」と顔をほころばした。
二台の車は、西天満のアメリカ総領事館のすぐそばの小さなビルの一階に店舗を構え
ていた茶葉専門店「養源」の前で停められた。この店は日本茶の様々な茶葉を売ってお
り、この日は既に営業を終えていたが、店に入る引き戸の脇に設置されていたショー・
ウインドウの照明はつけられたままだった。
黒いほうの男が入口近くのチャイムを押し自分の名前を小声で告げると、何か鍵が開
いたような音がし、店内から、
「どうぞ。お入り下さい。
」と連れてきた二人に中に入る
よう求める声がした。河合は、警察が警察署に行かずに何ゆえこんな店に自分たちを入
れようとしているのか、さっぱり意味が分からなかったが、直江が戸を引いて中に入ろ
うとしたので、それに続いて河合が槍を抱えながら中に入った。刑事たちも入ってくる
のかと思いきや、黒いほうの男が外から引き戸を閉め、その瞬間、再び鍵がかかったよ
うな音がした。
河合が慌てて後ろを振り返ろうとすると、突然、薄暗かった店内に電灯が一つだけつ
いて明るくなり、レジが置かれているカウンタの奥に一人の背の高い五十歳代と思われ
る女性が立っているのが見えた。この店のユニフォームであろう茶色の着物風の作業服
を着て、この茶葉屋の店員もしくは店主のように装っているが、そうしたかっこうとは
不釣合いなほどその顔立ちは品位があり、直感的にこの女性が市井の人ではないことが
分かった。そして、なんとなく上杉春日と似た雰囲気を感じさせたことから、この人は
敵でもなければ警察でもないと考えて良さそうに思えた。
「ようこそ、お二人さん。直江さん、お久しぶりね。」
物腰柔らかく声をかけられた直江は珍しく緊張しているようだった。
「はいっ。いろいろご面倒をおかけしております。」
「何言ってんの。謝らないといけないのはこっちよ。こんなことになって本当にごめん
なさい。敵も味方も統制がとれてなくて混乱してるけど、最後は二人でなんとかするか
ら。」
その女性はそう言いながら、カウンタから離れて二人の前に近づいてきた。
「あなたが河合さんね。」
河合は目の前にいる女性が誰なのかは分からなかったが、その女性がなぜ自分の名前
を知っている理由は先ほどの直江の説明で大よそ察しがついていた。河合は、「はい。
武具改め係の河合と申します。」と、つい仕事っぽくまじめに答えてしまったが、彼女
にとっては形式的に挨拶をしたにすぎず、河合が何の係であろうがどうでもいいことで
あり、わずかに口元を緩めると、単刀直入に話し始めた。
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「河合さん。勝手にあなたのご自宅に上がりこんで荷物を運び出したりしてごめんさな
い。もう時間がなかったので、そうするしかなかったの。武具はすべて城に持っていっ
ているわよ。」
直江も事前にそこまでは聞いておらず、既に準備を済ませているのは驚きだった。
「おそらくここから北西ルートで二の丸のどこかに持っていきはったんやな。でも…、
やっぱりそうやったんか。日本政府がやけにおとなしい思てたけど、裏であの国が事態
の収拾に動いてんねやな。」
直江は頭の中で合点がいきにんまりしたが、河合のほうは全く予想できないこの状況
の展開についていくのが精一杯で、こわばった表情のまま何も反応できずにいた。冷静
に考えれば、この女性がどうやって鍵のかかった河合の部屋に入り込めたのか、またど
うやて警察の厳重な包囲網をくぐって武具を城に持って行ったのか、至極当然の疑問を
ぶつけるべきであろうが、いつの間にか、ささやかな抵抗すら困難な雰囲気に支配され
ていた。
「時間がないわ。あとはその槍をあなたが持っていくだけよ。」
河合は、いくつかある疑問のうち最も理解しがたい疑問だけは解消したいと思い、こ
の槍だけ持っていかずに部屋に置いてあった理由を尋ねようとしたが、「それはあなた
が持っていくべきものよ。朝倉社長から言われたんでしょ。朝倉景子に渡すようにっ
て。」と先に答えられてしまった。
河合はその一言で完全にノックダウンされ何も言えなかった。直江や黒田の前でも言
わなかったことを、この場でさらりと披露され、全く参ってしまった。自分がどのよう
に立ち振る舞おうとも、すべては結局、今自分の目の前にいる女性ともう一人の誰か、
つまりはなさかと合戦界を陰で支配する二人の思うがままに、手のひらの上で転がされ
ているだけのように思えた。
河合をじっと見つめていたその女性の表情はとても優しく温かだった。あの上杉春日
が時々見せる相手を包む独特の雰囲気と同じものを醸し出していた。こうなるとどうし
ようもない。この空気に飲み込まれるともはや無批判に受け入れざるを得ない。
「それで、その…、私はどうやって持っていけばいいのか教えていただけますか。」
今の河合にはそう言うぐらいが精一杯だった。どの道、この状況下では自分のような
若造が自分自身の判断だけで何かができるとも思えない。ご主人様の命令を大人しく待
っている河合の姿を見て、直江は微笑んだ。
「さっき乗ってきた車にまた乗ればいいのよ。フリーパスで城内まで行けるから。」
そう言われてその女性にじっと見つめられた河合は、少し照れくさくなって直江のほ
うに視線を向けた。
「そやな。河合さん、そろそろ行こか。あともう少しがんばろ。我々は我々のできるこ
とにベストを尽くすしかないんや。」
「さっ、早く。もうすぐ長秀の特殊部隊と我らの親衛隊が突入するわ。」
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3.26 戦神降臨
その頃、対策本部のテントの中では、木下知事と戦士たちが対峙していた。大開の石
田理事長がその双方のにらみ合いを横から眺めていた。
「木下さん、単刀直入に言いますけど、残ってる人質との交換には、我々は喜んで応じ
るつもりです。それに人質の皆さんのことを考えたら、十二時とかそんな悠長なこと言
わずに、一刻も早く、今すぐ桜門に行く覚悟です。」
戦士たちを代表して、先頭に立つ織田が両手を腰に当て、大きく太い声で知事に進言
した。
「皆さんのお気持ちはとってもうれしいです。やはり、合戦の戦士たちはそうでなくて
はなりませんな。」
知事は、両手を後ろで組み、ひょろ長い背筋をピンと伸ばして、少し甲高い声で答え
た。そして、織田のにらみにも全く怖気づかず、何を考えているか分からない笑みを見
せていた。
「しかし、心配ご無用です。まもなく、警察の特殊部隊が突入しますから。」
「だめです!」
伊達が瞬時に反論した。
「強行突破は危険です。やつらが逆上して人質を殺したりしたらどうするんですか。」
「リスクは覚悟です。しかしはなさかの安全を脅かすテロリストどもには一ミリたりと
も譲歩なんかするわけにはいきません。知事として府民の皆さんの生活を守る義務があ
る。多少の犠牲を払ってでもやつらを全員殺します。」
まるで知事が今から自分で殺しに行こうとしているかのような迫真の言葉には、知事
の強い意志が込められていた。というより、何か怨念すら感じられた。
「木下さん、やつらは実際、甲冑を着てるんですよね。とゆうことは合戦マニアの過激
派みたいなもんでしょうし、それに我々戦士を呼び出してるとゆうことは、最後は、合
戦で勝負をつけるつもりなんじゃないんですか。だったら、まさに我々の仕事やないで
すか。」
伊達が少し角度を変えて切り込んだが、知事は逆に感情が高ぶってきた。
「あんなやつらと戦う必要なんかありません!ここで根絶やしにしたらいいんです!
あんな純派や強化派のやつらは、誇大妄想にとりつかれた伯父の負の遺産です。今後の
はなさかと大開の運営を考えれば、私がここで責任をもってさっさと抹殺致します。お
気持ちはありがたいですが、私の決断は変わりません。」
伊達は、大開の羽柴元顧問に対する木下知事の憎悪がここまで激しいものとは思って
いなかった。木下知事は、知事になる前に一時期、大開の理事を務めており、ゆくゆく
は木下が理事長になるものと思われていた。ところが大開の運営方針をめぐって対立し
て追放され、さらに木下の妻子が海外旅行先で交通事故により亡くなっているが、それ
が本当に事故だったのかどうか今もはっきりしていない。
戦士たちは、知事が放つダークエネルギーに押されて息苦しさを感じていた。しかし
先ほどまで暗い面持ちでうつむいていた朝倉が顔を上げた。
「やっぱり特殊部隊の突入はやめてもらえませんか。それでもし人質の誰かが死んだり
したら、総大将は責任感が強い人ですから、総大将を辞めはると思います。もしたくさ
ん犠牲が出たら、春日さんやったら、思い詰めて死んでしまうかもしれません。せやけ
どそんなことになったら、合戦の火は消えてしまいます。そんなことになったら私、戦
士をやめます。」
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「私も戦士をやめます。朝倉さんも私も本気です。」
紀昌美も朝倉に力強く同調した。
するとその直後、外から大ブーイングの嵐が沸き起こった。その場にいた者は皆驚い
た。
「今の会話、ひょっとして外に漏れてるんじゃないですか。」
伊達はニヤリと笑った。実際、知事と戦士たちの会話は、音声だけだが、何者かによ
って動画投稿サイトにリアルタイムで配信されていた。府は、報道機関を公園から追放
し、公園内に残っている者からも個人用のUGやUBを取り上げるなどして通信と報道
を厳しく制限していたつもりだったが、実は、戦士たちや合戦関係者が、取り上げられ
ずにこっそり持っていた二台目のUGを使うなどして、外に情報を流していた。そのた
め、公園外の世界中の人たちは、その断片的な情報を受け取りながら、固唾を呑んで大
坂城を見守っていた。
「知事、ヘキサゴンからお電話が入っています。」
「知事、外務大臣からもお電話が入っています。各国から抗議が殺到しているようです。
なんとかしろとのことです。」
「知事、アメリカ総領事館からです。武具は手元にあるはずだとのことです。」
世界の人たちにとっては純派も強化派もどうでもよく、単に、朝倉景子と紀昌美が戦
士をやめるという言葉に、それは困ると反応しただけであった。皮肉にも、このように
世界と直結したはなさかを作り上げたのは木下知事の功績だった。
知事は、たった二人の女戦士の発言によって一気に形勢を逆転させられ焦った。さっ
きまでの威勢のよさは消え、頭の中で必死にこの場の打開策を考えていた。
一分ほどの沈黙の後、知事はちらっと大型ディスプレイに映し出された時計を見た。
十一時四十分。
「わかりました。予定どおり、十二時に桜門に集合して下さい。編成は大開で決めて下
さい。時間がありません。急いで準備して下さい。やつらは殺傷能力のある武器で攻め
てくるでしょうから、良かったらテント脇にある特製の強化した武器を使って下さい。」
朝倉たち戦士五人に笑顔が戻り、知事に促されるまでもなく、石田理事長とともにそ
の場を急いで後にした。
「朝倉さん、さすがやな。俺、ほんまに感心したわ。サファイアの彗星は地球丸ごと動
かせんねや。」
テントの外に出る途中で三好政靖が朝倉に声をかけた。朝倉もまんざらではなく、
「な
にゆうてんの。うちみたいな小柄な女戦士にそんな力あるわけないやん。」と謙遜して
みせた。
すると政靖は左側の籠手の内側を右手でコンコンとたたいて見せた。情報漏洩が政靖
の仕業と分かって、朝倉は政靖とこぶしをつき合わせて微笑み、無言で礼を言った。
彼らが本部のテントの外に出ると、大勢の戦士たちが既にそこに集結していた。誰が
どう統率したのか分からないが、府内十四戦団と城下町同盟二十戦団の代表者たちがそ
れぞれ背中に幟を差して先頭に横一列に並び、歓喜の声で五人を迎えた。
「えー、皆さん、お集まりありがとうございます。私は、大開の理事長を務めておりま
す石田と申します。城下町同盟の皆さんも遠路駆けつけていただきありがとうございま
す。えー…。」
石田理事長が言葉を続けようとしたが、織田がそれを遮って各戦団に指示をし出した。
「ちょっと人数オーバーですけど、各戦団一人出して三十四人で行きましょう。先頭は、
俺と、伊達、朝倉、紀昌美の四人。やつらとの交渉が決裂したりしたときは合戦になる
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かもしれませんので、この四人は馬で行く。それから、敵は本物の刀や槍を持っている
かもしれませんので、テント脇にある強化されたやつを使っていいと知事から言われて
います。弓士は五人以上必要だから調整して下さい。じゃあ、五分後に、出陣する者は
橋の手前に整列して下さい。以上!」
大喜びしたのは、城下町同盟の戦士たちだった。犯人側からは三十人と要求があった
ため、府内の戦団から二、三名ずつ出すということになるだろうと半ばあきらめつつ、
あきらめきれずに集まってきていたからだ。合戦界全体の一世一代の大勝負に、一員と
して参加できるということは名誉なことであり、それぞれの地元に戻って土産話もでき
る。
戦士たちは、知事が用意してくれたことになっている武具を見てどれを使おうか選ん
でいたが、朝倉は、真柄が自陣から持ってきてくれた愛用の四つ星の槍を手にしたまま、
武具を取り替えるか悩んでいた。そこに置かれていた武具は、本物の槍や刀や弓矢では
なく、規格品に改造を加えたものなので、見た目はいつも使っている規格品によく似て
いたが、朝倉が槍を手に持ってみると、いつも使っているものよりもやや重く、重心も
やや前よりだった。そのため朝倉にとっては、本物でも規格品でもないこれらの武具が
どうも中途半端なものに思えた。
織田が言った五分が経とうとして、戦士たちが、桜門に伸びる土橋のたもとに集まり
始めるや、朝倉はいつもの武具でいこうと意を決して馬に乗ろうとすると、後ろから聞
いたことのある声が自分を呼んでいるのが聞こえてきた。
「ケイちゃん!ちょっと待って!」
