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西ドイツ民法学の現況: 附・ドイツ私法学者の経歴と業績

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西ドイツ民法学の現況: 附・ドイツ私法学者の経歴と業績
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西ドイツ民法学の現況 : 附・ドイツ私法学者の経歴と業
績
五十嵐, 清
北海道大学 法學會論集, 11(1): 72-148
1960-11
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/27792
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
11(1)_P72-148.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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い 。 法 解 釈 は た ん な る 概 念 法 学 で は な く 、 現 在 の 社 会 的 諸 利 益 の 比 較 考 量 を 主 と す る も の に 変i つつある。われわれ
ドイツ民法学はこの点で多くの示唆を与えている。しかも、 そ の ド イ ツ 民 法 学 は も は やB G B制 定 当 時 と は 同 一 で な
現在多くの新しい問題に遭遇している。その解決のためには、法体系の近似する諸国の実情を知ることが必要である。
味 し な い 。 む し ろ 、 比 較 法 学 の 対 象 と し て の そ の 重 要 性 は 、 今 日 こ そ 大 で あ る と い う べ き で あ る 。 日本の民法学は、
このことはわれわれにとって、 ド イ ツ 民 法 学 が 不 要 と な っ た と と を 意
が拡大し、ドイツ民法以外(とくに英米法)にも関心が集中したことに求められるであろう。それ自体当然のことであり、
象である。その理由の第一は、法社会学の導入によるわが民法学の相対的独立性に求められ‘第二は、比較法的視野
くに刑法や民訴)では
彼我の交通が社絶し、十年の空白が続いた。 こ の 空 白 は 今 日 に い た る ま で 完 全 に は 埋 め ら れ て い な い 。 他 の 分 野
理由による。明治以来、ドイツ民法学はわが民法学にとって導きの里であった。しかるに、第-一次大戦の勃発により
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附・ドイツ私法学者の経歴と業績
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本 稿 は 、 私 の 専 攻 す る ド イ ツ 民 法 に つ い て の 研 究 ノ iトである
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商ドイツ民法学の現況
の学ぶべきは、もちろんこのような民法学である。また、 B G B制定後六十年を経た今円のドイツ民法学には、 B G B
自 体 を 、 当 時 の 学 説 に よ っ て 制 約 さ れ た 一 つ の 歴 史 的 産 物 と 見 る 立 場 が 有 力 と な っ て い る 。 とれは、 主として当時の
以上の点で当然のことといえよう。
ドイツ学説の影響の下に構成されたわが民法学に対し、 反 省 を 求 め る も の で あ る 。 最 近 に お け る ド イ ツ 民 法 学 の 発 達
再びドイツ民法に対する関心が高まりつつあるのは
は、わが国における民法学の再構成のための有力な武器を提供するのであろう。
わが国において
大家が空白を埋めはじめ、中堅は長期間留学し、またドイツ民法の研究を以て学界ヒスタートする新進が増加した。
ζの 視 点 が 欠 け る か ぎ り 、 比 較 法 学 は 不 毛 性 を 免 れ る こ と が で き な
個々的には、戦前を上廻る業績が出現している。しかし、 そこにはなお欠けているものがあると思われる。 それは、
現在のドイツ民法学に対する全体的評価である。
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すなわち、本稿はドイツ民法の各部門につき、
いであろう。ところで、 ド イ ツ 民 法 学 の 全 体 的 評 価 と い う 乙 と は 、 個 人 の 能 力 を 超 え る 問 題 で あ り 、 本 稿 の 果 し う る
乙とではない。本稿の目的は、そのための基礎を提供することである
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それらの多くは、すでにわが国でも紹介されている
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しかし、未紹介のもの
如何なる学者により、如何なる問題が論ぜられているかを明らかにすることを中心としている。それに附随して、代
表的私法学者の略援を掲げるであろう
本稿が、その気運の助長に役立てば幸いであ
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も含めて、個々の問題を組織的に開拓して行くことにより、全体的評価が可能となろう。最近、我妻教授により、ド
イツ法研究グループの成立が要望されている(ヅェりスト二 O四号一七頁
る。なお、本稿と同一の目的を有するものに、鈴木禄弥教授の労作がある(﹁戦後西ドイツ私法学界の展望﹂季刊法律学ご 0
・一一一一号)。本稿は、 乙れに負うところ大であるが、 それを補う意図を有するものである。
本稿の具体的内容としては、民法を、民法全体・総則・僚権・物権・親族・相続に分け、各部門ごとにまず代表的
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その略歴と
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状を伝える。 最後に、附録の形で、
業績を紹介する。 本 文 の 学 者 に 許 号 を 付 け
つぎに個々の問題について、モノグラフィを中心として学界の現
代 表 的 私 法 学 者 をABC順に並べ
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民法全体に関するもの
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一流の私法学者のものであるだけに期待される。同種のもので
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民法の基礎理論に関する大著としては、ロSFgoFC
中心とした入門書であり
な筆を振っている。本書は
一九三二年にでた同名の入門書の再版であり、全体の構成は変ら
ないが、 内 容 は 一 変 し
ている。全体を、総論に続き、家族生活と経済生活とに分け、
BGBの 編 別 を 追 わ ず 、 独 特 の 構 成 を し て い る 。 内 容
も、終始、概念法学と闘ってきた著者にふさわしく
一読に値する Q た だ 、 家 族 法 の 部 分 が 、 民 法 改 正 に よ り 古 く な
ったのが惜しく、新版が期待される。
べ1 マ1は木書に絶大な自信を有しており(もっとも、他
の学者もそうであ
るが)、﹁ドイツ民法を勉強するなら、まず本書を読め﹂と私に
言ったことを附言する。その他、入門書としては(筆者
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現在、 ド イ ツ で は 、 民 法 全 体 の 請 義 の は じ め に ﹁ 民 法 人 門 ﹂ と 題 す
る講義を行なう所が多い。しか
し、そのための教科書は少なく、しかも推薦に値するのは、回B
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戦後わが国でも大きくクローズアップされ、 直ちに紹介がなされた(第一巻は経済法との関係で、金沢・法協七 O巻
号で、第二巻上は、矢崎﹁自然法論と法実証主義﹂時報二五巻一一号において)。本書はさらに第三巻と第四巻が予定されている
が 、 な お 刊 行 さ れ て い な い 。 著 者 が 高 齢 で あ る だ け に 、 気 の も め る こ と で あ る 。 も っ と も 、 前 掲 の 由 民S F E
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の代用をなすし、 ま た 、 間 も な く 八 十 歳 を 迎 え る 著 者 に 、 過 度 の 期 待 を す べ き で は な か ろ う 。 さ て 本 書 は 民 法 の 基 礎
に 関 す る 重 要 な 問 題 点 を 扱 っ て い る 。 他 の 学 者 の 業 績 を も 参 照 し な が ら 、 それを示そう。
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第 一 巻 は 全 法 律 秩 序 に お け る 民 法 の 地 位 を 論ずる。 いま、 西 ド イ ツ で は 、 私 法 学 は 重 要 な 危 機 に 遭 遇 し て い る 。 私
法学は法学中の王座としての地位を失いつつある。ナチスは乙の傾向に拍車をかけた。 いままた、東ドイツの中まで
迫ってきた社会主義化と闘わなければならない。私法学者の最大の関心は、私法の変容とその独自性の認識にある。
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この問題を綜合的に論じた、 基本的なモノグラブィであり、
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西ドイツ民法学の現況
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この方面のすぐれた著作が多
同 様 の 内 容 の も の と し て 問 。RV巳
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本来次項で論ずべきであるが、 私 法 の 思 想 史 と し て 最 高 の 詳 価 を 受 け て い る も の で あ り
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学 者 ラ Iパ シ ト に お け る 概 念 法 学 の 成 立 を 中 心 と し た 研 究 で あ る 。 こ の よ う な ド イ ツ 民 法 の 学 説 史 的 な 研 究 は 、 当 然
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いが、本書は、概説書として代表的なものである。 そ の 他
ぺI マl の 第 二 巻 上 は 、 民 法 の 理 論 史 ・ 学 説 史 を と り あ っ か う 。 現 在 の ド イ ツ で は 、
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5g も同じ内容の論文集である。
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より全貌が伝えられているので(季刊法律学一一一一号五九頁以下、および﹁ドイツ近代私法史学り発達
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今日までにすでに六冊刊行され
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ている。その内容を略述すると、
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田
仲Er吉田一洋平
著 者 に よ る 中 世 以 来 の 財 団 法 の 学 説 史 的 研 究 で あ り 、 国qgmロ
州
庁内
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mロ RZ2vg江9 5 E は 現 在 キ ー ル の 教 授 で あ る 著 者 の フ ラ イ ブ ル グ で の Emwzza芯ロ由民ぴ色丹(教授資格
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州
同
nvsaN包括P 句
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目N
色。昆ロロロm ロロ仏句ユJ
論文)で、中世における損害賠償理論の研究であり、 ω
S可RFFEUU は 近 世 私
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法 に 対 す る 警 察 法 規 の 役 割 を 詳 細K研 究 し た 六 百 頁 に 近 い そ ノ グ ラ フ ィ で あ り 、 当2
2RCORF-hvg門田命的岡山H
百。225wvg伊丹含吋河RmzzpHC印吋はロ I マ 法 の 継 受 よ り 、 十 八 世 紀 に か け て の オ l ス ト リ ヤ 各 地 の 相 続 法 の 実 証
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ロI マ 法 継 受 と ヲ l ス ス ・ モ デ ル ヌ ス の 時 代 に 如 何 な る 運 命 を 辿 っ た か を 、 当 時 の
。N8位。ロロロ色白g 田富。。。円ロロ白色巾円釦門広三品目白﹀DZEBLS∞ は 現 在 の 不 法 行 為 法 の 前
的な研究であり、間宮崎BSF問
身である m
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8 が、
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判例を中心として研究したものであり、口付回目052目
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ヲスの約束理論の中に、近代的契約法の基礎理論の成立を探求するものである。 これらの研究は一般に若い学者の手
人2
戦 後 新 し く ∞RW 社 よ り 出 版 さ れ た
民法全体を蔽う教科書としては、戦前より権威のあった開口52R5a
呂志 君
i 。毘のものが、
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9
北法 1
1(
1・
7
9
)7
になるものであり、彼等の研究関心の所在を明らかにしているとともに、 こ の 方 面 で の ド イ ツ 私 法 学 の 発 達 を 約 束 す
るものである。
教科書・註釈書
それぞれ改訂版を出していぜん指導的地位を占めているほか
守
主j
H
V
O関口吋Nhoy円ぴ片付宮門と題する叢書がある。後者の中に民法は全部揃っており、執筆者に人を得るとともに、
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田
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親族法を除き、
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説
誌
、
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一冊にまとめているものとしては、吋向込山口己?一回OPE-KFZ Mmwoou
・
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さらに大ゴシメシタールのうち、現在新版
民法関係の論文の掲載されている雑誌で、本文中に略語で引用したものについて、
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本文一 O九頁参照。
る 。 発 刊 は 年 六 因 。 書 評 欄 も 充 実 し て お り 、 本 稿 全 体 は こ れ に 負 う と こ ろ 大 で あ る 。 な お 、 現 在 の 編 集 者 は イ 1ゼ バ
司自信河 NH開
仲田
nZE3Z52Eロ聞と FEmnyo
判例と実務的論文を中心とした雑誌であるが、 最近は理論的論文も多い。 戦 前 の り
VOCE 明白目白砂町出同尚一昨4mgロロロ色町抽出叫んgEnvgmRZ・ 家族法に関する専門誌。
EE である。
同
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号同O
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同
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自
り
北法 1
1(
1・8
0
)
定価が比較的安価のため、利用率は高い。しかし、 以 上 の 教 科 書 も 内 容 的 に は そ れ ぞ れ 独 立 し て い る の で 、 各 部 門 で
取扱う乙とにする。
ヨシメシタールはあいかわらず賑やかである
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・﹀口出・)・問。河合同・﹀口出)
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WN-E白・居留の両者が便利であり、
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巻の出た後に急死したので、今後の難行が予想される。
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一八二O 年 に 創 刊 さ れ た 古 い 雑 誌 。 当 初 は 実 務 家 向 き で あ っ た が 、 現 在
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戸
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同
可
は民法.商法.民訴に関する本格的な論文を掲載している。戦後、 四 九 年 よ り 復 刊 し 、 六0 年 度 は 一 五 九 巻 自 に あ た
一言する。
よって書かれた民法二四ニ奉︿信義則)が代表的である。しかし、 乙 の ゴ シ メ シ タ ー ル は 、 編 集 者 の ジ I ベルトが第一
ゴIイシグの手になる総則編、ぺ 1 マlとレ l マ シ が 協 力 し て い る 相 続 編 が こ れ に あ た り 、 後 者 で は 、 ジ 1 ベルトに
ち
、
が刊行中のものとしては、
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論
西ドイツ民法学の現況
河
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N巳仲良官即時同が合併して、
gNaEロぬとなったものである。発刊は月二回。
五一年度より吉江田同
Z]司司uzocoM口氏凹忠良F04﹃R E g n E P 判例速報を主たる目的とする雑誌。 理論的論文は之しい。 戦前の E号
vognv吋日常の後身である。文字通り週刊。
寄 与 。 君 。n
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ンク)外国私法および国際私法研究所の機関誌として、一九二六年にラ 1 ペ ル に よ っ て 創 刊 さ れ た 。 世 界 有 数 の 比 較
総
パMUV
H只
民法総則編はドイツ民法典の誇りでもあったが
法
比較法的に追随者が乏しかったのみならず(最
法雑誌である。戦後は、一五巻目にあたる四九年より復刊された。編集者は現研究所長のデレ(己主め)。四季刊である。
教科書
民
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ナチス時代にはその解体が遂行された
との部門では教科書としては次の三種しかなく
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戦後、講義課目として民法総則の復活
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しかもその二つは戦前のもの(初版は第一次大戦前
を見たけれども、新しい事態の下で民法総則の講義をし、教科書を書くことはドイツの学者にとっても至難の業であ
そのためか
にさかのぼる)の再版である。
川町。。
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近のフランス民法改正事業でも総則編は採用されなかった。 pvawmonE22四-Eロ
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論
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このうち、 エシネタツエルスl 一ツパ 1 ダイのものは
すでに戦前に
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戦前から代表的教科書とされていたもので
ニツパ 1ダイの版がでていた。戦後の第十四版では徹底的に書き改ためられ、 上下二巻となった。
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内 の 初 版 も 速 く 一 九O 九 年 に さ か の ぼ る
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同一人によって同一教科書が五十年間にわたって書き直されよ乙
語ることはできない。ただこのために分量が増大し、最近の第十五版は上下で千七百頁となり、もはや通読が不可能
となった
v
-
一般に新学説には好意を示していない(とくに伝統的法律行為理論を固執し、一事
とは、 われわれにとり驚異である。 そ の 構 成 は 、 当 初 よ り 必 ず し も 民 法 典 の 順 序 に 従 わ ず 、 教 育 的 配 慮 が 払 わ れ て い
た。しかし内容は今回では保守的であり
実的契約関係理論に反対している点が典型的、後述)。ともあれ、 レI マ シ は ド イ ツ 民 法 学 界 の 最 長 老 で あ り 、 本 書 は 分 量 も
ハ
回
一v
適当なので、教科書として最も利用されているようである。
-フシグのものは、戦後ペツク社の叢警の一冊として書かれたものである。-フシグはナチス時代から大いに活躍し、
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1・
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~t 法 11
歩的傾向を有する指導的私法学者であり、本来概念法学的であった本書は、伎によって新しい方法と問題をもったも
のに生れ変った。その中には、彼自身による新説、 たとえば基本権の第三者に対する効カ(拙稿﹁ポン基本法と契約の自
FOR- 刑法上の目的行為論を民法の
由﹂北法一 O巻松岡教授送取記念特輯号所収参照)、意思表示理論におけるの巴Eロ
m∞
、
由
違法行為理論へ導入する試み(不法行為の所で後述)などがあって、学界に大きな波紋を投じたほか、他の学者の新説を
ジ l ベルトの失効の理論(成富﹁権利の自壌による失効の原則﹂昭和一二一一年)
いち早く採用している点で注目される。後者の例としては、ラ l レシツの行為基礎論(拙稿﹁私法の一般理論としての行為
O
)
.
