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ポカレラ ウペンドラ Pokharel Upendra I. ネパールの経済の現状

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ポカレラ ウペンドラ Pokharel Upendra I. ネパールの経済の現状
ネパールにおける経済発展の現状と問題点
―チタワン地域産業事例研究―
ポカレラ
ウペンドラ
Pokharel Upendra
I. ネパールの経済の現状
ネパールは 1950 年代から経済発展を進めた。1951 に民主化運動によって持続可能な経済
成長の道を選んだ。ネパール経済発展の手段として、一連の 5 カ年計画を採用、第 1 次 5
カ年計画(1956〜1961 年)は、開発費に 5 億 7600 万ネパール・ルピー (NPR) が割り当
てられた。その時代はアメリカ、日本、他の国々が経済発展を進め、成長していった時期
である。日本は戦後の復興から朝鮮戦争の特需により急激な経済発展を果たしていた。し
かし、ネパールは 1951 年時点では、学校、病院、道路、通信、電力、産業、公共サービス
等の社会インフラが殆どなかった。ネパールは、東、西、南にはインド、北は中国(チベ
ット)に挟まれ、海へのアクセス、海外へのアクセスが容易でない。
しかし、今日までの開発過程とその現状を主要穀物の生産性に見る限り、あまり成果は上
がっていない。過去 20 年間の食糧生産性は微増ないし横ばいに推移している。食糧増産の
微増は、新たな耕地拡大と灌漑による小麦等の冬季作の増産によるものであり、これが食
糧自給に貢献してきた。しかし、1990 年代に入ると人口増加が一因となって、食糧自給の
達成は困難となり、豊作年の 1990、1999 年を除いて食糧輸入国となっている。
ネパール国民一人当たりの GDP は 2014 年において 400US$である。後開発途上国の中で
も最低レベルに属する国である。全国民の 18%が絶対貧困ライン以下にあるといわれ、非
常に厳しい現実が横たわっているという状態である。
図 1 は、ネパールの 2006 年代から 2015 年までの一人当たり GDP で、縦軸はドルと横
軸は、それぞれの年を示している。2006 年~2014 年の間は 300US$から 400US$に上昇は
しているが低いレベルである。
1
図 1:2006 年代から 2015 年までの一人当たり GDP
出典:Trading Economics Data
Base(2015)を基に筆者作成
(http://www.tradingeconomics.com/nepal/gdp-per-capita 2015 年 09 月アクセス)
図2は、次に GDP 成長率をみる。ネパールの 2000 年から 15 年間の経済成長率を示し
ている。縦軸は、GDP の成長率と横軸は、それぞれの年を示している。1996 年から 2006
年半までネパールでは、政治的な紛争があり、経済成長率 0%から 3%であった。ところが
2007 年から紛争がなくなり、2008 年に経済成長 5.8%まで上昇した。翌年 2009 年から経
済成長率は上昇していない。その理由は、ネパールでは、政党が多く、政権が頻繁にかわ
り、その上政治家の利権のためのクローンキャピタリズムによる不効率、2015 年に発生し
た地震よりで 2016 年にはまた下がると予想されている。2015 年ネパールで襲った地震で
経済成長は、5.2%から 3.9%に落ち込み、大規模な影響を各分野が受けた。サービス部門、
農業、小売業も多くの問題を抱えている。
図 2:GDP 成長率(2000 年~2015 年%)
出典:Central Bureaus of Nepal data(2015)を基に筆者作成
(http://cbs.gov.np/?p=2778
2015 年 09 月アクセス)
2
図3は、2014 年 GDP 成長率の他国との比較である。縦軸はそれぞれの国 GDP 成長率を
示し、GDP 成長率が高い国は、中国、インド、スリランカで共に 7%以上である。バング
ラデシュ 6.1%、ネパール 5.2%で、パキスタンとブーダンは 4%以下である。
図 3:2014 年 GDP 成長率名国比較
G
D
P
%
出典:Outlook data Basic(2015)を基に筆者作成
図 4 は、産業別 GDP 割合の推移を示し、縦軸は GDP で横軸は、製造業の割合が増加し
ている。図から見ると GDP は増加し 2000 年から 2012 年までで約 4 倍に達した。
図 4:産業別GDPの推移
出典:ネパール経済 2014
3
図5は、2012/13 年度産業別 GDP 構成比率を示している。農業が 34.3%を占め、続い
て卸売業が 14.4%、運送業が 9.2%、不動産業が 8.5%、建設業が 6. 9%、製造業が 6. 2%、
教育業が 5.4%、金融業が 4.2%、観光業が 1. 8%を占める。ADB 統計によると、ネパール
の GDP における農業割合は 34.3%(同インド 17.4%、パキスタン 24.4%、バングラデシ
ュ 17.7%)にのぼり、SAARC 諸国と比較して、工業化の遅れが顕著に見られる。
図 5:2012/13 年度産業別GDP構成比率
出典:ネパール経済 2014
