...

庄内西公民分館(PDF:3745KB)

by user

on
Category: Documents
28

views

Report

Comments

Transcript

庄内西公民分館(PDF:3745KB)
︱
よ
・
一
麟
・
戚
・
・
一
一・
.
一
難
ば
・コ
〓一
テ イー・
を一
地一
域一
守葛
ヽ三 二・
れ
す 一
ミ ・一
テ
■
卜 ・を 一
織 一
持
,
壺●普■冨■館・
・
■籠長 一
=中 一
一
取三
一
き 一
ど ■ ・■ 一
だ 、一
ざ 一
時 一
一い ・
一と 一
が ■
で
一
い
一き 一
島
ガ一
■一
な・一一
■一一
t一
ま一ヽ一
赫一
だ一
6一一
■すど一i一
・
﹁
一声で一
集〓
書﹂
0一
手一
消一
勝一
口一
員一
が一
整一
到“ 〓体一
一
・
■一
﹁
き 一
き 一
V 一
ツ 一し ・
た
サ 一〓 一 ■ ■ ・
i
い ・■ 一
一
一
・
す
鮮鷺 彗 専
ま
一
.
●
上一
力
■
重
■
蘭
題
ボ
一
檸
一
,
ない●詢一
論.
一
麟一
■賞¨
”・
〓一
ψ■一
尋一一“前一
■ル一
熟一
時・■一
i●■一
誼・
活動一
0一
が二 実一
績
装一
量 命一
点一
捜■整一
備一
ぼ・
L・
■一
ぼ・
Lヽ
・
一
〓一
与一
な・
一 ・
・
人一
■■カ一 持
■
一
ぬ
・■
・
■
一
な
い
一一■
一
一
一
一
し
一
一
一
■
狂一
き ■r●一
げ一 が一
ニリ 一●” 性 事一
さ一
越一
一
一 一
■
を
き
t
と
一
一
ヤ
一
つ
■
書
青
轟
一
事
一
■
ゃ
・こ■
i・
■ギも ■一 一
・
一
,一
t一
■が■一
聯〓■一
,
柿一
■
,一
.
・
,一一■ ■ ・一〓 ,
デ
■ ■
,
を一
が一
場.
”一
tた つ一
ら だ一.
︲
︰,
︲
︲
一■
一
一
一出
”
■
分
館
一■
一麟
動
■
数
一年
消
一
・
し
一
・
︲
︲
︱
・
鐵鞘霊型﹁
れ蜘
鳳踏一
罐一
︲一
︲
一
■一
で一
一一う一
か一
し
一
一
韓
一呻
一悧
一仙
一
一賜
距
計
卸
一一織
﹂
勒
・一師
一轟
い
費
出
一
・
一
一
,
い
った 。
新欄寺
︲
■一
嫌一
昴︲︰
︲
か゛
ませ一
ん︲
■一
一
観
・
承 久 の変
承 知 年 (■ 221)5月 ntl廷 方が後鳥羽上皇を中心 に、皇権 回復 を 目的に、鎌 倉
幕府討幕 の兵をあげたが 、幕府 に無
れた事件。
摂 津の 国倉橋 (椋 橋 )・ 長江 両荘は 亀菊 の所領 であつたが、その所領 を地頭が
欄離したため、その地頭 独騨任するように上皇が続 縮 に要求したが 、幕府 は
つたので 、上皇 は鎌 倉幕府執権 ri膨議難鋼鶴畿 の院宣 を出
載
聞き対 撹議 ヽ
した 上皇側 と黒 狩側との戦 い に及 ぶが、結果 として上 皇方 は大敗し、後鳥羽 上
る政権が、明治維新時
皇と亀菊は隠岐 に流され、幕府 〔
武家ン鋤 こ
くことにな
ど一
二事中
ご一.〓一
ば一
餞・
■一
十一直一
湾一
西一
教一
西 小一
載一
こあ it i 二■ ■■ .
5一
は
︲ 学一
,
い
御祭神 に素 喪鳴之尊、神 功皇后が祀
られ 、古菜 より東 西椋橋庄 の 中央 の注
本 に鎮座してしる 。
素 蔓 鳴之尊 が高 天原 より、鯉 に乗 り武
庫 の水 門を経て当荘にご降臨された
と伝 えられ てい&そ れ以後 、氏子は鰹
