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明治前期殖産業政策の修正と政商資本

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明治前期殖産業政策の修正と政商資本
171
明治前期殖産興業政策の修正と政商資本
TheModificationofGovernmentPolicyfortheTraditionalandTrans・
plantedIndustriesand`PoliticalMerchants'(Sθ's乃o)intheearlyM吻fEra
浅
田
毅
衛
TakeeAsada
目
次
1明
2大
治6年 政変 と殖産興業政策 の修正
久 保政権(第 二期大隈財政)の 成立 と大久保 ・大隈の殖産興業論
3大
久保政権 の殖産興業政策 と政商 資本
1明
治6年 政 変 と殖 産 興 業 政 策 の 修 正
1873年 の 「明 治6年 政 変 」 を 転 機 に 明治 期 の殖 産 興 業 政 策 は 第 二 段 階 に入 った 。 第一 段 階 は大
蔵 省 ・工 部 省 中 心 の時;期で あ った が,第 二 段 階 は 「明治6年 政 変 」 が ら1881年 の 「明 治14年
政
変 」 まで の 内務 省 中心 の 時期 と して 歴 史 的 に区 分 す る こ とが で き るだ ろ う。
本 稿 で は,こ
の第 二 段 階 に お け る殖 産 興 業 政 策 と政 商 資 本 との 歴 史 的 動 向 につ い て 明 らか に し
て い きた い と思 う。
この 分 析 に入 る前 に,明 治6年 政 変 と内 務 省 設 置 の過 程 を 見て お く必 要 が あ るだ ろ う。
明 治6年 政 変 は 陸 軍 大 将 兼 参 議 西 郷 隆盛 を 朝 鮮 国 派 遣 使 節 に任 命 す る件 を め ぐって 政 府 部 内が
紛 糾 し,明 治 維 新 に よ っ て成 立 した新 政府 の最 初 の大 分 裂 事 件 で あ る。 明 治6年10月15日,太
政
官 正 院 は,西 郷 の朝 鮮 国派 遣 を正 式 に 決 定 した が,右 大 臣岩 倉 具 視 や 参 議 大 久 保利 通 らが これ に
反 対 し,官 邸 陰 謀 を 駆 使 して 明 治 天皇 に使 節 派 遣 の延 期 を表 明 させ,西 郷 派 遣 案 を 葬 った ことに
(1>
事 件 の発 端 が あ った 。 これ に 憤 激 した 西 郷 が10月24日,筆 頭 参 議 と近 衛 都 督 を辞 職 し,翌25目 に
は,板 垣 退 助,江 藤 新 平,後 藤 象二 郎,副
島種 臣 の 各 参 議 が 西 郷 に 同調 して抗 議辞 職 して 野 こ
にく
だ っ た。 この 政府 の 大 分 裂 事 件 は,廃 藩 置 県後 の政 府 官 僚 群 の政 策 構 想 を め ぐ る蓄 積 され た 矛盾
の 爆 発 で あ り,そ の 起 爆 剤 が 対 朝 鮮 外 交 問題 で あ った と見 る こ とが で きる。
明 治前 期 の 殖産 興 業 政 策 推 進 の指 導 権 を め ぐ る岩 倉 ・大 久 保 派 と木 戸 ・大 隈 派 の 対 立,大 久保
大 蔵 卿 の 欧 米 視 察 中 に お け る井 上 大 蔵 大 輔 と大 隈 大 蔵 事 務 総 裁 との殖 産 興 業政 策推 進 を め ぐる対
立 ・抗 争 な どが あ げ られ る。 これ らの対 立 と留 守政 府 首 脳 部 の動 向 が岩 倉 遣 外 使 節 団 の 帰 朝 を契
機 に して 新 た な 方 向 へ 発 展 して い った。 岩 倉 ・大 久 保 ・木 戸 ・伊 藤 な どの欧 米 視 察 グル ー プ と留 守
政 府 の 西 郷 を は じめ とした 板 垣 ・江 藤 ・後 藤 ・副 島な どの グル ー プ との新 た な 政 治 課 題=対 韓 政 策
(1)毛 利敏彦 『明治6年 政変 の研究 』有斐閣,1978年,を
参照。
172『
明大商学論叢』第75巻第2・3・4号(1992年9月)(256)
を め ぐる対 立 が 生 まれ,こ れ が 明 治6年 政 変,い わ ゆ る征 韓 論 政 変 へ と連 動 して い くの で あ る。ξ
明 治 維 新 に よ って成 立 した 天 皇 制 国家 権 力 を主 体 と した維 新政 府 の 大 分 裂=政 変 は,そ の後 の
日本 の政 治 史 に 大 きな 変 動 を 生 み 出 した。 政 権 に残 留 した岩 倉 ・大 久 保 は 欧 米 列 強 に対 す る新 た
な 認 識 に よ る上 か らの 近 代 化 政 策 を推 進 す るた め の官 僚 独 裁 態 勢 を か た め て い った。 他 方,西 郷
に し た が って 下 野 した 参 議 た ち は,1874(明
治7)年1月
の 「民 選 議 員 設 立 建 白 書 」 を 発 表 して 自
由民 権 運 動 ・士 族 反 乱 へ の動 きを示 した。 この 両者 の対 立 ・抗 争 は 日本 政 治 史 の動 向 に 深 刻 な 影
響 を及 ぼ す こ とに な った 。
明 治6年 政 変 以 降 の 日本 政 治 史 に お け る二 つ の対 立 す る政 治 勢 力 の性 格 や抗 争 の 本 質 を 正 し く
位 置 づ け る こ とは非 常 に 困難 で あ る。 今 な お 両 派 の 性 格 に つ いて は,大 久 保=内
派 ・文 治 派 ・進 歩 派,西
治 派 ・非 征 韓
郷派 躍外 征 派 ・征 韓 派 ・武 断 派 ・保 守 派 と政 策 基 調 の対 立 とす る説,同
じ く政 策 差 異 説 で も大 久 保 派=非
立 憲 専 制 派 ・官 権 派 ・藩 閥 派 と見 る説,政
く,社 会 的 階 級 的差 異 ・大 久 保派=官
策の差異だけでは な
僚 派(ブ ルジ 。ア派),西 郷 派=士 族 派(封 建派)と 見 る説,
さ らに 両 派 の 国 家体 制 志 向 と して 大 久 保 派=資 本 主 義 国 家 あ る い は絶 対 主 義 的 国 家 志 向 派,西 郷
派=士
族 軍 事 国 家 志 向派 と見 る四 つ の対 立 説 と,両 派 は 基 本 的 に 同 質 の政 治 勢 力 で あ り,思 想 的
に も政 策 的 に も有 意 の差 は な く,各 人 の地 位,役 割,あ
る い は人 間 関 係 に よ って 対 立 が 醸 成 され
(2)
た とす る説 が大 別 され,政 治 史 の上 で定 説 が み られ な い よ うで あ る。
そ こ で,こ
こで は殖 産 興 業 政 策 に視 点 を 合 あせ,こ
1871(明 治4)年9月
の両 派 の 関 係 を 整 理 して み た い と思 う。
の 廃 藩 に よ る 中央 集 権体 制 の確 立 と11月 の 条 約 改 正 問 題 と内政 改 革 の 制 度
調 査 を 目的 と した 欧 米 使 節 団 の派 遣 に よ って,新
しい 国 家体 制 の も とで 経 済 政 策 の 修正 が 行 わ れ
た 。 三 条 ・西 郷 ・板垣 ・井 上 らを 中心 と した 留 守政 府 は,遣 外使 節 団 と の制 度 改正 や人 事 異動 の
(3)
自粛 約 定 を破 っ て,各 種 の改 革 を押 し進 め た。 た とえ ば,1892(明 治5)年1月
の宿 駅制 度 の 廃 止,
同 年8月
の 学 制 の発 布 や 司 法 制 度 の 改 革,同 年11月 の国 立 銀 行 条 例 の公 布 や徴 兵 令 の 布 告,さ
に 翌 年7月
ら
の地 租 改正 法 の公 布 な どの 新 し い改 革 で あ る。 これ らの改 革 と並 行 して 殖 産 興 業 政 策
の 見直 し,修 正 が進 め られ た の で あ る。
こ の 中 心 的 推 進 者が 留 守政 策 の 財 政 担 当者 井 上 大 蔵 大 輔 以 下 の財 政 当局 者 で あ った 。
井 上 ・渋 沢 らの財 政 担 当 者 は,廃 藩 後 の政 府 財 政 が集 権 化 に よる行 政 費 や 家 禄 支 出 な ど の急 激
な膨 張 に よ っ て 深刻 な状 態 に 陥 り,こ の財 政 的危 機 を乗 り切 る た め に各 省 の 「定 額 金 」 を 削 減 し,
そ の 一 環 と して 工 部 省 中 心 の 殖 産 興 業 政 策 を縮 小 ・修 正 させ た。 明 治6(1873)年5月7日
(2)毛
利 敏 彦r前 掲 書 』 第2章
(3>留
守政 府 と遣 外 使 節 団 と の 「約 定 」 は 第1款,御
「明 治6年 政 変 論 の検 討 」 を 参 照 の こ と。
盾 目的 差 異 を 生 ず べ か らず 。 第2款
くぺ か らず 。 第3,第4,第5款
両名連
用 書 並 び に 遣 外 の 旨趣 を 奉 じ,一 致 勉 力 し,議 論 矛
中 外要 用 の事 件 は 其 の時 々互 い に 報 告 し,1月
略,第6款
両 次 の書 信 は必 ず 欠
内地 事 務 は大 使 帰 国 の 上 に 大 に 改 正 す る 目的 な らば,其 間
可 成 丈 け 新 規 の改 正 を 為 す べ か らず,万 一 已 むを 得 ず して 改 正 す る 事 あ らば,派 出の 大 使 に 照 会 を なす
豪 し,第7款
略,第8款
諸 官 省 長 官 の欠 員 な る は別 に 任 ぜ ず,参 議 之 を 分 担 し,其 規 模 目的 を 変革 せ ず,
第9款
諸 官 省 とも勅 ・奏 ・判 を 論 ぜ ず,官 員 を増 す べ か らず,若
情 由 を 具 して 決 裁 を 乞 ふ べ し。第10款 第11款 第12款 略,明
閣 僚 名 連 署 井 上 馨 侯 伝 記 編 纂 会r世
し己 む を 得 ず し て増 員 を要 す る時 は真
治4年11月
外 井 上 公 儀 』第1巻,470∼472頁
太 政 大 臣 三 条 実 美 他17名 の参 議 ・
。
(257)明
治前期 殖産興業政策 の修正 と政商資本173
著 と して 「正 院 」 に殖 産 興 業 政 策 を 「開 明 ノ民 力上 ヲ重 ソズ ル ハ 實 ヲ以 テ スル モ ノ」 との二 つ の
開 明政 策 は進 ん だ が,実 を 以 て す る開 明政 策 の遅 れ を 指 摘 し,と くに 「開 明月 二費 ヲ増 シ,歳 入
常
(e)
二歳 出 ヲ償 フ」 「要 費 給 スル ヲ得 ベ カ ラザ レバ ,百 事 何 ヲ以 テ挙 ガル ヲ得 ンヤ 」 と財政 担 当 者
と して の立 場 か ら大 隈 な ど の開 明政 策 を批 判 して い る。 当 時 井 上 と大 隈 との対 立 の 争 点 は,政 府
財 政 と殖 産 興 業 政 策 推 進 の いず れ を優 先 させ る か とい う選 択 を め ぐる問 題 で あ っ た とい え る。 井
上 ・渋 沢 らは 政 府 財 政 の窮 迫 化 の も とで殖 産 興 業政 策 の 縮 小 ・修 正 を主 張 した の に 対 し,大 隈 は
政 府 財 政 を 殖 産 興 業 政 策 に従 属 させ て そ の 政 策 を 積 極 的 に持 続 推 進 す る こ とを 主 張 した 。 これ が
具 体 的 に 「定 額 金 」 の 問題 を め ぐって 工 部 省(大 隈)と 大 蔵 省(井 上)と の 対 立 の形 で現 れ て きた 。
表1明
省
明 治6年
歳 出 見 込(大 隈)
省 省 省 省 省 省 省 省 省 使
務 蔵 軍 軍 部 部 部 法 内 拓
外 大 陸 海 文 教 工司 宮 開
,
名
169千
治6年 の設出見 込 と決算
同
年
歳 出 決 算
円
191千
893
同年 決算に対す
る見込 の倍 率
円
1,114
829
0.9
6,159
※1,190
1.5
1,495
1.0
457
73
0.7
106
574
5.1
568
630
767
0.8
372
644
678
0.9
730
761
1.5
1,177
1)「 歳 出見 込 」 に つ い て は,r大
