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章 - 井上高志.net | -世界を善意のネットワークでつなぎ

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章 - 井上高志.net | -世界を善意のネットワークでつなぎ
利他主義が社会を変える。ネクストの挑戦◉目次
章 いままでにない
〈社会インフラ〉を求めて
プロローグ 第
第
5年後に辞めて事業を起こすために就職しよう 「一生で一度の大切な買い物なのに、
どこかおかしい」 ネクストのビジネスは一般消費者の隣に立つパートナー 19
│
│││││││││││││││││││
想いをかなえるために未来に点を打て 「こう改良したらユーザーは喜んでくれるだろうな」という確信 自分たちはどこを向いてビジネスをしたいのか? 〈常に革進する〉
ためには技術の進化は欠かせない 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
38
│
││││││││││││││││││││││││
41
31
13
47
7
プッシュ型からプル型への営業大転換 49
35
25
15
1
2
2
第
「加盟店を倍増できなければ社長を辞める」 公の存在になるために、
株式上場する 柔軟で大胆な組織改革を常に実行 「マーケットの慣習を正しいものに変えていきたい」 61
「誰もが安心・納得の住み替えができる社会をつくりたい」 業界初、
成果報酬型料金プランにより一気に物件情報の網羅性を高める S`の拡大とその未来
81
│
│││││││││││││││││││││││││││││││
賃貸ビジネスのトータルパートナーへ飛躍 章 HOME
HOME S`の名を冠した新たなサイトを生み出す ネクストの経営ビジョンをどう営業力に転化させるか? 3
72
64
96
115
ビジネススピードこそが大いなる武器になる 〈心をゆさぶる〉
サービスで、「したい暮らし」
の実現を応援する 95
88
85
68
107
不動産投資に関するユーザーの不安を一掃するサービスを 111
103
3
S`ブランド戦略
各事業部門の戦略に横軸を通す HOME S`事業の延長線上にある つのチャレンジ 章 ユーザーの立場に立った、
HOME
142
ナンバーワン不動産情報ポータルサイト、
HOME S` ポータル提携戦略でネットユーザーの認知率と利用率を高める サイト制作の内製化を武器にSEO向上を図る 住み替えといえばHOME S`というマインドセットをつくる 〈ユーザーから圧倒的に選ばれるサイト〉
を目指して HOME S`ブランドのあるべき姿を明文化して宣言する ││
│││
│
││││││││││
127
117
2
章 ネクストの企業文化や企業風土は、
どうネクスト的なのか?
163
119
128
150
「じゃあ、
このビジネス計画はもう一度考え直そうよ」 164
第
第
155
136
131
4
5
4
会社は、
自分を高めて成長させる道場 自ら動く、
自ら変える 自ら動いて世の中を正したいと願う人に来てほしい 日本一働きたい会社になる
〈解〉
を出すチャレンジ 企業統治にも進取の精神で ││
│││││││││││││││││││││││
179
170
章 次の
〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
5
第
195
189
185
176
216
Lococomによって実現しようとしているのはどんな世界観か 個人から発信される地域の口コミがやがて地域を動かす力になる 223
ネクストが目指すビジネスのあるべき姿 国がやらないこと、
できないことを果敢に実践していきたい エピローグ 204
6
210
197
プロローグ
東京都中央区晴海。
東京のランドマークであるレインボーブリッジを望む超高層ビルの一角に、右肩上がり
の増収増益を続ける注目のベンチャー企業がある。
株式会社ネクスト。
日本最大の住宅・不動産情報ポータルサイト・HOME S`(ホームズ)を展開するネ
年で業界のリーディングカンパニーに上り詰め、130万件を超える掲
クストは、創業
載物件数と月間約2億ページビュー(PV)を超える驚異の成長力で、ライバルの追随を
許さない圧倒的なポジションを確立している。
2009年春、ネクスト本社では新卒の入社試験に訪れた学生が、長い列をつくってい
た。日本経済を牽引する主力産業が世界同時不況の厳しい経営環境に立たされ、新卒の求
人数を極端に絞り込まざるを得なくなったとき、濃色の就活(就職活動)スーツに身を包
プロローグ
7
11
%を超す成長率を継続し、右肩上がりの急成長を実現してきたネクストの磁力は、
む学生は、ネクストが放つ驚異の成長力に、大きな関心と期待を寄せたのである。
年率
せられるのは、就活生ばかりではない。
長年、ビジネス界の盛衰をウオッチしてきた私も、例外ではなかった。
14
億2700万円の売上高(2009年3月期連結売上高)を実現し、3
89
まず、ネクスト経営の本質として仮説構築できる〈ビジョン経営〉について言及してみ
れた。
ライバル社を圧倒する〈磁力の謎〉を解明するために、私はネクスト経営に足を踏み入
ネクストの成長は、いかに成し遂げられたのか。
イト事業のリーディングカンパニーに急成長した。
年後の2011年には売上高1・9倍増の170億円を視野に入れる、不動産ポータルサ
スが十数年後、
ことである。ビジネスモデルは決して完璧ではなく、創業資金も乏しいベンチャービジネ
ネクスト創業者の井上高志社長が、たった1人の創業を決断したのは、わずか
年前の
磁力は磁場をつくり、あらゆるものを引き寄せていく。ネクストの強力な磁力に引き寄
企業の成長と自分の成長を重ね合わす学生の羨望を集めて、離さない。
60
8
たい。
ネクストの運営する住宅・不動産情報ポータルサイト、HOME S`が志向するITビ
ジネスは〈人と住まいのベストマッチング〉の実現にある。
その思想的遠因は、井上がリクルート社員時代に痛感した不動産業界における〈情報の
非対象性〉に遡る。井上は住み替えを希望するユーザーが直面する情報の不利益、不平等
を解消するために、HOME S`サイトの立ち上げを決意した。
井上には、かつてもてはやされた有象無象のIT起業家と明確な一線を画す、独自の経
営スタンスが存在する。
キーワードは、ビジョン経営だ。
ベンチャー起業家が成功を勝ち取るために何よりも心血を注ぐのは、儲けの源泉となる
ビジネスモデルの構築だが、井上の創業にはモデル構築の前に、まず使命感とパッション
があった。
井上は、創業についてこう語る。
「明確な事業計画も経営のバックボーンもなく、志だけで始めた会社です」
志だけで始めた会社。
プロローグ
9
それが、ネクストというベンチャー企業の本質である。
ネクストが最も大切にする価値観は、社是に掲げた〈利他主義〉である。
社是は『常に顧客や、世の中や、周りの人のために役立とうという「利他主義」をベー
スとする』と、自社のレーゾンデートルを明確に規定する。
さらに経営ビジョンを、こう示す。
『常に革進することで、より多くの人々が心からの「安心」と「喜び」を得られる社会の
仕組みを創る』
この文言は、霞が関の中央官庁やどこかの地方自治体が掲げるものではない。井上とネ
クストの全社員が信じる絶対的価値観であり、日々実践している行動指針なのだ。
井上高志という1人の青年が起業したITベンチャーが希求するのは、利益を最大化す
るビジネスモデルの実現ではなく、ビジネスを通じて社会の幸福を最大化する社会変革に
他ならない。
事実、ネクストを取材すると経営ビジョンや利他主義を実践する多くの社員に出会う。
社内ミーティングをしていて、誰かが「その方向性はビジョンに逸れるんじゃないか」と
指摘しても、違和感を持つ社員はいない。
10
ビジョン経営を確立したネクストは、
〈同心円の経営〉を実現した。円の中心に〈利他
主義〉と経営ビジョンを据えて、すべてのビジネスリソースが幾重にも、幾重にも同心円
を描く経営。
それが、ネクストの同心円経営だ。
社員が描く円には大きな円もあれば、小さな円もあるが全社員は円の中心を理解し、自
覚しながら、ネクストの成長をドライブさせている。
ネクストは、どうして業界のトップランナーになれたのか。
ネクストはなぜ、経営ビジョンを大切にするのか。
ネクストはどうして、同心円経営が実現できたのか。
ネクストはなぜ、新たな市場を掘り起こす新ビジネスを創造できるのか。
そして、ネクストはこれからどこへ向かおうとしているのか。
不動産業界、インターネット業界を席巻する〈ネクスト神話〉の深層を、明らかにした
い。
プロローグ
11
注 本書のインタビューに応じてくださったネクスト社員各位の役職、所属部署および
組織体制や組織名称などは、いずれも2009年3月 日現在のものです。
31
12
章
いままでにない
〈社会インフラ〉を求めて
第
1
マスコミを賑わすどんなカリスマ経営者やビッグビジネスであっても、かけがえのない
〈最初の一歩〉がある。
そして私は興味を抱いた企業取材をスタートさせるとき、キックオフの第一歩に強い興
味を向ける。
なぜなら、ビジネスのスタートにはその後の発展に欠かせない〈成長の萌芽〉が埋め込
まれているからである。
ましてや徒手空拳で未知のビジネスを切り拓くベンチャー企業であれば創業者の熱き想
いや野心、戸惑い、失敗など、創業期に放出したエネルギーのすべてにベンチャービジネ
スの本質が投影され、等身大の成功者が映し出される。
ゆえに、本書のスタートはネクスト創業者であり現社長の井上高志の創業分析から進め
ていくことにしよう。
14
5年後に辞めて事業を起こすために就職しよう
1990年、春。
青山学院大学経済学部3年の井上は、友人と情報交換しながら就活に励む、ごく普通の
大学生だった。井上の就職希望は商社、金融、証券、建設、不動産といったビジネスで、
なんとなく〈スケールの大きい仕事をしてみたい〉と思っていた。
希望、期待、そして現実。
大学生にとって就活は、4年間のモラトリアムから解き放たれて〈ビジネス社会〉とい
う世界に飛び出す準備体操である。
1990年といえばバブル経済の崩壊直後だが、就職状況は超売り手市場。企業の採用
意欲も旺盛で、就活もまだのんびりしていた。数社の会社を訪問してとりあえず内定をも
らうのが、学生たちの常識だった。
だが、井上の描いていた就活シナリオが突然、思いも寄らぬアクシデントに見舞われた。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
15
腕試しのつもりで、従業員数
めたわ」
人足らずのベンチャー企業の集団面接を受けたところ、
21
いったい俺は、何なんだ。
てしまった。
生の目標を明確に定めて海外に飛び出そうとしているガールフレンドにもあっさり去られ
ベンチャー企業の就職で落とされて、
年間生きてきた自分を否定されてしまうし、人
「私、ニューヨークに行ってニュースキャスターになるのが夢だから、留学することに決
ガールフレンドが去っていったのだ。
自身の不甲斐なさに打ちのめされた井上に、再びショックが走る。当時、交際していた
にせものだ〉と痛感しました。俺は負けた、と」
「集団面接で周囲に座った学生の発言を聞いて、〈あっ、こいつらはホンモノだが、俺は
井上が述懐する。
採る価値のある学生を、シビアに見極めていたのである。
大手企業と違い、人材1人の採用が企業の成長に大きな影響を与えるベンチャー企業は、
ものの見事に落とされてしまったのだ。一定の学歴さえあれば内定を出してくれるような
30
16
売り手市場のお気楽モードから、自分自身の淵源を直視せざるを得ない現実を突きつけ
られた井上は自問自答の末、2つの結論を導いていく。
⑴ 5年で独立する
⑵ 一生かかって、一大事業を成し遂げる
井上は、この2つの目標を人生に課して、再び就職活動に向かっていった。
〈5年後、会社を辞めるために就職する〉
井上は、そうした率直な気持ちを人事担当者にぶつけてみた。
企業の担当者は訊ねた。
「5年で会社を辞めて、それで何をしたいのですか?」
井上は、答えた。
「何をしたいか、何をするのかはまだ決めていませんが、私は人生を5年スパンで考えて
いますので、5年間必死にビジネスを経験した後、自分で独立してみたいのです」
そして井上は、こう言い加えた。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
17
「ですから、5年で辞めても構わないとお考えいただけるのなら、ぜひ私を採用していた
だきたい」
井上の奇妙な就職希望を耳にした人事担当者の反応は、2つに分かれた。学生の分際で
何をわかったようなことを言っているんだ、という全否定反応と、面白いことを言う学生
だ、元気でいいじゃないかという肯定反応である。
やがて井上は、就職希望の企業を2社に絞り込んだ。三井不動産とリクルートコスモス
(現・コスモスイニシア)である。
〈5年後に退社するとき、どちらの会社で仕事したほうが自分を成長させることができる
だろうか〉
リクルートコスモスの採用担当者が放った言葉が、井上に突き刺さった。
「あくまでも本人次第だが、うちなら早ければ3年くらいでプロジェクトリーダーができ
るよ。そういう先輩もいるから」 プロジェクトリーダーというのはマンションの用地取得から販売、広告宣伝、引き渡し
までマネジメントする重職で、将来起業を考える井上にとっては、事業運営の基本が学べ
る気がした。
18
一方、財閥系不動産会社の三井不動産に入社すれば、
年間は下働きかもしれない。
平方メートルの標準タイプで、価格は7000万円もする高級物件だっ
購入の意思が固まれば、さっそく手続きに入る。7000万円の高級物件なので、当然
物件をひと目見て気に入り、即購入を決意した。
モデルルームでスタンバイする井上の前に現れたのは、若いDINKSの夫婦。2人は、
た。
ョン。3LDK
井上が担当したのは、田園都市線梶ヶ谷駅から徒歩4分の好立地に恵まれた高級マンシ
デルルームでの接客だった。
入社後、井上は営業の第一線である横浜支社に配属された。新人社員の仕事始めは、モ
「一生で一度の大切な買い物なのに、
どこかおかしい」
1991年、井上は自分自身を鍛える道場として、リクルートコスモスに入社する。
10
住宅ローンの利用が必要になり、井上は金融機関にローン査定を依頼した。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
19
75
すると……。
夫婦は2人とも平均以上の年収を稼いでいたが、高級物件のローン査定にはどうしても
届かず、泣く泣く購入を断念することになってしまった。
夫婦は落胆した。2人のマイホームを得るために数多くの物件を見て回り、ようやく巡
り合った夢の物件だった。一生に一度の買い物をするために労力を惜しまなかっただけ、
〈理想の住まい〉が手に入らなかった現実に、打ちのめされた。
井上は自分の販売成績が上がらなかったことなど顧みず、「気落ちする夫婦の夢をかな
える物件を探してあげたい」と希求して、遮二無二物件探しを開始した。
「今回は誠に残念でしたが、ご心配なさらないでください。私も、お客様の夢をかなえる
住まいを一緒に探させていただきます」
井上は、来る日も来る日も物件探しに明け暮れた。不動産物件の紹介媒体として知られ
ていた住宅情報誌はもちろん、リクルートの住宅情報オンラインシステムやレインズ(不
動産会社間の情報交換のためのネットワークシステム)、アットホーム、さらには新聞の
折込チラシまで、ありとあらゆる不動産情報をリサーチした。 件を優に超えた。
結果、新築、中古を含めて夫婦に紹介した物件は、
40
20
井上が懸命に収集した不動産物件情報から、夫婦はある新築分譲マンションに注目して
慎重に検討し、購入を決めた。今度はローン査定のトラブルもなくすべての購入条件をク
リアして、無事マイホームを手に入れることができた。
購入後、夫婦は菓子折りを持参して井上を訪ね、深々と頭を下げて礼を伝えた。
「この梶ヶ谷のマンションを購入できなかったのは本当に残念ですが、井上さんが誠実に
ご紹介してくれたお陰で、私たちは素晴らしい物件と出合うことができました。感謝の言
葉が見つからないくらいです」
このときの夫婦の笑顔を、井上はいまでも忘れない。
だが、井上の献身は美談で終わらなかった。事の顛末を上司に報告すると、面罵されて
しまう。
「お前はどこの不動産会社の回し者なんだ。リクルートコスモスの営業マンなのに、なぜ
他社のマンションを売ったんだ!」
井上が夫婦に薦めて購入を決意させた物件は、他社の新築物件だった。
上司の怒りにも理由は存在したが、ここで井上は〈2つの疑問〉が心に引っかかった。
1つは、
〈不動産ビジネスはどうしてこんなにサービスレベルが低いのか〉という疑問
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
21
である。
まず、物件購入希望者がリサーチする物件情報の問題があった。井上は自分が思いつく
限りの物件情報媒体を探し、同僚にも頼んで新聞の折込チラシまで収集して、多大な労力
を費やして物件情報を集めた。
そのとき井上は、痛感した。
〈不動産業界に身を置く自分でもこんなに大変なんだから、一般のお客様はどれだけ大変
な苦労をして不動産物件情報を収集しているのだろう。貴重な休みの日を物件訪問に費や
しても、探し回れる時間と行動には限界がある。一生で一度の大切な買い物をしなければ
ならないとき、お客様は妥協に次ぐ妥協を強いられるなんて、どこかおかしい〉
井上の疑問は、疑念にも通じた。
疑いの視点を不動産物件を取り扱っている自分の仕事に移しても、問題点が浮かび上が
ってきた。
デベロッパーの営業マンは自社物件を買わせようと、営業トークを駆使する。それが自
社と自分の利益になるからだ。
仲介会社だって、事情は同じである。営業マンは仲介手数料が少しでも多く稼げる物件
22
を顧客に薦めて、自分の懐を暖めようとする。
ようするに、本当にお客様の希望を尊重し、心から顧客の立場に立った営業など誰も実
践していないし、不動産会社も望んでいないのである。
これが不動産ビジネスの本質だ、と井上は看破した。
さらにもう1点、不動産市場に流通している物件情報は、どれもが不動産会社から発信
される一方的な情報ばかりで、なかには恣意的な情報操作が平気で行われているものもあ
る。
たとえば仲介手数料である。
顧客が手にする不動産情報には、仲介業者が手にする手数料の条件までは記されていな
い。だから仲介業者が買い手からの手数料の3%しかもらえない物件を後回しにして、し
きりに売り手と買い手の両方から手数料(計6%)が入る物件を強く推薦しても、顧客に
はその物件を強く薦める本当の理由がわからない。
お客様にとって、人生を左右する重大な取引になる不動産の売買で、不動産事業者と不
動産購入者の間に存在する情報格差=〈情報の非対称性〉を、このまま放置しておいてよ
いのだろうか。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
23
情報が非対象であることで無条件に利益を得るのは情報の送り手である不動産会社であ
り、不動産会社から発信されたさまざまな意図を含んだ情報を一方的に受け取らなければ
ならない消費者は、選択の余地がない情報の価値を押しつけられることになる。
〈こんな情報のアンバランスや情報格差を放置し続けていては、消費者が本当に望む幸せ
など実現できないではないか。よく社会問題化する悪徳不動産売買の根本は、こうした情
報の非対称性が遠因になっているのではないか〉
井上は1人、熟考した。
このとき井上が考え抜いた不動産取引の疑問点は、その後リクルートコスモスからリク
ルートへの出向を経て起業する際の動機となっていく。
井上が目指したのは、
「インターネット上でホームページを開設して、不動産会社の物
件情報をリアルタイムに掲載する」ビジネスだった。
24
ネクストのビジネスは一般消費者の隣に立つパートナー
リクルート時代から井上は、次の3つの起業条件を温めていた。
⑴ 物件情報を入れるデータベース
⑵ ユーザーが無料で閲覧できるメディア
⑶ 不動産会社がリアルタイムで情報を更新できる通信ネットワーク
起業の方向性は定まったが、大きな障壁があった。井上の思い描くビジネスモデルを成
立させる情報インフラが存在していなかったのである。正確に言うと、井上は当時、画期
的な情報インフラとして一部で注目されていたインターネットの存在を、まだ知らなかっ
た。
マスコミでは、ニューメディアとして話題になっていたNTTの提供するCAPTAI
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
25
Nという通信サービスや、全盛期だったパソコン通信などが報道されていた。
〈日本を代表するような大手通信事業社だけが大資本を投下し、専用線を張り巡らせてビ
ジネスをしている状況で、独立起業するベンチャーが自前の通信システムなんか持てるは
ずがない〉
井上はひどく落胆したが、まもなく驚きの事実に遭遇する。会社で制作関係の仕事をし
ている先輩が、個人的に数百万円もかけてMacの環境を揃え、自宅でインターネットを
利用していたのである。
それを聞きつけた井上は「ぜひ、ご自宅のインターネットを見せてください」と懇願し
て、初めてインターネットを理解した。インターネットユーザーがまだ、100万人規模
の時代である。
〈これだッ、これを使えば俺のビジネスはできるッ〉
1995年6月、会社から強い慰留を受けた井上だったが、自分の描いた人生設計を抱
いて、リクルートを退職。独立の準備に動き出した。
さっそく自宅に陣取ってビジネスツールとなるHPの制作に取りかかろうと思ったが、
肝心のパソコンがなかった。先輩の見よう見まねでMacを買い込んで、大型書店でもあ
26
まり見かけない〈ホームページのつくり方の本〉を購入して、準備を整えた。
手持ち資金はリクルート時代に貯めた約100万円だったが、準備資金だけで
かかってしまった。
万円も
まさに徒手空拳の起業だが、
〈自分が考えた3つの条件を満たすインターネット事業が
できれば、不動産市場に変革を起こせるに違いない!〉と、井上は意気込んだ。
意志が固まると、行動は速い。
3カ月後、井上は独学でパソコン操作をマスターしてHPを制作(Macで構築したα
版)
。同時に、HPに掲載する不動産物件を集めるために、クライアントとなる不動産会
社への営業活動を開始した。
昼は営業、夜は情報更新のためにサイトを制作する毎日だった。
屋号は〈ネクストホーム〉に決めた。
ネーミングの由来を、井上はこう説明する。
「ネクストという言葉には〈次の〉という意味がありますが、自分のネットビジネスが次
世代の不動産業界をつくるという意識でネクストを冠しました。さらにネクストの語意に
ある〈隣の〉という意味も重ね合わせ、一般消費者の隣に立つパートナーという気持ちを
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
27
70
込めました」
この創業時の屋号であるネクストホームは、1997年3月に株式会社を設立する際、
将来にわたってネクストの事業ドメインを不動産業界だけに特化させるのではなく、多様
な事業領域に成長する可能性を考えて〈ホーム〉の3文字を取り払い、現社名の株式会社
ネクストに変更した。
営業担当兼制作担当の日々を、井上はこう振り返る。
~100件くらい掲載しました。タダで結構ですから物件情報
「最初の物件はリクルート時代にお付き合いのあった不動産会社や同僚、先輩のコネのあ
る会社の物件を中心に、
井上の「不動産市場に変革を」という思いは確信に変わった。
〈意外に反応あるな、これならいけるかもしれない〉
分譲物件としては異例のスピード契約で、物件を掲載した不動産会社も驚いた。
て物件で、1件の成約が出た。掲載1週間で問い合わせが入り、すぐに契約成立。高額な
そんな折、サイトを稼働させて9カ月後の1996年6月、神奈川県湘南の新築一戸建
毎週1回、不動産会社を訪問して物件の図面を入手して、自宅で情報を更新した。
だけいただけますか?と頼み込んで、とにかく物件情報を集めていきました」
50
28
ビジネスの前途に少し自信を得た井上だが、よちよち歩きのビジネスはほとんど収入が
なかった。なんとかしようと、創業時の無料掲載を原則中止にして、5件までの物件掲載
を定額とし、6件目以降は従量制という料金に設定した。
すると不動産会社は「だったら、5件まででいいよ」と物件掲載を絞り込み、肝心の物
件数がほとんど増えなくなってしまった。
これでは収入が少ないばかりか掲載物件数が少なすぎて、サイト利用者に物件検索のメ
リットが与えられない。板ばさみになった井上は、5件掲載までの定額メニューのほかに、
無料で掲載するサービス物件をかき集めて、なんとか掲載情報の量を確保していった。
物件掲載で稼げない分、収入に結びつく仕事があれば、何でもやった。不動産会社を回
って「今度、うちもインターネットマンションをやりたいと思っているんだ」と聞けば、
すぐに「じゃぁ、うちでネットの配線をやりますよ」と仕事を取る。「うちもそろそろH
Pを開設しようかな」と聞けば、HPの制作も請け負った。
稼げる仕事が見つかれば何でもこなし、自社のMacサーバもα版からβ版に進化させ
て、情報量の拡大に備えていった。
スピードは緩やかだったが、契約クライアントやサイトに掲載する物件数は着実に増え
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
29
年頃になると物件数も200件を超え
年には400件を超える状況になった。
ていった。ネクストを法人化する1997年から
るようになり、
98
仕組みを創る』
『常に革進することで、より多くの人々が心からの「安心」と「喜び」を得られる社会の
〈株式会社ネクストの経営理念〉
になる。
され、日本最大の住宅・不動産情報ポータルサイトHOME S`として結実していくこと
この一般消費者の立場に立つビジネス認識は、後年ネクストの経営ビジョンとして昇華
覚したのです」
に置いて、一般消費者のためになるかどうかをビジネスの判断基準にすることを、強く自
で不動産事業者も大切な顧客なのですが、あくまでもビジネスの軸足は一般消費者サイド
基本方針を、より鮮明に意識するようになりました。不動産情報を取り扱うビジネスなの
「自分は不動産事業者のためではなく、一般消費者のためにビジネスを立ち上げたという
井上が語る。
この頃井上は、ある確信を抱いた。
99
30
さらに社是には〈利他主義〉を掲げて、こう標榜した。
『常 に 顧 客 や、 世 の 中 や、 周 り の 人 の た め に 役 立 と う と い う「利 他 主 義」 を ベ ー ス と す
る』
この理念と利他主義思想こそが、ネクストビジネスを一気通貫する支柱に他ならない。
想いをかなえるために未来に点を打て
ここで、ネクストのビジネスの発展を縁の下で支えてきた技術系幹部に登場してもらお
う。
最初は、井上がネクストを創業した頃から、折に触れて接触してきた取締役の成田隆志
である。成田は井上と高校の同級生で、卒業後は慶應義塾大学理工学部に進学し、井上の
起業時はエンジニアとしてIT企業に勤務していた。
「当時、井上に会うと『パソコンに精通した若くて真面目な学生はいないか?』と相談さ
れたんですよ。だから大学の後輩を紹介したら、井上は紹介した学生に同行した高橋とい
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
31
う大学院生を気に入って、アルバイトをさせるようになりました」
この高橋という院生が、現在HOME S`事業本部に所属する高橋宏明である。
高橋が当時を振り返る。
「その頃ネクストは横浜にあるワンルームマンションの一室が事務所で、会社には社長と
副社長の2人しかいませんでした。井上は毎日、営業に飛び出していく。僕はプログラマ
ーのアルバイトで仕事を任されて、大学とネクストを行ったりきたりの毎日です。仕事は
案件ベースで、つくるシステムがあるときだけ、井上か ら『○ ◇万円くらいでつく れな
い?』と発注されるんです」
ときには井上が、飲みに誘った。
高橋が創業時の井上の思い出を語る。
「井上は、いつでも熱く語りまくっていた記憶があります。自分がネクストを創業した動
機に始まって、ネクストでやり遂げたい目標をぶちあげて、私に聞いてくるんですよ。
『お前は何をやりたいんだ?』って」
井上は、創業時の自分を「根拠のない自信と熱い想いだけで起業しただけ」と謙遜する
が、熱き野心を秘めた起業家は、溢れる想いを高橋に語り明かした。
32
その井上節のなかで、高橋がいまでも忘れられないひと言がある。
「未来に点を打て!」
井上は、高橋にこう言った。
「お前が将来何をするかは自由だが、もしやりたいことが決まったら、人生の未来に点を
打つんだ。自分が進むべき道のはるか遠くでもいいから、点を打て。そうしておけば、道
半ばでコースを見失ったり、違う道に踏み込んでしまっても、きっと点を打った道に軌道
修正して歩き直すことができる。だから、人生には点を打っておかなければ、ダメなんだ
よ」
高橋は情熱的にビジネスを語り、自分の人生に点を打って真一文字に進もうとしている
井上の言葉を〈この人は自分の目標を最後までやり遂げるつもりなんだ〉と、圧倒される
思いで受け止めた。
その後、成田と高橋はネクストに中途入社することになる。先に1999年8月に成田
が入社する。
「私は、ネクスト創業前後にサンデープログラマー(UNIXで稼働するHOME S`の
β版の構築)として、技術協力をしながら、外部から井上の会社を手伝っていました。井
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
33
上からは幾度も誘われていたものの、すぐには参加できませんでしたが、会社設立2年後
の1999年になってようやくタイミングが合致し、ネクストにジョインすることになり
ました」
(成田)
ネットビジネスの可能性にかけた井上にとって、IT技術に精通した成田は「どうして
もネクストを支えてほしい人材」だった。
ついで1999年秋、今度は慶應の大学院を修了して就職していた高橋に、井上から電
話が入る。
「高橋君、ネクストにはやりたいことがいっぱいあるし、これからもっともっと成長して
いくから、うちに来て成田と一緒にやってもらいたいんだ」
こうして2000年4月、成田に9カ月遅れて高橋は、ネクストにジョインすることに
なった。
2人の入社でネクストは経営の柱となる技術基盤を獲得し、成田と高橋の慶應コンビを
中心にネクストの技術陣が立ち上がっていった。
34
「こう改良したらユーザーは喜んでくれるだろうな」という確信
ネクスト経営の大きな特徴の1つに、
〈サイト制作・開発の内製化〉がある。ネクスト
創業初期はどのような状況だったのだろうか。
成田が語る。
「ネクストのサイト開発は最初は外注だけでしたので、外注先のマネジメントに苦労した
んです。こちらの意図や要望をきちんと商品化してくれなかったり、納品が希望通りにい
かずに大幅に遅れたりして、井上も頭を悩ませていました。そうした経験を経て、私や高
橋など技術陣からサイト制作を内製化しようという声が出て、井上も内製化を決心しまし
た」
ネクストが外注先をコントロールするには、2つの壁があった。
1つは成田や高橋の入社以前、技術に精通した人材がいなかったという壁である。
技術のリソースがなければ外注先をコントロールできず、仕事の主導権を握ることもで
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
35
きない。
もう1つは、
「いま直してほしい」という注文に対し「いまは仕事が込み合っているの
で1カ月の時間をください」と外注先から拒絶されてしまい、自社の都合を優先させたス
ケジュール管理ができない壁だ。
1つ目の壁は成田と高橋の入社でクリアできたが、2つ目の壁は仕事を外注している限
り、解決不可能だった。
これではビジネスは成長できない、と井上、成田、高橋などの経営幹部は危機感を抱き、
制作の内製化を決断するのである。
1999年から2000年にかけてサイト制作の内製化に切り換えたネクストは、物件
検索サイト事業を強力に推進していった。井上をリーダーとした営業陣は不動産会社の獲
得=掲載物件広告の獲得に邁進し、成田をリーダーとした技術陣は、当時約7万件の物件
を掲載しているHOME S`サイトの更新に明け暮れた。
高橋が語る。
「物件情報の更新は不動産会社が行うので、ネクストがしなければならない仕事は、サイ
ト利用者に向けた〈使いやすさ〉の改良です。サイト画面をどうつくれば物件の問い合わ
36
せがしやすくなるかとか、クリックするボタンをどうデザインすれば検索しやすくなるの
か、といった使い方の改良を毎日していました」
改良点を思いついたスタッフが指摘して、
「そうだな」と皆の理解が得られれば、即実
行された。いちいち改良点を組織決定するような手続きなどまったくなく、皆が自由に発
想して、自由にチャレンジして、仕事を楽しんでいた。
「自分たちのサイトを自分たちでつくって改良していれば、サイト利用者の反応はダイレ
クトに確認できます。こう改良したらユーザーは喜んでくれるだろうなと確信し、徹夜し
てやり遂げた仕事も『使いやすくなって感激!』といったユーザーの声を聞けばこちらが
感激します」
(高橋)
仕事が溜まると徹夜も続き、家に着替えを取りに帰ってそのまま出社する、といったヘ
ビーな日々が続いたが、誰も辛いとは感じなかった。その証拠に、この草創期に寝食を忘
れてHOME S`サイトの原型をつくり込んだ技術陣の多くは退職することなく、現在の
ネクストのビジネスを支えている。
「日々、更新」が、サイトの制作・開発スタッフの合言葉だった。
エネルギッシュな仕事ぶりはサイト利用者の間で評判となり、「昨日使った画面と今日
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
37
アクセスした画面が変わっている」という口コミが、じわりじわりと不動産業界に伝わっ
ていった。
自分たちはどこを向いてビジネスをしたいのか?