図6は、産業別労働人口割合を示している。労働人口の 73.9%が農林水産業に従事し、
製造業が 6.8%、商業(卸売、商業、小売業)が 5.9%の労働人口を示している。
図 6:産業別労働人口割合
出典:ネパール経済 2014
4
産業別人口以外に、海外出稼ぎ労働者がネパールでは非常に多い。図7に示すように海
外出稼ぎ労働者は、90 年代から増加し、2000 年以降は急増し、2013 年には 55 万人に達し
ている。出稼ぎ労働者から送られる海外送金も右肩上がりで増加し、海外送金受取世帯の
割合、及び一人当たり平均受取額も増加。この影響で下位 20%の所得水準が改善されてい
る他、マネーサプライ(M2)の対 GDP 比率が南アジアの中でも比較的高く、ネパールは
現金の潤沢な国であることが分かる。海外送金の GDP 比率は約 28%と南アジア諸国の中
でも突出しており、出稼ぎ労働者からの送金に依存している経済構造が見て取れる。
図 7:海外出稼ぎ労働者
出典:ネパール経済 2014
II. カースト、民族と宗教
ネパールは多民族国家で、ヒンズー教のカースト制度が維持され、100 を超える民族、
100 を超える1言語が存在しており、10 の宗教がある。その民族とカースト中でもカース
トのレベルと規模がある。ブラーマン族、チェットリ族、タクリ族、タマン族、グルン族、
マガール族、ネワール族、ライ族とリンブー族、シェルパ族、タルー族、タカリー族、マ
ナンゲ族またはマナンバ族、ドルポの人々、チェパン族とクスンダス族、ラウテ族である。
2014 年度ネパール国勢調査によると、ネパールには 125 のカーストと民族があると報告
されている。
図 8 は、ネパールのカースト別人口割合であり、縦軸は、カーストの割合%と横軸はそ
れぞれのカーストを示している。Chhetri が最大のカースト/民族であり総人口の 15.5%を
占めている。次いで丘陵ブラーミン 12.5%、マガール(Magar)7%、タルー(Tharu)6.6%、、
1 Center Burro of Statics(2014)
5
タマン(Tamang)5.5%、ネワール(Newar)5.4%、ムサルマン(Muslim)4.2%、カミ
(Kami)3.9%、ヤーダブ(Yadav)3.9%、(Other)32.7%、不明(Unspecified)2.8%と
なっている。小数民族の一つに、ヒマラヤのガイドとして名高いシェルパがある。ネパー
ル語 47.8%, マイティリ語 12.1%, ボージュプリー語 7.4%, タルー語 5.8%, タマン語
5.1%, ネワール語 3.6%, マガール語 3.3%, アワディー語 2.4%, その他 10%, 不明 2.5%
である。
図 8:カーストの割合
出典:Central Bureaus of Nepal data を基に筆者作成
図 9 は、ネパールの各宗教の人口割合を示している。縦軸は、宗教の人口割合を示し、
ヒンズー教徒 80.6%、 仏教徒 10.7%、 イスラム教徒 4.2%、 キラント教徒 3.6%、 そ
の他 0.9%である。
図 9:宗教の割合
出典:Central Bureaus of Nepal data を基に筆者作成
6
図 10 にネパールの政治、民族、カースト、宗教、産業関連図をまとめた。国民の約 80%
を占めるヒンズー教がカーストの上位 Chhetteri, Brahman, Magar, Newar に位置して
いる。さらに、彼らがネパールの主要産業であるアパレル、観光、農業に携わっている。
その他の宗教はカーストの地位が低く、職業も限定されている。このように、宗教とカー
ストが職業を限定し、この要因により所得格差が生じていると考えられる。
図 10:ネパールの政治、民族、カースト、宗教、産業関連図
宗教
民族とカースト
Hindu
Chhetteri,Brahman,Magar,Newar
産業
アパレル、観光、農業
油、米品,
Buddhist
Tamang,Gurung,Lepcha,Wagar
Muslim
Muslim
Ki rant
Sunwar,Rai,Limbu
海外出稼ぎ、お酒
女性用服商売、小産業
家具, 道路
Kami
Congress party
Communist party
CP Maoists
出典:各種データを基に筆者作成
さらに、政党とカースト・民族・宗教との関連を分析する。(図 26)ネパールでは、2013
年の総選挙時において政党が 123 党存在し、その中で主要な党は Nepali Congress (支持
率 29%)、Nepal Communist Party (支持率 27%) Nepal Communist Party (Maoist)(支
持率 17%)の上位 3 党で、政治家の 80%以上はカーストの上位である Chhetteri、Brahman
が占めている。
1996 年から 2006 年までの内戦は、Communist Party (Maoist)が先導し、カーストの下
層レベルの Rai, Limbu, Kami の貧困層に対し「カースト格差をなくし、産業格差をなく
し、経済発展を可能とする体制を作ろう」と駆り立て、内戦を起こしていた。2006 年に内
戦は終結したが、その後も政権が 2013 年までに7回交代し、常に、上位3党 Nepali
Congress
(支持率 29%)、Nepal Communist Party (支持率 27%)
