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ゴミは食生活に 関する情報の宝庫

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ゴミは食生活に 関する情報の宝庫
考古学ゼミナール「考古学から見た「ゴミ」事情」 2015年10月17日(土)
於:かながわ県民センター
ゴミは食生活に
関する情報の宝庫
植月
学(山梨県立博物館)
はじめに
考古学の研究対象はほとんどがゴミ
ゴミでないもの=墓の副葬品、祭祀遺物
不燃ゴミ=土器、石器
→残りやすい
燃えるゴミ、生ゴミ=動物骨、植物種子
→残りにくい
ゴミは食生活をさぐる一級資料
1.縄文時代のゴミ形成
過程を探る
骨塚はなぜ作られたか?
骨塚とは?
縄文時代晩期に形成
大型獣(シカ・イノシシ)主体
小型獣、貝類、魚類は少ない
様々な説(祭祀の場、解体の場など)
千葉市六通貝塚の骨塚分析
獣骨の集中
約180㎡
0
10m
哺乳類の組成
(最小個体数)
その
他, 4
イノ
シシ,
44
シカ,
96
(最小個体数)
骨を数える
29
2
57
26
三角筋粗面
23
小転子
39
栄養孔
栄養孔・
膝窩筋線
外側顆上粗面
41
上腕骨
49
大腿骨
15
47
脛骨
上顎歯
下顎歯
環椎
軸椎
頸椎
胸椎
腰椎
肩甲骨
上腕骨(近)
上腕骨(遠)
橈骨(近)
橈骨(遠)
尺骨
寛骨
大腿骨(近)
大腿骨(遠)
脛骨(近)
脛骨(遠)
踵骨
距骨
中手骨(近)
中足骨(近)
部位組成はゆがめられていた
骨端
より均等な四肢骨組成
シカ四肢骨
骨幹部
100%
80%
60%
40%
20%
0%
骨を観察する(1)~被熱痕~
上腕骨
大腿骨
脛骨
中手骨
中足骨
中手骨
脛骨
大腿骨
上腕骨
0%
20%
端近
40%
近
中近
被熱の場所
骨幹部(中間)に多い
60%
中遠
80%
遠
端遠
100%
骨を観察する(2)~咬痕~
上腕骨
近位端
大腿骨
近位端
脛骨
近位端
大腿骨
近位端
中足骨
中手骨
脛骨
大腿骨
上腕骨
0%
20%
端近
咬痕の場所
骨端部に多い
40%
近
中近
60%
中遠
80%
遠
端遠
100%
肉食獣が骨髄を食べるために破壊した痕
骨幹を溝状に砕いていく
Binford 1980
脛 大
骨 腿
骨
大
腿
骨
肉量の比較(Kcal)
部位ごとの有用性
大腿骨は肉量、骨髄量ともに多い
被熱が見られたのは骨髄豊富な部位
中 上
足 腕
骨 骨
骨髄量の比較(Kcal)
Madrigal & Holt 2002
ゴミからわかる骨塚形成過程
被熱痕・咬痕の分析
人が骨髄抽出のため炙って割る
廃棄後、イヌが軟らかい骨端部を咬む
時間をかけて骨髄まで徹底利用
部位組成からは大腿骨など有用度の高
い部位も含めほぼ全身を搬入
単なる解体場や祭祀の場ではない
最終的な消費地(=居住地)
骨塚の性格
 年齢分析 捕獲圧は他時期と同様もしく
はより低い
 海退の時期
 大型獣以外(魚貝、小型獣)への依存度
の低さ
 シカ、イノシシへの依存度の高さ
 より見返りの大きい大型獣を集中利用
 人口減少により可能となった?
2.内陸への海産物流通を
探る
山国・甲州の魚食文化
甲州への海産物の流通
縄文
古代
中世
近世
中世~近代の遺跡、文献で確認で
きた山梨に運ばれた海産魚
南アルプス市で発掘された
タイ科背骨(縄文時代後期)
鰍沢河岸跡から出土した大型魚
口留番所
マグロ
約2m
ネズミザメ
約2m?