を殺生したり、食 べ たりしなくなつた士い
う。境 内には難 む鰹塚 がある。
又 、神 功皇后ゆか りの「神 前松原遺跡 Jの 石幕 が建 つている。
鎌 倉時代初 め、後 鳥羽 上皇 の寵 難 れた亀菊 の所領 であり、承久の 変 の発端
の地 でもあ孔 亀菊を肥る亀菊天満官が拝殿横 腱 てられ てい 亀
螂
鰤
︸
型
︺
岬
嚇
岬
申
[
椰
師
賦
鼎
呻
脚
一
.
・
一
.
.
一
願
﹁初 一
心 に か・
え ・■ ・
て﹂
一
.
,
一
菫 ■i ュ■ ■■■ ■■ 一■ ■ 一
先 野・
饗一
啓
カ
や 一
雛
一
∴
一
一
番
斃
・
.
・
・
・
一
■
史跡 散歩 (庄 本 “大島町 周辺 〉
私 達 の 住 む庄 西 校 区 の 史跡を巡 り、そ の 素 晴 らしさを見 つ けませ んか
※(庄 西校西分館「家庭教育学級講座 }森 本音道氏・中井 IEM氏 )よ リー部馨:用
権
一
一
鷲
一
一威
よ
キ
惑
・
一
一
ぞ 一
よ 一
■
一
︲
ます﹁
り・
・
・
鼈一
戦一
一員■一
同一
が ん一
ます一
ば一
“ でずご一
■一
.
う
発見
平成28年 (2016)5月 31日 発行
畿
鮭
・
庄 内 西 公 民 分 館 広 報 だ よ り
萱野 三平
萱野 三平 重実 は、旗本 大幅 出羽之守
の推挙 により赤穂藩浅 野匠頭長矩 に仕
官 し亀 三 平も長 矩 に仕 え、江戸屋敷 に
いたが、元禄 ■4年 3月 14日 長矩 は吉良
上野介義 夫 に刃 傷 に及び 、即 日切 脇
浅轍
潰 しという裁定が 下 う亀 その
悲報をの第 一 の使者として早見藤左 ヱ
P5と 共 赫 徳 へ 急 いだ。
途 中、故郷 め 萱 野郷を通通 するとき、母親 ぬ葬列 に出くわすが 、母親 の死 は、一 家
の 大事、主 家 の変事 は御 家 の 大事 、御麹 大勤 蔑 に出来ない と、棺 に 目札じ赤 徳
へ 向け、早駕籠を走らせたと云う。
赤徳 開城 の 折 り、伸 FH5と 討 ち入りの約 束をし,Lそかし、旗本 大嶋家 の推挙により、
り父や兄の
浅野家 ^仕 官 している学 部 勢 、討 ち入 りす ると、大 嶋家 へ迷惑が抑 嚇ヽ
ヽ
勢 、親 戚縁者 をとるか板腱
立場をなくす ことにつながると考えた二平は 、仲間をと々
み tこ成 り、恩 。
蠣 んだ悩 A/だ 末 、
ば忠ならず 」と
「忠ならん 議 す れ ば孝な らず 、孝 な
父 と大石 内蔵助宛 ての遺書 2通 を残 して、元禄 15年二 月 ■4日 、浅野 内匠頭 の月命
―
日に 自宅 の長屋 F9で 切態して果 てました。
,
辞 世 の句 は
号は潟泉 (け んせ ん)。
「 晴 れゆくや 日ごろこころの 花曇 明 夢卜
又 、姉 が光 国寺の ■5世 住職 乗 甫 (じ ょう:詩 に鐵いでいた縁 で、その境 内に石碑 、
墓 と三 平 が所持 し'Gt糎 コ と手槍 が就 蔵 議 ιてしる 。
庄内西小学校
I● ■│■
新福 寺は行 基開基と伝忠 れ、庄本一
丁 目に建 てられた大 寺院 協 つたが 、戦
乱か洪水 で藤絶 したと伝 え襲 ている。
江戸時代 の初 めに現在地で 日蓮宗如説
山新福 寺として再興された ln領 主大 嶋
雲 嫁 の位牌所 となり、大嶋家 の警提 寺
になつている。
大 幅家 の椋橋 座 における代 官を務め
離 前癬
たのが、萱野 二 平の 父 rlJで 、箕 面の 自宅より毎 日馬 で通 つていたといわれてお り、
