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譲渡利得および損失の本質について - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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譲渡利得および損失の本質について - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
譲渡利得および損失の本質について
Author(s)
小林, 威
Citation
経営と経済, 43(3), pp.87-104; 1963
Issue Date
1963-10-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/27656
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
小林威
譲渡利得および損失の本質について
は し が き
私はかつて﹃譲渡利得課税の一考察(一)﹄を﹃経営と経済﹄第八八号︵一九六一年発行︶ で発表した。その時は、譲
渡利得課税の問題点と制度的考察を(一)で行い、譲渡利得税に対する賛否両学説の検討である理論的考察を続篇の日で
行う予定であった。しかしながら、譲渡利得課税の研究には、このような枠を設定しないで、個々に問題を分析する
方が望ましいので、今後暫くの間、続篤の日を保留しておく。
譲渡利得の課税賛否論は、諸外国特にアメリカで活重に行われているが、譲渡利得の本質についての研究がなおざ
りにされていた嫌いがある。しかし、譲渡利得に課税する時は、譲渡利得が課税対象として妥当であるか、更に一歩
進んで、譲渡利得が一般所得と本質的にどのような差違があるかを明らかにしなければならない。本稿では、セルツ
ァーを参考にして、譲渡利得および損失の経済的本質について考察を企てゝみたい。
I﹁キャピタル・ゲイン﹂の語義
譲渡利得の原語である﹁キャピタル・ゲイン﹂は、比較的新らしい言葉である。最近わが国では、﹁キャピタル・
譲渡利得および損失の本質について 経蛍と経済
﹁資産利益﹂という言葉もあてられている。所得税法では、
﹁キャピタル・ゲイン﹂を﹁譲渡所得﹂なる
﹁資本利得﹂も﹁資産利益﹂も﹁譲渡所得﹂も何等の説明があたえられていない。 MzX川極といわれてき
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る乙と﹂との
乙の解釈の信活性を確かめるために、
事、与えミd h内 定 吋 dNC凡
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ミミミ匂片足。 MNRN
ミを調べたところが、
﹁株式等の Cとき資本的投資物の売却により生じた利益﹂との説明がなされてい
﹁キャピタル・ゲイン﹂に対する私の解釈は、沼町義をそれほど歪曲したものではないと云い得ょう。
ヤビタル・ゲイン﹂の項目があり、
る。それゆえ、
常に興味深い。その理由は、
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の引でS
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Nミ.師、﹃ S C M 3 S S H﹃
ミに﹁キャヒタル・ゲイン﹂が発見されたことは、非
ミ 同 WHAmNN.w b汗
、
旬
﹁キャピタル・ゲイン一がイギリスでは木、たに余り一般的ではないのに対して、 アメリ
全巻十三冊に及ぶ大部の O ・E ・D ・に一キャピタル・ゲインー一がたく、総頁数二、一二0 0頁とは一千九、にだ一巻
キ
た結果、資産価値が増加したので得られた利益﹂と解釈したならば、いささか索強付会のおそれが生じるであろうか。
説明がなされている。そ乙で以上の説明を合体して﹁キャピタル・ゲイン﹂を、﹁蓄積された富を資本として投下し
また、
もっとも、 O ・E ・D-では、﹁キャピタル﹂に﹁資本的資財﹂や、﹁蓄積された富﹂との説明が与えられている。
号、丸岡ミhhhkb号泣ミSミをひいたところが、同昨典には、﹁キャピタル・ゲイン﹂の項目がない。
ている司、芯 CNL
﹁キャピタル・ゲイン﹂の語義を求めて、英語の昨典を検索することにした。はじめに、最も権威のあるといわれ
、乙の訳語もまた、学界の一部で使用されているのに過ぎないのではなかろうか。
た隣国の中国においては、 アメリカ税法の紹介書に﹁キャピタル・ゲイン﹂を﹁転譲利得﹂と訳している例があるが
苑﹄には、
語で表現している。しかし、これらの一一一一口葉は、 いずれもまだ一般的に使用される域には達していないようで、﹁広川
た時には、
ゲイン﹂と原語のまま使用されている例を屡々見かけるが、専門書では﹁資本利得﹂と訳されている場合が多く、ま
八
人
カでは既に学界等で使用されるテクニカル・タームの域を脱して、 日常生活でもかなりの程度にまで使用されている
