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全文掲載 - 日本戦略研究フォーラム(JFSS

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全文掲載 - 日本戦略研究フォーラム(JFSS
『季報』平成 20 年 夏号 Vol. 37
(第 19 回シンポジウム詳報)
― 目 次 ―
挨拶
「日本戦略研究フォーラムの貢献―よりよき日本建設のために―」
会長 中條 高德 ・・・・・・・・・1~2 頁
巻頭言「イメージ三論」理事 神谷 不二 ・・・・・・・・・3~4 頁
主張「福田内閣の早期退陣を望む」
副会長 小田村 四郎 ・・・・・・・・5~6 頁
誌上講演
「政治家は、今、何をするべきか!―政治家に求められる役割―」
副理事長 愛知 和男・・・・・・・・・7~13 頁
国際時評
「米国から見た日米安全保障の関係―日本・韓国・台湾―」
米国ヴァンダービルド大学公共政策研究所日米研究協力センター
所長 ジェームス・E・アワー ・・14~20 頁
国際時評「韓国新体制と日韓関係―古代史の史実をめぐって―」
韓国忠南大学校教授 李 鍾學 ・・・・・・・・・21~24 頁
国際時評「日露関係―北方領土問題解決への道筋―」
副理事長 宮脇 磊介 ・・・・・・・・25~26 頁
小論「国の守りを高める道州制はいかにあるべきか」
政策提言委員 天本 俊正 ・・・・・・・・27~29 頁
第 19 回シンポジウム詳報
「日本の安全保障―二大政党の主張―」
・・・・・・・・・30~55 頁
報告「核融合による新エネルギー創生」
評議員 野地 二見 ・・・・・・・・56~57 頁
提言(新連載)
「ホコリに埋もれた宝の山―研究開発再発見―」
研究員 江島紀 武 ・・・・・・・・58~59 頁
戦略ターミノロジー(連載その 5)「地政学の進化」 ・・・・・・60 頁
役員等一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61~62 頁
私どもは、予てよりわが国の在るべき姿を模索し、また、将来のわが国の在り方を思案して参りました。
その思いをより確実にし、国家運営の一翼になればとの強い意志で、この度、日本戦略研究フォーラム
を設立いたしました。
政治、経済、軍事、科学技術など広範かつ総合的な国家戦略研究を目的としたシンクタンクの設立が急
務であるとの考えから、各界の叡智を結集し、21 世紀前半におけるわが国の安全と繁栄のための国家戦
略確立に資するべく、国際政治戦略、国際経済戦略、軍事戦略及び科学技術戦略研究を重点的に行うと共
に、その研究によって導き出された戦略遂行のために、現行憲法、その他法体系の是正をはじめとした、
国内体制整備の案件についても提言したいと考えております。
本フォーラム設立にあたり各界の先輩諸兄からも、多くのご賛同ご激励を得たことは誠に心強い限りで
あります。各位に於かれましては、国内はもとより、国際社会から信頼される国家を目指す本趣意にご賛
同いただき、本フォーラムの活動の充実と発展のために、ご指導ご支援賜らんことを衷心よりお願い申し
上げる次第であります。
(平成 11 年 3 月 1 日設立に当たり 瀬島龍三)
調査・研究・議論・提言の質を高め「国の安全保障政策に寄与する」に相応しい活動を推進するための銘として掲げる
挨拶「日本戦略研究フォーラムの貢献―よりよき日本建設のために―」
会長 中條 高德
さる平成 20 年 5 月 21 日、日本戦略研究フォーラムの平成 20 年度役員会、及び、シンポジウムが開催
された。この第 19 回シンポジウムのテーマは、
「日本の安全保障―二大政党の主張―」であった。自民
党からは、中谷元、浜田靖一両議員、民社党からは、長島昭久、浅尾慶一郎両議員に登場して頂き、二大
政党気鋭の論客による議論が活発に行なわれた。
真剣かつ熱意のこもった本音と真意を引き出すコンダク
トの役割は櫻井よしこ先生にお願いした。櫻井先生の見事なさばきは言うまでもなく、議員先生方の意識
旺盛な発言、理路整然とした弁舌によって、聴衆諸氏の安全保障に係わる意識を自然と高め得たことと思
う。この様な場を提供することにこそ、本フォーラムが目指す啓蒙啓発の高揚と効用がある。この紙面を
借りて、シンポジウムを成功裏に導いて頂いたパネリスト、そして、聴衆の皆様に改めて御礼申し上げた
い。
さて、日本において「前向きの安全保障論議」が進められるようになったのは、つい先頃からである。
1990 年、イラクがクウェートに武力侵攻したことに因を発するコアリッション・フォース(連合軍)の
イラク制裁の武力行使は、1991 年 1 月に発起した。この国際社会が立ち上がった「湾岸戦争」における
日本の態度は、イラク制裁に賛成し協力する態度を、汗と血を流すことではなく、
「金銭に代える」こと
であった。それは、国際社会の態度と異常に乖離していた。日本のそれは、戦争の本質と軍事力の役割が
変化(進化)している国際情勢下にあって、時代遅れの後ろ向きの態度であったことは記憶に新しい。ク
ウェートの国際社会に対する感謝決議においても、ワシントン・ポスト紙への感謝広告においても、戦争
協力金百億ドル余を拠出した日本の名前は、連合軍に参加した三十数カ国の中に無かった。
国際貢献への自衛隊派遣に批判的な国内の新聞でさえ、
この冷徹な
「国際社会が示した間接的日本批判」
に衝撃の記事を掲載した。間もなく、日本は、急遽、ペルシア湾に掃海艇を派遣することになった。今考
えれば、ハード、ソフト、心の面において十二分の「国家意志」
、
「国家的準備体制」
、
「国家的フォロー体
制」が欠落した状態で海上自衛隊の「掃海艇という小船」を、よくもペルシア湾まで派遣したものである。
この命がけの戦後処理ミッション遂行に対して、平和と信義の精神に富む国際社会諸国が高く評価した。
この成果や、カンボジアへの陸上自衛隊派遣の成功があって、ようやく、政府、世論が国際社会における
貢献について真剣に取り組む意識を芽生えさせ実働に腰を上げることになった。今日に至るまで、紆余曲
折があったものの、イラク戦争の後始末に陸・海・空自衛隊が海外派遣されているのは周知のところであ
る。参議院での与野党勢力逆転によるオカシナ問題があるというものの、与党は政権に深刻なインパクト
が及ぶにもかかわらず、日本に対する国際的信義を得る決断を曲げなかったし、良識ある国民はそれを是
としているのは好ましく、また当然である。
1
それでも、いまだ日本においては、
「国連がウンと言わなければダメだ」と言う主張が勝って、
「相互扶
助」
、
「集団安全保障」を常識とする国際社会の「新たな国際秩序維持の仕組み」に逆行する政治主張が多
数を占める有り様である。確かに、国民の豊かで平安な生活に直接のインパクトを与える「国内における
政治・経済・教育・産業・福祉などに危うさが目立つ舵取り」が「政府や与党に深刻なダメージ」を発生
させていることは否めない。政党政治の多数獲得競争の具(愚)には「前者が政権党の足を引っ張るマイ
ナスのイメージ源」として適当であり、
「後者が引きずり下ろす決定打」となる傾向にある。
さて、このように考えたとき、第 19 回シンポジウムは、先行きを楽観視させる「ヴィジョンや示唆」
を与えたたであろうか。何かを導こうと務められたに違いない櫻井よしこ先生はもとより、全ての参加者
諸氏に不定愁訴(フラストレーション)を残したのではないか気がかりである。しかし、其処にこそ、私
どもフォーラムの真骨頂があると信じて疑わない。まず、
「意識に至る理解を深めること」
、次に「問題意
識を発生させること」
、三番目のステップが「如何ように解決策への入り口を見つけるか」であって、本
フォーラムが試みる最終的な活動こそ、そうして見出した「示唆と提言を活かすこと」と「仲間のコンセ
ンサスを高めること」である。
更に付言することをご容赦頂きたい。旧陸軍士官学校第 60 期卒業の私から見て、日本における各界リ
ーダーシップの世代交代が極度に進捗する時代を迎えていると思う。
「日本を真剣に愛し続けた戦前の時
代精神」が消えつつある。日本戦略研究フォーラムのような組織・団体に思い入れ、応援して下さる方々
の激減がそれを物語っている。企業などトップの交代は、明らかに、国の置かれた立場や将来を憂えて命
がけで国に尽くすことを覚悟した世代から、所謂戦後世代へと引き継がれつつある。この世代交代は、実
利的な思考が勝って、国家戦略について誰かが考え、示唆し、提言していかなければならない仕組みに投
資することから遠ざかる傾向を生んだ。また、その種の団体や組織がよからぬたくらみをして、社会的批
難にさらされたことにも原因がある。この様な傾向が健全な団体・組織にまで影響し、消滅の危機に瀕し
ているといった現象に拍車をかけている。
私は、ここで重ねて、かく言う日本戦略研究フォーラムの設立趣意、諸活動にご賛同頂き、物心両面に
わたりご支援、ご教導下さっている方々に御礼申し上げ、今後も一層の激励を頂戴致したく衷心よりお願
い申し上げたい。私が、傘寿を迎えながら瀬島前会長から、敢えて会長を引き受けた所以は、ご高配を賜
る処にしか役割が無いと判断したからに他ならない。勿論のこと、本フォーラムを通して志を同じくする
皆様方のご期待に応えられるよう、スタッフの尻を叩き、自らも精進、志の実現に邁進する所存である。
ここに意図する心情ご理解頂ければ幸甚この上ない。
(会長略歴) かつて崖っ淵に立たされたアサヒビールを大胆不敵な「アサヒビール生まれ変わり作戦」の総指揮官として見事に立て
直して見せた知将。1927 年長野県に生まれる。陸軍士官学校 60 期生。旧制松本高校を経て、学習院大学卒業後、アサヒビール㈱
入社。1982 年常務取締役営業本部長として「アサヒスーパードライ」作戦による会社再生計画に着手、大成功を収める。1988 年代
表取締役副社長。アサヒビール飲料㈱会長を経て、アサヒビール㈱名誉顧問。アサヒビール㈱学術振興財団理事長。日本戦略研究
フォーラム設立時からリーダーの一人、1999-2007 年、同フォーラム監事。
(著書)
『立志の経営 - アサヒビール復活の原点とわがビジネス人生』
(致知出版社、1993 年1 月)
『小が大に勝つ兵法の実践』
(かんき出版、1994 年5 月)
『おじいちゃん戦争のことを教えて - 孫娘からの質問状』
(致知出版社、1998 年12 月)
『事の成るは成る日に成るにあらずアサヒビールの奇跡』(産業新潮社、1998 年 12 月)
『魂を抜かれた日本人 - 歴史に学ぶ日本人の生きざま』
(文化創作出版、2000 年12 月)
『おじいちゃん日本のことを教えて - 孫娘からの質問状』
(致知出版社、2001 年6 月)
『兵法に学ぶ - アサヒビール起死回生の経営戦略と人生哲学』
(経済界、2002 年 9 月)
『おじいちゃんの「わが闘争」
』
(致知出版社, 2004 年 10 月)
『子々孫々に語りつぎたい日本の歴史』
(中條高徳・渡部昇一共著、致知出版社、2005 年
8 月)
『だから日本人よ、靖国へ行こう』
(小野田寛郎・中條高徳共著、ワック、2006 年4 月)
『勝者の決断』
(半藤一利・童門冬二・成君憶・後正武・松岡正剛・中條高徳・矢澤元共著、
ダイヤモンド社、2006 年5 月)
『企業の正義』
(ワニブックス、2006 年6 月)
『人間の品格 - 『論語』に学ぶ人の道』
(中條高徳他共著、日本論語研究会編、内外出版、
2007 年4 月)
2
巻頭言
イメージ三論
理事 神谷 不二
1
小学校の時、初めて卋界地図を見せられた。
「ホラ、こんなに小さいんだよ、日本は」と先生が言った。
われわれは昔から、日本は小国だ、アジア大陸の東の沖に浮かぶ小さな島国だ、と教えられてきた。
いま小学校六年生の孫娘に尋ねたところ、やはり同じように、日本は小さい国だと学校で教わったとい
う。
「小国日本」は、戦前戦後を通じて大方の日本人が自分の国について持つ、共通のイメージである。
戦前、とりわけ一九三〇年代のころ、われわれはしばしば「持つてる国」と「持たざる国」について聞
かされた。卋界情勢は、持てる「現状維持国」と持たざる「現状打破国」の対立抗争を基調として描かれ
たこと、周知のとうり。
日本は「小国」であり「持たざる国」であるから、
「持てる国」アングロサクソンの支配する現状を打
破しなければ生きてゆけない、と軍国主義者たちは国民を煽った。
「五族協和」や「大東亜共栄圏」のイ
デオロギー、そして「満州」
「大陸」
「南方」などへの進出政策は、このようにして正当化されたのであっ
た。
敗戦によって、日本は台湾、朝鮮、樺太、南洋群島などを失い、国土はいっそう狭くなった。したがっ
て、日本小国のイメージが引き続き維持されていることはいうまでもない。
戦前戦後を通じて、国民の間でかくも強く共有されている日本小国のイメージは、しかし、実態からは
遠い虚像にすぎない。実態に即していえば、日本は決して、大方の日本人が思っているほど小国ではない
のである。
言うまでもなく、アジアには、中国、ロシア、モンゴル、インド、インドネシアなど、国土広大な国が
たくさんある。そこでつい、日本は国土狭小な国だという印象を受けやすい。だが、国際的な比較でいえ
ば、日本はそれほど小さな国ではない。
早い話、現時点で、EU諸国と比べたらどうか。いわゆる西欧諸国のうち日本よりも国土が広いのは、
フランスとスペインくらいのものではないか。他の国々、イギリス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベル
ギーなどは、みな軒並み日本より小さい。
現在の日本さえかならずしも小国ではないとすれば、
戦前日本を事あるごとに小国呼ばわりしていたの
が、ためにする意見であったことは明らかであろう。無邪気な国民の多くは、なんとなく日本は小国だと
思いこんでいたに過ぎないのである。
2
同じような話――日本人はそう思い込んでいるけれど客観的には受容れがたいこと――は、
他にも少な
くなさそうだ。
オリンピックといえば、日本では二言目には「聖火1」である。ま、今年の北京「奥林匹克2」の場合は、
チベット紛争との絡みが生じたため、とりわけ大きなメディア種になったわけだが、それがなくても、と
にかく日本では、五輪といえばすぐ聖火だ。
聖火という言葉は、いつ誰が使いはじめたのか、その来歴を私は知らない。ただ、あの「トーチ(たい
まつ、かがり火)
」がなぜ日本では「聖」火になるのか、それを長年疑問に思ってきた。この疑問が解か
れたことはない。
遠く異朝をとぶらえば、アメリカやヨーロッパのメディアで、五輪トーチに聖火などという奇妙な尊称
をたてまつっている例を、私は寡聞にして知らない。手近にある「ニューヨーク・タイムズ」や「フィナ
ンシャル・タイムズ」を念のため見てみたが、単に「トーチ」
「フレーム」
「トーチ・リレー」などと言っ
Olympic Flame: ギリシャのオリンピアで採火。ギリシア神話中のプロメテウスがゼウスから火を盗み人類に伝えたことに起
源。1928 年のアムステルダムオリンピック以来、近代オリンピックの象徴。トーチ・リレーは、1936 年、A・ヒトラーのナチス政
権下で開催されたベルリンオリンピックで開始、開催国の国力・国威を世界に誇示、バルカン半島侵攻時のルート調査などが目的。
2 「奥林匹克」
:中国語の「オリンピック」
、
「奥运会 」も
1
ているだけだ。トーチを聖化しているのは、どうやら日本だけらしい。
中国共産党機関紙「人民日報」でも、それは「炬火」であって「聖火」ではない。にもかかわらず日本
が独り率先して聖火、聖火と有難がってくれるのだから、中国にしてみれば棚からボタモチみたいな気分
かもしれぬ。
このトーチ・リレーなるものは、かのベルリン五輪(一九三六年)を国威発揚の具として利用すべく企
てた、独裁者ヒトラーの目論見に由来したものにすぎない。それをなぜかことさら神聖視して止まない日
本的イメージは、滑稽でさえある。いまやナチ以上に五輪の政治的利用を策している中国にしてみれば、
もっけの幸いではないか。
国家主席として悪評さくさくだったかの江沢民以来十年ぶりという、重みのある訪日であった、その機
会に、胡錦濤がパンダなどという些事を進んで持ち出したのも、彼の心の底に、
「聖火」日本くみしやす
しという感覚が潜んでいたからではないだろうか。
3
話は変る。ここ十年二十年の間、日本でもっとも広く読まれ、親しまれた作家は誰だろうか。いろいろ
な見方があろうけれど、十人中八人までは、司馬遼太郎の名を挙げるのに異存ないのではなかろうか。司
馬さんが亡くなっていつしか十年以上になるが、まだ数年前まで彼の本は、現役の作家以上にどの本屋に
もうず高く平積みされていた。
とはいえ、誤解を恐れずにあえて言えば、日本人はいささか司馬遼太郎の読みすぎではないだろうか、
と私は密かに思っている。
「坂の上の雲」はその典例だろう。
この長編と取組まなかった人はそれほどいない、といっても過言ではなさそうだ。やがて大河ドラマが
始まれば、
「坂の上」ブームにはいまいっそうの拍車がかかり、日露戦争や日本海海戦の解釈は司馬史観
で決まり、ということになってしまうのではないか。
日本海海戦のドラマ、東郷平八郎の人間像、また彼を不朽のヒーローたらしめた秋山真之の智謀、それ
らを貫く司馬史観は、かつて吉川英治が宮本武蔵の解釈を独占したと同様、あるいはそれ以上に、独占的
評価を獲得するにちがいない。
司馬イメージが日本人の心を大きく支配するのは、
彼の深く豊かな力量の所産以外の何物でもあるまい。
そのことは十分認めつつも、しかし、そこにある意味の「読みすぎ」が伏在していることも否めないので
はなかろうか。日本海海戦に限っていっても、吉村昭の「海の史劇」や野村實の「日本海海戦の真実」と
併読している人は、意外に多くないようだ。
明治日本や日露戦争の解釈について、司馬イメージが支配的になりすぎるのは、司馬さん自身のもっと
も嫌ったことであったという事実を、忘れてはなるまい。
(執筆者略歴)1949 年東京大学法学部卒。大阪市立大学、慶応大学、東洋英和女学院大学各教授、米国コロンビア大学客員教授、
日本学術会議会員、さくら総合研究所長等を歴任。慶応大学名誉教授、日本卋界戦略フォーラム理事長、国際安全保障学会名誉会
長、韓国国際関係研究所最高顧問。法学博士。
(主要著書)
『現代国際政治の視角』
(有斐閣、1966 年)
『戦後日米関係の文脈』
(NHK、1984 年)
『朝鮮戦争』
(中央公論社、中公新書、1966 年/中公文庫、
『二十卋紀の戦争』
「卋界の戦争』第 9 巻(講談社、1985 年)
“The Security of Korea” (Westview Press, 1980)
1990 年)
『戦後史の中の日米関係』
(新潮社、1989 年)
『朝鮮戦争―한국 전쟁』
(韓国語訳、전망 출판、2003 年)
『アメリカを読む 50 のポイント』
(PHP、1989 年)
『アジアの革命』
(毎日新聞社、1967 年)
『朝鮮半島で起きたこと起きること』
(PHP,1991 年)
『沖縄以後の日米関係』
(サイマル出版会、1970 年)
『朝鮮半島論―한반도에서 일어난 것 일어나는 것』
(韓国語
『戦争と平和』
(グロリア・インターナショナル、1971 年)
訳、禮音、1991 年)
『日米経済関係の政治的構造』
(日本国際問題研究所、1972
『朝鮮半島論』
(PHP、1994 年)
年)
『現代の国際政治』放送大学教育振興会、1987
年、同改訂新
『日本とアメリカ―協調と対立の構造―』
(日本経済新聞社、
版、1991
年)
1973 年)
『勝負の美学』
(PHP 研究所、1999 年)
『現代の戦争』
(慶應義塾大学出版会, 1972 年)
『国際政治の半世紀――回顧と展望―』
(三省堂、2001 年)
『現代の国際政治』
(放送教育開発センター, 1980 年)
『北東アジアの均衡と動揺』
(慶応通信、1984 年)
4
主張「福田内閣の早期退陣を望む」
副会長 小田村 四郎
私は、
現福田政権の一刻も早い退陣を望んでゐる。
と云って小澤民主党に政権を渡すことは論外である。
小澤氏が政権奪取といふ目的のためには手段を撰ばず、
その主義主張を百八十度転換しても恥じない人物
であることは、多くの識者の指摘する所である。特に、海上自衛隊を印度洋から撤収せしめ、同盟国米国
の不信を買ひ、協同作戦国はじめ、世界から軽侮と嘲笑を招き、国威を失墜させた罪は消えるものではな
い(その際小澤氏がシーファー米国大使に採った非礼極まる対応も言語道断であった)
。このやうな政党
に国政を委ねることはできない。
それでは何故に福田内閣の退陣を求めるのか。それはこの内閣の存続が一日でも長ければ長い程、日本
の国益を損なうからである。
福田康夫氏が森内閣の官房長官として登場したとき、私は深く尊敬する故福田赳夫首相のご長男といふ
ことで大きな期待を持ったものである。しかし、氏の官房長官時代の言動は期待に反して全く許し難いも
のであった。平成十三年、小泉内閣が成立して小泉首相が靖國神社に断乎参拝すると明言するや、中国及
びこれに追随する左傾マスコミは猛然としてこれに反撥した。これに対する福田官房長官の対応は国立追
悼施設を建設し、それによって靖國神社を形骸化することであった。この暴挙は国民輿論と党内正論派の
反撥によって辛うじて阻止することができたが、これは福田氏の思想傾向を曝露したものであった。なほ
この年八月十三日に小泉首相は靖國神社に参拝したが、その折公表された首相談話は自虐的歴史観が盛ら
れてをり、これは官房長官の起草になるものと言はれてゐる。
翌年小泉首相の訪朝があったが、その日拉致家族に対し福田氏が行なった五人生存八人死亡の宣告ぶり
も極めて非情なものであった。翌日帰国した五人の被拉致者の処置についても福田氏は北朝鮮への送還を
主張したと伝えられる。
もし送還したら彼等は二度と祖国の土を踏めなかっただらう。
その他金正男氏
(と
覚しき人物)や尖閣列島不法上陸の中国人に対する処置ももっての外であった。そしてこのやうな福田氏
であるからこそ、
ポスト小泉に際し一部マスコミと党内リベラル派の
「希望の星」
となってゐたのである。
しかし福田氏は立候補を辞退した。
ところでわが国の政界、言論界では、この十年来、保守的傾向が顕著となってゐた。特に小泉首相は日
米同盟の強化を公言し、自衛隊の印度洋派遣、イラクの派遣を断行し、自衛隊の海外活動を拡大した。ま
た首相として初の訪朝を行ひ、金正日に法人拉致の事実とその非を認めさせた。このことは国民に同胞意
識を喚起し、また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは安全を確保できないといふ国
際社会の冷厳な現実に目を開かせた。
内に於ては中曽根首相以来断絶してゐた首相の靖國神社参拝を断行し、中国を始めとする内外の圧力と
雑音に一歩も屈しなかった。これはわが国の国際的地位を高め、国民の国家意識を目覚めさせるものであ
った。また戦後六十年、全く手を触れられなかった教育基本法改正案を国会に提出したことも大きい。平
成十八年八月十五日、最後に靖國神社に参拝したことは、有終の美を飾るものであった。
後を継いだ安倍首相は、
「戦後レジームからの脱却」を目標に掲げ、戦後の首相として初めて占領憲法
の改正を明言した。もし安倍長期政権が実現すれば、忌まわしい占領政策の残滓は払拭され、本来の日本
に戻ることができるのではないかと期待された。
事実、安倍内閣は継続審議中だった教育基本法改正を実現させ、学校教育法改正も行ひ、さらに教育再
生会議を設けて教育の抜本的改革、その正常化に乗り出した。また懸案であった憲法改正に必要な国民投
票法案も成立させ、防衛庁の省昇格も実現し、安倍体制強化のための国家安全保障会議(日本版
NSC)1設置の法案も提出した。
国家安全保障会議(National Security Council):外交問題や国防問題、安全保障政策などの審議や立案、調整などを行う国家
機関。多くは大統領や首相、内閣に助言。議長は大統領や首相、メンバーは、副大統領や副首相、内相、外相、国防相、財務相な
どの筆頭閣僚、君主の権限が強い君主制国家では、君主が参加。英・仏は国家安全保障会議を設置。日本では内閣に属する安全保
1
最も注目すべきは「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」
(安保法制懇)を設け、集団的自衛
権をはじめとする自衛権の諸問題について本格的なメスを入れようとしたことである。周知のやうに我が
自衛隊は、政府(内閣法制局)の国際通念を無視した独断的憲法解釈(正しくは独断的「自衛権」解釈)
に手足を縛られて、通常の軍隊としての活動を著しく制約されて来た。そのことはまた我が国の外交史上
大きなハンディキャップとなり、著しく国家の威信を傷つけて来たのである。安倍内閣がこの問題に手を
着けたことは、国家の正常化として画期的なことであり、その目的が実現すれば敗戦後六十余年にして漸
く国家としての資格を回復できることとなる。そしてこの懇談会は精力的に審議を進め、結論としての報
告書を取纏める寸前になってゐたのである。
もとより中西輝政教授の指摘される如く(同氏「日本の岐路」
)安倍内閣の行動に問題がなかったわけ
ではない。さうした失策や油断もあって、参院選の争点が国家の基本問題から目先の些事にずらされ、与
党の大敗を見るに至った。その後の心労と病状の悪化から、遂に安倍首相の桂冠を見るに至ったことは、
返す返すも残念であった。
後継は当然麻生幹事長と思はれたに拘らず突如として福田氏が登場した。前述の如く同氏の国家観は安
倍、
麻生氏のそれとは水と油であり、
その政変は一種のクーデターと云ってよい。
不可解の一語に盡きる。
案の定、福田内閣の改革は一変した。前内閣で重視された教育改革は悪名高い「ゆとり教育」が若干手
直しされる等、一部は実現したが、眼目とされた道徳教育の教科化は先送りされてゐる。教科書記述にし
ても折角是正された沖縄戦の集団自決について、偏向マスコミの圧力に屈して再修正するといふ醜態を演
じた。
福田首相は就任早々、靖國神社に参拝しないと公言した。
「他国の嫌がることをしない」といふ理由で
ある。外国の内政干渉を公認するこの発言は、独立主権国家としての外交を放棄したものである。これだ
けで首相の資格はないと言える。世界に好評を博してゐた安倍首相の価値観外交も、麻生外相の「自由と
繁栄の弧」も消えてしまった。
安全保障に関する姿勢も論外と言えよう。
廃案となった日本版NSC 法案を再提出する意思は全くなく、
何よりも重視さるべき「安保法制懇」は福田内閣発足以来一回も召集されてゐない。このままでは自衛隊
は従来通り手足を縛られたまま活動を続けなければならない。
さらに驚くべきことはクラスター爆弾禁止条約への同意表明である。これは福田首相の強い指示に因る
といふ。たとえこの爆弾の非人道性について問題があるとしても、我が国を囲む諸国、即ちロシア、中国、
韓国、北朝鮮、米国等のすべてこの会議に参加してゐない。全世界の国が一斉に廃棄するならば兎も角、
我が国の隣国(同盟国は米国のみ)が保有しながら、我が国のみ廃棄した場合、一体防衛は可能なのか、
万全と言えるのか。首相がこの問題を真剣に検討した形跡は窺えないし、国民に対する説明もない。米国
との協同作戦に依存すると云っても、自ら守る意思を持たぬ国を米国民の血を流して守る筈がない。国防
に関する最高責任者でありながら、その責任を自覚しない者を首相に戴く国民ほど不幸な者はない。
従って福田内閣は一刻も早く退陣し、眞正保守の政府が成立することを熱望して已まない。
(執筆者略歴)拓殖大学 16 代総長、大蔵省大臣元官房企画長・元名古屋国税局長・内閣官房元内閣審議室長・防衛庁元経理局
長・行管庁元行管局長・行管庁元次官・農林漁業金融公庫元副総裁・元日銀監事、日本李登輝友の会会長、國語問題協議會会長、
財団法人日本国防協会顧問、社団法人亜東親善協会顧問、防衛法学会顧問
(著書)『 憲 法 と 自 衛 権 』 1984 年 / 『情 勢 変 化 に 対応 す る 安 全 保障 政 策 の 抜 本的 見 直 し 』 1987 年 / 『 占
領 後 遺 症 の 克服 』 1995 年 / 『こんな憲法にいつまで我慢できますか 亡国の民とならないために』共著2003 年
障会議が該当。2006 年に誕生した安倍政権において、行政改革の目玉として国家安全保障会議(日本版NSCと呼称)の創設を提
唱。これはアメリカ合衆国との政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたとも。2007
年2 月を目途に 2 週 1 回の会議を設けて議論を行っていく予定のところ、
安倍の後を継いだ福田康夫により撤回。
安倍は日本版NSC
において、集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈の変更を目指し「安全保障会議」を「国家安全保障会議」に改組、事務局を設置
するなど安全保障会議設置法改正案を衆議院に提出するも撤回により廃案。福田が「現存の安全保障会議で充分機能する」とする
一方で自民党防衛省改革小委員会(浜田靖一委員長)は国家安全保障会議(日本版NSC)創設を提言、今後の防衛省改革の進展や、
ポスト福田政権以降に於いて日本版NSCの創設が行われる可能性大。
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誌上講演
「政治家は、今、何をするべきか!―政治家に求められる役割―」
副理事長 愛知 和男
このように多数の方々にお集まり頂き、誠に有難うございます。講演会でお話しするに当たり、まず一
言申し上げておきます。昨年 1 月、議員としての永年勤続表彰を頂きました。齢は 71 歳を数えます。も
う、衆議院議員を引退かと言われるのですが、正直申し上げて、意欲は満々、やる気十分でおります。こ
の会で、其処のところの気合をお見せしたい、まだまだ議員として日本のために働ける、働きたい、働く
ぞという意気込みを皆様にお伝えしたいと思い立ったわけです。従って、お話させて頂く内容は、政策に
係わることですから堅苦しいかもしれません。其処のところはご容赦、ご承知頂きたいと思います。
1アルゼンチンの教訓
かのアルゼンチンという国は、
日本にとって反面教師足り得る国であると、
私はこの様に考えています。
1900 年のデータを見ますと、一人当たりの GDP が、アルゼンチンの場合、2,756 ドル、この時、日本
は 1,135 ドルでした。1969 年にはこの数字が逆転するのですが、百年後に当たる 2000 年の数字を比較
をしますと、アルゼンチンの一人当たり GDP が 2,784 ドル、百年前とあまり変わらない数値です。とこ
ろが、日本は 31,292 ドルに達し 27 倍の成長を遂げました。この数字は、アルゼンチンの 11 倍強です。
それでは、日本とアルゼンチンに、どうしてこのような差がついてしまったか。それには数々の原因があ
ろうかと思います。最大の原因は、政情の混乱とポピュリズム政策を採ったことでしょう。このことは、
私どもに、非常に大切な教訓を与えています。
1946 年にペロン政権になってからというもの、その政策は、国家を発展させる政策ではなく、政権に
固守するためであれば何でもするという政権でした。挙句は、ペロン大統領の奥さんまでもが大統領にな
っています。アルゼンチンでは、権力側とそうでない側との所得格差が拡大する一方でした。賃金、処遇
の面で労働条件が改善されることもなく、労働環境についても同様でした。当然、生産能力、生産量、品
質の面においても望ましい向上を遂げる筈がありません。おのずから、国が富むということとは程遠い状
態に置かれ、借金も嵩んでいきます。外国から借金したために生じた財政赤字に苦しむことになります。
その上、
産業構造が進歩しませんから第一次産品の輸出に依存する体質から抜け出すことが出来ません
でした。この第一次産品に依存する輸出の体質は、貿易構造上、きわめて国家財政的に脆弱でした。物が
採取出来なくなればそれでおしまいということになるわけですから。
アルゼンチンの指導者もただ手をこ
まねいていたわけではないでしょう。
インフラ整備も試みるのですが、
外国資本に過度な依存をしたため、
国が主導して国家財政を立て直す形態にたどり着けなかったという結果を招きました。
この状態を招いたことには、政治家や軍人の不正や暴力などの蔓延という助長がありました。日本にお
いてこのような火種が全く無い、決して起こらないという保証はありません。加えて、バランスの取れて
いない貨幣の出回りが当然のインフレを招きました。アルゼンチンの場合は、ハイパー・インフレーショ
ンと言われ、1989 年にインフレ率が 5,000%にも達しました。ちなみに、このような破綻状態に陥った
アルゼンチンに対して、わが国は、1965 年以来、合計、81 億円余の有償資金協力、1983 年以来、合計、
57 億円余の無償資金協力、1979 年以来、合計、432 億円余の技術協力を行なってきました。
百年前の日本とアルゼンチンの比較におけるアルゼンチンの先進性が嘘のようです。
更に例を挙げて申
します。アルゼンチンに地下鉄が開通したのは 1913 年でした。日本はそれに遅れること 14 年後の 1927
年であり、しかも、アルゼンチンに技術指導を仰いでおります。ところが、今では、日本からアルゼンチ
ンに対して地下鉄車両を輸出しています。1995 年、丸の内線の中古車両がブエノスアイレス市の地下鉄
で運行開始され、1998 年には、名古屋の地下鉄で使われた中古車両が輸出されました。
このように、百年でアルゼンチンは凋落し、1900 年に世界第三位の経済力であったのが、現在、世界
第三十一位になってしまいました。勿論、日本がこの轍を踏んではなりません。百年間変わらなかったア
ルゼンチンに比べ、日本はこのわずか 20 年の間に GDP が 27 倍となりました。アルゼンチンの何処が
悪かったか、総じて言えば、政情の混乱と、国民に対する人気取りにはしった、実体が伴わないうわべの
ポピュリズム政策でありました。一方、日本を顧みて私が危惧するのは、我慢や労苦をさて置いて、楽を
したい、得をしたいという願望に目をつけた人気取り政策の蔓延であります。日本にもポピュリズムがは
びこり始めました。アルゼンチンの二の舞にならないか、アルゼンチンを反面教師として観てみました。
アルゼンチンは、それでも幸いなことに国家が破綻し、国民が飢えに苦しむことから逃れることが出来
ました。経済成長が無かったアルゼンチンが潰れていない。それは何故か。その第一は食糧の豊富な自給
が出来たことでありました。アルゼンチンは食糧(第一次産品)輸出国として有名です。輸出するほどの
食料が有ったということ、しかも自給によって食に困ることが無かったからこそ、国家が消滅することな
く生き延びることが出来ました。
他方、今や世界第二位の経済力を誇るわが国ではありますが、政治や政策の行方次第では、アルゼンチ
ンと同じ道をたどる可能性が十分に有ると言わざるを得ません。現政情の成り行きが停滞し、混乱を続け
るようであれば、
ことと次第では、
日本の勢いが衰えていく傾向に歯止めが掛からなくなります。
しかも、
アルゼンチンと違って、
日本の食糧自給は、
無きに等しい事態に陥りつつあります。
この現状を顧みれば、
歯止めを掛け、
上に向かう手を打たない限り、
アルゼンチンのような地位に落ちていく恐れが消えません。
しかも、食糧自給率が極端に低い日本の現状では、発展途上国並になるどころか、国自体の自存すら危ぶ
まれるのであります。私自身、政治の道を歩んでいる限り心配するだけではなく、アルゼンチンを他山の
石として、与党自民党が具体的な政策を打ち出せるよう寄与していかなければなりません。
2政治家に求められる役割
アルゼンチンの例を引くまでもなく、
政治家に求められている役割が大きいことがお分かり頂けるでし
ょう。そこで、政治家が考え、実行に移さなくてはならない数多くの事項から、抽象的ではありますが、
今、優先して考慮し、実行していかなければならないことについていくつか申し上げたいと思います。
(1) 遠い将来を考えて、今、何をすべきか考えること
人々は、どうしても今日、明日のことを考えがちであります。こうした中で政治家は、国家運営に関わ
る諸事項について、長いスパンで次世代、次々世代のことを考えなければなりません。その上で、今、何
をやらなければいけないかという発想を持つことが基本的に大事であり、忘れてはいけません。それは、
常々私の信条としているところでもあります。
(2) 国民を説得するということ
私ども政治家は、選挙のことが念頭にありますから「国民の声を聴く」ということを常々言っておりま
す。しかし、国民の声に耳を傾けるということだけでは政治家たり得ません。
「聴く」ことと表裏一体で、
大切なことは、国民の皆様を説得することです。自分の志、政策、即ち、やろうとしていること、やらな
ければならないことに関して、理解を求め、そのリアクションとして国民のコンセンサスと応援を求める
ためには、説得力がなくてはいけません。説得力が、国民の望んでいる政策と調和すれば、自ずから効力
を発揮します。ですから、国民の声を聞くことが説得力と表裏一体の関係にあるわけです。そのように言
動しなければ政治家の役割を果せません。
しかしながら、国民の要求の全てに迎合するという態度に陥ってはなりません。アルゼンチンの例でも
申し上げました。国民の声を聴くことには節度をつけて臨まなくてはなりません。節度の無い迎合はポピ
ュリズムでもあります。ポピュリズムにはしることは、国民の声を聞く一方の姿勢から来るもので、過ち
であると言えましょう。ですから、
「聴く」ことに付随する「説得する」こと自体が政治家の大切な役割
であると言えるでしょう。
(3) 「見識・大局観・徳」をもとに官僚をリードするリーダーシップ
政治家がどんなに偉そうなことを言いましても、官僚から協力を得なければ、やりたい政策も進みませ
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ん。政治家の演説も仕事のうちですが、演説だけで終わってしまっては、何もなりません。実行力のある
政治家たらんとすれば、
官僚の力をどのように引き出して、
味方につけ協力体制を自分のものにするかは、
誠に重要なことであります。それは、まさにリーダーシップに通じます。政治家が知識で官僚に敵う筈が
ありません。政治家が知識をひけらかして、官僚に勝ってリードすることなど出来ません。政治家が官僚
に勝って優れているところは何処にあるのでしょうか。それこそが大局を見抜く洞察力、総合的に判断し
うる識見であり、何よりも勝らなければならないのが人徳であります。優れた知見・識見、徳がもたらし
た人脈などは、官僚を動かす、官僚の尊敬と信頼を獲得する要件であります。政治家と官僚の関係が良好
であることが如何に大事なことであるか、私自身の認識するところでもあります。
現在、公務員の不祥事案が頻発、露見してバッシングされています。官僚はけしからんと言われていま
す。事実、官僚には反省すべきところが多々有ります。しかし、官僚たたきをしているだけでは進歩しま
せん。その官僚に、やる気を起させ、経験や知識を国のために捧げるという気概を持ってもらわなくては
なりません。官僚がよく働かなければ国が成り立っていかないし、国民が寄りすがる国家の実体が信頼に