1,304
隈 重 信 関 係 文 書 』 第2巻
に よ る 。 明治5・6年
て は 「歳 入 出決 算 報 告 書 」 上(『 明 治 前 期 財政 経 済 史 料 集 成 』 第4巻)に
軍 省 の※ 印 は,陸
164千
0.8
※8,498
2,900
3)陸
0.9
1,800
ら0
位千 円未満四捨五入。
治5年
出 決 算:
8,000
1,300
2)単
明
歳
軍 費 ・陣 営 建 築 費 ・徴 兵 費 の合 計,海
円
438
の 「歳 出決 算 」 に つ い
よ る。
軍 省 の ※ 印 は,-海 軍 費 ・軍 艦 諸 費 の 合 計
を示す。
4)石
塚 裕 道 『日本 資 本 主 義 成 立 史 研 究 』34頁 よ り。
石 塚 裕 道 氏 の作 成 され た 明 治5年 歳 出決 算 と明 治6年 の 歳 出 見込 の 表1を 比 較 してみ る とそれ が
崩 確 に示 され て い る。 井 上 財 政 段 階 で の 明 治5年 の工 部 省 歳 出 決 算 で は56万8,000円
で あ った の
が 夫 隈 が大 蔵 卿 に就 任 した 明 治6年 の 歳 出 見 込 では2,900万 円 の5.1倍 が 計 上 され;(お り,大 隈 の
殖 産 興 業 政 策 の 積 極 的 な考 え 方 が 示 され て い る。 大 隈 は 工部 省 を 中 心 の 殖 産 興 業 政 策 を政 府 財 政
の 窮 迫 に も か か わ らず 積 極 的 に 予 算 要 求 を して 井 上 ・渋 沢 を 孤 立 させ ,井 上 財 政 を破 綻 させ て大
蔵 省 か ら辞 職 に追 いや っ た の で あ る。
.井上 ・渋 沢 の辞 職 後 留 守政 府 部 内 ρ動 き と政 局 の争 点 は岩 倉遣 外 使 節 団 の 帰 国 とあ い ま って 対
韓 政 策 へ と新 た な 局 面 を む か え る が・ そ の底 辺 に は殖 産 興 業 政 策 の 問 題 が 横 たわ っ て い た。 帰 国
'後
の大 久 保 の 行 動 が これ を 物 語 っ て い る。
(4)井
上 馨 侯 伝 記 編 纂 会 『前 掲 書 』,550∼558頁 。
174『
明 大 商 学 論 叢 』 第75巻 第2・3・4号(1992年9月)(258)
2大
久 保政 権(第2期
1873(明 治6)年5月
大 隈財 政)の 成 立 と大 久保,大 隈 の 殖 産 興 業 論
に 岩 倉 遣 外 使 節 団 と別 れ て一 足 先 に 帰 国 した 大 久 保 利 通 大 蔵 卿 は,翌6月
に井 上 大 蔵 大 輔 の 後任 と して 大 蔵 事 務 総裁 と して大 隈 を推 挙 し,大 蔵 省 の 実 権 を 掌 握 させ た。 こ
れ は井 上 財 政 段 階 に後 退 した 殖 産 興 業 政 策 を積 極的 に推 進 させ よ うとす る意 図 で あ り,そ の推 進
母 体 内 務 省 創 設 の布 石 で もあ った 。
岩 倉 遣 外 使 節 団 の帰 朝 を契 機 に 政 局 は急 激 に変 化 した 。10月 西 郷 ・板垣 ・江 藤 ら征 韓 派 参 議 は
政 府 を 去 り,大 久 保 に よる事 実 上 の 独 裁 政 権 が 成 立 して い った 。 大 久 保 は大 隈 を 大 蔵 卿 と し,伊
藤 を 工 部 卿 と して再 編 強 化 し,自 らは 新 た に 内務 省 を 創 設 し て 内務 卿 とな り,強 力 な 政 府 官 僚 体
制 を 確 立 した 。 内務 省 は1874(明 治7)年1月,大
蔵 省 か ら勧 業 ・戸 籍 ・駅 逓 ・土 木 ・地 理 の各 寮,;
司 法 省 か ら警 保 寮,東 京 警 視 庁,工 部 省 か ら測 量 司 な どを 移 管 させ て発 足 した。 内 務 行 政 の と く
に 重 要 な業 務 と した の は,大 蔵 省(勧 業寮)か らの 「全 国 農 工 商 ノ諸 業 ヲ勧 奨 確 実 盛 大 ナ ラ シム ル
ω
事 務 」 と,司 法 省(警 保寮)か らの 「人 民 ノ凶 害 ヲ予 防 シ其 権 利 ヲ保 守 シ其 健 康 ヲ看 護 シテ 営 業 二
②
安 ン シ生 命 ヲ保 全 セ シ メ」 「国 事 犯 ヲ隠 密 中 二深 捜 警 防 」 す る事 務 で は な い だ ろ うか。 大 久 保 は
官 僚 行 政 殖 産 興 業 政 策 の実 権 と行 政 警 察 権 の両 行政 を 掌 握 し,独 裁 的 政 権 の成 立 を は か っ た と見
る こ と が で き る。 内務 省 の勧 業 行 政 と警 察 行 政 の掌 握 は 当時 の 政 治 ・経 済 の要 を支 配 した とい え
る だ ろ う。
こ うして,大
久 保 は 中央 官 僚 行 政 機 構 内 務 省 を直 接 支 配 し,こ れ に 大 隈 の管 轄 す る大 蔵 省 と伊
藤 の 管 理 下 に あ る工部 省 とを 結 合 させ て,「 富 国 強 兵 」 の た め の 「殖 産 興 業 政 策 」 を 推進 さ せ て
い った 。
大 久 保 の 「殖 産 興 業 政 策 」 に関 す る 見解 は,明 治7年
に起 草 され た そ の 「建 議 書 」 の な か で も
っ と も端 的 に示 され て い る。 か れ の基 本 的 見解 は 「大 凡 国 ノ 強 弱 ハ 人 民 ノ貧 富 二 由 リ人 民 ノ貧 富
ハ物 産 ノ多 寡 二係 ル而 テ物 産 ノ多 寡 ハ人 民 ノ工 業 ヲ勉 励 ス ル ト否 サ ル トニ胚 胎 ス」 と 国家 の 富 強
が 国 民 の工 業 生 産 力 に あ る こ とを 強 調 し,従 来 の政 策 を 回顧 して,「 勧 業 殖 産 ノー 事 二至 リ テ ハ
未 タ全 ク其 効験 アル ヲ見 ス シ テ,民 産 国用 日二減 縮 スル ニ似 タ リ」とのべ,そ
の理 由 を 「政 府 政 官
ノ弦 二注 意 セ ス シ テ提 携 誘 導 ノ 力足 ラサ ル 」 と ころ に あ った と し,「 政 府 政 官 ノ誘 導 奨 励 ノカ ニ
(3)
依 ラサ ル 無 シ」 と,「 上 か ら」 の 資 本 主 義 育 成 へ の道 を歩 む こ とを説 い て い る。 また,こ の大 久 保
の 見 解 は イ ギ リス を は じめ と した 諸 外 国 の 先進 資本 主 義 の 富 強 策 を 引 用 し,と
りわ け イ ギ リス が
「我 邦 ノ地 形 及 天 然 ノ利 」 に 類 似 して い る こ とに着 目 して,「 僅 々 タル ー 外 国」 イ ギ リス が ,航 海
条 例(navigationacts)を
制 定 して 海 運 業 の保 護 と工 業 の 育成 に よ って 世 界 市 場 を 制 覇 した こ とを
力説 し,イ ギ リス 富 強 の 基 礎 が 「貿 易 」 と 「工 作」 に あ る こ とを 海 外 視 察 の体 験 で 見 出 して い る。'
(1)「 勧 業 寮 事 務 章 程 」 第1条,『
(2)「 警 保 寮 事 務 章 程 」 第1,3条,『
(3)立
法 規 分 類 大 全 』 第1編 官職 門7∼9,728頁
法 規 分 類 大 全』 第1編
官職 門7∼9,35頁
教 大 学 日本 史研 究会 編 纂 『大 久 保 利 通 文書 』 第5巻 吉 川 弘文 館,1970年
議 書 」561頁 。
。
。
所 収 「殖 産 興 業 に 関 す る 建
(259)明
治前期殖産興業政 策の修正 と政商 資本175
さ らに大 久 保 は,「 君 臣 一 致 シ其 国天 然 ノ利 二基 キ財 用 ヲ盛 大 ニ シ テ 国家 ノ根 底 固 フ ス ル ノ 偉績 」
を収 め た イ ギ リス に 日本 を近 接 す べ き こ とを 強 調 して い る。
こ う した 見 解 を 基 盤 に大 久 保 は 明治8年
の5月 「本 省 事 業 ノ 目的 ヲ定 ムル ノ議 」,「
商船 管 掌 事 務
(4)
之 儀 二付 伺 」 な ど の建 議 や 伺 い の な か で さ きの 殖 産 興 業 の理 論 を具 体 的政 策 と して 展 開 させ よ う
と した の で あ る。 「本 省 事 業 ノ 目的 ヲ定 ムル ノ議 」 の な か で,か れ は 従 来 の工 部 省 中心 に進 め ら
れ て きた 殖 産 興 業 政 策 を 「方 今 国勢 ノ趨 伺 日 二開 明 二進 ム ノ現 状 ア リ ト錐 モ,人 民 ノ生 理 日々凋
耗 二至 ル ノ実 害 ナ キ能 ハ ス」 と ヨー ロ ッパ の 汽 車 や 諸 器 械 な どの文 明 導 入 を 「開 明 」 化 と評 価 し
な が ら一 方 で 国 内 の在 来 産 業 が破 壊 され る な ど 「人 民 の 生 理 の凋 耗 」 が あ っ た と反 省 し,さ らに
輸 入 超 過 に よ る財 政 的 苦 境 を 指 摘 して い る。 そ して,か れ は この 経 済 的 苦 境 を 打 開 す る道 と して,
くママ 「旧 業 ヲ改 ル や乃 チ新 葉 ヲ奨 メ,斡 旋 ノ妙 用 ヲ尽 シ テ本 源 ノ実 力 ヲ養 ヒ,以 テ 之 二応 シ乗 除 平 均 ノ
術 ヲ講 セ サ ル ヘ カ ラス 」,す な わ ち 「殖 産 厚 生 ノ実 務 」・殖 産 興 業 政 策 の積 極 的 展 開 以 外 に な い こ
とを 強調 し,内 務 省 の 取 り組 む 緊 急 事 業 と して,1.樹
樹 木 栽培,3.地
方 取 り締 ま りの 整備,4.海
芸 ・牧 畜 ・農 工 商 業 の奨 励,2.山
運 の 開 発 の4項
林保存 ゼ
目を あげ て具 体 的実 施 計 画 を 示 した。
これ を受 け て大 隈 大 蔵 卿 が 「収 入支 出 ノ 源 流 ヲ清 マ シ 理 財 会 計 ノ根 本 ヲ立 ツル ノ議 」(7月),
「天 下 ノ経 済 ヲ謀 り国家 ノ会 計 ヲ立 ツ ル ノ 議 」(9月),「 国 家 理 財 ノ根 本 ヲ確 立 ス ル ノ議 」(10月)
(5)
な ど一 連 の財 政 建 議 を 行 った 。
1月 の 財 政 建 議 で は,「 国 家 理 財 ノ要 ハ収 入 支 出 ノ二 途 ヲ穿 墾 疏 通 シ,輸 出 入 ノ 万 品 ヲ シ テ 彼
此 互 二相 償 ハ シ ム ル」 で あ ろ うと した。 か れ は 具 体 的 政 策 と して 「海 関 ノ税 権 ヲ収 メ我 二帰 セ シ
メ,所 謂 保 護 税 法 ナル モ ノ ヲ施 行 ス ル 」 た め の 条 約 改正 を緊 急 で重 要 な政 策 で あ る こ とを 強 調 し,
(6)
そ の うえ で つ ぎ の 「5策1議 」 を 具 体 的 政 策 と して 提 案 した。
第1策
貿 易 品 に対 す る 権宜 の 税 法 を 設 け て 輸 出 入 を 平 均 し,併 せ て 関 税 と貿 易 業 者 に対 す る
高 率 の営 業 税 を賦 課 す る こ と。
第2策
外 国商 品 の輸 入 を 抑 制 し,あ わ せ て 国 内産 業 の保 護 を は か るた め,外 品 消 費 の もっ と
も大 きい 中 央 地 方 諸 官 庁 に対 して厳 諭 し,「 将 来 是 等 諸 庁 ノ需 要 物 品,大
小 トナ ク各 庁 必 用 ノ 要
具 ニ シテ 我 国未 タ製 造 し得 サ ル モ ノ ヲ除 ク ノ外,一 切 価 値 ノ 高低 二関 セス 厳 二其 輸 入 舶 来 二資 ル
ヲ禁 シ,強 メ テ 我 国 ノ 製 造 ヲ用 ヒ シ ム」 る こ と。
第3策
第2策
の具 体 的 な方 策 と して,「 外 国 二購 求 セ サ ル ヲ得 サ ル モ ノ ハ,我 大 蔵 省 ノ 回 評
二村 シ」,「代 償 償 却 ノ如 キ モ 亦 一 切 当省 二於 テ之 ヲ総括 弁理 セ シ ム」 る こ と。
第4策
「主 任 官 府 ヲ シテ 一 層 力 ヲ農 工 商 ノ奨 勧 及 ヒ鉱 硬 盛 大 ノ事 務 二用 ヒシ メ」,国 内 商 品
の需 要 を充 実 せ しめ る こ と。 しか し 「資 本 流 動 ノ源 枯 シ資増 殖 ノ道 絶 へ ,商 売 通 セ ス事 業 立 タス.
