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イタリアにおける州制度の 実施過程(2)

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イタリアにおける州制度の 実施過程(2)
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
113
イタリアにおける州制度の
実施過程(2)
―1990年代の州改革を中心に―
柴 田 敏 夫
はじめに
1 80年代における州と世論
2 90年代における行政改革と州;
バッサニーニ法の成立と展開(1997−2000年)
1)背景
2)バッサニーニ改革;その内実と特徴
3)実行計画
4)評価
3 結びに代えて
はじめに
本稿は,90年代後半に行なわれた州改革の実施過程を扱っており,す
でに専修法学論集第92号〔2004年11月〕に発表された「イタリアにおける
州制度の実施過程(1)」に直接続くものである。
具体的には,当時1997年初頭から地方分権と中央政府機構の再編成を
直結させて開始されたバッサニーニ法に基く大規模な行政改革において州
はいかなる役割を果たし,どのような成果を得たかを中心に検討したが,
同時に主題と関連する中央政府機構の再編成についても必要な範囲で触れ
ている。
一方同時期に上記の行政改革と並行して議会の両院合同委員会において
共和国憲法体制の基本構造を全面的に改めようとする議論が開始され,最
終的に2001年10月国民投票によって現行共和国憲法第5章の州,自治体
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にかかわる憲法条文の大部分を改正した憲法的法律第3号が制定されるに
至った。前者は,現行憲法を変更することなく(invariata),連邦制を目
標に徹底的な地方分権と中央政府機構の改革を行い,後者は憲法改正によ
って連邦制を視野に入れ,中央・地方関係を新たに見直そうとした点で,
その手法を異にしたが,いずれも改革の目標を連邦制の実現に置き その
対象が州を中心とする中央・地方関係にかかわることによって共通性が見
られた。したがって後者の憲法改正についてその後の展開を知ることも重
要であるが,取り合えず本稿においては第3次州改革とも言われるバッサ
ニーニ行政改革を中心に検討した。
1 80年代における州と世論
先ず本論に入る前に,発足直後の80年代における州制度の実態を少し
観察しておきたい。70年代2度にわたって実施された州は,80年代に入
り次第に地方制度の一単位として定着していったが,しかし州はなお克服
しなければならない多くの問題に当面していた。例えば州はこの間に自主
財源を削減され,むしろ中央政府の交付金への依存度がたかまり(1),また
州立法権も国会や憲法裁判所の介入によってさまざまな制約にさらされ
た。とりわけ州に基盤を置く独自の政党の発展が遅れたため,政策決定の
面で州は国に対して従属的な地位に甘んぜざるを得なかった (2)。このよ
うに80年代における中央・地方関係は,むしろ全体に集権的な傾向が強
まったといっても過言ではない状況がみられたのである。
ナネッティやサスーンら一部の学者たちは,新設の州はすでにいくつか
の面で成果を挙げたと見るが (3),他方州はなお多くの未解決の問題に当
面していた。州と地方団体間の関係にはなお権限や役割をめぐる対立があ
り,何よりも州の実績について南北間の著しい格差が顕在化した。デジデ
ーリ(C.Desideri)は,北部諸州と比較して,南部諸州において新しい州
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
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制度への対応が遅れ,多くの困難に当面した事実を指摘している (4)。パ
トナムら研究者たちも,すでに述べたように南部諸州における州の成果が
著しく少ない事実を,これらの地域に根ついた独特な市民文化によるとこ
ろが大きいとした。
こうした80年代の州をめぐる状況については,以下の1989年世論調査
機関(DOXA)の行った調査結果からも知ることができる(5)。
調査の内容については脚注において触れることにして,その結果は,
80年代の州制度に対するイタリア人の関心は全体的に低く,また情報量
も少なく,州の実績評価も全体に高くなく,また地域差が目立つというも
のであった。同時に今後州の果たすべき分担領域,責任についても,調査
結果はかなり正確な解答を示しているように見える。いずれにしても調査
結果は,80年代末イタリア人にとって州はなお遠い存在である事実を浮
き彫りにしたといえる。このように創設以来10数年を経過した州は,少
なくともいっそうの発展を期待するならば,より適切な改革を実行しなけ
ればならない状況におかれていたといえよう。
注
(1)「90年初頭の州は,イタリアの政府レベルの中でもっとも弱い環のひとつであ
った。98%の財政資源が国からの移転によって賄われ,そのうちの94%が紐つき
であった。
」Cfr., “la vicenda dell’ autorita’ finanziaria regionale,”in Le Regioni,
n.1,2003
(2) その代表例は,国民皆保険制度であろう。市町村〔コムーネ〕にその運営の責
任がゆだねられたため,州は中央からコムーネに還流する膨大な保険費の中継機
関にとどまった。
(3) R. Y. Nanetti, Growth and territorial policies, 1988, pp.158-62,D.Sasoon, L’
Italia contemporanea,1988,p.290。同書でサスーンは,都市と農村間の乖離の
縮小,中小企業支援,農業問題の議論の促進,環境悪化対策,公的サービスの改
善,そして地域内の多様な利益の調整といった面で,部分的ながら州の果たした
成果を挙げている。
(4) “C. Desideri, Italian region in the European Community,”in the European
Union and the Regions(ed. B.Jones/M.Keating)1995, pp82-7
116
(5) L’ indagine Cinsedo-Doxa, <Attegiamenti e opinioni del pubblico italiano nei
confronti degli enti regionali>, in Regione e Governo locale, n.5-6, 1989, pp.61-99
1989年9月調査機関のDoxaが,Cinsedoと共同で行った「イタリア人の州に対
する態度と意見」に関する合同調査は,1,600万人中,全州内171のコムーネに居
住する15歳以上の男女2,110人を対象に,81年,82年,87年,89年の4回にわた
り,全部で9つの同一の質問を行った結果を処理したものである。ただここでは
9項目の質問に対する回答結果を具体的に述べる余裕がない。
2 90年代における行政改革と州;
バッサニーニ法の成立と展開(1997−2000年)
1997年3月から翌年3月までの1年間に,分権と中央政府機構の再編
成を目的とするいくつかの重要な法律が議会で成立した。
それらの法律は,
前年96年4月の総選挙に勝利した中道左派3党〔オリーブの木〕を基盤
に組織されたプローディ連立政府によって,最優先の政策課題として推進
され,新政府に参画し,改革を主導した公共職能相の名前にちなんで,以
後バッサニーニ法と称されることになる。
先ず政府が,このような大規模な行政改革にふみきった背景あるいは主
要な要因には何があったかをあらかじめ探っておきたい。
1)背景
90年代後半に進められたバッサニーニ行政改革を促した背景もしくは
要因について,差し当たり以下のように5点を指摘しておきたい。
①先ず1990年に成立した新地方制度法142号について触れよう。この法
律は,ファシズム時代1934年ムッソリーニの独裁支配下に制定された地
方制度法を遅まきながら前面的に改めたものである。新地方制度法によっ
て,自治憲章の見直し,大都市圏の新設,小規模市町村合併,市政府の強
化,補完性原理の導入,国による統制の緩和など新しい諸制度が盛り込ま
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れたが,同時に80年代に解決できなかった州と地方団体間の対立,ある
いは混乱を回避するために両者の役割,権限を明確に示し,また意思疎通
のために州と地方団体の双方の代表からなる「州・地方団体会議」
(Conferenza Regioni−Provincia e Comuni)といった恒常的な協議機関
が設置された(1)。
