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ドン・ボスコ! - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco
いつもあなたと共にいる B O L L E T T I N O SA L E S I A N O ● g e n n a i o 2 011 6 N o. 聖ヨハネ・ボスコ 聖遺物巡礼記念特別号 が コ ス ボ ・ ! ン る ド 来 て っ や に 本 日 19世紀イタリアから21世紀日本へ ようこそ、ドン・ボスコ! ドン・ボスコ、あなたは晩年、 サクロクォーレ大聖堂の扶助者聖母にささげられた祭壇で 涙を流しながらミサをささげました。 イエスのように「すべては成し遂げられた」と思われたのですか。 けれどもあなたは亡くなる三年前、 世界に広がるサレジオ家族の事業の夢を見たではありませんか。 父ドン・ボスコ、あなたは今、すべての涙をぬぐい、 見果てぬ夢の続きを見るために、世界中を巡礼しています。 ようこそ、ドン・ボスコ! あなたがごらんになった高い山は富士山です。 あの山の二合目には扶助者聖母のご像と祭壇もあります。 あなたが夢に見た日本に、最初のサレジオの宣教団長として 一歩を踏み入れたのは、「ドン・ボスコをごらん」と叫んだ 母の手で高くかかげられた小さな男の子、チマッティ神父です。 その時から、サレジオの家族はこんなに広がりました。 ベッキ村の貧しい農家に生まれ、 どんな限界も乗り越えて若者の父となったドン・ボスコ、 日本の若者、特に危険にさらされている若者を助けてください。 そして若者に命をささげるサレジオ家族を祝福し、 サレジオ会日本管区長 アルド・チプリアニ神父 この女の子たちのスカートはなんて短いんだ! よく警察に捕 まらないな。ま、 とりあえずこの子たちは元気そうだ。神に感謝。 なんだ、あの男の子たちのズボンは! ずいぶんずり下がって 下着が見えてるぞ。ベルトを買ってあげたほうがいいな。おっと、 い の は、 次 の 時 代 を 担 う 若 者 た ち が い る と い う こ と だ。 わ っ、 煙の出ない汽車がすごい数の人を乗せて走っている。変わらな 空を切り裂くように乱立する高い建物、まるでコンクリート の林のようだ。人の多さはトリノやローマとも比較にならない。 「それは売春だよ。そんなのダメじゃない!」 「ガチで知らねーの? 要するに体売って、飯おごってもらったり、 服買ってもらったり、金もらったりだよ。ケータイ代払えないから 「エンコー? 「女の子たちはどうなのかな?」 そうそう、引きこもって出てこないヤツもいるな。会えないけど」 け っ こ う ヤ バ い 人 た ち の 仕 事 手 伝 っ て る ヤ ツ と か。 リ ス カ も い る。 あなたの夢の続きをいつまでも信じさせてください。 「そうか。家でいろいろあると辛いよね」 ふむ、もう少し今の日本の若者たちのことを知りたい。それ には、ストリートに出て若者に直接出会うのが一番だ。彼らが 「 ダ メ っ て ね、 け っ こ う 常 識 で し ょ。 ま、 ド ツ ボ に は ま っ て く ヤ ツ 「 虐 待 さ れ て 家 出 し て る ヤ ツ も い る し。 施 設 脱 走 し て る ヤ ツ と か、 教えてくれる。あっ、あそこで大きな二輪車の周りに集まって の数は知れてるけどな」 何だい、それ?」 とか、泊まるとこないからってヤツもいるけどな」 「もしかして、おじさん援交探してんの?」 るな。話しかけてみよう。 のことも心配だよ」 「 そ う か …… 悲 し い こ と だ な。 私 は そ の 子 た ち の こ と も、 き み た ち 「やあ、こんばんは。これから走りに行くの?」 「 別 に。 こ う や っ て 集 ま っ て、 話 と か し て、 そ れ で 走 り に 行 っ て、 「よろしく。みんなは今、どんな感じ?」 れだけ一人一人のことを大切に思っているか伝えていかなけれ 同じ現実に生きている。しっかり気持ちを入れて、神さまがど こ ん な に 進 歩 し た 社 会 で も、 い ろ い ろ な 難 し さ や 危 機 を 抱 え ている若者たちがいる。一見元気に見える子たちも、紙一重で 行こうぜ」 「 は い は い、 オ レ ら、 ガ チ で 大 丈 夫。 心 配 御 無 用。 お い、 そ ろ そ ろ ボ ・ ス コ …… と 言 っ て も わ か る は ず な い ね。 ち ょ っ と み 「あんた、だれ?」 「私はドン 気に入らなければぶん殴って、だよ」 ば……若者たちのところへ出かけて、彼らのニーズにしっかり んなの話が聞きたくてね。声かけさせてもらったんだ。」 「学校とか仕事は?」 向き合おう。 「なんか変な日本語だな。ま、面白そうだけど」 「退学して定時に行ってやめて、通信も行ったけどやめた。今は夜、 ● サレジオ会司祭 雨宮 泰紀 さて、次は私の仲間達を探さないとな。 文 清掃の仕事。こいつは昼間、塗装。あいつはプー」 「そう。けっこうまじめだね。ほかの友達は?」 「家がけっこうワケありってヤツが多いかな」 1 ! o c s o B n o D Benvenuto ドン・ボスコがやって来る─ 少年の人生を開いた夢 げんこつはいけない。 柔和と愛をもって この子どもたちの友達になるのだよ げんこつや言葉で黙らせようとした。 放っていたので、私は飛び込んでいき、 ど も た ち は ふ ざ け、 乱 暴 な 言 葉 を 言 い ど も た ち が 広 場 で 遊 ん で い た。 あ る 子 「ごらんなさい!」と女の方は言われ た。 あ の 子 ど も た ち は 消 え 去 り、 そ の れるのを見た。 こ の 方 の そ ば に、 太 陽 の よ う に 輝 く マントを着た厳かな姿の女の方がおら なさい」 息 子 だ。 私 の 名 前 な ら、 私 の 母 に 尋 ね いさつするように教えたあの女の方の 貧しい農家の少年が、のちに い身なりの気高い方が現 そ の 時、 尊 れ、私の名前を呼んでこう言われた。 代 わ り に 数 多 く の 小 ヤ ギ、 犬、 猫、 熊 「青少年の友」と呼ばれるようになる大きな転機となったのは、 夏の間は勉強することをゆるさなかった 「げんこつはいけない。おだやかな心 と 愛 を も っ て、 こ の 子 ど も た ち の 友 だ などの動物がいた。 イタリア北部のピエモ 書きを習いました。兄が畑仕事の忙しい 冬の間だけ近くの村の学校に通い、読み く働きました。ヨハネは9歳になると、 家は、貧しいながら力を合わせて畑でよ 芸 を 観 察 し に 出 か け、 練 習 を 重 ね ま し その夢は一生涯にわたって私の魂 に 深 く 刻 み つ け ら れ て い る。 大 勢 の 子 次のように語っています。 そ の こ ろ、 ヨ ハ ネ は 人 生 を 大 き く 開 かせる「夢」を見ました。『自叙伝』で リタ、兄アントニオとヨセフと暮らす一 ためにしてほしいのです」 しながら踊ることもお手のものでした。 ヨハネが2歳のころ亡くなり、母マルゲ スコは生まれました。父フランシスコは 約200年前の1815年、ヨハネ・ボ ─ 9歳の時に見た不思議な「夢」でした。 ベッキ村 のです。 ち に な り な さ い。 罪 の み に く さ と 徳 の 遜 「これがあなたの働く場所です。謙 で、強く、たくましい者となりなさい。 す る と、 ど う 猛 な 動 物 た ち は 小 羊 た ち に 変 わ り、 あ の 男 の 方 と 女 の 方 の 周 ヨ ハ ネ が 観 客 に 求 め た「 見 物 料 」 は、 に な り ま し た。 青 空 の 下、 ミ サ の 説 教 「講談」には、子どもから大人まで夢中 度 胸 が あ っ た の で す。 と く に ヨ ハ ネ の が、 年 上 の 仲 間 が 恐 れ る だ け の 腕 力 と 一 目 置 か れ て い ま し た。 小 が ら で し た 友 人 た ち か ら は と て も 好 か れ、 同 時 に 活動の場)のようなものを始めました。 そ く ヨ ハ ネ は 自 ら オ ラ ト リ オ( 祈 り と こ の 夢 は、 ヨ ハ ネ の 人 生 の 大 き な 冒 険、 彼の使命を表していたのです。さっ ヨ ハ ネ は、 一 緒 に い た い と い う 仲 間 た ち と「 喜 び の 会 」 と い う ク ラ ブ を 結 る職業学校で役立つことになります。 教 師 な ど、 や が て ド ン・ ボ ス コ が 始 め 鍛 冶、 パ ン 焼 き、 靴 職 人、 給 仕、 家 庭 技術を身につけました。大工、仕立て、 費をつくるためにさまざまな職につき、 か ら も 慕 わ れ る よ う に な り ま し た。 学 て、 す ぐ に 仲 間 や 教 師、 不 良 少 年 た ち 芸 の 技、 語 る 力、 思 い や り の 心 に よ っ か じ とうと ンテの山々に抱かれたこの村で、今から 人生を開いた「夢」 尊さを、この子たちにすぐ教えなさい」 今 目 に す る こ と を、 私 の 子 ど も た ち の りを大喜びで跳びながら走ったりして 神 様 と 聖 母 マ リ ア へ の 祈 り を 唱 え、 一 や学校で聞いた話を抜群の記憶力で語 成 し ま し た。「喜び、快活さ」はドン・ けんそん 「あなたはどなたですか?」 「 き み に 女 の 先 生 を つ け て あ げ よ う。 ベッキ村のドン・ボスコ記念大聖堂 私 は、 き み の お 母 さ ん が、 日 に 三 度 あ いた。夢の中で、 私は泣き出してしまっ 緒 に 聖 歌 を 歌 い、 神 様 の 話 を 語 り 聞 か 「喜びの会」をつくる た。 手 品 や 宙 返 り、 逆 立 ち、 綱 渡 り を た。 何 を 意 味 す る の か わ か ら な か っ た せることでした。 と のだ。女の方は私の頭の上に手を置き、 こう言われた。 「時がくれば、すべてが わかるでしょう」 り、 冬 は 家 畜 小 屋 に 集 ま っ て 歴 史 物 語 ボスコの一生を貫く生活信条となってい 小さな曲芸師 歳 の 時、 遅 れ て キ エ リ の 中 学 校 に 入 っ た ヨ ハ ネ で し た が、 持 ち 前 の 記 憶 などを朗読して聞かせました。 きます。 力 と 熱 意、 リ ー ダ ー の 資 質、 手 品 や 曲 近くの村で市が立つ日には曲芸師の 2 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 【ドン・ボスコ語録】 〜 青少年の心をかち得て神に導くことができるならば、私はあらゆる犠牲を惜しみません。〜 3 16 ドン・ボスコを育てた母 ドン・ボスコに、祈ること、すべてを与え尽くすこと、 母 マ ル ゲ リ タ は 夫 に 先 立 た れ た 時、 え、 主 は 取 り 去 ら れ る。 理 由 は 主 が ご を 台 無 し に し て し ま う 時 も、「 主 は 与 親の心で愛情をそそぐことを教えたのは、母マルゲリタでした。 歳 で し た。 そ の 手 は 家 事 と 畑 仕 事 で たらだめであることを知っていました。 した。子どもたちは、母が「だめ」と言っ い た 強 さ を 調 和 さ せ、 使 い 分 け て い ま さ せ る 楽 し さ と、 父 親 の よ う に 落 ち 着 マルゲリタは母親のように相手を安心 ち を 優 し く な で る こ と も あ り ま し た。 ています。 と を 学 び ま し た。 