のではないかと推測できるからである。
周知のように、イギリスでは、課税所得を源泉説の立場から規定している。源泉説とは、反覆して、周期的に、川れ
続される収入だけを所得と規定する考えである。この説のもとでは、資産の売却による一時的な収入は、所得概念に
一定期間内の収入は、すべて所得の構成
一定期間内の収入総額から損失総額を控除し仁残額を、所得と規定する考えである。こω
含 ま れ な い 。 こ れ に 対 し て 、 ア メ リ カ で は 、 課 税 所 得 を 経 済 力 純 増 加 説ω川場から把握しようとする考えが濃ばであ
る。経済力純増加説とは、
説に従えば、勤労所得、財産所得、資産売却による収入の区別を問わずに、
川υ ・E ・D ・では、gH︼エ巳およびm旦ロに次のような説明がされている。
要素となる。かくの如く、所得概念の相違により、譲渡利得を課税所得とみなすか否かの行政的差異が生じる。
註
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仏
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譲渡利得および損失の・木質について
J
L
経営と経済
アメリカにおける譲渡利得課税
)L
一九一三年である。同年から一九
O
出止によっている。
(同
一九五四年の内国歳入法の規
﹁純長期利得あるいは損失﹂と名づけてみよう。同様にして、短期利得と短期損失の差額が﹁純短期利得あるい
税措置は極めて複雑であるが、その概要を次のように整理できる。先ず最初に、長期利得から長期損失を差引いた額
J
守口町、3hNWNqpzod︿ 同
日目円、一 ω2・uu・ ∞
lωuu・)。譲渡利得および損失は、長期と短期に区別される。
。ミ守的。・¥可N
h
ω
すなわち、資産の保有期聞が六カ月以内のものは短期、六カ月以上のものが長期である。利得および損失に対する課
いま、テーラーに従ってアメリカにおける課税法を紹介すれば次のようになる
ME=仲間︼開・吋ωuL。ァ同, pmw 同町内選・
得に低減税率が適用されるようになり、現在に至っている。現在の譲渡利得課税法は、
ニ一年に至る九年間は、譲渡利得が一般所得と全く同様に、普通税率および超過税率で課税された。その後、譲渡利
譲渡利得(キャピタル・ゲイン)が、 アメリカで課税されるようになったのは、
E
hv
﹃
。
判(ロ)
純損失の可能性
純長期利得に純短期利得を加えた額が純利得である。
純短期利得から純長期損失を差引いた額が純利得である。
川純長期利得から純短期損失を差引いた額が純利得である。
純利得の可能性
は損失﹂と規定できる。純長期利得および損失と、純短期利得および損失を組合せると、次の六組の可能性が得られ
を
2
純長期損失から純短期利得を差引いた額が純損失である。
純短期損失から純長期利得を差引いた額が純損失である。
純長期損失に純短期損失を加えた額が純損失である。
議渡利得および損失の太・質について九一
られず、譲渡利得の課税は、﹁他の知何なる形態の所得によりも、多種多彩にして非論理的な取扱いがなされて来た﹂
かように譲渡利得課税五O年の歴史を有するアメリカにおいても、譲渡利得の課税と譲渡損失の聞には一貫性が見
る場合には、五年間の繰越が認められ、各年他の所得から一、 000ドルを限度として相殺される。
ていない。ある年の純損失は、同年における他の所得から一、 000ドルを限度として相殺され、なお損失残額があ
2 の純損失の場合には、山刊同村の三組の可能性が考えられるが、税法では、純長期損失と純短期損失の区別をおい
らない。そして、長期利得には1削の方法が、短期利得には1制の方法が適用される。
ー約のように、純利得が長期利得と短期利得の両者から生じた場合には、納税者は、この各々を分離しなければな
様に取扱われる。即ちこの場合には、純利得が綜合所得に通算きれて、所得税額が決定される。
1 刷のように、純短期利得が純長期損失よりも大であるために純利得の生じる場合には、純利得額は一般所得と同
得者に有利となり、譲渡利得税の議論で一番問題とされる万法である。
1 セントの分離課税を適用されるかの何れかである。後の場合には、二五パーセントの分離課税となるので、高額所
そこで、付純利得の半額を綜合所得に通算して所得税額が決定されるか、あるいは、
ω純利得の半額に対して五O ハ
うち何れか好む万を選択して課税される。乙の場合の純利得は、長期利得であるから、その半額が課税の対象となる。
ー川のように、長期利得が短期損失よりも大であるために純利得の生じる場合には、納税者は、次の二つの方法の
右のように六個の組合せが得られるが、それに応じて課税法に差異が生じる。
約(ロ) (
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経営と経済
︿司王 EB50WBM可、与
ている。
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ω