}
=二頁参照)や、
基礎論﹂私法一八号一ニ三↑ヒ一 (
の
用が乙れにあたる。要するに本書は私法全体の総論に値する唯一の書物であり、本書を抜きにしてドイツ民法総論を
採
一一→一市一一--ーヮァ 一一一
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西ドイツ民法学の現況
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ω片山口島M
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のゴシメシタールが量的にも質的にもすぐれており、
とくに相続法改正委員会の中心人物であったが、本書にその面影はうかがわれない。本書は全体としてやや簡単すぎ
て、特色が少ないように思われる。
なおとの部門では、前述したように、
するととができない。
個別的研究
この間題が
νリアス
w円急巳-nVW2己、﹁人格
民法総一則上の問題としてまず注目されるのは、﹁人司28ロ﹂、﹁人格p
乙れは現在ドイツ私法学の最大の問題である。
人・人格・人格稼
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に日関する事柄である。
(崎一︾
Q
以上のことは、法的には﹁人﹂や﹁人格﹂の概
この点のBGBの規定は不備である。 ここに乙の問題
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が、解釈上も大いに論ぜられる必然性がある。
ズアップされる。とれは現在世界共通の問題である。しかも
念についての再評価となって現われる。とくに人格が侵害された場合の保護について、人格権の問題が大きくクロ I
ればならない。ボシ基本法一条、二条はこれを表現するものである
法の再生は、同時に人間性の復活であった。 しかも今や東ドイツにおける人間性の否定(と彼等は考える)と闘わなけ
に論ぜれらるのは、以下の理由によるものであろう。ドイツではナチス時代に人格が完全に無視された。戦後の自然
権問 ν
再
開
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い結論が出ているわけではない・が、基本的なものとして注目される。後者で述べられているように、私法上の人の概
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北法 1
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あ る 。 な お 、 前 掲 ゴ 1イシグの論文にも、
北法 1
1(
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念は権利能力の主体として意味をもつが、。。ロ
5 む宮内SEES 巴・﹄島岳ロロ内同ゆえ印
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であり、 そ れ に は カ シ ト 哲 学 の 影 響 が 見 ら れ る こ と を 立 証 し た 論
文で
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すべきモノグラブイがある。これは医師ナワヨ!クス
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多くの私法学者の賛成をえた
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パーダイをはじめ
される。とくに、近代的技術、マスコミの発達は、個人
人格権概念
日
N
N は一般的人格権概念に反対。エツサーも同旨)。判例もこの道に従い、著々
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を拡張した。こうした中に、人格権保護の必要はますます痛感
ロ
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と私法学者ヴオルフとの共著で、人の権利能力の始期および
終 期 に つ い て 、 ま ず ナ ク ヨ lク ス が 、 医 師 の 立 場 か ら 現
行法の難点を指摘し、ヴオルフが法律家としてそれに答えたも
のである。しかし、 ヴオルフも自然法の立場から現行
法に対し批判的であり、 と く に 胎 児 に 対 し 一 般 的 に 権 利 能 力
を認めるべき乙とを主張している。
つぎに、人格権の問題に移ろう。 こ こ に 現 在 ド イ ツ 私 法 学
の最大の焦点がある。出発点は、人格権を一般的には承
認 せ ず 、 し か も 不 法 行 為 の 要 件 を 制 限 し て い るBGBにある。
ζれ が 現 在 の 法 生 活 に 適 合 し な い の で あ る 。 こ の た め
、
まず学説上、一般的人格権が現行法上(とくに基本法一条一一条
の下で)承認されると主張された Q エ ル ラ シ グ シ の 新 鋭 教
民白内凶同出品o
ao吋同一命nvzEEmwox母聞記。ロ印nyopH担 切 と い う 注 目
概念の歴史的叙述が見られる。さらに権利概念についての比較
法 的 研 究 も 有 益 で あ り 、 。 。EmJT58ロ
hsロEgwO
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内
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a2pw吋由。ロロ円vwmF一戸田市町は一九五八年のドイツ比較法学会におけるドイツ、
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アシの法学者の報告を集めたものである。さらに、権利能力につ
いては、君。民ロ・ 2
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説
論
西ドイツー民法学の現況
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の名誉や経済的評判を侵す可能性を増大させ、さらにプライパジ I の侵害が現実的となった。﹁二十世紀中葉における
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ド イ ツ 私 法 学 ﹂ と 題 し た レ 1 マ シ 八 十 歳 記 念 論 集 中 の 民gwpvgg告げ待。ロロ己 ga25JunFEw- 明
G555ロ宮町)は、
そのテ I マ の 一 つ と し て ﹁ 現 行 法 の 諸 規 定 は 、 と く
58 はドイツにおける。フライパ V I権 に つ い て の 最 初 の ま と ま っ た 論 文 で あ る 。 か く し て 、 一 九
国Twvg釦
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五七年秋ジユツセルドルブで聞かれた法嘗大会
あらかじめプスマ y
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己 5ES の 詳 細 な 意 見 書 を 発 表 し た
EpnrgLRJ12Eロbc口市川めロ LOmb 22nrg
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) から守るために充分であるか?﹂という問題を
に近代的報道手段の発展と関連して、私生活を秘密暴露 (
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解釈上も人格権保護は充分であるが、立法はより望ましいとするもの)が発表された。
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さて法曹大会では
BGBで は 精 神 的 損 害 を 一 般 的 に 認 め な い 点 に あ っ た が 、 五 八 年 の 判 例 は ニ ツ パ 1
咽
な お 学 説 の 多 く は 立 法 の 必 要 性 を と い て い る (とくに、刃包己戸円LCUR ∞可。ユロ日
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ダ イ に 従 い 、 人 格 権 の 侵 害 の 場 合 に も 慰 籍 料 を 認 め た ち0
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EmwHSH はスタンダードな業績である)。かくして、い
MNguEg。しかし、
ツ説が勝利を得た理由の一つは、
分であるので、 立 法 の 必 要 性 な し と し た が 、
1 レシツは反対に立法の必要性を強調した。結局、ラ I レシツの見解
フ
が 大 勢 を 占 め 、 局 面 は 民 法 改 正 へ と 展 開 す る ( ︿2zz-5mg 去切除・ 025rS7255
£F E 戸口同開)。ラ I レシ
ツパ l ダイと-フ l レ シ ツ が 報 告 を し 、 討 論 が 行 な わ れ た 。 ニッパ I ダ イ は 現 行 法 の 解 釈 に よ っ て 、 私 生 活 の 保 護 は 充
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選
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ま民法改正案が国会で審議されている段階である。法案の内容は、民法一二条(民名権)を改正して一般的人格権を規
定し
を認めたものである(同sgruRHWロミロ民 Eロ冊目。22N28 円ZECEロロロ四品開由自丘町出口E
H口
EロF23zhFZTEL 巴肖8・
Q
NEw 印民)。このような民法改正に対し、政策的な反対がないわけではない。人格権の保護の強化は必然的に
γE59﹄
口
田
言 論 の 自 由 の 制 限 を 意 味 す る 。 し た が っ て 、 報 道 関 係 者 か ら の 反 対 が 予 想 さ れ る わ け で あ る との問題を扱うものと
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立法のためには比較法も必要である。 前述の五八年の比較法学会の報告もその一つであるが、
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はこれを果している。 以 上 が 人 格 権 に つ い て の 大
この機会に人格権の庭史的研究も有意義である。 ωF
1yzmwNZ叶のgnvwzm
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はなはだ不当な編集である)。
かつてドイツ法学のお家芸であり、法学者を、法人について何か書いたことのある人と、 ない人とに
ω司片付・同ゅの宮田町耳目ロロ仏
問
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opHugが注目すべきモノ。クラブィである。 これは、アメりカで激しく議論され、わが商
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二 分 で き る と さ れ た ほ ど の 法 人 理 論 は 、 今 日 で は 、 昔 日 ほ ど 論 ぜ ら れ て い な い 。 その中で、
(
2
)
ー権の特集をしたときに、大、陸法が完全に無視された
さしあたりわれわれも詳細な研究を発表する子定であることを一言する(なお、 最近、 法 律 時 報 二 二 巻 五 月 号 で プ ラ イ バ シ
様である。 こ う し た 問 題 は わ が 国 で も 切 実 な も の で あ る 。 今 後 、 多 く の 学 者 の 協 力 に よ り 開 拓 さ る べ き 領 域 で あ り 、
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詳細な研究が公刊されている。 また
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-ブシク比較私法研究所より、 N5222Egm己
ENg- 巴g という
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と
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況
現
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学
法
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法学者によっても取りあげられている(とくに大隅﹁会社の法形態の濫用﹂民商三五巻六号は本書を引用した研究)法人格否認
の法理に関するドイツ判例を中心とした比較法的研究であるが、従来の法人理論に反省を求めるものでもある(なお、
(NRFEogSEmoE55
κ考 察 す べ き で あ る と い う 見 解 が
ゼlリックは比較私法研究所の出身で、現ハイデルベルクの教授)。もっとも、現在のドイツでは、法人を劃一的に理論構成す
v(
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宮巳H
O
H
'
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0F) の 本 書 に 対 す る 詳 細 な 批 判
べきではなく、 そ れ ぞ れ の 法 人 の 種 類 に よ り 、 ま た そ れ ぞ れ の 関 係 に お い て 具 体 的
有力であり、ミユラ!フライエシフエル成
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) が乙れを代表する。 こ の 見 解 の 方 が よ り 注 目 に 値 す
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r四丘、宮ニロユ注目nrgMV285ロ吉岡νzg可R Z・﹀ロ匂広少印N
乙れは一ドイツ民法総則の中心的地位を占めるものであり、 そ の 中 核 を 形 成 す る 意 思 表 示 理 論 は 、
る。それは、最近におけるわが園の動向とも一致するものであるが、 ドイツの方がなお一歩進んでいるのではなかろ
うか。
法律行為
九世紀普通法学の結実であるとともに、当時の社会の反映でもあった。したがって、現在における社会構造の変革は、
乙の部門に最大の打撃を与えずにはおかない。行為基礎論と事実的契約関係論の始頭はまさにその現われである。し
こ の 二 つ の 問 題 は 債 権 法 で と り あ げ る こ と に し て 、 こ こ で は 総 則 プ ロ パ l の問題にかぎることにする。
(N552ロ)以来のドイツの通説である、 性 質 の 錯 誤 は 動 機 の 錯 誤 で あ る と い う 説 に 対 し 、 性 質 の
EFE色 が 現 わ れ た 。 本 書
す で に 論 じ っ く さ れ た か に 思 わ れ た 錯 誤 論 に つ い て 盟 ロBP思想ロ∞与え仲田町ユCBロロ己関
デーテルマシ
履行義務論に対しても
そ の 後 の 学 説 に 大 き な 影 響 を 与 え て い る (とくに、
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ω
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H含 岡山日目立RVMW仲
間
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ロ
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錯誤といえども表示の錯誤となりうる乙とを、新たな角度から証明したものであり、錯誤論をこえて、意思表示理論
一服、 さ ら に は
濁一凹nEr5gEdEF区
Fmvggロト・ω
司開閉仲間島同片岡ユ母国間
一
一
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法演習工一四六│一五一頁に要領のよい概観がある
松坂﹁錯誤と詐欺﹂民
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pz・巴巾︿ゆえ52ロmσaB 河内nygmmmngp呂 田 が 注 目 す べ き 業 績 で あ る 。
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授 権 行 為 と 代 理 行 為 の 峻 別 と い う こ と がB G Bの 下 に お け る 通 説 的 ド グ マ で あ っ た が 、
代理については、富一巳
野においては
授権行為と代理行為の統一的考察によって実り多き結果がもたらされると主張した(たとえば代理権の非撤回性に
ライエシブエ人巧は、具体的状況における利益の比較考量と比較法的方法を駆使することによって、 このドグマに挑
戦
人行為説について﹂阪大法学ご六、一一八号が代表的。今後の発展を期待したい)。
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債 権 法 こ そ 現 代 民 法 学 の 中 心 領 域 で あ り 、 学 者 の 腕 の 見 せ ど こ ろ で あ る 。 そのせいか、
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はすぐれた教科書が多く出ている。以下、現行のものをかかげる。
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この部門で
とりあげられている(とくに遠回﹁任意代理効果基礎理論﹂広島大政経論叢八巻二一号未完、浜上﹁代理理論における本人行為説と代理
ついて)。この主張はドイツの通説を動かしつつあるのみならず、 わ が 国 に お い て も 、 遠 回 ・ 浜 上 両 氏 に よ っ て 詳 細 に
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北法 1
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西ドイツ民法学の現況
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それぞれ特色があるが、
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これらは
シネクツエルス uいI マ 汁 の も の は 、 戦 前 か ら 標 準 的 教 科 書 と し て の 評 価 を 受 け て い た が 、 戦 後 は レ ! マ シ に よ っ て 、
つ ね に 新 し い 素 材 が つ け 加 え ら れ て い る 。 し か し 、 全 体 の 体 系 は 原 形 を と ど め て お り 、 ここに本書の限界がある。-フ
vと のEDaユめの中聞を行く真の門ぬ宵σロ
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Fを 提 供 し よ う と す る 目 的 で 新 た に 書 か れ た 。
ーレシツのものは、同州富島ぴロn
明快な体系と文章の故に、急激に支持を得ており、最近はわが国でも最もよく利用されている。 エツサーのものは最
も特色がある。最近ようやく第二版がでだが、全体として千頁を超える大著となり、分量においてもエシネクツエル
スuレI マシと匹敵する。 本 著 は 、 従 来 の ド イ ツ の 教 科 書 の 伝 統 を 破 り 、 体 系 を 追 わ ず 、 問 題 中 心 主 義 を と り 、
を 重 視 し て い る 。 わ れ わ れ に と り 当 然 の こ と で あ る が 、 ドイツの教科書は本書第二版において、 は じ め て 判 例 索 引 を
Q
エッサーは将来のドイツ債権法を示す
わが国でも試みては如何百 内容的にも新しい問題が詳細に論ぜら、れて
もつに至った。また各節の最初に簡単なケ I スをあげ、読者に具体的な問題意識をもって本文を読ませるようにして
γ
レI マ シ は 過 去 の 、 ラ ! レ シ ヅ は 現 在 の
ある (乙の方法は他の学者 によっても採用されている
いる。以上の三著を一言でいえば
Q
本書は債権総論だけであるが
エッサ!と同一の
一ブ!ベル(開門口洋列島色)の弟子
も の で は な か ろ う か 。 そ の 意 味 で 、 今 後 は エ ッ サ I の一新版を抜きにして、 ド イ ツ 債 権 法 を 語 る こ と は で き な い で あ ろ
﹀
ぅ。ただ、あいかわらず本書もはなはだ難解である。
ハ8
その他のものでは、プロマイヤーが注目に値する
で、比較法学者として著名である著者による斬新な体系と、判例中心の実際的方法を釘する点で、
北法 1
1(
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なお、本書に対するエ
サ!の批評中に教科書論が書かれであって面白い
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へIデ マ シ の も の は 古 く か ら あ る 教 科 書 だ
戦後書き直されたが、 さ ら に 新 版 が ほ し い と こ ろ で あ る 。
Q
する人に一読をおすすめしたい可否P ト l ル の も の は 、 ペ ツ ク 社 の 叢 書 の 一 冊 と し て 戦 後 書 か れ た 。 と の 労 働 法 の 大 家 の
Q
手になる教科書は、われわれにとっては簡単すぎて、あまり特色がない
が、もともと概念法学的でなく興味深かった
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最近
債権法の分野には、その全体に通ずる注目すべき比較法的研究がなされているので、ここでそれを
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w の ロ仏ユ岱仏2 昨