ド ン・ ボ ス コ は 書 い 頼を寄せている方である神を認めるこ に も お ら れ る 方、 母 が 理 屈 を 越 え た 信 貧 し い 人 び と の 中 に も、 良 心 の 声 の 中 こ う し て ヨ ハ ネ は、 天 に も、 畑 に も、 る の は 恐 ろ し い こ と な の で す よ 」 と。 よ く 覚 え て お き な さ い。 神 様 を あ な ど つ も す べ て を 打 ち 明 け な さ い。 そ し て これからはしばしばご聖体をいただき を 尽 く す こ と を 神 様 に 約 束 し な さ い。 だ か ら、 一 生 涯 よ い 人 で あ る よ う 全 力 ご 自 分 の も の に な さ っ た の だ か ら ね。 「今日はお前にとってとても大事な 日 だ よ。 神 様 が お 前 の 心 を 捕 ら え て、 うな言葉を繰り返し言い聞かせました。 歳 の 復 活 祭 の 日、 ヨ ハ ネ は 教 会 で 初 聖 体 を 受 け ま し た。 母 は 彼 に 次 の よ 母からの諭し 気まぐれに意見を変えるような人では 私 が ま だ ほ ん の 子 ど も だ っ た 頃、 祈りを教えてくれたのは母自身だっ いつも従順でいなさい。カテキズム(神 存じです。私たちが悪かったとすれば、 なかったのです。 た。 朝 晩、 私 を 兄 た ち と 一 緒 に ひ ざ ま 様のことに関する教え)や説教には喜 な さ い。 ゆ る し の 秘 跡 を 受 け る 時 は い マルゲリタはかつてヨハネにしたよ う ね 」 と つ ぶ や く の で し た。 嵐 が 作 物 美しいものを造ってくださったんだろ 野 原 が 花 盛 り に な る と、「 神 様 は 何 と たくさ ん の 星 を 置 か れ た の は 神 様 よ 」、 に 星 が 輝 く 時 は、「 世 界 を 造 り、 空 に 憲 兵 の よ う な 神 で は あ り ま せ ん。 夜 空 この年老いた母はすべてを理解しまし かった十字架を彼女に指し示しました。 いをしにいきましょう」 よ う に 言 う の で し た。「 さ あ、 愛 の 行 息 子 た ち の う ち 一 人 を 起 こ し て、 次 の れ る こ と を 知 っ て い た か ら で す。 母 は が 決 し て 断 ら ず、 喜 ん で 手 助 け し て く 近 所 の 家 で 重 病 人 が 出 る と、 人 び と は マ ル ゲ リ タ を 呼 び に 来 ま し た。 彼 女 ち と 共 に 過 ご し ま し た。 つ ら い 時 は い で も マ ン マ( 母 ) を 必 要 と す る 少 年 た た。彼女は晩年を、腕白で行儀の悪い、 母となる 身寄りのない少年たちの ん で 耳 を 傾 け る の で す よ。 特 に 言 っ て う に、 少 年 た ち に 祈 り を 教 え、 正 直 な た。彼女は穴の開いた靴下や破れたシャ る つ も り で す。 母 さ ん は 前 に、 も し 私 られた子どもたちのために施設を始め のまねごとを繰り広げ、建物は壊され、 でも不良少年たちが凶器を持って戦争 イ タ リ ア の 戦 乱 は、 少 年 た ち に も 影 響 を 与 え て い ま し た。 寄 宿 舎 の ま わ り そ れ 以 来、 マ ル ゲ リ タ は 決 し て 家 に 帰ると言いだすことはありませんでし たいつもの仕事に戻るのでした。 ペストのように避けること。いいわね」 お き た い の は、 悪 い 話 を す る 人 た ち を 生 き 方 や 仕 事 の こ と、 信 仰 の こ と に つ つ も 壁 に か か っ た 十 字 架 を 見 上 げ、 ま 司 祭 と な っ た ド ン・ ボ ス コ は、 少 年 た ち の た め に 休 み な く 働 き ま し た。 歳 の 時、 過 労 と 病 で つ い に 倒 れ、 母 と ツをまた繕い始めました。 が金持ちの司祭になったら私の家には 死 傷 者 が 出 る ほ ど の 荒 れ よ う で し た。 いました。 つくろ いて短い話を語り聞かせたのでした。 絶 対 に 来 な い と 言 い ま し た ね。 見 て の マ ン マ・ マ ル ゲ リ タ の 菜 園 も、 こ と ご ボスコは優しく言いました。 「ヨハネ、私はもう疲れたよ。ベッ キ 村 に 帰 ら せ て お く れ。 朝 か ら 晩 ま で ド ン・ ボ ス コ は、 何 を 言 っ て も 母 を 慰 め る こ と が で き な い と 感 じ、 壁 に か これ以上はやっていけないよ」 は 全 部 ダ メ に し て し ま う。 ほ ん と う に むち 「どうか私の子どもたちの母親に なってください」 となりました。 こうしてマルゲリタはトリノへ行き、 身 寄 り の な い 少 年 た ち の 母( マ ン マ ) 喜んで行くよ」 老 体 に 鞭 打 っ て 働 い て も、 あ の 子 た ち 穴の開いた靴下が山のように積まれて 少 年 た ち が 寝 に 行 っ た あ と、 彼 女 の 前にはいつものように破れたシャツや と お り、 私 は 借 金 を 抱 え た 貧 し い 神 父 母 マ ル ゲ リ タ は 歳 で、 ベ ッ キ で 孫 たちと幸せに暮らしていました。ドン・ 暮らすには危険なんです」 とく踏みつぶされてしまいました。 十字架を見上げて 壁にかかった 一 つ で す。 し か し、 彼 女 が 教 え た の は 10 兄のいるベッキ村に戻って数か月間の 「神様はお前たちを見ておいでだよ」 と は、 彼 女 が た び た び 口 に し た 言 葉 の 祈りを教えてくれたのは母 ずかせ、皆で一緒に祈りを唱えていた。 荒 れ て い ま し た が、 そ の 手 で 子 ど も た 29 で す。 そ れ に あ の 地 域 は 司 祭 が 一 人 で し て み て く れ ま せ ん か? じ つ は ヴ ァ ル ド ッ コ に 部 屋 を 3 つ 借 り て、 見 捨 て 「私と一緒に来て、少しの間、暮ら した彼は、ある晩、母に言いました。 休 養 を と り ま し た。 無 事 に 健 康 を 回 復 31 「それが主のみ旨だとお前が言うなら 58 4 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 【ドン・ボスコ語録】 〜 ひとりの子どもが召命に従うために親許を離れる時、イエス・キリストがその子に代わって家族に入られるのです。〜 5 一生涯よい人であるよう 全力を尽くすことを 神様に約束しなさい 少年たちをドン・ボスコに 結びつけるものは、 一日のいかなる瞬間をも 子どもたちのために使おうとする 彼の愛情でした。 路上の少年たちと出会う たち」のようでした。 そ 少 年 の 時 に 夢 で 見 た「 ど う 猛 な 動 物 曲 芸 な ど に 興 味 は あ り ま せ ん。 彼 ら こ の 子 ど も た ち と は 違 っ て、 彼 ら は 話 や で も も っ て い る な ら、 自 分 た ち の 世 話 「 こ の 子 ど も た ち が 刑 務 所 の 外 に、 自分たちの面倒を見てくれる友を一人 るようになってきました。 境 遇、 彼 ら を 凶 暴 に さ せ る 怒 り が わ か 若 者 た ち の 哀 れ な 生 い 立 ち、 屈 辱 的 な うか」 と刑務所には戻らないのではないだろ く れ る 友 人 が 一 人 で も い る な ら、 二 度 を し、 祝 祭 日 に は 教 会 に 連 れ て い っ て 子どもたちのために泣く神父 あ る 日、 カ フ ァ ッ ソ 神 父 は ド ン・ ボ スコを刑務所の囚人慰問に誘いました。 格子の向こうに大勢の少年たちがいる ド ン・ ボ ス コ は 日 を 追 う ご と に 彼 ら と 親 し く な っ て い き ま し た。 し か し、 1 8 4 1 年、 ヨ ハ ネ は 歳 で 司 祭 に なり、ドン・ボスコ (「ボスコ神父」の意 次のように語っています。 す べ て は 台 無 し で し た。 ド ン・ ボ ス コ ボ ・ スコは リノの司祭研修学院でドン ボ ・ スコは、 「 若 者 た ち が 健 康 で、 体 格 も よ く、 才 能 も あ る の に も か か わ ら ず、 そ の 場 はある日、ついに泣き出しました。 の を 見 た 時 の こ と を、 ド ン 疲れを知らぬ活動家のカファッソ神父 所 で 何 も す る こ と な く、 虫 に さ さ れ、 すぐに彼らが刑務所に戻ってしまうと、 に出会いました。彼は「街へ出ていき、 精神的にも物質的にも飢えているあり 「あの神父はなぜ泣くのか」とだれか が尋ねます。 「おれたちを愛してくれるからさ、お れがこんなところに入っているのを見 たら、おふくろだって泣くに違いない」 オラトリオの始まり 人前でとがめることはしませんでした。 ば な り ま せ ん で し た。 で も 少 し ず つ 不 ド ン・ ボ ス コ は 店 に も、 作 業 場 に も 来 ド ン・ ボ ス コ は、 い つ も 子 ど も た ち を ボ ス コ は、 家 族 の な い 子 ど ド ン ・ も た ち が 友 人 を 見 い だ せ る 場 所、 刑 て く れ ま し た。 彼 ら に と っ て ド ン・ ボ 見 守 り、 彼 ら が 悪 を 行 う こ と の な い よ 信 を や わ ら げ、 友 人 同 士 と し て 話 し 合 ス コ に 会 い、 言 葉 を 交 わ す こ と は、 元 う に し ま し た。 し か し、 見 張 っ て い た 務所を出た若者たちが支えを得られ 気づけられるひとときでした。 し た の で す。 教 育 者 が 子 ど も た ち の 喜 スコは見抜いていました。 が 増 し て く る と い う こ と を、 ド ン・ ボ わ け で は な く、 良 い こ と を 勧 め、 励 ま 多 く 若 者 が 耳 に し、 一 生 涯 の 間、 大 事 な 宝 の よ う に 思 い 出 す ド ン・ ボ ス コ び に 加 わ る こ と に よ っ て、 自 然 に 喜 び だ れ か を と が め る 必 要 が あ る 場 合、 当 人 に 気 ま ず い 思 い を さ せ な い た め、 境でした。 は、 ド ン・ ボ ス コ に と っ て 理 想 的 な 環 思う存分走ることのできるグラウンド 事なのだから」 と 呼 び か け て い ま す。 自 由 な 雰 囲 気、 「思いっきり遊び、跳びはね、はしゃ ぎ な さ い。 罪 を 犯 さ な い こ と だ け が 大 と ド ン・ ボ ス コ の 若 者 と の 接 し 方 は、 快活なものでした。若者たちには 良いことを勧め、励ます もりだよ」 というものでした。 も 持 っ て い る な ら、 君 と 半 分 に す る つ 「私にとって君はほんとうに大切な 人 だ か ら、 も し 私 が パ ン の ひ と 切 れ で の言葉の一つは、 え る よ う に な り ま し た。 こ う し て こ の さ ま じ く、 ひ ど い 暴 言 に も 耐 え な け れ め ま し た。 は じ め 彼 ら の 拒 絶 反 応 は す く、 一 対 一 で 彼 ら と 話 し 合 う よ う に 努 ボスコはその後も刑務所を訪 ドン ・ れ、 神 様 の 教 え に つ い て 話 す だ け で な せんりつ う よく観察しなさい」と勧めました。 さまを見て、私は思わず戦慄を覚えた」 ボ ・ スコが近寄ろう けいべつ ボ ・ ス コ は す ぐ に う ち 解 け て、 次 ボ ・ スコのオラトリオの始まりと ボ ・ス コの愛情を、彼らは実感していました。 