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﹁砂くとも高所得階層では、そ
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同 FSA︺戸℃・一ω∞・)との非難が正鵠を つがって
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J
R
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との関連に求めるべ、きであろう。連邦所得税法では、譲渡利得および損失を、ある種の資産の売却より生じ
合衆国政府証券
事業または営業のために使用される減価償却を認められた財産
事業または営業のために使用される不動産
通常の営業課程において、主として顧客に販売する目的をもって保有する﹁在庫品﹂
外の財産である(叶3ZF も・三??ω8・)。
る利得および損失であると規定している。内国歳入法第二二二条によれば、ある種の資産とは、次に掲示された以
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g
ω
譲渡利得が、納税力において他の所得と呉る能力を有すると考えられる最大の原因は、譲渡利得と資産
(
g 匂芹巴
れ(譲渡利得)が他の所得と全く同じ納税力を有していない﹂(叶ωヱ。円、。予三?℃℃・ωuulACO・)ためであると述、べ
いる。長期保有の資産より生じる譲渡利得が低率で課税される理由を、テーラーは、
hshNh一
N ¥ミ可 wdh2
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ュr 一∞ωプ℃・ω・) であり、
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己定 2、も・町民同
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﹁一九三六年の単年度だけでも、連邦所
ω
(
譲渡利得および損失が、資産の存在を不聞にして語られない乙とは当然である。しかしながら、単に資産が存在し
との記述が見られる。
得税申告書に申告された純譲渡利得総額の約四分の三が株式および社債から生じている﹂
の hNKVN G N C Q
ミ刷。ミ。 刊
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を目的とするよりも所得造出を目的として獲得された財産﹂(FE20
ロ2国・ ω巴R2、同 ﹄右足ミミ之内選門出吋ぬい門司ミミ・
このような除外法を採用しているために、株式および社債並びに不動産が資産の最右翼に列する。資産とは﹁消費
(
4
)
ζろである。
一時的に高い
いまはその当否を問わないが、 その最大の即出は
ても、資産の価格が変動しなければ、譲渡利得も譲渡損失も発生しない。譲渡利得が、他の一般所得と同様な担税力
を有しないということは、 しばしば説かれていると
資産価格の変動が極めて不規別であり、長期保有の資産から得られた利何が綜合所得に通算されると、
一般所得と譲渡利得との問にどれほどの担税力
税率階層へ移動するからである。更に資産の売買が、個人の場合、不定で回帰的でない点もよく指摘される。しかし
これだけの理由ならば、それに対応する課税法が勘案されるべきで、
譲渡利得および損失の本質
の差があるかは論証されない。
ふ4
譲渡利得および損失の木質について
。= N O
・ω、。.
v 2 N J℃
円
、
。 k・
)L
ミF 匂・当・)、他の所得同様にそれを得るべく、われわれは精力を傾注して資源を配分する。乙れに反して第二の利得
、 コア期せ、ざる利得であり、(われわれの経済)行動の動機とも指標ともなり得ない﹂(印色丹 N O円、与と・)。
同様である。第一の利得は﹁予期せる価格の騰貴であり、支出に対する収入の予期せる超過額であり﹂(印己反ゆ円、冬・
・
ω
ω
ω
・
)
。 セルツアーの見解も
程以外の場で発生するもので、不規則にして異常な利得である (、吋釦可-。ァ。 k・
v ミ? ℃
額よりも高価で売却したために発生するもので、これは普通の利得である。第二の利得は、通常の所得を稼得する過
識しなければならない。テーラーによれば、第一の利得は、商業交易の場において、財を獲得するために支払った金
(
ミ・)。われわれは経済活動を行うことにより利得が得られるが、この利得は二種の異ったω
タイーフのものである点を認
セルツァ lは、譲渡利得および損失の本質は、その予期し得ない性格にあると考えた
であろうか。本節では、セルツアーに従って、譲渡利得の経済的本質について考察してみたい。
既に第I節で見たように、譲渡利得は資産の評価益である。しからば、譲渡利得の本質規定は何に求められるべき
E
経営と経済
四
円、。も・丘町二回︼・虫・)。
NO
以下に、これらの要因を吟味してみよう。
