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北 山 旅 - 日本山岳会北海道支部

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北 山 旅 - 日本山岳会北海道支部
平成 3年 1
2
月
日本山岳会
北海道支部
札幌市中央区
北 2条西 1
0丁目
植物置グランド
ハイツ内
6
9
3
7番
振替口座小相約一 1
父、三田幸夫を想う
芳賀淳子・・ ・・
.
(
4
)
H
6
)
会員近況のお知らせ・・・・・・・・・ (
。
。
詰叫
口
同
国
雄男一
光成優
津田保
高安久
員
委
集
編
私達は右の新道を行く(新道の方が
過ぎて間もなく旧道と別かれるが、
って来て、今夜は国民休暇村網張温
し 下 る と 盛 岡 の 友 A君 も 旧 道 よ り 登
には時聞が余るので、途中田沢湖側
八日八時出発。鳥海山に直行する
泉でささやかに会食。
途中駒鳥清水の水場があるが、八
る。このコ l ス は 八 合 目 迄 車 で 行 け
から秋田駒ヶ岳に登って行く事とす
登るにつれ雨も上がりガスの中を進む。
七百六時十五分に八戸港着。すぐ
合自の避難小屋の前には立派な水場
るので軽く登れる。行きつけの駄賃
出発し八戸高速自動車道を通り、約
にしては手頃な山である。駒ヶ岳と
昨年先輩と行った楽しい東北の山行
動平から道は右に折れ、火山礁の歩
(オナメダケ)が最高点である。車
は幾つかの山の総称で頂上は女自岳
る。この辺りは平担で少し進むと不
き 難 い 道 を 三l 四O 分 登 る と 頂 上 で
があり、美味しい水が豊富に出てい
私 の 友 人 仙 台 の S君も着いていて、
あ る 。 頂 上 着 十 三 時 五O 分 。 ガ ス で
る。既に函館より横内、桜井両会員
東北の山へ行く話となり岩手山に決
氏も到着。岩手山柳沢コ l スの馬返
間もなく支部長の学生時代の友人 Y
束の滝沢インターを八時十五分頃出
った。私は初めから東北へ行ったら
を降りてのんびりと行って一時間二
スケジュールの打合せでも、一回は
折角のチャンスだから、岩手山の次
五分で頂上である。だが阿弥陀池の
小 屋 よ り 頂 上 迄 は 二O 分程である。
っ て 下 山 。 不 動 平 近 く 迄 降 り た らY
氏のエスコ i ト を 頼 ん で い た 横 内 さ
斜面の崩落防止の丸太の階段は高す
展望がきかなかったが記念写真をと
が強くなるがパーティーの中に私の
ん が 疲 れ た Y氏 を 小 屋 に 休 ま せ 一 人
い。一つの頂上へ登ってもまだ時間
ぎて下りで膝が疲れる事おびただし
し駐車場に向かう。身仕度を整え総
友人で岩手山には何が何でも是非登
つき合う事にする。運よくガスも切
で走って来たので、もう一度頂上迄
勢十三名で九時十分に出発。時々一雨
りたいと云う、強い感慨と思い出を
に鳥海山にも登ろうと云う腹づもり
持っている七一歳の女性が居て、何
は十二名だけで行く事になった。
本社前に集まり二台の車で出発し、
いよいよ九月六日出発の目、道新
苫小牧発二一時十五分のシルバーフ
でいたら、二人だけ綾けて鳥海山に
を思い出していた。山行委員の年間
い山が沢山あると云ったのを聞き、
エリーに乗る。一等船室で軽く飲ん
れ私達二人だけであった。八合目迄
H
四郎
ト……野田
す1 '
"
/
惇
慈
・
・
・
・
・
・
・
・.