このように新地方制度法の制定は,総じて地方団体の自治力を強める一
方では,国の統制関与を緩和しようとした点で,その後の分権自治の拡大
を求める流れを加速したばかりか,同法に続いて行政手続法(90年法律
241号),公務員改革(93年立法命令29号,後法律537号),地方選挙法改
正(93年法律81号),そして94年財政法の制定に連動し,行政改革の波は
ついには90年代後半のバッサニーニ行政改革につながったといえる(2)。
②92年2月に突発した大疑獄事件は,国民の間に第2次大戦後の共和
国憲法体制の根幹を揺るがすものと危機感を募らせたが,同時に政治家や
政党政治に対する激しい怒りと不信が広がった。
その直後に実施された総選挙で既成政党の立候補者の多数が落選し,ほ
ぼ70%の議席が新議員によって占められ,北部同盟を除く他のいずれの
政党も分裂,解散を余儀なくされた。94年多数代表制を主体とする新し
い選挙制度の下で総選挙が実施され (3),中道を軸に左右に再編された各
政党は,改革をめぐり選挙戦を競った。どの政党も州,地方への分権,自
治,連邦制度,中央官僚機構の改革を選挙綱領に掲げた。
政界を襲った大激震は,イタリアの権力構造のゆがみを象徴するものと
して語りつがれた「政党支配システム(partitocrazia)」を一挙に崩壊さ
せ,政権交代を予想させる左右2大政党政治の運営のための前提条件を用
意し,同時に安定した政府をいかに組織するかといった制度改革の議論を
促したのである。
③他方このような政党再編成の渦中に,ウンベルト・ボッシ(U.Bossi)
の率いる北部同盟は,92年4月の総選挙において下院55人,上院25人を
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当選させて一挙に全国政党第4位の政治勢力となった。明らかにそれは,
大疑獄事件に対する厳しい有権者の批判,抗議によるものであった。北部
同盟の起源は,80年代後半に北イ一帯に広がった多くの市民運動に求め
られるが,その背景にはこの時期に深刻化した地域経済の衰退があった。
90年はじめこれら市民運動はボッシの指導する北部同盟に糾合されてい
く(4)。
重要な点は,北部同盟の台頭もさることながら,イタリアの連邦化ある
いは北部の分離独立を強調するボッシの主張であった(5)。彼の連邦論は,
既成政党による利権政治あるいはローマへの権力集中,官僚政治,南部重
視の不公平な財政政策に対する強い批判に基いており,地域の政治に目覚
めた北部有権者の声を代弁した。92年の総選挙で勢力を急伸させた後,
ボッシの連邦論は,政界のみならず有権者に賛否を含めて多大な影響を与
え,97年の両院合同委員会における憲法改正の議論の中でも主要なテー
マとなっていく。
さらに大規模な行政改革の背景に,EUの動向,そしてガバナンス論の
浸透などを挙げることができよう。④EUの動向については,90年代に限
っても,例えば91年の各国の州政府代表からなるEU 「州委員会」の創設,
翌92年マースリフト 政治条約の締結,96−98年のブラッセル経済・統一
通貨協定の締結などを契機に,EU政府の政策決定に参加する機会が増え
たとはいえ,イタリア政府は国内政策に対する公的介入のいくつかの権限
を失った。反面開発政策の推進や構造基金の運営について当事者となる地
方政府の役割を高めた。しかしとりわけ行財政改革(95年赤字GDP123%)
や農業,関税,道路などの特定問題をはじめ,多くの分野の政策決定,官
僚機構とその運営について中央政府とEUとの関係は,圧力,影響あるい
は協同を含めてもはや無視できないほど決定的に進展した(6)。
④さらに政府の政策決定を正当化するものとして,公的諸組織の管理と
能率向上を目指すいわゆる“ガバナンス論”の浸透についても触れるべき
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であろう。グローバル化の進展が民間企業体にあらためてガバナンスの重
要性に目を向けさせ,ひいては中央,地方の各政府活動の場にも影響を与
えたといえる。ちなみに西欧諸国の自治体のケースを中心にこの問題を扱
っているピータ・ジョン(P.John)は,次のようにガバナンス論の特徴を,
1)制度改革,2)新しいネットワークの形成,3)新たな政策誘導,4)
調整と責任への応答の4点にまとめている (7)。これらに共通する基本理
念は,地方のすべての政府レベルにおける既存の組織の改革,とりわけ政
策決定者の責任とリーダシップの重視,公共問題の解決のための公私を越
える水平的な国内のみならず,
国際的な広がりを持つネットワークの構築,
計画事業などに対する地方あるいは州(地域)独自の改革と政策能力の開
発の促進,複雑化,大規模化する政策ネットワークの増殖に由来する調整
と管理,統制と責任の矛盾への対処などの問題群が指摘されている。この
ようなガバナンスの理念がバッサニーニ行政改革の中にどれほど浸透して
いるのか,その実態は見極めがたいが,少なくとも大疑獄事件以後各地方
政府レベルに導入された執行部強化(市長,県参事会議長,州知事の直接
選挙),あるいは都市マネージャ制度の導入などは,こうしたガバナンス
論の浸透と無縁ではないであろう。
90年代後半バッサニーニ法による州制度の改革を促進したものとして,
以上のようないくつかの要因をあげたが,単に州制度の改革にとどまらず,
中央,地方政府の構造全体にまで及ぶ大規模な改革を目指したのは,これ
らの諸要因が相互に密接に関連したためもあるが,なかんずく改革を促し
た決定的要因は,90年代初頭からこの国が政治,経済財政そして社会全
体にまで及ぶいわば国家的危機にいやおうなく対応しなければならなかっ
た事実を無視できないであろう(8)。
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注
(1) 新地方制度法142号については,cfr., L..Vandelli, Il governo locale, 2000, pp.96100
彼は,新地方制度法(Legge, Nuovo ordinamento locale.n. 142)の成立を契機
に,制度改革過程への地方団体の参加の機会が増大したと述べる。なお,ピツル
ツエッラ(Pitruzella)は,「新地方制度法の成立により,権力が市町村(コムー
ネ)と県の議会から執行部へ,政治組織(政党)から行政へ,自治体政府の組織
から外部機関(公共サービスの運営に責任を負う主要な地方公営企業)へ,また
地方から個々の市民もしくは市民グループへ移動した」といった見方を示す。
cfr. “I poteri locali,”in Stato dell’ Italia,(a cura di P.Gingsborg)
, 1994
(2) E.Cheli, La riforma mancata, 2000, pp.98-100
(3) 94年3月総選挙は,戦後採用された比例代表制度を改め,多数決制(75%)と
比例代表(25%)との混合制度の下で初めて実施された。
(4) 北部同盟については,差し当たり以下を参照。
R, Mannheimer(a cura di), La lega Lonbarda, 1991。Istituto di Studi
Economici e Sociali, Dentro la Lega. 1994。“R, Leonardo e M. Kovacs,
L’irresistibile ascesa della Lega nord”
, in Politica in Italia(ed.1993)
ボッシが影響を受けたといわれるミリオ(Miglio)教授の連邦主義については
次を参照。
(5) G. Miglio e A.Barbera, Federalismo e secessione(un dialogo), 1997。一方政
治学者のG.Pasquinoは,批判的な立場から,ミリオの連邦論はむしろ単純だとす
る。
(6) マースリフト条約とイタリアについては,Cfr,“P.Daniels, L’ italia e il
trattato di Maastricht”
, in Politica in Italia(ed.1993)
。EUとイタリアについて
は,“Europeanization and Italy”
, in Special issues on Europeanization and the
Southern periphery(South European Society & Politics, Vol.5, n/2,2000)
pp.25-72.
及びP.S.Graglia, L’Unione europea, 2000。さらに最近のEU政府の地域政策に
ついては,例えば次を参照。G.Viesti/F. Porta, Le politiche regionali dell’
Unione Europea, 2004..