たちのために使おうとするドン で す。 一 日 の い か な る 瞬 間 を も 子 ど も 少 年 た ち を ド ン・ ボ ス コ に 結 び つ け る も の は、 彼 の 心 の こ も っ た 深 い 愛 情 ひと切れでも持っているなら もしパンを 助の手を伸べ、言葉を交わしました。 子 ど も た ち に ゆ る し の 秘 跡 を 授 け、 援 た。 ほ か の 若 い 神 父 た ち も 手 伝 っ て、 あっという間にオラトリオは数百人 の若者たちの集団にふくれあがりまし いわれています。 ドン の少年たちがやってきました。これが、 は 友 達 を 連 れ て お い で と 誘 う と、 9 人 ドン に 来 た ガ レ ッ リ 少 年 と 出 会 い ま し た。 司 祭 に な っ た こ の 年 の 月、 ド ン ・ ボ ス コ は、 両 親 を 亡 く し ト リ ノ に 働 き 思い描いていました。 ちが毎日でも来られるような場所を 友 と 一 緒 に 暮 ら し、 活 動 し、 若 者 た る 場 所 を つ く ろ う と 思 い 立 ち ま し た。 見 せ な が ら 遠 ざ か っ て い き ま す。 田 舎 と す る と、 彼 ら は 不 信 と 軽 蔑 の 表 情 を も い ま し た。 ド ン にするために賭けごとをする若者たち か 子 ど も た ち で し た。 少 し で も 生 活 を 楽 ど も た ち や、 そ の 日 暮 ら し に 精 一 杯 の か ら 来 た 者 ば か り で、 失 業 し た 家 の 子 深 い 痛 み を 感 じ ま し た。 皆 遠 く の 地 方 状態で路上をうろついているのを見て、 ボ ス コ は 街 を 歩 き ま わ り、 子 ドン ・ ど も た ち が 打 ち ひ し が れ、 犯 罪 寸 前 の 味 )と 呼 ば れ る よ う に な り ま し た。 ト 思いっきり遊び、跳びはね、 はしゃぎなさい。 罪を犯さないことだけが大事なのだから 若者と共にいる 6 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 ねばなりません。〜 【ドン・ボスコ語録】 〜 子どもたちの世話をよくし、それとなく注意深く助け、遊びに加わり、彼らの叫び声や引き起こす迷惑などを耐え忍ば 7 25 12 61 サレジオ協力者会(サレジアニ・コオペラトーリ) が教会より承認される。 1877年 62 サレジアン・シスターズの最初の宣教団が出発する。 最初の宣教師たち (1875年) 『ボレッティーノ・サレジアーノ』 (サレジオ会会報) を創刊する。 1879年●エジソンが白熱電灯を発明 1885年 70 サレジオ会の将来の発展を夢に見る。 そのなかに日本も現れる。 1888年 72 1月31日ドン・ボスコ帰天。 1926年 ● チマッティ神父が8人のサレジオ会員とともに来日。 1929年 ● 6人のサレジアン・シスターズ会員が来日。 1934年 ● 1937年 ● ドン・ボスコ列聖。 天に召された直後の ドン・ボスコ (1888年) 1929年●世界経済恐慌はじまる 1931年●満州事変 1933年●ナチスのユダヤ人迫害が始まる 1933年●国際連盟を脱退 1936年●二・二六事件 カヴォリ神父とチマッティ神父のもと宮崎カリタス修道女会(現イエスのカリタス修道女会)創立。 1937年●日中戦争(∼45年) 9 1926年●昭和天皇が即位 28 17 人 の 教 え 子 た ち が 集 ま り、 青 少 年 1876年 と 最初の宣教師たちを派遣する。 (アルゼンチンへ) に百人の司祭と百人の神学生がいたら、 60 40 集まる少年たちと協力者たち 1875年 1873年●禁教令が解かれる の魂の救いのために生涯をささげる「サ サレジオ会の会憲が承認され、教皇直轄の修道会となる。 皆 に 仕 事 を 頼 め る の に。 世 界 中 に 行 く 59 レジオ会」を創立することを決めまし 1874年 ことができるかもしれないよ」などと サレジオ会の姉妹会「扶助者聖母会」 (サレジアン・シスターズ) を設立する。 ン シ ス コ・ サ レ ジ オ の 穏 や か な や さ し 57 若者たちのためなら、どんな犠牲も惜しまない。 1872年 に 刻 ま れ、 少 女 た ち の た め に 働 く サ レ トリノの扶助者聖母大聖堂を完成し、献堂式を行う。 ドン・ボスコの思いは 53 世界中の「サレジオ家族」に受け継がれていきます。 1868年 継 が れ て い ま す 。 1861年●イタリア王国成立/アメリカ南北戦争(∼65年) 1862年●ローマで日本26聖人殉教者の列聖 1863年●リンカーン奴隷解放宣言 1865年●長崎の大浦天主堂内で浦上の信徒が信仰を表す (信徒発見) 1867年●江戸幕府が終わる 1867年●日本205殉教者の列福 1868年●明治維新が始まる/維新政府がキリスト教を禁止 た。このように名付けたのは、「聖フラ 教え子ミケレ・ルアが最初のサレジオ会司祭となる。 言ったものです。 45 ドン・ボスコは街に出かけて少年たち と出会い、助けを必要とする者には自分 1860年 の持てるものを惜しみなく注ぎました。 サレジオ会を正式に創立する。 1859年●イタリア統一戦争(∼60年)1859年●パリ外国宣教会が来日 さ を も っ て、 人 々 を イ エ ス・ キ リ ス ト 44 ドン・ボスコからオラトリオに来るよ う声をかけられた神父が「給料はどれく 1859年 フランスなど5か国と通商条約を結ぶ 1858年●幕府がアメリカ、 働いていて学校に行けない少年のために ローマで教皇ピオ9世に修道会の計画を打ち明ける。 へ引き寄せる」ためです。 43 18 らいくれるんだい?」と尋ねると、ドン・ 1858年 12 夜間教室を始め、身寄りのない少年のた 将来の 「サレジオ会」 の最初の集会。 ボスコはこう答えました。 39 1853年●ペリーが浦賀に来る めに寮を始めました。職業学校は靴の製 1854年 1853年●クリミア戦争(∼56年) ドン・ボスコの精神は、「共にいるこ と」(アッシステンツァ)や「予防教育法」 職業学校を始める。 日、 ド ン・ ボ ス コ 38 月 1853年 造、洋服の仕立てから始まり、製本所、 ドン・ボスコが始めた印刷所 「パンと仕事と天国だよ。お金はあ ま り 貯 ま ら な い だ ろ う が、 睡 眠 は ほ し 1848年●マルクス・エンゲルスの共産党宣言 大工作業所、印刷所をかまえるまでにな 貧しい青少年のための寮を始める。 ジ ア ン・ シ ス タ ー ズ を は じ め、 現 在 32 りました。ドン・ボスコ自身も先生となっ 1847年 のグループ、 万人以上の修道者・信徒・ 働く少年たちのために夜間教室を始める。 いだけ貯めておけるよ」 28 協力者からなる「サレジオ家族」に受 け 1843年 ド ン・ ボ ス コ は 疲 れ た 仲 間 に い つ も 12月8日 トリノでガレッリ少年と出会う。 (オラトリオの始まり) 「天国で休もう」と繰り返しました。 26 ドン・ボスコの精神は世界へ 6 月5日 司祭に叙階され、 「ドン・ボスコ」 と呼ばれるようになる。 1859年 25 若者の心を わたしにお与えください あとは取り去ってください 1841年 て若いころ働いて覚えたことを教えまし 20∼25 キエリの神学校で学ぶ。1835年●モールスが電信機を発明 たが、少年たちの親方たちが協力して先 1835∼41年 少年時代をすごした ベッキ村の家 生になってくれました。 16∼20 キエリで下宿し、 働きながら中学・高校に通う。 ドン・ボスコは、少年たちの生活面だ 1831∼35年 けでなく、魂の救い、信仰を育てること 1825年●幕府が外国船打払令を発令 1830年●フランス7月革命 1831年●マツィーニが青年イタリア党結成 を何よりも大切にしました。何人もの司 将来の教育者への道を暗示する夢を見る。 祭たちがゆるしの秘跡や信仰教育を引き 9 受け、信徒たちも少年たちの生活の世話 1821年●ナポレオン没 や寄付の協力をかってでました。 父を失う。家庭はさらに貧しくなる。 給料はパンと仕事と天国 2 オ ラ ト リ オ に 集 ま る 少 年 た ち は、 6 0 0 人 を 超 え て い ま し た。 ド ン ボ ・ 1824年 8月16日 北イタリア、 カステルヌオヴォのベッキ村で生まれる。1815年●第11代将軍 徳川家斉の時代 スコは将来共に働くサレジオ会員を得 1817年 1814年●スチーブンソンが蒸気機関車を発明 る た め に、 若 者 た ち に 日 々「 私 と 一 緒 1815年 【日本の出来事】 若者の魂を救うために ドン ボ・スコの生涯 年表 年齢 に 若 者 の た め に 働 い て く れ な い か。 私 【世界の出来事】 西暦 1938年●国家総動員法 【ドン・ボスコ語録】 〜 信仰の真理を知らない青少年にそれを教え、ただ一つの大罪でも避けさせることができれば立派なことです。〜 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 8 Don Bosco Photo Gallery ドン・ボスコ写真館 1 8 7 0 年 ト リ ノ に て 。 最初のサレジオ会員たちと 1865-68年 50歳の頃。トリノにて 1880年 トリノにて 1875年 トリ ノ に て 。 最 初 の 宣 教 団 と 1886年3月、70歳の頃 1861年 トリノにて告解を聴く。 告白しているのは後の総長パウロ・アルベラ 1 8 6 7 年 ロ ー マ に て 。 祝 福 を 与 え る ド ン・ボ ス コ 11 1861年 ドン・ボスコの一番古い写真 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 10 ことは、苦手かもしれません。何も きしたいのです。 グーテンベルグ以降の情報通信の大革命といわれているこの時代の光 ないところから想像するというの と影を信仰の目からどのように見るかを知りたいです。 (77歳・男) 青少年の友と呼ばれるドン・ボスコ。じゃあ、ドン・ボスコが現代の ワカモノたちと出会ったなら? あなたならどんなことをしたい? 話したい? B「何の仕事したらいいですか?」って相談した たのかとか。 今を生きるワカモノ5人が真剣ぶっちゃけトークしてくれました。 代 男性 社会人 ら「 一 緒 に 働 こ う 」 っ て 言 わ れ る ん じ ゃ な い かな。 全 あははは(笑)。 てね。 A そうね、「天国と仕事とパンは保障するぞ」っ 今、 ドン・ボスコに会ったら、 このインターネットの時代をどのようにお考えになるか、お聞 はとても大切だと思います。その ・途中で神父様をやめようと思ったことはあるのか? や っ て い た と 思 う。 ツ イ ッ タ ー も や っ て い た かも。 B「寄付をください!」というつぶやきを書くん じゃないかな。 全 あははは(笑)。 るドン・ボスコか。 C インターネットの前でフォローしまくってい ているドン・ボスコも想像できないなあ。 D かといって、一日中コンピューターの前に座っ 想像しやすい。 E や っ ぱ り、 じ か に 人 に 触 れ る ド ン・ ボ ス コ が D そうですね。それが基本と思うよね。 い と 思 っ た の は、 や は り 若 い 頃 か ら ド ン・ ボ B 確 か に ド ン・ ボ ス コ に み ん な が つ い て い き た スコと一緒にいたからだと思うな。 