(
3
)
植田
とか登らせてあげようと思う。初め
に参加して
頂載し、大休止後下山にかかる。少
ヒマラヤトレッキング
戻って小屋で水科氏自慢の味噌汁を
大久保五郎・・・・・・・・・ (
1
)
はミズナラ、プナ等の林の中を歩き
東北の山旅 E
段々と傾斜がきっくなる。二合目を
支部
次
目
昨年だったか横内会員が大雪山や
良E
少し時聞がかかり歩き易いらしい﹀
五
2
1号
第
1
1
大久保
旅
で就寝。船はあまりゆれないで快適
山
であった。
の
日高の山へ行くよりは、東北の方が
北
近いので、よく登りに行くし、又良
東
登りは一時間四五分かかった。
尾根を登るとすぐ栗駒山頂である。
1ス
0 る 。 ま ず 登 り に 左 の 千 蛇 ヶ 谷 コ
取る ・
東八幡平の別荘で、岩手支部の石村
にプド l畑 を 作 る 話 等 老 い て も 盛 ん
夫妻を混じえて、 石村氏の北大山岳
部 時 代 の 話 、 中 国 奥 地 シ ル ク ロード
今 日 は 朝 仕 事 で 先 に 戻 っ た A 君の
で岩手山に次場に出る。
九日、今日を通ってジグザグに切った道を登る
が 今 回 の 山 行 と 、十合目御本殿の大物忌神社の広
昨日から心配一私は新山へ登り約二五分で頂上の岩
たら毎日温泉と云う自分が恥じ入る
な 男 の 夢 を 筒 き、 こ ち ら は 山 を 降 り
いでメ l ン の こ こ で 一 服 後 、 三 角 点 頂 上 へ 行 く
鳥海山である。一人と新山の岩蜂へ行く人と別れる。
していた台風一の上に着く。時に十時四五分。時晴天
た
。
思いであったが 、楽しい一夜であっ
も 関 東 の 東 へ 一 に 恵 ま れ 対 岸 の 三 角 点 組 と コ l ルを
は予期してい一たどる。景観が展けて大雪山の大斜
参加者
絞 け て 、 今 日 一 掛 け 合 う 。 下 り は 外 輪 尾 複 コ l スを
ない快晴の登一面を思わせる広大なスロープが続き、
山を楽しめた一冬のスキーなら最高だろうと思う。
小須田喜夫、芳賀孝郎、水科行雄、
、 横内泰美、
-2-
一日である。一今日は思ったより時聞がかかり、 十
大久保保五郎
藤 野 和 男、 桜 井 仁
他 七名。
貰っておいた一時くなって小安峡大湯温泉のよし川
昨 夜 用 意 し て 一 八 時 頃 に 宿 に 着 く 積 り が 、 二十時頃
朝食を急いで一に泊る。板前料理の旅館で味も良く、
自の鉾立迄車一夜は思う存分の大宴会であった。又
すませ 、 五 合 一 毎 日 が 早 出 の 出 発 で あ っ た の で 、 今
を廻し駐車場楽しからずや。
を五時五五分十日、須川温泉駐車場で今日函館
出発。間もなに帰る会員と別れ、私の家内と札幌
る。ここから山へ登る事にした。駐車場から温泉
く展望台であより同行した山伸間五人だけで栗駒
足下に奈曲目渓裏の大湯沼を左に見て登り出す。し
様 に 何百米 も 切 れ 落 ち て い る 。 そ し 残 ガ 原 を 通 り 、 左 手 に 有 毒 ガ ス の 噴
てはるかその上には鳥海山の頂上が出する木の立ち枯れたゼッタ沢を見
谷が氷河跡のばらく行くと真中に木道が延びる名
-が あ る の で 、 田 沢 湖 畔 で 食 事 と シ ヨ
一ッピ ング 。 そ し て 東 北 の 小 京 都 と 云
