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姦通と姦淫 法神学におけるひとつの研究
翻訳 ジェイムズ・ブランディジ著 James A. Brundage 姦通と姦淫 ─ 法神学におけるひとつの研究 ─ Adultery and Fornication: A Study in Legal Theology 赤 阪 俊 一 訳 AKASAKA, Shunichi 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、 扱う際に示される教会法自体の若干の特質を考察す まず、この女に石を投げなさい。」これはナザレの る。 イエスが、姦通中に捕えられた女に対して判断を求 最初に教会法学者たちが「姦淫」や「姦通」とい められた時の言葉であったと伝えられている。1)福 う用語を使用する際、彼らが意味しているのはどう 音書のこのエピソードの意味が議論されてきたが、 いうことかを考察することにする。これらの用語が そのことについてどう語られようとも、このエピ 意味していることは、とてもはっきりしているよう ソードは、姦通が公的に罰を与えるのにふさわしい に見えるかもしれないが、教会法の用法では、その ものだなどと、イエスは考えていなかったというこ 解釈は少々複雑であるとわかる。 とを証明している。 教会法の父、グラティアヌス(1140年ごろ)は、 ところが西方の中世キリスト教会は婚姻外の性行 姦淫についてかなり率直な定義を与えてくれた。 「姦 動に対してまったく別の方針を採用した。ともかく 淫は合法的な妻とではなく、妻以外の女性とおこな 性の抑圧に対する中世教会の熱意はかなりのもので われるある種の非合法な交接を意味するものと思わ あり、2)婚姻外の性関係は、断固としてこうした行 れるが、とりわけ寡婦、娼婦、あるいは内妻と[の 為をやめさせるべく企図されていた教会法の複雑な 交接に]かかわっているものと理解されるものであ 組み合わせの標的であった。一夫一婦制的な結婚は、 る」と彼は書いた。6)この種の性行動は、聖書によっ その中でのみキリスト教社会が性行動を認めている て禁じられていると、グラティアヌスは断言し、7) 3) 唯一の場を提供すると想定されていた。 婚姻外で 姦淫は犯罪であるという聖ヒエロニムスの陳述を好 のセックスは、もしかしたら不可抗力であったかも 意的に引用した。8)しかしながらこの犯罪の完全な しれないが、4)教会が可能な限り常に抑圧し、抑圧 法的結果を引き受けることになるのは、そうと知っ がうまくいかなかったときには、罰を科すことを望 て姦淫した場合だけであった。たとえば自分の妻で んでいた行動であった あると信じていた女との交接は、この用語の厳密な 抑圧が完全に効果的であったわけではなかったの 意味においては姦淫とはみなされなかった。9) はいうまでもなく、したがって、中世のカノン法な 事態がそれだけであれば、ことは単純そのもので らびに個々のケースにそうした法を適用した教会裁 あったかもしれないが、まだややこしいことがあっ 判所は、性的な言動を抑圧する法を破る違反に多大 た。グラティアヌスは、姦淫の観念を拡大し、さま の関心を寄せた。5)本論文は教会法が性違反のもっ ざまな種類のそれ以外の性行動を含ませたのだ。そ ともありふれたふたつのもの、つまり姦通と姦淫を のひとつとして、グラティアヌスは、単に性的な喜 キーワード:姦通、姦淫、性犯罪 Key words :adultery, fornication, sexual crime ― 271 ― 埼玉学園大学紀要(人間学部篇) 第11号 びを互いに求めて結婚するような人たちは姦淫者だ 与えたとみなされえた。妻のちょっとした過ちは と考えた。10)教会法学者の中には、夫婦間において まったく許容範囲であり、彼女の振る舞いが非難さ すら、特にもしこの二人が避妊の意図をもっていた れるかどうかは夫次第であった。23)しかしながら教 11) 場合には、 過度の性交は姦淫となると考える者が 12) 会法学者の態度がそのようなものであったにもかか いた。 実際、 「姦淫」という用語は非合法な性行動 わらず、修道士、修道尼、あるいは既婚者の姦淫を であれば何であれ、それを意味するべく使用される 除いて、姦淫は実のところ俗人の間では一般的に犯 13) ようになった。 教会法学者たちが性行動の領域を 罪とは信じられていなかったようである。24) 越えて姦淫の領域を拡大し、霊的な姦淫──この言 姦通は姦淫同様、体に対する犯罪として分類され 葉で、彼らが意味したのは偶像崇拝、迷信、14)異教 た。