イルカ
約2m
珍しい深海魚も
イシナギ
アブラボウズ
(オシツケ)
マグロ大好き甲州人の謎
総務省統計局「家計調査年報(家計収
支編)平成24年」
甲府市は県庁所在地の1世帯当たりの
年間支出金額で・・・
アサリ
1位
マグロ
2位
干しアジ
3位
魚好きのお医者さん
『世事記』(支出簿)
大久保黄斎【文化9年(1812)-明治28年1895)】
古市場(南アルプス市/旧甲西町)の蘭方医
黄斎が食べた海産物
鯛
生ほ
伊う
かぼ
う
鰯
魚の組成の比較
『世事記』
鰍沢河岸跡
その他
その他
マグロ
イルカ
マグロ
蒲鉾
メジカ
鰹節
カツオ
生利節
サメ
ブリ
タイ
サバ
全体(江戸後期~近代)
ちりめ
ん干
ホウボ
ウ
ブリ
タイ
サンマ
イナダ
サバ
アジ
近海でマグロが獲れた
此辺ヘハ江戸并駿府甲州より魚商ふもの
参り居て、魚取れたりと聞と直に其処へ来り、
夫々の漁師頭へ直段の押合する由
木村喜繁『天保三年伊豆紀行』(1832)
沼津にて
金桜神社絵馬
明治40年(1907)
金桜神社(沼津市)
魚の道
土橋驚堂画「生魚運搬図」
明治頃の様子を描いたもの
魚尻線
甲府は駿河湾の魚が
夏でも生で持ち込め
る限界だった。
田中啓爾『塩および
魚の移入路 鉄道開
通以前の内陸交通』
口留番所のゴミ穴形成と時代背景
大型魚ばかりが捨てられている
珍しい深海魚を含む
丸ごと持ち込む
中央線開通以前の最繁栄期(富士川舟
運→東海道線)
旅行客向けの解体ショー?
保存のため?舟運では二日かかった
周辺遺跡との比較
鰍沢
マグロ属
甲府城
サメ類
ニシン科
イルカ類
アジ類 タイ科 サバ属
ソウダガツオ
谷村城
タイ科
マグロ属
ヒラメ科 ブリ属
0%
20%
40%
60%
80%
100%
鰍沢は大型魚(+イルカ)、甲府城下は小型魚が主体
城下町(武家屋敷)ではタイが特徴的?
ゴミからわかる海産物の流通
江戸時代以降は一定量の海産魚が流通
していた
マグロへの嗜好性は文献記録とも一致
し、背景には近海での大漁があった
細かい魚種組成は遺跡によって異な
り、年代による差とともに、立地によ
る流通形態、消費者層の違いも考えら
れる
3.肉食習慣の変化を探る
「肉食はタブー」は本当?
出土した古代牛の年齢
(千葉県習志野市谷津貝塚)
12
10
8
6
4
2
0
B
C
D
E
0.5才 1.5才 2.5才 3才
F~
4才
判明している曲線
5才
6才
7才
推定曲線1
8才
9才 10才 11才
推定曲線2
肉食大好き?奈良時代の富豪
 (ア)大地主神が田をつくる日に牛の宍(肉)
を農民に食べさせたのを知った御歳神が怒って
蝗を田に放ち、稲を枯れさせた。大地主神は怒
りを解くために牛の宍を田の溝口に供えるなど
した。(『古語拾遺』 大同2(807)年)
 (イ)摂津国の家長公が聖武朝に毎年牛一頭を
殺し漢神に供えたが、地獄に落ちた。牛たちに
膾にすると責められたが、生前に方生していた
おかげで甦る。(『日本霊異記』中巻第5話 9
世紀初め)
 (ウ)伊勢ほか7国の百姓が牛を殺して漢神を
祭るのを禁止(『続日本紀』延暦10(791)年9
月16日条)
 (エ)聖武天皇の代に平城京より越前に出かけ
た楢磐嶋という人物が閻羅王の使いの鬼に追わ
れ、家で2頭の牛で饗応して死を免れた(『日
本霊異記』中巻第24話 9世紀初め)
近代の牛馬
明治10年
(1877)の旧
国別牛馬比率
西の牛、東の馬
の図式
古代の牛馬
旧国名
甲斐
都県
山梨
遺跡名
百々
大師東丹保
二本柳
三ツ寺Ⅰ
田端
国分寺中間
上野
群馬
日高
熊野堂Ⅱ
下東西
元総社明神
大久保A
有馬条里
白井二位屋
東国にも牛が多くいた
点数
ウマ
ウシ
61%
39%
旧国名
都県
遺跡名
屋代遺跡群
87%
94%
13%
6% 信濃
92%
38%
8%
62%
97%
3%
15%
66%
85%
34%
89%
11%
96%
92%
85%
4%
8%
15%
100%
0%
94%
100%
90%
90%
6%
0%
10%
10%
長野
埼玉
武蔵
東京
下総
遠江
相模
千葉
静岡
神奈川
松原
篠ノ井
池畑遺跡
城北
根切
伊興
上っ原
落川・一ノ宮
鬼塚
谷津貝塚
印内台
伊場
四之宮下郷
点数
ウマ
ウシ
56%
44%
77%
23%
98%
2%
47%
69%
92%
100%
72%
0%
93%
50%
3%
53%
31%
8%
0%
28%
100%
7%
50%
97%
81%
19%
62%
94%
38%
6%
太字はウシが3割以上出土している遺跡
網かけは中世の遺跡。中世にはウマが主体となる。
古代の牛馬
~扱いの違い~
ウマ4頭の埋葬
南アルプス市百々遺跡(平安時代/山梨県立考古博物館蔵)
牛頭を用いた祭祀?