l ス、左千蛇ヶ谷コ l ス の 分 岐 に 出 広 い 峠 に 出 る 。 左 手 の ゆ る い 傾 斜 の
ぎて八丁坂を越し、右外輪山尾根コここから丸太の階段状の急坂を登り
遠望される。七合自の御浜小屋を過て、間もなく火口湖昭和湖に到着。
一平 山 荘 に 着 き 、 一 風 呂 浴 び て 疲 れ を
一わ れ る 角 館 町 で 、 お 祭 り の 山 車 見 物
一と 観 光 を 楽 し ん だ 後 、 鳥 海 四 合 目 太
鳥海山千蛇ケ谷入口
惇
慈
田
テント泊二泊(三泊も実施﹀、鋭蜂
スがありますが、往復チャーター便
所に今回の私のトレッキングスター
分、パスで山岳道路を十時間走った
飛 ん だ 場 合 カ ト マ ン ズ か ら 空 路 四O
アンナプルナヒマラヤはポカラの
トポイントのポカラの町があります。
利用という特性を生かしポカラから
マチャプチャレやアンナプルナサウ
ネパ l ルカトマン
札幌千歳空港から
ます。登山はピ l ク ハ ン ド を 主 体 と
し、そして自然にふれ、かっその景
レッキングの違いについて触れてみ
一、 ト レ ヴキ ンゲ と は
しやかにせっぽうですが登山とト
のとうりに見えます。
という意味ですが角度によってはそ
まるで天を突くようにそそりたって
北 方 約 四OMの と こ ろ に あ り 、 鋭 峰
マ チ て フ チ ャ レ ( 六 、 九 九 七 m﹀ は
スに代表されるアンナプルナヒマラ
ヤを眺望するコlスを歩いて見まし
ー使が就航。多く
ズへ初のチャータ
観を楽しむ事が最大の目的になりま
た
。
の方々とヒマラヤ
す。
トレッキングの朝はモーニングテ
三、 テ ン ト 泊
) を正面にみなが
ナ(八、 O 九一 m
ら 歩 く の が 今 回 の コ l スでした。
このマチャプチャレやアンナプル
います。現地の言葉で﹁魚のしっぽ﹂
トレァキングを体
一方トレ γキ ン グ は ピ l クハント
が目的ではなく、素晴らしい自然と
ィーで始まります。食事の用意から
7ク、 キ yチン
ボ lィ、 ポ l タ l の 動 き や 仕 事 ぶ り
は キ ピ キ ピ し て い ま す 。 サ lダ ! の
テントの撤収までコ
異文化に接する事が主な目的になり
指示のもと次のキャンプ地へ向かい
いる人々との触合いや、日本にない
000メ ー ト ル 級 の 山 々
景観を楽しみながらそこで生活して
中でのトレッキン
の内懐に点在する人たちの生活や文
ます。八、
湾岸戦争勃発と
グ企画であり、気
りました。幸いに
シ ェ ル パ 、 キ ッ チ ン ボ l ィ、ポ l タ
ー な ど が ト レ yカ ! の 荷 物 の 運 搬 し
の大きさと眺望を満喫しながら、 ビ
スタlリ 、 ピ ス タ l リ ( ゆ っ く り の
して戦争終結後の
を得ましたが平和
実施となり事なき
意)
めます。普段元気な方でもいったん
け 付 け ず ツ ア i期 間 中 に 体 力 を 回 復
体調を崩すと食べる物は勿論水も受
一
と 暑 さ か一
ら体調を崩す人が目立ち始
三時間までは遅れのうちに入らな
しょう。
いという国内線が万が一スムースに
二、ポ カラ
l 四日目あたりから疲れ
回りの事を一切やってくれることで
食事の世話やテントの設営など身の
には数多くのコ!