耐えないものになってしまうわけです。政治家こそ、官僚を激励、教導して、官僚が適正、真摯に働いて
いくリーダーシップを発揮しなければなりません。それは、政治家の主導的役割の一つであります。
(4) 官僚の持つ情報に対抗できる情報を庶民から求める
官僚は、その仕事の性格上、黙っていても情報が集まる仕組みにおります。特に、日本の官僚機構は強
力でありますから、官僚が持っている情報量、内容には相当のヴォリュームと価値があります。官僚に勝
って物事を知っていることはリーダーシップにもつながります。しかし、ごく普通の政治家は、官僚組織
というネットワークから官僚の得る情報に太刀打ちすることが出来ません。
官僚に優越する情報は、庶民からの情報です。それが、座していて手に入る官僚の情報と異質であるこ
とは自明であります。其処に、官僚と質の違う庶民からの情報を収集するメリットを見出すことが出来ま
す。単に知っているということでは井戸端会議の話題に過ぎません。政治家に求められるところは、政策
との連接性です。庶民がこう考えているから、つらい、悲しい、苦しい、痛い目に遭っているからといっ
た庶民の問題意識など、その情報を得てこそ国民に選ばれた、庶民の代表者たる政治家の意味があって、
しかも実行力が伴えば、価値も生まれるわけです。その意味においても、選挙を通して得られる庶民から
得た情報の価値は高いものと考えますし、その情報収集自体が政治家の役割となります。
3 当面する基本的政策課題
政策課題については、当面している案件だけでも山ほどありますが、いくつかに焦点をしぼり、基本的
なポイントについて、私見を交え申し上げたいと思います。具体的な話に入る前に、政策立案に最も重視
されるべき要素である整合性について申し上げます。政策において、この「整合性がある」ということは
当然の重要事です。ところが、私は、野党の言う聞こえのいい政策の中で、分けても財源に関しては整合
性が欠けており、しかも財源の根拠が希薄であると捉えています。人々にとって「ああして欲しいこうし
て欲しい」と願っていることを、
「かなえてあげましょう」と耳に心地よいリップサービスをするのは簡
単です。政策立案で最も大切なことは「整合性が取れている」ことです。整合性が取れていなければ、そ
れは政策の名に値しないと考えます。
野党の聞こえのいい政策に関して、その政策を実行に移す財源をどうするのか、私どもは常に問いかけ
ています。しかしながら、それらを実行に移すには予算が伴わなくてはならないわけです。しかも、新た
にやろうとする事業に必要な財源を求は、紙幣を増刷すれば済むわけではありません。限られた歳入財源
の中で、お金が必要な全ての事項と整合性を取らなければいけません。ですから、政策立案上、国家予算
の組み立て一つを取り上げても、歳入・歳出の整合性、予算科目全てにわたる説得性のあるバランスの取
れた整合性をとるという、基本的に大切なことを忘れてはならないわけです。ところが、何かにつけ反対
に回る野党サイドには、要求のみにはしり、予算編成に整合性が取れていることが最も重要だというポイ
ントが忘れられています。
(1) 国家としての自立の問題
アルゼンチンの例では、食料自給率百数十%でありまして、食料には困らないということについて既に
9
申し上げました。ところが、日本の場合は、食糧自給率が 27%です。この数値は、日本人が直接に食べ
るものと家畜の餌も含めた数値です。しかし、日本人が食べている鶏卵が国内自給百%であると思いがち
ですが、鶏の飼料は輸入しています。このように自給と言っても、裏を見れば純粋の自給ではないケース
が多くあります。この自給 27%という数字は、多岐の要素を勘案して計算されたもので、日本人に最も
親しみがある穀物の自給に例をとったものです。日本におけるあらゆる分野の「自給・自立」については、
改めて根本的、基本的に考え直さなくてはならないところが極めて多いということです。
日本のエネルギーは、自給率がわずか 4%です。このことは、言い方を代えれば 96%が外国からの輸
入に依存していることになります。自給率のうち、水力発電が三分の一くらい、そのほか太陽光発電や風
力発電、最近は産業廃棄物も燃やし発電に利用していますが、実にお寒いエネルギー自立の実体です。こ
の 4%に原子力を加えれば 18%になります。立ち上がりに必要なウランは外国から買ってくるので、純
粋なエネルギー自給とは言えないわけですが、一度使い始めますと、少量のウランを繰り返し使用して、
実に長い年月の間エネルギー供給が出来るわけですから、自給の仲間に入れてもいいでしょう。それでも
僅か 18%です。ところが、日本においては、原子力に関わる議論が消極退嬰の風潮に陥っています。核
兵器と、原子力平和利用とは別個に取り扱えるようにしなければなりません。
「核アレルギー」の日本に
おいては、やはり自給エネルギー源は 4%に留まるということなのでしょうか。原子力エネルギーを除い
てしまうと、日本の自存が成り立たなくなるということが解っているのでしょうか。
安全保障の自立はどう考えたら宜しいでしょうか。現在、日本の安全保障は日米同盟が基軸になってお
ります。私は、この防衛政策が基本政策として、現時点、最適であるということに同意です。しかしなが
ら、防衛省・自衛隊の不祥事案の原因がどこにあるのかと考えますと、その一端がこの辺りにあるのでは
ないかと思います。防衛の専門家集団であるべき防衛省・自衛隊の職員や隊員の心の底辺には、無意識の
うちに「最後は、日米同盟があるからアメリカが守ってくれる」という安易な思いが在るのではないか。
それが災いしていないか。現状を観ていると、
「自分たちの国は自分たちの手で守るのが基本である」と
いう強い信念や気概に欠けているように見えて仕方がありません。これは自衛隊だけの問題ではなく、国
民全体の問題でもあります。どうも、何か強力に筋の通った防衛理念を抱いているという心情に乏しいの
ではないかと思えます。このことは「自立を妨げている」ということに他なりません。このように、国家
存亡の鍵を握る部分においても、自立が欠落している危惧を感じます。
日本の食糧自給率がこのように低下したのは何故か?それは、
安い食糧を外国から買い漁ってきたこと
に原因があります。単純な費用対効果の計算から、国内産には高いコストを支払わなければならない、だ
から外国から買ってくるという基本政策が採用されました。
その方向付けはそれで間違いではありません
でした。しかし、今日では、輸入もコストが嵩んで来ております。長い間、輸入だけに目を向けて、食糧
危機管理の発想など思いもよらなかったのです。今、自給率を高めようとする機運が高まっていますが、
黙っていても自給率は上がりません。
必要なことは、
具体的にどのような手立てをとるかということです。
日本の自立を促すために、
多方面にわたって自給率を上げる取り組みに反対する人はいないと考えます。
しかしながら、
自給率を上げるためには、
国民個人々々が痛みを分け合っていかなければならないのです。
自給率向上には高いコストがかかります。最終的には、このコストを国民が負担しなければなりません。
外国依存を高め、今日まで放置して来た自給の土壌を元に戻すには投資が必要です。当然、国内産を軌道
に乗せることは高くつきます。しかし、だからと言って、いつまでも安い外国産に依存していて宜しいか
という自問に突き当たります。
この実情を改善し、
自立政策を貫いていくには相応の覚悟が必要でしょう。
その覚悟が「国民一人ひとりの負担が増加する」ことなのです。自給率向上の政策に関わる国民の理解を
求め、説得する努力を積むことは政治家に付託された役割であることに思いを致さねばなりません。
(2) 財政再建のため「上げ潮路線・増税路線」いずれの選択か
今、危機に瀕している財政を、直ちに健全化することは極めて困難であります。それにしても、借金の
桁が天文学的に過ぎます。国民一人ひとりの財政的犠牲無しに、財政赤字を減少させていくことは極めて
困難であることを分って頂かなくてはなりません。
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財政危機について具体例からお話しします。平成 20 年度歳入の内訳で、国民の皆様から納められる税
金が約 50%(53.5 兆円)を占めています。他方、社会保障・公共事業・文教・防衛など必要歳出の他に、
「国債費」が歳出に計上されており、20 兆円強であります。この点にこれからお話しする意味があります。
この 20 兆円強の中に、国債の利子及び割引料、借入金の利子、財務省証券の発行割引料等の支払額の 9.3
兆円があるということです。大雑把な言い方ですが、借金の総額である 553.3 兆円の国債を所持している
一人ひとりに、この 9.3 兆円が利子として毎年支払われていきます。つまり、皆様の税金 53.5 兆円のう
ち、9.3 兆円が国債を保有している人に支払われる利息に充当されるわけです。
国に金を貸している人たち、即ち、国債を買っている人たちにこの 9.3 兆円が払われていくのですが、
これは格差が生まれることにつながります。つまり、持てる者が富むことになっていくわけです。このよ
うな言い方をして財政危機を訴えているのは私くらいでしょうか。
貧富の格差を広げる手助けを国がして
いるという言い方は過ぎるでしょうか。この問題は、一刻も早く現状を打開しなければならない大事であ
ると私は考えます。経済学的には議論を喚起する私論ですが、私は、この良からぬ状況を続けることに警
鐘を鳴らしたいのです。納税者の血税のうち 9.3 兆円が利息の支払いに使われます。この国民の税金が有
効に使われているとは言い難い現実をどのように是正して行けばよいかという政策を考え、
実行すること
こそ、政治家に課せられた一つの重要な役割です。
この答えの一つが、
「増税路線を採る」ということになります。昨今、日本経済を活性化させ、そこに
税収増を求めていくと言います。それは可能でしょうか。実情として、借金の額に対応できる経済成長を
望む術が無いのです。借金の額が余りにも多額になってしまったことにその原因があります。節約はもと
より大切ですが、これ以上節約できないという状況は、永久に来ないでしょう。従って、節約してから増
税するということではなく、節約しながら増税するというシナリオしかないと考えます。財政再建は急務
となっています。財政是正・再建には増税路線を選択し、その具体的実行方法を見出さなければならない
時期が来ています。その財政再建の喫緊の政策として具体的な効果が見えるのが、
「上げ潮路線」ではな
く「増税路線」であるということをお分かり頂かなくてはならないのです。
(3) 憲法 86 条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け、議決を経なけ
ればならない」について
この条項に潜在する問題は、「国家予算を作る権限を内閣にしか認めていない」ということです。内閣が
提出した予算案は、予算委員会などで審議しますが、国会では修正できません。
「憲法第 86 条」は、こ
のように、内閣、言い換えれば、財務省に強力な力を与えることを規定しています。
国会議員は、議員立法という形で新しい法律を作れますが、予算執行を伴う法律の場合、まず予算が必
要です。その予算は、内閣が作成する予算案の中に盛り込まれなければなりません。内閣がその予算を盛
り込まなければ「議員立法」は画餅に終わってしまいます。ところが、予算獲得が難しいので、議員立法1
が予算を伴わない理念法になっている傾向にあります。ここには、国会の立法機能が、予算という障壁の
ために力を持てない現実が見られます。他方、強い力を持っているのは、官僚機構であるという実体を認
めざるを得ません。
国家予算が財務省に牛耳られている限り、相変わらず、国会議員が、予算折衝、陳情のための財務省詣
でをして、
「一つ頼みますよ」と言ってまわる光景は無くならないでしょう。このような「財務省詣で」
が政治家の重要な仕事になっている現実は、寂しい限りです。この現実を打開して、本来の政治家の役割
を明らかにし、働き処を得るには、ここで取り上げた憲法の改正が必要条件となってきます。
(4) 道州制
自民党内において、道州制導入の議論が進んでおります。党内には、谷垣政調会長を本部長として、道
1
立法府に所属する議員の発議により成立した法律の俗称(立法行為そのものを指す場合も)
。日本の国会において成立する法律案
の大多数が内閣提出のもの、内閣提出の法律案を優先して審議する傾向、一方、議員発議の法律案は提出されても審議されず廃案
が多数。この背景から、国会議員による立法を特に議員立法と呼称。両議院委員会の提案議案も議員立法にあたり、衆議院議員提
出の法律案は衆法、参議院議員提出の法律案は参法と称し、内閣提出の法律案は閣法。現実に議員立法として成立する法律案は、
議員が熱心にその問題に取り組んでいたり、新しい価値観に基づいたもので政府が前面に出て参画し難いものが多数(特に生命倫
理に関する法制度の構築を目的とする場合に顕著)
。
11
州制推進本部が設置されています。現在は、第三次の中間報告がまとめられつつある段階です。道州制導
入は、実現の運びに到れば、今から 7~8 年後にその構築が考慮されます。明らかに方向性は出ていると
言えるのですが、実現スケジュールは立っておりません。最終的には連邦制の導入へと進んでいくことも
考えられます。
日本を統治する機構を変えていく作業について付言します。
ここで道州制が真剣に議論されるに到った
のは、
何もかも中央で決めるという中央集権制度を継続するが適当であるか否かという疑義が生じたから
です。国際社会を俯瞰致しますと、先進国の殆どの統治機構は連邦制をとっています。他方、発展途上国
では、殆どが中央集権制度をしいています。
中央集権の意味があったのは、国家を急速に発展させ相対峙する国家との均衡、或いは、優越を獲得し
ようとする時代でした。日本の明治維新はその代表例であって、その成功例でもあります。ことを急ぐ場
合には、強力なリーダーシップの出現も必須でした。権力を中央に位置して、それを担う優秀な官僚を集
合配置し、中央から指令を出して統治して来ました。日本の場合、これが極めて効率的、有効に働いて、
急速に、発展途上国から、先進国として世界中が認知する経済大国となりました。このことからも、最早
成熟した先進国である日本が、今後とも中央集権体制を維持する理由はなくなっているのです。
自民党の「第三次中間とりまとめ」では、道州制は、十前後のブロックをイメージしています。区割り
や中央と地方の権限分割の問題、その他が提起されるでしょう。道州制を本格的に導入して、地方へ中央
の権限を委譲、移管することについては、先に触れたとおり憲法改正が必要となります。現憲法では第八
章に地方制度について触れられています。しかし、定められている地方自治については、わずか四つの条
文しか有りません2。地方分権に関わる基本的な概念は「憲法」に示されるべきであって、新憲法に盛り込
まれる地方分権の条項では、地方に拡大される権限を明確、具体的に表現することが期待されます。
(5) 憲法改正について現状と今後の進め方
憲法改正という課題については、個人的にも、党人としても長年携わって来ました。現在、国会、内閣、
政府、党、それぞれに憲法改正に関わる大小何らかの検討組織が在ります。私は、衆議院憲法調査会のメ
ンバーとして、或いは、新憲法制定議員連盟の幹事長を仰せつかって全力投球して参りました。まず申し
上げたいことは、「憲法九条」だけが改正の対象ではないということです。勿論、憲法九条は、最も重要な
改正対象の一つですが、他にも改正すべき点があります。道州制導入、即ち、地方分権については必要性
に触れました。環境問題についても憲法に加える必要が出ています。今や、現憲法には、全てにわたって
再点検すべき条項があります。最早、憲法の議論は、
「改憲」が必至であって、何を如何に条文化してい
くかという論点に絞り込む時期に来ていると思います。
憲法は具体的な、詳細にまで及ぶ改憲議論にもっていく時期に到っていますが、一度に全てを成し遂げ
ようとするのは危険です。対立、反対が生じた際、決定に無理が有ってはいけません。憲法を定めるのは
国民のコンセンサスです。従って、新憲法制定には戦略的思考が必要です。国民の直接参加による憲法改
正手続きの法律が欠落していましたから、国民投票法を成立させました。これで手続き上、制度上、憲法
改正への道筋が出来ました。その意味するところ、憲法改正上の手続きにおいて支障が無くなったという
ことでもあります。
2007 年(平成 19 年)5 月に成立しました国民投票法は、向こう三年間は国民投票を行わないという条
件が付随しています。ここには、直面する要改憲条項に関わるあらゆる検討と、改憲に進むならばその準
備を、この三年の間に実施するという意味がありました。国会でも、憲法審査会を設置して議論し、改憲
準備の機能を果すという三年間の意味がありました。しかし、実際のところ、その機能自体がまだ出来て
第8章 地方自治第 92 条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第 93 条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第 94 条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定すること
ができる。
第 95 条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過
半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
2
12
もいません。既に、残りは二年しかありません。私は、先頭に立って活動し、この審査会を早期に立ち上
げて機能させたいと意気込んでいます。
ちなみに、選挙権は 20 歳で付与されていますが、憲法改正に関わる国民投票権は 18 歳からその権利
を付与します。
ここに発生する選挙権と憲法改正投票権との間の齟齬については速やかに整合性を図る必
要が発生しています。次世代を担う若者たちの間に「説明のつかない疑義」を発生させてはいけません。
(6) 観光立国
私は、
自民党の観光特別委員会の委員長を務めさせて頂いております。
その立場で、
産業としての観光、
所謂、観光産業のことを考えて参りました。未だ日本では、観光を産業として捉えることが一般的ではな
いようです。私は、観光を産業として認知すべきであると考えています。何故そのような考えに到ったか
を申し上げます。
今、日本の人口は、減少していく傾向にあって、この現象が経済効果を下降線に導いて行くと予測され
ています。経済成長にとっては、個人消費の増勢を図ることが有効な手段の一つです。ところが現実の人
口減少は、比例して個人消費を減少させていきます。ここにも自立という文脈上の問題が生じます。既に
個人単位の消費増が頭打ち状態になって来ました。
このマイナス現象をプラス現象とするために知恵を出
さなければなりません。
そこで、個人の消費増を外国人観光客に期待しようというわけです。外国人観光客が日本を訪れて、し
かも、お金を使ってくれるような観光行政を推進します。外国人観光客の誘致では、フランスが世界一で
年間約 7,500 万人を数えています。これに対して、日本は約 850 万人という数字です。かくも多くの観
光客がフランスを訪れるのは何故でしょうか。フランスもある時期に、人口減少に直面して観光立国を目
指しました。今や観光産業はフランス経済を支える大きな柱となっています。このように考えると、日本
にもフランスのノウハウを学ぶ経済転機が来ていると言えるでしょう。
(7) 高齢者の役割
「後期高齢者云々」という言葉の使用が盛んな時勢です。この現象は、元気な高齢者が増加している事
情にどう対応するかが大きな課題となっていることを物語っています。
年金や医療費で若い人たちに負担
をかけることが当然視されていないでしょうか。今日の高齢者の多くには、齢を取っても日本のために何
かやりたい、役に立ちたいという願望があります。高齢者に、肉体的・身体的労働力として期待できなけ
れば、高齢者の知恵を活用する仕組みを考えたいと思います。私自身がその世代に属し、真剣に考えてい
ることでもあります。
準備した内容の全てを語ることが出来ませんでしたが、
意図するところお汲み取り頂ければ何よりです
ご清聴有難うございました。
(本稿は、平成 20 年 6 月 2 日、東京會舘に於いて行われた「愛知和男先生
講演会」の内容を事務局が書き起こしたものである―文責:事務局)
(愛知和男氏略歴)1937 年 7 月 20 日、東京都品川区生、東京大学卒。東京農大学客員教授・国際親善協会会長。第一次石油危機
の最中、父である田中角栄内閣大蔵大臣愛知揆一が急逝、跡を継いで1976 年旧宮城一区から衆議院総選挙当選。2002 年病気を理
由に政界引退。以後、関西大及び東京農大客員教授。2005 年二階俊博に勧められ衆議院総選挙で自民党の比例東京ブロックで当選
復活。環境庁長官(第 2 次海部内閣)・防衛庁長官(細川内閣)を歴任。
(著書)『次世代の日本へ―野に在りて国を思う―』2002 年)
平成 19 年度・日本戦略研究フォーラム「国際交流」実績
①「安全保障環境の変化がわが国の防衛機器産業に及ぼす影響」米国内調査(ワシントン等)
②「宇宙の平和利用原則の見直しとその防衛機器産業へ及ぼす影響」米国内調査(同上)
③「東アジア地域の安全保障」日・中制服(退役を含む)会議(北京等)
④「シーレーン安全保障」日独共催フォーラム実施の調整(ハンブルグ・シンガポール・東京)
⑤「安全保障全般」日米(講師:ジム・アワー氏)ワークショップ(東京)
13
国際時評「米国から見た日米安全保障の関係」
米国・ヴァンダービルト大学公共政策研究所・日米研究協力センター
所長(博士) ジェームズ E. アワー
戦略的俯瞰
冷戦終結後、米国の世界的・地域的防衛戦略は劇的な変化を遂げたとよく言われるが、それは全面的に
正しいとは言えない。
もちろん、ソ連崩壊とともに世界的および核戦略的な力のバランスが大きく変わり、ヨーロッパ戦域に
おける力の全体的なバランスに重要な違いをもたらしたというのは本当だ。しかし、米国の戦略は第2次
世界大戦後以来概して変わっていない。すなわち、それは米国と、ますます増加する国内および世界的経
済利益に安全を提供することだ。それには局地的であれ世界的であれ、覇権が発生することによって米国
の国益を妨げるような地域でその発生を阻止しなければならない。
日本社会党や日本共産党はしばしば、日本は「盲目的」かつ「従順」に米国に従う以外、国家安全保障
も対外的安全保障の政策もなく、米国に従うのは日本の国益には「危険」であると言い、進歩的メディア
もこれに同調した。だが、日本は 1952 年に主権を取り戻したあと、米国と運命を結びつけるという「意
識的」
、また私が思うに「賢明な」決意をした。1971 年、日本は初めて米国の囲いを出て自国の独立した
政策の立場を求めることができたにも関わらず、そのとき以来、日本はますます有能で意欲的な米国の防
衛パートナーであり続けている。それは日本の国益に良く適った意識的で賢明な選択だ。
米国とソ連の軍事力が核戦略力へと発展したので、
核戦争の始まりを抑止することが米国の防衛にとっ
て一番重要になった。米国の場合、核戦争に勝てると思うことにはためらいがあったが、米国の軍事予算
を考えるとソ連が世界の自由諸国に対して通常戦力の規模で優勢とならないようにするためには、
核抑止
力に依存するのは必須であった。しかも、米国は、核兵器の先制不使用を誓うことができなかった。即ち、
それは、特に西ヨーロッパ戦略地域において、ソ連が通常戦力をもって自由圏諸国の力を圧倒できると信
じるような気配がますます濃厚になっているという危惧が存在したからだ。ワルシャワ条約機構軍
(WPACT)が、ドイツのフルダギャップを通過して北大西洋条約機構軍(NATO)に大規模な攻撃を加
えるという想定においては、NATO 側が必ずしも抑止できる体制にあったとは言えなかった。万が一、
そういう事態が起こったら、
北大西洋条約機構軍の通常戦力だけではワルシャワ条約機構軍を打ち負かす
ことはできなかったであろう。だが、核戦争の可能性を高めること自体はソ連の対米軍事プランを困難に
した。それこそ抑止力の真髄であった。
特に、太平洋戦略地域においては、米国海軍と日本国海上自衛隊の共同体制がソ連の海軍よりも比較的
優れていたので、アジアの自由主義諸国の防衛体制という文脈においても、より有利な状況にあった。と
は言うものの、ヨーロッパにおける通常の抑止力を一層強化するためには、ソ連を戦力バランスにおいて
「劣勢にある」という不安におとしめる必要があった。つまり、ソ連がヨーロッパの北大西洋条約機構軍
に通常攻撃を加えれば、
米軍がソ連の東アジア軍に攻撃を加えるという結果をもたらす戦略的効果の発生
であった。それこそが、ソ連が最も恐れる、二正面に前線を構えなければならないという軍事的負担を強
いる成り行きをもたらすことになったのである。
この戦略はソ連に対する抑止に大変効果があった。
当然、
この戦略の信憑性確保は、在韓米軍基地を確実に維持することで裏付けられることであった。在韓米軍基
地に米軍を配備することで、ヨーロッパ正面と合わせた二つの前線に、西側の優勢な軍事力配備が可能で
あることをソ連につきつけつつ、その戦略的取り組みへの信憑性を高め、維持するためには、在日米軍基
地の維持が極めて重視すべき要件であった。在日米軍基地は、在韓国米軍基地からの戦闘活動を継続する
米国には欠かせない、勝利の為の必要十分条件であった・・・
(そのことは朝鮮戦争において証明済みで
もある)
。
14
この結果、日米両国の世界的、地域的戦略は完全に機能し、米国とソ連は世界的戦略核兵器使用を相互
に抑止することになった。当時、米国側には、韓国に駐留する米国軍という抑止戦力がある一方で、ソ連
に対して使う中国というカードがあった。これによりソ連側は、関係悪化の中国をも相手にしなければな
らない、太平洋・アジア戦略の中でも二つの前線という難題を心配しなくてはならず、ソ連がヨーロッパ
で通常戦力優越の立場を維持し、それを利用する力の外交政策が抑止されるということにもなった。米国
海軍と日本国海上自衛隊はウラジオストックを母港とするソ連の百隻余りの潜水艦の行動全てを感知で
きた。そのため、ソ連にとっては、極東領域の潜水艦や航空機にかける莫大な軍事費から政治的に得るも
のが何も無いという状況に陥った。
こうしてもたらされた冷戦の終結後、ヨーロッパ情勢は劇的な変化を遂げた。冷戦時に西ドイツに駐留
していた二十万人以上の米国陸軍は十万人以下に削減され、
十九世紀以来、
百数年ぶりにヨーロッパでは、
緊張が緩和された力の均衡がもたらされることになったのである。
ヨーロッパほどではないが、アジアにおいては、かつて強力だった潜水艦部隊を含めたソ連の軍事的脅
威の終焉が重要な結果をもたらした。最も劇的な変化は、米軍が在韓基地を強化、維持することで、ソ連
に強いていた二つの前線という抑止的脅威を考える必要が全くなくなったことだ。事実、在韓米軍基地か
らイラクへと再配置される部隊が出てきた。
こうして米軍再編成では韓国駐留部隊を削減する結果となっ
た。米国は、韓国との同盟関係や韓国政府との軍事的約束を破棄していない。しかし、情勢の変化という
文脈においては、在韓米軍基地の戦略的必要性が劇的に減少したのは否定できない。
アジアにおけるソ連軍の脅威が大幅に減少し、ロシアに引き継がれた。にもかかわらず、アジア全体に
わたって緊張状態が残っている。それは、短期的に、特に北朝鮮によるミサイル攻撃が日本への事実上の
脅威となっているからだ。現時点では北朝鮮のミサイルはほとんどの米国本土への脅威とはならない。だ
が、北朝鮮からの日本の都市と住民、在日米軍基地への脅威、そして、核拡散の脅威は日本と米国にとっ
て非常に深刻だ。
中期から長期にわたる将来においては、日米両国にとって、中国の高い経済成長そのものは必ずしも不
安要因ではない。とは言うものの、それが軍事的に何を意味するかが不安要素だ。事実、最も大きな懸念
は中国が軍事的覇権国になることだ。中国が覇権国家とならないように分らせる最上の方策は、信頼でき
る強力な日米同盟を維持することだ。
冷戦終結後のアジアの安全保障に関わる重要点はヨーロッパのそれとはかなり異なる。
ソ連やワルシャ
ワ条約機構加盟国が存在する時代に経験したように、
世界や地域の平和と安全を脅かす世界的かつ地域的
覇権国の発生が安全保障上の脅威であった。冷戦構造崩壊後においても、東西世界対立時代の脅威に対抗
した、覇権国家の出現を妨げてきた日米の冷戦戦略は、ヨーロッパにもアジアにもそのまま残っている。
現在、ヨーロッパには世界的覇権どころかヨーロッパ内での覇権さえ発生する可能性はほとんどない。だ
が、アジアにおいてはソ連崩壊で在韓米軍基地の必要性は大幅に縮減されたものの、現に事実上存在する
北朝鮮の脅威と、将来の中国への懸念のために、東アジアと太平洋の地域安定には、在日米軍基地の存在
が未だ極めて効力の有る非常に重要な「パワー・プレゼンス」なのだ。
日米関係と朝鮮半島
在韓米軍基地は現在、冷戦時ほどには重要ではなくなったということはすでに述べた。在韓米軍基地が
以前ほど不可欠でないとはいえ、米国には、現在のところ韓国における米軍のプレゼンスを放棄する考え
は全くない。ところが、特にこの点について、盧武鉉前大統領政権は良く理解していなかったようだ。
私は、今日顕著な米韓関係の問題がクリントン大統領政権時代に始まったと思う。また、相変わらず、
北朝鮮前最高主導者の金日成も、その息子である現主導者金正日も、自国の低経済力にも関わらず他の諸
国を脅かすことに長けている。冷戦時代において、金日成はソ連と中国からの経済的、軍事的援助をうま
15
く勝ち取った。今日、ソ連崩壊後のロシアは北朝鮮への援助を止めたが、未だ中国からの援助はうまく獲
得している。
だが、対米関係となると、北朝鮮の目的はいつも米国と直接に協議することである。北朝鮮は、米国と
同盟関係にあって最良の仲介者であるはずの韓国政府を、あたかも米国傀儡であるかの如く扱う。単純に
も、クリントン政権は、不必要に北朝鮮を北朝鮮の意のままに言動させた。この事実は特に韓国人の面子
を潰すことになった。ところが、やがて一代ごとに、ますます国家の戦略的運営を好ましからざる方向に
進めていく金泳三、金大中、盧武鉉という 3 人が大統領選挙に勝利するという結果となった。初めての
韓国における自由選挙で選ばれたこれら 3 人の大統領であったのだが、北朝鮮問題に関しては、優れた
対応能力をもっていなかった。
そこに生じた国民の政権不信の焦点は、
北朝鮮ではなく日本へ向けられた。
少なくとも、金大中大統領は、当初この傾向を覆すような様子を見せたが、支持率が低下してからは日本
を北朝鮮に代わるスケープゴートに使うようになった。
この 3 人の中でも盧武鉉大統領は最悪であった。
推測でしかないが、米国が北朝鮮に直接の米朝協議をさせていなかったならば、金泳三政権とそれに続
く二度の韓国大統領選挙の結果は違っていたかもしれない。冷戦構造崩壊後、日本と米国は共に、北朝鮮
への経済援助の可能性をほのめかしたのだが、一つの条件として、韓国を通して日本、米国と協議すると
いう要求を突きつけるべきであった。そうして、北朝鮮がこの条件に応じる場合のみ、この援助が可能だ
とするべきであった。ところが、それどころかクリントン政権下の米国は、北朝鮮が希望するものを与え
たばかりでなく、北朝鮮が 1998 年に日本へミサイルを発射した時でさえ、ニューヨークでの北朝鮮との
協議を中止もせず一日続けた。その様は、あたかも日本の対米同盟国としての立場が無視され、むしろ、
北朝鮮が米国の同盟国であるかのようであった。その場で、米国は、朝鮮半島エネルギー開発機構1
(KEDO)への援助金支払いを促すために日本へ圧力をかけることにした。
2008 年の選挙では李明博韓国大統領が選ばれたが、将来の日韓関係、米韓関係は順調に回復していく
と思われる。日本、韓国、米国が協力し合えば、6 ヶ国会談に頼るよりも効果的に北朝鮮に対処できると
私は思う。中国やロシアの政府のスタンスは、日本、韓国、米国政府のそれとは随分と違う。もし中国が
北朝鮮に核兵器を廃棄させ、短距離ミサイルを使って攻撃するという日本への脅しをやめさせ、非武装地
帯近くで韓国を威嚇する部隊をもっと北へ撤退させるよう働きかけるという脅威の削減に協力したい意
向が有るのであれば、中国はそのように言動すべきであろう。だが、これまで軍事的に連帯して来た北朝
鮮に対して、中国やソ連が北朝鮮を相手に平和的、非威嚇的かつ、非核保有国になるよう願い、働きかけ
る理由や取り組み方については不透明であって見えていない。
台湾について
第二次世界大戦が終わった後、米国は蒋介石政府に対して特に協力的ではなかった。そして中国の権力
が共産主義に取って代わられ、蒋介石が台北へ逃亡した時に、米国は、蒋介石が軍事的に中国本土を共産
主義の手から奪回するような企てに協力しないと言った。しかし同時に、トルーマン大統領は、軍事力に
よって北京の中国人民共和国が台湾を奪うことがないように米国第 7 艦隊に行動命令を下令した。
ジミー・カーター大統領は 1978 年、台湾への米国支援を止めたかったようだが、米国議会は「中国の
台湾への軍事侵略が実働された場合、
この軍事行動によって生ずる対米脅威から米国の安全を保障するよ
う機能する『台湾関係法』
」を可決した。また、クリントン大統領は 1998 年に 不必要にも“3 つのノー”
1 朝鮮半島エネルギー開発機構Korean peninsula Energy Development Organization, KEDO)
:米朝枠組み合意(1994 年 10 月、
Agreed Framework、北朝鮮はアメリカのクリントン大統領との枠組み合意により、IAEAからの即時脱退を撤回。再度、核兵器の
開発を凍結し最終的に解体することを約束。 この見返りとして、米国は「北朝鮮に韓国標準型の軽水炉 2 基供与・軽水炉が完成す
るまでの間、毎年 50 万トンの重油供与」に合意)によって、1995 年 3 月に日本、韓国、米国が共同で朝鮮半島エネルギー開発機
構(KEDO)を発足させ、建設費の 30%を日本、70%を韓国が負担して、北朝鮮にプルトニウムの抽出が難しい軽水炉の提供を計
画。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に核拡散のおそれの低い軽水炉2 基と完成までの間、燃料を日本と韓国の費用負担による
無償提供によって、北朝鮮保有の黒鉛減速型炉と核兵器開発計画を放棄させる目的で設立された日本、韓国、米国の共同組織。主
要事業であった軽水炉建設計画が続行不可能となり2005 年に解散。
を上海で公表した。これに危惧を示した米国議会は、この後直ぐに、台湾関係法に明記されている「台湾
に対する米国の意志」を圧倒的多数で再確認した。
太平洋において台湾は、地勢的に、海底までの深度が最大である箇所のちょうど西側にあたる。地政学
的には、
日本にとって中東へのシーレーンに非常に近く位置している。
即ち、
台湾独自の生存のみならず、
台湾島は、太平洋のシーパワーに優勢を維持したい米国の戦術・戦略的潜水艦基地として、かつ日本にと
っては、経済的生命線の確保など、地政戦略的に非常に価値が高い。この台湾島を、中華人民共和国が奪
い取らないようにと願っていることに加えて、日本と米国には、台湾自身の決意を支援したいもう一つの
理由がある。ソ連邦が崩壊した時期、ソ連邦の資本主義自由市場諸国に対する政治的、軍事的脅威が無く
なっていった。その時期と符丁して、台湾は、台湾出身の李登輝指導のもとに自由選出の台湾総統と議会
をもって著しく民主化された。
今日にあっては、中国をいたずらに刺激することを避けるという政治的、外交的配慮から、日本も米国
も正式(たてまえ的)に台湾を独立国と認めていない。しかし日米両国に限らず、その他多くの世界中の
国々は、
台湾政府と政治的かつ経済的なつながりを維持しながら台湾を独立国であるかの如くに扱ってい
る。そして、もちろん、米国は台湾が軍事的に(中国から)乗っ取られないよう懸命な努力していること
は明らかである。一つの事例を挙げれば、米国防衛産業が米国製防衛装備品を台湾に売り込むことを容認
しているばかりか、奨励している気配さえあるのだ。
1996 年の台湾総統選挙は、中国語を話す人々の間では初めての自由選挙であった。その選挙に合わせ
るように、中国政府は台湾領海にミサイルを発射した。この中国の軍事的威嚇に反応して、米国は台湾近
海に航空母艦 2 隻を展開した。真っ先に現場に姿を見せたのが、横須賀を母港にする USS インディペン
デンスで、台湾沿岸配備は翌日であった。中国政府はこれを批難しながらも米国の行動を尊重する形を取
った。この中国のミサイル発射は、中国自身がテストであると公表した。しかしながら、その真意が対台
湾威嚇であったことは国際社会が認めるところであり、その目論みは失敗に終わり、李登輝は何ら妨害さ
れることなく総統に選ばれることになった。
もし、日本国海上自衛隊の護衛艦が台湾に近い沖縄沖までこの USS インディペンダンスに同行してい
たならば、安全保障という文脈では、結果は更に効果的な反応をもたらしたであろう。中国は日米の共同
を批難したであろうが、米国の行動を尊重する以上に、日米同盟の決意を尊重したであろう。残念なこと
に、クリントン政権には、台湾海峡の平和と安全保障のために、日本に対して目に見える支援に加わるよ
うよう日本に要請することを思い浮かべる知恵は無かったようである。
「台湾は独立を宣言するべきだろうか」
、
「すべきではないだろう」
。台湾の地理的規模はちょうどスイ
スよりも小さく、ベルギーやその他多くの独立国よりも大きい。その自由市場経済は韓国や他の多くの先
進国よりも大きく、世界の 17 番目に相当する。台湾の人口はイラクやその他多くの諸国よりも多い。日
米両国が台湾海峡の平和の維持を共同の戦略的目的として促進した 2005 年の日米共同宣言は、中国の支
持を受け得なかったが、中国はそれを尊重した。日米同盟が信頼されている限り、中国は台湾を軍事的に
乗っ取るというリスクを選択しないだろう。そのような体制の下、台湾海峡の平和を維持することが日米
の国益にうまく適うのである。
(原訳:Ms Michiko K. Petersen, Center for U.S.-Japan Studies and Cooperation, Vanderbilt
Institute for Public Policy Studies/掲載訳文:事務局文責)
Japan – US Security Relations from the US Point of View(英語原文)
」
Although it is fashionable to say that US global and regional defense strategies have changed dramatically
since the end of the Cold War, it is not totally correct to say so.