25)教会法学者は姦通を扱う際、初期ローマ法体 の信仰へと戻ること、15)魔術、16)強欲、あるいはモ 系に拠り、驚くほど多くの学説を作り出したのでは ノに対する節度を欠いた欲求17) などである──に あるが、そうだからといって姦通についての中世の ついて語るようになると、事態はますますあいまい 教会法は、単にこのテーマについて初期ローマ法が なものになる。 適用されたものにすぎないと特徴づけることはでき この幅広い定義では、教会法学者が姦淫を罪深い ない。というのも教会法学者はいくつかの基本的な ものだとみなし、姦淫を犯した者すべてが罰を免れ 点でローマの法律家によって採用された姿勢とはひ ることはできないと教えることになったのは、もし どく異なっていたからである。 かしたら不可避であったかもしれないが、18)しかし ローマ法は、手の込んだやり方で姦通を取り扱っ 明らかにこれは道徳的な判断であって、法的な原則 たのではあるが、驚くべきことに、この犯罪を構成 ではなかった。教会法学者の中には、姦淫の特定の するものが何かを事実上定義しなかった。26)中世の 行動の背後の事情は相互に無関係であり、個々の 教会法学者はもっと大胆であり、姦通を正確に定義 ケースを扱う際に、その違いは考慮されるべきでは しようと試みた。彼らは基本的には婚姻の床の冒涜 ないと考える者もいた。19)この原則は道徳的な立ち という言葉でそれを定義した。27)姦通は自分自身の 位置としては適切であったかもしれないが、法的な 配偶者以外の既婚者との性関係にあった。28)相手側 原則としては、うまく機能しないし、教会法学者た の配偶者の同意があってもこの犯罪の特質を変える ちも、そのことを明示的に認めるようになった。彼 ことは出来ず、宥恕できる状況であればそのゆゆし らは実際問題として、事件とそれにかかわっていた さを軽減することはあっても、この犯罪の性格を変 当事者たちの事情に従って、罪の程度を、したがっ えることはなかった。29)時には、明らかにその定義 てそれゆえ罰の程度を区別する必要があると考えた。 から逸れ、他の種類の行動に対して強い否定を表明 このようにして彼らは既婚者によって犯された姦淫 したいと望むとき、教会法学者は姦通を隠喩的に を、その法的な配偶者とは切り離して、たとえば軽 語った。このようにして彼らは「姦通」という用語 罪として取り扱うことにした。20)実際、『標準注釈』 を、あらゆる種類の性的な欲望を述べるのに使い、 が注記しているように、姦淫者は、事情次第では、 その中に自分自身の妻との交接の過度の欲求、30)誰 貞潔であった人よりも法によって優遇されるかもし かほかの人の婚約者との性交、31)あるいは司祭とそ れなかった。21)姦淫をおかした聖職者という、とり の霊的娘との交接32) を含ませた。彼らはある種の わけ微妙なケースにおいてすら、ルキウス3世とグ 結婚を姦通の結びつきとしたこともある。たとえば レゴリウス9世の両教皇の教令は、もしその聖職者 秘密結婚あるいは非合法結婚は言うまでもなく、33) の振る舞いがはなはだしくひどいものではなく、多 誤った目的のために契約された結婚、34)もしくは配 くの人に知られてもいないようなら、彼は寛大に取 偶者が生きている間に離婚した人がおこなう結婚35) り扱われ、その仕事を続けるのを許されてもいいと は、そのようなものと特徴づけられることになった。 22) 考えていた。 もうひとつの例を引用すると、妻の それでも姦通の観念は、姦淫のカテゴリー以上に、 同意なく純潔の誓いをした夫は、妻に姦淫の許しを 教会法学者によってきわめて正確に使用されたし、 ― 272 ― 翻 訳 彼らは姦淫の中心的な性的意味に執着した以上に、 ざまな障害を甘受することになった。44)実際の裁判 厳密にこの姦通という犯罪の定義に執着した。姦淫 所では、姦淫で有罪とされた者に科された罰のもっ 同様、姦通を有罪とするためには、人の行動の性質 ともありふれたものは、しばしば比較的軽い罰金で を意識しなければならないし、36)実際、犯意という あった。45)しかしながら姦淫で有罪とされた聖職者 要素は、 『標準注釈』によって、姦通という犯罪には は、もっとひどい罰に服すことになり、もしその犯 不可欠だとみなされていた。37)このようにして既婚 罪が多くの人に知られていたなら、彼らから聖職者 者との性交は、暴力によっておこなわれた時には、 としての地位が剥奪されることすらありえた。46)姦 暴力を用いた側のみ、姦通だとみなされたのであっ 淫で有罪を宣告された俗人は、自分の犯罪の結果と た。