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ロザリオと数珠の起源に関する仮説 ロザリオと数珠の

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ロザリオと数珠の起源に関する仮説 ロザリオと数珠の
Mizota 1
ロザリオと数珠の起源に関する仮説
On the Origin of Rosaries in Each Religion
溝田 悟士
Abstract
Although rosaries are products very familiar with the public in each religion, fragmentary studies
only have been done until now on the origin. The current situation makes me do this research. In
this paper, we deal with different stories about the origin of rosaries in each religion, and then
establish a new opinion about the origin of rosaries. Accordingly, the following results were
obtained: Firstly, comprehensively judging by the fact that Hinayanists in places like Ceylon dated
from the Aśoka period (Admin. 268 -232 BC) have not used rosaries until now, it is not impossible
that rosaries in India originated in Buddhist monasteries under the Kaniṣka I period (Admin. AD
139-152). Secondly, rationally judging from the supposed date of uncovered goods and other
documents, it may be that Hindus borrowed rosaries from Buddhists later. Thirdly, this paper
provides substantiation for the claim by both the Roman Catholic Church and the Oriental
Churches. Judging by the testimony of Palladius (AD c.363-c.431) who was a bishop in Asia
Minor, it seems reasonable to suppose that Christian rosaries originated in monasteries in Egypt.
Finally, judging by the fact that early Islamist’s testimony on the usage of stones and fingers
shows close similarity to above-mentioned Palladius’ testimony, if we assume that Islamists has
been in contact with Christian monasteries, we can say that Islamist borrowed rosaries from
Christian monasteries of the Levant. As a result, this paper produced an effect contrary to the
generally-preferred but doubtful idea that Christian rosaries have the identical origin with
Buddhist rosaries.
概要
ロザリオや数 珠は宗 教用 具の中でも最も身近であるにもかかわらず、その起 源については現 在に
至るまで断片的な研究しかされてこなかった。そうした現状を鑑み、本稿をロザリオと数珠の起源に
関する諸説の整理とその起源についての新たな仮説の提示を目的として執筆した。研究の結果、
インドにおける起源はヒンドゥー教ではなく、仏 教が最初であったという仮説を提示した。さらに、ロ
ザリオがキリスト教初期のエジプトの修道院における慣習に起源があるいう、カトリック側の主張して
きた説を明確にした。イスラムの数珠もエジプトの修道院における慣習に起源を持つが、後に仏教
あるいは東方正教会の影響を受けたという説を導き出した。本稿は、キリスト教のロザリオと仏教の
数珠が同一の起源を持つという、わが国において広く受け入れられている説に対して、否定的な仮
説を打ち出している。
Mizota 2
序論
ロザリオは、ローマ・カトリック教会において使用される祈りの回数を数えるための道具であり、現在
でも祈祷を数えるために盛んに使われている。また、同じように仏教の数珠も祈祷を数えるためのも
のであった。現代の一般的な日本人にとっての数珠は仏事のときに礼儀として持参するためのもの
にしか過ぎないが、現 在 でも僧侶 は数 珠 を使い祈 祷の回 数を数えているし、チベットやインドでは
一般の信徒が熱心に数珠を爪繰っているのを見ることが出来る。
ひも
現在、ロザリオや数珠などのような珠(ビーズ)を紐 に通した道具を使って祈祷 を数えている宗教
は、筆者が把握しているだけでも次のとおりである。キリスト教(ローマ・カトリック教会、英国国教会、
東方正 教会 、その他コプト教会など東方の諸 教派 ) イスラム教 、仏教 (北伝 系、ラマ教)、ヒンドゥ
ー教、ジャイナ教、シーク教である。その形態・素材は多様であり、分布も広範囲に渡っている。そ
れぞれの宗教内で常に新しいデザインが生じ、消えて行っている。
自然宗教・原始宗教にはロザリオや数珠のような祈祷を数えるための特別の宗教用具は存在し
ないことにも注目しておく必要がある。これらの祈祷を数える道具の存在は何らかの組織的な教義