全 国 ノ疲 弊 タ ル抑 又 太 甚 シ」 とい う現 況 で は,農 工 商 な らび に 鉱 業 を 盛 ん にす るた め の資 本 を求
め る こ とは 困難 で あ り,「現 今 ノ擦 面 アタ リ其 手 ヲ下 シ多少 ノ効 験 ヲ見 ル ヘ キ モ ノ独 り内 債 新 起
(4)『
大 久 保 利 通 文 書 』 第6巻,363∼367頁
(5)早
大社 破 線
(6)同
上,105∼115頁
。
『大 隈 文 書 』 第3巻,1960年,18,21,24頁
。
収録。
176『
明大商 学論 叢』第75巻第2・3・4号(1992年9月)(260)
ノ 事 二如 クハ ナ シ」 と,内 債 募 集 を 具 体 的 資 本創 出政 策 とし て提 案 す る の で あ る。
第5策
「回 産 復生 ノ資 本 等 ヲ支 給 ス ル道 」す なわ ち,大 蔵 省 の殖 産 興 業 政 策 へ め資 本 投 資 の
方 策 は 「事 業 ノ緩 急軽 重 ヲ察 シ,費 途 ノ要 冗 ヲ詳 ラ カ ニ シ」 て実 施 し,官 営 事 業 を 民 間 資 本 に払
い 下 げ る 方 策 が 有 利 な も のは 「漸 次 之 ヲ然 ス ヘ キ商 社 等 二賞 与 下附 シ以 テ 上 下 ノ便 ヲ収 メル 」 べ
きで あ る と官 営 事 業 の 民 間 資 本 へ の払 い 下 げ方 針 を示 した。 そ の一 つ と して 「沿 海 運 漕 ノ便 利 ヲ
開 キ 内地 物 産 ノ融 通 ヲ為 」 す た め 「蓋 国 富貴 ノ柱 礎 」 と して海 運 事 業 に 対 す る政 府 の保 護 政 策 へ
の伏 線 が示 され て いる 。
1議
大 蔵 省 に 「管 商事 務 局 」 を 新 設 して,'「凡 ソ事 商 売 二関 渉 シ国 益 ヲ経 営 シ人 民 ノ 掌 握 二
帰 シ 国家 ノ保 護 ヲ要 ス ル ン モ ノ一 切 」 を この局 に管 理 させ,一
方勧 業 寮 を 勧 農 寮 に 改 め て農 業 の
指 導 ・管 理 させ て,殖 産 興 業 推 進 のた め の大 蔵 省 内 の機 構 を農 ・商 に 二 分 して 整 備 ・充 実 させ る
こ と を主 張 した 。
'以 上 は
第4,5策
,大 隈 の 「5策1議
」 の提 案 の概 略 であ る が,第1,2,3策
は 輸 入 抑 制 策 を 提 唱 し,
で殖 産 興業 政 策 へ の積 極 的 指 向 を示 し,大 久 保 政 権 へ の 「富 国 強 兵 」 政 策 路 線 を 支 援
す る 政 策 立 案 で あ った と見 て よ い。 大 隈 の殖 産 興 業 政 策 の主 張 は,「 我 邦 海 中 ノー 小 島 ヲ以 テ 一
方 二僻 在 シ其 地 形 タル 殆 ン ト英 国 二男 髭 」 と して お 鄭 「内 外 通 商 ノ事 ヲ以 テ其 先 務 ト為 ス 」 こ
とで あ る と,大 久 保 の 主張 と ま った く同 一 の 考え 方 に た っ て イ ギ リス を モ デ ル と した 「重 商 主 義
(Mercantilism)」 政 策 を指 向 して い た 。 か れ はそ の 建 議 の結 び と して 「其 要 旨 ノ在 ル所 復 タ強 メ
テ我 物 産 ヲ繁 殖 シ,商 工 ヲ振 興 シ,以 テ外 物 雑 至 ノ勢 ヲ圧 シ,現 貨 濫 出 ノ 富 ヲ防 キ,併
家 人 民 ヲ シテ富 貴 ヲ致 シ,産 業 ヲ保 チ 歳 入 税 額 又 随 テ増 多 ナル ヲ得,終
セテ 我 国
二理 財 ノ本 ヲ立 テ経 済 ノ
旨 ヲ貫 ヌ カ ン ト欲 スル ニ過 キ サ ル ノ ミ」 と。
つ ぎに 大 隈 は 「天下 ノ経 済 ヲ謀 り国家 ノ会 計 ヲ立 ツル ノ議 」 で殖 産 興 業政 策 と財 政 と の問 題 に
⑦
つ い て,同 じ年 の9月 に 次 の4項 目にわ た る具 体 的 政 策 の提 案 を した。
第1項
物 産 増 殖 ノ 源流 枯 レ,農 商 興 業 ノ効 績 起 ラス,輸
出入 ノ平 均 其 の 均 其 当 ヲ失 ヒ,現 貨
ノ溢 出 日 ニ一 日 ヨ リモ 甚 シ ク,随 テ全 国衰 微 税 額 赤 塚 小 ナル ヲ免 レザ ル 等 ノ如 キ 」 情 勢 を 打 開 す
る方 策 と して 「運 輸 ノ健 闘 ケス 金 融 ノ道 蔽 塞 スル ノ故 二過 キサ ル ノ ミ」 と第 一 に 運 輸 の 便 を 開 く
こ とを 提 案 した。 そ し て,そ の 財 源 を 「運 輸 ノ便 ヲ開 ク ノ道 ハ強 メ テ道 路,橋
梁,海 港,堤 防 其
他 二着 手 ス ル ニ在 リ,而 シテ是 等 一 般 公 共 ノ費 用 ハ 宜 シ ク新 タ ニ分 類 税 ヲ起 シ以 テ 費 用 干充 ツ」
べ きで あ る と運 輸 開発 資 金 を 新 税 「分 頭 税 」 で賄 う こ とを提 案 して い る 。
第2項
「金 融 ノ道 ヲ疎 通 ス ル ニ ハ,復 タ務 メ テ カ ヲ商 律 ノ事 二用 ヒ,商 法 裁 判所 ヲ設 置 シ専
ラ商 売 上 ノ保 護 ヲ謀ル 」 こ とを 主 張 し,さ
らに資 本 を 流 動 化 させ る た め に,大 蔵 省 出 納 寮 出 張 所
を各 地 に 増 置 し,そ の も とに 「利 附 預 金 所 」 「不動 産 預所 」 な どを官 設 して 「便 宜 儲 蔵 有余 ノ官 金
ヲ運 動 活 用 シ,以 テ農 商 其 他 ノ資 本 二供 シ,務 メ テ其 ノ功 沢 ヲシ テ 国 中 二普 遍 セ シ ム」 る こ とに
した い と提 唱 した。 か れ の この 項 で の 主 張 は,政 府 に よ る産 業 資 本 の保 護,監 督 の 必 要 性 を説 き,
(7)早
大社 研 編
『前 掲 書 』,121∼141頁
。
(261)明
治前期殖産興業政策 の修正 と政商資本177
しか も金 融 疎 通 の具 体 的 な 措 置 として は,国 民 財 産 の所 有,相
続,譲 渡 に 組 す る保 護 や,商 店 会
社 の分 散,「 鎖 店 」 に お け る処 分 を は じめ,諸 契 約,名 代 人 の諸 法 規 お よび 諸裁 判所 を 整 備 し,
と くに 金 銭 貸 借 上 の 裁 判 を 厳 正 にす る こ とで あ る と考 え て い る 。 す なわ ち,ブ ル ジ ョア的 な商 行
為 を厳 密 に 法 制 化 し,ま た 商 業 経 営 の法 的基 盤 を確 立 す る こ と に よ って 金 融 蔽 塞 を打 開 して い こ
(8}
うと い うわ け で あ る。
さ らに,大 隈 は こ の項 で 「勧 農 一 事 二至 テ ハ,前 議 痛 論 スル 所 ノ如 ク実 二 我邦 目今 ノ急 務 ニ シ
テ,筍 モ 能 ク之 ヲ奨 励 統 御 セサ レハ,則 チ物 産 増 殖 ノ源 忽 チ以 テ枯 乾 シ,国 家 富盛 ノ実 永 ク得 テ
期 ス ヘ カ ラサ ル ハ舎 テ論 セ ス,所 謂 現 今 ノ急 着(即
ノ 事)復
チ 輸 出入 ノ平 均 ヲ獲,現 貨 濫 出 ノ弊 害 ヲ救 フ
タ得 テ面 タ リ従 事 ス ル所 無 カ ラ ン」 と勧 農 の重 要 性 を 強 調 した。 か れ は,わ が 国 の重 要
輸 出 品 の茶 や 生 糸 な どの勧 農 を 強 化 して 輸 出 入 の不 均 衡 を是 正 して 現貨 の溢 出 を 防 ぎ,一 方 で 勧
農 政 策 に よ っ て 国 内商 品 の 生 産 性 を た か め て,運 輸 の便 を 開 き輸 出 の増 大 に 務 め る との 結 びつ き
を 考 え て いた 。 こ こに大 隈 の 殖 産 興 業 政 策 論 の一 端 を 見 る こ とが で き る。 か れ は 従 来 の工 部 省 を
中 心 とした 欧 米 諸 産 業 の形 態 的模 倣 移 植 を 改 め て 在 来 の農 村 工 業 に着 目 し,こ れ を 保 護 ・育成 し,
さ ら に,交 通 運 輸 の便 を 開 い て 全 国 市 場 を形 成 して 海 外 貿 易 へ と誘 導 して 国 富形 成 へ と政 策を 高
⑨
揚 させ て い く とい う新 殖 産 論 を 示 した ので あ る。
第3項
「国家 会 計 ノ要 ハ 復 タ歳 入 ヲ量 り費 途 ヲ節 シ,務 メテ其 剰 余 ヲ以 テ回 産 後 生 ノ 資本 二
供 ス ル ニ在 リ」 と説 き,つ ぎ の四 つ の事 項 の経 費 節 約 の実 施 を提 案 す る。 第1「 外 国 人 傭 使 ノ
事 」 冗 員 の淘 汰,新 傭 使 の禁 止 。 第2「 官 費 建 築 ノ事 」官 費建 築 の 家 屋 の建 築 制 限 。 第3「 諸 官
庁 用 度 ノ事 」 用 度 の節 約 。 第4「 海 陸 軍 士 官 兵 卒 並 巡 査 ノ衣 服 帽 履 二於 ケル 制 度 ノ事 」 輸 入 品 の
消 費 の大 きい軍 隊,警 察 にお け る費 用 節 約 と国産 品使 用 の 奨 励 。 最 後 の第4項
で は 「経 済 会計 ノ
要 ハ復 タ華 士 族 ノ家 禄 ヲ処 分 スル ニ在 リ」 と秩 禄処 分 を 提 唱 した 。 か れ の 見解 は,落 籍 を 奉還 し
て徴 兵制 が 実 施 され て い る現 状 で秩 禄 を存 続 す る こ とは 「名 実 ノ相 協 ザ ル 太 甚 シ ト謂 フヘ シ」 と
秩 禄 費 の 歳 入 へ の比 重 の高 さ(1/3の歳 入支出)を 指 摘 しな が ら,そ の公 債 化 を主 張 した 。 これ が い
わ ゆ る翌9年9月
の 「金 禄 公 債 証書 発 行 条例 」 発 行 の布 石 で あ った 。
大 隈 の 第3建 議 「国家 理 財 ノ根 本 ヲ確 立 ス ル ノ議 」 で はつ ぎ の具 体 的10項 を あ げ て 「:量
人為出
血ゆ
ノ理 」 に よる 国家 理 財 の 根 本 の 確 立 を 主 張 した 。
1「
凡 百 ノ官 費 務 メテ 節 約 」 す る こ と。
2「
銀 行及 ヒ類 似 ノ事 業 ヲ保 護 」 す る こ と。
3「
地 租 改 正 二於 イテ ハ 多 少 歳 入 減 却 ス ト難 モ耗 地 ノ・
税 ヲ減 」 す る こ と(地 租 軽 減 の減 税
を新 税 で補 うこ と も提 唱 して い る)。
4「
修 約 ヲ改 定 シ税 権 ソ ヲ国取 」 す る こ と。
(8)中
村尚美
(9)同
上,77頁
⑩
『大 隈 財 政 の 研 究 』 校 倉 書 房,1968年,96頁
早大社研編
。
『前 掲 書 』,142∼144頁
。
。
178『
明大商学論叢』第75巻 第2・3・4号(1992年9月)(262)
5「