38) して結婚するべしとの判決が下されるさらなる危険 ローマ法と中世のカノン法における姦通の取り扱 を背負うことになった。47) いのもっとも重要な違いのひとつは、両性の法的等 単純姦淫と比べると、姦通のいっそう大きなゆゆ 価性と関係していた。ローマ法では、姦通は、既婚 しさは、同じく中世教会法学者の刑罰法に反映され 女性の犯罪として取り扱われた。言い換えれば、既 ていた。とはいえ教会法学者は姦通を扱う際、世俗 婚男性は、もし妻以外の女性と非合法な関係をもっ 法システムのもっとも強力で頑固な伝統のひとつ、 た と し て も、 姦 通 を 犯 し た こ と に は な ら な かっ つまり姦通をした男と不実な妻を殺すことによって 39) た。 ところが中世の教会法学者たちにとっては、 復讐するという、毀損された夫の権利を原則的に拒 姦通は、男がおかそうと、女がおかそうと、犯罪で 絶した。ローマ法は姦通に死刑を主張し、不当に扱 あった。男も女も両方とも、姦通行為で同じように われた夫に姦通した男を殺すことを認めた。ただし 40) 罰せられた。 実際、カノン法の中には、姦通は女 姦通した妻を殺す権利は、「姦通に関するユリア法」 によってなされるよりも男によってなされた場合、 によって夫よりはむしろその父親に留保された。48) もっと深刻だとする観念へのある種の支持すら存在 実際のところ、この古代法は、姦通事件において死 した。男は家長であるから、徳の点で配偶者にまさっ を科す、もっと古いローマの慣習をやわらげる試み ていなければならないと期待されていたのだ。それ を表していたのだ。というのも「ユリア法」の目的 ゆえ姦通事件では男は女以上に厳しく罰せられるべ は、基本的には、私的ではなく公的に姦通男を罰す 41) きものとされた。 ることを保証することであったからである。49) 教会法学者も性犯罪の体系的階層制を念入りに作 ゲルマン人侵入者たちの法は、不当な扱いを受け り上げた。姦淫はあらゆる性犯罪の基本となるカテ た夫が、その罪深い妻やその相手を殺すことによっ ゴリーであり、一般的にこの用語は、それらすべて て復讐する権利を持っているという古い伝統を断ち 42) を含んで使用されることがあった。 ところが未婚 切っていなかったのだが、50)教会は、この伝統的な の人々の間での性関係を意味するために厳密な意味 権利を緩和しようとし、 「現行犯」で捕えられた場合 で用いられる場合、姦淫は、性犯罪の中でもっとも ですら、不貞を犯した配偶者を殺すことができると 軽いものであった。姦淫より深刻なのが、重婚であ する観念を拒絶した。51)中世における世俗法は、姦 り、そしてそれよりもっと深刻であったのが、姦通 通事件における私的な殺人を大目に見るのをやめな であった。姦通以上に、ゆゆしさの点でまさってい かったが、それよりも軽い罰が次第に一般的になっ るのは、インセストであり、他方、すべての性犯罪 てきた。52)それはひょっとしたら教会法の影響の結 の中でもっとも憎むべきは、同性愛であれ異性愛で 果かもしれない。より軽い罰としてたびたび使われ あれ、自然に反する性交であった。43) たのは、むち打ちとか髪の毛をそるという公的に恥 性犯罪のこの階層秩序は、カノン法の刑罰システ 辱を与える形式であったが、それに加え、しばしば ムに反映されていた。姦淫で有罪とされた人は、聖 とても重い罰金を科すこともあった。53)配偶者は不 俗を問わず、名誉剥奪に値する者と分類され、その 貞をおこなった相手の行動を決して大目に見てはな ようなものとして、そのことからもたらされるさま らないという観念も、科罰の構造に基本的であった。 ― 273 ― 埼玉学園大学紀要(人間学部篇) 第11号 中世の教会法学者たちは、妻の婚姻外の火遊びを 由を提供したのであり、法廷はしばしばこのような 知った後、不貞をおかした妻と別れない男は、ある 離婚を命じていた。他方教会裁判所の裁判官たちは、 意味では、その情事の片棒をかついだのであり、ポ 法律上の離婚へといたる審理には用心深く、かなり ン引きと分類されるべきだというローマ法の原則を の頻度で、離婚よりはむしろ贖罪もしくは和解を求 54) 維持していた。 それに加えて、妻の不貞に寛容で めようとしたようであり、いくつかの事件ではそれ あった夫は、叙階ならびに教会における昇進には不 が功を奏したように見える。66) 55) 適だともされた。 男に対してであれ、女に対してであれ、教会法が、 教会法における姦通と姦淫のための科罰は、とり 姦通した側とのその後の結婚を放棄することに対す わけ既婚者に重かった。教会法学者たちは、婚姻外 る障害を設定していることで、姦通者は、ある意味 の性関係は結婚の絆を解消させるものではないと主 では、二重に罰せられたことになる。