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18 世紀における演劇性の問題 - Kyushu University Library

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18 世紀における演劇性の問題 - Kyushu University Library
18 世紀における演劇性の問題
阿 尾 安 泰
九州大学大学院言語文化研究院 言語文化論究 第28号 平成24年2月発行 抜刷
Faculty of Languages and Cultures, Kyushu University
Motooka, Fukuoka, Japan
STUDIES IN LANGUAGES AND CULTURES, No.28, February 2012
Studies in Languages and Cultures, No.28
18 世紀における演劇性という問題
阿 尾 安 泰
はじめに
18 世紀について語られる場合に常に言及されるのが、間というイメージ、つなぎというイメージ
である。古典主義の黄金期と近現代の夜明けの間に位置する中間期というわけである。そうした位
置づけにそれなりの正当性を見いだすとしても、目指すところは古典の威光を傍証するためであっ
たり、近代の大きな動きを際立たせるためであったりすることが多く、18 世紀自体の価値が問題に
なることは少ない。
演劇という問題に限っても、事態はそれほど変わりないように思われる。コルネイユ、ラシーヌ、
モリエールといった偉大な作家たちを輩出した 17 世紀とエルナニ事件に象徴されるようなロマン主
義演劇運動が展開した 19 世紀とのあいだに挟まれ、18 世紀はつかの間の光を放っているかにすぎな
いようにみえる。
こうした中で取るべき道は主としてふたつ存在するように思われる。ひとつは 18 世紀における演
劇活動の活発さを指摘することで、このジャンルの重要性を明らかにしていこうとする方向である。
実際この世紀において演劇活動は盛んとなっていく。劇場、観客の数の増加などによる演劇活動の
向上を指摘することは難しくないし、そうした研究も少なくはない(1)。確かに演劇の流れという歩
みを設定し、そこに展開する様々な運動を記述するということは重要な作業であろう。大きな全体
を想定し、そこで各部分が占める役割を考察する通時的な研究の価値も尊重されるべきであろう。
18 世紀の果たした役割を明確にするわけである。
そうした探求の重要性を認めながらも、ここでは別の方向を志向したい。18 世紀において演劇と
いう枠組みを用いて展開していった言説の動きを記述してみたいのである。言ってみれば共時的な
アプローチである。演劇もしくは演劇を巡って書かれるテキスト群が対象となるが、文学的なもの
に限られるわけではない。たしかにそうした部分は重要な位置をしめるであろうが、それ以外に演
劇的な思考方法は、この時代において政治、経済、社会、哲学、科学などの分野に深い影響を及ぼ
しているのではないだろうか。演劇というジャンルは現代とは異なる位相を占めていた。確かに各
時代を貫いて流れていく演劇の流れを想定するとき、劇作という文学的な分野としての統一性は確
保されるであろうが、同時にその時代の他の領域と演劇とが持っていた動的な関係性という観点は
見失われる恐れがある。そのためにこの論文においては、あえて共時的な視点にこだわってみたい。
「演劇性」なるものを持ち出すのも、芸術作品をささえるような文学的、抽象的な理念として掲げる
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のではなく、思考の枠組みを支えるような認識モデルとして考えるアプローチを試みたいからであ
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る。演劇が提供する枠組みを用いて、18 世紀の思想家が自己の置かれた状況に応じて、いかなる知
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の体系を打ち立てようとしたのかを探求し、同時代人たちが共有した言語文化環境の形成を問題に
してみたい。そのように思考の輪を広げていくことによってはじめて、啓蒙の世紀として一括りに
され、均質的なイメージがあたえられている時代が、実は微細な動きにより形成された力動的なメ
カニズムによる複雑な構造をもつことが明らかになるのではないだろうか。今日の言葉で言えば、
領域横断的な試みがためされていった 18 世紀にたいして、新たな接近法が遂行されるべきであろう。
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以下に展開するのはそうした分析活動に向けてのささやかな準備作業である。
1.演劇性という視点の持つ意味-二極化という棲み分けを越えて
ここですぐに「演劇性」という観点からの分析に入ることをせず、少し迂回をしてみたい。そう
した概念が、今何故求められるべきなのか考えてみたいからである。演劇ではなく、あえて「演劇性」
という曖昧とも取れそうな言葉を用いるコンテクストを説明する必要があると思われる。そこには
ごく最近の 18 世紀研究を巡るある動きが大きく関係している。
1990 年代以降、18 世紀フランス研究は大きく発展していった。ひとつには、多くの研究者を動員
する総合的な探求の進展があった。特に、レイモン・トゥルーソンたちを中心とする『ジャン=ジャッ
ク・ルソー辞典』(1996)、ミシェル・ドロンが編者となった『ヨーロッパ啓蒙主義事典』(1997)、
さらにイタリアの研究者たちとも協力作業をおこなったダニエル・ロシュたちによる啓蒙の総合的
研究『啓蒙主義の世界』(1997)などがあげられる。大勢の研究者たちを動員して、18 世紀の全体像
を明らかにしていくことで、こうした研究は大きな貢献をなしたと言える。18 世紀におこなわれた
活動を総合的に眺めることが可能となったのである(2)。
こうした幅広い活動と並んで、18 世紀の著作家にかんする個別研究の深まりがあった。たとえば、