諸 官 庁 ノ用 度 ハ 勉 メテ 内産 ヲ用 ヒ」 る こ と。
6「
税 関 二於 テ金 貨 ヲ収 税 ス ル ニ 目今 ノ際貿 易 銀 ト同 一 ノ価 格 ヲ以 テ収 入」 とす る こ と。
7諸
官 庁 二於 テ海 外 へ 金 銀 支 出 為換 等 ノ事件 ハ … … 大 蔵 省 へ 委 託 ス可 キ 事 」。
8「
外 債 償 却及 ヒ公 使 館 等 ノ費 用 ハ 予 テ 内産 ヲ輸 出 シ該地 二於 テ其 貯 金 ヲ以 テ 之 レ ニ充 ツ
可 キ 事 」 と,国 産 品 の輸 出 振 興 に よ る外債 償 却 を提 言 。
9「
諸 幣 ハ 現額 ヲ漸 次 償 却 スル 」 こ と,い お ゆ る不 換 紙 幣 の 償 却 で あ る。
10「
準 備 金 ハ 固有 ノ … … 金 貨 ハ 固 ヨ リ地 金 ノ数 モ 之 レ ヲ紙 塊 トシ漸 次 増 殖 紙 幣 ノ カ ヲ充 備
ス ル ヲ勉 強 ム 可 キ 事 」 と準 備 金 の充 実 を提 言 。
この10項 目提 言 で と くに注 目 され る の は,9と10の
イ ン フ レ対 策 とし て不 換 紙 幣償 却 の対 策 を
打 ちだ して い る こ とで あ る。
ω
大 隈 の最 後 の財 政 建 議 「通 財 局 ヲ設 ケル ノ建 議 」 で は,財 政 窮 迫 の原 因 と して 次 の 「5弊 」 を
あ げ,こ れ を 救 う 「1策 」 と して 大 蔵 省 に 通 財 局 を 設 置 す る こ とを 建 議 した の で あ る。
財 政 窮 迫 の 「5弊 」 とは,1.外
品 輸 入 に よ る金貨 溢 出,2.貨
判 」 の未 確 立 に よ る資 金 不 足 と高 率 金利,4.地
幣 の絶 対 量 の不 足,3.「
租 金 納 化 に よ る農 民 の窮 乏,5.民
慣 行 禁 止 に よ る金 融窮 迫(島 田,小 野組の倒産を例示 としてあげ る)の5つ
貸 借 ノ裁
間 資 本 へ の貸 借
で あ る。 これ ら の 「5弊 」
を 救:う措 置 と して 「大 蔵 省 中 二於 テ通 財 局 ヲ置 キ凡 ソ国税6千 万 円 ノ 半 租 毎 歳12月 徴 収 ノ規 定 ア
ル ヲ以 テ其 租 額 二充 テ3千 万 円 ノ預 り手 形 ヲ発行 シ貸 付 並 二預 リ金 ノ法 ヲ設 ケ財 貨 ヲ通 暢 流 達 シ
テ人 民 ノ気 血 国家 ノ精 神 ヲ愛 護 ス ル ニ如 ハ ナ シ則 チ 産 業 自 カ ラ振 起 ス ベ シ物 品 自 カ ラ 増 殖 ス ベ
シ」 と通 財 局 を 設 け る こ とを 建 議 した。 これ は 政府 の 金 融 統 制 機 関 の も とで,国 税 を担 保 に 短 期
国 債 を発 行 し,こ れ を 運 用 して 国 内 金 融 の 疎 通 を は か る こ とを 指 向 した もの で,大 隈 の財 政 危 機
に 対 す る 考 え 方 は,国 内産 業 の未 発 達 → 輸 入 増 加 → 金 銀 貨 の海 外 濫 出→ 正:貨欠 乏 → 金 融 蔽 塞 とい
う連 環 した も の で,こ
以 上 明 治8年
こで 一 つ の 具 体 的 金 融 財 政 政 策 を示 した もの で あ る。
に提 出 され た大 隈 の4つ
の財 政 建 議 の分 析 か ら,大 久 保 体 制 の も とで 展 開 され よ
うと して い る殖 産 興業 政 策 の 具 体 的 な手 掛 か りをつ か む こ とが で きた。 大 隈 の財 政 論 が大 久保 の
殖 産 興 業 政 策 論 に 照応 させ なが ら展 開 され て お り,こ の大 久 保 内務,大 隈 大 蔵 の コ ン ビで進 め ら
れ る殖 産 興 業 政 策 の実 態 を つ ぎに 見 て い きた い。
3大
久 保 政 権 の 殖 産 興 業 政 策 と政 商 資 本
大 久 保 ・大 隈 の新 殖 産 論 を基 礎 に,そ
ど の政 治 的 内乱 が鎮 静 した 明 治8(1875)年
の政 策 が 本 格 的 に 展 開 され た の は佐 賀 の乱,征
台の役な
以 降 であ っ た。 そ の政 策 は 旧初 期 殖 産 興 業 政 策 の 全 面
的 変 更 ・廃 棄 で は な く,修 正 ・補 充 のか た ち で進 め られ て い った。
そ の 修 正 は,宿 駅,回 漕 ・通 商,為 替 業 務 な どの流 通分 野 で 行 わ れ た 。 明 治 初 期 の宿 駅 政 策 は
(ii早
⑫
大 社 研 編 『前 掲 書 』,158∼162頁
中村 尚 美 『前 掲 書 』,99頁 。
。
(263)明
治前期殖産興業政 策の修正 と政商 資本179
幕 政 時 代 の 宿 ・助 郷 制 度 を継 承 し,道 路,輸 送 の 管 理 ・運 営 は 政 府 専 有 主 義 政 策 の も とで 行わ れ
て い た。 た とえ ば,公 用 通 行 の定 賃 銭 と人 馬 遺 高 は 旧幕 時 代 の も の が適 用 され た り,助 郷 賦 後 も
駅 逓 司 布 告 に よ って 継 続 され,ま た,各 宿 の問 屋 場 も太 政 官 布 告 に よ って 伝 馬 所 と改 め られ て駅
逓 司 や 地 方 官 員 が常 駐 す る な どの直 轄 政 策 が と られ て いた 。 しか し,こ
うした 政策 に対 し,戊 辰
戦 後 の商 品 経 済 の 発 展 と輸送 需 要 の増 大 な どを 背 景 と して 宿 郷 住 民 の抵 抗 を よび,政 府 は 宿駅 制
度 の 修 正 を 余 儀 な くされ た。 これ が,明 治4(1871)年
が ら翌5(1872)年
にがけて行われた各駅陸
運 会 社 の設 立 と専 掌 業 務 の 委 任,通 運 独 占付 与 政 策 の変 更 で あ った。 しか し,こ の 政 策 に よって
政 府 専 掌 が 一 般 的 自由政 策 へ転 換 した こ とを 意 味 す る の で は な く,専 掌 業 務 の特 許 な い し,特 定
運 送 資 本 へ の保 護 育 成 政 策 へ 変 更 した にす ぎな い。 した が っ て,街 道 に お け る 伝馬 所,助
止 され 駅逓 寮 お よび 地 方 官 員,宿
役 人 に よ って 管 理 ・運 営 され て い た道 路 運送 業 務 が 各 駅 に設 立
され た 旧飛 脚 問 屋 を 中 心 と した 陸 運 会 社 に委 任 され た に す ぎ なか った 。 明治6(1873)年
太 政 官 布告 第230号
郷 は廃
の6月 の
は,湖 沼,河 川 をふ くむ全 国 的 な通 運 独 占の 付 与 を特 権 的 陸 運 会 社 に 与 え る
こ とを 認 め た もの で あ る。
こ う した 陸 運 政 策 を 内 務 省 は,明 治8年4月
「諸 道 各 駅 二於 ケル 陸 運 会 社 ノ儀 ハ 多 ク ハ官 ノ誘
勧 ヲ以 結 社 候 ヨ リ,往 々私 令 ノ体 裁 ヲ失 シ不 都 合 二付,本 年5月31日
限 リ総 テ解 社 申付,此
旨布
(1>
達 候 事 」 と布 達 申第7号
に よ って 各駅 陸 運 会 社 の解 散 を 命 じた。 解 散 した これ らの 会 社 は,内 務
省 に よ って あ らた に通 運 継 立 業 の免 許 を 与 え られ,特 権 的 運 送 独 占企 業 へ と脱 皮 して い った の で
あ る 。 これ は無 入札 制 に よっ て毎 年 更 新 され る政 府 の下 請 業 務 の よ うな 実 質 的 独 占 事 業 で あ る。
つ ぎに,沿 岸 海 運 事 業 廻 漕 問題 を 見 て み た い 。 明 治 政 府 は 明治3(1870)年2月,日
本 の沿 岸 航
路 を 独 占 し よ う として い た ア メ リカ太 平洋 汽船 会 社 に対 抗 す る た め に,三 井 組 を は じめ 有 力 な廻
船 問 屋,飛
脚 問 屋 な どを 頭 取 と した半 官 半 民 の廻 漕 会 社 を 設 け,通 商 司 の 監督 の も と沿 岸 海 運 事
業 を 行 った。 しか し,運 航 した 船 が政 府,諸 藩 の老 朽船 で,外 国 船 や 新 し く発 足 した 九 十 九 商会
な ど との 競 争 に 敗 れ て 廻 漕 会 社 は一 年 持 ち 堪 え る こ とな く閉 店 した。 政 府 は 明 治4年1月
郵船 民
営 化 政 策 を 打 ち 出 し,三 井,小 野 組 を 中心 と した 「廻 漕 取 扱 所 」 にそ の業 務 を継 承 させ た。 これ
が 廃 藩 置 県後 の11月 に 「郵 便 蒸 汽 船 会 社 」 に 改 称 した が,こ の 民 営 海 運 会 社 に政 府 は手 厚 い 保護
を 与xた 。 諸 藩 か ら宮 腹 した 汽 船 を 永 年 年 賦 で 貸 し下 げ た り,年 額6,000円
の補 助 金 を 与 え,さ
ら に一 切 の貢 米 運 送 を 委 託 す る約 定 を 結 ぶ な ど政 府 専:掌主 義 か ら特 定 資 本 の 保 護 政 策 へ と移 りつ
つ あ った 。しか し,同 社 は こ う した政 府 の 助 成 に もか か わ らず,明 治8年9月,船
租 改 正 に よ る石 代 金 納 化 な ど に よ っ て 三菱 蒸 汽 船 会 社(明 治7年,九+九
舶 の老 朽 化や 地
・三菱 商会廻漕 店か ら改称)
や 外 国船 舶会 社 の 競争 に 耐 え る こ とが で きず,所 有 船 舶 な どを政 府 に 売 り渡 し解 散 した 。
そ の年 の5月,先
節 で み た 大 久 保 内務 卿 に よ る 「商船 管 掌 事 務 之 儀 二付 伺 イ」 が 太 政 官 に提 出
され,海 運 事 業 の民 営 保 護 主義 政 策 が 採 用 決 定 して いた 。 した が って,郵 便 蒸 汽船 会 社 の破 綻 後
の 海 運 政 策 の政 府 の重 点 が 三 菱 蒸 汽 船 会 社 の助 成 に 集 中 す る こ と とな った 。
三 菱 に対 す る,政 府 の 保 護政 策 は 明 治7(1874)年2月
(1)「 運輸 ・駅逓事務章程」『法規分 類大全 』,356頁。
の 「佐 賀 の乱 」,4月
の 「征 台 の役 」 の
180『
明大商学論 叢』第75巻第2・3・4号(1992年9月)(264)
と きす で に始 め られ て お り,三 菱 蒸 汽 船 会 社 発 展 の基 盤 も築 かれ て い た。 佐 賀 の 乱 に お け る三 菱