を供え、 信者自身による「個人」的な祈祷を重んじる「世界宗教」 の特徴を持った宗教に
特有の用具であるといえる。 「自然宗教」は個人による祈祷より祭司などの媒介者を求め
る傾向が強く、祈祷の回数を個人に要求する傾向が薄いことも、このような道具を必
要としない要因のひとつと言えるだろう。
そのロザリオや数珠は、宗教用具の中でも最も身近であるにもかかわらず、その起源については
現在に至るまで断片的な研究しかされてこなかった。仮説はさまざま出されているものの、そのすべ
てを網羅し批判するような研究は、少なくとも筆者が見る範囲には見当たらない。筆者はロザリオと
数珠の形態的類似に興味を持っていたが、次第にその起源に関する諸説の論点を明確な形で整
理し、再検討することも必要ではないかと考え、この調査をすることとなった。したがって本稿は、ロ
ザリオと数珠の起源に関する諸説の整理と、その起源についての新たな概観的な仮説の提示を目
的として執筆したものである。
筆者はまず、ロザリオと数珠の分布と使用状 況を宗 教ごとに俯瞰した(第一 章 )。次に、さまざま
な文献に散在する主要な仮説をまとめ、各々の論拠を列挙し批判を加えた(第二章)。最後にそれ
らの批判をもとに、起源に関する新しい仮説を立てた(第三章)。
本稿における研究の結果、導き出された仮説は下記のとおりである。インドにおける起源はヒンド
ゥー教ではなく、仏教が最初だっただろう。さらに、ロザリオがキリスト教初期のエジプトの修道院に
おける慣習に起源があるいう、カトリック側の主張してきた説は指示できる。また、イスラムの数珠もエ
ジプトの修道院における慣習に起源を持つが、後に仏教あるいは東方正教会の影響を受けたと考
えられる。
本稿における調査によって、キリスト教のロザリオと仏教の数珠が同一の起源を持つという、わが
国において広く受け入れられている説に対して、否定的な見解を生ずる結果となった。
Mizota 3
本論
第一章 ロザリオと数珠の概観
第一節 キリスト教のロザリオ
ロザリオはラテン語で rosarium と呼ばれている(英:rosary, 独:Rosenkranz)。この
名前は、あるシトー会修道士が唱えた天使祝詞 Ave Maria の祈りが聖母のバラの花冠となった
という13世紀のマリア伝説に由来するとされる。実際にはロザリオを使って、主祷文15
回、天使祝詞150回、栄誦15回を唱えることで、15の玄義(祈りの主題)を黙想する。従って珠数
しょくゆう
は 150 個が基本である。罪に対する許し(贖宥 Indulgentia)のための祈祷方法やロザリオの取り
扱い方が、カトリック当局によって詳細に規定されている。 1 カトリック教徒はロザリオを手に入れると、
司祭に祝別を求める。祝別されていないロザリオは贖宥の効力が発生しないからである。一般的に
知られているフランシスコ会修道士を中心に使われているロザリオは、木の珠を紐で通してあるもの
である。その他宝石、ガラス、プラスチックなどさまざまな材質で作られ、カトリックの聖具店などでよく
見かけるロザリオは珠を鎖でつないである。(資料1)
(資料1)
英国国教会(聖公会)の内部派閥であるカトリック主義の高教会 High Church において
もローマ・カトリックと同じロザリオが使用されている。プロテスタント色の強い低教会
Low Church の人々はロザリオを使わない傾向にある。
東方正教会においてもギリシャ語で κομβολόγιον あるいは κομβοσχοίνιον などと呼ば
ひも
れる数珠がある。珠を使用しているものもあれば、珠のかわりに紐 の結び目を利用したも
のもある。 2
なおプロテスタント諸派は宗教改革の精神に基づいて、ロザリオを中世的な習慣とみな
し排除した。キリスト教の母体であったユダヤ教においても、神との間にいかなる媒介を
も認めず、道徳的目的にかなわない慣習に意義を認めないためロザリオを使用しない。 3
第二節 ヒンドゥー教および仏教の数珠
仏教では、仏や菩薩を礼拝するときに手にかけ、または称名や陀羅尼などを唱えるとき
に用いる。 4 珠の数は通例 108 個で、百八の煩悩を退散・消滅させるためといわれる。珠
を少なくしたものも用いられており、108 の半分の 54 で菩薩の五十四位、さらにその半
分の 27 で二十七賢聖を表すという説がある。 5
インド、中国、朝鮮半島そして日本など仏教が良く浸透した地域に分布している。
1
2
3
4
5
「カトリック大事典 第五巻」p.519-21
高橋 p.29-30;「カトリック大事典 第五巻」p.519
Dublin. p.84
「新版 仏教学辞典」p.250-1
「佛教語大辞典 縮刷版」 p.644
Mizota 4
チベットやモンゴルなどに広まったラマ仏教では古くから誰もが持ち歩いていた。素材
は持ち主の社会的階級に応じて違うようである。最も良いものは聖者の人骨で出来たもの
だといわれる。 6 (資料2)
日本ではさまざまな材料が存在し数珠の形状も宗派によって違っている。 7 数珠をすり
合わせ音を出す習慣が存在するのも、日本特有のことである。 8 しかし大多数の日本人は
もはや祈祷を数える道具としては使わず、仏事などに出席する場合に礼儀として持ち歩く
だけである。
また、スリランカやタイなどを中心とする南方仏教徒は伝統的には使用しない。 9
インドの民族宗教であるヒンドゥー教では数珠は生活の中心である。使用する人は自分
の信じる神に対してそれを使用する。Shiva 崇拝者と Vishnu 崇拝者の二種の数珠が主な
ものである。特に Shiva 神は数珠を持った姿で描かれることが多い。 10
第三節 イスラム教の数珠
日本人にはあまり知られていないが、イスラム教徒も広く数珠を使用している。
イスラム教の数珠はアラビア語で sub ・a(名詞:神の賛美)、misba ・a(道具名詞:神を
賛美する道具)あるいは tasb ī・(動名詞:神を賛美すること) と呼ばれる。この三つが
ともに同じ「神を称える」という意味の語根「s-b- ・」に由来するように、もともと神を称
える祈りの数を数えるための道具であった。これら三つの語はイスラム圏の他の言語にも
流入している(ペルシア語:tasb ī・ トルコ語:tespih)。玉の数は99個であり、sub ・āna
allāh(神に栄光あれ)、al- ・amd il allāhi(神に讃えあれ)、allāh akbar(神は偉大なり)
の章句をそれぞれ33回ずつ計99唱える。最後の100番目に imām などと呼ばれる細