そんな折、ネクスト事業に1つの転機が訪れる。
旧財閥系大手不動産流通会社であるA社が「不動産の物件情報と購入希望者の接点とな
るようなホームページをつくりたい」と打診してきたのである。
A社としては、多数の不動産物件が掲載されるHOME S`サイトにおいて、中堅・中
小の不動産会社の物件と大手である自社の物件が並列的に掲載されることに抵抗感があり、
差別化した自社オリジナルのサイトを持ちたいと考えていた。
A社が先進的に取り組んだ自社物件サイトの構築は、不動産業界内で話題となった。
「A社が物件専門のWebサイトをつくったよね」
「見た見た。あれって、なかなかいいな」
38
「あのサイトはどこが制作したんだ?」
「HOME S`を運営しているネクストみたいですよ」
こんな噂が、不動産業界を駆け回っていった。ネクストの制作技術力はA社サイトの受
託開発をきっかけにして、不動産業界内に広く浸透し、A社を追走するライバル企業から
のサイト制作依頼も、舞い込むようになった。
ネクスト技術陣も自分たちの技術力を最大限、外部サイト制作につぎ込んだ。自分たち
の技術力を駆使して、発注企業の担当者に感謝されるくらいのサイトをつくりたいと、燃
えた。
この技術陣の若き情熱は見事に結実して、発注元のA社を満足させた。
高橋が指摘する。
「A社のサイトが成功した一番の原因は、ネクストが同じ不動産業界の物件サイトを自社
運営していたことだと思います。クライアントのご担当者もインターネットの技術には不
案内なので、自社が描くサイトのイメージを伝えて指示されるわけです。サイトを制作す
る私たちは、そうしたクライアントのイメージを受け止めて〈A社はこんなサイトをつく
りたいんだろうな〉と想像しながら、画面をつくり込んでいくんです。クライアントから
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
39
3つ指示を得て、
の内容を具現化したサイトがつくれたのも、HOME S`という自社
の内容を理解して、発注者の期待を上回るサイトをつくり上げる
10
サイトをつくれば、発注したクライアントにも当然満足していただけるのです」
ーの使い勝手を最優先して考え、つくってきました。エンドユーザーが使いやすいと思う
「ネクストが制作したサイトは、自社サイトであろうと受託開発であろうと、常にユーザ
根っ子には、井上が創業を志した〈一般消費者への視点〉が存在する。
このような、サイトの制作や開発におけるクオリティのあくなき追求というスタンスの
る意味、サービス的な感覚でサイト制作に熱中していました」
上がっても、営業も含めたトータルで収益が確保できればよいという考えでしたから、あ
スト上昇分を一切、クライアントさんに要求しませんでした。部分、部分の制作コストは
「制作のクオリティ向上がコストに跳ね返るのは当然ですが、当時、私たちはそうしたコ
成田が語る。
か。
技術陣の高度な技術力と矜持は、他方で制作コストの上昇を招かざるを得ないのではない
だが、3の指示から
の不動産サイト制作の経験を積んでいたからだと思います」
10
40
〈常に革進する〉
ためには技術の進化は欠かせない
ここで成田と高橋に、ネクストの制作する不動産サイトが不動産会社とエンドユーザー
の両者に受け入れられた理由を訊ねてみた。
すると2人は、次の2点を即答した。
⑴ 仕事のスピード感
⑵ 使い手の立場に立った技術志向
⑴のスピード感というのは、先に指摘したサイト制作の内製化が大きく寄与している。
外注先に依頼したら3カ月かかる制作も、ネクスト技術陣は1カ月以内で仕上げてサイト
に公開した。外注先に依頼する3分の1から2分の1の制作期間で仕上げることで、サイ
ト利用者の享受するサービスは大幅に向上した。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
41
⑵の使い手の立場に立つサイト制作の一例として、成田は地図検索を挙げる。
「地図検索の機能が他社で実用化されたときには、物件の位置が市町村の役場などの代表
ポイントにしかプロットできていないものでしたが、これでは物件を探しているユーザー
は不便に違いないと考えて、HOME S`が初めて物件の位置を正確にプロットできるサ
イトを実用化したんです。技術者であっても、不動産を検索する1人のユーザーの立場に
立って疑問点を洗い出し、
〈おかしいよね〉とか〈こうしたほうがいい〉と感じる点があ
れば、ユーザー目線ですぐに改良する。私たちの仕事は、そうしたユーザーへの想いがモ
チベーションになっています」
とはいえ、ネクストが急激に成長を続け、数多くのサイトや機能、サービスをリリース
し続けていくと、どうしても毎日の開発に追われるようになり、新しい技術にチャレンジ
しにくい状況になってきた。順調に成長を続けることは、日々、業務に追われながら、シ
ステマチックかつ効率的にアウトプットを出し続けていくことでもある。
また、技術者やデザイナーのようなネクストのサイト開発部隊(ものづくり部隊)も、
サイトの成長、企業の成長に合わせて激増していた。そんな状況にあって、創業初期のよ
うに、常にユーザーの立場で考え、最新の技術を研究・議論しながら柔軟・スピーディに
42
取り入れる開発者の熱い想いを、仕組みとして維持発展していきたいと考えたネクストの
経営陣は、2007年に、
〈クリエーターの日〉という自己研鑽の日を制定した。
クリエーターの日とは何か。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
「毎週金曜日は通常業務から解放される日にしたのです。つまり1週間のうち通常業務に
当てる日は月曜から木曜までで、金曜日は丸1日業務から離れて自己研鑽するのが、クリ
エーターの日です」
(高橋)
日常業務に追われていると技術力は消耗する一方で、日進月歩する最先端技術を習得し
て、仕事に活かす余裕がなくなってしまう。これではネクストの生命線である技術力が弱
体化してしまい、ライバル他社との差別化ができなくなってしまうことを恐れた。自己研
鑽の目標が明確な技術者には、自分でやりたいことを申告してもらい、会社が許可を与え
る。数人の技術者がチームを組んで、1つのテーマを研究しても構わない。
回、金曜日の午前中に〈クリエーターの日〉という技術者と制作者の勉強会が実
Lococom事業部の三平聡志はクリエーターの日について、こう語る。
「毎週
人
施されています。勉強するテーマは業務に連動したアウトプットが期待できるものに、限
定しています。半期に一度研究テーマを募集して、テーマに共感するメンバーが4~
5
第
43
1
のチームをつくり、半年間かけて確実なアウトプットを目指した研究を行います。現在、
チーム程が活動中です」
るコンシェルジュ機能の実現に向かって、さらに進化し続けたいと考えています」
装備したいと考えています。お客様が望む不動産情報とのベストなマッチングをご提供す
いま私たちは、ホテルでお客様をお迎えする〈コンシェルジュ〉のような機能をサイトに
理念に掲げる〈常に革進する〉ためには、技術やサイトデザインの進化が欠かせません。
「技術やサイトデザインは進化が止まってしまったら、陳腐化するだけ。ネクストが経営
成田が総括する。
画・提案できるはずなのです」
(三平)
ジニアも、ユーザーの立場に立てば職種に関係なく、サービスやサイトのあるべき姿を企
ながらサービスインまで業務を遂行することも、珍しくありません。デザイナーも、エン
かもしれませんが、ネクストでは制作者が企画のアイデアを提案してプランナーと連携し
「他の企業ではWebサイトの企画はプランナーから制作者に制作依頼する流れが一般的
力も要求されている。
ネクストの技術者や制作者は、最先端の技術力だけを求められるのではない。企画提案
10
44
創業者である井上高志社長の原体験エピソードは、マンション探しをするユーザーのた
めに、不動産会社の営業マンという自身の立場に関係なく、ベストマッチングする物件を
探して提案し、ユーザーに心から喜ばれたという強烈な事実であった。「利他主義」とい
う社是を掲げる原点がこのエピソードなのだ。
創業者の強烈な「利他主義」体験は、その後に起業したネクストのDNAに深く刻まれ
ているのだろう。誰のために仕事をするのか、自分たちはどこを向いてビジネスをしてい
るのか、消費者の隣にあるビジネスを意識して命名したネクストという社名に込める想い
や、インタビューで語られるさまざまなキーワードやエピソードのなかにも、それは発見
できた。そしてさらに、受託開発業務や自社サイト運営などの、現在にいたるまでのビジ
ネス展開におけるさまざまな局面や、サービス開発の深層に、それが脈々と息づいている
と感じた。
1 章 いままでにない〈社会インフラ〉を求めて
第
45
章
ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
2
第2章では、成長ベクトルを描くネクストの〈成長力〉について、分析したい。
億1200万円、営業利益が2億5000万円に
私が、この従業員数約500人規模のベンチャー企業に向ける深い関心の矛先は、その
逞しい成長力にある。
ファクトを示す。
2005年3月期の売上高がわずか
衝撃を与えた。
〈2006年3月期〉
億2100万円
売上高・
・9%増という、
78
営業利益・4億4700万円
実に、ネクストは売上高で対前年比
大ジャンプをやってのけたのだった。
・8%増、営業利益が対前年比
過ぎなかったネクストは、翌2006年3月期決算で驚異的な飛躍を遂げ、不動産業界に
16
68
27
48
プッシュ型からプル型への営業大転換
この2005年3月期から2006年3月期を辿る1年間は、ネクストにとって〈社運
を賭した勝負の年〉だった。それまで経営の屋台骨を支え続けてきたSIPS事業(スト
ラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス=大手不動産会社などのH
Pを制作受注から運営プロモーションまで統合的に提案・受託する事業)から完全撤退し、
現在の基幹事業となっているHOME S`事業への選択と集中を断行した時期に相当する。
HOME S`事業が順調に伸びていたとはいえ、確実な売上げと収益が期待できる受託
事業を切り捨ててしまって、本当に経営が存続できるのか。
全社売上げの多くを占めるシステム受託事業からの撤退を決断したネクストは1年後、
業界関係者が予想だにしなかった急成長を成し遂げてしまう。既存事業を撤退したマイナ
ス効果に沈むどころか、後がないという危機感を踏み台にして、未踏の大地を切り開いた
のである。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
49
図表1◎ネクストのビジネスモデル概念図
クライアント
大手不動産会社
デベロッパー
ネクストグループ
エンドユーザー
物件情報の
検索・閲覧
問い合わせ・
資料請求
物件情報の掲載
物件情報の掲載
賃貸保証
不動産仲介会社
管理会社
ハウスメーカー
ASPサービス提供
工務店
建築家
リフォーム会社
施工事例・企業
情報の掲載
各種事業者
(FCチェーン・
飲食店・
バナー広告出稿
施工事例・企業情
報の検索・閲覧
問い合わせ・
資料請求
地域情報の
検索・書込み
管理ツールの提供
(家計簿・住所録など)
ブログの掲載
人材会社など)
有料サービス
無料サービス
50
図表2◎HOME Sサイト一覧
不動産賃貸
不動産売買
新築分譲
不動産投資
注文住宅・リフォーム
日本最大級の賃貸物件情報専門サイト
HOME S賃貸
http://rent.homes.co.jp/
高齢者向け施設・住宅情報サイト
HOME S介護
http://kaigo.homes.co.jp/
引越し一括見積もりサイト
HOME S引越し見積もり
http://hikkoshi.homes.co.jp/
賃貸入居者向け家財保険サービス
HOME Sマイルーム保険
http://insurance.homes.co.jp/
不動産賃貸業のコンサルティングサービス
レンターズネット
http://www.ra1.co.jp/
保証人代行、賃貸保証
HOME S賃貸保証
http://financial.homes.co.jp/
日本最大級の売買物件専門サイト
HOME S不動産売買
http://sumai.homes.co.jp/
51
第
新築分譲マンション物件専門サイト
HOME S新築分譲マンション
http://shinchiku.homes.co.jp/
新築分譲一戸建て物件専門サイト
HOME S新築一戸建て
http://kodate.homes.co.jp/
不動産投資物件専門サイト
HOME S不動産投資
http://toushi.homes.co.jp/
注文住宅情報専門サイト
HOME S注文住宅
http://iezukuri.homes.co.jp/
注文住宅情報専門サイト
家づくりネット
http://www.iezukuri-net.com/
リフォーム情報専門サイト
HOME Sリフォーム
http://reform.homes.co.jp/
リフォーム情報専門サイト
リフォームネット
http://www.reform-net.com/
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
・9%増)
さらに関係者を瞠目させたのは、2006年度から急勾配の上り坂を一気に駆け上った
怒涛の快進撃だ。
億5900万円(対前年比
〈2007年3月期〉
売上高・
億3300万円(同
〈2008年3月期〉
売上高・
億5000万円(同
〈2009年3月期〉
億2700万円(同
・9%増)
・6%増)
・
・
%増)
る鮮やかな軌跡を社史に刻んでいった。
%減※)
ネクストは2005年からの3年間で売上高を約4・6倍、営業利益を5倍に伸長させ
※ただし、中期経営計画に基づき、HOME S`の圧倒的ナンバーワン戦略実現のため
に計画的な先行投資を実施したことによる減益。
営業利益・9億9800万円(同
1
1
営業利益・
66
67
20
20
売上高・
・7%増)
営業利益・7億4600万円(対前年比
63
66
44
74
12
89
52
ネクストの基幹事業であるHOME S`のビジネスモデルは、次の2点がポイントにな
っている。
⑴ HOME S`サイトに情報を掲載するクライアントの信頼と増加
⑵ HOME S`の情報を信頼するサイトユーザーの支持と増加
この2点のうちどれか1つでもバランスを崩せば、ネクストのビジネスは片肺飛行とな
ってしまい、成長力を失速させるリスクに脅かされてしまう。
では、文字通りの急成長を実現して天井知らずの勢いで昇り続けるネクストは、具体的
年間で会員店数1
にどのような経営戦略を描いて、どのような経営リソースを握っているのか。
詳細に検証してみたい。
こんな事実が存在する。
1997年3月、井上高志によって創業されたネクストは、わずか
万店、掲載物件数132万件(2009年6月時点)を擁する日本最大級の不動産情報ポ
ータルサイトに急成長したが、その成長にはいくつかの理由があった。なかでもネクスト
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
53
12
図表3◎ネクストの成長戦略
不動産ポータル事業∼成長モデル概略∼
①
収益の向上
加盟店数×加盟店単価
(物件数×物件単価)
再投資
④
②
ページビュー・
ユニークユーザー数増加
媒体価値の向上
③
問合せ・資料
請求件数増加
媒体価値の向上により収益増加
不動産ポータル事業を核とするネクストの成長性は、加盟店数お
よび加盟店単価の増加による収益基盤の拡大に左右される。そして、
これらの要素の増加は、HOME Sが持つ媒体価値の高さによっても
たらされる。すなわち、いかに多くのエンドユーザー数・ページ
ビュー数を確保し、資料請求数という実績につなげるか、その取り
組みが不動産ポータル事業における最重要施策となる。
また、HOME Sが持つ媒体価値が向上し、加盟店数の増加によっ
て掲載される物件情報が充実していくことが、さらなるエンドユー
ザー数・ページビュー数の拡大につながる。
HOME Sの媒体価値を向上させていくためには、住まいのことを
考えるエンドユーザーが、まずHOME Sを思い浮かべるためのブラ
ンド力の構築=認知度の向上が必要である。
54
の成長を分析する際に、とくに注視したいのが次に示す3つのポイントである。
⑴ 2002年の営業戦略改革
⑵ 2006年の株式上場
⑶ 柔軟に、そして大胆にスピーディに組織を変更する体質
パズルにたとえるならこの3つのピースは、いずれもがネクストの急成長に不可欠な要
素である。そのどれが欠けたとしても、ネクストの急成長パズルは完成しなかっただろう。
では最初に、2002年に断行された営業戦略改革にフォーカスしてみよう。
2002年の営業戦略改革とは何だったのか。
井上が語る。
「ネクストの基幹事業であるHOME S`は1997年の創業以来、毎年200店舗くら
いしか、不動産会社の会員数を増やすことができませんでした。そうしてHOME S`が
伸び悩んでいる間にリクルートやアットホームといった巨大なライバルが次々と市場に参
入して、ネクストを遥かに超えるハイスピードで会員数を獲得していったのです。こんな
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
55
ノロノロ運転を続けていると、まもなくHOME S`は競争から脱落して置いていかれる
に違いない。私はそんな危機感を抱くようになりました」
不動産情報ポータル事業のビジネスチャンスを掘り起こして新市場を創造したネクスト
であるが、自らの成長スピードが遅いと事業を継続できなくなるかもしれない。
井上の危機感は、日に日に増大していった。
そして2002年、井上は勝負に出る。
会員数倍増計画の大号令をかけたのである。
「このとき、1年間で会員数を倍増させる営業戦略改革を決意したんです」
営業方法をプッシュ型からプル型に大転換する
営業目標は新規の会員獲得件数だけに絞る
営業戦略改革のターゲットは、次の2点に集約された。
⑴
⑵
井上は、営業担当者全員に発破をかけた。
「君たちの仕事は新規のお客様を獲得するだけでいい。他の目標は一切無視しろ!」
56
それまで、営業担当者には新規の会員獲得件数の他に、追加サービスの申し込み件数、
ホームページの制作受注件数、システム受注件数といった多数の営業目標が与えられ、1
カ月の達成目標が厳格に定められていた。
当時HOME S`のサイトビジネスから入る収益はまだごくわずかだったこともあり、
企業の経営を維持するためには、収入の見込める仕事を手当たり次第にこなす必要があっ
たのである。後述するが、この時期のネクストはSIPS事業と呼ばれる大手不動産会社
のWeb制作受注で糊口を凌いでいた。
ここで、この頃の社内状況を知る人物2人に、登場してもらおう。
HOME S`事業本部の橋本祐一は、営業改革直前の2001年5月に営業担当者とし
てネクストに中途入社。橋本は入社時、営業部長からこう言い渡された。
「一応、営業経験はあるんだな。うちは1週間で独り立ちしてもらわないと困るから。よ
ろしく!」
1週間経ったら外に出て、カネを稼いで来い!
営業部長は、そう厳命した。
橋本が語る。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
57
「独り立ちしろ、と言われても、それまで私は不動産業界と何の接点もない仕事をしてい
ましたので、業界事情も皆目わかりませんでした。だから、初仕事は不動産業界に関する
資料づくりでした。不動産情報ポータルや営業に関しては誰も教えてくれませんし、営業
ページほどの
に出ても話すことがないので、資料をつくって資料に営業してもらおうと考えたんです」
橋本は営業の下準備として、会社にあったカタログを寄せ集めてA4判
資料を作成した。
ち、いいから!」とガチャリと切られてしまう。
という不動産のポータルサイトを運営している会社なのですが……」と切り出すと、「う
知られていなかったので、アポ取りがひと苦労だった。 100社電話して、1社のアポが取れればいいほうだった。橋本が電話口で「ホームズ
いまでこそ、HOME S`ブランドは不動産業界に認知されているが、当時はほとんど
営業指示は、そのひと言だった。
「橋本君、これで営業してくれッ」
国の不動産会社リストを営業部長から手渡された。
資料を作成し終わると、すぐ営業活動をしなければならない。営業ターゲットになる全
10
58
そんなやり取りの連続だった。
新人営業担当の橋本に課せられた営業ノルマは月間7社の新規会員獲得と、月間300
万円の受注金額だった。300万円といえば「それほどでもない」と理解する読者もいる
万円いけば上出来のほうだったが、それで
万5000円にしかならない。1万5000円の基本料金にいくつかのオプション
かもしれないが、当時のHOME S`サイトの利用金額は月額一律1万5000円だった
ので、橋本が7社の新規会員を達成したとしても、月間の受注金額は1万5000円×7
社=
サービスを追加しても、月間の受注額が合計
もまだ目標数値には届かない。
橋本が明かす。
万円でした」
「受注金額の不足分を埋めていたのが、ホームページの制作などです。私が初めて受注で
きたホームページの受注金額は
に顔を出すなどして、なんとか新規会員を獲得した。
契約を取るのは極めて困難だった。それでも橋本は不動産会社のみならず業界団体の会合
しかも、100社電話して1社しかアポが取れない訪問営業も、毎月7社から新規会員
50
この営業成果が上がらない苦難時代に営業に奔走した人物を、もう1人紹介しよう。現
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
59
40
10
在、HOME S`事業本部長として指揮を執る取締役の森野竜馬である。
森野が長く担当していたのは、不動産会社のホームページ受注やシステムの開発受託・
サイト運営を専門とする〈SIPS事業〉だった。
森野が打ち明ける。
「当時のネクストは、HOME S`事業の赤字をSIPS事業の利益で穴埋めしていたの
で、キャッシュフローを確保できる主力事業と考えて営業活動を展開していました。この
頃、不動産業界の先進企業は〈ホームページをつくるだけじゃ、もうダメだよね〉と思い
始めていましたので、そうした空気を先読みした営業をしていました」
「ホームページの活用と営業活動を連動させて、しっかりとその会社の事業戦略に組み込
めるように、ホームページを設計すること。そして、ホームページをアップしたらその影
響や効果をきちんと測定して、次の戦略や戦術に活かすことが必要ではないですかと、提
案していました」
森野を含むSIPS営業部隊は、不動産ビジネスのコンサルティング領域に踏み込む営
業を展開しながら、初期のネクストの経営を支え続けていたのである。
さて、こうした厳しい事業環境に立たされていたネクストの指揮を執る井上は、前述し
60
たように営業戦略改革の決意を固め、未知の領域に踏み込んでいった。
「加盟店を倍増できなければ社長を辞める」
井上が語る。
「それまでのプッシュ型営業は、不動産会社のリストなどをもとにして一社一社営業する
スタイルですが、HOME S`サイトの知名度が低く、インターネット活用の認識も決し
て高くない状況では、営業成果はなかなか上がりませんでした。だから一大決心をして、
営業スタイルをプル型営業に大転換したんです。プル型営業というのは、こちらから出て
いって営業するのではなく、セミナーなどを開催して不動産会社さんに参加してもらい、
そこでHOME S`サイトやネット利用の価値を理解していただいたうえで、問い合わせ
や資料請求を受けながら受注を獲得する営業スタイルです」
〈インターネットを不動産ビジネスで活用する方法とは?〉、〈インターネット広告の成功
方程式とは?〉
、
〈自社のホームページを売上げに結びつける方法とは?〉、といったテー
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
61
マを掲げて、ネクストはセミナーを全国で開催し、業界誌に広告を打ち、業界フェアに参
加しながら「考えられる販売促進活動をすべて実行」(井上)して、業界にネクストとH
OME S`サイトの名前と存在を訴求していった。
さらに井上は、営業活動をパッケージ化して発破をかけた。
「これからはお問い合わせのあった不動産会社さんだけ、営業すればいい。お客様の会社
に行ったら持参した営業ファイルを最初からきちんと説明して、クロージングも覚えたよ
うに実行し、サイト利用の効果を訊ねられたときは、マニュアル通りに答えればよい」
営業力のない担当者でも、一定の成果を上げられる営業マニュアルを考案したのである。
そして井上は、全社員に宣言した。
「もし今年度、HOME S`会員を倍増できなかったら、俺は社長を辞める!」
さらに、こう言った。
「俺も営業の最前線に立つから、皆で成績を競い合おうじゃないか!」
井上は、社長自らが一営業担当者となって、新規会員の獲得に出る決意を表明したので
ある。
とはいうものの、社長業に忙殺される立場では、毎日営業に出る時間的余裕はなかった。
62
図表4◎会員数とPVの推移
20,000
18,000
PVの推移
16,000
20,000
10月料金改定
15,000円/月
40件まで
会員数の推移
18,000
16,000
14,000
12,000
10,000
8,000
10,000
8,000
6,000
創業時∼
15,000円/月
件数無制限
2,000
0
4,000
2,000
98/3 99/3 00/3 01/3 02/3 03/3 04/3 05/3 06/3 07/3 08/3 09/3
年度
0
件の新規
23
丸1日、営業に専念できたのは月間で3
日ほど。それでも井上は、月
会員を獲得した。
「やればできるところを営業のメンバー
23
件は大成功でした」
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
に見せたかった。
井上は、いまでもそう振り返る。
%を超える
50
営業戦略改革の成果は徐々に現れ、や
がてプル型営業の受注率は
までに高まっていく。問い合わせを受け
て営業訪問すると、2件に1件は受注で
きるようになり、商談のその場で契約が
成立することも少なくなく、営業効率は
格段に向上していった。
体当たりの訪問営業で苦労した橋本も、
プル型営業の営業手法をマスターすると
第
V
︶
6,000
4,000
63
12,000
10月料金改定
15,000円/月
100件まで
PVの推移︵万P
会員数︵事業所︶
14,000
本以上の新規会員獲得をコンスタントに挙げるようになり、
件を超す成績を達成するようになった。
俄然営業成績が上昇し、毎月
2002年に入ると毎月
10
そしてネクストは、次のターニングポイントを迎えることになる。
公の存在になるために、
株式上場する
大規模の不動産情報ポータルになっています」
ら、HOME S`の営業はドライブがかかり、それから3000件、5000件、700
0件と一気に会員数が増えていきました。現在は1万件を超えるまでに成長して、業界最
構築できたことが成功の要因でした。これにより、2003年に2300件を達成してか
「個々の営業マンのスキルや経験に依存する営業ではなく、事業として、売れる仕組みを
井上が言う。
3倍である2300件に達し、見事に倍増計画は実現された。
営業戦略改革に着手して1年後の2003年3月、HOME S`の会員数は前年の2・
20
64
営業戦略改革の試練を乗り越えて、急成長ベクトルを描いたネクストは、2006年
月、次の成長ステージに踏み出すべく、東京証券取引所マザーズ市場に株式上場を果たし
た。ネクストはなぜ、株式上場を目指したのか。
管理部門を統括する取締役の浜矢浩吉にあらためて訊いた。
「ネクストは経営ビジョンに謳うように、人々の安心と喜びが得られる社会の仕組みをつ
くる事業に取り組んでいます。社会の仕組みという意味は社会インフラと同義ですので、
ネクストは社会のインフラづくりを目指す事業体でもあるのです。社会のインフラをつく
るためには、企業としての財務基盤を安定させることも大事であり、それを推進する優秀
な人材の採用も必要としていました。そして、ネクスト自身も〈公の存在となるように株
式を公開しよう〉というのが、株式公開に取り組んだ最大の理由です」
この浜矢のコメントを読んで理解できるように、ネクストの上場戦略には、企業経営が
本来求める資金調達という現実的目標の前に、まず社会公器としてのCSR(企業の社会
的責任)的な問題認識が存在していた。
企業が社会に果たす責任とは、何なのか?