Of course it is true that with the demise of the Soviet Union there were major changes to the global and nuclear
strategic balances of power and significant changes in the overall balance of power in the European theater;
17
however. overall US strategy has not changed since the end of World War II, namely to provide for the security of
the United States and its increasingly regional and global economic interests by deterring the emergence of any
regional or global hegemonic power in areas where such emergence would interfere with US national interests.
And although it was often said by the Japan Socialist Party and the Japan Communist Party and echoed by
the liberal media that Japan had no foreign or national security policy other than to “blindly” and “obediently”
follow the United States and that to follow the US was “dangerous” to Japan’s national interest, Japan made a
“conscious” and, in my view, “wise” decision to link its fortunes with the US following Japan’s regaining
sovereignty in 1952. And certainly since 1971 when Japan could have, for the first time, left the US fold and
sought its own, independent policy stance, Japan has continued to become an increasingly capable and willing
defense partner of the United States, a conscious and wise choice which has served Japan’s interests very well.
As the US and USSR developed into nuclear strategic powers, deterring the commencement of a nuclear war
became a major US defense requirement. Although the United States was reluctant to contemplate that a
nuclear war could be won, it was necessary for the US to rely on nuclear deterrence from preventing the Soviet
Union from using its superior numbers in conventional forces against the free countries of the world owing to
budgetary constraints. In other words the US could not pledge “no first use” of nuclear weapons because to do
so might have emboldened Moscow to believe it could overwhelm the free world powers with conventional forces;
particularly this worry existed in Western Europe. A massive Soviet Union/Warsaw Pact attack on NATO
forces through the Fulda Gap in Germany could not necessarily be deterred or defeated by NATO conventional
forces alone. But the possibility of nuclear war complicated Soviet military planning, the essence of deterrence.
In Asia the defense situation was more favorable for the free world countries owing especially to the relative
superiority of the United States and Japanese navies to the Soviet Navy. However, in order to strengthen
conventional deterrence in Europe even further, it was very necessary to make the Soviets worry that a
conventional attack upon NATO forces in Europe could result in a US attack on the East Asian forces of the
Soviet Union, presenting Moscow with the dreaded consequences of a two front war. This strategy was also
extremely effective in deterring the Soviets; the strategy’s credibility, however, absolutely depended on the US
maintaining its bases in the Republic of Korea. And for the purpose of maintaining credibility of confronting
the Soviets with a two-front threat from US bases in Korea, it was also vital that the US maintain its bases in
Japan which were vital to the US ability to sustain combat operations from Korea if necessary.
Japanese and US global and regional strategy worked to perfection. The US and the USSR mutually deterred
each other in global strategic arms. The Soviets were deterred from using their conventional superiority in
Europe owing to having to worry about two front challenges both from US forces stationed in Korea as well as
from the US playing its China card vis-à-vis Moscow. And the US Navy and the Japan Maritime Self-Defense
Force were able to detect every one of the 100 plus Soviet submarines based in Vladivostok so the Soviets could
gain no political gain from its massive military expenditure for submarines and aircraft in its Far Eastern
territories.
With the end of the Cold War, the situation in Europe changed dramatically. US Cold War force levels of over
200,000 US ground forces in West Germany have been reduced to far less than 100,000 and there is a favorable
balance of power in Europe for the first time in more than a century.
In Asia the demise of the Soviet military threat including its once potent submarine force had far less but still
significant results. Most dramatically, the need for the United States to threaten Moscow with a second front
from its bases in Korea has virtually disappeared. Indeed some US forces in South Korea have been
redeployed to Iraq and US military transformation is resulting in lower force levels in Korea. The US is not
abandoning its alliance or commitment to the South Korean government; however, it is undeniable that the
strategic need for US forces in Korea has declined dramatically.
Despite the great reduction in the Soviet military threat in Asia, however, tensions remain throughout,
particularly, in the short term, owing to the real threat to Japan of a missile attack from North Kroea. At the
present time North Korean missiles do not threaten most of the US mainland; however, the threat to Japanese
cities and their populations, to US forces in Japan and the threat of nuclear proliferation from North Korea are
very serious to both Tokyo and Washington, D.C. And in the medium to long term future, both the Japan and
the US are concerned about what the economic rise of China, which in itself is not necessarily destabilizing, will
18
mean militarily. China’s becoming a military hegemon could indeed be destabilizing. And the best way to
persuade China from becoming a military hegemon is to maintain a credible and vibrant Japan – US alliance.
The bottom line then in Asia is far different than in Europe following the end of the Cold War. In Europe and
in Asia, Japanese and US Cold War strategy of preventing the emergence of a global or regional hegemon which
threatens global and regional peace and security such as the Soviet Union and its Warsaw Pact partners were
remains the same. At present there is little prospect of a global hegemon and not even of a regional hegemon in
Europe. However, in Asia, the demise of the Soviet Union has greatly reduced the need for US bases in Korea,
however, the real threat of North Korea at present and future concerns about China, make US bases in Japan
still critically important to regional stability throughout East Asia and the Pacific.
Japan - US relations with the Korean Peninsula
It has already been mentioned that US bases in Korea are not as critically important as they were during the
Cold War. Although the US has no idea about abandoning Korea at this point, the bases are not as vital as they
were although, particularly the government of President Roh Moo-hyun did not seem to understand this well.
In my opinion the problem in US – Korea relations began in the administration of US President Bill Clinton.
The then leader of North Korea, Kim Il-sung was, and the current leader, his son Kim Jong-il, is very skillful in
bluffing other countries despite the North’s low level of economic power. During the Cold War Kim Il-sung
skillfully won economic and military assistance from both Moscow and Beijing and, even though Russia has
stopped its aid to North Korea following the collapse of the USSR, North Korea still successfully gets aid from
China.
However, the North’s goal has always been to negotiate directly with the United States, treating the
government of South Korea as if it is an American puppet. Naively, the Clinton administration unnecessarily
allowed North Korea to get its way. This resulted in particularly a loss of face for the people of South Korea and
further led to the elections of three increasingly relatively incapable Korean presidents, Kim Yong-sam, Kim
Dae-jung and Roh Moo-hyun. As the first freely elected presidents of South Korea these three leaders,
because of their inability to deal effectively with North Korea, shifted the focus of Seoul’s distrust from North
Korea to Japan. Kim Dae-jung showed signs of reversing this trend temporarily until his popularity waned
and he began to use Japan as a scapegoat. Of course President Roh Moo-hyun was the worst of these three
leaders.
It is only speculation, however, if the United States had not allowed Pyongyang to negotiate directly with
Washington, the regime of Kim Yong-sam and the results of the next two Korean presidential elections might
have been different. It seems to me that both Japan and the United States should have hinted at the
possibility of economic assistance to North Korea following the Cold War; however, this aid should have only
been possible by requiring that North Korea negotiate with Tokyo and Washington through Seoul. Instead, the
US not only gave North Korea what it wanted; but, when the North fired a missile over Japanese territory in
1998, the Clinton administration did not hold up negotiations with North Korea then going on in New York City
even for one day, deciding instead to pressure Japan to speed up its payment for the Korean Energy
Development Organization (KEDO) as if North Korea was a US ally rather than Japan.
Hopefully with the election of President Lee Myung-bak in South Korea in 2008, Japan - Korea and US - Korea
relations might become smoother in the future. Working together, Tokyo, Seoul and Washington are, in my
opinion, far more capable of dealing with North Korea than is relying on the 6-party talks. The nature of the
governments in Beijing and Moscow is far different than governments in Japan, South Korea and the US. If
China wants to help in pressuring North Korea to rid itself of nuclear weapons, stop threatening Japan with
attack from short missiles and to withdraw its forces close to the DMZ which directly threaten South Korea
further to north, China should be encouraged to do so, but Beijing’s and Moscow’s motivation and dedication to a
peaceful and non threatening, non nuclear Korean Peninsula are not transparent.
A word about Taiwan
Following the end of World War II the United States was not particularly supportive of the Chiang Kai-shek
government. But, when the communists seized power in China and Chiang fled to Taipei, the United States
19
told him that it would not support any attempt by his forces to retake the mainland from the communists. At
the same time, however, President Truman ordered the US Seventh Fleet to prevent the Peoples Republic of
China in Beijing to take Taiwan by military force. Although President Jimmy Carter seemed willing to
withdraw US support from Taiwan in 1978, the US Congress passed the Taiwan Relations Act which functions
as a US security guarantee against a Chinese military invasion of Taiwan. And although President Clinton
unnecessarily issued his “three no’s” statement in Shanghai in 1998, the US Congress overwhelmingly
reaffirmed US intentions vis-à-vis Taiwan as contained in the Taiwan Relations Act immediately following the
Clinton statement in 1998.
In addition to desiring that the Peoples Republic of China not gain the strategically valuable island of Taiwan
as a submarine base just west of the deepest parts of the Pacific Ocean and very close to of Japan’s sea lanes of
communication from the Middle East, Japan and the United States have another reason to support Taiwan’s
self determination. Almost exactly at the same time as the Soviet Union ceased to be a political and military
threat to free market countries, Taiwan, under the leadership of native son Lee Teng-hui, became a remarkably
democratic country with a freely elected president and legislature.
Not wanting to provoke China neither Tokyo nor Washington formally recognizes Taiwan as a sovereign nation;
however, Japan, the United States and many other major countries of the world treat Taiwan as if it were an
independent country by maintaining both political and economic ties with the government in Taipei. And, of
course, the US is still committed to preventing a military takeover of Taiwan, and the US sells defensive arms to
Taiwan.
In 1996 when Taiwan was conducting its presidential election, the first ever such free election among Chinese
speaking people, Beijing reacted by firing missiles into Taiwanese territorial waters. The United States reacted
by sending two aircraft carriers to the waters close to Taiwan. First on the scene was the USS Independence
which left its home base in Yokosuka and arrived off Taiwan the following day. The Chinese government
complained but respected the US commitment. The Chinese missile “tests” ended and Lee Teng-hui was
smoothly elected.
In my opinion this good result would have been even better if two Japanese Maritime Self-Defense force
destroyers had accompanied the USS Independence to the shores off Okinawa (close to Taiwan). China would
have complained more but respected the resolve of the Japan – US alliance even more than it did.
Unfortunately, the Clinton administration did not even seem to think to ask Japan to join in showing support for
peace and stability in the Taiwan Strait.
Should Taiwan declare independence? I think not. Taiwan’s geographic size is just smaller than Switzerland
and larger than Belgium and many other independent nations; its free market economy is the 17th largest
economy in the world, larger than the economies of South Korea and many developed countries; and its
population is larger than Iraq’s and many other countries. The Joint Statement of Japan and the Untied
States in 2005 wherein both countries encouraged the maintenance of peace in the Taiwan Strait as a common
strategic objective is not favored by China but is respected. As long as the Japan – US alliance is credible, China
is unlikely to choose to risk a military takeover of Taiwan and Japanese and US national interests will be well
served.
James E. Auer
Director, Center for U.S.-Japan Studies and Cooperation
Vanderbilt Institute for Public Policy Studies, Vanderbilt University
(執筆者略歴):ジェームス E.アワー (James E. Auer)。マルケット大学卒、PhD-タフツ大学フレッチャー法律外交大学院。
論文「Rearmament of Japanese Maritime Forces 1945-1971」 は邦訳され、時事出版から「蘇る日本海軍」として出版。1963~
1983年、米国海軍に所属、長期にわたる日本勤務の間、海上自衛隊幹部学校留学、駆逐艦(母港:横須賀)指揮官。1979年4月~1988
年8月、国防総省安全保障局日本部長。ヴァンダービルト大学公共政策研究所 日米研究協力センター所長。本センターにおける日本
人研究員受け入れ、
ワシントンDCヴァンダービルト大学米国政府関連事務所内の日本人研究員受け入れ
(2004年4月~2007年7月)
、
米国及び日本企業の代表者を対象にナッシュビルにおいて年1回開催する日米技術フォーラム(防衛技術協力)を主催、ワシントン
DCでの日米CIP(重要インフラ基盤保護)フォーラムを主催(2004年に第1回開催)。現在、大学院を含む同大学の学生を対象に日
米関係論、海上権力史を教えるが、これまでに同大学オーエン経済大学院の非常勤講師、および工学部管理工学科の研究教授を兼任。
20
国際時評「韓国新体制と日韓関係―古代史の史実をめぐって―」
韓国・忠南大学校 兼任教授 李
鍾 學
今日における日韓間の懸案問題は、歴史問題、独島(日本では竹島)領有問題、それから慰安婦問題な
どであるが、二回にわたる首脳会談は、
「未来志向」に貫かれたため懸案問題には深く触れないか、また
は話題にも上がらなかったようである。しかし、2 月 25 日李明博大統領の就任後、福田康夫首相は、首
脳会談で自ら歴史問題を切り出したのである。
「過去の事実は事実として認めることが大事だ・・・歴史
は、謙虚に向き合うことが重要であり、相手がどう考えるかを常に考えなければならない」1と指摘した。
一方、李明博大統領は、4 月 21 日、日本を訪問した時、明仁天皇との会見で、
「歴史の真実は忘却せず
実用の姿勢で未来志向的であり成熟した同伴関係を作らなければならない」と言った。明仁天皇は、
「両
国の国民は、歴史の真実を知るために努力し、互いに立場を理解しようと努力したとき、相互信頼と理解
が深くなる」2と発言した。
両国民が、過去の歴史の真実を知り、また相互の立場を理解しようとした時、相互信頼と理解が深くな
るとの見解には、私は全面的に同意するのである。しかし、過去の真実を知ることの努力が、過去にとら
われて未来に支障があるのではなかろうかと考えるならば、このような歴史観には異見である。その理由
は、過去の歴史に対する真実は、現在の立場を理解するのに必要であるばかりでなく、未来の相互信頼と
理解にも必須条件であるというのが私見である。この問題について、英国の歴史家、E.H.カー(1892-
1982)は、
「歴史とは過去と現在との対話であると前の講演で話しましたが、むしろ、歴史とは過去の諸
事件と、次第に現われて来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべきであったかと思います3」と。
日韓間の古代史問題の懸案は、
『日本書紀』
(720 年)にある神功皇后 49 年(249 年)の朝鮮半島南部
の七国平定と広開土王碑文辛卯年(391 年)記事の解読・解釈の問題であろう。神功皇后 49 年 3 月、将
軍を派遣して現在の慶尚南・北道の七国を平定したとの内容であるが、補注によれば、書紀起源で 49 年、
おそらく百済記にもとづく文、干支二運をさげて 369 年の史実をふくむ。池内宏4は、六世紀頃、任那日
本府の管下の諸小国の服属起源の話とする。末松保和5はこれを史実とみる6、と紹介されている。
1883 年秋、陸軍参謀本部のスパイであった酒匂景信7中尉が持ってきた広開土王碑文(以下「碑文」と
略記する)の双鈎本を参謀本部編纂課員・陸軍大学校教授の横井忠直氏が中心になって詳細な研究が行わ
れた。1889 年 6 月、
『会余録』第五集が碑文研究の特輯号のかたちで刊行され、そこでの辛卯年記事(以
下「記事」と略記する)は、次の如く解読・解されたのである。特に、記事の後半の主語は「倭」であり、
また「三欠字」の中で最後の一字を新と誘導したのは横井氏であろう8。
『朝日新聞』2008 年 2 月 26 日
『朝鮮日報』2008 年 4 月 22 日
3 Edward H. Carr, “What is History ?” New York: Vintage Books, 1961, Page 164
4 池内宏:東京府出身。1904 年東京帝国大学文科大学史学科(東洋史専攻)卒業。1913 年に東京帝大講師、1916 年、助教授、1922