ここで教会法 張していたが、56)婚姻外の戯れの事実は(あるいは 学者たちの底に横たわっていた理論は、二人の間の ひょっとしたら単なる疑いですら)罪を犯さなかっ 性関係は代父母と代子の間の関係によく似た法的な た 方 に、 罪 を 犯 し た 相 手 と 別 れ る 正 当 性 を 与 え 姻族関係の絆を作り上げるというものであった。67) た。57)事実、既婚者の正当な離婚として教会法学者 婚姻外における性関係が教会法学者たちに突きつ たちが暗に賛成しようとした唯一の理由がこの婚姻 けたもうひとつの難しい問題は、このような結びつ 58) 外の戯れであった。 この理由による離婚ですら、 きから生まれた子どもの地位に関係していた。両親 制限が設けられていた。ひとつには離婚訴訟を起こ の罪は、子どもには伝えられるべきではないとする す側は、自分自身、姦通に関しても姦淫に関しても、 名誉な伝統があった──たとえばグラティアヌスは 罪ありとされていてはいけなかった。もし彼(もし そのことを知っていた──ものの、68)こうしたこと くは彼女)が、そうであったなら、この事件は流れ に関する法の一般的結論によると、通常のものでは 59) ることになった。 さらに姦通のゆえに認められた ない結びつきから生まれた子どもは、実際は法に 離婚は、願い出た側が、その後、姦淫もしくは姦通 よって差別されてしかるべきだとされていた。69)こ で 有 罪 と さ れ た な ら ば、 無 効 と な る 場 合 も あっ の点について、教会法が耐え難くなるほど厳しくな た。60)この理由で別れた人たちは、別れた相手が生 らないように守っていたのは、この一般的な法の厳 61) きている間中再婚が許されなかった。 そのうえ、 格な結果を避けるふたつの手段についての規定で 離婚訴訟の結果が定まっていない間は、一緒に住む あった。ひとつの手段は、可能になった時には、の ことが双方に求められ、その事件が解決するまで、 ちに両親が結婚することによって通常のものではな 共に住んでいるその家を離れることはできなかっ い結びつきから生まれた子どもを嫡出化することで 62) た。 あった。別な方法では、教会の教権による免罪の力 もちろん姦通で有罪とされた既婚者たちは、通常、 の行使によって、この子どもを通常のものではない 離婚を求められたのではなかった。望まれたのは、 出生というスティグマから解放し、両親の無分別の むしろ罪を犯したほうが、贖罪をおこない、そして 厳しい結果からその子どもを逃れさせることができ 結婚はそのまま続けることであった。63)しかしなが た。 ら贖罪が済まされるまでは、配偶者たちが、お互い 私がここで手短にスケッチしたのは、13世紀中ご の性関係を持つことは許されなかった。64)ところが ろにはすでに出現していた姦通と姦淫についての法 教会法学者たちは、姦通を犯した二人が別れないで 的取扱いに関するひとつの見方である。ふたつの結 いることを望むものの、そのことを主張する覚悟ま 論的な所見がふさわしいだろう。第一に、私が述べ ではなく、姦通の適法なる結果として、離婚を黙認 てきたような教会法の状況は、 『グラティアヌス教令 しようとした。65)裁判所における実際の運用につい 集』 (1140年ごろ)と『集外法規集』の刊行(1234) て報告されているばらばらな証拠は法律書の陳述を の間の百年間における法の活発な一新の結果なのだ。 裏書きしてくれる。実際のところ、姦通は離婚の理 急激に発展したその百年間に、結婚せずに性的な関 ― 274 ― 翻 訳 係をもった者たちと彼らの子どもの地位は、教皇と Fransen and Stephan Kuttner, Monumenta iuris 教会会議の立法活動の結果として、また結婚自体に canonici, ser. A. vol. 1 (New York: Fordham ついての教会法学者たち、とりわけその時期の大学 の法学部で教えていたアカデミックな教会法学者た University Press, 1969), 1:39. 3)Joseph Freisen, Geschichte des kanonischen ちによってなされた法原則の再検査とシステム化の Eherechts bis zum Verfall der Glossenliteratur, 結果として著しく変わった。70) 2d ed. (Paderborn: F. Schöningh, 1893; rpt. 