ルソーの自伝に関する国際学会(1996)が開催され、これまでルソー作品のなかでもあまり重視さ
れてこなかった作品にも注目があつまるようになった。『告白』に比べてはほとんど無視されてきた
作品『ルソー、ジャン=ジャックを裁く、対話』についての研究(2011)や、『社会契約論』に付随
して断片的に論じられることがきわめて多かった作品である『山からの手紙』についての研究(2005)
が現れるようになる(3)。そうした傾向は同時代人のディドロの場合にも見られる。これまで思想や
文学などの分野で盛んに研究が行われてきたものの、演劇部門については比較的言及が少なかった
が、そうした領域に関する研究がブッファたちにより提起されている(4)。
こうしたふたつの傾向を研究の拡大と深化とみなし、18 世紀研究の将来に期待を持つべきなのだ
ろうか。確かに、こうした状況には否定的な要素は感じられず、期待の地平がその先に広がってい
るかに見える。しかし、逆にその安定性の中にこそ、研究を行き詰まらせる危険が潜んでいないだ
ろうか。研究の二つの方向が成果を上げ続けるとすれば、それは両者が互いに連携をはかるという
条件をおいてはあり得ないという事実はいくら重視してもし過ぎることはないように思われる。こ
の両者は互いの歩みが進めば、進むほど、相手との距離が遠くなっていくので、関係を深めるには
努力が益々必要となっていく。言い換えれば、両者の関係は必要性の認識が薄れれば、たやすくそ
の基盤が危うくなるのである。同時に、どのような関係を持つべきかも問い続けなければならない。
それはいかなる 18 世紀像を志向するのかを問題にすることでもある。実際、対象の広がりと知識の
深化は関連づけられることは次第に少なくなっていく傾向にあった。たとえば、ルソーの情報が深
まれば、深まるほど、時代との関係、また同時代の作家たちとの関係の意識が薄れていくという逆
説的な状況が存在した。深化がある程度広がりを犠牲にして進行するとすれば、政治的著作の研究
が進むほど、文学、芸術などをはじめとする他の領域との連関が希薄となっていくような事態も見
られた。それは道の分かれ目で互いに別の方向を進みながら、どちらの道も最終的には同じ目的地
に導いてくれるという確信を持っている旅人のようなものである。旅を本当につつがなく終えよう
と望むならば、この二つの道が同じところに通じているのかどうかを問題にしながら、自らが歩む
道に対する認識を深めるべきなのである。そうした問いかけをせずに歩みを続けることは危険な賭
といえるかもしれない。幸福をひたすら信じるという不毛さから逃れなければならない。一心に歩
き続けることの充実感に欺かれて、予期せぬ場所にいたる危険を避けなければならないであろう。
自らの歩みを他者との関係の中から絶えず問い返していくべきなのである。
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実際こうした傾向の現れは同時に、それを乗り越えようとする試みをも生み出していった。たと
えば、ピエール・フランツのディドロ研究(1998)がある。彼は絵画の概念でもある「タブロー」
を用いて、それをディドロの演劇を初めとする様々な文化創造の場に持ち込み、領域横断的なディ
ドロの活動を総合的に分析するとともに、その特性をその後展開する 19 世紀的なものと比較して位
置づけようとしている(5)。またサローンたちは全くタイプの異なる思想家とされるディドロとルソー
の間に見られる問題意識の連関性を明らかにするとともに、そうした知の環境を提供した 18 世紀の
言語文化環境を考えようとしている(6)。こうした試みにおいては、多様な言語文化活動のダイナミ
ズムを記述しようとする視点が明らかに存在している。個別研究が開かれた領域を意識しているの
である。
しかし、そこにも問題点が存在しないわけではない。確かに諸概念を比較し、そこに展開する運
動を視野に収めるにしても、関係性を生み出す条件群の探求には向かっていないように思われるの
である。個別的研究と総合的な研究の水準が十分ではないというレベルの話が問題なのではない。
研究がそのように二極化し、棲み分けの状況が生じていること自体が問われるべきであろう。言い
換えれば、そのような状況にたいする無自覚をこそ考察の対象とすべきであろう。二極化を生み出
している場を存立条件とともに考えるのである。先程の比喩で言えば、道が二つあるのはわかり、
その道を辿る者同士の連携の重要性もわかった後に残るのは、そうした二つの道を配する風景の問
題である。そのように二つの道を生じさせる空間の独自のあり方を問わねばならないであろう。そ
の作業を欠いては、現代の枠組みをそのまま無意識のうちに 18 世紀に適用する危険性がある。現代
の言語戦略とは異なる要素から構成される 18 世紀の言説空間を想定することが今求められているの
ではないだろうか。
異なる他者としての 18 世紀を考えてみたい。全体が全体として完結し、細部が揺れもなく、安定
しているというようなモデルではない。18 世紀の全体は静止した統一体というよりは、個々の要素
の集合体として、その各要素が作り出す絶えざる揺らぎの運動のうちにある。そして、各部分は互
いの役割が決定されたきれいな格子状に並ぶような配列をとるというよりは、互いに領域を重ね合
い、相互に影響を及ぼし合う動的な空間を形成している。ここにおいて問われるべきは、18 世紀と
いう全体のいわば結晶構造のようなものではなく、たえざる運動の場となる 18 世紀の言語文化空間
のあり方を規定するような方程式群である。部分と全体との力動的な関係を考えなければいけない
のであるが、18 世紀研究においては、まだそうした問題系の解明のための場の条件の考察には至っ
ていない。ミッシェル・フーコーが強調するような「系譜学」的な視点があまり見られないのである。
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こうした視点は決して 18 世紀研究のための一般的な事柄などではないし、個別的な研究に入るため
にクリアすべき予備的な考察などでもない。きわめて具体的であり、研究の実践の中から確認され