年、「鮮初の東北境と女真との関係」により東京帝国大学文学博士、1925 年、教授。1937 年、帝国学士院会員。1939 年、東京帝
国大学定年退官、名誉教授、名古屋帝国大学教授。朝鮮総督の依頼で満鉄調査部歴史調査部にて実証主義的(考証的)満蒙・朝鮮の
東洋古代史研究の基礎を確立。朝鮮古代史の乏しい史料の中で花郎の研究、また慶長の役などの全体像を描き出すことに尽力。
5 末松保和: 専門は朝鮮史。朝鮮古代史・古代日朝関係史から高麗・李朝史におよぶ実証的研究によって朝鮮史研究の礎を築いた
ことで知られる日本の歴史学者。学習院大学名誉教授。文学博士。1927 年に東京帝国大学文学部国史学科卒。朝鮮総督府で『朝鮮
史』などの編修事業に従事、1933 年から京城帝国大学法文学部助教授・1939 年同教授。戦後は、1949 年、学習院大学文政学部教
授。1951 年、学習院東洋文化研究所主事、この年、「新羅史の研究」で東京大学文学博士。1975 年に退職学習院大学名誉教授。
6 坂本太郎外、校注者、
『日本書紀』
(上)
(東京:岩波書店、1984 年、19 冊)355-356 頁
7 酒匂景信:広開土王碑は、高句麗第 19 代広開土王(好太王)を顕彰、王子の長寿王が414 年(碑文―甲寅年九月廿九日乙酉、9
月 29 日―旧暦))に建立、好太王碑とも、また付近に広開土王陵墓と見られる将軍塚・大王陵(広開土王陵碑)。高さ約 6.3m・幅
約 1.5mの角柱状の碑四面に総計1802 文字、純粋な漢文記述。辛卯年(391 年)条の倭国関連記事の干支年が『三国史記』などの
文献と 1 年異なるなど、4 世紀末~5 世紀初の朝鮮半島史、古代日朝関係史の貴重な一次史料。明治 13 年(1880 年)から 4 年間清
国に派遣され、周辺地域の情報収集にあたった砲兵大尉、酒匂景信が、1884 年、大日本帝国陸軍参謀本部に拓本を持ち帰って解読。
8 横井忠直、
『高句麗古碑考』
『會餘録』第五集(東京:亜細亜協会、1889)50 頁
1
2
(史料)
「百残(済)と新羅は旧是れ属民にして由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年(391 年)を以って
来りて海を渡り、百残□□新羅を破り、以って臣民と為す」
(日本の通説)
佐伯有清9教授によれば、
「私は参謀本部を中心とするゆがめられた古代日朝関係史観の完成の時期を明
治 21 年(1888 年)10 月と考えるのである・・・引き続いて参謀本部で解読・解釈され、それが原型と
なって・・・当時の日本の朝鮮への侵略の意図を歴史的に正当化させるために、
「倭の活動」の記載を碑
文の中に見出そうとしたことが、
意識的にせよ無意識的にせよ働いていたとみなされなければならないの
ではなかろうか10」と主張したのである。
日本の古代史学界では参謀本部で解読・解釈された記事が通説となり、日本列島の倭が「391 年に朝鮮
半島への進出」だけではなく、
「任那日本府」説の一等史料の論拠にもなったのである。例えば、年表に
次のごとく記されている11。
・ 369 年 このころ大和朝廷の統一すすむ。このころ任那日本府成立。
・ 391 年 日本軍朝鮮に出兵、高句麗と戦う(高句麗好太王碑文)
日本の著名な古代史学者、井上光貞12(1917-1983)博士は、回想録に次のように書きのこしたので
ある。
・ 国史学科に入学して何よりも異様に思ったことは主任教授の平泉澄博士が皇国史観の代表的な主
唱者であったことである。
・・・主任教授がおよそ学問とは縁もゆかりもない皇国史観をとくとく
と説いてあやしまないという、異常な風景を展開していたのであった13。
・ 古代史研究は、文献だけではいけない。考古学もあわせなくてはいけないということを身をもって
教えて下さったのは、まず石田先生ではなかったであろうか14。
このような学識の豊かな井上博士が、
古代史研究機関でもない陸軍参謀本部の横井氏が中心になって解
読・解釈した記事を史料批判もせずに、丸呑みにして歴史教科書に、次の如く発表したのである。
高句麗の好太王の碑文には、倭が朝鮮半島に進出し、高句麗と交戦したことが記されている。これ
は、大和政権が朝鮮半島の進んだ技術や鉄資源を獲得するために加羅(任那)に進出し、其処を拠点
として高句麗の勢力と対抗したことを物語っている15。
陸軍参謀本部で解読・解釈した辛卯年(391 年)記事は、果たして史実を伝えているのであろうか?碑
文に登場する倭は、直接、軍事作戦に参加しているので、戦争の準備、遂行、その結果に対する解釈は、
軍事理論と歴史学を結合した軍事史学(Military History)によって究明するのが妥当性があるとの立場
で究明を試図して論文を発表したのであるが16、ここではその結論だけを紹介することにする。
佐伯有清: 1957 年、東京大学大学院国史学専攻修了、北海道大学文学部教授、成城大学文芸学部教授を歴任、日本古代史、著
書に『研究史 邪馬台国』
、
『研究史 戦後の邪馬台国』
、
『魏志倭人伝を読む』など。
10 佐伯有清、
『広開土王碑と参謀本部』
(東京:吉川弘文館、1976)121 頁、127 頁
11 『日本史事典』
(東京:平凡社、1983)446 頁
12 日本の歴史学者。東京大学名誉教授。国立歴史民俗博物館初代館長。紫綬褒章受賞。文学博士。専門は日本古代史。井上馨の孫。
浄土教を中心とした仏教思想史、律令制以前の国家と天皇の起源に関する問題、律令研究を通じて「固有法」から「律令法」への
変遷を研究、後年は、『日本書紀』や律令等の古典籍の注釈(『日本思想大系』(岩波書店))。井上の歴史学は、実証主義的ア
カデミズム歴史学、マックス・ヴェーバーの理論や、津田左右吉の記紀批判を継承、律令制以前の政治社会組織研究の基礎を形成。
13 井上光貞、
『井上光貞―わたくしの古代史学―』
(東京:日本図書センター、2004)23 頁、25 頁
14 井上光貞、
『井上光貞―わたくしの古代史学―』
(東京:日本図書センター、2004)47 頁
15 井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説日本史』
(東京:山川出版社、1993)25 頁
16 論文の詳細な内容は、拙著『軍事史学による古代史散策』
(慶州、徐羅伐軍事研究所、2007)
、拙論『日本及日本人―陽春号―』
(東京、日本及日本人社、1998)144-154 頁参照
9
22
1) 日本列島の倭が、391 年以前から朝鮮半島に進出したとすれば、渡海作戦に必要な兵力、武器、食料
等を運搬するため「構造船の存在」が前提、必須条件であるが、日本の古代史学界は未だに文献史学
だけでなく考古学でも実証されていないのである。
2) 日本の通説の如く、
「倭が、391 年、百残(済)と新羅を破り臣民と為す」と仮定しても、碑文の永
楽 10 年(400 年)と 14 年(404 年)に、
「倭は、大潰、潰敗された」ために、朝鮮半島の南部に足
場となる拠点(作戦基地)の喪失によって「任那日本府」説は全く成立し得ないのである。
例えば、1796 年 3 月、ナポレオンはイタリア方面軍司令官に任命されて以来、連戦連勝して皇帝に
就きヨーロッパに君臨したが、ワーテルロー決戦(1815 年)の敗北により南大西洋の孤島セント・ヘ
レナに配流された。日本は太平洋戦争に敗北(1945 年)することによって日清戦争以来獲得した植民
地を全部失ったのである。戦争哲学者クラウゼヴィッツは名著、
『戦争論』
(1832 年)において、次の
ように主張したのである。
「この様な戦争の形態において、栄冠は、最後の勝利者に与えられることを
いつも記憶すべきである。
」
(第八編第三章)ここで栄冠とは、戦争における政治的目的の達成を意味す
るものであるが、これまで碑文研究者たちは、このような重要な軍事理論の内容を看過して来たのであ
る。
3) 碑文によれば、永楽 6 年(396 年)
、好太王は自ら水軍を率いて百済を討伐した・・・その国都を包
17
囲したら、百済の国王は男女生口 千人と布千匹を献上して、好太王の前に跪いて、永遠にあなたの
奴客になりますと誓った。又永楽9年(399 年)
、新羅王の派遣した使者がやって来た。使者は、好
太王に、
「国内に倭人があふれ、城は攻め破られてしまい・・・新羅王は好太王の指示を仰ぎたいと
願っている」と話した。
4) 碑文を作成した撰者は、高句麗の敵側である百済を「百残」と蔑称したが如く、碑文に登場する「倭」
とは、日本列島の大和政権のことを言うのではなく、任那加羅に対する蔑称であった。その理由は、
碑文の永楽 10 年(400 年)によれば、碑文には、
「倭」
、
「倭賊」
、
「倭寇」が登場するけれども、高句
麗軍の攻撃目標は任那加羅であったことから「日本の大和朝廷が統べる日本」とは言い難いのである。
また「渡来系集団は、弥生時代に引き続いてかなり急速にその数を増し、おそらくは、北部九州を中
心としてたくさんの小王国(部族国家)を作ったと思われる」18からである。
5) 筆者は、辛卯年記事に対して次の如く解釈する。
「百済と新羅は、昔から属民であり、高句麗に朝貢していた。而るに、任那加羅は、辛卯年(391 年)
から(侵攻して)来た。高句麗は、海を渡って百済と「任 那 加 羅」を破って臣民とした・・・」
日本では歴史学を少しでも研究した人は、もちろん皇国史観にとらわれている人は除外して、
『日本書
紀』
(720 年)の五世紀前半以前は、まったく架空に作られた内容であって、稲荷山鉄剣の銘文が出てき
て、雄略朝ごろから年代がはっきりしてくるなどという意見も出てきているが安康天皇(在:453-456)
ぐらいからは、かなり実年代になってきていることが常識として知られている。
したがって、日韓間の古代史に関する懸案問題である「神功皇后 49 年条」や「広開土王碑文の辛卯年
(391 年)記事」に対しては、史実でもないものは史実でないことを認めることが大事であり、歴史の真
実を知るための努力は、現在と未来において両国民の信頼と理解を深める重要な契機になるであろう。
生口:弥生時代の日本(倭)において捕虜又は奴隷(奴隷は捕虜が起源)の意。後漢永初 1 年(107)、倭国王帥升らが後漢安
帝へ生口 160 人献上(『後漢書』)、後に、倭王卑弥呼が、魏景初 2 年(239)、魏明帝へ男生口 4 人、女生口 6 人を、魏正始 4
年(243)、魏少帝へ生口を献上、後継者台与も5 年後(248)、生口 30 人を魏へ献上『魏志倭人伝』)。高麗史(高麗史 十六 世
家巻第二十八 忠列王一 忠烈王元年(1274 年))によれば、 文永の役(1274)で高麗に帰還した金方慶らは、日本人の子女を捕虜
とし、高麗王と妃に生口として献上した記録「侍中金方慶等還師、忽敦以所俘童男女二百人献王及公主」。
18 植原和郎『日本人の成り立ち』
(京都、人文書院、1996 二刷)283 頁
17
23
(執筆者略歴)イ ジョン ハク:1929 年、浦項生まれ、韓国空軍士官学校、空軍大学卒、慶煕大学校大学院(史学科)卒、名誉
軍事博士(軍事史学、軍事理論、戦略学)
。国防大学院教授、韓国軍事史学会会長を経て、韓国忠南大学校・平和安保大学院兼任教
授・ソラボル軍事研究所長、慶州市在住。
(著書)
『総合世界戦史』
(1968 年)
、
『韓国戦争史』
(1969 年)
、
『現代戦略論』
(1972 年)
、
『戦争論(クラウゼヴィッツ)
』
(1972
年)
、
『孫子兵法』
(1974 年)
、
『航空戦略論』
(1982 年)
、
『軍事戦略論』
(1987 年)
、
『韓国軍事史序説』
(1990 年)
、
『軍事論文選』
(1991 年)
、
『新羅花朗・軍事史研究』
(1995 年)
、
『広開土王碑文の研究(日本語)
』共著(1999 年)
、
『戦争論の読み方(日本語)
』
共著(2001 年)
、
『韓国戦争』
(2001 年)
、
『クラウゼヴィッツと戦争論』
(2004 年)
、
『戦略理論とは何か』
(2006 年)
、
『軍事史によ
る古代史散策(日本語)
』
(2007 年)
平成 20 年度・日本戦略研究フォーラム定例役員会報告
日本戦略研究フォーラムは、
「規約」第 20 条・29 条に則り、平成 20 年度定例役員会(理事
会・評議員会)を開催した。役員会では、
「平成 19 年度事業報告」
、
「同年度決算報告」
、
「平成
20 年度事業画」
、
「同年度予算」
、及び、
『季報』第 36 号(5 月 21 日発行)において紹介した「
新役員人事」の各議題が審議された。
参加役員からは「会員の拡充」及び「安定的活動財源の確保」について指摘が有った。景気
の低迷と先行き不透明感があって、この 3 年間、明らかな会員勢力の低減が続く現象(会費収
入の激減もリンク)対策をどのように考えていくかが多くの関心事であった。
各号議案は滞りなく審議され、前年度収支については、監事から適正である旨報告がなされ
た。理事、評議員からは、一層の合理化、効率化を進め、運営の善処を図るよう期待が述べら
れ、役員会を終了した。
平成 19 年度日本戦略研究フォーラム実施調査研究『報告書』紹介
「安全保障環境の変化がわが国の防衛機器産業に及ぼす影響」190 頁
安全保障環境の変化と主要国の国防計画の動向
欧米における防衛力整備と防衛機器産業へのインプリケーション
わが国の安全保障政策及び防衛力整備の変化/わが国の防衛機器産業の現状と課題
新しい安全保障環境によるわが国の防衛機器産業への影響
「宇宙の平和利用原則の見直しとその防衛機器産業へ及ぼす影響」160 頁
各国の安全保障環境における宇宙利用の現状
わが国の宇宙利用の現状/宇宙の非侵略・軍事利用活動
防衛の宇宙利用における必要な技術の検討
日本の防衛機器産業への影響
―報告書にご関心がある方はご連絡下さい。
部数に制限がありますが、お分けいたします。―
TEL:03-5363-9091
24
国際時評
「日露関係―北方領土問題解決への道筋―」
副理事長 宮脇 磊介
日ロ関係を概観するとき、ロシアから日本へは社会経済政治にわたりダイナミックな動きがある。これ
に対し、日本からロシアへの動きは活気を欠いている。
今、ロシアでは日本ブームに沸いている。鮨屋の増加は目覚しい。茶の湯・活け花や柔道も盛んだ。新
興上流階級では夫人や娘に日本車を与えることが喜びだという。一般国民だけではない。ウラジミール・
プーチン氏の2人の息女は日本を度々訪れてショッピングや観劇を楽しむ。
妹はサンクトペテル大学日本
語学科に在籍する。
モスクワ郊外の官邸にはロシア芸術アカデミー総裁ツェリテリ氏の作になる講道館嘉
納治五郎師範の坐像があり、親しい人に、自分が今日あるのはこの人のお蔭だ、と日本文化への理解を示
す。経済政治では、資源大国から産業大国への脱皮を目指し、東シベリア・極東開発にとどまらずアジア
の世紀に向けてアジア太平洋諸国への展開を進めようとしている。
衰退する米国と勃興する中国との間に
割り込んで、21 世紀の世界でリーダーシップをとるロシア構築の責任を全うする。それには日本の力が
必要である。それが、プーチン氏の考える国益であり決意であろう。領土問題について、ここ数年プーチ
ン氏が各国ロシア専門家を招いて開催するヴァルダイ会議において、
日本との国境線確定問題を大統領在
任中に解決する、これは本気なのだ、とプーチン氏は 2 回にわたって述べた。今年 5 月 7 日の大統領任
期終了の直前に福田康夫総理に訪ロを要請したのは、この線上で捉えるべきであろう。
一方日本では、国民一般のロシアに対する関心は低い。毎年実施される内閣府の外交に関する世論調査
では、ロシアへの親近感は例年 15%前後の横ばいで、嫌中ムードの中国への 34.3%(2006 年)に比べ
てもなお低い。対ロ貿易は近年増勢にあるものの、全体のパイはまだ小さく、ロシア社会のビジネス環境
の不安定性もあって投資をヘジテイトする空気が強い。
日本のロシア専門家には依然冷戦時の思考パターンが強く、
相手の国益を見詰めながら状況を動かして
行くという基本戦略への転換ができていない。日本の新聞・TVに占めるロシアに関する報道の量も限定
的で、重要な情報が欠落している上に、ロシア専門家をも含めてロシア政府の動向に対してはネガティブ
に反応する傾向が強い。
ロシアの情報関係筋の人物から、
プーチン大統領の息女の話を聞いたので警察の担当幹部に確認したの
は五年前のことだった。また、嘉納治五郎師範の座像の話は、その頃、柔道の山下泰裕氏から聞き、ロシ
ア大使館のガルージン公使に話したら、
それはロシア大使館の大広間にある壁面一杯のモスクワの彫刻を
作った人によるものだとのことであった。しかし当時、日本のロシア専門家はこうした事実についてまだ
必ずしも情報を得ておらず、驚かされたのであった。
また、
ヴァルダイ会議での 2 回にわたるプーチン大統領の北方領土帰属問題解決に関する積極発言も、
日本のメディアではごく一部に報道されるに止まった。
ロシア要人がにわかに次々と北方四島の視察に動
くようになったのは、このプーチン大統領の積極発言直後からであった。だが日本のメディアはネガティ
ブに反応し、経済発展で自信をつけたロシア政府の領土確定に関する意思を誇示する動きと報じた。
日米関係や日中関係と比べてみると、
日ロ関係での質量両面にわたる情報がいかに希薄であるかがはっ
きりと見えてこよう。米国や中国との間では、長年にわたる広汎な階層での交流で、広く厚い人脈が築か
れてきた。ロシアとの関係で、日本国内で外交世論を形成する中心となってきた学者・研究者などロシア
専門家の多くは、冷戦中旧ソ連に関心を持ちロシア語を学び、やがて学者や新聞記者となった人たちであ
る。日ソ・日ロの間の曰く因縁故事来歴にはとても詳しいものの、その人脈は狭くかつ片寄っている。閉
鎖的で特殊な言論環境があるように見受けられる。
昨年秋のことである。モスクワ支局長などロシア勤務の長い記者が、プーチン大統領は地位に恋々とす
る人でないと、権力を去ることを、ある講演で断言した。だがなんとその翌日、プーチン大統領は、最大
与党である統一ロシアの党首となって総選挙に比例第一位で出馬して、
首相になることを辞さない-と権
力基盤を確乎とする意思表示をしたのであった。また、日本のメディア上では、後継メドベージェフ大統
25
領とプーチン新首相とを二頭体制と、あたかも並走するかのような見方が支配的だが、情報機関に足場を
欠くメドベージェフ氏が、難しい外交・安保・軍事を有効に仕切れるとは考えられない。プーチン氏がロ
シアの国益の実現に向けていかに実権の保持を必要としているか。プーチン氏の立場に身を置き換えて、
絶えず仮説を立てては検証する作業を繰り返し、解析していれば、自ら人物像や物事の先行きは読めてく
るのである。
外交は、それぞれの国の国益を実現し国益を守るためのゲームであり、砲火を交えない戦争である。そ
こでは、腕力(Muscle)ではなく智力(Intelligence)の強弱が勝敗を決する。相手国の国益の実体を測
り、主張(論理)を吟味し、国民意識/世論や国際社会の理解と世論を自国に有利なように醸成すること
などは、ゲームの手法から見えてくる戦略的思考である。
一般のゲームにも初心者から高段者まで雲泥の差があるように、外交に直接関わる政治家、ジャーナリ
ズム、学者・研究者など外交インフラはもとより、国民一般にも外交に関するゲーム力・智力には一人ひ
とり力量に大きな差がある。この当然の事実認識と向上への研鑚努力が、国の外交力を高め、外交におい
て成功を期するために必須の条件であろう。
対ロ外交は、冷戦時から相手国の国益を見詰めること抜きに北方領土返還一本槍であった。しかも、ソ
連の動きを忖度して、四島だ、二島だと、バラバラにやってきたり、ロシア首脳の意向を測りかねて前進
のチャンスを逃したりしてきた。また、北方領土返還は日本国民の悲願ではあっても、
「返還」という言
葉がどれだけロシアの関係者の心情を逆なでするものか、日本国民には必ずしも伝わっていない。少なく
とも外交のゲームにおいては、悪いことをしたから返せ、という感情ムキ出しでは問題解決につながらな
い。四島帰属について主張すべき論理を揺るぎなく貫くと共に相手国の国益と心情に理解を深める、チエ
ある態度こそが問題解決への道なのである。
福田康夫総理は、プーチン大統領がその職を去る直前、モスクワに赴いて首脳会談を行った。領土問題
について日本のメディアは殆ど言及しなかったが、そのことはむしろ問題解決への兆しを暗示した。外交
の重要案件は、メディアに気付かれない時にこそ解決に向けた動きが進められるからである。
(執筆者略歴)危機管理問題・組織犯罪対策のプロフェッショナル。1932 年東京生まれ。東京大学(法)卒後警察庁入庁。中曽根・
竹下両総理時の初代内閣広報官。1988 年退官。日ロ交流協会常任理事。
(著書)『サイバー・クライシス―「見えない敵」に侵される日本』(2001、PHP研究所)/『騙されやすい日本人』(2003 年、
新潮社)
THE BEST CONCEPT OF MARITIME SECURITY
FOR
GERMAN----- SINGAPORE----- JAPAN
ATLANTIC
CAPE-HORN
PACIFIC
SUWAYS
ARABIAN INDIAN SOUTH-CHINA
BY
THYSSENKRUPP MARITIME SYSTEMS INTERNATIONAL
26
小論
「国の守りを高める道州制1はいかにあるべきか―道州制と国防・国土計画―」
政策提言委員 天本 俊正
1.はじめに
国の地方制度として道州制を導入しようとする動きが急である。筆者は、旧建設省に 28 年余勤務し、
全国総合計画の策定などにも携わってきた。国土計画に国防の要素を十分取り込むべきだ、との年来の主
張から、道州制がどうあるべきかを論じたい。国家の政治の最優先課題は、安全保障であり、ついで国内
統治がある。国としての安全、秩序が守られなければ国民生活も経済活動も文化も民主主義もない。昨今
の道州制論議は、この基本を踏まえていない。
2.道州制導入の動きの現状
平成 20 年 5 月現在、道州制導入の動きは各般ですすんでいる。政府は、内閣府に道州制担当大臣をお
き、道州制ビジョン懇談会2を設置、中央集権行き過ぎ是正の観点から制度提案を行おうとしている。首
相諮問機関の地方制度調査会は、平成 18 年 2 月、第 28 次答申で道州制導入の提案している。与党自民
党は道州制推進本部を置き、第 3 次の中間報告を出そうとしている。経済界は、経団連が道州制推進委
員会を設け、各地方でも同友会など提案が多く出ている。民間、学会、マスコミなどの提案は、数え切れ
ない。
平成 18 年 12 月には北海道を対象に道州制特区推進法も出来ている。
だが、道州制論議は、混迷を深めている。最大の理由は、国民の 6 割が、道州制に反対の意向を持っ
ていることにある(新聞世論調査)
。都道府県知事もいよいよの本心では、都道府県廃止に賛成していず、
国の各省庁も今出ている諸提案、各種運動の内容では、まったく賛成していない。別途、政府では地方分
権推進委員会がある。
「地方分権改革」で中央政府各省庁の「切り崩し」をはかり、その上で道州制の具
体化を図ろうとする戦略も見え隠れしている。
3.道州制と国土計画、国防
道州制は、
「国のかたち」特に国(地方支分部局ふくむ)―都道府県―市町村で流れている内政の支柱
の形を変えようとするものである。
わが国独自の歴史的な経緯を国土計画、
国防の視点から踏まえてみる。
3-1.国土計画から見た「道州制」
近代日本で道州制の提案は、今回に始まったことではない。戦前は内務省が都道府県を束ねていた。道
州制は、田中義一内閣のときに都道府県を地方ごとにまとめる機関として導入が検討、不成立。戦中には
「地方総監府」が一時的に存立した。地方総監府は軍の管区と整合していた。
戦後は、都道府県知事が公選となり、国の各省庁も地方支分部局を作った。昭和 31 年、地方制度調査
1
道州制:行政区画として道と州を置く地方行政制度。府県制、市制、町村制などにならった用語。日本では、北海道以外の地域
に数個の州を設置し、それらの道州に現在の都道府県より高い地方自治権を与える将来構想上の制度。諸案が北海道はそのまま道
として存続するため「州制」ではなく道州制と呼称。現在、道と州を共に置く国家はないが、日本での道州制に関する議論の中で
他国の地方自治制度について言及する場合、道州制という言葉を使用して弁別。道州制議論は、論者によって制度としての組立て
方やプロセスなど主張は次のように様々。①北海道を除く、都府県を廃止して行政を広域化する案(北海道と同等、又は北海道と
共に権限を強化)。②都府県の幾つかを分割、都府県の広域連合の地方公共団体として道州を設置する案。③外交と軍事以外の権
限を全て国家から地方に委譲、対等な道州同士の緩やかな連合によって国に対し低い地方の地位を押し上げる案。地方分権を共通
目的とし、様々な団体から実現を訴える声が上がっている一方で、道州制の認知度は高いとはいえず強い反対も存在。
2 市町村合併の進展など社会経済情勢の変化により道州制導入の課題を踏まえ、基本的事項を議論し、「道州制ビジョン」の策定
に資するため、特命担当大臣(道州制担当)の下に「道州制ビジョン懇談会」を開催。懇談会メンバーは、(座長)江口克彦(PHP
総合研究所代表取締役社長)、石井正弘(岡山県知事、全国知事会道州制特別委員会委員長)、出井伸之(ソニー最高顧問)、岩
崎美紀子(筑波大学大学院教授)、大久保尚武(積水化学工業代表取締役社長)、金子仁洋(評論家)、鎌田司(共同通信社編集
委員兼論説委員)、草野満代(フリーキャスター)、河内山哲朗(山口県柳井市長 全国市長会副会長)、堺屋太一(作家・エコ
ノミスト)、山東良文(国土計画協会特別会員)、末延吉正(立命館大学客員教授)、高橋はるみ(北海道知事)、長谷川幸洋(東
京新聞・中日新聞論説委員)、宮島香澄(日本テレビ報道局記者)。
会第 4 次報告は、地方府としての道州制を提案した。一方では、昭和 30 から 40 年代にかけて首都圏整
備委員会など開発ブロックの体制が、制度整備された(現在、国土交通省にほぼ吸収)
。民間では昭和 40
年代の関経連の道州制提唱の動きが代表的である。
このような動きは、国土の経営のあり方、つまり国土計画と密接な関連にある。
戦後の国土計画は、全国総合開発計画に見られるように「平和主義」のもとの産業振興、土木・建築、
都市の世界でしかなかった。国防に触れることは、タブー視されてきた。冷戦時代の終わりを迎え、自主
防衛が直接的な課題になれば、国防は、国土計画で当然取り上げなければならない主要課題である。
例えば、沖縄の米軍基地の再編、自衛隊の配置について、沖縄県民の意向の尊重は大事であっても、そ
れだけでは到底ない。国土計画上の新たな位置づけとともに正面切った国防論議を始める必要がある。今
回の「道州制」でも沖縄の扱いは、微妙である(沖縄の地元意見は、沖縄単独州の主張)
。
3-2.国土計画と国防、その延長線上の道州制
「国土防衛」といっても、防衛線は国内に置けず、国土防衛は国内に限らないが、それでも国内各地はお
おむね地方ブロック単位に陸、海、空の軍事・治安編成の配置を考えなければならない。例えば陸上自衛
隊の師団編成と配置は、国内政治の日常の組織である地方支分部局、都道府県、市町村のあり方と密接に
関連している。沖縄、対馬、北海道など国境を守る戦力とそれを支える国の地方組織はどうなっていくは
特に関心を深めておく必要がある。基礎自治体である市町村に戦力支援を大きな期待は出来まいから、地
方支分部局、都道府県の再編から生まれる道州制は、国防上も大いに関係し、そのあり様を検討する必要
がある。今のところどの提案でも軍事、治安はほとんど対象になっていない。
道州は、所詮は国の統治行為の地方展開である。その主たる任務は、現段階では、新産業・雇用の確保、
新インフラ(今までの土木建築中心ではない)であるが、地方総合行政である以上、管内市町村の指導監
督も忘れてならぬ任務になる。治安・軍事も行政にかかわる限り、またその管轄に入る。
道州の具体のありようは、
内政の地方展開の総合行政という形では国の防衛体制とは一線を画すとし
ても、密接に連携が取れる体制でなければならない。九州・沖縄は、中国大陸、朝鮮半島をにらみ北から
南に東シナ海、対馬海峡に描く防衛線を意識した地方総合行政を行うべきであろう。中四国・近畿の道州
と中部・北陸の道州は、日本海西部、西太平洋で対外勢力と対峙しながらの地方総合行政を行うべきであ
る。
関東は、首都圏としての守り、東北・北海道は、日本海東部、オホーツク海を意識した地方総合行政を
行っていかなければならない。
このような 6 から 8 の道州が、まとまって日本国の国政を担い、防衛を行政サイドから担うことにな
ろう。軍事的な管区・師団の配置と整合性が取れていなければならない。
3-3. 危険な「地方分権」からくる道州制
今回、はたして「地方分権」の動きの上に本当の道州制があるのか?
「地方分権」は、村山内閣前後に企画され、国を変える流れになっているが、
「失われた 10 年」とい
われる日本の衰退の一因になっている。中央政府と地方政府のいたずらな対立を煽り、本来、地方自治が
国家統治の一環であることを忘れているかのような偏りがある。勿論、防衛も道州制議論の外とされてい
る。防衛は災害出動だけに絡んで議論されるがそれでよいわけがない。
今回の道州制論議には、政府も民間・経済界も地方もその動きに、安全保障(テロ、内乱も含む)
、秩
序維持を最優先する「国のかたち」の中で考えるという動きがみえない。この情報化社会では、過度の集
権的組織が時代遅れでネットワーク的組織に政治も行政も組み替えるべきという意味では、
「地方分権」
も一定の正当性を持つが、中央政府への過度の非難、無謀な「改革」路線での「地方分権」は、分裂主義・
破壊主義の思想に乗っているとしかいえまい。
一旦緩急ある時は、国民が総力を結集し、普段はおのおのが、地方地域、コミニティ、家庭も含め、国
28
の動きを正しく理解しつつ、
現場々々で物事を処理できること、
これがネットワーク国家を築く姿である。
国中央―地方支分部局、国―地方の関係でも同じことだ。今、
「地方分権」にのって言われる道州制は、
国と地方を分断することに主眼を置いているとしか思えない。
各所で行われている道州制議論の多くが、非現実的な議論になっている。例えば、国民の食の安全は、
道州・市町村の役割だと分類しても、いざ中国の農薬餃子問題のような非日常的問題が勃発すれば、国を
挙げても解決策を早急に取らなければならない。防衛、外交は国中央、内政・産業は、道州制を含む地方
などという分類は、国民の毎日毎日の生活が、日本国としてまとまりの中で行われている現実を忘れてい
る。近代日本の歴史と伝統、制度の経緯などを振り返りもせず、まるで工場で物でも作るような制度設計
で「道州制」を論ずる向きが余りに多い。
3-4. 道州制の形
わが国の抱えている問題の一つ一つを根気よく国・地方一体の道州制の中で解決策を具体に考えていく
必要がある。例えば、わが国の 21 世紀の国土計画の最大の課題は、出生力の回復(多子若齢化社会への
復帰)という民族的課題であるが、これに内政は、国、地方を通じてどう応えていくか、あるいは道州長
官の形として、戦後の都道府県知事の官選から公選への切り替えをどう評価するか、など真正面から政治
と行政は捉えていくべきだ。
最後に、筆者は個人的には、知事公選のメリット、都道府県制度の歴史的定着を考量すると、いまや消
滅した首都圏整備委員会(委員長=大臣、委員=知事)復活のような形が、道州の形としては現実的で望
ましいと考えている。
4.おわりに
道州制は、国と地方が一体の組織として構成されなければ動かない。昨今の論調では「地方分権」の国
家解体論者の主張に、政治、マスコミが引きずり回されている。これでは国の守りを高める道州制にはな
らない。国民結集の内政強化の手段としての道州政府の成立でなければ意味がない。都道府県の力が衰え
てきていることは、火を見るように明らかなので、新産業・新雇用対策の柱として、道州制の実現(都道
府県を一部残した形で)が必要だ。正しい道に即していければ道州制の実現は、一日も早い方がよい。
(執筆者略歴)
:
(株)天本俊正・地域計画 21 事務所、元・建設省官房審議官
(参考図)道州制推進連盟のサイトより
図は道州制推進連盟が示す区分案。この案では二つの特別州を含めて 12 に分割している。
29
日本戦略研究フォーラム第 19 回シンポジウム詳報
「日本の安全保障政策―二大政党の主張―」
平成 20 年 5 月 21 日(水)(於:ホテル・グランドヒル・市ヶ谷)
1600~1605―開会・挨拶―
1605~1645―主張―
① 民主党 : 浅尾慶一郎 参議院議員
② 自民党 : 浜田 靖一 衆議院議員
③ 民主党 : 長島 昭久 衆議院議員
④ 自民党 : 中谷 元
衆議院議員
1645~1700―コメント―
櫻井よしこ 国家基本問題研究所理事長
1700~1745―討論―
モデレーター 櫻井よしこ 国家基本問題研究所理事長
1745~1800―総括―
櫻井よしこ 国家基本問題研究所理事長
1800―閉会―
―パネリスト紹介―
中谷 元 先生:1957 年生。自由民主党衆議院議員、2001 年、小泉内閣では史上最年少、防衛大及び陸自出身者
として初の防衛庁長官。防衛大学校(本科理工学専攻第 24 期)卒業、元陸上自衛官(二等陸尉)。退官後、衆
議院議員秘書、厚生大臣秘書官等を経て政界入り。1990 年1 月、第 39 回衆議院議員総選挙に高知全県区から出
馬し初当選、6 回連続当選。2003 年、自民党副幹事長。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。
浜田 靖一 先生:1955 年生。自由民主党衆議院議員。1975 年、米国ヒルスデールカレッジ留学。 1979 年、専修
大学経営学部経営学科卒業。自民党内では実力派の若手。1993 年の第 40 回衆議院議員選挙以来、連続当選。
県連会長、国対副委員長など歴任。自衛隊イラク派遣時の防衛庁副長官。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。
長島 昭久 先生:1962 年生。民主党衆議院議員、国家基本問題研究所理事。慶應義塾大学大学院、米国ジョンズ・
ホプキンス大学卒業。民主党前原代表時「次の内閣」の防衛庁長官、安全保障委員会野党側筆頭理事、党内の安
全保障政策の取りまとめを担当。小沢一郎代表の下「次の内閣」防衛庁長官として留任。2006 年 9 月より、外務
委員会理事、外交・安全保障担当の政策調査副会長および国会対策副委員長。
浅尾 慶一郎 先生:1964 年生。民主党参議院議員(2 期)
。2007 年 9 月現在「次の内閣」防衛大臣。民主党神奈川
県連代表。東京大学、スタンフォード大学経営大学院卒業。2004 年の参議院選ではイラクにおける人道復興支
援活動の廃止を主張、新テロ対策特別措置法案対案の作成など民主党「次の内閣」の防衛担当。日本戦略研究フ
ォーラム政策提言委員。
櫻井 よしこ 先生:
日本のフリージャーナリスト。新潟県長岡市出身。慶應義塾大学文学部中退後ハワイ大学マノア校 歴史学部卒業。
「クリスチャン・サイエンス・モニター」東京支局などを経、1980 年5 月より日本テレビの「NNN今日の出来
事」のメインキャスターで1996 年3 月まで 16 年間アンカーパーソン。女性ニュースキャスターの草分け。1995 年、
薬害エイズ事件を論じた『エイズ犯罪―血友病患者の悲劇―』で第 26 回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。20
07 年4 月から、フジテレビ系新報道番組「新報道プレミアA」のレギュラーコメンテーター。2007 年 12 月に設
立された民間の政策シンクタンク国家基本問題研究所の理事長。
(著書)2007 年:『日本よ、勁き国となれ』(ダイヤモンド社)・『日本よ、“歴史力”を磨け』(文芸春秋)・
『世の中意外に科学的』(集英社)・2008 年:『日本人の美徳 誇りある日本人になろう』(宝島社)・『私は金
正日との闘いを止めない―米中の宥和政策にも負けない』(文藝春秋)・『異形の大国―中国―彼らに心を許して
はならない』(新潮社)
―主張・議論への期待―
地球上の脅威が多様化した。全体主義国家やならずもの国家、非国家主体の国際秩序に対する挑戦は
絶える様子がない。東西対立構造崩壊がもたらした地域民族主義の衝突も沈静化していない。紛争に介入
する国際システムはダイナミックに変貌し、国連の改革が求められている。
複雑、かつ、流動する国際情勢下、今、日本は、国際社会の一員としてどのようにふるまうことが最
善なのか? 国内政治の党利党略がもたらす混迷に目を奪われ、日本は、国際社会の孤児になってしまう
のではないか? 別けても、軍備先進国? 安全保障政策後進国である日本が講じなければならない安
全保障の課題は何か?