朝倉の頭に電撃が走り慌てて振り返ると、河合が右手を振りながら左手で槍を持って
走ってきていた。びっくりした朝倉は、その細い目を最大限広げて思わず息を呑んだ。
河合は息を切らして朝倉のもとに駆け寄ってきた。
「ぎりぎり間に合った…。ほんま…、無理かと思たけど、よかった…。」
朝倉は、この状況が理解できず、口から言葉がなかなか出てこなかった。
「これ、ケイちゃんに。本物の槍やから。」
河合は両手で朝倉に、その華麗な装飾を施した特注の槍を差し出した。
「私に…。」
朝倉は、そばにいた真柄に、持っていた四つ星槍を渡した上で、そっと両手でその高
貴な槍を握った。
「持ち主がいはるんやけど、ぜひ使ってほしいってゆってるらしいから。」
朝倉はうつむいたまま黙っていた。河合はその様子を見て、やはり危惧していたとお
りかと思い、焦った。
「あっ、いや、ほんま、ケイちゃん、危険なとこ行くのに、俺、こんなことしかでけへ
んから…、その…、全然大したことないんやけど…。」
朝倉はうつむきながら頭を左右に振って、河合の顔を見上げた。瞳をうるうるさせ涙
があふれてこぼれていたが、幸せいっぱいの満面の笑みだった。
「ありがと。うち…、ずっと待っててん。ヨシくんにケイちゃんって呼ばれるの、ずー
っと待っててん。ほんま…、うち…、めっちゃうれしいねん。」
周りに誰もいなければ河合の胸に頭を押し当てたい気持ちをこらえて、朝倉は涙を拭
いて、一旦槍を河合に預けた上で馬に飛び乗り、再びそれを受け取った。そして手綱を
引いて馬の頭を河合のほうに向け、
「ヨシくん、待っててや。今度は絶対負けへんから。
最強のドリームチームで勝負するんやから、負けるはずないわ 。
」と笑顔で自信たっぷ
りに言い放った。
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「がんばってや。決勝戦でかなり体痛めてると思うけど大丈夫なん?」
「えっ?あぁ、さっきまで痛いの残ってたけど、今はばっちりやで。」
あれだけ織田にぼこぼこにされながら、今、本当に全く痛みがないのであれば、信じ
られないほど恐ろしい回復力であり、河合は、やはり朝倉景子は普通の人間とは違うと
改めて感じた。
「あっ、それからこれ、城の概観図。迷たら参考にして。」
河合は、本丸と山里丸の概観と本丸御殿の見取り図が表裏にかかれたA5サイズの紙
を朝倉に渡した。OCR関係者用に作られたもので、各建物の名前や寸法なども細かく
書かれている。朝倉は、
「ありがと。
」と言って受け取り、二つに折って胴の中に入れた。
そして、女の子らしく小さく手を振った後、馬首をさっと反転させ、集合場所に悠然と
馬を進めた。
既にそこで待っていた織田と伊達は、馬上からこちらにやってくる朝倉の姿を見るや
驚いた。
「お、織田さん、朝倉の顔…。」
「あぁ、な、なんかすごいなあいつ。」
河合に背を向けた瞬間、朝倉の表情は一変していた。もはや闘志がみなぎるというレ
ベルをはるかに超え、朝倉の顔は無表情だった。気合が入っているのかどうかすら分か
らず、全く何を考えているのか心が読めず、それゆえその目でにらまれると恐怖で心が
震え上がり、織田や伊達のような勇猛な戦士でさえ戦意を喪失させるぐらいの迫力を感
じさせた。
「まるで鬼か戦神が朝倉に降臨したかのような、なんか、私…、こんなオーラを感じた
んは初めてですね。」
「確かにな。総大将が朝倉を合戦界最強の戦士って言ってたのは、そうか…、分かって
たんだな。いやぁ、すごい。この勝負、全く負ける気がしない。さあ、伊達君。ショー
タイムの始まりだ。我々も思う存分、暴れようぜ。なんてったって、こっちには戦いの
女神がついてんだから、何をやっても大丈夫だぜ。」
「そうですね。でも、あいつ、どさくさに紛れてこの間の仕返しでもされたら、間違い
なくこっちは殺されますわ。」
「はっはっはっ。俺ももうちょっと手加減しとけばよかったな。こわい、こわい…。」
一方、本部のテント内にいる木下知事は、ディスプレイで戦士たちが桜門の前に集ま
りつつあるのを見て、ズボンのポケットからSUG44を取り出し、指示を出した。
「直ちに掃除しろ。」
44
秘匿通信が可能な特別仕様のUG。通信を傍受されると大きな悪影響を及ぼしうる、限
られた要人のみが使用している。秘匿通信はSUG同士でないとできず、普通のUGとは
通信できない。もちろん私用で使ったり他人に貸与したりすることは禁じられている。
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3.27 本丸突入
戦士たちが本部のテント内で知事と話し合っている頃、本丸御殿の大広間では、改め
て第ゼロ戦団と武田理事、一橋室長との交渉が行われていた。といっても、それは第ゼ
ロ戦団からの最後通牒の表明であった。
「おまえたちの汚い魂胆はよく分かった。ま、これまでの数々の裏切りを考えれば、今
回も裏切って当然といえば当然。それならそれで、我々も正義の鉄拳を加えるために、
人質たちを戦士たちに入れ替えた後、おまえらも含めて全員殺すしかないようだな。」
「言いがかりはやめろ。我々はおまえたちと何か裏取引をやったつもりはない。だから
何も裏切ってはいない。」
武田が新明に反論したが、新明は鼻で笑って、「それは武田さん、あんたが知らない
だけだ。」と小ばかにした。
「じゃあ聞くが、武田さん、あんたはどうしてここに送り込まれた?もし大開にとって
あんたが必要不可欠の人間ならそもそも人質に差し出したりしないんじゃないのか。一
橋さん、あんたもそうだ。お二人とも既に組織に裏切られてんだよ。」
「それは違う!我々は自分の意思でここに来たんだ。それは、総大将も…。」
武田がそう言いかけて、ふと気づき、「我らの総大将はどこにいる?なぜここに来て
ないんだ。」と疑問を呈した。
「彼女に何か決めれる権限があるわけでもないし、ここにいる必要がないから来ていな
いだけだ。」
「いる必要がないんであれば、いても害はないでしょう。総大将をここに呼んで下さ
い。」
一橋が、新明の言葉の端をつかんで切り返した。しかし新明は、「その必要はない。
」
と重ねて拒否した。
「さっきまで同席させておきながら、なぜしつこく断る?さては、おまえたち総大将に
何か…。」
武田は言いかけた言葉を捨てて勢いよく立ち上がり、座っていた椅子を蹴り倒して 、
「総大将を出せ!今すぐここに呼べ!」と怒鳴った。新明も負けてはいなかった。
「俺に命令するな!」
一喝するや、胴の内からピストルを取り出し、武田に銃口を向けた。
「おまえたちを交渉相手に選んだのは間違いだった。やむを得ん。殺すしかないようだ
な。」
新明がまさに引き金を引こうとした時、「やめて!」と背後で声がした。
「お願い。お父さんを…、殺さないで。私を…、一人ぼっちにしないで。」
大広間の一つの障子が開けられ、上杉春日が現れた。しかし彼女の顔面の左側は赤く
腫れ上がり、左の鼻の穴には止血のためにティッシュを詰め、口からも出血の跡が残り、
左手で右肩を、右手で腹部を押さえながらよろよろと歩いて中に入ってきた。武田も一
橋もその姿が目に飛び込んでくるや驚きのあまり言語を失い、腰が抜けそうになった。
「は、晴美…。」
上杉春日こと武田晴美の父親である武田理事がやっとのことで言葉を発すると同時
に、新明が、「なぜ連れてきた!」と彼女に付き添ってきた男に詰問した。
「す、すみません。どうしてもここに来たいと言われたんで…。」
その男は、春日の肩を担いで隠し曲輪から連れ戻し応急手当をした者だった。
新明がその男のほうを向いているのを見て取り、武田は怒りを爆発させて新明に殴り
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かかかった。
「きさま!俺の娘によくもやったな!」
周りの団員が団長から武田を引き離そうと詰め寄り武田を背後から取り押さえよう
とし、一橋はそうはさせじと武田を助けようと団員たちにつかみかかり、男たちの乱闘
が始まろうとすると、春日が、「やめて!みんな、お願い!お父さんもやめて!」と訴
えた。
娘に叱られて武田が自発的に新明から離れ、辺りは落ち着きを取り戻した。
「もう、こんなこと、やめて。うんざりよ。こんなことしたって、何も…、何も解決し
ないでしょ。なんで…、そんなことも分かんないの。」
そう言い終わると、無理をしておなかから声を出しすぎたため腹部の痛みが増し、う
うっとうめき声を出してその場にしゃがみこみ、さらにその体勢も維持できず、右腕を
下にしてその場に前から倒れこんでしまった。武田は慌てて春日のそばに駆け寄ってし
ゃがみ、
「すまん、晴美。ようがんばった。もういいよ。」と言って彼女の顔を少し起こ
して、彼女の黒髪を優しくなでた。しかし春日はあきらめていなかった。腹を抱えなが
ら苦しみながら、
「新明さん…、お願い…、もうやめて…。」と小さな声で必死に訴えた。
新明は、
「うるさい、俺に指図をするな。」と聞く耳を持たなかったが、何度も何度も繰
り返し弱々しい声で請願され、だんだん参ってきた。
この状況に耐えられなくなった新明は春日に対し、「もう、いい。
」と一言言って、さ
らに何か言おうとしたが、その時、バタバタ慌てた足音が聞こえ、突然、障子が開いた。
「敵襲!山里丸に敵、侵入!甲冑を着けてないので戦士ではありません。ライフル銃を
持ってます。」
「何者だ!警察か!」
「分かりません!ただ警察とは思えません。両手を挙げた者も容赦なく殺されていま
す。」
「数は!」
「おそらく二十ほど。」
新明は、武田と一橋に怒りの眼差しを向けた。武田と一橋は、そいつらが警察ではな
く、自分たちの知らない殺し屋たちだと説明したが、新明は信じなかった。
「おまえたちには本当にうんざりだ。どうやら、人間は生まれつき、憎しみ合い、傷つ
け合うようにできているようだな。そっちがその気なら、こっちもやるべきことがある。
今から、おまえたちを含めて人質全員を殺す!」
その時、再び障子が勢いよく開けられた。
「たいへんです!新たな敵襲です!隠し曲輪辺りから侵入!親衛隊です!」
「なんだと!いったい、いくつ地下道があるんだ。やつらも銃を持ってるのか!」
「はい。ただ…、親衛隊は最初の敵と交戦中です。天守の西側辺りで撃ち合ってます。」
「意味がわからん!数は!」
「分かりません。しかし十人もいないようです。」
それを聞いた武田は、親衛隊は十六人いる隊員を二手に分け、一方は地上に出て暗殺
集団が山里丸から本丸に上がってくるのを防ぎ、もう一方は天守の地下にある中央制御
室に、おそらく黒田ら技術者を連れて向かっているに違いないと考えた。第ゼロ戦団は
中央制御室の存在を知らないはずだからここを押さえれば、桜門を遠隔操作で開けて戦
士たちを中に入れることができる。しかし、地上組は相手の数に比べると少なく、戦士
たちが来るまで持ちこたえることができるか不安だった。それは春日も同様に感じたよ
うだった。
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「お願い、新明さん。私を殺したければ…、殺していいから、人質や親衛隊を…、殺さ
ないで。親衛隊はあなたがたを…、攻撃してないでしょ。殺し屋たちがあなたがたを殺
していけば…、人質が殺されるって分かってるから…、だから…、加勢してるのよ。だ
から…、新明さん…。」
息が続かず途切れ途切れに訴え、最後のほうは声になっていなかった。どのような状
況になっても、また自分がどれだけ苦しくても説得をやめない春日の根性に、新明は正
直、うんざりしていた。
「総大将、も、もういいです。無理なさらないで下さい。どうか、あとは我々にお任せ
下さい。私は、もうこれ以上、総大将が苦しまれるのを見てられません。」
それは総大将に嘆願する一橋室長だけでなく、武田理事も、さらに周りに控えていた
第ゼロ戦団の者たちもおそらく同じ気持ちになっていた。
「分かった。人質はしばらく殺さん。しかしやつらが互いに殺し合ってる横から双方を
同時に攻撃する。兵を天守の西側と北側に集めろ。」
新明が報告に来た男に命令した。この時、第ゼロ戦団は、山里丸を警備していた八人
が全員正体不明の集団に射殺されていたものの、本丸には全部で三十三人おり、そのう
ち本丸御殿とその周辺にいた者及び人質の見張り役の中から十六人を天守の北側と西
側に同じ数ずつ配置した。そして、桜門と多聞櫓を固めていた十人については、門を閉
めている限り戦士たちは簡単に入れないと考えて、四人をその場に残し、あとの六人を
手薄になった御殿の警備に当たらせた。
春日がさらに何かを言おうとしたが、もはや声が出ないため、武田がそれを代弁する
かのように、「なぜ親衛隊に対しても攻撃する!」と抗議した。
「悪いが、味方とも思っていない。」
しかし第ゼロ戦団は、柿崎たちの命がけの作戦にまんまと引っかかっていた。
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3.28 場外大乱闘!ドリームチーム及び親衛隊対忍者集団対第ゼロ戦団
親衛隊の地上組、柿崎隊長を含め総勢八名は、黒田の誘導によって地下道から隠し曲
輪の中に建っている小屋に上がってくると、すぐさまその脇にある櫓 45に登り、そこか
ら辺りを見渡して、山里丸から上がって来た忍びの集団との銃撃戦で彼らを足止めし、
さらに本丸の南側から近づきつつあった第ゼロ戦団にも銃口を向け、時々威嚇発砲した。
一方、地下組は、地下道をさらに進み、天守のちょうど真下にある中央制御室に到着
した。幸い、忍者たちもこの制御室の存在は知らないようで、部屋の中は無人だった。
制御室の各設備はまだ百パーセント完成していないが、復元されている城内の門はここ
ですべて開閉可能であり、また張り巡らされた地下道のどこを通しどこを封じるかの制
御も可能だった。
「黒田さん、何してんだ…。弾薬がいつまで持つかわからん。」