長い珠と房飾りがあり、そこで一連の祈りを終える。33個、45個、66個というよう
に数を少なくしたものもある。 11 (資料3)
第四節 「悩みの数珠」 Worry Beads
ギリシャやトルコ、中東諸国の人々は「悩みの数珠」Worry Beads と呼ばれる数珠を持
ち歩く習慣がある。サウジアラビアなどでは、会議などでビジネスマンが数珠玉をいじく
りながら取引をしたりする光景を見ることが出来る。花瓶の形をした1個の珠を伴った3
3の珠からなっており端には房飾りがあるので、起源はイスラム教の数珠にあると思われ
る。持ち主の社会的地位に応じて、多様な材料が使われている。これらの数珠は「悩みの
Dublin. p.85-88
ひろさちや p.108
8 「仏像の持ちもの小事典」p.190-1
9 「仏像の持ちもの小事典」p.185
10 Dublin. p.84
11 杉田 p.7
6
7
Mizota 5
数珠」Worry Beads と呼ばれるが元来持っていた宗教的な意味合いを喪失してしまい、手
で弄ぶことで精神を安定させるという役割に変化したものだと考えられている. 12
以上のように世界の数珠は多様であり、古くからその類似点や差異をめぐってさまざま
な起源説が唱えられてきた。次の章では、そのような起源説の中で代表的なものの論点を
整理し、賛否両面から批判を行う。
第二章 ロザリオ・数珠の起源に関する諸説と批判
第一節 ロザリオの起源に関する関心の源流と背景
カトリックのロザリオの起源を異教に求める仮説は思いのほか古いものである。
イタリアの Urbino 出身 の歴史 家 Polydore Vergil(c.1470-1555)はその著 書 De Rerum
Inventoribus のなかで、木製の15個の小球とそれよりは大きめの5つの珠を通した道具が、第一
回十字軍に参加した Amiens の隠者ペテロ Pierr l’Ermite(c.1050 -1115)によって東方世界か
らキリスト教世界へ移入されたはずだと主張した。この説は学者の間ではまったく価値の無い説とみ
なされている。 13 しかし、すでに15~6世紀の西欧人がイスラムの数珠 tasb ī・とキリスト教のロザリオ
との類似を想定していたという点に注目しなければならない。
西欧が仏教の数珠を発見したのは、おそらくローマ・カトリック教会が海外宣教に乗り出した頃の
ことであると思われる。日本に宣教に来た聖 Fransisco Xavier(1506-1552)はローマのイエズス
会士に宛てた書簡の中で、改宗した日本人は仏教の数珠を捨てキリスト教の神に祈るためにロザリ
オを使っていると報告している(1552 年)。 14 これは、ヨーロッパ人による東洋の数珠に関する最初
期の証言のひとつであろう。おそらく大航海時代以降の西欧においては、この Xavier の書簡に代
表される宣教師たちの報告の影響もあり、仏教の数珠との形態上の相似が印象付けられたと考え
てよいと思われる。
このように生じたロザリオと数珠の類似性についての関心は、近代を通し現代に至るま
で続いており、多様な憶測・仮説を生み出し続けている。
チベットを旅行したフランス人のカトリック司祭 Evariste Régis Huc(1813-1860)の
見解は一風変わっている。彼はその旅行記で、数珠をはじめとするチベット仏教の持ち物
や典礼の中のカトリックとの類似点を列挙している。彼によればそれらの数珠をはじめと
ツォン カ
パ
する類似点は、チベット仏教の改革者 宗 喀巴 (1357-1419)が14世紀の北京にすでに伝
12
13
14
Dublin. p.91
Wilkins. p.31
Xavier.Ep 96: 46-7
Mizota 6
道されていたカトリックから導入したものではないかと推察している。 15
また、ドイツの精神医学者である Carl Gustav Jung (1875-1961)は彼の主催した心理学セミ
ナーにおいて、彼は紀元前2世紀のペルシアにすでに仏教寺院が存在したことなどを理由に、ロザ
リオの起源は仏教にあるという見解を述べている。彼は、キリスト教が原始からカトリック教会に至る
まで絶えず仏教の影響会にあったと考えている。 16
これらの見解は説得力をもたない仮説とみなされるが、ロザリオと数珠の類似性に西欧の人々の
持つ東洋への憧れが反映した結果だと見るべきだろう。
第二節 Albrecht Werber の サンスクリット誤訳
サンスクリット 誤訳説
誤訳 説
こういった仮説の中でも日本の仏教学者に強い影響力を持つことから、特に注目してお
かねばならない見解がある。
仏教学者 Albrecht Werber(1825-1901)は独自の語源説を展開し、キリスト教のロザリオ
はインド起源であると主張している(1868 年)。彼は、サンスクリット語で数珠が japamālā
(祈りをつぶやくための輪)と言われていることから、japa(祈りをつぶやくこと)を japā
(バラ)と聞き間違えられて西洋に持ち込まれラテン語のロザリオ rosarium になったと
想定した。さらに彼は、バラの花びらを丸めたロザリオの珠があるのはこの rozarium の
名前に起因すると考えているようである。 17
日本の仏教学者の多くはこの Werber の説をそのまま支持している。仏教学者中村元は
「仏教大辞典」において、この Werber の説をほぼそのまま紹介している。 18 また仏教学
者ひろさちや は Werber の名前に言及はしていないものの、おそらく Werber に起源する
見解をもとにしてキリスト教のロザリオの起源をローマ人が聞き間違えた結果だとしてい
る。 19
このロザリオの japamālā 起源説には、積極的に支持できる理由は存在しないと思われ
る。サンスクリット関連の辞典を確認すればすぐわかるとおり、japa(祈りをつぶやくこ
と)と japā(バラ)の母音の長短の相違は明確であり、20 たしかに Werber の言うことは
正しい。しかしサンスクリット語とラテン語の話者が、宗教上の必要を満たすような接触
の機会をもった可能性は低いと思われる。インドのイラン系王朝であった Kushan 朝の
Kani ・
ka 王(在位 139-152)の時代にはローマとの直接的交渉があったものの、21 当時のラ
テン語圏のキリスト教は迫害されていたのであり、数珠を伝播させるほどの宗教上の必要
15
16
17
18
19
20
21
ユック p.59ff.