企業は社会全体から、何を求められているのか?
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
65
10
株式公開を目指す井上はもちろん、管理業務担当の浜矢、さらには井上を支えるボード
メンバーの一人ひとりが、ネクストが株式上場する意味を自問自答した。
井上は語る。
「ネクストは、ユーザー視点で不動産業界における情報の非対称性を変えていきたい、さ
らには世の中の不便や不安なことを変えていきたいと本気で考えている企業です。いわば、
社会的な『正義』を掲げて追求している会社なのです。そのためには、口先だけでなく世
の中を変えるほどの社会的影響力という『力』を持たなければならないと考えています。
大事なのは『力』と『正義』の2つを兼ね備えていることだと思います。〝力なき正義〟
は無力であり、
〝正義なき力〟は社会的暴力になってしまうからです。どちらが欠けてい
てもいけない」
そうしたある意味青臭い経営思想を真正面から受け止めながら、若きネクストは株式市
場の真っ只中に飛び出していったのである。
株式公開のステップは、主幹事証券会社の審査と東京証券取引所の審査という2段階の
審査を経なければならないが、なかでも難物だったのが東証の審査だった。審査スタート
66
月 日、株式公開を果たした。
後、浜矢たちは毎週1回は東証に出向き、あらゆる角度からの審査要求に応えていった。
そしてネクストは2006年
さらに、ネクストに内在している3つ目の成長の要因がある。それが、マーケットに対
ない。
を成し遂げたネクストだが、それだけでは本当の意味で企業として成長することにはなら
営業効率化による受注率のアップ、株式公開による認知度・信用性の向上。以上の2点
社会的信用力を獲得した。
営業改革を断行して成長にドライブをかけたネクストは、株式公開を成功させることで
秀な人材を惹きつけるフックになりました」
(浜矢)
頼感が飛躍的に向上したことは確かです。また人材採用の際、上場企業の存在感がより優
「やはり、株式を公開して会社の社会的立場が変わったことで、会社や事業の知名度や信
31
応した柔軟で大胆でスピーディな組織改革だ。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
67
10
柔軟で大胆な組織改革を常に実行
ネクストの組織デザインは柔軟で変化が激しい。
HOME S`事業本部の賃貸ユニットに所属する武岡恵が話す。
武岡は2004年に新卒第1期生としてネクストに入社後、賃貸営業の最前線で営業活
動に携わっていた。
その武岡がかねてからの異動希望を認められ、営業からサイトコンテンツの企画業務を
担当することになった。
2007年のことである。
武岡が指摘する。
「サイトコンテンツの企画を担当するようになると、企画者としての立場と、元営業担当
者としての意識がぶつかり合いました。営業担当者の意識は、やはり広告主である不動産
会社さんのことを一番に考えてしまいますし、コンテンツ企画者はコンテンツを利用して
68
いただく一般ユーザーの立場に立った考えをしなければならないのです」
武岡が企画職に異動する前、2006年までは、営業担当者と企画担当者は機能別組織
体制のもとで、それぞれの業務に集中していて、相互の業務リレーションは円滑でなかっ
た。機能別組織のもとで営業活動に専念し、売上げを拡大させる一方、サイト開発とマー
ケティングも一般ユーザーの利便性を最大に考える施策に専念し、サイトを拡大してきた
のである。そんななかで営業担当が「もっとクライアントさんのメリットを考えたサイト
を企画して欲しい」と希望しても、企画担当は「サイトをご利用いただく一般ユーザーの
利便性を考えるのが先でしょ」と反発した。
営業担当者と企画担当者の価値観の違いが肌感覚でわかる武岡は、悩ましい日々を送っ
ていた。
ここで、ネクストは大胆な組織改革を断行する。
2007年4月、HOME S`事業本部はマーケット別組織として賃貸ユニットと流通
ユニット、そして投資ユニットを束ねた賃貸・流通事業部を再編して、それぞれのユニッ
トごとに営業、企画、技術、制作チームを配置し、業務間の壁を取り払う。状況に合わせ
て組織改革のスピードを上げていった。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
69
「この組織改革で賃貸ユニットのなかに営業担当、企画担当、技術や制作担当が同居する
ようになり、担当間の意思疎通は非常に改善されました。営業担当の後ろでは企画担当が
仕事していますので、営業担当がクライアントさんのことで『ねぇ、これはどうしたらい
いッ?』と企画担当や制作担当に声をかけると、各担当がすぐに集まって問題解決するよ
うになりました」
マーケットごとに最適化し、深掘りすることを目指した組織大改革には、思わぬ効用も
あった。
人前後で構成し、6~7チームによる対抗戦でアイデアを競いま
たとえば賃貸ユニット内でのアイデアコンテスト。
「1つのチームは約
す」
する人気コンテンツだ。
物件を担当する不動産会社の営業スタッフ自身が、自らの視点や独自の言葉で物件を説明
HOME S`の賃貸サイトに「営業スタッフ検索」というコンテンツがあることをご存
じの読者も、少なくないだろう。従来のデータ主体、機能主体の物件説明ではなく、その
早くも第1回目のコンテストから、実際のサイトで実用化された人気企画が飛び出した。
10
70
実はこの新コンテンツは、アイデアコンテストに提案された企画が実用化されたもので
ある。営業スタッフ検索では、優れた人気コメントを寄せた営業スタッフを全国のエリア
単位で選抜して表彰する制度も、新しくスタートした。
武岡は、こう意気込む。
「それまでの機能別組織からマーケット別組織に改編されたことで、営業担当者も企画・
制作担当者も自分の業務に関係なく、賃貸マーケット全体をもっと活性化し改善させるよ
うなアイデアが出やすくなってきました。このように、アイデアコンテストは単なる企画
のための企画ではなく、ユーザーにもクライアントにもHOME S`自身にも意義のある
提案のコンテストになっています。参加チームは本気で実装・商品化できる企画で勝負し
てきており、今後も、クオリティの高い人気企画が次々に提案されると思います」
これは一例である。ネクストの組織体制は、そのときの経営課題やマーケットの状況に
合わせて、大胆かつ柔軟に改編実行されてきた。ある時点で望ましい、ふさわしい組織体
制が、数年も固定されて続くわけではないのである。組織は戦略に従う。現時点でもネク
ストの社内では未来の戦略とあるべき組織デザインについて議論が戦わされ、大胆な組織
改編が計画されているかもしれない。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
71
以上、これまで詳述した営業戦略改革、株式上場、組織大改革は、いずれもがネクスト
の成長にドライブをかけたターニングポイントに他ならない。
では、こうした成長の軌跡を描くネクストのビジネスの現状は、どうなっているのだろ
うか。
続いてHOME S`事業のいまに、切り込んでいきたいと思う。
「マーケットの慣習を正しいものに変えていきたい」
ネクストは〈人と住まいのベストマッチング〉を実現するために多様な不動産情報ポー
タルサイトを運営しているが、なかでも業界最大級の主力サイトとして人気を集めている
のはHOME S`賃貸である。サイトを統括するHOME S`事業本部の加藤哲哉執行役員
は、こう概説する。
「HOME S`賃貸とHOME S`不動産売買は、約1万店の会員と約130万件の掲載物
件を持つ業界最大級の不動産情報ポータルサイトですが、会員数と掲載物件数はもっと大
72
きく伸ばしていかなければならないと考えています。日本全国の賃貸物件と中古の不動産
物件のすべてを網羅して掲載するのが、最大のミッションと考えています」
その意味で、全国に約1700万件(空き室は約400万件)あると推計されている賃
貸物件の掲載は、まだまだ余白を残しているといえるだろう。
HOME S`事業本部で賃貸ユニットを指揮する久松洋祐は、こう話す。
「2009年2月時点における賃貸物件の掲載物件数は、約100万件になっています。
業界には大手と呼ばれるいくつかの競合サイトがありますが、HOME S`の強みは、常
に物件を探すユーザーの立場に立ったサイト運営を貫いてきた姿勢にあると自負していま
す」
サイト制作においてはユーザーインターフェイスを向上させて利用者の使いやすさを追
求している。随時、ユーザーにアンケートやヒアリングを実施してユーザーニーズを把握
し、サイトに迅速に反映させる対応がユーザーの信頼を集め、ユーザー数を飛躍的に増大
させてきた。
ユーザー視点を重視するサイト運営は、次の活動からもうかがえる。ネクストでは〈情
報審査室〉という営業部門から独立した専任部署を配置して、不動産会社や物件情報の質
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
73
を厳しく審査している。
現在、情報審査業務を統括する取締役の成田隆志が指摘する。
「情報審査室では、掲載物件の内容チェックやおとり物件の排除などを行い、掲載情報の
質に目を光らせています。情報審査室のミッションは、サイトを利用するユーザーの利益
を守ることです」
情報審査室ではクライアントである不動産会社から提供される不動産情報の品質が厳し
く審査され、情報掲載規定にそぐわない情報提供を繰り返すクライアントには〈イエロー
カード〉が提示される。
さらにイエローカード提示後も不正な情報提供が改まらないクライアントには〈レッド
カード〉が提示されて、広告掲載を行う会員資格が剥奪されてしまう。
HOME S`情報審査規約には、こう記されている。
〈HOME S`情報審査規約〉
『弊社独自の審査の結果、違反の事実が確認された場合は本審査規約に基づき違反に対す
る措置を実施させていただきます』
74
『弊社独自の審査の結果、弊社にて明らかに事実と反する表記あるいは著しく不当な表記
であると判断したものについては、会員の承諾なく、また会員に対して何ら責任を負う事
なく、弊社が必要と判断する修正又は全部若しくは一部を削除する事ができるものとしま
す』
さらに、こうした厳格な規定が制定されている。
『違反行為が繰り返され2回以上の本サービスの利用停止措置を行った場合、退会をして
いただく場合がございます。弊社独自の審査にて退会が妥当と判断した場合は、本サービ
年を経過した時点において弊社の判断により業務改善の内容が認められた場
スの利用停止措置の回数にかかわらず退会をしていただくことがございます。この場合、
退会日より
合に限り、弊社規定の条件のもとで再入会の申請をすることができるものとします』
なぜネクストは、事業の収益源であるクライアントの対応に、ここまで厳格な審査を行
うのだろうか。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
75
1
そう問うと、成田は口を開いた。
「HOME S`ビジネスの原点は、創業者である井上が志した不動産業界における〈情報
の非対称性〉を解消する経営思想にあります。お客様が不動産をお求めになるとき、不動
産会社から一方的な不動産情報が提供されて十分な情報開示がなされていない状況を、井
上は〈情報の非対称性〉と認識し、そうした状況の解消を志してネクストを創業しました。
この〈情報の非対称性〉を抜本的に解消するには前提条件として、公開情報の精度が確か
なものでなければなりません。HOME S`が全力を傾注している情報精度ナンバーワン
に向けての取り組みや情報審査室の活動は、ネクストおよびHOME S`が自らの存在価
値を具現化する取り組みでもあるのです」
ユーザー目線に立ったHOME S`賃貸では、不動産会社(店)の認定制度もスタート
させた。情報審査室の審査に問題がなく、HOME S`会員として優良な事業姿勢が評価
された不動産会社を〈HOME S`住まいのアドバイザー認定店〉と評価し、オリジナル
ステッカーを配布する。認定審査は毎年行われるので、今年の認定店が来年も認定される
とは限らない。
こうした適正で厳格な審査態勢にも、HOME S`が志向する利他主義=ユーザーオリ
76
エンテッドの事業姿勢が表れている。
そしてHOME S`賃貸を率いる久松は、こう言い切った。
「HOME S`というポータルサイトを運営している私たちには、〈自分たちは常に正しい
ことを実行している〉という自負心があります。業界の慣習や現状を無条件に肯定するの
ではなく、ユーザーがHOME S`に何を望み、自分たちはどう応えていけばよいのかを
常に自問自答しながら、人と住まいのベストマッチングを実現していきたいと考えていま
す」
業界常識にとらわれないで、正しいと信じた事業行動を貫く姿勢と態度は、業界に先駆
けて実施した〈物件情報のデータクリーニング頻度〉にも見て取れる。
久松が語る。
「2009年2月からHOME S`賃貸は、1週間で物件情報が自動的に閲覧できなくな
る仕組みを稼働させました。物件情報は基本的に不動産会社さんが更新するのですが、掲
載物件の情報は1週間を過ぎた時点で、自動的に閲覧できなくなるようになっています」
通常、物件情報が更新される要因としては掲載物件の入居が決まったり、不動産会社が
掲載する予定の物件を変更するなどが考えられるが、掲載物件の鮮度を重視するHOME
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
77
S`賃貸は物件の掲載期限を1週間に限定し、さらに継続して掲載を希望する場合は、一
度落とした情報を再度掲載するシステムを稼働させたのである。
事業部長の加藤哲哉が語る。
「業界団体では、2週間に1回のデータクリーニングを奨励していますが、HOME S`
賃貸は独自に1週間のデータクリーニングを導入しました。不動産会社さんからは強い抵
抗がありましたが、サイトを利用するユーザーのメリットを第一に考え、物件情報の鮮度
にこだわって決断したものです。私たちはユーザーの支持を背景にして、業界内の慣習を
正しく変革していきたいと考えています」
不動産業界では、おとり物件を広告して集客し、他の物件を契約させる悪質な営業活動
を行う一部不動産会社の存在も指摘されるが、HOME S`賃貸は先述した通り、情報掲
載ルールを厳格化して、違反を起こした不動産会社が判明した時点で即時に警告を発し、
ときに退会処分を下す規定を設けている。
また、HOME S`賃貸の意欲的な事業展開は、Web上だけにとどまらない。活字メデ
ィアとのコラボレーションも、その一つだ。
「地図出版大手の昭文社さんとのコラボレーションで、2008年と2009年の住み替
78
えシーズンに合わせて、
『どこ住む? 東京』というムック本を発売しました。地図と街
情報と街ごとのQRコードを掲載して、携帯サイトでいつでもどこでも最新の物件情報を
検索できるようにしました」
(久松)
これにより「家賃相場」
、
「住み易さ情報」
、
「賃貸物件に関する豆知識」などのコンテン
ツ 提 供 に 加 え、 駅 周 辺 マ ッ プ に 携 帯 電 話 端 末 の Q R コ ー ド を 付 け、「ケ ー タ イ H O M E `
S」とのメディアミックスを果たした。いつでもどこでも最新の物件情報を検索できる機
能 を 提 供 す る こ と で、 1 冊 の ガ イ ド ブ ッ ク で「住 み た い 街 探 し」 だ け で な く「お 部 屋 探
し」までができるメディアを送り出したのである。
新生活応援フェア〉を開催。地元不動産会社が
加えて2008年からは、地域の不動産会社と提携して地域イベントを開催している。
2009年1月には、福岡市内で〈福岡
多数のブースを出店し、HOME S`賃貸も不動産物件のWeb検索をアピールして、多数
の引越しに関心のある層を集めることに成功した。
こうした積極的な事業活動を矢継ぎ早に仕掛けるHOME S`賃貸の営業活動は、どの
ように行われているのか。続いて、賃貸ユニットの営業活動をウオッチしてみたい。
武岡と同じく新卒第1期生として2004年に入社した西川晋吾は、営業ひと筋にキャ
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
79
リアを積んできた。かつては九州福岡地区の会員開拓に腕を振るった敏腕営業マンであり、
現在はグループマネジメントの指揮を執っている。
HOME S`賃貸の営業活動は、グループ、チーム、メンバーといった組織の連携で推
進されている。
西川がリーダーとして心がけていることは、メンバーが自己実現できる仕事環境の整備
とモチベーションの向上だ。
「メンバーが楽しく仕事できる環境をつくることが、リーダーの仕事です。楽しく仕事を
するには、自分で自分の目標がきちんと自覚できて、目標達成までの道筋が理解できてい
ることが重要です。メンバー一人ひとりが自己実現できる仕事環境をしっかり整備し、仕
事の目標を達成したメンバーの喜びをすべてのメンバーで共感・共有できるチームをつく
ることが、私に課された最大のミッションなのです。だからこそ自分の営業経験を参考に
して、営業行動の通過点をきちんと通過できる丁寧な指導が必要になります」
西川が指摘する通過点とはアポの取り方、営業訪問の仕方など、営業担当者が絶対に乗
り越えなければならない一つひとつの営業行動を意味する。
「アポを取る件数や訪問件数の目標を設定して、どうしたら目標が達成できるのかを一緒
80
に考えて、日々の行動をサポートします。最初は目標ハードルを低くして、〈自分はでき
る!〉という自信をつけさせてあげます」
東京に3つある営業グループは毎週1回集まって、1時間の勉強会を実施している。勉
強会では各グループの担当者がプレゼンを行い、皆で議論し、全グループ合同で業務スキ
ルを磨き合う。
営業担当者の個人的な力技で営業成績を競うのではなく、各グループや各チームが切磋
琢磨しながらチーム力を競い合い、互いを高め合うことで強固な営業力を発揮するのが、
HOME S`賃貸の営業ウェイなのである。
「誰もが安心・納得の住み替えができる社会をつくりたい」
では続いて、
「HOME S`不動産売買」を運営している流通ユニットについて分析しよ
う。
流通ユニットのビジネスは、不動産の売買・仲介ビジネスを顧客とした情報サイト事業
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
81
であり、
「HOME S`不動産売買」には、約 万件の売買物件情報が掲載されている。マ
ンションはほぼ100%中古物件になるが、戸建て住宅は新築住宅が約 %、中古住宅が
%といった取り扱い比率になっている。
30
60
買い物をするときに、購入者ご本人が心から満足できる物件をご提案したいと思います。
「HOME S`不動産売買としては、中古物件の購入者がもっともっと自分のこだわりを
実現できる物件選択の機会を増やしていきたいですね。自分の人生で1回か2回の大きな
流通ユニットを指揮する青木純は語る。
購入の大きな魅力となっている。
新築物件よりも価格優位性が高く、かつ希望エリアで物件探しができる点が、中古物件
⑵ エリア
⑶ 自分のこだわり
⑴ 価格
一般に中古物件の購入重視ポイントは、次の3点に集約されるという。
40
82
欧米では住まいの売買のうち中古物件の流通が7割8割ありますが、日本は約1割。空き
部屋になっている中古物件をより多くの人が選択肢に入れるようになることで、最終的に
は街の活性化にもつながっていってほしいと願っています。これが我々のユニットが掲げ
るビジョンでもあります」
また、HOME S`不動産売買には、こだわりの住居探しをサポートする人気コンテン
ツ「住まいの購入データファイル」がある。
「これは物件をお探しの方が、自分と同じような年齢、収入、家族構成、希望等を持つ人
はどのような不動産を購入したのか?ということを確認できるコンテンツです。自分と同
じような属性を持つ物件購入者の事例や実体験を理解することで、自分に相応しい住まい
をイメージできるようになります」
データファイルには、過去3年以内に住宅を購入した人のデータが、約6400人=6
400物件が公開されている。
企画を担当する山本大輔が語る。
「物件探しをするときは、誰でも期待と不安が交錯しますが、自分と同じ属性の人の購入
事例を知ることで、
〈不安〉が取り除かれ〈期待〉となり、物件に対する希望やこだわり
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
83
が持てるようになります。実際に家を買った人の数多くの事例と生の声を紹介することで、
ユーザー一人ひとりが自分に合った住まいを「買いたい」と思うだけの段階から、実際に
「買える」
、
「買おう」となるための応援をしているのです。今後はデータ数をさらに増や
す予定です」
HOME S`不動産売買は、こうした事業戦略も描く。
キーワードは、物件情報の充実だ。
青木が言う。
「デベロッパーがさまざまな販促手段を講じる新築物件に比べて、中古物件は格段に情報
量が少ないという欠点があります。新聞に折り込まれるチラシにしても、新築物件は豪華
なカラーパンフレットなのに、中古は2色のチラシに物件写真と間取りが掲載される状況
が、現実なのです。HOME S`は、この新築物件と中古物件の情報格差を解消したいと
考えているのです」
情報格差の解消プランは、すでに議論されている。
マンションの売り出し物件以外に、新築時に公開されて宣伝されたマンション全体の情
報を示したり、売主の住居感や周辺環境の説明といったナマの情報を公開して、より複層
84
的で現実的な物件情報を紹介することを検討している。
「物件所有者の実体験や生活印象などは、新築物件では絶対に伝えられない情報ですから、
中古物件情報の大きな特徴でもあります。マンションであれば、現在同じマンションにお
住まいの居住者の声なども、取り上げていきたいですね」
周辺情報までも網羅して物件情報を立体化してみせることで、物件の購入希望者はより
多くの有益な情報を吟味でき、自分の希望や理想を叶える物件探しを実現できることにな
る。
業界初、
成果報酬型料金プランにより一気に物件情報の網羅性を高める
そして、賃貸・流通事業を統括する加藤哲哉が、HOME S`賃貸とHOME S`不動産
売買の新戦略に言及した。
「これまでHOME S`の掲載料金は、全国・全物件一律でした。しかし、これでは賃貸
料金の高い地域と安い地域、物件価格の高い地域と安い地域で、不動産会社さんの料金負
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
85
担に不公平感が生まれてしまいます。この重要な事業課題を解決する手段として、HOM
E S`では業界初の成果報酬型料金プランを導入しました。物件の掲載料金を思い切って
無料にして、サイト利用者からの物件問い合わせが発生した時点で料金を課金する画期的
なシステムが、成果報酬型料金プランです」
この新料金システムは物件情報を掲載する不動産会社に、極めてメリットの高いシステ
ムとなる。HOME S`サイトへの物件掲載料金が無料になることで、掲載の料金負担が
発生しなくなるからだ。
成果報酬型の料金システムは、次のようになっている。
〈賃貸物件のケース〉
物件の賃料×5%×メール問い合わせ数
%×メール問い合わせ数
〈売買物件のケース〉
物件価格×0・
〈基本料金〉
月額1万5000円
05
86
実は、この成果報酬型料金プランには、HOME S`が描く壮大な事業戦略が秘められ
ている。物件情報の網羅性の確立だ。
ネクストを創業した井上高志が、不動産ビジネスの〈情報の非対称性〉を解決するため
万円の物件を掲載して手数料収入を得る不
にHOME S`サイトを立ち上げた経緯は第1章で記述した通りだが、この〈情報の非対
称性〉を解消して網羅的に情報を訴求するためには、物件情報を提供する不動産会社側の
〈料金負担感の解消〉が不可避だった。家賃
動産会社と家賃4万5000円の物件を掲載して手数料を得る不動産会社が同一の物件掲
載料を支払うことは、低い賃料を取り扱う不動産会社の料金負担感が強くなり、HOME
S`が目指す情報の網羅性を実現するうえで阻害要因になる可能性があった。
しかし、成果報酬型料金システムの導入によって掲載料金の不公平感、加重負担感を取
り払うことができれば、網羅性を実現するための障壁は解消することになる。
加藤は、こう言って胸を張る。
「HOME S`は、賃貸・流通物件サイトとして、日本初の成果報酬型料金システムを導
入することで、物件掲載数のさらなる拡大を実現したいと思います。成果報酬型の料金体
系を武器にして、これまで、どのライバルもチャレンジできなかった事業戦略に先手を打
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
87
20
ちました。そして家探しをする人にとっては、HOME S`に来れば日本で流通している
住宅はすべて閲覧できる世界に、一歩近づくことになります」
ライバル他社が容易に追随できない新基軸を打ち出して、大勝負に出たHOME S`賃
貸・流通事業。
今後の成長が楽しみである。
賃貸ビジネスのトータルパートナーへ飛躍
ここまでがHOME S`賃貸・不動産売買の事業分析になるが最後にもう1点、業界内
で注目されている事業戦略を書き留めておきたい。
HOME S`賃貸とネクストのグループ会社である株式会社レンターズとの事業シナジ
ーだ。
実は、2009年3月期で2億7500万円の売上げを計上しているレンターズは、H
OME S`賃貸・流通事業部長の加藤哲哉が創業したベンチャー企業なのである。加藤は
88
もともとリクルートに籍を置き、プロジェクトリーダーとしてHOME S`の巨大なライ
バルともいえるISIZE賃貸(現フォレント)を立ち上げた実力者でもある。
競争するライバルが、どうしてビジネスパートナーとしてネクストにジョインすること
になったのか。
加藤が、秘話を明かす。
「私がレンターズを起業したのはリクルートを退社してからですが、当然、リクルート時
代からネクストや井上のことはよく知っていました。その頃、リクルートで不動産の情報
ビジネスを指揮していた人たちはネクストなど、まったく歯牙にもかけていなかったので
す。私が、
『ネクストはいつかリクルートの脅威になる可能性がありますから、いまのう
ちに対策をとっておくべきです!』と進言しても、決して動こうとはしなかった。巨大な
不動産情報ビジネスに君臨するリクルートにすれば、数十人規模のネクストが運営するH
OME S`など、相手にするのもバカらしい存在でしたから、当時の判断としては当然だ
ったでしょう」
歴史解釈に〈if〉は禁物だが、もしこのときリクルートの上層部が加藤の進言を受け
て、本気でネクスト潰しに乗り出していたら、いまのネクストは存在しなかったに違いな
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
89
い。
ネクストの事業ポリシーは〈人と住まいのベストマッチング〉だが、加藤が創業したレ
ンターズが目指していることも同じだった。
「私が実現したかったのは、不動産会社がより広告を出しやすいシステムの構築と、お客
様からの問い合わせを成約に結びつけるCRM(顧客管理)システムでした」
さらに加藤は、続ける。
「これらのシステムを確立した後のビジネス課題は、物件数の増大と収益の拡大になりま
すので、レンターズもネクスト同様に物件数の増大に注力する時期を迎えていました」
同じ事業ポリシーと事業戦略を描く両社はライバルであると同時に、新たな不動産情報
ビジネスを志向する開拓者同士でもあった。
その両社が、なぜ手を組むことになったのか。
2007年1月、物件数の増大を志向するレンターズの経営戦略と、広告反響を成約に
結びつけるシステムの構築を模索していたネクストの経営戦略は完全に合致し、ネクスト
はレンターズをグループ企業として迎え入れる決断を下すことになる。
「事業提携の話は、私が井上に持ちかけたものです。事業提携するといっても、2人とも
90
中途半端な資本提携には否定的だったので、レンターズがネクストの100%子会社にな
って事業を継続発展させることで、合意が成立しました」
ネクストは、レンターズとのシナジー効果を3点示す。
⑴ 顧客基盤を同じくする両社の協業による、市場開拓スピードの強化
⑵ 不動産業界における加藤人脈の活用効果
⑶ レンターズが展開しているHOME S`の競合サイトへのコンバート機能を活用し
たマーケティング効果
「レンターズの顧客である不動産会社はHOME S`に広告を出せると同時に、競合サイ
トへも同じように広告を掲載することができるのです。だから、不動産会社は、複数のサ
イトへの広告掲載状況や反響を精緻に分析し、自社の戦略に活かすことも可能です。この
独特の立ち位置が、ネクストとしての事業シナジーとなっています」
ライバル同士が手を結び、最強のビジネス基盤を手に入れたネクストとレンターズ。
不動産業界の風雲児が大暴れしようとしている。
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
91
加えてHOME S`賃貸は、2007年9月、ネクストグループに強力なビジネスパー
トナーを得た。ネクストフィナンシャルサービス(NFS)だ。ネクストは、日本総合信
用保証株式会社とのM&A(営業部門の事業譲渡)を経て賃貸保証事業を開始した。
NFSの主力事業は賃貸保証事業である。
株式会社ネクストフィナンシャルサービス社長の中村安志が語る。
「たとえば私が賃貸物件に入居したいと希望しても、父はすでに定年を迎えているので保
証人の条件から外れてしまいますし、最近急増している外国籍の人も、保証人問題で困る
状況があります。両親が保証人の条件から外れた人が、いきなり親戚を頼って保証人を依
頼しても、現実問題としてなかなか難しいのです」
だが一方で、賃貸物件を貸し出すオーナーは、入居者と のトラブル発生を想 定して、
どうしても保証人を押さえておきたい と
「
」 いう意向が根強い。
保証人を探しにくい入居希望者と保証人を求める賃貸物件オーナーの利害関係を、どう
解決すればよいのか。
この物件を借りる人と貸す人の双方を満足させるサービスが、NFSの賃貸保証サービ
スなのである。
92
中村は語る。
「NFSが目指しているのは、誰もが自分の住みたいところに住むことのできる、住み替
えやすい世の中や環境を資金の面から実現していくことです。私たちはそのような社会を
つくっていきたいと真剣に考えています。賃貸保証事業はそのための第一歩です」
さらにもう1つ、HOME S`賃貸との多大なシナジー効果を発揮する事業がある。
ネクストでファイナンス事業を担当する中村健次郎が語る。
「ネクストのファイナンス関連ビジネスの1つに、〈HOME S`マイルーム保険〉という
家財保険があります。ネクストは、JTBグループとAIGグループが合弁で設立したジ
ェイアイ傷害火災保険と事業提携し、HOME S`マイルーム保険という家財保険を販売
する総代理店の業務を担っています。そして、マイルーム保険の代理店になっていただい
ている全国のHOME S`会員様と日々連絡を取り合っています。HOME S`で部屋を探
したユーザーが、不動産会社の店頭でHOME S`の保険のお勧めを受けるなど、HOM
E S`賃貸と連携するシナジー効果もあります」
物件情報サイトから始まったHOME S`賃貸。
レンターズの賃貸業務支援システムに加え、NFSの家賃保証事業、新規事業本部の家
2 章 ネクストはなぜ急成長できたのか?