(7) P.John, Local governance in Western Europe ,pp.15-16。ただイタリアの学会
でどれだけガバナンス論が正面から論議されたかは不明。一般的には90年代西欧
諸国に広まったガバナンス論には,特に財政危機への対応,公的組織の生産性,
能率,そして質の向上という問題が背景にあり,イタリアも,深刻な財政赤字と
地方政府の非能率,不安定に悩まされていた。
(8) A.Barbera, Una riforma per la Repubblica, 1991 p.256
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2)バッサニーニ改革;その内実と特徴
1.内実
96年6月発足したプローディ(Prodi)新政府に,かつて70年代後半に
行われた第2次州制度化の推進者として州担当省次官(Capo di Gabinetto
del Ministero delle Regioni)に就任した経歴に加えて,公法学者として
地方自治とりわけ州問題に深い知識を持つフランコ・バッサニーニ
(F.Bassanini)が,公共職能相として入閣したことは,新政府が大規模な
行政改革に本格的に取り組むことを示すものと大方に受け取られた。折か
らマースリフト条約締結の承認期限が迫り,また「北部同盟」の連邦独立
論が人々の耳目を集める中で,いくつかの改革法案が,次々と国会に提出
された。
先ず分権化と行政改革の実行に必要な法律の中で最も重要で,基本的と
される「行政改革と行政簡素化のための州および地方団体への職能と任務
の委譲」と題する法律59号(以後バッサニーニ法1と呼ぶ)が,97年3
月に公布され,続いて同年5月には「行政慣行および決定と管理の簡素化
のための緊急措置」と名つけた法律127号(バッサニーニ法2)が公布さ
れた。
バッサニーニ法1は,全体で4章,22条に及び,中央省庁の改革とス
リム化,公務員改革,公的機関の民営化,さらには地方の発展を目的とす
る大規模な分権化を実行するための基本原則を示すことによって,中央・
地方関係の抜本的な再編を狙ったきわめて野心的な改革法であった。
そのような基本原則とは,具体的には分権改革について3つの基準を求
めるものであった。すなわち,1)現行憲法に基いて国の責任とされる権
限を除くあらゆる行政職能を3年以内に州および地方団体に移譲し,憲法
117条に定める州立法権に対する国の関与,統制権をあらため,中央政府
機構の再編,合理化を図り,様々な規制を緩和する。2)州,県,市町村
への分権は,補完性原理(sussidarieta’),適合性(adeguatezza),そし
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て効率性(efficenza)に基いて行う。3)委任された職能の能率を維持す
るために必要な法律の承認を州に委任する。そして州及び地方団体の要求
を恒常的な国と州,地方団体との協議機関をもうけて国の政策に反映させ
る(1)。
後者の法律127号(バッサニーニ法2)によって,多くの行政手続きの
簡素化,中でも公行政と市民の関係,例えば証明手続き(団体設立,戸籍,
住民票,集会への参加など)の簡素化を規定する一方,自治体政府におけ
る執行部重視が明記された。具体的には人事,職務,組織計画に関する権
限を自治体の参事会にゆだね,中央統制委員会による国の監督権の緩和,
政府職員の労働時間の変更,中央政府職員の身分を持つ市町村・県の書記
職(segretaria comunale, provinciale)の廃止,また業務の能率増進を目
的とする市町村および県における事務長職(direttore generale)の創設
が規定された。また職業訓練のための法的団体の設立及び規制の改正,さ
らに大学の新設もしくは改革,そして運営(教育)に関する文部省規制の
緩和など,緊急で,具体的な改革対象と方法が新たに定められた(2)。
次いでいくつかの分権と政府組織の再編にかかわる委任立法が,バッサ
ニーニ法1の実施のための補完法として公布された。それらは,①農林,
狩猟及び漁業に関する権限の州・地方団体への委譲,農林省の廃止,農業
政策省の新設(97年6月第143号),②国・州会議の権限拡大,国・市町
村会議との統一会議の開催(97年8月28号),③地方公共運輸の権限の
州・地方団体への委任(97年11月422号),④労働市場の権限の州・地方
団体への委任(97年12月469号)などの委任立法で,(3)従来基本的に国の
権限に属するものであった。
その後98年3月委任命令112号が公布され,バッサニーニ改革のための
骨格がほぼ整うことになる。この委任命令112号は,全文164条からなり,
これによって経済発展と生産活動,地域,環境,公共施設,人的および社
会サービス,そして地方警察といった重要な国の職能を州・地方団体に委
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譲する法的根拠が準備された(4)。
ちなみにこの委任命令112号について,行政法学者のファルコン
(Falcon)教授は,70年代の第2次州分権に決定的な役割を果たした法律
382号の実施命令616号を越えるものとしてその意義を指摘したが(5),ギ
ルバートもまた,その重要性においてバッサニーニ法1の単なる実施命令
にとどまらないとした。彼によれば,委任命令112号の準備段階において
中央官僚と州・地方代表との間に激しい交渉が交わされて成案を得たとい
う。またこうした改革の準備段階において市町村,県及び山間地市町村の
各利益団体が参加し,多くの代替案(約300)がこれらの団体によって提
出され,そのうち170が最終案に取り入れられたという(6)。
さらに98年6月法律191号(バッサニーニ法3),そして99年3月法律
50号(バッサニーニ法4)が公布されたが,これらのうちバッサニーニ
法3は上記2つの法律の修正と補足を目的とし,バッサニーニ法4は,前
記の法律59号の実施命令112号の修正,統合のための法律となっている。
以上のようにバッサニーニ改革のための主要な法律が議会で次々と制
定,公布されたが,前記の主要法規を主体に,やがて最終的には約53本
を越える委任命令,関連する諸規則(36本),省令(29本),首相命令
(Dpcm,15本),さらに162に上る通達,指令などが用意された(7)。こう
した多くの法規群によってバッサニーニ改革は推進された。
一方このように複雑で広範にわたるバッサニーニ改革関連諸法規は次の
ようないくつかの柱(対象)にまとめることができる。依拠した資料は,
当時政府内に設置されたバッサニーニ改革実施委員会が,改革全体の進行
をチェックする役割を果たす議会諮問委員会(Commissione parlamentare
consultiva)に提出した報告書に基いている(8)。
<表1>
1 行政的分権
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1)移譲する国の行政職能の特定化
2)州における移譲された職能の区分
3)財源及び人の移転
2 中央行政機構の改革
1)内閣府・省庁の改革
2)国の公的団体の再編
3)監視のメカニズムとコスト評価
4)大学,科学研究分野の再編
5)訂正命令
3 公務員の改革
4 簡素化
5 学校の自治
<表1>によれば,改革の内実は,学校の自治まで含むほど極めて広範
に及び,かつ大規模なものとなっていること,しかし全体的には,分権化,
中央政府の再編,公務員制度の改革そして簡素化の4つが改革の中心をな
していること,またこれら4者は,分権改革計画において一体なものと位
置つけられていることを知りうるであろう (9)。それではバッサニーニ法
にはどのような特徴が見られるであろうか,次にその点を観察しておきた
い。
2.特徴
バッサニーニ改革は,大規模で,広範にわたり,複雑な内容を含んでい
たが,同時にこれまでなかったいくつかの特徴が見られたとされる。
先ず第1の特徴は,すでに述べたように現行共和国憲法の枠組みを変え
ることなく,最大限に生かして,改革の成果を最大に挙げることを基本目
標にしたことである。言い換えればこれまでなお実現されなかった憲法に
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規定する分権自治を十分達成することが目標とされた。このことを行政学
者のバンデッリ(Vandelli)は,中央政府の権限と任務を州,地方に移譲
するに当たり,対象とする範囲の基準,質,量を徹底的に見直した点でイ
タリア行政史上類を見ない改革であると書く(10)。これを推進した中道左
派政府も,改革を行政的連邦主義(federalismo amministrativo)と称し
て改革の内実を特長つけようとした。
第2に,行政機構の再編成と分権化を直結させ,一体的に改革を推進す
るために改革に直接かかわった主要なアクターの多くが,例えば第2次州