A 同 じ 経 験 を 共 有 し て、 何 か 同 じ も の を 持 っ て いるというという一体感かな。それでつながっ て い る と い う 感 覚 が 生 ま れ、 そ れ は 裏 切 ら な いものだと思うよ。 C そ の 意 味 で は、 僕 は ド ン・ ボ ス コ に「 あ り が と う 」 と ま ず 言 い た い で す ね。 た ま た ま サ レ ジ オ 会 の 学 校 に 通 っ た き っ か け で、 洗 礼 も 受 け た し、 い ろ ん な 活 動 に も 参 加 さ せ て も ら っ ている。ドン・ボスコを通して神さまに関わっ ていることを感じるな。 ぬ 覚 悟 さ え あ る 」 と い う ド ン・ ボ ス コ の 言 葉 E「私はあなたのために、生き、学び、そして死 が と て も 好 き で す。 私 も そ う い う ふ う な 思 い を持ちながら子どもたちのために生きたいで すね。 A うーん、いいまとめかただね! 全 あははは(笑)。 12 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 A・B: C: 代 男性 社会人 教会学校リーダー 代 女性 学生 教会学校リーダー D・E: が し た い。 特 に 人 と 関 わ っ て い く 上 で、 や さ 体 何 を 始 め る だ ろ う か 興 味 が あ り ま す。 同 じ C 僕 は も し ド ン・ ボ ス コ が こ の 日 本 に い た ら 一 もないところから遊びを見つける トーク &アンケート 話す ・子どもたちの現代の遊び(DSとか)、 ネットについてどう思うか聞いてみたい。 A 僕 は 一 緒 に 酒 飲 ん で、 腹 を 割 っ て い っ ぱ い 話 しさを保つための秘訣を教えて欲しいな。 た。 B 子どもたちの世話のため連れてこられちゃっ やってんの? C そ う い え ば、 D は な ん で 日 曜 学 校 の リ ー ダ ー D 連れてこられちゃった。 全 あははは(笑)。 たな。 E 私も自然な流れで当たり前のようにやってい A それだよ。 D 巻き込まれちゃった感じ。 B ドン・ボスコに巻き込まれちゃったんだよ。 代 に、 青 少 年 た ち に 目 を 向 け た。 世 界 を 担 っ A ド ン・ ボ ス コ は、 大 人 が 世 界 の 中 心 だ っ た 時 て い く の は 子 ど も た ち だ か ら、 子 ど も た ち が 生き生きとしていることが大切だと訴えたん だ ね。 だ か ら 今 の 時 代 に も ド ン・ ボ ス コ は 必 要 だ と 思 う。 と い う の は、 家 庭 の 中 で 子 ど も が孤立している感じがする。それに対して「教 会 に 集 ま ろ う 」 と 言 っ て も 難 し い で し ょ。 ド ン・ ボ ス コ だ っ た ら 今 の 時 代 に ど う す る の だ ろ う? 生 き に く さ を 感 じ 抱 え て い る 子 ど も たちを集めることができるのかな。 A そこで客寄せして、お代はマリアさまの祈り! れない。ドン・ボスコ新喜劇で巡業とかして。 ボスコだったらお笑いのチームを作るかもし よ。そうだな、いまお笑いブームだから、ドン・ B い や、 そ れ で も 集 ま る と こ ろ に は 人 は 集 ま る D 集めるという発想はもう難しいのかなあ。 感謝の気持ちを言いたい。 子どもたちの学びについて話しをし、尋ねたい。 ・日曜日に子どもミサをしてほしい。 どんな説教をするか興味がある。 (小学生・8歳・女) ・洗礼名なので、いつも守ってもらっていることへの ・どんな動物が好きですか? 昨今の日本における教育問題について話し合いたい。 綱渡りをさせてみたい るいは人とつながるという意味でも何でも (中学生・12歳・女) (会社員・31歳・男) C そ う で す ね。 僕 も 鍋 囲 ん で 一 緒 に 話 し た い。 よ う に 子 ど も た ち の た め に 何 か や る の か、 い を 向 け た の か い ろ い ろ 想 像 し ま す ね。 い ず れ や、 そ れ と も 別 の 弱 者、 た と え ば 高 齢 者 に 目 に せ よ、 す ご い 情 熱 が あ っ た と 思 い ま す。 そ 一 緒 に 活 動 し て、 一 緒 に 食 べ て 飲 む。 家 庭 的 オ に 行 っ て み た い な。 同 時 に 教 会 学 校 の リ ー E 私 は 子 ど も に 帰 っ て ド ン・ ボ ス コ の オ ラ ト リ の 情 熱 は ど こ か ら く る の か、 ど ん な ヴ ィ ジ ョ 雰囲気こそドン・ボスコにぴったりですから。 ダ ー と し て は、 子 ど も た ち の 抱 え る 問 題 に ど ンをもっていたのか聞いてみたいですね。 B エネルギッシュなイメージがある。「さあ喜ぼ の よ う に 向 き 合 う か 教 え て 欲 し い。 特 に 中 高 生は難しいから。 う!」って。 C そりゃ松岡修造ですね。青春ドラマみたいな。 ・どんな子どもだったのかという話をしてほしい。 A う ん、 ド ン・ ボ ス コ は 若 者 が 集 ま る た め、 あ 全 ははは、ありえる! ・いっしょに鬼ごっこをして遊びたい。 (大学生・20歳・男) (31歳・女) (修道女・20代・女) テーブルサッカーを本気で勝負したいです。 (司祭・30代・男) で巻き込んで。 思います。現代の子どもたちは何 (中学生・13歳・女) (高校生・16歳・男) ・世界が平和になるような作戦を考える!! (中学生・13歳・男) 違いってなんですか? ・今の世界の状況についてしゃべりたい。 大人と子どもの幸せの ・一番の思い出は何ですか? るのか全てを共有したいです。 (ミュージシャン・30歳・女) ・なんで神父様になりたいと思ったのか? ・グリージョの散歩を一緒にしながら、 ロザリオ。 (保育士・29歳・女) か」とか聞きたいな。 どう接するのだろう。 一緒にミサを捧げたい。 子どもも一緒に!! D 私 は「 将 来 ど ん な 男 性 と 結 婚 し た ら い い で す 会のカリスマはまだ生きてますか?と尋ねたい。 ドン・ボスコと一緒に、教会学校を行いたい。 ためのヒントをいただけるといい 全 あははは(笑)。 ・今の宣教師の仕事ぶりはどうですか? 今の日本の子どもたちが置かれている状況について、 どう思うか尋ねたい。 思うので、楽しいのではないかと B で も こ っ ち も そ の 気 に な っ て し ま う 感 じ。 人 (大学院生・27歳・女) (司祭・37歳・男) かみさまを産んだお母さんはだれですか? ・夜まわり先生をやってみてほしい。 青少年司牧活動をしたい。 かみさまは初めからいたというけれど、 ・世界旅行。 進むためには、 どんなことを考えるのか尋ねたい) (35歳・女) きっといろんな知識をおもちだと E あるかも。いろんな男の子見てるしね。 ・苦難の乗り越え方。 (「もうダメだ」 という状況でも諦めずに自分の道を ? ! ・現代の日本の若者たちにドン・ボスコは (介護職員・33歳・男) (高校生・16歳・男) ・気分転換の方法や地球の未来について話したい。 一緒に遊びたい。祈りたい。勉強したい。 (中学生・13歳・男) 調査(共存と言うことについて一緒に考えたい) り、自然 の 中 で 遊 ん で み た い 。 (小学生・10歳・女) ドン・ボスコと一緒に登山をした B「 ド ン・ ボ ス コ は 恋 を し た こ と が あ る の で す ん な こ と を 一 緒 に や っ て み た い な。 ど ん な ひ ・林間学校での月の輪熊 一緒に遊びたい!! を 喜 ば せ る 天 才 と い う イ メ ー ジ が あ る。 い ろ らめきがあるんだろうか、見て学んでみたい。 ・やっぱり腕相撲大会です! (スポーツ全般) のですが・・・。 (40代・女) か?」とかも聞きたいね。 A 確かに。 D 確かになんであんなにいろいろできたんだろ う。「自分は関係ないよ」とも言えただろうけ B ベッキ村に好きな女の子いたはずだけどねえ。 ど、そうじゃない。 E 就 職 の 問 題 も 相 談 し た い か な。 仕 事 を 選 ぶ と い う こ と は 一 生 の 中 で 大 き な 決 断 で す か ら。 A し か も お 母 さ ん( マ ン マ・ マ ル ゲ リ ー タ ) ま ド ン・ ボ ス コ も 人 生 の な か で い ろ い ろ な 決 断 勝った方が好きなことを一緒にする。 何する (幼稚園生・5歳・男) ドン ボスコ と (OL・26歳・女) alk abo ut? とりあえずジャンケン。 (高校生・17歳・男) です。 (お説教も聞けるし) (主婦・50歳・女) ・バンドを組んでみたい。 (修道士・43歳・男) が・・・ドン・ボスコのごミサにあずかってみたい Wh at w ould you What w do? ould yo ut ゆるしの秘跡を受けたい。 一緒に音楽を奏でて、心の一体感を感じたい チーム対抗のゲーム (大学生・19歳・男) 祈りです。〜 【ドン・ボスコ語録】 〜 もしよい人になりたいのならば、ただ三つのことを実行に移すと、すべてはうまくいくでしょう。それは、喜び、勉強、 13 キミなら 一緒にワインを飲みたいと言いたいところです ついて教えてほしい。 (32歳・女) ・子どもとのかかわり方に ? を し て き た と 思 う け ど、 ど の よ う に 決 め て き る。そんなありきたりの時間を過ごすことができたら本当に贅沢。 (会社員・30代・男) もたちと何を話しているのか、何をしているのか、何を感じてい 30 20 バーベキュー、アルティメット、 ・一緒にドッジボール マジックを教えてもらいたい。 は、その息遣いやイントネーション等が感動的と聞いたことがあるので。 自宅に招いてコ (高校生・17歳・男) タツで一緒に鍋をつついてみたい。締めは雑炊で食後はみかんを食べながらウノをす 子どもたちと接するその場に一緒に連れていって欲しい。子ど 20 ? ドン・ボスコと一緒にロザリオを唱えてみたい。聖性の誉れの高い人と唱えるロザリオ ガエタノ・コンプリ ドン・ボスコと 日 本 サレジオ会司祭・ 本のなかで「メアコ」、すなわち日本の「都」という スコは富士山と「メアコ」がある国、日本までサレジ でいるのを見た」と語っています。つまり、ドン・ボ 日に目的地の宮崎に到着しました。 日 の 総 長 宛 て の 手 紙 に、 チ マ ッ テ ィ 回、 宣 教 師 た ち を 海 外 へ 派 遣 し ま し た。 彼 が 見 た こ の チ マ ッ テ ィ 神 父 は、 幼 い 時、 ド ン・ ボ ス コ が そ の 町 を 訪 れ た 際、 母 に 抱 か れ て「 ド ン・ ボ ス コ を 生き方の理想としました。今、「日本のドン・ボスコ」 ごらん」と言われたことを一生のあいだ覚えていま サレジオ会の世界的な広がりを予見しています。 して私たちに残したのです。 つ高い山があり、そこに『メアコ』という町を見た」 、 そして、北京の次に「果てしない海のそばにそびえ立 リア、ペルシャ、インド、中国などが出てきました。 町の名前が現れ、南アメリカ、アフリカ、オーストラ ン・ボスコをごらん」と言ってくださるのです。 そして、チマッティ神父は、私たち一人ひとりに、 「ド 実な弟子であったチマッティ神父に出会うでしょう。 今回、日本を訪れるドン・ボスコは、喜んでその忠 と 言 わ れ て い る 彼 は、 ド ン・ ボ ス コ の 精 神 を 遺 産 と ドン・ボスコは夢の中で、案内者と一緒に空を飛ん で世界一周をしました。