日本の言論界を代表する櫻井よしこ先生に、日本の安全保障を担う二大政党を代表する論客から「今
言いたい日本の安全保障」を聞き出し、タブーなくモノ申して頂き、活発な議論を進めて頂く。
さて、日本が安全保障上、直面している主要課題には、
(1) 「憲法改正」のプロセス構築
(2) 「防衛省改革」推進
(3) 「テロ対策特措法恒久法化」の行方
(4) 「日米安全保障体制と米軍再編」の今後
(5) 「地政戦略的空間の平和利用に関わる『宇宙基本法』
」の意義
(6) 「北朝鮮の脅威顕在」に関わる意識の希薄化の危険
(7) 「軍事大国化する隣国『中国』
」との付き合い方
がある。限られた時間にこれらを全て議論し尽くすことは至難であるが、それでも、諸先生方には果敢
に思考して頂くこととした。日本の安全保障戦略ビジョン構築と具体的政策、そして政策実現の方向付
けを明らかにできるか。日本の存在は何に依って立つのか。二十一世紀日本の繁栄と安全を確かにする
議論の炎上を期待したい。
―「当日配布添付資料」―
「宇宙基本法骨子」、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻
撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置
及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」、「提言・防衛省改革」
(櫻井先生:以下、敬称略)本日は四人の有望な、そして優れた政治家の皆さん方がお揃いになりまし
た。このどなたも、次の防衛大臣になるやも知れない方々です。そう言いましたら、中谷さんは、ぼくは
もう終りましたと言われましたが、二度も三度もおやりになることだってあるわけです。いずれにしまし
ても、防衛問題については深い知識と、日本が置かれた国際社会における状況について鋭い分析をして来
られた皆さん方です。日本の安全保障政策は、今、どういった課題を喫緊の課題として解決しなければな
らないのか、中期目標はどの辺りに置くのかなどを含めて、自民党、民主党両党の立場を踏まえながら、
大いに闊達な議論をして頂きたいと思います。
今、世界は、激変していると言っていいのではないかと、私は考えております。隣国中国が非常に力を
つけている。力をつけているだけではなく、その意思が、段々と明らかになってきています。戦略的境界
という言葉に象徴されますように、国の総合力によって国境が広がっていくと彼らは考えています。私た
ちは、漫然と地図を広げて、国境は確定されたものであり、それは動かないものだと思っています。しか
し、中国の見方は異なるのであり、それを認識しない限り、とんでもないことになる可能性が、段々強く
なっていると思われます。この四、五年来、中国とロシア提携の動きが盛んです。両国はユーラシア大陸
に存在する二つの異形の大国ですが、彼らの軍事力にかける信頼と、それへの依存性と、それによって生
じる政治的影響力を考えますと、わが国が、今、最も力を入れなければならないのが安全保障政策である
ことは明白です。
今日の産経新聞1にも報道されておりました。昨日、アメリカのシーファー駐日大使が外国特派員協会
で講演をしました。そこで大使は、
「日本は、是非防衛費の増大に努めなければならない。OECD加盟国
の中でも、最も低いパーセンテージの防衛予算しか出していない。これでは、日本の安全保障はおろか、
日米安保にまでマイナスの影響を及ぼす」という趣旨のことを指摘しています。本当に、世界の情勢を見
て防衛問題を考えると、眠ることが出来ないくらい心配な状況が起っております。
台湾問題、オーストラリアの問題、中国の影響力の拡充など様々な観点で、それぞれのお立場から、お
およそ 10 分を目途にお話しして頂ければと思います。順番は、プログラムに書いてあるとおりにさせて
1
平成 20 年 5 月 21 日
31
頂きます。浅尾さんが最初のご発表になっています。民主党キャビネットの防衛大臣でいらっしゃる浅尾
さんから、民主党の考え方、浅尾さんの問題意識というところから始めて頂きます。宜しくお願い致しま
す。
(浅尾)本日は、この高尚な場に参ります前に、高尚ではないと言いますと語弊があるのですが、参議
院の外交防衛委員会で、
明日、
宮崎元伸元山田洋行専務の証人喚問を行なうことが決まっているのですが、
それをテレビ中継で入れるか入れないかでバタバタしておりました。
まだ決まっていないというのが真相
です。基本的には、証人喚問をやるという時にはテレビ中継が入るものなのですが、ご本人が遠慮したい
と言っておられます。宮崎氏は、証人としていらっしゃることになっております。この件に関して委員会
は、当初、採決で決めようと言っていたのですが、自民党も、公明党も採決するなら退席するということ
になりまして、今も、もめている最中です。携帯電話で状況を把握しておりましたが、今、電源を切りま
したので、以降、本日のテーマに専心させて頂きます。
安全保障に関して、
政策という文脈でお話させて頂きます。
民主党の安全保障政策といった時に、
まず、
大きな特色として申し上げなければならないのは、日本の周辺に関わることについては、長島さんも、私
も、当然ながら、その他の人も含めて、自民党・公明党与党と考え方に殆ど差が無いと思います。
「日本
国周辺における」という前提では、むしろ、書きぶり、解釈は人によっていろいろあります。こう言うと、
また語弊があるのですが、集団的、個別的自衛権といった過去の議論の経緯に拘泥せず、日本が急迫性の
侵害を受けた場合には、それに対して自衛権を行使するということでありまして、集団的自衛権について
は、今までの政府の考え方よりは、若干踏み込んだところもあります。重ねて申し上げますが、これは、
日本周辺においてという前提で、その周辺を遠く離れた場合は違ってくるという考え方です。
もう少し申し上げますと、過去の四つの類型の中で、三つまでは、大体それでクリアできるのではない
かと考えています。
アメリカに向かって飛んでいくミサイルの問題は残ります。
これは、
憲法が変わって、
自衛権が明記されれば、そこで、当然、集団的自衛権を行使できるということになります。この憲法改正
前に、そのような事態が生起した場合にはどうするかということがあります。この対処はなかなか難しい
のでしょうが、
まず実態として、
アメリカに向かって飛んでくるか、
日本に飛んでくるか分からないから、
言い方として難しいのですが、日本に向かって飛んでくるのではないかと思って撃ち落したと、今の段階
ではこのような言い方しか出来ないのでしょう。
しかし、ここでは、法律の整理をしていった方が、法律の安定性という観点では適当だと思います。現
実の政治の動きと、
法律、
特に憲法が整備されるまでの間のタイムラグをどう埋めるかというのが、
多分、
政治の話であると思います。そういう意味では、日本の「周辺」については、ほぼ、四類型がカバーし得
たのではないかと思います。それでは、日本から離れたところをどうするかということでありますが、こ
こは、かなり、民主党と自民党の政策に異なるところがあるのではないかと思います。
ここでは、その「異なる在り方」について少しお話をさせて頂きます。日本から遠い、例えば、アフガ
ンにせよ、イラクにせよ、そういったところで、何か武力を行使するような、日本が従事しなければいけ
ない、或いは、日本が主体的に判断して従事しなければならない事態が発生した時に、どのような基準が
あったらいいかということであります。先程申し上げました自衛権については、日本の周辺、日本が直接
に関与するものについては、過去の議論に拘泥せずということで整理を致しましたが、日本からかなり遠
い地域における事象については、
なかなか自衛権という文脈で整理をすることが難しいだろうと思ってお
ります。この部分については、自民党も同じですが、それでは、そこをどのように超えていけば宜しいか
というと、
「自衛権と、国連が定める集団安全保障とは性格が違う」という整理を致しました。
つまり、戦争は自衛の名の下に始まりますが、戦争推移の次のフェーズは集団安全保障のフェーズであ
ろうと、即ち、その場合の集団安全保障には、国連が介入をして、多国籍軍を編成するという場合もある
でしょう。国連軍というのは朝鮮戦争以来ありません。朝鮮戦争後の多くの場合は、専ら多国籍軍であり
ました。国連が関与する多国籍軍が編成された例では、湾岸戦争のケースで、国連の決議があって、その
結果組織された多国籍軍が戦争に派遣されています。
そのような安全保障については、これが、自衛権とは異なって、国連という国際社会の要求が有るもの
であるから、民主党が行なっている法理論的整理で言えば、参加が出来ますし、参加する場合には、後方
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支援だけではなくて、前面での活動にも参加出来るという整理をしております。前面での活動に参加出来
るという整理をしているのですが、その上で、日本にも経験があるかと問われれば、当然無いわけですか
ら、いきなり、前面における全ての活動に参加できると判断するのは、現実の政治において難しいであろ
う考えます。
従って、徐々に前面での活動も含めて出来るようにしていこうと、法律的には参加出来るとした整理の
上で運用しようとするものです。
自衛隊がいきなり全ての最前線における状況に対応出来るとするのは早
計であって、経験を積み重ねながら、少しずつ、段階的に慣らしていくということになるのでしょう。そ
こでは、わが国政府が主体的に判断して、ということと、国会の関与ということを強めておりまして、自
衛隊の部隊が派遣される場合は、原則、事前承認を求めることにしております。従って、どのような活動
に自衛隊が従事するかということを、国会の場において明らかにした上で派遣されることになります。
そこで、今までの後方支援と、前面での活動に関して法律的な区分けをしておりませんが、具体的な活
動については、実際に出て行った上で、どのような活動に従事するかということを国会の場で議論するこ
とによって、本当にその活動に経験があるのかどうかということを含めて、最初は、経験がさほど無くて
も従事できるところから派遣を致しましょうというのが、民主党の考え方の基本でございます。
整理を致しますと、今の政府の考え方との違いは、今の政府は、明示的な国連の要請が無くても参加が
出来るという意味では、ある種、フレキシブルだと、柔軟性があるのだと思います。しかしながら、前面
での活動は、これは憲法違反であると、正確に言うと憲法違反であるという法制局の解釈は出ていません
が、実際のところ、極めて憲法違反に近いということで、今までは実働していないわけです。
一方で民主党の方は、集団安全保障と自衛権とは違うという整理に到りました。それは、武力を行使す
る事態のフェーズが異なると言った方がいいのかもしれません。自衛のための戦争の段階から、国連とい
う国際的な組織が関与して、その加盟国に武力の行使も含めて容認した場合の集団安全保障のフェーズ
には、自衛隊を前面に派遣できるという、政府と異なった整理を行ないました。ここが、今の政府の考え
方と異なっているところであります。
その上で、長島さんも、私も、インド洋への自衛隊の派遣そのものは、憲法違反ではないという立場に
立っております。これは、民主党としてそのような整理をしているところでもあります。しかしながら、
実際に今後派遣される場合には、国連の要請があったほうが望ましいと、このような整理もしております
ので、そのことも付言をさせて頂きたいと思います。
(櫻井)ありがとうございました。今お聞きになってお分かりのように、浅尾さんというお名前を聞か
ずにうかがっていたら、自民党の若手議員かと思うくらい、本質のところでは、自民党の安全保障をしっ
かり考える人々とあまり変わらないのではないかと思います。
次に、浜田さんに、自民党を代表する形なのか、ご自分の思いのたけを言って頂くのか、日本の憲法九
条の縛りを、国内国外でどのように説いていくのか。国際社会における日本の存在を担保することによっ
て、世界に伍して安全保障に貢献していくという観点から、自民党が考える日本の安全保障政策のあるべ
き姿についてお話頂けるでしょうか。
(浜田)ただ今櫻井先生からお話がございましたが、党としての考え方については、中谷先生にお任せ
すると致しまして、私の思いを申し上げます。というのは、浅尾先生も触れておられますが、安全保障の
議論をする際に、国を守る、そして国家として国際貢献するという行動を考えますには、個々に大きな差
が有っては困るものでありまして、むしろ考えに左程の差が無いものであるとして参りました。差が有っ
て、議論するのは方法論の部分であって、安全保障の理念や行動の基本には差異があり得ないとも言える
のであります。従って方向性についても差が生じないのではないかと思っております。
国を守るに一番効率的である体制をどのように採っていくのか。また、自衛隊の活動が,世界平和、国
際社会における貢献という部分で日本を体現してもらっていると考えます。従って、日本を出て自衛隊が
派遣される場合には、そこにわれわれの思いがなければいけないと思います。その思いを伝えることは、
われわれが自衛隊をどのように送り出すかということであって、
きわめて重要な話であると言い換えるこ
とが出来ます。そのようなところをわれわれ、しっかりと考えていかなければなりません。
自衛隊の派遣や、
具体的な行動が憲法違反であるかないかということも極めて重要なことでありますし、
33
いろいろな場面、場面によって、どのような判断が下されなければならないのかといった点についても考
える必要があります。
私は、この度、防衛省改革という課題について党内の取り纏め役を仰せつかっております。先程、浅尾
先生が言われましたが、
自衛隊の海外派遣や武力の行使など、
国会の事前承認を必要とするということは、
極めて重要な大原則であると、賛成するところであります。どうも、近頃は、文民統制、シビリアンコン
トロールなるものが、防衛大臣、副大臣、政務にあるという話が先を行っているようです。防衛省改革を
検討した報告の中で、敢えて、この点について、国会の文民統制、シビリアンコントロールについて書か
せて頂きました。
この判断をする時点では、政党の判断も重要かもしれませんが、まず、われわれ国会議員としての判断
を問われなければいけないと思っております。そういった意味で、国会議員がシビリアンコントロールの
意識を果たして持っているのか、持っていないのかということについても、敢えて書かせて頂いておりま
す。その思いは、一般法において事前承認する際に、そこまで安全保障に対する知識、軍事に対する知識
というものをしっかり持ったわれわれ国会議員が、
われわれの自衛隊を出すに際してしっかりと表明すべ
きであるというところに在ります。このことについても盛り込ませて頂きました。
そして、これは、憲法論議になるのかもしれませんが、一体全体、自衛隊というものを軍隊として認め
るのか、認めないのかというところ、そしてその身分をしっかりと、どこで保証するのかどうかというこ
とをも含めて、今回、大きな議論を書かせて頂きました。先程お話がございましたように、憲法改正が行
なわれない期間、一体どうするのか、当然、これは安全保障基本法なり何なりを作って、しっかりと、や
るべきこと、やれないことを明記しなければならないと思っております。
また、体制に関わる議論、所謂、組織論がありますけれども、組織論というのはあくまでも組織論であ
りまして、
私が思うに、
組織を変えるということが、
一体何につながるのかと言えば意識改革であります。
お互いの言い訳の部分を削除して、
まさに運用体制を強化することが極めて重要だと思っておりますので、
敢えて、所謂、背広、制服のどっちに入るのか、入らないのかということを議論するのは、組織論の中で
どうでもいいことであります。それでは、
「お互い、今の状況の中で、直ぐその体制ができますか」
、
「制
服の皆さん方、本当にその法制の中、法律の部分に入っていけるんですか」
、ましてや「背広の皆さん、
軍の方の実際の運用の中に入っていけるんですか」
、
「このような状況の中で、お互いの立場を省みて、今
までやって来たことを、足らざるところを足していけるんですか」
、
「背広と制服が一体となってやってい
きましょうね」ということを、敢えて、われわれとすれば、思いを馳せておるところです。
まさに、国際平和、そして、平和に関与する軍のあるべき姿をしっかりとそこに示すべきであり、日本
国民の思いを体現する自衛隊としての認識、意識、意識改革、そして、何ができるのか、即時対応できる
のか、できないのかというようなところも含めて、今回、議論をさせて頂きました。そういった流れの中
で、今後、今日も、官邸において政府の改革会議が開かれ、いろいろな議論がなされるわけであります。
そこでは、
「事案があったから変える」ということではなくて、いい加減、もうすっきりした形で物事が
考えられ、そして、運用体制としてしっかりとした自信を持った体制が出来るようにするということが、
大所高所から議論する上で極めて重要だと思っております。そういった意味において、今後の、この防衛
省改革というものの本質を皆様方にご理解頂き、議論に参加して頂ければと思っています。
私自身は、安全保障委員長もやらせて頂き、その際にもお話しをさせて頂いているのですが、各党間で
いろんなやり方の違いはあれ、日本の国を守る、そして、日本の国の国家というものを如何に国際的に知
らしめるか、
その思いを知らしめるかということを議論する場が安全保障委員会であると思っていました。
従って、各党間の安全保障の議論というものは垣根を取っ払って、まさに、日本の国にとって重要な部分
をやっていくべきであると私は思っております。今日、こういった形で皆様方と議論できるということを
嬉しく思っております。今日は、櫻井さんの下で忌憚の無い意見を述べさせて頂きたいと思いますので、
どうか宜しくお願い致します。
(櫻井)有難うございました。浜田さんには、また個別の質問が沢山出てくると思いますが、その前に、
防衛省改革について、以下何点かご説明頂ければと思います。日本で文民統制と言われて来たことの実体
は、官僚が統制するという意味で文官統制なわけです。その官僚もまた、そして、本来ならば文民統制の
トップであるべき防衛大臣も、政治家も、余りにも日本国においては軍事の知識が乏しいのが実情です。
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他方、軍事知識を持っている人は「何とかオタク」と言われるくらい、あの砲を使えばどのくらい飛ぶと
か、部分的な知識をひけらかすことが、ひとつの特徴のようになっています。外国では、例えば、安全保
障の戦略をどのように構築するのかという、安全保障論を大学あたりから教えているわけです。それも一
般の大学で教えています。これは、外交戦略を教えることと同根のものがあるわけですけれども、軍事及
び外交が一体となった戦略についての知識を持つ人材を育てることなどは、防衛省改革の論議の中で、話
し合われたのでしょうか。もし議題として出て来たとしたらどのような内容であったのか、補足説明して
頂ければと思います。
(浜田)今回の防衛省改革については、われわれ、背広の中に制服自衛官が入るということを考えてお
りました。防衛大学校の中では技術系が主だった教育でありまして、逆に言えば法律の部分の学部は無い
わけであります。今後そのようなものを含める、学部の中に法律の部分も入れるべきではないかという議
論もありました。逆に言ってみれば、現場を知らない背広でいいのかという議論もあります。この点に関
わる考え、やり方に関しては、今後の議論ということでまとめ、これからフォローアップしてやっていく
という形を採らせて頂きました。必ず、そういった、おっしゃるようなオタクというような、石破さんの
ことをおっしゃっておられるのかもしれませんが、知らないことを言われると、詰まってしまう、そこで
知識が無いと、そのようなことを言われるわけであります。どういうわけか中谷先生はオタクと言われな
いという、これがまさに決定的な差でありまして、どうも、知らないことを言われるというのは、自分が
勉強していないからイヤだというところもありまして、そういったところは非常に残念なところです。
外交と軍事とを比較して言いますと、
外交が先に行ってしまいます。
外交はと言うと何となく華やかで、
軍事と言えば暗くて怖いみたいな感じがあります。今、特に、政治家が外交をやりますというと、外務省
が一緒に居ると大変でございまして、
「今、あの国とうまくいっているんで、今、その議論をしないでく
れ」などと言われることが往々にしてあります。本来であるならば、一般大学において軍事学というもの
があるべきだろうし、
軍事について普通に議論が出来るというのが求めるべき姿であろうと思っておりま
す。
(櫻井)どうも有り難うございました。次に、民主党の長島さんにご意見を賜りたいと思います。長島
さんは、
長年アメリカにも留学なさり、
軍事問題については取り分け詳しくていらっしゃいます。
民主党、
そして、長島さんが考える安全保障政策の問題点について、宜しくお願い致します。
(長島)本日はこのように素晴らしいシンポジウムにお招きを頂き有難うございます。与党・野党の垣
根は在りますけれども、かねて、かなり議論をさせて頂いている三人でありますので、ざっくばらんに、
お話をさせて頂きたいと思います。私は、安全保障問題というのは、与野党の間に共通基盤を作らなくて
はいけないと、常々考えております。実は、そういう議論が民主党できちっと出来れば、政権交代にもぐ
っと近付いてくるのではないかと、いつも党内では言い続けております。しかしながら、どうも不協和音
の方ばかりがマスコミに喧伝されてしまって、
本質的な議論が国会の委員会の中ですらなかなか出来ない
のは非常に残念です。今日は、私が日頃考えていることを忌憚無く皆様にぶつけさせて頂いて、自民党も
民主党も余り変りは無いな、という印象だけでも持って帰って頂きたいと思っております。
実のところ、私は、今、民主党の中で、外交防衛政策の取りまとめの立場に居りません。浅尾さんが次
の内閣の防衛大臣でありまして、私はそのラインから外れており、所謂「バックベンチャー」であります。
イギリスの例に倣えば、党議拘束2というのはキャビネット・メンバーにしかかかりませんので、そうい
2
党議拘束:政党の決議によって、党議員の議員活動を拘束すること。主に議会採決される案件に関し、あらかじめ賛成・反対を
決め、所属議員の投票行動を拘束。ひとつの政党が結束して行動するための手段。党議拘束に反する言動は、政党除名処分の対象。
党議拘束方法は党則による。自由民主党の場合、党大会、両院議員総会、総務会決議によって拘束する慣例。日本では拘束度の高
い党議拘束を実施、そのため殆どの案件が採決前に可決・否決いずれか判明、このため国会決議が形式化。海外では緩やかに党議
拘束する国が多く、仏議会では、政党による造反議員への制裁が少なく比較的寛容。英議会では与党若手議員(バックベンチャー)
の造反が頻発。米議会は法案に対しほとんど党議拘束がかけられず議案ごと個々与野党議員が是々非々で交差投票(クロスボーテ
ィング)。議院内閣制の国々では一般に党議拘束が強い傾向、これは議院内閣制において行政権を担う内閣を組織するために議会
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うことからすると、私は、比較的自由な立場で発言が許されるのではないかと思っております。
正直申し上げて、現在の日本の安全保障政策というのは、まさに批判の対象にしかならない状態ではな
いかと思います。この点について、野党としては反省もこめて申し上げるわけですが、それは何か。一言
で言うと、
「自己規制のオンパレード」なのです。憲法はまさにその頂点に立つわけです。この軍事、或
いは、外交、安全保障に関して自ら手足を縛るということで、戦後六十年以上やって来ました。勿論、歴
史的な経緯がありますから、その限りでは理解できるのですが、与党側はそれを放置して来ました。そし
て、
野党側はそれを煽って来ました。
こういう二大対決のまま事態が推移して来てしまったわけで、
私は、
こういうことが根本的な問題だと思っています。
この現状を打破できなければ、ある意味で、安全保障に関わる政治家をやっている意味が無いというこ
とを、まず冒頭に申し上げたいと思います。その最たる例が、後でまた議論になるかもしれませんが、集
団的自衛権に関する自己規制であります。私共は、日米同盟が安全保障の基軸だと、安全保障の生命線で
あると、こう言いながら、今の集団的自衛権を認めないという法制局の解釈にもとづいて政策執行をして
おります。
これが続いていった場合には、
本当に大事な、
大事な日米関係というものを持続可能なものに、
つまりサステナブルなものにしていけるのであろうかと、私は、常々、危機感を持って参りました。
これは、先日の衆議院安全保障委員会でも申し上げて、浜田先生から「いいフレーズだね」とおほめの
言葉を頂戴したのですが、日米同盟関係の基本構造は、私が見るところ、
「有事のリスクはアメリカ」
、そ
の代わり、
「平時のコストは日本が」という関係なのです。ですから、先日の特別協定、所謂、思いやり
予算の問題などは、皆様からお預かりした税金の使い方として如何なものかという議論は、恐らく正当な
んだと思います。米軍基地内のいろんな話ですが、
「何だバーテンダーの給料まで税金で出してるのか」
とか、
「ゴルフ場もこんなのが在るのか」とか、
「バナナボートに乗る指導員の給与までも出している」と
か批判されます。こんなことが盛んに言われました。社会保険庁の無駄遣いとか、道路官僚の無駄遣いと
かと同じような次元で論じられてしまったというのが、私は、非常に残念に思っています。
これは、浅尾さんに怒られてしまったのですが、私は、結局、特別協定の衆議院の採決は棄権を致しま
した。何故ならば、このことはゼロか百かではない問題なんです。税金の無駄遣いといった意味からは「こ
れはとんでもない」ということになります。しかし、その背後に「リスクはアメリカ、コストは日本」と
いった、非対称的な、双務関係でやって来た日米同盟関係、その根本を揺るがすようなことを、リスクも
とらないで、
コストの問題だけに文句を言ってそれで終わるのか、
つまり、
特別協定ゼロか百かの選択は、
私は、余りにも短絡的であると思いました。
このケースでは、いろんな経緯があって、浅尾さんもたぶん不本意ながら、特別協定反対の党議決定が
ありましたが、私は、党議に逆らってしまいました。
「何だ、そんなことなら賛成すればいいじゃないか」
と言われるかもしれませんが、そこは、また、納税者の立場とのディレンマもありまして、私は、採決自
体を棄権をさせて頂きました。
この「リスクとコスト」という非対称的な基本構造を解消しなければ、日米同盟は、例えば、シーファ
ーさんに「少しは防衛費増額したらどうだ」と、こう言われてしまうような状況がいつまでも続くことに
なると思います。もう 70 年代ではないわけですから、最早、アメリカからわが国の安全保障の根幹まで
心配してもらうような時代ではないと思います。そこは、是非、乗り越えていかなくてはいけないのでは
ないでしょうか。
もう一点、法的な縛りの中で申し上げたいことは、一般法の議論でもネックになっている「集団的自衛
権」と合わせて論点になっている「武力の行使」の問題です。これは、勿論、憲法第九条の第一項で「武
力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定され
ております。従って、それが、先程浅尾さんが解説したように、自衛権の行使の場合もそうだけれども、
海外での武器の使用、武力の行使においても、この憲法第九条第一項が関わってくるというと、これまで
における多数派の形成が不可欠で、政権を獲得し維持するため党議拘束による多数派形成を図る必要性大のためと説明。国会議員
への党議拘束は日本国憲法第 51 条の「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」に
より違憲とする意見は、「院外公権力が議院内の活動に対して議員に責任を問うことを禁止」であり「党所属国会議員を政党内部
において政党の処罰を科することは禁止されていない」とする観点により合憲とする説が有力。
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の法制局解釈の縛りがかかってしまいます。
それに加えて、90 年代半ば以降のガイドラインの議論の時に、
「武力の行使もいけないけれども、武力
の行使とみなされるような協力活動も駄目だ」という、
「武力の行使の『一体化』
」という議論が加わりま
した。そのため、ここで何が起ったかというと、これから一般法の議論をやっていくわけですが、仮に、
今申し上げた「武力の行使の『一体化』も駄目だ」という政府解釈を維持したまま一般法の議論になるの
であれば、殆ど自衛隊が活動できないという話になってしまいます。
それは何故かというと、2001 年に、9.11 テロが起き、その後、日本も国際平和協力活動をきちっとや
っていかなければいけないということになりました。テロの時代には、空間が縮まって距離が関係なくな
って、全世界が本当に狭くなったと。テロというものが、いつ何時日本で起こるか分からない、だから、
中東のテロの問題にも、日本はきちっとコミットしようという話になって、長らく凍結をされていた国連
のPKFの本隊業務3を解除致しました。
しかし、今、8 年経って、それ以来、一人の自衛官も PKF の本隊業務に出ておりません。これは何故
かと言えば、法律の字面は変わったんですけれども、実体的に武器の使用が、例えば、
「任務遂行ための
武器の使用」を許すようになっておりませんので、政府としては、おっかなくて出せないわけです。です
から、せっかく凍結を解除して、一体、何になったのかと。こういう問題は、恐らくこれから一般法を議
論していく中でも残ってくる問題だと思うんです。
去年(2007 年)防衛省に昇格をした時、国際平和協力活動というのは、自衛隊の本来任務になりまし
た。
「本来任務化」された後、最初にやった仕事が何であったかといったら、インド洋から海上自衛隊を
退いて来るという、こういう笑い話にもならない状況が出来てしまっている、こういうことは、私たちが
超党派で克服していかなければならない問題であると思います。
法的な縛りもさることながら、私たちが、真剣に向き合わなければならないのは、やはり、長期的な日
本の安全保障をめぐる戦略環境がどうなっていくかという問題であると思います。
我が国は、法的にもミニマリスト4なんですけれども、戦略的にも情報面でもミニマリストです。よう
やく宇宙基本法が、今日、参議院で可決、成立致しました。漸くであります。スパイ衛星を打ち上げてい
いのかとか、党内にも異論が燻ぶっているんですけれども、漸く、大事な戦略と情報という、日本の立ち
遅れた部分にひとつ風穴が開いたなという感じを持っております。何故、この問題を提起しようと思った
かというと、実は、昨日、台湾の新総統就任式に出席させて頂き、行って参りました。私は、就任式の二
日ばかり前に行きまして、この前の選挙で破れた民進党の関係者、国民党の関係者双方に会っていろいろ
話をして参りました。聞けば聞くほど、台湾という国の置かれた立場というのは、日本が置かれた立場と
いうものを、もっと尖鋭的にしたものなんだなあと痛感しました。つくづく、この国と日本の国益は一致
しているのだなあと思いましたし、また中国との構え方、
(事を構えるということではなく)
、対し方とい
う面においても、非常に参考になりました。
最後に、もう一点申し上げます。それは東シナ海の問題であります。この前は、胡錦濤さんが来られま
したけれども、何か、読売新聞には、全く思わせぶりの記事が書かれておりました。本当に、あんな春暁
のガス田まで向こうが譲るとは、とても思えないのですけれども、まあ、そうなればまっとうだなとは思
います。東シナ海の問題は、もっぱら EEZ の境界線の問題か、或いは、資源開発の文脈で捉えられてお
ります。私は、これは、まさに安全保障の問題であると思っておりまして、先程、中国の戦略国境のお話
を櫻井さんがなさっておりましたけれども、92 年の領海法の設定以来、まさに、70 年代、80 年代は、
南シナ海、そして、90 年代、2000 年代は、東シナ海と、中国は第一列島線を越えて太平洋へ進出して来
PKF(Peace Keeping Forces):国連平和維持軍、各国の軍隊などで構成するPKO の組織。PKF の活動は本隊業務と後方支援
業務に区分。本隊業務は軍事的な性格が強く、自衛隊の海岸派遣に慎重な世論も考慮して実施を凍結、2001 年 12 月の同法(PKO
協力法)改正で、PKF 本隊業務の凍結を解除、武器使用基準を緩和。しかし、PKF 本隊業務実施に必要な「任務遂行のための武器
使用」は未承認。「任務遂行のための武器使用ができないままの本隊業務参加は危険」との指摘もあり、将来的な PKF 本隊業務へ
の参加に向けて、武器使用基準緩和が議論が活発化。
本隊業務:停戦/武装解除等監視・駐留/巡回・武器の搬入/搬出の検査/確認・放棄武器の収集/保管/処分・停戦線等設定の
援助・捕虜交換の援助など/後方支援業務:医療、輸送、通信、建設など
4 ミニマリズム:美術・建築などの造形芸術分野において、1960 年代のアメリカに登場し主流を占めた傾向、またその創作理論、
最小限(Minimal)主義(ism)から誕生、必要最小限を目指す手法。一般的には、まれにしか必要とされない汎用性・拡張性など
のためにシステムの肥大化を回避、必要最小限の機能に絞って設計する思考。その主義者がミニマリスト。
3
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ているわけです。
去年の 4 月にこういうことがありました。ひとつは、浅尾さんが衆議院外交防衛委員会で質問された
問題。多分国会議員では一人だけ質問されたと思いますけれども、アメリカ太平洋軍司令官のティモシ
ー・キーティング海軍大将が、中国の高官と会談をした時に、
「空母を建造するようですね」と「私共で
お手伝いすることがあったら何でも言って下さい」みたいな話をしました。その時に、中国側が何を言っ
たかといいますと、
「太平洋を二分割して、東側はおたく、西側はわれわれで分割統治しましょう」と、
こういう言い方をしたんです。その東側には、日本と台湾が入っているわけです。こういうことは冗談だ
ということで、一言で片付けられるものではない。
思い出して頂きたいのは、2006 年に中国の原子力潜水艦が、グアム近海まで行って、日本の先島諸島
の真ん中を突っ切って行った領海侵犯事件がありました。当時の軍事専門家の中には、
「なんとなく迷い
込んだ」という話をされた方もいらっしゃいます。
「これが本当に専門家のコメントか」と腹立たしく思
いました。当の潜水艦は、あの浅い海域を優れた操舵技術で、全ての海底の地図も、地形も、プランクト
ンの量も、水温も、全部、頭に入っていて、ジグザグで抜けていったわけです。この技量、操舵技術とい
うのは、これは、恐るべき脅威であります。東シナ海は、まさに、日本の領海も含めて、中国の内海のよ
うになってしまっていると考えていいでしょう。私たちは、この現実を、まさに直視しなければいけませ
ん。
ですから、日本の安全保障にとって喫緊の要務は、一つは、法制度で壁を乗り超えることであります。
そして、二番目が、戦略と、戦略環境をもっと日本にとって、アメリカにとって有利なものにしていくと
いうことであります。これら二つの努力を、私たちは、徹底的にやっていかなければなりません。是非そ
ういう部分で、議論が深められれば有り難いことだと、こう思っております。
(櫻井)どうも、長島さん、有難うございました。多くの論点を提示して頂いたと思います。ここで解
説を始めますと、随分と時間が掛かりますので後回しにするとして、中谷さんにお願い致します。再度の
防衛大臣もあり得ますから、遠慮なさらずに仰って頂きたいと思います。宜しく。
(中谷)今日お話ししたいことは二つあります。所謂、防衛省改革について、今日、官邸で議論される
予定ということで、本朝、防衛省から具体案を聞きました。私は、そこに提示された、文官の統制という
形を、政治家と文官と制服の三者による防衛会議を中心とした問題対処にするということに賛成です。ま
た、内・幕5混在という形も、今後、より強化すべきなんですが、私が心配するのは、政策と運用と防衛
力整備の三つの機能に内・幕を統合して、各幕から・・・今、各幕僚監部に防衛部、防衛課、防衛班とい
う組織機能があって、陸・海・空に分かれて防衛計画を作っていますけれども・・・この防衛部門を抜き
取って、これを内局に組み入れる、大幅に、制服が内局に組み入れられるという案であります。