ツア l
の尊さを再認識す
高 所 ト レ γキン
なりました。
る貴重な機会とも
ます。歩き始めてから見え始めるヒ
化を知ることも魅力の一つです。
も う ひ と つ の 特 徴 点 は 、 サ lダ l、 マ ラ ヤ 山 群 の 形 容 し が た い ス ケ ー ル
を援む事も多くあ
いう不穏な情勢の
まれました。
験できる機会に恵
九一年三月末、
d
グも含めヒマラヤ
-3-
ヒマラヤトレツキングに参加して
植
ーレよ﹃ノ。
させることは至難です。予防策とし
ては生水、水を使った生野菜ジュー
ス類を控えることや手洗いの励行で
今年のネパ l ル は 異 状 気 象 と い っ
てもおかしくないほど暑く、現地で
は湾岸戦争の影響との声も聞かれま
した。そのせいか山に霞みがかかっ
たような感じでした。
図
、 ご 存 じ の よ う に ネ パ l ルヒマラ
ヤのスケールは 、 他 と比較しょうが
ないほど雄大です。国民性も温厚で
私は一九七五年、北海道が派遣し
た海外婦人派遣団の一員として、カ
ナダ、アメリカを研修のため訪れた
ことがあった。一ヶ月にわたるその
旅行のはじまりは、カナダのアルパ
l タ 州 か ら で あ っ た 。 すでに文化、
パ lタ州と北海道が姉妹州提携をす
る少し前のことであったが 、 私たち
子
迎を受けた 。
経済の交流の盛んになっていたアル
も 、 札 幌が 好 き だ っ た 父 が 、 こ の 地
で、 そ の 長 い 一 生 を 終 え た こ と に 依
存 はなか った に ち が い な い 。 父はい
﹀本山岳会北海道支部
正 十 五 年 ( 一 九 二 六 年 ) で は な いか
と、此度の原稿を私に依頼された日
外 遠 征 、 カ ナ ダ ・ア
さんから教え
時 の高濃い
即
られた 。 そ れ は 日 本
氏
開 山岳会の最初の海
国
依
カルガリ ーか ら エ ド モ ン ト ン ヘ パ
スで向う途中、ロ ッキ ー の 峠 越 え を
し た 。 幼 な い 時 か ら 、 カ ナ ダ ・アル
パ l タ山と いう 名 前 を 耳 に し 、 父の
書斎に飾られたアルパ lタ 山 の 写 真
を見て育った私は、パスの窓外に、
びょうぶのように連なる岩肌も、荒
々しいロ ッキ ー の 山 な み に 心 も 踊 る
に、あのアルパ l タ 山 が 連 な っ て い
ようであった。この山なみの何処か
ると思うと心が震えた。パスの座席
員として、アルパ l タ 山 に 登 り ま し
た﹂と告げた。彼女はびっくりし喜
こんでジャスパ 1 に着くと 、 二、三
ケ所に電話をかけてくれた。当時、
の隣に座ったアルパ l タ 州 政 府 婦 人
局長のエリスさんに 、思わず﹁私の
父は五十年前に、日本の遠征登山隊
札幌を訪れたという
当時の新聞記事のコ
馬で峠を越しアルパ i タの麓まで行
った日本隊の荷馬や乗馬の世話をし
その時、小樽・函館
ピ ー を い た だ き、 大
変興味深く読んだ。
ルパ l タ 山 登 撃 の 報
告講演会のために来
道したもので、父は
一行もアルパ l タ 州 政 府 の 手 厚 い 歓
つも 、 自 然 の な り ゆ き に 身 を 任 せ 、
悠然と生きていた人だったから、そ
芳
田幸夫を想う
父は今年(一九九一年)、二月十
一日に札幌の病院 で亡 く な っ た 。 九
十一歳であった 。 父の看病ができな
く な っ た 年 老 い た 母 に 代 っ て 、 私が
父 を 看 る こ と に な り 、 横 浜 か ら札 幌
淳
の静かな死に顔は﹁何処で死のうと、
の 私 の 家 に 父 が 移 って き て か ら 一 年
一 向 に 様 わ な い よ ﹂ と 言 ってくれて