ていくべきレベルの話である。18 世紀の作品を前にしたとき、みずからの現代的な図式をあてはめ
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て解釈することで満足し、その作品を読むことはしない研究が出現することにたいして、批判的な
態度を取ることを可能にするものこそ、そうした観点にほかならない。研究において重視されるべ
きは、問題の内容自体というよりは、そうした問題が出現してくるという状況、そうした出現のた
めの条件であろう(7)。
さらに考えなければいけないのは、部分と全体という二極構造がはらむ還元性、抽象化、図式化
のプロセスである。この説明装置は、その明快さと引き替えにある種の単純化という危険をはらん
でしまう。部分と全体とが整序された形で対応し、論理化されるとき、起こる事態としては、具体
像の捨象、コンテクストによる多義性の忘却などがある。言い換えれば、作品に対する言語行為論
的、位相論的な視点が欠ける恐れが存在する。重要なファクターである、誰が、いつ、どこで、ど
のような状況で、誰にたいして語るのかという視点が欠落するのである。たとえば、ルソーの作品
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の研究においても、執筆活動およびその存立基盤を規定するかに思われる様々な条件に対し、無自
覚であることが多かった。たとえば、『ダランベール氏への手紙』のような作品は演劇にかんする文
化論的な著作にすぎないと見なされ、その複雑な政治的社会的なコンテクストは重視されないでき
た。スイス人たるルソーが、パリという場で、フランスとジュネーヴの双方の読者を想定して語る
というような複雑な状況は、分析においてはほとんど考慮されてはこなかったのである。ルソーは
決して真空状態の中で語っているわけではなく、戦略をもって、議論を展開するわけであり、その
著作の及ぼす効果がパリとジュネーヴで異なるであろうことも計算しながら、執筆したはずである。
そうした錯綜した状況への言及なくしては、18 世紀の複雑な言語文化空間の十分な分析は不可能で
あるかと思われる(8)。18 世紀啓蒙主義はその多様性、複雑性を論じるよりは、フランスという大国
によって達成された文化主義をもって代表させられてきたように思われる。これまでフランス中心
に簡略化されてきた 18 世紀の言語文化公共圏像を、スイス、ドイツなどの諸領域を考慮の対象に入
れることにより修正し、多様性と不連続性を示していくべきであり、その複雑さの中から、18 世紀
の活動のダイナミズムが生まれていくことを提示することが求められている。またフランスに限っ
てみても、そこに均質な言語文化空間が現出したわけではなく、寺田が明快に示したように、様々
な発話者がそれぞれの意志をもって交流しようとする複雑な文化圏が存在したのである。このよう
に言語文化空間の多層性、錯綜した関係性を、18 世紀の言語活動を巡る公共圏の実態を記述するこ
とが今求められている(9)。
そうした中で現れようとする研究は必然的に領域横断性を帯びることになろう。従来の研究がそ
の進展の中で、整序化の名目のもとに分断してきた諸領域を新たに結びつけながら、横断的な探求
を行うことで生じてくる問題系の存在を提起するのである。これまで 19 世紀を準備するものとして
単純化され、役割も限定されてきた啓蒙主義に対する見方を前にして、その複雑さと特性を、時代
を動かした知の構造の分析とともに明らかにしなければならない。以下において、その分析の可能
性の一端を少しずつ考えてみたい。
2.分析の目指す方向-様々な領域からの呼びかけに応えて
ロジェ・シャルチエは”persiflage”「揶揄」と言う概念を用いて、クレビヨン、ヴォルテー
ル、ディドロ、ルソーの作品の横断的な分析を試みた。またフーコーはその講義録において、”
gouvernementalité“「統治性」という概念を展開して、政治、経済、社会、宗教、文学の諸領域を横
断的に踏破して、新たな権力概念を導き出そうとした。このように有効な分析概念を見いだすこと
により、領域横断的な研究の可能性は広がっていく。そこで、すでに述べたように操作概念として、
思考の枠組みを提供する「演劇性」というモデルを考えてみたい。そのとき問題となるのは、ジャ
ンルとしての演劇ではないし、また具体的な演劇作品に限定されるわけでもない。ジャンルとして
の演劇という枠にしばられたために、従来の研究は、文学と演劇、政治と演劇といった関連したジャ
ンル間の比較論の範囲を出ることができなかった。また多くの芸術作品から抽出して構成されるよ
うな審美的な概念を想定するわけでもないし、すぐれた作品を生み出す基盤を問うことで満足する
わけでもない。そうした概念の研究に問題を限定すれば、議論をもっぱら美を対象とした狭い範囲
にとどめてしまう恐れがある。そこで具体性、抽象性という 2 分法の罠に陥らないものとして「演
劇性」という概念を設定してみたい。それは「演劇」とはいかなるものかという内容を問う概念で
あるよりは、形式的なモデルとして考えたい。つまりその枠組みを用いることで、何らかの思考が
表現可能となるものである。演劇という形式を用いることで、舞台などをそのまま表現行為の場と
して用いる場合もあれば、著作などにおいて自らの思考をよく表す比喩として用いられる場合もあ
るにせよ、そうした形式的利用を可能にするモデルとして提示したい。演劇という言語行為が可能
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にする言語表象体系の枠組みの全体を考慮の対象に入れることにする。そして、この枠組みは演劇
というひとつの分野にとどまるだけでなく、他の政治、経済、社会の領域において、思考を展開す
る際の知のフレームを構成していく。18 世紀は現在のような知のエピステーメーを獲得していたわ
けではなかった。その限られた条件の中では、演劇モデルが今とは異なる形で、文学以外の場である、
政治、経済、医学などの諸領域を結びつけ、活発な言語文化活動を展開したことを明らかにしたい。
実際 1750 年代において演劇は大きな地歩を築いていた。その演劇から様々な領域に向けて風が吹き