Nepal Communist
Party (Maoist)(支持率 17%)のなかで政権交代している。このような政治状況では、安
7
定した政権運営や政策策定が困難といえる。カースト格差低減政策は少し効果があるもの
の、貧困対策までには至っていない。
産業はカースト・宗教により分類されている。主要産業である、アパレル、観光、農業
については、カースト上位の Chhetteri,Brahman が占め、次にカーストの Tamang,
Gurung, については、インドの英国植民地時代からインドやドイツへの出稼ぎ労働者とし
て海外に職を求め、カースト下層部は、下層労働者となった。
政治家の 80%が Chhetteri,
Brahman に偏り、
自らの既得権益を守ろうとすることから、
政治家が国民全体の立場に立った政策決定し、カースト下層部の貧困対策のためにカース
ト制度を見直すことは困難な状況にあると考える。
III. 事例調査
本章では、ネパールでの工業化による経済発展の方向性を探るため、ネパールで現在投資
が集中し、工業化と経済発展の潜在力の強いチタワン地域を選び、その地域の特性と、企
業発展の経緯をその地区で成功した企業家の事例から分析する。この事例分析で、どのよ
うなネパールでの経済発展経緯により、その地域に投資が増え、また政策により企業家が
成功してきたのかを分析する。この分析は、今後のネパール経済発展のための政策立案、
方向性を探ることを目的とする。成功した企業家の事例として、ネパールを代表するビジ
ネスグループ代表であるチャウダリグループ創業者を取り上げる。
① 地域特性
チタワン地域は、図 11 に示す通り、ネパール全 75 地域の内、南ネパールに位置する面
積 2,218km 人口 630,000 人(2015 年)の地域である。ヒマラヤ山脈の麓、ネパールの平
地地区のナラヤニ県の西部にあり、主要都市バーラトプルと都市周辺には町が点在する。
バーラトプルは地域の商業・サービスの中心都市で、産業、農業輸出の貿易センターであ
る。
8
図 11:ネパールとチタワン地域の図
pokhara
Industrail park CG
Hetauda
Butawal
Bharatpur
Birganj
出典:National PlanningCommission を基に筆者作成
バーラトプルは、中央・南ネパールの高等教育、医療、輸送の主要なサービスセンター
で、ネパールの最も急成長している都市である。
(ナラヤニ県から、マヘンドラナガル(東
西)カトマンズ-、ビルガンジ(南北)道路回廊の中心に位置している。 カトマンズまで(146
キロ)
、ポカラ(126 キロ)
、ブトワル(114 キロ)
、ビルガンジ(128 キロ)
、ヘトウラ(78
キロ)プリティビナラヤン(ゴルカ)
(67 キロ)と主要都市に近く、有利な地理的位置にあ
る。町の中心部ナラヤガツは、丘陵地帯に位置し、数多くのショッピングセンターを持ち、
16 個の村落開発委員会を有し、開発の中心地となっている。ネパール最高レベルのがん病
9
院、BP コイララ2記念がん病院もある。
交通インフラも整い、チタワン中心部にあるバーラトプル空港からは 4 ルートの国内線
が就航し、カトマンズに毎日 7〜11 便が就航している。マヘンドラ東西高速道路は、南イ
ンドの国境に、北東道路はビルガンジでカトマンズとバラトプールに接続している。
チタワンにはネパール初の国立公園として、有名なロイヤル・チタワン国立公園(RCNP)
があり、カトマンズとポカラに次ぐ観光地として観光産業も発展している。チタワンには、
豊かな動植物が生息し、隣接するパルサ野生生物保護区と RCNP は、インド亜大陸の他の
よりもはるかに高い種の多様性を維持している。
1950 年代まではチタワン地域には、マラリア病患者やカースト下位層(タルー、Bhote
と Bharai)が集約され、長年にわたってマラリア病患者や、低所得の移民が住む地となっ
ていた。 1950 年代からはマラリア撲滅が効果的に進み 1954 年から 1960 年の間にマラリ
ア撲滅活動によって地域開発・移民推進されチタワン郡の人口は約3倍に増加した。
(Chamber of Commerce and Industry 2008)
チタワンは農業中心に発展し、特にマスタードの生産で有名である。米の生産量も多く、
トウモロコシ、小麦、キャベツ、カリフラワー、大根、ジャガイモ、ブロッコリー、キュ
ウリ、カボチャ、ニンジンなどの野菜等、農業に適した場所である。チタワン地域はネパ
ールの養鶏産業の 80%を占め、生花やきのこ栽培、養蜂、乳製品、家畜等、農業開発も進
んでいる、チタワンで生産された食糧は、バーラトプルで加工され、加工食品は、カトマ
ンズとポカラなどの国の主要都市に販売されている。
② 企業事例調査
本章は、今後のネパール経済発展のための政策立案、方向性を探ることを目的とするた
め、ネパールチタワン地区で成功している企業家の事例をもとに、どのような経緯と政策
活用により企業家が成功してきたのかを分析する。企業家の事例として、ネパールを代表
するビジネスグループ代表であるチャウダリグループ創業者を取り上げる。
ビノド・チャウダリ 3氏は、世界中で 80 以上の企業と数十億ドル規模のグローバルビジ
ネスのコングロマリットであるチャウダリグループ(CG)の会長である。彼の父親はもと