ウシ頭骨
南アルプス市
百々遺跡
(平安時代/
山梨県立考古
博物館蔵)
解体された牛
卜骨?
骨製品?
多摩市上っ原遺跡から出土したウシの部位
ウシ骨に見られた被熱
脛骨など
解体された馬~年齢から探る
中世
古代
大師東丹保遺跡
百々遺跡
35
30
N=75
平均=5.0
25
20
15
10
5
0
3 4 5 6 7 8 9 1011121314151617181920
推定年齢
完存
破損
同一個体による
16
14
12
10
8
6
4
2
0
N=72
平均=9.2
3 4 5 6 7 8 9 1011121314151617181920
推定年齢
完存
古代は4歳前後での死亡が多い
→文献にみられる選別の時期と一致
破損
中世以降の牛馬肉食の忌避
「日本人がもっとも忌み嫌う
のは牛や馬を食べること。
それは飼っている動物を殺
すのはかわいそうだと思う
から。(でも人は平気で殺
す・・・)」
『日本教会史』
ジョアン・ロドリゲス
1577-1610日本に滞在
肉食がおこなわれた場面
『甲陽軍鑑』
「御献立之次第」
の復元模型
(本膳)
肉食の場所と身分~中近世城郭と牛馬~
近
イノシシ
代
シカ
ウマ
N=8
イノシシ
近
世
中
世
魚類
鳥類
魚類 シカ イヌ
0%
20%
シカ
ウマ
40%
イヌ
ウシ
60%
80%
N=46
N=11
100%
高知城下(弘人屋敷遺跡)出土の動物遺体組成
近世は魚鳥やシカが主体で、牛馬は見られない(中世と
の差)。山梨県下の城郭、城下町遺跡でも類似の傾向
薬喰
辻嵐外の句
「人の許より薬
喰の一種をすそ
わけせられて獺
喰ふて寝れば蒲
団を踏破る」
猿
肉
猿
肉
江戸より猿肉を催促する書状(山梨県早川町の文書)
江戸時代・山梨県立博物館蔵
獣肉屋
鰍沢河岸跡出土カモシカ背骨
刃物による切痕をとどめる
「びくにはし雪中」
歌川広重 安政5年(1858)
牛肉がごちそうに
『甲府各家商業便覧』 山梨ビールの広告(明治時代)
(明治18年・1885)
洋酒、牛肉、ミルクなどが見える
ゴミからわかる肉食の歴史
書かれた歴史には表れにくい肉食の実態
時代による変化
場面や身分によっても異なっていたこと
を考慮する必要
おわりに
現代のゴミから何を語れるか?
かつてない食生活と環境への負荷
考古学は現在を見つめ直し、未来を考
える学問
自然と調和していた縄文人に学ぶ?