込み、思考の枠を広げていった。美学的な観点からは、絵画、音楽などとの比較が、また哲学的に
は言語というものの役割と機能の問題が、さらに演劇という制度をめぐっては社会的、政治的なア
プローチが問題とされようとしていた。演劇はこのように多くの問題系を創出することができる枠
組みを提供していたのである(10)。
このように分析において志向する方向をある程度決めた上で、具体的な作品を挙げながら、準備
的な作業をすこしずつ進めていくことにする。これまでに関係があまり強調されてこなかった部分
に光をあててみたい。独自の教育論を展開していったルソーの『エミール』と、ルソーが評価した
医師であるティソが執筆し、18 世紀に医学書として、驚異的な販売部数を示した『オナニスム』を
はじめに取り上げてみたい。ただし、この連関は教育書と医学書という相違を越えて、思ったほど
突飛なものではない。ティソがその書の中で、『エミール』の作者ルソーの功績に言及しているから
である。
最も効果的で、唯一実効性のある予防法とは、議論の余地なく、みずからの同類と彼らが歩むあらゆる道
に最も精通している偉人が示した予防法である。この偉人は、単にみずからの同類がいかなる者であるかだ
けでなく、これまで同類たちがどうであったのか、またどうあるべきなのか、さらにどのようになれるのか
まで理解した。彼は同類たちを正真正銘愛し、彼らのために最大の努力をした。彼らのためにみずからを犠
牲にしたが、彼らから最も激しく迫害された。「若者に細心の注意を払いなさい。昼も夜も、彼が一人にな
らないようにしなさい。少なくとも若者と同じ部屋で寝なさい。若者が心を奪われる習慣のうちで最も不幸
なこの習慣を身につけるやいなや、彼はその惨めな影響を死ぬまで持ち続けるのである。彼は常に身も心も
弱っている」このことに関する卓越した所見をすべて読むためには、この作品そのものを参照されたい(11)。
ティソがここで「偉人」として挙げているのが、その著作につけた注をみるまでもなく、ルソー
であるというのは当時の人々にとっては明らかであった。問題となっている悪弊というのが、ルソー
もその著作で警告を発したオナニスムであることを知れば、両者の関係はごく自然なものと思えて
くる。この両テキストはその題材の点から密接な関係にあるのだから、その両者を結びつけること
に違和感はないかとおもわれる。そうした観点からのアプローチであれば、これまで述べてきたよ
うな「演劇性」という分析モデルを持ち出すまでもないであろう。ただ、これまで強調してきたよ
うに、ここでの分析において重要視したいのは、内容というよりは、そうした内容の表現の仕方、
内容の展開の仕方といった形式的な側面である。内容からのアプローチを重視すれば、現在の枠組
みをそのままあてはめて解釈をする危険性が高くなるからである。形式的な面に注目することで、
新たな研究の地平を考えてみたい。その際注意すべきは、我々が持つ教育書、医学書というイメー
ジであろう。すでに我々はそうしたジャンルの著作についてあるイメージを抱いており、ごく自然
なものとさえ感じている。その考え方を 18 世紀の著作について持つべきではないし、その枠の中に
作品を押し込めるべきでもないだろう。当時の書物は独自のコンテクストの中で存在しているので
あり、時代の状況をこそ分析すべきである。
そうした観点からみるとき、ティソの『オナニスム』は、現在の我々が想像するような医学書の
叙述をしていないことがわかる。症状を冷静に具体的、客観的に述べるのではないのである。その
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描写に当たって演劇的な観点を取り入れて効果をあげようとしているかに見える。まず恐怖が喚起
される。
私がご紹介する症例は、劈頭から地獄絵図さながらである。私自身、その不幸な患者を初めて診た時は、
恐ろしさにすくみ上がってしまった。そして、若者たちがすすんで身を投じる深淵がいかに恐ろしいもので
あるか、余すところなく彼らに示してやらねばとの感がいや増したのも、まさにその時であった(12)。
ここに現れているのは、症例の病理学的な概観などではなく、迫ってくる恐怖の予告である。実際、
この後に展開するのは、凄まじいまでの描写である。
時計職人の L.D*** は 17 の歳までは品正方正で健康にも恵まれていた。だが、その頃から彼は日々オナニー
に耽るようになり、3 度も繰り返す日さえ珍しくないというありさまだった。(・・・)そして繰り返す罪
の行為は日を追うごとに回数を増し、ついには彼も死の危険をおぼえるに至った。(・・・)彼はすっかり
体力を喪失した。職も放棄せざるを得ず、何も出来ず、惨めさにうちひしがれて、数ヶ月の間ほとんど何の
救いもない状態で衰弱していった。(・・・)まさに畜生以下の存在で、想像を絶するこの惨状を前にしては、
この男がかつて人間であったことなどは、到底信じられるものではなかった。(・・・)そして、数週間後、
1757 年 6 月、彼は全身を浮水腫に冒されて死亡した(13)。
こうした記述を前にして、現在の医学的な基準から、その前近代性を指摘することは決して難し
くはないし、19 世紀において、そうした主張が盛んに繰り返されたことも事実である。その批判
にある程度の正当性を認めながらも、ここでは別の観点から問題を考察してみたい。医学という学
術的な論述の中に、恐怖の描写が突然現れるという事態の方に注目したいのである。ティソ自身は
その共存に、根本的な違和感を覚えているようには見えず、むしろそうした配置から、ある種の効
果を引き出そうとさえ考えているふしがある。このような情動的な語りの導入の中に、「演劇性」
なるものを考えた言語戦略を想定することはできないだろうか。ティソは恐怖に満ちた情景描写
(tableau)を通じて読者への説得を試み、悪弊の予防を考えている。こうした語りの挿入によって読
者への効果をあげるという技法にたいして、ルソーも無自覚であったとは思えない。ルソーの『エ
ミール』という作品を考えてみよう。現在、人々は違和感なく、この著作を教育的な論考と位置づ