商 会 の 軍 需 輸 送 へ の 強 力 は,三 菱 の 「政 商 」 と して の 明 治政 府 へ の結 合 の 第 一 歩 を しるす もの で
あ り,征 台 の 役 に お け る 三 菱i蒸汽 船 会 社 の積 極 的活 動 は岩 崎,大 久保,大
隈の固い人脈的結合 で
あ り,三 菱 の 「政 商」 と して の不 動 の地 位 の確 立 で あ った とい え るだ ろ う。 政 府 は 征 台 の 役 後 軍
事:輸送 の た め 購 入 した 外 国船13隻 を 無 償 で三 菱 に払 い下 げ,さ
らに郵 便 蒸 汽船 会 社 解 散 後 の9月
に は政 府 の 買 上 げ船18隻 と1カ 年25万 円 の運 航 費 助 成 金 の下 付 の特 権 を 「第一 命 令 書 」 政 府 保 護
会社 と
の
して 与 え られ る こ とに な った 。
この と き三 菱 は 保護 会 社 とな る た め,内 務 省 駅逓 局 の指 導 に よ っ て社 内 の体 制 を 整 備 し,「 郵
便 汽船 三 菱 会 社 」 と改 称 した 。 政 府 の三 菱 へ の保 護 政 策 は航 路 開 拓 に 当 た っ て 続 け られ,向
15年 毎 年25万 円 の運 航 費 助 成 金 と年1万5,000円
こう
の海 員 養 成 助 成 金 と し交 付 した 。また 政 府 は8年
度 の一 般 会 計 か ら81万6,000円 を 貸 し下 げ て,ア メ リカ太 平 洋 汽 船 会 社 上 海 支 線 の船 舶 や 上 海 ・神
戸 に あ る倉 庫 な どを三 菱 に買 い取 らせ た。 そ の うえ,『明 治10(1877)年 の西 南 戦 争 で は政 府 は 三菱
に70万 ドル を 貸 し下 げ て 外 国 船10隻 を購 入 し,貸 与 した。 明 治8(1875)年
か ら明治16(1883)年 に
い た る ま で,政 府 か ら三菱 に 与 え られ た助 成 金 ・貸 下 金 は お よそ800万 円 に のぼ り,そ の うち390
万 円 は 返 済 され ず,そ の他 の もの は無 利 息 ま た は2%な
い し5%の 低 利 で10年 な い し50年 賦 返 済
で あ った 。 この 三菱 へ の 露骨 な政 府 の保 護 政 策 は,萌 治15(1882)年 に この 政 策 に対 す る世 論 の非
難 に よ って 設 立 した半 官 半民 の 「共 同 運 送 会 社 」の 誕 生 ま で続 い た。 この大 久 保 ・大 隈 体 制 に よ
る海 運 政 策 は外 国 商船 の駆 逐 とい う国 家 的 要 請 を 「隠 れ 蓑 」 と して進 め られ た 特 定 資 本 の保 護 政
策 は ま さに 大 久 保 ・大 隈 体 制 で の 殖 産 興 業 政 策 を象 徴 す る もの で あ っ た とい え るだ ろ う。
こ の よ うな政 策 の特 徴 は,賓 易 政 策 や 府 県 為 替 方 業 務 ,貢 米 冗 請 業 務 な どの 分野 に も顕 著 に現
れ ていた。
まず,大
久 保 ・大 隈 体 制 に お け る貿 易 政 策 は 先 の 大 隈 の 「5策1議
」 に示 され た よ うに一 つ は
「原 貨 濫 出」 を 防 止 す る た め の 外 貨 輸 入制 限 と,国 産 品輸 出 の積 極 的 な量 的 ・質 的 拡 大 政 策 で あ
った 。 明 治7,8年
た め の資 本 財,さ
に お け る外 貨 輸 入 の年 間 総 額 は 鉄 ・機 械 類 ・兵 器 な ど の工 業 化 や軍 備 充 実 の ・
らに 綿 糸 綿 織 物 な ど の消 費 財 な ど年 間2,000万
円 以 上 に も のぼ っ て い た。 しか
し,政 府 は これ ら外貨 輸 入 を 「富 国強 兵 政 策 」 遂行 の た め に も全 面 的 に中 止 す る こ とが で きず ,
政 府 の統 制 に よ る外貨 の 重 点 的 輸 入 を は か る と い う積 極 的 正貨 流 出 防 止 政 策 しか なが つ た。 した
が って,貿 易 政 策 の重 点 は 国 産 の輸 出増 大 策 に 集 中 せ ざる を え な か った 。
明 治8年
内 務卿 大 久 保利 通 は 太 政 大 臣三 条実 美に 「海 外 直 売 ノ茎 菜 ヲ開 ク ノ議 」 を 提 出 し,本
邦 物 産 の 輪 中, .海外市 場 の 調 査,,本 邦 商 人 の貿 易 業 務 習 熱 な どを はか る た め に 直 輸 出 会 社(資 本
金
く
の
50万 円'C3C万 は政府 出資)を 設 立 す る こ とを建 議 した 。 さ らに,大 久 保 は大 蔵 卿 大 隈重 信 と連 署
で 「輸 出物 品 ヲ以 テ外 債 償 却 ノ 儀 二付 伺 」 を 引 き紡 ぎ建 議 し,外 債 償 却 の た め に必 要 な 外 貨 を
(2)『
大 久 保 利 通 文 書 』 第6巻,416∼423頁
(3)『
歳 入 出 決 算 報 告 書 』 上,178,188∼189頁
(4)『
大 久 保 利 通 文 書 』 第6巻,456∼482頁
。
。
。
(265)明
治前期 殖産興業政 策の修正 と政商 資本181
輸 出 品 代 金 に よ っ て調 達 し,そ の た め に 国 債 寮 と勧 業 寮 が分 担 す る 政 府 の 「官 営 貿 易 」 政 策 の展
開 を 提 案 した。 そ の 時 の 外債 償 却 は 明 治3年 イ ギ リス で 募 集 した 運 輸 殖 産 振 興 を 目的 と した9分
利 付 外 債100万 ポ ン ド(邦貨488万 円)と 明治6年
の 秩 禄 奉 還 者 の就 業 資 金 調 達 の た め の7分 利 付 外
債240万 ポ ン ド(邦 貨1,171万 円)に 対 す る償 還,利 子 な どで あ り;明 治8年 度 だ け で も元利 併 せ て
37万4,000ポ
ン ド(約183万円)の 外 債 償 却 に達 して い た 。した が って,直 輸 出 政 策 の基 本 綱 領 と し
て,政 府 は 太 政 官 裁 可 の11月 に 「外 国 公債 償 却 ノー 法 施 設 二付 キ其 目的 方 法 ヲ提 ケ 内務 大 蔵 省 ノ
規 約 」 を 定 め,「 我 国所 産 所 有 ノ諸 物 品 ヲ英 国地 方 へ 運 輸 シテ 売 繋 シ,其 代 金 ヲ以 公 債 元 利 ノ償
二充 テ若 シク ハ便 宜 外 国 品購 求 ノ仕 払 二流 用 シ,以 テ 現金 払 出 シ ニ於 ケル 諸 弊 害(即 チ現貨溢 出ノ
患為替湘 場 ノ不都合其他)ヲ
救 済 シ,労 内 国 中 二於 ケ ル物 産 融通 ノ媒 介 ヲ為 シ,工 業 奨 励 ノ基礎 ヲ
立 ツ ル」 こ とを 目的 と した 具 体 的 な政 策 を示 した。 政 府 は この 政 策 を 達 成 す るた め に,裁 可 され
た 明治9(1876)年
内 務 省 勧 業 寮 か ら富 田冬 三,大 蔵 省 租税 寮 か ら南 保 を イ ギ リス の市 場 調 査 に 派
遣 し,そ の 報 告 に も とづ い て,生 糸,茶
の直 輸 出 の た め の 試 売,米 穀 の直 輸 出 を実 施 した 。 生 糸,
茶 の直 輸 出 は フ ィ ラデ ル フ ィア万 国 博 覧 会 の 開催 を 機 に これ ら の商 品 を 同展 に 出 品 して,直 輸 出
の勧 誘 に つ とめ,米 穀 輸 出 につ いて は政 府 の手 持 ち の 買 収 米 を 横 浜 在 留 の イ ギ リス 人 ワ ッ トソ ソ
(B.E,Watson)に
三 井 組 を通 じて50万 石 を 依 託 輸 出 した。 さ らに 翌10(1877)年 に は 約30万 石 を 三
井 物 産 会 社 に 依 託 して ロン ドンを は じめ ヨー ロ ッパ 各 地 に 輸 出 した 。 しか し,輸 出 米 平 均 元 価 石
当 た り5,433円 に対 し,販 売 価 格 石 当 た り4,345円 で 差 引 き1,088円
の 損 失 とな り,50万 石 で合 計
55万4,000円,10年
度 分 の30万 石 は10万5,000円 の 損 失 とな って,当 初 の貢 米 直 輸 出政 策 は 結 果 に
⑥
お い て 失 敗 した 。
こ の損 失 した貢 米直 輸 出 に対 して,政 府 部 内 で は 「今 や前 面 回 輸 出 ノ如 キ 現 貨 二替 ル モ ノナ レ
く
の
ハ,陰 二級 弊 ノ価 位 ヲ保 ツー 得 ア リテ,敢 テ現 算 ノ損 失 而 己 ヲ論 ス ヘ カ ラサ ル ナ リ」 とす る大 蔵
省 出納 頭 株 信 之 な どの 見 解 が あ り,大 久 保 体 制 期 に お け る 貿 易 金 融 政 策 を は じめ,殖 産 興 業政 策
を検 討 す るた め の重 要 な鍵 を握 って い るの で は な いだ ろ うか。
この大 久 保 政 権 の 「輸 入 防 邊 」 政 策 は,深 刻 な 貿 易 面 で の異 常 な入 超 に対 す る もの で あ る と共
に,海 外 諸 国 の視 察 の 成 果 に よる 「民 産 厚 殖 ・民 業 振 励 」 を も意 図 と し た農 牧 業 振 興 策 で もあ った
と理 解 して い いだ ろ う。 内務 省 の勧 業 寮 は 「全 国 農 工 商 ノ諸 業 ヲ勧 奨 確 実 盛 大 ナ ラ シ ムル 」 こ と
を 目的 に 設 置 され,勧 農,牧 畜,製
は 内藤 新 宿 試 験 場,駒
糸,綿 毛 織 物 生産 な どの 諸 事 業 を 統 合 管 理 した 。 勧 農 部 門 で
場 農 学校 を 設 立 し,内 外 品 種農 産物 の 栽 培 お よび 外 国 農 具 の試 用,各 府 県
へ の それ らの 貸 与,養 蚕 ・製 糸 ・製 茶 の試 験 が 行 わ れ,牧 畜 部 門 で は 下 総 牧 羊 場 を 開 拓 して 輸 入
羊 の増 殖 が試 み られ,製 糸,織 物 な どの 農 産 加 工 部 門 で は大 蔵 省 か ら富 岡 製糸 場 と堺紡 績 所 を 引
き継 ぎ,新 た に新 町 屑 糸 紡 績所 ・千 住 製 絨 所 ・愛 知 紡 績 所 ・広 島紡 績 所 ・紋 騒 製 糖 所 を 設 立 した 。
(5)『 大 久 保 利 通 文 書 』 第6巻,462∼464頁
(6)r大
(7)大
隈 文 書 』 第4巻,259頁
。
。
蔵 省 出納 頭 林 信 之 「米 穀 輸 出経 験 談 」 『大 隈 文 書 』 第4巻 所 収 。
(8)「 勧 業 寮 事 務 章 程」 『法 規 分 類 大 全 』 第1編,728頁