制度化の場合には,政党,議会が重要な役割を果たしたのに対して,今回
は政府のみならず,政党,議会そして地方団体(州,自治体)も,それぞ
れ重要なアクターとしてその役割を分担した。議会は,実施計画段階にお
いて政府の改革委員会によって6ヶ月ごとに提出された報告書を議会諮問
委員会おいて,専門家を交えて検討し,意見を述べ,問題点を指摘した。
そして政府は,バッサニーニ公共職能相のもとに,改革推進グループを結
成し,法案起草段階のみならず,議会の委任立法の承認過程においても中
心的な役割を果たし,予算案もこれと連動する形で議会に提出された。こ
うした政府の行動様式は,ひとえに決定過程を早め,議会の承認を促進す
るためであったという。さらに当時首相命令により,国,州,自治体代表
からなる「統一会議」が設置されたことも大きい。こうして地方利益団体
(Anci, Upi, Uncem)の代表者たちも,
「統一会議」を通じていわゆる下か
らの意見,要求を改革過程に反映させることが可能になった(11)。
第3の特徴として,政府が推進したかつてないほど広範囲に及んだ委任
立法による分権改革手法をあげることができる。そのため上院では3000
に上る修正動議が野党から提出されたが,しかし政府は,与党との緊密な
連携を最後まで維持して20年ぶりの第3次州制度化あるいは大規模な行
政改革に必要な諸法規を準備することに成功したとされる。バルディは,
中でもバッサニーニ州担当及び公共職能相の果たした役割について次のよ
126
うに記述している。
「バッサニーニ公共職能相は,分権にかかわるすべての省庁の多くのア
クター間の接点,あるいは分権過程全体のディレクターとしての役割を果
たした。例えば地方自治団体と直接関係する問題,各省庁間の調整または
議会委員会への法案の提出といった策定過程において求められる細部の事
項への対応は,バッサニーニの圧倒的なリーダシップのもとで実行され
た。
」(12)
第4の特徴は,中央・地方関係のあり方に新しい原理や理念が改革過程
に導入されたことである。それらは全部で10点を数えるが,なかんずく
①国と州・地方団体間の権限配分の基準を改め,②立法と執行の両機能の
並行原理を変更し,③補完性,及び④差異化の原則を導入し,⑤コスト削
減と能率の確保を目指した点などが重要であろう。以下にそれらを概略す
る(13)。
最初の①権限分割基準を改めたことについて(14)。48年イタリア共和国
憲法は,列挙した特定権限を州及び地方団体に分権化することを規定し,
その他の権限は国に属するとしたのに対して,97年法律第59号(バッサ
ニーニ法1)は,先ず国に属する権限を列挙し,次いで残余のすべての行
政職能を州および地方団体に移譲することを定めている。ちなみに国の権
限として列挙された対象は,例えば外交,EU 関係,防衛,国と教会,文
化財保護,戸籍簿の管理,市民権,通貨,関税,裁判,郵政,社会保障,
治安,学術研究・学校,労働が含まれた。このように従来の中央・地方間
の権限分割方法を改め,行政職能の執行を国ではなく,州,地方団体に委
ねた点も行政的連邦主義によるものとされた。
②の並行主義〔parallelismo〕の転換について。①の問題と関連するが,
国は,
立法権と行政権は常に対応するといった解釈を従来優先させてきた。
したがってこうした並行主義に依拠する場合には,州は固有の立法権を有
する事項についてのみ行政を行うものとされた。
しかしバッサニーニ法は,
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
127
国が立法権を有する事項についても州が行政を執行しうることを認めた。
こうした州の権限をめぐる解釈の転換は,州の役割と地位を著しく強める
ことになり,地方団体に対して直接立法権のない事項についても,州は実
施規定を制定して権限の移転を行うことを可能にした(15)。
ちなみに並行主義の転換について議会合同諮問委員会に提出された報告
書には次のような記述がある。「やや大げさな印象を与えるが,〔並行主
義の転換は〕強度に集権的なフランス型のモデルから,地方〔地域〕レベ
ルにおけるすべての行政が,州(Laender) によって行われ,他方中央
国家(il Bund)は中央レベルにおいてのみ固有の行政を執行するドイ
ツ・モデルへ,われわれは移行しつつあるかに見える。
」(16)
③の補完性の原則について。すでに日本でも流布しているが,ベルディ
は,次のように述べる。「それは多様な意味と起源があるが,共通性を探
るとすれば,それぞれの地域レベルにおける各政府間の相互の関係性を示
しつつ,上位の政府が果たすべき行為を下位の政府が代替することを可能
にした点である。一方そうした政府間の垂直的関係のみならず,水平的関
(17)
係にも今日適用される事例が増えている。」
90年の新地方制度法において,市町村を地域と住民がかかわる一般的
な行政事務の受託機関として認めた点ですでに補完性の原則が一部取り入
れられたとされたが,今回のバッサニーニ法は,この点垂直的な関係のみ
ならず,水平的な関係をも規定した。すなわち非地域的な目的を果たすた
めに住民により近い政府に一般的な行政機能を委任する場合,上位政府が
介入することを認める一方,サービスの提供者を身近な地方政府のみなら
ず,家族やボランタリーにも広げる原則を明確にした。この点も中道左派
の目指す行政的連邦主義と無関係ではないだろう。
④差異化の原則について。バッサニーニ法は,例えば行政機能を移譲す
る場合に,移譲される側(州,自治体)の組織,人口,地域の規模などの
特性に応じてあらかじめ差異を儲け,また国,州,地方団体間の合議機関
128
を通じて,関係する自治体の意見をあらかじめ実施過程に柔軟に反映させ
るために協働の原則(cooperazione)を導入した(18)。
(⑤コストの削減と能率の確保について。バッサニーニ法によって行政
組織の運営にコストや能率といった基準が導入され,このためモニター制
度がとりいれられた。
⑥さらに改革過程における手続きの周到さにも触れるべきであろう。例
えば国から州もしくは自治体への権限・責任を委任,あるいは移譲する場
合,あらかじめ期限を定め,行動計画を具体的に準備した上で,実施段階
に入るといった方式が取り入れられ,また組織の統廃合後における新設,
重複は不可とされた。事実当初9ヶ月以内に法的面の準備を整え,さらに
実行計画表に基き3年間に必要な改革措置をとった上で,2000年末に実
施に入るものとされた(19)。
3)実行計画
実行計画とは,前掲の<表1>に掲げる個々の対象について用意された
改革のための共同作業計画(l’opera di concertazione)と考えたい。上述
のように,改革のための準備期限は2000年末とされていたが,先ず改革
作業を開始するに当たり,政府によって特別監督官〔Commissario
straordinario〕が任命され,改革の全過程の推進者としての責任を与えら
れ,その後細分化された国の行政組織,そして州・自治体間あるいは各自
治体間の対立,相違を克服し,改革作業の一貫性を確保するための不可欠
な存在となる。
そしてあらかじめ統一会議において,すべての政府レベルの一致した同
意により「協定書」が作成され,これを出発点として分権のための多くの
アクターの共同作業が開始された。アクターは,関係する国,州,県,市
町村,国庫会計監査庁,内務省,管轄の公共土木省,財務省などである。
こうしたアクターの技術的な共同作業は,あくまでも統一会議の「協定書」
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
129
に基いて結論に至るといった方式がとられ,さらに内閣府,国庫省,内務
省,財務省によって,全体的枠組みの中で,関係する国,州,自治体の各
政府が活動しうるような一つの協力システムに転換する作業が行われた。
ロイエーロは,この過程を,行政連邦主義的方法と位置つけている(20)。
それでは前置きはこの辺にとどめて,改革の実行過程をいくつかの実例
によって観察する。ここでは差し当たり改革の主要対象である,分権,中
央政府機構の再編,そして簡素化の3つを中心に取り上げる。なお公務員
制度の改革,学校の自治についても若干触れた。
3)
−1 分権過程について
分権は,いうまでもなくバッサニーニ改革の最優先の課題であり,上述
のように国から州,地方団体への移転・委譲をどのような方法で,いかな
る対象を,またどの範囲で具体的に実施するかが重要であるが,この点<表
1>に見られるように委譲の作業は,
ほぼ3つの局面を経て順次行われた。
最初(a-1)は,国の保持する職能(権限)を除き,すべての行政職能
を国から直接15の普通州に移譲する局面である(20)。上述のように政府は,
移譲計画を3年以内に,つまり2000年末までに完了するものと定めた。
中央から州に移譲される分野は,①いくつかの委任立法に基く特定分野の
職能〔労働市場,公共運輸,農業〕,②実施法112号に定める生産活動,
