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生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に 係る裁判外紛争解決手続(ADR)
生命保険論集第 193 号 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に 係る裁判外紛争解決手続(ADR)の 判断枠組みと解決技法1 ) 日野 勝吾2) (淑徳大学コミュニティ政策学部助教) 1.はじめに ~消費者紛争の紛争解決手段・方法としての ADR~ 我が国において、 「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」 (平成16年12月1日法律第151号) (以下、 「ADR法」という)が平成19 年に施行され、 裁判に代替する紛争解決手段として認証ADR制度が開始 して8年が経過した。特に消費者紛争をめぐる裁判外紛争解決手続に フォーカスしてみると、独立行政法人国民生活センター法が平成20年 に改正され、 「消費者紛争のうち、消費者に生じ、若しくは生ずるおそ れのある被害の状況又は事案の性質に照らし、国民生活の安定及び向 上を図る上でその解決が全国的に重要である」 (独立行政法人国民生活 センター法第1条の2第2項)消費者紛争に係る裁判外紛争解決手続 (以下、 「重要消費者紛争解決手続」という)が平成21年4月より実施 1)本稿は、公益財団法人生命保険文化センター「平成26年度生命保険に関す る研究助成制度」の助成を受けたものであることを付記する。 2)元内閣府国民生活局企画課政策企画専門職、元消費者庁企画課係長、前独 立行政法人国民生活センター紛争解決委員会事務局職員等を経て、現職。そ の他に、現在、高崎商科大学商学部兼任講師、尚美学園大学総合政策学部非 常勤講師も務める。 ―121― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 され、既に6年が経過している。 ADR法施行後、平成27年11月1日現在のところ、138の民間事業者が 認証を取得し、消費者紛争をはじめとして様々な範囲の紛争に関する 裁判外紛争解決手続(ADR)業務を担っている3)。そうした多種多様な 紛争を多様な民間事業者がADR業務を実施し、 国民の紛争解決ニーズに 対応しているものの、紛争の取扱実績は年間に数件に満たないケース が数多く、業種や地域的な偏在がみられる等の指摘が平成25年に発足 した法務省の「ADR法に関する検討会」4)においてもなされている。 こうした法的基盤に基づいて萌芽的に我が国における消費者紛争 解決機能は徐々にではあるが整備されてきたとはいえ、 各ADR機関の手 続結果に鑑みると、必ずしも予測可能性や法的安定性を有するとは言 い難い事案があることなどから、国民から信頼された解決手続として 認知されておらず、解決に至る判断枠組みや解決技法も明確に解明さ れているとはいえない。また、これまで裁判外紛争解決手続(ADR)に 関する研究は認証ADR制度発足時(平成19年度)には世間の耳目を集め たことなどもあってか、数多くの先行研究が登場したものの、近時に あっては裁判外紛争解決手続(ADR)に対する国民の期待感が喪失する 3)平成27年11月15日現在、ADR法による認証は第141号まで進んでいるが、3 つの事業者は業務廃止あるいは解散している(認証番号第2号及び第15号は 業務を廃止し、認証番号第117号は解散) 。詳細は、 「法務省かいけつサポート」 ホームページ(http://www.moj.go.jp/KANBOU/ADR/)を参照。 4)当該検討会は、ADR法附則2条が、 「政府は、この法律の施行後五年を経過 した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要がある と認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。 」と規 定していることを受け、広く国民の意見を反映する観点から、法律実務家、 学者、有識者等を構成員として、平成25年2月に法務省に設置されたもので ある。法務省が収集したADR法施行後5年間の各事業者の実績等に加え、ADR 事業者等に対してヒアリングを実施した上、制度及び運用の両面から多数の 論点について幅広く議論を行ったものである。同検討会議の審議過程等につ いては、法務省ホームページ(http://www.moj.go.jp/housei/adr/housei09_ 00036.html)を参照。 ―122― 生命保険論集第 193 号 とともに、裁判外紛争解決手続(ADR)の学術領域が、いわゆる「交錯 法領域」であることなどを理由にして、民事訴訟法学や消費者法学の 観点からの理論的蓄積のないまま、現在に至っているのが現状である と評価できよう。 そうした状況を踏まえ、本稿では、消費者紛争のなかでも、とりわ け生命保険契約をめぐる紛争(生命保険契約締結過程において不適切 な募集行為や説明不十分(説明不足)等を理由とした事案等)に焦点 を当てて、 一般社団法人生命保険協会裁定審査会 (以下、 「裁定審査会」 という)及び独立行政法人国民生活センター紛争解決委員会(以下、 「紛争解決委員会」という)の各ADR機関によって処理された手続過去 事例を通じて、生命保険契約をめぐる紛争の解決システムの特質等を 解明する。 その前提として、各ADR機関の制度上の特質等を概観した上で、論 じることとし、併せて、消費者紛争解決の有効なシステムと具体的な 判断枠組みや解決技法(指針)を提示することにしたい5)。 2.生命保険協会裁定審査会の制度的特徴と苦情処理手続・紛争解決 手続の分析6) 5)本稿の執筆にあたって、一般社団法人生命保険協会生命保険相談室及び独 立行政法人国民生活センター紛争解決委員会事務局の各役職員より有益な示 唆や助言等を受けている。改めて厚く御礼申し上げたい。また、各ADR機関と もにADR手続履践にとって不可欠である非公開原則に則って事案を係属して いるにも関わらず、筆者の不躾な内容のヒアリングを御快諾頂いたからこそ 本稿が成り立っているといっても過言ではなかろう。この点につき、改めて 陳謝するとともに御宥恕を請うばかりである。もちろん本稿の内容等に関す る一切の責任は筆者にあることは言うまでもない。 6)以下、裁定審査会の概要や現況と課題等については、北川隆之他「生命保 険協会『裁定審査会』の現状と課題(2)」法律のひろば 65巻12号56頁以下他 (ぎょうせい、2012年)を参考にしている。 ―123― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 (1)生命保険協会裁定審査会の役割とその特徴 裁定審査会は、生命保険相談所の紛争解決手続として実施されてお り、制度上は同相談所内に設置されている。平成22年10月7)より保険 業法(308条の2第1項以下)に規定する指定紛争解決機関として、金 融庁の指定に基づき、生命保険業務・外国生命保険業務に関する苦情 処理手続及び紛争解決手続等の業務(以下、「裁定審査会苦情処理手 続・紛争解決手続」という)を実施している8)。裁定審査会は、生命 保険協会における苦情処理を含む紛争解決手続の中核的役割をなすも のである。 上述の通り、裁定審査会は、裁定審査会苦情処理手続・紛争解決手 続に係る業務を実施しているが、その前提として、生命保険相談所に おいて、重点的に生命保険に関する苦情・相談対応を行っている。す なわち、まずは生命保険相談所が苦情を受け付け、その後、生命保険 会社と保険契約者等との間で十分に協議をしても紛争解決に至らない 場合は、中立・公正な立場から裁定審査会において裁定(紛争解決支 援)を行うこととなる。 なお、例外的に、生命保険相談所が苦情の申し出を受理したことを 当該生命保険会社に連絡し、解決を依頼した後、原則として1ヶ月を 経過しても問題が解決しない場合には、裁定審査会に申立てることが 可能となっている。 7)なお、生命保険協会は、平成22年9月15日付で、金融庁長官から保険業法 に基づく生命保険業務及び外国生命保険業務に関する指定紛争解決機関の指 定を取得している。 8)指定紛争解決機関として指定を受けるに先立って、平成13年4月から、自 主的なADR制度として裁定審査会を設置し、公正・中立な立場で紛争解決に係 る業務を行っていた。指定紛争解決機関として指定された後は、法的に制度 が位置づけられ(保険業法308条の2) 、また、法的効果として、紛争解決手 続による利用による時効の中断効(保険業法308条の14)及び訴訟手続の中止 (保険業法308条の15)が付与されるようになった。 ―124― 生命保険論集第 193 号 裁定審査会苦情処理手続・紛争解決手続は、保険業法308条の7に 基づいて、金融庁の認可を受けた「指定(外国)生命保険業務紛争解 決機関業務規程」 (以下、 「業務規程」という)及び生命保険協会と各 生命保険会社との間で締結されている「手続実施基本契約」 (以下、 「基 本契約」という)に基づき運営されている。業務規程及び基本契約に 応じて公正・中立な立場に基づいて、迅速かつ透明度の高い手続処理 を行っている。この手続実施にあたっては、生命保険に対する一般の 理解と信頼を深め、保険契約者等の正当な利益の保護に資することを 目的としている。 裁定審査会の紛争解決手続では、「裁定」審査会という組織名称の 通り、 「裁定型」の手続を採用している。生命保険契約の基本構造に鑑 みると、多くの契約者が公平に保険料を負担し、万が一保険に該当す る事故が発生した場合に、保険金あるいは給付金を受け取るものであ り、あくまでお互いが助け合う「相互扶助」の精神で成り立っている。 そのため、一般的に「契約者平等の原則」と呼ばれているように、 契約者すべてにおいて公平に取り扱う必要がある。生命保険契約は附 合契約性を有している契約性質にある以上、保険契約の内容は保険約 款により一律に決定されなければならない。また、生命保険契約では 保険対象となる事故が生じた場合には、支払保険料を超える多額の保 険金・給付金が支払われることから(射倖契約性) 、保険金詐欺等の不 正に恣意的な保険金等の支払いを求めるケースもあるため、モラルリ スクも潜んでいるといえよう。 したがって、上記の生命保険契約の性質などを総合的に勘案し、生 命保険制度自体の健全な運営のために、裁定審査会では、調停型、す なわち紛争当事者双方の互譲を引き出し、仲介委員により解決を促す 方式はとられていない。生命保険契約の性質上、当事者同士での交渉 で解決を図り、仲介委員が間に入って当事者同士の話し合いを進めて 解決を図ることは妥当ではないとの判断に基づいている。調停内容に ―125― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 よっては、あくまで当事者同士の話し合いによった解決されるため、 生命保険契約の趣旨・目的や健全性を欠く妥結案も生じるとの論拠で ある。裁定審査会が採用する裁定型では、裁定審査会委員(保険業法 308条の13にいう紛争解決委員)が、当事者から提出された資料、事情 聴取等を踏まえて、法令や保険約款の解釈を中心にしながら結論を導 く方式を採用している9)。したがって、仲裁による解決方法とも一線 を画しており、民事裁判手続の如く、いわば要件事実に基づいた判断 がなされているといえよう。 この点は国民生活センターのADRによる解 決方法とは制度上、明らかに異なるので、追って詳述することにした い。 続いて、他のADR機関においても論点とされている手続の迅速性に ついてであるが、裁定審査会の紛争解決手続では、申立件数が急増す るなかで、 裁定型でかつ二段階審理構造を採用していることなどから、 他のADR機関よりも長期化している点は否めないといえる。 ただし、 「補 佐弁護士制度」の導入などの工夫により、効率的な手続運営が可能と なり、現在では約4か月程度に縮減されている。 この点も裁判とADR手続の相違点でしばしば論じられる簡易性につ いてであるが、裁定申立ては全国から郵送により申立書を送付するこ とが可能となっており、利用に係る費用は無料である。また、生命保 険相談所は東京の本部(千代田区大手町)はもちろん、全国各所(現 在のところ53か所)に地方連絡所を設置しており、裁定審査会への利 用に係る照会等は地方連絡所でも適切に実施されている。手続中も、 地方都市の申立人においては最寄りの地方連絡所内のテレビ会議シス 9)しかしながら、裁定審査会においては、金融ADR機関の制度導入の趣旨など から、ケース・バイ・ケースに応じて柔軟な解決を行うことが求められてお り、近時、相手方から申立人に解決金を支払うことで紛争を解決する方法や、 申立人が被った損失の一部を相手方に負担させることで紛争を解決する方法 なども取り入れられつつあり、弾力的な解決を導入しつつある。前掲注6) 第65巻12号58頁以下。 ―126― 生命保険論集第 193 号 テムを介して、事情聴取を実施するなど、簡易かつ迅速な手続進行を 目指している。申立手続に係るアクセスの容易性も実現しているとい えよう。 手続進行にあたっては、非公開原則に則り、両当事者の互譲の精神 に基づいて、裁定審査会の円滑な審理の推進に協力する意思・姿勢が 求められている。したがって、裁定審査会の求める書面や資料等の提 出、事情聴取への出席、審理の進行を妨げる行為を行うなど、協力意 思・姿勢がみられない場合は、 裁定手続を途中で打ち切る場合もある。 裁定審査会は、他のADR機関と同様、生命保険に係る高い専門性を 有しつつ、中立・公正性を担保しながら、金融庁の指定を受けて裁定 審査会苦情処理手続・紛争解決手続を実施している。また、先述の通 り、裁定審査会の手続は非公開により実施されており、例えば、相手 方会社の答弁書、反論書、証拠資料、裁定書、和解契約書等、裁定審 査会を通して入手した情報を、方法・手段を問わず当事者以外の第三 者に開示・公開することはない。委員は金融・保険分野の知識・実務 経験を有する弁護士、消費生活相談員、生命保険相談所の職員の3者 により構成され、各委員は個別の生命保険会社と特別な利害関係を有 しない中立・公正な第三者を選任対象としている10)。なお、裁定審査 会の業務の公正・円滑な運営を図るため、外部有識者の委員で構成さ れる裁定諮問委員会を設置し、業務運営に関する委員からの意見等を 参考に運営改善に努めるスキームを構築している。 原則として、申立ては、生命保険契約等に基づく権利者本人が、行 うこととされている。保険金等に関する請求事案であれば当事者はそ 10)裁定審査会委員の人選にあたっては、中立・公正な立場で判断ができるか 等、委員としての適性を確認するための面談を実施したり、委員委嘱後、生 命保険会社と継続的な利害関係を有するに至った場合は委員を辞任する等の 誓約書を徴求するなど、中立性・公正性について十分に配意した手続を行っ ている。 ―127― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 の受取人となるであろうし、契約の効力等に関する請求は契約者が申 立人となる。なお、法定代理人や代理人弁護士等による申立ては可能 である。 申請に係る費用(裁定費用)は無料とされている。但し、裁定審査 会の事情聴取に出席する場合の交通費、その他の手続費用(郵便代、 コピー代、書類等を準備するための費用等)は申請当事者負担となっ ている。この点は後述する紛争解決委員会と同一である。 前述のとおり、申請にあたっては、主に書面により事実確認を行う こととされ、事情聴取を行う場合は、近隣の地方連絡所にてテレビ会 議システムを利用して実施することもある。裁定手続は非公開で、裁 判よりも迅速な解決を図ることとされている。また、金融・保険サー ビスに関する分野の知識・実務経験を有する弁護士、 消費生活相談員、 生命保険協会職員等を委員として任命しており、生命保険をめぐる専 門性及び質の確保が担保されている。 なお、委員には、秘密保持義務が課せられており、申立人のプライ バシーや企業秘密・ノウハウ等の秘密が守られるよう、業務規程上の 義務として明示されている。また、他のADR機関と同様に、公正性・独 立性を担保すべく、関連諸規程(業務規程、裁定審査会運営要領、苦 情・紛争解決手続の流れ等)を整備するとともに、対外的に周知を図 るべく、ホームページ等に掲出し、手続の透明性を確保している。 以下では、仔細に裁定審査会申請前(生命保険相談所) ・申請後(裁 定審査会)に区分けして論じる。 (2)裁定審査会申請前の苦情・相談による紛争解決手続(苦情処理 手続)の概要 生命保険協会における紛争解決手続は、裁定審査会に対して直接、 紛争解決に係る申立を行うことを認容しておらず、その前段階として 「苦情の申出」を行うことが必要とされている。このことを以下では ―128― 生命保険論集第 193 号 「苦情前置主義」と呼称することにしたい。苦情前置主義を採用する ため、生命保険相談所に所属する相談員からの助言等をもとにしなが ら、紛争の解決に向けて、相手方となる生命保険会社と協議を行うこ とになる11)。 昭和36年1月に設立された生命保険相談所12)は、顧客から苦情の申 出があった場合、所属する相談員によって、一般的には、生命保険商 品の仕組みや約款の内容等を説明したり、この段階で回答・解決でき る案件の場合は、適宜対応を行うなどしている。この段階で対応が困 難な案件の場合には、申出人が直接交渉するためのアドバイスや当該 生命保険会社の相談窓口の紹介を行い、交渉の方法等の助言を行って いる13)。同時に、苦情解決の依頼(申立て)を受けた場合、速やかに 生命保険会社に申出内容を伝え、解決に向けた対応を求めている。そ うした対応を受け、生命保険会社は調査や確認を行うなどして、顧客 との協議等を通じて迅速な解決に向けて努力することとされている。 その進捗状況は、生命保険会社から適宜、生命保険相談所へ報告さ れ、 必要に応じ、 双方から事実の説明や資料の提示を求めるなどして、 解決に向けた助言や和解のあっせんを実施している。また、顧客が当 該生命保険会社と既に交渉中にある場合には、当該生命保険会社の相 談窓口の担当者と連携して対応を行うか、それとも書面により解決依 頼を行うこととなる。この場合、申出人と相手方に対して、事実の説 11)生命保険協会では、本部の相談所に14名、地方連絡所に50名、計64名の職 員が常駐し、苦情処理手続に係る事務処理を行っている(平成24年8月現在) 。 12)生命保険相談所の歴史や設立に至る背景事情等については、生命保険協会 『生命保険協会70年史』 (生命保険協会編、1978年)651頁、及び北河隆之他 「生命保険協会『裁定審査会』の現状と課題1」 (ぎょうせい、2012年)法律 のひろば第65巻第10号が詳しい。 13)例えば、銀行による生命保険商品の窓口販売(募集代理店)で、銀行側で 解決可能と考えられる申出事案については、一般社団法人全国銀行協会相談 室に対して申出を行う方法がある旨の教示をするなどして、紛争解決をめぐ る選択肢の多様化を進めている。 ―129― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 明または資料の提示を求めるとともに、必要な助言を実施して、迅速 な解決を勧奨することになる。なお、解決に至る過程等の経緯につい ては記録を取るなどしている。 当該事案が未解決のまま、相手方生命保険会社に解決依頼を行った ときから原則1ヶ月が経過した場合には、顧客の意思により裁定審査 会へ申し立てることができる。生命保険相談所は、生命保険会社に解 決依頼を行う際、顧客にその旨を説明し、申立てを行う権利が発生し た段階で、生命保険会社の対応状況を踏まえ、申立ての意向を確認す ることとなる。なお、裁定申立て以降の具体的な手続については後述 することにする。 続いて、苦情処理に係る内容や件数の増減等についてであるが、総 じて、苦情事例としては契約申込時の説明不足に関する事例、入院等 の給付金不支給決定に関する事案、解約手続きの遅延に関する事例等 が上位にあげられている。苦情の受付件数については、年々減少傾向 にあるといってよいであろうが、生命保険相談所から書面により生命 保険会社に対して苦情解決依頼をした事案の占率は、 増加傾向にある。 