戦 前 の 教 科 書 で 、 現 在 で も そ の ま ま 利 用 さ れ て い る の は 、 出R
ってよい。いうま一でもなく、利益法学の建設者の手になる本書は、方法論的に同釘の価値を有すろからである
比較法
(五八年)本書が復刊されたζとは、本書の卓越性と現在における利益法学の影響力を如実に物語るものである。
同
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判例を重視し、
とくに
畷庇担保論は本書により新
第二巻は買主の義務、殻庇担保、危険負担を論じている。 その方法はたんなる条文
乙のため英米法系との比較に成功している。
ωなお、現在のドイツにおいて、間取庇担保論についてラ│
山
口
Ngu 企があるが、ラJベルの影響はない)。本書および本書が基礎となっている国際動産売買統一草案は、われわれの今
ベルと同一方向を示すものとしでは、フル lメの前掲書のほか、隣国凶ロ
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たな方向を示された(拙稿﹁毅庇担保と比較法﹂民商四一巻三号六号参照
の比較ではなく、
売主の義務をあつかっていたが
法と題されているが、債権法の重要な問題はすべて比較法的に取りあつかわれている。第一巻は債務不履行論一般と
に復刊)。しかし、ラ I ペ ル が ナ チ ス に 追 わ れ た た め 、 続 巻 は 中 断 し 、 第 一 巻 も 禁 書 の う き め を 見 た 。 本 書 は 商 品 売 買
ってやっていた動産売買法の統一のために書かれたものであり、第一巻はすでに一九三六年に出版されていた(五七年
nzag者間吋gwmcFN 四円円呂田である。本書は、もともとラ 1 ベルが中心にな
と り あ げ る 。 第 一 が 、 同 与 mwf口忠岡o
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北法 1
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実際的. 理論的にきわめて重要な文献である(本書第一巻による研究としては、高木﹁他人の
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英 米 契 約 法 の 比 較 法 的 研 究 と し て 、 wonwmF c
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第二に、
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まないと何の本だか分らないものがある。 ベツカーはもともと英米法の専門家であるが、
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N 以来の本格的研究書一である。 し か も 、 著 者 の 目 的 は 英 米 契 約 法 の
中 心 と し て 、 英 米 契 約 法 の 本質を探ろうとするもので、
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比 較 研 究 に よ っ て 、 債 権 法 一 般 の 再 構 成 を め ざ し て い る 点 で 、 とこに取りあげる価値がある。 し か し 、 文 章 は 晦 渋 を
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(FZFNgguaH)、 近 よ り が た い
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きわめ、内容も思弁的なところが多く、 日ブイシν ュタイシをして、 二 度 精 読 し て も な お 理 解 し が た い と 嘆 ぜ し め た ほ
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これが事実的契約関係説
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従来、契約による債務関係の成立が支配していた領域において、今日その妥当性が疑われ、
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話岳町FEES で あ り 、 総 則 ・ 債 権 法 を 通 じ て 最 大 の 問 題 の 一 つ で あ る 。 事 実 的 契 約 関 係 は 多 く の 場 合 に 認 め ら
担問ω
E宮)は、社会的接触によるもの(たとえば、契約締結
ζ の理論を最初に提起したハヲプト(の日三常国
開
2522E55PH12zny正ZTω ZHWH甲台)。
ハヲプトの主張の中には
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上の過失)、事実的共同関係によるもの(無効な組合・雇傭契約)、社会的給付義務によるもの(交通・電気・ガスの供給等)
れるとされるが、
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事実による債務関係の発生を認めるべきであるという主張が有力になっている
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北法 1
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さ ら に 、 巴BEP 巴
と く K、第三の類型は、一フ 1 レシツによって、 社 会 類 型 的 行 為 に よ る 債 務 関 係 と し て 発 展 せ し
ス的色彩もあるけれども、現在にお.げる契約現象の変遷に対応するものをもっている枚に、戦後多くの学者によって
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(CBロNWHhrznrwFt)‘ 連 邦 裁 判 所 の 判 例 と も な っ た
論ぜられるに至った
められ
J号
刊
門gm4
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と い う 六 百 頁 を と え る 大 モ ノ グ ラ フ イ が 出 現 し 、 注 目 を 浴 び た 。 著 者 は 若 い ギ リνヤ人である。彼は、 こ の 著 書 の 中
L上智法学創刊号コ一一一一頁
ハクプトの第二・第三類型の綜合的把握をめざした。このよ-つな法社会学的アプローチが、
で、法律制度を形式と内容にわけ、後者はその社会的機能の変還によって変遷し、 そ れ に よ っ て 法 律 制 度 を 改 廃 す る
という根本理論に立って、
わが国において追随者を見出すのは容易である(とくに、 神田﹁公益事業における法律関係の一一考察
本書は指導的学者により袋叩きにあった
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(切乙一220L 同w ﹀
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戸向日、円]{]{叶
以下。なお下井﹁いわゆる継続的法律関係の無効・取消について﹂熊本商大論集八号も、シミチスに好意的である)。だが、ドイツで
待っていた運命はきわめて厳しいものであり、
458nrF岡山タおY F 5♂FZZNgv 昌也)。 要 す る に 、 事 実 を そ の ま ま 解 釈 理 論 の 中 に 導 入 し た 点 が 問 題 な の で あ
る 。 ド イ ツ に お け る 支 配 的 見 解 は 、 事 実 が 法 解 釈 に 影 響 を 与 え る の は 当 然 で あ る が 、 な お り 。m
gm丹野の独立性は放棄
さ れ る べ き で は な い と い う 点 に あ る 。 V ミチスの著書は、 わ が 国 に お け る 法 社 会 学 の 立 場 か ら い っ て も 批 判 の 余 地 が
乙こでは日・独両私法学の聞に存する断層を指摘しておきたい。
あると思われるが、 乙 の 現 象 は わ が 国 の 法 社 会 学 の す ぐ れ た 業 績 が 、 ド イ ツ で い か な る 評 価 を 受 け る か を 子 測 さ せ る
-ものである。 そ の 是 非 は 留 保 し
さて、現在のドイツにおいて事実的契約関係説がいかなる取扱いを受けているか。それを集中的に表現するのは、
一九五七年秋の私法学会である。 乙こでは、 老レ1 1内 に よ っ て 、 か ね て の 持 論 に 従 い 、 事 実 的 契 約 関 係 は 不 要 ・ 危
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北法 1
1(
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西ドイツ民法学の現況
そ 乙 で の 問 題 は す べ て 、 従 来 の 法 律 行 為 理 論 Kよ っ て 解 決 で き る と い う 報 告 が な さ れ た (rrggp
事実的契約関係説に否定
ハ ク プ ト の 第 三 類 型 の 場 合 に も 、 従 来 の 法 律 行 為 理 論 で 充 分 で あ る と い う レ 1 マシの楽観的見
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。 こ れ を め ぐ っ て 多 く の 学 者 が 発 言 し た 。 大勢は
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験な概念であり
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的であった。しかし
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解 に 対 し て は 異 議 も 多 く 、 法 律 行 為 理 論 の 改 訂 が 必 要 で は な い か と い う 声 が 大 で あ っ た (FmFOEEZロ自乙)
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的関係とされている個々の場合に具体的な考察をなすべきであり、統一的理論の樹立は望ましくないとされている。
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たしかに便利な概念ではある
乙の傾向を代表するものは、盟ゆぴoppwwH-RVm︿ゆ吋昨日明4
0吾住吉gpEU∞であり、生存の配慮(0505222お&、組
合法、労働法のそれぞれの領域における契約法の変遷を考察している。
事実的契約関係説は、 わ が 国 に お い て も 、 す で に 多 く の 学 者 に よ り 利 用 さ れ て い る
わが国以外では、 イタリヤくらいのものである。(切開件同FCZ 円
が、慎重な配慮が望まれるとともに、本格的な学説史的検討を必要とする理論であるといわなければならない。比較
法的にみても〆事実的契約関係が論ぜられているのは
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この問題は、 オット・ギ 1 ルケの提唱したものであるが、最近では、約合や一雇傭契約における
継続的契約関係
無効・取消の遡及効の制限をめぐってとくに論、せられている。 ハ ヲ プ ト の 事 実 的 契 約 関 係 説 の 第 二 類 型 は
ζの 問 題 を 本 格 的 に 論 じ た の は 、 回
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nycmwoFkrz由。∞ロロmcロ︻同
の解決を主たる目的とするものであったし、 ナ チ ス 時 代 よ り 提 唱 さ れ た 労 働 関 係 理 論 も こ れ を 放 っ て い た ( 片 岡 ﹁ 労 働
巾同門向
島である。今や家族法の第一人者であるパイツ行は、このモノグラ
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契約と労働関係 L民商三八巻五、六号参照)。戦後、
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北法 1
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ζとが可能であるこよを論証した(下弁・
プィの中において、継続的契約関係という一般理論より無効・取消の遡及効の制限が導き出されるべきではなく、具
体的に個々の法律関係において、従来の理論を用いて同様な結果を導き出す
前掲は本書の紹介)。 こ の 主 張 は 一 般 に 承 認 さ れ 、 事 実 的 契 約 関 係 の 第 二 の 類 裂 を 不 必 要 と す る の に 貢 献 し た 。 さ ら に と
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S4mEmgLua は 、 や は り 労 働 関 係 理 論 に 去 る 取
くに労働契約の取消について、同州民H
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消の遡及効の否定に一対し痛烈な批判を加え、憲法その他の実定法を動員して、 同 様 な 結 論 を 引 き 出 す こ と が 可 能 で あ
ると論じた(すぐれた紹介として、花見・法協七四巻二号)。 これらの問題も興味深いものがあり、 事 事 的 契 約 関 係 説 と 綜 合
債務者の履行義務の中に主として規定され士一四二条)、
必ずしも
して研究されるべきである(なお、この問題を論じた花見・下井・片岡三氏の研究がそれぞれ孤立しているのは残念である)。
信 義 誠 実 の 原 則 BGBに お け る 信 義 則 は
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百頁にわたって
ほう大な判例を
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それを果したのが、 ゼルグル・ゴシメシタールにおけるジ 1 ベルトであり、
体 系 化 す る の に 成 功 し た (第ご版はこの部分たけ独立に入手できる
ζの 規 定 の 本 来 の 目 的 を 果 す も の で あ る 。 第 二 が 、 法 倫 理 的 な 行 為 の 原 則 と し て 働 い て い る も の
一であるが、 か か る 原 則 は 本 来 は 民 法 全 体 の 冒 頭 に 規 定 さ れ る べ き で あ る 。 第 三 が 、 法 倫 理 的 立 場 か ら 制 定 法 に 反 し て
ためのものであり、
ーは、乙の小冊子において、二四二条に関する判例を機能的に三種に分ける。第一が、制定法の秩序計画の具体化の
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論 的 な 分 析 を し た の は 、 者 ぽmnwmpNREnFSFgBERYE-M5NEAWEロ肉色町印叩忠 N切の切・巴忠である。 グ イ ア ッ カ
整理し
ある。
いまやほう大な判例群をもつにいたった。 このような事情において、学者の任務は、判例を山管理し、指針を与えるに
中心的地位を与えられなかったが、 その後、 裁 判 官 に よ る 法 形 成 が す す む に つ れ 、 本 規 定 は 最 も 主 要 な 武 器 と な り 、
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北法 1
1(
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新しい法を創造する場合であるが
これはあくまでも例外であるとする。わが国においても、 このヴイアツカ I の指
いまや独立の法制度と
一 O号は、 同様な万法論を駆使したみごと
摘 ば 重 要 で あ る (なお、鈴木藤弥﹁財産法における権利濫用理論の機能﹂法律時報三一 O巻
な説みである)。
解釈技術上は信義則の一適用であるが
ζれ は 事 情 変 更 の 原 則 の ド イ ツ 版 と い う べ き も の で あ り 、 戦 後 の 新
吉mEEZ。
)
行 為 基 礎 論 ( 巧ωmEZOHPRE
して論ぜられるべきものに、行為基礎論がある。
理 論 中 も っ と も 興 味 あ る も の で あ る が . 私自身学会で報告をし(﹁私法の一般理論としての行為基礎論﹂私法一八号)、
伯仲
四
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I レシツの功績である (
OロP02nr山片付 ω間同ロロ色白問。己ロ仏
ZE55 の 場 合 と し 、 乙 れ を さ ら に 等 価 関 係 の 破 壊 の 場
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nYRHgMWE出品開吋g p開。EmH︿伺円山口伝Eロ
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法的にみてきわめてすぐれたものであり
規 制 す る と と は 望 ま し い か ? ﹂ と い う テ 1 マで論議が闘わされた。
主3
0 さらに、五三年の第四G 回 ド イ ツ 法 曹 大 会 で は 、 ﹁ 経 済 生 活 の 基 礎 的 な 変 更 が 契 約 に 及 ほ す 影 響 を 立 法 に よ っ て
N
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はげしい賛否両論をまきおこした。 五二年秋の私法学会では、-フ 1 レシツの報告をめぐって論議がなされた(﹀白 5
合と契約目的の不到達の場合とに分け、それぞれ要件と効果を確立した。 乙の理論は学界で一両く評価されるとともに、
}SEER-︼口町田山
題として錯誤論でとりあっかい、後者をの
ラ 1 レシツは、行為基礎を主観的と客観的に分け、前者を共通錯誤の問
E自 に よ っ て 創 始 さ れ た も の で あ る がそ、
の今日
フあ る は
¥詳細な研究を発表する予定なので、ここではかんたんにとどめる。行為基礎論は、。ゅ35山口戸口一ゅのgny
以内宮内吋ロロ色印刷州P
く
ち-HVHF-H880 会 議 広 お い て 弁 護 士 ジ Iフエキシグ(回
2Eロ間)は、 事 情 変 更 に 対 し て あ ら か じ め 規 定 を 設 け る こ と
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西 ド イ ツ 民法学の現況
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は 不 可 能 で あ り 、 ま た 望 ま し く な い 。 む し ろ 事 後 に 特 別 法 を 判 定 し て 対 処 す べ き で あ る と い う 報 告 を し た 。 ζれ に 対
し、ラ 1 レ シ ツ は 行 為 基 礎 論 に も と づ く 一 般 条 項 の 制 定 の 必 要 性 を 強 調 す る 報 告 を し た 。 討 論 は 必 ず し も 活 滋 で は な
その後も、行為基礎論をめぐっ
かったようであるが、大勢はラ1 レシツの行為基礎論を理論としては承認するとともに、一般条項の制定は信用経済の
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回 復 を 阻 害 す る と い う 理 由 で し り ぞ け た 2RrgLzag仏
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て論争は続けられ
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ν ュミット HHノ シ プ ラ ー に よ っ て 発 展 せ し め ら れ た
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白・白・。・
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エツサ 1等 、 比 較 法 学 者 の 側 か ら 批 判 さ れ つ づ け て い る 。 彼 等 は 、 問 題 を も っ と 実 質 的 に 危 険 の 分 配
HVBZm白色旬。2岳山内同国間同ロロ門出m
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r正門広岡 Z30HLaU58・紹介、玉田・法律論叢三 O巻三号七九頁)。しかし、ブロマイヤ
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町立。ロロロ四) と い う 観 点 か ら 解 決 す べ き で あ る と 主 張 し て い る
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乙の分野では、戦後多くの問題が論ぜられている。しかし、植林助教授による精力的な研究成
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それがわが国にも影響を与えていた(山田・来栖﹁損害賠償の範囲および方法
一九五一年の連邦裁判所の判例において
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RF一日己負
基準を与えようとするドものの中では、田町一日m 少出向ロ与えさ旨己︿
ZV円。︿。BEESR口問釦5
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凶]1
的適用を廃し、 公 平 を 顧 慮 す る に 至 っ た た め 、 学 説 上 賛 否 両 論 を ま き お こ し た 。 判 例 の 方 向 を 是 認 し 、 そ れ に 理 論 的
に関する日独商法の比較研究﹂損害賠償責任の研究・上)。 し か る に
.3gaR﹀ の 公 式 が 判 例 で 採 用 さ れ て お り