第二に、そして最終的に、姦通と姦淫の法は、こ Aalen: Scientia Verlag, 1963), p. 45. のプロセスの終わりに現れてくるように、かなり恒 4)W. E. H. Lecky, History of European Morals, 2 久的なものであった。この領域での法は、少なくと vols. (New York: George Braziller,1955), 2-282; も形式的には、西洋世界の多くの地域で、今なお通 Bronislaw Malinowski, “Parenthood, The Basis of 用している。姦通と姦淫に関しての中世の教会法は、 Social Structure,” in The Family: Its Structure 明らかに12世紀末と13世紀初めに通用していた結婚 and Function, ed. Rose Laub Cross (New York: と性関係についての神学の諸学説に基づいて形作ら St. Martin’s Press, 1964), pp. 18-19. れた。これらの学説は、婚姻外におけるどんな性行 5)再び、ほんの一例として、14世紀におけるパリ 動も不道徳であるのみならず、犯罪であるともみな の裁判台簿についてのレヴィの研究は、21件の していた。このような観念に基づいて、姦通と姦淫 姦通の事例と、それ以外の10件の非合法性交の についての中世法は、その特徴的な姿をとった。71) 事例を報告してくれている。ケリーは、ロチェ このテーマに関する法は、もはや広く共有されてい スターの裁判記録を扱いながら、非合法の性交 るわけではない神学的な見解の反映であり、それに は、彼が調べた190件の事例のうち、少なくと 基づいたものなのである。我々には、そのような法 も124例で示されていると述べている。ウース がその有用性が消滅した今でも生き残ってはいない ターの地方司教区裁判所の事例についてのピア かどうか、そして聖ヨハネによってイエスに帰せら ソンによる刊行は、残されている事例中88パー れている見解が、語られるべき内実をもっているか セントにおいて、姦通もしくは姦淫が見られる どうか尋ねる権利があると、私は考える。 ことを示している。以下を見よ。Jean-Philippe Lévy, “L’officialité de Paris et les questions familiales à la fin du XIVe siècle,” Études 注 d’histoire du droit canonique dédiées à 1)ヨハネ8- 7。 Gabriel Le Bras, 2 vols. (Paris: Sirey, 1965), 2)多 く の 中 で、 次 の も の が あ げ ら れ る。St. 2:1277 n. 85; Henry Ansgar Kelly, “Clandestine Jerome, Adversus Jovinianum 1.20 (PL 23:249); Marriage and Chaucer’s Troilus” Viator 4 Arnobius, Adversus gentes 3.9-10, 4.19 (PL (1973): 440; Frank S. Pearson, “Records of a 5:947-50, 1039); Tertullian, Ad uxorem 1(PL Ruridecanal Court of 1300” in Collectanea of 1:1385-89); Hugh of St. Victor, On the Sacraments the Worcestershire Historical Society, ed.S.G. of the Christian Faith 2.11.9, trans. Roy J. Hamilton (London: Worcestershire Historical Deferrari (Cambridge, Mass.: Mediaeval Society, 1912), pp. 69-80. Academy of America, 1951), p. 342. 同様の態度 6)C. 36 q. 1 d.p.c. 2 §1: Fornicatio autem, licet は、教会法学者たちによっても表明された。