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崩壊する「教育の機会均等」

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崩壊する「教育の機会均等」
WATCHING①
研究開発室
崩壊する「教育の機会均等」
松丸 一弥
<深刻化する高校・大学の修学実態>
リーマンショックを契機とした世界同時不況から1年、わが国の景気は底を打ったといわれているが、
家計をとりまく環境は依然として厳しい。そのようななか教育現場では家庭の経済力を起因とする格差
がますます拡がりをみせている。自分が望む教育を受けたいと願っても親の所得が大きく影響し、教育
機会を平等に手に入れることが困難な子どもが増加している。文部科学省「学校基本調査」によれば、
2009年度の通信制を含む高校進学率は97.9%と、今や義務教育を終えたほとんどの中学生が高校に進学
している。ところが所得格差に経済危機がさらに追い打ちをかけ、授業料が支払えず高校を中途退学す
る、あるいは大学進学を断念する、といったケースが少なくない。
文部科学省の授業料滞納などに関する調査によると、2008年度末における公立高校の授業料滞納者は
前年比約1割増の8,245人に達している。
公立高校といえども授業料や入学金など学校へ支払う納付金の
ほかに、入学時には制服や体操着、学用品なども購入しなければならず、入学初年度にかかる費用は全
日制で30万円を超える。このほか通学費用などがさらに加算されるとなれば、家計への負担は重くのし
かかる。一方、授業料が年々上昇している国公私立の大学などでは、08年度の授業料滞納者が1万4,662
人にものぼり、滞納者が1万632人だった07年度から僅か1年間で約4割も増加した。さらには経済的な
理由で中途退学した学生は7,715人と、中途退学者全体の15.6%を占めていることも明らかとなった。
このように昨今の不況が家計を直撃し、そのしわ寄せがこれからの日本を支えていく高校生や大学生
の修学に大きな影響を及ぼしている。
<義務教育にも波及する経済格差>
家計の負担は義務教育にもおよんでいる。文部科学省の資料によれば、公立小中学校の児童生徒で、
学用品費や修学旅行費などを補助する就学援助制度の対象者(要保護児童生徒数と準要保護児童生徒数
の合計)が、1997年の78万人から10年後の07年には142万人にも倍増し、全国の公立学校児童生徒の約8
人に1人(13.7%)が就学援助の対象となっている(図表1)
。現在は、昨年からの景気悪化の影響で就
学費用を納められない、より深刻な状況の家庭がさらに増加していることが容易に予想できる。
また家計が負担する義務教育の費用は学校に納付するものばかりではない。いわゆる学習塾費用に代
表される学校外活動費も家計に負荷がかかる。
その背景にある公立小中学生における通塾率の高まりは、
ゆとり教育路線と脱ゆとり教育路線で揺れ動いてきた、いわゆる「失われた10年」とも揶揄される日本
の教育制度がもたらしたものといえよう。現行の学習指導要領が実施された2002年度は学習内容が3割
削減され、公立の小中学校で完全週休二日制が導入された年でもある。学力低下論争が巻き起こり、
「円
周率が3になる?」
「台形の面積を教えなくなる?」など、大手学習塾などがさかんに宣伝したのはこの
頃だ。
当時、
ゆとり教育に対する疑問や学力低下への不安をいだく親の間で私立中学の受験熱が高まり、
わが子を塾へ通わせる動きが活発となる。とりわけ、中学受験が盛んな首都圏(1都3県)では、02年
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に13.9%だった受験率がその後も増加の一途をたどり、09年には21.2%にも達し、東京都ではおよそ3
人に1人が中学を受験している(日能研「2009年首都圏入試分析ブック」
)
(図表省略)
。
一方、公立の中学生では7割が学習塾に通っている(文部科学省「06年度子どもの学習費調査」
)
(図
表省略)
。わが子に少しでも良い教育を受けさせたいという親の願いと公教育への不安が、子どもを塾へ
通わせている。しかし塾代を捻出する資金力は親によってさまざまだ。同調査によれば、公立の中学生
が学習塾にかける費用は、年収1,200万円以上の世帯で年間平均27.1万円であるが、年収400万円未満の
世帯になるとおよそ3分の1の9.8万円に激減する。
さらに所得が低い世帯では子どもを塾に通わせるこ
とすら難しい。このように小中学生においても、経済的にゆとりがある家庭ほど教育に手厚くお金をか
けることができる一方、生活保護世帯など所得の低い家庭では、学力向上を目的とした塾などの教育費
用を捻出することは容易ではない。文部科学省の平成20年度全国学力・学習状況調査では、就学援助率が
高い小中学校の方が、平均正答率が低い傾向がみられるなど、格差は義務教育にも波及している。
(万人)
300
250
200
6.1
150
100
77
50
0
95
図表1 就学援助対象者の推移
6.4
78
6.6
78
7.2
83
7.9
90
8.9
98
9.7
106
10.8
115
11.8
126
(%)
12.8
13.2 13.6
13.7
134
138
141
142
13
15.0
10.0
5.0
129
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
0.0
07 (年)
要保護児童
生徒数(左目
盛)
準要保護児
童生徒数(左
目盛)
就学援助対
象者の割合
(右目盛)
注1:
「要保護児童生徒数」は生活保護法第6条第2項に規定する要保護者の数。
「準要保護児童生徒数」は市町村教育委員会が要保護者に準ずる
程度に困窮していると認定した者の数。
注2:
「就学援助対象者の割合」とは要保護児童生徒数と準要保護児童生徒数の合計が、公立学校児童生徒数に占める割合。
注3:要保護児童生徒については、就学援助法の補助対象者はその一部である。
(要保護児童生徒は、就学援助法の補助対象費目である学用品費、
通学費、修学旅行費のうち、生活保護で支給されている学用品費と通学費が補助対象から除外されているため)
注4:04年度までは、要保護児童生徒数は生活保護における教育扶助受給者数、準要保護児童生徒数は教育扶助以外の扶助を受けた者を含む。
資料:文部科学省が各都道府県教育委員会からの報告をとりまとめた資料より筆者作成
<公立中高一貫校の功罪>
ところで最近多方面から注目され、そのあり方が論じられている公立中高一貫校。この公教育制度に
も格差の歪みが影を落としている。1999年改正学校教育法で認可された公立中高一貫校は08年4月現在
全国で158校におよび、最近5年間で倍増した。とりわけ、地域の最難関進学公立高校が中学部門を併設
する例が目立っている。小学生をもつ親にとって安い学費と学校のブランド力は魅力のようで、私立に
行くほどの経済力がない家庭でも一貫教育が受けられる、あるいは私立のように高い学費をかけないで
大学進学に期待がもてる、といったように同制度を歓迎する親も少なくない。学校の選択が多様化され
ることは好ましい。しかし判断力が十分に養われていない小学生が、中学受験の是非を判断することは
容易ではない。多くの子どもは親の判断に左右され、その結果、公立中学校を選択する段階から親の教
育水準や所得格差が影響をおよぼすこととなる。
実際、全国各地の公立の中高一貫校では入学希望者が殺到し、小学校での勉強だけでは合格できない
ところも多いといわれている。首都圏にある、いわゆる公立高校の御三家と呼ばれる中高一貫校では、
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昨年春の競争倍率が27倍、今春も17倍となり一躍話題となった。親による受験熱が一層過熱し公立中高
一貫校が難関化していくことで、親はわが子を塾へ通わせようとする。しかし塾代は当然かさむため、
中高一貫校を希望するすべての家庭が可能という訳にはいかない。つまり公立の中高一貫校制度は受験
競争の低年齢化を惹起し、私立中学校の親の過半数が年収1,000万円以上(文部科学省「06年度子どもの
学習費調査」
)であるように、公立中高一貫校も経済力のある一部の限られた家庭のための学校となるお
それがある。
<「教育の機会均等」への処方箋>
家計に占める教育費負担が大きいのはわが国の特徴ともいえる。一般的に子どもが大学に進学すると、
その家計の年間収支は赤字になる。
それまでコツコツ貯蓄してきた教育費を大学入学とともに取り崩す。
これが日本の標準家庭といえるだろう。これは日本という国が教育にあまり公費をかけない国であるこ
との象徴ともいえる。諸外国と比較しても、わが国が公費で支出する教育費がいかに脆弱なものかが見
てとれる。図表2のとおり、2006年の教育機関に対する公財政支出を国内総生産(GDP)比でみると、OECD
加盟国28か国中で日本は3.3%と下から2番目の水準にある。
教育費を親ばかりに負わせている今の日本
の現状は健全な姿とはいい難い。
ましてや昨年来の景気悪化や雇用の激変で、
もはや家計は限界に近い。
図表2 教育機関への公財政支出の対GDP比<全教育段階>(2006年)
(%)
8 7.2
6.7
6
6.2 5.9
5.7 5.5 5.4 5.4
5.2 5.2 5.2 5.1 5.1 5.0 5.0
OECD 各国平均4.9%
4.8 4.8 4.6 4.6 4.5 4.4
4.2 4.2 4.1 4.1
4
2
2.7
日 本
ト ル コ
ス ロ バ キ ア
ド イ ツ
オ ー ス ト ラ リ ア
ス ペ イ ン
チ ェ コ
ア イ ル ラ ン ド
イ タ リ ア
韓 国
メ キ シ コ
オ ラ ン ダ
カ ナ ダ
ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド
ア メ リ カ
ポ ル ト ガ ル
ハ ン ガ リ ー
イ ギ リ ス
ポ ー ラ ン ド
オ ー ス ト リ ア
ス イ ス
フ ラ ン ス
ノ ル ウ ェ ー
フ ィ ン ラ ン ド
ベ ル ギ ー
デ ン マ ー ク
ス ウ ェ ー デ ン
ア イ ス ラ ン ド
0
3.6 3.3
資料:OECD「
『図表で見る教育 OECD インディケーター(2009年版)
』
(Education at a Glance)
」
教育基本法第4条の「教育の機会均等」には「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、
経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない」と記されている。
しかし前掲のとおり、日本の教育現場では「教育の機会均等」が失われようとしている。
「教育の機会均
等」という安心できる社会――つまり子どもに安心して教育を受けさせることのできる社会――を実現
するための処方箋は、国による財政支援を抜きにしてもはや語れない。本年7月文部科学省の有識者懇
談会がまとめた報告書では、年収が概ね350万円以下の低所得者層に対する小中学校の修学支援や高校・
大学の授業料減免策など、具体的な財政支援の提言がなされた。試算ではすべての施策を実現するには
約1兆3,000億円が必要という。しかし文部科学省には、09年度予算で諸外国並となる GDP 比5%の教育
費を概算要求したが財務省に一蹴された、という苦い経験がある。日本の次世代を担う子どもたちの教
育費財源をどう確保していくのか、
「教育の機会均等」が崩壊しつつある今、国の決断が急がれる。
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