けているが、本当にそのように明確に位置づけられるものだろうか。実際に読んでみると、この作
品は決していわゆる理論的な著述ではないように思われる。様々の位相をもつテキスト群が作品の
中に共存しているかのようである(14)。その作品の第4篇において、ルソーはサヴォワの助任司祭の
信仰告白というテキストを挿入している。ルソーは、これからはじまる舞台を先取りするかのように、
まず登場人物の予告を行う。
(・・・)そこで、しばらくの間、そういう光景を無言のまま眺めていたが、やがて、やすらかな心の人は
次のようにわたしに語った(15)。
ここから助任司祭の告白がはじまっていく。
わが子よ、わたしから博学な議論や、深遠な理屈を聞くつもりでいてはいけない。わたしは大哲学者なん
かではない。またべつにそんなものになりたいなどと思ってもいない (16)。
教育論の中に突然新たな登場人物が現れ、その人物が主役となる空間の中での出来事がそれまで
の論述に大きな効果を及ぼすことが期待されている。このように新たな情景を論述の中に導入する
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ことで舞台のような状況を現出させ、論理の展開を図るという点では、ティソのテキストとルソー
のテキストは通底しているように思われる。この類似性は主題の類似性よりは、それを表現する言
語戦略の類似性から来ている。
ここでこうした形式上、言語戦略的な面から比較を深めていくことも可能であろうが、この準備
論文においては、中心としている概念である「演劇性」の領域横断性の方を確認することに努めたい。
この概念が従来の比較の対象を越えて機能することを示すことでこうした方向での分析の可能性を
明らかにしたいのである。従来の研究においては、18 世紀の作品群に見られる異質性を現代の観点
からみて「後進性」とみなし、近代から現代にいたる過程の中でのりこえられるべきものとし、そ
の異質性を積極的に評価することはあまり見られなかった。今後求められることは、そうした現代
からみて説明のつきにくい部分を無理に現代の観点から位置づけようとするのではなく、そこに現
代とは別の認識基盤の存在を想定し、当時の言語文化空間の特殊性を明らかにしようとつとめるこ
とではないだろうか。そうした試みの中で、この「演劇性」という概念を頼りとして、別の比較を
提示してみよう。
3.開かれたテキスト間の出会いに向けて
ルソーとティソのテクストが、演劇的な描写の導入により、作品世界に情動性の大きな契機を引
き起こすことを確認した。こうした演劇的な装置による感情効果の増大は 18 世紀美学の流れにおい
ても辿ることができるように思える。17 世紀以来ボワロー、ドービニヤックらの文学論を通じて、
感覚における視覚の優位は少しずつ明らかとなっていった。その動きは 18 世紀に入り、デュ・ボス
により、イメージの重要性が益々はっきりとした形で確認されるようになった。そこで強調されて
くるのは、この能力が最大限に動員されるとみなされる絵画であり、絵画のもたらす経験の重要性
が強調されるようになる。そうした視覚芸術の優位の中で、他のジャンルもこの認識モデルにした
がって、その優劣が判断される。絵画的認識に近いものとして、演劇体験が浮上する。絵画の情景
をみるように、芝居の場面をみるというわけである。演劇体験を絵画における美の享受の形式でと
らえようとするのである。ここにおいて、美学論、演劇論、文学論、認識論が互いに影響を及ぼし
合う地平が現出する(17)。
ルソーの同時代人であるディドロについても、そうした状況を確認することは決して難しいこと
ではない。絵画と演劇は密接な関係にある。現実世界を再構成するプロセスにおいて通底しあうの
である。
多くの人物が一緒に動く現実の動作においては、すべての人物はそれ自体もっとも真なる仕方で置かれて
いる。けれどもこの配置の仕方はその情景を描く者にとってつねにもっとも都合がよいわけでもなければ、
見る者にとってもっとも印象が強いものでもない。そこから画家にとって、自然の状態を変質させ、それを
人工的な状態へと変える必要が生じてくる。舞台においても事情は同じではないだろうか(18)。
生の現実からの再構成という作業において、演劇的モデルは高い情動性の産出を可能とする。そ
の効率の良さを考えれば、演劇を担う俳優の優位性が明らかとなるのである。
わが友よ、3 つのモデルがある。自然人、詩人、俳優人だ。自然人は詩人よりも偉大ではない。詩人は演
劇人より偉大ではない。演劇人はもっとも極端な存在だ。演劇人は先行者の肩の上に乗り、柳でできた大き
な人形の中に閉じこもって自らがその魂となる(19)。
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このように感情の喚起の度合いの強さを通じて、演劇的な体験およびそれを引き起こす演劇的な
仕組みの重要性が認められるであろう。ただ演劇的モデルの重要性は、情動的な力だけによるわけ
ではない。別の面からその可能性を考えていこう。
これまで演劇的な語り方が、感情的な面で大きな効果を上げる点を強調してきた。その機能のも
うひとつの側面としての、語りの場の複数性の創出ということを挙げたい。様々のレベルの語りを
共存させ、それを響かせ会う空間を現出するのである。実際この時代においては、個人の内面性へ
の認識が深まる中で、自己の複数性への認識が強まっていった。ルソーはすでに 1749 年の時点でこ
う書いていた。
(・・・)一言で言えば、プロテウスも、カメレオンも、女も私ほどには変わりやすくはない。(・・・)私
の体質の根底をなしているものは、このような不規則性そのものなのである(20)。
さらにそのうえ、自分のことを調べてみた結果、自分のなかにいくつかの主要な状態があって、それがほ
とんど周期的に繰り返されることが見極められた。(・・・)私は特に二つの主要な状態に左右されやすいが、
これはかなり一定して一週間から一週間へ変わってゆくので、これをわが週ごとの魂と呼んでいる。一方の
魂によれば私は賢明に気狂いとなり、もう一つの魂では気狂いじみて賢者となる(21)。
ここで自我は不動の存在ではない。主体を構成する複数の動きが記述されている。さらに、この