地上組の柿崎はいらいらしていた。やはり八人だけというのは無理があったかと悔や
んだ。残り八人を地下にまわしたのは、本丸内の地下道をさらに進んで、忍者たちが登
ってきた山里丸の一角から同じように出て、彼らの背後からも襲いかかり、挟み撃ちに
しようと考えたからだ。しかし忍者たちが使った通路へのアクセスはロックがかかって
おり、黒田が言うには中央制御室でそのロックを外すしかないとのことだった。
黒田も焦っていた。制御装置が起動しすべて操作可能になるまで五分くらいの時間を
要した。
「藤堂のやつ、もっとええマシン使えよ。動きが遅いんや。」
焦っていたのは、桜門前の戦士たちも同様だった。銃撃の音が聞こえ、十二時を前に
して城内で予想外の戦いが始まっているのは明らかだった。
しかし問題は二つあった。
一つは、誰と誰が戦っているのかが分からないことだ。
もう一つは、一刻も早く門内に入り人質を救出し戦闘に加わりたいが、どうやって中
に入るかだ。この頑丈な門を開けるのは難しいため塀を乗り越える案も出されたが、乗
り越えようとしたところを銃や弓矢で狙われる危険性がある。
「朝倉さん、どう?」
紀昌美は、朝倉に馬を近づけ彼女の意見を聞いた。
「さっきから櫓の様子見てたんやけど、敵の数減ってるみたいや。たぶん、銃撃戦が北
側でやってるから、そっちに行ったんちゃうかな。」
門の奥にコの字型に櫓を組み桝形を作って敵の侵入を防ぐ多聞櫓の格子や小窓から、
最初は敵兵の影がちらちら見えていたが、今は全く気配が感じられなかった。
「じゃあ、思い切って塀、越える?」
紀昌美の提案に同意し、先頭にいた織田に伝えた上で門の前に二人が進み出たとき、
突然、桜門がゆっくりゴロゴロ音を立てながら開き始めた。左右に開く扉の奥に影が動
くのが見えるや、紀昌美が、「下がって!」と叫び、腰につけた空穂(うつぼ)から素
早く矢を取り出して番え、弓を起こして矢をぐっと引っ張り、勢いよく放った。
空を切る音とともに見事に命中しその影が後ろに倒れ、紀昌美がガッツポーズを決め
45
OCRによって復元されている。本丸の天守西側から山里丸に通じるこのエリアはすべ
て復元されていた。そのため、山里丸から本丸に登ってくるには、塀に囲まれ見通しが悪
い中、蛇行しながら三つの門を突破しなければならない。
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ると、チーム全員がオーッと雄叫びを上げた。紀昌美が使った矢は鏃が金属製のもので
あり、普段、合戦で使っているゴム製のものとは違うため重さや空気抵抗が違うが、紀
昌美は大学で、弓道部の特別部員として時々練習に参加させてもらい、金属性の鏃の矢
でも射ているため、彼女の実力からすればそれほど難しいことではなかった。
そして、桜門の向こうにいたもう一人の影が怖気づいてさらに奥へ逃げ出すと、織田
が、「全員、中に入る。静かに駆け足で進め!」と号令をかけた。織田、伊達、朝倉、
紀昌美の騎士四人が先に門をくぐって中に入り、まず先ほど紀昌美の矢を受けた敵兵に
朝倉が槍の穂先を向け武器を捨てさせ、その上で辺りを見回しほかに敵が一人もおらず、
三方を囲った多聞櫓の右側の櫓にだけある門も開いているのを確認した。
「やつらは、この枡形を全く有効に使ってへんな。ここが最大の難関やったのに。」
伊達が言うように、もし第ゼロ戦団がこの三方を囲む櫓から矢や銃弾を浴びせる形を
とっていれば、いくら勇敢な戦士たちでもここを突破するにはまさに死を覚悟する必要
があった。しかし第ゼロ戦団は、弓や銃を持っている者をすべて北側にまわし、しかも
たったの四人しか南側に配置しなかったので、門が開いてしまうと戦士たちに難なく入
り込まれた。
戦士たちは騎士四人を先頭に隊列をなしてその多聞櫓の門を走り抜け、本丸御殿の玄
関前の広場に出た。そこには、先ほど逃げ出した者を含め五人の男が真っ黒の細身の鎧
を着て玄関前を警備していた。双方、槍の穂先を前に向け、弓に矢を番えてにらみ合う
中、織田が一歩前に出て、
「門が開いたので、おまえらの望みどおり戦士一同参上した。
さっさと人質たちをここに連れて来い。」といつもの大きな声で要求した。すると、そ
の警備隊のリーダーらしき男が、
「まずは馬を降りろ。それから槍と弓を下ろせ。
」と逆
に要求した。織田は落ち着き払って、
「よかろう。
」と返事し、左手を上げると、戦士た
ちは皆一斉に構えを解いた。と同時に敵方もそれに応じた。
織田たち四人の騎士たちが馬から降りて、ほかの戦士たちの前に横一列に並ぶと、そ
の男は、にやにやしながら近づいてきた。そして紀昌美の前に来て立ち止まり、
「ほ~、
本物はやっぱ、いいねぇ。
」と言って、彼女のあご先を手で触った。紀昌美が嫌がって
顔を背けようとした瞬間、左隣にいた朝倉が持っていた槍を手放し、その男の顔に正面
から鉄拳パンチを食らわせた。
「触んな、ボケ!」
罵声を浴びせるや、朝倉はさらに男の右手首を取ってねじりながら男の背後に回り、
右腕を締め上げた。そして、男の腰に差していた脇差を左手で鞘から抜き取って首に当
てた。
「さあ、さっさと人質らをここに連れて来い!せやないと、こいつの首、どうなっても
しらんぞ。」
朝倉の鋭い目力で脅され、御殿の玄関前にいた敵兵たちもたじろいだ。
「きさま、人を殺したことないくせに。えらそうな…。」
腕をねじられている男は痛みをこらえながら、朝倉に反抗した。
「ふん。卑怯な人殺しなんかに、うちがためらうとでも思てんのか。」
「人を殺せば、おまえも悪人になるぞ。」
「そんなもん、わかっとるわ!おまえらだけで地獄に行くんか、地獄の果てまでおまえ
ら追いかけにうちも一緒に地獄に行くんか、どっちかさっさと選んだらええんや。」
そう言って朝倉は、その男の右腕をさらに締め上げた。男は痛さのあまりうめき声を
上げた。辺りの空気はなお一層張り詰め、もはや誰も手も足も動かすことができなかっ
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た。
「おっそろしい女や…。あいつの脅しは誇張に聞こえんからなぁ。まさに地獄から来た
使者やで…。ほんま、地獄の鬼も逃げよるわ…。」
織田を挟んで様子を見ていた伊達は、朝倉が自分の味方であって本当に良かったと思
った。しかし和泉の小次郎も炎の覇王も、この雰囲気を楽しんでいるのか、口元にはう
っすら笑みを見せていた。それは彼らが朝倉を信頼している証拠であった。サファイア
の彗星ほどの超一流の戦士になると、たとえそれが危険な行為であっても、望まぬ結果
に至ることはないだろうという不思議な安心感を抱かせるのであった。
しかし、この息苦しい緊張した場面は敵方の無責任な行為によって突然破られた。本
殿の玄関の奥のほうからひゅぅっと一筋の矢が放たれ、織田の兜の水牛の角の形をした
金色の立物の片方に当たり、角の先を射落とした。それは、侍にとっては屈辱以外何物
でもなかった。炎の覇王の形相は一気に怒りに満ちたものとなった。もはや問答無用。
「おまえらの考えは分かった。かくなる上は是非に及ばず…。」
織田が槍を持つ右手を上げ、
「皆の者!」と叫ぶと、戦士一同が一斉に槍や弓を構え、
織田たちよりも前に出てきた。このドリームチームの構成員は、ほとんどが警察や自衛
隊出身の戦士で固められていたため、彼らの職業倫理として、こうした犯罪者集団を前
にして、戦士といえども一般市民である織田たちよりも後ろに引っ込んで戦うなどあり
得なかった。
「かかれーっ!」
戦士たちがヤーッ!と勇ましい声を上げて、御殿の玄関前で双方がぶつかり合った。
時計の針が夜の十二時を示し、辺りは暗かったが、その瞬間、その周辺に設置されてい
る照明が最大限の明るさで光り出し、広場一帯が明るく照らし出された。
「朝倉!直ちに十人ぐらい連れて東側の人質を救出しろ!ここは俺たちで何とかす
る!」
こうなるより仕方なかったとしても、何よりも人質の救出を最優先しなければならな
い。人質たちが本丸の東側の広場にいることは、既に開放された人質から聞いて分かっ
ていたため、織田は、合戦界最強の戦士・朝倉景子にその任務の遂行を求めた。
「了解!」
「朝倉様、後は我々にお任せください。」
周りの戦士たち三人が、朝倉が首に脇差を当てていた敵の男の両腕をつかんで、隠し
持っていた手錠を背後でかけ、朝倉に手を離すよう促した。朝倉は 、「よろしくお願い
します。」と言ってプロに任せることにして、持っていた敵の脇差をその場に捨てて、
その男に、
「ふん。命拾いしやがって。」と、地獄の使者として役目を果たせず残念な気
持ちを伝えた。
「どうやら、失敗したようだな。」
御殿の大広間にいた武田は、新明団長にニヤリとして見せた。桜門が勝手に開いたと
いう一事をもって、黒田たちが地下の制御室を乗っ取ったのは明らかだった。そうなる
と、もはやこの巨大軍事要塞は自分たちの思うがままである。
第ゼロ戦団は、いきなり桜門が開き、戦士たちが中に入ってきたことを、全く理解で
きず衝撃を受けた。しかし今、主戦力を、天守跡の西側の親衛隊と山里丸に現れた謎の
集団との交戦に当てているため、桜門から入ってきた戦士たちとは、武器を下ろして対
応し、人質との交換にゆっくりと応じて時間を稼ぎたかった。ところが、南側でも交戦
が始まってしまい、第ゼロ戦団は大混乱に陥った。新明は、天守の西側に配置した八人
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を慌てて御殿に呼び戻し、南側の戦士たちにぶつけた。
桜門が開いた時、黒田たちの制御室からの操作により、山里丸から本丸への通路上の
門はすべて閉じられた。これにより本丸と山里丸とは分離され容易に行き来することは
不可能となった46。
また、制御室から山里丸に通じる地下道をふさいでいた扉のロックも外したため、親
衛隊の地下組が山里丸の北東に建つ櫓から地表に出て、復元中のいくつかの建物の影に
隠れながら、背後から忍者集団に銃撃をし始めた。中央制御室から城内の監視カメラを
操作し、忍者集団の居場所をリアルタイムで親衛隊の隊員に伝えていたため、忍者たち
は徐々に追い詰められていった。
対策本部のテント内にいた木下知事は、掃除を頼んだ相手からちっとも情報が入って
こないのでいらいらしていた。このテントに入ってから十本目のタバコをぐりぐり灰皿
に押し当てていると、知事のSUGに電話が入ってきた。画面には、「発信者:東山の
方」と表示された。
「長秀さん。今回は、ちょっとやりすぎやないですか。そろそろ、ここらで引いときは
ったほうが、身のためやと思いませんか。」
落ち着き払ったその声に知事は、冷や汗を垂らしながら従わざるを得なかった。今回、
知事はその掃除屋に、爆弾や重火器は持たせなかった。城内でそうしたものを使うと、
OCRで復元しつつある建物を燃やしてしまうおそれがあるし、また人質がいる前で使
えば多くの犠牲を出すおそれがあったからだ。しかしそうした制約下で急襲をかけるの
であれば、敵が拠点を置く本丸御殿の近くから侵入すべきであったのに、なぜかその地
下道を選択できず、山里丸から入るルートを選ばされた時点でかなり不利になっていた
のだ。
忍者たちは所詮、金で雇われた者たちだったため、次第に形勢が不利だと分かると、
親衛隊たちに投降し始め、山里丸が親衛隊により奪取されるのは時間の問題だった。
46
山里丸から本丸の天守の北側に登れるように作られていた階段と通路はOCRにより取
り潰され、埋められている。
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3.29 恐怖の人質救出作戦
「キミちゃん、行こか。」
前を向いたまま朝倉が後ろにいる紀昌美に声をかけると、紀昌美は、
「はい。
」とかわ
いく答えた上で、「あの…、さっきはありがとう。
」と礼を言った。
「ええんよ。キミちゃんのかわいい顔触るやなんて、あんな罰当たりなやつ、しばいた
ったらええんや。」
紀昌美は、その大きな目で朝倉の背中をじっと見つつ、朝倉が毎年バレンタインデイ
に同性から山ほどチョコレートをもらう理由が改めてよく分かった。そして、来年は特
別な何かを贈りたいと思った。
朝倉は織田の命令に従い、隣にいた紀昌美と、周りにいた七人の槍士、二人の弓士、
救急箱を携えた救護係三人を集めて人質救出班を組織した。そして河合からもらった本
丸と山里丸の概観図を素早く広げて位置と方角を確かめた上で、馬に乗り、御殿の玄関
前から東に向かった。すると制御室の操作により、朝倉たち救出班を誘導するかのよう
に彼女たちが進もうとする先が照明で照らされ、それに従って今度は北に折れ、途中に
あった門も自動的に開けられ、人質が集められていると言われた天守跡の東側の広場に
まっすぐ走った。当然、馬に乗っている朝倉と紀昌美が先に人質たちの前に着き、二人
が現れると歓声が上がった。
二人はその歓迎の声に対してニコリともせず、紀昌美はすかさず見張りの兵二人に矢
を放ってそれぞれの腿に矢を突き刺し、続けて朝倉が、その矢が刺さって動けなくなっ
た者に馬で突進して槍で彼らの頭を上から一人、二人、と叩き倒した。
すると槍を持った三人の男が尋常とは思えない速さで二人のほうに正面から走って
近づいてきた。彼らがMRした戦士であるのは明らかだった。紀昌美はマシンのように
正確にそのスピードを計算し、そのうちの一人の肩に矢を当てたが、装甲が厚いのか矢
が突き刺さらなかった。
「キミちゃん!馬でかき回すで!」
二人は、馬首を反転させ二手に分かれて、敵兵に追いつかれないぎりぎりの速さでそ
れぞれ馬をジグザグに走らせてみた。そして追いかけてくる相手の様子を見て、朝倉も
紀昌美もすぐに彼らの弱点を見抜いた。彼らはMRして強くなった自分のパワーを制御
しきれておらず、方向転回しようとしたときに、勢い余って二、三歩前に走りすぎてい
た。