二 ヶ 月 の こ と で あ った 。
そ れ 以 前 は 一 度 と て 、 私 も 家 族 も 、 いるよ う に思 え た。
父が 北 海 道 に 初 め て 来 た の は 、 大
父が札幌で 亡 く な る な ど と は 、 考 え
てもいなかったし、父本人も夢に も
パl ルも民主化の波に洗われていま
す。インドや中国のはざまでネパー
思 わ な か っ た こ と で あ ろ う 。 それで
何 事 に も ビ ス タ lリ で す が 国 民 の 生
活は大変貧しいようです。そんなネ
一
一
一
ルはどのような方向を模索していく
のでしょうか?トレァキングの途
中ゃ 、 街 角 で あ っ た 愛 く る し い 子 供
たちのその後は :
今回のトレッキングでは山岳会道
支部上野先輩、川越先輩に大変お世
話になりましたこともあわせてご報
告させていただきます。ありがとう
ございました。
賀
三田幸夫 (
19
8
0年 1月
- 4一
父
たジャスパ l ロッジの親方、.ブルー
スタ i氏 が 健 在 だ っ た ら 、 私 に 逢 わ
せてくれようとしたのだ。ブルース
タ!氏は三年前に亡くなっていた。
今はブルースタl一族の経営する.ブ
ルースタ 1 ・モーテルが盛んだとい
うことが解った。
パスがジャスパーを発ち、隣町パ
ンフに到着した時、カナダ山岳会が
﹁アルパlタ山登頂五十周年﹂を祝
って、-ハンク図書館で展示会を催し
ていることが解った。何という偶然
だろう。休館目だった図書館にエリ
スさんは交渉して、特別に開館して
くれた。掬を躍らせ、中に入ると父
達 一 行 登 山 隊 が 、 ブ ル ー ス タ l氏の
・
t
苛
r
乳、
J1h
私が病室から一歩でも出てしまえ
そうな生き生きとした目をしていた。
ロピーか ら の 景 色 を 見 て は 、 長 い イ
り忘れてしまう父であったが、この
ば、もう私が来ていたことをすっか
父と北海道をからめた追想を、と
ンドでの生活の一 端 に あ る ダ l ジ リ
ンを想い出し、歌を歌えば若かった
になり、特別の関係を持つ間柄であ
ジャスパ l ロッジの前で揃って立っ
ている、私には幼い頃より馴染み深 るだけに、すでに五十年も前に、父
い写真、最近の槙さんや、父の写真、 た ち 一 行 に よ っ て 、 固 い 鮮 が 結 ば れ
ていたことに、私は感動した。
その時に使われたシルクのザイル、
ピッケル、アイゼンなどが丁寧に展
この稿を依頼された時、このアルパ
せな最晩年を送ったと思う。幼な子
のようになった父には、長い九十年
空を想い出すことのできた父は、幸
日に岳友と過した潤沢の岩小舎の星
lタ山を巡る一件がふさわしいので
はないかと思い、ここにご披露させ
ていただいた次第である。
父は札幌の病院に入院した時、車
示されていた。(アルパ i タ山は、
日本隊登頂成功の後、何度目かの他
国の登撃の試みが行われたが、何れ
も失敗、戦後、一九四八年になって
アメリカ隊の二名によって、二度目
の登頂がなされた。同隊は自分たち
たのである。
の人生の中でも、楽しかったことば
かりが、殊更に記憶の中に残ってい
ルプス登山のパイオニア、日本最初
椅子で病世田中を院長先生に案内して
いただき、とても気に入った風であ
った。
特に、入院中は散歩と称して車椅
の海外遠征、カナダアルパlタ登山、
-5-
のピァケルを頂上に残し、代わりに
日本隊の残したピ γケ ル を 米 国 に 持
子に乗り、ロビ i に出るのが気に入
りであった。窓の外には札幌の街が
七年に及ぶインドからのヒマラヤ情
それは大正時代、積雪期の日本ア
私が訪れた一眼下に鉱がり、近くは円山、藻岩山
丁度その時に、一を見、天気のよい日には、夕張岳、
実現のための交渉、国際登山界との