寺の境 内には赤穂 義 士萱野 三 平を はじめ、父・叔父 ‐
兄 の4基 の墓 がある。
儡
■■■■■
昭和 3く 湾=5月 、豊 中市
の 第 17番 目の小学 投 し
て 田んぽや畑を埋 め立て
て建 てられまし亀
はじ力)、 8号 =級 380メ Jこ
けずヽ鵡 ― 卜しましたが、
■0角 ¬晨靖 、141自 後昭
創立当時つ較舎
つ と同時に、創 立 時
D34学
■
400人
し
47年
45黎
西校舎
が建
と
蒙
級
昭和
和
罷
増加
から学 技の移 り変わりを見 つめてきた本造技合 は姿を消球 し
'Lに進 ん喩 くの
現在 、小 中一貫校 計画等 が議論 されていますが、今後 どのよう
でしょう?庄 内西小学校 の新 し崚
瑳 史 が始まろうとしています。
儡
儡
鶉
儡
庄 内 西 公 民 分 館 広 幸風 だ よ り
平成28年 (2016)5月 31日 発行
庄 内 西 公 民 分 館
平成 28年 度 役員・運営委員・各部幹事
間
顧
市会議 員 中井
元分館長 渡邊
元分館長 山原
元分館長 渡部
元分館 長 中井
前分館 長 多 田
学 校 長 矢野
運 営 委 員
委 員長
副委員長
副委 員長
前分館長
黒飛 五 六 (新 町)
立川 進敏 (元 二東 )
千原
高 (庄 本 一)
多 田 正 夫 (庄 本 一)
副分館 長
冨1分 館 長
副分館 長
副分館 長
副分館 長
(団 体 )(自 治会長 )(婦 人会長 )
庄本 一 千原 高 岸 下美恵子
庄本 二 森本 政 隆 瀬り│1豊 子
庄本 三 樫本 英昭 藤村 とみ子
庄本 四 植村 公男 瀧川 知子
庄本五 村 田 睦 男 ―― ――
石橋 一几 島 田キミ子
島
二葉 一 高木 辰 巳 河野恵美子
元 一 前 中 牧 二 後藤 和枝
元 二 三 浦 智幸 今井 智子
元二東 立川 進敏 五 十嵐 万里子
宮 東 田中 弘和 宮本 マス子
新 町 黒飛 五六 荒武 静代
2地 区子ども会代表 篠 田 重春
庄内西小学校PT_A会 長 岩崎 剛
中井サヨ子 (元 一 )
中井美津子 (庄 三 )
森本 彦治 (庄 二)
佐人 間俊夫 (庄 二)
大久保元雄 (宮 東 )
会
計 樋 口ひとみ (庄 四)
│1本 義博 (宮 東 )
会計監査 り
会計監査 西里 義則 (二 葉 一 )
主
事 鈴木 陽子 (宮 東 )
○印 =各 担 当長
総務部担 当
体育部担 当
文化部担 当
ヨ子 (元 一 )
○中井サ
○大久保 元雄 (宮 東 )
副分館長補佐
副分館長補佐
植村 公男 (庄 四)
松川きみ子 (庄 四)
・
※阿部 守(元 二 東)
※ 鈴木 陽子 (宮 東 )
※西里 義則 (二 葉 一)
主事補
※川本 義博 (宮 東 )
松井 和子(元 一)
主事補
西谷 朝美 (元 一)
内藤 康 徳 (宮 東 )
橋本 国彦 (元 二 )
体育部長
澤田 清
副部長
西川 豊 小谷 敏之
林 一 昭 西里 義則
中井 一仁
。
南部 ソフトボール
・南部 バレーボール
・市民体 育祭
○森本 彦治 (庄 二)
副分館長補佐
阿部 守 (元 二東)
※中井サヨ子 (元 一 )
※中井美津子 (庄 三)
厚 生部 担 当
○中井美津子 (庄 三)
副分館長補佐
中井としみ (元 二)
主事補
│1知 子 (庄 四)
瀧り
広報部担 当
○佐久間俊夫 (庄 二)
分館長補佐
西山 純子(宮 東)
※ 樋 口ひとみ(庄 四)
厚生部長
松井 弘志