そ videatur esse genus cuiuslibet illiciti coitus, qui の 中 で ほ ん の 一 例 と し て あ げ れ ば、Joannes fit extra uxorem legitimam, tamen specialiter Teutonicus, Glossa ordinaria to D. 13 d.a.c. 1 intelligitur in usu viduarum, vel meretricum, vel ad v. Item adversus; Summa “Elegantius in concubinarum. iure diuino” seu Coloniensis 1.35, ed. Gérard 7)C. 32 q. 4 d.p.c. 10. ― 275 ― 埼玉学園大学紀要(人間学部篇) 第11号 26)J. A. C. Thomas, "Lex Julia de adulteriis 8)C. 32 q. 4 c. 12, citing Jerome on Gal. 5:19. 9)C. 34 q. 2 d.p.c. 7. coercendis," Études offertes à Jean Macqueron 10)C. 32 q. 2 d.p.c. 1. (Aix-en-Provence, 1970), p. 637. 11)C. 32 q. 2 c. 7; cf. John T. Noonan, Jr., 27)C. 36 q. 1 d.p.c. 2 §3; C. 32 q. 1 c. 11. Contraception: A History of Its Treatment by the 28)C. 32 q. 5 d.p.c. 14, c 16. Catholic Theologians and Canonists (Cambridge, 29)C. 32 q. 4 c. 4; 同じく Azo, Summa to Cod. 9.9 (pp. 329-30). Mass.: Belknap Press, 1965), pp. 129-30. 30)C. 32 q. 5 c. 13; Glos. ord. to C. 27 q. 1 c. 20 ad v. 12)Glos. ord. to D. 13 c. 2 ad v. maiora. 13)Huguccio to C. 15 q. 8 c. 1 pr. (BN, ms. lat. 3892, peiores. ); Joannes Andreae, In quinque 31)Justina Ruiz de Conde, El amor y el matrimonio decretalium libros novella commentaria to X secreto en los libros acaballerias (Madrid: fol 225 va Aguilar, 1948), p. 21. 4.13.6, no. 5 (Venetiis: Apud Franciscum Franciscium, 1581; rpt. Torino: Bottega 32)C. 30 q. 1 c. 9. d’Erasmo, 1963) fol. 41rb; A. Esmein, Le marriage 33)Ruflnus, Summa decretorum to C. 30 q. 5 c. 1 en droit canonique, 2 vols. (Paris: Sirey, 1891; ad v. adulteria, ed. H. Singer (Paderborn: F. rpt. New York: Ben Franklin, 1968), 2:104. Schöningh, 1902; rpt. Aalen: Scientia Verlag, 14)C. 28 q. 1 c. 5. 1963), p. 469. 15)X 3.32.20. 34)C. 32 q. 2 c. 2; C. 32 q. 7 c. 27. 16)X 4.19.2. 35)C. 32 q. 7. c. 7. 17)C. 28 q. 1 c. 5. 36)C. 34 q. 2 c. 6. 18)C. 27 q. 1 c. 20. 37)Glos. ord. to X 4.15.6. 19)C. 14 q. 6 c. 4. 38)C. 32 q. 5 c. 4. 20)Glos. ord. to X 4.15.6 ad v. fornicario modo. 39)Thomas, "Lex Julia," p. 637. 21)Glos. ord. to D. 34 c. 7 ad v. non patitur. 40)C. 32 q. 4 c. 4; C. 32 q. 5 c. 23. 22)X 3.2.7,10. 41)C. 32 q. 6 c. 4-5. 23)C. 27 q. 2 c. 24. 42)C. 32 q. 7 c.15. 