次々といろいろな国や民族、 「夢」にはとても興味深い話がいくつもあるのですが、 神父はその発見を説明しています。 と で す。 1 月 日 本 の サ レ ジ オ 会 員 が ド ン・ ボ ス コ の 夢 に 日 本 が 登 場 し て い た と 気 が つ い た の は、 1 9 4 0 年 頃 の こ 上陸し、2月 チマッティ神父を団長とする9人の会員が門司港に 1925年に決定されました。そして翌年2月8日、 50 14 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 チマッティ資料館長 ヨーロッパでの「日本ブーム」 ド ン・ ボ ス コ は 日 本 の こ と を 知 っ て い た の で し ょ う か? 答 え は、 知 っ て い た だ け で な く、 日 本 に 対 して深い関心を寄せていました。 ド ン・ ボ ス コ が 生 ま れ た こ ろ の 日 本 は ま だ 鎖 国 中 で し た が、 彼 が 若 者 の た め の 事 業 を 手 が け て サ レ ジ オ 会 を 創 立 し た こ ろ、 日 本 は 2 0 0 年 以 上 に わ た る 鎖 国 政 策 に 終 止 符 を 打 ち、 明 治 維 新 に よ っ て 近 代 国 家に向けて、激動の時代を歩み始めていました。 1 8 6 5 年、 江 戸 時 代 の キ リ ス ト 教 禁 教 令 の も と 250年間にわたり潜伏して信仰を守り続けたキリシ タ ン た ち が、 長 崎 の 大 浦 天 主 堂 で 発 見 さ れ た と い う 聖 ニュースは、当時のヨーロッパを大変驚かせました。 そ の 3 年 前 の 1 8 6 2 年 に は、 ロ ー マ で 日 本 人殉教者の列聖式が盛大に執り行われました。ドン・ ボスコもトリノのオラトリオでその出来事について 生 徒 た ち に 話 し て い ま す。 ま た、 1 8 6 7 年、 ロ ー ボ ・ ス コ は、 自 分 の 代 わ り に 2 人 マ で 日 本 2 0 5 殉 教 者 の 列 福 式 が 行 わ れ た 時、 参 加 できなかったドン のサレジオ会員を祝いに送っています。 こ の よ う に、 ヨ ー ロ ッ パ で は「 日 本 ブ ー ム 」 が 巻 活 動 を 再 開 し た の に 続 き、 多 く の 教 育 修 道 会 が ヨ ー 言 葉 が 8 回 登 場 し て い ま す。 キ リ シ タ ン 時 代 や 当 時 オ会の事業が広まると予見したわけです。 そして「たくさんの若者がサレジオ会員と一緒に遊ん ロ ッ パ か ら 日 本 の 地 に 渡 り、 ミ ッ シ ョ ン ス ク ー ル を 」また の地図を見ると、日本の京都あたりに「 Miaco 聖 人 の 一 人 ひ と り の 略 伝 を 加 え ま し た。 そ の 設立して日本の人びとの教育に力を注ぐことになっ 日 本 へ の サ レ ジ オ 会 の 派 遣 は、 ド ン・ ボ ス コ の 死 後、 サ レ ジ オ 会 の 宣 教 活 動 周 年 記 念 事 業 と し て ドン・ボスコ、日本へ な っ た の は、 1 8 6 8 年 の 明 治 の 行 政 改 革 以 降 で す 」と書かれているのがわかります。現在の は「 Meaco ドン・ボスコの著書に 書 か れ た 「 メ ア コ 」 ドン・ボスコが夢で見た日本 アコ」は日本の首都のことと考えられます。 か ら、 ヨ ー ロ ッ パ で は 新 し い 地 名 が 普 及 し た の は 何 年 か 後 だ っ た の で し ょ う。 ド ン・ ボ ス コ が 言 う「 メ ですでに日本のキリシタンについて何ページもあて ています。そこには太閤秀吉や高山右近のことなど、 キ リ シ タ ン 迫 害 の こ と が 書 か れ て い ま す。 そ の 出 典 しかし、ドン・ボスコと日本の関わりについては、 もっと大事な話をしなければなりません。 1875年に南アメリカにサレジオ会員を派遣し て 以 来、 ド ン・ ボ ス コ は 世 を 去 る ま で の 年 間 に 16 し た。 そ し て、 ド ン・ ボ ス コ に な ら う こ と を 生 涯 の 12 1 8 8 5 年、 亡 く な る 3 年 前 に 見 た あ る 夢 の 中 で、 13 は、キリシタン時代の出版物や、ヨーロッパに出回っ ていた本でした。 「Meaco」の文字が見える。 31 じ つ は、 そ れ 以 前 の 1 8 4 8 年、 ド ン・ ボ ス コ は 若 者 の た め に『 教 会 史 』 を 執 筆 し ま し た が、 そ の 中 た の で す。 ド ン・ ボ ス コ も、 日 本 に つ い て 大 き な 関 日本 26 「京都」や「東京」という名が日本で使われるように 26 心を寄せていたでしょう。 き 起 こ っ て い ま し た。 パ リ 外 国 宣 教 会 が 日 本 で 宣 教 ドン・ボスコもこのような地図を目にしただろう。「Miaco」「Yedo」の文字が見える。 1871年に『教会史』の改訂版を出版した時には、 1600 年代の日本地図。 ること。〜 【ドン・ボスコ語録】 〜 もし霊的・物的利益をはかりたければ、まず神のことに心を費しなさい。そして隣人の霊的・物的善のために施しをす 15 1800 年代にイタリアで作られた日本地図。 Diferimos de los otros institutos en Sierra Leona que ofrecen educación extra familiar" la guerra. Con la ayuda del Instituto, John Kargbo también ha encontrado su camino. Ha regresado al lado de sus padres y recibe regularmente la visita de una trabajadora social de la Fambul de Don Bosco, quien se asegura que todo vaya bien en casa y que John no vaya a regresar a la calle. La Fambul Don Bosco ha estado pagando sus gastos de escuela y financiando una Inspectoría Santos Mártires Coreanos, KOR por P. Jun-Seok Lee sdb forma de trabajo remunerativo para la madre como sostén de la familia. No algo de índole intelectural, sino con ex- Las consecuencias de este proyecto han Un segundo fruto de la Escuelasólo Bí- las personas sin hogar sino también los jóvenes tienen un lugar en la periencias. Una sesión dura dos noches sido bastante significativas. Una canti- blica es el hecho de que los salesianos y tres días y participan unos 300 jóve- dad considerable de los salesianos de se han vuelto muy conocidos Fambul por Don Bosco: para 250 jóvenes nes en el programa en cada sesión. Los hoy en día escucharon la llamada de este proyecto en la Inglesia coreana. entre 18 y 28 años, el instituto brinda participantes pueden tener acceso a Dios invitándolos a formar parte de la Ahora la gente sabe con más facilidad lugares de capacitación tanto dentro los mensajes importantes del Evange- vida y misión de Don Bosco, aquí en quiénes son los salesianos, a quiénes como fuera de Freetown y son acomlio y tienen la posibilidad de reflexionar suelo coreano durante la Escuela Bíblica. se dedican y qué es lo que hacen. pañados por trabajadores sociales del sobre los significados de éstos mien- El autor de este artículo es también uno Departamento de Especialidades. tras corren, nadan, navegan en canoa de ellos. Yo fui uno de los estudiantes de Aún queda otro punto que se debe つながる・ひろがる サレジオ家族 y juegan diferentes juegos. Cada programa está sutilmente diseñado por los salesianos de un modo que se les da a los jóvenes la oportunidad de crecer en su fe bajo la guía de los mensajes del Evangelio, en lugar de sólo darles la ocasión de jugar sin reflexionar sobre las cuestiones de su fe. A M É R IC A C ON O S U R preparatoria que experimentó la felicidad, gozo y entusiasmo de los salesianos en la Escuela Bíblica Católica en 1991. Ahora, ha llegado mi turno de enseñar esos valores salesianos y los mensajes del Evangelio a los jóvenes en las mismísimas circunstancias donde adquirí esos valores y descubrí mi vocación salesiana. enfatizar. Muchos de los jóvenes que Como parte de los servicios proporciohan participado en la Escuela Bíblica se han familiarizado con los