その理由は、裁定審査会の周知が進んだことにより、裁定審査会への 手続移行を念頭に置きつつ、苦情申し出を行うケースが増加している ことの表れであるといえよう14)。 14)前掲注6)論文第65巻第10号参照。 ―130― 生命保険論集第 193 号 裁定審査会申請前の苦情・相談による紛争解決手続の流れ (出所:一般社団法人生命保険協会ホームページ http://www.seiho.or.jp/contact/adr/procedure/) (3)裁定審査会への申立と受理手続(紛争解決手続)の概要 既述のとおり、生命保険相談所を介する苦情・相談による解決が一 ヶ月を経ても図られない場合には、裁定審査会への申立てに移行する こととなる。裁定審査会の手続的特徴としては、二段階審理構造を採 用している点があげられる。 二段階審理構造は他のADR機関では採用さ れていない場合が多いが、これを採用することにより、審理期間の長 期化がデメリットとして挙げられるものの、ダブルチェック機能が効 果的に発揮され、事案間の平仄をとるとともに、公平・公正な結論を 導くうえで意義深いといえる。 裁定審査会は部会及び全体会に区分され、それぞれ次の役割を担っ ている。前者の部会での審理では、相手方から答弁書が提出されると 担当部会において審理が開始され、委員3名による審理が行われてい ―131― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 る。審理の結果、結論が出ると、部会長である弁護士委員により裁定 書案が起案される。部会は1ヶ月に2回から3回程度開催され、必要 に応じて事情聴取を行う。審理開始後に、不受理事由が発見された場 合や申立人が理由なくして期日に出席しない場合(期日欠席)などの 場合は、裁定を「打ち切る」ことができるとされている(業務規程32 条) 。裁定打切り事案の主な事例については後述することとしたい。 一方、後者は、弁護士4名、消費生活相談員4名、生命保険協会職 員2名、計10名の委員によって構成されており15)、1か月に1回開催 され、改めて各案件を審議することになる。全体会で部会の裁定書の 内容が修正されたり、部会に差し戻しされる場合もあるが、結局のと ころ、 全体会での承認を経て、 裁定審査会の裁定書として確定される。 顧客が裁定審査会への申立てを希望した場合は、生命保険相談所は その手続内容等を説明し、裁定審査会事務局へその申出を取り次ぐこ ととなる16)。また、相手方生命保険会社に対し、顧客が裁定審査会へ 15)裁定審査会運営要領によると、裁定審査会の構成について、 「①裁定審査会 は、業務規程に定める基準に基づき委員として委嘱を受けた弁護士、消費生 活相談員、生命保険相談室職員の3者からなる委員で構成する。なお、裁定 審査会による裁定手続に際しては、必ず弁護士委員を含めるものとする。② 裁定審査会は、業務規程に定める実質的支配者等または協会から、委員に対 し直接または間接に命令や指示等が行われたと判断した場合には、その対応 について審議した上、業務規程に定める裁定諮問委員会にその内容を報告す る。③裁定審査会は、全委員で構成する全体会と弁護士、消費生活相談員、 生命保険相談室職員の委員からなる部会で構成する。④裁定審査会は、互選 により議長を選任する。議長に事故があるときは、あらかじめ議長が指名し た委員がこれに代わる。⑤裁定審査会委員(以下「委員」という。 )の任期は 2年とし、重任を妨げない。⑥委員に欠員が生じたためその補欠として就任 した委員の任期は、前任者の残任期間とする。 」と定められている。 16)実務上は、裁定審査会での紛争解決を希望意思が確認された場合、裁定審 査会事務局から所定の裁定申立書の用紙を送付し、用紙送付後、申立人から 裁定審査会事務局に対し事前に遅延の連絡がなく、1ヶ月経過しても裁定申 立書等の提出がなされない場合は、苦情解決手続を終了したものと判断され る。ただし、この場合でも、その後、裁定申立書等の提出があったときは、 ―132― 生命保険論集第 193 号 の申立てを希望している旨を伝達の上、苦情の対応状況を確認する。 それとともに、裁定審査会事務局から顧客に対して、裁定申立書用紙 および説明書類(申立書記入方法・添付書類・今後の裁定手続の流れ 等を記載した「裁定審査会ご利用の手引き」 )を送付し、顧客は申立書 を作成することとなる。申立ての根拠となる事実についての証拠書類 を添付の上、裁定審査会事務局に2部提出する事務手続きとなる。な お、提出された裁定申立書や証拠書類等に不備、不足等がある場合や 申立の趣旨・理由が不明確な場合、事務局よりその補正・補充を申立 人に対して求める場合がある。 形式的要件の具備が確認されたら、続いて、実質的(内容面)要件 の審査を行うこととなる。いわゆる「適格性の審査」 (受理・不受理の 審査)である。すなわち、裁定申立てが行われると、申立て内容につ いて適格の有無を審査し、業務規程24条1項第1号ないし第9号に列 挙されている不受理事由がない限りにおいては受理されることとなっ ている17)。不受理事由の具体的内容は、例えば、生命保険契約等に関 するものではない申立や、申立人が生命保険契約等契約上の権利を有 しないと認められる申立などであり、審査の結果、 「不受理」と判断さ れた場合は、その旨を記した書面(不受理通知書)を当事者に対して 通知される。裁定審査会は、顧客から提出のあった裁定申立書等に基 づいて、申立内容に係る適格性の審査(受理・不受理の審査)を実施 する。後述するが、紛争解決委員会への和解仲介の申立にあたっても、 紛争の手続を進めることとされている。 17)例えば、業務規程24条第1項第6号では、 「当事者以外の第三者が重大な利 害関係を有し、当該者の手続的保障(主張・立証の機会)が不可欠であると 認められるとき」と定められ、同第9号では「事実認定が著しく困難な事項 など、申立て内容が、その性質上裁定を行うに適当でないと認められるとき」 と定められている。受理の是非を考慮するにあたって、民事訴訟手続におい ても争われる主張・立証の問題や、当該事案の事実認定の困難性をメルクマ ールとしており、相当の厳格なフィルターが設けられているといえよう。 ―133― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 「重要消費者紛争」の該当性が審査されることと同様に、裁定審査会 においても「適格性」を審査した上で、ADR手続を履践の可否を判断し ている。 裁定審査会への申立と受理手続の流れ (出所:一般社団法人生命保険協会ホームページ http://www.seiho.or.jp/contact/adr/procedure/) (4)裁定審査会受理後の手続(紛争解決手続)について 裁定審査会において裁定申立内容の適格性の審査の結果、当該申立 人の申立てを受理した場合には、 申立人にその旨を書面により通知し、 相手方生命保険会社へ申立書等を送付する。生命保険会社には、裁定 審査会の手続に参加する義務が生じる(片面的応諾義務) 。その結果、 相手方会社は申立書等に対し答弁書を作成し、一定の期間内に裁定審 査会へ提出することになる。裁定審査会は答弁書の提出を受け、裁定 審理の開始を決定し、答弁書を申立人に送付する。その後、申立人と ―134― 生命保険論集第 193 号 相手方生命保険会社より反論書等を提出し、裁定審査会で事実確認を 実施する。必要に応じて、裁定審査会から当事者に対し関連資料等を 徴求し、審理の参考とする。なお、生命保険会社には、裁定審査会の 求めに応じ、報告・説明・関係書類の提出に応ずる義務がある。ただ し、申立てを受理した後、相手方生命保険会社が、訴訟や民事調停等 による解決を図る意思を文書により示した場合、裁定審査会がこれを 正当な理由があるとして是認した場合には、業務規程19条第1項但書 に基づき、裁定は「不開始」とされる。 事情聴取のための裁定審査会への出席について、裁定審査会は、紛 争の実態や原因・背景、当事者(申立人・募集人等)の主張内容を的 確に把握することにより解決の糸口を見出すため、当事者に対して面 談により事情聴取(裁定審査会委員による紛争発生時の状況や主張内 容のヒアリング)を実施する。なお、事情聴取を希望しない場合は、 裁定申立書の中にその旨記入することになるが、当事者の主張内容や 事実関係が明白でないと裁定審査会委員が判断した場合には、 「希望し ない」と記入されていたとしても、事情聴取を案内する場合がある。 最終的に、裁定審理の状況(裁定手続の終了)、提出資料や事情聴 取に基づき、中立・公正な立場から裁定審理を行う。裁定審理の結果、 和解による解決の見込みがないと判断した場合(業務規程37条にいう 「申立ての内容を認めるまでの理由がないと判断した時」)は、裁 定書をもってその理由を明確にして、裁定手続を終了することにな る18)。他方、和解による解決が相当であると判断した場合は、裁定書 にて和解案を当事者双方に提示し、和解受諾勧告を行う(業務規程34 条1項) 。両当事者が和解案を受諾した場合には、両当事者と裁定審査 会の三者で和解契約書が交わされる19)。 18)裁判手続における判決の「請求棄却」に該当する。 19)申立人は、提示された和解案を受諾するか否かについては自由意思に基づ くところであるが、裁定書による和解受諾勧告は、法律上の「特別調停案」 ―135― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 生命保険会社には、所定の場合を除き、原則として和解案を受諾す る義務があるため、申立人が和解案を受諾したときには、和解が成立 し、当事者間で和解契約書を締結することになる。ただし、裁定とは いえ、和解の仲介手続の性質も有するため、申立人が和解案を受諾し ない場合は、裁定不調により裁定手続は終了する。なお、申立人が和 解案を受諾した後1ヶ月以内に、相手方生命保険会社が訴訟提起をし た場合等は、裁定不調により裁定手続は終了する点は、他のADR機関の 手続と同一である。 裁定結果の概要等については、裁定審査会が顧客のプライバシーに 配慮した上で、裁定概要を公表している(申立て時に当事者の同意を 得ている) 。なお、過去に行った裁定概要の公表については一般社団法 人生命保険協会のホームページに掲出されている(裁定審査会が取扱 った事案の概要を中心に掲載されている) 。 なお、申立ての内容に虚偽の事実が認められたとき、申立人が正当 な理由なく事情聴取に出席しないとき、裁定開始後に不受理に該当す ると認められたとき、その他裁定を行うに適当でない事情が認められ たとき(例:事実確認が困難であり、厳密な証拠調手続機能を持たな い裁定審査会による手続ではなく裁判相当と判断したとき)は、通知 書にてその理由を明らかにし、裁定手続を打ち切ることができる。な お、申立人はいつでも裁定審査会への申立てを取り下げることができ る。 裁定審査会への申立てが受理された場合、裁定審理の結果、和解が 成立することなく手続きが終了した場合でも、申立人が、手続終了後 (その旨の通知を受けた後)1ヶ月以内に訴訟を提起した場合には、 裁定申立書の受付時に遡り、時効の中断の効力が生じる。 (保険業法308条の7第2項5号)に該当するため、申立人が和解案を受諾し た場合には、相手方は原則として受諾義務がある(片面的拘束力:保険業法 308条の7第6項、業務規程34条2項) 。 ―136― 生命保険論集第 193 号 裁定審査会受理後の手続の流れ (出所:一般社団法人生命保険協会ホームページ http://www.seiho.or.jp/contact/adr/procedure/) (5)生命保険協会裁定審査会の課題と対応策 次に、裁定審査会の課題についてであるが、主なものとして以下の 点が挙げられよう。 第一に、生命保険の性質・特性を踏まえた裁定手続のあり方が問わ れている。裁定型から徐々に調停型による方式を導入しつつあるが、 生命保険の特質を鑑みながらの手続方法の変更の拡大の是非が問われ ている。ADRの基本的な精神は、当事者双方の互譲による解決が主であ り、 裁判手続に類した手続進行はADR制度が求める柔軟性を阻害する可 能性が生じうる。後述するADR独自の規範性(ADRとしての法源)につ いても、法令と保険約款に基づいた公平な解決を目指すところではあ るが、柔軟かつ弾力的な解決を志向するとなれば、より高い倫理規範 ―137― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 に依ることも可能性としてはありうる。 第二に、申立件数急増の対応である。裁定審査会では裁定型を採用 し、二段階審理方式に基づいて実態審理を行っているという制度上、 丁寧に審理しているあまり、迅速な事務処理を阻害している要因にも なっていると評価できる。 裁定審査会の組織変更の過程から、 例えば、 部会制(部会制導入(二部会制)へ(平成16年) 、そして四部会制へ(平 成21年)編成)や補佐弁護士制度を採用するなどして、体制強化並び に見直しを行ってきているが、申立人の利益保護の観点から全体会で の審議と部会での審議によるダブルチェック制を採用することによる メリット(審理の衡平性・事案処理の均質化等)が大きい一方で、手 続遅延を招くおそれがあり、終局的には、ADR機関としての質・量の均 衡性の問題に収斂されよう。 第三に、高齢者や判断能力に疑義がある申立人の対応である。少子 高齢社会に伴い、高齢者を当事者とする紛争事案が急増しているとこ ろであるが、その際、申立人本人の意向を確認した上で、家族からの 申立ても認めており、申立代理人として一定の者(例えば、法定代理 人、弁護士、配偶者等)を認めるに至っている。手続開始以降、募集 時の説明不足に係る事案の事情聴取のように当時を振り返る事が困難 な場合もある。申立人本人が認知症の症状等により事理弁識能力を欠 く場合は、成年後見人を選任し改めて申立てを行うなどの手続きが取 られている。 (6) 取扱い事案 (平成25年度申立分乃至平成27年度申立分を中心に) から見た類型別の検討 既述のとおり、生命保険協会では、生命保険相談所を設置し、本部 相談室および連絡所(53ヶ所)で保険契約者等から寄せられる相談・ 苦情に対応してきている。 平成22年4月施行の金融ADR法に基づく生命 保険業務に関する「指定紛争解決機関」の指定を、平成22年9月15日 ―138― 生命保険論集第 193 号 付で金融庁から取得し、同年10月1日より、同機関として生命保険業 務に関する苦情解決手続および紛争解決手続を実施している。 以下では、裁定審査会で取り扱われた主な事案20)を取り上げて検討 する。なお、平成25年度及び平成26年度に生命保険相談所が受け付け た相談・苦情について分析することにする。 ① 契約・転換の無効・取消しを求める事案 ア)平成27年6月25日裁定終了(転換契約無効請求) 本件は、積立部分がない商品であることや、積立終身保険の積立部 分を終身保険の保険料に充当することの説明がなかったなどとして、 転換契約の無効などを求めて申立てに至ったものである。 申立人は、平成24年7月に積立終身保険から転換した終身保険につ いて、以下の理由により、転換契約の無効および契約者貸付の利息の 返還を求めている。すなわち、契約転換の際、募集人から、積立終身 保険(契約①)のファンド部分(積立部分)の金額全額を終身保険(契 約②)の終身保障部分の保険料に組み入れるとの説明がなく、契約② にはファンドがないということの説明も受けていないこと、また、的 確な説明を受けて理解さえしていれば、契約者貸付をするということ はなかった。 他方、生命保険会社は、以下の理由により、申立人の請求に応じる 20)裁定審査会運営要領によると、 「24.裁定手続の終了 ①裁定審査会の裁定 は、 (中略)裁定不開始の通知をしたとき、裁定打切りの通知をしたとき、申 立人から裁定申立取下書が提出されその旨を相手方に通知をしたとき、当事 者双方が裁定書による和解案を受諾したときおよび裁定審査会に和解契約書 の提出があったときをもって終了する。②業務規程に定める事項に該当する 理由により当事者が裁定書を受諾しなかったときは、裁定不調によりその裁 定は終了したものとみなし、当事者双方に対し『裁定終了通知(様式16) 』を 行う。 」と規定されている。 ―139― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ことはできないとしている。 すなわち、転換時に、募集人より、ファンドがなくなること、積立 金が終身保障部分ならびに逓減定期保険特約部分に充当されること、 また、契約②においては契約者貸付ができるが利息がかかること等に ついて説明し、申立人も理解・認識したうえで手続きしており、申立 人に錯誤はないこと、転換時の説明に加え、契約者貸付時においても 利息が発生することは説明しており、説明義務違反はないことを列挙 して抗弁としている。 裁定審査会の裁定は、転換契約に関して申立人の錯誤を認められず、 また、 契約者貸付に関して生命保険会社の説明義務違反を認められず、 その他生命保険会社に指摘すべき特段の個別事情も見出せないことか ら、和解による解決の見込みがないと判断して、業務規程第37条にも とづき手続を終了している。 転換契約に関して申立人の錯誤が認められない理由は、事情聴取時 に、申立人は、契約①は、平成24年には更新時期が来ていたが、契約 ①に戻した場合、保険料が高くなってそれを支払うことができないた め、転換契約を無効とすることは望んでいないことを明確に述べてい ることなどから、転換契約の無効については、申立人がそれを望んで いない以上、 当審査会においても判断することはできないとしている。 また、契約者貸付に関して生命保険会社の説明義務違反を認められな い理由は、事情聴取において、募集人は、転換の際、主として、設計 書で説明したと述べており、申立人も、少なくとも簡単な説明を受け たことを認めている。設計書では、契約①と契約②の保障内容が図表 により比較説明され、契約①の転換価格が、契約②の逓減定期保険特 約および終身保険に充当されることが明記されている。また、設計書 には、 契約②では、 ファンドがないために積立金の引き出しができず、 契約者貸付を利用する場合には利息がかかることが分かりやすく説明 されていることなどを挙げている。 ―140― 生命保険論集第 193 号 イ)平成27年1月28日裁定終了(契約無効請求) 本件は、加入時に、支払われない「がん」があることは聞いていな いとして、契約の無効を求めて申立てがあった事案である。申立人の 知人が、 「ボーエン病」 (有棘細胞癌(表皮内癌) )と診断され、昭和62 年、昭和64年、平成6年に契約したがん保険にもとづきがん診断給付 金を請求したが、約款で支払対象とする「悪性新生物」に該当しない ことを理由に支払われなかったとする。 すなわち、契約申込時に「がんになれば保険金が支払われます」と 説明を受けただけで、支払われない「がん」があることは聞いていな いこと、申込時に契約のしおりや約款は受け取っていないことから、 本契約の無効を求めているケースである。 一方、生命保険会社は、申立人が申込みにあたり、約款上のがんと は異なる支払事由を認識していたと認められる事実はなく、錯誤があ ったとは認められないので、申立人の請求に応じることはできないと 主張した。 裁定審査会の判断はこうである。すなわち、保険契約者が合理的な 判断を行うために必要な契約内容について、募集人が説明義務を果た したかが問題になるが、本契約は20年以上前に締結されていることか ら、募集人の説明内容については、関係者の事情聴取を実施しても、 特段の証拠がない限り、現時点で明確にすることは困難と言わざるを 得ず、申立人が主張する、募集人の説明内容を認めることはできない こと、及び、契約のしおりや約款の交付についても、当事者の主張が 異なり、真偽は明らかではなく、また、契約申込書には契約のしおり 等の受領印が捺印されており、申立人がしおりや約款を受領したこと を推測させる痕跡もあることから、申立人の主張を認めることはでき ないとした。仮に、約款が交付されていなかったとしても、それ自体 は重大な問題だが、そのことによって契約の効力が左右されるもので はないとして、 「業務規程」第37条1項にもとづき、裁定手続を終了し ―141― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ている。 