環境,人,社会サービスに関する職能の移譲であった(<表3>を参照)
。
ただ分権の作業に入るとすぐ15の普通州が短期間に職能の受け入れを完
了することが困難であることが明らかになった。それは,受け入れ側の州,
そして委譲する側の中央政府のいずれにとっても,移譲の対象が経済活動
と関連し,複雑な利害関係を含んでいたことによる(21)。
次の(a-2)は,間接的な移譲ともいうべき局面である。それは,国か
ら州に移譲された上記の職能(実施法112号による)について,それを州
の職能・責任とするか,あるいは州法に基いてさらに県,地方団体へ移譲
130
するべきかを選択,決定する過程である。この場合州政府によって州レベ
ルで統一的に移譲を行うことを原則とし,もし予定した3年以内に実施さ
れない場合は,州の権限を代行する委任命令によって政府が直接介入する
こととされた。しかしこの作業については,実際のところ個々の州の固有
の事情とも重なり,各州間にばらつきが見られ,2000年11月の統一会議
までに決定を終えた州は10州にとどまったという(22)。
分権過程の最後(a-3)は,財源,人,そして組織といったリソースを
国から州,地方団体へ移譲する局面であり,実質的に分権の成否を左右す
るほどきわめて重要な過程であり,そのため最終局面まで決定が遅れた。
こここでは財源,人について触れた。
先ず(a-3-1)財源委譲について。例えばバッサニーニ法の実施法112号
における権限の移譲については,財政面から慎重な配慮がなされた。すな
わち99年いわゆる財政連邦主義(federalismo fisicale)に基く新しい財政
法133号が制定され(23),州・地方団体の自主財源確保の方向が用意された
ものの,なお多くの困難が予想されたため,首相命令(DPCM)に基き,
国,州,地方団体首長による統一会議において財源区分をどのように行う
かをあらかじめ協議し,その結果最終的な財源の移譲期限は2000年12月
末と決定された経緯がある。
したがって予想される財源移譲のための全過程(a-3-1)は,先ず①中
央政府における州・地方団体への財源特定,②州と地方団体間,及び各地
方団体間の財源配分,そして③15の普通州への特別財源配分の3段階と
された。発足後の初年度2001年の財源配分は所得税を当て,翌年度2002
年から州に対しては所得税に付加価値税収入,そして市町村には所得税収
入が財源として配分されることが予定された。財源移譲の最終予定は,<表
2・3>に示した。
次に(a-3-2)人の移転については,最終段階の2000年11月の統一会議
を超えて同年末においても最終決定にいたらなかった。人の移転もしくは
131
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
移動については,対象となる職種,人数,管轄権の問題など様々な面で困
難があったからだ。ただ112号に定める対象については,すでに政府,州,
地方団体そして労働組合代表による合同会議がもたれ,そこで移転の手続
き・基準に関する協議規定が承認され,これを受けて首相命令(DPCM)
が発せられた。なお移譲される職能にそう人の移転ついては州側にも特別
の法的手続きが必要とされた。第112号に定める生産活動など特定分野の
人の移転については,同様<表2>においてその実数2万2000人となっ
<表2>普通州、地方団体への財源、人の移転総数(2001−2002年)
財源〔単位10億リラ〕
委任命令98年112号
財源(初年度) 財源(次年度)
人 数
生産活動
1.475,30
6.796,40
97
地域、環境、インフラ
3.799,40
8.796,90
9.831
人、社会サービス
労働市場〔委任命令97年469号〕
地方公共運輸〔委任命令97年422号〕
農業〔委任命令97年143号〕
総 計
755,10
1.249
353,00
6.030
3.683,00
30
638,70
10.704,50
5.300
15.593,30
22.537
<表3>委譲財源の普通州、地方団体間の配分比率のシステム
財源〔単位100万リラ〕
委任命令98年112号
州
県
市町村
計
生産活動
1.242.636
2.315
36 1.244.987
地域、環境、インフラ
1.801.219 1.265.726
87.347 3.154.292
人、社会サービス
581.414
労働市場〔委任命令97年469号〕
353.000
353.000
3.683.000
3.683.000
638.700
638.700
地方公共運輸〔委任命令97年422号〕
農業〔委任命令97年143号〕
総 計
92,257
53,589
727.260
8.299.969 1.360.298 140.972 9.801.239
(出所)Relazione semestra sullo stato delle riforme previste dalla legge 15 marzo
1997, N.59, Doc, XVI-bis, n.13(Commissione parlamentare consultiva in ordine all’
attuazione
della riforma amministrativa ai sensi della legge15 marzo 1997, N.59), pp.18-9。これに基づい
てその後2013年までの財源配分表が作成されたという。
132
<表4> 人の移転;普通州
州
移転者数
ピエモンテ
872
ロンバルディア
119
ベネト
931
リグーリア
412
エミリア・ロマーニャ
865
トスカーナ
974
マルケ
426
ウンブリア
ラツィオ
336
1185
アブルツォ
549
モリーゼ
238
カンパーニャ
1525
バジリカータ
407
プーリア
1104
(出所)Presidenza del Consiglio
ている(24)。ただし各州移転の人数については<表4>に示した。
3)
−2 中央行政機構の改革
バッサニーニ改革を推進するためには,分権と呼応して,中央政府機構
の再編が不可欠とされた。そのためバッサニーニ法1は,内閣府,中央各
省庁の統廃合のみならず,福祉や社会保障分野以外の公的団体や国の管理
する経済団体等にも改革を実施することを定めた。さらに公行政の活動結
果・コストの評価監視機構,国による科学技術調査部門の発展のための直
接介入手段にも改革が求められた。具体的にいえば,先ず内閣府の改組,
各省庁の統廃合,国立大学の改革,国の研究調査機関の見直し,各種公共
団体,国のモニター制度の刷新,公務員制度の改革,そして国の地方出先
機関の再編など極めて広範囲に及んだ。
それでは次に改革と直接関連する中央政府組織の再編,公務員制度の改
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
133
革,そして簡素化の問題を中心に検討して見よう。(ただし議会諮問委員
会に提出された資料を使用したので,その後の推移によって異なる面があ
るかもしれない。)
先ず中央政府組織の改革について。バッサニーニ法1に基き政府は,
「中央行政機構,独立組織のみならず,内閣府(Presidenza del Consiglio
dei ministri)を合理化するために」委任立法の制定を求められた。合理
化の対象は,大別して次の3つの分野に向けられた(25)。先ず中心的な問
題は,なかんずく急激に変化する内外の諸状況に即応するために,①戦略
的に一貫性のある指導力,インパクト,柔軟な調整能力を持つ内閣府に改
革すること,②次に時代に適合しなくなり,細分化された個々の政府組織
の再編・縮小,つまり省庁間の統合・合併もしくは廃止を進めることであ
った。③最後に,戦前から維持された内務省派遣の県知事の役割あるいは
地方出先機関の見直しである。なかでも当面するバッサニーニ改革を推進
するために必要な調整役あるいは先導役となる内閣府の改革は,特別の意
味を持っていたはずである。
この点当初政府内部には未だ改革よりは既存の組織と地位を擁護しよう
とする意識が強かったが,1998年7月30日付「中央行政機構の改革」に
関する委任命令303号が交付され,これによってようやく内閣府の組織再
編と新しい予算運営計画が実施されることになった。改革は,内閣府にふ
さわしく,固有の機能を明確化し,同一もしくは類似した行政部門を統合
し,行政機構全体の柔軟性と機動性を最大に促進するのに必要な組織面と
機能面の準則を確定することによって実施されるものとされた。このため
に先ず政府の閣僚ポストが,18から12に再編された。うち外務,内務,
文化財,法務,そして農業政策の6省には触れず,他の12省が分野別に
統合,半減された。翌年4月に発表された最初の再編計画案は,時間を要
し,また相当な荒業が必要とされたと思われる(26)。
次いで中央省庁の改革に関する命令303号が,前記の内閣府の改革命令
134
300号と同日に公布された。省庁組織の再編については,一つは広い範囲