。
182『
明大商 学論叢』第75巻 第2・3・4号(1992年9・ 月)(266)
これ らの 内 務 省 勧 業 は 輸 入 防 遇 ・民 業 振 興 の 要 請 を 前 提 と して 進 め られ た が,伝 統 的 な小 農経 営
を 基 礎 とす る 日本 農 業 に対 して,大
きな:成果 は 期待 で き なか っ た。
内 務 省 の 勧 業 拡 大 政 策 は,一 方 で工 部 省 時代 に お け る官 営 事:業の 縮 小 を もた らす 殖 産 興 業政 策
の大 幅 な修 正 と な って 現 れ て きた 。
工 部 省 事 業 に つ い て は 早 くか ら,経 営 上 の不 振 に加 え て廃 藩 置 県後 の 深 刻 な財 政 難 や 貿 易 収 支
の 悪 化 な ど に よ って,大 蔵 省 を は じめ とす る政 府 部 内 の批 判 が 高 ま って い った 。 と くに鉄 道,鉱
山 事 業 に対 す る政 策修 正 の気 運 は 高 ま りを 示 してい た 。 明治8年1月
の大 蔵 卿 大 隈 に よ る工 部 省
の 官 営 事 業 の民 間 へ の払 い下 げ政 策 の 表 明 がそ れ を 象徴 し て い る だ ろ う。
工 部 省 の官 営 事 業 の 民 間 へ の払 い下 げ へ の 修 正政 策 は 鉄 道 事 業 か ら具 体 化 した。 鉄 道 事 業 に 対
す る 民 間 資 本 の 関 心 は,す で に 明 治5年
ご ろか ら鉄 道 建 設 請 願 の形 式 で示 され て い た。 明 治5年
5月 横 浜 の豪 商 高 島嘉 右 衛 門 か ら提 出 され た東 京 一 青 森 間鉄 道 建 設 の 請 願,同 年10月 大 阪 府 の鴻
池 善 右 衛 門,和 田 久左 衛 門,高 木 五 兵 衛 らの 豪農 か ら提 出 され た 阪 堺 鉄 道 建 設 の請 願,さ
6年3月
徳 川 摩 勝,松 平 慶永,伊
らに 翌
達 宗 城 ら旧藩 主 か らの東 京 一 青森 間 の 同 様 の請 願 がそ れ で あ る。
しか し,こ れ ら の請 願 は政 府 の官 業 直 営 主 義 に よ って 却 下 され て い た が,大 久 保,大 隈 体 制 の政
策 の 修 正 に よ って,8年1月23日
か ら の京 浜 鉄 道 払 い下 値
の堺 県 大 塚 三 郎平 らの 阪 堺 鉄 道 建 設 請 願,同10月12日
願 に対 し,太 館
の 民 間 資 本 へ の 鉄 道 建 設,払
の認 可 力・
与 え られ る 。 とに な 翼
華族組合
.し か し,。 紡
い下 げ 計 画 は 資 金 調達 の 失 敗 に よ っ て実 現 せ ず ,鉄 道 民営 建 設 は 明
治10年 代 後 半 まで 待 つ こ とに な っ た が,工 部 省 事業 の縮 小,官 営 方 針 の変 更 とい う殖産 興 業 政 策
の修 正 を 意 味 す る こ とで あ った 。 事 実,工 部 省 関係 の政 府 経 費 が 明 治7年1月
190億1・・万 円 か ら1・年7月
∼13年6総
計45億86万 円 へ と髄
∼10年6月
、.減少 して 繊
総 計
明 治13年11月 の
「工 場 払 い 下 げ 概 則 」 の公 布,工 部 省 の廃 止 へ の重 要 な布 石 で あ っ た とい え る だ ろ う。
つ い で,工 部 省 事業 の な か で 鉄 道 に つ い で 多額 の経 費 を必 要 と した 鉱 山 部 門 の大 久 保 政 策 を 見
る こ とに す る。 工 部 省 興 業 費 の支 出 の なか で,鉄 道 につ い で 多額 の経 費 を 必要 と した の が鉱 山部
門 で あ っ た。 工 部 省を 中心 に展 開 され た 明 治 政 府 の 鉱 業 政 策 は,旧 幕 府 の鉱 山 政 策 を踏 襲 して 出
発 し,廃 藩 置 県 と鉱 山 官 民 区分 を指 示 した 明 治5(1872)年
の 「鉱 山心 得 書 」,さらに 翌6年
の重 要
鉱 山 の 国家 権 力へ の移 管 ・集 中 を規 定 した 「日本 坑 法 」 制 定 とい う鉱 山行 政 の 流 れ のな か で,大
久 保 政 権 の 鉱 山政 策 が 進 め られ る。 大 久 保 政 権 は 「『日本 坑 法 』に含 まれ る政 府r王
有権』の規定
,と,鉱 山経 営 か ら外 国 人 と外 国 資 本 を排 除 す る とい う本 国 人 主 義 の採 用 な ど に裏 付 け られ て,後
進資本蟻 国の願 的翻 の醗 点にみあう糊 主難 典の体系凸 の実現を背景 に朋
(1874)年 釜 石 鉱 山 の創 業 開 始,11(1878)年
治7
の 中 小坂 鉱 山 の 官 収 と三 池 炭 坑 の本 格 的 採 炭 を 始 め る
な ど 「鉄 と石 炭 」 を 中 心 と した 鉱 山 政 策 を押 し進 めた 。 こ の鉱 山,炭 坑 の 政 策 は 資 本 主 義 列 強 の
外 圧 の も とで 「国 際 的契 機 と軍 事 的 契 機 」 の歴 史的 要 件 で あ り,「新 政 府 が 一 部 の 旧 幕 府 ・諸 藩
(9)鉄
道 省 編 『日本鉄 道史 』 上 編,335∼336頁
。
⑩
「工部 省 沿 革 報 告 」 『明治 前期 財 政 経 済 史 料 集 成 』17巻,130頁
⑪
石 塚 裕道 『日本 資 本 主 義 成 立史 研 究 』 吉 川 弘 文 館,1973年,250頁
。
。
一
(267)明
経 常 歳 出
常
中
央
臨 時 歳 出
用
部
財
別 途 金
政
工
治 前期 殖産 興 業 政 策 の修 正 と政 商 資 本183
表2殖
産 興 業 関 係 資 金 の 内 訳(単
1867(慶 応3)
12-1873.12
部
省A
1879.1
-1880
1,406
内 務 省 勧 業 寮B
農 商 務 省C
開
拓
使
営業資本 欠 願 補 填
2,554
15,793
勧
業
合
合
計
2,704
15,401
2,734
391
3,124
4,933
4,933
3,543
18,133
404
13,452
4,071
.3
11,291
448
官 営 事 業 諸 費D
開 拓 事 業 費
貸
付
金
勧 業 資 本(府 県へ)
会 社 補 助 金
県
1880.7
-1886
.6
12,037
852
23,692
52,936
560
25,914
4,631
6,850
455
148
32,912
356
1,472
228
683
1,116
準
備
金
起
業
基
金
中 山道鉄 道公債 支出
勧業資本金 ・委 託金
地方財政1府
位:千 円,未 満四 捨五入)
9,790*
48,474
58,263
1>610
10,683
12,293
299
299
1,842
1,842
費1-125711・38711,649
計1・0・921・0,371【
・8,8551・
・9,419
A+B+・+Dl・7,19fl・7,476131・72・1・6,399
1)石
塚 裕 道 『日本資 本 主 義 成 立 史 研 究 』(吉 川 弘 文 館,1973年)130∼131頁
2)臨
時 歳 出 の 貸 出 金 は,救 助 貸,石
3)準
備 金(*)は1877年7月(第5次
4)石
井 寛 治 『日本 経 済 史』(東 京 大 学 出版 会,1976年)73頁
高 貸,勧
よ り作 成 。
業 貸 の合 計 。
準 備 金 規 則 改 正)以
降 の分 で あ り,そ れ 以前 の支 出 は 含 まれ て い な い 。
。
⑫
直 営 の軍 事 工 場 を結 集 ・再 編 す る過 程 」 で あ る釜 石 製 鉄 所 の創 業 に み られ る よ うに,「採 鉱 ∼精 練
⑬
冶 金 ∼ 造 機 ∼ 鋳 砲 ・造船 の 図 式 に 要 約 され る総 合 的 な軍 事 工 業 技 術 体 系 の 達 成 が 具 体 化 」 した こ
とに と くに 注 目 して お く必 要 が あ るだ ろ う。 明治6年7月
年5月
官 収 した 釜 石 鉄 山 で は,明 治8(1875)
に陸 ・海 軍 省 と工 部 省 の 享 省 共 同 に よ る一 大 製 鉄 所 の建 設 構 想 を 立 て,溶 鉱 炉 ・
付 属 施設 ・
運 送 手 段 の鉄 道 施設 工 事 な どを 東 京 ・大 阪 両 砲 兵 工 廠 と横 須 賀 造船 所 の 三 大 官 営 軍 事 工 場 と結 び
つ け る 総合 的 な軍 事 工 業 技 術 の 体 系 と結 び つ け る 総合 的 な軍 事 工 業 技 術 の体 系 化 を図 りな が ら建
⑭
設 が進 め られ た 。 この 期 に 工 作 肩 下 に統 轄 され た長 崎 ・兵 庫 造 船所,赤
羽 ・深 川 機 械 ・セ メ ン ト
・白 煉 瓦 工 作所 ,品 川 硝 子 製 造 所 の五 工 場 も これ と連 動 した軍 事 関 連 産 業 ・根 幹 産 業 の創 設 ・管
理 政 策 の 一 環 と して 理 解 す る こ とが で き る。
つ ぎに,こ れ ら の大 久 保 体 制 下 の も とで の殖 産 興 業 関 係 資 金 が ど の よ うに運 用 され て い た の か
を 見 て お く必 要 が あ るだ ろ う。 政 府 勧 業 関 係 資 金 の 歳 出 内 訳 を 見 る と,表2に
用 部(一 般会計)の
「貸 付 金 」 と別途 金(特 別会計)の
㈱
石 塚 裕 道 『前 掲 書 』,252頁 。
鱒
同書,256頁
⑭r現
「準 備 金 」 よ り主 に運 用 され て お り,明 治9
。
代 日本 産 業 発 達 史 』N,鉄
鋼,文
示 した よ うに,常
講社 出 版 局,1964年,77∼78頁
。
184『
明大商学論叢』第75巻 第2・3・4号(1992年9月)(268)
(1876)年 国 立 銀 行 条 例 が 改正 を機 に準 備 金 か らの殖 産 興 業 資 金 の 民 間 事 業 ・個 人 貸 付 が 行 わ れ,
大 隈 財 政 の転 機 とな った(表2)。
国 立 銀 行 条 例 の改 正 は 華 士 族 の 「金 禄 公 債 」 に よ る民 間 金 融機 関=国 立 銀 行 を粗 製 乱 造 した。
条 例 改 正 に よ って,銀 行 券 の 正 貨 党 換 義 務 を廃 止 して 同額 の 銀 行 券 を 発 行 し,二 割 を政 府 紙 幣 の
り
引換 準 備 で よい こ とに な り,金 禄 公 債 の売 買抵 当約 定 が認 め られ,同 額 の 銀 行 紙 幣 の交 付 を うけ