以上2事例は、錯誤無効や不実告知を論点とする事例であり、生命 保険契約の有効性が争われている。契約締結プロセスに異議が生じる 内容が多く、和解により解決している事例は少なくないが、おおむね 不調により終了している。その理由としては、法律上の論点に照らし て書面上問題がないという点が多く、また、勧誘段階においてどのよ うな勧誘行為がなされたがは判然としないものの、消費者契約法等に 照らして、契約を無効とするほうが契約の均衡性が保たれるとの判断 がなされているものもある。 ② 損害賠償を求める事案 ア)平成26年11月8日和解成立(損害賠償請求) 本件は募集人に虚偽の説明があったことを理由に、説明と実際の満 期時受取額の差額の支払いを求めて申立てのあった事案である。 申立人の主張によると、平成10年12月に契約した生存給付金付定期 保険について、 満期時受取額が払込保険料を下回っていた。 契約時に、 設計書に記載された金額が確約されたものではないことは理解したが、 元本割れの可能性もあるのではないかと思い、募集人に質問したとこ ろ、払込保険料より下回ること(元本割れ)は絶対になく、銀行の定 期預金より利息が付くと説明されたが、募集人の説明は、虚偽の説明 であったので、払込保険料と満期時受取額との差額および銀行の定期 預金を上回る利息相当額を支払ってほしいとの主張である。 一方、生命保険会社は、募集人は、現在の金利水準が続けば、満期 時受取額が払込保険料相当額を上回り、銀行に預けるより有利との趣 旨の発言をした可能性はあるが、断定的な説明をした記憶はなく、 「満 期時受取額は払込保険料相当額を下回ることはないこと」や「銀行の ―142― 生命保険論集第 193 号 定期預金と比較して必ず有利になる」との誤解を与える説明を行った 事実も確認できないなどとして、申立人の請求に応じることはできな いとした。 裁定審査会では、審理の結果、申立人は、もっぱら、銀行預金の代 わりとしての貯蓄性のある商品と考え契約したことが窺えることから、 満期時受取額について誤認していた可能性があり、その原因は、断定 的ではなかったとしても、募集人の説明が銀行預金との比較において 本契約の有利性を強調したものになっていたことが考えられ、また、 本件においては、保険会社の反証が必ずしも十分ではないことから、 本件は和解により解決を図るのが相当であると判断し、 「業務規程」第 34条1項にもとづき、和解案を当事者双方に提示し、その受諾を勧告 したところ、同意が得られたので、和解契約書の締結をもって解決し ている。 イ)平成25年11月27日裁定終了(損害賠償請求) 本件では、ドル建て終身保険の年払保険料の支払いを振り替える際、 オペレーターの説明不十分を理由に損失を被ったとして、損害賠償を 求めて申立てのあった事案である。 申立人の主張は、ドル建て積立利率変動型終身保険(円入金特約) における年払保険料の支払いにあたり、平成24年11月から12月に振り 替えたところ、オペレーターから「延滞金は発生しない」と返答され、 為替レートの変動があることについての説明がなかったことなどから、 為替レートの変動(円安)により、11月振替えに比べ約8万円高い保 険料を支払うことになったため、差額分を賠償してほしいとの主張で ある。 一方、生命保険会社は、オペレーターは、申立人からの質問に対し て適切に回答をしており、質問を受けていない為替レートについてま で回答をする義務はないとの理由により、申立人の請求に応じること ―143― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 はできないとした。 裁定審査会では、当事者から提出された申立書、答弁書等の書面に もとづき審理を行い、生命保険契約は附合契約であり、その契約内容 は保険約款によって定められ、保険契約者が約款の規定を具体的に認 識していたか否かは問題にならないこと、及び「円入金特約」約款に は「円により外貨建の保険料を払い込む場合には、生命保険会社が円 に換算した金額を受領する日における会社所定の為替レートを用いる ものとする」旨を規定していることをもって、申立内容は認められな いとし、裁定手続を終了している。 ③ 保険金・給付金の支払いを求める事案 ア)平成27年6月25日裁定打切り事案(解約返戻金支払請求) 本件は、受取人により、主契約を減額する一部解約請求がなされた が、同請求は契約者である申立人に無断で行われたものであることを 理由に、 一部解約返戻金の支払いを求めて申立てのあった事案である。 生命保険会社の本人確認は、電話内でなされており、電話の相手が 偽装を行うことが容易であった。生命保険会社はあらためて契約者で ある自分への電話または書類の送付などにより慎重に減額の意思につ いて本人確認をすべきであった。よって、一部解約返戻金を自分に対 して支払ってほしいとしている。 他方、生命保険会社は申立人は、本人が管理すべき個人情報および 財産の証書等を、第三者(受取人)に自由に使用させており、重大な 責任がある。 生命保険会社の本人確認に瑕疵はないなどの理由により、 申立人の請求に応じることはできないとしている。 裁定審査会は、平成26年12月に申立人から生命保険会社に交付され た追認書の有効性については、本件請求権の有無を決定づける重要な 事実であり、慎重な判断が必要であること、仮に本件追認書が無効で ―144― 生命保険論集第 193 号 あったとしても、第三者である受取人夫婦に対して事情聴取を行う手 続きがないなどとして、裁定手続を打ち切り、裁判所における訴訟手 続によることが相当とした。 イ)平成27年6月22日和解成立(保険料返還請求) 本件では、保険料の口座振替を停止する方法について生命保険会社 から受けた案内が不十分であったことを理由として、口座振替された 保険料相当額の損害賠償を求めて申立てされた事案である。 申立人の主張は、平成26年9月、解約の申し出をコールセンターに 連絡した際に、オペレーターから次回の年払保険料の口座振替を停止 する方法について、 「預金残高を0円にしておけば大丈夫」で「金融機 関で停止の手続きを取る方法までする必要はない」 と案内されたので、 それに従い預金残高を調整したが、保険料の口座振替が停止されなか った。その後、解約請求書を提出したが、生命保険会社から、口座振 替された年払保険料は返金されないと言われたとして、オペレーター の説明不十分があったので、保険料を返還してほしいとした。 他方、生命保険会社の主張は、口座振替を止められなかったのは、 銀行口座の貸越がなされたことによるもので、オペレーターに説明不 十分などの問題はないため、申立人の請求に応じることはできないと するものであった。 裁定審査会は、オペレーターの説明に、法的な責任が生じるような 誤りがあったとは認められないが、申立人が生命保険会社の送付した 解約請求書を、至急で返送すれば、解約手続が間に合った可能性があ ることから、オペレーターとしては、解約請求書を直ちに返送するこ とについて案内をすることが望まれるが、そのような案内がなされな かったなど、不適切な点があったといえるので、本件は和解により解 決を図るのが相当であると判断している。 ―145― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ④ 保険会社による契約解除等に対する不服申立て事案 ア)平成25年10月21日和解成立(契約解除取消請求等) 本件では、募集人による告知妨害等があったことを理由に契約解除 の取消し、もしくは、解約・新契約時の説明不十分を理由に前契約の 解約の取消しを求めて申立てがあったものである。 申立人は、平成24年3月に子宮頚部高度異形成で入院し、保険会社 に給付金を請求したが、告知義務違反を理由に契約を解除され給付金 は支払われなかった。しかし、告知時、被保険者の告知書記入後に「子 宮頚がん検査の結果、経過観察中だ」と伝えたが、生命保険面接士か らあまり関係ないと言われ告知しなかったことなどから、 不告知教唆、 告知妨害にあたるので、 契約解除を取り消してほしいなどと主張した。 保険会社は募集人に確認したところ、被保険者が口頭で告知した事 実はなく、募集人が不告知を勧めた事実はない。生命保険面接士は、 告知の状況について記憶していないが、被保険者の不告知を黙認する 蓋然性がないなどとして、申立人の請求に応じることはできないと抗 弁した。 裁定審査会は以下の通り判断した。すなわち、事情聴取において、 申立人と被保険者は、子宮頚がんの検査の結果、再検査を指示され経 過観察中であると伝えた旨を述べているが、募集人は、生命保険面接 士が告知を受けている間は家の外で待機していて被保険者の上記発言 は聞いていないと述べている。また、同面接士は、陳述書において告 知の状況について記憶にないと述べており、当事者の言い分は全く異 なり、真偽は明らかではないので、事実を認定することはできないと した。ただし、募集人は、契約解除後に申立人に5万円を渡しており、 その趣旨について、募集人が主張する「お見舞い」であったと認める ことは困難であり、 結局、 告知が適切に行われたのか疑問があること、 契約見直しの経緯について、募集人は、前契約の特約付替えができな ―146― 生命保険論集第 193 号 いと勘違いしたので、前契約を解約して本契約の締結に至ったと述べ ているが、そのとおりであった可能性が高く、その場合、募集人の勘 違いがなければ、前契約のまま特約付け替えが行われ、結果、紛争に 発展しなかった可能性も否定できないことから、和解により解決を図 るのが相当であると判断された。 イ)平成27年1月28日裁定終了(契約解除取消等請求) 本件は、契約解除は、保険会社が告知義務違反の事実を知ってから 1か月を超えて行われたものであることを理由に、契約解除の取消し および死亡保険金の支払いを求めて申立てのあったものである。 申立人の主張は、平成25年11月に親が死亡したので、平成24年8月 に親が契約した終身保険にもとづき死亡保険金を請求したが、平成26 年1月に告知義務違反を理由に契約が解除され、不支払となった。し かしながら、保険会社は事実関係を調査することができたが、担当者 の怠慢により調査は実施されなかったなどとして、契約解除を取り消 して死亡保険金を支払ってほしいというものである。 生命保険会社は、申立人の主張する平成25年8月に、申立人の親に 関する平成16年以降の詳細な病歴を聞き、調査依頼の助言まで受けた 事実はないこと、契約解除権を有する保険金支払部門は、平成25年12 月に申立人からの死亡保険金請求があってから告知義務違反の事実を 知ったことなどから、申立人の請求に応じることはできないとした。 裁定審査会では、生命保険会社からの契約解除の通知書は、1月上 旬付けで発信されており、 「解除の原因を知った時」から1カ月の除斥 期間を経過していないので、生命保険会社による本契約の解約は有効 と判断したため、申立内容は認められず、裁定手続を終了している。 ⑤ 慰謝料請求 ―147― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ア)平成26年1月14日裁定終了(慰謝料請求) 本件は、共同受取人である兄弟への保険金の支払いの留保を依頼し ていたが、生命保険会社が無断で支払ったこと等を理由に、慰謝料を 求めて申立てられた事案である。 申立人の主張によると、平成14年9月に父親が契約した終身保険に ついて、被保険者(父親)の死亡前に、保険金受取人である母親が死 亡し、兄弟と自分の3人が死亡保険金の共同受取人となった。相続財 産で係争中であるため、兄弟への保険金の支払いを保留するよう、保 険会社に依頼していたにもかかわらず、自分に連絡・相談もなく、兄 弟に対し、保険金の一部を支払ったことなどを理由として、生命保険 会社の対応に不満があるため、慰謝料を支払ってほしいとする。 他方、生命保険会社の主張は保険金受取人が被保険者より先に死亡 し、その後新たな保険金受取人が指定されないまま被保険者が死亡し た場合には、 「保険金受取人死亡時の相続人で、被保険者死亡時に生存 している相続人が、相続財産ではなく、固有の財産として保険金請求 権を取得し、その割合は均等である」というのが判例・通説であり、 正当な請求権者から保険金の請求があれば、生命保険会社としてはこ れを拒むことは出来ないとして、申立人の請求に応じることはできな いとする。 裁定審査会では、保険金受取人が被保険者より先に死亡した場合、 契約者によって保険金受取人として指名された者の法定相続人全員が 保険金受取人となる。そして、その場合の各保険金受取人の権利の割 合は、民法427条に基づき平等であり、本件では、保険金受取人(母親) の法定相続人3名(申立人と兄弟)が保険金受取人となり、それぞれ が3分の1の割合で保険金請求権を取得する。各自の保険金請求権は 独立して行使することができるため、各受取人から請求されたときに は、保険会社は、それぞれ死亡保険金の額の3分の1を支払う義務が ある。したがって、保険会社が、兄弟に対して、それぞれ保険金の額 ―148― 生命保険論集第 193 号 の3分の1を支払ったことは当然であり(支払わなければ債務不履行 となる) 、何ら違法性はないとし、申立内容は認められないので、裁定 手続を終了している。 イ)平成25年12月25日裁定終了(慰謝料請求) 本件は、復活手続にあたり、生命保険会社の誤説明や不適切な対応 により、精神的苦痛を受けたとして、慰謝料の支払いを求めて申立て された事案である。 申立人の主張は、平成23年7月に本契約が失効したため、平成24年 6月に復活手続を行ったところ、本来は5カ月分の保険料の支払いが 必要なところ、生命保険会社から2ヶ月分で良いとの誤説明を受けた ことにより復活手続が遅れ、その結果、契約貸付の相殺貸付手続を行 うことができず、貸付金利が上がってしまった。その他、生命保険会 社の社内審査組織に審査請求することを妨害する等の生命保険会社の 不適切な対応により、精神的・物質的な被害を受けたので、慰謝料を 支払ってほしいとする。 生命保険会社の主張は、契約の復活に必要な保険料について誤説明 があったことは事実であるが、その後、復活の申込期間を延長し、し かるべき対応を行ったが、申立人から復活の意思表示がなされなかっ たとして、申立人の請求に応じることはできないとする。 裁定審査会では、当事者から提出された申立書、答弁書等の書面の 内容にもとづき審理を行った。審理の結果、申立人の主張のいずれに よっても、慰謝料請求権の発生を認めることは困難であり、他に損害 の発生を認めるに足りる証拠は認められないことから、申立人の不法 行為にもとづく損害賠償請求の主張を認めることはできないとして、 裁定手続を終了した。 上記2事例は、いずれも生命保険会社の対応に起因して間接損害 ―149― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 (慰謝料)を請求する事案である。一般的に裁定審査会及び紛争解決 委員会の取扱い事案では、ADR機関によって判断可能な事例として、直 接損害、すなわち、生命保険契約に直接起因する内容を取り扱うもの であって、精神的損害を構成し、主因として主張するケースは少ない といえる。上記2事例においても、前者はそもそも法律上、正式に保 険料を支払う相手方であった事案で異論が生じない事案であるし、後 者も慰謝料請求権の発生を認めること自体を否定せざるを得ない事例 である。予備的・補充的な請求であればともかく、主位的請求として 慰謝料請求を申し立てる事案の疑義は生じざるを得ないであろう。 ⑥ 不受理事案 不受理事案は、平成25年度では8件、平成26年度では4件である。 以下、実際の不受理事案を取り上げる。 ア)平成27年5月19日不受理決定事案(配当金決定経緯説明請求) 本件は、養老保険の満期時積立配当金が、契約時の設計書において 約721万円と記載されていたのに対し、 現在の状況では約7万円となる ことが見込まれることについて、申立人が理解できるような説明を求 めて申立てされた。 裁定審査会では、申立内容の適格性について審査を行った結果、満 期時積立配当金は、決算において生じた剰余金を原資とするものであ り、決算は保険会社の経営方針にかかわる事項であることから、申立 てを不受理とした。 イ)平成26年12月17日不受理決定(税務取扱法的説明請求) 本件は、契約における前納保険料等払戻金の「元金部分」が一時所 得となるか否かに関して、①保険会社が不適切な回答をしたこと、あ ―150― 生命保険論集第 193 号 るいは回答しないことに対する謝罪、②納得できる説明、③その資料 の提出、 ④税務署での検討結果と保険会社の主張のどちらが正しいか、 法的な根拠を元にした結論、を求めて申立てされた事例である。 裁定審査会では、申立内容の適格性について審査を行い、契約者等 の保険契約上の具体的な権利に関する紛争を解決する機関であり、謝 罪や資料の提出を保険会社に求める権限を有するものではないこと、 申立人の具体的な契約上の権利義務に関しない、一般的な法律の解 釈・適用に関する見解を表明することを目的とする機関でもないこと から、申立てを不受理としている。 裁定審査会における不受理事案はそれほど多くはないが、いわゆる 手続前の「門前払い」となるケースは、裁定審査会運営要領等に基づ いて判断されているが、上記事例を見て、申立内容が生命保険契約の 権利義務、損害賠償、慰謝料等に係るものではなく、配当金決定や税 務取扱等の生命保険契約において本質に関わらない事例については、 紛争解決委員会の「却下」と同様の判断となる。手続の迅速性や事案 処理の衡平性の観点からも妥当といえる。 ⑦ 打切り事案 「裁定審査会運営要領」によると、「14.裁定の打切り 裁定審査 会は、裁定中の紛争が次の各号のいずれかに該当するときは、その裁 定を打ち切ることができるものとし、その理由を明らかにして、 『裁定 打切りの通知(様式13) 』により、当事者双方に通知する。 (1)申立ての内容に虚偽の事実が認められたとき (2)申立人が正当な理由なく、事情聴取に出席しないとき (3)審理の途中で、上記「5.裁定の対象とする事案」各号記載の 裁定を行わない場合に該当すると認められたとき (4)申立人が裁定審査会の求める釈明や証拠等の提出または手続を ―151― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 正当な理由がなく、相当の期間内に提出または遂行しないなど審理に 協力せず、もしくは審理の進行を妨げる行為(委員及び事務局を威迫 するまたは侮辱する等により、裁定手続を妨害しまたは同手続に著し い支障を及ぼす行為を含む)を行うことにより審理の継続が困難、も しくは適当でないと認められたとき (5)その他裁定を行うに適当でない事情が認められたとき なお、裁定開始後に、相手方が訴訟の提起等を行おうとする場合は、 裁定審査会が、相手方にその理由について説明を求め、正当な理由が あると認めた場合を除き、裁定審査会は裁定手続を継続する。 」と規定 されている。 ア)平成26年12月26日裁定打切り(契約無効・既払込保険料返還請求) 募集人の虚偽説明によって契約したことを理由に、契約の取消し及 び既払込保険料の返還を求めて申立てがあった事案である。 申立人は、平成11年3月、祝金付定期保険を契約したが、以下の理 由により、契約を取り消して既払込保険料を返還してほしいとする。 (1)募集人から満期時に250万円の保険金を受け取ることができる と説明を受け、契約したが、実際の金額と異なっており、虚偽説 明であった。 (2)契約時の自分の日本語理解能力は、約款や告知書を理解できる 程度ではなく、保険会社の取扱いでは本来加入できなかった。 生命保険会社は、以下の理由により、申立人の請求に応じることは できないとされた。 (1)設計書には満期時の受取金額が明示されているが、申立人は設 計書で説明を受け、契約内容を理解して契約した。 (2)契約時、申立人は契約内容を理解できる程度の日本語能力は有 していた。 裁定審査会は、「業務規程」第32条1項3号に基づき、裁定手続を ―152― 生命保険論集第 193 号 打ち切ることとした。理由は下記のとおりである。 (1)保険証券・申込書等には満期保険金が250万円であるとの誤解を 招く記載が見あたらない(申込書に、基準保険金額が250万円で あるとの記載はあるが、満期保険金と誤解することは考えにく い) 。 (2)設計書には、生存給付金が所定の利率で積み立てられ、利率は 経済情勢により今後変動することがあること等が明記されてい る。 (3)契約申込書および面接報告書には、申立人の署名が整った綺麗 な筆跡で記載されている。 (4)契約申込みに際し、申立人の会社の同僚の同席・関与が窺われ るが、具体的関与の内容は明確ではない。 以上の事実を総合的に検討すると、日本語など能力の次第では、契 約時、申立人が錯誤に陥っていた可能性を否定できないが、当時の日 本語能力が、生命保険の内容を理解できる程度であったか否かは不明 である。 そうすると、当時の同僚への証人尋問の実施も含め、裁判所におけ る厳格な証拠調べによる慎重な事実認定が不可欠であるが、事実認定 を行うことは著しく困難であるため、手続の打ち切りに至った。 イ)平成25年8月28日裁定打切り(死亡保険金支払請求) 本件は、約款所定の免責事由に該当することを理由に死亡保険金が 支払われないことを不服として、保険金の支払いを求めて申立てのあ ったものである。 申立人は、被保険者(申立人の息子)の勤務先における死亡事故につ いて死亡保険金を支払ってほしいとする。その論拠として、(1)被保険 者には自殺をする動機が見当たらないので、被保険者の死亡は自殺に よるものではない。 (2)被保険者の死亡事故に関する確認報告書に記載 ―153― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 された、被保険者の「当日の足取り等」からして、保険会社の判断は 不合理である。(3)他の保険会社からは死亡保険金が支払われている。 一方、生命保険会社は、本契約の約款では、契約の責任開始日から その日を含めて3年以内の自殺を、死亡保険金の支払免責事由とする 旨を規定しており、被保険者の死亡日は、責任開始日から3年以内で あるので、被保険者の死亡が自殺によるものである場合には、支払免 責事由に該当するが、保険会社においては、被保険者の死亡が自殺に よるものであると判断し、申立人の請求には応じられないとする。 裁定審査会は、「業務規程」第32条1項3号に基づき、裁定打切り 通知に下記を明記し、裁定手続を打ち切っている。 (1)本件では、被保険者の死亡が自殺によるものであるか否かを検 討する必要がある。 (2)被保険者の死亡を受け、被保険者の勤務先において事故調査委 員会が設置されており、同委員会は、被保険者が死亡した原因につい て、 「自殺の可能性が極めて高い」と判断したことを公表していること から、保険会社において、被保険者の死亡が自殺によるものであると 判断したことには相応の理由があるといえる。 (3)これに対し、自殺の動機の有無については、被保険者の死亡前 日までの勤務状況や生活状況について検討する必要があり、そのため には、被保険者の勤務先関係者からの事情聴取が必要になると考えら れ、被保険者の当日の足取りについても同様だが、当審査会の手続き においては、勤務先関係者からの事情聴取等の手続きは認められてお らず、本件は、当審査会が裁判外紛争解決機関として適正に判断する ことは著しく困難である。 (4)他の保険会社の支払いが、被保険者の死亡について免責期間内 ではあるが自殺によるものではないと判断したことによるものか、自 殺か否かにかかわらず免責期間経過後の死亡であったことによるもの か、 明らかではなく、 他の保険会社の支払いがなされたことをもって、 ―154― 生命保険論集第 193 号 保険会社の判断が不合理であると認めることはできない。 (5)よって、本件は、裁判手続による解決が相当と考える。 以上は裁定打切りの事案であるが、裁判所における厳格な証拠調べ による慎重な事実認定や、自殺の動機の有無など、ADR機関として手続 実施が困難な場合には、業務規程に基づいて、打切りの判断をしてい る。裁判手続とADR手続との選択の妥当性の問題にも関係するが、迅速 な紛争解決のためには、裁判手続へ移行するほうが適切な場合もあり うる。手続主宰者としての打切り判断の是非は重要であるし、実務上 の判断基準も設けられるべきであろう。 (7)裁定審査会の取扱い事例からみた傾向について 平成26年度において裁定審査会に申立てがあった件数21)は194件(前 年度202件)で、受理審査の結果、受理された申立件数は190件(同194 件)であった。平成26年度に裁定手続が終了した事案は189件(前年度 194件)であった。平成25年度に比べ、申立件数は8件、受理件数は4 件減少した。 受理した190事案の申立内容の内訳は契約取消もしくは契 約無効請求(68件) 、給付金請求(入院・手術・障害等) (42件) 、保全 関係遡及手続請求22)(31件)の順となっている。なお、金融ADR法(保 険業法)に定める指定紛争解決機関となった平成22年10月以降の申立 て件数は957件であり、 裁定審査会の認知度が高まっているといえよう。 総じて申立人が主張する無効・取消し原因はケース・バイ・ケース であり、多くは勧誘段階(募集段階)の募集人による説明不足(不十 分)が起因したケースが大半を占めている。そのため、多くの裁定結 21)統計の出所は、生命保険協会発出の「相談所レポートNO91」による (http://www.seiho.or.jp/contact/report/pdf/report2014.pdf) 。 22) 「保全関係遡及手続請求」には、契約者貸付無効請求、解約取消請求、遡及 解約請求、更新取消請求、契約解除取消請求、契約内容変更請求などが含ま れる。 ―155― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 果は、要素の錯誤による無効(民法95条) 、詐欺による取消し(民法96 条) 、消費者契約法4条1項、2項に基づく取消しの主張構成が多いと いえる。一般の申立者がこうした法的主張を行うことは困難な場合が 多いため、多くの委員はこうした主張であると善解して迅速に審理を 進めている。とりわけ生命保険契約の「転換」に関する事例は、説明 内容を的確に理解している保険契約者が少なく、近時、説明不足(不 十分)の申立が増加している。 上記の主張のうち、錯誤無効(民法95条)以外の主張を認容したケ ースは皆無であり、多くは説明内容の不理解等を主因とする要素の錯 誤を争点として審理が進行しているようである。 上記の各事例を確認してみても、いわゆる「言った、言わない」の 争い、すなわち、口頭による説明の有無が争われる場合もあるが、生 命保険契約をめぐる締結過程においては、勧誘時のパンフレットから 始まり、契約概要書面、営業担当者の説明メモ、保障設計書、重要事 項説明書、注意喚起情報、契約(お客様)のしおり、保険約款等、書 面により確認するプロセスを経ていることから、口頭による説明を行 ったという事実を確認することが極めて困難であるといってよい。こ うした書面を交わしている生命保険契約にあたっての「重要な事項」 にかかる部分については、署名・捺印を欠くことはないため、説明不 足(不十分)を主張する申立人の挙証方法は極めて限定されていると いってよいであろう。こうした書面作成・提供を覆す「特段の事情」 といえる事実の存否が和解の有無を左右する。 損害賠償請求に関する事案については、申立内容自体を損害賠償請 求に絞って請求する事案は少ないが、募集人の説明不足(不十分)を 問題として、契約解除とともに不法行為責任(保険業法283条1項及び 民法715条1項) に基づいて損害賠償請求を行うケースが多いといえる。 損害賠償請求を求める事案のうち和解に至った事案は、相手方生命保 険会社から申立人に解決金を支払うことで和解に至った事案や、申立 ―156― 生命保険論集第 193 号 人の被った損害の一部を相手方生命保険会社が負担する事案などがあ げられる。申立人の損害を補填する形で賠償するパターンとなってい る。 その他各類型の事案においても、契約者平等の原則等の諸原則を前 提としつつ、法律上の根拠や保険約款の解釈等にもとづいて、事実認 定に苦慮しながら各事案を処理している。判断枠組みと解決技法の要 点については後述するが、あくまで生命保険契約の性質から合理的に 解釈し、一般民事訴訟手続に類した形で「裁定」判断をしており、ADR の基本理念である中立・公平性は十分に担保されているといえよう。 3.国民生活センター紛争解決委員会の制度的特徴と和解仲介手続事 案の分析 続いて、紛争解決委員会の概要と手続事案について考察する。 (1)紛争解決委員会の組織上の概要とその特徴23) 「紛争解決手続を行う場合には、当該手続を利用する者の信頼に値 するものである必要があるほか、・・・公正・中立な第三者により開始か ら終了まで公正・適確な進行が確保されるようにする必要がある。こ のため、国民生活センター等に公正・中立な第三者からなる委員会・・・ を設け、事案ごとに当該委員会の長が指名する委員会の委員・特別委 23)以下の項目では過去に発表した拙稿「独立行政法人国民生活センター紛争 解決委員会によるADRの現状と実務的諸課題の検討―消費者の後見的役割を 担う「消費者ADR」としての中核的存在意義と制度的多機能性の再認識―」 ( 『仲 裁とADR』第8号43頁以下(2015年・商事法務) )の内容を踏襲しつつ、大幅 に加筆・修正の上、新たに考察を展開していることを付記しておく。 ―157― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 員・・・により紛争解決手続が行われるようにすることが適当である。 」24) 上記の文章は、内閣府の旧国民生活局で行われた検討会の最終報告 の一部であるが、本報告を源流として独立行政法人国民生活センター (以下、 「国民生活センター」という)による消費者紛争解決手続の制 度構築が始まったといえよう。制度発足に至る経緯やこれまでの論議 等の詳細は、別稿25)に譲ることとするが、消費者基本法に基づく国民 生活センターの消費者問題の中核的機関としての明文上の位置づけや 消費者紛争に関する行政ADRの機能充実の必要性等を踏まえ、平成19 年、消費者紛争解決手続の整備・充実に関する論議がなされ、国民生 活センターに裁判外紛争解決手続(Alternative DisputeResolution、 以下、 「ADR26)」という)機関である紛争解決委員会が、平成21年4月 に設置された27)。 24)内閣府国民生活局『国民生活センターの在り方等に関する検討会最終報告』 (平成19年9月)17頁。http://www.caa.go.jp/seikatsu/ncac/l-001.pdf 25)例えば、角田真理子「国民生活センターにおける消費者相談の現状と課題 (特集 ADRの現状と理論―基本法制定に向けて)」ジュリスト第1207号(2001 年)84頁以下や、森大樹「法令解説国民生活センターによる消費者紛争に関 するADRの整備―独立行政法人国民生活センター法の一部を改正する法律」時 の法令(2008年)第1814号6頁以下を参照。 26)ADRの定義については、山本和彦・山田文『ADR仲裁法』 (日本評論社、2008 年)6頁以下が詳しい。なお、消費者紛争においては、消費生活相談員が相 手方との間で積極的に和解の仲介(あっせん)を行う場合までがADRの射程に 入るものという理解も可能ではあるが、本稿では、国民生活センターによる ADR(消費生活相談においてあっせん不調となるなど、解決困難となった重要 消費者紛争を対象とする)に焦点を定めて論ずる。 27)委員会設置前の紛争解決手続構想については、例えば、消費生活相談にお いて解決に至らなかった事案や広域的な事案などに焦点を合わせ、より高度 な審査を行う、公正中立の学識経験者からなる審査委員会を設ける構想(国 民生活センター基本問題検討委員会『製造物責任制度導入と国民生活センタ ーの対応』 (報告書) 、土肥原洋「製造物責任制度の導入と国民生活センター の役割」国民生活1994年8月号17ページ以下を参照)や現在は実質的に休止 となっているが、国民生活センター会長からの諮問により、会長に対して助 言等を行う委員会として、 「消費者苦情処理専門委員会」が設置されており、 ―158― 生命保険論集第 193 号 紛争解決委員会設置後、既に4年が経過したが、紛争解決委員会は 独立行政法人国民生活センター法(以下、単に「法」という)に基づ いて、重要消費者紛争の解決のための和解仲介手続(以下、 「重要消費 者紛争解決手続」という)を実施してきた28)。 その過程のなかで我が国における消費者行政の一元的な再構成を 論議してきた内閣府の報告書29)によれば、国民生活センターの「ADR は、持ち込まれた重要消費者紛争を解決するとともに、紛争解決の指 針となる情報の提供により、各地の消費生活センター等の相談処理の 支援に大きな役割を果たしている。今後とも、相談処理支援との連続 性を重視しつつ、その機能の充実を図る必要がある」と言及し、 「中立 性・公正性を確保しつつ機能を維持するとともに、国民生活センター の他の機能との一体性を維持する」とした。つまり、後述する紛争解 決委員会の基本理念である消費者の「後見的役割」を踏まえた消費者 紛争の円滑な解決に加えて、我が国における消費者利益に資する紛争 解決の一連的スキームとしての期待はもちろんのこと、消費者紛争発 その下部組織として、3人以内の小委員会が高度の法律判断を行ったり、紛 争事案の処理を実施する制度もあった(島野康「消費者相談・苦情処理」小 島武司・伊藤眞編『裁判外紛争処理法』129頁以下(有斐閣、1998年) ) 。 28)委員会が実施する手続に関する論稿として、田口義明・枝窪歩夢「国民生 活センター紛争解決委員会によるADRの概要と実施状況―『消費者ADR』の新 たな展開」現代消費者法第9号(2010年)79頁以下や日野勝吾「わが国にお ける紛争調整(解決)スキームの中での裁判外紛争解決手続(ADR)システムの 機能と役割について-いわゆる『生活者』保護法系のADRに見る紛争調整(解 決)システムを中心に」CHUKYOLAWYER15号(2011年)69頁以下がある。なお、 田口義明「消費者ADRの現状・課題と情報公開性のあり方」名古屋経済大学消 費者問題研究所報33号(2011年)1頁以下も参照。なお、後述の通り、仲裁 手続についても制度化されてはいるが、平成27年11月1日現在、仲裁手続申 請事案はない。 29)内閣府「国民生活センターの国への移行を踏まえた消費者行政の体制の在 り方に関する検討会」報告書~消費者行政の機能強化を目指して~(平成24 年8月22日付)http://www.anzen.go.jp/kentou/pdf/0822_houkokusho_1.pdf ―159― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 生の未然抑止力や、手続終了事案の手続経過や結果等が全国各地の消 費生活センターにおける消費者相談・あっせんの解決指針として用い られることにより、同種事案における紛争解決の相乗作用の期待も寄 せられているといえよう。 こうした紛争解決委員会の基本理念や多機能性等を踏まえ、以下で は、これまで考察した裁定審査会と比較しながら、紛争解決委員会の 主な役割や手続実施状況、認知度等について検討するとともに、紛争 解決委員会がこれまで実施した生命保険契約をめぐる主たる仲介事例 を中心に検討する。生命保険契約をめぐる紛争事案を中心にして、裁 定審査会の事案処理と比較しながら、紛争解決委員会が現在、抱えて いる実務的な諸課題やその検討状況等についても具体的に考察するこ とにしたい30)。 (2)紛争解決委員会の役割とその特徴 ~重要消費者紛争の円滑な 解決と手続終了事案に関する情報提供機能~ ① 紛争解決委員会組織の構成 既述の通り、紛争解決委員会は国民生活センター内に設置されてい るが、法制度上、紛争解決委員会の独立性が担保されている(法11条 3項) 。すなわち、重要消費者紛争解決手続にあたり、紛争解決委員会 や委員等は不当な影響を排除するため、 中立かつ公正な立場において、 独立して職務を行使することとされている。加えて、紛争解決委員会 事務局職員も、 委員や特別委員以外の何人からも命令や指示を受けず、 中立かつ公正な立場において、職務に従事している(法20条4項、独 立行政法人国民生活センター紛争解決委員会業務規程(以下、単に「業 30)なお、本項目中、意見等にわたる箇所に関しては、あくまで筆者の個人的 見解であり、独立行政法人国民生活センター及び紛争解決委員会等の公式見 解を示すものではない。 ―160― 生命保険論集第 193 号 務規程」という)12条) 。 紛争解決委員会は、委員長を含む非常勤の委員15名以内をもって組 織されているが(法12条) 、その他に35名の特別委員を含め合計50名で 重要消費者紛争解決手続を運営している31)。委員・特別委員は、内閣 総理大臣の認可を受け、理事長が任命する手続を経るが、2年の任期 とし、法律や消費者取引に関する専門的な知見を有する委員、特別委 員から構成されている(法13条、同14条) 。 なお、委員は、定期的に開催される紛争解決委員会(全体委員会・ 本委員会)の会議に出席し、手続終了事案における結果概要の公表の 是非やその他附帯する事項の審議を行うとともに、重要消費者紛争解 決手続を主宰する。その一方、特別委員は、重要消費者紛争解決手続 に参与することを主たる任務とする(法16条)32)。 ② 重要消費者紛争解決手続の実施と紛争解決委員会制度の多機能性 法にいう「消費者紛争」とは、消費生活に関して消費者(消費者契 約法に規定する差止請求権を行使しうる適格消費者団体も含む)と事 業者との間に生じた民事上の紛争をいうが、国民生活センターによる ADR手続の対象とする「重要消費者紛争」とは、消費者紛争のうち「消 費者に生じ、若しくは生ずるおそれのある被害の状況又は事案の性質 に照らし、国民生活の安定及び向上を図る上でその解決が全国的に重 要であるもの」とされている(法1条の2) 。 31)委員長である山本豊京都大学大学院法学研究科教授をはじめとして、消費 者問題を専門とする弁護士、消費者法や民法を専攻する学者、消費者団体出 身者や事業者の顧客対応関連部署出身者、消費生活相談員の有資格者等の経 歴を持つ者等から構成されている。なお、委員会の委員名簿については、国 民生活センターホームページを参照。 http://www.kokusen.go.jp/adr/pdf/ adr_iin.pdf 32)なお、特別委員は、委員長の承認を得て、委員会の会議に出席し、意見を 述べることもできる(独立行政法人国民生活センター法施行規則3条) 。 ―161― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 具体的には、「同種の被害が相当多数の者に及び、又は及ぶおそれ がある事件に係る消費者紛争」 (1号) 、 「国民の生命、身体又は財産に 重大な危害を及ぼし、 又は及ぼすおそれがある事件に係る消費者紛争」 (2号) 、 「争点が多数であり、又は錯そうしているなど事件が複雑で あることその他の事情により・・・委員会・・・が実施する解決のための手 続によることが適当であると認められる消費者紛争」 (3号)の3類型 が定められている (独立行政法人国民生活センター法施行規則 (以下、 単に「施行規則」という)1条) 。なお、重要消費者紛争類型別の申請 状況については、別表1(平成27年9月3日現在)のとおりである。 紛争解決委員会の実施する重要消費者紛争解決手続の類型は「和解 の仲介」と「仲裁」の2種類があり、いずれの手続も非公開にて実施 される(法23条) 。それぞれ当事者双方または一方の申請により手続が 開始される (法19条、 同29条) 。 一般的な申請に至るパターンとしては、 ①重要消費者紛争が発生した後、全国各地の消費生活センター等にお ける助言やあっせん等の相談処理のみでは解決が見込めないため、紛 争解決委員会へ申請に至る場合(以下、 「経由申請」という)と、②こ うした消費生活センター等を経由せずに、当事者が直接、紛争解決委 員会へ申請する場合(以下、 「直接申請」という)があるが、一般的に は前者(①)の申請パターンが多いことは別表2(平成27年9月3日現 在)のとおりである。 以下では、和解の仲介手続を例にとって手続の進行過程を確認して みよう。 