そこで朝倉は、最も近くにいたMR男に、「おまえら、ちょっと待て!馬、降りたる
から勝負しろ!」と話しかけて馬から飛び降り、さらに持っていた槍を放り捨て、手に
何も武器を持たずに、ボクサーのファイティング・ポーズをとった。
「構へんで。おまえの持ってる槍で突いてこい!」
朝倉が挑発するとその男は、彼女の言うとおりに槍でまっすぐ突いてきた。MRされ
た腕力ゆえにその穂先のスピードは超一流の槍士と同じぐらいであったが、朝倉の動体
視力も超一流。素早く左によけつつ、その槍の柄を右手で握り、ぐいっと右に引いて流
した。男は、本来の自分の力以上にスピードが出ているため、前傾姿勢を元に戻すこと
ができず、勢いよく前に倒れこんだ。すると朝倉は腰に差している刀を抜き、男が立ち
上がろうとする前に、その背中の上から右肩を思いっきり叩き、男が痛がって体を右に
よじらせ左側の腰を見せると、男の左腰に差していた刀をさっと抜き取り、左の腿にぐ
さりと突き刺した。
まさに朝倉の真骨頂。接近戦での得意の攻撃パターンが見事に決まり、彼女の顔が思
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わずにやけた。
「力は強いんかもしれんけど、自分で制御でけへんねやったら、そんなもん捨ててま
え。」
朝倉は一言お説教をした上で、その刀を持って、
「次はおまえや。」と近くにいた別の
MR男にその血のついた刃先を向けた。さらに別のもう一人の男が既に救出班の十人の
戦士たちに取り囲まれているのを見て、朝倉は、「もう一人がやられるんは時間の問題
や。おまえはどうすんねや?」と尋ねた。
その男は、先ほどの男が槍を持っていたがゆえにやられたのを見て、自ら槍を捨て、
腰から刀を抜いた。
「ひとつ、かしこなったみたいやな。せやけど、おまえらと違ってうちらはプロやから
な。」
その時、朝倉は、その男の背後の様子をしっかり見ていた。
「今度はうちから攻めたるからな。よぉ見とけよ。」
そう言って朝倉は、相手の目をじーっとにらみながら、頭の中でゆっくり三つ数える
と、「やーっ!」と大きく叫んだ。そして次の瞬間、その男は右の尻に激痛が走り、う
めき声を出してその場に倒れた。背後から忍び寄っていた紀昌美が、男の捨てた槍を素
早く拾って後ろから刺したのだ。
「朝倉さんが言ったでしょ。うち『ら』はプロなのよ。朝倉さんに見とれてたの?」
今度は紀昌美がお説教をしてその男の腰から鞘ごと刀を奪い取り、自分が持っていた
刀と交換した。異常を知った敵兵二人が本丸御殿のほうからこちらに近づいてきていた
からだ。
朝倉は落ち着いて、戦士たちに取り囲まれている三人目のMR男に近づいていった。
そして刃先を男の眉間にぎりぎりまで近づけ、
「武器を捨てろ。
」と迫った。相手が震
えながら槍や刀を放り出すと、さらに、「この辺りにいる仲間全員に武器を捨てろと言
え!」と恫喝した。相手がさらに震え上がりながらも怖くて応じようとしないと 、「ゆ
うとくけど本物の刀やから、ゆうとおりにせんかったら、おまえが血しぶきあげるだけ
やで。
」とにらみをきかせて低い声でゆっくりと語りかけた。既に鬼神か戦神か何やら
恐ろしいものが乗り移っている朝倉の不気味なほど無表情な顔と冷酷で威圧的な声の
調子から、敵方のみならず味方も人質たちも、朝倉が本気で目の前の男を殺すつもりだ
と感じた。そのため朝倉が、「早く言え!」と叫んで刀を一旦引き、振りかざしてその
男の頭に振り下ろすと、寸止めしたにもかかわらず、その男は気を失って倒れ、それを
見ていた敵兵二人は、朝倉たちから十メートル余り離れたところで立ち止まり、それ以
上近づくのをためらった。
「おい!きさまらそれ以上攻撃すると、ほかにいる人質たちを殺すぞ!」
その敵兵の一人が救出班のほうに向かって脅した。この広場には人質が二十人余りし
かいなかった。ということは、残り約十人は犯人側の支配下のどこかにまだいることに
なる。人質を一箇所に全員集めてしまうと、一気にすべて奪い返されるおそれがあるた
め、分散させていたのだ。
「話がある。おまえらの仲間五人、見てのとおり、救護が必要や。せやから、おまえら
が残りの人質全員解放したら、我々はこいつらをちゃんと手当てしたる。おまえらが何
もせぇへんのやったら、我々もこいつらをほったらかしにする。おまえらが人質を一人
でも殺したら、我々はこいつら全員殺す。どや?おまえらどうすんねや?」
朝倉は、槍の穂先を、先ほど紀昌美の槍で突かれてうずくまっている敵兵の頭を軽く
突っつきながら、近づいてきていた二人に威圧的にゆっくりと話して提案した。しかし
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十秒経っても回答がなかった。そこで朝倉は、今度は倒れている五人に向かって 、「お
い、おまえら!おまえらの味方はアホか薄情もんかどっちや!なんで、あいつらは即答
でけへんねや。答えろ!」と怒鳴った。
広場には人質を含めて三十人ほどいたが、誰も一言も発しなかった。恐ろしすぎて言
葉が口から出ようとしないからだ。朝倉から回答を求められている敵兵の一人が助けを
呼ぼうと、うかつにもUGを使い誰かと連絡をとっていた。しかし何か言い合っている
ようで、何らの回答もすぐには出そうにないとみるや、朝倉は 、
「弓士諸君!目標に向
かって構えろ!」と紀昌美と弓士二人に命じた。三人はお互いに声を掛け合った上で矢
をギリギリっと引き、的を注視した。
「ま、待ってくれ。今、ちょっと話をしている。」
UGで話をしていないほうの敵兵が朝倉らに時間を求めた。しかし朝倉は相手の要求
に応えるつもりはなかった。
「キミちゃん。あいつのUG、射抜ける?」
「やってみる。」
紀昌美が的をにらみながら冷静にそう答えると、朝倉は 、「放て!」と合図した。一
斉に矢が放たれ、見事、紀昌美の矢がそのUGを粉砕し、残りの二本の矢も敵兵それぞ
れの肩の辺りに突き刺さり、すっかり怖気づいた二人は慌てて本丸御殿のほうに逃げて
いった。朝倉は、ふんと鼻で笑って、
「情けないやっちゃ。話にならんわ。」とつぶやき、
救護係に対して、「こいつら、はよ手当てしたって下さい。
」と指示した。
すると、彼女の近くで悲痛な顔をして倒れていたMR男が、
「なぜ、助けようとする…。
ほったらかしにするんじゃなかったのか。」と弱々しい声で尋ねた。
「アホか。人質とって戦うような卑怯もんと一緒にすんな。弱いもんいじめていきって
るようなやつはカスじゃ、ボケ。」
朝倉が冷たい目をして悪態をつき立ち去ろうとすると、先ほど朝倉に左腿を刺された
男が左足を引きずりながら這って朝倉の元に近寄り、「ま、待ってくれ。人質は御殿の
北側にいる。」と白状した。そして、敵に傍受されないよう使用を禁じていたはずのU
Gを鎧の下から取り出して起動させ、「今から、アホで薄情な味方に電話してやる。
」と
言ってコールした。
「俺だ。残念ながらやられた…。かっこ悪いが敵に捕まってる…。頼む。人質らを解放
してくれ…。そうだ、いや、団長になんか言うなよ。よし…。もたもたするな。敵のお
頭は…、鬼だ…。とてもかなう相手じゃない。瞬殺されるぞ。」
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3.30 紀昌美、危機一髪
どうやらその男は強化派の一味のリーダーのようだった。所詮、第ゼロ戦団は異なる
主張を持つグループの寄せ集めであって、もともと組織全体を通して統率が効いておら
ず、また日頃から互いに意思疎通を図っていたわけでもなかったため、突如予期せぬピ
ンチが生じるや、おのおのが疑心暗鬼になって好き勝手に行動し、なお一層混乱し、場
当たり的な対応が積み重なり、ただただ流れに任せて組織的崩壊へと突き進んでいた。
五分後、人質十一人が敵兵二人に連れられて広場に戻って来た。そしてこれで人質全
員そろったことが確認できた。
「ご配慮、感謝します。」
朝倉がその強化派のリーダーらしき男に一言礼を言うと、その男は、何か言おうとし
たが思い留まり、下を向きながら、「我々のことは放っておいて、人質たちを外へ。
」と
だけ答えた。
天守跡の東側を制圧し人質全員の確保に成功した救出班は、人質たちを本丸から脱出
させるべく動き始めた。救助班が来た道を戻るコースも考えられたが、本丸御殿の南側
は戦闘中であるため、天守跡の北側を通って西側に抜け、そこから山里丸のほうに下り
て、山里門から極楽橋を渡って外に出るコースを選択することを想定した。しかしこの
時、山里丸は親衛隊が制圧しつつあったが、天守跡の北側には敵兵がまだいると考えら
れ、そこを突破する必要がある。
そこで馬に乗った朝倉と紀昌美が様子を探りに先に天守跡の北側に回ると、すぐさま
敵の一人の男が前から走ってきた。天守跡の北側で親衛隊や謎の忍者軍団と交戦してい
た部隊は、朝倉たちに天守跡の東側を奪われたことから、御殿に戻ってきて御殿の北側
を固めろと、団長から命令を受けたが、負傷者が二人いる上、矢弾も尽きており、また
天守跡の西側から御殿へ行こうとすると親衛隊から銃撃を受け、東側から御殿へ行こう
とすると朝倉たちに阻まれることが明らかであった。
そこで、その男は武器を持たずに手を挙げて単身で近づいてきて、朝倉と紀昌美に話
しかけた。
「お願いがある。我々の部隊は八人いるがそのうち負傷者が二人いる。出血しているか
ら御殿に戻って応急処置をしたい。武士の情けとして、我々を見逃してやってもらえな
いか。」
朝倉も紀昌美もその男の言っていることの真偽は怪しいと思っていると、その後ろか
ら、足を撃たれた男とそれを肩で担いで支える男、それから肩を撃たれた男とそれを腰
に手を回して支える男の二組がずるずる歩きながら現れ、さらにその後ろから女が三人
うつむいたままとぼとぼ歩いてきた。朝倉は、男たちは武器を持っていないように見え
たものの、女たちは腰に刀を入れた鞘を提げているのを見逃さなかった。何かあると警
戒した朝倉は、槍を持つ右手に力を入れながら、「分かった。そのまま行かれよ。ただ
し、そこの女三人は刀を置いていけ。」と馬上から命じた。
二人に話しかけた先頭の男が笑みを見せて朝倉に深々とお辞儀をした。しかし次の瞬
間、肩を撃たれた男がわざと前に倒れ、その隣で腰を支えていた男が、その倒れた男の
背後に隠し持っていたピストルを前に構え、紀昌美の顔に素早く照準を合わせた。それ
を見た朝倉は、とっさに左にいた紀昌美の馬を自分の左足で思い切り蹴って彼女と馬を
よろめかせ、さらに持っていた槍をそのピストルを持った男の顔を目がけて投げつけた。
今度は血しぶきが上がり、それでも容赦しない朝倉は馬上からその武士の情けを請うた
男の前に飛び降り、すかさず必殺の玉蹴りを食らわした。
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そして朝倉は、普段、合戦場では絶対にしないが、地面に倒れてもだえ苦しんでいる
男二人にさらに追い討ちを加えようと、自分が投げた槍がどこにあるか周りを目で探し
たその時、別の男が素早く彼女の槍をつかんだ。
「まずいっ!」
しかしその一秒後、その槍を拾い上げた男の右の腕に矢がグサッと突き刺さった。危
うく命を落としそうになった紀昌美が体勢を立て直して、馬上からその男に矢を射たの
だ。
男が腕に力が入らず槍をつかんだ手を少し緩めるや、朝倉がさっと奪い取り、その男
の、矢を受けて傷を受けているほうの腕に、槍で二度思いっきり振り下ろして叩いた。
その男もうめき声を出して地面にひざまずくと、朝倉は、男たちを前に槍を持って仁王
立ちし、
「発砲してたらこんなもんじゃすまへんからな。おまえらはもう、死んでるで。」
と言い放って勝負を決めた。
あまりの早業と強烈な攻撃に男たちは戦意を失い逃げていったが、女三人はその場に
残っていた。
「で、そこの三人はどうするんや。」
朝倉が女たちに尋ねると、その一人が顔を上げた。
「我々は裏切り者の新明のやつなんかの命令なんか聞くつもりないのよ。と言って、春
日の手先のあんたらを放っておくわけにもいかない。だから、あんたらを倒すしかない
でしょ。」
挑発的な態度に、紀昌美は、
「朝倉さん、こんなやつ相手にしなくていい。私が倒す。
」
と、この勝負を引き取ろうとした。
「ふんっ。あんた、かわいいからってえらそうにしなさんなっつぅの。あんたも、春日
とおんなじよ。色気使って男に取り入ってるお調子もんよ。あんたなんか、春日のやつ
みたいにボッコボコにして傷物にしてやるから。」
この三人は福場副団長とともに春日に暴行を加えた女たちだった 。「春日」と呼び捨
てにされた上、春日が暴行を加えられたことが分かり、朝倉も紀昌美もこぶしに力を入
れ、いきり立った。紀昌美は今まで見せたことがないような怒りの表情を見せ、矢を番
え、その女に狙いを定めた。
しかし鏃の先が自分に向いていようがその女は逃げようともせず、紀昌美を正面から
にらみつけた。そして、「あんたみたいな魔性の女はね、さっさと中国に帰りなさい。
」
と更なる悪態をついた。
その言葉は朝倉をぶち切れさせるのに十分だった。朝倉は、
「キミちゃん、待って!」
とすかさず紀昌美を制し、
「こいつらとの勝負、うちに買わせて。」と言って馬から降り
た。
「女の敵が女やなんてうんざりやけど、ええかげんにせぇよ、おまえら。我らの総大将
に対する乱暴狼藉、我が親友に対する侮辱、おまえら絶対、許さへんからな。うちがま
とめて成敗してやるわ。」
朝倉は槍を中断に構え、やーっ!と気合いの声を発すると、女三人はすぐさま刀を抜
いて朝倉の前と左右に展開した。朝倉は、正面の相手の動きに合わせてゆっくり動いた。
女たちは朝倉をどこから攻めようか悩み無駄な動きを繰り返していた。朝倉の左右にい
る者から見れば、朝倉は背中を見せているので背後に回って切りかかれそうなものだが、
まるで背中にも目があってにらみをきかせているようで、うかつには動けなかった。