株 式 に 転 換 す る こ とが で きた。 「現石 十 分 の 一 を 以 て 家 禄 と可 被 相 定 」 こ とに よ っ て,明
「秩 禄 公 債 」 受 領 者 が,明 治10(1877)年
治6年
「金 禄 公 債 」 受 領 者 とな り,国 立 銀 行 株 主 とな った の で
あ る。 しか し,金 禄公 債 受 領 者 の うち,国 立 銀 行 株 主 とな っ た の は上 層 の 封建 支 配 者=華 士 族 の
一 部 に す ぎず ,多
くの 下 層 の 封 建 従 者(下 級武士団)は 秩 禄 処 分 に よ って交 付 され た わ ず か な公 債
を 生 活 資 金 に 消尽 して零 落 して 勤 労 生 活 者 とな った 。 没 落 下 層武 士 の 手 を は な れ た 公 債 は前 期 的
資 本=高
利 貸 しの手 に集 積 され,銀
行 資 本,産 業 資 本 へ 転 化 して い き,多 額 の 公 債 を も った 上 層
封 建 支 配 者 の 国立 銀行 を媒 介 と して 金 利 生 活 者 とな り貨 幣 資 本 家 ・産 業 資 本家 に 転 化 す る道 を 歩
む 者 もあ った 。 い わゆ る,日 本 的 資 本 の 本 源 的 蓄 積 過 程 の一 面 で あ る。 この道 を 開 き,具 体 的 に
進 め た の が 大 隈 財 政 政 策 で あ る。 これ が 表3に 見 る準 備 金 の民 間 融 資 と全 国各 地 に 設 立 され た 民
間 国立 銀 行 の資 金 運 用 ・貸 付 で あ る。
明 治6(1873)年12月
か ら準備 金 の 民 間 融 資 が始 め られ,明 治9(1876)年8月
装3準
融
資
県 県 県 局
島
田島
商
F
児
秋 広 鹿 勧
府
先1年
劇
備 金 の 民 間 融 資(単
融資額(返 榊)[融
211,020(100)
150,209(80)
136,628(16)
129,209(68)
75,75
76-80
76-80
75-77
県
銀
行
期
共 計(17・)175一
三
井
銀
・・1・
行
75-80
第二 国 立 銀 行
第一 国 立 銀 行
横浜 正 金 銀 行
東 洋 銀 行
第 十五国立銀行
香港 上 海 銀 行
第五 国 立 銀 行
75-79
・7,534(66)
10,832,858(98)
9,628,601(100)
7,649,316(96)
4,789,450(100)
3,447,516(99)
1,000,000(100)
850,000(100)
410,106(100)
75-79
8075-8C
81
79,80
75,76
其 他 共 計(26・)175-41,643,34i(98)
社 会 社
会 商 会
産
菱 業 物
井
三広 三
会 社
77-80
77-80
1)吉
川 秀 造r明
資
会
社
先
起立 工 商 会 社
新.燧
社
東京 為 替 会 社
上毛繭糸改 良会社
日 本 商 会
五
個
代
鞭1鵬
310,000(3)
77-80
310,000(34)
77-80
300,000(9)
納 さ れ な か っ た分 は,準
3)石
井 寛 治 『日本 経 済 史 』(東 京 大 学 出版 会,1984年)74頁
備 金 廃 止後,常
81
300,000(一)
81
262,004(一)
75-79
渋沢 ・益 田外1名
島 津 忠 義
岩 倉 具 視
川崎 八 右 衛 門
田 中 平 八
後 藤 象 二 郎
笠 野 吉 次 郎
76,80
其鰍
合
友
79-82
76,77
76
75
79
計}1・2,990.
よ び 高 橋 誠r明
用 部 へ 引 き継 が れ るか 損 失 に 計 上 され た。
よ り転 載 。
76
計(25・)il3,199.・
に よ る。
2)返
額(返 繍
77-80
厚
治 維新 社 会 経 済 史研 究 』(日 本 評 論 社,1943年)41∼47頁,お
1964年)122,134∼136頁
位:円,%)
其 他 共 計(33・)ll7,339,69i(49)
人
2,479,940(77)
670,000(10)
625,000(85)
75-79
国 立 銀 行 条 例 の改
690,660(8)
500,627(37)
251,062(100)
240,000(100)
200,000(100)
186,000(98)
150,000(100)
150,000(100)
・8(・
・)
.・86(89)
治 財政 史 研 究 』(青 木 書 店 ,
(269)明
治前期殖産興 業政 策の修正 と政商資本185
正 を 契 機 に 三 井 銀 行 は じめ 多 くの私 銀 行 が 設 立 され る と共 に,政 府 と直 接 関 係 を もた な い民 間 産
業 へ の興 産 融 資 の 拡 大 が 注 目され,準 備 金 の 民 間 融 資 で は三 菱 会 社 の大 久 保海 運 助 成 策 や 三 井 物
産 な ど の直 輸 出 政 策 へ の 民 間 助 成 な どが 注 目 され る。 大 隈 財 政 の特 徴 の も う一 つ は,「 外 貨 公 債 」
な ど の公 債 政 策 が あ る。 明 治3(1870)年
の イ ギ リス東 洋 銀 行(OrientalBankCorporatior.)を
じて ロン ドンで募 集 した 「9分 利 付 英 貨 公 債(100万 ポ ン ド)」に 始 ま り,明 治6(1873)年
通
に は 「7
分 利 付 外 貨 公 債(240万 ポン ド)」の募 集 が あ り,そ の 他 太 政 官 札 と の交 換 の た め 「金 札 引換 公 債 」,
運 輸 ・交 通 の便 を は か る た め の 「中 仙 道 公 債 」 を含 む 「起 業 公債 」 な どの 発行 が あ った 。
こ の政 府 公 債 や 銀行 紙 幣 の増 発 は,銀 貨1円
に対 して 紙 幣1円97銭5厘
とい う幣 価 下 落 を 招 来
し,極 度 の イ ン フ レ ー シ ョンを 引 き起 こ した。 この よ うな無 謀 な 政 府 の公 債 ・紙 幣 は,イ ギ リス
公 使 パ ー ク ス(H・Parkes)の
くママ う
警 告 を受 け る始 末 で あ り,「一 朝潰 崩 の 気 熟 す る に至 れ ば其 害悪 の
お
及 ぶ 所 建 に測 らざ らん とす 」 状 態 と な り,大 隈 財政 は 行 き詰 ま りつ ぎ の松 方 財 政 へ と受 け 継 がれ
て い くこ と に な る。
最 後 に,内 部 ・工 部 ・大 蔵 省 に よ る大 久 保 体 制 の殖 産 興 業 政 策 の も とで の 「政 商 資 本 」 の 資本
蓄 積 を 整 理 し て論 稿 の むす び と した い 。
この 内 務 省 段 階 で の政 商 資本 蓄積 の トップは 三 菱 商 会 の岩 崎 弥 太 郎 で あ ろ う。 表3の 政 府 準 備
金 の 民 間 会 社 貸 付 を 見 て も三 菱 商会 は い わ ゆ る 「断 トツ」 で あ り,さ きの 大 久 保 の 海 運3策(放
任 ・補 助 ・官営)で 見 た よ うに,台 湾 出兵 ・西 南 戦 争 後 の軍 事 輸 送 に よっ て 死 の 商 人 的 蓄 積=船
舶 ・資 本 を 入 手 し,郵 便 汽 船 三 菱 会 社(明 治7年9月
改称)と して上 海 航 路 を は じめ,主 要 な 国 内航
路 を も支 配 して,数 年 の うち に三 井 に比 肩 し うる資 本 を 蓄 積 し,大 政 商 へ と成 長 した ので あ る。
三 菱 会 社 は この期 に 財 閥 の 基 盤 を確 立 し,明 治13(1880)年4月
三 菱 為 替 店,明
治14(1881)年3月
に荷 為 替 ・貸 付 ・倉 庫 業 務 を行 う
後 藤 象 二 郎 か ら高 島炭 坑 を86万 円 で 入 手 して,金 融 ・倉 庫 ・鉱
山部 門へ と進 出 して い くの で あ る。
一 方 ,先 駆 的政 商 資 本三 井 組 は 政 商 活 動 の 第二 段 階 へ 入 った。 明 治6(1873)年4月
に大 蔵 省官
僚 井 上 馨 な どの薦 め に よっ て 番 頭 三 野 村 利 左 衛 門 を家 制 改 革 の 責 任 者 に し,主 従 関 係 的奉 公 制 や
大 元 方 制 な ど の旧 商 家 経 営 の脱 皮 を は か った 。 そ れ が金 融 業 に 専念 せ よ と の政 府 の要 請 で 明 治5
(1872)年 に 分 離 した 三 越 呉 服 店 か ら米 ・生 糸 ・茶 ・海 産 物 な どの 内 国売 買 ・輸 出を 手 が け る7
(1874)年8月
の国 産 方 経 営 に連 な り,さ らに9(1876)年7月
に井 上 馨 ・益 田孝 らの先 取 会 社 を吸
収 して 三 井物 産 会 社 の創 立 に と三 井 流通 部 門 の 基 礎 を つ くる こ とに な った。 三 井 物 産 会 社 の事 業
は政 府 の 米穀 買 収 ・輸 出 ・官 営 三 池 炭 鉱 炭 の 独 占的 売 買 な ど先 取 会 社 の 特 権 的 商 権 を 継 続 して利
益 をあげた。
この期 に お け る,三 井 組 の も うひ とつ の ドル 箱 的 事 業 は 明治9(1876)年7月
開 業 の三 井 銀 行 で
あ る。 三 井 銀 行 は 為換 座 三 井 組 と小 野 ・島 田組 との 合 同 事 業 第 一 国 立 銀 行 が7年10月
に政 府 の 台
湾 出兵 後 の軍 費 調 達 に 備 え て断 行 され た官 金取 扱 高 と同 額 の抵 当を 差 し出す 「抵 当 令 」 の 施 行 に
よっ て,事 業 を 拡 張 しす ぎ てそ れ に応 ず る こ とが で き なか った 小 野 ・島 田組 が 閉店 を 余 儀 な くさ
⑮
大 内 兵 衛 ・土 屋 喬 雄 編 「紙 幣 整 理 始 末 」 『明治 前期 財 政 経 済 史 料 集 成 』11巻,261頁
。
186『
れ,井
明大商学論 叢』第75巻 第2・3・4号(199年9月)(270)
上 の協 力 に よっ て三 井 組 の み が 破 産 を免 れて 第一 国立 銀 行 か ら私 立 銀 行 へ と移 行 して誕 生
し た の で あ る。 開 業 した 三井 銀 行}ま,`旧三 井 組 か ら引 き継 い だ 全 国 支 店 網 を 活 用 し,官 金 取 扱 い
と民 間 金 融 を あ わ せ て利 益 を 生 ん だ 。 『
ナll..
