...

魚道の技術を用いた水域ネットワークの構築

by user

on
Category: Documents
42

views

Report

Comments

Transcript

魚道の技術を用いた水域ネットワークの構築
会員コーナー
【環境対策】
魚道の技術を用いた水域ネットワークの構築
鈴木 正貴
福井県土地改良事業団体連合会 事業部環境計画課
1.はじめに
る水域が存在していて、これらの水域の繋がりを「水域
ネットワーク」と呼びます。水田地帯に生息する魚の多
大学の学生だった私が、研究テーマを求めて農村を歩
くは、この水域ネットワークを移動して生活しています
いていた時のことです。集落を抜けて水田地帯に入り、
(図−1)。たとえば、ドジョウやフナ類、およびメダカ
水路に沿って歩いていると、水尻の木板を外して水田の
やナマズは、水田で産卵することが知られています。こ
水位を調節している古老に出会いました。古老の腰元を
れらの魚が水田で産卵する理由については諸説あります
みると、そこには魚籠(びく)がぶらさげてありました。
が、まず水田で産卵する魚の卵は粘着性が弱いので、水
魚好きだった私は、挨拶もそこそこに魚籠の中身をみせ
田のような止水域は卵が流される心配のないことが考え
てもらうと、なかにはドジョウやフナの仲間がたくさん
られます。また、孵化した稚魚にとって、水田は餌とな
入っていました。「大漁だ」と得意気な顔で語る古老に
るプランクトンの発生量が多いことや、生長する稲に身
「この魚をどうするのですか」と尋ねると、「自分で食べ
を隠すことで鳥類などの捕食者から退避できることも推
ることもあるし、朝市で売って小銭にすることもあるよ」
と楽しそうに答えてくれました。安室(2005)は、こ
の古老が営んでいた水田や農業水路における漁撈(ぎょ
ろう)を包括して「水田漁撈」と呼び、動物性タンパク
の摂取や金銭収入源、あるいは娯楽など農村における
様々な生活文化的意義を担っていると述べています。水
田地帯に棲む魚の多くは、このように農村で暮らす人々
と密接な関わりをもっていたのです。
ところが、1999年に環境庁(現、環境省)が公表し
田植えの頃
た「絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト[5]汽
水・淡水魚類」(以下、レッドリスト)に、絶滅危惧Ⅱ
類としてメダカが記載されました。多くのメディアが、
この話題をとりあげたので、当時の事を記憶している方
もいるでしょう。そして、その後の2007年に見直され
たレッドリストには、「田園地帯を生息地とする多くの
種が、より危険度上位のランクへ移行」していました。
すなわち、私達にとって身近な魚が、眼前からその姿を
急速に消しつつあるのです。
私たちヒトは、失ってはじめて、その存在価値を見い
中干しの頃
だすことが多々あります。事態が最悪となる前に、なに
か手立てはないのでしょうか。そこで、本稿では、水田
地帯に棲む魚の保全および再生工法の一つである「小規
模魚道」という技術を紹介したいと思います。
2.水田地帯に棲む魚の生活
四季を通じて水田地帯を見渡すと、河川や幹線水路に
は常に水がありますが、水田や小水路は灌漑期にのみ水
を湛えています。このように、水田地帯には性格の異な
落水の頃
(図−1)農事暦と魚の生活
53
測されます。そして、産卵を終えた親魚や、育った稚魚
は、稲刈りの頃までに、常に水のある河川や幹線水路に
4.小規模魚道という技術
下っていきます。なお、ドジョウについては、水田内に
水田を産卵場とする魚の減少を招く一因となっている
湿り気を帯びた場所があれば、そこで越冬することもで
ほ場整備ですが、一方で、農業従事者には、農作業の省
きます。
力化や水管理の簡便化など様々な恩恵をもたらしてお
このように、水田は、稲を育むだけではなく、魚を育
り、農業の担い手確保に貢献しています。さらにいえば、
ほ場整備は、全国にある水田のおよそ6割において、す
むゆりかごにもなっているのです。