ような記載が行われた状況を考えれば、ルソーの個人的な感想がただ主観的に述べられているわけ
ではないことが明らかとなってくる。このテクストはルソーがコンディヤック、ディドロと会食を
しながら、
『嘲笑家』という雑誌の企画をたて、そのために執筆した草稿なのである。そこにはルソー
個人の思いもあるだろうが、それを書くことでこの友人たちからとの連帯を深められ、またその見
解を共有してもらえるという意図が存在するのではないだろうか。ルソーはここに表明された意見
が仲間たちの同意を受けうるものであることを信じているように思えるし、とくにこの作品には友
人の中でも特にディドロを意識して書かれたような部分でもある。こうして自己という存在の複数
性が強調されるとき、それをある程度の形で具現するものとして、様々な役を演じ分ける演劇人、
役者の姿が浮かび上がってくる。
ルソーの役者に対する分析を見てみよう。自己とそれ以外の存在を具現するものとしての役者が
考えられている。たとえば、『ダランベール氏への手紙』の中で役者にたいして与えられた定義をみ
れば、ルソーが俳優という職業にたいして厳しい判断を下しているかに見える。
俳優の職業とはどういうことでしょうか。にせ者になる技術、自分の性格とは別の性格を装う技術、じっ
さいの自分とはちがう者に見えるようにする技術、(・・・)です(22)。
ただ詳しく読んでみると、ルソーの批判はひとえに、こうした技術を悪用する者たちに向けられ
ていることがわかる。
俳優の演技は人をだまそうとするペテン師の技巧ではないこと、俳優はかれが演じている人物だとじっさ
いに思われようとしているのでもないし、かれが模倣している情念をじっさいに感じていると思われようと
しているのでもないこと、その模倣を模倣として見せることによって、それを俳優は完全に罪のないものに
していることをわたしは承知しています。ですから、ほんとうに人をだます者として俳優を非難しているの
ではなく、職業としてもっぱら人をだます才能を磨いていることを、(・・・)非難しているのです(23)。
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18 世紀における演劇性という問題
9
ルソーは俳優の本質的な特質である存在の増殖自体を非難しているわけではない。それを批判し
ては演劇行為そのものが存続できないからである。語りの中に複数の存在を導入するものとしての
演劇装置の重要性は否定できない。
こうした中で問題となっているのが、演劇自体と言うよりは、演劇というものがいかなる語り方
あるいはいかなる基盤を前提としているかということに注意しよう。そこにこそ、「演劇性」という
概念を提出する価値があるかと思われる。演劇そのものの内容を問うのであれば、それは演劇論で
すむのであり、あらたな言葉を引き出す必要もないのである。芝居の上演形態、俳優の演技の優劣、
作品の完成度を問うような内容的なことではなく、演劇という形式がいかなる言語戦略を構築する
ことができるのかを考察するのである。そうした観点にたてば、ルソーが演劇を批判する姿勢をみて、
宗教的な信念などからこのジャンルに敵対した頑迷な保守主義者というレッテルを貼ることもなけ
れば、たとえば『ダランベール氏への手紙』において当初演劇に反対していたルソーが最後のほう
で逆に演劇の必要性を説く姿をみてルソーの支離滅裂さなるものを提起することもなくなるはずで
ある。ルソーは演劇に反対したのではなく、その有効な使用法をたえず模索してきたのであり、演
劇の利用という大きな方向からみれば、ディドロなどと立場を異にするわけではない。そうした共
通性を踏まえた上で、あくまでもその用い方という細部における両者の差異に注目すべきなのであ
る。こうした新たな比較の視座を「演劇性」という概念は与えてくれるように思われる。
演劇性に立脚する語りの枠組みが、情動性、複数性という次元を言語文化空間に出現させる機能
を果たすことが明らかになってきたように思える。最後にそうした文化装置が果たすもうひとつの
役割に言及して、今回の予備的な作業を終えようと思う。それは経験の意味づけという働きである。
人は新しい状況に遭遇するとき、事態をそのままの形で受け入れることはきわめて難しくなる。事
態をありのままの状態で、何も加工せずに受容することに多大の困難を覚えるのである。そのとき
適用される方式としては、遭遇した新たな環境をまずは既存の枠組みに当てはめ、その限度の中で
位置づけようと試みることである。もちろん時間の経過とともに従来とは異なる新しい枠組みを少
しずつ構築して、事態の収拾に努めるにしても、当面は従来の見取り図を採用する。演劇体験はこ
うした枠組みの一つを提供している。演劇で見たことをもとに、現状を考えようとするのである。
たとえば、18 世紀のガラス職人である、メネトラの『わが人生の記』を考えてみよう。この著作は
その存在だけでもこの世紀の記念碑的な作品である。これまでは貴族階級は別として、庶民階級に
属する者が自らの生活について、文字で文章を綴り、記録として書かれたものを残すということは
考えられなかった。教育の浸透、識字率の向上といった様々な要因が、この記録的な文書の誕生を
可能としたのである。解説のロシュが指摘するように、メネトラはみずからの体験を語る際に、親
しんだ演劇の枠組みを借りて述べていく(24)。自らが劇の登場人物になっていくかのようである。た
とえば、父になぐられた腹いせに兵隊に入って、横暴な父のもとを離れようとする子たるメネトラ
の親子の葛藤は以下のように描かれる。
(・・・)ある日、きげんの悪い父がわたしを殴った。わたしはまったく頭にきてフェライユ河岸に出かけていっ
たが、そこでいとこの一人シャルパントラとであった。彼はオーベルニュ連隊の募兵係士官だった。わたし
は彼に兵隊になろうと思うと言った。彼は帽章をくれて、質の悪いぶどう酒一瓶を飲み、1スーのパンと 3
スーの腸づめを食べながら、契約書にサインさせた。(・・・)わたしが帰宅すると、父はわたしを殴ろう
とする。そこでわたしは、みろ、おれはもうあんたの配下じゃないぞ、王様の配下なんだぞと言うなり、ポ
ケットから帽章を引っぱり出して、それをわたしの帽子につける。父は仰天してしまって、そのまま何も言