salesianos, sus casas y sus obras. Ahora ellos tienen una fuerte motivación para conocer y participar en el Movimiento Juvenil Salesiano en Corea nados se encuentra un centro juvenil para niños, jóvenes y adultos jóvenes en el distrito y una línea de ayuda en crisis. Desde que se instaló la línea de ayuda en crisis, en enero de este año, más de 750 jóvenes han hecho uso de este servcio cada semana y encuentran un oído comprensivo para toda clase de problemas. El hermano Lothar, el Director de la Fambul Don Bosco, explica que el objetivo de ésta es educar a los niños para que se conviertan en ciudadanos responsables y buenos creyentes. Esto se logrará con la ayuda del amor, la razón y la religión. Los niños de la calle que pasan por un período de rehabilitación en nuestra casa no son ni golpeados ni atacados verbalmente. Diferimos de los otros institutos en Sierra Leona que ofrecen educación extra familiar", dice el Hermano Lothar, salesiano desde 1993 y a cargo del instituto en Freetown durante un año y medio. Añade: “Lo que es más, le damos gran importancia al hecho de que el cuidado mutuo también juega un papel dentro del equipo. No se puede dar cuidado y amor a los niños y jóvenes de la calle y ser al mismo tiempo un ser egoísta en el equipo o en privado, con tu familia". Modelo para la solución de un conflicto de no violencia A SI A ES T E - OC E AN Í A La guerra en Sierra Leona no sólo causó muchas muertes y destruyó las empresas de carácter económico. Las familias fueron separadas; los niños, explotados como soldados y esclavos, mientras que las drogas y el lavado de cerebro causaron un frenesí de sangre increíble. Todas estas experiencias todavía están lejos de ser enfrentadas o superadas; de hecho, en grandes partes de la población, más bien se les ha restado importancia. En muchas familias y barrios prevalece ya sea el silencio o la conmoción cuando se trata de lidiar con problemas o conflictos. Se tiene que encontrar la forma de dialogar unos con otros. Por lo tanto, los institutos como Fambul Don Bosco pueden ser muy valiosos para el país, ya que han dado un ejemplo de otra forma de vivir juntos. Cada día ellos demuestran su credibilidad y su ejemplo mediante el cuidado, la no violencia y la tolerancia. Su caridad activa así como la fe y espiritualidad que observan pueden servir como modelo donde la comunicación y la coexistencia se han vuelto difíciles e incluso imposibles “Proyecto Cagliero” - Los misioneros laicos Inspectoría María Auxiliadora de los Cristianos, AUL L Don Bosco Fambul (Fambul en Kriol, el idioma local; significa “familia”) es el Instituto más grande en Sierra Leona que trabaja con niños de la calle y jóvenes desempleados. Cada año apoya a casi 1.500 niños y jóvenes en uno de los países más pobres de la tierra. SALESIANOS 2011 a enseñanza del idioma inglés es una habilidad increíblemente valiosa en Thailandia ya que la mayor parte de los empleos están relacionados con el turismo, y el dominio del inglés en esta industria es fundamental. En la Casa Don Bosco - Bangsak, un lugar verdaderamente sorprendente donde la alegría de los niños es evidente cuando sus risas retumban alrededor de estos hermosos parajes, Steph, un joven australiano que fue misionero voluntario 'Cagliero' enseñó inglés, y manifiesta que el espíritu de Don Bosco está realmente vivo y actual. Así que, ¿quiénes son estos misioneros 'Cagliero' y qué hacen? como voluntarios dentro de estas comunidades salesianas de ultramar. El P. Moloney, con el apoyo de los salesianos en toda la Inspectoría, quería tomar como modelo para este programa aquellos que normalmente se relacionan con los salesianos en los Estados Unidos. En 2007, se contrató a un director para el programa y ¡así empezó el Proyecto Cagliero! El proyecto lleva el nombre del cardenal Giovanni Cagliero, quien fue el primer misionero salesiano que Don Bosco envió a la Patagonia (Argentina) en 1875. En 2006, el estudioso de la biblia P. Frank Moloney regresó de los Estados Unidos para asumir el cargo de Inspector de la Inspectoría Australia Pacífico. Entre sus objetivos para la Familia Salesiana en Australia y el Pacífico figuraba la creación de un programa que les diera a los jóvenes la oportunidad de trabajar El primer grupo de voluntarios Cagliero partió a dos lugares separados en Thailandia en junio de 2008. Ambos voluntarios eran líderes del Campamento Don Bosco en Dromana, Australia. La designación de Steph a la Casa Don Bosco fue más allá que tan sólo 'enseñar inglés'. Los salesianos tailandeses esta- Los primeros voluntarios por Lauren Bicknell blecieron el hogar un poco después del tsunami en 2004, para ayudar a cuidar a la gran cantidad de niños que quedaron huérfanos en el sur de Thailandia. De modo que Steph participó en el cuidado general de estos niños y viajó a las escuelas locales para enseñar inglés. Al mismo tiempo David viajó a Chiang Mai en el norte de Thailandia. El Hogar Don Bosco en Chiang Mai se estableció con el objeto de dar educación a los hombres jóvenes de las tribus de las montañas al norte. Asimismo, proporciona un entorno de vida favorable para los jóvenes cuando están estudiando. El Hogar tiene una granja asociada para ayudarlos a mantenerse. En 2010, el Proyecto Cagliero tuvo la gran fortuna de contar con un voluntario con experiencia en agricultura que fue de gran utilidad para la granja. El objetivo principal al comienzo de este Proyecto Cagliero fue que fuera sosteni- 40 13 37 サレジオ家族 世界のサレジオ家族の事業 Salesian Family 20 サレジオ会 サレジオ家族 1,325 か所 3,697 か所 学校 961 校 2,000 校 職業・農業の訓練校 520 校 763 校 1,902 か所 6,611 か所 564 か所 486 か所 5,272 か所 13,557 か所 SALESIANOS 2011 世界 130 以上の国で、28 グループ、40 万人以上のサレジオ家族が ユースセンター 学校、教会、社会生活のさまざまな場面で若者たちのために奉仕しています。 