でに実施されています。したがって、ほ場整備によって
農業従事者が得る恩恵と、水田地帯に棲む魚の保全・再
3.ほ場整備がもたらす魚への影響
生とを両立させることを考えなければなりません。この
日本各地の水田では、1963年に制度化された「ほ場
整備事業」が実施されてきました。そして、近年、この
ような背景から考えだされたのが、魚道という技術を利
用した水域ネットワークの構築なのです。
ほ場整備事業が水田地帯に棲む魚たちの減少理由の一つ
となっていることが明らかとなってきました。それでは、
ほ場整備は水田地帯に棲む魚に対してどのような影響を
及ぼすのでしょうか。
(図−2)は、水田地帯を流れる小河川で捕まえた魚
の尾数について、ほ場整備前後の変化を示したものです。
1998年の冬に工事が完了したのちの1999年には、総尾
数が激減していることがわかります。その後の総尾数は
回復傾向がみられますが、種類別にみるとドジョウとフ
ナ類の尾数は回復傾向にありません。これらの種類の尾
数が回復しない一因として、ほ場整備による水域ネット
ワークの分断があげられます。ほ場整備では、排水路を
深く掘り下げ、水田の水尻と排水路との間や、排水路と
河川との間に落差をつくります(図−3)。これらの落
差が、水田で産卵する魚の移動を阻害しているのです。
(図−3)ほ場整備前後における水田と排水路
100
その他
ギバチ
ウグイ
フナ類
アブラハヤ
ホトケドジョウ
ドジョウ
90
80
(尾 / 100m)
70
60
50
40
30
20
10
0
96夏
96秋
97夏
97秋
98夏
98秋
99夏
99秋
00夏
00秋
(図−2)ほ場整備前後における生息魚の変化(宇都宮大学水谷研究室)
54︱ARIC情報№94ー2009
01夏
01秋
■会員コーナー【環境対策】
(1)小規模魚道とは
魚道とは、「取水施設等河川の流路を遮断する工作物
を河川に設置し、それが魚類の移動を困難、もしくは不
能にする障害となる場合、これを回避し、移動の目的を
達せしめるために設ける施設」であると定義されていま
す(農業水利施設魚道整備検討委員会 1994)。すなわち、
一般河川にある床止めや取水堰に設置された、規模の大
きな階段状の構造物のことです。見覚えのある方もいる
でしょう。ただし、水田地帯に設置する魚道ですから、
水量の増減に機能が追従できる構造にすべきですし、管
(図−4)開発された小規模魚道
理者となる農業従事者に対して普及を図るためには可能
な限り単純な構造が良いでしょう。さらに、ほ場整備の
波付の丸型
完了した水田に設置しようとすれば、農業従事者が自ら
施工可能となるように、軽量素材で作ることも必要でし
ょう。このように、水田地帯の水域ネットワークを構築
するための魚道は、一般河川の魚道とは性格の異なる魚
道であることから、
「小規模魚道」と呼んでいます。
(2)カスケードM型と千鳥X型
以上のような特徴をもつように開発された小規模魚道
の構造には、カスケードM型と千鳥X型の2つのタイプ
があります(図−4)。カスケードM型は、小さな角材
を等間隔に並べた構造で、ドジョウの匍匐型の溯上が確
波付のU型
認されています。千鳥X型は、堰板上部が斜めになって
いることから堰板の越流速が多様化し、低流量時でも水
深を確保できる構造となっていて、ドジョウだけではな
くフナ類やメダカなどの溯上も確認されています(鈴木
ら 2006)
。
波付のU型と堰板
(3)既製品を応用した小規模魚道
(図−5)小規模魚道の製作に使う市販品
三塚ら(2005)は、これらの小規模魚道を、より簡
単に設置するため、市販品を用いることを検討しました。
その結果、カスケードM型は、形状が類似する市販品の
「波付の丸型」と「波付のU型」で、千鳥X型には、凹部
に木板を挟み込んだ市販品の「波付のU型」で、それぞ
れ製作できることがわかりました(図−5)
。
ただし、これら市販品を用いた小規模魚道は、その効
5.小規模魚道の設置方法
ほ場整備の完了した水田において、小規模魚道を用い