朝倉は彼女たちの表情や動きを観察しやはり素人にすぎないと分かった。動きに滑ら
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かさがなく、力みすぎている。それにスピードやパワーも感じられない。朝倉が馬上か
ら見て直感したとおり、MRした者でもないことがはっきりした。そうであれば三人ま
とめてかかって来られても問題ない。
「どうしたんや。ゆうとくけど、うちがおまえらに負けるわけないんや。おまえらが考
えてることぐらい分かってんねやで。さっさと攻めて来い!」
朝倉が一喝し挑発すると、まず朝倉の左側にいた女が、次に右側にいた女が、さらに
正面の女が順に切りかかってきた。すると朝倉は、体を左にひねって穂先を左側の女に
向けて胴突きし、即座に引いて逆の石突を右側の女に突き、さらに今度はその横に寝か
した状態の槍を両手で正面の女が振り下ろしてきた刀の刃先を思いっ切り押した。
三人とも体勢を崩して後ろによろけると、すかさず朝倉は正面の女に対して、石突を
先にして槍を力一杯振り下ろし強烈な籠手を食らわした。
「へへっ。快感やな。」
会心の一撃に朝倉は思わずにんまりした。女はうめき声とともに激痛のあまり刀を落
とし、その場にうずくまってしまった。しかし朝倉はまだ容赦していなかった。その女
の前に寄って腰を落とし、さらに彼女の左頬に一発パンチを打ち込んだ。
「一発ぐらいじゃ足りひんけど、鼻血出してるから許しといたるわ。」
そう言って再び槍を手にして立ち上がり、「残りの二人、ぼぉっと立って、どうした
んや。」と呼びかけた。
「こわいんやったら槍捨てたるわ。」
そう言って朝倉が槍をぽいと手放すと、朝倉の右にいた女が刀を胸の前に突き出し、
そのまま突進してきた。しかしその動きを読んでいた朝倉は、素早く右によけて彼女の
背後に回り、ぐいっと彼女の首を左腕で抱え、ぐぐぐっと締めつけた。
「へへへ。審判おらんからな。なんでもやったるでぇ。」
朝倉は、合戦では禁じられているプロレス技を堂々とかけることができ喜んでいるよ
うであった。しかし相手は本当に苦しんでおり、このままだと死んでしまうのではない
かと周りの誰もが思った時にさっと腕を放し、女はその場に前から倒れこんで咳き込ん
だ。
「あとはおまえだけやな。さっきの胴突きも、おまえがもっと勢いつけて来てたら串刺
しになっとったやろけどな。まぁ今度は、ほんまに殺してまうかもしれんけど。」
こうなると、残った一人としては最後に残ってしまったことを悔まざるを得なかった。
彼女が強化派の過激な合戦マニアであれば、この生きるか死ぬかの緊張感を楽しもうと
したであろうが、彼女は常軌を逸して前総大将を崇拝している純派の女にすぎないため、
ゆっくり近づいてきた朝倉に両肩をがっとつかまれ、至近距離でにやりと不気味に微笑
まれるや、観念して刀を捨てた。
周りの者が彼女らの武器を取り上げると、朝倉は、「おとなしくしてたら、危害は加
えへんから、そこらへんで休んどけ。」と三人に指示した。すると、籠手に強打を受け
て苦しんでいる女は、
「どうして穂先を…、向けなかったの。」と朝倉にいら立った声で
訴えた。
「どうして負けると分かって戦ったの?」
朝倉のそばにいた紀昌美は逆にその女に質問した。
「私は、もう、どっちみち殺されてもいいって…、思ってたのに。」
どういう事情があったか知らないが、やはり彼女は死に急いでいたようだった。しか
し朝倉は優しい言葉などかけなかった。
「おまえアホやろ。うち、合戦の戦士やねんから、なんで人、殺さなあかんねん。」
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自分を死刑執行人に選ぶのは筋違いだと朝倉はぶっきらぼうに答えたが、こういう状
況下において変にプロ意識を出す朝倉の答えにおかしさを感じた女は、少し笑みを浮か
べた。
「そうかもしれないけど…。」
「そうに決まってるやろ!人殺ししといて、死にたいやと。ふざけんな、ボケ!」
「ふざけてなんかないわよ…。私らだって…、あいつに目の前で仲間が殺されたんだか
ら…。」
「ふん。卑怯もんの言い訳なんか聞きたないわ!甘ったれんのもええかげんにせぇよ。」
朝倉が捨て台詞をはいて立ち去ろうとすると、
「ちょっと待って。」とまたもや呼び止
められた。
「一言だけ…。あいつ、倒してよ…。それだけ。春日もそこにいる。」
朝倉は、その女の言葉の最後に反応した。
「春日さんも?で、あいつって誰や。」
「団長よ。御殿の南西側の大広間にいる。」
「分かった。おまえにゆわれんでも倒す。せやけど次、春日さんのこと呼び捨てにした
ら、そのえらそうな口きけんぐらい、ボコボコにしばき倒すからな。」
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3.31 一本勝負!サファイアの鬼神・朝倉景子対第ゼロ戦団・新明団長
本丸御殿の南側では、双方に負傷者を出しながら激しい戦いが続いていたが、数で勝
る戦士たちが優勢になりつつあった。朝倉たちに痛めつけられた者たちも御殿に戻り、
再び武器を渡されて戦闘に加わったが、「あんな鬼・悪魔のようなやつと戦っても勝ち
目がない。」と周りに弱音を吐いたため、全体の士気の低下につながった。
翌十七日午前零時三十分頃、山里丸が親衛隊の地下組によって完全に制圧され安全が
確認された。これにより地上組はもはや天守の西側の櫓で山里丸の方面に牽制をきかす
必要がなくなったため、櫓を下りて御殿を北側から襲いかかった。そのため、第ゼロ戦
団は御殿に閉じこもって兵力を集めた上で、建物の北側と南側に分散し応戦した。
これにより、本丸の東側の広場にいた人質たちはほぼ安全に脱出できる状態になった
ため、朝倉と紀昌美を除く救出班の戦士たちと山里丸にいた親衛隊の地下組が人質に付
き添って、天守跡の北側を経由して西に誘導し、そこから山里丸に下りて、山里門から
極楽橋を渡って外に出た。
人質が解放され大歓声が上がる中、親衛隊八人は急いで再び城内に戻り、山里門は閉
じられた。残党が城から出てくると危険だからだ。
御殿の中では、第ゼロ戦団が最後の抵抗を試みていた。本丸御殿は複数の建物が渡り
廊下でつながり複雑な構造になっている上、各部屋の天井もそれほど高くなく柱や梁に
邪魔されて槍や刀を振り回すのが難しく、また接近戦となるため弓矢も使いにくい。人
が隠れられるところも多く、視界がどうしても限られるため、いきなりふすまの向こう
から刺されることも考えられる。戦士たちはいつも広い空間の中で戦っており、建物の
中で戦うことには慣れていない。そう考えると、戦士たちの犠牲がこれ以上増えないう
ちに、この勝負、さっさと決着をつける必要がある。
朝倉と紀昌美のコンビは救助班と別れて、総大将のいる本丸御殿の北東に馬を進めた。
そして朝倉は、河合からもらった本丸御殿の見取り図を胴の中から取り出して開いた。
「ちょうど反対か…。」
自分たちがいる場所の対角線上に大広間があるのを見て、ここから建物の中に入って
大広間までたどり着くには、相当の試練を覚悟する必要があるように思えた。そこで、
一メートルほど離れたところで辺りの様子を窺っていた紀昌美に 、
「キミちゃん。馬で
一気に回りこんで、春日さんがいる大広間に外から攻めこも。二人で左側から回って、
南側にいる織田さんと伊達さんに呼びかけて四騎で攻めこも。スピード勝負!」と提案
した。
紀昌美も了解し、紀昌美を先頭に二人が建物沿いに馬で南へ走り出した途端、建物の
中から一本の矢が飛んできて、朝倉の馬の尻に突き刺さった。馬は痛さのあまりいなな
き上体を反ったため、朝倉は落馬してしまった。また朝倉の槍も、暴れる馬に二度踏ま
れて損傷を受けてしまった。
「朝倉さん!」
紀昌美は即座に馬首を反転させ、矢が発射されたであろう場所に向けて威嚇のために
一矢放ち、朝倉に近寄った。幸い、朝倉に大きなケガはなく自分で起き上がれそうなの
を確認すると、紀昌美は矢を番えて周りを警戒しながら 、「朝倉さん、私の馬に乗って
先に行って!」と頼んだ。朝倉は立ち上がって反論しようとしたが、 紀昌美は、「お願
い。勝つ確率は私より朝倉さんよ。馬、疲れてるから二人は無理。この作戦、スピード
大事。さっ、早く!約束したでしょ!朝倉さんピンチなら私がカバーする。ここで私を
捨てて!」と訴えた。
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朝倉は、親友の必死の嘆願に逆らうことができず、「わかった。キミちゃんのゆうと
おりにする。」と言って、素早く紀昌美の馬に乗り込んだ。
しかしその直後、紀昌美の左肩の袖にグサリと矢が刺さった。袖とその下の籠手をも
貫通したのか、彼女はうっとうめき声を出した。
「キミちゃん!」
朝倉が再び馬を下りようとしたが、紀昌美は弓を構えながら 、「ダメ!行って!約束
どおりにして!」と叫んでさっさと立ち去るよう促した。鬼神と化している朝倉もさす
がに焦り、悩んだが、落ち着いた優しい声で、
「キミちゃん、好きよ。すぐ仲間呼んで
くるから。」と言い置いて、馬を走らせその場を後にした。
朝倉が、本丸突入直後に本隊と分かれた御殿の玄関前の広場に戻ってくると、既に戦
士たちは建物の中に入り込んでいるのか人数が半分ほどに減っていたが、彼らの目に朝
倉が馬に乗って走ってくるのが映ると、歓喜の声で迎えた。槍を握ったこぶしを高く挙
げて味方を鼓舞するとともに、「余力のある者は東に回れ!孤立した味方がいる!」と
叫びつつ、伊達と織田を探した。伊達の姿が見えないまま、織田を見つけると 、「敵大
将はこの西側にある大広間です。そこに総大将もいます!今から一気に襲撃します!一
緒に来て下さい!それから、キミちゃんがそっちの東側で一人で戦ってます。早く!助
けて下さい!伊達さんはどこなんですか!」と一方的に早口でまくし立てた。
いつも以上に自分の意志を貫き通そうとする朝倉に織田は同調するほかないと思っ
たが、まずは、
「伊達君は御殿の中に入ってる!たぶん、東側に入っていったから、見
つけられるだろ。
」と言って朝倉を安心させた上で、「で、たった二騎で行くのか?」と
尋ねた。
「はい!御殿の中で戦士たちが戦うのは危険です。これ以上、犠牲を出さんためにも、
さっさと敵大将の首をとりましょう。」
朝倉の力強い言葉に織田は思わず笑いがこみ上げてきた。
「はっはっはっ。分かった!まったく、おまえは大したヤツだ!兄貴以上だぜ!」
ちょうどその頃、御殿の奥深くに入り込んでいた伊達は、誰の指図を受けたわけでも
なく東側に進んでいくと、
「ヤーッ!」と聞き慣れた声が耳に入った。慌てて声のする
ほうに走っていくと、紀昌美が左肩に矢が刺さったまま二人の敵兵を前にして刀を立て
てにらみ合っていた。そして彼女の矢はもはや尽きていた。
「おい!そこの二人!男のくせに二ぃ対一とはちょっと卑怯やと思わんのか。それとも
二人やないと勝たれへんかなぁ。この方、めっちゃ強いから。」
そう言って伊達は、にやにやしながら二人の男のほうに近づいていくと 、
「おまえら
の根性は認めたるけど、周り見てみ。誰もおらへんやろ。もう勝負は終わったんや。み
んな投降してんねや。そうですよね、紀昌美殿。」と紀昌美のほうを向いて白い歯を見
せた。
突然自分に振られて慌てた紀昌美は、
「そ、そうね。も、もう終わりなのよ。」と同調
し、「お疲れ様。
」と優しく微笑んでウインクした。
ハートの矢を受けた男たちは見事に戦意を喪失し、その場で武器を捨てた。
「こんな夜中に一人で歩くんは危険やで。お嬢さん。」
伊達は矢が貫通した袖ごと紀昌美の肩からそっと取り外した。紀昌美は、素直に礼を
言うべきだと思ったが、伊達に対してまだわだかまりがあったため 、「今度、ゆっくり
話し合いましょ。」とだけ言った。
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伊達は、勝負は終わったと言ったが、それは単に出任せの言葉であり、まだ決着はつ
いていなかった。しかし、いよいよ最終局面に来たことは間違いなかった。
織田と朝倉の二騎は、玄関前の広場と大広間前の広場を仕切る塀の真ん中にある木の
門がいつの間にか半開きになっているのに気づき、それをそばにいた味方に押させて、
一気に突入し、弓士三人が走ってついてきた。
敵方もこれに気づき、残りわずかな矢を次々に射たが、織田と朝倉は弓士の応援を受
けながら、体を馬の背にぴったりつけつつ、矢が飛んでくる方向の反対側に体をずらし
て、ギャロップで馬を走らせ、あっという間に大広間のある一回り大きな屋根を持つ建
物に近づいた。そして朝倉はさらに馬に乗りながら縁側に上がり、素早く飛び降りるや、
障子を勢いよくバシッと音を立てて開けた。
「ケイちゃん!」
春日が朝倉の姿を見て、おなかを手で押さえながら声を絞り出した。それはいつもの
優しさに満ちた声だった。他方、朝倉は、そのあまりに痛々しい春日の姿が目に入るや
一瞬気が動じたが、全く無表情のまま、さっと春日の隣にいる新明のほうを指差し、
「お
まえが敵大将か!」と大声で怒鳴ってにらみつけた。その表情に春日も武田も一橋も驚
きと恐ろしさのあまり口がふさがらなかった。新明も、年下の者におまえ呼ばわりされ
たことに対する怒りなど覚える間もなく、目の前にいるのが女戦士というより鬼神の権
化に見え、たじろがざるを得なかった。突然現れたその鬼神は、ものすごい殺気と緊迫
感をムラムラと起こし、敵味方を問わず周りの者を金縛りにし全身の力を抜き取ってい
った。
「そうだ。私が団長の新明だ。きさま、これ以上動くと、きさまの総大将の命はないぞ!」
新明は、春日の首を後ろから左腕で絞めて、彼女の右のこめかみに、持っていたピス
トルの銃口を付けた。しかし朝倉は、その脅迫を全く無視して 、
「わらわはサファイア
湾岸の槍頭、朝倉景子。新明団長、ここは槍でお手合わせ願いたい 。」と余裕たっぷり