24)Y.-B. Brissaud, “L’infanticide à la fin du moyen 43)C. 32 q. 7 d.p.c. 10 and c. 11, 14. âge, ses motivations psychologiques et sa 44)Summa Parisiensis to C. 6 q. 1 pr. ad v. notati, répression,” Revue historique de droit français ed. T. P. McLaughlin (Toronto: Pontifical et étranger, 4th ser. 50 (1972):232. 同様に、ア Institute of Mediaeval Studies, 1952), p. 130; C. スコリのヒエロニムスは、ギリシャ人たちが単 6 q. 1 c. 17. 純姦淫を罪とはみなさなかったことを非難した。 45)Lévy, "L'officialité de Paris," 1277; Robert C. この非難をアルベルトゥス・マグヌスも繰り返 Trexler, Synodal Law in Florence and Fiesole, した。Deno Geanakoplis, "Bonaventura, The Two 1306-1518 (Città del Vaticano: Biblioteca Mendicant Orders, and the Greeks" (Paper Apostolica Vaticana, 1971; Studi e testi, vol. 268), p. 50. delivered at the annual meeting of the American 46)Glos. ord. to D. 32 c. 5 ad v. audiat. Historical Association, Chicago, 1974). 25)Azo, Summa super Codicem 9.9 (Pavia: Per 47)Michael M. Sheehan, "The Formation and Bernardum et Ambrosium fratres de Rouellis, Stability of Marriage in Fourteenth Century 1506; rpt. Torino: Bottega d’Erasmo, 1966), p. England: Evidence of an Ely Register" 329. Mediaeval Studies 33 (1971): 253-55; Richard ― 276 ― 翻 訳 H.Helmholz, "Abjuration sub pena nubendi in 59)C. 32 q. 6 d.p.c. 5; Glos. ord. to X 5.16.6 ad v. the Church Courts of Medieval England," The mutua compensatione. 60)X 4.19.5. Jurist 32 (1972):80-90. 48)Thomas, "Lex Julia," p. 638. 61)C. 32 q. 7 c. 3; C. 27 q. 2 d.p.c. 32; X 4.7.4. 49)Thomas, "Lex Julia," pp. 640-41. 62)X 2.16.2. 50)E.g., The Lombard Laws, Rothair 212, trans. 63)C. 32 q. 1 c. 5-8. Katherine Fisher Drew (Philadelphia:University 64)C. 32 q. 1 c. 6. of Pennsylvania Press, 1973), p. 93. 65)Glos. ord. to X 5.16.3 ad v. sed non saepe. 66)Lévy, "L'officialité de Paris," pp. 1277-78; 51)C. 33 q. 2 c. 9. 52)E.g., Frederick II, Constitutiones regni Siciliae Sheehan, "Fornication and Stability of Marriage" 3.74(52) in Historia diplomatica Friderici は、検査された登録台帳の中にわずか一例の姦 secundi, ed. J. L. A. Huillard-Bréholles, 6 vols. 