た水域ネットワークの構築を図るには、次の二つのタイ
プが考えられます(鈴木ら 2007)
。
果を発揮する設置条件があることもわかっています。
「波付の丸型」と「波付のU型」を使用した小規模魚道
は、設置勾配の上限が約10度(約1/5.6)です。また、
(1)水田直結タイプ
(図−6)は、水田一筆毎に小規模魚道を設置する方
魚道内に水を流し過ぎないことや、魚道の下流端の底面
法で、畦畔に埋設して設置する場合(a)と、排水路側
を、接続する水路の水面上に近づける必要があります。
に突き出して設置する場合(b)とに大別されます。前
そして、凹部に木板を挟み込んだ市販品の「波付のU型」
者は、小規模魚道によって排水路の通水断面を阻害する
を使用した小規模魚道は、設置勾配の上限が約20度(約
ことがなく、一筆毎に地権者の了承が得られれば設置可
1/2.7)となっています。
能ですが、掘削作業や魚道下流部の排水路側壁の除去な
ど少し手間のかかる施工を必要とします。後者は、水田
一筆毎に地権者の了承を得ることに加えて、排水路の管
理者の了承も得る必要がありますが、簡易な施工方法と
して採用できます。ただし、魚道本体が排水路の通水断
55
(a)福井県の事例
栃木県の事例
疑木による護岸
右岸側水田
左岸側水田
土水路
排水パイプ
φ800mm
(図−7)二段式排水路タイプ
(b)福井県の事例
6.小規模魚道の生息魚に対する効果
(図−6)水田直結タイプ
二段式排水路タイプを採用した水田を対象に、水田に
溯上する魚と、水田から降下する魚を調べてみました
面を阻害するため、頻繁に増水する排水路や、幅が狭小
の排水路に設置することは困難です。
(鈴木ら 2009)。その結果、2001年の溯上魚はドジョウ
のみでしたが、2002年は3科8種となりました(表−
1)。とくに、2002年の結果では、水田Bにおいて、ド
(2)二段式排水路タイプ
ジョウの溯上数が380尾であったのに対し、その降下数
(図−7)は、二段式排水路タイプと呼ばれるもので
は13487尾で溯上数の約35倍となりました。また、同じ
す。排水路を段上げして上部に土水路を造成し、地下に
水田Bにおいて、フナ類の溯上数が112個体に対し、そ
排水パイプを埋設した構造となっています。隣接する水
の降下数は2050個体で溯上数の約18倍となりました。
田は、上部土水路に接続する水尻と排水パイプに接続す
溯上した個体の体サイズと降下した個体の体サイズを比
る水尻との2つの排水経路をもっています。通常時の排
べてみると、ドジョウとフナ類のいずれも、親魚が水田
水に利用する上部土水路に接続された水尻は、水田内へ
に溯上して、稚魚が水田から降下していることから、水
の魚類の遡上経路としての機能をもっています。さらに、
田で再生産が行われたことが推察できます。したがって、
豪雨による強制排水時には、排水パイプに繋がる水尻を
ほ場整備の完了した水田においても、小規模魚道を設置
併用します。
すれば、一定の種類の魚の生活を保証することができる
この二段式排水路タイプは、魚類が移動可能な土水路
のです。
と広い面積の水田群を一度に創出できます。したがって、
新規のほ場整備を行う場合に有効です。ただし、当施工
方法の導入にあたっては、土水路の維持管理体制の確立
や、多数の地権者の同意が必要となります。
7.河川や幹線水路での魚道の設置
水域ネットワークを構築する対象が、幹線水路や河川
といった規模の大きい水域の場合は、どうしたら良いの
でしょうか。たとえば、幹線水路であれば、全断面魚道
56︱ARIC情報№94ー2009
■会員コーナー【環境対策】
(表−1)二段式排水路タイプにおける各水田での溯上・降下魚数
調査年
2001
2002
和名
水田 B
水田 A
水田 C
水田 E
水田 F
溯上
降下
溯上
降下
溯上
降下
溯上
降下
溯上
降下
ドジョウ
207
325
49
24
13
65
10
カワムツ
0
0
1
0
0
0
1
412
6
381
0
5
0
ウグイ