副菩6長
楊 田 幸江
広報部長
宮崎 壽美
冨呼
吉SI島
春
伊木 月ヽ
。
庶務
総務 。
・渉外活動
文化部長
井元 勝 子
副部長
黒 田 敏栄
西川 豊
岸 下 公明
メ
‖瀬 雄大
樋 口 雅也
月ヽ
谷 敏之
高 田 雅史
石丸 敦子
西谷 隆志
田中 茂
中井 一仁
奥村 智
黒木 義和
平成 28年 度
■
月
轟
一
1
動
1(
1
・…・ ゲー トボール大会
※厚 生 部 会・
社 会見学
1
1
陽
広
会
名
報
部
会
広報部幹事
庄本 一 角 田 敏子
春
庄本二 伊木 月ヽ
庄本三 牧野恵美子
庄本 四 安 田 岡I志
庄本五 柳 田 一枝
島 入江万里子
二葉一 平野 洋子
元 一 平中 照夫
元 二 布 引 茂雄
元二東 宮崎 壽美
宮 東 山上 正子
新 町 飯貝あや子
容
内
分館 の 講座「アメリカン色 鉛 筆 」
4月 21日 (木 )∼ 5月 12日 (木 )ま で4回
大 島 センター (集 会 室 )に て
グラウンドゴルフ大会
町会対抗親善試合
庄 内西小学校 校庭にて
活 動計 画・役 員紹 介 等
南部 バ レーボ ール 大会
南部 8分 館対抗
庄 内体育館 にて
人権 教 育 講 座
子どもを守る会
レ大会
ゲートボーフ
予備 日 :6/26
町会対抗親善試合
神崎川ゲートボール場 にて
サ マー カー ニバ ル
庄 内西小学校 校庭 にて
南 部 ソフトボール 大会
予備 日 :9/4
南部 8分 館対抗
第七中グラウンドにて
分館研究大会
社会見学
場 所未 定
行先 未 定
第 50回 庄 内西 地 区 市 民体 育
予 備 日 :10/30
祭
町会 &東 西対抗競技
庄 内西小学校 校庭にて
1
1
※ 広報 部 会・・ …・ グラウンドゴルフ大会
部
庄 内西 公 民分 館 の 主な活 動 予 定
「広報 だ より」発 行
6
※文化 部会 … …・ 分館 の講座
人権教 育講座
分館研 究大会
文化祭
広報だより
分館だより
活
日
各 部 会 の 主 な 活 動・担 当
・・南部バレーボール大会
・・
※体育部会・
南部ソフトボール大会
市 民体 育祭
生
厚生部幹事
庄 本一 金子美津子
庄本 二 岩村 多恵子
庄本 三 揚 田 幸江
庄本 四 西浦真 由美
庄本 五 河野みどり
葛和 恵
島
二葉 一 井 上ます え
元 一 松 井 弘志
元 二 山本 幸子
元二東 野 田 淑 子
宮 東 花谷岐美枝
新 町 塚越 雪子
文化部幹事
庄本 一 井 元 勝子
庄本 二 森 本 育子
庄本 三 阪 口恵美 子
庄本 四 黒 田 敏 栄
庄本 五 新 田 守枝
東 三枝 子
島
二葉 一 河 野恵 美 子
元 一 天 野 雅俊
元 二 野村 和子
元二東 福本 きみ子
宮 東 鍵本 和美
新 町 粟屋 治子
議
︲
︱
群
・グラウンドゴルフ
・広報だより
。
分館 だより
・ゲートボール
・社会見学
・研 究大 会
・分館 の講座
・人権 教育講座
。
文化祭
厚
体育部幹事
庄本 一 澤 田 清
庄本 二 森本 敬 二
庄本 三 池原 茂徳
庄本 四 中川 耕 一
庄本 五 今蔵 恭介
島
林 一昭
二葉 一 西里 義則
元 一 後藤 政広
元 二 鈴木 公喜
元二東 阿部 守
宮 東 内藤 康徳
新 町 新性 辰男
源樹
信夫
康雄
勘次
敬二
正夫
安啓
庄内西小学校
文 化祭
未
人権 教 育 講座
「分館 だより」発 行
子どもを守る会
第 36号 活 動報 告
庄内西小学校
Fly UP