ω資産から得られる純収入についての期待の変更
ω予期せざる利子率の変更
ω不確実性に対する投資家の態度の変化
の三要因を挙げる(∞己丹
己定2W3丈
・
)
。
U
件)
﹁必ずしも常にそうであるとは認められないが、それ(偶
円、も・ミ??ぉ・)。以上のよ
NO
失を発生させるかとの問題が起ってくる。セルツァ!は、譲渡利得および損失が発生してくる主要な源泉として、次
右の推論の当然の課程として、実際には、何が予期せざる偶然の事情であり、どのような要因が譲渡利得および損
り、乙れらこそ譲渡利得および損失の本質であるというのが、彼の理論の眼目である。
偶然とをおいた。即ち、予期せぎる偶然の事情から結果する資産価格の変動が、譲渡利得および譲渡損失の原因であ
うにセルツァ lは、一般所得および損失と譲渡利得および損失とを区別する標準として、予期の可否、核得の必然と
然の利得および損失)は原理上、先に規定された譲渡利得および損失である﹂(印己件
しば偶然の(三ロ虫色-)利得および損失と呼ばれている。
nL
の聞に差異が存するか否かということである。事前 (OMωロ 芯 )
のの
所得
後の 差
所と
得事と
(⑦ 額
内 句は
。ω、 し ぱ
ω
(
利得および損失の実現が予期できるか、予期できないかという
ことは、予期された所得額と、実現きれた所得額と
当期の所得に負担させ得ないから譲渡損失であるとみられよう﹂
:::予期せる損失は、一般所得から控除すると考えられるが、地震、戦争、制度から生じるような予期せざる損失は、
第二の利得(譲渡利得)との聞に境界線をひいた。同様にして、﹁不良資産および火災ならびに機械の減耗のような
かようにセルツァ lは、予期の可能・不可能との基準を設けることにより、第一の利得(一般所得、常業利潤)と、
J
:
L
ω予期せられた収入の変化
投資家が株式、社債、不動産等に投資するのは、一つには、これらの資産から得られる将来の所得(配当、利子、
地代)を目的としているからである。それゆえ、将来得られるであろう所得が増減するとなれば、資産価格が投資家
の期待の変化を反映して騰落する。資産価格が、それから得られると予期されている純収入の一団であると考えるな
υ
とりわけ株式
らば、価格決定は次のようになされるであろう。すなわち、将来の収入を利子率ピけではなく、危険や不確実性に対
する投資家の評価をも考慮した割引率で割引いて、資産価格が定められるであろう。
不動産や株式のような資産では、投資家が期待する収入額に、かなりの幅をもった可能性が生じる
の場合には、不確定な要素がかなり大きい。投資家は、投資に当って先ず企業の収益力を予測するであろう。この際
には、同種の資産の収益水準ゃ、同種の資産を保有している他の投資家の経験等が、投資判断の一助とたるであろう。
しかし、新製品の開発や競争関係にある企業の合併などの如、き偶発的な事的が突発すれば、資産の評価に激しい変動
が生ずるのは、当然である。乙のような﹁偶発的な事態の予測が如何に頼りなくとも、また、評価が如何に誤り多い
=NO
。 ア。
kv
、
同
︼
・ ω∞
・
)
。
・3戸
しかしながら示要なこ
としても、投資家は絶えずそれ(資産)の評価を行なっている。不確実な将来の所得に対する権利が毎日売買され、
その価格は、他の如何なる財の価格同様に明確に決定される﹂
(
己
同 N O SR・)である。
よは、﹁広い幅をもっ不確実性を予測するのは、不安定となりがω
ちだという事実﹂
円
(て評価、
さて、株式証券や不動産への投資にあたって、投資家は、平均収益力を資本還元ω
し
する性向がある。たとえ
ば、毎年一株当り一 O円の収益力のある株式の場合には、その企業が永続して収益力に著しい変化がないとされれば、
永久に年一 O円の所得を提供するかのように評価されるであろう。現在収益力のない株式の場合には、同種の企業の
譲渡利得および損失の本質について
五
収益を基礎として将来の平均収益力が測定されて評価が行われるであろう。
九
経営と経済
九六
予期された将来の収益力を割引いたり、収益力を資本還元して資産価格が評価されることは、資産価格と収益力の
3ZR2・ミ・ミ??可・)。たとえば、一 O倍の株価
聞に乗数関係を構成する。この関係のよい例は、株価収益率である。それゆえ、﹁当期の或いは予怨された収益力の
変化は、資産の市場価格に乗数的な変化をおこしがちである﹂
収益率で取引されている株式の収益力が一株当り五円増加すれば、その株価は五O円上昇することになる。﹁かかる
ω
(
己R2W3ミ・)。かように収益力を基礎として資産価格が決定される時は、
理由で、重要な新製品の製造や競争、企業の合併或いは販売の上州傾向の発表で株式の市場価格が急激に騰貴し、不
利なニューズにより急激に下落する﹂
収益力の変化に応じて資産価格が急激に騰落し、譲渡利得および損失の芳生する要因となる。しかも、収益力の変化
は予期できぬ事情から発生する場合が多い。
ω突然の利子率変更
右に見てきたように、資産価格は将来の収益力を一団としたものであると考えられる。このうちでも、将来の収品.