まず、消費者等により和解の仲介手続申請がなされると、委員長は、 委員や特別委員の有する知見等を総合的に勘案し、委員構成について 適正を確保するように配慮しつつ、当該事案を担当する仲介委員を委 員、 特別委員の中から、 1名または2名以上を選定している (法20条) 。 その申請事案の割り振り状況については別表3(平成27年9月3日現 在)のとおりである。なお、民事裁判手続と同様、当事者は、仲介委 ―162― 生命保険論集第 193 号 員について和解仲介手続の公正を妨げるべき事情があるときは、仲介 委員を忌避することができる(法21条) 。また、申請された紛争内容が 重要消費者紛争に該当しないとされた場合は、却下の決定がなされる (法19条3項) 。和解仲介手続が開始すると、第1回期日前の仲介委員 会議において申請事項の確認、法律上の論点の整理、手続進行の方向 性等を協議・意見交換し、その後、期日において、当事者それぞれか ら交互に紛争内容の聴取を実施する(原則、三者面談形式による聴取 は実施していない) 。その後、複数回にわたり期日を開催し聴取を重ね ることで、紛争の成熟化を図り、紛争解決への妥結点を見出すことと なるが、仲介委員は、両当事者に対し、後述する消費者の「後見的役 割」の観点より、消費者法的思考プロセスに基づいた、柔軟な解決を 求め、互譲の精神に基づいて、当事者双方よりいっそうの歩み寄りを 求めることから、メディエーションによる技法を用いている。 仲介委員は、和解案を作成し、両当事者に対し和解案を受け入れる よう勧告することができ(法25条) 、両当事者にとって和解可能な条件 に達せられれば、和解合意(和解契約の締結)に至る。しかし、和解 仲介手続によっては当事者間に和解が成立する見込みがないと認めら れる場合は、手続終了(以下、相手方事業者が手続に応諾の後、不調 として終了する場合を「応諾後不調」といい、相手方事業者が手続に 応諾することなく、不調として終了する場合を「非応諾不調」という) となる(法26条2項) 。なお、仮に和解に至った場合においても、法的 性質上、あくまで民法上の和解契約としての拘束力が及ぶに過ぎず、 強制執行力は生じない。 そのため、 合意内容が履行されない場合には、 当事者からの申出を受けて、紛争解決委員会の判断により、一方当事 者に対してその履行の勧告を行うこともできる(以下、 「義務履行の勧 告」という。法37条) 。 その他、一方当事者が手続に合理的理由なく応じようとしない場合 には、任意的に手続の勧奨を促したり、関連文書の提出や期日等の出 ―163― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 席を要求することができる(法22条、同31条) 。また、仲介委員の判断 により、手続事案に関連する事実の調査(施行規則22条) 、応諾後不調 や非応諾不調の場合の訴訟準備や追行援助(40条)等がある。なお、 特例として時効の中断効(法27条)や訴訟手続の中止(法28条)に関 する規定については、ADR法と同様の法的効果が付与されている。 また、仲介委員には手続終了期間を申請日から4ヶ月以内とする旨 の努力義務規定がある(施行規則18条1項) 。なお、国民生活センター 法改正時、衆議院及び参議院の内閣委員会での附帯決議( 「独立行政法 人国民生活センター法の一部を改正する法律案に対する附帯決議」衆 議院:平成20年4月11日、参議院:平成20年4月24日)において、消 費者をはじめとした当事者にとって時間的、経済的負担の少ないもの とすることが要請されていることから、申請に係る手数料については 無料とし33)、手続実施のための期日開催にあたっては、原則として、 国民生活センター東京事務所(東京都港区)にて実施しているが、当 事者が遠隔地に居住している場合や申請人が高齢者や障がい者である 場合等は、 電話会議システムやWEB会議システムを積極的に活用してい る。さらに、ケース・バイ・ケースではあるが、事案内容によっては 各地へ仲介委員及び事務局職員が赴いて、各地の消費生活センター等 と連携して、 現地にて期日を開催するなどの支援体制を整備している。 なお、申請件数は、制度がスタートした平成21年度106件、平成22 年度137件、平成23年度150件、平成24年度151件、平成25年度151件、 平成26年度167件、平成27年度(7月末現在)54件となっている。この うち手続が終了したものは、平成21年度57件、平成22年度103件、平成 23年度179件、平成24年度159件、平成25年度159件、平成26年度155件、 平成27年度(7月末現在)64件である(制度発足後の総申請(916件) 33)ただし、文書通信や期日出席に係る交通費等の諸費用は各当事者が負担し ている。 ―164― 生命保険論集第 193 号 の約9割の事案で手続終了の結果となっている) 。また、実質的な手続 が終了した事案768件(取下げ及び却下を除く)のうち約6割の488件 で和解が成立している。 (別表1) 類 型 件数 1.第1号類型(多数性) 2.第2号類型(重大性) (1) 生命・身体 (2) 財産 3.第3号類型(複雑性等) 838 43 (31) (12) 9 916 (注)補正中等を除く。マルチカウント。 (別表2) 申請経緯 件数 1.消費者が直接申請 243 2.消費生活センターの相談を経たもの 673 合 計 916 (別表3) 委員数 件数 1.単独 151 2.合議体(2人) 651 3.合議体(3人) 94 4.その他(注) 20 合 計 916 (注)仲介委員指名前の取下げ等。 ―165― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ③ 政策実現型ADRとして消費者の「後見的役割」を果たすという責務 既述のとおり、紛争解決委員会は、関係法令に基づいて重要消費者 紛争解決手続を実施しているが、民事訴訟法やADR法学理論からみた、 一般的なADRの分類34)に従うとすれば、次のように分別することができ る。 すなわち、設営機関による分類としては、紛争解決委員会はいうま でもなく行政ADRとして位置づけられるが、 結果産出の手続構造による 分類としては、主に調整型ADR(和解の仲介)の色彩が強いものの、制 度上は裁断型ADR(仲裁)の性質も併せ持つといえよう。手続目的によ る分類としては、消費者被害救済や消費者紛争の未然(拡大)防止と いう政策目的の実現に主眼を置いていることから、政策実現型に該当 するといえる。なお、解決結果の効力については、あくまで民法上の 和解契約としての拘束力が及ぶに過ぎず、裁判上の和解(民事訴訟法 267条)や裁判ADRでの調停(民事調停法16条、家事審判法21条1項) とは異なり、直ちに強制執行へ持ち込むことは容易ではない。 このように紛争解決委員会が政策実現型の行政ADRとして位置づけ られている以上、 消費者と事業者との間の構造的な格差の是正のため、 消費者に対し、民事裁判手続以外の消費者被害救済の新たな選択肢を 提示している。さらに、ADR法においても一般原則として示されている とおり、 「公平性」は、あくまで当事者双方が形式的ではなく実質的に 対等であることを前提としているものであり、 ましてやADR法でも明文 化されていない「中立性」については、消費者対事業者の紛争構造を みると、とりわけ決定的な格差が生じているといえ、手続法上も「特 別法的」配慮が要請されるべきものと思われる。 こうした点を踏まえ、国民生活センター法改正時、衆議院及び参議 34)分類方法については、小島武司『ADR・仲裁法教室』 (有斐閣、2001年)を 参照。なお、和田仁孝編『ADR 理論と実践』 (有斐閣、2007年)14頁以下も参 照(西川佳代執筆) 。 ―166― 生命保険論集第 193 号 院の内閣委員会での附帯決議 ( 「独立行政法人国民生活センター法の一 部を改正する法律案に対する附帯決議」衆議院:平成20年4月11日、 参議院:平成20年4月24日)において、紛争解決委員会の仲介委員等 が職務を行うにあたっては、 「消費者の利益の擁護・増進を図るという 国民生活センターの役割にかんがみ、消費者と事業者の情報力や交渉 力に格差があることを踏まえつつ、必要に応じて、消費者のために積 極的に後見的役割を果たすこと」が要請されている。 このことにより、紛争解決委員会の基本理念の位置づけを鳥瞰的に みてみると、消費者法的思考に基づいた手続運用が殊に求められるこ となどから、単に裁判制度を補完、協同するという意味での裁判準拠 型ADRとしての位置づけは親和的ではないといえる。他方で、当事者間 の私的自治を優先させ、当事者自身が主体的に解決に導こうとする自 律的・独自性を持ったADRという意味での対話自律型ADRの型にも必ず しも親和的ではないように思える。 このように手続内容に着目した分類としては、国民生活センターに よるADRは、適合的な分類の仕方は難しいといえる。しかし、紛争解決 委員会は、手続面において、消費者の「後見的役割」を果たすことを もって、 情報力や交渉力等の構造的格差の是正することを図っており、 このことは政策実現型の行政ADRとして、 紛争解決委員会独自の基本理 念、手続方針として核心的な礎となっているといえよう。 ④ 「結果概要の公表制度」に基づく情報提供・注意喚起機能 先述の通り、ADRの基本的特性である手続の柔軟化や解決の多様化 に対応するため、他のADR機関と同様、紛争解決委員会の手続もまた、 非公開で実施されることを原則としている(法23条) 。とはいえ、先述 のとおり、消費者被害救済や消費者紛争の未然防止・抑止を目的とす る政策実現型の行政ADRとしての存在意義に鑑み、 国民生活の安定と向 上を図るために委員会が必要と認める場合には、重要消費者紛争解決 ―167― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 手続終了後、当該紛争の結果概要を公表できる制度(以下、 「結果概要 の公表制度」という)が整備されている(法36条) 。結果概要の公表制 度の趣旨・目的は、重要消費者紛争の背後には、多数の同種紛争が存 在していることなどから、 重要消費者紛争の解決を図ることと同時に、 紛争事案の概要や手続の経過、 結果等の概要を公表することによって、 他の同種紛争事案の解決や紛争の未然(拡大)防止・抑止にもつなが る。そのため、消費者紛争の解決指針として情報提供・注意喚起を行 っているのである。 こうした趣旨・目的のもと、国民の生命、身体又は財産に対する危 害の発生又は拡大を防止するために、必要があると認めるときは、終 了した重要消費者紛争解決手続の結果の概要を公表することができる ことになっている(業務規程52条2項) 。さらに、相手方事業者が事業 者の名称等の特定情報の公表に同意している場合(1号) 、相手方事業 者が重要消費者紛争解決手続の実施に合理的な理由なく協力せず、将 来における相手方事業者との同種の紛争について委員会の実施する手 続によっては解決が困難であると認められる場合(2号) 、その他、相 手方事業者との間で同種の紛争が多数発生していること、重大な危害 が発生していることその他の事情を総合的に勘案し、当該情報を公表 する必要が特に高いと認められる場合(3号)は、相手方事業者の名 称、所在地その他の特定情報を公表することができることとされてい る(業務規程52条3項) 。結果概要の公表制度は、行政法上の処分性を 有する法的性質にはなく、あくまで同種の消費者紛争の未然(拡大) 防止・抑止に資するための情報提供・注意喚起の一環として実施され るものであって、決して制裁的・強制的手段としての性質を有するも のではない。とはいえ、結果概要の公表を行うにあたっては、相手方 事業者の将来の不利益性に配慮するため、あらかじめ当事者の意見を 聴取することとされており(施行規則32条) 、適正に手続を履践してい るところである。なお、結果概要の公表制度に関する諸問題の具体的 ―168― 生命保険論集第 193 号 検討については、後述する。 ⑤ ケース・マネージャー35)としての委員会事務局の役割と限界 紛争解決委員会の事務を処理するため、紛争解決委員会に事務局が 付置されており(施行規則4条) 、具体的には、受付、連絡、通知、調 査、その他委員会の運営に関して必要な事務を処理する(業務規程10 条) 。また、紛争解決委員会事務局職員は、重要消費者紛争解決手続の 実施に関し、仲介委員や仲裁委員以外の何人からも命令又は指示を受 けず、中立かつ公正な立場で職務に従事することとされている(施行 規則12条2項) 。 紛争解決事務局の業務は、重要消費者紛争解決手続に関わる業務が 主となる。例えば、手続開始前は手続に関する問い合わせのための窓 口を開設し、申請希望者に対する各種問い合わせ対応や、申請書の記 入等に関する助言を行い、円滑な申請に向けた積極的支援を実施して いる。また、手続開始後は、仲介委員会議や期日の準備(主要な論点 の事前摘示、関連資料収集や当事者・委員との日程調整等)をはじめ、 追加の事実調査、和解案ドラフトや結果概要の公表案の起案、調書の 作成等を行っている。その他、重要消費者紛争解決手続の業務以外に も他のADR機関との連携や地方公共団体の苦情処理機関との情報共有、 消費者ADRに関する各種調査・研究、説明会(研修会)等の周知・啓発 活動、リーフレット配布等の広報活動等も積極的に行っている。 委員・特別委員は非常勤であることなどから、実質的な各事案の管 理担当は事務局職員が行っているが、両当事者の譲歩の余地や事案の 概括的な聴取を事務局職員が機動的に行うことによって、期日当日の 仲介委員等の円滑な手続指揮に資するものとし、前述の消費者の「後 見的役割」の観点を踏まえ、ケース・マネージャーとしての役割を担 35)ADRにおいて個別案件を管理する者の意味である。 ―169― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 っているといえよう。 (3)紛争解決委員会が実施した生命保険契約をめぐる和解の仲介手 続事例 以上、紛争解決委員会の現況と課題について検討した。制度上、関 係法令に基づいて、 適正かつ迅速に手続実施していることを確認した。 続いて、紛争解決委員会において取り扱われた手続終了事案のうち、 生命保険契約をめぐる紛争に特化して、紛争解決委員会の基本理念で ある消費者の「後見的役割」を踏まえた解決がなされた事案や消費者 紛争解決にあたり先例的価値のある事案等、紛争解決委員会の特徴的 な事案について、紙幅の関係から、数件と僅かではあるが、事案の概 要と手続経過・結果を紹介した上で、若干のコメントを付したいと思 う。 ① 個人年金保険の受取金に関する紛争(公表時平成27年9月) 本事案は、個人年金保険の受取金に関して、相手方の助言に促され るまま個人年金保険契約を継続していたところ、受取金額が減少した ことなどから申請に至ったものである。 申請人によると、昭和55年、相手方の個人年金保険を契約し、相手 方担当者から「月々2万円弱支払えば、65歳になったとき、1年間の 受取金額が約177万円になる。 配当金を合わせて10年間の受取累計が約 2,540万円になる」と保険設計書を見せながら説明され、それを信じ、 契約締結に至ったとのことであった。平成10年、月々の支払いが厳し く、解約を考えて相手方に架電したところ、相手方に「この個人年金 保険は内容が良いので続けた方がよい。 解約で受け取れる金額は約466 万円である」旨を言われ、継続することにした。平成27年、年金開始 の65歳に近づいたころ、相手方から通知が届き、1年間の受取金額は ―170― 生命保険論集第 193 号 70万円、配当金は約92万円と記載されていた。相手方に問い合わせた が、納得のいく説明はなされなかったので、保険設計書どおりに支払 ってほしいとの言い分であった。 相手方の言い分は、保険設計書には「配当金・増額年金は当商品の 営業案内にもご説明のとおり今後の配当実績によって変わることがあ ります。 したがって将来のお支払額をお約束するものではありません」 と、記載の配当金額や増額年金額の支払いを約束したものではないこ とが明記されていること、本件の担当者(募集人)は、30年以上前に 退職しており、所在が不明のため、事実確認が必ずしも十分ではない ものの、上述の記載内容に反して配当金や増額年金を確実に受け取る ことができるかのような断定的な説明をしたとは想定され難いと考え られることなどを指摘して、申請人の主張には理由がなく、保険設計 書に記載されている増額年金および配当金を変動しない確定した金額 として支払うことはできないとのことであった。 手続の経過では、期日において、申請人は、保険設計書を見ながら 相手方担当者(募集人)の説明を受けたが、その際、同書に記載され ている約2,540万円を将来受領できるとの説明はあったが、 同じく同書 に記載されている、配当金・増額年金は今後の配当実績によって変わ ることがある旨の文言については説明を受けていないこと、受取金額 に多少の増減があることは理解できるものの、10年間の受取累計が約 2,540万円になると思っていたものが、実際には約800万円になってし まうとは全く想定できなかったとのことであった。他方、相手方は、 契約者に対し、毎年配当金の案内を行っており、申請人は事前に受取 金額を知ることはできたこと、本件契約以後、保険設計書の記載につ いては改善を図っていること等を述べた。 両当事者からの聴取を踏まえ、仲介委員は、本件の保険設計書は誤 解を招く記載であり、相手方担当者の説明が不十分であった可能性は あるが、保険設計書に記載されている金額が契約内容になっていると ―171― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 は認められないこと、 申請人の払込保険料累計額が約766万円であると ころ、 年金開始日直前に解約した場合の受取金額は約1,300万円となる こと、解約せずに年金を受け取る場合には一定期間ごとに受取金額が 逓増し、11年目には払込保険料を超えることから、申請人に損害があ ると認めるのは困難であること、仮に損害があったとしても申請人に も一定の過失があったことは否定できないこと等から、和解案は提示 しないこととした。両当事者に仲介委員の見解を伝え、本件を不調に て終了とした。なお、申請人から本件保険契約の内容について相手方 にあらためて説明をしてほしいとの要望があったため、これを相手方 に伝え、了承された。 本手続は、年数が相当程度経過した契約をめぐる紛争であり、事実 認定が困難なケースであるといってよい。保険設計書や当時の説明状 況をフィードバックすることが極めて困難で、明らかに事実が解明は なされたわけではないが、例えば、保険設計書の文言記載が誤解を招 く内容が記載されていたことなどによって申請人の理解にも誤謬が生 じていたことなどについて、 仲介委員によって鋭意検討を行っている。 当事者双方の歩み寄りを促したものの結果としては不調により終了し ているが、手続終了後、契約内容を改めて相手方から申請人に対して 説明するよう仲介委員より示唆するなど、 ADR手続の柔軟性が発揮され た事案といえる。 保険約款の内容を含めて、生命保険契約の内容の理解は一般消費者 にとって困難を極めるものであるが、契約内容の説明を適式に受領す ることが、総体としての「消費者」の利益の確保という点において重 要であり、そうした意味において紛争解決委員会の特性が反映された 好個な事例といえる。 生命保険契約に関連する事案ではないが、取引分野において、個別 の解決だけでなく、紛争の当事者となった事業者のビジネススキーム の一部の見直し等についても言及したものもある。当該事案では、勧 ―172― 生命保険論集第 193 号 誘時に使用されるパンフレット等の記載内容の見直しについても和解 内容の一部として確約されるに至っており、 ADR手続実施によって実務 的な波及効果が生じた事例であるといえよう。 ② 保険契約のクーリング・オフの有効性に関する紛争 (公表時平成25 年12月) 申請人の主張によれば、平成4年、相手方の定期保険特約付普通終 身保険に加入し、 平成24年12月に相手方担当者から転換を勧められた。 転換後の保険はメリットが多いと言われ、転換したが、よく考えると 転換する必要性が乏しいと感じた。