もと、ラジャスタンの Shekhawati の地域出身で、ビジネスのためにネパールに移住した。
即席麺ワイワイの開発が彼の原点である。
チャウダリイノベーション・チャウダリグループは、海外でも成功し、ネパールの唯一
の億万長者として会長のビノド・ チャウダリ氏は広く知られている。ネパールのナビル・
バンクの支配権を持ち、知名度の高い商品ブランドとしては、ワイワイインスタントラー
メンとネパールアイスビールである。インド出身の、タージホテルチェーンとの長年にわ
2
病院名
3社長名
10
たる合弁事業により、ホテル事業にも拡大している。CG グループは最近、インドのファー
ンホテルチェーンの 51%の株式を取得し、アフリカやドバイにホテル進出し、近年は電気
通信や水力発電事業にまで拡大している。現在 3 人の息子が事業継承している。(Binode
Chaudhary Autobiography, 2013)
CG グループの生産拠点は3か所にあり、工業団地を形成している。表 1 は CG 工業団地
の CG Industrial Park, CG Food Park, CG Digital Park の概要である。まず、CG
Industrial Park はチタワン地域郊外の広大な敷地で、食品、ビール、たばこ、梱包、テレ
ビ生産企業 5 社を持ち、16 の工場を操業している。従業員は 1530 名で、90%村内労働者
であり、地域雇用に貢献している。また、工業団地内にはネパール初の民間研修センター
を併設し、企業内研修を充実させ、海外工場への派遣者教育の役割も担っている。女性従
業員も約 20%採用し、人材育成に前向きな姿勢が見える。
CG Food Park はカトマンズ郊外に位置し、ワイワイブランドの麺や食品を中心に生産し
ている。食品の製品開発センターや品質管理センターも設置し、各種 ISO 認証も取得して
いる。研修センターでは若年層・学生向けに研修も行っている。
CG Digital Park は 2005 年に創業し、電機・電子製品の生産拠点である。東芝や LG の
テレビ生産が中心である。
表 2 は CG の電機・電子・白物家電のネパールでの生産経緯を説明している。まず 1982
年に National ブランド(現 Panasonic)とラジオの CKD 生産契約を結び、さらに 1986
年からは東芝カラーテレビの CKD 生産を開始する。1997 年からは韓国 LG と CKD と SKD
によるカラーテレビ生産を開始し、その後、LG ブランドの家電や携帯電話の CKD も開始
している。2005 年に CG Digital Park にて LG や東芝テレビ生産拠点を開設し、2011 年か
らはインドやタイのブランド製品も生産している。
11
表 1 チャウダリグループの生産センター
CG Industrial Park
位置: チタワン地域から 23 ㎞ナワルパラシ地域の村
工場:CG Foods (Nepal) Pvt. Ltd. – 麺、スナック、ドリンク類
Sungold Brewery (Nepal) Pvt. Ltd. – ビール
Perfect Plends Nepal Pvt. Ltd. – たばこ
CG Packaging (Nepal) Pvt. Ltd. – 梱包
CG Electronics Pvt. Ltd.- テレビ
敷地面積: 137 エーカー
従業員:1530 名 (90%村内労働者)女性 370 名
教育
:CGIP で企業内教育を受けた 10~15%は海外工場派遣
生産量:麺
45,000 万食・年
15 か国へ輸出
研修センター:ネパール初の民間研修施設保有
CG Food Park
位置:カトマンズ地域から2Km laitpur 地域
工場:Nepal Thai Foods (NTF)
Kwiks Food Nepal (KFN)(1987)
開発センター、品質管理センター、
認証:ISO9002(2008)、ISO9001(2008)、ISO22000(2005)
生産能力:10 万カートン/月
教育:CGFP で企業内トレーニング(中学生、大学生)
CG Digital Park
位置:カトマンズ地域、2005 年 3 月操業
(Steel & Electric)
工場:CG Brand
LG Brand
ONIDA Brand
TOSHIBA Brand
CRD、LCD/LEDTV
従業員:180 名
認証:ISO 9001:2008 承認作業中
生産の能力:TV 250 台/月、LCD/LED TV 100 台/日
出典:CG 資料を基に筆者作成
(http://www.chaudharygroup.com/index.php/production-centres.html
2015 年 12 月アクセス)
12
表 2 チャウダリグループ電子・白物家電生産
1982 年
Band Radio (AM)
CKD 生産開始 National
1986 年
CKD 生産開始 Toshiba Brand カラーTV
CKD 20” TV (Model R203, R207 and R209).
1997 年
CKD/SKC 生産開始 14” to 29” LG カラーTV
CKD 生産開始
2011 年~2014
LG の家電、携帯電話.
工場開設 Nawalparasi Satungal.地区
TV 生産提携