ドン・ボスコの精神とスタイルに影響を受けて生まれた修道者と信徒・協力者によるグループを、 教会・宣教の拠点 サレジオ家族(サレジアンファミリー)と呼んでいます。 社会事業 サレジオ会のほか、世界に 27 のグループがあり、 計 修道者・信徒などさまざまな立場、職業、社会生活を送る 40 万人以上のメンバーが、 ※データは 2001 年 ドン・ボスコの精神を共有して、若者たちのために奉仕しています。 日本のサレジオ家族 日本のサレジオ家族の事業 日本では 7 グループのサレジオ家族が活動しています。 ドン・ボスコの精神を受け継いで、日本各地で青少年のため、 そしてキリストの愛を人びとに伝える活動をしています。 サレジオ会 サレジアン・シスターズ (扶助者聖母会) イエスのカリタス修道女会 Salesians of Don Bosco Daughters of Mary Help of Christians Caritas Sisters of Jesus 世界の会員数:16,000 人 世界の会員数:14,100 人 世界の会員数:1,000 人 日本の会員数:110 人(14 支部) 日本の会員数:257 人(15 支部) 日本の会員数:461 人(49 支部) サレジオ会は青少年のために働く男子修道会で サレジアン・シスターズは青少年のために働く女 イエスのカリタス修道女会はとくに貧しく小さい人 す。1859 年、ドン・ボスコにより創立。日本では、 子修道会です。1872 年、ドン・ボスコとマリア・ びとのために働く女子修道会です。1937 年、 カヴォ 教会・ユースセンター、学校教育、児童福祉、出版、 マザレロにより創立。日本では、教会・ユースセ リ神父とチマッティ神父により日本で創立され、現 青少年司牧 ボランティア 11 か所 DBVG、VIDES、見守り活動など 学校教育 召命司牧 滞日外国人の支援、国際ボランティアなどの事業 ンター、学校教育、児童福祉、国際ボランティア、 在は 13 か国に広がっています。教会、学校教育、 に携わり、とくに青少年教育とキリストの愛を伝え カウンセリング、滞日外国人の支援などの事業に 児童福祉、高齢者福祉、医療などの事業に携わり、 るために献身しています。 携わり、青少年のために献身しています。 人びとに神の愛を伝えるために献身しています。 サレジアニ・コオペラトーリ VDB (ドン・ボスコ女子在俗会) ウニオーネ(扶助者聖母会同窓会世界連合) Association of the Salesian Co-operators Istituto Secolare Volontarie di Don Bosco World Confederation of the Past-Pupils of FMA 児童福祉 神学院・修道者養成 世界の会員数:27,000 人 世界の会員数:1,300 人 ウニオーネはサレジアン・シスターズの学校・施 日本の会員数:141 人(12 支部) 日本の会員数:3 人 設で身につけた精神を実社会の中で継続して生か 保育園、乳児院、児童養護施設 志願院、修学院、修練院、神学院 19 施設 8 か所 し、証しすることを目的としています。 サレジアニ・コオペラトーリは、サレジオ会やサレ VDB は 1917 年 5 月、サレジオ会第 4 代総長 ジアン・シスターズの指導を受けながら協働者と のリナルディ神父によって創立されました。召命の して生きる一般信徒の会です。1876 年「善良な 場は各自の生活の場、特に職場と教会にあり、仕 サレジオ会同窓会世界連合 キリスト者、誠実な社会人の会」としてドン・ボス 事においてプロであること、経済的な自立、精神 World Confederation of the Past-Pupils of Don Bosco コが設立。各自は社会生活を営みながら、弱い立 的な成熟が求められます。VDB には三誓願があり、 場の人、特に青少年に強い関心を持って、教会の 聖マリアが全てを心に納めていたように奉献者で 一員として奉仕すると共に、生涯を通して自己の あることには沈黙を守ります。 養成に励みます。 17 教会・ユースセンター 滞日外国人支援 サレジオ会同窓会はサレジオ会の学校・施設で身 につけた人間的・宗教的価値観を分かち合い、証 しすることを目的としています。 【ドン・ボスコ語録】 〜 兄弟のように互いに愛し、助け、欠点を耐え忍びあいなさい。そうすれば神と扶助者聖マリアの助けが必ずあるでしょ う。〜 幼稚園、小学校、中学校、 聖書学校、青少年対象黙想会、 高等学校、高等専門学校、短期大学 サマーキャンプなど 43 校 医療・高齢者福祉 出版・メディア 診療所、老人福祉施設 ドン・ボスコ社 7 施設 ホームページ運営など ※データは 2011 年 1 月現在 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 16 完訳 ドン・ボスコ伝 NEW テレジオ・ボスコ著 サレジオ会訳 テレジオ・ボスコ著 サレジオ会編訳 A5判 540頁 ¥1,890 四六判 367頁 ¥1,260 ドン・ボスコとサレジオ家族について、 どれくらい知ってるかな? ドン・ボスコについての最新の歴史研究・資料をもとに執 ドン・ボスコについての最新の歴史研究・資料をもとに執 筆された伝記の待望の完訳版。数々の証言や記録、混 筆され、読みやすく定評のある伝記のダイジェスト版。 ド ちょっと難しいものもあるけど、 クイズに挑戦してみよう! 迷するイタリアの状況を紹介しながら、 ドン・ボスコの人柄 ン・ボスコの少年時代からサレジオ会創立初期までを中 と生涯とを克明にいきいきと描く。 心に、 いきいきと描く。 ドン・ボスコ自叙伝 ドン・ボスコの生涯 ドン・ボスコ著 石川康輔訳 A・オフレー著 F・バルバロ訳 四六判 350頁 ¥1,260 B6判 515頁 ¥1,365 オフレー神父によるフランスアカデミー賞受賞作品を、バ ルバロ神父が日本語に訳し1942年に出版した名著。見 ヒント:男らしい! 40年間の回想録。 自分の生涯を示して、 サレジオ会の精 捨てられた青少年のために生涯をささげ、教え子たちと共 神を伝え、具体的な教育論を魅力たっぷりに語る。 にサレジオ会を創立するドン・ボスコの歩みを描く。 青少年の友 ドン・ボスコ マンマ・マルゲリタ ドン・ボスコの母 キャサリン・ビーブ著 野口重光訳 ピーター・ラッピン著 柳沼千賀子訳 新書判 221頁 ¥693 四六判 288頁 ¥1,260 少年たちの神父になり、悩みや喜びを分かち合い、少年 ドン・ボスコの母マルゲリタは、 ヨハネ少年をゆるぎない信 たちが神を知ることができるように助けたドン・ボスコ。 その 仰で導き、短い話を教え聞かせ、 ドン・ボスコのもとに集ま 生涯を、親しみやすく魅力あふれるエピソードを中心に紹 る身寄りのない少年たち皆の母となった。生涯を神にささ 介する。小中学生にも読みやすい、手軽な新書判。 げ、神の御摂理にすべてを委ねきった母の物語。 人々に繰り返し言われていた言葉で、 日々の生活の困難 の中にあっても、励ましや喜びを与えてくれる有意義な言葉 ヨハネ・ボスコの の数々を365日分収載。 たいせつな ゆめポケットサイズで携帯にも最適。 ヨハネ・ボスコのたいせつなゆめ 聖ヨハネ・ボスコ 青少年の友 サレジオ会文 おむらまりこ絵 キャロル・モンマルシェ文 ヨハネ・ボスコの たいせつな ゆめ サレジオ会 おむらまりこ A4判 31頁 ¥1,260 NEW ぶ ん サ レ ジ オ 会 「げんこつでは けんかはとめられないんだよ」。夢の中で え お む ら ま り こ ド ン ・ ボ ス コ 社 教育 ドン・ボスコ社 聞いた言葉を大切に心にとめたヨハネは、やがて司祭と つなわたりができて、手品も上手な聖人、聖ヨハネ・ボスコは 子どもたちをイエスへと導くためにすべてを尽くす。 やわらかな の時に見た夢の話が、温かい絵でよみがえる。 イラストと短い言葉でつづる伝記絵本。小学生以上から。 若者を育てるドン・ボスコのことば 共にいる教育 アッシステンツァ 岡道信編著 四六判 237頁 ¥1,050 A5判 92頁 ¥1,050 「ともにいる教育」、愛・道理・信仰による 「予防教育法」。 青少年と共にいて喜びを分かち合うドン・ボスコの教育法 若者を愛し、教育に生涯を捧げたサレジオ会創立者ドン・ 「アッシステンツァ」 ( 共にいること)の本質に迫る。長きに ボスコが語る、若者がいきいきと育つ教育法の秘訣が満 わたって学校教育に携わってきた著者がドン・ボスコの精 載。若者とともに歩むすべての人にすすめたい一冊。 神とその教育実践を分かち合う。 ドン・ボスコ 夢見る少年ジョヴァンニ ドン・ボスコ ジュゼッペ・ロランド監督 NEW 日本語吹替版 45分 1,000円 ロドヴィコ・ガスパリーニ監督 日本語吹替版 200分 3,000円 ていました。その習慣は今もサレジアンファミリー Q4 の伝統として残っていますが、何というでしょう? ドン・ボスコが子どもたちによく質問した言葉か ドン・ボスコは子どもたちが寝る前に短い話をし 1.チャオ 2.ボンジョルノ 3.ボナノッテ ヒント:寝る前のあいさつです。 Q5 ら。 「君はドン・ボスコの友達になりたい?」 「ええ、 なりたいです」 「それならA+B−Cでありなさい。 この意味がわかるかな?」 「いいえ」 「Aは○○○の ドン・ボスコは子どもたちに罰を与える教育ではなく、あ らかじめ良いことを勧め、励ます「予防教育法」 を実践し ました。予防教育法で子どもたちに伝えるべき大切な3 こと。B は b u o n o( ブ オノ:良 い こと )、C は cattivo(カッティーヴォ:悪いこと) ということだ よ」。 さて、Aの○○○に入る言葉は? つのことがあります。それはなんでしょう? ヒント:音楽の時間に習ったかも。速く!速く! ヒント:3つとも漢字2文字だよ。 Q6 2010年、 ドン・ボスコが事業を始めたトリノで聖骸布(十字架から降ろされたイエス・キリストを包ん Q7 ドン・ボスコのモットー「Da mihi animas, cetera tolle だとされる布) が公開されました。 ドン・ボスコも聖骸布を見たことがあるでしょうか? 公開されていました。 1.創世記 2.