力が最も安定しているものは、確定利付債券である。概して投資家は、遠い将来に得られる収入の万を、近い将来に
得られる収入よりも低く評価しがちである。確定利付債券の市価は、一般に利子率で割引いて決定され、償法年数の
長い債券は、短期償還の債券よりも低く評価される。また、割引率の基準が利子率であるために、利子半の引上げは、
己
同
円、も-npwHymo--第一次世界大戦中に額面
NO
債券の市価を下落させ、反対に、利子率の引下げは、債券の市価を騰貴させる。
この関係をアメリカの実例でみると、次のような報告がある
(
ント価格が下落した。また、一九三一二年以後利子率が
金額で発行された国債が、一九一八 l 一二年の聞に一八パーセω
長期にわたって急激に引下げられたために、多くの社債が発行価額以上に価格が騰貴し、中でも、ペンシルヴァニヤ
鉄道社債の如きは、一九四六年三月に額面の三割以上の騰貴がみられ亡。かように、利子率の変更により、公社債の
市価に与える影響は大きい。
ω
(
己芯2、冬・ぇ??三・)が生じるために、公社債のように一義的な効
セルツァ lは、利子率の変更により、株式価格が急激に変動することを認める。けれども彼によるならば、株式の
場合には、﹁収益力の予測に反対の変化﹂
果がおこらない。その理由は、次のようである(印巴訂2・3ミ・)。利子率の引下げは、しばしば企業活動が不活滋で
経済が停滞している時期に行われる。それゆえ、利子率の引下げによる株価股貴要因に対しては、将来の企業収益力
が減退するための株価抑制因の万が強く作用する。これと反対に、景気のブ l ム期に鼠気を抑制するために利子率を
引上げると、企業の収益力が向上しているための株価騰貴要因と、利子率引上げによる株価下落盟国とが競合し合う司
r
かくして、利子率の引下げ、引上げ何れの場合にも、株価刺戟の フラス要因とマイナス.要因が相殺し合うために株価
に急激な変化が生じない。
nu
セルツァ!の意見には興味深い点が多いが、利子率と株価の関係をかように割切って考えられるであろうか。
資本比率の大きい企業では、 セルツァ l の推論が適合されるかも知れないが、自己資本比率の小さい企業の多い同で
は、株価と利子率の相殺効果が現れないのではなかろうか。即ち、臼己資本比率の小3 い場合には次のように考えら
れる。利子率の引上げは、必然的に企業の支払利子額を増加させて、将来の企業収硲力を一任迫する。ぱ対に、利子半
の引下げは、企業の金利負担を軽減させることにより、将来の企業収益力を向上させる。このように巧えてくると、
自己資本比率の小さい企業の多い国では、利子率の変更が、極めて劇的に株価に影刊をリえると一五うことができょうの
ともあれ、利子率の変更によって資産価栴が変動することは事実であり、しかも、利子中小を突然変更するか百かは、
投資家の予測の外にある。かくの如く利子本の変更により譲渡利得および損失が発生し、利子ギを引かすことは投資
l
-u
家が予期できない。
譲渡利得および損失の宅質について
7
し
経営と経済
ω不確実性に直面した場合に投資家のとる態度の変化
ωω
円、も・。むこ℃・印∞・)。本節の
NO
では、投資がある程度まで珂性をもって
かように、投機という要素を考慮にいれると、投資家のとる態度が変化する ζとにより、資産価格が劇的に脱落し
例は、最近数年間のわが国の株価、特に第二部市場の株価の推移である。
投機的ムードにより資産価格を実態以上に吊り上げようとし、その傾向が退潮すると、資産価格が急激に下落する好
偵で危険性の多い資産を購入したり保有しようとする投資家の人数が、急激に減少する﹂(印己件N
2、冬・ミ??mN・)コ
に禰満する悲観性の場合に正しい。その時期には、安全性が他の何物にもまして尊草されるようである。かつての高
ではなく、進んで危険を甘受する態度を反映している。:::この反対は、企業の減退期の後、または減退と共に市場
ードも同様に、時に著るしく変る。企業拡大期の一般的特徴である楽観性は、将来の収益力を寛大に評価するばかり
は固定していない。多分、壮年者は危険を軽視し、老年者は危険から後退するであろう。グループとしての投資家のム
投機的な投資に、不確実な要素が極めて強いことは、改めて説く必要もなかろう。﹁不確実性に対する投資家の態度
しば行われている。
ミ H J 2・)。富畿の好売行きが示しているように、投機に対する人間の執右力は根強いものがある。いな個人ばか
・
勺