な感じで申し出た。新明が何を言い出すのかと思って返事を留保していると 、「どうし
たんや。団長のくせに腰抜けか。」とさらに挑発した。
朝倉の言い方が高圧的で強制的に聞こえるので、新明は、
「俺に命令する気か。
」と反
発したが、朝倉はそれにも答えようとせず、「私が勝ったら、我らの総大将は返しても
らう。」と勝負の後の約束を一方的に決めた。
「ほう。であれば、もしおまえが負けたら、総大将は殺すが、それでいいんだな。」
新明も言い返してニヤリとして見せた。しかし朝倉は、
「お好きなように。
」と何のた
めらいもなくはっきり答えた。もはや彼女は無敵モードに入っているため、そもそも負
けることなど考えてもいないからだ。あまりに大胆不敵な態度に、新明は朝倉のシナリ
オどおりに心理的に追い詰められつつあった。
新明が、朝倉が自分の思うとおりにぐいぐいと進めようとするので、ちょっと待った
と言おうとしたが、先にすかさず朝倉が、「じゃあ、早速お手合わせ願いたい。私の槍
は本物やから、団長も本物の槍を持って来て下さい。」と指図した。
「勝手に決めやがって。きさま…。」
新明が何か言おうとしたところで朝倉は、
「やっぱり怖いんや。」と大きな声でかぶせ
て新明の反論を強引に抑え込んでかき消した。そして、
「もし怖いんやったら、今やっ
たら、逃げても構へんで。ま、おたくらの戦団が世間の笑いものとして歴史に残るだけ
やけど。」ととどめを刺した。
もう夜もふけて午前一時十分を経過。山里丸から上がってきた親衛隊の地下組も本丸
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御殿の北側から突入し、第ゼロ戦団はほぼ壊滅。親衛隊たちは御殿内でまだ抵抗してい
る残党を捜索し続けていたが、戦士たちは親衛隊から危険だから建物の外に出るよう言
われ、戦闘を中止。そしてみんな、サファイアの彗星からサファイアの鬼神と化した朝
倉景子と第ゼロ戦団の新明団長との、槍一本による勝負を見に、大広間に集まってきて
いた。
部屋の中に置かれていたテーブルや椅子、武具、通信機器等が端に片付けられ、また
障子もすべて外されると、槍を振り回せる広い空間ができた。
二人は、部屋の真ん中で槍を中段に構えて対峙した。しかし二人はほとんど動かず、
あたりは異様に張り詰めた沈黙が流れた。
「ケイちゃん、一発で決める気ね。」
春日は、新明の部下たちによって柱に紐でつながれ、こめかみに銃口を突きつけられ
ながら、気迫に満ちた勝負をじっと見ていた。
朝倉がいくら無敵の強さを持っているからといって、他人の、しかも自らの総大将の
命を懸けた戦いとなれば、相当のプレッシャを感じて、手に汗握り顔も硬直するのが普
通であるが、相変らず彼女は全く無表情だった。汗一つかいておらず、そもそも槍を持
つ手に力が入っているのかどうかすら分からなかった。
朝倉のこれまでの戦いを考えると、相手方は一瞬でも気を緩めればそこをつかれ、し
かも一発でやられる。今回は本物の槍で勝負をしているため、瞬間的に殺されることに
なる。そう思うと新明は、朝倉が冷酷で精密な殺人マシンのように見えてきた。
事実、朝倉は気合の声一つ出さず、息も聞こえなかった。さっきから槍を構えながら
棒立ちしているように思え、もしかしたらそもそも戦う気がないのかもしれない、夜も
一時を過ぎて精神的にも疲労しきっているかもしれない、ここで友好的な態度を示せば
何らかの解決が図れるかもしれない。そう楽観的に考えて彼女の顔を見ると、口元はう
っすら笑っているようにすら見える。
しかしそんなことがあろうか。笑っているように見えるとしても、それは地獄の使者
の笑いといえ、息苦しさが増すばかりであった。見えない手で首をじわじわ絞められて
いるような感覚に陥り、新明は、彼女を見れば見るほど心が動揺し混乱し収拾がつかな
くなってくるのが分かった。こいつはいったい何者なのか。およそ女にも戦士にも見え
ない。最初にこの部屋に入ってきたときに直感的に感じたとおり、やはり鬼だ…。
いったい、何分経過したのか随分、長い時間が過ぎているように思えた。なのに朝倉
は、瞬き一つもせずにずっと自分を見ていた。にらんでいるわけではない。単に見てい
る。常に自分の真正面に立つように、自分が体を右に動かせば彼女も右に、左に動かせ
ば左に動いた。しかもコンマ一秒の差もなく、正確に同期して動いていた。
「そうか…。やっと分かった…。こいつは鏡だ。さっきからまるで人の気配を感じない
のは、鏡だからだ。鬼が恐ろしい本当の理由は自分の心を写す鏡だからだ。となるとこ
いつは、つまり自分自身…。全く恐ろしいやつだ。己を殺すつもりじゃないと、こいつ
にも勝てないってことだな…。」
新明はそう思うと途端に力が抜け、構えを解いた。
「朝倉殿、私の負けだ。貴殿に比べれば私は、まだまだ精神修行が足りぬことが分かっ
た。約束どおり、総大将はお返しする。もちろんそこにいる二人も。あとは好きにする
がいい。私を殺したければ殺すがいい。貴殿に殺されるのなら何も悔いはない。」
またもや殺しの依頼を受けた朝倉が、
「私は合戦の戦士です。人殺しなんかしません。
そうゆうリクエストは困ります。」と答えると、場内の所々からから笑い声が上がった。
新明は、今度は春日のほうを向き、
「どうやら大将としての器があるのは君のほうだ。
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こんな鬼のような守護神もついてるし、君は立派な総大将だ。これからも合戦界を明る
く照らしていけるだろう。」と話しかけた。
「ありがとうございます。そうおっしゃってもらえると、うれしい限りです。」
自然と拍手が沸き起こった。
そばでこの勝負を見ていた織田は、感動のあまり震えていた。
「朝倉よ。おまえの妹はとことんすごいぜ。戦わずして勝つ。武士として最高の勝ち方
で決めよったぞ。」
伊達と一緒に駆けつけていた紀昌美は既に涙があふれ出て、伊達の左腕をつかみ左肩
の袖におでこを当てて泣いていた。朝倉との女の約束が果たせ、力を合わせて勝てたか
らだ。
そして、春日をしばっていた紐が解かれると、朝倉は一目散に春日のもとに駆け寄っ
て抱きついた。
「ごめんね、ケイちゃん。」
朝倉の耳元で春日が優しくささやくと、朝倉は声を上げて泣き出した。そして、戦い
の神はどこかに消え、いつもの泣き虫の女戦士・朝倉景子に戻っていた。
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3.32 おかえりなさい、総大将
十一月十七日午前二時、総大将・上杉春日が朝倉景子に肩を担がれて、桜門から出て
くると、既に大勢の人が詰め掛け、また報道機関も集まり、大歓声と激しいフラッシュ
をもって迎えられた。
戦士たちが本丸御殿で見た総大将の顔は直視できないほどであったため、応急手当と
して左の頬に大きな湿布を貼るなどして顔の露出を抑えていた。総大将がおなかに手を
当てながらよろよろと歩く姿に多くの人が驚いたが、それよりもなんとかテロリストの
元から戻ってきてくれたことに喜びを爆発させた。
桜門の前には既にマイクが設置されており、春日は総大将としてスピーチを求められ
た。
「ごめんなさい、ちょっとおなかが痛くて…、いつものように声が出ないんだけど…。」
春日はそう前置きをして、少し息を吸った。
「戦士諸君。お出迎えありがとう…。そして皆さん、私は帰ってきました。」
すると、そこに集まってきていた大勢の人たちが「おかえりなさい!」と声を合わせ
て応えた。驚いた春日は少し笑って、「大きなおかえりなさいをありがとう。こんなに
多くの皆さんたちに迎えられて、こんなにうれしいことはありません…。最強の戦士た
ちと、すてきな皆さんとに囲まれて、私は本当に…、本当に…、幸せです。姉もきっと
喜んでくれていると思います。ありがとう。本当にうれしいです 。
」と言って手を振っ
た。
春日は公衆の面前ではあまり泣き顔を見せないが、この時はさすがに感極まり、口元
がゆがむのを時々手で押さえ、涙を手でせわしく拭いながら、みんなに努めて笑顔で手
を振っていた。しかし今の春日としてはもう体力の限界だった。春日がより一層、朝倉
のほうに体をもたれかけてきたため、朝倉は、マイクをどけるよう周りに合図をし、
「さ、
春日さん。もう行きましょ。あともう少しやから。橋の向こうに救急車が待ってるから、
そこまで歩いて下さい。」とささやいて、ほとんど抱きかかえるような感じで土橋を二
人で歩き始めた。人々から大きな拍手と声援が沸き起こった。総大将は、朝倉の腕の中
でほとんど眠っているかのようだったため、代わりに朝倉が声援に応えて時々手を振っ
た。
総大将を救急車に乗せ、車がサイレンを鳴らして去っていくと、橋際の右側にはサフ
ァイア湾岸の戦士たちが待っていた。真柄が、
「お頭!おかえりなさい!」と叫び、朝
倉が「ただいま!」とこぶしを高く挙げると、みんながわっと朝倉を囲み、もみくちゃ
にし、胴上げした。
空中から舞い降りると、湾岸の戦士たちに混じって紀昌美がにっこり微笑んで立って
いた。女の朝倉から見ても、その時の紀昌美のスマイルは一層格別に思えた。
「キミちゃん。」
二人は、どちらからともなくがっちり抱き合った。彼女たちの間にもはや余計な言葉
は要らなかった。ただ、「よかった、よかった。
」と繰り返し小声でささやきながら、と
もに戦い終わった後の達成感と充実感をしっかり共有したっぷり味わっていた。そして
朝倉は紀昌美の左肩に優しく手を添えていたわり、紀昌美も朝倉の手のぬくもりを感じ
て癒されていた。
「朝倉さん。京都においしい和菓子屋さん見つけたから、今度一緒に行こ。」
「うん、行こ行こ。へへっ、うち、甘いもん大好きやから。」
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甘い物好きの二人の意見が一致し、今度は両手で握手し声を立てて笑った。
この後、府と大開は、戦士たち、特に昨日決勝戦を行った両戦団の戦士たちが、疲労
の限界にきていることを理由に、午前二時半をもって報道機関を再び二の丸からすべて
追い出した。
サファイア湾岸のテントに戻ってしばらく休憩していた朝倉は、広島城の戦団から差
し入れとしてもらったもみじ饅頭と、松本城からもらったリンゴと、大垣城からもらっ
た柿羊羹を同時平行で食べていると、突然、あと一つやるべきことが残っていたことを
思い出し、「しまった!」と言って立ち上がり、真柄をつれてテントの外に出た。
「どうしたんすか、お頭。」
朝倉はすっかり動揺していた。
「うち、大失敗してもうた。あんたに弱み、握られるようで嫌やねんけど、お願いやか
ら一緒に来て。」
朝倉は焦りの汗を垂らしながらあの特注の槍を持って、真柄とともに対策本部のテン
トに向かった。対策本部も撤収作業を始めており、テントの中からいろいろな機材を運
び出していたため、朝倉たちがテントの前に着いたときに、段ボール箱を持って中から
出てきた河合にばったりと会った。
河合は、朝倉が例の槍を持っていたことから、彼女が返しに来たと分かったが、ここ
で受け取るのはまずいと考え、またサファイア湾岸の戦士がもう一人付き添って来てい
ることを警戒し、「あっ、それのことですよね。ちょっと作業の邪魔にならんように、
テントの裏手にまわっていただいていいですか。」と仕事言葉で対応した。
薄暗いテントの裏側に行くと、早速、朝倉が河合に槍を手渡した。
「私、謝らんとあかんことが二つあります。一つは、この槍、ぼろぼろにしてしもたこ
とです。めちゃめちゃな使い方したから、その…、この槍、あと一回叩いたら、たぶん
折れます。でも、よぉ見たら、めっちゃきれいな装飾してるから、たぶん高級品やと思
います。弁償せなあかんようでしたら、私の給料で少しずつ返しますから許して下さ
い。」
朝倉がぺこりと頭を下げるのを見て、相変らず生まじめなケイちゃんやなと思いなが
ら、河合は、「それは心配ないですよ。だいたい持ち主は、今回の戦いがいつもの合戦
よりも激しいもんやと分かっていながら、朝倉さんに貸したんです。せやから、たとえ
槍が折れても想定内でしょう。これから、この槍の持ち主か、これを作った工房と話を
してみますけど、たぶん、大丈夫やと思います。持ち主にとっては、この戦いで朝倉さ
んに自分の槍を使ってもらったこと自体、うれしいはずですから 。
」と言って安心させ
た。
朝倉はそれを聞いて、
「ありがとうございます。」と礼を言って笑った。しかし、また
すぐに顔を曇らせ、「実はもう一つあります。
」と続けた。
「私、この槍、受け取ったときに、うっかり…、その…、親しげな感じで話してしまい
ました。その…、ケイちゃんって呼ばれたから、つい私、うれしなって…。ほんま、ご
めんなさい。あの、隣にいたこの男やったら大丈夫です。めっちゃ口堅いです。」
朝倉がひじで突っつくと、真柄は背筋を伸ばして気をつけをし 、
「はいっ。私の口の
堅さは天下一品です。お頭が武具改めの方に、そうゆうその…、気持ちがあることは一
切しゃべりません。」と言ったが、余計なことまで話されてしまい、朝倉は真柄の足を
思いっ切り踏んだ。
河合は、朝倉が顔を赤らめているのを見て少しおかしくなった。
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「あの…、そのことも心配ないです。実は、ちょうど昨日、いやおとつい、係が変わっ
て今は別の仕事してるんです。だいたい、武具改めがそんな本物の槍なんか渡さへんし、
それに『ケイちゃん』って呼ぶこともないやろうし。ちゃんとゆわんかった僕も悪かっ
たです。せやけど、もういいんです。戦士の皆さんとの交流禁止の縛りももうありませ
んから、何も謝る必要なんかないんです。」
それを聞いた朝倉は目を見開いて、河合の両腕を両手でガッとつかみ 、「ほんまに!