閲 さ れ て い る 。 理 論 的 に 中 心 に 位 す る の は 相 当 因 果 関 係 説 に 対 す る 批 判 で あ る 。 従 来 、 乙の占山についてはトレ lガ l
果があいついで発展されているので、 かんたんにすますことができよう。問題は、 主 と し て 悶 果 関 係 論 を め ぐ っ て 展
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が・もっともまとまっている。 し か し 私 に は 、 師 ラ I ペ ル の 理 論 を 発 展 さ せ 、 比 較 法 な
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κ学 び な が ら 、 相 当 因 果 関 係 説 の 不 毛 性 を 指 摘 し 、 問 題 は む し ろ ﹁ 損 害 賠 償 責 任 を 根 拠 づ け る 規
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2) の フ ラ イ ブ ル グ 大 学 総 長 就
範 の 保 護 目 的 と 保 護 の 範 囲 ﹂ に あ る こ と を 明 快 に 論 じ た ケ メ ラI S E己︿自の凶作日目2
gzogag関ggHNgE552E口問三宮司14え吋RFF58 が 将 来 の 路 線 を 示 す よ う K思 わ れ る
任演説己目司
と も あ れ 、 ド イ ツ の 新 傾 向 は ? 従 来 、 古 典 的 相 当 因 果 関 係 説 の 支 配 下 Kあ っ た わ が 国 ピ も 影 響 を 与 え ず に は お か な い
であろう(この問題は)最近になって、植林﹁ドイツ法上の因果関係論﹂法律時報三二巻七月号においてはじめてとりあげられた。す
ヤれた研究であるが、著者はドイツの新傾向に対し批判的である。ケメラーが参照されていないのが惜しまれる)。
乙 の 分 野 で 、 実 際 上 も っ と も 争 わ れ て い る の は 、 いわゆる邑)南町色。ロ号関山口白色広曽の問題である。 こ れ は ﹁ あ る 原
因 凶 に 因 っ て 現 実 に 損 害 が 発 生 す る と 同 時 、 またはその後に、 そ の 原 因 が な く て も 、 同 様 の 損 害 を 惹 起 し た で あ ろ う
ω の意起者にいかなあ範囲の賠償義務を負担せしむべきか﹂という問題
と考えられる原因倒が発生した場合に、原因
顧慮と不顧慮とを分けるべきかで苦慮している。
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学界の評価を得るに失
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である。戦前の判例は、不顧慮説であったのに対し、戦後、 顧慮した判例があいついで現われたため、学説は、
なる基準で
解決の道を見出そうとしたモノグラフイであるが
この問題についての、きわめて詳細な研
因果関係理論の再析討を必要とすること
四号は、
L法学雑誌一ニ巻一 11
乙の問題のきすうはまだ分らないが
5E は 利 益 法 学 の 立 場 か ら
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ほまちがいなかろうハ植林﹁損害賠償と潜在的後発的事情の考慮
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究であり J叫損害賠償額算定と潜在的・後発的事情酪酌の可否﹂民荷四三巻一号にその要約がある。なお、現状を知るには、 ZEO同日間E2・
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西ドイツ民法学の現況
なお、損益相殺に関しても、従来は相当因果関係説が適用されていたが、戦後の判例は乙れに修正を加えている。
学 説 に お い て も 、 。ωENZ吋
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因果関係からきりはなそうとする試みである(この点に関しては、 沢井﹁損益相殺﹂関大法学論集八巻三号五号、 九巻一号未完
がくわしい)。
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損害賠償法における因果関係論は
いまやまさに試金石上にあるとい
因 果 関 係 を 論 ず る こ と は 妥 当 で な い 旨 の 報 告 が な さ れ て い る ( 切 吋SSF
さ い ど に 、 共 同 不 法 行 為 に 関 し て 、 五九年秋の私法学会において、 グ ラ 1 ツ大学教授ピドリンスキーによって、士ハ
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同不法行為者の責任を認める前提として
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わなければならない。それは、過去の理論が、現在の複雑な社会現象において充分に機能しなくなったことを証明す
契約各論においては、とくに賃貸借が問題になる。戦後の住宅難が多くの問題そ提起したからである。
るものであろう。
賃貸借
スタシダ l ド な も の で あ る 。 特 別 法 の う ち 、 と く に 重 要 な 賃 借 入 保 護 法 に
小冊子があり、わが国で注目されている(戦後のドイツ借家法については、わが国で研究が多い
Q
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代表的なものは、有泉編﹁借地
( 訳・篠塚﹁独自法域としての住居法﹂一九五八年あり
労作だが、改訳が必要)という
ω︼回目刊号明円以ロ内出血州何回河ゅの伊丹凹m
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さ れ て い る 。 ペ ツ タ I マシ(現在ベルリン大学教授で、むしろ公法学者として令名高い)には、その他に同)忠君。FEE肉質宮宮
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ついては、回28吋
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特別法とを綜合的に叙述したものとして、
ロ戸 E Eは 民 法 の 賃 貸 借 と
少なかったため、 理論的に興味あるものは乏しい。 その中で、見。門H
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しかし、 ド イ ツ で は 特 別 立 法 が 比 較 的 ゆ き と ど き 、 実 務 家 の 活 躍 が 目 ざ ま し か っ た が 、 私 法 学 者 の 関 心 を ひ く 乙 と は
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説
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論
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北法 1
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西ドイツ民法学の現況
これにより、
古典時代の不当利得法の構造が明らかにされつつある。
私法学のアクロポリスと称されるこの分野では、戦後、 ま す ま す 研 究 が す す め ら れ て い る 。 と
借家法の研究﹂中のドイツ法の部分(鈴木線弥教授執筆)である)。
不当利得
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ローマ法に立ちかえる研究が多く、
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わたる論文である。との論文は、不当利得における統一的原理は可能かという問題を取りあつかっている。最近にお
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発 展 さ せ 、 統 一 的 原 理 を 求 め る よ り も 、 各 種 の 類 型 に 分 け て 考 察 す べ き で あ る と 提 唱 し 、 学凶作に大きな影響を与えた
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この点に関するわが学界
なおその線にそった研究がすすめられることが必吏であろう(ドイツにおける学
(本論文についての、す円、れた示唆に富む紹介とじて、磯村・論叢六三巻一二号)。
と大体同じ方向にあると思われるが
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説の現状を伝えるものとしては、伊宮ユ5prEEω
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ある。シヤイイング自身、統一的原理を求めるとすれば、 結局、 調整機能というところに溶ちつかぎるをえないが、 それでも無意味で
は念いと論じている。わが国では、磯村教授の研究が、ドイツの理論的発展をとり入れたものとして高く評仰むれるべきである。前掲
紹介のほか、﹁不当利得﹂法学セミナー一九五八年二一号参照)。
9
北法 1
1(
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なお、不当利得の効果に関する問題では、双務契約において履行がなされた後の利得の返還義務の範囲をめぐって
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従来から争いがあり、最近では差額説︿ωとι2Z25) が判例通説であったが、今日その地位がゆらいでいる。すでに、
ケメラ 1の前掲論文も差額説の不当性を具体的に論証しているが、ほとんど時を同じくして、
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乙れまた問題の多い領域であるが'すでに他の場所でふれた。不法行為全体に関するまとまった業
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不法行為
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。 これに対し、刑法学者ニ 1ゼによる詳細な反論が提起され (ZgFUFO
ニツパ 1ダ仔が民法総則の教科書において、刑法の目的的行為論を導入することが可能であると論じ、
私法学者の支持をえており、
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u 4・抄訳、中谷・宮沢、法学研究二一 O巻七号、八号)、 これが判例および
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一ツパ 1ダイの提案は
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理論的に争われた問題としては、不法行為の要件としての、﹁過失﹂と﹁違法性﹂の理解をめぐるものがあげられる。
料請求権を認めようとするものである。
うかという点であった。、民法改正草案はこの判例学説の発達の上に立って、 人格の侵害を不法行為とし、 さらに愚薄
績は存在しない。最近の判例学説がもっとも論じたのは、前述のごとく、人格権侵申告を不法行為として承認するかど
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商ドイツ民法学の現況
刑法理論(目的的行為論)と民法における遼訟・責任理論﹂北六法学部十周年記念・法学政治学論集が詳しい)。もっとも、
ダイは最近の新版においても、なお自説を発展させている。
戸
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危 険 責 任 に 関 し て は 、 ド イ ツ で は 特 別 法 に よ っ て 解 決 さ れ て い る の で 、 理論的な研究は少ない。 こ れ と 本 来 の 不 法
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チンゲンの教授である)。
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の広島丘ロロ向島民宮口mvssが便利である(なお、著者はゲ
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乙の領域も、新旧とりまぜて教科書が多い。現行のものとしては
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した名著であった。しかし、ヴオルブがナテスに追われたため、 二五年間新版が中断していた
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ル ブ が そ の 弟 子 の ラ イ ず Iと 一 緒 に 計 画 し た も の で あ っ た が 、 結 局 、 ヴ ォ ル ブ の 死 後 に 完 成 し た
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旧版の長所を維持
し な が ら 、 新 し い 発 展 を 考 慮 し た も の で あ り 、 再 び 昔 日 の 地 伎 を と り も ど す で あ ろ う 。 グ エ ス タ I マンはこれに対す
る 最 大 の 対 抗 馬 で あ る @ 本 書 は 一 九 五 一 年 に 出 版 さ れ た が 、 ヴオルブの欠けていた当時は、 的 一 の 本 格 的 教 科 書 と し
て独占的地位を保持していた。ヴエスタ 1 マシは現役私法学者中もっとも利益法学の傾向が強引一本書も具体的事案
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私としては
エッナ 1 の債権法とともに
ヴオルフムブイザーより本警のい々を汗似したい
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しい傾向を代表
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S三口己主)と物機的前求権り二つを物権法の
が中心であり、そこでの利益考量があざやかである。加うるに、帰属 (
原理として、体系化を果している
対処するドめには、新しい方法が必要だからである。木警は、
F 同REEF) を同じくする姉妹書である。
する教科書ぜあり、 いずれも、出版社(富山一-
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へ1デマシのものは分量もてごろで、独自の存主を示していた。この両
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ベック社の叢書の小教科書であるが、 き わ め て 明 快 で 要 領 よ く 書 か れ て あ り 、 入門畜として推薦に値する。
著が、高齢の著者自身の手によって、最近あいついで新版を見るに至ったことは敬服せざおをえない
ギ 1 ルケのものはかんたんで特色はないが
こ と が で き る で あ ろ う か 。 ギ 1 ルケとへ lJ
アマシのものは、第一次大戦後まもなく初刊がでてハ、ろ古いものである。
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権を有機的にとりあっかうなど、 い ろ い ろ 新 味 を 出 し て い る が 、 両 名 著 の 間 に あ っ て 、 ど れ だ け の 存 在 理 由 を ほ こ る
分量において前二著に匹敵するのは、 ア イ ヒ ラ ー で あ る 。 上 巻 を 物 権 法 総 論 に あ て 、 下 巻 ノ 一 で は 、 所 有 権 と 占 有
(
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ま た グ イ ア ッ カ 1 の 土 地 法 は 高 名 の 教 授 の 若 き 日 の 力 作 で あ り 、 ナチス的色彩の濃いものであるが、 な お 将 来 の 発 展
色あるものとして高く評価されている。 ヘツクのものは、債権法と同じく、利益法学のつ法論を民間したものであり、
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S吋場一切。仏35nELS∞の一両者が、 いまも特
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なお戦前のものでは、国
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北法 1
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西ドイツ民法学の現況
の道を一示すものであった。
乙こ数十年来の社会的変遷は、私法制度の去礎をなす所有権概念に大きな影響を与えた。ナチス時代
個別的研究
所有権
には従来の抽象的な統一的所有権概念が批判され、対象の相違による具体的な考察が強調された(とくにグイアッカ│)。
H 2 u A F印
。 乙の論争の是非はともかくとして
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各種の所有権制度の具体的な考察の必要性は否定できな
いまでも、統一的所有権概念の存在をめぐって論争が続いている(通説は、その寄在を是認する。反対説とじて∞口 EFNOJ?
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にアプローチし、 ま ず 所 有 権 の 自 由 と 拘 束 に つ い て 一 般 的 に 笑 ・ 米 ・ 独 法 を 比 較 し 、 さらに住宅をはじめ、 いくつか
一九五一年法による住居所有権の新設である。 これは戦後の住宅政策の一
の生活領域における所有権の拘束性を具体的に検討している。ここでも、結論として、川山人米法と大陸法との架橋は可
能であると論ぜられている。
所有権の面における戦後最大の改正は、
環として生まれたものであるが、 かつての階層所有権の復活であり、 そ の 法 律 構 成 が 論 議 の 対 象 と な っ て い る 。 本 法
mggg
は、わが国における将来の立法論に関連して、本格的な研究を必要とする。木法のゴシメジタールは立法当初に数種
一三三頁以下)。
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ω ∞LNSω ・は比較法的な序文をふ
でたが、その中で、切骨58P当o
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m地借家法の研究八八頁
くむ詳細なものとして推薦に値する(わが国では、鈴木線弥教授が確実な基礎を提供している Q 有 泉 編以下
な お 、 と れ に 関 連 し て 、 地 上 権 法 に つ い て 一 言 。 現 在 こ の 点 で も 改 正 が 問 題 と な っ て お り 、 ∞EEYRE-︿
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がそのための提案として注目さ⋮れよう。
いま脚光を浴びている。 そ れ は イ ン ミ ツ ジ オ シ ピ お い て で あ る 。 現 代 文
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乙の古色蒼然たる制度が
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相隣法はもはや不充分となった。 近 時 の 判 例 は
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で あ る 。 ヴ エ ス タ I マシは、 乙のム中で、
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4ハ条を改
一 方 で は 各 種 の 公 法 的 規 定 を 強 化 す る と と も に 、 他 方 で は 民 法 九0
イシミッ V オシ忍容者に、 そ れ を 忍 容 す る 代 償 と し て 補 償 請 求 権 を 認 め る べ き こ と を 捜 索 し 、 結 局 そ の 線 に そ
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比較法的にきわめて興味深い現象であるといわなければならない。
わが国も
陶
器
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︼Env に 類 似 し た 制 度 を 作 る べ き で あ る と 提 唱 し て い る 。 このよ一つな傾向は、問題ω解 決ω 方 向 を 英 米 法 の ニ ユ
ーサシスに近づけるものであり、
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νオ シ の 綜 合 的 比 較 か ら 得 る と こ ろ 大 で あ ろ う ( 最
ニューナシスとイシミッ
しその後、沢弁﹁ドイツにおける相隣法の基礎理論
L関法九巻五・六号が、最近の判例と、ヘルシ I Nに至る学説の発達を詳細に論じ、
担当した植林﹁ドイツ・スイスにおけるインミツシオンの法理﹂は、最近の判例・学説に触れておらず、物足らなさを感じさせる。しか
近、法律時報三二巻ご月号で﹁生活妨害の法理﹂を特集し、問題を比較法的な面からも捉えたのは有意義であった。しかし、ドイツ法を
事同様な問題の解決に迫られでいるが、
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UWR22ぬgSFgm骨師同日田町即日。ロ由吋ゅのFF NSWJEは こ の よ う な 立 場 か ら ヴ エ ス タ l マシを批判し、kpE012ロロm?