第
93
財保険サービスなどのシナジー効果によって、賃貸事業者にとってはもはやHOME S`
賃貸は不可欠のビジネスパートナーとなっているのだ。
本章の前半では、ネクストの急成長を3つの要因から分析した。営業の仕組み改革と、
株式公開、柔軟で大胆な組織編制の3点である。ただし、成長の要因は、ある意味で結果
論なのかもしれない。企業の成長は手段であって、成長自体が目的ではないはずだ。
では、ネクストという企業が成長していくなかで、個々の事業の現場では具体的にどん
な未来や世界観を描き、目指しているのか。私はそこに興味があった。
見えてきたものは、非常に単純で、純粋、まっすぐな情熱であった。「ユーザーの支持
を背景に、マーケットの慣習を正しいものに変えていきたい」、「誰もが安心・納得の住み
替えができる社会をつくりたい」
、
「物件情報の網羅性を高めて、〈情報の非対称性〉を解
消したい」
、
「誰もがお金の心配をしないで住み替えられる世の中をつくりたい」
逆に言うと、このような世界観の実現を真剣に追求しているからこそ、それを実現する
ための手段として、営業大改革も、株式公開も、大胆で柔軟な組織編制にも思い切ってチ
ャレンジできるのだろう。
94
章
HOME S`の拡大とその未来
第
3
ネクストの成長は、未知の事業領域への挑戦の歴史でもある。創業者の井上高志が踏み
出した不動産取引における情報の非対称性の解消を目指して、新たなWeb情報ビジネス
に進出していったネクストは、まっすぐな理想を掲げ、がむしゃらな成長力を武器にして、
次々と新たなビジネスチャンスに挑んでいった。
本章では、そうしたネクストの成長と拡大の足跡を克明に検証していくことにしよう。
HOME S`の名を冠した新たなサイトを生み出す
ネクストの経営基盤は、2つの主要事業によって支えられている。1つは先に分析した
賃貸と不動産売買を擁する賃貸・流通事業であり、もう1つはこれから検証する分譲事業
である。分譲事業部のビジネスは、新築分譲マンションサイトと新築一戸建てサイトで構
成されている。
まずは、分譲事業の生みの親で、現在、新規事業本部の松尾哲也に登場してもらおう。
「私は2003年4月に中途入社し、そのとき分譲マンションサイト事業を立ち上げろ!
96
というミッションが、与えられたのです。入社して1週間後には、ビジネス立ち上げに不
可欠なポータルサイトのプランニングを始めていました」
ポータルサイトのプランニングをスタートさせたといっても、松尾はIT企画や技術に
はズブの素人だった。
「Web広告くらいは少しかじったことがありましたが、企画や制作はまったく未経験で
したので、皆目わからない状態でした」
それでも、担当役員は「7月までにサイトをアップさせろ!」と厳命した。
サイト制作の右も左もわからない松尾は、自らを企画制作の仲介役と任じ、さっそく動
き出した。
自分が思い描くイメージを社内の制作デザイナーに説明して、デザインしてもらった。
次にデザインができあがったら、それを担当役員に持っていってアドバイスや指示を受け
て、再びデザイナーに注文し直す。
松尾は、そうした業務の仲介役を一生懸命やり始めた。すると……。
「取締役から指示された内容変更をデザイナーに伝えると、最初の1回目は応じてくれた
ものの、回数が増えるとだんだん険悪になり、しまいには口をきいてもらえなくなってし
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
97
まったのです」
デザイナーは、言い放った。
「俺が考えたデザインをそんなに気に入らないなら、俺じゃなくてもいいだろう。お前が
自分でやればいい!」
お前が自分でやればいい、と言われても自分でできる技術は持ち合わせていないし、入
社して数週間たらずの身には社内人脈もない。
取締役からは「7月までにサイトをアップしろ」と命じられ、サイト制作のパートナー
となるデザイナーには協力を断られ、松尾は入社早々四面楚歌の状態に放り込まれてしま
った。1つの業務ユニットに営業、企画、技術、制作の各担当者が同居して、意見交換を
密にしながらビジネスを進化させる現在の組織体制からは、想像しにくい社内風景である。
松尾が振り返る。
「当時、社内にはアーリーステージのベンチャーの熱気が充満していましたので、業務は
システム化されておらず仕事の取り組み方も物凄く烈しかったと思います。若手にも思い
切って仕事を任せるのですが、任せたあとのフォローは期待できません。任せてみても力
がなくアウトプットが出せないなら、自然に潰れてしまうだけです」
98
自分の力を試される試練は、自分1人で戦い抜く戦場だった。
呻吟した松尾は、
〈こうなったら自分でサイトを制作するしかない!〉と腹を括った。
それまで自分の手でサイトをつくった経験はまったくなかったが、とにかくやるしかな
い。制作に最低限必要なエクセルソフト、パワーポイント、ペイントブラシを総動員して、
見た目だけはなんとかサイトらしく見えるWebページを制作することを決意した。
「イラストレーターやフォトショップといったデザイナーが使う制作系ソフトは一切使え
ませんので、自分が手を動かすことができる道具だけで、サイトを制作するしかありませ
んでした」
時過ぎに出て、自宅の横浜に帰宅すると夜中の
このとき、松尾の毎日はこんな感じだった。
当時、茅場町にあったオフィスを夜の
時には出社する。
松尾が渾身の努力でつくり上げたサイトの企画書・仕様書は、サイト制作を命じた取締
間寝てから午前
2時を過ぎた頃、ノートPCを立ち上げて朝方の4時、5時まで仕様書に打ち込み、数時
1時を回っている。それから食事をして風呂に入ってからが、プランニングの時間。深夜
11
役や同じ部署に所属していた技術の高橋宏明などを交えた毎週のミーティングに提出され、
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
99
10
ダメ出しや改良点が指摘される。ミーティングで1つOKが出るとすぐ次の制作課題が提
日、ついにサイトを公開さ
示されて、翌週のミーティングまでに対応しなければならない。
こうした無謀とも思える努力を傾注した結果、松尾は7月
せることができた。
営サイト」に目をつけた。共同運営サイトに参加している大手不動産会社に頼み込めば、
から積極的に展開していたSIPS事業で受託していた大手デベロッパー8社の「共同運
といっても、組織的な営業戦略はまったく白紙の状態。松尾は、ネクストが2001年
と営業アドバイスをもらって、営業に飛び出すことになりました」
「完成の打ち上げをやった翌日、取締役から『次はこんなことをしなくちゃダメだよな』
する営業がすぐに求められた。
れない。新築分譲マンション情報サイト事業を本格的に動かすには、クライアントを発掘
だが、松尾奮戦記には第2幕がある。サイトを制作しただけでは、売上げも利益も生ま
31
%に達していたので、この一大勢力を引き込むことは新築分譲マンションサイ
HOME S`サイトに何らかの協力が得られるかもしれない、と期待した。
分譲マンション業界においてこの共同サイトに参加している大手不動産会社8社の事業
シェアは
20
100
トの事業戦略にとって、極めて重要な意味を持っていた。
松尾は、すぐに共同サイトに参加するデベロッパーに頼み込んだ。
社の〈広告ク ライアン
「掲載料はタダにしますので、どうか広告の協力をお願いします!」
結果、大手デベロッパー8社の協力と松尾の営業力 によって
ト〉を集めることに成功し、なんとかHOME S`新築分譲マンション(最初のサイト名
は新築HOME S`)は稼働することができたのである。
以後、松尾の営業活動も本格化し、飛び込み営業のほかに、首都圏、関西、九州と全国
のマンションデベロッパーへ営業行脚を押し進めていく。
翌2004年、新築HOME S`事業は、年間2億円を稼ぎ出すビジネスに急成長した。
だが、ここで大きな経営課題が浮かび上がってくる。
「当時、新築HOME S`事業と並行して、大手不動産会社のインターネット広告取次事
業をしていて、そちらの売上高も約2億円強あったのです。ところが、新築HOME S`
サイトの成長拡大とともに、広告取次という事業のベクトルが不透明になっていきまし
た」
2005年3月、社内で事業戦略に関する激論が戦わされ「広告取次事業からは撤退し
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
101
10
て、新築HOME S`に経営資源を集中させるべき」という意見が強く主張された。
撤退論の根拠は、次の2点だった。
⑴ 広告取次事業はネクストが志向する経営ビジョン〈社会の仕組みづくり〉と異なっ
ている
⑵ 広告取次事業に経営資源を振り向けていると、新築HOME S`事業の成長力が失
われてしまう
このとき分譲事業部長として新築HOME S`事業の最前線に立っていた松尾は、撤退
億円の売上げしかない会社から、2億円を稼ぐ手堅い収入源
論を主張した。撤退論は、
ほうが、ネクストは成長できます!」
「限られた経営資源を分散して2本柱を立てるより、1本の柱に絞り込んで全力投入した
松尾は、井上との2者会談に臨んだ。
当然、経営の指揮を執る井上は慎重にならざるを得ない。
を捨てる経営決断を迫った。
10
102
松尾がそう主張すると、井上はこう反論した。
「お前の考えはわかるけど、現在の分譲事業部には広告取次も必要なんじゃないか。1本
化は、まだ先の話だろう」
議論はときに平行線のまま折り合わなかったが、最終的には井上が松尾の主張を受け入
れて事業戦略の大転換を容認し、新たな事業フェーズに踏み出していく。
ここまでが、松尾奮戦記をベースにしたHOME S`新築分譲マンション事業の立ち上
げ秘話である(新築HOME S`は、その後2007年7月に、HOME S`のブランド体
系整備に伴い、HOME S`新築分譲マンションと名称変更を行った)。
ネクストの経営ビジョンをどう営業力に転化させるか?
では、HOME S`新築分譲マンション事業のいまは、どうなっているのか。
現在、HOME S`新築分譲マンションが掲載している物件数は、約2000棟。業界
最大手と目される競合サイトは約2300棟の物件を掲載しているが、このうち有料掲載
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
103
数は約1500棟と推測されるので、その物件掲載数は、分譲サイトとしてトップの地位
にある。
分譲マンションユニットを指揮する市川佳也が指摘する。
「新築分譲マンションを市場供給しているデベロッパーさんは、全国で300社ほどです。
新築分譲マンションは極めて限定されたデベロッパーによって市場が形成され、賃貸サイ
トや不動産売買サイトと違って、日本国内におけるほとんどの供給物件がHOME S`サ
イトに掲載されています」
他のHOME S`事業の分析を進める際に必ずといってよいほど指摘される事業キーワ
ードの〈物件情報の網羅性〉を、新築分譲マンションサイトはすでに実現していることに
なる。
そうなると、物件の情報量を競う事業戦略では、競合優位性を保てない。
ならば、何を武器にしてライバルと戦えばよいのか。
そう問うと、市川は2つの特徴をピックアップした。
1つはネクストがHOME S`という不動産総合情報ポータルサイトを運営する強み、
もう1つはWebサイト開発における高い技術力・開発力だ。
104
不動産総合情報ポータルサイトを運営する強みは、住み替えを考えているユーザーが物
件種別に関係なくHOME S`サイトを訪れることだ。
「HOME S`は不動産の総合ポータルサイトですので、自社のサイトには賃貸もあれば
分譲一戸建て、さらに中古物件もあります。そこには多様なニーズを持つユーザーがアク
セスしてきます。それまで新築マンションに興味を持ったことのないユーザーが、HOM
E S`のサイトのなかを回遊するうちに、何かのきっかけで新築分譲マンションに関心を
持ち、新築マンション購入者になりうることが、他の不動産サイトにないネクストの大き
な強みなのです」
HOME S`賃貸のユーザーが新築分譲マンションの購入に関心を持ち、HOME S`新
築分譲マンションで物件を探して購入に至るケースも、実際に少なくない。こうした不動
産サイト利用者の住み替えニーズの変容にワンストップで対応できるメリットが、HOM
E S`サイトの魅力の1つになっている。
2つ目の特徴は、創業初期からネクストが培ってきた技術力・開発力の競争優位性であ
る。
「2008年1月から、HOME S`新築分譲マンションは業界内でいち早く携帯サイト
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
105
でのサービスを実現しました。携帯サイトでパソコン版と同じように全掲載物件を確認す
ることが可能で、資料請求もできます。数千万円もする新築分譲マンションを携帯サイト
を使って探すという行為には、違和感を覚えるかもしれませんが、実際には私たちが当初
想定していたよりもはるかに利用者は多かったのです」
こうしたマーケット対応の早さも、自社に経験豊富な技術陣を抱えるネクストの大いな
る差別化要因である。
そしてもう1点、HOME S`新築分譲マンションが発揮する競争優位のポイントを、
営業の舟木卓が言及した。
「ネクストの強さを突きつめていくと、最後は自分たちが確信して実行している経営ビジ
ョンとガイドラインに行き着きます。営業活動は常に正々堂々ありたいと、すべての営業
担当者が胸に秘めています。こうした経営ビジョンを常に意識した行動は営業姿勢に反映
され、誠実性を育むベースになっています。広告効果は本来さまざまな要因によって不安
定な傾向がありますが、私たちは物件を掲載いただいて反響が取れなかったときは正直に
謝罪し、クライアントさんと一緒に次の対策を真剣に考える。そうした誠実な営業姿勢が、
他社と比較できないネクストだけの優位性です。私たちは事業を通じてクライアントと信
106
頼=TRUSTを構築しているのです」
HOME S`新築分譲マンションの営業担当者は売上げを得ることだけを目的にした売
り逃げは、絶対にしない。常にマンションの資料請求データをクライアントに公開して、
必ず反響結果をまとめて報告・共有をする。
「私たちの営業キーワードは〈継続性〉にあります。1回、1回の利益や収入を狙い撃ち
して売り逃げする営業は、やりません。結果が悪ければ悪い原因を追究して、クライアン
トとHOME S`の次の成長につなげることが、重要ですから」
経営ビジョンと行動ガイドラインを営業力に転化させるネクスト流営業術は、新築分譲
マンションの営業現場でも発揮されていた。
ビジネススピードこそが大いなる武器になる
では続いて、HOME S`分譲事業部の分譲戸建ユニットをウオッチしてみよう。分譲
戸建ユニットは、ネクスト内でもチームワークが最も優れた部署である。
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
107
分譲戸建ユニットを統括する横井謙太郎が、事業の全体概要を説明する。
%がそのエリアに
「2009年2月現在、私たちのユニットで取り扱っている物件数は、約3000件にな
ります。一戸建ての物件情報は一都三県が大市場ですので、全体の約
集中しています」
「分譲戸建ユニットでは、企画職をはじめとして制作職、技術職が一緒に仕事をしていま
越した組織マネジメントが存在している。
こうした使いやすいサイトづくりを実現する背景には、HOME S`新築一戸建ての卓
す」
もエリアからの物件検索を容易にし、ユーザーが使いやすいサイトづくりを心がけていま
物件エリアをとくに重視されます。そうしたユーザー特性を踏まえ、サイト設計において
者に比べて学区内での引越しを検討し、1つの地域に住み続けようとする方が多いため、
「一戸建て物件を探す人は、子供のいるファミリー層が中心です。賃貸やマンション購入
企画開発を担当する長友佑樹は語る。
大手3社の不動産情報企業が市場を寡占している。
決して市場規模が大きくない分譲一戸建てポータルサイト市場は、HOME S`を含む
60
108
すので、企画者と制作者や技術者の人間関係が非常に近い距離にあります。こうした職種
の異なる社員同士の活発な議論が、ユーザーの立場に立った優れたサイト運営を可能にし
ています」
横井が語る。
「サイトの開発者同士の連携も大切ですが、さらに重要なのは企画開発と営業担当者との
コミュニケーションです。こうした担当職種を超えた情報交換を活発にするために、分譲
戸建ユニットでは毎週1回〈ユニット会〉を開催しています」
ユニット会に参加するのは、企画、制作、技術、営業を含むすべてのユニットメンバー
だ。ユニット会では営業担当から企画や制作担当への注文や疑問も投げかけられるが、分
譲戸建ユニットの多頻度コミュニケーションは、それだけではない。
「営業担当がたったいま営業で掴んだ新鮮な情報を、携帯電話を通じてユニットのメーリ
ングリストに入れる業務ルールにしています」
1人の営業担当が、取引先で耳にした競合他社の動向をすぐに発信することで、他の営
業担当が外出先の携帯で情報を共有し、競合他社と差別化した商談も行える。
さらに営業担当がサイトに関して取引先から質問された内容をすぐに確認し、帰社時に
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
109
問題がすべて解決しているスピード対応も、珍しいことではない。
これらはすべて基本的なことであるが、ユニットメンバー間のスピーディなコミュニケ
ーションが業績を確実に向上させているのである。スピードは力なり。スピードは、それ
だけでビジネスの大いなる武器なのだ。
また、営業と企画開発のコミュニケーションは密になればなるほど、人間関係や心理的
な距離感も短縮していく。
「企画開発グループでいま重要課題として認識しているのは、いかに営業活動をサポート
できるのか、ということです。制作担当が営業担当の使っている媒体資料をもっと営業効
果が上がるよう工夫したり、ユニットのメリットになることであれば自分の担当外の業務
でも積極的に買って出る雰囲気が、自然に醸成されてきました。メンバー皆が、ユニット
の一体感を感じています」
(長友)
分譲戸建ユニットにおいて、最近の会社風景ではあまり見かけなくなった〈全員一丸〉、
〈チームワーク〉というキーワードに出合った驚きは、ネクストがいまだに創業時のベン
チャースピリッツを失っていない証左であると感じた。
110
〈心をゆさぶる〉
サービスで、「したい暮らし」
の実現を応援する
HOME S`がその事業領域を拡大してきた詳細について検証してきたが、その締め括
りにもう1点、ユニークな事業活動を展開するグループ企業を1社紹介したい。
HOME S`注文住宅・HOME S`リフォームの運営会社・株式会社ウィルニックであ
る。
ウィルニック社長の四宮雅樹が語る。
「ウィルニックの母体は、ネクストが新たに踏み出した新規事業部門でした。2004年
当時、賃貸や売買の物件情報サイトで成長したネクストは、「住まいを探す」という従来
のサービスモデルから、
「暮らしのインフラ」というサービスモデルへ事業領域を広げ、
新たな成長への舵を切ろうとしていました。物件を探して終わりではなく、本当に自分が
したい暮らしを実現するために、ゼロから設計して注文住宅を建てる、ライフスタイルの
変化に合わせて、いつでも安心してリフォームできる。そのための情報インフラをつくり
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
111
たい。それがそのとき描いた事業ビジョンでした」
2005年、ネクストは「住まい探し」から「暮らしのインフラ」へと舵を切り、新規
事業として、注文住宅とリフォームを取り扱う〈ハウジング・リフォーム事業〉をスター
トさせる。だが、建築・リフォーム業界は、不動産業界ほどにはインターネットが普及し
ておらず、スタート当初はインターネットの仕組みや世の中のトレンドを、地域工務店や
リフォーム会社に丁寧に説明し、1社1社顧客を増やしていく毎日だった。
そんななか、2007年に転機が訪れる。ネクストと同じく住宅メーカーやリフォーム
会社を対象にポータルサービスを展開していた伊藤忠商事株式会社と共同事業会社設立の
合意がなされたのだ。ネクストの強みである中小事業者向けの営業ノウハウと伊藤忠商事
のネームバリュー、総合商社としてのさまざまなサービスラインナップを融合すれば、間
違いなくナンバーワンのサービスに成長させることができると確信した。
四宮は語る。
「ウィルニックのサービスコンセプトは〈心をゆさぶる〉です。これは、会社設立時にネ
クストと伊藤忠のスタートアップメンバー全員で決めたコンセプトです。一時の流行や見
せかけではなく、何十年たっても変わらない、ユーザーの本質的なニーズをしっかりと見
112
つめ続けよう、常に期待を超えるサービスをつくり続けよう、という意味が込められてい
ます」
「そもそも、住まいは人が暮らし、そこで子供が産まれ成長し、何世代にもわたり、その
家族の歴史が蓄積されていく場です。技術革新とともに、住まいのデザインや性能は大き
く進化してきたけれども、人が住まいに求めるものの本質を考えると、「安心」、「健康」、
「家族団らん」
、
「人や地域とのつながり」に集約されると考えています。規模の大小に関
係なく、そういう想いを持って家づくりに取り組んでおられる全国の優良な住宅メーカー
や工務店、リフォーム会社にもっともっとスポットを当てていきたい。建て主さんにも本
当に有益な情報を提供していきたいと考えています」
おりしも少子高齢化の流れのなかで、住宅政策はこれまでの新築供給からストック住宅
活用へと転換し、中古住宅流通の活性化が政府目標として掲げられている。
「新築住宅においても長期優良住宅、住宅履歴書の整備等が推進されています。そんなな
かで、ネクストがこれまで取り組んできた賃貸・不動産売買、新築分譲のポータル事業に
加え、注文住宅・リフォーム領域をカバーするウィルニックが誕生したことは、非常に大
きな意義があります」
(四宮)
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
113
先に見てきたようにHOME S`には、すでに 万件におよぶ中古流通物件のデータベ
ースがある。さらに不動産アーカイブでは全国300万物件をデータベース化している。
だが、HOME S`には住まいだけではなく、投資家向けのサイトがある。HOME S`
不動産投資サイトだ。
物件情報のサイトであった。
以上、HOME S`賃貸から始まり、不動産売買、分譲マンション、分譲一戸建て、注
文住宅、リフォームといったHOME S`サイトを見てきたが、これらは住まい=住居用
ウィルニックは着実な歩みを進めながら、飛躍のときを夢見ている。
い」と野心を燃やす。
そ し て 四 宮 は、
「2 0 1 0 年 ま で に 業 界 ナ ン バ ー ワ ン の ポ ジ シ ョ ニ ン グ を 確 か に し た
ます」
の選択肢を大きく広げることができますし、ビジネスとしても大きなシナジーを生み出し
ンを確立することができれば、住宅建築と土地探し、中古物件とリフォームなど、住まい
「ネクストとウィルニック、この両社がそれぞれの事業領域で、ナンバーワンのポジショ
30
114
不動産投資に関するユーザーの不安を一掃するサービスを
HOME S`不動産投資を率いる内田誠二郎はこう話す。
「不動産ビジネスには物件を借りる人、貸す人、物件をメンテナンスする人や物件を建て
る人など多様なステークホルダーが存在しますが、近年では一般のサラリーマンでも、物
件のオーナーになりたいと希望する人も少なくありません。預貯金にほとんど利子がつか
ない低金利が続く経済環境下で、不動産投資は〈ミドルリスク・ミドルリターン〉な資産
運用先の1つとして人気があります。毎月安定的な収入を得ることができる不動産投資は、
将来的な年金不安を補う〈自分年金〉であるともいえ、退職金の運用手段としても注目を
浴びているのです」
しかし、不動産物件の経営には購入前の情報収集や物件の選別、契約行為、税務管理、
メンテナンスといった専門的知識やスキルが要求されるだろう。
「確かに、不動産投資の場合は、初心者には非常に高い参入障壁が存在するのは事実です。
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
115
そこで私たちは不動産経営の参入障壁を撤廃するビジネスを実現するために、HOME
S不動産投資を立ち上げました」
(内田)
HOME S`が培ってきた物件検索技術を投入し、個別の物件ごとに収益シミュレーシ
ョンできる機能を備え、経営の初心者でも経営リスクを最小化してインカムゲインを得ら
`
れる経営ノウハウを開示した専門サイト「HOME S`不動産投資」によって、HOME `
Sは住居用物件サイト以外での挑戦も行っている。
不動産投資という資産運用について、内田はこう指摘する。
「資産運用には株や投資信託、REIT、FX、債券など多様な選択肢がありますが、不
動産投資の最大の魅力は投資家自身の努力によって不動産価値を高め、収益力を向上させ
ることが可能だということです。とはいえ、不動産投資には不動産知識の他に税制や法制
などといった専門知識も必要になり、資産運用に興味を持ったユーザーが新規参入するに
は、不安要素も多い。私たちはそういった不動産投資にまつわるユーザーの、怖い・怪し
い・わからないという不安を一掃することを、この事業を行っていくうえで非常に重視し
ています。HOME S`不動産投資の使命は単なる情報サイトではなく、不動産投資に興
味を持つ誰もが安心して資産運用できる市場を創出し、業界の健全な競争の促進に貢献す
116
ることだと考えています」
ここにも、情報の非対称性の解消、マーケットにおける情報の透明性や公正性の追求、
業界の健全な発展といった、ネクストの行う事業に一貫して流れている精神が溢れている
ことに気づいた。
各事業部門の戦略に横軸を通す
2007年4月、ネクストの成長を加速させる戦略部門、事業戦略室が姿を現した。
室長の松坂維大が語る。
「それまでネクストは営業部門と開発部門といった具合に組織が機能別に構成されていた
のですが、2007年4月の組織大改編によって賃貸、不動産売買、新築分譲マンション
など、ビジネスマーケット別に組織再編することになりました。それぞれの事業部門に営
業から企画、制作、技術までを一気通貫する専任スタッフを配置し、スピーディでかつ高
品質な仕事を実現して、利用者とクライアントの両方で高い顧客満足度を獲得する事業体
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
117
制が確立できたのです。しかし同時に、HOME S`という統一ブランドの価値やHOM
E S`全体を貫く事業ポリシーをマネジメントするための新たな機能と、さらには不動産
関連での新しいサービスを生み出す機能として、事業戦略室が新設されました」
HOME S`を語るときに必ず出てくるキーワード、日本全国の不動産物件情報の網羅
化実現は、事業戦略室にとっても重要な目標だ。
「物件情報の網羅化はネクスト創業以来の事業目標です。たとえば物件情報は空室情報に
限ってHOME S`のような情報サイトで情報公開されていますが、本来は建築物全体の
情報もオープンにされるべきでしょう。そうした建物の全情報が明らかになって初めて、
不動産という一品一様の価値が確定できるからです」
不動産という一品一様の価値を客観的に把握するためには、比較検討する基準が必要に
なる。現在は、その基準として近隣物件の不動産価格などを活用するケースが少なくない。
しかし、違う仕様の近隣物件の比較検討は、どうしてもアウトプットの曖昧さが払拭で
きない。
そのとき、同じマンションの過去の取り引き事例や階別の比較データなどを参考にでき
れば、もっと現実的で正確な不動産比較が可能になるはずだ。
118
情報の網羅化に対する1つの答えとして、事業戦略室はすでに「HOME S`不動産ア
ーカイブ」というサイトを立ち上げている。賃貸、分譲マンション、分譲一戸建て等の全
国300万物件の広告事例などをストックし、公開しているのである。
HOME S`事業の延長線上にある2つのチャレンジ
事業戦略室がもう1つ積極的に取り組んでいる業務が、住宅不動産領域における新規事
業のインキュベーションである。
2つの新規事業を検証してみよう。
1つはHOME S`介護だ。
HOME S`介護を推進する澤田明伸に話を訊く。澤田は自身の介護体験をベースに、
介護の新規事業を提案した。
「介護事業のきっかけは、入社2年目の月1回社員が参加する懇親イベントのピザパーテ
ィでした。たまたま知り合った経営企画室のマネージャーに介護事業のアイデアを話した
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
119
ら『それって面白いかもしれないよ。一度事業プランを考えてみようか』と話が進んでし
まったのです」
事業企画を提案する!などと意気込んでいたわけではなかった澤田は、マネージャーの
リアクションの素早さに驚きつつ、あらためて介護事業について思いを馳せるようになっ
た。
話は変わるが、こうした自由闊達なビジネス論議を誘発する社内風土はネクストの伝統
でもあり、ピザパーティに限ったことではない。
投資ユニットに所属する諏訪浩一は、かつてプロジェクトを模索していたときの様子を、
こう語る。
「当時の担当マネージャーから毎週1回、ビジネスのアイデアを出すように指示されまし
た。自由に考えて、自由に提案するミーティングを毎週定期的に開催して、ワイワイやる
のです」
こうした膨大なアイデア出しの結果、アイデアレベルのストックやいっそうのブラッシ
ュアップを目指して練り直している案件を、ネクストでは〈サブマリン〉と呼ぶ。海中深
120
く沈んでいる潜水艦のイメージから命名された呼び名だが、このサブマリンがいつか機会
を得て海上に浮上し、チャンスを掴んでプロジェクト化されるまでの時間を大切に見守る
環境が、ネクストには存在する。
諏訪が指摘する。
「6カ月に1回は沈んでいるサブマリンを検討会に浮上させて、プロジェクト化の妥当性
を検討していました」
ネクストでは社内のいたるところで常に新たなプロジェクトや商品企画を掘り起こす努
力が行われ、事業部門の現場で揉まれながら有望企画に昇華したアイデアには、正式プロ
ジェクトのGOサインが出されるのである。
話を戻す。
さて澤田はその後、自分の知っている社員に事業のアイデアを相談して、「よかったら
一緒に事業計画をつくらないか?」と声をかけた。
まもなく、澤田の事業プランに賛同した経営企画室のマネージャーと友人2人が結集し