ほんまなんや!ほんまに…。」と同じ言葉を繰り返しているうちに感極まって涙があふ
れてきたものの、ここで泣くのはまずいと考え、その上、頭の中が真っ白になって混乱
極まり、走ってその場を去っていってしまった。
取り残された真柄も、河合に一礼して慌てて朝倉の後を追っていくと、テントの影か
ら神津係長が音もなく現れた。
「悪いけど、全部聞かせてもらったわよ。」
「すみません。」
河合は一応謝ったものの、もう覚悟はできていた。
「河合吉久君、本日付で武具改めを解任します。特定の戦士と親交をもっている疑いの
ある行為をしたのみならず、本物の槍を戦士に渡して戦わせるとは、極めて重大な職務
違反行為です。おそらく、解任どころじゃ済まないから大開にはいられないでしょう。
残念ね。次のホープとして期待してたんだけど。」
「申し訳ございませんでした。」
河合は深々と頭を下げた。天下にある不正改造品を使おうと最初に持ちかけたのは神
津係長ではないかという反論は考えられたが、自分のやったことの重大性は分かってい
たし、さっき朝倉に、自分はもう武具改め係でないと言ってしまった以上、どの道、今
の身分は放棄せざるを得ない。そのため、「おっしゃるとおりです。取り返しのつかな
いことをしてしまいました。処分についてはお任せします 。」と言って、神津係長の宣
告に対して無留保で受け入れた。
神津係長は河合の態度を見て、少し間を置いた上で、
「いいのよ…。」と言って微笑ん
だ。
「立場上、えらそうなこと言ったけど、河合君には申し訳ないことをしたと思ってるわ。
きっかけを与えたのは私だからね。だから私も上から何らかの処分があるはずよ。でも、
私のことはともかく、本当にごめんなさい。」
神津係長から謝られた河合は、何も言えず黙ってうつむいたままだった。
「でも、さすがね、河合君。大開の規則上許されないことだけど、覚悟決めてやり遂げ
て、その結果、朝倉の命を守ったんだし。あの朝倉景子があんたに惚れるのもなんとな
く分かる気がするわ…。大した男ね…。間違いないわ。あの子、あんたにぞっこんよ。」
河合は気恥ずかしくなって、
「そんな、ただの小学校の同級生です。」と小さな声で言
葉を返した。
「何言ってんの!しっかりしなさい。何もフィールドで戦っている人たちだけが戦士じ
ゃないわよ。河合君も本物の立派な戦士。だから朝倉は惚れてんじゃない。ま、河合君
がこれから無職だとあの子と付き合いにくいかもしれないから、再就職先は私が責任を
もって面倒見るから。たぶん、大開の関連会社になるだろうけど、いいよね。」
いいも悪いも河合はえらそうに評価するつもりはなかった。昨日から今日にかけて激
動の時間を過ごし身体的にも精神的にもとことん疲れ切っていたこともあって、神津係
長から温かい励ましと心遣いを受け、つい涙腺が緩んで言葉に詰まり、ありがとうござ
いますと言うのが精一杯だった。
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「後のことは私に任せておきなさい。だから朝倉景子のこと、よろしく頼むわよ。河合
君がしっかりサポートしてあげる限り、あの子はいつでも無敵なのよ。」
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3.33 後日談
第十一年十一月十六日から翌十七日にかけての、いわゆる「第ゼロ戦団大坂城立てこ
もり事件」は、報道規制が敷かれていたことから、当初は断片的な情報から様々な憶測
が流れたが、徐々に事の経緯が明らかになっていった。
第ゼロ戦団は、死者一名、負傷者二十八名。負傷の有無を問わず城内にいた三十二名
はもちろん全員逮捕された47。だが、新明団長は、はなさか府警の取調べに対して一切
黙秘し、勾留されている間に服毒自殺したため、事件の真相解明はかなり難しくなった。
謎の忍者集団については、木下知事はその存在自体も否定し 48、また親衛隊が拘束し
たはずの忍者たちはいつの間にか消えており行方不明のままであった。
はなさか側としては、警察官三名が第ゼロ戦団に矢で射られて亡くなったが、それ以
上の死者は出なかった。もちろん戦闘に参加した親衛隊や戦士たちの全員が多少の傷を
負ったが、骨折したり傷口を縫うほどの大ケガをした者は、親衛隊は三人、戦士は十人
だった。いずれも戦士生命を絶たれるほどの重傷を負った者はおらず、当初心配されて
いたほどには至らなかった。その理由としては諸説あるが、戦士側で言えることとして
は、まず、桜門から本丸御殿へのルートが確保されていたことから、戦闘中に多少傷を
負った者は深追いせずに直ちに退避し、代わりに別の者を随時補充していったことが挙
げられる49。また、実際に戦闘に参加した戦士の多くは、自衛隊または警察に勤務しな
がら戦団に在籍している者だった。そのため、持っていた武器は槍や刀や弓矢ではある
が、テロリストたちに対して職務として対応できたことも理由の一つといえた。
上杉春日総大将も、幸いその美貌に深い傷が残ったり顔が変形するほどではなく、十
二月十六日50に予定されている韓国訪問には、包帯は取れないものの何とか行けそうで
あった。
今回の事件終結後、各国政府から祝辞が日本政府とはなさか府に届いたが、韓国にと
っては、この事件の顛末次第では戦士たちの訪問中止となるおそれがありヒヤヒヤもの
だったため、心底ほっとしたという内容のものであった。
はなさか全体がお祝いムードの中、事件の後、多忙を強いられたのは警察であった。
警察としては当然ながらこの大事件を捜査する必要上、戦闘に参加した親衛隊や戦士た
ちにも全員取調べを行った。一つ懸念されていたこととしては、例えば、朝倉景子は今
回の戦いで鬼神と化して暴れまくったため、仮に殺意はなかったとしても、少なくとも、
複数の者に対する傷害、暴行、脅迫の罪に問われてもおかしくない。しかしテロリスト
から人質を解放した功労者を刑事訴追するようなことは警察としてはやりたくないし、
47
そもそも第ゼロ戦団が全部で何人いたのか分かっていない。親衛隊が山里丸を制圧する
までに、山里丸にいた第ゼロ戦団の団員は全員、謎の忍者集団の襲撃により殺されたと考
えられたが、警察による捜査では、その証拠となる遺体は見つかっていない。このような
いつの間にか消えた者はカウントされていない。
48
木下知事は、テントの中での戦士たちとの会話を暴露されたことから、結局、
(警察の)
特殊部隊は投入しなかったと言明している。
49
延べ人数でいうと、五十五名の戦士が実は参加していた。
50
この日、総大将と戦士たち一団二十人余りは釜山に入る予定で、龍頭山(ヨンドゥサン)
公園や海雲台(ヘウンデ)を観光したりした後、翌日ソウルに移り、大統領や政府関係者
と会談。市民との交流会も予定されている。そして翌日、済州島に移り、そこで一団を二
つに分け、さらに一般の参加希望者の中から当選した人を加えて紅白合戦を行う。済州島
で夕食をとった後、深夜にはなさかに帰ってくる旅程となっている。
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やれば府民の信頼を完全に失ってしまうため、あくまで真実の解明を優先することとし、
刑事責任は一切追及しないことをあらかじめ名言した上で、かなりの長時間にわたり取
調べを行った。朝倉と紀昌美はほとんど一緒に行動していたことから、二人一緒に取調
べを受けることもあり51、超大物二人と対談できた捜査官は大喜びで終始和やかな雰囲
気で行われた。もっとも朝倉は、自分が使った槍を誰から受け取ったのかについては終
始黙秘を貫いた52。
なお、その特注の槍については、河合から一旦、天下に戻されたが、依頼主が現状有
姿で引き取ることを望まれ、激しく損傷しているものの一切の減額なく、むしろ多大な
プレミアムをつけてくれたとして、一桁上げた額が天下に支払われた。
はなさか及び合戦界を見渡すと、この事件を境にして各当事者の勢力関係に微妙な変
化が生じた。
まず、今回の一連の事件を通して上杉春日の強烈なカリスマ性が発揮され、今までは
大開が作り出した単なるお飾りにすぎなかった総大将が、戦士たちの確たる精神的支柱
となり、総大将と戦団や戦士たちが大開という組織と関係なく直接結びついた。総大将
はその気になれば戦士たちに直接命令し、命令を受けた戦士たちも一致団結して行動す
るような雰囲気になってきた。従って、総大将と大開との関係は、これまでは単に大開
が、歌手である上杉春日に総大将というキャラクターを演じることを委託していただけ
であったが、まるで主従が逆転し、大開が総大将の補佐機関のようなイメージを持たれ
るようになってきた。しかし契約関係はあくまで春日が大開のために働いているのであ
って、この世間の勝手なイメージに自分が飲み込まれないように、今後彼女は慎重に総
大将を務めることになる。
もう一つは、今回の事件当日、戦士たちが府警に半ば飲ます形で城の周りに着陣し、
また知事を断念させる形で人質の救出とテロリストの制圧を自ら行ったことで、はなさ
か府としては、大開や総大将を頂点とした合戦界が、府の統治が及ばない聖域のような、
あるいは強烈なロビー団体になるのではないかという不安を芽生えさせた。それだけで
なく、上杉春日が戦士たちだけでなく府民にとっても精神的支柱となり権威を持つよう
になり、それは同時に知事の権威が相対的に低下することとなった。そのため、府はこ
51
取調室での取調べに加えて実況見分にも何度か立会っている。
一年後に捜査報告書が完成し、その一部は一般にも公開された。しかし謎の忍者集団に
ついてはやはり明らかにされず、度重なる公開請求を受け、木下知事の死後、公開されて
いる。また、なぜ彼らがいきなり本丸に現れ出ることができたのかについては、前日から
本丸御殿や本丸内の櫓に隠れていたからとされている。
なお、この捜査報告書では、六月十一日の「大阪城天守閣破壊テロ事件」についても合
わせて報告されているが、当初、はなさか府警はいずれの事件も、第ゼロ戦団はアンチは
なかの政治的見解を持つ者の中で特に暴力的な者たちによって結成され、彼らが自らの見
解を強引に主張しようとして犯行に及んだと結論づけようとした。ところがそのドラフト
を見た警察庁(東京政府)からの要請で、合戦の運営に関わる主流派と純派・強化派の対
立も要因の一つと考えられるとし、第ゼロ戦団は、アンチはなさかの政治的主張をする者
と純派・強化派の中の、特に暴力的な者たちによって結成されたテロリストたちであり、
それぞれの主張を強引に実現しようとして犯行に及んだという記述に変更された。
しかし、警察の分析内容には疑問点も多く、六月の事件は十一月の事件の犯人とは違う
者たちによる犯行ではないかという説など、ちまたでは様々な説がささやかれ、真相は分
かっていない。
52
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れまで大開と二人三脚で一緒になって合戦を盛り上げてきたが、これ以降、大開とは少
し距離を置き、大開側も東京政府のみならずはなさか府に対しても余計な疑念を抱かれ
ないように慎重に対応していくことになる。
とはいえ、この事件の決着によって誰が結果的に得をしたかという観点で見ると、や
はりはなさか府と大開であったため、両者は今までどおりがっちり組んで、それぞれの
思いを実現していくことになる。
はなさか府は、総大将や戦士たちが持つ絶大なブランド力を利用しながら、自律的観
光総合特区の制度を最大限以上に使って、はなさかワンダーランド作りに邁進し、また
国法と整合が取れないほど実験的な改革にチャレンジしていく。
そして大開も、総大将の威光を最大限に利用して、城下町同盟をしっかり押さえると
ともに、純派や強化派の動きを牽制し、また府と連携して、新たな商売ネタを開拓しな
がら、既得権益を膨らますことにも精を出すことになる。
もっとも今回の立てこもり事件では、上杉春日や人質の救出を優先し、木下知事の願
い叶わず城内にいた第ゼロ戦団の全員を抹殺せず、純派や強化派に対して毅然とした態
度を示せなかったことから、彼らの力はそれほど減退せずに引き続き不安定要素として、
各当事者に影響を及ぼしながらうごめき続けることとなる。
なお、総大将がつけていた脇差は、事件の後、内堀の西側を徹底的に調査して無事に
発見し、総大将に返されている。しかしながら春日は、その脇差を親衛隊の柿崎隊長か
ら手渡されたときに、あまりうれしそうな表情は見せなかった。
「お気持ちは分かります。その脇差をご覧になると、あの日のことを思い出さずにはい
られないでしょうから。」
「あっ、いや、ごめんなさい。せっかく皆さんが苦労して見つけて下さったのに…。た
だちょっと、柿崎さんのおっしゃるとおり、この脇差を見せたあの団長さんのことを思
い出したんですけど、でも…、私、正直、団長さんのこと、あまり恨む気持ちにもなれ
なくて…。」
「お優しいのですね。恐れ入りました。」
「そうじゃないんです。よく分からないんです。そもそも六月の事件もこの間の事件も、
いったい誰が何のために起こしたのか…、ぼんやり考えていただけなの…。」
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3.34 大阪駅にて~また会う日まで
十二月八日の夜六時五十分、河合は、大阪駅のプラットホームの上にある「時空(と
き)の広場」で朝倉を待っていた。約束の七時よりも十分早く着いたため、やはりまだ
朝倉は来ていなかったが、駅の北側と南側をつなぐ通路にもなっているその広場の端の、
転落防止のガラス板に取り付けられている手すり 53にもたれかかって、通り過ぎる人々
をぼんやりながめていた。そしてこの季節、街中がクリスマスのイルミネーションで彩
られていたが、この空中のステージも一層輝きを増し、しばしその華麗な雰囲気に浸っ
ていた。