エレミヤ書 (私に魂を与えよ、他の物は取り去れ)」は、 もともと聖書にあ る言葉です。聖書のどこの言葉でしょうか? Q8 ヒント:ドン・ボスコの時代にも 3.コリントの信徒への手紙 ヒント:ソドムの王がアブラムに言った言葉。 Q9 ドン・ボスコは反対者から命を狙われることがたびたびありましたが、 いつも突然現れて助けてくれる大きな犬がいました。その犬の名前は? 1.グリージョ 2.アダージョ 3.バッジョ Q10 世界のサレジオ会員の数は、 現在どれくらい? 1.約16,000人 2.約8,000人 バチカンの聖ペトロ大聖堂内の上のほうにドン・ボスコの像が置かれています が、その下のほうにはある有名な聖人の像があります。だれの像でしょう? 3.約1,600人 ヒント:鍵を持ってる人 ヒント:世界第2位だよ! 少年ジョヴァンニが青少年に生涯をささげる司祭になるま 見捨てられた少年たちに自分の力を惜しみなく与えたド 見たことがある (ドン・ボスコの存命中、聖骸布はトリノで3回公開されました。 ドン・ボスコの回想録に子どもたちを連れて見に行ったと記されています) A7:1 創世記(14章21節) A8:1 グリージョ (「灰 での道のりを描く。喜びと快活さをもって友情を育み、多く ン・ボスコ。愛と信頼、強い心で少年たちを育んだ真の教 (「道理」 は規則を理解し、 自ら進んで実行するようになるための正しい理由。 「信仰・信念」 は人生を意味づける理想となるもの。 「愛情」 は道理と信仰・信念を受け入れやすくするために必要なものです) A6: 19 200 130㎜ 71頁 ¥945 なり子どもたちのために一生をささげる。 ドン・ボスコが9歳 ガエタノ・コンプリ編著 DVD オーギュスタ・キュレリ絵 児島輝美訳 ヒント:マンマといえば? の困難にあっても働きながら学び、神の計画を信じて司 育者の姿が美しい映像でよみがえる。2004年、 イタリア 祭になる夢を追いかける。1987年、ELLE DI CI作品。 国営放送RAIが2日にわたり放送した感動の作品。 【ドン・ボスコ語録】 〜 皆さんを早く死に追いやるものは何であるか知っていますか。馬に対する拍車のように、死にとっては罪がそうです。〜 A1:2 たくましい A2:2 マルゲリタ (ピザで知られた名前ですが、英語ではマーガレットで花の名前でもあります) A3:3 ボナノッテ (イタリア語でBuona notte“おやすみなさい” の意味。寝る前の短い話 え 3.ティラミス 【答え】 ぶん 2.マルゲリタ はドン・ボスコのお母さんの頃からの習慣だそうです) A4:allegro(アレグロ:喜び、快活さ。 ドン・ボスコはいつも快活さと喜びをもつように勧めていました) A5:1 道理、 2 信仰(または信念)、 3 愛情 絵本 Q3 ドン・ボスコを知る 読書・DVDガイド 1.カルボナーラ 色」 という意味。外見はどう猛でオオカミに似ており、鼻は高く、耳が立っていて、背丈は1メートルほどだったそうです) A9:1 約16,000人(イエズス会に次いで会員数は世界第2位。 サレジアンファミリー全 ドン・ボスコが親しんだ格言。青少年をはじめ、すべての ドン・ボスコのお母さんの名前は? と言いました。○○○○に入る言葉は次のどれ? 教皇ピオ9世の命令によりドン・ボスコ自身の手で執筆さ 127 90㎜ 133頁 ¥383 たいせつな ゆめ 女性は、 ドン・ボスコに 「謙遜で、強く、○○○○人になりなさい」 れた自叙伝。幼少期から彼の事業が軌道に乗るまでの 山本克己訳 ヨハネ・ボスコの Q1 Q2 ドン・ボスコが9歳の時に見た夢に現れたマリア様と思われる 1.やさしい 2.たくましい 3.きよい 聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日 語録 ドン・ボスコ ダイジェスト版 体では28のグループがあり、総数は約40万人です) A10:聖ペトロの像 (バチカン巡礼の際には、ぜひ確認を!) 伝記 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 18 聖 ヨ ハ ネ ・ ボ スコ 聖 遺 物 日 本 巡 礼 せいいぶつじゅんれい 聖遺物巡礼 日本の各地を巡礼する 聖遺物(右腕) をおさめたご像 せいいぶつ とは? 聖遺物 サレジオ会 創 立 1 5 0 周 年 の 2 0 0 9 年 、 ドン ・ ボスコ とは? Don Bosco in Japan 聖 遺 物 は 、信 仰 を の 聖 遺 物 は イタリア・トリノを 出 発し 、2 0 1 5 年 のド ン・ボスコ生 誕 2 0 0 周 年まで の 6 年 間 、世 界 中を 訪 れる旅をして います 。世 界 の 人 々 がドン・ ボスコの 働 from Turin, Italy もって 大 切 に 敬 わ れ る も の で す 。聖 人 の遺 骨の一 部や、聖 人 きをとおして 神さまの 愛と出 会 い 、生きる光と勇 気を 得るためです。 そして 2 0 1 1 年 2 月 、 ドン・ ボスコは日本にやって 来 が 生 前 に 使 用し て い たもの な ます 。宮 崎から東 京まで 、サレジオ家 族 の 教 会や 学 校な ど、さまざまなもの があります 。聖 書には 、聖 遺 物につ どを巡ります。 いて次のような記 述があります 。 「 神は、パウロの手を通 ドン ・ ボスコと出 会 い 、 ドン ・ ボスコの 言 葉 に 耳をか たむ して目覚ましい 奇 跡を行 われ た。パウロが身に着けて い た けましょう。そして 、ともに 喜 び 祝 い 、まじわり、祈る、豊 かな 手 ぬぐ い や 前 掛けを持って 行って 病 人に当 てると、病 気 は い 時をすごすことができますように! ( 使徒言行録19章12節) やされ、悪 霊どもも出て行くほどであった。」 聖 遺 物に魔 法の力があるわけではありません。聖 遺 物は、神が聖 人 たちを通して 取り次ぎ 、聖 人 たちがこの 世を去った 後も生きて おら れることのしるしです 。教 会は、聖人たちの生き方や聖遺物を大切にすること をとおして、神をたたえます 。世 界の人 々がこの世で 生きるための光 、勇 気 を 与 えら 日程 れ るよう、 ドン・ボスコの聖 遺 物は世 界を訪れます。 聖ヨハネ・ボスコが世界中をめぐり、 日本にやって来る ! No.6 聖ヨハネ・ボスコ 聖遺物巡礼記念特別号 BOLLETTINO SALESIANO 2011 年 1月31日発行 編集人 山野内 倫昭 日本版 「ドン・ボスコの風」は、創刊者の方針により出来るだ け多くの方々に無料でお届けすることになっております。その ために様々な努力を払っていますが、この雑誌の主旨にご賛 同くださる方には是非ご援助いただきたく、挟み込みの払込 取扱票にてご寄付を募ります。よろしくお願い申し上げます。 発行人 アルド・チプリアニ 発行所 カトリック・サレジオ修道会 〒160-0011 東京都新宿区若葉1-22-12 サレジオ会管区長館 電話:03-3353-8355 Fax:03-3353-7190 Eメール:[email protected] 郵便振替 00100-7-412947 「ドン・ボスコの風」 編集事務局 編集制作 ドン・ボスコ社 デザイン制作 (有) ステップ企画 中村 たかや 印刷所 日之出印刷株式会社 編集後記 ドン・ボスコの霊性(生き方)は 150 年を通して全世界に広 がり、日本にも土着しました。ドン・ボスコ聖遺物巡礼記念特 別号では、現在も生きているドン・ボスコの霊性を描いてい ます。この巡礼を通して神様と教会をもっと愛し、イエスの福 音を述べ伝える素晴らしいきっかけとなりますように。(M) 2011年2月 (予定) 赤 文 字で示した教 会 等 のミサ・行 事には皆 様ご自由に参 加できます。 2 3 4 5 日(水) 日(木) P M 日(金) A M 日(土) A M PM 6 日(日) 7 日(月) AM PM 8 日(火) AM 9 日(水) A M PM 10日(木) P M 11日(金) A M PM 12日(土) A M PM 成田 宮崎 宮崎 大分 大分 大分 大分 長崎 長崎 大阪 三重 静岡 静岡 神奈川 神奈川 13日(日) 東京 東京 14日(月) A M PM 15日(火) AM PM 東京 東京 東京 東京 16日(水) A M PM 17日(木) 東京 東京 東京 18日(金) 成田 空港到着 イエスのカリタス修道女会(SCG)宮崎修道院 日向学院 サレジアン・シスターズ(FMA)大分修道院 サレジオ会(SDB)中津支部 カトリック別府教会(9時 ミサ) 海の星幼稚園(別府) SCG外海修道院 FMA大村修道院 大阪星光学院 SDB四日市志願院 カトリック浜松教会(17時 集い・20時 ミサ) FMA静岡修道院/静岡サレジオ カトリック鷺沼教会(19時 ミサ) SDB横浜志願院 サレジオ学院 幼稚園・中学校・高等学校 目黒星美学園小学校(15時 教育シンポジウム) カトリック碑文谷教会(10時30分 ミサ) (PM 青少年の集い) 目黒サレジオ幼稚園/目黒星美学園小学校 目黒星美学園中学校・高等学校 星美学園(赤羽) 長崎 カトリック下井草教会(19時 ミサ) 2/ SCG本部修道院 サレジオ小学校・中学校 サレジオ高専/東京サレジオ学園 SDB調布神学院 サレジオ家族の巡礼と静修の日 カトリック調布教会(17時 ミサ) 空港出発 7-8 メキシコ巡 礼 の 様 子 日本巡礼のルート(予定) 神奈川 三重 四日市 2/ 大分 大在・中津・別府 5-7 2/ 大阪 9 2/ 川崎・横浜 2/ 9-10 11-12 静岡 東京 目黒・世田谷 赤羽・下井草 小平・町田・調布 2/ 12-17 浜松・静岡 2/ 10-11 宮崎 2/ 3-4 聖ヨハネ・ボスコ聖遺物巡礼記念特別号 No.6 20 ストレンナ 2011 2011 STRENNA 【ストレンナ】 イタリア語で 「贈りもの」。 6 ドン・ボスコの時代からの習慣で、新年に サレジオ会総長が 「今年の目標」 として 発表しています。 2 011 年 1 月 BOLLETTINO SALESIANO gennaio 2011 イエスは呼びかける。 来なさい、 そうすればわかる Come and See. (ヨハネ1章39節) TEL: 03-3353-8355 FAX: 03-3353-7190 E メール:[email protected] 発行:カトリック・サレジオ修道会 〒160-0011 東京都新宿若葉1-22-12 人 生 の 意 味をさがし求める人に語ろう。 人 生は贈りもの 神 様からの 招き あなたにしか果たせない使 命 私たちの心の奥には、ある問いかけがあります。自分は何のために生きて いるのか、どうしたら意味のある人生を生きられるのか。自分の中を見つめ ても、答えはなかなか見つかりません。 いのちは神様からの贈りものです。いただいたいのちを、進んで責任をもっ て受けとめるとき、贈りものを活かすことができます。 一人ひとりのいのちの中には、計画が秘められています。自分自身の経験、 歴史、神から来る光を投げかけるとき、その計画は少しずつ明らかになりま す。そしてそれは、私たちの応答を求めます。 神様の計画と私たちの応答、こうして、私たちは、この世界と存在するす べてのものとの関わりの中にある、自分自身を見いだします。 この世界とその中にあるものは、私たちの望みを満たすことはできず、私 たちはそれに従属しません。私たち、特に若者は、生きることの意味、存在 理由、計画をもっていのちを与えてくださった方を渇き求めます。 イエスは呼びかけています。「来なさい、そうすればわかる。」 (チャーベス総長による2011ストレンナ解説より)