た有志プロジェクトが誕生した。
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
121
有志プロジェクトは介護市場のさまざまな情報をリサーチして事業化プランを検討し、
事業計画にまとめあげて、2007年3月の第1回新規事業提案制度に事業企画を応募し
た。
「新規事業提案には書類審査とプレゼン審査があり、私たちの介護事業は優秀賞を受賞す
月、有志プロジェクトは経営陣から出された宿題を解決する事業化案を再
ることができました。さらに、事業化に向けての宿題が出されました」
2007年
つが存在していた。広告掲載型は固定の掲載料金を徴収してサイト利用者の反響を獲得す
Webサイトを活用した事業モデルとしては、すでに広告掲載型と紹介センター型の2
介護事業がターゲットにしたのは、民間の介護事業者だった。
イアントの獲得だった。
がやり遂げなくてはならないミッションは、一にも二にも新サイトに広告を出稿するクラ
確定した。プロジェクトチームにはサイトの制作担当や技術担当などが合流したが、澤田
スタートを目指す6人体制のプロジェクトチームが結成されて、7月のサイトオープンが
事業化が決まり、専任担当者に澤田が承認された。2008年4月からは本格的な事業
提出し、ようやく2008年1月に事業化の正式承認を勝ち取ることができた。
12
122
る事業モデルで、紹介センター型は反響の成約に基づいて広告料金を徴収する事業モデル
である。
澤田は広告掲載型モデルを選択した。
なぜか。
「紹介センター型はより多くの紹介を実現することで収益を得る事業モデルなので、利用
者本位からぶれてしまう危険性があります。そうした〈単なる契約ありき〉の事業姿勢が、
はたしてサイト利用者のメリットを満たすのかが疑問でした」
澤田は事業モデルの選択において、利用者にとって本当にメリットがあることを大切に
考えて実行するという〈利他主義〉を判断基準として強く認識し、ビジネスモデルを決定
したのである。
そして現在、澤田は次の一手を模索している。
「いま全力を傾注しているのは、掲載施設数の拡大と問い合わせ反響の増大です。また、
サイト運営という点では、HOME S`介護の利用者は比較的年齢層が高く、必ずしもパ
ソコン利用に習熟したお客様とは限らないので、ユーザビリティを向上させ、より使いや
すいサイト設計を実現したいと考えています」
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
123
本格的な高齢化社会到来の前夜、HOME S`介護のチャレンジに期待が集まっている。
もう1つ、事業戦略室の新規ビジネスとして有望視されているのが、既存事業とのシナ
ジー効果が期待されるHOME S`引越し見積もりだ。この事業を立ち上げた平野渉は、
こう語る。
「私は2006年に中途で入社し、事業戦略室に配属となってからすぐに、新規事業のプ
ランニングを命じられました。そのとき最も重視したのが既存事業とのシナジー効果です。
HOME S`を『住まいのポータル』から『暮らしのポータル』という存在に引き上げら
れるサービスをつくるという発想で、引越し見積もりの事業企画を煮詰めていきました。
また、インターネットの利用者には情報をネットで検索して、情報掲載企業へのアプロー
チをメールではなく電話で行う利用者が少なからず存在するという傾向を他部署から情報
収集し、ユーザビリティの精度を高めていきました」
平野は今後の業務課題を示した。
「今後は、賃貸や不動産売買、新築分譲マンションなどのサイトやモバイルでも連携して
いきたいです。HOME S`で物件のお問い合わせをされたお客様は、その数週間後には
必ず引っ越しをするわけです。引っ越し予定者の膨大なリストを保有していることは、ネ
124
クストには大きなビジネスチャンスが潜んでいることも意味します」
事業戦略室が核になってインキュベーションする2つの新しいHOME S`事業。
3年後、5年後の成長が楽しみだ。
ネクストの成長の軌跡は、HOME S`というサイトの拡大と発展の歴史でもある。賃
貸物件、中古売買物件の検索サイトからスタートした事業は、その後、分譲マンション、
分譲一戸建て、注文住宅・リフォーム、不動産投資、そして介護物件情報、家賃保証、家
財保険サービスなど、住宅と不動産領域の裾野を急激に拡大させている。さらには、日本
国内の物件情報をあまねく網羅しようとするデータベースを持った不動産アーカイブなど、
その勢いは止まらない。
彼らはこのビジネスが儲かると考えているからがむしゃらに働いて急拡大、急成長して
いるのか? 当然、ビジネスである以上、そこに如才なくビジネスチャンスを見出してい
るはずだ。
だが、その一つ一つの事業責任者の話を聞いてみると、意外な答えが返ってくる。
それは、サイト開発における純粋な情熱であり、日々の営業活動における正直さであり、
3 章 HOME’Sの拡大とその未来
第
125
職場における気持よいほどのチームワークであった。あるいは、住まいの本質とは何かと
いった深遠な問いかけでもあり、不透明な業界の不安要素を一掃する使命感などでもあっ
た。
ユーザーに喜んでほしい、困っている人たちの役に立ちたい、実際のビジネスの現場に
いる人間たちの純粋な想いを見て、急拡大・急成長するネットベンチャー企業というそれ
までの印象からは、よい意味で大きなギャップを感じた。
126
章
ユーザーの立場に立った、
HOME S`ブランド戦略
第
4
人が皆同じイメージを抱く
10
いま筆者の手元には、ネットレイティングスというインターネット視聴率調査会社が、
ナンバーワン不動産情報ポータルサイト、
HOME S`
本章では、私たちのHOME S`ブランドのイメージ形成に多大な影響を及ぼしてきた
HOME S`のブランド戦略の〈いままでとこれから〉に迫ってみたい。
はどのようなブランドイメージを社会に発信し、訴求しようとしてきたのか。
では、そうしたブランドと社会の関係性をきちんと認識したうえで、HOME S`自身
つまりHOME S`のブランドイメージはHOME S`の利用者のみならず、同時代に生
きる人々の心に存在する多様で複雑なイメージの集合体に他ならないのである。
通りのイメージを浮かべるかもしれないし、
皆さんは〈HOME S`〉というブランドを耳にしたとき、いったいどのようなイメー
ジを想い浮かべるだろうか?
人いれば
10
かもしれない。
10
128
2009年7月の1カ月間において日本国内の不動産関連サイトの視聴実態を調査したレ
年7月における1カ月間の総利用
ポートがある。それによると、この期間において最も利用者が多かった不動産関連サイト
は、HOME S`だと報告されている。HOME S`の
トだったわけではない。ある時期からHOME S`は急成長をし始め、1カ月間に241
万人を超すサイト利用者を惹きつけるまでになったわけである。それではHOME S`ブ
たり前のことながら、創業すぐの時期からHOME S`がナンバーワンの不動産検索サイ
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
129
第
かぶようになり、かつ実際に最も多くの人に利用されるほど、HOME S`サイトはネッ
トユーザーのなかで圧倒的な存在感やブランド力を形成するようになっている。だが、当
いまや、不動産のインターネットサイトといえば、真っ先に〈HOME S`〉が思い浮
を大きく引き離して、堂々の1位に輝いているのである。
HOME S`は日本国内の不動産関連サイトのなかで、実際の不動産会社が運営するサ
イトや、既存の大手情報会社や大手検索ポータルが運営する不動産サイトというライバル
24万人に大差をつけていることがわかる。
者数は241万人に及び、2位の
の195万人、3位のCHINT
Infoseek
Real
Estate
AIの180万人、4位のJJ‐NAVIの129万人、5位の Yahoo! Real Estate
の1
09
ランドは、どのように構築されてきたのだろうか。ネクストが展開してきたHOME S`
のブランド戦略に焦点を当てて、最強ブランドの秘密を解明してみよう。
創業者の井上高志がネクストを設立して、インターネットを活用した不動産情報ビジネ
スをスタートさせたのは、1997年3月のことだった。当然のことながら創業期におけ
るHOME S`の社会的認知度はゼロに等しく、個人創業のビジネス基盤にあって不動産
ポータルサイトビジネスを成長させる条件は、はなはだ脆弱だった。
そこで、ネクストは自社のWeb制作技術とノウハウを活用して、不動産会社のホーム
ページの制作開発を受託するビジネスに乗り出していった。まず日々の経営を安定させる
手段として、自分たちの強みである〈Web制作の技術力〉を外販したのである。
ネクストのアーリーステージからHOME S`のブランド戦略を推進してきたコーポレ
ートコミュニケーション室の須田正己が、当時を振り返る。
「創業して3年目の2000年くらいになると、不動産関連でも多くのネットベンチャー
が誕生し、物件検索サイトが続々と立ち上がる時代を迎えていくことになりました。まだ
アーリーステージで成長の方向性を日々模索していたネクストでは、その頃、一般のユー
ザーの住まい探しのために立ち上げたHOME S`サイトを、どのように成長させ、どう
130
すれば多くの人に使っていただけるようになるかをいつも議論していました」
不動産や住宅を彷彿とさせるサイト名としてHOME S`というネーミングを冠し、不
動産をサーチするサービスから、名探偵シャーロックホームズを連想させるイメージキャ
ラクター〈HOME S`くん〉を立て、ネクストは有象無象が乱立するネットベンチャー
の荒海に飛び込んでいった。
HOME S`くん誕生の経緯について、井上はこう話す。
「私は、1995年から見よう見真似でホームページをつくりだしたのですが、自分のサ
イトをユーザーに簡単に理解してもらうにはキャラクターが必要ということを、ある雑誌
記事に教えられました。そして家のHOMEとシャーロックホームズを掛けて、HOME
S`くんという住まい探しを象徴するキャラクターを考え出したわけです」
ポータル提携戦略でネットユーザーの認知率と利用率を高める
当時、不動産業界の関係者は雨後の筍のように誕生した不動産ポータルサイトを称して、
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
131
このように表現していた。
2強2中多弱。
不動産の物件検索ができるポータルサイトで、自社オリジナルの物件データベースと検
索エンジンを所有していた主なサイトには、リクルート、ヤフー、アットホーム、HOM
E S`、アドパーク、不動産流通経営協会(FRK)などのサイトが存在した。なかでも
リクルートとヤフーは勢力地図の〈2強〉として、業界に君臨していた。
リクルートは、いうまでもなく『週刊住宅情報』に代表される住宅情報誌事業を197
0年代より開始し、不動産業界において絶大な影響力を発揮している情報ビジネスの巨人
である。また、ヤフーは総合ポータルサイトとして生活からエンターテイメントまで数多
くのコンテンツやチャネルを網羅しており、日本国内ではヤフーといえばインターネット
の代名詞ともいえる存在である。
この2強に続く第2勢力としてアットホームとアドパークのような賃貸情報誌運営会社
などの集団があり、さらにその後ろに、その他大勢の多弱グループが、住宅・不動産検索
サイトとして乱立している状況だった。
ならば2強に引き離され、その他多くの無名サイトの1つに過ぎなかったネクスト=H
132
OME S`は、どのようにしてその存在感を高めていけばよいのか。ネクスト経営陣はH
OME S`の成長戦略を模索していた。
そこでネクストは多弱組から脱却するビジネス戦略として、まずは〈ポータル提携、コ
ンテンツ提供戦略〉に注力していくことに決めた。インターネットを使った不動産情報ビ
ジネスの市場に確かな足場を築くために、各種有名ポータルサイトに物件検索エンジンを
コンテンツ提供することでポータルサイトと提携する戦略である。
ネクストは、どうしてHOME S`のポータル提携、コンテンツ提供戦略を選んだのか。
須田は3つの理由を挙げた。
1つは、HOME S`サイトの認知度を高める手段として、「Webを活用したプロモー
ション展開が有効である」と判断したことである。いわゆる広告メディアにはWebだけ
ではなくテレビやラジオなどの電波や新聞雑誌などの紙媒体、その他交通広告などの屋外
メディアなども存在するが、不動産ポータルサイト、物件検索サイトをアピールし、かつ
集客に結びつけるにはWebプロモーションが最も効果が高い、と考えたのである。
2つ目の理由は、信頼性の確保だ。創業初期で、独立系のネットベンチャーのWebサ
イトには当然ながら対外的な信頼性は何もない。創業者の問題意識やビジョンがどんなに
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
133
立派なものであっても、単独で運営しているサイトだけでは、第三者がサービスレベルを
裏書きしてはくれないのである。たとえて言ってみるならば、独自のデザインを武器に起
業した新興アパレルメーカーが、自前の店舗で営業するだけではなく、大手老舗百貨店の
テナントになる場合を想定してみるとわかりやすい。創業初期の独立系ベンチャーのサイ
トにもかかわらず、大手ポータルサイトと提携できるサービスレベルの不動産情報サイト
というポジションも取ることができたのである。
さらにもう1点、ポータル提携を選択した理由として、次のような事情があった。
当時、HOME S`と競合する大手の不動産ポータルサイトは自社でも物件サイトを運
営していたが、サイト提携をする相手先のポータルサイトに画面デザインを合わせ、カス
タマイズする取り組みについては、あまり積極的ではなかった。ネクストはすでにサイト
制作について内製する体制になっており、スピーディに対応できるため、ポータルサイト
と具体的な提携の打ち合わせをした数週間後には、サービスを開始できる仕組みになって
いたのである。
こうしたサイトの内製とスピード対応といった競合他社との決定的違いは、ポータル提
携をプロモーション戦略の中心に置いていたHOME S`が先手必勝で独走するチャンス
134
を与えてくれたのである。
ところで、ひと口にポータル提携といっても、多種多様なサイトが存在する。エキサイ
トやインフォシーク、楽天などの検索・EC系サイト、ニフティやビッグローブ、OCN
などのISPサイトや毎日JPなどの新聞系サイト、さらに鉄道や地図などの交通や地域
サイト以
に関係する専門サイトなど、提携可能となるサイトは多種多様に存在するが、それぞれの
サイトとのポータル提携戦略を実施してきた。
提携ポータルサイトにおける費用対効果をシビアに観察しながら、多いときで
上、現在は約
このように、HOME S`のブランディングは、ポータル提携戦略の推進が第1ステッ
プであった。外部の有力サイトの影響力を活用してポータル提携を積極的に推進し、自社
50
サイトの認知度や利用度を高めていったが、やがて次なる第2ステップにも積極果敢に取
り組んでいった。
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
135
30
サイト制作の内製化を武器にSEO向上を図る
2003年、HOME S`は自ら第2ステップの扉を開けていった。
須田が語る。
「2003年から2004年にかけて不動産業界におけるHOME S`のポジションが明
らかに変化してきました。それまで3年間にわたって積極的なポータル提携を推進した結
果、HOME S`のサイトをご覧になった一般のお客様が、掲載物件についてのお問い合
わせをされたり、詳細な資料等を不動産会社様に請求される件数が、急増してきたのです。
HOME S`の営業担当者が不動産会社様を訪問すると、
『最近、HOME S`を見たお客さ
んからの反響が増えてますよ。お客様に人気が高いんですね』と広告のリターンを喜んで
もらえる声をいただくようになり、営業部門も活気づいてきました」
ポータル提携を軸にしたHOME S`の認知度向上作戦が、ようやく効果を現してきた
のだった。不動産会社への反響(=物件に対する問い合わせ。以下反響と記述する)が増
136
加したことは、それだけ一般の顧客からHOME S`サイトが認知され、利用されてきた
ことを意味した。
不動産会社にとってHOME S`への広告出稿は、掲載した物件に対する利用者からの
反響を得ることではじめて価値を生む。単なる物件告知ではなく、物件情報を求める顧客
との接点をつかむことが、不動産会社にとって営業のスタート地点であり、最も重要な広
告の動機となっているのだ。
その意味で、不動産会社がHOME S`サイトからの反響を実感しだしたことは、不動
産会社の事業活動においてHOME S`の価値を認識したことを意味しており、不動産会
社を広告クライアントとするHOME S`のビジネス基盤が形成されてきた証左でもあっ
た。
さらに2003年頃から、このような状況も生まれてきた。キーワードはSEOだ。
SEOは〈サーチ・エンジン・オプティマイゼーション〉の略で、一般に〈検索エンジ
ン最適化〉と訳され、グーグルやヤフーなどの検索結果において自社のサイトやコンテン
ツページの露出を増やして、検索結果の上位にサイト名を表示させるようなインターネッ
ト上でのマーケティング活動を総称する。
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
137
HOME S`サイトのSEOの精度は、2003~2004年以降から、著しく向上し
ていった。不動産物件を探す一般顧客が、グーグルなどで検索したときにHOME S`サ
イトを目にする機会が増加し、そこからHOME S`のサイトに進んで物件検索を利用す
る頻度が増え、結果としてHOME S`に掲載している物件への問い合わせをするユーザ
ー数が激増してきたのである。
なぜ、HOME S`はSEOの精度を向上させることができたのか。
その理由を問うと、当時SEO対策の陣頭指揮をしていた樋口耕正(現在、HOME `
S事業本部)はこう説明した。
「最大の理由は、サイトの内製化にあったと思います。サイト制作を外部に委託している
と、サイトの改良などを直接実施できませんし、当社の狙ったサイト設計が完璧に実現で
きるとは限りません。さらに、改良を決定し、発注してから完成するまでのタイムラグも
ありますので、スピーディな対応が難しくなってしまいます」
だが、ネクストはサイト制作を自社で行っているので、サイトの改良に関して試行錯誤
を繰り返し、その結果をすぐにサイト改良に反映させることができた。2003~200
4年頃のHOME S`サイトは、賃貸・中古物件サイトと新築分譲マンションとの2種類
138
だったが、すでにネクストには2つのサイトごとにプランナー、マーケッター、デザイナ
ー、プログラマー、エンジニアといった専任スタッフを配置して、スピーディかつ専門性
の高いサイト運営を実現していた。
そういったサイトの企画・開発スタッフが日々最も意識していたのが、物件に対するユ
ーザーの問い合わせ=反響の推移状況だった。HOME S`サイトを運営するスタッフは、
サイト利用者から不動産各社に入る反響を常に把握、分析して、サイトの動線設計や、デ
ザイン改修を積極的に行い、反響の目標達成に全力を傾注させていた。
ここでやや話が逸れるが、サイトの企画や開発に携わるスタッフが中心になって、年に
4回実施しているクリエイティブアワードという社内表彰制度について紹介したい。
ネクストのビジネスの基盤となっている各Webサイトの開発を担当しているのは、プ
ランナーやマーケッターといった企画職、デザイナーやディレクターやコーディングスタ
ッフといった制作職、プログラムを開発するエンジニアなどの技術職であるが、彼らは自
分たちが担当するサイトで、精魂込めて考えてつくり込んだサービスについて年に4回発
表の機会を持ち、学び合うことを大切にしている。そこでは、ユーザビリティの改善や先
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
139
進のインターネット技術の採用、画期的なマーケティング施策や、反響数が増加するよう
なサイトの改修など、数々の取り組み成果を定期的に発表し、共有しているのである。そ
のなかからもっとも優秀だった施策が社内審査を経た後、「クリエイティブアワード」と
いう賞を贈呈されることになっている。
「私たちはネクストの企業文化として、お互いを称え合う風土を大切にしています。お互
いがお互いの個をリスペクトし、努力して創造したアウトプットを認め、全員で褒め称え
る文化がネクストにはあります。企画職、制作職、技術職といったサイト開発に携わるメ
ンバーが、自分の担当するサイト以外の仕事に興味を持ち、分析し、そして自分の担当す
るサイトに活かしていくというような、相互に褒め称え、学び合うクリエイティブアワー
ドという制度も、そうしたネクスト文化の実践に他なりません」(樋口)
ネクスト快進撃の裏には、仲間が努力して築き上げた素晴らしい成果を全社でリスペク
トし、他の仲間たちが積極的に学び、自分の仕事に取り込んでいくことで企業力を向上さ
せる、こうした〈賞賛の文化〉が存在しているのである。
話を戻す。
140
サイト制作の内製化によるスピード対応を武器に、ポータル提携戦略を推進し、SEO
の波を巧みに乗りこなしてHOME S`を成長させていったネクストは、いよいよ本格的
なブランド構築に歩みを進めていくことになるが、ネクストの経営陣はその前に大きな事
実を突きつけられることになる。
2004年5月、ネクストは専門調査会社に依頼して〈HOME S`認知度調査〉を初
めて実施した。クライアントである不動産会社からの反応と、ポータル提携やSEOの成
果によるサイトの成長といった好材料もあり、ネクストの経営陣はHOME S`ブランド
の浸透に自信を深めていた。
だが、調査結果は期待を裏切るものだった。
2強の一角を占めるリクルートと比較してHOME S`の顧客認知度は断然低く、2桁
以上の大差をつけられていることが判明したのである。
〈こんなハズじゃないだろ……〉
〈俺たちの実力は、まだこんな状態なのか〉
不動産ポータルサイトビジネスで頭角を現し、独立系で強いバックボーンを持たないな
がらも順調に成長を続ける自社のビジネスに自信を深めていたネクスト経営陣は、あまり
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
141
に無残な調査結果を前にして、声を失った。
厳しい現実を突きつけられたネクストは、あらためてブランディングの難しさと必要性
を再認識し、新たな活動を展開する決意を固めていく。
住み替えといえばHOME S`というマインドセットをつくる
ポータル提携戦略の推進とSEOの精度向上はインターネット上での認知率や集客増加、
そしてサイトの利用者増加にある程度貢献してきたことは事実である。だが、それだけで
は〈ブランドの確立〉は不十分だった。
自分たちの体力相応の施策でブランディングを推進していくと、当然のことながらイン
ターネットでのプロモーションが中心となる。効率性や効果測定、予算規模や即効性など
の点ではインターネットが最適のメディアであるが、リクルートやヤフーといった巨大な
ライバルに対抗し、打ち勝つには一般の利用者の心のなかにHOME S`というブランド
を強力に植えつけなければならないのである。ついにHOME S`は、そういったマイン
142
ドシェア(ユーザーの心のなかにしめるブランドの存在感)のレベルで、リクルートやヤ
フーのような巨大なライバルと正面衝突し、打倒しなければならない段階にきたのである。
HOME S`のブランド戦略の第3ステップでは、マスコミュニケーションを活用した
プロモーションを大胆に仕掛けていくことになる。テレビやラジオなどの電波媒体への出
稿、新聞雑誌、交通広告や屋外広告に掲出、大規模なイベントの実施、さらにはHOME
S`の活動がニュースとして取り上げられるようなPR(パブリック・リレーションズ)
を駆使しながら、幅広く消費者とのコンタクトポイントを開発して、HOME S`の露出
機会を増大させていくのである。
コーポレートコミュニケーション室の須田が語る。
「ブランド認知の点で、リクルートやヤフーにはまだはるかに及ばないということを痛感
させられたものの、認知率自体はある程度継続してプロモーションしていけばまだ伸びる、
ました。それはユーザーの心のなかに、
〈家探しをするならHOME S`〉というマインド
セットをつくりこむことです。名前を知られるという認知率だけではなく、まずは家探し
第
ということはわかっていました。ですが、認知よりももっと重要なことがあると思ってい
をするときにHOME S`を思いついてもらうという、純粋想起こそ高めていかねばなら
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
143
ないと考えました」
純粋想起とは、たとえば被験者にビールの銘柄として思い浮かぶものを挙げてください、
といった質問でブランド名を聞き出す手法であり、最初に挙げられた銘柄ほど強く記憶に
残っていることになる。したがって、純粋想起のほうが認知率よりもハードルが高く、純
粋想起で想起されるブランド名こそ、真に強いブランドだといえる。
「住まい探しをするユーザーが使う媒体は、何も不動産のポータルサイトとは限りません。
情報誌かもしれないし、折込チラシかもしれない。不動産会社さんのWebサイトを見に
いくこともあるでしょうし、いきなり不動産会社さんの店頭で物件を物色することだって
あるのです。HOME S`がブランディングをする究極の目標は、一般消費者の方が引っ
越したい、住み替えたいと思ったときに、じゃあHOME S`のサイトを見てみよう、と
いう状態になることだと考えました。そこから逆算していったときに、まずは名前が知ら
れていないと思いついてもらえないということになりますので、認知率の向上にもっと予
算をかけて大胆に取り組んでいこうということになりました」(須田)
HOME S`ブランドを認知してもらうには、社運を賭した新たなコミュニケーション
を断行しなければならなかったのだ。そこでネクストは、〈売上高の約 %を広告宣伝に
20
144
投入する〉という、思い切った経営決断を下す。
井上をはじめとするネクストの経営陣は、HOME S`ブランドの確立とネクストの成
長を不可分の二重写しと捉えて、2007年から大胆なコミュニケーション施策を実行し
ていった。
具体的な実例を見ていこう。
`
2007年2月、神戸ウイングスタジアムのネーミングライツ(施設命名権)を取得し、
「ホームズスタジアム神戸」と命名した。スタジアム周辺の交通標識、道路標識も含めて、
「ホームズ」の名前が街中にあふれ出した。同時にホームズスタジアム神戸を本拠地とす
るJ1のプロサッカーチームのVissel神戸のオフィシャルスポンサーに名乗り出た。
ホームズスタジアム神戸におけるVissel神戸のゲームでは、キャラクターのHOME
S`くんを前面に打ち出した演出を取り入れて、親しみやすさを大胆にアピールしている。
さらにテレビやラジオといった電波メディアを軸にしたマス広告に加え、2008年か
らは、繁華街における屋外広告や、電車やバスの交通広告、それに駅張りにも数多く掲載
したほか、地方都市などでは街中を走るラッピングバス広告などのリアルな媒体にも露出
をはかり、話題をつくっていった。そして広告表現としては、キャラクターのHOME
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
145
Sくんがさまざまなポーズをとってブランドの親しみやすさを演出した。
こうしたマス広告の展開は一般消費者への知名度向上と同時に、HOME S`営業部隊
への業務サポートとしても有効に機能した。第一線で営業活動を行う営業部隊にとっては、
いたるところで見かけるHOME S`のロゴマークやキャラクターのHOME S`くんの存
在はクライアントとの話のきっかけにもなり、営業活動の強い援護射撃となったのである。
Web戦略、各種マス広告、リアル媒体などへと進んでいったHOME S`のブランド戦
略は、さらに多面的な展開をみせていく。
ネクストが対外的に発表している資料に『まちと住まいのデータブック』と『HOME
S`マーケットレポート』という2種類のデータ資料集がある。『まちと住まいのデータブ
ック』には、
〈住宅設備に関する調査〉
、
〈賃貸入居者の引越し実態調査〉、〈東京都生活満
足度調査〉
、
〈JR・私鉄ユーザー満足度調査〉など住まい探しを考えている一般ユーザー
に対して実施したアンケートをまとめた数多くのレポートが掲載されており、『HOME `
Sマーケットレポート』には不動産物件のHOME S`上の件数や賃料、価格などのデー
タが掲載されている。
実はこういったデータ集もHOME S`のブランド戦略と深い関係性を持っているとい
146
う。須田はこう話す。
「
『まちと住まいのデータブック』も『HOME S`マーケットレポート』もHOME S`の
名前を社会に広める重要な手段です。
『まちと住まいのデータブック』に掲載しているデ
ータは、ネクストが2006年から毎月のようにマスコミ各社に向けて発表している独自
の消費者調査結果を再編集してまとめたものです。そもそも当社は『人と住まいのベスト
マッチング』を果たすビジネスを展開しているために、一般ユーザーがどんな住宅に住み
たいと思っているのか、実際にどんな物件を検討して購入したのか、あるいはどんな街に
住みたいと思っているのか、いま住んでいる街の住み心地はどうなのか、などといった住
宅と不動産、あるいは地域に関する一般ユーザーの気持ちを誰よりも詳しく知らなければ
ならないと考えています。一般ユーザーのことを知らなければ、優れたサイト、優れたサ
ービスをつくることができませんし、不動産会社様にも説得力のある提案ができないと考
えているからです。HOME S`とLococomというサービスを通じて、住まいと地域
という人生に大きく影響するテーマを扱い、安心と喜びのあふれる社会の仕組みをつくり
たいと願っている当社としては、そうした一般ユーザーの意識や行動について誰よりも精
通していることがサービスの生命線だと思っているのです」
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
147
では、
『HOME S`マーケットレポート』とは何か。HOME S`の賃貸・流通事業部長
の加藤哲哉が語る。
「