りではない。投機色の濃厚なロ険的投資は、金鉱の試掘や油田の試警などに見られるように、企業においても、しば
そのチャンスは稀だが、非常に大きな利得が得られるような不確実性のパタンは、強い人気がある一 3ZZ2、名・
﹁不確実性が大きな役割を占める賭博やスポーツの人気は:::危険負担が決して不愉快ではない証左である。市実、
行われる場合を想定してきた。しかしながら、投資には投機的な要因が、かなりの程度まで介在している。ところで、。
ムードの変化に極めて敏感である﹂(∞己同
既に本節川で見てきたように、投資には不確実な要因が多い。﹁広範囲の不確実性に基く期待は、投資家の心理的
j
L
F
¥
て、譲渡利得およぴ損失を発生させる。しかも、投資家のム l ド の 変 化 は 、 既 に 見 た 二 つ の 場 合 よ り も 予 測 が 難 か し
セルツァ!は、譲渡利得および損失の発生する要因として上述の三つをあげ、これらの要因が予測の外にあるから、
O ・E ・D -では、次のように説明している。
己C 2、も -n礼
子
、
℃ U・
印ωlg・)と命名した。
譲渡利得および損失は、偶然の利得および損失であると考えた。そして彼は、以上の要因から発生する譲渡利得およ
ぴ損失を﹁純粋の譲渡利得および損失﹂
ω
(
引で忠良ミd h E﹄4
叫8
S川町民bnS同号、匂守h
m
S号、の説明は、次のようである。
一般所得が予期できる利得であるのに反して、譲渡利得が
純粋の譲渡利得および損失と常識的解釈による譲渡利得および損失
ω
ω
ω
で述べた三要因を再吟味すればよい。
九
論が導き出されるには、前節
譲渡利得および損失の本質について
九
ではなく﹁多くのものは、いや大概のものは、ある程度予期できる﹂(印丘定。円、も・ぇ?匂・ミ・)。のである。乙の結
全く予期できないであろうか。結論を先に云えば、譲渡利得および損失の多くは、必ずしも全く予測の外にあるもの
前節でみたように、純粋の譲渡利得は、予期せぬ偶然の事情に起因する。しからば、すべての譲渡利得および損失は、
予期せざる利得であるとするならば、純粋の譲渡利得および損失とそ、まさに本質的な譲渡利得および損失である。
純粋の譲渡利得および損失は、予期せざるものである。
N
﹁予期せざる遺贈または予期せ.さる幸運﹂。
また、
﹁偶然のあるいは、予期せざる撞得または利益﹂。
ω
4ユロ巳巳-には偶然のとか予期せぬといった意味あいが多い。
註
経告と経済
一O O
om識で考えられている議政利得
その前に、譲渡利得および損失の常識的解釈というか、法作的解釈をみてみよう
M
Nミば見合 N
および損失は、司S
C 吋ささ凡なNpnsz
ミ b 甘えSNGM、してに説明されているように、投資した資産の売買益
または売買損である。乙の解釈は、財政学専門書でも大同小異である。グロ lヴズは次のように云う﹁譲渡利引およ
び損失は、普通、所得の源泉として保持されていたものを、個人が利潤ま仁は制失をもって売却した時に性、ずる。
それは源泉からの所得の流れとして生ずるものではなく、源泉自体の売却から生じる﹂(国ω35 冨 -C 2
ω 、出おおとの・
。
円
3hcgミ
ω ・)。またテーラーによれば、﹁⋮譲渡利如何は、資産を(購入するために)
ミ SSNFZO当 ベR F S留、匂・ 5
・
)
。
支払った価格よりも高い価格で売却することにより得た金銭的利得を忌味する﹂(吋ω三日、も・ミ?、℃・ ω宝
以上のように、譲渡利得および損失の一般的説明は、資産の売買益、売買損の一一詰に尽きる。そこで、この売買損
益が予期できるか否かの検討が、常識で考えられる譲渡利得および損失が、純粋のそれであるかを確かめる導きとな
サ。。
先ず第一に、資産から得られる所得の変化について吟味してみよう。株式投資をする場合に、ある企業の収益力が
上昇することを見込んで、投資家は有望な企業の株式を購入するであろう。収益力の上斜に起因する株価騰貴は、既
ωで述べたように、極めて不確実な要素に左右されやすいが、しかしそれだからとて、騰貴の可能性を全く無
に前節
(
ω
o
z
o円、。hyRH4℃ヲ匂lg・-それによるならば、来期の配当を一 O円、八円、六円、五
視するにはおよばない。セルツア lは、株価騰貴の予測法として、来期の加重配当予想額と、加一直一騰貴予担額を計算
することに触れている
円というように予想して、一 O円配当される確率が何パーセント、五円配当される確率が何パーセントというように