CG IPEX

CG EOL

ISOS

ONDA

TOSHIBA
出典:CG 資料を基に筆者作成
(http://www.chaudharygroup.com/index.php/our-company/electronics-a-white-goods.html2015 年 12 月アクセス)
CG グループがどのように現在の大企業へと成長したのか、創業者の企業理念・創業当時
の発展過程を見ていく。ネパールには小規模ビジネスを開業する起業家は多いにもかかわ
らず、成功率は高くない。その中で本事例は大企業にまで発展した数少ない成功例である。
CG グループの創業家の理念と経歴をチャウダリ氏の祖父の時代にさかのぼり見ていく。
チャウダリ氏の祖父は今から約 120 年前 17 歳でラジャスタン州からネパールへ移住し、小
さな織物店で従業員として働き始めた。その当時、正式にネパールでビジネスを行うため
にはビジネスライセンスが必要で、各王族宮殿に何人かのビジネス権が割り当てられてい
た。
チャウダリ氏の祖父の家族は首相モハン Shamsher ラナの家族と懇意にしていたため、
このビジネス権を取得し、チャウダリの父は、首相家族とアーメダバードやムンバイを旅
し、インドの様々な織物センターから商品を調達しインド国境から徒歩で輸送した。指定
された日に、すべての商品が宮殿の中庭に届け、チャウダリの父は信用を得ていった。
インドからの繊維輸入だけでなく、日本と韓国からの繊維製品の輸入も開始し、小売販
売からネパール初のエンポリアムデパートへと発展させた。次に建設業を始め、建築、道
路建設、後にホテルチェーンを開始する。
息子である現会長のチャウダリ氏はネパールで就学後、インドで公認会計士を学んだ。
デリーでの勉強のかたわら、チャウダリ氏は友人とネパール初のディスコをベンチャー企
13
業として立ち上げた。ディスコ事業を通して、顧客サービス、ビジネスパートナーの問題、
管理の問題、雇用、人的資源管理の実務・経営管理を学んだ。
18 歳の時、父親急病により父親の事業を継承する。アルンエンポリアムデパート、およ
び建設中だったビスケット工場を引き継ぎ、1973 年に商品調達のため日本の織物工場や卸
売業者を訪問し事業拡大を学ぶ。その際、繊維事業だけでなく、パナソニックの全国販売
代理店の権利を取得することにより、電機・電子機器へと繊維製品から多様化を図ること
ができ、ネパールの大手ラジオ製造会社と提携した。
また、日本オフィスを新設し、スズキの販売代理店契約を得た。6 ヶ月間以内に既定台数
の車を販売すれば、独占販売代理店になることができるとの条件で、1 万 NPR の車を買え
る所得層を訪問し、
「購入後 6 か月間返品可能」という大胆なリスクのある方法で成功し、
スズキの独占ディーラー権を得ることができた。
次に CG のブランドとなる「ワイワイ」即席麺事業へと進む。ビスケット工場の失敗に
伴い、ビスケット用の小麦粉を材料とする代替商品を検討し、ワイワイ即席麺の開発つな
がった。タイからの帰国者がワイワイ即席麺の大きな荷物を持ち帰ることに気づき、ネパ
ールでこの即席麺を製造するためのノウハウや技術を入手するために、タイ小規模麺製造
企業を訪問し、ネパールでのワイワイ即席麺製造技術共有、ブランド名「ワイワイ」の使
用権を得る。ネパールでの生産を拡大し、ネパールのみならず、海外でのワイワイ即席麺
の販売を開始し、ワイワイブランドにスナックやジュースも追加した。
この成功で、日用消費財 FMCG4 企業グループを形成し、ネパール初の経済特区、工業テ
クノパークを導入し、徐々に 30 カ国に輸出を開始し、グジャラート州とアンドラの工場の
ほか、シッキム、グワハティ、ルドラプルに工場を増設し、ネパール国外でも製造を開始
した。
③ 経済発展政策と企業発展事例の関連分析
次に、表 3 を用い、ネパールの経済発展政策を 7 期に分け説明し、それぞれの時期に CG
グループがどのように発展していったのかを、それぞれの時期の政策、歴史的背景と照ら
し合わせながら解説する。
第 1 期 1950 年以前
1950 年以前のネパールはラナ家の専制政治体制の下、一部開明的な政策が国際社会への
配慮から導入されたもの、基本的には独裁的国家の特徴を有し、ラナ一族とその取り巻き
による国富の私物化が横行していた時期である。その期間はネパールには特に強い政策は
なかった。ビハール・ネパール地震でネパールの商業と社会インフラは破壊され、この時
4 Fast-Moving Consumer Goods
14
期は再建期間となる。
その時期チャウダリグループは、まだ存在せず、創始者となるチャウダリ氏の祖父が服
飾店で従業員として働き始めた時期である。
(資本金 200NPR)
(Chaudhary Group 2014)
第 2 期 1950 年~1960 年代
第 2 期はネパール国民会議(The Nepali National Congress)がネパールにおける人民政
府樹立に向けた活動を活発化させ、1950 年にネパール会議派(The Nepali Congress)に
よって反ラナ運動と武力闘争が開始。結果、ラナ家の専制体制は崩壊し、インド政府の調
停により、王政復古と複数政党政治が開始される。ネパール人のための憲法を起草するた
めの制憲議会選挙が提案されたが、政治的混乱と不安定が続き、選挙は実施されなかった。
1960 年にマヘンドラ国王がクーデターを起こし王政化し、政党活動を禁止し、国王の直接
統治が始まった。この王政は 1990 年まで続き、政党は地下活動を続ける。
政策面を見ると、1950 年以降、政党政治によりようやく経済政策が開始され、インフラ
開発、学校、病院、道路、通信、電力、産業、公共サービスに重点がおかれた。またそれ
まで鬱蒼とした密林であったタライ平原がマラリア撲滅プログラムにより開発が可能とな
り、森林が切り拓かれていった。森林伐開やビルガンジ道路(カトマンズ-インド間)の
建設を契機としてタライ諸都市の発展の基盤が形成された。(National Planning Commission 1956)
その時期はチャウダリグループの基礎形成時である。その時代から建設業も始め道路建設