の職能にとどまらず,組織,人事そして財政運営についても権限を保持し,
各職能間の協同を妨げるような組織の肥大化を生みやすい部局モデル
(dipartimento)を減らす一方で,大臣の直接指導と行政活動の調整を期
待しうる部門型(divisione)を重視する二つの方向がとられ,人事は,12
の各省庁にわたり,移動を容易にするために単一の職能ごとにまとめられ
た。
他方改革は,多極中心主義型といえる方向にむかい,部門の職能を技術
面と運営面に区分して,等しく1人の総務長(direttore generale),1委
員会をもって組織する12の機関(agenzia)(そのうち6は法人格を持つ)
に委ねる案が提案された。それは一定範囲内で,能率的で,より運営しや
すい多数の小組織を形成する点で,一般にイギリス・モデルと称される方
式に近いタイプである。国は部門型の組織を捨てて,より簡素で,柔軟な
組織を取り入れる方向を選択したことになる。しかし2001年から実施に
入るべきこれらの機関は,例えば特許,人権保護,財務,産業,防衛とい
った各機関は設置されたものの,組織の編成も人的構成も,また職能の移
転も終わらなかった(27)。
最後に政府の改革は,国の地方出先機関の統合である。すなわち県庁を
政府の地域事務所にあらため,州首都所在地の県知事(prefetto)を政府
監督官として認めるといった方向がとられた(28)。
3)
−3 公務員制度の改革(29)
バッサニーニ法1は,93年以後実施されたいくつかの公務員改革に関
する命令を修正した委任命令の制定を政府に求めた。実施の時期は数度変
更されて,ようやく98年9月までに2つの委任命令が公布され,公務員
制度の改革に着手した。その1は,97年11月委任命令「公務員契約関係」
396号,他は98年3月「公行政組織における労働関係,労働争議及び行政
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
135
管理権」に関する委任命令80号であった。前者の委任命令396号は,公務
員の団体契約のレベル,手続き及び財政措置を規定するもので,具体的に
は公行政の代表が当該会議に対して提案権を行使する手続きを特定するこ
とによって,公行政代表者協議会(ARAN)の再編と強化が図られた。
要するに当該命令によって,(公務員)労働組合の権利を認め,団体契約
(権)を行使する基準を組合代表者会議が決定することを定めたのである。
後者の委任命令80号は,93年委任命令29号によって着手された公務員
関係の契約過程を最終的に完了させた。すなわち当該命令は,裁判官,弁
護士及び検事,軍人,さらに外交官,県知事,大学教授を除く公的機関の
役職者に対しても,民間の労働関係を適応することを定め,しかも役職者
について「管理的役割」が著しく強化された。すなわち総括役職者は,当
該組織の追求する目的に即して決定される経常予算を運営し,かつ組織全
体を統括する権限を与えられるなど,全面的に責任を負うことになり,所
定の目的を達成するために必要なリソースを十分与えられ,もし失敗した
場合には,全体的に責任を負うものとされた。こうした「管理的役割」の
強化の流れは,90年代行政,政治の領域に急速に浸透した。
さらに国の役職者は,地方団体のそれと同様に,期間を定めて職務に就
く原則が適応され,期限に達した場合には,本人の組織運営の実績に照ら
して職務を継続するか,罷免されるものとされた。なお各省総務長もしく
は各部局の長といった高位の役職者については,政府の信任投票から90
日以内に職務を継続するか罷免されるかが決定された。
最後に監督面について委任命令80号は,規定を大きく改め,公的サー
ヴィス,都市計画及び建築関連の事項についての排他的権限を行政裁判官
に委ねるとした。
なお公務員改革については,上述のように当初契約関係の問題が中心で
あったが,その後は国内のみならず,EUとの関連も視野に入れて問題が
検討されるようになった。
136
(30)
3)
−4 簡素化(semplificazione)
バッサニーニ法1によって改革の第3の柱と位置つけられた簡素化の主
題は,行政活動の簡素化と行政と市民との関係の簡素化の2点に要約され
た。そうした意味での簡素化は,すでに90年法律241号によって着手され,
さらに93年法律537号に引き継がれていた。しかしその後バッサニーニ法
1の付表に掲げられた112の項目が行政手続きの簡素化の対象となった。
行政手続きの簡素化に着手するに当たり,先ず時代を重ねるうちに積み上
げられた古い各種法律を刷新する目的によって,簡素化を行うための原則
があらかじめ定められた。例えば手続きの数及び手続きに参加する行政組
織の数の削減,手続きの完了期間の短縮,行政手続きの数の削減,同一活
動に関連する複数の手続きの統合,支出・経理手続きの迅速化,法律の定
める目的を結果として満たさない手続きの廃止,行政と市民にとって実現
した便益を超える過大な経費を要した手続きの廃止などであった。
1998年9月政府は,「簡素化法:行政手続きに関する規則の統廃合
(Delegificazione e codificazione di norme concernenti procedimenti
amministrativi;legge di semplificazione 1998)と題する法案を上院に提
出する一方では,特に大学制度の発展と計画に関する規則,全国大学学生
評議会規則,大学寄付規則,学位承認手続き規則などいくつかの法令を,
大統領令に基いて公布し,簡素化の実施を始めた。その他国有財産の委
託・管理手続きの簡素化,火災予防,学校職員の休・退職手続きの簡素化,
食品添加物の生産・販売・保管に関する認可手続きの簡素化,電気エネル
ギーの生産工場の建設・稼動に関する認可手続きの簡素化など,簡素化に
関連する個々の法令が,97,8年にかけて首相命令に基いて公布された。
しかし政府の目指した上述の112例に及ぶ簡素化の対象は,98年12月議
会諮問委員会へ提出された報告によれば,その実現が容易でないことが明
らかにされた。その理由は,多大の労力を要し,またそうした作業をこな
す人材が不足していたからで,結局簡素化には,「リソース」が必要であ
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
137
った。この間,とりわけ生産活動と関連して承認手続きの簡素化を図る
措置が,98年実施法112号に基いて定められた。それは,生産工場の建設,
拡張,停止,再生に関する行政事務を市町村の窓口に一本化することを
定めたもので,企業に時間と負担を軽減させるためであり,州法によっ
て市町村に生産活動に関する権限を委譲した措置と対応するものであっ
たといえよう。
こうした経緯を経て1999年3月法律50号が制定された。同法によって
始めて,手続きの簡素化をより効率的に行うための手段と方法が導入さ
れた。刷新されたのは,統一法典〔testi unici〕の公布手続きについてで
あった。すなわち内閣は,政府の提出した報告書に基き議会が99年6月
までに決定する予定の方針に従って,法律50号に列挙された事例を規律
する法律や規則の改定計画を受け入れたのである。改定(riordino)は,
2001年12月以内に,単一の文書において(in un unico contesto)
,法律と
規則を含んだ類似した事例や部門に関する統一法典を制定して行うもの
とされた。なお統一法典を編纂する行為を規律する一般法が発効するま
で,政府は,法律50号に定める原則と基準にしたがうとされた。
これより以前,99年7月6日政府によって,法律と規則の改定計画を
実施するための報告書が議会に提出され,政治の場で議論されることに
なった。EUへの参加,すでに着手された分権化と民営化,さらには国際
社会における競争力といった観点から,規制改定政策の必要が政治家に
よっても認識されたことが示された。こうして政府と議会との間に,規
制改定作業を安定的かつ適時に実施することが制度的に合意されたので
ある。2000年8月,新地方制度法142号とバッサニーニ法の州にかかわる
規定を統合した法律268号「地方団体組織に関する諸法の統一法典」が制
定されたが,法律統合に着手し始めた中での一例かもしれない。しかし
地方(州)における簡素化については,実行計画期限が過ぎた2002年ご
ろ一部の州において簡素化のための州法制定の動きがようやく見られた
138
ようである(31)。
3)
−5 自治:学校の自治
バッサニーニ法1は,学校及び教育施設にたいして自治権を委譲するこ
とを定め,また学校施設に法人格を与えるための用件が法律によって定め
られたが,法人格の付与は,学校施設の組織,教育,調査における自治を
広げた。したがって,法人格と自治権を取得した学校施設の長は,管理職
者の資格を認知された。このような学校改革案を実施するために,政府は
二つの法律を制定した。一つは,98年7月「学校施設の最適規模と施設