自衛隊は、官僚でもなければ、サラリーマンでもなくて、やはりこれは軍隊であります。これまで陸・
海・空自衛隊に分かれて、幕僚監部というのが在って、自衛隊のコマンド・アンド・コントロールにおい
て、それぞれ幕僚長が居て、人事をやり、計画を作って、命令を発し、監督指導をして、何かあれば幕僚
長が責任を負うシステムになっており、それで大臣の命を受けて、統括をしていました。しかし、私が心
配することは、その幕僚監部のコアである防衛部を内局に吸い上げるという案であって、この意見には反
対でございます。
何故なら、幕僚監部防衛部は、陸・海・空自衛隊の頭脳でありエンジンであって、陸・海・空の自衛隊
がメインで、統合幕僚監部でそれらを運用していく、そして、内局は、チェック・アンド・バランスで各
幕との調整をし、基本的な方針を作って、大臣の補佐をして国会で答弁するという役割分担をして来まし
た。それぞれの役割を果す者が居たのに、新たな考え方では、自衛隊(軍隊)における制服固有の組織に
骨がなくなってしまって、それがやがて自衛隊の士気に影響するのではないかと思います。
陸・海・空各自衛隊によって食べ物も、着るものも、居住場所も違います。陸上自衛隊は野外で食べら
れる物を考える、海上自衛隊は海の上で、艦艇で食べられる物、航空自衛隊は基地で食べる、というよう
にそれぞれ食べ物に係わることでも違います。制服や作業服、戦闘服も違います。そのような現場のこと
5
内局と陸・海・空幕僚監部
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が分かっていなくて、内局の、市ヶ谷の建物の中で、戦車何両かという、単に上から降ってくるような防
衛政策ではなくて、今までのように、現場からのボトムアップで下から要求する、そして、内局が財務省
と調整するという形が望ましいのではないでしょうか。やはり、餅屋は餅屋の機能を活かさないと、それ
こそ、軟弱になってしまうのではないか、かえって、見えていたものが見え難くなって、動きが鈍って来
るのではないかという意見を持っております。
そして、折角の防衛省改革でございまして、私が期待しておりましたのは、設置法の 8 条6、これをど
うするのか、所謂、文官が優越しているという仕組みと、人事に係わることであります。人事に関しては、
すべて、内局が承認しており頭が上がらない仕組み、このようなことに答えを出しておりません。そこは
アメリカと大きく違う部分として見ております。やはり、陸・海・空三幕長の責任において、部隊を統率
する体制を強化すべきであると思います。
もう一点は、一般法、恒久法でありますが、今週の金曜日(5 月 23 日)に動きが始まります。午前中
は、長島さんも浅尾さんも居られますが、超党派で民主党も入った議員連盟各党で議論をしていこうと、
午後は、自公の与党PT(プロジェクト・ティーム)が一般法を議論致します。要は、自民党単独では法
律が出来ない、衆参両議院で法律を成立させるためには民主党の協力が要ります。衆議院では、民主党が
反対した場合でも公明党の協力があれば成立するということで、公明党にも理解を求め、公明党の意見を
尊重し、合わせていかなければなりません。従って、現在は、基本ラインというのは、現行憲法の解釈を
引き続いて踏襲しなければなりませんので、
「武力行使にならないこと」と、
「一体化7しないということ」
でございます。
それでは何処が線引きかと言いますと、分かり易く言えば、例えば、弾薬を運ぶ後方支援は何処まで行
けるか、イラク戦争時であれば、日本国内において弾薬輸送を支援しても武力行使ではありません。それ
が、シンガポールまで運んでも武力行使ではありません。シンガポールまで持っていくことが許されるで
しょうということは、クウェートまでも宜しいということなのです。これも武力行使ではありません。と
ころが、イラク国内で戦闘が行なわれている 1 キロ先まで持って行くとなると、まあ、やや臭い感じが
します。それが 10 メートル近くまで持って行くと、これは「武力の一体化」ということになるでしょう。
「それでは何処で線を引きますか」という議論の中で、今、編み出されているのが、
「戦闘が行なわれて
いない地域」であるという現行憲法解釈のギリギリのところまで来ておりまして、又、
「武器の使用」に
おいても、自己保存の原則から、如何に幅を広げていくかというところでございます。
論点は四つ有りまして、一つは「国連の関与」をどうするか、二つ目は「活動のメニュー」
、三つ目は
「武器の使用の範囲」
、四つ目は「国会の承認」をどうするかという点であります。いずれも、非常に意
見が分かれて参りますが、来年の事を考えますと、秋の臨時国会で、二度と、あのテロ特措法のように、
同じ意見を持ちながら採決の時に分かれるような、その様な国会にはしたくないと思っております。やは
り、本格的な議論をして、しっかりとした一般法を成立させるため、民主党との話し合いでやっていきた
いと考えております。ここでお話申し上げたいことは、以上、二点についてでありました。
(櫻井)どうも有り難うございました。今、国会で論じられている点も沢山出て参りました。うかがっ
ておりますと、本当に全ての問題が憲法九条から発生しているわけですね。わが国は、念願であった憲法
調査会の 5 年間の調査研究期間を終えて、
ようやく憲法改正案を審議できるところまで漕ぎ着けました。
それが一年前でありますけれども、この一年間、憲法審査会は開かれていないわけです。国民の側から見
ると、放置状態にあるのは政治家の怠慢ではないかと思えてなりません。自民党も、民主党も、憲法改正
を真剣に考えているのかどうかが、大いに疑問であるわけです。
「この問題さえ、基本的にクリアできれ
ば、多くの問題が解決していくと考える」と、浅尾さんも仰いましたし、浜田さんも仰いました。
そこで、
「われわれは、
『憲法改正が出来るまでの間どうするか』ということに今、腐心しているのだけ
れども」ということで、いくつかの論点が出たわけですが、その論点に入る前に、お話頂きたい点がござ
います。それは、
「憲法改正を一体どうするのか」という基本姿勢です。
「何故、一年間も、何の活動も無
しに、議論も無しに放って置かれたのか」という問題についても、
「総理大臣の福田さんが、そのことに
6
7
防衛省設置法第 1 条~第 4 条の「目的・任務・所掌事務」を受けて、同第 8 条に規定する「内部部局の所掌事務」を言う。
PKF 組織としての他国との一体化、或いは、武力行使の線引き議論における「武力行使との一体化」という概念の用語
39
全く興味がないからだった」と、言えば言えるのでしょう。けれども、それ以前の問題として、やはり、
この国に責任を持つとしたら、個々の政治家も、そこを第一義的に考えなければならないと思うのです。
防衛問題に非常に関心の深い四人の方々に、具体的に、これから、どうしていくのか、いけるのか、とい
うことを、党の考え方を超えて、お話頂ければと思います。具体策は何処にあるのかという点について、
なるべく、分かるようにお話して頂ければと思います。私が指名するよりは、我こそはという方がいらっ
しゃると思いますが。それでは、中谷さん。
(中谷)小泉さんの時は、支持率が 80%とか 60%で、何をやっても国民は、頑張れ頑張れと、応援す
る人が多くて、良し悪しは別にして、内閣が沢山の仕事をしました。憲法というのは、非常にハードルが
高くて、よほど内閣の支持率が高くないと出来ないですね。今何をやっているかというと、道路、年金、
保険など、本当に自分たちの身の回りに気をとられて、
「諸悪の根源は官僚が無駄遣いをすることにある」
といったことで、全ての政策について、なかなか真の議論が出来ないところがあります。われわれは、も
う憲法の試案を提出して、国会にも委員会を立ち上げていますが、とても、国会日程を考えても、その機
運が出来ないし、その福祉の問題も、道路の問題も、協議会を作ろうといっても、民主党はなかなか協議
会を作ってくれませんよね。ま、そういう、政局に囚われているところを見ましても、やっぱり、余裕の
無い、
本当に目先の問題ばかり議論している国会になってしまっているというところに原因があるという
ことです。
(長島)愛知先生・・・聴講者としてご参加・・・が睨んでおられますから、しっかりとお話ししなけ
ればならないと思います。実は、この 5 月 1 日に、憲法制定議員同盟が主催して、憲法改正へのモメン
タムを立て直そうという大会をやりました。私は、民主党副幹事長という役を仰せつかっておりまして、
諸事情で鳩山幹事長が出られなくなり、
「お前行け」ということで、
「じゃ、私の思うところを発言して宜
しいんですね」と聞きますと「思い切って行け」と、こういう話でしたので、私が出席して、憲法改正の
必要性につき訴えさせて頂きました。憲法というのは国家の背骨です。英語のコンスティチューション
(Constitution)というのは、
「骨格」と言う意味がありますけれども、憲法は、日本の国家としての背
骨でありますから、何と言いましょうか、手が痛いとか、目が痛いとか、足が痛いとか、そういうレベル
の問題ではないと思います。従って、国家の背骨の回復は急務であります。
一日も早く、この、憲法審査会を動かす規定を作っていく。きちんと、何人で構成するとか、どういう
頻度でやっていくかとか、そういう規定を作らないと、動き出さない。党内でも急ぐべきだという議論を
していきたいと、そのように思っているんですが、この憲法問題を、ある意味で、回避して、何となく他
の議論で誤魔化していこうと、こういう風潮があります。前へ進めるためには、この風潮を、一日も早く
克服していかなければならないと思います。
実は、九条だけが憲法改正の論点ではありません。一つ例を挙げますと、先日、名古屋高裁が航空自衛
隊のイラクでの活動は憲法違反であると、そのような高裁の判決を下しました。当然、そんなことなら上
告して、最高裁で決着をつけようじゃないかと、政府としては言いたいところなんですが、実は、判決内
容が、原告側の損害賠償請求など全部が棄却されて、国側の勝ち。ところが、傍論で、航空自衛隊の活動
は違憲であるという判決となっていました。ですから、訴訟自体は、国が勝っていますから、国は、この
判決内容に不服があっても上告できません。このことは、明らかに、
「憲法判断の終審の裁判所が最高裁
判所である」という「憲法第 81 条」と矛盾します。名古屋高裁が憲法違反を確定してしまったという、
おかしな状況が、今の憲法下で起こってしまったわけです。
このような混乱を避けるには、例えば、ドイツのように、憲法裁判所というものを設置して、その憲法
裁判所で憲法判断が下せるようにすることが望ましいと思います。そのような改正というのは、これは別
に軍事オタクではなくても理解出来る話だと思います。他にも新しい人権と言われている、プライバシー
の権利とか、環境権とか、こういうことも含めて、憲法改正に正面から取り組むべきでしょう。憲法改正
というと、九条云々で、又戦争になるかのような短絡的な見方を、国会の議論から払拭していく、そうい
う時期が来ているのではないかと思っています。
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(浅尾)憲法について私の考えを申し上げます。自衛隊は、憲法の条文を素直に読むとなかなか難しい
存在ですから、ハッキリと、自衛隊の存在を、或いは、自衛権を憲法に書き込んだ方がいいという立場に
立っております。しかし、その一方で、本質的な話で言うと、憲法そのものよりも、どういう国を目指す
のかということが大事で、そこから九条を含めて憲法の在り方が規定されるべきだろうと思っています。
その考え方から言いますと、長島さんも触れていますが、所謂、特別協定について考えますと、一般の
国民のいろいろな思いというものが、そこに現れるかどうかということは別として、はたして日本の国は
独立国かどうなのか、ということになってくるのだと思います。独立国かどうか、二者択一ではないので
すが、同盟があって、当然、独立国ではありますから、対等な同盟関係を目指すということになれば、そ
れなりのことを、日本も他の国と同じようにやっていかなければいけません。そうすると、今申し上げま
した自衛権ということを憲法に書き込めば、それで集団的自衛権も、個別的自衛権の問題もクリアになる
と考えます。
そして、
「今の政治状況は」と、よく言うのですが、先程、中谷先生が言われたように、とても、私を
含めて、言い方は悪いのですが、憲法のことを言っても上の空状態です。もう、目先のこと、或いは、来
年の 9 月・・・衆議院議員の任期・・・までに行なわれる解散を睨んで、何を言った方が政治的に得か
といったことになってしまっていると言われてしまうのが、自己反省も含めて、非常に問題なのだろうと
思います。
従って、九条を変えるかどうか、或いは、憲法全体を変えるということがありますが、やはり、
「どう
いう国を目指したいですか」
、
「このような国を目指しましょう」という議論が、まず、必要だと思います。
日本が独立した国家として、もう少し、しっかりとやっていくために、
「この議論に賛成ですか、反対で
すか」と聞いたとしたら、多分、圧倒的多数で、今の日本の国民は賛成だと言うと思います。その時には、
応分の負担、独立した国家として、当然の責任が伴ってきます。従って、まず、応分の負担はどうなのか
というところから議論を起していかないといけない、いきなり憲法から入ってしまうと、なかなか難しい
のかなと思うわけです。
ここで、チョット、私が気にしているデータがあります。今申し上げた、独立の国がいいですかどうで
すかと聞いたら、66%の大多数の人が、そうだと、対米異存じゃない方がいいと言います。それは、冷
静に考えてそう言っているのではないと思うんですが、いずれにせよ過半数ではあります。ところが、そ
れではどうするかという議論がなかなかされていません。
そういう議論を国会の中でも起していったらい
いのかなと、その起こし方も、今の政治状況を考えると、余り目立つように起さない方がいいのかなと、
与野党対立にしてしまうと、これは、その段階で進みませんから、どういう国を、どういう共通項がある
のかという、議論の通し方でないとなかなか進まないと思っております。
(櫻井)私は女性ですけれども、恐らく皆さん方よりは戦闘的です(笑い)
。今まで言論活動をして来
ましたが、周りの顔色を見て言論を展開した時というのは、殆ど影響力が無いんですね。例えば、中国問
題です。5 年、6 年、7 年位前に書いた中国問題を読んだ当時の人たちは、
「櫻井さんは、すごく過激な事
を書いていますが、どうして貴女はそんなに中国を憎むのか」というコメントを頂きました。そうした私
の記事は、本になって残っているのですが、その時の読者たちが、今になって、
「あの当時は、櫻井さん
は物凄く過激で、中国が憎いだけなんだと思っていたけれども、みんな当たっていた」と、
「激しく思え
たけれども、その議論が大切なんであって、私たちは、それに耳を傾けるべきであった」というお便りを
頂いて、実は凄く嬉しかったという思いがあります。
私は、政治家の役割は、世論を引っ張っていくことも一つだと思います。勿論、世論を、全面的に敵に
回したら潰れますから、そこはバランスが必要なことはよく判ります。そして、日本の戦後の六十数年間
を観ていると、長島さんが先程、国家の骨組みと仰いましたが、コンスティチューションが凄くおかしく
なっているのだと、何かがおかしくなっているのだと感じるわけです。ですから、幾らどんな政策をやっ
ても、お金を注ぎ込んでも、議論をしても、みんな弥縫策で、殆ど役に立たっていないと感じます。大事
な政治家の時間も労力も、我々の税金も弥縫策に費やされているだけです。そして、本当の解決策という
ところには殆ど近づいていないのではないか、むしろ、弥縫策を塗り重ねることで、解決から遠のいてい
っているのではないかという危惧は、多くの人たちが持っているだろうと思います。
だからこそ、私は、個々の議論に入る前にこの「憲法改正」についてどうするのかということを知りた
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かったわけです。そして、例えば、ここにいらっしゃる四人の方々、みんな憲法改正が必要だと思ってい
て、それは、日本国の未来と国益を考えた時に、必要不可欠の条件であると考えていらっしゃいます。に
もかかわらず、福田内閣で、
「私はいじめられているんです」というようなことを首相に言われたら、誰
だって嫌だと思います。ですから、中谷さんが仰ったように、自民党の支持率も下がるし、福田さんの支
持率も下がるのは当然です。その中で、敢えて、年金から離れ、道路財源から離れて、もっと大きな問題
である憲法を論じる、ということは難しいことかもしれません。
その上で敢えて、私が申し上げたいのは、国民は、もし中谷さんがそういう提案をなさったら、必ずそ
れを理解して評価するだろうということです。そこまで、国民の現状に対する不満は鬱積していると思う
のです。この点について、どなたでも結構です。如何でしょうか。
例えば、超党派で、新しい憲法を制定する議員連盟が出来ました。そこが、毎週のように何かの議論を
ぶち上げるとか、そうした問題提起を継続してすることが出来るとしたら、それは、強力なエンジンにな
るのではないかと思います。私が、何故、このことに拘るかということについて申し上げます。
ご承知のように、中国は、非常に力をつけています。非常に大きな力をつけながら、大きな弱点も抱え
ているわけです。中国は、今、何で持っているか。勿論、軍事力も有りますけれども、その軍事力に支え
られた政治的なブラッフ(Bluff)で持っている面があるわけです。その中国に対してわが国は、殆ど政
治的メッセージを送っていないのであります。東シナ海の件についても、毒餃子についても、真の問題提
起が出来ずに、パンダあたりで誤魔化されてしまうのは如何なものでしょうか。
かつて、わが国から、政治のメッセージ、日本国の意思というものをハッキリ示して来たことが無いた
めに、中国がカサにかかって日本を軽くあしらうことになるわけです。それでも、小泉さんの時と安倍さ
んの時はやって来ました。しかし、何故か、福田さんになると、お父様の代と二代続けて、相当おかしな
ことになっています。その中国に対して、今、
「私たち日本も、真の独立国になろうとする気概があるん
ですよ」ということを示すためにも、政治的意図を発信するためにも、憲法論議をやっていかなければな
らないのではないかと思います。
浜田さん、如何でしょうか。
(浜田)われわれとすれば、憲法改正というのは党是ということになっていますので、草案は起草して
おり・・・
(櫻井)党是といいながら、何故、審査会を一年間も開かなかったのでしょうか。
(浜田)それは、国会の状況と、われわれの思いというのは別物でして、多分、変えなければどうしよ
うもない状態に追い詰められないとやらないのではないでしょうか。その時は、泥縄になることもあるの
ではないかと、逆に言えば、そこに行くまでの、何と申しますか、訓練をしておくというのは必要だと思
います。従って、国会議員同士の会は必要で、そういう機会に議論していくというのが宜しいと、はなは
だ、つまらない答えですが、そのようなことになるのかと思います。
ただ、中国に対する感覚というのは、お互いに、桜井さんと同じようなものがございまして、胡錦涛さ
んが来ると、皆でお祝いに行っちゃうみたいな、というのはどうなのかなあ、と思います。どうも外務省
ってのは、そういったセレブレーションが大好きでね、人が来ると余分な条約まで結んじゃいますから。
これは、防衛じゃなく、水産関係でもそうなんですね。前の時にも、江沢民さんが来た時には、日韓・日
中条約結んじゃったというところもありました。そういったことも含めて考えると、われわれとすると、
憲法を改正する前に、心根(こころね)というものがどういうふうになっているかを考えるという、議論
以前の話しがもう一つあるのではないかという気が致します。答えになってませんが。
(長島)今、浜田さんが仰ったことは大事な点で、憲法改正に対する姿勢でも、中国に対する姿勢でも
共通していると思います。というのは、
「追い込まれないとアクションを起こさない」と、こういうこと
なんですね。国民の皆さんから政治家を見ていれば「こいつら、年金とか何とか言っているけれども、結
局、追い込まれなければ何もやらないんじゃないか」と、こう思っておられると思います。中国に対する
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姿勢も全く同じです。恐らく、相当追い込まれない限り、なかなか言いたいことも言えない、やりたいこ
ともやれない。これは一番不健全だと思います。何故かというと、追い込まれて、最後にやるということ
は、今度は、それに対する物凄い反発のエネルギーが国民の間に充満していますから、その事態をうまく
マネージすることが、恐らく出来なくなるんだと思います。
ですから、もっと前の段階で、さっき、浜田さんは訓練と仰った、そういう訓練を、中国との交渉の中
でもやっていくべきです。例えば、ガス田など、四半世紀も過ぎて、こんなに押し込まれる前にやるべき
だったと思います。中川昭一さんの時に、試掘をすると決めた、しかしその後、二階さんになったらパン
ダハガー8みたいになってしまった、という経緯がありました。やはり、事態を、初期の段階からうまく
マネージする方向に、私たち政治家も含めて、やっていかないと、結局は、最悪の事態、つまり、最後は
ドーンと衝突して、お互いの国益を毀損するということになりかねません。ですから、私は、もっと早い
段階から行動しておくべきであった、つまり、試掘を開始しておくべきだったと反省しなければいけない
と思っております。勿論、櫻井さんが先頭に立ってずーっと言論活動して来て頂いているわけですけれど
も、それに比べて、いかにも、政治の方はおっかなびっくりで、及び腰です。
温家宝さんが、二年前でしたか、日本の国会で演説された時に、皆さんが、
「いい演説ですね」と言わ
れた時に、私は、それに噛み付くコメントをさせて頂いたんです。やはり、じっくり見聞きすると、中国
というのは、相当長いスパンで物事を見ています。ですから、こちらも相当長いスパンで中国に対して構
えていかないと、日本が目先の利害得失だけで動いていくと、どんどん押し込まれてしまうでしょう。そ
うして、恐らく、中国は、押したら日本は引くと思っているのでしょうし、ロシアも同じですが、日本に
は、アメリカを通してプレッシャーをかければ、何とかなるというような、たかをくくったところもあり
ます。しかし、先程、浅尾さんが言ったことに加えて言えば、今こそ「独立国家として恥ずかしくない外
交を展開していかなければならない」と、こういう思いで戦略的に外交を展開していきたい。ただ、お前、
そうなってないじゃないかというご批判は甘んじて受けたいというふうに思いますけれども。
(中谷)私も、一日も早く憲法改正をやるべきであるという強い気持ちを持ち続けています。長島さん
も入っていますが、超党派の若手議員の会でも、中国の問題やら、国際貢献の問題をやりますけれど、そ
の憲法で引っかかっています。やはり、国を守る軍を作るということと、国際貢献を一般諸国並みにやっ
ていこうというためには、憲法改正という問題は避けられません。このため、若手議員だけでも連携して
憲法改正に至るようなエンジンになるように、
早く政治のテーマに載るように頑張っていきたいと思って
おります。
(櫻井)それは、是非、期待をして見守っていきたいと思います。会場の皆様からの質問も徐々に出て
来ておりますが、もうひとつ、大きなテーマとして、わが国の防衛力、軍事力を何処まで構築していくの
かということを、それぞれ、どのようにお考えか、お示し頂きたいと思います。
先程、私のコメントの中で、シーファーさんのコメントをご紹介致しましたけれども、周辺を見ると、
どの国も軍事力の構築に非常に多くの予算を割いていて、ロシアなどは、はっきりした数字は分かりませ
んが、恐らく、その急速な増強ぶりは、中国を越えるものがあるのではないかと思われるくらいです。地
政学的に見ると、ユーラシア大陸で、中国が、ロシアとの国境問題を完全に解決したとして、上海協力機
構を足場に、ユーラシア大陸における中国の背後と足下を固めています。それが中国の現状で、そして、
今、南進の準備を着々と整えているわけです。
南進というのは台湾を支配下に押さえるということですが、これに軍事力を使うか、使わないか、むし
ろ、中国が手を下さなくても、台湾の方が何らかのアクションを起こして、経済的に飲み込まれる形で、
事実上、中国の支配下に、意図せずに入っていってしまうということも、起きるかもしれません。
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世界銀行総裁ポール・ウォルフォウィッツが愛人を世銀の要職につけて優遇したスキャンダルで辞職、その後任としてロバート・
ゼーリックが就任、ゼーリックは、共和党系人物であり民主党からの受けも良く、今の米議会の状況から考え適任と評価。加えて、
ゼーリックは、パンダを抱いている写真を撮らせるなど、中国からの受けもよく、共和党保守派から「パンダハガー」と呼ばれる
親中国派。これから、
「パンダハガー(Panda-Hugger)=パンダを抱く人」即ち「親中国=中国に受けのいい言動をとる人」
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その先を見ると、オーストラリアのケビン・ラッド首相9が、大変な親中派です。中国は、文明の力で、
半分以上、オーストラリアを取り込んだと見ていいと思います。そうすると、日本にとって頼りになる相
手はアメリカしかいないわけです。しかし、そのアメリカでは、大統領予備選挙が行なわれています。ヒ
ラリーさんとオバマさんが民主党の候補で、オバマさんになりそうな気配が濃くなっています・・・5 月
21 日現在・・・。そこで、オバマさんのフォーリン・アフェアーズに書かれた論文を見ると、中国のこ
としか眼中に無い、日本のことは殆ど考えていない、ヒラリーさんも、勿論、同じであります。
日本としては、マケインさんを頼りにするしかないわけです。そこで、マケインさんが、例えわれわれ
が希望するように、日本を重視する、その人が大統領になるとしても、アメリカにおける知識人、それか
ら、政治家たちを、日本派か、中国派かという色分けをするというと、どうやら中国派の方が、かなり、
圧倒的に多いのではないかという印象を受けるわけです。それは、中国が、良きにつけ、悪しきにつけ国
家としての意思をはっきりとさせるからであり、そして、良いか、悪いか、これもまた別にして、きちん
とした軍事力を持っているわけです。つまり、国家として、自立した国家だという実体があるからだろう
と思います。
日本は、そこに、どうしてもたどりついて行かなければならない、そのために必要なのは、所謂、自衛
力、軍事力、防衛力のより充実した整備が一番先に来るのだろうと思います。そのためには、簡単な話し
ですけれども、防衛予算を増やさなければいけないのに、年々、年々、減らされているわけです。ここの
ところを、政治の一大目標として、きちんとした軍事力整備をどうやっていくかということは、多分、お
考えだと思っております。財政赤字の中で、社会保障費が増大する中で、国民に説明しながら達成するこ
とが出来るのかということについて、ご意見を賜ればと思います。
(浅尾)今のお話しの中で、
「日本が、独立国家としての意思をしっかりと示すようになっていく」と
いうことを目指すと決めた、勿論、今でも目指しているのですが、その度合いを強めれば強めるほど、多
分、防衛力も増やさなければいけないでしょう。防衛予算を増やすということは、多分、その独立の度合
いを強めることになると考えます。けれども、逆に、防衛予算を減らすというのは、非武装中立の考え方
に近付いて行くんだと思います。しかし、非武装中立というのは、少なくとも、日本の回りにおいては、
今、置かれている国際環境をから見ても、中国、北朝鮮が存在しているという状況で如何なものでしょう
か。ヨーロッパだったら可能性があるかもしれません。いや、ヨーロッパでも、なかなか難しい情勢かも
しれません。ヨーロッパに比べ、日本の周りを見回した場合、もっと難しいことだと考えられます。
そうすると、当然、防衛力整備のために防衛予算を増やしていくということになるのだと思います。従
って、先程来申し上げておりますように、独立国家として国際社会に関与するということになれば、今、
防衛予算の中に広い意味で含まれております米軍関係の経費などというものに代えて、
日本固有の本来の
防衛予算に振り替えていくという考えが出てきます。
「われわれは、自前でこういうこともやっていくの
だから、米国との関係は、ドイツや韓国並みにして下さいよ」
、ということも言えるのではないかと思い
ます。しかし、
「国際的な関与、国際的な活動もしない」ということになれば、シーファーさんの発言に
なって来るのかなということだと思います。
従って、独立の国家としての意思を示していくという方向性をより強めるということから、防衛予算、
防衛力の整備ということにつながってくるのだと思います。ただ、その時に、メッセージの出し方という
点が大切になって来るのだろうと思います。メッセージの出し方で、日本が軍事大国になるといったメッ
セージで伝わると、かえって逆効果になってしまいます。これを否定して、そうではないんだと、日本が
普通の国として、普通に自国を守るために、こういうものが必要なんだというメッセージを出していくこ
とが大切だろうと思います。
もう一方で、このメッセージの出し方を、どう出していくかと。申し上げたいのは、当然、防衛費が増
えるということになるでしょうが、国民に対して、どのような形で、こういう理由で増えるんですよと、
ケビン・マイケル・ラッド:2007 年 12 月、オーストラリア第 26 代首相、労働党党首。環境問題に関心高く、温室効果ガスの排
出削減を発展途上国にも徹底させる方針。前任のジョン・ハワードは親米・親日派であったが、親中派。前ハワード政権に引き続
き対中経済関係強化政策を採用、日本との関係で捕鯨問題の外交問題化・中国が反発する日米豪印対話や日豪共同宣言条約化の先
送りが発生、但し、反米・反日派ではなく友好関係は維持すると表明。
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説明し納得して頂くのかということです。メッセージの出し方によって、憲法問題をはじめ、国家として
の安全保障体制、防衛力整備の進み方が、全然違ってきてしまうのではないかと。先程、浜田先生、長島
さんが言われたように、何かことが起きてからだと凄く進むかもしれませんが、それでは間に合わないか
もしれません。泥縄でいいことはありませんから、この、いいメッセージをどう出すかということは、私
も含めて、政治家が考えなければならないことであろうと思っております。
(櫻井)国民の目から見て、予算を見る時に、非常におかしいと思うことがあります。それは、例えば、
特別会計の制度があって、道路の特別会計で毎年約 6 兆円が道路局に入るということです。国土交通省
の中の道路局という一つの局が、大体 6 兆円ものお金を・・・勿論、それをどう分配するのかという法
律がありますので、全部彼らのポケット・マネーだとは言いませんけれども・・・彼らがそれを配分する
わけです。ところが、その道路局に入るお金と比較すると、日本国全土の安全保障に責任を持つ防衛省の
予算が、5 兆円を切っています。そうすると、防衛予算よりも多額のお金が道路族に入るのかという、国
民にとってみれば、これは、なんというおかしな国だろうと思ってしまいます。
私は、その辺の整合性というものがなければならないと思っています。いろいろな情報を開示して、日
本国の予算が一般会計と特別会計の二つに分かれているという、他国に類例の無い、解り難い制度を改め
る形でやっていかなければ、やはり、今、浅尾さんが仰った、目標というのが達成できないんだろうと思
います。そして、
「軍事大国になる気はないけれども、道路大国にもなる気はないんだよ」
、というような
言い方とか、いろいろな工夫の仕方があると思います。道路特別会計を無くしたからといって、道路予算
が無くなってしまうわけではありません。道路を全く作らないということでは、国民は、これまた、納得
しないわけです。ですから、そこは、やはり、説明を通して国民を、或いは、対立者を説得しなければな
りません。それは、政治の一つの醍醐味でもあるのではないでしょうか。
(浜田)
「
『軍事大国になる』とは言わない」というのも、一つの手なんですけれども、逆に、
「軍事大
国になるよ」と言うのも必要なのかなと思います。それは、何故かと言えば、本当に独立国家として、今
までアメリカにお世話になって、守って頂いていた分を、今度は自分たちでやらなければいけないという
ことになったら、いくらかかるのかという議論を一回もしたことが無いんですよね。それは、せざるを得
ないと思っています。その議論の引き金を引かなきゃならないと思うんですよ。
そして、更に、大体、外交というのは、相手の嫌がることをやるから外交なんですよね。日本の外交は、
皆な、
「中国とうまくやるためには余計なことを言うな」みたいなところがありまして、それは、違うと、
そうじゃないと思うんですよね。相手が嫌がることを、
「うちはミサイル防衛でも何でもやりますよ」っ
て言ったらですよ。いきなり中国から言葉や人が飛んで来るわけですよ。
「それは、辞めてくれません」
って言うんですよ。そこで、
「何言ってるんですか、うちは専守防衛だから、お宅らのミサイルがこっち
向いてなければ、
うちはこんなことしなくったって、
余分な金使わなくたっていいんですよ」
って言えば、
相手も黙っちゃうわけだから。
ですから、そういう、何と言うんでしょうね、外交の引き出しというのは、いっぱい有った方がいいし、
そしてまた、そういったところを、
「外交ってのは、きれいなものじゃないんですよ」といった、きれい
ごととは逆に、そこのところを議論しないことには解ってもらえないのかなあということです。
それでは、
「防衛費 4 兆 9 千億円は、リーズナブルで安上がりなの」
、と言うと、
「そうでもないよね」
という具合に逆に言うと。今回、防衛省改革の面でも、統合を言っているのですが、何で統合やっている
かというと、さっき、中谷先生の幕僚監部の積み上げっていうのがあったんですけど、私は、それも一つ
参考としては極めて重要なことなんで、無くせとは言いませんが、統合やっているうちに、必然的に、予
算のスリム化っていうもの、
無駄が無くなるということがあると思うんですよ。
だから、
統合というのは、
取得改革にまでつながっていくという、極めて効果のある、一つの通り道だと僕は思っているんで、ここ
のところは、敢えて、予算の部分で言うと、効率化を目指しながら、やっぱり、そこで、本当に動けるも
のを作るのが重要だと思うんですよ。
シーファーさんが言ってるのも、ただ金かければいいってもんじゃないと思っています。憲法を始めと
する法的整備、それに伴う防衛力整備など、国際社会の要求、国民の期待に応え得る条件面を揃えていく
ことによって、動ける自衛隊、そして、逆に言ったら、彼らが望んでいないかもしれないけれども、実際
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に使える自衛隊になっちゃうというのが、正直のところ、一つの、重要性なのかなあという気がしてます
んで、統合というのは、本当に重要なことだと思いますよ。それによって、予算も有効に使えるかもしれ
ない、多くしなくてもいいけど、実質的に使えるものを作っていくという意味での価値があるのかなあと
いう気がします。
(長島)今、浜田先生が仰った、シーファーさんの発言は、私は、本当に最悪であると思っています。
シーファーさんご自身の発想なのか、もしかしたら、外圧をやってもらって、それを理由に予算を出し易
くしようという、そういう思惑が日本側にあったのかどうか、それは、ちょっと解りません。しかし、私
は、未だに「外圧を利用する」というやり方に頼ろうとする姿勢が官僚に残っているとすれば、それは残
念なことだと思います。
一番大切なことは、正確な情報を、きちんと国民に伝えることであると思います。今から、二十年以上
も前の中曽根さんの時に、レーガン(当時)大統領と「ロン・ヤス関係」を深化させ、日米間でシーレー
ン防衛10を強化したり、
共同訓練を進めるなどして、
P-3Cを百機以上購入したという実績があるんですね。
その防衛政策は、当然、冷戦下におけるソ連の脅威が対象だったんですけれども、国民にきちんと、こう
いう脅威が在りますと、こういう脅威に対して、われわれはこういうふうに、具体的に備えなければいけ
ませんと、別に、攻撃するわけではありませんという、こういう話しを積み上げていって説明、説得した