ユング p.329
Werber. p.340-1
「佛教語大辞典 縮刷版」p.644
ひろさちや p.107-11
「漢訳対照梵和大辞典」p.492
「仏教解題事典」p.11
Mizota 7
・ ・ ・
を満たすような直接的 接触があったとは考えられない。
またギリシャ語圏をいったん経由し、ラテン語圏に影響したと仮定したとしてもその可
能性は低い。ラテン語の rosa(バラ)に対応するギリシャ語は ῥοδον であるが、 22 東方
正教会における κομβολόγιον あるいは κομβοσχοίνιον など のギリシャ語名称にバラの
ῥοδον の痕跡が見当たらないからである。
さらに第三章第二節で述べるように、キリスト教においては現在のロザリオの形になる
までに、祈祷を数えるための多様な形態の道具が考案される過程があったことが分かって
いる。それらの形状はインドの数珠の形状とは大きく違っているため、ロザリオとインド
の関連を想定することは全く困難である。
第三節 Wilkins の インド起源説
翻訳家 Eithne Wilkins のインド起源説は、Albrecht Werber と比べると不徹底かつ安易
である。彼女はその著書 The Rose-Garden Game (1969 年)の中で、古いヒンドゥー教の数珠
japamala [sic ]は「つぶやく(ための)小数珠」のほかに「バラの小数珠」という意味も持っていたと言
う。その根拠として彼女が挙げる証拠は、そのヒンドゥー教の数珠の玉が hibiscus rosa sinensis
の花弁を揉んで作られたはずだということである。また、カルメル会修道院の尼僧たちもバラの花弁
を丸めた玉でロザリオを作っていること、花弁を丸めた数珠がビルマの仏教徒の間でも使われてい
ることを類似点として挙げる。 23
この Wilkins の 説 は英 語圏 に 強 い影 響 を持 っ てい る よう で あ るが 、 全く 信 じが た い。
Wilkins が japamala [ママ]としているのは、第二節で出てきた japamālā のことであろう。
Werber の主張していたとおり、japamālā は「バラの輪」という意味は持っていなかった。
Wilkins は japa と japā という母音の長短の違いを完全に無視し、混同しているのは明ら
かである。
さらに Wilkins が花弁の数珠の材料として挙げている植物 hibiscus rosa sinensis の和名は
「ブッソウゲ」または「ムクゲ」、つまり品種改良されハワイの州花となっている「ハイビスカス」のことで
ある。漢名では「扶桑」という。正式学名は hibiscus rosasinensis L.である。末尾の L.はスウェー
デンの生物学者で生物学名の創始者でもある Carl von Linné(1707-1778)の名前の頭文字であ
り、彼が命名したものだということを意味する記号である。 rosasinensis の部分は「中国のバラ」とい
う意味のラテン語であり Linné が最初中国原産だと推定し付けた名称であり、ヨーロッパに始めて
紹介されたのは、ようやく 1731 年になってのことである。 24 つまり hibiscus rosasinensis という植
物に「バラ」のイメージが加わったのは、古代インドではないし、ましてや古代ローマでもない。どう考
えても、18世紀の生物学者 Linné が「中国のバラのようなハイビスカス」と命名して以来であること
22
23
24
Ethymological Dictionary of Latin. p.208
Wilkins. p.44
「図説 花と樹の事典」p.346-7
Mizota 8
は明らかである。ちなみに実際に「ムクゲ」の茎を観 察してみればわかるとおり、バラに特有の「針」
はどこにも見当たらない。
またカルメル会でバラの花弁のロザリオが作られていることについても、おそらく Weber の言うよう
に Rosarium という名称から類推して生じたのだろう。ビルマの仏教徒の数珠についても何の花の
花弁か明確に言及がないため、バラとの類似性があるとはいえない。
以上のことから、Wilkins が主張する仮説の根拠は、まったく存在しないということになる。
第四節 カトリック側の独自起源説
カトリック学者の側からの分析は、批判的で理性的なものである。
カトリックの学者の一般的見解を代表する「カトリック大事典」によれば、ロザリオという名はバラの
花冠を聖母に捧げることを意味し、13世紀のマリア伝説に由来するとしている。さらに、聖母マリア
が聖 Domincus(c.1170-1221)に現れロザリオを授 けたという伝 説があるが、それはドミニコ会 士
Alanus de Rupe(?-1475)が作り上げた伝説であると主張する。その根拠は、その奇跡があったと
される修道院の書物にも聖 Dominicus の古い伝記にも、13-14 世紀の記録にもこの奇跡のことに
ついてはまったく記述がなく、あったとしても後世の作か偽作だと言うことである。しかし、仏教の数
珠やイスラム教の tasb ī・、あるいは東方正教会の κομβολόγιον あるいは κομβοσχοίνιον など
から由来したものではなく、ローマ・カトリックの内部で独自に発展したのだと主張している。それは
Palladius(363?-431?)の著書 Historia Lausiaca (419 年?)に、エジプトの修道士 Paulus が石
などを使って祈祷を一定回数唱える慣習をすでに行っていたと記されているからである。また11世
紀以来さまざまな珠の数の主祷文珠数 paternoster が使われ、専門の手工業者 paterosterer が