やホテル業にも着手した。現チャウダリグループ CEO チャウダリ氏は 1955 年に誕生して
いる。
(Chaudhary Group 2014)
この時期のネパール GDP 成長率は 2%で、ネパールの経済開発 5 か年計画とネパール国
家教育計画委員会が開始された時期である。
第 3 期 1970 年代
1970 年の政治は王の直接統治と政党活動禁止は続いていたが、ネパール会議党や学生に
よる王政反対運動が激化する、民主化の動きが活発化する。
その期間に「地域開発政策」が導入された。この政策は、全国を4つの開発区に分け、
平地タライと山地を結ぶ南北方向の開発軸を設定し、開発拠点を計画した。これら開発区
を横断的に結ぶ東西方向道路の建設を推進し国家的経済統合・開発を目指した。印パ戦争
(1971-)に伴うインドからの援助の減少、石油危機に伴うコスト上昇、干ばつ等により経
済は停滞した。(National Planning Commission 1970, 1976)
この時期にチャウダリグループは、この地域開発政策の好機を利用し、1970 年に United
建築業を始める。さらに、NPO Population Service International を設立する。
(Chaudhary
Group 2014)
この期間ネパールの GDP 成長率 は年 2.6%で、開発計画の達成度は低かった。
15
第 4 期 1980 年代
1980 年代のネパール政策は、1970 年代の社会基盤整備から転じ、農業が最優先分野とな
った。その結果 GDP 伸び率 4%台の経済成長を示したが、産品の輸出不振等により貿易収
支は悪化し経常収支も恒常的に赤字を示した。(National Planning Commission 1980, 1986)
タライ地区とカトマンズ地区は Hill や Mountain 地域との経済格差を広げ、ネパールは
西部開発地域を西部と中西部開発地域と分割し、開発の遅れていた地域を発展させる政策
に変更した。(National Planning Commission 1980, 1986)
チャウダリグループは 1982 年にパナソニック(当時 National)無線ラジオの CKD 生産
をネパールで開始する。1986 年に東芝カラーテレビ CKD 生産を開始する。
(Chaudhary Group
2014)
第 5 期は 1990 年代
民主化の高まりから 1990 年第 1 人民運動によって王の直接統治は廃止され、複数政党政
治が復活する。政治の自由は得るが、その後政党内での内紛や派閥政治の不安定な時期が
続くことになる。
1990 年新憲法発布、
1991 年議会政治開始の中で「第 8 次五ヵ年計画」
(1992/93-1996/97)
が策定された。計画では、①持続的経済開発、②貧困解消、③地域格差是正を目標として
掲げ、特に貧困解消を最重点目標とした。投資優先順位は農業振興、エネルギー開発、地
方インフラ整備、雇用増大、人口抑制、工業・観光振興、輸出振興、マクロ経済安定化、
行政改革とした。地方分権化にも積極的に取り組み、経済自由化を原則としたアプローチ
への転換が第 8 次 5 か年計画の特徴である。結果として、第 3 次産業(運輸通信、金融、社
会サービス)が伸び GDP 成長率も目標の年平均伸び率 5.1%を達成したが、基礎部門の農
林水産業、鉱工業では目標を大幅に下回った。(National Planning Commission 1992, 1998)
その時期にチャウダリグループは、産業発展政策に乗じ、新規に 15 社企業を設立し、事業
を拡大した。社会貢献事業として、1995 年にチャウダリ財団、1996 年にCG教育財団を設
立した。
(Chaudhary Group 2014)
1990 年から議会政治が実施されたが、1996 年に第 2 次人民運動がおこり、ネパール共
産党(Maoist)が王族と新政府を相手に人民戦争を開始、2006 年に和平合意するまでに
13000 人の死者を出し、暫定政府が形成された。
第 6 期 2000 年代
1996 年からの内乱が続き、2006 年和平合意後の暫定政府のもと 2008 年選挙で選ばれた
制憲議会により、ついに 240 年間続いた王政を廃止し、民主連邦共和制を採用することを
決議した。
2000 年代のネパール政策は、1998 年に施行された第 9 次 5 ケ年計画(1997-2002)によ
り総合的な経済発展を目指し、広告宣伝と販売促進を通して世界にネパール観光産業を広
16
げ、外貨収益、所得と雇用機会を高めることであった。カトマンズにおけるカルチャーツ
アや聖地巡礼、コンフェレンス・観光産業などにも重点が置かれた。
2002 年の施行された 10 次 5 ケ年計画(2002-2007)は観光領域にインフラ整備の開発と
エコ・ツーリズムを促進する政策であった。この計画期間は政治的な混乱により、産業は
大きく低迷した。(National Planning Commission 2002, 2007)
そ の 時 期 に チ ャ ウ ダ リ グ ル ー プ は 、 2003 年 CG Finco 、 2006 年 CG Energy &
Infrastructure Pvt. Ltd (CGEI)を設立し、2008 年にチャウダリ氏は国会議員となり、政治
に参入する。この時期のネパールは GDP が 3~5%であった。
(Chaudhary Group 2014)
第 7 期は 2010 年代で、その期間のネパール政策で、2015 年大地震の問題で経済発展は
打撃をうけ、復興が進んでいない。
その時期にチャウダリグループは、電話、電子、金融サービス、銀行、保険、海外から
送金システムを新たに設立し、事業展開を進めた。2015 年現在グループの資本は US$ 1.41
billion、45 以上の企業を保有し、30 カ国に 60 ブランドを展開している。6000 人以上の従
業員を雇用している。この時期のネパールは GDP が 3~5.4%であった。
表 3 ネパール政府の開発計画とチャウダリグループ
期間
1933~1949 年
開発計画
ビハール・ネパール地震、
チャウダリグループ