んですね。これは、今でも通用するのであって、きちんと説明すれば、私は、納得できない、分からず屋
の国民ではないと思っています。これが、基本的な考え方です。
更に付言致します。さっきから出ておりますが、効率運用によって財源を捻出するという課題、やっぱ
り、そこに尽きると思います。それから、もう一つ財源を捻出するということについて、こういう場です
から、思い切って申し上げます。やはり、日本の場合、武器輸出三原則が、ガチガチになっている限り、
日本国産の装備が、アメリカと同じような戦車なのに、価格が 5 倍以上するとか、そういう世界でやっ
ていかざるを得ません。ここは、本当に、今、福祉にも予算が必要だ、医療にも必要だと、道路はどうで
もいいってわけではありませんけれども、しかし、その中で、防衛費を効率的に使うためには、この非核
三原則のうち、この部分について緩和をすべきではないですかという説明も合わせて、私は、必要である
と思います。
それから、もう一つは、優先順位を決めることだと思います。即ち、戦車が出動するような状況になっ
たら日本の国はどうなっているのかと、その状況を考慮すると、戦車整備の優先度がどうなるかという話
です。着上陸侵攻に対処する戦車ですが、今、1000 両から、600 両くらいに減らしていますけれども、
それは、北方からの侵略に備えをという冷戦型の脅威を想定して決定された計画であります。
そういったことで、私たちが、これから本当に投資しなければならない対象というのは、恐らく、海と
空・・・陸上自衛隊の関係者が居られたら申し訳ございませんが・・・そういうプライオリティーをきち
んとつけることだと思います。そして、
「ああ、国も考えて、ぎりぎりのところでやっているんだなあ」
という理解に到れば、例えば、防衛費が 1%を超えても、私は、そんなに、国民が大騒ぎするようなこと
にはならないのではないかと考えます。どうしても大騒ぎをする人はいます。常に大騒ぎする人たちはい
ますが、われわれ党内でもそうですけれども、この問題は、そういう人たちが対象ではない、中間的な人
たちを、どれだけ説得できるかという世界であると思いますので、十分にやりようがあると思います。
(櫻井)今の長島さんのご指摘の、非核三原則問題は、究極的に、日本自身が、核兵器を持つのか、許
すのか、というところに行き着くわけですね。それは、日本の防衛をどのような枠の中で考えるかという
ことになります。たとえば中国は、もう早くから、海と空が勝負なんだと考えて来ました。圧倒的な陸軍
10 中曽根航路帯:中曽根内閣はシーレーン防衛に対して次の 4 つの基本指針を定め、これらの点に軸がおかれるシーレーン防衛体
制を俗に中曽根航路帯と呼称。①日本列島の地勢的な位置付けを、ソ連のバックファイア爆撃機 (Tu-22) の侵入に対して防波堤と
なる「不沈空母」の存在にすること。②日本列島を取り巻く海峡(宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡)について完全な支配権を保持
すること。③ソ連潜水艦やその他の海軍艦艇による通航を許さないこと。④シーレーンの確保。太平洋の防衛圏を数百海里拡大し、
グアム-東京および台湾海峡-大阪を結ぶシーレーンの確立をなすこと。
本防衛政策に基づき、日米地位協定、及び、ガイドラインに基づき、日米の実務レベルがシーレーン防衛の共同研究を実施。原則
条件として研究成果を防衛力整備に反映させることはしないとされた。
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優勢国であった中国が、どんどん人員を減らしました。当初 400 万人だったのが鄧小平の時に 100 万人
削り、江沢民の時、合計、二回、150 万くらい削ったと、最終的には、150 万体制に持っていこう、出来
たらそれ以下にしたい、その分、空と海に使おうというのが彼らの考えでした。
だからこそ、彼らは、私たちから見ると、大陸国家であるにも関わらず、70 年代後半から、自らを海
洋国家として自己定義してきたわけです。すると、日本は、どういう国の姿を描くのか、これはフロアの
質問でもあるのですが、日本人は、どういう国家像を目指すのか、どういう軍事体制、軍事の枠を目指す
のかということを考えなければならないわけです。そこで出てくるのが、先程申しました、核の問題も入
って来ると思います。日本が最終的に、日本国を守り、国際社会にも貢献するためには、どういった形の
軍事力、国家のあり方が理想的だとお考えになるでしょうか。難しいでしょうか。
(中谷)戦後六十年余、国防の基本方針というのが在って、それに従って自衛隊の運用、防衛力の整備
をやって来ました。もう、冷戦も終わって、日本は、もっとしっかり、これからの自分自身の歩みという
ことを考えて防衛計画を作っていかなければいかんと考えています。中国の戦力増強、最新軍事技術の導
入に対して、例えば、日本の F-15 戦闘機など、これらは既に限界に来ているんですね。やっぱり、交戦
能力といいますか、相手のレンジとこちらのレンジとが、どちらが上回るのかとか、ステルス性の問題な
どで劣勢に陥っている状況が見られます。それから、艦艇にしても、乗組員の待遇をきちんとしないと、
ああいう事故が起こってしまう潜在的原因であるし、
それ以前に乗り組みを希望する人が少なくなってい
るわけです。陸上自衛隊においては、国際貢献に関わる部分に人的、物的資源を割いていますから、基本
的練度の維持すら危ぶまれるほど、節約をして、十分な訓練が出来なくなっているわけです。
やはり、所要の練度を維持し、所用の装備を調達するには、それ相応の人的、物的投資が要るというこ
とで、積み上げをして、要求をしていかなければいけません。私も、浜田さんも自民党の国防部会で、予
算の時期には先頭に立って、財務省に行ったり、官邸に行ったり、声を大きくして言っております。しか
しながら、やはり、官邸では、シーリングというものがあって、足を切られるというところでやるせない
気持ちに陥っています。もっと、政治が頑張っていかなければならないということであります。
しかし、官邸も、国民が「もっと、日本の防衛しっかりしろ」とか「もっと予算増やせ」とか、声を大
にして言ってくれれば、その声に応じて決断できるわけであります。やはり、その意味で、そういう点に
おきましては、われわれが、もっと実情を、この実情を PR して、訴え、日本のポリシーに基づいた防衛
というものを築いていかなければいかんと思っています。
(浅尾)結論から先に、先程の質問の関係で言いますと、それは核の問題です。私は、国として、独立
国として言うべきことは言うべきであると思っています。勿論、日米関係、日米同盟も、今の日本にとっ
て非常に大事な安全保障基盤だと思っています。
日本に軍事体制という言葉が合うのかどうかよく分かり
ませんが、所謂、軍事体制として、ヨーロッパにおいて、イギリスとアメリカが同盟関係にある軍事体制
に学ぶことも宜しいのではないかと考えています。この北東アジア地域において、日本が、
「核を持たな
いイギリス」になるのが、一番、日本にとって、或いは、この地域にとっていいことなのではないかと思
っています。そのコンテクストの中で、イギリスに重ね合わせるということの意味は、まず、イギリスの
場合、
自国の防衛は自力で行うというのが第一義である、
即ち、
自前で守っているところにあるわけです。
このイギリスに学ぶことから、そこで、どういう防衛体制がいいのかという答え、或いは、示唆が出て来
るのだと思います。
そこで、
「イギリスと違うところは、核を持たないことである」と言った方が、唯一の被爆国としての、
日本の国際社会に対する効き目のあるソフトパワーとして、外交力が強まるんじゃないかと考えます。こ
れは、核を保有するハードパワーではなく、保有しないソフトパワーということです。ただ、次に、単純
に核を持たないということになれば、じゃあどうやって日本を守るんだということになります。核という
文脈では、アメリカの核の力に依存をせざるを得ないだろうと考えます。アメリカの核に依存をするので
すが、その代わり、同盟国として、今までとは違う、米国が納得出来る形で、米国と共同歩調を取って同
盟関係を強くしていける
「日本の役割を果していく」
ということを考えていかなければならないでしょう。
違う形というのは、やるべきことの形を代えて、或いは、所を変えて果していくということであって、そ
の効果によって、言うべきことも言えるようになるのではないかという気が致します。
47
(櫻井)その場合は、
「持ち込ませず」を解除するという、非核二原則にするということを意味してお
られますか。
(浅尾)実質はそういうことになるんだと思いますね。
(櫻井)それを、明言することは、日本の国益を減ずると思いますか、それとも、外交能力を減ずるか、
もしくは、その反対だと思いますか。
(浅尾)明言すること自体で、私は、日本の国益を減ずるということにはならないと思います。
(櫻井)他の方は、この点についてどうでしょう。非核三原則を二原則にする、日本が持つ代わりに、
アメリカの核を日本に入れることを許容する、それで抑止力をつけるということになるのですが。
(長島)二点ほどコメントします。まず、アメリカの中距離核というのが、今、殆ど配備されていない
と言われています。朝鮮半島からも抜きましたし、海洋型のトマホークが未だ残っているのかもしれませ
んが、
「日本に持ち込む核の選択」は、必ずしも現実的な議論ではないのかなという気がします。
勿論、日本が、アメリカの核を持ち込ませるという決断を選択することについて、究極的には、私も排
除しない立場であります。しかしながら、実態として、核保有の選択を日本がした場合の、効果、メリッ
ト、デメリット、これを考えざるを得ません。日本のように縦深性の低い国が核武装をして、本当に意味
のある防衛体制が築けるのかということも考える必要があります。それから、この決断をして、現在、原
子力協定を各国と結んで、ウランを輸入し、原子力発電をしている日本が、現行の NPT 体制を崩壊させ、
そこから脱退をせざるを得ないような状況を作っていってしまうことは、
日本経済を破滅に陥れることに
なるのではないかということです。このように考えますと、核武装することが、本当に、日本にとって、
意思の表明ということからしても、今日、意味があるのかというと、私としては躊躇があります。
例えば、インドに対する原子力協力などを考えた時に、日本の国益にとって、中国との関係などを含め
てどうなんだろうと思います。考えると、わが国の原子力政策を維持発展させていく上でも、インドとの
関係はものすごく重要です。日本にとって、国内はもとより、マーケットを外国に求めていく必要が十分
あるわけで、インドの需要が増えることは、日本のマーケティング戦略上の対象ともなるわけです。その
ような国際環境の中で、わが国が唯一の被爆国で、非核三原則を徹底しているからといって、核兵器を開
発しているインドに対して、原子力の平和利用でも協力することはまかりならぬというような、硬直した
日本の考え方に拘っていて本当にいいのだろうか、という疑問も同時にあります。
つまり、今の NPT 体制というのは、よこしまな動機で、核を拡散させる国を封じ込めるということが
本質論です。インドは、インドで、パキスタンとの関係の中で、核政策というものが当然有って、然るべ
きだし、われわれ日本と置かれた状況が違うのに、われわれがそこの部分までとやかく言う筋合いの事柄
かどうか。そして、インドが、進んで、IAEA にも、議定書にも、付属議定書にも署名をし、そして、き
ちんと国際的な査察を受ける形で、原子力の平和利用をしようというのであれば、これまでの核政策に修
正を加えてでも、そうしたインドとの原子力協力に踏み切るべきだと思っています。
(櫻井)核の問題については、例えば、北朝鮮が、本当にどれ位の核があるのかは定かではありません
が、核武装しています。中国が持ち、北朝鮮が持ち、印度が持ち、パキスタンが持ち、ロシアが持ってい
ます。勿論、アメリカも持っています。こうして見ると、核保有国に囲まれた日本が、改まって、
「核武
装する気は全く無い」ということを明言する必要はないと思います。かえって、明言すること自体、それ
が国益を損じることにもなるだろうと思います。
しかし、長島さんが仰ったように、日本は、IAEA、それから国連安保理常任理事国の中で、全員が核
兵器を持っている中で、たった一国、核兵器を保有していない日本が、核の再処理工場を許されて、プル
トニウムを、多く生産しています。国際的にある種の特典を認められている国であります。この特典は、
わが国のエネルギー状況に、非常に大きな貢献をするかもしれない可能性を秘めております。ですから、
48
この特典を守ることは、国益に貢献します。ですが、同時に、核を持っていないからといって、核兵器を
持っている国々に、恫喝されないようにしなければなりません。
では、何をしていくか。まず、
「わが国もわが国の国土から核兵器を発進することがある」のだと、国
際社会に認知させることであろうと思います。それは、日本自身の核ではないかもしれないけれども、ア
メリカの核かもしれないけれども、その体制をきっちりとっているのだということを、政治的に明確にす
ることが大事だろうと思います。
であるならば、
「中距離核は、アメリカがあまり持っていないから、そんな議論をしても現実的ではな
いよ」
という前に、
非核三原則をアメリカとの協議の中で、
具体化する方向を見出さなければなりません。
アメリカが、本当にわが国を守る意思があるのなら、そして、日本に、同盟を通じてアメリカに守って欲
しいという期待が強いのなら、相互が納得出来るようにするための、幾つかの議論を進めなければなりま
せん。その意味で、この体制をとるために、
「われわれは、アメリカに対してこういう協力をするから、
日本防衛のため戦略上必要な中距離核というものを、これだけ日本に配備してくれ」という条件提示をし
ていくだけの議論ができるようだったら、どんなによいかと思いながら、今、皆様のお話を聞いておりま
した。
これは、これからの、この四人の方々の課題として、是非、考えていって頂きたいことだと思います。
フロアからいろいろな質問が出ております。その中のひとつに、防衛省の改革が、背広組みの既得権益
の拡大につながって、焼け太りになっているのではないかという、ご意見というより、ご質問を頂きまし
た。多分、浜田先生にお聞きするのが一番宜しいのではないかと思うのですが。省の制度改革は、本当に
大切なことでございますから、私の興味でもあります。
(浜田)既得権益というのが本当に有るのか、無いのか、本当に良く分からないんですが、今の状態で
は死んじゃってます。それだけのものを利用する能力が、今、内局には無いと思います。だから、逆に言
うと、ここで、さっきから私が言っているのは、組織改革というのは、
「ベストの組織を」と言ってます
が、ベストなんて無いので、あくまでも、よりベターなものしかないわけです。要するに、それをやると
いうことに何のメリットがあるかと言えば、さっきから言っているように「意識改革」なんです。逆に、
既得権を太らせる位の気概が内局に有ればいいなあと思うくらいですよ。その一方で、制服は、チャンス
だと思ってやるのか、そうでなければ、そこで、じゃあ心中しているわけ?と思うわけですよね。
今度の改革作業は、
制服が内局と一緒に肩を並べてやれるだけの法律改正も含めてやるといっているわ
けですから、制服は、ここぞとばかり、内局を食いつぶすくらいのことをやってもらいたいと思います。
「その気概」ということを念頭に置けば、組織改革というのは、意識改革以外の何物でもないんですよ。
そして、その中で何を求めているかというと、大綱に書いてある、多機能で実効的な防衛力整備をしてい
くということでありますから、当然、意識改革をする中で、一体感を持って、今後の日本の安全を守るた
めに動けるだけの体制を作り上げるというのが、まさに目的であるのであって、双方がよく分かっていな
いんだと思います。
そこのところを、何となく、
「どっちが大っきくなった」とか、
「どっちの力が強くなったか」とかいう
議論をしているうちは、全く、全然駄目ですね。もっとぶっ壊した方がいいのかもしれません。だから、
僕は、石破さんの案の方が、よっぽど易しいのかなって思いますよ。われわれの案というのは、中谷先生
も言ってますが、極めて実現可能な形の中でやってるわけで、
「本当にそこまでやれるわけ」と、こっち
の方が厳しいわけですよ。
例えば、統合運用していくという話になれば、
「じゃ、陸自は、今まで総監制でやって来ているけれど
も、今度、総隊制でホントにやるのね」という話しになるわけですよ。だから、そういったことも含めて、
「実際に皆が血を流してやるのね」
、片っ方は、
「防衛参事官制度を止めるのね」ということを、お互いに、
何ていうのか、お互いに抜き身を、お互いの喉元に突き付けて、お互いにその緊張感の中で議論していっ
て欲しいんです。
49
このように、防衛省自衛隊が日本の国の安心、安全を守るためにやっていくだけの「覚悟が有るのね」
ということを、
われわれが言っているわけで、
そこのところを何か勘違いして、
どっちが飲み込んだとか、
飲み込まないとかの話しじゃないんですよ。だから、未だにその辺のところが分かってもらえてないのが
残念です。ただ、単に組織変更だけで物事が済むと思ったら、大きな間違いで、これから、われわれは、
もっともっときついことを突き付けていかざるを得ないんですよ。
それでないといい方向に進まないんですね。今まで言って来た、守屋が悪いだヘッタクレだ関係無いん
ですよ。
「守屋が悪いような状況作ったのは内局じゃないか」と、
「だから、そこに制服が乗り込んでいっ
てしっかり目を光らすぞ」というのも一つの考え方です。それじゃ、われわれ本当に、
「制服に、軍政も
含めて、法令を、法律の部分も含めてやらせるのか、制服がそれをできるのか、やれるもんならやってみ
ろ」というようなところも含めて、何か、われわれが突き付けているものの意味を、正しく取っていない
ような気がして、
そういう意味では残念でしょうがないですよ。
そういったことを分かってもらいたくて、
今日、ここで喋れるということは大変嬉しいことです。
(中谷)さっき、私も言いましたけれど、陸・海・空自衛隊の幕僚監部から防衛部を出すということを、
現在の各幕僚長がよく承認したなと、びっくりしております。やはり、陸・海・空の自衛隊の長というの
は、それだけ責任感があって、自分たちの任務を果すんだという気構えが無いと、組織というものは動か
ないと思いますので、内局は、内局で、いろいろとチェックをしたり、バランスをとったりするのはいい
んですが、あくまでも陸・海・空自衛隊は、自分たちで運営していくんだという、そういう気位くらいは
持って頂きたいと思います。
(長島)私の印象では、ご質問の趣旨とは逆の議論が出て来るのかなと思ってました。つまり、今まで、
「文官統制で、内局が制服を押さえ込んで良し」とされて来たものを改革するというわけですから、内・
幕一体、UC 一体であると、こういう、制服組もきちんと表へ出て来てやるんだと、国会対応もするんだ
と、政策も立案するんだと、こういう方向性の改革が指向されているのですから、困るのは、内局の人た
ちが、今まで押さえ込んでいればよかったものが、そうならなくなると、少なくとも並列になるというこ
とで、内局からもっともっと抵抗の声が出てくるのかなと思っていました。けれども、どうもそうではな
いという背景には、
「内局の人たち自身が、今のシビリアンコントロールが機能していないことを分かっ
ている」という実情があるのだろうと思います。
諸外国の例が最近頻繁に出されます。イギリスの例、ドイツの例、私も、浜田前安全保障委員長の時に、
一緒に行って参りましたけれども、ドイツでは、内局と、連邦総監部が並列しておりまして、内局につい
ては、監理とか、人事とか、予算とか、厚生とか、そういうものを司っておりますね。連邦総監部の中に
は、制服の人と、背広の人が一緒に入って、作戦を考え、政策を立案し、軍事情報を扱い、というように
なっていました。これは、非常にリーズナブルな組織になっているんですね。やっぱり、こういう内・幕
一体の組織にしていくということが、今回の改革の一番の眼目であって、どういうミックスでいくかとい
うのは、それぞれの考え方があると思います。そういうことで、全体の方向性としては、内局が焼け太り
をしていく方向にはないと、私の印象としては捉えています。そこは、野党の側から、改革をきちっとチ
ェックしていく一つのポイントになるのかもしれませんので、承っておきたいと思います。
(浅尾)よく、組織変更、組織機構改革というと、その機構改革そのものが目的になってしまうケース
が多いと思います。従って、やはり、機構改革そのものが目的ではなくて、先程来出ていますように、日
本の安全保障にとってどういう機構が大切なのか、というところから、議論をしていく必要性があるんだ
ろうと思っています。その時に、勿論、参考になるのは、他の国の体制で、そこもよく研究しながらやっ
ていくことが必要だと思います。また、一方で、先程来出ていますように、日本の憲法九条というものが、
文官統制ということに変遷していった歴史が、
「本当に、そうでなければいけないのかということを考え
る」ということを示唆していると思いますんで、一番必要なのは、どういうのが、本当に、その機構とし
て効率的なのかというところから調べていくことが必要だと思います。
50
(櫻井)次の方の質問は、浅尾さんに向けられたものです。ご指名の質問です。
「PKO は、武力行使
を目的とするものではないけれども、任務遂行上、止むを得ず武力行使をしなければならないことがある
と思う。この武力行使も、集団安全保障の範疇として認めますか」というのが第一点、第二点は、
「領域
警備も武力行使を目的としていないけれども、止むを得ず武力行使にいかざるを得ない場面がある。この
場合は、武力行使を合憲としますか」という質問です。
(浅尾)まず第一点の PKO については、或いは、
「任務遂行の為の武器使用」ということについて申
し上げます。これは PKO ではありませんが、先般のインド洋での給油に対して、われわれが出した対案
の中に、これを、特別措置法という形で出しましたので、先程来申し上げておりますように、
「集団安全
保障の場合は、PKO に限らず、武力行使は認める」ということなんですが、
「特別措置法で、従来の憲
法解釈を変えるというのは、ちょっと問題があるのではないかということで、任務の遂行のための武器使
用だけは認めましょう」という理屈立てにしてあります。
その後、
「恒久法を作る時には、集団安全保障で全てクリアにする」ということにしてあります。しか
しながら、その「任務遂行の時の武器使用」を認めるに当たって、過去の法制局の答弁と、参議院で作っ
た法律でありますので、参議院の法制局とすり合わせをして、これは、いわばパズルみたいな話しなんで
すが、申し上げます。
「内閣法制局が言っている武力行使というのは、国または国に準ずる組織に対して、武器を使用したら
武力行使になるので、これは駄目である」と明確に否定をしています。従って、
「相手が国または国に準
ずる組織でなければ、武器を任務遂行のために使っても、このこと自体には、内閣法制局は、多分、明確
には否定していません」から、政府が提示してくるものも、変えられる要素があるのだというふうに理解
をしております。
そして、これから先が、笑い話といいますと語弊があるかもしれませんが、それに近い話となります。
よく、今の石破大臣が言っているのですが、食糧援助のために PKO、或いは、PKF が派遣され、持って
行った食料を盗賊に盗まれるという場面で、盗賊に対して、
「ヤメロ、ヤメロ」としか言えない、何も出
来ないんだと、威嚇射撃すら出来ないんだと、現在の「任務遂行のための武器使用の禁止」に拘束されて
いるが故の話であります。ですから、石破大臣は、
「威嚇射撃を出来るようにしておいた方がいいんだ」
と、国会でも言っておられます。
われわれは、
「任務遂行のための武器使用を認める」という立場で、
「国または国に準ずる組織が無いと
いう解釈をしていけばいい」と考えています。例えば、実は、今のアフガンでも、自衛隊が行くところに
は、国または国に準ずる組織が無いんだという解釈をすれば、武器使用ができるということになるんだと
思います。このように、今までの議論というものが、パズルみたいな話しなので、もう少し、スパッとし
た方がいいということで、
「恒久法においては、集団安全保障、或いは、領域警備についても武器使用を
認めていく」ということを示したいと考えております。
(櫻井)最後に、これは、国民の誰もが、思うことだと思うんですけれども、四川の大地震が発生して、
日本から救援隊が行きました。殆ど、働かせてもらえずに、働く場所ではないような所に送られてしまい
ましたけれども、救援隊の方々は、それなりの訓練を受けておりますから、何処ででも立派に務めを果た
しておられます。ところが、自衛隊の場合は、戦うプロとしての訓練はしていても、本質的に中身が違う
救援隊のプロとしての訓練において、救援隊に遅れをとっているのではないでしょうか。自衛隊が、かの
地に、災害救助として出ることは、果たして難しいのでしょうか11。むしろ、本当に純粋な救助という意
<四川大地震>自衛隊機、中国派遣へ―政府、要請受け:5 月 29 日 1 時 8 分配信「毎日新聞」
政府は 28 日、中国の四川大地震の被災地にテントや毛布などの救援物資を輸送するため、国際緊急援助隊法に基づき、航空自衛隊
の C-130 輸送機を近く中国に派遣する方針を固めた。中国政府の要請を受けた対応で、救援物資を日本国内から中国被災地の空港
まで運ぶことを検討している。自衛隊部隊が中国に派遣されるのは初めて。海外での自衛隊の援助活動は06 年のインドネシア・ジ
ャワ島中部地震以来となる。
町村信孝官房長官は 28 日の記者会見で、中国政府から 27 日、北京の日本大使館を通じて救援物資と輸送手段について自衛隊機
を含む支援要請があったことを明らかにした。要請内容については「自衛隊のテント、毛布等を中国の空港まで運んでもらいたい
11
51
味で、質問者は「国際人命救助隊」と書いておられるのですが、そういった形ででも、自衛隊を出すよう
な仕組みを考えた方がいいのではないかというご質問です。
どなたでも結構です。
中国に限らず、
しかし、
関係が微妙な国々に対して自衛隊がPKO、或いは、PKF以外にも、どういった形で出て行くことが出来
るのか、
どのように形を作って、
それをすることができるのかという趣旨のご質問であろうかと思います。
(長島)今、現在でも、国際緊急援助隊法に基づいて、基本的には、例外なく、どの国、どの地域へで
も、警察、消防、医療、そして自衛隊を含めて、ベストミックス(Best Mix)のティームを出せるよう
な仕組みがあります。しかしながら、櫻井さんが仰ったように、中国側がそれを拒否したのだろう12と思
います。これは、両国の政治関係の問題もありますけれども、実力、法制度、両面から言って、今回、四
川に出せないことはなかったんだろうと思います。その辺は、官邸の方がどのように判断されたのか、も
しうかがえればと思います。
(中谷)これは、自民党の部会で、私も「早く出さないのか」と言っておりましたが、返事は、オファ
ーが無かったということです。自衛隊は、国際社会では軍隊ですから、その国の要求がなければ行けない
ということで、中国から、自衛隊派遣のオファーが無かったということであります。ミャンマーも同様で
あったということです。しかし、インドで数年前に、地震がありました。海上自衛隊が・・・この会場に
当時の海上幕僚長が聴講しておられますが・・・いち早く、船に荷物を積んでスタンバイしました。この
時にも、官邸から「直ぐに出ろ」という命令は出なかったということでした。インドネシアの場合にも、
沖縄で待機をしたり、そのように、状況に応じて、政治が感度を磨いて、鋭くして、出来るだけ早く、近
くまで行かせるとか、そのような運用は、進んでやらなければいけないと思っています。
(櫻井)国際社会の慣例から言えば、こちらが「行きます」といって、勝手に行けるものではないわけ
でありまして、例えば、神戸の大震災の時も、国際社会は、日本に救援を申し出たわけですが、あの時も
日本は、たしか、受けなかったと記憶しています。随分遅くなってから、日本は、外国の救助犬などを入
れて、
「遅すぎた」と、メディアが批判したことも覚えております。自衛隊は、助ける能力があるのに何
故行かないのか、
「断られているからだ」と、でも、この答えについては、国民の間には納得がいかない
という、ミックスした感情があると思います。
段々時間が無くなって来ました。日本の防衛の在り方、安全保障の在り方、外交も含めてですが、長期
的に、日本はどういうことをしていったらよいかということ、また、本日言い足らず、強調しておきたい
ことが有りましたら、お一人づつ手短に、お話頂きたいと思います。
(中谷)一言で言いますと、日本では、戦後、一貫して、今まで、自国の安全よりも軍隊からの安全と
いうことに力点が置かれていました。そこにはいろんな制約、抑制がありました。しかし、これからは、
軍隊による安全、国益というものを図っていくべきであると強く感じています。例えば、テロ特措法に基
づいて、海上自衛隊がインド洋に出ていますが、これは、非常にメリットが大きくて、やはり、こういっ
た分野で目に見える貢献をすることは、国家が国際社会において胸を張れる、誇っていいことなんです。
との趣旨と理解している」と説明した。
日本政府は、国際協力機構(JICA)がシンガポールの備蓄庫に保有するテントや毛布がミャンマーのサイクロン被害などの影響
で品薄のため、自衛隊が持つ物資の無償供与の検討に着手。防衛省は、国際援助の目的で国有財産を拠出する手続きについて、財
務省との調整を進めている。
派遣命令が出れば、48 時間以内に空自の調査隊が、5 日以内に輸送機が派遣される。防衛省によると、派遣されるのは C-130 輸
送機 2~3 機の見通し。輸送機部隊のある空自小牧基地(愛知県)から四川省の省都・成都に物資を運ぶことが検討されている。今
回の派遣が実現すれば、首相の外遊などにかかわる政府専用機以外で中国に派遣される戦後初のケースとなる。政府は、このほか
民間物資の提供も想定し、自衛隊機と並行して民間チャーター機の派遣も検討している。
*30 日、町村官房長官は会見で、中国への支援物資輸送のための自衛隊機派遣を見送ると発表した。中国国内で一部慎重論が出た
ことを考慮して日中間で協議をした結果、自衛隊機での輸送を見送り、今回はチャーター機で輸送することになった。
12
脚注 11 に同じ「町村官房長官会見談話」
52
アフリカでも PKO が行われています。中国は、アフリカに何千人もの兵士を送り込んでいますが、日本
はゼロです。これで、よく常任理事国に名乗りを上げているなと思いますが、やはり、そういった、軍隊
による安全、国益というものを考えて、行動して参りたいと思っております。
(浜田)もう一つは、また逆の言い方をしますが、
「やれないことは、無理してやらない」ということ
が極めて重要なのかなと思っています。それは、
「自衛隊は、与えられた範囲内で、一生懸命やってしま
う」ので、かなり無理が生じて来てしまっている気がするので、ここで「逆に言えば」と敢えて言ってお
ります。
「出来ないことは、出来ない」と、
「これだけの能力では無理だ、かえって国益を損なう」という
ことを判断するといいますか、そのようなことを言うことは実に大事なんです。それを正直に言える状況
を、どれだけわれわれが作ってやれるかということかと思いますんで、先程も言いましたが、国会として
の判断、国会議員の判断というものが出来るような議論を、これからしていきたいなと思っております。
(長島)先程浅尾さんが、
「われわれはどのような国家を目指すのか」という問題提起をされました。
今、この意識が希薄であるという認識は確かにあります。どういう国家を目指すのかを考える時には、何
が国益なのかということをはっきりしなければいけません。この原点は、生存と繁栄ですから、国家の生
存と繁栄を守るためにどうするかということを考えたら、
「攻められてからその時に反撃します」という
専守防衛ということだけで本当にいいのかという議論に、当然なっていくことになります。
その時にこそ、まさに外交力というものが試されて来るわけであります。今、福田さんは、
「国際平和
協力国家」など、非常に漠然としたキャッチフレーズでやられております。しかし、私は、その前の、麻
生さんがやっていたような「自由と繁栄の弧」というような、もっとアクティヴな姿勢で国際社会に臨ま
なければならないと考えています。何か起ったら、起ったことだけに対して反応するようなやり方ではな
くて、やはり、国際社会というものを、日本の国益にとって有利な環境に作り変えていくくらいの思いを
持って、これからの外交が展開できるような、その一つのコアが軍事力であって、そのことを否定するも
のではない。そういう、国会議員の中でもタブーのない議論、国民の皆さんとも、そういう議論が出来る
ような、知的訓練をこれからやっていかなければいけないなと思っています。
(浅尾)今の長島さんの話と、また、中谷先生、浜田先生のお話と重なるところがあると思いますが。
私は、日本が国際社会に関与する度合いが、これから強まってくるのだろうと予測しております。今まで
は関与しなくても良かった、今までというのは、戦後、1980 年代くらいまでと言った方がいいかもしれ
ませんが、それ以降は、本当は、関与しなければいけなかったのですが、関与を少しづつして来たという
ことだと思います。
今後は、益々、関与をしなければいけないということになると思いますが、その時に、どういう原則で
関与していくかということも、大切なことなんじゃないかと考えます。つまり、民主党が言っているのは、
「安保理決議があった場合、或いは、国連の決議があった場合には、前面での活動もやります」と言って
いるのですが、それがいいか悪いかといっても、いろいろ「国連が機能してないじゃないか」という議論
もあります。ただ、一つの理屈として言えば、国連を通ってくるようなことであれば、殆ど全ての国が反
対しない活動なんで、
「日本は、殆ど全ての国が反対しない活動の範疇で、後方支援の活動だけではなく
て、前面での活動にも入っていくことができる」と言えるわけです。ところが、日本には、今まで、前面
での経験が無いわけですから、
一つの考え方として段階的に経験を積み重ねながらというやり方もあるの
ではないかと思います。
その時に、現実政治において、国連というルートを通らなかった時、アメリカがもっと言えばどうする
かというところについては、これは、その時、その時の現実政治が解決していかなければいけない課題だ
ろうなというように思っております。そのようなケースを考慮しても、まずは原則を立てた方が、日本が
関与していく時に、いろんな意味でいいのではないかと思います。原則を言う相手が、原則に従ってくれ
ない場合にどうするかということは、その先に考える話かと思います。
(櫻井)有難うございました。最後に司会者の特権で、私も一言、私なりの思いを申し上げてみたいと
思います。
53
今、日本が、考えるべきことは、アメリカと中国の関係がどうなっていくかということに尽きると思い
ます。歴史的に見た場合、米中両国が接近をした時に、日本はろくな目にあって来ていないわけです。で
すから、中国が、中国共産党一党支配の求心力を失いつつ、胡錦濤政権が、民主化をしていくのか、それ
とも、民主化をするということと、中国共産党の求心力とは相反することでありますからどのように方向
が定まるのか、大変深い関心があります。
それから、中国においては、環境問題に配慮するということと経済成長を達成するということは、これ
また、相反することであります。更に、貧富の格差を無くしていくということと、沿岸部の人たちの不満
というものとは、これまた相反することであります。異常なる軍拡を止めるということと、軍備増強を続
けるということと、国際社会において、相互が協調する良き一員になるということも相反することであり
ます。このように、中国が進む道というのは、究極の二者択一に満ちているのであります。その中で、今、
中国共産党は、必死に模索をしていて、自分たちの権力基盤を固める一つの力として、軍事力に大きく依
存しているわけです。
アメリカは、そのような中国が、話をつけ易い国だと、決断力の有る国だと、日本と比べれば余程分か
り易い国であると観ているふしがあります。アメリカが、自身の国益によって、中国に付くことは大いに
有り得ると思います。中国とアメリカが接近した時に、日本の直面しなければならない悲劇は、考えるだ
に恐ろしいと言っていいと思います。だからこそ、わが国、日本は、長期的にどうするのか、防衛政策、
外交政策をどうするのかということを考えながら、防衛問題を論議していかなければならないのです。