それを作ったという。1268 年のパリには patenôtriers のギルドが存在し、ロンドンの Paternoster
Row という地名はこの名残であるという。 25 (資料4)
この見解のなかでも、キリスト教では古代からすでに祈祷を石で数える習慣があったということを、
現存する4世紀の文献 Historia Lausiaca をもとに示していることに注目しなければならない。4世
紀にすでにキリスト教独自の証言が存在したということは、インドとの交流が無くてもカトリックのロザリ
オが独自に生じた可能性がある重要な証拠である。
しかし、「カトリック大事典」の記事の著者がロザリオを東方正教会から由来していないカトリック独
自のものだと主張していることは、注意しておかなければならない。東方正教会側もこの Palladius
証言を自分たちの 数珠の 起源だと主張しているからである。 26
後 に 詳 し く 検 証 す る よ う に カ ト リ ッ ク の ロ ザ リ オ も 、 東 方 正 教 会 の κομβολόγιον や
κομβοσχοίνιον も、ともにエジプトの修道院に起源を持つと考えるのがよいと思われる。
第五節 数珠の中国起源説
25
26
「カトリック大事典 第五巻」p.519-21
高橋 p.29-30
Mizota 9
仏教の数珠が中国に起源するという説があり、一部の仏教学者には影響を持っているようである。
どうしゃく
中国浄土教の始祖の一人として数えられる 道 綽 (562-645:唐代)は仏学に秀でていた
が、48歳のとき悟りを得て学問を捨て念仏行に入った。彼は日課として念仏を7万回唱
え、人々にも念仏行を勧めたが、その際人々には小豆で念仏の回数を数えさせたという。
もくげんし
後で木槵子 の実に穴を開け数珠を作ったのが、仏教における数珠の起源だと伝えられてい
る。27 また仏教学者の中には、数珠の起源は新しく、律の中に記述がなく南方仏教徒も用
しょうみょう
いないので、中国で隋唐のころに 称 名 を数えるためにはじまったと考える者もいる。 28
しかし、中国で数珠が隋唐のころになってようやく使われるようになったとは考えられ
ない。経典としては明らかに隋唐以前のものが存在するからである。
も く げ ん し きょう
数珠の登場する漢籍における初出文献はおそらく「木槵子 経 」(東晋時代 317-420:失
訳)であろう。インドの毘琉璃国の王が仏陀に使いを送り人々を苦しみから解放する方法
を聞いたときに、108個の木槵子の実に穴を開けて数珠として仏法僧の名を唱えるごと
に珠を繰るという祈りの方法を教えたという。29 たとえ伝承史的にこの「木槵子経」の内
容そのものが釈迦自身にさかのぼるか疑問があるにせよ、数珠の発祥が中国で無くインド
であることをうかがわせる内容である。
む
り ま ん だ ら じゅきょう
さらに、「牟梨 曼荼羅 呪 経 」(梁代 502-557:サンスクリット及びチベット語断片残存)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
は漢籍経典の中のサンスクリット語音写 と して は 初出 文献であると思われる。そこには「鉢
は
そ
ま
塞莫云數珠」とありこの「鉢塞莫 」がサンスクリット語の音写だとされている。30
瑞麿によれば、この鉢塞莫を japamālā の音写だと考えている。 31
石田
しかしこれは、きわ
めて疑わしい。Soothill と Hodous は、
「鉢塞莫 pāśakamāla, dice-chain i.e. a rosary.( さ
いころの輪。すなわち数珠。)」と定義しており、32 そのほうがより実態に近い意味である
と思われる。
だ
ら
に じっきょう
また、時代が下るが「陀羅尼 集 経 」(653 年?:失訳)巻四には「阿叉磨羅」という記述
amālā の音写であるとされている。 33 (ちな
が見られ、それはサンスクリット語の ak ・
・ ・ ・ ・
a とは Rudrā k ・
a の略で、経典では「悪叉(木)」と音写されるじゅずぼ
みに、この ak ・
・ ・ ・ ・
だいじゅ Elaecorpus ganitrus のことであると考えられている。 34 )
このように中国に pāśakamālā と ak ・
amālā という複数種の数珠のサンスクリット音写
が伝来していたと想定されることから見ても、数珠が中国起源ではなくインドから渡来し
27
28
29
30
31
32
33
「望月仏教大辞典 第四巻」p.3874-5
「新版 仏教学辞典」p.250-1
「仏書解説大事典 第11巻」p.12
「織田仏教大辞典」p.985
「例文 仏教語大辞典」p.872
A dictionary of Chinese Buddhist terms. p.418
「新装版 仏具辞典」p.126-8
34 「日本佛教語辞典」p.418;
「漢訳対照梵和大辞典」p.5,
1131
Mizota 10
たものであることは明白である。また、道綽が小豆で祈りを数える方法を人々に教えたと
いう伝承は道綽自身にさかのぼると想定されるが、道綽が木槵子の実で数珠を作った最初
の人であるという伝説は道綽以前に成立・伝来していた「木槵子経」の影響で作られた伝
説であろうと思われる。
以上の批判をもとにして、次章では物証及び証言を整理し直し、新しい仮説を提示する。
第三章 ロザリオと数珠の起源に関する新しい仮説の提示
第一節 ヒンドゥー教・仏教における起源
インドでの最古の物証として知られているのは、西インドのシャリバロールから出土し
た数珠を首にかけたヒンドゥー教賢者の砂岩彫刻である。この彫刻は Śu ・ga 朝~Kushan