三 野 村 は三 井 家 の経 営 改 革 を 果 た し,こ の期 の中 核 的事 業,三
明 治10(1877)年
イ.「つ恥 で,こ
L・.7ロ
こ の世 を 去 った 。
井物 産 ・三 井 銀 行 を 設 立 して,
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の 期 の住 友 は 国 立 銀 行 条 例 制 定 時 に銀 行 設 立 の 勧誘 を 固 辞 し,7年3月
フラ ンス 人,
ッ ク鉱 山 技 師 を雇 い 入 れ る な ど工 部 省 鉱 山寮 の協 力 を背 景 に 別 子 鉱 山 の近 代 化 に集 中 さ
せ た が,8(1875)年
そ の他,樟
か ら公債 ・商 品 担 保 の金 融 を開 始 し,住 友銀 行 の 前 身 「並 合 業 」 を 開 業 した。
脳 ・製 茶 の委 託 販 売 や 倉 庫 業 を 開 業 し,三 井 ・三 菱 に つ ぐ政 商 的 活 動 を 広 瀬 宰 平 を 中
心 に 住 友 は本 格 的 な始 動 を 始 め る こ とに な っ た。
三 大 政 商 資 本 に 続 い て,こ
の期 に政 商 的活 動 を した政 商 た ち を 見 て み た い。
後 に 「銀 行 王 」 と して 安 田 金 融 財 閥 を創 設 した安 田善 次 郎 は幕 府 金 銀 座 に よ る古 金 銀 貨 ・太 政
官 札=金
札 買 い 占め ・公 債 売 買 に よ っ て 巨利 を 得,明 治7(1874)年
木 県為 替 方 とな って官 金 を運 用 す る政 商 に成 長 した 。9年
に 司 法 省 為 替 方,翌8年
に栃
に は水 戸 の 豪 商 川 崎 八 右 衛 門 ら と第 三
国 立 銀 行(資 本金20万 円,安 田8万 円 出資)を 設 立 し,13(1880)年1月
に は 従 来 の安 田商 店 を安 田 銀
行(資 本金20万 円)に 組 織 変 更 し,政 商 的 銀行 家 の基 盤 を つ くった 。
三 井 ・安 田 に 続 いて,金 融 関 係 的 政 商 の地 位 を築 い た の が 渋 沢 栄 一 だ ろ う。 渋 沢 は 明治6(18
73)年
に新 政 府 の 大蔵 省 租 税 正 か ら井 上 馨 と と もに官 を辞 し,第 一 国 立 銀 行 の総 監 役 ・頭取 と し
て 経 営 に活 躍 し,さ らに華 族 銀 行=第 十 五 国立 銀行 ・抄 紙 会 社(の ちの王子製紙)の 設 立 に 関係 し,
後 に 数 百 に及 ぶ 諸 企 業 の 設 立 に関 与 しな が ら財 界 の 指 導 的 役 割 を 果 た して い くの で あ る。
渋 沢 と同 じ よ うに官 僚 天 下 り型 政 商 と して この期 に活 躍 した のが 薩 摩 藩 士 で あ った五 代 友厚 で
あ ろ う。 五 代 は 明治2(1869)年
に 外 国 官 判 事,大 阪 府 判 事 を 下 野 し て半 田銀 山 を は じめ 多 くの 鉱
山 を 大 阪 弘 成 館 の下 に 経 営 して金 銀分 析所 を 設 立 して 実 業 家 と して の基 礎 を 築 き,政 府 貸 付 金 に
よ る製 藍 事 業 朝 陽 館,関 西 貿 易 社,大
阪 製 鋼 会 社,阪 堺 鉄 道,神 戸 桟 橋 会 社 な ど多 くの事 業 に 関
与 した 。 大 久 保 ・大 隈 を 介 して の 政 商 活 動 が 暴 露 され た の が,14年
政 変 の 引 きが ね と な った北 海
道 開 拓 使 官 有 物 払 い下 げ 事 件 で あ る。 これ が 五 代 の 命 取 り とな る が,渋 沢 と共 に 五代 の大 阪 財 界
に 残 した 功 績 は大 きい。
東 の 渋 沢,西
の五 代 と言わ れ る両 者 は,幕 末 に西 欧 近 代 資 本 主 義 を 見 聞 して 帰 国 し,そ の制 度
や 技 術 を 日本 に移 植す る た め に官 吏 と な り,下 野 して 実 業 界 に 入 り,東京 ・大 阪 に実 業 界 を組 織 ・
指 導 す る商 法 会 議所,講
そ の 他,こ
習所 を 設 立 す る な どそ の足 跡 は似 て い る。
の 期 に藩 閥 政 治 家 と結 び つ いて 政 商 と して の基 盤 を つ くった 政 商 家 た ち を簡 単 に あ
げ て お こ う。
後 に 川 崎 財 閥 を つ く った川 崎 正 蔵 は 萌治5(1873)年
同 郷 官 僚 松 方 正 義 な ど の藩 閥 の人 脈 か ら政
府 の 沖 縄 国産 調 査 の委 嘱 を機iに政 商 の機 会 を つか ん だ 。10(1877)年 大 阪 に 琉 球 藩 庁 か ら の 物 納
(砂糖 ・反物 な ど)回 漕 指定 業=官
糖 取 扱 店 を 開業 して 莫 大 な利 益 を あ げ,翌11年
には 東 京 築 地 官
(271)明
治前期殖産 興業政策の修正 と政商資本187
有 地 を 借 りて築 地 造船 所,13(1880)年
に兵 庫 官 有 地 に 造船 所 開 設 の 準 備 をす る な ど着 々政 商 と し
て の 地 位 を築 い て い った。
川 崎 が薩 摩 出身 で薩 閥官 僚 の 人脈 で政 商 に成 長 した の に対 し,つ ぎの 藤 田伝 三 郎 は長 州 藩 出身
で 井 上 肇 な ど長 州 閥官 僚 の 人脈 を 通 じて の政 商 で あ る。 藤 田は,9年7月
ま で井 上,益
田 ら と先
取 会 社 が 解 散 す る ま で頭 取 と して活 動 し,先 収 会 社 の東 京 が三 井 物 産 に 吸 収 され,大 阪 の 先 収会
社 を 藤 田 が引 き継 い で藤 田組 を 創設 し,政 府 の用 達 商 人 とな った。 西 南 戦 争 で は征 討 軍 の軍 靴,
被 服,糧 食 な ど軸 重 用 達 を命 じ られ,こ れ を 納 め て岩 崎,大 倉 ら と共 に 大 き な利 益 を得 て,第34
国 立 銀 行,大 阪 紡 績,山 陽 鉄道 な ど多 方 面 の事 業 を拡 大 す る基 礎 を つ くった 。
藤 田 と同 じ長 州 閥 官 僚 た ち と密着 して 政 商 活 動 を した の が大 倉 喜 八 郎 で あ る。 大 倉 は 安 政 元
(1854)年 に越 後 国 か ら江 戸 に 出 て,神
田に 大 倉 屋 鉄 砲 店 を 開 業 して か ら,成 長,征 台,西
器 の御 用 達 商 人 と して 巨富 を重 ね,明 治6(1873)年10月
欧 州 諸 国視 察 帰 国後,大
南 と兵
倉 組 商 会 と して
事 業 を広 げ な が ら,長 州 閥=陸 軍 と と くに 密着 して 戦 争 のた び に藤 田,岩 崎(三 菱)ら と共 に 日本
を代 表 す る 「死 の 商 人 」 と して 巨利 を博 した 政 商 で あ った とい え よ う。
最 後 に,こ の 期 に 天 下 り官 僚,政 商 指 導 者 渋 沢栄 一 に 見込 まれ,見
出 され て政 商 資 本 の 仲 間 入
りを した 古 河 市 兵 衛,浅 野 惣 一 郎 を 見 る こ とに す る。
古 河 は 明 治7(1874)年
小 野 組 が さ きにみ た担 当 令 に よ って破 産 す る ま で小 野 組 番 頭 と して 活躍
した が,破 産 後 の10年 経 営 手 腕 を 高 く評 価 して くれ た 渋 沢 に 見込 まれ て 足 尾 銅 山 の共 同経 営 者 と
な り,後 に住 友 と共 に 「鉱 山 王 」 と呼 ば れ る ま で に成 長 し古 河 財 閥 を形 成 した 。
浅 野 は明 治4(1871)年
越 中 国 か ら上 京 して,竹
の皮,薪 炭,石 炭 商 を 営 む 「大 塚 屋 」 を 開 業 し,
7年 に 石 炭 商 専 業 とな っ て渋 沢 の経 営 す る王 子 製 紙 に 出入 りし,そ こで 勤 勉 な 人 柄 を 見 込 まれ て
渋 沢 の 物 心 両 面 の援 助 を 得,西
南戦 争 に よ って 石 炭 販 売 で 巨利 を得,工 部 省 の 深 川 セ メ ン ト製 造
所 な ど のつ な が りを も っ て,政 商 の 仲 間 入 りを して い っ た。
以 上 の政 商 家 た ち の元 締 が 渋 沢 の師 井 上 馨 で あ る。 土 屋 喬 雄 氏 は井 上 を 「政 商 の 守 護 神 と もい
α㊥
うべ く,あ るい は 政 商 の 勧 進 元 とも い うべ き人物 」 で,政 商 を 庇 護 し,育 成 した代 表 人物 で あ っ
た こ とを 指 摘 して い る。
以 上,大 久 保,大
隈 の殖 産 興 業 政 策 下 で の政 商 の動 きを 見 て きた が,そ の 政 策 が いか に 多 くの
政 商 資 本 を 生 み 育 て た か を 見 る こ とが で きる だ ろ う。
(末 筆 に な りま し たが,柴
田政 利 先 生 に は就 職 時 に 住 まい が 近 い こ と もあ っ て,在 職30年 以上
に わ た っ て家 族 ぐる み の お 付 き合 い を して いた だ き ま した 。 そ の 間,い ろ い ろ と公 私 に わ た って
ご指導 を 受 け,ま た 何 か と ご迷 惑 を お か け し ま した 。 こ こで 紙 面 を か りて心 よ り感 謝 とお 礼 の言
葉 を 申 し上 げ る次 第 で す 。 な お,永 い 間 明 治大 学 の た め に 尽 力 され た こ とを忘 れ ませ ん。 本 当 に
ご苦 労 さ まで した 。)
⑯
土 屋喬 雄 『近 代 日本 の 政 商 』 経 済 往来 社,1968年,221∼257頁
。
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