『H O M E S` マ ー ケ ッ ト レ ポ ー ト』 は、 H O M E S` に 掲 載 し て い る 首 都 圏 の 流 通 物 件
(戸建て・マンション・土地)と賃貸物件の計4種類について、約130万件以上の物件
情報をもとに、毎月、集計しマスコミ発表している資料です。これは、物件数や賃料、販
売価格といった基本データを地域別に集計している他、〈問い合わせ駅ランキング〉など
ユーザーの動向を把握できる情報も盛り込んだレポートとなっており、主に不動産会社の
マーケティング担当の方にHOME S`を知っていただき、HOME S`をよりいっそうご
活用していただくための市況データとなります」
ネクストはこういった消費者調査や物件データの分析に、専任の社員リサーチャーを採
用、配置したうえで、調査研究活動を継続させてきた。
なぜ、ネクストはこれほどの頻度やボリュームで各種マーケティングデータの調査発表
を行っているのか。
須田が語る。
「賃料や価格動向、あるいは消費者の意識調査といったデータは、経済指標や世論の1つ
148
として考えられるため、一般的にそれ自体で社会的な関心が高く、有益な情報であると考
えられているのです。また、不動産会社ではなく、HOME S`のような中立的立場の情
報媒体が発表する調査結果は、データとしてもマスコミに取り上げられやすいという傾向
があります」
「このような独自調査を定期的にマスコミ各社(新聞、テレビ、雑誌などに)発表し、メ
ディアが記事として取り上げてくれることにより、HOME S`の存在が社会に広く知ら
れていくようになりました。調査結果を取り上げた記事には、必ず〈住宅・不動産情報ポ
ータルサイトHOME S`調べ〉というクレジットを入れていただいています」
メディアの力を借りてネクストおよびHOME S`のコンタクトポイントを増やし、そ
の名を浸透させていこうとするブランディング手法は、ポータル提携と相通じる戦略であ
ると思える。
発表された調査報告は、まず一次報道として新聞やインターネットニュースなどに掲載
された後、二次報道として雑誌やテレビなどが引用、紹介するケースが多いという。
また、
「一般企業のマーケティング担当者が、各種の資料や企画書などを作成する場面
で、HOME S`の発表する各種データを論拠として出典明示、データ引用をすることが
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
149
多く、そういった意味でもHOME S`の知名度や信頼度を向上させる効果が高い」という。
こうした一見地味な取り組みの継続が、住宅・不動産業界におけるネクスト、HOME
S`の存在感を高め、より強固なブランドを構築していくのである。
このように、インターネット上の広告やSEOから始まったHOME S`のブランドプ
ロモーションは、やがて屋外広告や交通広告などのリアル媒体に加えて、テレビやラジオ、
新聞や雑誌などでのパブリックリレーションズを通じて多くのニュースの形で発信され、
〈住み替えといえばHOME S`〉というマインドセットを徐々につくりあげてきたのであ
る。
〈ユーザーから圧倒的に選ばれるサイト〉
を目指して
認知率向上や利用率向上という〈量的な面〉からのブランディングの課題への取り組み
の他に、創業以来ネクストのスタッフが大切に考え、日常的に実行していた〈質的な面〉
でのブランディング施策についても見てみよう。
150
まずは〈Webサイトの使い勝手の向上〉である。
須田が解説する。
「ブランド戦略を推進するとき、3つの重要な指針が存在します。1つはブランドの認知
率や利用率を向上させることです。どんなに優れたサイトでも、多くの方にブランドを認
知していただき、実際に利用していただかなければ社会的には存在していないことに等し
いのです。そのためには、まずブランドの認知率を上げることが絶対条件になります。2
つ目は情報の質が高いこと、つまり物件情報の精度が高いことです。これはHOME S`
というサービスの生命線でもあり、掲載物件や情報提供会社の情報審査を徹底し、サイト
のユーザーに安心して物件探しをしていただく環境を構築して維持していくことで担保し
ます。そしてもう1つは、認知して使ってもらったHOME S`サイトの使い勝手をよく
することです。いくら有名なサイトであっても、お客様が実際にHOME S`を使って物
件探しをしたときに、思っていたよりも使い勝手が悪いようでは、その後に継続してお使
いいただだくことができません。むしろ有名であればそれだけお客様の期待値は高くなっ
ているのが普通です。ですから、HOME S`を訪れたお客様の期待値以上、むしろサプ
ライズを感じていただくほどのレベルでサイトの使いやすさを追求していきました」
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
151
確かに、どの不動産サイトよりも使いやすい状態でつくり込んでいけば、HOME S`
を利用したユーザーがリピーターになることはもちろんのこと、彼らが他のユーザーにも
HOME S`の使いやすさを口コミで伝え、紹介していくことにつながるだろう。
だが須田はこう語った。
「ネクストのサイト開発(=ものづくり)に関わるスタッフには、企画職、制作職、技術
職などがいますが、彼らに共通しているのは、何よりもサイトを訪問するユーザーに喜ん
でいただくようなサービスをつくっていこうという単純でまっすぐな想いです。これは創
業当初、HOME S`がまだ零細サイトだったときにもそうでしたし、大規模に成長した
現在も同様です。また、不動産会社のサイトの受託開発事業を行っているときも、まった
く同じ気持ちでサイト制作に取り組んでいました」
そうしたスタッフの努力の結果、サイト格付けに定評のある調査会社ゴメスのWebサ
イト評価で、HOME S`サイトは高い評価を得ることに成功する。
2004年 秋期 不動産賃貸サイトランキングで1位
2006年 3月期 賃貸情報サイトランキングで1位
152
2007年 2007年 月期 モバイル賃貸サイトランキングで1位
月期 賃貸情報サイトランキングで1位
8月期
賃貸情報サイトランキングで1位
2008年 7月期 中古不動産情報サイトランキングで1位
2008年 7月期 新築マンションサイトランキングで2位
8月期 モバイル賃貸サイトランキングで1位
2009年
2009年
こうした調査会社によるサイト使い勝手の高評価は、利用者にHOME S`サイトのク
オリティの高さをアピールする絶好の機会となった。
それは、エンドユーザーの立場に立ったサイトの開発や運営と、日々、改善を重ねてき
たHOME S`のサイト開発のポリシーが、見事に結実した瞬間でもあった。
サイト画面のデザインはもちろんのこと、ユーザーが使いやすいボタンの位置や形状に
までこだわり、一般利用者へのユーザビリティ評価を行いながら、徹底したユーザー目線
に立ったサイト制作を追求し続けたネクストの開発陣の努力が、ライバルサイトを凌駕す
るに至ったのだ。
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
153
11 10
最後にHOME S`事業を統括するHOME S`事業本部長の森野竜馬は、HOME S`事
業とブランディングの将来展望をこう総括する。
「最近は、HOME S`サイトを認知いただいている方が増えてきましたが、今後はさら
に踏み込んで、HOME S`が実践している物件網羅性のメリットや、お客様の感動を大
切にしているビジネス姿勢なども、もっともっと知ってほしいと思います。たとえば、お
客様がいくつかの不動産ポータルを複数利用して、そのうちのHOME S`でお部屋を探
せたとしても、お客様にとってHOME S`はネット検索手段の1つとしてしか、認識さ
れません。しかしこれからはHOME S`サイトにアクセスするお客様に〈HOME S`サ
イトを選んだ理由〉を、しっかり認識していただくようになりたいと思います。HOME
S`の素晴らしさをご理解いただいたお客様から〈選ばれるサイト〉になることが、次の
ブランド戦略の大きな目標です」
いまや業界トップレベルに成長したHOME S`は、今後、名実共にナンバーワンサイ
トの地位を確立するために、
〈ユーザーから圧倒的に選ばれるサイト〉を目指して、新た
なチャレンジに動き出している。
154
HOME S`ブランドのあるべき姿を明文化して宣言する
本章では、これまでHOME Sというブランドが創業時の誰も知らないという状況か
`
らどのように成長してきたのかという軌跡を、
〈量的な〉視点と、〈質的な〉視点の両方か
ら検証してきた。
では、HOME S`のブランドは、そもそも、何を目指して、社会にどのような価値を
提供しようとしているのだろうか。
数多く出版されているブランドの教科書を読んでいると、必ず目に付くキーワードとし
て、ブランドアイデンティティ、ブランドコンセプトなどがあることに気づく。平易にい
ってしまえば、そのブランドが、社会やユーザーに対して約束することは何か、というこ
とだろう。
いままでHOME S`のブランド戦略を振り返ってきたが、本章の最後では、HOME
Sブランドの持つ根源的な理念を検証してみたい。
`
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
155
H O M E S` に つ い て 書 か れ た 多 く の 資 料 を 読 み、 実 際 の Web サ イ ト を 見 て い る と、
〈人と住まいのベストマッチング〉というフレーズの他に、〈「らしく」住もう。〉というコ
ピー文章が目に入ってくることに気づく。
HOME S`が約束することとは何か、コーポレートコミュニケーション室の須田は説
明する。
「HOME S`のブランドコンセプトとは、
〈一人ひとりにあった住まい方の発見〉です。
つまり、住まいを探す一人ひとりのユーザーそれぞれに、ぴったりあった物件がHOME
S`であれば必ず見つかりますよ、ということに加えて、単なるハードウエアの住まい探
しではなく、もっとも自分らしく生きるためのライフスタイルや〈住まい方〉というソフ
トウエアもHOME S`で発見できますよ、ということです」
このブランドコンセプトは2005年に策定したものだという。
「2004年に実施したHOME S`認知度調査以降、どのようにブランド戦略を展開す
べきかを社内では議論していましたが、そこではプロモーションの技術論や戦略論が中心
となっていたのです。ですが、ある日、メンバーの一人が、そもそもHOME S`のブラ
ンド価値ってなんだろう、どうありたいと思っているのか、HOME S`はどんな価値を
156
提供していくべきなのかといった質問を投げかけてきました。本質的な〈べき論〉にたど
り着いたのです。正直なところ、それまではサイトの成長を最優先に考えていましたので、
どのようにしてHOME S`は有名になろうかとか、どんなコンテンツをつくればいいの
かなどの手段についての議論が中心だったのです。たとえばどんなに予算をかけて面白お
かしいテレビCMなどを制作したとしても、それは手段であってブランディングの目的で
はない。そんなときに本質的な〈べき論〉が出て、では、当時在籍していたネクストの全
人ほどの全社員にHOME S`に関するアンケー
社員に、自分はどう考えているのか、アンケートしてみようじゃないかということになり
ました」
2005年6月、当時在籍していた
トを実施した。
〈HOME S`は、どのような価値を提供するサイトですか?〉
〈HOME S`は、お客様にどのようなサービスを提供できますか?〉
〈HOME S`は、どのようなお客様に活用していただきたいですか?〉
アンケートは、全社員に向かってHOME S`の存在意義、価値、サービス内容などを、
多様な角度から問いかけた。
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
157
80
すると、次のような実態が浮かび上がってきた。
須田が指摘する。
「アンケート結果を分析すると、全社員に共通する認識が明らかになりました。社員がイ
メージするHOME S`像は、個々の社員が現在関わっている業務のHOME S`像と完全
に一致していたんです。当時はまだHOME S`サイト全体を網羅するコンセプトが存在
しなかったので、当然といえば当然なのですが、それぞれの社員が自分の業務に即したH
OME S`像を勝手に抱いていました」
これではダメだ。
全社統一のHOME S`コンセプトを確立して、すべての社員が同じ認識で、同じ言葉
でHOME S`の存在意義を語れるようにしなければならない。
ネクスト経営陣は、そう強く認識した。
認識はまもなく、危機感に変質する。
HOME S`の成長プロセスを俯瞰すると、2005年期から、住宅・不動産領域にお
いて、HOME S`ブランドを冠したサイトや新サービスが、次々と立ち上がっている。
158
2005年4月 投資HOME S`(現・HOME S`不動産投資)オープン
月
2005年9月 HOME S`マイルーム保険取り扱い開始
2005年9月 家づくりHOME S`(現・HOME S`注文住宅)オープン
2005年 月 新築一戸建てHOME S`(現・HOME S`新築一戸建て)オープン
リフォームHOME S`(現・HOME S`リフォーム)オープン
2005年
矢継ぎ早と表現してもよいほど、ネクストはHOME S`ブランドの多様化路線を積極
的に推進していった。
こうしたHOME S`ビジネスの急拡大は、一方で、HOME S`のブランディングに警
鐘を鳴らすことになった。
社員アンケートでわかったように、当時のネクストの全社員は各人が仕事で関わってい
るHOME S`像をHOME S`のブランドイメージとして認識しており、今後HOME S`
の新サービスが次々と誕生すれば、その数だけブランドイメージが乱立しかねない危険が
あった。
個別サービスに分散するHOME S`のブランドイメージは、ネクストという企業体の
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
159
12 10
求心力を弱体化させかねない。社員は誰1人としてHOME S`の統一イメージを持つこ
とができず、会社への帰属意識やHOME S`ブランドへのロイヤリティが希薄になる危
険すらも想定された。
そこで確固たるHOME S`のブランドコンセプトを確立するために、井上をはじめと
した経営陣と各事業部門の責任者たちは意思統一を図り、全員が丸1日缶詰めになってH
OME S`ブランドの旗印となる〈ブランド憲章〉を構築していったのである。
全6項で規定されたブランド憲章には、こう宣言されている。
「一人ひとりにあった住まい方の発見」をできることを
『HOME S`はお客様に対して、
約束します』
『HOME S`はお客様に対して、
「情報通の友達」のように接します』
『HOME S`の考える理想的なお客様は、
「自分らしい暮らしをアクティブに実現しよう
とするハートフルな人」です』
『HOME S`を使ってお客様が得られる機能面でのメリットは、「たくさんのすぐれた情
報を、お客様の視点で、探して比べて発見できること」です』
160
『HOME S`を使ってお客様が得られる情緒面でのメリットは、「思う存分、新しい暮ら
しを見つける楽しみを得られること」です』
『HOME S`のブランドを支えるゆるぎない事実とは、HOME S`は「最大・最良の住
まいの情報をコンシューマーの立場に立って提供している」ということです』
先に全社員アンケートで問いかけた〈HOME S`は、どのようなお客様に活用してい
ただきたいですか〉という質問の解をブランド憲章に明記し、全社員に公表して共有して
いったのだ。
こうしてHOME S`のブランドコンセプトを定めたことによって、以後のサービス開
発や各種のプロモーション展開、あるいは住宅不動産領域での新規事業などが立ち上がる
際にも、決してぶれることなくHOME S`ブランドのコアバリューを、社内外で徹底し
て意識していくことになったのである。
現在のネクストの基幹事業であるHOME S`も、創業当初はまったくの無名なブラン
ドであった。誰も知らないブランドが大きく成長してきた陰には、実は、ユーザーのこと
4 章 ユーザーの立場に立った、HOME’Sブランド戦略
第
161
を第一に考えて、さまざまな施策を企画し、日々の業務を堅実に行ってきたスタッフの努
力の積み重ねがあった。一時のネットベンチャーが競って実施していたような、大々的な
テレビコマーシャルの投入によって、短期間で有名なサービスに成り上がったわけではな
いのである。
また、HOME S`というブランドについての考え方と取り組みについても真摯であっ
た。徹底したプロセスの透明化と共有である。ネクストの経営ビジョンと同様に、HOM
E S`についても、その理念やビジョンたるべきブランドコンセプトを、社員から意見を
求めながら策定していた。そして、それを大切に掲げてビジネスを展開しているところが、
非常にネクストらしいと印象に残った。
162
章
ネクストの企業文化や企業風土は、
どうネクスト的なのか?
第
5
ネクストの社員と少しでも話をした経験を持つ人なら、彼らが発言する片言隻語に確信
的な仕事の信念を感じることであろう。
そう、ネクストの社員は皆、ネクストのビジネスを遂行することが正しく価値のあるこ
とだと確信し、自らがなすべき行動を自覚しているのである。
この見事なまでに自律した意識は、どのようにして培われるのか。
ネクストで仕事をして、ネクストで自己実現するとは、いったいどういうことなのか。
本章ではネクストの経営風土と、そこで働く社員たちの関係性を見つめてみたい。
「じゃあ、
このビジネス計画はもう一度考え直そうよ」
ビジョンカード。
ネクストを訪問して社員と打ち合わせるとき、胸から下がる1枚のカードが目に入る。
カードには経営ビジョンが書かれ、社是の〈利他主義〉を説明した文章が記され、〈心と
行動のガイドライン〉
〈組織のガイドライン〉が示されている。
164
図表5◎ネクストの〈ビジョンカード〉
表
裏
165
第
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
社長の井上高志は、こう語る。
「ネクストを成長させるには、組織に集う皆が経営ビジョンを正しく理解し、〈自分たち
が何を実現するために、いまネクストにいるのか〉をしっかり自覚することが必要です。
ホントにしつこいくらい(笑)
、ネクストは社員に経営ビジョンや事業指針、社是につい
て繰り返し伝えています」
後に詳述するが、ネクストでは採用におけるエントリーマネジメントでも経営ビジョン
の考えを伝え、ビジョンを共有できた人材のみを採用している。入社式(中途入社は入社
月ごと)の重要ミッションも、
〈ビジョン・シェアリング〉にある。ビジョンとガイドラ
インの意味を説明したビジョンブックを配布しつつ、じっくり1時間、社員が毎日携帯す
るカードに記された文言の意味を社長の井上が自ら説明し、認識共有を図っている。社員
が使用するPCも少し作業を中断していると、デスクトップにはスクリーンセイバー画面
としてガイドラインの文言が浮かび上がってくる。
さらに入社後半年ほどたったときに丸一日を充当して〈ビジョンカレッジ研修〉を実施
している。これは、ネクストグループが将来に実現したい世界観の共有を図るとともに、
ネクストで働くうえでの行動規範を徹底的に再確認するための、全社員を対象とした集合
166
研修である。この研修のナビゲーターは、ネクストの役員が自ら務める。このような取り
組みを通じて、ネクストは、その経営ビジョンの浸透に全力を傾注しているのだ。
ネクストにとって、経営ビジョンの共有は人材マネジメント上の最重要な経営課題の1
つにほかならない。
井上が指摘する。
「ネクストは経営ビジョンを大切にして、ビジョンの遂行に極めて誠実な企業ですが、ビ
~
人くらいだったので、全社
ジョンの理解や行動を社員に押し付けることはしない。2004年にネクストのビジョン
とガイドラインを最初につくったときは、まだ社員数が
がガイドラインをどう認識して、何を行おうとしているのかをガラス張りにしました」
このガイドライン改定時には役員がディスカッションしている場を社員に公開し、経営陣
要に迫られ、社員アンケートを行ってガイドライン表現の一字一句に意見を求めました。
行間にある考えや意味が社員に伝わりづらくなりました。そこで表現のチューニングの必
後の2007年には、会社の規模が約400人にまで拡大し、ビジョンやガイドラインの
員参加の熱海合宿を行い、そこでガイドラインの文言を徹底的に議論しあいました。3年
50
ネクストの方針決定スタイルは、合議制とプロセス共有が大原則。会社がつくったもの
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
167
40
を上から強制するだけでは方針が〈社員に腹落ち〉しないと考え、経営陣と社員が合議し
て決めるプロセスを共有することを重視する。活性化した組織を永続させるためには、情
報をオープンにし、率直で建設的なコミュニケーションが必要不可欠だと考えているから
だ。
ネクストのビジョン教育は頭で理解させるのではなく、体得させることを目指している。
ビジョンは覚えるだけではなく、実行できなければならないのだ。
こうしたユニークなビジョン教育を徹底させているネクストは、仕事のスタイルも極め
てネクスト的である。
ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
HOME S`事業本部を率いる取締役の森野竜馬はこう語る。
「ビジネス戦略のミーティングで利益がどうしたとか、成長がどうなるといった議論に火
花を飛ばしているとき、ふと社員が胸に下げているカードを見ながら『それって、ガイド
ラインを逸脱しているんじゃないですか』と質問したりするんですよ。すると、ガンガン
意見を飛ばしていた社員が、
『えっ』と我に返る。そんなとき、『ガイドラインを逸脱して
いるっていうのは、そうかもしれないな』と誰かが指摘すると、『じゃあ、このビジネス
168
計画はもう一度考え直そうよ』と議論が白紙に戻ることも珍しくない。それが、ネクスト
の社内風景です」
また、かつてHOME S`の営業経験を持つ新規事業本部の加藤あす香はこう語る。
「ネクストが運営する不動産ポータルサイトのHOME S`は、不動産会社様から広告を
いただくだけの単なる広告媒体ではありません。不透明な不動産情報を正してユーザーが
『安心』と『喜び』を得られる社会の仕組みをつくるというネクストの経営ビジョンを不
動産会社様に共感していただき、そういった世界観の実現に向けてのパートナーになって
いただくという営業姿勢を積極的に推進しています」
ビジョンが腹落ちした社員の営業方法も、素直すぎるほどストレートだ。営業のとある
社員は、スーツのポケットにビジョンカードを大量に押し込んで、営業先に向かう。
森野が、実際の業務における〈ビジョン浸透の効用〉を明かす。
「ある営業社員は営業先にこのビジョンカードを持参して『私たちが目指しているのはこ
のカードに明記してある、安心と喜びの社会づくりなんです。どうですか? 私たちと一
緒に世の中をよくしていきませんか、社長』と熱弁するんですよ。自分が信奉する経営ビ
ジョンを示して、ビジョン共有のパートナーシップをつくりたい!と真摯に訴えるわけで
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
169
す」
顧客にもネクストの経営ビジョンに共鳴、共感してもらい、ビジネス提携のメリットや
成果を超越したビジョンのパートナーシップを構築しているのだ。
日々の売上げを上げる営業活動の現場でも、ネクストの社員におけるビジョンの浸透効
果が現れている。
会社は、
自分を高めて成長させる道場
ネクストらしさが実際の業務の場面で生かされている事例は、まだまだ数多く存在する。
経営ビジョンの文言を社員参加によってつくり込む自主性の尊重や当事者意識の重視と
いった企業風土は、実際の業務にどう反映し、影響しているのか。
現在、新規事業本部で新規事業の創出を担当する加藤あす香は、こんな側面からネクス
トらしさの断面を語る。
「ネクストが新たな事業を立ち上げるとき、提案制度〈Switch〉が重要な役割を果た
170
しています。全社的に実施する制度で非常に盛り上がります」
Switchとは毎年1回、6月から9月にかけて定期開催される新規事業の提案コンテ
ストである。
新規事業提案制度の目的は、次のように規定されている。
⑴ 社内の人材の有効活用を図り、新規事業を創造すること
⑵ 社内の活性化および採用活動の促進を図ること(起業家意識の高い中途社員、新卒
社員の採用)
⑶ 社員のスキル向上(事業を立ち上げ、経営していく過程で得られる経験)
⑷ 社員の創造性の醸成、仕事に対する意識の向上
ネクストへの帰属意識の向上
⑸
提案は個人でもグループでもOK。審査は4段階に分けて行われる。最初の関門は新規
事業本部で実施する書類審査だ。
まず、自分が提案する新規事業のビジネスアイデアを書類にまとめて提出する。200
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
171
8年のSwitchでは
件の新規事業提案が行われ、
件が書類審査を通過した。約半分
23
件に絞り込まれる。そして、この
15
階までは新規事業本部で対応することになっています」
件の書類審査合格案は面接によって
アイデアプレゼン大会。
15
査では、約
人の社員が審査に同席した。
れ、社員は目の前で行われる審査の様子を確認することができる。2008年度の第4審
審査に諮られることになった。第4審査は、ガイドライン改定会議と同様に公開で実施さ
案を含む6件に絞り込まれ、いよいよ最終審査となる経営会議のメンバーで構成する第4
2008年度、このアイデアプレゼン大会を通過できた新規事業案件は、新卒社員の提
を行い、全社員の投票と審査員の採点によって上位が決められます」
「アイデアプレゼン大会は、提案された新規事業案件を全社員の前でプレゼンテーション
これが第3段階の審査になる。
件が第3の
「書類審査を通過したアイデアは、2つ目の関門である面接段階に進みます。この面接段
が書類審査で落とされる狭き門だ。
55
審査を受けることになる。
23
40
172
では、最終関門の第4審査を通過した新規事業案件は何件だったのか。
加藤あす香が明かす。
「結論として、6件のアイデアはさらにブラッシュアップの必要ありと判断が下され、そ
れぞれのチームが自主的にブラッシュアップを進めています。再構築したモデル案の事業
性は、個別に検討されていきます」
件に及ぶ積極的な新規事業案件が提案される背景には、
新規事業提案制度の概要を一通り理解したところで、素朴な疑問が湧いてくる。わずか
500人の社員集団から、年間
いったい何があるのだろうか。
新規事業の提案は、言うまでもなく社員の通常業務とは切り離して行われている。ヘビ
ーな仕事を乗り切ることも大変な社員たちが、仕事外の事業提案に夢中になる秘密は、い
ったいどこにあるのか。
そう問うと、加藤はこう話す。
「ネクスト社員の成長意欲は、基本的に非常に高いと認識しています。自分自身やビジネ
スを成長させたいと望む人間の集団が、ネクストなのです」
新規事業本部ではSwitchの提案者にアンケートを行った。
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
173
55
〈Switchの提案動機は何ですか?〉という質問の回答は、次の2点に大別された。
⑴ 前からやりたいと考えていた事業アイデアを提案した
Switchという提案機会を活用して自分のスキルアップをしたい
⑵
どちらの動機にしても能動的であり、自主的であることに変わりない。ネクストの多く
の社員は、
〈会社は自分を高めて成長させる道場〉と認識しているのだ。
また、ネクストの個性である「合議制」と「プロセス共有型」の経営スタイルは、社員
の向上心を惹起させ、自分自身の次なるチャレンジを促す環境にもなっている。
現在、新規事業本部はSwitchの〈新規事業提案100件〉を目標にして、提案数増
加のための活動に余念がない。
その活動の1つに、座談会の開催がある。社員にはアイデアがあっても、「どうまとめ
ればよいのかがわからない」という声も少なくなく、新規事業本部長を囲む形で、社員自
由参加の座談会が実施されている。
ビジネススクールの講義ではないので、座談会の雰囲気は和気あいあいとしている。
174
新規事業本部長が、参加者に語りかける。
「皆さん、今日は座談会にお集まりいただいてありがとうございます。新規事業のネタと
いっても、難しく考える必要はありません。たとえば、毎日仕事をしていて不便に感じる
ことや、こんな仕組みがあったらいいなと実感することがありますか?もし、そうした不
便や疑問があれば、その考えをベースにして新しい事業案を創造すればいいんです。どう
ですか、何か不便なことはありませんか?」
座談会では、新規事業本部長が自ら参加者にアイデアの誘い水を向けて、事業創造のA
BCをサポートしていく。
さらに今後は、提案の経験者である先輩社員が体験を語る集いも、準備されている。
実際に、Switchの前身である新規事業提案制度において社員から提案されたビジネ
スアイデアには、すでに事業化されているものもある。第3章で詳述したHOME S`介
護も新規事業コンテストから正式にプロジェクト化された第一号案件なのである。
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
175
自ら動く、
自ら変える
もう1人ネクストらしさを体現する社員を紹介しよう。現在は情報システムグループで
活躍する中島愛もチャレンジ精神を発揮しながら、中途採用社員として担当業務を切り拓
いてきた1人だ。
中島が言う。
「ネクストに入社した当時は、総務配属でした」
総務を含む管理系業務は中島が希望したものだったが、総務担当といっても、実際には
中島1人だけであった。中島は入社後いきなり孤軍奮闘することになる。社員数がまだ1
00人前後の頃だ。
中島は、それまで総務経験がゼロ。1人で総務をやれ!と言われても、何をやったらよ
いのかわからない。しかたがないので、総務部の仕事が図解入りで解説された本を買って
きて、独学からスタートした。
176
最初は勝手がわからないので、社内の業務風景を観察することにした。
社員はどのように仕事をし、どのようなときに総務のサポートが必要なのか。
相談された案件にどう対応すればよいのか。
バタバタしながらもなんとか総務の仕事をこなせるようになると、自分でこうしたい!