わずに家を出て行く。わたしは荷造りをする。職人もわたしといっしょに出て行きたいと言う。そこに父が
彼のいとこを連れて帰って来る。そのいとこはわたしに、ジャック(=メネトラのこと)、おまえはまずい
ことをやったものだ、おまえの父さんは将来にわたってもうおまえを殴ることなどしないと約束しているし、
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言語文化論究 28
このおれがそれを守らせる、と言う。話し合いをたっぷりした後に、わたしは募兵係を見つけて父のところ
に連れて行った。募兵係はわたしのサインした契約書を父に返した。こうして父はぶどう酒少々と 1 スーの
パンと 3 スーの腸づめの代金を、わたしのいとこということもあって 18 フランで精算したのであった(25)。
描写は現在形が多用され、芝居のト書きを思わせ、メネトラ自身自分が舞台の人物になって行動
しているかのような筆致である。演劇の枠組みの中で自己の体験を位置づけようとしているのは明
らかである。このように演劇的な仕掛けは、生じた事件を既存の枠の中で理解可能なものとしていき、
いわば事件の衝撃を和らげる安全装置のような役割を果たしているといえる。実際この時代には様々
な新たな事件が生じ、そのたびに人々はその意味づけを迫られ、その都度こうした枠組みが動員さ
れていったのである。たとえば、子供の謎の失踪事件などが続いたりすると、ある貴婦人が自らの
不治の病の妙薬として、子供の生き血を利用しているなどという噂が生まれたりもするのである(26)。
このように、異なる様々な領域で演劇経験に支えられた言語表象モデルが、その機能を果たして
いる。行為論的、位相論的な視点と新たな分析概念を結びつけることで、従来の図式的な枠組みで
は捉えられなかった 18 世紀の言語文化空間の動的なプロセスの一端が明らかにできると思われる。
その詳細な分析については、今後の研究の中で行っていきたいと考えているが、現在位相論的な観
点からその存在が確認される問題について最後に確認しておこう。
話者の位相
これまで演劇的な語りの戦略に注目して論じてきたが、それは話者の位相を的確に示すためであっ
た。その枠組みを取ることで、話者が意図する情動性の増大、視点の複数性という効果を明らかに
することができるからであった。ただそうした効果をあげるものが、演劇的な装置だけに限定され
るわけではないことは明らかである。18 世紀における書簡文学の隆盛を熟知する者たちにとっては、
絶えざる手紙の交錯する書簡文学空間においても語り手の複数性は明らかであるし、そこに書簡の
編者というレベルを想定すれば、複雑さの度合いは益々深まるばかりである。また小説などをみても、
たとえばディドロの作品などには語りの複数性を十分に論じうる作品には事欠かないのである(27)。
こうした語りの装置間の機能の相違などの分析なども今後の課題として残されている。そして、お
そらくはそうした機能間の差異を通じてこそ、その後のそれぞれのジャンルの変遷のプロセスを説
明することができるのではないだろうか。書簡というメディアは 18 世紀においては、文学だけでな
く、哲学、政治、社会、医学などの分野にも適用されていたのに、19 世紀以降はその活動の範囲を
著しく狭めるようになった。また逆に小説世界における作者という地位は 19 世紀を通じて確立、強
化されていくようになり、その強大さが 20 世紀の批評において批判の対象となっていった。演劇は
自らが置かれた状況における行為の重要性を強調する中で、政治、社会への批判的な役割を強めて
いくようになる。このようにその後異なる変化を取っていった各メディアの動きの原点がこの 18 世
紀に存在し、その分析がこれから開かれようとしている。
注
(1) たとえば、以下の研究を参照。
Maurice Lever, Théâtre et lumières, Les spectacles à Paris au XVIIIème siècle, Fayard, 2001.
(2) Raymond Trousson et al., Dictionnaire de Jean-Jacques Rousseau, Honoré Champion, 1996.
Michel Delon et al., Dictionnaire européen des Lumières, PUF, 1997 .
Daniel Roche et al., Le monde des Lumières, Fayard, 1997.
(3) Autobiographie et fiction romanesque, autour des Confessions de Jean-Jacques Rousseau,
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18 世紀における演劇性という問題
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Actes du Colloque international organisé par J. Domenech, Publicaions de la faculté des Lettres,
Arts et Sciences humaines de Nice, 1996.
Jean-François Perrin, Politique du renonçant, Kimé, 2011.
Bruno Bernard et al., La religion, la liberté, la justice, J.Vrin, 2005.
(4) Marc Buffat et al., Diderot, l’invention du drame, Klincksieck, 2000.
(5) Pierre Frantz, L’esthétique du tableau dans le théâtre du XVIIIe siècle, PUF, 1998.
(6) Frank Salaün et al., Diderot Rousseau, Desjonquères, 2006.