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った改正が実現した(一九五九年十二月ご十ご日法)。しかし、 と の よ う な 相 隣 法 の 発 展 で 問 題 が 解 決 さ れ う る か 疑 問 で あ
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明 の 発 達 は 、 騒 音 ・ 煤 煙 ・ 振 動 等 の イ シ ミ ッν オ シ を 飛 躍 的 に 増 大 さ せ 、 イシミッν オ シ 放 出 者 の 保 護 に 重 点 を お く
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動産物権の即時取得の制度の存在理由をめぐる争いが
つぎに注目に値する。
前掲論文の欠を補った。だが、ここでもグェスタ!?ンがとりあげられないのはどうしたわけか)。
即時取得
BGBは こ の 点 に 関
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し、近代的公信の原則を採用し為それがわが国の学説に圧倒的な影響を与えているので、 これも無視できない問題で
ある。まずアイヒラ(刊によって、民法の全領域における信頼の法理の綜合的研究がなされた後(回円
ERL2 ︿何円昨日戸g
-pzmwRRZFVOCEREnr口口問。ロロσ2ι2ω 円
pgg- 紹介、喜多・一一橋論叢二七巻三号)、
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九 五 五 年 に 二 つ の 本 格 的 な 研 究 が 現 わ れ た οその一つは、︿-E号吉
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ω 吋で、 公 信 の 原 則 が な い と さ れ て い る ロ 1 マ法におい
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て、取得時効の制度がその役割を果していたことを論証し、
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本書は、 従 来 の 見 解 が 善 意 取 得 者 の 保 護
tB 冨cEHRgnF25ny庁何回口切色昨日向 Nロ吋回角川鴨位協合ロm
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と主張した。いま一つは出色ロN同
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丘一nvgJ10
号EggnvENg-HCU切である
8包括円四28nvg吋
口出品駅喰・
に重点をおいていたのに対し、所有者の権利を中心とし、それが第三者のために尖われなければならない根拠如何を問
うている。それは、結局、処分者の占有を信頼せしめる外観を作りだしたことが、所有者に帰せしめられる場合にかぎ
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2Y}向。円}戸仲田︿2
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これは五七年心私法学会に報告された論文で
るとされる(なお、著者はザ│ルブりユツケン O教授)。以上の業績をうけついで、
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ヨ日ゴ}、
ナ J手 J
所有者が非権利者の処分権能のレヒツ
あるが)比較法的立場に立ち、 と く に 笑 米 法 の 成 果 を 利 用 し て 、 立 法 論 と し て 、 即 札 取 得 は 商 取 引 の 面 で は 無 条 件 に
認められるべきであるが、民法では原則として否定されるべきであり、
V ヤ イ シ を 作 り だ し た と き に 例 外 が 認 め ら れ る べ き で あ る と 主 張 しKQ と の ツ ヴ ア イ グ ル トω主 張 は 必 ず し も 学 会 で
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北法 1
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西ドイツ民法学の現況
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承 認 を う る ζ とができなかったが(﹀仏二日戸口HR)、 これらの業績に共通の傾向は、
民法の即時取得の制度、に対し批
動産の
真の所有者にとハ〆あまりにも不当にな勺たとい
これはいうまでもなく、今日のわが闘でもっとも論議されている領川であるが、 ド イ ツ も 同 様 で あ
これまた現代的現象であり、 わ れ わ れ に に 省 を 求 め る も の が あ
占有への信頼を無条件に保護することは
判的な点である。 これは一見大勢に逆行するように見える。おそらく、 こ の よ う な 傾 向 が 最 近 見 ら れ る の は
占有が観念化したために
譲渡担保
う事実にもとづくものではあるまいか。だとすると
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の批判壬治びている。 その中
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彼は一九五四午に行なった講演
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利益法学の立場から、現在の判例は、譲渡担保各当事者の利益を充分に調和させていたいと批判した
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グ エ ス タ 1 マシの活躍はめざましい。
例もまた実務界の需要に応じて、従来両制度に課していた制限を綬和し、
る。そこでも最近、譲渡担保と所有権留保が、動産およひ債権の担保手段としての重要性を苓しく増大しており、判
(
4
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も
テーマで、 Vシポジクムが行なわれた。 とこでも、まずノヴユスタ 1 マシが報告をした
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とのドイツの法曹大会の議事録は、 わ が 同 に お け る 譲 渡 担 保 法 の 立 法 問 題 に つ
今日はなお立法の時期ではないことが確認されたが、各種の調査がなされるべきであるとされた
段 と し て の み 考 え ら れ る 、 と い う も の で あ っ た 。 これをめぐ﹁一て、学者・実務家による詳細な討論が続けられ、結局、
臼の判例は満足すべきものではないが、実際界の自主的解決と判例の発展にまず期待すべきであい、立法は最後の手
て
五五年ベルp シ で 聞 か れ た 法 曹 大 会 に お い て 、 ﹁ 譲 渡 担 保 と 所 有 権 留 保 に つ い て 立 法 に よ る 規 制 を す べ き か ? ﹂ と い う
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論
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西ドイツ民法学の現況
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いて、貴重な資料であろう(この意味で、昨秋の日本私法学会の
師同伊丹
もっとも本格的な論文である
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刑法の立場からこの間山胞を詳細に論じた
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残念であったコドイツではその後も判例の発展が目ざましく、学者の研究も続いている。その巾で、 F
5 E55-Uロ﹀己的問255問。。司 ωRF巾吋EmZσ σ仲間ロロロmLNU戸 叶 口 白 が 譲 渡 担 保 の 制 度
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化の可能性を論じたものとして
方
ある。いずれも綿密なす﹁れた業績であるが、本文であげた文献は利用されていない)。
、 植林・私法一一一号一七五頁、 植林﹁譲渡担保の法律構成に関する若干ω疑 問 L 法学雑誌六巻四号、 七巻一号が
阪大法学一八、二 O号
国に類書の見当らぬ研究として注目される(わが国で最近のドイツの譲渡担保を論じたものとレて、浜上﹁日誌波担保の法的性質﹂
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他
第一期は
一九四九年のポシ基本法成立までの期間である。 こ こ で は 占 領 平 に よ る ナ チ ス 的 法 律 の 一 掃 が 行 な
一九四六年に管理法として、婚姻法が成立した。しかし、 そ の 内 容 は 一 九 三 八 年 の 婚 姻
た だ ナ チ ス 的 色 彩 の 濃 い 規 定 を 廃 止 し た に す ぎ な い ( 本 法ρ紹介として、太田・論叢五九巻三号三
われた。親族法の分野では、
法の承継であり、
法
親族法の領域では、戦後大規模な民法改正が行なわれた。そこで、 まずその過程を問題にせざる
族
をえない。それは四段階に分けられる。
民法改正
親
改 正 を 経 た だ け で 、 今 日 に 至 っ て い る 。 婚 姻 法 の コ シ メ シ タ ー ル と し て は 、 。ROE-︿・。。門出pzcRB山
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も本法は占領法規のために、基本法の男女同権の規定の影響を-つけることがなく、 そ の 後 の 労 女 同 様 法 に よ る 若 干 の
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コ一種'がある(いずれも何日5
mg2PSち)。わが国では、山田歳・ドイツ婚姻法(宮崎編・新比較婚姻法型的収)が刊行されれ
第二期はボシ基本法の成立より一九五三年三月一三日までの期間である。基本注三条は男女同権を規定し、
ば、乙の部門の基礎的文献となるであろう.
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(その詳細は、
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そ の 中 で 比 較 的 ま と ま っ た も の と し て は 、 切2
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第三期は、 そ れ よ り 男 女 同 権 法 が 成 立 す る 五 七 年 六 月 一 八 日 ま で で あ る 。 こ の 期 間 中 は 、 基 本 法 三 条 二 項 が 直
三年四月一日を迎えた。
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五 二 年 に な っ て や っ と 政 府 草 案 が 国 会 に 提 出 さ れ た ( 冨 邑E-Rロ
2 5 5 司E
HFSLugo ωgZ口広忌日・その紹介として、椿-論叢五九巻五号)。しかし、 異 論 が 多 い ま ま に 、 五
一読をおすすめじたい。
はカトP ツ ク の 立 場 を 知 る の に 最 適 で あ る 。 記 述 は 分 り や す く 、 納 得 力 も あ る の で 、 カ ト リ ッ ク を 毛 嫌 い す る 学 者 に
く 、 か つ 比 較 的 進 歩 的 で あ る 。 ポ ッν斗 は 現 在 西 ド イ ツ に お け る カ ト リ ッ ク 婚 柄 法 の 最 大 の 指 導 者 で あ り 、 乙の著書
も 読 む に 値 す る 。 へ 1J
アマシのものは婦人の法的地位の歴史と現状について簡潔に記述したもので、非常に分りやす
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鈴木緑弥﹁男女問権の西ドイツ的理解﹂法学雑誌一巻一号一一号、 川井﹁東西ドイツにおける男女同権論の対立に
の 期 間 中 に 民 法 改 正 が な さ れ な け れ ば な ら な か っ た 。 とのため、 ほ と ん ど す べ て の 民 法 学 者 が 改 正 問 題 に つ い て 発 言
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ついて﹂法協七三巻六号七四巻一号の文献りスト参照
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接に適用され、男女同権に反する民法の規定は効力を宍い、それに代る法を裁判官が形成した。 この結呆、法の不安
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定が続いた。この時期の指導的論文として、りん法クロボツ
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男女同一様の実現に努めた。
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福地陽子・現代外国法典叢書﹁独逸民法[百]親族法 L補遺がこの状態を忠実に伝
この時期の判例を整理したものとしては、
立場に立って、
る。また、
えるほか、川井・前舗は乙の時期をも扱っている
他方、立法への努力も続けられた。政府は五三年末に規模を結少した第二草案を国会に提出し、早期実現をはかつ
た。しかし、あいかわらず異論が多く、なかなか進展しなかった。この時期においトて注目すべきは、五四年度よりボ
ツ
リ Vユの手によって、家族法の専門誌、何日5 5ロ仏明記
されたととである。 この雑誌は、 カトリックに偏することなく、広く内外から執筆者を集め、 家族法に関する公法・
私法の論文と判例をもうら的にのせて、今日に至っている。
男女問権法は五七年六月一八日にようやく成立し、民法の改正は実現した。施行は五八引七月一日であるが、
る。このゴシメシタールは、 西 ド イ ツ 最 大 の 女 権 論 者 で あ る ク リ ュ I ガ 1女史の↑一百頁にわたる序文を有する、 異色
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乙のときより第四期に入ったといってよかろう。同権法の成立と同時に数種の解説が出現したが、大規模なコシメジ
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的 な も の で あ る 。 ま た 、 新 法 に 対 す る 批 判 的 な 研 究 も 輩 出 し た 。 と く に 、 妻 の 相 続 分 を 阿 刀の一一尚めたことに対し、法
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西ドイツ民法学の現況
説
技 術 的 な 批 判 が 集 中 し た 。 と こ ろ で 、 西ドイツの男女同権法の問題は、 か ね が ね 、 わ が 民 法 学 者 の 注 目 し て い た と 乙
号、
L北法八巻27四
同権法全体の解説として
O号. とくに民の問題については、 唄﹁ドイツ
二巻三号
太田・格﹁西ドイツの男女同権法
ろなので、新法制定後まだ日が浅いのに、すでに多くの研究が発表されている(問権法の中心をなす夫婦財産制については、
浅見﹁西ドイツにおける新法定夫婦財産制について
L法律時報=二巻一
、 同権法の翻訳としては、太田・格﹁西ドイツ男女同権法﹂家裁月報一 O巻一一一号、
について﹂家裁月報一 O巻九号一 O号
五号、 問権法の意義については、椿﹁西ドイツにおける婚姻と家族
円
)2gnvg明白gEt
以上のような、第二次大戦後のドイツ家波法の変遷は、教科書を書くことを間離にした。第一期に
における夫婦の氏﹂都立大学十周年記念論文集がある。いずれもすtれた研究であり、ドイツの文献は以上で山一苅会にちうらされている)。
教科書
各自由ロP
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お い て は 、 新 た に 切a
H4MW8585nvF5h が 刊 行 さ れ た ほ か 、 旧 著 の 新 版 と し て 、
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ZuN-KF口出・巴島一富山昇。片田-pwgEO号RYFhF・﹀口出・ 5 色 な ど が 出 版 さ れ た が 、 結 局 、 各 段 階 に 応 じ て 新 版 を 出
。
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ただし、その家族法観は比較的保
してこれにフォローしたのは、パイツケだけであった。パイツケの教科書もベツク社の議室田の一冊であるが、きわめ
て要領よく重点的に説明されてあり、学問的水準も高く、業主閏中の名著に属する
SUNN出ω・)。
守的である(∞・﹀口出・ 5
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エシネクツエルスの教科書として、
男女問機法に関する個別的研究が多いこと、
ζ とではそれ以外について一言する。
個別的研究
文献にゆずり、
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ミユラ l ・フライエ
いうまでもないが(とくに夫婦財産制てすべで前掲
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民σ2・円巾可σロ
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シ ブ エ ル ヌ に よ る も の や 、 新 た に ペ ツ ク 社 よ り 、cq口
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Cぬ- Hむきが刊行されたほか、
問 権 法 成 立 後 、 数 年 を 経 た 今 日 に 至 っ て 、 よ う や く 各 種 の 教 科 書 が 出 版 さ れ よ う と し て い る 。 す で に 、 F各国同ロP
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戦後、 この分野で指導的役割を演じたのは、亡。}]PCEE回以EEM22白 河ERY2含ロぬ凹吋R
ZE--S同 に つ い て 研 究 を し た 結 果 で あ る 。 し
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私生子の法的地位の改善も基本法の要請するところであるが、 この方はプログラム組定と解されてい
父子鑑定が問題となる。
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手続如何(いわゆる k
嫡出を間わず、
養子
国色丹NW巾t
日本法との関連性がないので、省略する。なお、嫡出・非
法学者と医学者の共同研究が必要とされるが
戦後、ます,ます重要性を増した養子制度に関しても論述が多い。すでに、改正草案が議会に提出されて
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これに関しては
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私生子
究として、高く評価されるべき業績である
たがって、各種の統計資料を使い、社会学的な出からもアプローチをしており、従来のドイツでは見られなかった研
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目
。Z L由。である。 とれは、 ヴオルフ教授を中心とするフ一ブシクフルト大学のメシ
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たが(手続法に関し、拙稿﹁ドイツにおける家事裁判制度﹂家族問脳と家族法刊一例収参照)、もっとも大規模なものは、君。一回同t
いう講演である。その方向は、離婚数の減少と家族関係の強化であった。以後、 この方向で各障の研究がすすめられ
離
婚
いるが(その内容につき、山田・法協七五巻四号、 山本・法経学会雑誌二八号)、 比 較 法 的 研 究 も よ う や く 盛 ん に な っ て き た 。
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律時報三一巻九号)に続き、最近出命日E
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西ドイツ員法学の現況
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続
法﹂比較法研究二 O号がくわしい当
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さて、 キップ
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エシネクツエルス教科書の一冊であり、
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の二著があるだけである。その他、戦後刊行されたものとしては、ロ 2
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なお、近ぐ
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E ロmpUF号脅げ仏命的開号BnvgHgowが 公 刊 さ れ る よ う で あ る 。 ラ シ 時 は ナ チ ス 時 代 の 相 続 法 改 正 委 員
批判的な妓述を期待したい(本書院対するベ!?lの批判は痛烈である。初版に対し、﹀白H
F 勾・三版に対しても、MNSLS
。
﹂
内容は一技術的説明に終始し、失望の感をまぬがれない。ぺ I マ1とともに、われわれも、もっと法史学的、比較法的、
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な も の で あ る 。 著 者 は ナ チ ス 時 代 よ り 相 続 法 の 専 門 家 と し て 知 ら れ て い た だ け に 、 大 い に 期 待 さ れ た 新 著 で あ ったが、
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v号 ロ 与 の 一 冊 と し て 、 五 四 年 に 初 版 が 出 たowロ ロ の 名 に 背 い て 、 四 百 貨 に 近 い か な り 詳 細
のはベツク社の関口R
法史学的、法政策的記述が加えられることによって、模範的な改訂版となったと評されている。バルトロマイ九九のも
キップのあとを'つけて、戦後(九版より﹀コ!イシグによって書き加えられたものである。大綱は動かないが、新たに
領のよいものとして、 か な り 利 用 さ れ て い た
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この分野は、戦後比較的変動の少ない領域であるが、 さすがに相続法ともなると教科書も之しい。
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西ドイツ民法学の現況
会の委員長であっただけに、 こ の 新 著 も 期 待 さ れ る で あ ろ う
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ゴシメシタールとしては異色的であり、相続法的基本的原理の考察のために
ν ュタウデイシガーのゴシメシタールの相続編は、ベ l マーやレ I マシが執筆しており、学問的水準が高い。
なお、
とくにぺ I マI の書いた長文の序論は、
相続法に関しては、最近注目すべき業績は見当らない。 そ れ に 、 ド イ ツ 相 杭 法 は 日 本 民 法 と 体
欠くべからざるものとして、 わ が 国 に お い て も 利 用 さ れ て い る 。
個別的研究
一子相続法が今後の研究に値するであろう(一子相続法については、とくに、川井﹁西独シュグアルツグアルト地方にお
系を異にするため、 わ れ わ れ に と っ て あ ま り 考 察 す べ き 対 象 が な い 。 お そ ら く 、 前 述 の 相 続 法 の 基 本 原 理 の 問 題 の ほ
かに、
ける農地の末子相続﹂北法一 O巻松岡教授退転記念特輯号をはじめとする個別的研究の完成を朔待したハ)。
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附・ドイツ私法学者の経歴と業績
研究所とともに TubingenI
ζ 移る。
邦裁判官を兼ねていた。
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6年に講師, 4
8年に教授となる。連
56年に研究所とともに,さらに Hamburg に移
る。研究所の中心メシパーであり,比較法,国際私法の第一線で活躍して
いる。とくに比較法の理論に関しては,指導的地位を占めている a 著書は
すべて共著である。
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tAubin,前掲)がある。最後のものは,比較法の理論についても重要な
貢献をしている。
その他,理論的論文としては, R
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文として,子手R
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附
35
北法 1
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1・
1
1
4
) 1
1
4
西 Fイツ民法学の現況
dungundS
c
h
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d
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g
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c
h
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,5
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m
i
tLukeundHax)がある。
(
4
9
) Wol
貸
, Ma
r
t
i
n(マルチシ・グォノレブ
1
8
7
2年 9月 2
6日に BerI
i
n
で生れ, 1
9
5
3年 7月 2
0日に Londonで死んだ。 B
e
r
l
i
nでずっと育ち,学
,Bonnで教授生活を送った後,
界へのスタートもそこで切った。 Marburg
1
9
2
1年に B
e
r
l
i
nI
C::帰った。
ナチス時代には,
応渡り,ついに死ぬまでそこにとどまった。
t
i
k
e
rとして最高の評価をうけており,
ド イ ツ を 追 わ れ イ ギ Pス
2
0世紀前半の民法 Dogma-
その教科書はわが国でも広く読ま
れた。初期の業績は民法の解釈に捧げられている。 Dasb
e
n
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c
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D
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ffremdemBoden,i
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e
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s
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l
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s,94(
Grenzuberbau n日chdem BGB,1
9
0
0
; DerMitb巴s
i
t
znach demBGB,
J
h
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i
n
g
sJ
b,4
4(
1
9
0
2
)
; Die NeugestaJtung d
e
sF
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m
i
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f
i
d
e
i
k
o
m
m
i
s
r
e
c
h
t
si
nPreusen,04などが代表的である。
よく示すものは教科書である。
しかし, Wol
妊の能力を最も
Enneccerus,Kipp と共同に執筆した教科
書のうち,物権法と婚姻法が彼の手になるものである。者S
achenrecht,1
0,
9
.Au臼. 3
2,1
0
. Auf
!