現代は日本史上最大の肉食、魚食の時代
さらにお知りになりたい方は以下より関連文献をご参照ください。
植月「骨塚の形成から見た大型獣狩猟と縄文文化」『季刊考古学』
別冊21 雄山閣(2014)、植月「内陸における海産物流通-甲州の魚食
文化-」『季刊考古学』128 (2014)、植月「古代東国における牛肉食
の動物考古学的検討」『山梨考古学論集』Ⅶ (2014)、山梨県立博物
館『甲州食べもの紀行』(展示図録・2008)
当日配布資料 20151024
縄文貝塚に見るモノの再利用(補足)
1. 1 年間のゴミの総量
(1)千葉県市川市(人口約47万人)
145,022トン(平成 25 年度実績)
1人あたり300Kg (1日あたり830g)
(2)神奈川県横浜市(人口約 370 万人)
1,255,504トン (平成 25 年度実績)
1人あたり340Kg (1 日あたり930g)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2. 3R 運動とは何か?
私たちが地球のためにできる行動はいろいろあります。 使うエネルギーをなるべく少なくする行
動(省エネ)や、空気や海などを汚さないようにする行動、そして、私たちの毎日の生活から出る「ご
み」
に関する行動。 「3R」(スリーアール)とは、
ごみを減らすための環境行動を表すキーワードです。
3つのRは、リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル(Recycle)の頭文字を取ったものです。
(1) リデュース(Reduce)
ごみそのものを減らすこと
ごみになるものをできるだけもらわない、必要以上に物を買わない、物を大切に使う などの行動
を通じて、ごみそのものを減らす取り組みです。
具体的な取り組み例 → ①余分な包装を断る、②マイバッグを携帯し、必要以上にレジ袋をもら
わない、③ばら売りや量り売りで必要な分だけ買う
(2) リユース(Reuse)
何回も繰り返し使うこと
一度つくったものを何回も繰り返し使うこと、自分がいらなくなったものを、それが必要な他の人
に使ってもらうことを通じて、再利用する取り組みです。
具体的な取り組み例 → ①飲料びんなどを回収・洗浄し、再利用する(リターナブルびん)、②
フリーマーケットやリサイクルショップなどを活用する、③イベントで、使い捨て容器ではなくリユ
ース食器を使う
(3) リサイクル(Recycle)
分別して再び資源として利用すること
資源となるものを分別回収し、もう一度資源として活用したり、焼却時に熱エネルギーにしたりす
ること。不要になったものを他のものに転用して使うことを通じ、資源として再び活用する取り組み
です。
具体的な取り組み例 → ①きちんと分別してから集積所に出す、②トイレットペーパーは、古紙
からつくった製品を選ぶ、③生ごみをコンポストによって堆肥化する
(横浜市資源循環局3R推進課のホームページを改変)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3.考古学から見た3R
(1)リデュース(Reduce)
ごみそのものを減らすこと
はっきりわかりません。
(2)リユース(Reuse)
何回も繰り返し使うこと
同じ目的で利用すること。
事例:刃部が破損した磨製石斧の刃部を再生し、再び磨製石斧として利用
(3)リサイクル(Recycle) 分別して再び資源として利用すること
異なった目的で利用すること(転用) → 今回の発表の「再利用」の定義
事例:刃部が破損した磨製石斧を木の実加工用の磨石・敲石に転用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.縄文時代の年代観
縄文時代の年代については、放射性炭素による年代測定法によって、おおよその年代が知
られていますが、ここでは未較正の年代を採用することにします(下記参照)
。
時期区分
縄文時代
年
代
草創期
約13,000~9,500年前
早期
約9,500~6,000年前
前期
約6,000~5,000年前
中期
約5,000~4,000年前
後期
約4,000~3,000年前
晩期
約3,000~2,300年前
(文化庁編『発掘された日本列島2014新発見考古速報』の年表を
もとに筆者作成)
5.千葉県市川市の縄文貝塚
全国には、約2,300ヶ所の縄文貝塚があり、そのうち約700ヶ所が千葉県にあります。市
川市内には、このうち55ヶ所の貝塚があり、全国有数の貝塚密集地域として知られています。
6.発表に登場する遺跡
(1)縄文時代
①国分台
堀之内貝塚
②曽谷台
向台貝塚・平作貝塚・曽谷貝塚
③柏井台
姥山貝塚・今島田貝塚
(2)奈良・平安時代(参考事例)
①国分台
下総国分寺跡・国府台遺跡・国分遺跡
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