(7) フーコーについては、特に以下の著作を参照のこと。
Michel Foucault, L’archéologie du savoir, Gallimard, 1969 .(
『知の考古学』
河出書房新社、
1995 年)
Michel Foucault, Surveiller et punir, Gallimrd, 1975.(『監獄の誕生』新潮社、1977 年)
Michel Foucault, La volonté de savoir, Gallimard, 1976.(『知への意志』新潮社、1986 年)
また読むことの拒否については、分野は異なるが映画における見ることの拒否について論じた
以下の著作が大いに参考となる。
蓮實重彦、『映画監督 小津安二郎』、筑摩書房、1983 年、179 - 194 ページ。
(8) 執筆者は 1990 年代より、ルソー研究において行為論的な視点を主として、『ダランベール氏
への手紙』に適用して分析してきた。その成果を、2003 年、2007 年、ロサンゼルス、モンペリ
エにおいて開催された第 11 回、第 12 回国際啓蒙主義大会で連続して発表してきた。作者がど
のような場で誰に向かって発表するかという視点が、18 世紀の複雑な知的文化空間の分析には
有効と思われる。
(9) 寺田元一、『編集知の世紀』、日本評論社、2003 年。
(10) Pierre Chatier, Théorie du persiflage, PUF, 2005.
フーコーについては、特に以下参照のこと。
Michel Foucault, Sécurité, territoire, population, Gallimard, 2004.(
『安全、
領土、
人口』
、
筑摩書房、
2007 年)
また演劇が絵画などのジャンルなどともつ複雑な関係については、Frantz 前掲書の他、以下参
照のこと。
Annie Becq, Genèse de l’esthétique française moderne 1680-1814, Albin Michel, 1984.
(11) Samuel-Auguste Tissot, L’Onanisme, Editions de la différence, 1991, p.168.(『性 抑圧された
領域』、国書刊行会、2011 年、137 - 138 ページ)。
(12) Tissot, op.cit.,p .44.(前掲書、38 ページ)。
(13) Tissot, op.cit.,pp .44-46.(前掲書、38 - 40 ページ)。
(14) ルソーのこの著作がもつ不思議な点については、以下参照。
Laurence Mall, Emile ou les figures de la fiction, SVEC, Voltaire Foundation, 2002 .
(15) Jean-Jacques Rousseau, Oeuvres complètes, ed. B.Gagnebin et al., Bibliothèque de la Pléiade,(以
下 OC と略称), tome IV, 1969, p.565.(『エミール』、河出書房新社、1973 年、286 ページ)。
(16) Rousseau, ibid.,(ルソー、前掲書、同ページ)。
(17) こうした動きについては、Frantz, Becq などの前掲書の他、以下参照のこと。
馬場 朗、
「言語と精神の二重の生成における「感性的なもの」」、
『群馬女子大学紀要』、2001 年、
25 - 42 ページ。
(18) Denis Diderot, De la poésie dramatique, Oeuvres complètes, tome X, Hermann, 1980, p.416.
なおこの箇所にかんする優れた分析として、下記参照。
大橋完太郞、『ディドロの唯物論』、法政大学出版局、2011 年、60 ページ以下。
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言語文化論究 28
(19) Denis Diderot, Paradoxe sur le comédien, Oeuvres esthétiques de Diderot, Classiques
Garnier, 1973, p. 376.
なおこの部分については、大橋前掲書、74 ページ以下参照のこと。
(20) Rousseau, OC, tome I, 1959, pp. 1108-1109.(ジャン=ジャック・ルソー、
『全集』第二巻、白水社、
1981 年、501 ページ)。
(21) Rousseau, ibid,pp. 1109-1110.(ルソー、前掲書、502 ページ)。
(22) Rousseau, OC, tome V, 1995, pp.72-73.(ジャン=ジャック・ルソー、
『演劇について』、岩波文庫、
1979 年、148 - 149 ページ)。
(23) Rousseau, op.cit.p.73.(前掲書、149 - 150 ページ)。ルソーのこうした俳優観を注(19)であ
げたディドロの俳優観と比較することは非常に興味深い主題であり、今後の研究課題としたい。
(24) Jacques –Louis Ménétra, Journal de ma vie, Albin Michel, 1982, pp.301-303.
(
『わが人生の記』
、
白水社、2006 年、404 - 406 ページ)。
(25) Ménétra, op.cit., p .45.(メネトラ、前掲書、69 ページ)。
(26) Ménétra, op.cit., p .34.(メネトラ、前掲書、58 ページ)。
(27) ディドロの錯綜した小説世界の読解としては特に、以下参照。
田口卓臣、『ディドロ 限界の思考』、風間書房、2009 年。
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18 世紀における演劇性という問題
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L’analyse de l’espace culturel du XVIIIe siècle avec
la notion de théâtralité
Yasuyoshi AO
A partir des années quatre-vingt-dix, les études du XVIIIe siècle se sont développées d’une façon
marquante. Des ouvrages collectifs et individuels ont été publiés afin d’ouvrir de nouveaux horizons
dans les études. Mais si l ’on se réjouit simplement de ces fruits méthodologiques sans réexaminer
les fondements sur lesquels ils se basent, on risque de tomber rapidement dans une schématisation
réductrice et stérile.
Dans ces conditons, il est temps d’essayer d’analyser la compléxité de l’espace culturel de l’âge des
Lumières sans négliger le dynamisme des activités artistiques et sociales. Pour cette analyse, il faut une
notion, comme la théatralité, qui puisse couvrir de vastes domaines où se déploient sans cesse diverses
productions culturelles.
La notion de théatralité permet d’établir une comparaison des textes d’une grande diversité au XVIIIe
siècle. En effet, on pourra ainsi comparer l’Onanisme de Tissot avec l’Emile de Rousseau en soulignant
l’introduction des scènes émotives dans les discours scientifiques et pédagogiques. Ainsi cette notion
pourra rapprocher des oeuvres que l’on séparait jusqu’à maintenant selon le classement traditionel,
pour présenter la productivité culturelle globale du XVIIIe siècle qui enveloppait ces éléments
hétérogènes en les orientant vers de nombreuses activités fructueuses.
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言語文化論究 28
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