.5
6(
m
i
tR
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s
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)
;F
a
m
i
l
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n
r
e
c
h
t,1
2(
m
i
tK
i
p
p
)7
.
Auf
!.
3
1がそれであり,
この叢書の占める高い地位は彼に負うところが大
きいといってよい。イギリスでは国際私法と比較法の方iIDで活躍した。国
際私法については,すでに B
e
r
l
i
n時代より関心を示しており,
は
,
I
n
t
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n
a
t
i
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l
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sP
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t
r
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c
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t,3
3,2
.Auf
!
.4
9となり,
その成果
最近まで標準的
去に関じて, P
r
i
v
a
t
e
教科書の地位を保っていた。さらに,イギリス国際私 j
5,2nde
d
.5
0があ J,
I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
lLaw,4
r
oには,比較法にも従事し,
た
。 1
免
コモンロ一日百回に }i~ :~~~ノエヲ二
CommercialLaw,Manuelo
fGerman
,5
0
;T
r
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i
t
ed
ed
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tcompare,5
0
5
2(
a
v
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cArminjone
tN
o
l
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)ξ
Law,1
〆
勿担した l
後者 v
こっき,五十嵐「三つの比較法J比較法研究 7号
)
。
(
5
Q
) Zweigert
,区onrad(コシラート・ツヴァイグノレト
日
,
1
9
1
1年 1月 2
2
Posenで生れる。 37年に比較私法研究所の研究員となる。戦後は,
北法 1
1(
1・
1
1
5
) 1
1
5
附
3
4
d
附・ドイツ私法学者の経歴、と業績
R
u
d
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fvon]
h
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,
4
2
;Vomr
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nRecht,
4
4
;Dasr
o
m
i
s
c
h
eReoht
4がそれである。戦後も,ローマ
undd
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sd
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u
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eR
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c
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b
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i
n,4
法の研究は続けられている。 Vomr
o
m
i
s
c
h
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nS
t
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ta
l
sRechtsordnung
,.
4
9
;Uberd
a
sK
l
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s
s
i
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ei
nd
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rr
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s
c
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0
;Le
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f
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,
SavignyZ.Rom.67(
1
9
5
0
)
;
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l
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f
t
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n,5
9などがそ
n
i
s
c
h
eExemplareundAusgabens
p
a
t
k
l
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s
s
i
s
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h
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rSc
ieackerが,思想史的傾向の強い
れである。以上のような背景を有する W
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c
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g
e
s
c
h
i
c
h
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rN
e
u
z
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i
t,5
2を書いたのは
近世私法史の著書,勢P
当然であった。乙の新じい領域における彼の地位は,本書を以て確立した
o
z
i
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l
m
o
d
e
l
ld
e
r
といってよい。さらに,本書を補なうものとして,持DasS
k
l
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s
s
i
s
c
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nP
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i
v
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r
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c
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t
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g
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i
eEntwicklungd
e
rmodernen
,5
3
; 株GrunderundB
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G
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. Vo
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g
9がある。
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h
t
g
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c
h
i
c
h
t
e,5
るものでは,
民法プロパ~(乙関す
信義則の類型化をなしだ快Z
urr
e
c
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e
t
i
s
c
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nP
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-
!2
4
2BGB,5
6,解釈方法論をのべた, 持G巴s
e
t
zundR
i
c
h
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e
r
rungd
e
si
8が小冊子ながら重要である。 その他,民法解釈に関す
k
u
n
s
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.V
o
r
t
r
a
g,5
る論文,判例批評,書評が多く,現在最も活躍している私法学者の一人で
あり,とくに明快な頭脳と流麗な文章を以て知られている。
(
4
8
) Wolf,Ernst (エノレジストヴオノレブ)
1
9
1
4年 1
0月 2
6日
M
e
i
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6年に F
r
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u
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M
.の講師, 4
7年に助教授
n
i
n
g
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n
/
T
h
u
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i
n
g
e
nで生れる。 4
8j
F頃
, Marburgへ移って教授となる。
となる。 5
民法,労働;下去を講ずる
白然法学者の一人である。業椋と Lて
, D
i
eB
u
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)
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e
r
lぬ n
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c
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s,4
9に続き,本文で言及した持Anfang
DasPro~lem d
5(
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tN
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u
j
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s
);
勢S
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undEnded
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s
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g
k
e
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td
e
sMenschen,5
附
3
3
北法 1
1(
1・
1
1
6
) 1
1
6
商ドイヅ民法学の現況
denS
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c
h
e
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u
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g
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,54であ
り,人や人格の概念にあてはめたのが,持P
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l
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WertimZ
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l
r
e
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t,57である。その他,協同組合法にも関心を有し, Der
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i
n
z
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l
n
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eGemeinschaftimS
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g
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n
s
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h
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t
s
r
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t
s,
57が あ る 。 最 近 の 相 隣 法 の 改 正 に さ い し て は , 特Welcheg
e
s
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t
z
l
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e
n
Masnahmenz
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sNachbar8を書いた。その他,最近のものとしては,独
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l
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c
h?5
特な民法入門書,持G
rundbegri
妊ed
e
sBGB.EineEinfuhrungan Hand
vonFal
Je
n,5
8カfある。
(
4
7
) Wieacker,Franz(ブラシツ・ヴィーアッカー
1
9
0
9年 8月 5日
,
Stargard/Pommernで生れる。 3
3年(こ F
r
e
i
b
u
r
gの講師, 3
71
;
:
Fに L
e
i
b
z
i
g
の助教授, 3
9年 l
と教授となる。戦後は, 4
8年に F
r
e
i
b
u
r
gの教授となり,
54年[と G
o
t
t
i
n
g
e
nI
ご移る。
いまや,
代表的な私法学者の一人であるが,
もともとロマニストであり,またナチス時代にほ,土地法の建設者として
失1られていだ。すなわち,伎の学界へのスタートは,ナチス所有権概念の
基礎を作つだモノグラフィ,
Wandlungend
e
rE
i
g
e
n
t
u
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s
v
e
r
f
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s
s
u
n
g,3
5
を以つてはじめられた。しかし,最初の研究はローマの組合法に捧げら
れ
,
その成果は
S
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i
e
t
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s,Hausgem日i
n
s
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t
s
r
e
c
h
t
s,3
6,
3
5
4S
.として発表され,
さらにそれを補うものとして
Hausgenossen-
s
c
h
a
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tundE
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b
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s
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u
n
g
.Uberd
i
eAnfanged
e
sr
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m
i
s
c
h
e
nTestaments,
40がある。
た
他方,土地 J
去を中心としだナチス的理論の研究もすすめられ
<
'
"
B
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c
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t,
3
8
; ZumSystemd
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sd
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nVermogensrechts,
4
1
;
V
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s
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h
a
f
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e
rGegen2という一連の研究は,物権法を対象の相違 l
こより具体的に考察す
wart,4
べきであるという主張に耳を傾けるべきであるが,彼の経歴の名誉あるぺ
~V' ではない。戦争末期には,
北法 1
1(
1・
1
1
7
) 117
ローマ法の思想史的研究に関心が移った。
附
32
一手?で
附・ドイツ私法学者の:経歴と業績
r
a
d
i
t
i
o
n
s
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r
i
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nAtavismusd
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sS
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c
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t
s
;
義を批判した, DasT
2と
,
F
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s
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s
c
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rM.W
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l
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f,5
プライパ νーについてのドイ Yで最初の
eheimsphareundmoderneTechnik,F
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s
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s
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u
rH
.
研究である,養G
Lehmann,1
,56が注目される。
(
4
5
) Wesenberg
,Gerhard (グノレハノレトヴェーぞシぺノレク.1
908年
1
0月 1
6日
, K
o
l
b
e
r
gで生れる。ローマ法学者 Koschakerの弟子である。
43年 !
cTubingenで教授資格を得, 44年に Rostockの講師をやった。戦
後は K
i
e
lに移仏教授となった。 5
7年暮になお壮年で死んだ。初期の業
usammenfalli
ne
i
n
e
rP
e
r
s
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nvonHauptschuldundBurg績には, DerZ
s
c
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dimk
l
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s
s
i
s
c
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nr
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m
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s
c
h
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nRecht,3
5がある
Q
戦後は近世私
法史の方面で目さましい活躍をした。第三者のためにする契約についての
ローマ法以来の学説史である, V
e
r
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g
ez
u
g
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nD
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r,49や,若き
Savignyの法学万法;命に関する
Savigny,J
u
r
i
s
t
i
s
c
h
eMethodenlehre(
服
部択「法学方法論J)の出版に続き, .
i
L
t
l世私法史の標準的教科書,
持
Neuere
d
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u
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eP
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eimRahmend
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nR
e
c
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s
e
n
t
w
i
c
k
l
u
n
g,54を書き,今後を期待されていた。
(
4
6
) Westermann,Harry(ハリー・ヴェスターマシ
日
, Grimersumで生れる。
1909年 4月 6
4
0年にチェコの Pragで講師となる。 戦後,
4
9午に M泣n
s
t
e
rの教授となけ, 今円(二五る。 民ご主,民訴を専 r
'zする。物
1
護法では第一人者である。利益法学の影響力f強い。戦前の業績としては,
D
i
eF
o
r
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t
n
u
t
z
u
n
g
s
r
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c
h
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e,4
2が芯之、。 i
決後,物権:去の新技利害,会L
ehrbuch
,
14
.A
u
f
l
.60が出るによえんで,一躍,一流の私法学者
d
e
sS
a
c
h
e
n
r
e
c
h
t
s,5
の聞に伍するに至った。彼の利益法学の方法論は,その総長就任演説であ
る,勢 WesenundG
renzend
e
rr
i
c
h
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r
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n
t
s
c
h
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d
u
n
gimZ
i
v
i
l
-
5にもっともよく表現されている。
r
e
c
h
t,5
たものが,
特
その方法を譲渡担保に応用し
I
n
t
e
r
e
s
s
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k
o
l
l
i
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i
o
n
e
n und i
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r
er
i
c
h
t
e
r
l
i
c
h
e Wertung b
e
i
附
:
l
l
北法 1
1(
1・
1
1
8
) 118
ン
一
一
十一
¥
西ドイヅ民法学の現況
Nachdruck,5
9
; Verwirkungund U
n
z
u
l
a
s
s
i
g
k
e
i
td
e
rRechtsausubung
,
3
4(成富「失効の原則J参照)が代表的であり, とくに後者はわが国にも影響
を与えた。
iea
l
l
g
e
m
e
i
n
eEntwickついで,ナチス契約理言命のために, D
lung d
e
sV
e
r
t
r
a
g
s
b
e
g
r
i
妊s
,Dt
.L
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ez
.2
.I
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.Kong
r
.f
.
R
e
c
h
t
s
v
e
r
g
l
e
i
c
h
.i
nHaag,3
7(我妻「ナチスの契約理論」杉山教授還暦観賞論文
集参照)を書いた。 B
e
r
l
i
n時代は,
ナチス労働法に関し多くの論文を発表
したが,ここでは省略する。戦後も,もっとも精力的に活動した私法学者
一人であった。
旬o
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r
g
e
l
s,
Kommentarへの執筆が民法上の最大の仕事で
あり,とくに第 9版は自ら編者となって活躍することが期待されていたが
B
.1
,5
9
'が 出 た 直 後 に 死 亡 し た 。
しかし,
その 2
4
2条(信義則)の註釈
は,モニュメシタノレな業績として残るであろう。その他の業績としては,
者
P
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rVerwaltung,F
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e,5
8カi
ある。
g
e
s
eI
戦後も労働法に関する活路が目立ったが,ついに体系書を完成ずる;二五ろ
な か っ た 。 多 く の 論 文 の ほ か , KommentarzumB
e
t
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b
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g
s
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.Auf
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4
9S
.(
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tG
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r
i
n
)が,この分野での主業演である。
g
e
s
e
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z,3
(
4
4
) Sus,Theodor(テオド
~Jレ・ジュース
1892
t
r
ミ 7月 9日
, S
peyer
で生れる。 1
9
2
2'
9
'
二
に Gりt
t
i
n
g
e
nの講師となる。 2
4年より 2
6"ギまで,アメ
リカ[て滞存ーする。 2
8;
10i
とF
r
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n
k
f
u
r
tの助教段, 2
9年に B
r
e
s
l
a
uの教授と
なる。
3
5年 l
乙B
e
r
l
i
nの商科大学に移る
4ドより
Kolnの教筏をしている。
G
戦後は, E
rlangenを経て, 4
9
民l
荷i
'
1
(
t 民日f
},吋際{'.',;'ム i
呆附止 /
2
i
ii
f
究している。戦前の業演では,見主流担保 j
去し少基礎的モノグラブィでお弓,
WesenundRechtsgrundd
e
rGewahrleistungf
u
rSachmangel,3
1(一部紹
介,於保・論叢 2
9巻 3号)が代表的である。その他, S
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c
h
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n
r
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c
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t,3
1
;1
s
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Klageerhebunge
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r
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r
u
n
g
imKriege,4
0があった。戦後,民法関係の論文としては,物権法の引渡主
北法 1
1(
1・
1
1
9
) 1
1
9
附
30
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
s
c
h
r
i
f
tf
u
rSchmidtRimpler
,57;,*DerS
t
r
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tumdenP
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z
m
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e
r
i
u
m
s
,JZ
5
9,4
1が注目される。
(
4
2
) Schmidt-Rimpler
,Walter(ワノレター 'Vュミット =9~プラー)
生年ば 1
8
8
5年。現在 Bonnの教授で,
には,
商法学者として有名である。
初期
民法の研究に従事し, E
igentumundD
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e
n
s
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b
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t(
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)
,
1
1;E
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rRechte,1
1を発表している。その後は,商法上の業
績が多く,とくに問墜に関しては権威者である。 G
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sKommis-
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d,B
.1
,1
7
;DerHandlungsagent,2
8
; Das
8がその代表的業績である。 最近は,民法の法律
K
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s
s
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n
s
g
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c
h
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f
t,2
行為理論に関心を示し,その客観的解釈を主張している。ナチス時代に,
Grundfragene
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rErneuerungd
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g
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s,AcP1
4
7(
1
9
4
1
)を書
き,最近はその応用として,
行為基i
!