の要員を定める規則」大統領令164号,他は,98年3月「自治権を持つ学
校施設における長の管理者の資格要件」委任命令9号であった。学校は,
拡大された自治権に基いて,カリキュラムの決定,教科書の選定,教師の
任免などについて自主的に決定することが可能になった(32)。しかし実際
に学校の自治が広がるためには,多くの制約を超えなければならないこと
が例えばギルバートの記述に多く見られる。
2000年11月13日国,州,地方団体代表からなる統一会議(Conferenza
unificata)が開催された。内閣府,国庫省,内務省,財務省を代表するメ
ンバーによって,あらかじめ検証された行政的連邦主義に基く分権改革の
ための最終実施案が,移譲財源,及び各州への人の移転計画案とともに統
一会議において審議され,全員一致で承認され,予定どうり2001年1月
から州,自治団体への分権を実施するための「協定書」が取り交わされた。
4)評価
バッサニーニ改革を評価する場合,当然多くの視点があり,その評価は
わかれる。なによりも実行段階に入った2001年以降すでに5年を経過し
ていることから,その間の事情も加えて検討しなければならないだろう。
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
139
しかし以下の評価は,おおむね2001年はじめ改革の準備を終えて,いよ
いよ実施段階に入る前後を一つの目安としたい。
ギルバートは,ほぼ97年の同時期に発足した議会の憲法改正両院合同
委員会の作業は失敗したが,バッサニーニ改革は成功したとする。彼は,
改革の内容,とくに補完性の原則に触れて,サービスの提供者を身近な政
府にのみならず,家族,ボランタリーにまで広げており,また簡素化によ
って,煩雑で無駄の多い役所仕事から市民生活が解放された点を世論,マ
スコミが歓迎したと述べている(33)。
しかし他方ではギルバートは次ぎのような意見も加えている。「97年3
月から1年の間に成立したバッサニーニ法と称する一連の法律は,あらゆ
るレベルの政府組織の再編成を促したが,しかし地方政府の改革が,連邦
制度に到達するほどの成果を得たわけではない。その権能と責任は著しく
増えたが,しかし州はリソースや財政面の自主性を同時に確保したのでは
なく,政策決定と実行能力をどれだけ充実しえたかにも懸念を抱いてい
る。
」とし,改革は連邦制度にいたる中間点にとどまったと結論つけた(34)。
もう一つ積極的に評価する例として,バッサニーニ改革が実施段階に入
った直後の2001年2月に開かれた 議会諮問委員会において,ヴィオラン
テ(L.Violante)下院議長は,バッサニーニ改革を総括的に評価して,次
のように述べた。「(99年の憲法改正による)州知事の直接選挙は,州政
府の安定をもたらし,立法の合理化(簡素化)によって,10に上る統一
法典化と数千の法律の廃棄を実現した。中央・地方に及ぶ国の行政組織の
改革,行政活動の簡素化は,4年間〔1996−2000年〕において証明書発
行数を7,100万件から3,100万件に減少させ,市民と企業に対して2000年の
1年間だけで20億2000万リラの節約を実現させた。市町村における企業
向けの窓口の開設は,全市町村の25%に達した。
」(35)
さらに中道左派のアマート政府〔2000−1年〕の州担当相に就いたロ
イエーロ(A.Loiero)上院議員は,その後自著の中で次のように書いた。
140
「分権は,中央政府の委任立法についても,また州法レベルにおいても十
分実現した。こうした分権によって,重要な行政活動が行われることにな
った。例えば第112号やその他の法律によって,全国道路網の60%,労働
市場,経済発展,企業促進,そして地域と環境問題にかかわる権限が地方
に移譲された。2000年11月の統一会議における「協定書」の締結によっ
(36)
て,このような分権の作業は終了した。
」
バッサニーニ行政改革についてこのような見方もある一方では,未解決
の問題に加えて,すでに実行過程においてさまざまな批判が起こった事実
も,ギルバート,ニュウイル,そしてフザーロらの報告によって知ること
ができる。
(詳細は省く)
本論でバッサニーニ改革の主要な対象として,分権,中央政府の構造改
革,そして簡素化の3例を挙げたが,一応成功したのは分権問題であり,
おそらく中央地方関係は今後確実に変化していくと予想される。その成功
の鍵の一つは,国,州,県そして市町村(コムーネ)が「統一会議」を通
じて改革の決定過程に平等に参加して当事者の意見をあらかじめ述べる機
会が設けられたことが大きかったように思われる。
3 結びに代えて
最後に,州そして連邦主義の二つの論点について触れる。ローマの
SVIMEZ(南部開発研究所)の研究グループは,バッサニーニ改革によっ
て州は「発展した州」となったが,連邦制に到達したわけではない。むし
ろ州は,州,自治体間の調整機能,つまりガバナンスの役割を果たすこと
になったとする(37)。バッサニーニ改革を通じて州は,道路,労働,経済
活動,そして環境といったそれまで国の権限下にあった重要な職能につい
て直接責任を持つことになった。97年以来財政連邦主義の導入によって
ほぼ50%に達する自主財源を手中にしたが,なお州財政は十分ではない。
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
141
分権が進んで住民の生活が直ちに向上するものでもなく,むしろ地域差が
拡大する懸念もある。また簡素化(民営化)によって腐敗がふえ,州の権
限下に入った環境対策などに逆に遅れが目立つならば,
住民の不信を招き,
官僚に抵抗の機会を与えることになろう。しかしこのような要因があって
もバッサニーニ改革によって州は,州改革の第3のステージに立ったとい
うことはできるだろう。
99年憲法改正による州知事直接選挙と執行部強化,そして2001年10月
レフェレンダムによる憲法第5章 州,自治体関連条文の改正は,ローマ
のCNR 研究機関のデジデーリ氏が言うように,バッサニーニ改革を正当
化する強力な力になった面もあろう。一方上述のようにバッサニーニ法の
一部はすでに2000年8月の改正地方自治法268号に統合された。
連邦制度については,バッサニーニ改革とほぼ同時期に発足した憲法改
正のための両院合同委員会においても議論が行われた。国家形態を巡って
連邦制の議論は,競争的と協力的の二つに収斂したという。いわゆるリベ
ラルとリバータリアンのイデオロギーの違いになぞらえれば,諸政党は中
道を軸に左右に割れた。中道右派は競争的連邦主義を,中道左派は協力的
連邦制を選択したという。(ちなみにバッサニーニ法の改革理念は,国民
すべてが平等に法により保障されること,すなわち平等な手続きによって
政府のサービスを享受する権利をもつ,また政府はこの目的を果たすため
に監視を行うというものであった。)
中道右派の主張は,自由競争による個々の州の活力を優先し,これに対
して中道左派は,地域間の協力を重視する立場を取る。このようにして議
会合同委員会における連邦制の議論はまとまらなかった。
しかし2001年5月総選挙で勝利した中道右派のベルルスコーニ政府は,
憲法第5章の改正条文に異論を唱え,再度中道右派色の強い憲法改正案を
議会に提出し,最近上下両院を通過した。その最終的な帰趨は,レフェレ
ンダムによるものと思われるが,なかでも上院を州代表によって構成する
142
憲法案によって,州はさらに第4のステージのことになるはずである。
注
(1) バッサニーニ法の制定については,多くの記述がある。主として以下を参照し
た。“B.Bardi, La politica di riforma del centro-periferia”, in Condannata al
successo?,(a cura di G.Di Palma/S.Fabbrini/G.Freddi), pp.113-151, “Mark
Girbert, Le Leggi Bassanini : una tappa intermedia nella riforma del governo
locale”
, in Politica in italia,(Edizione 99), pp.161-180, Agazio Loiero, Se il nord,
pp. 89 -120
(2) バッサニーニ法2(Legge 15 maggio 1997, n.127, Misure urgenti per lo
snellimento dell’ attivita’ amministrativa e dei procedimenti di decisione e di
controllo)は,全文17章138条からなり,より具体的な規定が多いのを特色とす
る。Cfr., Gazzetta Ufficiale. sabato 17maggio 1997, n.113
(3) ①Decre legislativo 4 giugno 1997, n.143(Conferimento alle regioni delle