じめとして、日本のエベレスト登山
交流など、一生を通して山一筋を貫
報の提供、戦後はマナスル遠征をは
父たち一行の一モスから、熱い紅茶を飲むことを最
五十年前にカ一芦別岳、暑寒別岳などを、はるか遠
足跡が、カナ一上の楽しみにしていた。そんな時は
のだったのではないだろうか、と私
き通したことへの、神からの贈りも
は思っている。
ダ山岳会の人一必ず﹁この景色は、ダlジリンにょ
パ lタ が 親 密 若 き 日 々 を 追 想 す る の か 、 実 に 楽 し
北海道とアル日本語で歌った。そんな時の父は、
た。私の住むリン﹂や﹁古き友﹂はしっかりした
た私は、本当一々と飛び出した。﹁苔提樹﹂や﹁野
に 幸 運 で あ っ 一 パ ラ ﹂ は ド イ ツ 語 、﹁ホ l マイダー
そ こ に 遭 遇 し 一 気 分 が 上 4の 時 に は 、 昔 の 歌 が 次
祝われていた。一句だった。
たちによって一く似ているよ﹂というのが決まり文
ナダに残した一くに眺めながら、私が持参したテル
ち帰り、今、そのピッケルはニュー
ヨークのアメリカ山岳博物館に保存
されている)。
マウント・アルパータ登筆中の岩場での休憩
小樽市
会員近況のお知らせ
願いします。
一一原有徳
いつもご案内ありがとうございま
す。仕事が変ったため休みが取れず
山へはさっぱり行けませんが、我家
東北山行案内の返信葉書で寄せら
れた近況を紹介します。紙面の都合
で全部を掲載できません。ご了承下
さい。(願不問、敬称略。)
いつもご案内をいただき恐縮に存
は山の中にあり、いつも四季の山々
を眺めては満足しています。
南区坂本美弥
ことが出来ず、心ならずも一切の会
家内が病気の為二十四時間離れる
に備えています。
函館市野納邦昭
夏はサッカーをやって、冬の山行
じます。勤務の関係で不参加となり
ます。ご盛会を祈ります。
南区横江一郎
元気にやってます。生徒を連れて
かけめぐってます。男子部はカムエ
クへ、女子部はトムラウシ、と付き
あい少々疲れています。が岩手は楽
しみにしていましたのでなんとか参
来年三月の定年退職まで、あと七
ヶ月となりました。札幌に家がある
ので、来年以降は文、仲間に入れて
下さい。厚真町新妻徹
合には出席しておりません。悪しか
らず。北区金井五郎
雌阿寒岳、十勝幌尻、ト yタ ベ ツ
上流、沼ノ原など楽しんでいます。
今こそ参加をと楽しみにしていまし
たが、日程が入り残念です。
音更町青山義信
種々ご心配、ご迷惑をおかけして
申し訳ありません。これから今迄以
上に山に登りたくよろしくお願いし
加したいと思います。
七飯町桜井仁
よいご計画で、ゆきたい思いにか
られますが、予定の約束でゆけませ
ん。この次またチャンスがあればお
ます。
中央区芳賀孝郎
今年の花期は例年より一週間から
十日間ほど早くきたのか、夕張、暑
寒、五色のいずれもが時期を逸した
のか、いまひとつの感があり残念で
した。紅葉、霧氷は楽しみたく思っ
てます。中央区清水国通
十日間車にて日本縦断旅行をし
ていました。南区山本直也
八月十五日利尻岳鬼脇コlスを登
って来ました。このコ i スは登山禁
止の方向を目指してると見え、笹や
這松がかぶり、あと二、三年で完全
なやぷこぎになると思います。又上
部の崩落が激しく視界不良の時は危
険です。東区大久保五郎・節子
天塩、ニセイ、暑寒別と登りまし
た。天塩は立派な小屋があり整備さ
れている感じでした。
豊平区久保田優
野生生物保護行政、環境保全行政
研修のため二年間環境庁に出向いて
います。奥多摩、奥秩父の関東の山
を味っています。先週、久しぶりに
北海道にもどり日高の山を堪能して
きました。一九九三年に世界の湿地
7
考岳{主
長瑠i
草句占 91
&
定休日月曜定休
営業時間 AM10.OO~ PM
7.0
0