そのため、クーリング・オフをす ると相手方担当者に電話で伝えたところ、夕方に突然訪問され、契約 をやめないよう説得された。やはり納得できなかったので、後日、地 元の消費生活センターに相談し、あっせんしてもらったが、相手方か ら強引な勧誘はなかったと説明され、 転換前に戻してもらえなかった。 元の保険契約に戻してほしい、とのことであった。 一方、相手方は、平成24年12月16日、担当者の携帯電話の留守番電 話に申請人からクーリング・オフの申し出が録音されていたため、 翌日 折り返したところ、 「クーリング・オフすることにした。今後は来ない でほしい」とのことだった。担当者より、クーリング・オフは文書で しか受付ができないので、文書で提出してほしいと依頼した。ただ、 転換が申請人のためになると考えていたので、もう一度説明する機会 を設けてもらい、夕方、申請人宅を訪問した。同日夕方、申請人宅を 訪問し、改めて説明したところ、当初の転換でかまわないとの結論に 至った。同年12月20日、申込契約の特約について、特定部位に3年間 の不担保の特別条件がついたので、説明のため、担当者が申請人宅を 訪問した際、再度、契約を元に戻してほしいとの申し出があった。こ れまでの説明を丁寧に繰り返し、最終的には転換に了承いただき、特 約を外すことで署名捺印をいただいた。転換比較表を用いて転換前と ―173― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 転換後の内容やメリット・デメリットを説明している。保険業法309 条でクーリング・オフは書面で行わなければならないことが定められ ているので、口頭でのクーリング・オフを認めることはできない。申請 人の現況に合致した保障内容であると考えており、現契約を継続され ることを希望するとのことであった。 手続において、申請人は、相手方から転換を勧められた際、①入院 1日目から保険金が支払われる、②保障対象の疾病が増える、③(も っとも大きいポイントとして)要介護3以上になった場合、一時金が 支払われる等のメリットを説明されたこと、しかし、転換契約後は死 亡保障がなくなり、介護保険は掛け捨てであって、要介護3の認定も されることはまれであるため、自分にはメリットがほとんどないと考 え直すに至り、相手方担当者にクーリング・オフをすると留守番電話 にメッセージを残したこと、その後、相手方担当者が来訪し、もう一 度考え直してもらいたいと言われたため、面倒に感じたうえ、何度も 来てもらっていたことから相手方担当者が気の毒に感じたので、転換 契約を続行することにしたが、納得していたわけではないこと等を述 べた。 他方、相手方は、担当者にクーリング・オフの申し出があった場合、 口頭では受け付けられないため、書面で出すよう顧客に伝えることに なっており、本事案においても書面で出すよう伝えていること、重要 事項説明書にもその旨が記載されていること、申請人からクーリン グ・オフの申し出があった後、担当者が訪問したのは、説明不足や誤 解がないよう、改めて契約内容を説明するためで、その結果、申請人 は当初の転換でかまわないとの結論に至っていること、また、消費生 活センターから書面で出すよう言われていたにもかかわらず出してい なかったことから、問題はないと考えていること等を述べた。 仲介委員は、両当事者からの聴取を踏まえ、事実関係に関する双方 の主張に大きな乖離はないものの、事実経過に関して日付に若干の相 ―174― 生命保険論集第 193 号 違があることから、客観的に確認できる資料の提出及び次回期日にお ける相手方担当者の出席を求めた。その後の期日では、相手方担当者 は体調不良により期日出席が難しかったため、上司である営業所長が 出席し、改めて事実関係の聴取を行った。 その上で、仲介委員は、相手方に対し、①転換契約の合理性には疑 問があり、申請人にとって必ずしもメリットが大きいとはいえないこ と、②本事案においてクーリング・オフが有効かどうかは議論のある ところだが、その意思表示があったことは両当事者が認めており、争 いはないこと等の事情を踏まえ、早期解決の観点から転換前の契約に 戻す和解案を提示し、後日、相手方より、和解案に応じるとの回答が 寄せられたことから、和解が成立した。 本事案は、消費生活センターにおいて解決困難となった事案であり、 いわゆる経由申請の事案である。紛争解決委員会は、全国各地の消費 生活センターでの解決困難事案を解決する役割を担っている。本事案 も消費生活センターにおける相手方とのあっせん交渉が不調に終わっ たため、申請に至ったものである。 本事案のように消費生活センターによりあっせん交渉が難航する 事案は、紛争解決委員会の申請全体のおおよそ6割以上となっている が、 全国各地の地方消費者における紛争解決支援の役割を担う行政ADR として、紛争解決委員会が解決困難な事案を早期に解決し、そうした 解決で得た指針を再び全国各地の消費生活センターへとフィードバッ クする相乗効果を実効的に発揮している点も特徴的であるといえよう。 ③ 多数の生命保険の解約に関する紛争(公表時平成23年10月) 本事案は、近時増加している多数回にわたる生命保険契約をめぐる 紛争であり、高齢者の消費者被害の典型例であるといえる。紛争解決 委員会では、先述のとおり、金融・保険サービスを紛争対象とする事 案が最多となっているが、とりわけ契約締結段階における勧誘方法を ―175― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 争点化とする紛争では、いわゆる「言った、言わない」といった水掛 け論に終始し、裁判手続においては立証(挙証)責任のハードルが消 費者にとっては高い場合が少なくない。 本事案では、申請人ら(80歳(妻)と79歳(夫))は相手方との間 で、約1年半の間に数名の販売員から次々と勧誘を受け、夫婦合わせ て17件の保険契約(生命保険、変額個人年金保険等)を締結したが、 必要性が疑わしく、過剰な契約であり、申請人らは、ともに高齢で、 契約時に財産状況に関する十分な判断能力はなかったことから、契約 を取消し、支払済の保険料から、配当金等ですでに受領した金額を差 引いた残金の全額返金を求める紛争であった。 相手方は期日において、パンフレット等も使用して複数回説明して おり、十分理解していること、嘱託医や調査員の質問等にも回答し、 コミュニケーションは可能であったものと考えられることや、財産状 況を理解していたことなどから、金融商品取引法の適合性の原則に反 するような募集過失はないとの答弁をした。そこで、仲介委員は、 「1 件ずつの契約を見ていけばニーズを汲み取ったといえるのかもしれな いが、そもそも保険は人生設計をしたうえで加入するものであり、そ れが頻繁に変更されて、その都度、保険に加入している以上、申請人 らは人生設計ができていないと考える必要がある」との見解を示し、 相手方は、契約全体で見た場合、契約当初は医療保障に重点を置いて いたことは読み取れるが、死亡保障を中心とした後半は申請人らの年 齢や収入の状況に照らすとバランスが悪い点があることを認め、解決 案を検討することとなった。その後、結果として過剰と判断した契約 は取消要請に応じるとし、和解が成立したものである。 本事案のように、申請人が高齢者である場合などには、期日を申請 人本人の所在地で開催するなどの配慮を行い、期日進行の円滑化・迅 速化を図っているが、 仲介委員による解決提案等の相手方への示唆が、 紛争の抜本的解決につながることは数多く、近年増加している高齢者 ―176― 生命保険論集第 193 号 による消費者被害の早期回復のためにも紛争解決委員会の積極的活用 が期待される。 ④ 終身保険の生存保険金に関する紛争(公表時平成 27 年9月) 申請人は昭和59年11月24日、相手方の販売する定期付終身保険(以 下、 「本件保険」という。 )を契約した。契約時の説明では、60歳まで 保険料を払い込めば、60歳の満期時に老後設計資金(生存保険金)約 300万円を受け取ることができ、さらに長寿祝金(生存保険金)を5年 ごとにもらえるとのことであった。 満期時の約300万円の生存保険金額 は保険のパンフレットにも明記されていた。平成26年、相手方から満 期を知らせる書類が届き、 そこには配当金59万9,000円と記載されてい た。満期時に約300万円を受け取れるものと思っていたので驚き、相手 方に説明をしてもらったが、納得できなかった。契約時の説明通り、 老後設計資金(生存保険金)約300万円を支払ってほしい。なお、平成 27年1月4日、 特約を継続するために年払い保険料2万3,925円を相手 方に支払った。 相手方は、申請人に対し、本件保険勧誘時、老後設計資金が配当金 に左右されるものであることを保障設計書の左下部分に記載しており、 和解金等を支払う意思は全くないと答弁した。 その具体的論拠として、 保障設計書に「お払込時満了時に老後設計資金(生存保険金)約324 万円」と記載されていた事実は認めること、しかしながら、老後設計 資金は確約されているものではなく、保障設計書には「記載の配当数 値(老後設計資金、長寿祝金)は当商品の営業案内の説明のとおり、 今後変動することがあり、将来のお支払いをお約束するものではあり ませんのでご注意ください。 」との注意書きがあること、相手方として は、本仲介手続において、相手方が申請人の請求に応じられない理由 を説明し、申請人の理解を得て解決できることを希望していることな どを列挙している。 ―177― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 申請人は、勧誘時はパンフレットをもとに、配当金で生存保険を買 い増しして、それが老後設計資金・長寿祝金として支払われるとの説 明を営業職員から受けた。配当数値(老後設計資金、長寿祝金)が変 動することがあるという趣旨のパンフレットの記載は目に入らず、営 業員からの説明もなかった。 相手方は、契約者に対し、1年に1度、契約応当日ごろ、契約内容 のお知らせとして配当金明細書という書類を送付している。この中に は、保険増保険金累計額が記載されている。さらに、平成7年ごろか ら、長期にわたる不況の影響で実績が悪化し、配当金が払えなくなっ ていることを知らせる通知書を顧客に出している。この通知書を申請 人に再交付することは可能である。また、保険満期を知らせる通知に 記載する解約返還金額については、同通知の作成後に保険料未払等が 生じた場合に金額が変動する可能性があるためにこの時点では概算額 しか記載できない。本件保険の勧誘を行った営業員からの事情聴取を したが、絶対もらえる等という説明はしていないと述べている。他の 顧客との公平性の観点から相手方が金銭を支払う形の解決には応じら れない。本件と同様の紛争が裁判になっているケースはあるが、いず れも勝訴している。 仲介委員は、相手方代理人に対し、当時のパンフレットには生存保 険金や長寿祝金として受け取れる金額が具体的に記載されており、消 費者が、それらを確実に受け取れると誤解したものであり、勧誘時の 資料として問題が大きいと指摘し、より分かりやすい説明の実施と資 料の作成を要請したが、手続としては、和解の成立の見込みがないた め、不成立にて終了とした。 本事案は、相手方が根拠事実に基づいて裁判規範をもとにしながら 主張し、仲介委員はそれに対して、勧誘時の関連資料の問題性を説い て、手続進行していることがうかがえる事案である。前述のとおり、 生命保険契約の性質上、保険法を始めとする法律やガイドライン、裁 ―178― 生命保険論集第 193 号 判規範、保険約款の解釈等に基づいて和解への道筋をつけていくこと が求められるが、他方、消費者側における情報量や交渉力等の不均衡 からすれば、勧誘段階における「事実」を直視することも重要であり、 法や契約内容、保険約款解釈以前の消費者を取り巻く背景事情を慮っ た手続を進行した上で判断することも求められよう。 ⑤ 生命保険の給付金の支払い基準に関する紛争 (公表時平成 26 年5 月) 申請人の主張によると、平成25年、甲状腺に腫瘍があると診断され、 精密検査を受けたところ、初期の甲状腺乳頭がんであると判明した。 後日、相手方に一時金の請求をしたところ、 「細胞診により診断されて いますが、病理組織学的所見により確定診断されておらず、現段階で は支払い事由に該当していない」という理由で支いを拒否された。数 カ月後、手術を受け、甲状腺乳頭がんであることが確定したので、再 度、相手方に請求したところ、 「病理組織学的所見の記載がある診断書 を提出いただき、3大疾病保険金の支払いが決定しました。遅延利息 の基準日は支払い可否の書類が届いた日となるため、遅延利息は発生 しません」 との文書が届き、 一時金500万円を含む628万円を受領した。 本来、相手方は細胞診の時点で支払うべきだったのだから、121日遅延 しており、 年率6%の遅延損害金 (9万9,452円) の支払いを要求する、 とのことである。 他方、相手方は、約款上、保険金の支払事由の一つとして、悪性新 生物に罹患したと医師によって病理組織学的所見(生検)により診断 確定されたとき(病理組織学的所見(生検)が得られない場合には、 他の所見による診断確定も認めることがある)と定めている。 「他の所 見による診断確定」とは、 「病理組織学的所見(生検)が得られない場 合」の取扱いであって、病理組織学的所見(生検)が得られる場合に は、病理組織学的所見(生検)による診断確定がされたときに初めて ―179― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 支払事由に該当する。平成25年8月、申請人から保険金請求を受けた が、申請人は、担当医から「悪性甲状腺腫」と診断されているものの、 病理組織診断はなされておらず、 「細胞診」による診断にとどまってい たため、この時点では保険金支払事由に該当しないことから、その旨 を申請人に伝えた。併せて、今後、手術等により病理組織学的所見に よって、悪性新生物の診断が確定された場合には、その結果に基づい て保険金の支払事由該当性を判断するため、改めて請求してほしい旨 を案内した。同年12月、申請人から改めて保険金の請求を受け、この とき提出された診断書には、手術を受け、病理組織学的所見(生検) により診断確定されたことが記載されていたことから、後日、保険金 500万円及び入院給付金等128万円を申請人に支払った。保険金の支払 いは、必要書類が相手方に到達した日の翌日から5日以内に支払って いるため、遅延損害金は発生しない。よって、申請人の請求には応じ られない。 手続において、期日では、申請人は、穿刺吸引細胞診を受け甲状腺 乳頭がんであると診断されたこと、担当医からは手術を勧められたこ と、約款後半に「病理組織学的所見(生検)が得られない場合には、 他の所見による診断確定も認めることがあります。 」 とあったがこれは 当初は説明されず自分から指摘したこと、このような約款になってい るのであるから相手方が細胞診の段階で保険金を支払わないのはおか しいことなどを述べ、他方、相手方は、約款上、 「悪性新生物に罹患し たと医師によって病理組織学的所見(生検)により診断確定されたと き」が原則的な支払事由となり、後半の「病理組織学的所見(生検) が得られない場合には、 他の所見による診断確定も認めることがある」 は、何らかの理由により、病理組織学的所見(生検)が得られない場 合に備えた救済規定であり、甲状腺乳頭がんは手術を受けるのが通例 であって病理組織学的所見 (生検) が得られないとは考えがたいこと、 申請人が手術を受けるかどうかは調査会社を通じて担当医に確認を取 ―180― 生命保険論集第 193 号 っていること、手術を受けるのであれば病理組織学的所見(生検)を 得られるのでそれを待つべきであること、仮に手術をせずに経過観察 をするという判断であれば本当にがんなのか疑わしいことになること、 8月の段階で支払いを拒否したのではなく、手術後に再度請求するよ うにとの案内であったことなどを述べた。 仲介委員は、両当事者の聴取を踏まえ、相手方に支払事由に該当し ないというだけでなく、約款後半の救済規定にも該当しない旨の説明 が必要だったのではないかと指摘した。相手方は、説明を行わなかっ たことについて認め、請求人への送付文書をわかりやすくすること等 を検討するとしたが、申請人の請求を認める理由は見当たらないとの ことだった。結果として、仲介委員としては和解が成立する見込みは ないと判断せざるを得ず、手続を終了した。 本手続は不調により終了している事案であるが、給付金の支払い基 準をめぐる紛争においては保険約款の合理性判断が問われるところで あるが、こうした事案は長期化が避けられず、手続遅延のおそれが生 じる。和解が成立する見込みの可能性を手続主宰者は総合的に考慮し ながら手続進行を進める必要が生じよう。また、本事案の性質からみ て、悪性新生物に罹患したといいうる根拠事実、また、病理組織学的 所見(生検)による判断にあたっては、医学領域に係る問題であり、 正確な事実認定が要される場合には、早期の段階において裁判手続へ の移行を検討する示唆も求められよう。 ⑥ 定期保険の更新中止に関する紛争(公表時 平成 27 年9月) 申請人によると、平成16年11月、申請人Aの夫(申請人Bの父でも ある。以下「夫」という。 )が相手方と利率変動積立型終身保険(利率 変動積立型終身保険と普通定期保険等が組み合わされた保険商品)を 契約した。平成26年10月、相手方担当者から上記保険の更新手続きの 連絡があったので、自宅に来てもらい、申請人Aが応対した。その際、 ―181― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 保険料が上がるという話題になり、相手方担当者から「やめるという 方法も考えられます。 」と言われた。やめた場合にどうなるか尋ねたと ころ、 「保険は出ます」と言われたので、 「300万円出るんだったらやめ ます」と伝え、解約することにして、更新中止の手続きを取った。と ころが翌月、相手方担当者からの連絡により「300万円ではなく、28 万円となった」旨の連絡があった。話が違うと抗議したところ、更新 の意向を尋ねられたので、更新の意向があると伝えると、相手方から 12月1日まで待ってほしいと言われた。しかし、12月1日になっても 回答は来ず、回答を待つうちに12月8日に夫が亡くなった。その後、 改めて、相手方から保険金は支払えないとの連絡があったが、納得で きない。解約を取り消して保険金300万円を支払ってほしい。なお、上 記保険の契約者は死亡しているため申請人A・Bが相続人として行っ た申請である。 一方、相手方は、平成26年4月、契約者は、申請人Aを通じて、普 通定期保険以外の保険契約を解約した。その際、申請人Aから保険料 負担が困難であるとの申し出があった。平成26年9月25日、相手方担 当者が申請人宅を訪問し、申請人Aに対し、更新の説明を行った。そ の際、申請人Aから保険料の負担が困難であるとの申し出があったた め、更新中止に関する説明も併せて行った。同年10月3日、事前に更 新中止の意向を聞いていたので、 更新中止請求書を申請人方に持参し、 申請人Aから同請求書を受領した。なお、申請人Aからは、普通定期 保険の更新を中止しても300万円が出るのかといった質問はなく、 当然、 相手方担当者からそういった説明を行った事実もない。 平成26年11月、 相手方担当者は申請人宅を訪れ、積立型終身保険の解約手続きを案内 し、返戻金が約28万円であることを説明した。普通定期保険は、単純 な内容の保険契約であり、更新を中止すれば保険金が支払われなくな ることは容易に判断できる。保険の内容が単純なものである上、申請 人Aは保険料負担が困難という明確な理由を告げた上で普通定期保険 ―182― 生命保険論集第 193 号 の更新を中止している以上、申請人Aに誤解があったと認めるのは困 難であり、 保険金300万円を支払うことはできない、 とのことであった。 本手続では、申請人Aは、自分は更新するつもりだったが、相手方 担当者に「止めるという方法もある。ここで止めても保険は出る」と 言われたこと、 300万円という数字は相手方担当者から出た数字ではな く自分が出した数字であること、 300万円と言ったときにそれは出ませ んよと言ってくれればよかったこと等を述べた。