通の事例しか見つけなかった。しかし二重結婚 (Paris: Plon, 1852-61; rpt. Torino: Bottega の事例については、49例も見つけた。 d'Erasmo, 1963) 4/1: 158; A. H. de Oliveira 67)この点について、法はゆっくりと結晶化した。 Marques, Daily Life in Portugal in the Middle シャルトルのイヴォは、11世紀末の法を土台と Ages (Madison: University of Wisconsin Press, するなら、このような問題を解決するのはきわ 1971), pp. 177-78; and cf. the stark summary of めて難しいことを発見した。そして12世紀中ご the so-called Doctor Raymundus von Wiener- ろのグラティアヌスですら、そのことについて Neustadt, Summa legum brevis, levis et utilis 教令集の二カ所で論じたものの、そんなに明白 1.30, ed. Alexander Gál (Weimar: Böhlaus, ではなかった。13世紀の初めになって、ようや 1926): Hoc rerum secundum canones. く姻族関係に関する法原則が現れ始めていた。 Secundum leges autem mulier deprehensa in Esmein, Le mariage, 1:208-10; C. 31 q. 1 c. 1-5; adulterio insaccatur vel viva sepeliatur. X 4.7.1,3, 5, 6; 4.13.8. 53)Richard H. Helmholz, "Infanticide in the Province 68)D.56,c.5-8. of Canterbury during the Fifteenth Century," 69)D.56 d.p.c.13. History of Childhood Quarterly 2 (1975):384; 70)以下の所見参照。Michael M.Sheehan, “Marriage Evelina Rinaldi, "La donna negli statuti del and Family in English Conciliar and Synodal commune di Forli, sec. XIV," Studi storici 18 Legislation,” in Essays in Honor of Anton Charles (1909):189; Glos. ord. to c 32 q. 1 c. 5 ad v. et Pegis, ed. J Reginald O’Donnell (Toronto: calvatos. Pontifical Institute of Mediaeval Studies, 1974), 54)Cod. 9.9.2; 9.9.17.1; Dig. 48.5.2.2,6. 中世のロー マ法学者たちは、パートナーを換えることは、 pp.211-12. 71)Lecky, History of European Morals, 2:351の所 姦通を犯している配偶者と同じ罰に服すること 見を参照のこと。 になるとも教えた。Glos. ord. to Cod. 9.9.2 ad v. (本翻訳は、Vern L.Bullough & James Brundage, crimen lenocinii; cf. Frederick II, Constitutiones Sexual Practices & the Medieval Church, 3.76(54) in Huillard-Bréholles 4/1:169; and Glos. Prometheus Books, 1994中 の 第11章、James A. ord. to X 5.16.3 ad v. reus sit. Brundage, Adultery and Fornication: A Study in 55)D. 34 c. 11. Legal Theology, pp.129-134, 258-261 を訳したも 56)C. 32 q. 7 c. 1. のである。) 57)C. 32 q. 1 c. 2; C. 32 q. 5 c. 18; C. 32 q. 7 c. 10. 58)C. 32 q. 5. c. 19-22. ― 277 ―