祖父が服飾店で従業員として働き始め
る。(資本金 200 ネパール ルピー)
1950~1960 年代
学校、病院、道路、通信、電力、産業、公共サービスに重点
第1~第3の計
タライ平原がマラリア撲滅プログラムにより開発が可能
月14日現在チャウダリグループの社
画
森林伐開やビルガンジ道路、建設発展の基盤形成
長

チャウダリ氏生まれる。1955年4

1968
Arun Emporium. 創立.
United Builders. 創立.
1970 年代
「地域開発」導入全国を 4 つの開発区に分け、開発拠点を計画。開発区

1970
第4~第5の計
を横断的に結ぶ東西方向道路の建設を推進国家的経済統合・開発印パ戦

NPO設立
画
争(1971-)に伴うインドからの援助の減少、

1973

Band Radio (AM)
Pashupati Biscuits. 創立.
石油危機に伴うコスト上昇、経済は停滞
1980 年代
社会基盤整備、農業が最優先分野その結果 GDP 伸び率 4%台の経済成長
第 6~第 7 の計
産品の輸出不振等により貿易収支は悪化経常収支も恒常的に赤字
画
1990~年代
第8計画は 2 年間遅れて 1992 年に施行(1990 年新憲法発布、1991 年議

1991 Rahul Exim Trading Pvt. Ltd.
第 8~第 9 の計
会政治開始)の中で「第 8 次五ヵ年計画」(1992/93-1996/97)が策定、

1992 Impact International
画
第 8 計画は、①持続的経済開発、②貧困解消、③地域格差是正を目標と

1992 Himalayan International
して掲げ、特に貧困解消を最重点目標、投資優先順位は農業振興、エネ

1992 Marketing Associates Pvt. Ltd.
ルギー開発、地方インフラ整備、雇用増大、人口抑制、工業・観光振興、

1992 United Finance Pvt. Ltd.
17
輸出振興、マクロ経済安定化、行政改革、地方分権化、経済自由化を原

則としたアプローチへの転換も 8 次計画の特徴である。
1993 Power Development Nepal Pvt.
Ltd.
結果は、第 3 次産業(運輸通信、金融、社会サービス)が伸び GDP 成長率

1993 United Insurance Pvt. Ltd.
も目標の年平均伸び率 5.1%を達成したが、基礎部門の農林水産業、鉱工

1993 Shree Mahalaxmi Nutritious
Foods Pvt. Ltd.
業では目標を大幅に下回った。

1993 Chaudhary Investments Pvt.
Ltd.

1994 ABB Investments Pvt. Ltd

1994
Himalayan
Intercontinental
Pvt. Ltd.

1995 Chaudhary Foundation

1995 Shree Lunkaran Das Ganga
Devi
Academy
for
Arts
and
Literature.

1996 CG Education

1996 Shree Lunkaran Das Ganga
Devi Chaudhary Charity Hospital
Pvt. Ltd.
2000 年代~現在
まで
1998 年に施行された第 9 次 5 ケ年計画(1997-2002)世界観光市場を

2003 CG Finco
広げ、外貨収益、収入世代と雇用機会を高める、カトマンズにおけるカ

2006 CG Energy & Infrastructure
ルチャーツアや聖地巡礼、コンフェレンス・観光注目、2002 年 10 次 5
ケ年計画(2002-2007)観光領域にインフラス整備の開発とエコ・ツーリ
Pvt. Ltd (CGEI)

2008Chaudhary became a Member of
ズムを促進、2002 年から 2007 年までネパール国は政治的な混乱、産業
Constituent Assembly & Parliament
は大きく左右、2015 年大地震の問題で経済発展が進んでいない。
of Nepal