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
アブラハヤ
7
0
0
0
0
0
0
0
0
1
タモロコ
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
フナ 類
73
5
23
2008
1
0
0
0
15
37
ドジョウ
329
40
380
13487
110
49
179
138
74
429
シマドジョウ
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
ホトケドジョウ
3
0
0
0
3
0
0
0
0
0
ギバチ
0
0
0
0
1
0
0
0
1
9
福井県の事例
(図−8)粗石付き片斜曲面式魚道
(図−9)ハーフコーン型魚道(通水前)
の一つである「粗石付き双(片)斜曲面式魚道」を検討
した水管理や、水田内の水位低下に伴う魚の斃死(へい
することができるでしょう(図−8)。また、河川に設
し)を防ぐため、水田の一部を深掘するといった配慮を
置された頭首工などには、「ハーフコーン型魚道」を検
並行して行う必要があるのです。
討することができます(図−9)。ここでは紹介のみに
さらに、守山(2009)は、魚道の新設によって、そ
とどめますが、これらの魚道は、水理学の有識者と魚類
の上流域に新たな種類の魚が生息したことを報告してい
学の有識者が、互いに意見を持ち寄って設計したもので
ます。このような新たな種類の魚の侵入が、在来の魚に
すので、効果に対する信頼性は高く、優れた魚道である
与える影響は未知であり、その影響を把握するには長期
ことを付記しておきます。
の調査が必要になります。したがって、水域ネットワー
クの構築を計画する際には、魚道を設置する予定箇所の
8.水域ネットワーク構築の課題
水域ネットワークの構築には、多くの課題が残されて
上流側および下流側に棲む魚を精査し、その結果をもと
に、専門家の意見を仰ぐといった慎重な態度が求められ
ます。
います。まず、小規模魚道を架けるだけで、生息魚に対
する効果が得られるわけではありません。水田へ溯上す
る、あるいは水田から降下するといった魚の行動に配慮
57
9.最後に
本稿で紹介した小規模魚道による水域ネットワークの
構築は、水田地帯に棲む魚の保全・再生を目的とした技
術に過ぎません。水田地帯には、植物や両生・は虫類、
引用文献
1)安室知(2005)「水田漁撈の研究−稲作と漁撈の複
合生業論−」慶友社.
2)三塚牧夫・遊左隆洋・渡邊真・大場嵩・結城あゆ美
鳥類など、魚以外にも絶滅の危機に瀕している生物はた
(2005)伊豆沼・内沼周辺における小規模水田魚道
くさんいるのですから、これらすべての生物に対し、そ
の遡上実験.平成17年度農業土木学会大会講演要旨
の保全や再生に取り組んでいかなければなりません。ま
集、436-437.
た、小規模魚道についても、その構造や設置方法は、ま
3)守山巧弥(2009)「5.3 河川から農業水路への魚
だ発展の途にあると考えていますので、今後も新たな技
の移入」、水谷正一・森淳編著『春の小川の淡水魚−
術の開発が望まれます。
その生息場と保全』所収、学報社、95-97.
4)農業水利施設魚道整備検討委員会編(1994)農業水
利施設の魚道整備の手引き.1-2.
5)鈴木正貴(2006)「6.2.1 水域ネットワークの構
築と評価」、有馬朗人監修『これからの大学等研究施
設第3編「環境科学編」』所収、科学新聞社、161166.
6)鈴木正貴(2007)「3.1 魚道の対策と効果」「3.
2 落差工の対策と効果」「3.4 小河川−排水
路−土水路−水田のネットワーク化と効果」、水谷正
一編著『水田生態工学入門』所収、農文協、100-106、
107-111、118-124.
7)鈴木正貴・水谷正一・三塚牧夫・中茎元一(2009)
「5章 水田・農業水路ネットワークの復元」、高橋
清孝編著『田園の魚をとりもどせ!』所収、恒星社
厚生閣、111-128.
58︱ARIC情報№94ー2009
Fly UP