登山と山スキー用品専門
札幌 1
5 干0
0
1札幌市北区北 1
2
条西 3丁目 TEL 札幌 (
0
1
1
)
7
2
1
1
2
3
5(代表)
旭 川 底 干0
7
0旭 川 市 7条 8丁目左 2号 TEL 旭川 (
0
1
6
6
)
2
3
3
4
1
6
縫 製 工 場 札 幌 市 西 区 西 野1
2条 8丁目 8-13 TEL 札幌 (
0
11
)6
6
1
8
7
74
p
o
を保護するための国際条約会議が釧
月山、栗駒山の予定です。
穂 、 十 月 は 東 北 周 遊 、 安 達 良 、 吾妻
夏の行事、水泳、ラジオ体操等で
歌登町小栗宏
多忙。山から遠ざかっています。
今年の四月から北星学園理事長に最近は毎白の如く近くの嵐山の展
東区羽根回二郎
路で開催されます。その準備です。
久志
な り 、 不 慣 れ の こ と も あ り 、 な か な 一 望 台 ま で 一 五Omの 高 さ を 登 り に 出
か山行に参加できそうにありません。一掛けています。所要時間十五分です。
西区有馬純旭川市奥田五郎
公私とも、このごろにわかに忙し
敷 岳 1ピ パ イ ロ 1 カ ム イ 、 六 月 コ イ
四月エサオマンから礼内岳、五月妙
四月から日高通いをしています。
五月に蔵王、能野岳東面の丸山沢
稚内にいるとあまり山に行けませ
ん が 、 先 日 利 尻 岳 に 登 っ て 来 ま し た 。 に行ってきました。
広 島 町 佐荷木喜一
稚内市米村清一
ぐらいです。豊平区山川力
東区榊田
高の山に魅せられています。
カク 1 一 八 三 九 峰 、 七 月 戸 蔦 別 川 !
幌尻岳、八月札内川七ノ沢左侯。日
くなり、せいぜい運動のため同歩き
うろうろ近くをはしりまわってま
す。そのうちに参加させていただき
ます。旭川市渋谷正己
カを旅してきました。やはり、かの
三年前につづいて、今夏もアラス
国の自然景観は素晴しく、限りなく
雷電岳沢登りを計画中。残念なが
ら東北山行は欠にして戴きます。
おいしさ一筋に半世紀
z
そ希事
湿原でのカヌーも格別です。
板橋区新庄
目下山麓迫遥派。スイスでもネパ
ールでもアラスカでも。年のせいで
はない筈だが。
中央区
明日からフランスへ出掛けます。
汽車を利用した田舎旅行です。おそ
らく毎日ワイン、ワインでしょうが。
所沢市大野秀樹
山に行く機会をつくれなく情けな
いことです。少しづつでも行く様に
努力いたします。
中央区
信治
知床は毎日海霧と小雨で索、い日が
続いています。
羅臼町
貞子
夏らしくない夏のうちにお盆にな
白石区‘石崎
じております。
是非ともオーロラに出会いたいと念
魅了されます。こんどは冬に訪れて、
岩内町佐々木善民
半分寝たきりの母の看病のため、
仕事が総務部から営業部にかわり、
なかなか時聞がとれず、支部山行に
三年間ほとんど山へ行けず、少々気
がめいっているところです。いつの
参加できず申し訳なく思ってます。
りましたね。体調未だ不完全(老齢
西区小野肇
小樽市佐伯節子
劣えない様に心掛けています。
日か行ける時までガマン/体力が
七月に南アの白峰三山に登りまし
-7-
保
雄
倫
文
た。九月は北ア上高地、潤沢岳、奥
銘菓集十勝目誌
おみやげに
々
│
帯広本庖
干 0
80 帯広市西 2条南 9丁目 6番地
(0155)24-2730(代)
電話
円山庖
札幌市中央区南
2条 西 2
7
丁目
干 0
64
(
0
11)6
1
2-6
6
6
6
電話
械そごう地下 1
階ヨークマツザカヤ 1
陪さつ臨急百貨庖地下1
陪札幌耕地下1
陪
(
T
E
L2
1
3
2
1
8
2
) (
T
E
L5
1
2
4
8
4
0
)
(
T
E
L2
1
2
2
2
9
9
)
(
T
E
L2
3
1