次いで相手方は、本 事案の保険はもともと別の保険契約からの転換であること、転換価格 が積立金となり、保険料の一部が積立金の取り崩しによって支払われ ていき、その積立金の残金が約28万円であったこと、相手方担当者は 更新中止の手続きの時点で入社2年目であったが、現在は退職してい ること、相手方担当者に聴取したところ、300万円が出るという認識も 持っていなかったし、申請人Aに対しそのような説明もしていないと 主張していること等を述べた。なお、更新を中止した場合には300万円 が出ないという説明をしたかどうかは確認していないとのことだった。 その理由は、そもそも相手方担当者は、申請人Aから手続き時に300 万円が出るかどうかを質問された事実はない上、申請人Aは保険料負 担が困難であることを更新中止の理由にしており、更新を中止すれば 保障がなくなることは容易に判断されるものであって、申請人Aに誤 解が生じる可能性はなく、説明の有無は、結論に影響を及ぼすもので はないからである。 その後、仲介委員は、申請人Aが保険の内容を理解しておらず、誤 解をして更新中止したと考えられること、 誤解が生じた原因としては、 申請人Aの理解不足もあるものの、 相手方担当者も更新中止により300 万円が出なくなることを明確に説明していない可能性があること等の 事情を踏まえ、 相手方が申請人に対して解決金100万円を支払う和解案 を提示し、両当事者に検討を要請した。後日、相手方代理人より、支 払う理由を見いだすことができないため、上記和解案を受諾すること ―183― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 はできないとの回答が寄せられた。さらに、同様の理由で、見舞金等 の支払いに関しても応じられないとの回答であった。そこで、仲介委 員は和解が成立する見込みはないものと判断し、不調にて本手続を終 了した。 本手続も不調事案であるが、申請人の保険内容の適切な理解を欠い ていたことが本件紛争の端緒であろうと思われる。その前提として、 契約更新の是非をめぐる営業担当者による情報提供の適切性が争点と されるべきであろう。いわゆる「言った、言わない」のスパイラルに 陥る事案が生命保険契約に係る事案では大数存するといえるが、消費 者たる申請人も契約書、概要書面、保険約款等の文言の適切な理解や 確認が強く求められる。 4.消費者紛争をめぐる裁判外紛争解決手続(ADR)の鳥瞰的展望(実 務的諸課題とその検討) 先述のとおり、裁定審査会及び紛争解決委員会に係る手続により数 多くの事案が処理されているが、両機関ともに実務的な運用から生じ る様々な課題が山積している。 以下では、実務的な観点から見た問題点とその検討について整理し、 概説する36)。 (1)手続の柔軟性と手続規律(中立・公正性)との両立性(合意の 36)下記の事項以外にも、数多くの課題が山積していることを付言しておく。 例えば、紛争解決委員会では、相手方事業者に対する手続応諾の勧奨や期日 出席の要請のあり方などの課題が山積している。法律上、手続への応諾を強 制できない以上、手続自体の有用性やADR手続における裁判とは異なる紛争解 決促進機能(例えば、欠席判決が多い訴訟と比較して有用であること等)に 関して、委員や事務局担当者によって相手方事業者に説得することにより、 応諾に至るケースが多い(それに加え、仲介委員による手続勧奨文書の発出 や法22条に基づく出席要求文書の発出によっている) 。 ―184― 生命保険論集第 193 号 多様化・柔軟化) 裁定審査会及び紛争解決委員会では、ADRの特質である中立・公平 性に基づいて、手続進行しているが、制度上の理念や発足根拠・背景 事情等から、申請後の手続処理のあり方に重大な影響を及ぼしている ものと思料する。 裁定審査会での手続では、生命保険の特性を踏まえて、「裁定型」 の手続を採用しつつ、また、二段階審理方式を採用しながら、厳正に 手続を進めている。事案処理の均質化が保たれ、裁定にあたって依る べき規範を、保険法をはじめとした関係法令や保険規範を中心にして 処断している。そうした意味においては、手続の簡素化を図っている 点はさておいたとしても、 一般民事訴訟に類似した手続方法を採用し、 手続規律を厳守し手続運用していると思われる。つまり、裁定審査会 の手続では、生命保険契約の本質を捉えながら、契約者平等の原則等 を慮る手続方針といえ、事案に応じて調停型の処理を行うこともある とされているが、 フレキシビリティ(Flexibility)にはやや欠けるとい ってよい。 他方、紛争解決委員会において申請対象となった重要消費者紛争の 背後には、同種紛争が暗数として多数存在し、今後、同種被害が発生 する可能性も孕んでいることから、他の同種紛争の解決に多大な影響 を与える。そのため、政策実現型の行政ADRとして公益的見地から、手 続終了事案について積極的に結果概要の公表を行うとともに、全国の 消費生活センターに対する情報提供として消費者紛争の解決指針の提 示を行っている。 紛争解決委員会による手続では、 手続法の側面から、 消費者の「後見的役割」を果たしつつ、第三者としての委員(手続主 宰者) が両当事者における紛争を解決する指導的な調整型ADRといえる。 その一方、実際には、申請人たる消費者が訴訟リスクや訴訟に係る コスト、さらには心理的な負担感等から、やむを得ず訴訟手続等への 移行を望まない場合や、事業者の資金不足等を理由とした支払能力の ―185― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 問題等から、必ずしも法的整合性に富む合理的な解決内容に至らない 事案も出現し始めている。もっとも消費者紛争の特性を踏まえ、ADR の利点とされてきた解決内容の柔軟性の観点から、紛争過程に沿った 個別事案ごとに柔軟で多様な手続を実施することが求められており、 国民生活センター法をはじめとした手続規律との両立も大きな課題と なってきている。加えて、紛争解決委員会の本来的機能である個別的 な重要消費者紛争に係る被害回復・救済と全国的な解決指針の提示と いう役割との両立もまた喫緊の課題である。 (2)ADRにおける事実認定のあり方 紛争解決委員会では、原則として、法規の要件事実を判断基準とす る、評価型手続(裁判手続)のような厳格な事実認定を行うことなく、 より簡易かつ迅速、また柔軟に客観的事実の確認を行い、紛争解決に 結びつける手法(促進型、変容型)を採っていることから、紛争とな る事実の「確認」を行うことによりスムースな手続運営を実施してい る37)。 とはいえ、当事者双方の言い分について、当事者がこだわる前提事 実や法的事実等の事実関係に大きな乖離が生じている場合や、主張の 前提となる事実に齟齬がある場合においては、譲歩の余地を生む可能 性が低くなることは自明の理である。 このような場合、事実確認の方法論としては、事案解決に資する関 係資料を可能な限り入手し38)、事実の確認に係る基礎資料とするとと 37)ADRの事実認定論については、和田仁孝編『ADR理論と実践』 (有斐閣、2007 年)77頁以下(中村芳彦執筆)が詳しい。 38)先述の通り、国民生活センター法22条では、仲介委員等による文書等の提 出要求ができる旨が規定されている。また、消費者の後見的役割の具体的内 容の一つとして、施行規則において消費者の資料収集能力を補完するため、 仲介委員等が職権による調査や鑑定の依頼ができる旨が規定されている(施 行規則23条及び24条) 。 ―186― 生命保険論集第 193 号 もに、紛争解決委員会事務局による消費者行動や消費者紛争の特性に 関する各種調査により実態を把握し、さらには、全国からの消費生活 相談情報が蓄積されたPIO-NET情報39)を用いて、速やかな事実の確認の 一助としている。 多くの手続事案においては、こうしたPIO-NET情報を基にして、同 一事業者における同種の苦情相談が全国各地で発生している場合は、 相手方事業者に反駁させるとともに、合理的な説明がなされない場合 などには、そうした点を当該事案との関連性を踏まえながら、互譲を 促す方法も行われている40)。なお、事案によっては、相手方事業者が 契約書や重要事項説明書等、書面により証拠を残すことが少なく、間 接証拠に基づく推認によるところが大きいが、 PIO-NET情報を活用しつ 39)国民生活センターでは、地方公共団体の消費生活センターとネットワーク で結んだ「全国消費生活情報ネットワーク・システム(PIO-NET(パイオネッ ト) :Practical-living Information Online Network System) 」により、消 費者からの消費生活相談等を収集・蓄積し、分析・評価して情報提供してい る。 40)PIO-NET情報については、基本的に一方当事者からの聴取により作成されて いるため、真実・真実相当性が必ずしも個別に確認されたものではないもの の、以下のような事情から信用性は相当程度高いと考える。 ①情報源が全国の消費生活センター等における現実の消費生活相談であり、 相談にあたっては、相談者の氏名、住所、電話番号等の個人情報も含めて 聴取していること(誹謗中傷的なものは含まれにくい) ②PIO-NET情報を入力するのは、地方公共団体の一組織である消費生活センタ ー等において専門的な資格・経験等を持って日々、消費者の相談に当たっ ている消費生活相談員であり、情報内容も一定のフォーマットの下に整理 されたものとなっていること ③仮に、数多くのPIO-NET情報の中に真実・真実相当性に欠ける情報が一部含 まれていたとしても、同種・類似の情報が多数寄せられている場合には、 大数の法則として、苦情内容に関する信用性は極めて高いものと考えられ ること ④こうした事情から、現に、PIO-NET情報については、裁判所の調査嘱託のほ か、各地の弁護士会、警察、適格消費者団体等から毎年数多くの提供要請 が寄せられ、実際に活用されていること ―187― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 つ、当事者双方より事実についての認識を反芻させ、妥協調整を図っ ている41)。 とりわけ紛争解決委員会における事実の確認にあたっては、消費生 活という、人々の日常生活で生起する現実からの問題提起を踏まえ、 事実の背景にある事情を考慮することが求められているのであり、そ れに加え、手続の即興性(インプロヴィゼーション)を維持しつつ、 紛争解決に導く必要があると思われる。 同様に、裁定審査会においても、当事者双方の協力を促して、また、 相手方の片面的拘束力等も活用して、当該事案に解決に資する事実認 定を進め、他方、テレビ会議システムなどを活用し、申立人に地方連 絡所を介して事情聴取をするなどスケールメリットを最大限利用した 手続進行が行われている。しかし、苦情の原因が発生し時期を限定す べきとの問題も生じてきている。例えば、申立人から、10年~30年以 上前の生命保険契約締結時における錯誤(民法95条)、詐欺(民法96 条)に該当する事実を主張される場合、その事実の有無の確認等の事 実認定が極めて困難である場合が多い。一般民事訴訟のような厳密な 証拠調べが困難であり、申立期間の設定も定める余地も少なくないと いえよう。 (3)手続結果に係る概要公表の意義と課題 裁定審査会では、裁定審査会運営要領に規定されているとおり、 「26. 裁定件数等の報告」として、 「裁定件数の他に、前条にかかわらず、保 険契約者等のプライバシーに配慮して、裁定手続を実施した全ての事 案概要(申立取下げ事案を除く)を公表する。また、裁定諮問委員会、 相談室協議会、協会の委員会等に対しても裁定件数等について適宜報 41)PIO-NET情報の有用性については、司法研究報告書第63輯第1号「現代型民 事紛争に関する実証的研究-現代型契約紛争(1)消費者紛争」68頁(司法研 修所、2011年2月) )を参照。 ―188― 生命保険論集第 193 号 告を行」っている。特に、事業者名を公表するなどの規程は存しない が、裁定手続を終了した事案すべてを情報提供している。 一方、紛争解決委員会では、同種被害の未然防止・拡大防止に資す る観点からは、事業者名を特定した結果概要の公表も可能となってい る(法36条、業務規程52条3項各号) 。手続終了後の事業者名の公表に ついては、紛争が円満に解決した場合であっても事業者名が公表され ると、 相手方事業者が国民生活センターによるADR手続により解決を図 ろうとするインセンティブが喪失すること等の配慮により、委員会発 足前の段階においても、慎重に検討を行うべきものとされ、謙抑的な 運用が想定されていたといえる42)。 法に掲げられているように、国民生活センターの本来的機能である 公益的見地に基づく情報提供機能は積極的に果たすべき責務であるも のの、 仮にADR手続に真摯に応諾し、 紛争解決に協力的な態度で対応し、 個別紛争の解決がなされた場合においても、事業者名を公表するとな れば、事業者が和解手続に協力するインセンティブを阻害する可能性 がある。任意手続を原則とするADR手続である以上、相手方事業者側の 手続参加へのインセンティブを確保していかなければ、個別紛争の解 決というADR本来の機能が果たせなくなりかねない。 このような点から、 実務運用上は、 「紛争解決機能」と「情報提供機能」の両立が困難にな る場面が生じ得るため、両機能の均衡の確保のあり方についても大き な課題となっている。 (4)和解内容の履行確保と執行力の付与 裁定審査会及び紛争解決委員会では、和解成立後、原則として和解 契約の法的性質に基づいて、債務名義等の執行力は付与されない。相 42)内閣府国民生活審議会消費者政策部会報告「国民生活センターによる消費 者紛争解決制度の在り方について」 (2007年12月)http://www.consumer.go. jp/seisaku/shingikai/21bukai3/file/shiryo1.pdf ―189― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 手方が生命保険会社であるため、和解内容を反故にする事例はめった に見られないが、理論上は検討に値する。 既述のとおり、和解に至った場合は、民法上の和解契約を締結する こととなるが、契約の法的効力として、原則として強制執行力は生じ ない。そのため、例えば、紛争解決委員会では、合意内容が履行され ない場合、 当事者からの申出を受けて、 紛争解決委員会の判断により、 一方当事者に対して義務履行の勧告を行うことが可能である (法37条) 。 とはいえ、義務履行の勧告は、行政手続法上の行政指導としての「勧 告」の法的性質を有さないことから、相手方事業者が義務履行の勧告 に従わない場合は、紛争解決委員会の手続にあっては、被害回復の実 効性の確保は期待できないといえる。この点、即決和解手続制度の活 用43)や和解契約の公正証書による債務名義化の検討も必要であろうと 思われる。 ただし、実務上は、和解契約締結段階において、相手方事業者に現 金を持参させてその場で弁済させるなど、個別状況に即した措置をと る場合もあり、法的強制力がないからこそできる柔軟で多様な履行確 保手段も工夫すべきと思われる44)。 なお、和解内容の履行がなされない相手方事業者は、今後、当該事 業者との間に生じた同種紛争について他の消費者から申請がなされ、 再び和解の仲介手続において和解に至ったとしても、和解内容の確実 な履行は期待できないことが想定される。このことは消費者にとって 43)弁護士会と簡易裁判所が連携をして、即決和解手続制度をスムースに移行 できるスキームを構築している。例えば、渡部晃、加藤愼、本山正人「仲裁 センターと東京簡裁の即決和解に関する連携について」第一東京弁護士会報 365号72頁以下(2003年) 。 44)例えば、執行力と切り離されたADRの特性を踏まえて、強制執行力がないこ とのデメリットよりも、執行力に代替する実効性ある履行促進手段を考える べきとの主張として、和田仁孝編『ADR 理論と実践』 (有斐閣、2007年)100 頁以下(西川佳代執筆) 。 ―190― 生命保険論集第 193 号 適切な紛争解決手続の選択ができるよう迅速に情報提供を行う必要性 が高いと考えられることから、事業者名を含む結果概要の公表を行う ことが想定されている(業務規程52条3項3号) 。とはいえ、あくまで も国民に対して情報提供を行う趣旨に基づくものであり、義務履行の 勧告に従わないことをもって行う不利益処分としての性格ではない。 また、相手方事業者の正当な利益を損ねることのないよう、手続開始 段階に事業者に対する文書による事前告知や期日での十分な説明等、 相手方事業者に不意打ちとならないよう配慮されている。 (5)手続終了(不調)後の移行連携の考え方(和解に至らなかった 場合の措置) 紛争解決委員会では、委員会の実施する重要消費者紛争解決手続に おいて和解が成立しなかった場合、国民生活センターは、訴訟の準備 又は追行の用に供するための資料を提供することができる(法40条) 。 具体的には、 国民生活センターが有しているPIO-NET情報や商品テスト 情報等(施行規則34条)を消費者に提供することにより、訴訟を支援 する制度体制が整備されている。 この点、紛争解決委員会で実施した手続を無にせず、その後の当事 者間の交渉の指針を与える意味で民事調停法17条に基づく「調停に代 わる決定」等をしたりするなど、仲裁への移行をスムースなものとす る方策も考えられる。 また、都道府県に設置されている「消費者苦情処理委員会」や「消 費者苦情処理専門委員会」等では、一定の要件(例えば、訴訟費用が 被害額を超え、又はそのおそれがあるため自ら訴訟により被害の救済 を求めることが困難であることや、同種被害が多数生じ、又は生ずる おそれがあること等)の下、訴訟援助を行っているが、資料提供のみ ならず、金銭的支援についても検討する余地があろう。 法的強制力がないADR手続にあっては、当事者双方が抱える紛争に ―191― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 ついて、 いかなる解決を図るか否かについては、 任意手続である以上、 結局のところ、両当事者の意思に委ねられるべきものである。したが って、不調により手続終了となった場合は、国民生活センターによる ADR手続から訴訟手続へのスムースな移行を可能とするスキームが構 築される必要がある。 なお、近時、東京簡易裁判所や大阪簡易裁判所において、調停機能 の強化を図る試みがなされており、先述の「調停に代わる決定」 (民事 調停法17条)の活用を念頭においた、事実認定や解決案の提示を行う ことで紛争の解決を図る調停運営についての有効性を示唆しており、 有意性が示されている45)。 消費者にとっては、比較的身近な民事調停手続における裁断型の ADR手続実施の可能性が存することから、 紛争解決委員会の手続の不調 という結果が、調整型手続であることが主因であるような場合には、 民事調停手続による解決の可能性も十分に有すると考える。この様な 場合においても、例えば、委員会のADR手続で事務局が収集した資料を 提供するなど、紛争解決委員会と民事調停手続との連携体制を構築す ることで、より効果的かつ効率的な紛争解決を図ることも可能となろ う。 なお、訴訟手続等への移行を制度化するにあたっては、消費者の「後 見的役割」という基本理念との関係上、紛争解決委員会としての中立・ 公平性の担保との衡平を十分考慮する必要がある46)。例えば、ADR手続 の段階で得られた情報や関連資料の取扱い等、消費者の視点から、具 体的な方策を考慮していく必要がある。 以上の点は裁定審査会においても該当する点が種々存しており、手 45)志村宏他「民事調停の紛争解決機能を強化するための方策について」判例 タイムズ1369号4頁(2012年) 。 46)山田文「調整型手続と裁判手続の接合に関する予備的考察」法学論叢164 巻1号~6号341頁以下 (2009年)。 ―192― 生命保険論集第 193 号 続不調の場合の支援策も喫緊の課題であろうと思われる。 (6)消費生活相談処理と ADR との一体的連続性 消費生活相談は、消費者被害について救済する窓口としての、紛争 解決に至る「入口」的なファーストステップであり、正義へのアクセ スの普遍的保障に寄与するものとして積極的に評価されるべきである。 