日本は、アメリカに対しても、きちんとした独立国家で、国家としての意思を持っているのであり、意
思表示を実行に移すことが出来る国だということを示す必要があります。このためにも、冒頭に申し上げ
ましたように、一番大事なことは、
「憲法改正」です。憲法改正を進めると言いながら、これだけ長い間、
ダラダラやっていて、本当に、日本はどういう国なんだと思われているに違いありません。こんな状態だ
からこそ、普天間の移設問題も一切動かない状態です。
「閣議決定をした」
、これが政府の正式な意思表示
であるにも拘らず、それが今になってもまだ出来ていません。日本は、いくら閣議決定を行っても、約束
を交わしてもどうにもならないじゃないかというような事態になっているわけです。こんな事態を、二度
と招かないためにも、やはり、具体的に、
「憲法改正」
、
「集団的自衛権の政治解釈の変更」などに踏み切
らなければならないと、私は強く思っております。
そして、先程も申し上げましたように、世界は、民主主義の下で、統合したいと願っているけれども、
統合させない力がユーラシア大陸の中に、強力に育ちつつあるわけです。であるならば、これは、特に、
民主党の方々に、小沢さんに申し上げたいのですが、国連に対する信頼というものは、
「いい加減にして
ほしい」ということなのです。勿論、国際社会のお付き合いというものがありますから、国連の決議に、
出来るだけの協力をする、ODA も出来るだけ出すということは成熟した国家の責務です。
今在る国際社会の一員として、一つの姿勢を保ちながらも、新たな国際システムを模索し、それに参加
し、或いは、主導する時代が来ているわけです。例えば、マケイン候補が提唱している「リーグ・オブ・
デモクラシー」という考え方があります。国連が少しも機能しない、だから、民主主義とか、人権とか、
自由であるとか、同じ価値観を持つ国々が、所謂、
「民主主義連盟」を作ろうじゃないかという主旨です。
マケインは、自分が大統領になったら、それをいち早く提唱して、国連とは別個にそのような組織を作る
ということを、政策公約の中に、はっきりと書いているわけです。
この発想に対する日本の反応はどうでしょうか。残念ながら議論に乏しいようです。そのようなことに
対しても、間、髪を入れず応ずることが出来るような、活発な議論をなさって、世論をリードしていって
頂きたいと思います。
まだ、たくさん聞きたいこと、皆さんからもご質問を受けたいことが有りましたが、時間が来てしまい
ました。お許し頂きたいと思います。ご参加の四人の先生方、長島さん、浅尾さん、そして、中谷さん、
浜田さん、誠に有難うございました。皆さん有難うございました。
54
続報「核融合による新エネルギー創生」
評議員 野地 二見
先の『季報』
(瀬島龍三特集)では、野地二見評議員から「遺されたこころざし―次世代への継承―〈最
期の最期まで日本のために―クリーンエネルギーの開発への意欲〉
」と題した玉稿を頂いた。
『本号』に、
その続報「荒田吉明大阪大学名誉教授が新たなエネルギー創生実験に成功」が寄せられた。光、風、バイ
オマスなどが代替エネルギー開発の対象となっているのだが、
決定的エネルギー源として注目されていた
13
のが「核融合炉の開発―常温核融合 ―」である。他方、半世紀前から、一億度以上もの超高温に耐える
熱核融合施設の建設が関心事となっていた。米・EU諸国・露・中・印・韓・日が技術協力、経費分担し
て来たが、完成まで更に時間がかかるとされて来た。ところが、もう一方で夢の核融合と言われていた「常
温核融合」が荒田吉明大阪大学名誉教授の下で光明を照らしたのである。
「荒田吉明大阪大学名誉教授は、2008 年5 月 22 日、大阪大学で公開実験を行い成功した。こ
れは、レーザー、電気、熱等を使わず、酸化ジルコニウム・パラジウム合金の格子状超微細金属
粒子内に重水素ガスを吹き込むことだけで核融合反応が発生して、大気中の 10 万倍のヘリウムと
30 キロジュリーの熱を検出したというものである」
(日経産業新聞14)
。
「なお生成されたヘリウム←は一度金属内に取り込まれると数百度の熱を加えないと放出され
ないためサンプル再生が課題となるとしている」
(日刊工業新聞)
。
荒田吉明大阪大学名誉教授は、1958 年に日本初の超高温プラズマ型核融合(熱核融合)実験に成功する
など、固体プラズマ型核融合、固体核融合の荒田方式を考え出した、この分野における世界的一人者であ
る。この固体核融合は、金属の超微粒子(ナノ微粒子)を密閉した真空容器内に充填し、これに重水素を
導入するもので、重水素はナノ微粒子の中に超高密度状態(約一億気圧の重水素密度に相当)で、無数の
重水素凝結体を形成し、これが「核燃料」となる。前期条件を最適状態に設定すると、これら重水素凝結
体が核融合反応を発生し、熱エネルギーとして外部に放出されるというわけである。この場合の「発生熱
が数百度以内」であることから「常温核融合」といわれる。常温であるが故に、実用化の可能性が高く、
早いと期待されている。
この重水素(H4)が海水 1 立方メートル中に 33 グラム含まれていることから、わが国がこの天然資
源に無限に恵まれている環境にあるといっても過言ではあるまい。
この公開実験に立ち会った一人は、
「この人類にとってもっとも好ましいエネルギー源からのエネルギ
13
現代の物理学理論では水素原子の核融合反応には、極度の高温と高圧が必要で、室温程度で目視できる核融合反応が起きると考
えられて来なかった。実施された多くの追試も「核融合反応や入力以上のエネルギー発生が観測できなかった」
、
「現象が再現しな
い」など、一般には電気分解反応で生じた発熱量の測定を誤ったと考えられた。また、原子核物理学者の有馬朗人は東京大学学長
当時「もし常温核融合が真の科学的現象ならば坊主になる」と発言。1994 年、エネルギー庁が新水素エネルギー実証試験プロジェ
クト(NHE)に約 20 億円を投入、1998 年の最終報告は「過剰熱現象は確認出来なかった」だった。常温核融合現象の基礎研究は、
世界で 300 人といわれるわずかな研究者により継続、多くの研究開発が頓挫する中、荒田吉明大阪大学名誉教授は、特殊加工され
たパラジウムの格子状超微細金属粒子内に重水素ガスを取り込ませて凝集し、これにレーザー照射して核融合反応を発生、通常の
空気中の 10 万倍のヘリウムの発生を観測。
14 2008.05.23、日経産業新聞、10 頁。大阪大学の荒田吉明名誉教授は二十二日、外部からエネルギーを投入しなくても熱を取り出
す公開実験に成功した。核融合でできたとみられるヘリウムが大量に検出された。同名誉教授は「従来とは違うタイプの核融合反
応が起きている」としているが、熱の発生量の測定は難しく、常温核融合の証拠とするには多くの追試が必要だ。核融合を起こす
には、水素の原子核である陽子を非常に近い距離に近づける必要がある。プラスの電気を帯び反発し合う陽子に「核力」と呼ぶ強
い力が働き、一気に核融合が進む。現在は数百億気圧で圧縮するか、一万ボルトの電圧で水素を加速してぶつけるしかないと考え
られている。公開実験ではパラジウム原子が格子状に集まった超微小粒子を真空容器の中に入れ、中性子を原子核に含む重水素の
ガスを吹き込んだ。大気中の約十万倍のヘリウムを検出。石炭一グラムに相当する三十キロジュールの熱が発生したという。荒田
名誉教授は「パラジウム原子のすき間に普通は一個未満しか取り込まれない重水素が四個入って凝縮し、電子と原子核が引き合う
ことで核力が働くまで近づき、外部から熱などのエネルギーを加えなくても核融合反応が始まった」と話している。
55
ー抽出技術は、世界をリードすることは言うまでも無く、日本が国家事業として政治・経済・産業・学会
など関係角界が一丸となって取り組むべき快挙である」とコメントしている。この実験が公開であったこ
とから、内外の専門筋に反響が大きい。日本の政府がどのように対応していくか、日本の創生技術の多く
が、過去、諸外国に横取りされて来た歴史を見るに、政策的処方が急がれる。この紙面を通して、先の『季
報(瀬島龍三特集)
』に重ねて諸方面の理解、関心、実行を伴うバックアップを願うものである。
この公開実験に先んじて、荒田吉明大阪大学名誉教授から野地評議員に送られた書簡を紹介しておく。
拝啓
ご無沙汰申し上げておりまして申し訳なく思っております。しかし、漸く固体核融合の実用炉
(勿論、人、金が無いので極めて小さいものですが、
)見事に「実用炉」として機能を発揮致し
ました。今世紀最大の成果になると思っています。
自然の機能の凄さに唯々感嘆しております。また時間が許されるならば、出向きましてご説
明をしたいと考えておりますが、まずは日本のみならず人類 60 億年のエネルギーを提供できる
と思っておりますので、政府はもとより産業界にも同時にご支援をお願いし、国家の総力を挙げ
て、
「新エネルギー創生研究所」を作って頂いて、日本から外国に発信できれば、私の心からの
喜びでもあります。パテントは既に押さえており、まったくの「無公害」のエネルギー発生炉と
して、一般家庭用、自動車、船、飛行機等の移動体のエネルギー源、また大型装置として熱エネ
ルギー→電気エネルギーの転用可能な大型発生装置としても活用可能であります。汚染物質は皆
無であります。私ども 50 年ひとすじの研究をまとめたものでございますので各分野への早い実
用化を願っております。
「公開実験」は、5 月を予定しております。
敬具
(執筆者略歴)陸軍士官学校第 59 期、前ツーカーセルラー東海代表取締役社長・元DDI常任顧問、元産経新聞社取締役・元日本
工業新聞社代表取締役・同台経済懇話会常任幹事
編集後記:本号は、第 19 回シンポジウムを特集して詳報を掲載したため『瀬島特集』を超
える多くのページ数となった。国内外の情勢、分けても政情は変化に富み国家の命運を左右する
方向へと動き出している気配がある。シンポジウムの議論と愛知先生の指摘される「政治家の
役割」は対を成しているし、小田村副会長は、更に「何とかしろ!」と、追い討ちをかけて叱
咤されている。世の中がうわついた調子で推移する傾向に、神谷先生の「イメージ」が「チョ
ット、何かがおかしいですよ。冷静になってみませんか!」と問いかけられている。日本国内
だけではなく、アワー先生に「アメリカから見た日本」
、李先生に「韓国の新体制と日韓関係進
展のための示唆」を頂戴した。加えて宮脇先生から「プーチンの院政体制と日露関係の展開」
といった玉稿が寄せられた。これで米・露・韓・台湾など国際社会の動向を左右する変化に関
わる理解が促された。残る中国については、第 19 回シンポで強調されているところである。
天本先生の「道州制」
、野地先生の「新エネルギー」は、日本の将来に希望を託せる情報提
供であった。新連載「ホコリに埋もれた宝の山」は、具体性と実行性を伴う提言として、当フ
ォーラム研究員の健筆を期待したい。いずれも、現実問題を切り開いていく為の貴重な玉稿で
あり、編集局、ただひたすらご執筆に感謝させて頂くばかりである(吉)
。
56
研究報告「ホコリに埋もれた宝の山―研究開発再発見―」
江島 紀武
「もったいない」という言葉が逆輸入された。ノーベル賞受賞のアフリカ・ケニアのマータイさんが世
界中に「もったいない運動1」を展開している。物質文明における無駄を省いて地球上の資源を大切にす
ることが目的であるこの運動は、
「もったいないことをするな」というキャンペーンである。それは、ご
く普通の無理なく出来る節約を勧めているのであって倹約を強いているのではない。
不必要な
「無駄遣い」
の戒めが本旨である。今様のテレビ狂騒番組では、大食い競争という堕落した無駄や、究極のグルメと称
して、工夫すれば使える食材を切り捨てて、極上の部分だけを使うとか、調理に失敗した食材を惜しげも
なく捨ててしまうなどが何のテライも無く放映されている。これは「食のモラルに対する冒涜」である。
その番組の司会者が、他の番組でアフリカの飢餓を訴えているなどは偽善者以外の何者でもない。
資源枯渇、或いは、物質文明謳歌という文脈には、必ずしも歓迎すべきニュアンスが籠められているわ
けではない。人間が搾り出す知恵の世界にも同じことが言えるのではないか。知恵を出し、創造し、生産
し、商品化する。これらには、金銭的資本や物質資源、そして尋常でない人の汗水や産みの苦しみといっ
た有形無形の投資が注ぎ込まれている。ところが、これらの投資にも歓迎すべからざる無駄がある。反古
や、一見無駄な『顧みられない結果』の蓄積に反比例して真の珠玉の成果の何と少ないことか。その典型
が、研究開発(以下「R&D」
:Research & Development「R&D」という)である。R&D においては、所期
の目的、或いは、目標をまっしぐらに目指すが故に、規定のプロセスから外れたモノは、ハードであろう
が、ソフトであろうが省みられぬモノとされてしまうことが多い。先に言ったが、料理で使える価値のあ
る大根、ジャガイモ、人参などの材料が、上等な部分だけ使われて捨てられてしまうように「ゴミ箱行き」
となっているのである。
パーソナル・コンピューター(PC)の出現に追われ、にわかにキーボードとマウスと格闘している年
頃の管理職に見られるのが、PC のディスプレーよりもプリント・アウトした紙資料を大事にする傾向で
ある。彼らをペーパー・ジェネレーションと呼ぶ。かの人々は、後々に役立てるつもりで紙資料の山に埋
もれていく。しかし、結果的にそれらの資料は、アーカイブスにもならず反古とされるのが常である。
ついでに触れるが、ペーパー・ジェネレーションは、ディスプレー・ジェネレーション、或いは、ソフ
トウエア・ジェネレーションと呼ばれる、PC や携帯電話時代に生まれ育っている若者に敵わない。紙と
鉛筆には無縁の時代に育った彼らは、自分の頭の代わりにコンピューター・メモリーにストックしている
のである。そして、それらは、瞬時にディスプレー上で情報化することが出来る。
ところが、メモリーの蓄積を放置すると、CD、USB メモリーに情報が山積みになって「ゴミ箱」行き
を待つことになる。結果的には、紙資料同様、フロッピー、CD、USB が引き出しに放り込まれたままお
蔵入りしていくのである。この様に「お蔵入り」となった「貴重な知恵」が所有者の「後から・・・」と
いう気分で放置されているのが現状がある。これらは「もったいない」の対象である。ひょっとすると「宝
物」かもしれない。そこで、分けても、国が予算とマンパワーを注いで手がけたものに目をつけて、ここ
に、
「お蔵入りの宝物を蘇えらせることは出来ないのだろうか?」と考えたのである。
近頃デュアルユースなる言葉が盛んに使用されているのだが、それを端的に言えば、
「軍民両用」或い
は「相互流用」
、
「軍民技術相互利用」などを総括する造語である。その意味するところ、軍民相互の乖離
や背反を越えさせて、合理的、科学的、効果的に相互乗り入れを図ろうとする行為を指す。このデュアル
ユースを防衛庁自衛隊の「R&D」に求め、その調査研究に乗り出そうというわけである。
ここで採り上げるデュアルユースについて更に付言する。一つは、ハードそのものを軍民相互に利用す
1
ワンガリ・マータイは、ケニア出身の環境保護活動家、グリーンベルト運動と呼ばれる植林事業で知られている生粋のエコロジ
スト、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞(2004 年)
。マータイは、日本の美徳の真髄ともいえる言葉「もったいない」を、世
界に通じる環境標準語として使用、ニューヨークの国連本部で開催された「国連婦人の地位向上委員会」でMOTTAINAIとプリン
トされたTシャツを掲げ「もったいない」をキーワードに、資源の効率的利用を訴え、女性たちによる世界的「もったいない」キ
ャンペーンを展開、今や「もったいない」は、3R活動=消費削減(Reduce)
、再使用(Reuse)
、資源再利用(Recycle)実践の
合い言葉として地球環境問題改善、資源分配の平等、テロや戦争の抑止にもつながると力説。
57
ることである。最も単純な実例はミリタリールックと称するファッションである。実利、耐久、活動性な
ど軍から民へ流れている、目に見えるデュアルユースである。高度な技術に例を求めれば、人工衛星とそ
の俯瞰精度を利用したGPS (Ground Positioning System) がある。商品名となったようなナビ・システ
ムもそれである。人工衛星そのものは、エアパワーのはしりであった観測・偵察用気球(バルーン)の進
化である。バルーンは、ナポレオン戦争時代に観測偵察用2に運用が始まった。最新の兵器では精密誘導
ミサイル(Precision Guided Missile : PGM)
、巡航ミサイル(Cruising Missile)
、精密誘導爆撃(Precision
Guided Bombardment)など、ターゲティング(Targeting)に位置観測・特定技術の利用が著しい。
二つ目は、軍の技術からの発展である。秘匿性、或いは、抗堪性、弁別性に富む軍の通信技術がディジ
タル化の汎用によって民間のディジタル通信機能を飛躍的に向上させた。スペクトラム原理を応用して輻
輳する電波環境のなかでクリアな通信環境を維持できる携帯電話の世界は、軍の対妨害や干渉回避技術の
流れである。ミサイルに対する被攻撃警戒探知技術は地上交通機能の安全のために応用された。これらの
多くは先進的軍事技術の民間流用である。いくつかの事例については、おいおい紙面で紹介していこう。
後退的な分野・・・軍用という文脈では「時代遅れ」或いは「陳腐」というのであるが・・・それらの
ハードウエアが、陳腐化を克服し、戦力として相手方の脅威となっている。米国では、航空母艦や戦艦が
退役しても、屑鉄にされず、市民の訪れる戦争記念艦になっているのだが、一朝事有れば、二年以内の整
備で戦役に復帰できるよう管理されている。加えて、ハード面のデュアルユース同様に、サブシステムや
構成コンポーネントを含むシステム全体、ソフト・ウエア、或いは、人的能力それ自体が相互に、有効か
つ合理的に活用される時代となった。
ところが、防衛省自衛隊では、
「陳腐化」と呼ぶことで、新たな装備取得予算の説明に説得性を増し、
その対象装備品等が「廃棄」され「粗大ごみ」と化して、新たな装備が換装されていくのである。更には、
新たな装備の実用化、運用装備の強化改善における「調査」
、
「研究」
、
「開発」
、
「試験」といった「R&D」
のプロセスにおいて、中途、或いはその結果において実用が中断されたものがある。これらは、所謂「モ
ノにならなかったモノ」である。それらをもう一度掘り起こしてみようというわけである。
このような「発想・調査・研究・分析・応用・発信」など、本『季報』において、
「ほこりに埋もれた
宝の山―研究開発再発見―」と称して連載、紹介し、読者諸氏のご批判を仰ぐこととした。加えて、本連
載が、技術開発を効果的に実施するため、
「日本国の技術力と安全保障力を高める為の提言」たる何らか
の示唆を与えられれば幸いである。その係わるところは、テーマによって、技術、運用、生産、調達、教
育などの分野、政治家、官僚、企業人、危機管理事態従事者、教育者など各界の関係者、或いは、専門・
関与の有無、現役・リタイアの別なく拡散するであろう。むしろ、前提や条件の設定を越えた発想から議
論を始めなければ「お蔵入りした貴重品の価値」を見出せない。究極には、この作業が「軍・産・学の協調」
に到るコラボレーションに刺激を与えられればと願うものである。
結果的に導き到達すべきゴールは、
「技術開発に必然の無駄を、無駄としない有効性、利便性を追求し
て、デュアルユースに導き、無駄を局限するための提案を行なう」ことにある。このプロセスにおいて派
生するであろう「開発投資を有効化する為の方策」
、
「諸外国との競争力を備えた技術開発」
、
「グローバル
化時代の安全保障に関する技術開発の手法」など、具体的な実行を図り得る提言、啓発事項は、別建ての
新たなプロジェクトとして提案していくこととしたい。
記述上のスタンスとして着意すべき事項がいくつかある。それらは、
「根拠を明確にして、主張、持論
の理論的信憑性を明確にしておく」
、
「間連するテーマに間連する事項については、国内に限らず、諸外国
における先行研究、既成事実の調査を怠らず実施する」
、
「命題が有する問題、他へのインパクトについて
は議論を重ねて、改善、改良、強化の道筋を明らかにし、マイナス面の是正について方向付けしておく」
、
「他に優れて競合するものがある場合は、優れている対象の事物に係わる全てについて知見を共有するよ
う努める」などであって、この議論・調査・研究・分析・執筆に携わる方々の識見能力に負うところが大
きい。これら具体的進展については次号から掘り下げていくこととし、読者のご教示を期待したい。
1783 年、フランス・パリにてジョセフ&ジャック・モンゴルフエ兄弟が熱気球による人類初の飛行を成功し、水素気球開発のジ
ャック&ロベール・シャルル兄弟に先行。これにより、空中から監視する軍事的メリットのため実用気球の開発に拍車、18 世紀末、
フランスで偵察機としての運用開始。南北戦争では偵察用に水素気球を運用。第一次世界大戦時、は気球に代わって、航空機初の
実用任務が軍用偵察。偵察行動妨害のため敵偵察機攻撃のための戦闘機が誕生。味方偵察機の安全確保と敵偵察機妨害のため航空
戦が出現。
2
58
戦略ターミノロジー(連載その 5)
「地政学の進化」
事務局
地政学的、或いは、地政戦略的という文脈では「Geo-Politics」の歴史は、ペロポネソス戦争1に遡る。
東洋では、
『孫子の兵法』にその概念が潜在している。しかし、学問としての地政学2は、「国民国家」誕生
から発生した。国民国家が明確にその姿を現すのは、英国の名誉革命、米国の独立戦争、フランスの市民
革命の中である。際立ったきっかけは、ナポレオン戦争の時代、ナポレオンに対抗して国家の政治戦略強
化を試みたプロシアにあった。その詳細は、プロシアがドイツとなり、ヒットラーが地政学的覇権戦略を
もって、ハートランドからリムランドを制する戦いに挑戦し、そして、破滅に到った歴史をトレースしな
ければならない。ここでは、読者の自学研鑽を期待し、時系列に沿ってキーワードを並べてみる。
ドイツ(プロシア)の地政戦略へのアプローチは、1813 年、第 5 代プロイセン王フリードリヒ・ヴィ
ルヘルム 3 世の、ロシア遠征に敗北したナポレオンに対する宣戦布告に始まる。シャルンホルスト参謀総
長、グナイゼナウ参謀次長の下、軍における本格的なシンクタンク的機能である参謀本部が設立され、ナ
ポレオンに勝つため、「地理」と「兵站」研究を徹底して行った。モルトケの下、研究は組織的に進み、ビス
マルク率いるドイツは、1871 年、普仏戦争に勝利する。そして、1891 年、シュリーフェン参謀総長は、
地理学を国家安全保障・国家戦略に導入した。これが「地政学」誕生のきっかけになっていく。
「地政学」は、ドイツ地政学の父と言われる「レーベンス・ラウム(生存圏)論3」のフリードリッヒ・
ラッツェル(1844~1904)がもたらした。この時代、次々と地政学上の学説が発表され、スウェーデン
のルドルフ・チェーレン(1864~1922)は、「Geopolitics」、「国家有機体理論」、「アウタルキー(自給自
足)論」を世に問うた。英国のハルフォード・マッキンダー(1861~1947)は、オックスフォード大学に
おいて「地政学」を本格的学問として創立、一方「ドイツ地政学」は、ヒットラーに地政戦略上の感化を
及ぼしたカール・ハウスホーファー(1869~1946)が体系化して「ドイツ地政学の祖」とされた。
日本においては大東亜戦争前・戦中、地政学に着目していた学者はいた。しかし、学問的、且つ、政戦
略的に地政学が適用されたとは言い難い。そもそも日本では、
「世界戦略的」思考の成熟が見られなかっ
た。一般的、且つ、客観的に「大東亜共栄圏構想」は地政学的発想から来る言葉であったが、日本の戦争
指導者に「ヒットラーとハウスホーファー関係」に見られる「地政学」志向はない4。彼らには、ごく限
られた戦域戦略上の、或いは、戦術的発想があったにすぎない。それらは、陸海軍対立の火種であった「南
進・北進計画」
、陸海軍妥協の産物である「絶対国防圏」などに代表される。
しかし、連合国は、
「大東亜」に日本人が考えもしなかった「レーベンスラウム(生存圏)
」
、
「リムラン
5
ドのハートランドへの侵入」
、
「ヒットラーと同盟した世界制覇 」など「地政学思考」から来たものを見
出した。この観察は、連合国の東京裁判や占領政策に活かされた。こうして軍事戦略と深く結びつけられ
た地政学が「日本を再び戦争にはしらせる」として葬られることになった。
然るに、
今日、
日本の地政学は、
「古典」の域を出ていない。今や、地政学と移動手段とは、
「地政学の進化」という文脈において密接な関
係を有する。ミサイル、衛星、潜水艦、そして航空機や大型船舶という移動手段に加えて、仮想の高速移
動を可能とした電子通信手段の驚異的発達はグローバル化を加速した。その意味では、日本の戦略的思考
が、鎖国や孤立主義の頭から抜け出せないことも、地政学的後進国とされることも理解できるのである。
1 ペロポネソス戦争(紀元前 431 年 - 紀元前 404 年)
:アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟
との間に発生した、全古代ギリシア世界を巻き込んだ戦争。
2 『地政学』奥山真司、五月書房、2004 年、2 頁、
「地理概念上に展開される国家政治戦略の学問」
3 国家は国力に相応の資源を得るための生存圏(レーベンスラウム)を必要とするという大陸国家系の地政学
4日本においても昭和初期にドイツ地政学の影響を受け、小牧実繋が『日本地政学宣言』を著し「大東亜共栄圏」の概念を形成。岩
田孝三は『国防地政学』において日本の拡張政策を記述。しかし、地政学理論の影響は、当時の政策立案に決定的影響を与えず希
薄。日本は、地政学を軍国主義理論として差別、排斥、特に地政学的アプローチは、国際関係を地理的・軍事的要因のみで分析、
経済、通商、投資関係を無視したことから致命的欠陥があると批判。
5 国家は国力に応じたエネルギーを得るための領域「生存圏」を獲得する権利を保有、自給自足を堅持するため「生存圏」とは別
に「経済的支配地域」の確立に必要な植民地・経済的支配地域の獲得が必須、経済的支配地域は宗主国の国力や位置から「総合地
域」と定義、その領域は、アメリカ支配の南北アメリカ大陸を含む汎アメリカ総合地域、日本支配のロシア領を含む北極圏から中
国を経てオーストラリアにいたる汎アジア総合地域、ドイツ支配のヨーロッパからアラビア半島を含めたアフリカ大陸を含む汎ユ
ーラフリカ総合地域、ソ連支配のユーラシア大陸北部から南部に至る汎ロシア地域。
59
日本戦略研究フォーラム役員等(平成 20 年 7 月1日現在)
会長
副会長
中條高德(アサヒビール(株)名誉顧問)
小田村四郎(前拓殖大総長)
相談役
永野茂門(元法務大臣/参議院議員/前理事長)
顧問
小林公平(阪急電鉄(株)名誉顧問)
中山太郎(衆議院議員/元外務大臣)
笹川陽平(日本財団会長)
平沼赳夫(衆議院議員)
竹田五郎(元統合幕僚会議議長)
山田英雄((財)公共政策調査会理事長/元警察庁長官)
田中健介((株)ケンコーポレーション代表取締役社長)
山本卓眞(富士通(株)名誉会長)
鳥羽博道((株)ドトールコーヒー名誉会長)
理事長代行兼常務理事(事務局長)
二宮隆弘(帝京平成大客員教授/元空自航空実験団司令)
副理事長
愛知和男(衆議院議員/元防衛庁長官)
志方俊之(帝京大教授/元陸自北部方面総監)
相原宏徳(TTI・エルビュー(株)取締役会長)
田久保忠衛(杏林大客員教授/元同大学社会科学部学部
岡崎久彦(NPO 岡崎研究所所長/元駐タイ大使)
長)
坂本正弘(中央大政策文化総研客員研究員)
宮脇磊介(宮脇磊介事務所代表/元内閣広報官)
*石破茂氏は防衛大臣に・舛添要一氏は厚生労働大臣に就任により JFSS 役員を退任
理事
秋山昌廣(海洋政策研究財団会長/元防衛事務次官)
西修(駒沢大教授)
新井弘一((財) 国策研究会理事長/元駐東独・比大使)
松井隆(有人宇宙システム(株)社長/元宇宙開発事業団理
太田博(MHI 顧問/元駐タイ大使)
事長)
神谷不二(慶大名誉教授/国際安全保障学会長)
森野安弘(森野軍事研究所所長/元陸自東北方面総監)
佐藤正久(参議院議員/初代イラク第一次復興
山元孝二((財)日本科学技術振興財団常務理事)
業務支援隊長)
山本兵蔵(大成建設(株)取締役相談役)
佐藤達夫(三菱商事(株)顧問(宇宙航空担当))
屋山太郎(評論家)
嶋口武彦(駐留軍等労働者労務管理機構理事長・元施設庁
吉原恒雄(拓殖大教授)
長官)
渡邉昭夫((財)平和・安全保障研究所副会長)
内藤正久((財)日本エネルギー経済研究所理事長)
常務理事(4 名)
長野俊郎((株)パシフィック総研会長)
林茂(事務局運営部長/元陸幹校戦略教官室長)
二宮隆弘(事務局長兼務理事長代行)
林吉永(事務局総務部長/元防研戦史部長)
監事
清水濶((財) 平和・安全保障研究所研究委員/元陸自調査
川村純彦(川村純彦研究所代表/元統幕学校副校長)
学校長)
評議員
石田栄一(高砂熱学工業(株)代表取締役社長)
冨澤暉(東洋学園大理事兼客員教授/元陸上幕僚長)
磯邊律男((株)博報堂相談役)
永松恵一((社)経団連常務理事)
伊藤憲一((財)日本国際フォーラム理事長)
西原正((財)平和安全保障研究所理事長/前防衛大学校長)
衛藤征士郎(衆議院議員)
野地二見(同台経済懇話会常任幹事)
加瀬英明((社)日本文化協会長/元(社)日本ペンクラブ理
長谷川幹雄((株)グランイーグル顧問)
事)
花岡信昭(評論家/産経新聞客員編集委員)
川島廣守((財)本田財団理事長)
原野和夫((株)時事通信社顧問)
国安正昭((株)ウッドワン住建産業顧問/元駐スリランカ
福地建夫((株)エヌ・エス・アール取締役会長/元海上幕僚
大使)
長)
佐瀬昌盛(拓殖大海外事情研究所所長)
村井仁(長野県知事/元衆議院議員)
清水信次((株)ライフコーポレーション会長兼社長)
村木鴻二((株)日立製作所顧問/元航空幕僚長)
白川浩司((株)白川建築設計事務所代表取締役)
村瀬光正((株)山下設計名誉顧問)
田代更生((株)田代総合研究所相談役)
山口信夫(旭化成(株)代表取締役会長)
政策提言委員
秋元一峰(秋元海洋研究所代表)
石津健光(常総開発工業(株)社長)
淺川公紀(武蔵野大教授)
今井久夫((社)日本評論家協会理事長)
渥美堅持(東京国際大教授)
今道昌信(NPO 国際健康栄養医学機構監事/
天本俊正(天本俊正・地域計画 21 事務所代表取締
元海自幹部学校第1研究室長)
役/元建設省大臣官房審議官)
岩屋毅(衆議院議員)
洗堯(NEC 顧問/元陸自東北方面総監)
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上田愛彦((財)DRC 専務理事/元防衛庁技術研究
本部開発官)
江崎洋一郎(衆議院議員)
潮匡人(聖学院大専任講師)
越智通隆(三井物産エアロスペース(株)顧問/元空
自中警団司令)
大串康夫((株)石川島播磨重工業顧問/元航空幕僚
副長)
大橋武郎(AFCO㈱新規事業開発担当部長/元空自
5航空団司令)
岡本智博(NEC 顧問/元統合幕僚会議事務局長)
奥村文男(大阪国際大教授/憲法学会常務理事)
勝股秀通(読売新聞編集委員):新規
加藤朗(桜美林大教授)
加藤釼嗣(元空自飛行開発実験団副司令)
金田秀昭((株)三菱総研主席専門研究員/元護衛艦
隊司令官)
茅原郁生(拓殖大教授/元防研第2研究部長)
工藤秀憲(GIS コンサルテイング(株)代表取締役社
長)
倉田英世(国連特別委員会委員/元陸自幹部学校
戦略教官室長)
小林宏晨(日大教授)
小松三邦((株)トリニティーコーポレーション代表
取締役):新規
五味睦佳(元自衛艦隊司令官)
佐伯浩明(フジサンケイビジネスアイ関東総局長)
坂上芳洋(ダイキン工業(株)顧問/元海自阪神基地
隊司令)
坂本祐信(元空自 44 警戒群司令)
笹川徳光(防長新聞社代表取締役社長)
佐藤勝巳(「救う会」全国協議会会長)
佐藤政博(佐藤正久参議院議員秘書)
重村勝弘((株)日立製作所ディフェンスシステム事
業部顧問/元陸自関東補給処長)
篠田憲明(拓殖大客員教授)
嶋野隆夫(元陸自調査学校長)
杉原修((株)AWS 技術顧問)
菅沼光弘(アジア社会経済開発協力会会長/元公
安調査庁調査第二部長)
高市早苗(衆議院議員)
高橋史朗(明星大教授)
田中伸昌((株)日立製作所ディフェンスシステム事
業部顧問/元空自第4補給処長)
田村重信(慶大大学院講師)
土肥研一((有)善衛商事代表取締役)
徳田八郎衛(元防衛大学校教授)
所谷尚武((株)防衛ホーム新聞社代表取締役)
殿岡昭郎(政治学者)
中静敬一郎(産経新聞東京本社 論説副委長)
研究員
安生正明(埼玉県防衛協会事務局長/元技術研究本部元
主任設計官(護衛艦担当))
江口紀英((株)太洋無線元取締役社長)
事務局
佐藤真子(総務)
中島毅一郎((株)朝雲新聞社代表取締役社長)
長島昭久(衆議院議員)
中谷元(衆議院議員/元防衛庁長官)
仲摩徹彌((株)第一ホテルサービス㈱代表取
締役社長/元海自呉地方総監)
奈須田敬((株)並木書房会長)
西村眞悟(衆議院議員)
丹羽春喜(元大阪学院大学教授)
丹羽文生(東北福祉大学講師)
長谷川重孝(元東北方面総監)
浜田和幸(国際政治学者)
浜田靖一(衆議院議員)
樋口譲次((株)日本製鋼所顧問 /元陸自幹部
学校長)
日髙久萬男(三井造船(株) 技術顧問/元空自
幹部学校教育部長)
兵藤長雄(東京経済大教授/元駐ベルギー大
使)
平野浤治((財)平和・安全保障研究所研究委
員/元陸自調査学校長)
福地惇(大正大教授/統幕学校講師)
藤岡信勝(拓殖大教授)
舟橋信((株)NTT データ公共ビジネス事業本
部顧問/元警察庁技術審議官)
前川清(武蔵野学院大教授/元防衛研究所副
所長)
前原誠司(衆議院議員)
松島悠佐(ダイキン工業 (株)顧問/元陸自中
部方面総監)
水島総((株)日本文化チャンネル桜代表取締
役社長)
宮崎正弘(評論家)
宮本信生((株)オフィス愛アート代表取締役
/元駐チェコ大使)
室本弘道(武蔵野学院大教授/元技術研究本
部技術開発官(陸上担当)
惠隆之介(評論家)
森兼勝志((株)フロムページ代表取締役社長)
森本敏(拓殖大教授/元外務省安全保障政策
室長)
八木秀次(高崎経済大教授)
山口洋一(NPO アジア母子福祉協会理事長
/元駐ミャンマー大使)
山崎眞((株)日立製作所ディフェンスシステ
ム事業部顧問/元海自自衛艦隊司令官)
山本幸三(衆議院議員)
山本誠(元海自自衛艦隊司令官)
若林保男(湘南工科大学非常勤講師/元防衛
庁防衛研究所教育部長)
渡辺周(衆議院議員)
木島武((株)SCC 元代表取締役専務執行役員)
高永喆(KII コリア国際研究所首席研究員)
61
―――お知らせ―――
日時:平成 20 年 11 月 26 日(水曜日)1545~1830
場所:グランドヒル市ヶ谷(東京都新宿区市ヶ谷本村町 4-1)☎03-3268-0111
勝手ながら聴講は有料です:1 万円(懇親会を含みます)
日本は「海洋国家」を自認できるか。海洋国家の資格を備え、その要件を満たしているの
か。本シンポジウムでは、
「日本が、新たな国際社会の仕組みを構築する主役になれるの
か、国際社会の安全保障を担う資格を備えているのか、日本の国益に適う務めを果たして
いるのか、国際社会の孤児にならないためにはいかに振舞うべきか」を問い、日本が二十
世紀ヤルタ体制の色濃い国際システム、古典的政治・安全保障体制から抜け出し、更には、
二十一世紀に求められる国民の「国家安全保障常識」を高揚させる警鐘を鳴らす。
(日時・場所を除き、状況により内容に変更が生じますことご承知下さい)
日本戦略研究フォーラムは、国内外の情勢、安全保障環境に対応して機を失さず「日本の防衛政策」に示唆を
提供し提言できる調査・研究・議論の推進に努めています。テーマが同一のタームで繰り返されても、国の主権・
国益・国民の生命財産を脅かし、或いは、国際秩序に挑戦する脅威に対抗するソフトパワーは進化し続けます。
本シンポジウムは、私どもフォーラム設立の趣意に則り「安全保障に係わる『政治の責任』
・
『国民の責任』
・
『政
府の責任』を取り上げ更に『国際関係の有り方』を問うものです。
NPO 日本戦略研究フォーラム会誌
NPO-JFSS Quarterly Report
発行日 平成20 年7 月1 日 第37 号
発行所 NPO 日本戦略研究フォーラム
〠160-0002 東京都新宿区坂町26 番地19 KK ビル4F
☎ 03-5363-9091 FAX 03-5363-9093
URL http://www.jfss.gr.jp/
編集・発行人 二宮 隆弘
印刷所 株式会社 恒和印刷所
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