という意欲が湧いてきた。
勇気を出して、管理部門の責任者に相談すると、あっさりこう言われてしまった。
「中島さんがそうしたいと考えるなら、一度社内の掲示板に提案してみたらどうかな?」
ネクストには社内LANで全社員が結ばれているグループウェアのWeb掲示板がある。
その掲示板で自分の考えを表明することを勧めたのだった。
「掲示板に出してみたらと言われても、自分の意見をいきなり全社員に提案するのは緊張
しました。どんな反応が返ってくるのか不安でしたので……」
中島が提案したのは、社内Webの改良に関する意見だった。社内Webには〈住所変
更届け〉や〈休暇申請の書類〉
、
〈出張申請書類〉といった業務に必要な手続きフォルダが
置かれていたが、項目ごとに乱立していたので使い勝手がよくなかった。
そこで中島はそれらのフォルダを整理して、社員の使い勝手をよくする提案をしたので
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
177
ある。
こうして中島の〈1人総務〉は体当たりチャレンジで遂行されていったが、ネクストの
社員の自主性の強さを示す実例をあと2つ紹介しよう。まず、ネクストには社員が自主的
に運営している通称「レクスト」と呼ばれる〈
(ネクストの)レクリエーション委員会〉
が存在する。
レクストのミッションは社内コミュニケーションの活性化である。委員は各部署から集
まって、さまざまなコミュニケーション企画を話し合っている。
月にはもちつき大会も実
「毎年4月には、大規模な会場を貸し切ってキックオフパーティを開催します。5月には
バーベキューパーティ、8月にはオフィスから観る花火大会、
す」
次に職場環境向上委員会(通称「しょっこい」)の活動も紹介しよう。
10
業員からの要望を集めて経営陣に提言するなどの活動を行っています」(中島)
り、
〈挨拶強化月間〉の実施や社内ポスターなどの整備等を行っていました。現在では従
「毎月1回、自分の職場の改善、改良を話し合うために職場横断的に約
人の委員が集ま
施しています。そういうコミュニケーション企画を考えて実行するのがレクストの役割で
12
178
1人総務として獅子奮迅の活躍をした中島は、現在、情報システムグループに籍を移し
て新たなチャレンジを行っている。
中島は、ネクストらしさをどう認識しているのだろうか。
「ネクストの社員は、ネクストの経営ビジョンや事業計画に共感して入社した人ばかりで
す。だからこそ、それぞれの問題意識としてネクストを成長させたいと願う気持ちが、強
いのだと思います」
経営ビジョンに共鳴して集う社員が、ネクストの主役。
この事例にも、ネクストらしさが凝縮している。
自ら動いて世の中を正したいと願う人に来てほしい
続いて、井上高志が「ネクストは経営ビジョンに共鳴した社員を採用する」と言い切る
社員採用の実態に迫ってみたい。
ネクストは、どのようにして経営ビジョンに共感した社員を採用しているのか。
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
179
人事部の秋庭麻衣は社員の採用について、こう語る。
「人事部の採用グループは新卒採用と中途採用に分かれており、私は新卒の採用を担当し
ています。新卒採用は1年間のロングスパンで業務が組み立てられ、採用計画の構築が業
務のスタートになります」
「新卒採用は、あくまでもいまのネクストの事業フェーズにマッチする人材の確保にあり
ますので、昨年、一昨年の採用方法と今年、来年の採用方法が異なるのは当然です。いま
欲しい人材をどう採用するのかが、採用グループに課されたミッションです」
ベンチャー企業の成長スピードは、速い。昨年と今年の事業ポートフォリオが劇的に変
化することも、珍しくない。
したがって、いまの事業ポートフォリオを満たすために必要な人材をいま採用すること
回を予定していた。
人の動員だが、会社説明会で訴求する内容も採用戦略に合わせて、毎年変え
40
が、企業の成長を左右する不可欠な人事戦略となるのである。
~
新卒採用活動のスタートになるセミナー開催は、2008年度は
1回、
80
就職ナビサイトに登録してくれた学生を会社説明会に集めるが、2010年度入社予定
なければならない。
50
180
学生のナビサイトエントリー数は、積極的な採用戦略が奏功して、昨年度の約2・5倍に
達した。
ネクストは、どのような学生を採用したいと考えているのか。
ネクストが学生に求める人物像は、以下の3点に集約される。
⑴ しっかりした目標設定能力がある
⑵ 目標達成までのルートが描ける
⑶ 思考力と行動力を併せ持っている
この3点を備える人材が、ネクストの求める人物像だ。
ただし……。
「この3つの条件の前提となるのが、ネクストの経営ビジョンに共鳴していることです。
残念ですが、経営ビジョンに共鳴できない学生さんは、採用基準から外れることになりま
す」
ネクストの新卒採用には、極めてネクスト的な採用方法がある。厳格な採用基準をパス
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
181
人のサポート学生を受け持つことになる。
して3次面接を合格した学生に、人事部担当者がアドバイザーとして徹底サポートするの
である。1人の担当者は、約
秋庭が明かす。
標が設定されているかどうかを具体的に確認して、必要があれば助言やサポートをするの
にした目標は設定してほしくありません。学生がネクストに入社して、本気でやりたい目
「たとえばネクストは学生に目標設定能力を求めますが、ネクストに入社することを目的
アドバイザーのサポートについて、秋庭が言及した。
ているのだ。
かれているからである。ネクストには〈採りたい人材を採る〉という厳格な意思が存在し
なぜなら、アドバイザーの任務は採用学生の適性をじっくり見極めることに、主眼が置
するのは早すぎる。
このひと言を聞いて、
〈ネクストは採用学生になんて親切な企業なんだろうか〉と即断
ます」
当者としてではなく、アドバイザーとして入社に向けた準備をサポートするようにしてい
「3次面接をパスした学生は採用の基本条件を満たした人ですので、人事担当者が採用担
50
182
がアドバイザーの仕事です」
アドバイザーが決まると、学生1人につき最低1時間の面談がセットされる。面談では
入社を希望する学生とマンツーマンの話し合いが行われる。
「面談で目標設定を深掘りしたときに、ネクストの求めるビジネス目標と学生が設定した
目標の微妙なズレが顕在化することもあります。ネクストは不動産情報を取り扱うビジネ
スを展開していますが、決して不動産の賃貸や売買などの実業を行っている会社ではあり
ません。たとえばHOME S`事業であれば、住まいや不動産の領域で、人々が『安心』
と『喜び』を得られる社会インフラとなる仕組みを構築するのが、ネクストの経営ビジョ
ンです。しかし学生の設定した目標を詳しく確認していくと、その目標を達成するには不
動産会社の業務経験が必要であると判断することもあります。そうしたときは、ネクスト
ではなく不動産会社に入社したほうがよいのではないですか?、と志望変更を勧めること
もあります」
ネクストの採用条件を満たしていても、将来のキャリアプランが不一致ならば、採用担
当者があえて入社辞退を勧告=円満辞退を促すことも実際ある。辞退を勧告しないまでも
面談結果が進捗しない場合は、採用試験のステップは保留状態となり、長いときは数カ月
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
183
間も面談が続くケースもある。
月から翌年5月までの期間は、人事担当者と学生との長い面談月間
それだけネクストの採用活動は、マンツーマンで学生とじっくり話し合う面談を重視し
ているのだ。毎年、
たとえば、ワーキングマザーの時短勤務は子供が小学校に就学するまでの間、朝9時か
ー支援策に始まって、マタニティ支援や育児支援などの人事施策も充実している。
ストにはワークライフバランスを確立できる人事制度が整備されており、ワーキングマザ
話は変わるが、秋庭は仕事と子育てを両立させているワーキングマザーでもある。ネク
叩いてほしいと思います」
「自ら働いて世の中の問題を正していきたいと情熱を燃やす学生は、ぜひネクストの門を
秋庭に就職学生への期待を訊いた。
られ、その後、役員面接と筆記試験が行われた後、最終面接に臨むことになる。
アドバイザー面談を終了した学生には、リクルーター面談というOB訪問の時間が与え
徹底したビジョン経営を実践するネクスト独自の採用戦略を象徴するエピソードだ。
秋庭が指摘したように、他社ではあまり聞かない「入社辞退を勧告する採用活動」は、
が繰り返されることになる。
10
184
ら午後4時の勤務と朝
時から午後5時までの勤務が選択できるようになっている。
日の看護休暇を与え、小学校3年生
さらに子供が病気になったときの看護などで使用する看護休暇の法定休暇日数は年間5
日間だが、ネクストは就学前の子供の看護には年間
までは年間5日間の休暇が付与される。
そして秋庭は、言い切る。
ここで話が出た〈日本一働きやすい会社〉の活動とは、いったい何なのか。〈日本一働
日本一働きたい会社になる
〈解〉を出すチャレンジ
受したい学生には、不向きな会社だと思います」
意思で自分のキャリアを築く活動を、全力で支援する会社ですので、働きやすさだけを享
らといって受動的な意味の〈働きやすい会社〉ではありません。あくまでも社員が自分の
「ネクストは会社の意思として〈日本一働きたい会社〉になる活動をしていますが、だか
15
きたい会社プロジェクト〉についてネクストの管理部門を統括する取締役の浜矢浩吉に聞
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
185
10
いた。
月にネクストが東証マザーズに株式上場して、ベンチャー企
「日本一働きたい会社のプロジェクトは、2007年夏に社長の井上の発案によって発足
した活動です。2006年
「ネクストがまだ
人規模や
人規模だったときは、皆がバタバタしながら全力で走って
発案者の井上は、熱く語った。
たい会社〉の実現を目指そう、ということになりました」
業からステップを1つ上がったことで、次の成長を目指す経営の意思として〈日本一働き
10
50
とりあっていること。そして、数多くのチャレンジの機会のなかで成長し続けられる、プ
ンの下に共感して集った集団であること。その集団が、常に本気のコミュニケーションを
集まる役員、管理職から一般社員も含めたすべてのメンバーが、会社が掲げる経営ビジョ
というような制度面だけで語ることも違うと思っています。そうではなくて、ネクストに
くない。また、超大手企業のように、会社が充実した福利厚生や人事労務体制を提供する
き、
〈働きやすさ〉をベンチャー企業の特徴である自由奔放さという現象で認識してほし
株式上場するようになると、やはり企業の統治システムが求められてきます。そうしたと
いれば、なんとか会社がまとまっていられた時代でした。しかし、数百人規模に拡大して
30
186
ロのチームを構成していること。さらにいうと、日々正しいことを行い、世の中を変える
ような仕事を通じて自己実現が達成でき、それによって、働くこと自体が楽しくなるよう
な職場になっていること。そんな会社だったら、誰だって迷わず働きたくなるじゃないで
すか。じゃあ、どうすればそのような会社をつくっていくことができるのか、その〈解〉
を出すチャレンジが、
〈日本一働きたい会社プロジェクト〉なのです」
井上の発案でスタートした日本一働きたい会社プロジェクトは、具体的な活動テーマと
して〈採用戦略〉
、
〈教育研修〉
、
〈キャリアパス〉、〈人事評価〉〈OJT〉などのワーキン
ググループを発足させて、全社を巻き込んだ取り組みとなった。
人前後の社員で構成され、リーダーには担当テーマを所管する役員を配し、現状の
1つのワーキンググループは、所属する部署を超えてそのテーマに、関心を持って集ま
った
課題認識や理想像などを真剣に議論するところから始めた。もちろん、ネクストには人事
部門、研修部門のスタッフが存在して業務を遂行しているが、働くこと、キャリアパスな
どは所属部門には関係なく、一人ひとりの社員が強く関心を持っているテーマであり、自
由に意見や理想を語り、そうなるための仕組みや設計を議論していったのである。
たとえば、
「OJT」をテーマとするグループは、『職場に入ってから社員を戦力化する
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
187
10
プロセス』をOJTと規定し、業務遂行の指導から実践、評価に至る目的と課題を設定し
て、期待効果を検討している。
また、
〈評価〉グループでは、日本一働きたい会社の評価制度を議論し、社員アンケー
トなどを参考にしながら、評価を取り巻く〈納得感〉、〈信頼関係〉、〈成長未来〉、〈わかり
やすい〉
、
〈ネクストらしさ〉
、
〈わくわく〉という6つのキーワードを抽出したうえで、こ
の6つのキーワードが『自然に生まれてくる状態を構築することが日本一働きたい会社の
評価制度である』と規定している。ワーキンググループの進捗状況は社員総会や社内We
bで共有しながら、全社的な浸透が図られている。
ベンチャーキャピタル勤務経験を持ち、多くの成長企業の社員や社風を見てきた浜矢は
経営ビジョンに共感している
ネクストの社員の特徴として次の4点を挙げている。
⑴
⑵ 自己成長意欲が強い
⑶ 真面目で素直なコミュニケーションを好む
⑷ 正しいことを行いたいと思っているし、それに挑戦している
188
「ネクストとは、経営ビジョンへの共鳴をベースに、どうなることが会社の成長なのかを、
一人ひとりが真剣に考えている会社だと思います。自分の成長とネクストの成長を重ね合
わせている人が多い」と、浜矢はネクストの社員の意識や資質に共通するネクストらしさ
を分析する。
企業統治にも進取の精神で
最後は、先に井上が指摘した企業統治=ガバナンスについて、情報統括本部の田中信智
に話してもらおう。
ガバナンスの強化について、田中はどう認識しているのだろうか。
「ガバナンスの強化とは、各種規則や社内統制の強化を通じて、一般的にはややもすると
ベンチャー企業の活力を削ぐリスクを内包していると思います。ですが我々は、ガバナン
スとネクストらしさの両立を狙っていきたいと考えています」
田中の業務は、社内向けの情報システムの整備、機密情報管理、内部統制という3つの
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
189
領域にわたっている。このなかで、機密情報管理と、内部統制はどのような活動を行って
いるのか。
機密情報管理は、機密情報管理委員会が主たる活動母体となる。社長の井上が委員長と
なり、事業本部長4人とグループ社長2人で委員会が構成される。
委員会活動のメインテーマは、
〈ネクストグループにおけるセキュリティ管理の施策の
立案と実施〉だ。
田中が語る。
「機密情報管理委員会活動の1つに、情報セキュリティチェックの具体的なアクションプ
ランの立案と実施があります。営業担当などが持参している携帯電話にロックがかかって
いるか、社員証ストラップはきちんと携帯されているか、パソコンにウイルスは侵入して
いないかといったチェックをおおよそ月に1度程度実施しています。かつては隔週で実施
していましたが、社員の意識に確実に根づいてきましたので、現在は月1回行うように変
更しています」
ネクストは過去にノートパソコン紛失事故を起こした経験を持っているが、セキュリテ
ィ対策に関しても〈システム確認〉と〈本人報告〉の2方向から厳しいチェックが行われ
190
ている。
ただし、完璧なセキュリティ対策は存在しない。
なぜなら、たとえばメールの誤送信を例にとったとして、誤送信の誤を認識できるのは
送信した本人に限られるからである。添付ファイルの送信が誤送信だったかどうかの判断
は、いくらシステムチェックを厳しくしてもわからないのだ。
現場のスタッフが宛先を間違えて添付ファイルメールを送信してしまったときは、まず
本人から誤送信の報告がなされることになっている。
田中が言う。
「セキュリティ管理の根本は、個人の意識による部分が大きいことも事実です。ネクスト
ではそうした個人意識の向上を促すために社内教育を実施して、社員一人ひとりのセキュ
リティ意識を高めています」
もう1つの内部統制に関しては、毎月1回開催される内部統制委員会が活動母体になる。
この委員会も社長の井上が委員長に就任し、経営幹部らも参加する構成だ。
「内部統制委員会のミッションは、内部統制の状況を企業経営者が確認、評価して会計士
が会計監査するガバナンスの施行にあります。ネクストでは、経営ビジョンやガイドライ
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
191
ンのなかで、行動の正しさや、透明性や公正性について謳っています。これを精神面だけ
でなく仕組みといった面からも体現していくために、内部統制は厳しく実施されなくては
なりません」
こうした田中の業務を理解したとき、1つ強く印象に残ったことがある。
それは、ネクストのコーポレート・ガバナンスは徹底した〈攻めの業務〉であることだ。
田中が参加する各委員会は、規定された対応を遵守する意思決定機関ではなく、ネクスト
としてやらなければならない各種の管理、統制活動を認識し、チェックし、先手を打って
新たな視点や行動を提言する自主行動の推進機関なのである。
その意味で、ややもすると保守的な活動に終始しがちなガバナンス活動にも、ネクスト
に息づく自主性の尊重や進取の気性を実感できる社風が感じられ、いかにもネクストらし
いといえるだろう。
本章では、ネクストという会社における人材観や企業風土について検証してきた。HO
ME S`というサービスを、競合他社を押しのけて創業 年で日本最大のサイトに成長さ
せてきた会社は、実際のところどんな会社なのか、どんな人たちが仕事をして、どんな社
風なのか、大きな興味があった。
10
192
まず、ネクストの掲げる経営ビジョンと行動ガイドラインを、社員全員に浸透させるた
めに経営層自身が多大な努力をし、浸透させる仕組みがあることに気づいた。そして実際
に、社員一人ひとりが、ビジョンとガイドラインを意識しながら日常の業務を遂行してい
るのだ。
さらに、社員の資質に目を向けると、経営ビジョンに共感しているだけでなく、純粋で
正直、かつ積極的で成長意欲が強い人材が多いということに気づく。
これは、新規事業開発やHOME S`事業のフロントで働いている営業マンや企画・制
作スタッフだけではない。総務や人事、ガバナンスなどのバックオフィスのメンバーも同
様だ。
そして、そもそも採用の最前線では、ネクストの経営ビジョンに共感する人でなければ
どんなに優秀な学生でも採用しないという徹底ぶり。
ネクストが、その経営ビジョンを掲げて、それを全社員に徹底的に浸透させているとい
う事実、素直で成長意欲の高い社員が集っているという事実は、ネクストというベンチャ
ー企業の圧倒的な成長力の源泉であり、強みだと確信した。
5 章 ネクストの企業文化や企業風土は、どうネクスト的なのか?