確率を見積もる。次に予慰配当額に見積もり確率を乗じ、乙の結果を加算してその算術平均を求める。最後に得られ
た数字が、加重配当予想額である。同様にして、加重騰貴予想額が計算される。乙の計算の根底には、無論、投資家
の周到な注意と、異常な努力が潜んでいる。
一株一五O円で一、 000株購入したとしよう。もし一年後に、 乙の株式の市場
いま、ある投資家が、加重配当予想額と利廻りを勘案し、更に加重騰貴予想額を考慮して、ある株式を一株一五O
円以下で買えば採算に合うとして、
価格が予想通りに二 O O円にまで騰貴し、その時に売却したならば、彼は五O、000円の譲渡利得を実現したこと
になる(簡単化のために売買手数料、有価証券移転取引税を無視する)。
この投資家は、幸運にも五O、000円の譲渡利得を収めることができたが、投資をする時には、利得が得られる
﹁労働、資本、危険負担に対する報酬として完全に予期された﹂
巳
同
NO
円
、
。
kv
・ミ子、℃・ g・)がゆえに
かどうかは、無論不確実であった。乙の利得のうち、どの部分が、予期されなかったがゆえに純粋の譲渡利得であり、
どの部分が、
(
一般所得とみなされるべきかを厳に区別することは、極めて困難である。彼がω
収めた利得の主たる部分は、安値で投
己
同N2、も・ミJEygig-- 第一に、実地研究や、刊行物を丹念
資をする機会を適確につかんどために生じたのである。それは、彼の努力に対する期待された報酬であり、乙の報酬
額が表面上の譲渡利得を構成している。
投資家の努力の例は、幾らでも列挙できる
(
に分析する乙とにより、収益力の向上する企ω
業を発見できよう。第二に、証券の市場価格の季節的変動や、循環的変
動を巧妙に把握すれば、有利な投資の機会が得られるであろう。第三に、自分の所有地に隣接して、豪華なアパート
を建設するように友人を説得してその建築を実現させれば、所有地の地価が騰貴するであろう。第四に、小区画地を連
﹁乙の才能を他人のために使用すれば、給料、手数料、相談料となる﹂
ω
(
。= N O
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円
・
。 h・
続して購入し、大分譲地を形成すれば、有利な値段で売却できるであろう。以上のような投資家の努力、技能、熟練、
洞察に帰属する譲渡利得は、
久子、司・吋 0・)ものである。
譲渡利得および損失の木質につい
O
経営と経済
(
∞
色
丹
円、﹄ヨミ・)利子半の変更に
NO
NO
円、も・ミ H J U・コ・)。かように、投資態度の変化も、全然予期できないわけではない。
己RO円、思ミ・)との認識に到達する。
実現された譲渡利得から一般所得相当分を分離することは極めて困難である。殊に譲渡利得の課税に当っては、戸内
。
至って、セルツァ lは結論を保留する。彼は、次のように考える(∞己 RoF。、・ミ??∞ N)
然の筋道として、譲渡利得を綜合所得に算入し、譲渡損失を所得から控除しなければならないはずである。この点に
れるものであるならば、課税の上で、譲渡利得と一般所得とを区別する根拠が消失するはずである。そうなれば、当
渡利得が経済的に無機能であるとは云えないからである。譲渡利得が投資家の経済行動により得られるべくして得ら
ω
(
この認識は非常に重要である。これま
で分析してきたように、譲渡利得の大部分が一般所得に相当するならば、譲
分は、実に本質的には一般所得である﹂
慧と注意を集中する的であるといえよう。このように考えてくると﹁世上譲渡利得とみなされているものの多くの部
以上のように議論を進めてくると、純粋の譲渡利得および損失を産み出す三大源泉は、投資家が情報を蒐集し、智
えず努力している﹂(ぽロ
投機家はすぐれて、また、殆んどすべての投資家もある程度まで気づいており、彼等は、その変化を予測するべく絶
異った局面において、激しい変化をみせる。﹁感情の移りかわりが資産価格に甚大な影響をおよぼすことを、職業的
最後に、不確実性に直面した際にとる投資家の態度の変化に解れてみよう。投資家の投資態度は、特に京気循環の
対処している。かように、突然の利子率変更も、投資家の全然予期せぬものではないということができる。
﹁若干の大銀行や証券業者は、利子率の予測に多大の時間を割く専門家を雇って﹂
い。経済の実態を細心に注目していれば、多かれ少かれ程度の差は存するが、投資家に予想できるであろう。また