朝期(185B.C.- A.D.320)のものと推定されており、東洋における数珠の存在を示す最古
の資料であると考えられている。35 従って、遅くとも紀元 320 年までにはインドには数珠
が存在したことになる。ちなみに数珠に関する最初期の Upani ・ad 文献として、Rudra-ak
・a-jābāla Upani ・ad や Ak ・amālika Upani ・ad などが伝えられているが、西暦 500 年代以
前 300 年代位までに成立したと言われているものの、成立年代は明確には不明である。 36
現時点では、ヒンドゥー教の証言のみから数珠の起源を想定することは不可能であるよ
うに思われる。一般的には数珠はヒンドゥー教から仏教に借用されたと考えられている。
しかし筆者はその反対に、興隆した仏教において数珠が生じそれがヒンドゥー教に取り入れられ
たのだと想定するほうが、現時点では理にかなった想定だと考えている。従って仏教において
数珠がいつ使用され始めたかを想定する中で、数珠の起源についての仮説を立ててみたい。
第二章第五節ですでに述べたとおり「木槵子経」の内容をもとに、無批判的に数珠の起
源を釈迦本人に遡らせることはできないと思われる。
「初期仏典」においても、出家者の持
ち物を規定した「比丘六物」あるいは「比丘十八物」においても数珠が含まれていないとい
う事実を考えれば、原始仏教や初期仏教において数珠が知られていなかったと想定せざるを得
ないからである。 37 したがって、仏教発生時点ではインドでは一般的に数珠が使われていなかった
と考えるべきである。
・ ・ ・
さらにスリランカやタイなどを中心とする地域 で伝統的に数珠が使用 されていない とい
う事実は、38 初期仏教以前において数珠が使用されていなかったということを裏書きする
35
36
37
38
Dublin. p.80;「ウパニシャット全書 二」p.313-4
「ウパニシャット全書 二」p.313-4;「ウパニシャット全書 六」p.321-2
「仏具大辞典」p.328
「仏像の持ちもの小事典」p.185
Mizota 11
とともに、仏教における数珠の使用開始年代について重要な示唆を与えるものだと思われ
る。Maurya 王朝第三代の Aśoka 王(在位 268-232B.C.頃)が、その子 Mahinda をスリ
ランカに遣わせ仏教を広めたことがスリランカの仏教の始まりである、とされている。 39
従って、スリランカの仏教が数珠を使用していないということは、Aśoka 王の時代におい
てもまだ数珠の使用が一般的ではなかったということを想定させる。つまり、インド亜大
陸の仏教に数珠の使用が開始されても、スリランカがその習慣から取り残されたと考えら
れる。従ってインド亜大陸における数珠の使用開始時期は、スリランカ上座部が分離した
時期以降、つまり上座部の枝末分裂以降であると想定するのが妥当だろう。上座部の枝末
分裂の時期は、「宗輪論」の記述およびカールレ碑文に基づいた説によれば、紀元前 5 年
以降で紀元後 100 年ころと考えられている。40 したがって、数珠が仏教で使用され始めた
のはすくなくとも紀元前 5 年以降のある時期だということになる。
筆者は、上座部の末子分裂によって分離した説一切有部に帰依し大乗の影響も受けたとといわ
れるイラン系 Kushan 朝の Kani ・ka 王(在位 139-152 頃)の時代が、数珠使用開始の年代・時
代背景からみて適切ではないかと推察する。Aśoka 王の時代の仏教は栄えたとはいえ、そ
の形態はかなり素朴な形であったようである。 41 それに対して Kani ・ka 王の帝国は領土
が広大であり、ギリシャ文化などの影響を強く受け仏像が作られるようになるなど、仏教
の全体像が大きく変貌した時期である。 42
従って、インドで数珠が生まれたのは、多様な文化が花開いた二世紀の仏教すなわち
Kani ・ka 王治下の、仏教僧院などから発生したと想像するのが妥当であると考えられよう。
その 後 、 東晋 時 代 (317-420) ま でに は 中 国に 伝播 し 、 遅く と も Kushan 朝 期 の終 わ り
(A.D.320)までにはヒンドゥー教にも数珠が取り入れられたと想定するのが自然だと思
われる。
第二節 キリスト教における起源
すでに第 二 章 第 四 節で述べたように、ローマ・カトリック教 会と東 方 正 教 会 がともにロザリオ及び
κομβολόγιον や κομβοσχοίνιον の 起 源 と し て あ げ て い る の が 、 小 ア ジ ア の 主 教 で あ っ た
Palladius(c.363-c.431)による初代修道院史 Historia Lausiaca (c.419)である。
その報告によれば次のようなことがわかる。エジプトの Pherme 山に 500 人ほどの修道士たちが
住み祈りの生活を送っていたが、その中の Paulus という人物は三百回の祈りを日課とし、小石を
集めそれを使って祈りの回数を数えていた。またある村では 30 年 間修道 生活をしている処女が
700 回の祈りを日課にしており、さらに聖 Macarius も 100 回の祈祷を日課にしていたという。 43
39
40
41
42
43
「仏教解題事典」p.10
龍山 p.82-3
「仏教解題事典」p.9-10
「仏教解題事典」p.11
Palladius. Hist. Laus. 20:1-3
Mizota 12
この報告で明らかになることは、Paulus が祈祷を数えるのに石を使用していたということだけでは
ない。エジプトにおいて修道生活を送る者にとって、祈祷を一定回数繰り返す習慣はごく普通のも