第
193
章
次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
6
ネクストの企業価値を測るバロメーターの1つとして、比類なき成長力があるといえる。
企業の成長はややもするとベクトルを見失い、成長のための成長という海図なき航海に堕
すことも珍しくないが、全社がビジョン経営の紐帯で結ばれているネクストの航海図が示
す進路は、常に明解である。ネクストが経営ビジョンに掲げる〈常に革進し続ける〉集団
であるためには、自らが進化し続けることが求められ、新規事業の創造が成長の鍵を握っ
ている。
そしていま、ネクストはHOME S`という住宅不動産領域のビッグビジネスに続いて、
Lococomという新規ビジネスを得ることで、同社が掲げる経営ビジョン〈安心と喜び
を得られる社会の仕組み創造〉というゴールに向かって、集団の持つエネルギーをフル回
転させようとしている。
ネクストがその社名のとおり、
〈ネクスト〉を目指して成長し続ける意思と行動の地平
線の向こうには何があるのか、ネクストは地平線の向こうに何を見ているのか。
ネクストの経営の内側を詳細に検証していくこの取材の最終章となる本章では、そうし
た〈次のネクスト〉
、
〈ネクストの未来〉を照射してみたい。
196
Lococomによって実現しようとしているのはどんな世界観か
HOME S`を旗印にして、住まいと暮らしの総合ポータルとして成長を遂げてきたネ
クストは、賃貸、新築分譲マンション、新築一戸建て、不動産売買、注文住宅など を超
す物件検索関連のポータル群を擁するWebビジネスを展開しながら、引越見積サービス
や家財保険、家賃保証などのHOME S`事業に付随した新規事業を同時に並行して追加
してきた。
本章ではLococomを中心とする新規事業本部に焦点を当てて、ネクストの未来を展
望してみることにしよう。
ネクストの未来を担う新規事業本部のポートフォリオは、次のように構成されている。
⑴ Lococom
⑵ ファイナンスグループ
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
197
10
⑶ 技術戦略研究所
⑷ 新規事業開発
⑴のLococomに関しては後に詳述するので、先に⑵~⑷について概説する。
⑵に示したファイナンスグループが手がけるビジネスは、第2章の最後で紹介したHO
ME S`マイルーム保険の総代理店業務である。
⑶の技術戦略研究所は、ネクスト外部の最先端技術を調査・分析して、ネクストの事業
に取り込むための戦略研究を行っている部署だ。ネクストが現在運営している多彩な情報
サイトにおいて、技術革新は日進月歩である。常に最先端の新技術を取り入れて、常に最
高のサービスを具現化するミッションを担って、技術戦略研究所は全方位の調査研究活動
を展開している。
⑷の新規事業開発は、いわゆる新規事業のシーズを発掘して、フィージビリティスタデ
ィ(事業化可能性の多面的検証作業)を経て、経営に事業提案するセクションである。前
章で、社内新規事業コンテストの活動を詳しく紹介したが、「安心」と「喜び」が得られ
る社会の仕組みづくりを経営ビジョンに掲げるネクストの成長可能性は、まだまだ無限大
198
に存在するはずである。新規事業開発には、次世代ネクストの成長のタネを発掘し、事業
化していくという重要な任務が課されている。
こうしたファイナンス、技術開発、新規事業開発といった戦略ビジネスと、すでに20
06年秋からサービス開始されているLococom事業を加えた4本の柱が、現在の新規
事業本部を構成している。
では、Lococomとは何なのか。
まずは手元の資料を紹介しよう。
〈日本最大級の地域コミュニティサイト Lococom〉
『従来のSNSに〈地域〉の軸をプラスすることで、〈人〉と〈地域〉と〈コンテンツ〉
が立体的に繋がりました。地域コミュニティ〈Lococom〉は、リアルに存在する人と
地域とコンテンツをWeb(含むモバイル)を利用して有機的に繋ぐコミュニケーション
の場です』
(ネクスト Group Profile
より)
キーワードは人、地域、コンテンツの3点だが、この一文だけではLococomの実態
を理解することは難しい。
Lococom事業は、これまでの各章で分析してきたHOME S`事業とは一線を画す
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
199
形で、新規事業として推進されている。
Lococomを中心とする新規事業を統括する取締役の板谷隆一が、ネクストの新規事
業について説明する。
「当初、Lococomは独立した事業部門として考えられていたのですが、HOME S`
を含めたネクストの今後の事業全体を考えるなかで、Lococomの果たすべき役割や位
置づけ、シナジー効果などを再確認し、さらには収益性などを再検証していく作業が必要
と考え、2008年から新規事業本部に編成し、事業戦略を再構築していくこととなりま
した」
万人ですが、当社の仮説としては会員数100万人の
井上高志は、次のような認識を示す。
「Lococomの会員数は現在約
の経緯をこう話す。
Lococomの立ち上げメンバーの1人であるLococom事業部の杉野範和は、誕生
Lococom事業の詳細を分析する前に、その成立経緯を少し振り返ってみたい。
以内には100万人を突破したい。それまでは投資フェーズだと考えています」
規模が社会的影響力を発揮することになるクリティカルマスと認識しています。今後2年
50
200
「2005年頃SNSと呼ばれる、学校や職場、趣味などを中心としたコミュニティサイ
トの新しいトレンドが発生してきたとき、私たちは単なる情報交換の仮想空間ではなく、
〈地域社会とコミュニケーション〉を結びつけるような新たなコミュニティサイトをつく
れないか?と発想したのです。それが、Lococomの原点です」
人と人が交わるコミュニケーションに、地域という特性を加えた新たなコミュニティサ
イトを創造したいという想いから、
「地域」を軸に、「人・地域・情報」が連動して共有で
きるような生活者コミュニティを、ライフネットワーキングコミュニティ(LNC)とい
う独自のコンセプトで定義した。それまでのSNSサービスやコミュニティサイトには存
在しなかったコンセプトであるという。Lococomは、地域を切り口として、まったく
新たな社会インフラ機能になることを目指して誕生したのである。
しかも、
〈地域社会とコミュニケーション〉の関係性がしっかり構築できれば、人と住
まいのベストマッチングを志向する既存のHOME S`事業とのシナジーも期待できるに
違いない。
杉野は、そんなコミュニティサイトの理想を描いて、Lococomの立ち上げに参加し
ていった。
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
201
ただし、ひと口に地域といっても地域に対するイメージや生活感覚は、千差万別である。
私たちの生活には、住んでいる地域もあれば、働いている地域もあるし、学校で学ぶ地域
やレジャーとして遊ぶ地域もある。1人の生活者、1つの家族、1つの集団における地域
のイメージは、それぞれ異なって当たり前である。そういった部分要素を集積させて、地
域情報の全体像としてまとめることができるサービスを創造するのは、考えて語るほど容
易なことではない。そうした「地域」を軸に、
「人・地域・情報」が連動して共有できる
ような生活者コミュニティに関する本質的な議論を重ねながら、Lococom立ち上げス
タッフは、事業の方向性を模索していった。
地域のイメージが各人各様に分かれるのであれば、その地域に関係性や関心を持つ人た
ちすべてが参加するコミュニティを成立させればよいではないか。Lococomスタッフ
は、そう考えた。
たとえば東京の銀座という地域を例に挙げてみよう。そこに住んでいる人もいるし、そ
こで働いている人もいる。さらに休日になると〈銀ブラ〉して余暇を楽しむ人も少なくな
い。この「銀座」という地域で交差するすべての人が、Lococom内で、銀座地域の話
題やできごとについて、口コミ情報交換を媒介にしてコミュニケーションできるようにし
202
たい。
Lococomのスタッフは、そうした斬新な地域コミュニティサイトの実現を目指した。
杉野が説明する。
「私たちが立ち上げた〈地域社会とコミュニケーション〉を結ぶコミュニティサイトは、
地域に関係する人が地域に関する情報を発信し、交換し合う、情報広場の創造でした。た
とえばある地域であまり知られていなかった美味しい店を発見した人が、店情報をLoc
ocomに書き込み、その情報を見たその地域に詳しい人が『他にもこんな店があるよ』
とまたLococomに書き込んで発信する。こうした特定地域を媒介として、地域に関係
性を持つ人々が自由にコミュニケーションを楽しめる情報広場をLococomは提供して
いきたいと考えています」
言うまでもなく、こうした個別的で具体性の高い地域情報は、HOME S`サイトで引
越し物件を探しているサイト利用者にとっても、さまざまなメリットを与える可能性を秘
めている。マスメディアを中心とした一方通行的な情報発信や集客増を狙った店舗PRな
どではなく、その地域に住み、地域で働き、地域を楽しむ利害関係のない個人が自由に生
声で交換し合うような「生きた情報」は、ネクスト創業の基本思想であった〈情報の非対
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
203
称性の解消〉に合致する付加価値情報でもある。
個人から発信される地域の口コミがやがて地域を動かす 力になる
では続いて、Lococom事業の最前線にフォーカスして、多面的に展開されているサ
イト運営をウオッチしてみよう。
Lococom事業部セールスユニットの林亜季はこう話す。
「Lococom会員には、普通にサイトの各種機能を利用して参加している一般会員の他
に、身近な街の口コミ記事を投稿・情報発信して他会員からの反応や共感を獲得しながら、
人や地域の活性化に自発的に貢献する役割を担っているソーシャルレポーター会員がいま
す」
Lococom事務局では、ソーシャルレポーターを、有益な地域情報を投稿し、Loc
ocom会員および記事を閲覧した方に「読んで考える楽しさ」を提供することで、各地
域における緩やかなネットワークの中心的役割を担う存在、として定義している。
204
Lococomの口コミは個人会員から発信される日常的な身の回りの地域情報が多い。
しかし、自覚的に地域の有益情報を発信する役割を担うソーシャルレポーターの投稿は、
代の主婦から「市長に面会にいくのでLo
ときとして地域の自治体をも巻き込んだ口コミや地域の情報発信活動にも広がりを見せる
場合がある。
2008年のある日、兵庫県豊岡市に住む
cocomでレポートしてほしい」というリクエストが、事務局に飛び込んできた。
豊岡市は、兵庫県北部(但馬地域)に位置して日本海に面した市で、兵庫県北部の中心
都市である。また、日本で最後の野生コウノトリの生息地として知られ、市を挙げてコウ
ノトリの保護・繁殖・共生の事業が行われている。
この豊岡市の会員は、市の魅力のアピールと、こうした地元住民による積極的なコウノ
トリ保護活動を全国に向けてアピールしたいという思惑もあり、Lococomに連絡して
きたのだ。さっそくLococomの事務局スタッフが2つのミッションを背負って現地入
りした。
⑴ レポート依頼会員と豊岡市長の面談レポート
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
205
40
⑵ 豊岡市内の地域レポート
Lococom事務局では、豊岡市長との面談を公式コンテンツとしてレポート掲載した
後、豊岡市が町おこしの拠点とする施設の取材を積極的に敢行し、それをサイト内に掲載
した。
〈地域社会とコミュニケーション〉を結ぶLococom事業にとって、地域の活性
化と発展を推進する行政との結びつきを深めることは、極めて重要な事業戦略と位置づけ
られている。
林が指摘する。
「Lococomの成長にとって地域行政との結びつきは大切な要素であり、この事例はそ
うした成長のタネを会員さん自らがもたらしてくれました。こうした会員さんとLoco
comの深い関係を、これからもっともっと築いていきたいですね」
Lococomコンテンツを充実させて、地域コミュニティサイトとしての存立基盤をよ
り確かにするアクションを、会員自らが仕掛けてくれた事実。この豊岡市の会員からのレ
ポート要請は、そうした個人会員の積極的なアプローチによる自立したサイト運営の可能
性を、予感させるできごとだった。
206
杉野が、こんな見解を語る。
「地方にお住まいの方には、自分たちの生活環境を全国スケールで発信したいという潜在
願望を抱いている人が少なくありません。Lococomは、そうした地域に根づき、地域
を愛し、地域を大切に思う人たちの情報を全国スケールで発信し、コミュニケーションを
促進する場として、地域を応援しています」
Lococomは、地域活性化や投稿することによるユーザー同士のコミュニケーション
の深まりを促進させるべく、ソーシャルレポーター会員にインセンティブを設けている。
「あるソーシャルレポーターさんが熱心にレポートし、ユニークな口コミが投稿されたと
きは、他のユーザーさんは、その投稿が自分にとって有益であり、誰かにお勧めしたいと
感じたならば、そのレポートを評価して投票することができます。サイト上のお薦めボタ
ンをクリックして投票することで、そのソーシャルレポーターさんにお奨めポイント(以
下、
「ロコ」と表記)が貯まっていく仕組みになっているのです」
しかもそのお薦めクリックによって投稿者が獲得したロコは、一定数が累積すると換金
も可能なシステムになっている。
Lococomサイトの多くの閲覧者からお薦めクリックを獲得するような優秀な口コミ
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
207
記事は、Lococomサイトのクオリティを向上させるばかりでなく、一般会員のサイト
訪問と閲覧を増加させ、Lococomというサイトの認知を広げ、規模を大きくしていく
原動力にもなっているのだ。
このように、優良な口コミ投稿の増加によるサイトクオリティの向上と、それによるサ
イトの活性化への貢献に対して感謝し評価する意味から、ロコの換金サービスも行われて
いる。レポーターのポイントは1ロコ1円換算で、運営会社のネクストから現金が振り込
まれる。ロコの換金は2000ロコ以上が原則なので、2000ロコ=2000円から換
金できる。
積極的な口コミ投稿活動を行って、面白い口コミを連発するようなベテランレポーター
になると、1カ月も経たないうちに2000ロコが貯まってしまうので、換金サービスシ
ステムを上手に活用して、情報提供の対価としてロコを獲得する敏腕レポーターもいると
いう。
また、Lococomの事務局としては、個人のレポーターが口コミで貯めたロコを、地
域の自治体や、NPO、NGOなどの組織に寄付し、地域の活性化のためにロコを地域に
還元していくような機能の実装も今後、計画しているという。
208
こうしたSNS的なネット上のコミュニケーションと、利用者がリアルに生活している
地域特性とを融合させた、まったく新しい発想による地域コミュニティサイト・Loco
comはいま、事業の新たなる成長戦略を描こうとしている。
Lococomと地域コミュニティの今後について、井上高志がこう語る。
「一概に地域コミュニティといっても、全国各地の点を寄せ集めるだけでは、点の集合体
にしかなりません。これからのLococomは、点と点を結びつける〈面〉の発想を取り
入れて、幅広いコミュニケーションを誘発することが重要です。たとえば、全国各地のご
当地自慢コンテストをやっても面白いんじゃないですか。コンテストを通じて、全国の皆
さんが地域性を競い合いながらコミュニケーションを活発にし、結果的にその地域に多く
の関心と人が集まって、活性化できれば最高だと思いますね」
続いて、ネクストの近未来戦略を徹底分析していこう。
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
209
ネクストが目指すビジネスのあるべき姿
〈地域社会とコミュニケーション〉を結ぶ新たなSNSを目指して立ち上がったLoco
com。
新規事業本部を統括する板谷は語る。
「これまでのHOME S`とLococomの関係は一体というよりも、どちらかといえば
並列する形で存在し続けてきました。ネクストにはHOME S`という大きな事業の柱が
ある一方で、もう1つ新たにLococomという事業の柱を立てたといった感じです。し
かし、こうした両サイト(両ブランド)の並列関係は、ネクストが志向する世界ではあり
ません。ネクストはあくまでも、地域コミュニティサイトのLococomを、HOME
Sおよびこれから立ち上がるであろう新たな領域における事業すべてのインフラにしたい
と考えているのです。いわば、Lococomを土台とし、その上に、HOME S`に代表
されるネクストの運営するサイトすべてが載っているような事業モデルを構築したいと考
`
210
えています」
年後のネクストを支える基本形に
ネクストのすべてのビジネスのインフラとなるようなLococomサイト。
ネクストはこのLococomを「3年後、5年後、
したい」と考えている。
なぜならば、
〈住まいの購入などの〉人生における大きな決断のときや、日々生活する
さまざまの状況において、そのシーンのすべてが、「安心」と「喜び」をベースに最適に
マッチングしていることが、ネクストが求め続けるビジネスの理想像である。そして、そ
の理想を実現するためには、すべての人々の生活シーンで必ず役に立っているライフネッ
トワーキングコミュニティサイトのLococomの活動が、不可欠だからである。
ゆえに、Lococomはネクストが志向する世界観の基底を形成する最重要なビジネス
なのだといえる。
では、Lococomが推進しなければならないインフラとは、いったいどのようなもの
なのか。
Lococomの上に乗るコンテンツは次のような領域が想定されている。
板谷が解説する。
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
211
10
「Lococomが支える、ネクストのサービス群の主軸に〈住まい関連サイト〉があるこ
とは確かです。暮らしのインフラを目指すネクストにとって、住まい・不動産関連のポー
タルサイトは不可欠の存在です。しかし、不動産だけに特化したポータルを充実させれば、
我々が目指す経営ビジョンが具現化できるのかといえば、決してそうではありません。私
たちが快適な生活や充実した人生を送っていきたいと希求したとき、不動産も重要な要素
に違いありませんが、他にも大切なものはたくさんあります。たとえばマネーといった要
素も、重要になってくるでしょう。ですから、Lococomの上に載るサイトコンテンツ
としては、マネーといった情報軸も1本、必要になると思います」
住宅・不動産とマネー。この2本柱があれば、私たちは快適な生活を実現できるのか。
それだけでは不十分である。
では、この2本柱に続くLococomコンテンツは、何なのか。板谷は、健康を挙げた。
「住むところがあって、お金があっても、身体が健康でなければ、人生を楽しむことはで
きない。そう考えると、暮らしのインフラには健康に関するコンテンツも必要になってく
るわけです」
さらにLococomは〈学ぶ〉
、
〈楽しむ〉
、
〈働く〉といった分野の検討を始めている。
212
図表6◎Lococomの目指す世界観
従来の SNS に『地域』の軸をプラスすることで、『人』と
『地域』と『コンテンツ』が立体的につながった。
地域コミュニティ「Lococom」は、リアルに存在する人と
地域とコンテンツとを Web(含むモバイル)を利用して有
機的につなぐコミュニケーションの場となる。
地域
HOME S
人
立体的な広がりを見せる
コミュニティ空間
住
学
働
楽
Lococom
金
健康
インフラ
コンテンツ(趣味・思考・関心ごと)
こうした将来の6本の主要コン
テンツは、次のような世界観のな
かで、ユーザーの人生と日常生活
のもろもろのシチュエーションで
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
活用される。
た と え ば H O M E S` の サ イ
トを利用しているAさんが、近
く東京から北海道に転勤になる
としよう。北海道生活を未経験
のAさんは勤務地の札幌周辺の
第
事情に疎く、なんとか住居だけ
は H O M E S` サ イ ト で 探 す 目
処がついたものの、どんな生活
になるのかは想像がつかない。
213
そこでAさんは、Lococomの札幌地域コミュニティにアクセスして、札幌地域に
関する口コミを調べることにした。
自宅のPCからサイトにアクセスすると、そこには札幌周辺の食べ物ガイドからレジ
ャー情報、緊急病院の紹介、仕事の斡旋といった数多くの口コミ情報が掲載されていた。
転勤で札幌に行くAさんに仕事の斡旋情報は必要なかったが、現地で何か仕事を探した
いと希望している妻は、さっそくLococomの仕事情報を収集分析して、東京に居な
がら札幌生活の職探しをすることができた。
Aさん夫婦にとって、妻の職探しの次に解決しなければならない課題は、子供の学校
だった。長男は自宅から通学できる公立小学校に入学することを決めていたが、問題は
まだ3歳の次男だった。Aさん夫婦は東京でも共働きをしながら子育てを両立させてい
るので、札幌に転勤となっても当然同じ生活環境を望んでいた。
そこで妻がLococomの学びコンテンツにアクセスしてみると、そこにはAさん夫
婦が居住する周辺の保育所情報と保育所利用者の口コミ情報が一緒になって掲載されて
いた。公の保育所データでは読み取ることができない利用者の生の声をストレートに確
認できることで、妻は保育所に関する不安を払拭し、新たな生活への希望と期待を抱く
214
ことができた。
板谷が語る。
「ネクストが志向するのは、情報の非対称性の解消です。一部の特定の情報供給者を優遇
するのではなく、個人会員が発信する多様で客観性に富んだ日常的な口コミ情報を掲載す
ることによって、サイト利用者の利便性と信用性を、より向上させていきたい。たとえば、
これから札幌に転勤される人が、いま札幌で生活していらっしゃる人と同じ情報をオンタ
イムに共有できることで、新生活における『安心』と『喜び』を実現することが、ネクス
トグループが展開するすべての事業の願いです。引越しされる物件を探し、家を借りるの
に保証が必要であれば当社の関連会社がサポートして、引越しの見積もりと手配もしっか
り代行する。そうした生活や暮らしの〈ワンストップ・ライフタイムサービス〉の実現を
目指してLococomを発展させていきたいと考えています」
この板谷のコメントからも、ネクストが目指す世界観の実現に向けて、Lococomが
いかに重要なポジションを占めているのかを、うかがい知ることができる。
子供から成人、老人、そして人生の終焉に至るまで、どの年代、どの地域、どのタイミ
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
215
ングにおいても正確で有益、かつ安心・満足のいく情報が入手でき、活用できる暮らしの
インフラ。
それがネクストが目指すビジネスのあるべき姿である。
国がやらないこと、
できないことを果敢に実践していきたい
さらに板谷は、
〈安心と喜びを得られる社会の仕組みをつくる〉ことをビジョンに掲げ
るネクストだからこそ取り組むべき新規事業について、さまざまな角度から検討している。
たとえば、
「働く」という領域。
現代において人と仕事をマッチングさせる社会インフラとして、情報サイトや情報誌と
いった情報提供ビジネスの他に、人材紹介会社が存在するが、板谷は「ハローワークのよ
うな公的機関も、人材紹介会社も、どちらも利用者の幸福を実現する機能を果たしていな
い」と看破する。
公的機関で紹介される仕事のクオリティと量は、必ずしも利用者ニーズを反映したもの
216
になっていないし、人材紹介会社の転職活動支援プロセスも必ずしも利用者の利益に貢献
していない、と板谷は認識する。板谷自身、ネクストに転職する前に人材紹介の大手企業
に籍を置いていた経験から、その現状に疑問を抱き続けてきた。
また、働く一個人の立場を起点に、日本の社会や経済の現状を考えた場合にはこんなこ
とがいえる。
板谷は語る。
「人生で最も長い時間を費やすのはまちがいなく働く時間です。その労働の対価として得
るお金は生きるための重要な要素ではありますが、働くことそのものが楽しいか否かで人
生は大きく変わることも事実です。つまり、個人が活き活きと働くことができれば、個人
の人生が充実し、それぞれ充実した個人が集まって機能する企業が元気になります。そし
て、個人の生活基盤である家庭が明るくなり、個人と家庭と企業が充実すれば社会全体が
活性化するといえます。そのため、
〈活き活きと働く〉ことは、社会の活性化にもつなが
る重要な要素なのです」
だが、日本の現状は、人と仕事のベストマッチングは必ずしも実現できていないという。
「企業側の求める人材像は多様化するとともに、即戦力となる人材採用の必要性が高まっ
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
217
ています。そんななかで、自社に適した人材を探すのは非常に困難であり、数枚の職務経
歴書と数時間の面接を頼りに相対比較で人材を採用しているのが実情だといえます。一方
で個人の側では、ワークスタイルを含めたライフスタイルの価値観は多様化しているなか、
インターネットの普及と活用により、ますます複雑膨大となった企業や職業の選択肢から、
たった1つ自分に合う企業や働き方を見つけるのは困難であり、とりあえず内定の出た会
社から給与や勤務時間で比較、転職している状態だともいえます」
では、企業と個人の間を取り持つ人材紹介会社の実態はどうなのか。
「人材紹介会社も、事業の急拡大にサービスの品質が追いつかず、企業と個人の双方の理
想をマッチングしきれない状態でビジネスを成立させてしまっている場合も多く見受けら
れ ま す。 そ の 結 果、 企 業 と 個 人 の 双 方 で、
『安 心』 と『喜 び』 で は な く『不 安』 と『不
満』を生じさせ、マイナスの循環を生じさせている場合すらあるのです」
「ネクストの新規事業責任者としてはこの循環をなんとか変革する〈社会の仕組み〉を構
築したいと熱望しています。そして、ネクストなら現状を変革する一手を打つことができ
ると考えています」
〈働く領域〉の他にも、興味のある事業領域はいくつもあるという。
218
板谷は語る。
「もちろん〈住む〉領域もまだまだ着手すべき課題は多く存在すると認識しています。し
かし、それ以外にも、たとえば、次世代の社会を担っていく若い人材を育てるため、民間
企業の立場から教育システムをなんとか変えたいとも思っています。さらに、医療、健康、
食などといった人間が基本的な生活を営む領域にこそ、『不安』と『不満』を『安心』と
『喜び』に変えていくべき事象が多く存在していると思います」
ネクストの事業の根っこには、ネクスト起業の原体験エピソードまで遡れる「情報の非
対称性を解消したい」という動機と、経営ビジョンに明記される「安心」と「喜び」を得
られる「社会の仕組み」を創造したいというキーワードに象徴されるような、「消費者の
視点」が厳然と存在する。
では、どうすれば「消費者の視点」に立った事業発想ができるのか。
板谷にネクストのビジネスの基底を貫いている原点を訊いてみた。
「消費者の視点に立ってビジネスを革進するには、まず、ネクストがその経営ビジョンに
共感したうえで、
〈自分で革進、革命を起こしたい!〉と情熱を燃やす人間の集合体にな
っていることが不可欠です。と同時に社員は一人ひとりが普通の消費者でもあり、社会の
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
219
構成員として生活しているのですから、自分自身の消費者感覚を大切にすることが非常に
重要になります。1人の人間として率直な消費者感覚を武器にしたうえで、新規ビジネス
を考えていきたいと思います」
板谷はスタッフに、いつもこう発破をかける。
「自分が一番わがままなユーザーであると自覚しているから、新たなビジネスシーズが発
見できる!」
日常生活のなかで〈何か違うな!〉と実感したり、〈これは間違っている〉と確信した
ことをそのまま放置しておかずに、
〈どうすれば間違いや理不尽が解消できるのか〉を考
えてみる。
日常生活におけるそうした姿勢や視点が、HOME S`やLococomといったネクス
トの運営するビジネスの原点を自覚させてくれるのだと、板谷は繰り返す。
そこには利益追求だけにこだわる功利主義は、微塵もない。
創業以来社長の井上高志が追い求めてきた価値観。それは、ビジネスを通じて社会に奉
仕し、社会的価値を生み出すことで、社会に貢献していくこと。こういった社会企業家的
な価値観が、ネクストのビジネスには脈々と流れ続けている。
220
そして板谷は、こう言い切った。
「ネクストは常に革進することで、より多くの人々が心からの『安心』と『喜び』を得ら
れる社会の仕組みづくりを目指しています。したがって、国がやらないこと、国ができな
いことであっても、ネクストは果敢に実践していきたいと考えています」
国ができないことに民間企業がチャレンジする。板谷のこの言葉にネクストという会社
の持つ、志の高さと、ベンチャースピリット、そしてプライドを感じた。
最後に井上高志は、ネクストの未来をこう語った。
「ネクストが社是としている〈利他主義〉の思想や、経営ビジョンに掲げる、より多くの
億人の人たちがどうすればハッピーになれる
人々が心からの安心と喜びを得られる社会の仕組みづくりというのは、何も日本国内に限
定しているわけではありません。地球上の
のかを、ネクストは本気で考えています。たとえば、中国やアジア地域にLococomを
展開して、海外にも生活者コミュニティを創造していきたいと考えています。また、企業
と消費者の間にある情報の非対称性は、日本国内だけの現象でもありません。海外への事
業展開は、HOME S`モデルとLococomモデルのどちらも可能性を秘めています。
利他主義と経営ビジョンをベースにした、私たちネクストのビジネス思想と実績が、国境
6 章 次の〈ネクスト〉を永遠に求め続ける
第
221
68
を越えて、世界中の人々の『安心』と『喜び』に貢献できることを強く願っています」
すでにLococomには上海、ソウル、ロサンゼルス、ニューヨークといったエリアの
ページがあるが、井上が構想を抱いているのは現地語をベースにした現地サイトの運営で
ある。
実は、HOME S`モデルとLococomモデルは、相互補完関係にありながらも、ま
ったく異なるビジネスモデルで存在している。地域コミュニティに特化したLococom
モデルは基本的なコミュニティ機能を完備したサイトを立ち上げれば、不特定の業種業界
にネット広告を販売することができるが、HOME S`モデルは住宅・不動産業界といっ
た特定業界の広告クライアントを獲得する営業展開がなければ、サイト運営が成立しない。
ネクストは、こうした両モデルの相違を慎重に見極めながら、次の一手となる海外戦略
を構築しようとしている。
ネクストは、
〝ネクストがネクストであるために〟、次の〈ネクスト〉を永遠に求め続け
ていくのである。
222
エピローグ
ベンチャービジネスの成長は、常に創造と破壊の連続性にある。
ネクストの成長も決して一本調子ではなかった。創業者の井上高志社長はリクルート時
代に名を上げたナンバーワン営業マンだが、インターネットの黎明期におけるほとんどの
不動産会社は、Webサイトを活用した情報訴求=広告展開に夢を託す井上の真意を理解
し、受け入れることができなかった。
だが、ネクストが先駆けた不動産ポータルサイト事業を成功させるにはそれまでの常識
を破壊し、新たな時代の新たな価値とニーズを理解してもらわなくてはならない。
創造できない者は立ち上がることができないし、破壊できない者は生き残ることができ
ないのである。ゆえに、本書に登場する第一線でネクストビジネスを創造してきた情熱人
たちは例外なく、創造と破壊の困難を乗り越えた挑戦者たちだった。
果てることなき挑戦者とて、ときには進むべき道を見失い、不安に苛まれ眠れぬ夜を過
エピローグ
223
ごす。そうした闇夜に怯えた彼らに一条の光明を与え、進むべき指針を示したのが利他主
義を高らかに謳う社是であり、社会の仕組みづくりを志向する経営ビジョンだった。
ネクストの仲間たちはリーダーであれ、マネージャーであれ、メンバーであれ、この社
是と経営ビジョンを血肉化して確信できる限り、どんな困難にも立ち向かうことができた。
巨大なライバルと熾烈な戦いを繰り広げる市場の争奪戦や、明日の運命さえ定まらない
新規事業の躓きも、自分たちを自己規定できる社是と経営ビジョンが存在する限り、乗り
越えることができた。だから、ネクストは強い。この不屈のビジネス推進力を巻き起こす
ビジョン経営を確立できたからこそ、ネクストは並ぶもののない独自のビジネスモデルを
構築し、急成長を実現できたのである。
そしていま、不動産ポータルサイトの頂点に立ったHOME S`と、それを生み出した
ネクストは、自らが信ずるビジネスの翼をさらに広げようとしている。
海外展開である。
ネクストの国際進出は、ネクストが掲げる利他主義の思想と、経営ビジョン、そしてい
ままで培ってきたビジネスモデルのさらなるチャレンジでもある。
社会インフラの構築を志向するネクストの経営ビジョンは、海を越えて成立するのか。
224
ネクストは国境、民族、文化、宗教を越えたグルーバル市場で、みずからが築き上げた
ビジネスインフラの真価を問い、普遍性を見極めようとしている。
最後に、タイトな取材にご協力いただいた井上高志社長はじめ、ネクストの役員、リー
ダー、社員の皆様に深く御礼申し上げます。皆様の熱き情熱がビシビシ伝わる言動が、最
大の叱咤激励でした。
さらに濃密な取材スケジュールを神業のようにアレンジしていただいたコーポレートコ
ミュニケーション室の須田正己室長、大出裕之まちと住まいの研究室長とスタッフの方々
のプロフェッショナリズムに敬意を表します。
また本書の執筆機会を与えていただいたダイヤモンド社出版編集部の音𣷓省一郎副編集
如之介
長と編集担当の村上実奈子氏、クロスロード代表の安藤柾樹氏に改めて御礼いたします。
ネクストのその次に、想いを馳せて。
2009年9月
峰
エピローグ
225
[ 著者]
峰 如之介(みね・なおのすけ)
1956年、兵庫県生まれ。作家。ビジネスジャーナリスト。徹底した取材を貫き、緻密
な視点からビジネスの本質を浮かび上がらせ、人物を描く手法を得意とする。ビジネス、
技術開発、マネジメント、人材育成、環境への幅広い取材活動をベースに経済誌や月
刊総合誌などを中心に執筆、講演活動を展開している。
主な著書に
『いま、日産で起こっていること』
、
『成り上がり経営』
(ダイヤモンド社)
、
『な
ぜ、伊右衛門は売れたのか。
(すばる舎)
』
、
『サニーサイドアップの仕事術』
、
『ヒューレッ
ト・パッカードのグローバル戦略と日本市場』
(日経BP社)
、
『ブランド誕生』
(ビジネ
ス社)
、
『WAYの遺伝子』
(宝島社)
、
『七万人が働きたくなったこの一言』
(ワック文庫)
、
『中国にホンダを立ち上げた男たち』
(PHP研究所)他、多数。8月には日本経済新聞
出版社より最新情報を加筆した『なぜ、伊右衛門は売れたのか。
』の文庫版を上梓した。
利他主義が社会を変える。ネクストの挑戦
────────────────────────────────────────────────
2009年10月16日 第1刷発行
著 者──峰 如之介
発行所──ダイヤモンド社
〒150 - 8409 東京都渋谷区神宮前 6 - 12 - 17
http://www.diamond.co.jp/
電話/03・5778・7235(編集)
03・5778・72 4 0(販売)
装丁──── 大貫伸樹
編集協力── 安藤柾樹
(クロスロード)
製作進行── ダイヤモンド・グラフィック社
DTP─ ─── インタラクティブ
印刷──── 慶昌堂印刷
製本──── 本間製本
編集担当── 村上実奈子
────────────────────────────────────────────────
Ⓒ2009 Mine Naonosuke
ISBN 978 - 4 - 478 - 00816-4
落丁・乱丁本はお手数ですが小社営業局宛にお送りください。送料小社負担にてお取替え
いたします。但し、古書店で購入されたものについてはお取替えできません。
無断転載・複製を禁ず
Printed in Japan
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