ただ、線路沿いに風が吹き抜けるため、ジャケットの上からコートを着ているとはい
え、ここでじっと長時間待っているのはちょっときついかもしれないと思った。
この日、河合は、新しい会社に初めて行った。神津係長の言ったとおり、重大な就業
規則違反を犯した河合は、一ヶ月間の自宅謹慎処分を受け、その上で十二月十六日付で
「大開教育サービス」という会社への転籍を命じられた。ここは、大開が株式の過半数
を出資している関連会社で、主に、現役戦士や引退後の戦士たちに一般教養や語学、資
格取得に必要な知識等を教え、現役戦士の学力の向上と、引退後の戦士の再就職の支援
を行っている会社である。河合は、講師として雇われるわけではなく、裏方のスタッフ
として働くことになるが、十六日に正式に入社する前にいろいろと書類の授受や事前の
面談を受ける必要があったため京橋にある会社の事務所に出向いたのだった。
その帰りに梅田に寄り、本屋で立ち読みをして時間をつぶした上で、この広場にやっ
てきた。
武具改め係の職場のみんなが開いてくれた送別会では、さすがに泣いてしまったが、
大開を去ることに河合はそれほどの悲しみや寂しさは感じなかった。総大将から特別功
労賞までもらった上で就職した大開だったが未練はなかった。あんなごたごたはもうこ
りごりだという思いがあったし、その上、朝倉景子が自分にとって信じられないほど身
近になり、またどうやら自分に好感を持ってくれていることにより精神的な余裕が生ま
れたことも大きかった。
あの事件があった翌日の十一月十八日、河合の実家に朝倉から手紙が届いた。その日
は、たまたま実家に戻っていたため朝倉の手紙はすぐに手に取ることができた。サファ
イア湾岸のロゴが印刷された薄い青色の封筒の中に、同じロゴが付けられた便箋が一枚
入っていた。朝倉の直筆で、しかし急いで書いたのかあまり丁寧でない字で書かれてい
た。
「ヨシくんへ(って呼んでいいんよね)
この間は、いきなり走っていってしまってごめんなさい。あのとき、めっちゃうれし
すぎて泣き出しそうやったから、伝えなあかんことをちゃんと伝えられなかったので手
紙で書きます。ほんまに泣き虫でおバカさんなので困ってます(涙)。
私が言いたかったのは、もしよかったら、これから時々会って話をしたいなというこ
とです。私は、あい変らずちっとも女の子っぽくないし、ヨシくんがどう思ってるかわ
からないけど、私はいつかそういうふうになればいいなあってずっと思ってたから、私
53
このバージョンがリリースされた時点では、手すりは取り付けられていない。
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Hanasaka Kassenki, Ver. 1.09
のお願いを聞いてくれるとうれしいです。
お互いいそがしくてなかなか会えないかもしれないので、私のメルアドを教えます。
返事をくれるととってもうれしいです。
朝倉景子」
素直な気持ちと必要なことだけが簡潔に書かれた文面だった。署名の後には彼女のメ
ール・アドレスが書かれていたので、早速、メールを打ってみると、すぐさま喜びいっ
ぱいの返信が来た。もちろん河合もうれしかったが、世界的なスター戦士にこんな簡単
にメールがつながるなど、にわかに信じられなかった。
その後、朝倉とはメールで頻繁にやりとりするようになり、また二、三日に一回くら
い電話で話すようになったが、直接会う時間はとれなかった。彼女は相変らず多忙であ
り、また警察の取調べも受けていたし、河合も自宅謹慎中にインフルエンザにかかり寝
込んでいたためだった。ようやく十二月八日の夜七時に会うことになったが、この日も
残念ながら夕食を共にするようなことはできず、朝倉は八時から城内で府警の実況見分
に立ち会うことになっていた。従って、会えるのはわずか三十分ちょっとであった。
河合は、今のこの朝倉との関係を、彼氏・彼女の関係で「付き合っている」または「付
き合おうとしている」状況と理解していいのか、またそうだとしてもこのまま本当に付
き合い続けて良いのか、心の中でどうしても引っかかっていた。神津係長は、朝倉は自
分にぞっこんだと言い、確かにあの日以来の朝倉の言動からすればそうとも考えられる
が、朝倉景子はやはりあまりに偉大な戦士であり、それに比べて自分はあまりに凡人で
あり一般市民であり全く不釣合いなので、単に元同級生である自分と友達関係が復活し
たというだけだと謙虚に考えるべきとも思えた。もちろん、朝倉にあの槍を渡すという
ミッションを無事果たせたわけだから、サファイアの彗星・朝倉景子と付き合うことに
なれたのはその見返りだと考えても良いが、それにしてはあまりにビッグな報酬であり、
かえって何か裏があるのではないかと疑いたくもなった。
「ま、ケイちゃんと会ってみたら、その疑問に対する答えもわかるやろ…。」
そう思って自分の腕時計を見ると七時ちょうど。広場にある金と銀の時計も鐘を鳴ら
して七時を知らせた。
「お待たせ。ヨシくん。」
朝倉は、その鐘の音とともにいつの間にか目の前に現れた。白いマフラーを巻き、ベ
ージュ色のトレンチコートに黒いショルダーバッグをかけ、インディゴ色のジーンズを
はいていた。
「あんまりじっくり見んといて。これでもいろいろ考えてんから。キミちゃんにも相談
したりしてんけど、普通でいいって言われたから。」
朝倉は、自分のファッション・センスをチェックされていると思い、先に言い訳した。
「あぁ、いや。今まで甲冑着てる姿しか生で見たことなかったから…。」
朝倉景子の登場とあって、やはり「善意なる無視」のルールがあっても、周りがこち
らを見ているのが感じられた。ケイちゃんと会うときは、これからはこういう目で自分
も見られると思うと、あんまりいい加減なかっこができないなと思わざるを得なかった。
朝倉は、河合の視線の動きを察して、
「一緒に電車見よ。」と、通路の脇のガラス板の
ほうを指差し、河合のほうにさらに近づいてきた。確かにこうして二人で通路を背にし
て電車を見ていると、人々の視線はほとんど気にならない。
会ったらいっぱい話したいことがあると言っていたのに、朝倉は、手すりに両手を乗
せて、駅に発着する電車や乗降する人の動きを黙ってじっと見ていた。
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「ケイちゃんが待ち合わせ場所にここ選んだん、よう分かるわ。」
「うち、今でも電車好きやもん。時間さえあったら、ずっと見てても飽きひんし…。で
も、それってやっぱり変なんかな?」
「変やないよ。電車好きな女の人もいっぱいいてるし。でも、合戦界最強戦士のイメー
ジからしたら意外な一面に思えるやろなって。」
「そうかも。」
朝倉は、顔を上げて少し遠くをぼんやりと見た。
「うちって、そうゆうキャラやからなぁ。「サファイアの彗星」ってきれいな名前付け
てもろたのに、最近なんか「サファイアの鬼神」とか「地獄からの使者」とか全然かわ
いくない名前で呼ばれたり…。春日さんとかキミちゃんとか、めっちゃきれいやしかわ
いいから、ちょっと仕草とかまねしたりしたら、うちの真柄とか…、あの時隣にいたや
つやけど、似合わへんからやめて下さいとか平気で言いよるし。ま、昔からそうなんや
けど…。あん時も…、普通の女の子やったら…、あんなことせえへんかったのに…。ほ
んま、うち後悔してんねん。ごめんね…。」
あの時のことにやはり話が及んでしまったかと思いながら、河合は 、「あれはあいつ
らが悪いんや。ケイちゃんはなんも悪ないよ。あん時のけんかも友達のためにやったん
やし。」とフォローした。
「その…、この間、ケイちゃんと紀昌美とが出てた番組54見てて思てんけど、ケイちゃ
んのその友達思いってゆうかまじめってゆうか、そういうとこ昔から変わってないなぁ
って。」
「ありがと…。でも、うちよりヨシくんのほうがもっとそうゆうとこあるやん。あん時、
ヨシくんが助けに来てくれて、ほんまにうれしかってんで。それは今でもずっとそう思
てるから。」
朝倉は河合のほうに顔を向けてそう言った。朝倉に見つめられた河合は 、
「なんか恥
ずかしいな…。
」と言って照れ笑いをした。その様子を見て朝倉は、さらにまじめな顔
をして、河合の顔を正視した。
「せやないねん。もしヨシくんがあん時のことで、その…、かっこ悪かったなとか思て
んねやったら、絶対ちゃうから。そんなんちゃうから…。だってそんなん、めっちゃか
っこいいに決まってるやん。全力でうちのこと助けてくれてんから。せやから…、そん
な恥ずかしいことなんかないんやで…。」
最後は消え入るような声になりながら、朝倉は精一杯、自分の思いを河合に伝えた。
河合は、その思いを聞いて、これまでずっと心の底で根を張ってこびりついていた腫
れ物が根こそぎ溶けていき、胸の内がじわ~っと暖かくなるのが分かった。
「ありがと。そう思てくれてたんやったら、ほんま、なんか、救われた感じがするわ。」
河合は低い声で落ち着いて答えた。
今度は河合に見つめられ、朝倉は恥ずかしくなって、再び電車を見始めた。二人はま
54
朝倉も紀昌美もテレビ番組のトークショーに出たことは今までなかったが、事件の後、
極めて異例だが一緒に出演した。その番組で朝倉は、紀昌美があの本丸での戦いで、朝倉
の馬が射られたときに威嚇のために放った一本以外、すべて矢を的中させたことを披露し、
決して自分だけが鬼のように暴れて活躍したわけではないことを話しつつ、落馬して窮地
に陥った時に身をもって助けてくれたことを一生忘れないと改めて感謝の気持ちを伝えた。
これに対し紀昌美は、朝倉さんが好きだと言ってくれたことがとてもうれしかったと女の
子らしく答えた。
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たしばらく無言で電車の行き来を眺めていた。
「今度、良かったら、弁天町の鉄ジ、見に行く?」
沈黙がもったいないので、河合から切り出した。
「うん。行こ!絶対行こ!うち、あそこの年間フリーパス持ってんねん。せやから何回
でも行けんで。店長にヨシくんの分も発行してって頼んでみよかな…。」
河合が、フリーパスなんか売ってたかなと考えていると、朝倉は何か名案が浮かんだ
のか、さらに顔色を明るくさせて、
「あ、そうそう!そう言えばあのNゲージまだ持っ
てんの?」と声を弾ませた。
「ん?あぁ、あれ。確か、実家にまだ置いてると思うけど。」
「じゃあ、あれで久しぶりに遊ぼ!」
「えっ!ここ十年ぐらい遊んでへんから埃まみれやと思うけど…。」
「じゃあ、掃除しといて。遊びに行くから。」
朝倉にだんだん遠慮がなくなってきた。
「なんか懐かしいなぁ。あの頃、よう遊んだね。線路つなぎながら、ブロックとかでビ
ルとかお店とか建てたりして町作って、段ボールでトンネル作ったり…。今から思たら、
福島での三年半楽しかったわ…。まあ、ほんまゆうたら、お母さんがお父さんと離婚し
て、それで福島に来たから、やっぱりさみしかったけど、ヨシくんとかいろんな友達が
遊んでくれたし…。」
走り行く電車の向こうに小学生の自分の姿を追いかけている朝倉の横顔を見て、河合
はふと、「かわいい」という気持ちを持った。そして、自分の心に引っかかっていたも
のがあまりにもくだらないものであることに気づいた。今まで彼女を「サファイアの彗
星」として意識しすぎていた。確かに彼女は世界中にたくさんのファンを持ち、合戦界
最強の戦士であり、また合戦界に留まらないスーパースターであるが、しかしそれはそ
れとして今自分の目の前にいるのは、五年二組の朝倉景子が大人になった姿であり、ち
ょっとボーイッシュな二十五歳の普通の女の子であって、自分が好きだと思うのなら好
きになってもいいではないか。素直に自分自身の気持ちに従って考えればいいのではな
いかと考え直した。
朝倉がちらっと自分の腕時計を見た。七時三十分。
「実はさ…。」
今度は河合の番だった。
「その…、ケイちゃんが西宮に引っ越したときにくれた手紙、あれ、ずっと今も持って
んねん。机の引き出しにしまいこんでんねんけど、でも時々、読み返したりもしてるん
やで。それにこの間また手紙くれて、俺、うれしかってん。せやから…、今日、こうや
ってまた会ってくれて、ほんまうれしいと思ってるから…。」
朝倉はうつむいたまま黙っていた。しかしそれは朝倉にとって河合の言葉が十分すぎ
るからだった。小学五年生のときに、泣きそうになるのを我慢しながら書いたあの手紙
を今でも持っていてくれているというその事実の表明だけで、もういくら満足してもし
きれないくらいだったからだ。彼女が握る手すりにはぽたぽたと涙が落ち、その両手は
小刻みに震えていたが、何とか感情を抑えようとしながら 、「ありがと。うちもうれし
い…。ほんま…、やっと…。めっちゃうれしい…。」と涙声で返答した。
急いでハンカチで涙と鼻水を拭いて一呼吸置いた上で、朝倉は河合のほうを向いて 、
「じゃあ、行くね。今日はごめんね、こんな短い時間で。」と小声で言った。
「いや、こっちこそ忙しいのにありがとう。」
河合は、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
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「今度、韓国から帰ってきたら、また会おね…。」
朝倉はそう言いつつ、またハンカチで目を当てた。
「へへっ、あかん、また涙出てきた…。また会えんのにね。うち、こんな気持ち初めて
やから。」
河合がうれし泣きで目を輝かせている朝倉を見つめていると、彼女は 、「じゃあ、ま
たね。
」と言って微笑んで胸元で小さく手を振った。そしてまた新たなドラマが始まる
予感を残しながら、小走りで広場の端にあるエスカレータのほうに向かい、空中のステ
ージから駆け下りていった。
(以上、第一部から第三部まで終わり)
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