のだったということも、この報告から読み取れると思われる。したがって、カトリックのロザリオ
と東方正教会の κομβολόγιον や κομβοσχοίνιον の 起源は 、同じくエジプトの修道院にあ
ひも
るこ と を予 感さ せ る。 さらに東方 正 教会の伝 承 では、紐 の結び目 を使 った κομβολόγιον や
κομβοσχοίνιον をエジプトの修道者 Pachomius(c.290-346)が作り始めたという伝承が残ってい
る。 44 これらは同じくエジプトの修道院起源を想像させる。したがって、ロザリオの起源をエジプトの
修道院に求めることは、ごく自然な発想であると思われる。
その後カトリック圏では祈祷を数える方法が、他の影響を受けずに独自の発展を遂げたと思われ
る。8 世紀以来、Thong-and-ring という革のベルトに骨製の輪を縫い付けた祈祷を数えるための
道具が登場し、南ドイツでは 19 世紀まで使用されていたらしい。 45 (資料5)現在のロザリオとは
(資料5)
形態が全く似ていないものであるが、同一の機能を持つことからロザリオの前身のひとつと考えられ
るであろう。その後、11世紀からはビーズを使った paternoster が使われはじめるが、 46 その形状
は多様であり輪の形状を成していないものも多く認められる。 47 また、ローマ教会の圏内であったス
イスにも同じように紐の結び目を使った数珠の習俗が残っている。 48
以上のことからも分かるように、キリスト教が仏教・ヒンドゥー教の数珠と接触する必要なく、独自に
ロザリオを生じ得るだけの潜在力を持っていたことが明らかになるだろう。仏教・ヒンドゥー教におい
ては数珠が生じた初期から輪の形状が定型となって各地に伝播しているのに対し、キリスト教にお
いてはその初期からさまざまな形状が生じているのが分かる。それは祈祷を数えるために、各地で
試行錯誤されていたことを示すものだと考えられる。ロザリオに仏教の数珠の影響が存在したとした
ら、そのような多様な形状になることはありえなかったと思われる。
第三節 イスラム教における起源
イスラム教においては Qur’ān や ・adīth などの聖典類に、数珠 tasb ī・に関する記述は一
切ないが、それはイスラム教の最初期に tasb ī・が存在しなかったからだと考えられている。
ただ、預言者の時代から祈祷の回数を数えるために指や小石、果物の種などを用いていた
という記録が残されている。 49
これは注目すべき事実である。なぜなら、キリスト教側の Palladius 証言と酷似する内
容であり、キリスト教の修道院からの影響を想定させる内容だからである。イスラム教の
開祖 Mu ・ammad(570?-632)は Allāh の啓示を受ける前、隊商を組んでシリアに行った
44
45
46
47
48
49
高橋 p.29-30; 「カトリック大事典」p.519
Wilkins. p.48 (Plate 4).
「カトリック大事典」p.519
Wilkins. p.215 (Plate 7).
Wilkins. p.216 (Plate 9).
杉田 p.8
Mizota 13
際にキリスト教修道士 Bahira に接触していると伝えられている。 50 したがって、石など
で数える習慣がイスラム教に取り入れられたのはキリスト教修道院からである可能性はあ
ると思われる。またイスラム教での石で数える習慣がシリアとの接触で生じたとすれば、
イスラム教が発生する直前(7世紀)のシリアのキリスト教でも同様の習慣を持っていた
と考えるべきであろう。
イスラム教においては、数珠が‘Abbās 朝(750-1258)の詩人 Abū Nuwās(?-813 頃)の作品
にあるため、51 9世紀前後まで数珠は無くこのように石で数える状態が続いたと思われる。
Philip K. Hitti は、イ スラムの tasb ī・は イ ン ド か ら 借 用 さ れ た と 考 え て い る が 、 特 に
Sufism の数珠は東方正教会から借用されたと考えている。52 この想定は妥当であると
思われる。
考察
これまでの研究の結果、仮説として提示できたことをまとめると次のようになる。
数珠は二世紀のインドの仏教、すなわち多様な文化が花開いた Kani ・
ka 王治下の仏教
僧院などから発生した。その後、東晋時代(317-420)までには中国に伝播し、遅くとも
Kushan 朝期の終わり(A.D.320)までにはヒンドゥー教にも数珠が取り入れられた。ま
た、キリスト教のロザリオは、仏教・ヒンドゥー教の数珠とは接触せずに誕生したと考えられる。遅くと
も5世紀にはエジプトの修道院において、祈祷を石で数える習慣が発生しただろう。また紐
の結び目で数える習慣もエジプトの修道院で生まれた可能性がある。したがってローマ・カ
トリックのロザリオと東方正教会の κομβολόγιον や κομβοσχοίνιον の 起源は 、同じくエ
ジプトであったと考えられる。さらにイスラム教においてはごく初期に、指や小石、果物
の種などで数える習慣がキリスト教修道院から取り入れられた。そして、9世紀前後に数
珠がインドから取り入れられ、後に Sufism の数珠が東方正教会から借用された。
この研究によって、カトリックの学者はロザリオがキリスト教独自に発展して来たものであることを主
張しているが、仏 教学 者 のほうはキリスト教がロザリオを仏教 から借りたのだと主張 している対 立構
図が浮き彫 りになった。カトリックのロザリオがインドの仏教に起源があるというのは、特にわが国の
仏教学 者に多い見解であるが、本稿はそれに対しては否定 的な結 論を導いたことになる。わが国