funzioni amministrative in materia di agricoltura e pesce e riorganizazione
della amministrazione centrale)
②Decre legislativo 19 novembre 1997 n.422(Conferimento alle regioni ed
agli enti locali di funzioni in materia di trasporto pubblico locale, a norma all’
articolo 4, comma 4, della legge 15 marzo 1997, n.59)
③Decre legislativo 23 dicembre 1997, n.469(Conferinento alle regioni ed agli
enti locali funzioni e compiti in materia di mercato del lavoro,a norma dell’
articolo 1 della legge 15 marzo 1997 n.59)
④Decre legislativo31 marzo1998 n.114(riforma della disciplina relativa al
settore del commercio,a norma del 7 articolo 4, comma4, della legge 15 marzo
1997, n.59.)
(4) Decre legislativo, 31 marzo 1998, n.112
(5) G.Falcon(a cura di),Lo stato autonomia, 1998, p.10
(6) “M.Girbert, Le leggi Bassanini ; una tappa intermedia nella riforma del
governo locale”
, in Politica in Italia(Edizione 1999)
, pp.187-172
(7) “G.Capano, Le politiche amministrative”
, in Condannata al successo?(a cura
di Di Palma/Fabbrini /Freddi)
, 2000, pp.168-69,
(8) Relazione semestrale sullo stato delle riforme previste dalla legge 15 marzo
1997, n.59, Doc.XVI-bis n.4, p.5,(indice)
(9) ibid., p.7
(10) L. Vandelli, Il governo locale, 2000, p.104
(11) 例えば議会諮問委員会における行政法学者Torchia教授の見解を参照。Cfr.
イタリアにおける州制度の実施過程(2)
143
Atti della Ⅲ conferenza sullo stato di attuazione del capo 1 della legge 15
marzo 97, n.59, pp.9-15
(12) “B.Bardi, La politica di riforma del centro-periferia”, in Condannata e
successo?, pp.123-24
(13) バッサニーニ法1第4条に基いて,分権のための10原則を示している。
(14) バッサニーニ法1第1条に列挙されている。
(15) 並行主義については,Cfr. Condannata e successo?, p.130及びバッサニーニ法
1第4条を参照。
(16) Relazione semestrale, Doc.XVI-bis n.4, p.8
(17) La politica di riforma del centro-periferia, op., cit., pp.129-30
なお補完性の原則が,垂直的関係のみならず,水平的関係にも及ぶならば,そこ
では行政と社会,あるいは「公と私」の関係をいかに保持するかの問題,つまり
政府と市民社会がどう向き合うかが主要テーマになるとする。Cfr. Relazione
semestrale Doc.XVI-bis n.4, p.8
(18) バッサニーニ法1第4条参照。そこでは協同の原則と関連して,国と州,国と
地方団体会議,あるいは統一会議の例が挙げられている。
(19) バッサニーニ法1第11条に基いて,1999年7月委任立法「公行政活動のコスト,
収支結果,成果に関する監視及び評価制度の再編,・強化」第286号が公布された。
新評価制度は,国家組織の近代化過程の必然的な結果であり,行政活動の迅速さ
と能率の確保を目的にするもので,とりわけ①行政行為の合法性,規則性,正確
性の保証,②行政行為の効率,能率,経済性の実証,③役職者の指導能力の評価,
④計画,プログラムの実施における選択の妥当性の評価を行うことによって,公
共サービスの質の向上を図るとされた。Cfr. Relazione semestrale, Doc.XVI-bis
n.8, pp.23-24
(20) A.Loirero, Se il Nord, p.115
(21) 第2段階における州と地方団体間の職能・責任を区分するための作業は,結局
15の普通州全体の統一形式ではなく,行政実施委員会の用意した3つの実施モデ
ルにしたがった。カラブリアとプーリアの2州が最後までまとまらず,99年3月
国の代替法によって実施された。
(22) Cfr. Relazione semestrale., Doc.XVI-bis n.13, pp.12-21
(23) 財政連邦主義とは,自治体の職能は自主財源によって,また居住する住民に直
接かつ目に見える責任を持って実施されるべきだとする財政制度に対する基本的
考え方に基く。財政連邦主義の導入は,97年大統領令446号によって,発足以来
自主財源を持たなかった州に初めてガソリン税消費と所得付加価値税が州の自主
財源となってから。まだ州全体収入に占める割合は低く(99年度約53%),基本
的に地域差を生む点に問題があろう。しかし99年法律133号,そして2000年大統
領令56号によってさらに改革されて,バッサニーニ行政改革を財政面で支えた。
144
Cfr., D.Felsen, La riforma del “regime di bilancio”
, in politica in Italia(Edi. 99),
pp.181-2000及び “Regioni”
, n.1, 2003
(24) 人の移転については,cfr. Relazione semestrale., Doc.XVI-bis, n.13
(25) Cfr. Relazione semestrale., Doc.XVI-bis, n.6, p.10及びn.8, pp13-17
(26) ibid., p.15.なお国家行政機構の改革過程については,次を参照,G.Sciullo, Alla
ricerca del centro:Le trasformazioni in atto nell’amministrazione statale
italiana, 2000
(27) ibid., n.4, pp.22-25及びn.13, pp.22-23
(28) ibid., n.4, pp,25-29, n.6, p.13, n.8, p.27及びcfr., Alla ricerca del centro, op.cit.,
pp103-113
(29) Relazione semestrale, Doc.XVI-bis n.4. pp.22-25
(30) Relazione semestrale, Doc.XVI-bis n/4, pp.25-29及びn/6, p.13, n/8, pp.27-29
(31) Relazione semestrale Doc.XVI-bis n.8 pp.28-29
(32) Relazione semestrale, Doc.XVI-bis n.4p.29
(33) “M.Gilbert, Le leggi Bssanini;una tappa intermedia nella riforma del governo
locale”
, in Politica in Italia(Edizione 99)pp.161-180
(34) ibid., 179
(35) A.Loiero, Se il nord, 2001
(36) Donatella della Porta, La politica locale, pp.237-251
(37) Quaderni di Informazioni SVIMEZ, n.4
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