建論について,
吃
umProblemd
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5を,また錯誤論につい
G
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て,一〉沼 i
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-
mann,1
,5
6を書いている。
(
4
3
) S
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e
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t,Wolfgang(ヴォルブガ γ グ・グーペノレト
1
9
0
5年 4月
1
1円
, M
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M
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gで生れる。 Boehmerの {j子で, 32平
こ
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l
eの講師, 3
5年[こ K
i
e
lの助教授, 37年にはそこの教授となる。 38
3
下より
B
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r
l
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nに?多り,安まで i
舌問しだ。
L
a
r
e
n
zとともに K
i
e
l,苧派を
つくり,ナチスの契約理論および労働法理論の樹立に努力した。この活躍
がたたり,戦後は長らく G
o
t
t
i
n
g
e
nで正式の地位を得ず¥文筆活動を行な
っていた。 5
7年 I
[H
e
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d
e
l
b
e
r
gの教授に迎えられたが,
まもなく,
59年
1
1月 25日,働らきざかりで死んだ(成宮・ヲュリスト 196号)。彼の初期の研
と捧げられた。 Dasr
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l
t
n
i
s,3
3,
究は民法 l
附
2
9
北法 1
1(
1・
1
2
0
) 1
2
0
西 Fイツ民法学の現況
Wurdigung,JZ5
6,385が詳細である u なお,異常に長文になった本稿は,
abelのネクロログィを兼ね
わが国で為されるべくして為されなかった, R
る意図を有する。
(
4
0
) Ra
i
s
e
r
,Ludwig(ノレートヴィヒ・ライザー
1
9
0
4年 1
0月 27日
,
S
t
u
t
t
g
a
r
tで生れる。 MartinWo
l
f
fの弟子であり, 3
3年 l
とB
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r
l
i
nで 教 授
2年に S
t
r
a
s
b
u
r
gの教授となり, 45年に G
o
t
t
i
n
g
e
n, 56年
資格を主る。 4
頃l
乙Tu
b
i
n
g
e
n,
ζ移って今日に至る。商法,経済法学者として著名であ
る
。
D
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eWirkungend
e
rWechselerklarungenim
戦前の業績としては, '
I
n
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n
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nP
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r
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c
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t,3
1
; DasRechtd
e
rAllgemeinenG
e
s
c
h
a
f
t
s
5がある。 後者はこのテーマ関する代表的文献である。戦
bedingungen,3
後は発 W
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l
f
f,S
a
c
h
e
n
r
e
c
h
tの改訂版を出し (
1
0
.B
e
a
r
b
.5
6
),民法学者とし
ても知られるようになった。その他,民法上の論文としては, E
igentums-
e
s
t
s
c
h
r
i
f
tf
u
rM.Wol任, 5
2
; Ver
廿a
g
s
anspruchundRechtzumB
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z,F
f
r
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e
i
th
e
u
t
e,JZ5
8,1;1]¥あろ υ
(
4
1
) Reinhardt,Rudolf(ノレドノレプ・ライシハノレト
Muhlhausenで生れる。
30年に Kolnの講師,
1
9
0
2年 6且 7日
,
3
5年
,CH
a
l
l
eの助教授,
3
8年に K
o
n
i
g
s
b
e
r
gの教授となる。戦後は MarburgI
乙移って今日に至る。
民・商法,経済法,労働法を講じている。初期の業績としては,人格権に
ハてのまとまっナ:研究と Lて
,
DasP
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nd
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n
ω
1がある。ナチス時代にもかなり活時した
denRechtsordnung,3
G
損害時
に問す三ちものとして, DerE
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s,3
5
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Neubaud
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r
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c
h
t
s,AcP1
4
8(
1
9
4
2
)があるほか,
科書として,
jj];'l~ の教
HandelundGewerbe,38を書いた。戦後の業績としては,
Einfuhrung i
nd
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eR
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n
s
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t,4
9 の編集のほか, U
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s
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und~taat, 51がある。
民法 l
乙関する最近の論文としては, Die¥
l
:
盛 ini-
gung s
u
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r undo
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eimV
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r
t
r
a調 酔s
t
北法 1
1(
1・
1
2
1
) 1
2
1
附
28
戸
6
附・ドイツ私法学者の重量歴と業績
g
e
r
i
c
h
t
s
h
δ
f
e
n,2
3がある。また,比較法の必要性を説いた小篇として,
AufgabeundN
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rR
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u
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g,2
5がある。
B
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n
とくに, 2
7年より Z
e
i
t
"
では,一層大規模な比較法の研究が進められた。
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t
r
e
c
h
tを刊行したこと
は大きな意義があった。この雑誌は現在彼の名を冠した略称 (Rab~lsZ) を
用いて,世界一流の比較法雑誌となっている。 R
abelの比較法学の最高の
目標は私法の国際的統ーであった。ローマの私法統一国際研究所を中心と
してはじめられた動産売買の統一法の編纂において,彼は中心的役割を演
じた。 3
5年 F
:は彼の手による第一次草案が成立した。
DerEntwurfe
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n
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z
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s,R
a
b
e
l
s
Z9(
1
9
3
5
)がそれである。
の杭一法のための基礎資料を提供するために,
さらに,
こ
"
D
a
sRechtd
e
sWaren-
合
,3
6,I
I,5
8が書かれた。これは本文で述べたごとく,比較法の最
k
a
u
f
s,1
高水準を行くものである。この仕事は,第二次大戦後も続けられ, 5
1年の
ハーグの国際会議でも R
a
b
e
l は主たる役割を演じた。
R
a
b
e
l の死後もお¥
'
:
jられて行くで九人弓
この統一法運動は
開際 T~, i去も Rabel
によって開
拓された領域であった。伎の功績は,従来の学説が思弁的または国家中心
的であったのに対し,比較法的基礎の上に国際私 j
去を発展させた点にある o
DasProblemd
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rQ
u
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l
i
f
i
k
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t
i
o
n,R
a
b
e
l
sZ5(
1
9
3
1
),Sonderausgabe,5
6は
との点での劃期的な論文であり,とくにわが閣において庄倒的な影響そ与
;
;
.
.t
:o R
abel白身, 同らしコ jJ
'
i
i
:~~t~Îì 去 AJ 々夫 1-jーしたが, u
九f↓よアメリカにおい
て大著として完成しだ, TheC
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es
t
u
d
y,1
,
4
5,2nde
d
.59,I
I,4
7,I
l
I
,5
0,IV,5
8がそれである。本書は, Rabelの名を
,:
世界的ならしめだ才112で3s ,これまだわが同に大きな影響を与えている。
とのような R
abelのよ1
ポf
fた
と刺戟で満たした」点で
の弓七,
、
ア
J
r
法学を全く新ら Lい理念
Savigny以来の最大の学者であると評した,
Mar
tinWol妊の言葉が最も印象的である。 Rabelの評伝として,前述のほ
か
,
.
;
B
:
t
e
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n
s
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n,G
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rGeheimratP
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tRa-
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l,
費
量
制i
s
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eRundschau5
6,1
3
5
;H
u
s
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r
l,E
r
n
s
tRabel-Versuche
i
n
e
t
附
27
北法 1
1(
1・
1
2
2
) 122
西京イタ民法学の現混
5年 9月 7日,スイスの Z
u
r
i
c
hの病院で息を引き
た。その後まもなく, 5
とった。
時に
8
1歳であった。一流のローマ法学者であり,
ドイツ現代比
abel
ャは,たんにドイツの
較法学の父であり,国際私法に新生面を開いた R
代表的私法学者であったのみならず,文字通り世界的な私法学者であり,
類まれな天才法学者であった。彼の初期の研究はローマ法に捧げられた。
H
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b
i
l
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r
i
f
tである, DieHaftungd
e
sVerkauferswegenMangels
.1
,は担保責任法の学説史的研究として,
imRechte,T
るのみならず,
劃期的なものであ
今日の近世私法史学の先がけでもあり,
一躍有名ならしめた深作であった。
ついで発表された,
若き R
abelを
Nachgeformte
R
e
c
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n zu den Lehren von d
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j
u
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o
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.Rom.2
7(
1
9
0
6
)では, パピノレス学がとり
undvomP
f
a
n
d
r
e
c
h
t,SavignyZ
入れられ,比較法制史的なアプロ{チが見られる。
さらに,
D
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eUnmりg
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l
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nG
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buch,07は学説史的研究にもとづく, BGBに対する批判である。
とのよ
うな R
abelのローマ j
去の研究は, Grundzuged
e
sromischenP
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r
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s,
1
5,2
.Au
,
!
f5
5にまとめられているが,
いる名著である。
られたが,
これまた今「 i古
f
t
l
iを
1ール守ヶー
!ノ」
第一次大戦後の R
abel の関心は主として比較決!こ向:ナ
ローマ j
去の研究も続げられ,それは彼がドイツを去るときに了
った。 R
abelのローマ法学の特色は,パピノレス学をとり入れて,比較法制
]i'去を推進したとと,
史的 1
および i
n
t
e
r
p
o
l
a
t
i
o研究の第一人者であつだが
その行きすぎを警戒しだととなどに求められよう(ローマ法学者としての
l
{a
b
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lに関しては,
Kunkel,E
r
n
s
tRabela
l
sl
(
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i己t
りr
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4
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tSavignyZ
.R
0
1
1
1
.73(1936)を
f
u
rRabel,U,5
参J!
i
U
a Rabelの比較法 i
こ刈する関心は,そのローマ法ル i
i
J
r光 υ
であるとともに,第一次大戦後の講和条約処理のための実際じの必要から
でもあった。彼自身,
ドイツを代表して各種の会議に出席するとともに,
Munchenに比吸法研究室を設立して,組織的研究をはじめた。
この頃の
代表的業績としては, R
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gvordengemischtenS
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北法 1
1(
1・1
2
3
) 1
2
3
附
2
6
附・ドイヅ私法学者の経歴と業績
roblemea
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sdemi
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nEhe関するまとまった業績としては, P
3
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3
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k
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tAbstammung
,
4
8
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nKindesnach
8がある。
demneuenl
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h,4
(
3
9
) Rabel
,Ernst(エノレシスト・ラーペノレ
で弁護士の子として生れた。
1
8
7
4年 1月 2
8日
Wien
大学で学位をとるまで, Wienで成長した。
彼のゴスモポ ~J タシ的性格はそこでっちかわれた。また,音楽の都の出身
にふさわしく,侠はピアノの名手であった。
Wienでしばらく弁護土をや
った後, 1
8
9
9年,有名なロマニスト, LudwigM
i
t
t
e
i
sに招かれて L
e
i
b
z
i
g
k向い,学者としての生活をはじめた。 1
9
0
2年,早くもそこで講師となり
0
4年には助教授となった。 0
6{
Fに Baselの教授となる。 10年[こ Kiel,
1
1年に G
o
t
t
i
n
g
e
n, 1
6jドに Munchenに移った。そこでは, I
n
s
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R
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c
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g
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c
h
u
n
gを設立し,比較法の組織的研究をはじめた。 2
6年[こ,
B
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c
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tが設立され,彼は初代所長として招かれ,同時に B
e
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l
i
n大 学
の教授となった。この頃が,彼の活躍の頂点であった。ナチスが政権をと
るや,ユダヤ系である R
a
b
e
lの不幸の日が始った。
3
5年には教授の地位
を奪われ, 3
7j下[ては所長の席 Yおさぞかされだ。 39:
1'に(土,遂に若:を j
そして
一家をあげてアメりカピ渡「た
えられ,
はじめは, A
mericanLawI
n
s
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i
t
u
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ご迎
ついで M
ichigan お よ び HarvardLaw8
c
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l で Res巴a
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A
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eとして,国隙私;去の大著の執筆に専念した。
戦後は,ふた f
ごび
ドイツとの関係が復活し, T
ubingenの名誉教授となり,また, B
e
r
l
i
n自
由大学の E
meritusの地位を与えられた。しかし; R
a
b
e
lは世界をとぴあ
るき,とくに戦前から関係していた国際動産売買法の統ーのために努力し
た
。
5
4年には,二巻よりなる大記念論文集を世界中の学者から捧げられ
附
2
.
'
)
北法 1
1(
1・
1
2
4
) 1
2
4
r
西ドイヅ民法学の現況
Reformd
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s,4
0(
紹
介
,
)
11
島・法協 5
9巻 4号)の編集をし
た.戦後はとくに労働法の商で活躍している。
各州の労働法規を集めた
A
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.Sammllingd
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n,
49の編
集
, B
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eKommentarez
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t1949(
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tHueck)の
編集,労働判例を集めた A
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x
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s,5
0任. (
m
i
tHueckund
D
i
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t
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)の編集をはじめ,
1
9
4
8年より労働法の専門誌 R
e
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td
e
rA
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e
i
tを
編集している。さらに彼の編集にかかるものと Lては,ポシ基本権につい
ての, D
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.Handbuchd
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rGrund-
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e,4Bde,5
4f
f
.(
m
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tNeumann,ScheunerundB
e
t
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n
n
)を逸する
ことができない。なお経済法に関しては, D
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g,5
4が問題を投じている。
民法上でも大 L、
l
こ活躍していること本文で述べたとおりである。
(
3
8
) Raape,Leo(レオ・ラーぺ
1
8
7
8年 6月 1
4日
, R
heydtで生れる。
χitelmannの弟子で, 1
9
0
6年に Bonnの講師
08平に H
a
l
l
eの助教授,
1
5年 l
こ同所で教授となり, 2
4年に HamburgI
こ移る。現在すでに 8
0歳を
去の第一人者で
越えた老大家であるが,なお元気で活躍している。国際私 j
ある Raape も本来はロマニストであり,
い
。
初期には民法上の業績が多
Dasg
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3が代表的であり,
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その他,
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g,AcP147,
(
1
9
4
1
)があり,今日でも価値ある論文とされている。 Raap
巴の後半生は主
として間際私法の研究に棒げられている
S
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sKommentarzum
BGBundEG,VI,2,9
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.3
1に お け る 国 際 私 法 規 定 の 詳 細 な 註 釈 に
はじまり
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甘a
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t,3
8
/
3
9で一応完成した。この教科
4
.A
u
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l
.5
5
),戦前戦後を通じて最も標準的なもの
書はその後も版を重ね (
l大きな影響を与えている。その他,国際私法に
として,教育上,実務上ζ
北法 1
1(
1・
1
2
5
) 1
2
5
附
24
一 円 一 一 戸 ' "〆
一一一
一一一一一
F
円
附・ドイツ私法学者の経墜と業績
教授となる。以後どこへも移動しない。戦後は,連邦労働裁判所のノ長官を
兼ねている。文字通り,現在西ドイツ私法学を代表する学者であり,とく
に労働法では最高権威者といってよい。
最初より労働法に関心をもち"
D
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nとして, G
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rErpressungdurchDrohungu
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9がある。
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rmodernenArbeitskampfe,1
ついで,第一次
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1i
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f
tとな
大戦中,およびその後の法律現象に関心を示し, Hab
ontrahierungszwangundd
i
k
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r
t
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rVertrag,20は契約自由の制
った, K
限の問題についての古典的名著であるし, V
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eundNichtzumut-
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td
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rL
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s
t
u
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g,2
1は事情変更の原則についての小篇である。
年代はもっぱら労働法に従事した。
20
Praktikum'd
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s,2
2
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sKomm.zum
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t,2
BGB,9
.A
u
f
t
.B
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.2,27/28がその主な
の共著の代表的教科書,
あるが,
これらは Hueckと
Lehrbuchd
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s,B
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.2,K
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.A
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.5
7(ドイツ労働法研究会による献訳がすすめられて
A
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e
i
t
s
r
e
c
h
t,28,6
川る)となって結集した。
その他, N
ipperdeyの'万働;去に関する業績は,
各種の労働法規のコンメシターノレの編集や判例の編集,批判によってす
すめられた。 他方,当時の経済法 l
こ関する研究としては, S
tromsperre,
ZulassungszwangundMonopolmisbrauch,2
9
; Wettbewerb und E
x
i
s
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e
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r
n
i
c
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t
u
n
g,3
0などがある。
乙のように労働法や経済法を開拓した
Nipperdeyはワイマーノレ送、法の基本権に注目し, 自ら編集者となって綜合
的研究を完成しだ、
D
i
eGrundrechteundG
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rR
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-
9
3
0がそれである(紹介,我妻・法協同巻 8号
)
。
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g,3Bde,2
民法に関
しては,コ宅 n
n
e
c
c
e
r
u
s,AllgemeinerT
e
i
lの改訂者となり, 1
3
.A
u
f
t
.3
1を
出した。これは,戦後上下二冊にわか
Nipperdeyの長大の業績となる
わけである。ナチス時代には, G巴s
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t
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rOrdnungd
e
rn
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,
Kommentar,3
4,4
.A
u
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t
.4
3(
m
i
tHueckundD
i
e
t
z
)があるほか,債権法の
eugestaltungd
e
rungerechtenBereicherung,3
7
;
改正問題応従事し, N
WarumdochGefahrdungshaftung,3
9を書いたほか, Grundfragend
e
r
附 2
3
北去 1
1(
1・
1
2
6
) 1
2
6
1
ノ
少P
西ヤイ Y民法学の現況
(
3
5
) M
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F
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n
f
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l
s, W olfram (グ寸ノレプラム・ミュラ.....=フライエ
シブェノレス
1
9
1
6年 6月 3日
, K
onstanzで生れる。法学のほかに,政
3年に Kδnigsbergの講師,
治学のドクターの称号をもっ。 4
同年さらに
Giesenの助教授, 46年に Marburgの教授となり,最近 Frankfurtに移
った少壮教授である
P
民法,
比較法を専攻する。
戦前の業績には
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*
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h
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f
t,5
f
tが代表的業績である。比較法,
とくに英米法の成果をとりいれて,新らしい Dogmatikを展開しようとし
ている点に特色を有する学者である。
K
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W
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t の改訂
者であり,その成果が待たれる。そのためか,最近は親族法ζ
l関する論文
が多い。
Zurh
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n"
S