の仏教学者がロザリオの仏教起源説を支持する傾 向は、伝統的に日本の仏教学者が Albrecht
Werber から受けた影響が強いとからだと思われる。また、日本の仏教学者がキリスト教側の見解を
十分に熟知し、批判的に論じていたのか疑問である。今後は、共通の資料にたって議論が進むこと
50
51
52
ヒッティ「アラブの歴史 上」p.228
杉田 p.8
ヒッティ「アラブの歴史 下」p.179-80
Mizota 14
が望ましいだろう。
本稿では散在する多様な仮説を可能な限り客観的・網羅的に集めることを心がけたので、このよ
うな日本の仏教学者に対しての仏教以外の見解や資料の紹介としての意味も込められている。筆
者は、ロザリオと数珠の起源についての多様な仮説を網羅的に集め、概観的に再検討を施すとい
う当初の目的は達成できたと考えている。本稿についての各界の批判を乞うことで、学界における
東西交流史における議論が深まるなら、筆者としては嬉しいことである。
資料編
(資料1)
(資料2)
左
:(資料1)=
(資料1)
一般的なローマ・カトリックのロザリオ (ひろさちや p.110)
右
:(資料2)=
(資料2)
ラマ教における人骨製の数珠(Dublin. p.82
原図はカラー)
Mizota 15
(資料3)
(資料4)
(資料5)
左
:(資料3)=
(資料3)
イスラム教における sub ・a(Dublin. p.83
中
:(資料4)=
(資料4)
Paternoster(Wilkins. Plate 13. = facing p.112 解説は p.217)
右
:(資料5)=
(資料5)
Thong-and-Ring(Wilkins. Plate 4.= facing p.48 解説は p.214)
原図はカラー)
参考文献
(辞書・事典)
A dictionary of Chinese Buddhist terms with Sanskrit and English equivalents and a
Sanskrit-Pali index, Ed. William Edward Soothill and Lewis Hodous: Kegan Paul,
1937.
Etymological Dictionary of Latin , ed. T. G. Tucker, Ares Publishers: Chicago, 1985.
Mizota 16
「織田仏教大辞典」織田得能編 大蔵出版 昭和 29 年
「カトリック大事典 第五巻」上智大学 冨山房 昭和 35 年
「漢訳対照梵和大辞典 増補改訂版」㈶鈴木学術財団編 講談社 昭和 54 年
「新装版 仏具辞典」清水乞編 東京堂出版 1999 年
「新版 仏教学辞典」多屋頼俊 横越慧日 船橋一哉編 法藏館 1995 年
「図説 花と樹の事典」植物文化研究会+雅麗編 柏書房 2005 年
「日本佛教語辞典」岩本祐編 平凡社 1988 年
「仏教解題事典」第二版 水野弘元 中村元 平川影 王城康子郎編 春秋社
「佛教語大辞典」縮刷版 中村元編 東京書籍 昭和 56 年
「仏具大辞典」岡崎譲治監 鎌倉新書 昭和 37 年
「仏書解説大事典 第11巻」小野玄妙編 大東出版社 昭和 10 年
「仏像の持ちもの小事典」秋山正美編 燃焼社 1992 年
「望月仏教大辞典 第四巻」塚本善隆編 世界聖典刊行協会 昭和 32 年
「例文 仏教語大辞典」石田瑞麿編 小学館 1997 年
(歴史資料・その他書籍)
Dublin, Lois Sherr. Prayer Beads. The History of Beads From 3000 B.C. to the Present .
New York: Harry N. Abrams, 1987.
Palladius, The Lausiac History : tr. Lobert T. Meyer: Newman Press: NY, 1964.
Werber, Albrecht. Über die Kṛishṇajanmâshṭamî (Kṛishṇa’s Geburtsfest), Königl.
Akademie der Wissenschaften: Berlin, 1868.
Wilkins, Eithne. Rose-Garden Game: The Symbolic background to the European prayer
beads : Victor Gollancz: London, 1969.
杉田英明「数珠が結ぶ世界―イスラム文化への視角―」
(「外国語研究紀要」5[2000]東京大
学大学院総合文化研究科・教養学部外国語委員会編 p.1-36 所収)
高橋保行「ギリシャ正教」講談社 昭和 55 年
龍山章眞「インド仏教史」法蔵館 昭和 52 年
ひろさちや「仏教とキリスト教
―どう違うか 50 の Q&A―」新潮選書 昭 61
ヒッティ,フィリップ・K「アラブの歴史 上」講談社 昭和 57 年
ヒッティ,フィリップ・K「アラブの歴史 下」講談社 昭和 58 年
ユック「韃靼・西蔵・支那旅行記」後藤富男 井上芳信訳 生活社 昭和 14 年
ユング,カール・G「夢分析
II」入江良平 細井直子訳 人文書院 2002 年
「ウパニシャット全書 二」世界文庫刊行会 大正 11 年
「ウパニシャット全書 六」世界文庫刊行会 大正 12 年
「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」河野純徳訳 平凡社 昭 60
Mizota 17
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