変更は債券等を中心とした証券の市価を騰落させる。しかしながら、利子率の変更が、全く予想されないわけではな
次に、突然の利子率変更が資産価格に変動を生じさせる点を吟味してみよう。前節
ω で分析したように、利子率の
O
者を分離するのに、重大な難儀が生じる。それゆえ、合衆国政府が行なっている大ぎっぱな課税法(本稿H節参照)
は、乙の困難さを実際上において軽減させるものであろう。すなわち、セルツア lは、現在アメリカで行われている
課税法によるならば、きして問題が生じないとしているようである。
しかしながら、彼の思考のル lトに則るならば、譲渡利得の大部分が一般所得である。一般所得なら当然綜合課税
されるべきであり、合衆国の課税法のような半額のみを課税する方法は是認できないはずである。特に、実効税率二
五パーセントの分離課税法に至っては論外である。この点にセルツア!の譲渡利得および損失の分析と、課税の関係
が論旨の混乱を生じている。それゆえ、﹁譲渡利得を偶然の利得と定義することは、議論の平衡を保つための有用な
・
。
z
ミ、︿。-・︿、
MZGNLPNh、
wミ
譲渡利得および損失の本質について
3倍、℃・一∞ 0・)との厳しい批判が出てくる。
M
・
Q
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投資家の投
この三要因は、明らかに予測困難であり、
一O一
予畑閣を行なったところで不確実である点は否めない。しかしながら、全く予惣できないものであろうか
た。それらは、予想収益の変動、利子率の変更、投資行動の変化である
は何かということが、次に与えられた課題となる。セルツアーに従って、われわれは、一二つの要因を知ることができ
譲渡利得がそれ以外の利得である一般所得と相違する点が、予期の可否におかれるとされれば、予期不能の事情と
ωN
・
) 譲渡利得および損失を一応保留して考えれば、資産価格の変動要因の考究乙そ、まさに、譲渡利得および損
・
℃
失の本質の討究となる。
J
-mE。円、同2 芯看守口)吋Z Z巳ロ3ω ロ晶、E
U肉、同円。己目。三三わω℃伊丹色。巳ロωω ロ
仏
目的とはなり得ない﹂(担各ω三 開
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ぴ
譲渡利得および損失は、資産価格の変動に起因する。一般物価水準の変動による﹁幻影的な﹂(印。=SFS・ミ
結
経営と経済
一
O四
資法を細かく分析してみると、先にあげた三要因は、投資家にとって完全に予測の外にあるのではないことが論証さ
れる。投資家の努力や智力が、ある程度まで、それらを予測可能にさせる。乙の努力や智慧に対する報酬は当然あっ
て然るべく、それは、譲渡利得の中に含まれている。
かように見てくると、はじめに設けた一般所得と譲渡利得との聞の区別は、かなりあいまいになってくる。それは、
普通に考えられている譲渡利得には一般所得に相当する部分がかなり合まれているためではなかろうか。セルツアー
の分析は、ますます犀利になる。彼がいみじくも指摘しているように、常識で解釈されている譲渡利得の大部分が一
般所得に相当する。こう議論を進めてきたにもか、わらず、彼は課税に際し、 一般所得と譲渡利得に主別を設げるこ
とに抵抗しないで、むしろ、それを甘受している。
セルツァ l の鋭い分析、特に投資家の行動を十分に考慮にいれた推論の万法には、傾聴に値いする点が多々あるが
巴定。ァミ・ミ?℃
-M0
・)を目的とした。
、結論らしきものは余りにも薄弱である。もともと彼は、﹁特定の公共政策を勧告するためではなく、読者自身がよ
り広い知識をもって判断できるように、分析(結果)を提供すること﹂
(
それゆえ、譲渡利得課税はかくあるべしとの当為は目的外であ勺た。そω
こに、何がゆえに譲渡利得および損失の本質
分析を企てたのか、との重大な疑問を投げかけさせる欠陥が示きれる。
ともあれ、従来譲渡利得の本質分析がなおぎりにされていたが、乙の残された分野を開拓した彼の研究方法とその
結果には大いに教示されるところが多い。しかしながら、彼の議論の結末は、余りにも予期せぬものと一五わねばなる
まい。われわれは、セルツアーの分析を踏み石として、譲渡利得の課税を考えていく必要を感ずる。
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