2012
FMCG,
CG
Biotech,
CG
Cement,

2012
CG
Electronics,
Financial
Services, Bank,
Insurance, Remittance

2012
CG
Hotels
&
Resorts,
Ayurveda, Education

2013 CG Telecom
出典:Chaudhary Group 2015, Nepal Government 2014, 他各種資料を基に筆者作成
本節では、1950 年代から現在までのネパールの開発計画と、ネパールを代表するチャウ
ダリグループの発展過程をその時代の政治背景と政策から分析した。チャウダリグループ
18
は、政府の政策の転機をビジネスの好機ととらえ、政治も活用し発展してきたことが分か
る。まず、インフラ建設、小売り、食品、から始まり、自動車販売、教育部門、金融サー
ビスまで、多岐にわたる。このファミリービジネスと、政治との密接なつながりはアジア
の経済発展で初期段階に見られる企業の発展モデルといえる。
しかし、チャウダリ氏の著書によると、今まではネパール国内での生産が中心だったが、
今後 2013 年からは海外生産へのシフトを強めると述べている。このような動きが加速され
ると、さらに資本が海外に流出し、若者もさらに海外流出し、頭脳流出が進むことが懸念
される。
本調査では、ネパールで成功した起業家はネパールに生産拠点や研修施設を設立し、地
元経済、雇用、人材育成に尽力している。しかし、ネパール市場は小さく、成長戦略とし
ては海外生産に進まざるを得ないのかもしれない。国内に生産を戻し、優秀な海外で活躍
しているネパール人を引き戻すような産業政策が重要と考える。例えば、台湾が 1970 年台
に ITRI 工業研究院を国策で半導体産業研究所拠点を設置し、米国留学中の優秀な台湾人研
究者を台湾に引き戻し、現在の台湾半導体産業を作り上げた。このような動きを作る政治
が必要と考える。
さらに、人々への意識づけ・意識改革が重要である。国内産業を強め、海外に出ている
優秀学生や労働者を活用できる、またネパールに帰り、自国に貢献しよう思わせる魅力を
提供することが必要である。人材開発教育を充実させ、カースト間格差をなくし、地域別
コミュニティ開発を進めることは可能だと考える。
おわりに
本研究はネパールにおける経済発展の現状と問題点について述べた。そのために、現在
の経済状況を紹介し、その後経済発展論関連の先行研究からネパールの経済発展の課題を
検討し分析した。次に、経済発展を阻止している背景をネパールの政治、歴史、カースト・
民族問題から分析した。最後に現在ネパールの中で投資が集中し、発展のロールモデルに
なる可能性のあるチタワン地域を例に挙げ、地域の特性とそこで発展しているビジネスケ
ースを分析し、ネパールの今後の発展の方向性を探った。
ネパールは後発開発途上国の中でも最低レベルの経済力及び社会指標の国である。ネパ
ール政府の開発計画は 1956 年に始まり、すでに60年以上が経過しているにもかかわらず、
今だ国民一人当たり世界最高額の援助を受けている被援助国である。このように、60年
間という長い被援助期間と、膨大な資金が費やされたが、開発の成果は十分とは言えない
状況である。経済指標はもちろんの事、社会指標も伸び悩み、逆に経済自由化を受けてカ
-スト間格差、地域格差、貧富の格差は広がる一方である。
ネパールは、①開発の遅れ、②高い人口増加率、③急峻な山岳地が多く、地勢的に開発
可能な農地が限られていることや、流通手段の開発が困難であること、④内陸国であるこ
19
と、等の要因が相まって多くの貧困人口を抱えている。1996 年から 11 年にわたる国内紛
争を終結させ、和平プロセスを進めているが、政治の不安定さ、政策立案能力不足等の課
題も今だ抱えている。
ネパールは,緩やかな経済成長を続け国全体として貧困率は改善してきたものの,近隣
諸国に比べるとその成長は鈍く,また成長の大部分は出稼ぎ労働による海外送金に依存し
ているため,持続的な経済成長のためには,海外送金のみに依存せず,国内主力産業であ
る農業の生産性向上や経済成長を牽引できる有望な産業を育成していく政策が重要である。
政府の政策は重要だが、リスクもある。第一に、将来的に国際戦争力を持ちうる産業の
的確な識別が難しいことがあげられる。政府があやまった産業を標的とした場合のコスト
が大きい。第二に、政府介入自体が民間企業に生産性上昇の努力を怠らせレント・シーキ
ングを引きおこす可能性がある。この可能性は途上国、特に輸入代替工業化政策を採用し
た諸国の多くが現実に経験してきた。
今後、均衡のとれた経済成長のためにはさらなる格差の緩和が重要である。政治的不安
定さもこの格差問題が背後にあり、格差解消は進んだ面もあるがいまだ限定的である。さ
らに、2015 年ネパールを襲った地震での大打撃は今後の発展の重荷となっている。
本研究では、ネパールの経済発展の現状と問題点をチタワン地域産業事例から分析した
が、今後、さらに多くの中小企業の事例を含め、多面的に分析する必要があると考える。
ネパールは本論文でも指摘した様々な問題から、データは少なく、必要なデータの入手は
非常に難しい。さらに 2015 年の地震の影響で調査はさらに困難となっている。今後長期的
に調査を続ける必要を感じている。
参考文献
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