とはいえ、消費生活相談によっては解決困難な場合や法的解釈や法的 評価に疑義が生じる局面に直面する場合が少なくなく、より高度な紛 争処理サービスを提供し、消費生活相談を「補完」する機能・役割が 不可欠である。 そのため、訴訟と相談との間に存する、中間的紛争解決サービスの 位置づけとして裁定審査会(苦情処理手続・裁定手続)や紛争解決委 員会が存在しているといえる。都道府県に設置されている「消費者苦 情処理委員会」 、 「消費者苦情処理専門委員会」等では、知事の付託等 により地域の消費者紛争解決のため、 自治事務として実施しているが、 年間処理件数が数件程度に留まる以上、裁定審査会及び紛争解決委員 会の役割、存在意義は大きく、バックアップ体制を含め、今後も引き 続き現状打開の方策を検討する必要があろう47)。 上記の点を踏まえ俯瞰すれば、裁定審査会及び紛争解決委員会の拡 充・活性化を図るためには、消費生活相談過程とADRとの一体的連続性 を考慮する必要がある。しかし、現在のところ、いったんADR申請に係 る手続がなされると相談担当者である消費生活相談員48)は当該事案と 47)一例として、東京都消費者被害救済委員会のリニューアルについては特筆 に値するといえる。従来の指針提示型とADR機能と同様の迅速解決型の2タイ プの部会を設け、より機動的な紛争解決機能を充実させたといえよう。詳し くは、 「消費者被害救済のあり方についての答申」 (第21次東京都消費生活対 策審議会:平成23年12月21日答申)http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo. jp/hourei/singi/pdf/21_toushin.pdf 48)消費生活相談における交渉技法についても検討が求められる。例えば、協 ―193― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 は無縁となり、 ADR手続の進捗状況すら非公開原則に基づいて知ること が不可能となっており、 消費生活相談とADR手続は分断状態にあるとい ってよい。ADR申請後も、相談を担当した消費生活相談員が仲介委員49) をサポートする形で、ケース・マネージャーとして仲介委員と連携を 図りながら、補完的に事案に関与することにより、裁定審査会及び紛 争解決委員会の各機能をさらに有機的に充実させることも一策ではな いかと思料する。 申請事案のなかには、申請者(相談者)自身が、紛争当事者として 何を争点として、何を求めたいのかが判然としない場合もあり、相談 を担当した消費生活相談員が丁寧に話を聴き取り、紛争解決にあたっ て適切な場(ADRへの誘引)を提示する役割も求められているように思 える。そのためには、相談を担当した消費生活相談員自身がADRの内容 や性質を十分理解することが前提であり、リーガル・カウンセリング50) の観点からも、事案の特質を見極めながら、スムースなADRへの移行が 求められる。 なお、相談とADRとの一体的連続性のあり方からすると、ADR手続制 度自体の再整備を図ることも必要不可欠である51)。 (7)各種 ADR 機関との連携と協力 わが国における消費者紛争、とりわけ生命保険契約をめぐる法的紛 調的問題解決のためのコミュニケーションとしてミディエーション(調停) の観点から指摘する論稿もある。早野木の実「ミディエイションと消費生活 相談」クオータリー生活福祉研究17巻4号1頁(明治安田生活福祉研究所、 2009年)以下を参照。http://www.myilw.co.jp/life/publication/quartly/ pdf/68_04.pdf 49)手続主宰者としての専門性・解決交渉技法(プラクティス)の涵養につい ても検討の余地があろう。 50)詳しくは、中村芳彦・和田仁孝『リーガル・カウンセリングの技法』 (法律 文化社、2006年) 。 51)和田仁孝編『ADR 理論と実践』 (有斐閣、2007年)55頁以下(中村芳彦執筆) 。 ―194― 生命保険論集第 193 号 争の総体的な解決を図るにあたっては、裁定審査会及び紛争解決委員 会のみならず、 ADR法による認証ADR機関や金融ADR制度に基づく指定紛 争解決機関(以下、 「民間ADR」52)という)や、地方公共団体の消費者 被害救済委員会等においても紛争解決が迅速かつ円滑に実施されるこ とが必要不可欠である。特に、都道府県及び政令指定都市に設置され ている消費者被害救済委員会等の機能の活性化は、わが国の消費者行 政全体の喫緊の課題でもある。 裁定審査会においては、金融ADR制度として指定紛争解決機関には、 他の指定紛争解決機関その他相談、苦情の処理又は紛争の解決を実施 する国の機関との連携が求められている (保険業法308条の7第1項6 号) 。したがって、紛争解決委員会をはじめとして、一般社団法人全国 銀行協会、 一般社団法人日本損害保険協会等の他のADR機関との情報交 換会を開催し、手続事案の取扱いの衡平性を担保するとともに、制度 上の問題点を検証している。 また、紛争解決委員会についても他のADR機関との連携については、 国民生活センター法34条に基づき、消費者紛争について裁判外紛争解 決手続を実施する国の機関、地方公共団体及び民間事業者との適切な 役割分担に配慮しつつ、相互の連携を図り、紛争の実情に即した適正 かつ迅速な解決が行われるよう努めている。 具体的には、紛争解決手続を実施する地方公共団体との情報共有に 係る連携協定を締結し、地方公共団体と国民生活センターとの間で情 報交換を行い、情報の共有化を図っている。また、証券・金融商品あ っせん相談センター(FINMAC)や裁定審査会をはじめとした民間ADRと の間での適切な役割分担と連携を図るため、 利用者に対して適切なADR 機関を紹介することに加え、各ADR機関の苦情処理・紛争解決の状況等 に関し、相互に情報を定期的に交換している。また、東京簡易裁判所 52)山田文「民間型ADRの現状と展望」法律時報992号41頁以下(2008年)。 ―195― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 をはじめとした裁判ADRとの情報交換会等についても、適宜、開催して いる。 裁定審査会及び紛争解決委員会双方ともに、消費者紛争分野におけ るADR手続総体に対する利用者の信頼性を確保するため、各ADR機関か ら寄せられる紛争解決業務に係る情報を集約・分析するとともに、各 情報を各ADR機関との間で共有し、各ADR機関とのいっそうの連携強化 を図っている。 5.消費者紛争をめぐる裁判外紛争解決手続(ADR)の解決のための判 断枠組み・解決技法 (1)紛争解決のための規範、どの規範に依るべきか 裁定審査会及び紛争解決委員会もADR機関である以上、中立・公正 な観点で事案処理に努めるべきである。後述するとおり、消費者ADR として、とりわけ生命保険契約に特化した業界ADRである裁定審査会、 また、商品・役務を問わず全般的に消費者紛争事案を取扱う紛争解決 委員会、それぞれの沿革を有しながらADR機関の専門性・特殊性を最大 限活かした手続運営をしているといえる。 「裁定審査会委 裁定審査会運営要領53)によると、裁定の方針として、 員は、 保険業法第308条の5に定める指定生命保険業務紛争解決機関及 び指定外国生命保険業務紛争解決機関である一般社団法人生命保険協 会( 「協会」 )の紛争解決委員として、関係法令及び指定(外国)生命 保険業務紛争解決機関業務規程( 「業務規程」 )に基づく紛争解決手続 (裁定手続)を行うにあたって、常に公正不偏な態度を保持するとと もに保険契約者等の正当な利益を損なうことのないよう心がけなけれ 53)詳細は、生命保険協会ホームページ(http://www.seiho.or.jp/contact/ adr/procedure/pdf/procedure_02.pdf)を参照。 ―196― 生命保険論集第 193 号 ばならない。 」と明記されている54)。他方、紛争解決委員会では、独立 行政法人国民生活センター紛争解決委員会業務規程第12条に基づいて、 不当な影響の排除55)に関する規定に留まり、和解の仲介・仲裁手続の 方針は定められていない。 このように中立・公平な立場で裁定、あるいは和解の仲介・仲裁手 続を実施することは同一であり、裁定審査会運営要領にいう「常に公 正不偏な態度を保持するとともに保険契約者等の正当な利益を損なう ことのないよう心がけなければならない」とされ、また、紛争解決委 員会では明文化されていないものの「消費者の後見的役割」が謳われ ており、申立人・申請人の利益のために手続実施することは明白であ る。 手続実施の理念は共通ではあるが、手続実施の前提として、裁定審 査会は「裁定型」を、紛争解決委員会は和解仲介手続については「調 停型」 (和解仲裁手続は「裁定型」 )を採用しているため、制度上、手 続実施方法が異なる点は少なくない。例えば、保険金・給付金の支払 いを求める事案においては、保険金請求(発生)根拠が契約にある以 上、保険約款の解釈及び約款に該当する事実の存否が争点になる。裁 定審査会にとっては保険約款の適正な解釈と適用が第一義的に求めら 54)加えて、事務局の職員については、 「裁定審査会事務局(生命保険相談室) 職員(裁定審査会の弁護士委員を補佐する弁護士を含む。 )においても裁定審 査会委員と同様、関係法令及び業務規程に基づく裁定審査会の運営事務を行 うにあたって、常に公正不偏な態度を保持し、保険契約者等の正当な利益に 留意するとともに裁定審査会委員に対して客観的な情報提供に努めるものと する。 」と記されている。 55)業務規程第12条には、 「委員会、委員、特別委員、仲介委員及び仲裁委員は、 重要消費者紛争解決手続の実施その他センター法の規定によりその権限に属 させられた事項を処理することに関し、法令、この規程のその他の定めを遵 守し、中立かつ公正な立場において、独立してその職務を行う。2 事務局長 及び事務局の職員は、重要消費者紛争解決手続の実施に関し、当該手続を実 施している仲介委員又は仲裁委員以外の何人からも命令又は指示を受けず、 中立かつ公正な立場において、その職務を行う。 」と明記されている。 ―197― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 れるのである。一方、紛争解決委員会では契約締結の背後にある事情 や文言が平易かつ明確に規定されていないこと、募集人の口頭による 説明内容の妥当性等を総合的に勘案して対応しているといえよう。 一般民事手続に準じて、法律、裁判例、ガイドライン、保険約款等 に基づいて、要件事実論のような手続を進行させるか、それとも消費 者をとりまく事情、環境等、消費者の後見的な役割を踏まえた事案処 理を行うのか、この方針によって規範性も変容するであろう。 (2)事実認定の困難性から導き出される「事実」の確認方法 事実認定の困難性を論じる時、裁判手続の移行の問題と表裏一体の 関係にあると思われる。裁定審査会及び紛争解決委員会それぞれ事実 認定のあり方については大きな論点であり、各機関で様々な取り組み がなされていることは先述のとおりである。 保険契約領域においては、例えば、保険金・給付金の支払いを求め る事案では、支払要件あるいは免責事由に該当する事実の存否が論点 となり、裁定審査会ではあくまで書証に基づきながら、両当事者から の事実の聴取をベースにして心証形成し、事実を認定している。紛争 解決委員会においても、裁定審査会と同様の手法を用いて、事実の確 認を行っている。 心証形成の方法を司法手続よりどの程度緩和できるか、証明責任の 分配に依拠する解決をどの程度行うべきか課題は多いが、既に明らか なとおり、少なくとも生命保険契約も消費者契約に属することを意識 した手続運用が求められる。 また、裁定審査会及び紛争解決委員会はあくまで簡易・迅速性を追 求するADR機関であることから、相当程度専門的な事例においては、す みやかに裁定手続を打ち切る、あるいは手続不調とすることにより審 理を終了させ、次のステップである裁判手続への移行を促すほうが当 事者利益に資する場合もあろう。 ―198― 生命保険論集第 193 号 (3) 「文言解釈の原則」と「作成者不利の原則」 保険約款は、多数の保険会社が多数の契約者と保険契約を締結し、 これを大量処理するため、生命保険会社が作成する。そのため、約款 の解釈においては、原則として、 「文言解釈の原則」や「作成者不利の 原則」に基づいて判断されるべきであろう。例えば、保険金・給付金 請求にかかる事案につき、保険約款における各条項の拡張解釈や類推 解釈がとられることはなく、厳格な解釈が採用されるべきである。 むすびにかえて ~消費者の「後見的役割」と「規範」 ( 「法令・保険約款」 )との間の中 での合理的解決のあり方、そして、 「消費者ADR」のゆくえ~ 以上のとおり、裁定審査会及び紛争解決委員会それぞれのADR機能 と生命保険契約をめぐる紛争に係る手続過去事例を一瞥して、生命保 険契約をめぐる紛争の解決システムの特質を解明し、 各ADR機関が抱え る手続上の諸課題や判断枠組み・解決技法等について検討した56)。 生命保険契約に限らず、消費者にとっては、疎明すべき証拠や知識 等が事業者に偏って存在することから、権利主張を行う上では極めて 不利な状況に立たされ、保険商品や約款の解釈によって惹起される紛 争は全国的に多数拡散される可能性が高い。にもかかわらず、保険商 品の技術性や役務の適切性(瑕疵の有無)を争点とする場合には、証 56)消費者紛争におけるADR手続に関する詳論については、山本豊・松本恒雄・ 沢田登志子・山田文「消費者紛争ADRの現状と展望」 『仲裁とADR』3号99頁以 下(商事法務、2008年)及び山本和彦・Kernaghan Webb・Anne Ferguson・Bill Dee・山田文「消費者紛争ADRの国際規格化:現状と課題」 『仲裁とADR』3号 123頁以下(商事法務、2008年)を参照。 ―199― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 明のための鑑定等、消費者にあっては証拠の偏在や証明が著しく困難 な局面が数多く存在するといえよう。 仮に訴訟による解決によったとしても、消費者の満足を得る柔軟な 解決を行うことができず、結論においてオール・オア・ナッシングの 硬直的な解決に終始せざるを得ない。こうした意味において消費者と 事業者との格差は大きく、また、広く多くの消費者に対して法的救済 を及ぼしつつも、同種の消費者紛争の未然(拡大)防止・抑止を行う 必要性が高いといえる。 とはいえ、消費者にとって証明等に伴う訴訟手続上の負担は甚大で あることなどから、司法アクセスの障害の是正のために、訴訟手続以 外の法的救済のルートとして、消費者問題に特化した委員等が事案の 特性に応じた即興性(インプロヴィゼーション)を駆使できる「消費 者ADR」として、裁定審査会及び紛争解決委員会が設置されていること 自体、紛争解決の手段・方法の選択肢の多様性、また紛争解決委員会 においては政策選択の観点からも合理的であり、改めて評価されるべ きである57)。 裁定審査会では、申立の取扱限度額の問題や、事実認定の困難な事 例の対応策(苦情の発生原因の時期の限定に係る是非)等、種々の問 題を有するが、裁定型の手続の有意性や二段階審理方式のメリットを 最大限活用しながら、 契約者平等の原則等の公平・公正の理念を慮り、 専門性や解決水準の質を確保しながら、保険契約に係る紛争解決をめ ぐる業界ADRの中核的機関として、ADRの特性である迅速性を保ちなが ら手続進行している点を特徴とする。また、事務局機能も重厚であり、 「補佐弁護士」制度を導入するなど、新たな試みも積極的に実施され ており、法令と保険約款を主な規範としながら、裁断的手続処理を進 57)消費者紛争における裁判外紛争処理の特質とその評価については、小島武 司『裁判外紛争処理と法の支配』125頁以下(有斐閣、2000年) 。 ―200― 生命保険論集第 193 号 めている点は特筆に値しよう。 他方、紛争解決委員会では、紛争解決委員会独自の基本理念、手続 方針として、消費者の「後見的役割」の観点に基づく政策実現型の行 政ADRとして、重要消費者紛争解決手続において、仲介委員が両当事者 を説得し、譲歩の余地を生み出し、消費者の「後見的役割」に適った 合意を調達するという、指導的(ディレクティヴ)な調整を行ってい ることを特徴とする。それに加えて、紛争解決委員会事務局が、消費 者の「後見的役割」の観点に基づいて、ケース・マネージャーとして の役割を担っていることにより、円滑かつ迅速な手続運営を図ってい る点も特徴の一つであるといえよう。 このように裁定審査会及び紛争解決委員会が発足して長い月日が 経過し、相互の制度自体の基盤が整備され、徐々に実務運用が軌道に 乗りつつある。 ますます各ADR機関が持つ機能がより堅固なものとなり、 さらには手続法理に影響を及ぼし58)、消費者にとっても分野横断的な 消費者紛争解決チャネルの選択肢として認知されてきていることは評 価すべきである。 しかし、その一方、既述のとおり、裁定審査会及び紛争解決委員会 の抱える問題は数多く、また、手続のあり方としても、指導的(ディ レクティヴ)な調整だけではなく、両当事者自らが紛争を直視し、そ の解決策を自主的に探るステージとして調整を捉えて、特に消費者の 自律性を高めることを補助する支援的(ファシリティブ)な調整方法 もまた必要となる59)。そうした前提条件が整った上で始めて、紛争対 象となる事実を認定し、それに基づいて法的な評価を与え、法的基準 58)この点の指摘については、司法研究報告書第63輯第1号「現代型民事紛争 に関する実証的研究-現代型契約紛争(1)消費者紛争」34頁以下を参照(司 法研修所 2011年2月) ) 。 59)このような考え方を採るものとして、E.シャーマン(大村雅彦編訳) 『ADR と民事訴訟』2頁以下(1997年、中央大学出版部)を参照。 ―201― 生命保険契約をめぐる消費者紛争事案に係る裁判外紛争解決手続(ADR)の判断枠組みと解決技法 に則った解決を図ることができるのであり、これこそ実質的な中立性 や公正性が担保されるのではないかと思われる。消費者教育推進法の 趣旨や消費者市民社会の構築のためには水平的交渉を含む、自主的・ 自律的な紛争解決の姿が理想的であろう。 こうした諸課題を踏まえつつ、制度面・実務面双方において、裁定 審査会及び紛争解決委員会が引き続き、生命保険契約に係る紛争解決 のための「消費者ADR」として中核的機関として存立し、わが国におけ る消費者紛争の総体的解決に最大限貢献できる実務運営を目指すとと もに、 ADR法理論としての理論的検討も併行して進めていく必要がある。 一例としては、英米諸国をはじめとした諸外国においては、消費者 紛争分野を商品・役務別に細分化して紛争処理対象領域を設定してお り、とりわけ生命保険契約に関する分野においては、裁判手続ではな く裁判外紛争解決手続(ADR)を用いて、価値・社会規範を創出し、段 階的に新しい権利義務関係を定着させる試みがなされている60)。 本稿では紙幅の関係もあり達成できなかったが、こうした試みを法 理論的に整理・検討すると、修復的司法の考え方に則り、紛争当事者 双方が互譲の精神に基づいて自律的・自主的に紛争の解決を図る技法 が定着していることが窺える。裁判外紛争解決手続(ADR)の制度は変 容しているものの、紛争解決の核として命脈を保ってきており、我が 国の紛争解決システムに有意な示唆を与えるであろうと思われ、こう した新たな観点を踏まえた我が国の生命保険契約をめぐる紛争解決の あり方を考究することが筆者自身の今後の課題として捉えておきたい。 60)See,OECD Recommendation of the Council on Consumer Dispute Resolut ion and Redress (http://www.oecd.org/sti/consumer/38960101.pdf) and Background report for OECD Workshop on Consumer Dispute Resolution and Redress in the GlobalMarketplace, p.3.(http://www.oecd.org/depar tment/0.2688.en) ―202―