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ホワイトミルクチヨコレート
ハイミルクホワイトチヨコレート
山行の友に
大
検
佐
大
内
森
南ア・白峰三山縦走、
支部日誌
平成3年3月 叩 日1仔 日 チ セ ヌ プ
リスキl山行参加問名会報
ln
参加 M
お月見集会と縫鉾
東北山行
岩見沢市高橋正一五五六号参照
一
6月 羽 田 支 部 委 員 会
今年はいまのところ十一回の山行一第一ホテル
9月6 日J 8日
で終ってます。一
豊平区津田良子一名
一叩月叩日tm日
室蘭に勤務して一年半になります旦岳犯名
北区滝本幸夫
職場が移転しなにかと落ち着きま
せん。南区赤石喜恵子
札幌に転勤になりました(単身で
すが)東区佐藤文彦
出席目名
恵まれ楽しい山行でした。一
6月1 日l2B 朝 日 温 泉 か ら 雷 電
江別市中嶋英彦一山と山菜取り参加同名会報
一﹁山﹂五五五参照
日道新羊蹄自然の家
参 加 で き な く て 残 念 で す 。 昔 、 五 一 6月泣日
9名 ﹁ 山 ﹂
月に登った想い出の山です。一から羊蹄山参加
七 月 十 九l 一 二 日 と 久 し 振 り に ク 一 部 総 会 セ ン チ ュ リ l ロ イ ヤ ル ホ
ワウンナイに行って来ました。天候に一テル
宮城支部の庄司さん達には、一昔﹁山﹂五五三号参照
前 に 台 湾 の 山 で お 世 話 に な り ま し た ﹂ 5月 同 日 支 部 委 員 会 出 席 叩 名
小樽市末岡陸一雪印パーラー
一
5月 幻 自 支 部 委 員 会 引 き 続 き 支
故郷の山なので何とか行きたいの
の た め か ﹀ な の で 今 回 も 見 送 る こ と んびりつかって帰ってきました。
南区山上郁子
ですが、勤務に縛られて動きがとれ
にいたします。
ません。残念です。
中央区橋本誠一
さっぱり活動していなくて申訳け
厚別区遊佐武
四月に入会させていただきましたありません。最近は年に一度利尻に一
が、ごぶさたしております。山行は登るのが山への約束事になっていま
7/mlm
役所の職員会の旅行とぶつかって
しまいました。残念です。
北区小林年
行ってきました。
中央区一浦勝幸
八月中旬、日高方面の植生調査に
小清水方面も今年は天気が悪く、
山も良く見えません。
小清水町飽津博史
月に三1 四 回 、 軽 い の を し て い ま す の 一 す 。 北 区 菊 池 洋
十月の雄鉾には参加したいと思って
おります。白石区長谷川謙吾
七i 八 月 、 四 週 間 ほ ど カ リ フ ォ ル
ユアの長男の所でバカンスをたのし
んで来ました。九月はドイツでの学
会に出掛けます。岩手山は火山学研
究で何回か登った山です。帰りに松川
の地熱発電所を見学するとよろしい
かと思います。南区八木健三
八月はアメリカン・ロッキーコロ
ラド山中三三OOm付 近 を ト レ ッ キ
ング。周りは四OOOm級 の 山 々 で
氏のレリーフに黙悼してきました。
す 。 ハ ワ イ の ワ イ キ キ 浜 は 日 本 人 で 8/5 愛別岳、 8/H 武利岳、
8 /白 神 威 岳 。 神 威 岳 で は 大 塚 武
一杯でした。厚別区平野明
東区岩佐敏彦
一度皆様に楽しく同行させていた
だきたく思っていますが、仕事の都
登山とはずいぶん前からごぶさた
合によりなかなか実現出来ません。
していますが、せっかく入れていた
本別町表弘
だいた会なので、会費だけは必死で
七 月 末 に 大 雪 の 花 畑 を 見 に 行 き ま 支払い続けています。
豊平区草野盈
したが、天候に恵まれずに温泉にの
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