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l
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ぺFestschriftfurLehmann,1,
56;
物Kernfragend
e
sG
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5
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landComparative
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fHusbandandWifei
nFamilyLaw,8I
LawQ
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1
9
5
9
)2
4
9
; DerE
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nGewalt,]Z5
9,3
3
9,3
9
6な ど が そ れ で 、 ず れ
も力作である。
(
3
6
) Niederlander
,Hubert(プ{ぺノレト・ニーダーレシダー)
生年不
詳
。 Grazの教授から,最近 H
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乙移ったロマユスト。ローマ法の
業績としては,持D
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h巴n
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3がある。民法上では,いわゆる u
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況に関す
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g
る論文が有名である。 S
n
i
s
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n,AcP1
5
3,4
1
; 執H
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s
s
e,JZ5
9,6
1
7が
それである。その他,比較法をも得意とする。
(
3
7
) Nipperdey
,Hans C
arl (ハシス・カ』ノレ・ニツパ ダイ
1
8
9
5年
1月 21日
, BadBerkaで生れる。 H
e
i
n
r
i
c
hLehmannの弟子で, 1920年
にJ
enaの講師, 2
4年に同所で助教授となったが, 25年に早くも Kolnの
北法 11 (
1・
1
2
7
)
1
2
7
附
2
2
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
(
3
4
)"
M
u
l
l
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E
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b
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e
h,RUdolf(ノレドノレプ・ミュラー=エノレツパッハ}
1
8
7
4年 3月 2
3日
, P
e
r
l
e
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e
r
gで生れた。 1
9
0
3年に Bonnの講師, 1
1年に
Konigsbergの助教授, 18年に G
δ
t
t
i
n
g
e
nの教授となり;2
5年に Munchen
l
と移った。利益法学派の唯一の生き残りであったが, 8
5歳の誕生をすぎて
59年 8月 4日に死んだ。彼の一生は新らしい法学のための斗かいであった
といってよい。
H
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b
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l
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tである
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c
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e
l
t,0
5において,
早くも利益法学の璃芽が現われている。
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7~[続く,
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9
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2
4,2
.U
3
.AufL2
8はドイツ商法に関する劃期的な名教科書として今日も高く評価
されている。
30年代には,
利益法学の理論を展開し,
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ehemmt,3
9 (批判的紹介, 1
[
1島・法協 58巻 4号)
をあいついで発表した。ナチスの批判j
に答えて,利益法学の発展が見られ
るとともに,ささやかながらナチス理論に対する抵抗も行なった。この聞
にあって方法論を具体的に適用した論文として,
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eErhaltungd
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sUn-
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1(
1
9
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8
)
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1
2
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1
9
3
3
)
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4
2(
1
9
3
6
)などがある。戦後は,利益以外の
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sRechtsdenkenという理論に
要因をもとりあげる乙とによって, k
到達し, Dasp
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8 (紺介,崎回・新報 63巻 6号)において具 t
4
(的な検討‘
s
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nRechtsdenkens,4
をなした後, D
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0において綜合された。
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E
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hの到達したこの方法は,
利益法学の進むべき道を示した
ものとして,将来のドイツ私法学にとってきわめて重要である(小林「利益
法学」法哲学講座 4巻参照)。
附 2
1
北法 1
1(
1・
1
2
8
) 1
2
8
西ドイツ民法学の現況
に関するものでは,
HandwahreHand,F
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8
8
6年 1
0月 3丘
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nで生れ, Munsterで成長した。 1
9
1
4年に Munsterの講師, 2
2
年に L
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gの助教授, 30年に G
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dの教授となる。 46年に Maing
k移って今日に至る。 R
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zの最高労働裁判所の長官を兼ねて
いる。グノレマニストであり,労働法の大家として有名である。古くより労
こ従事し,
働法 i
DasWesend
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9,,乙続き, 解雇について, ZurEntwicklungd
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s,3
1
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5,2
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の代表的文献となった。ナチス時代には,さらに D
3
8があるほか,
産業法に関するものとして
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sHandwerks,3
9がある。
史学の面では,
こ関し,
中世史 l
法
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世史に関する公私同 )jの概説書が出た。
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9がそれである。このように公私両 i
去に通ずる M
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rによって,可J
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9が書かれたのは当然であろう。
民
法に関しては,特殊研究はほとんどないが,債権法の要領のよい教科書と
して,
う
争
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8,6
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9,4
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8がある o その f
也
現在でも労働法に関する業績が多い乙と,いうまでもない。
北法 1
1(
1・
1
2
9
) 1
2
9
附
2
0
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
柏木「法と裁判官」私法 6号参照)。そこには,一方に偏することのない穂健な
態度がうかがわれる。社会の進歩についていくが,伝統的理論を破壊する
ことはない。よかれあしかれ, Lehmannは今世紀前半めドイツ私法学を代
表する学者である。
(
3
1
) Lent,Friedrich(フリー十日ツヒ・レシト
まれ, 1
9
6
0年 4月 3
0日に死んだ。
1
8
8
2年 1月 6自に生
代表的民訴学者であった。
1
9
0
9年に
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gの講師, 1
2年に Jenaの助教授, 1
8年に Erlangenの教授に就
任し,以来数年前に引退するまでそ乙にとどまった。民訴に関する業績は
Beck社の J
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8
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.5
8
.に要約されよう。民法(こ関するものも
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8が戦前の業績である。
戦後は,
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0の著者として知られている。
(
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2
) vonLubtow
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h(クノレリツヒ・ブオシ .9ュプトク)
生年不詳。
戦時中にすでに R
ostockの教授であった。戦後, 4
9年 頃 B
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nに移る。
ロマニストであるが,現行民法制度に関するローマ法以来の学説史的研究
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J多い ι
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2
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u)があるが,最近はローマ j
去の長年の研究の成果
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eundVerfa¥
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と思われる業績が見られる。B¥u
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4
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5,716S
.がそれである。最後
のものは,主著といえるであろう。その他,論文中にも力作が多い。民法
附
1
9
北法 1
1(
1・
1
3
0
) 1
3
0
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"
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1
6
)が初期の論文であるが,
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ナチス時代には, K
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8とし、う論文のほ
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tdemRechtd
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rHandelsか,教科書として, H
)"
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l
.4
3を書いた。戦後は, H
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9がある。 乙のほか,ナチス時代の業績として,
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Lehmann は建設者としての名誉を有する。 G
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二。労働法
のモノグラブィによって,この新らしい法領域の開拓がなされ f
については,比較的研究が少ない。しかし, D
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eGrundgedankend
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sneu巴n
2でキ Dス ト 教 的 述 荷 主 義 を 主 張 し た ほ
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2がある
Q
とと 7)で
, Lehmannの業績 i
r1,最も庁名なのは
ehrbuchd
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sAllgemeinenT
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民法に関する三つの教科書である。デーL
9,11
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8
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って新らしく書かれたほか,
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は1
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3
0年の 1
1版より伎によって書き加えられていつ売。とれらはナチス
時代には中断したが,戦後さらに書き加えられて今日に至っている。さい
どに
Lehmann にも法哲学に関するものが若干ある。 L
o
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eGedanken
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u
rGesetzgebungsskunst,
1
8
; RethtundG
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8などがそれである(なお
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北法 1
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1・
1
3
1
) 1
3
1
附
1
8
附・ドイジ私法学者の経歴&業績
績であるし,
,
吋..eh
rbuchd
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s,1
,5
3
,I
I56
,4
.Aus.60は今日
における代表的教科書である。その他,本文で述べたように,論文も多
く,また学会における活躍もめざましいものがある。なお,民法総則の教、
科書の執筆が予定されている。
得。) Le
hmann,Heinrich(ハ-1 y 9ッヒ・レーマシ
Pmm
/
E
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lで生れる。
なる。
1
8
7
6年 7月 2
0日
,
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nの弟子であり, 1
9
0
6年にボシの講師と
1
1年 I
CJenaζ
I移って助教授,
翌年そこで教授となる。
1
8年に
S
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g
,2
0年に KδlnI
と移り, もはや動かない。現在 8
0歳をすぎて,
なお元気に講義をし,研究を続けている ι 今世紀前半の最大の私法学者の
一人であり,文字通り M
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rである。乙乙では,とくに, 8
0歳記念論文
集 D
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r
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s,1
,5
6に
おける N
ipperdeyの序文にしたがって,
を伝えよう。
比較的詳細にこの巨匠の全貌
Lehmann の初期の作品は民法の解釈に向けられた。 D
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U
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l巴n
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g,0
4と題
する D
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C
:
続
き
,
民?去における不作為義務を論じた H
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tである。 DieUnte
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u
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nRecht,
06は Lehmannを一躍有名にした。ついで関心は民訴に移る。 DerP
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1(
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r,H
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rLehmann,I
I
) をはじめとし, D
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rKruger,1
2
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6
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5へ続き,
p
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e,2
1
9
2
8年の J
u
r
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e
n
-
t
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gにおける, d
E畑訴訟手続の改正についての有名な Gutachten(
V
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u
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g
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nd
e
s3
5
.DeutschenJ
u
r
i
s
t
e
n
t
a
g
e
s
)に 至 る 一 連 の 研 究 が そ れ で あ
る。それちを通じ,濫訴をいましめ,和解を奨励する点に特色がある。商
法5 とくに会社法もまた Lehmannの重要な研究領域である。
DieEnt
・
h
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gd
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s
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r0任enenH
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d
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l
s
g
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s
e
i
l
附
1
7
北法 1
1(
1・
1
3
2
) 1
3
2
商ドイツ民法学の現況
dupgenundE
r
b
s
c
h
e
i
n
.という 5つ の D el
i
k
s
c
h
r
i
f
tとして完成した。
この
委員会の仕事は原則としてナチスの影響の外にあったと称せられているの
で
,
乙の点、での L
angeの努力は高く評価されるべきであろう。他方,
の時代ζ
l実証的な中世刑法史の研究として
l
こ
DasV
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ubungimM
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t
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l
t
e
r,4
0を著わした。戦後における Langeの活躍は,比
較的乏しい。教科書として,持BGB
,A
l
l
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e
rTeil
.E
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h,52,
4
.A
u
f
l
.5
8があるほか,
論文としては,
!
'
H
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ld
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r
Leh
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evomadaquatenKausalzusammenhang
,AcP1
56,1
1
4が注目され
1
.
る程度である。なお, L
e
hrbuchd
e
sE
r
b
r
e
c
h
t
sの近刊が予定されている。
(
2
9
) Larenz,K
arl(カ{ノレ・ラーレシツ
1
9
0
3年 4月 2
3日
, W
eselで
9年 l
と G
o
t
t
i
n
g
e
nの講師, 33年に早くも K
i
e
lの教授となり,以
生れる。 2
i
e
l学派の中心人物として,
後 K
ナチス法思想、およびナチス私法学とくに
契約法の商において,積限的 l
こ活躍したことはあまりにも有名である
i
e
!にとどまり,今日[て至る。
後も K
債権法では,
O
戦
いぜ λ第一人者心地 j
¥
1
を保持している。初期の業績としては, R
e
c
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l
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s
o
p
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i
e
d
e
rGegenwart,31,2,A
u
f
l
.3
5
.があり,新へーグノレ派の法哲学を代表して
)。本書第二版のほか,ナチス時代の
いる(邦訳,大西・伊藤「現代ドイツ法哲学J
乙関するものとしては, D
eutscheR
e
c
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u
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gundR
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s
法哲学 l
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h
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e,3
4(紹介,大塚・時報 7巻 1号); UberGegenstandundMethode
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s
d
e
n
k
e
n
s,38(紹介,大西・論叢 41巻 1号)があり,
いわ
ゆる具体的技序思想を展開している。民法の面では,ナチス私法学の樹立
に努力した。 D
i
eWandlungd
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g
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f
f
s,D
e
u
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sRecht,35,
4
8
8 (紹介,我妻「ナチスの契約理論」杉山教授還暦祝賀論文集); R
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unds
u
b
j
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t
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v
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sRecht,35(紹介,小林・国家 5
1巻 4号jがそのあらわれである。
VertragundUnrech
t
.
.Teill,36,T
.2,37はナチスの債権法の教科書とし
1号
)
。 戦後も第一線で活躍している。
て代表的である(紹介,谷口・時報 9巻 1
普
G
e
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g,51,2
.
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l
.
.57 は劃期的業
北法 1
1(
1・
1
3
3
)1
3
3
附
1
6
之"..~--"tでて
) 泊 、
--'~';:--,,"一一司ー
τ
吋
-.
,
.
"〆
-'>"', .γ
f
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
i
Veranderungend
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rden4
0
.D]T,5
3がそれに関する業績であるレ Kegelは国際
私法においても今や第一人者である。 DerG
egenstandd
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rRaape,4
8をはじめとし,多くの論文がある
P
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c
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s,F
ほか,とくに S
o
e
r
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l,Kommentar,8
.A
u
f
l
.5
5における国際私法の註釈は
彼の地位を決定的ならしめたものであり,さらに最近, InternationaI~s
Pt
i
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.EinS
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i
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n
b
u
c
h,6
0が出版された。乙れは, ドイツにおける
戦後はじめての新教科書であり,わが国においても今後大いに利用される
ものと思われる。
(
2
8
) Lange,Heinrich(ハイシリッヒ・ラシグ
1
9
0
0年 3月 2
5日
,
L
e
i
p
z
i
gで生れる。 2
9年{七,そこで講師となる。 3
4年[と B
r
e
s
l
a
uの教授と
なり
3
9年に MunchenI
と移る。戦後は, S
aarbruckenを 経 て , 現 在 は
Wurzburgの教問である。 代表的ナチス私法学者の一人であった。初期の
業績と Lては
Dask
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0がある。
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n,3
あり方を唱えて,
ナチス時代 l
と入るや,新らしい私法学の
多くのパシブレツト類を書いた。 L
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-
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.Vortrag,3
4
; Voma
l
t
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nzumneuenS
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t,34(紹介,
中
J
l
i・論議 33巻 61才); LageundAufgabed
e
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t,
3
7
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3
3
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t,4
1がそれであ
ろ
。
伝去の教科書というべき
ナチス物 t
この間にあって,
undG
e
l
d,T
e
i.
l1
3,3
74
2そ著わした
←
会の委員長として活躍した。
G
Boden,Ware
さらに, Langeは相続法改正委員
その結果は, DasR
echtd
e
sTestaments,37
(紹介,山田・民商 7巻 6号); D
ieOrdnungd
e
rg
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e,38(紹介
山田・法協 5
7巻 8号);D
ieRegelungd
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rErbenhaftung,3
9;Erwerb
,Siche~
rungundAbwicklungd
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4
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,andereZilweI
i
附
1
5
北法 1
1(
1・
1
3
4
) 1
3
4
.
r
一
一
一
一 一一一←→
有
西ドイツ民法学の現祝
手
1
5
3,
2
9
7
;発G
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g,AcP1
5
5,8
5
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f
u
t工ehmann,I
I,5
6
; 恭Derz
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57
,
5
2
1
; Derb
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r
u
n
g
s
8,4
8
9がある。わが国では,無体財産法の専門家がいない
anspruch,JZ5
ζ
とが嘆かれている今日, Hubmannのような行き方は一つの模範となる
であろう。
(
2
6
) I
s
e
l
e,HellmutGeorg(
へ jレムートグオノレグ・イゼーレ
1
9
0
2年
3月 2日
, B
odenseeのほとりの Konstanzで生れる。 32年に F
r
e
i
b
u
r
gの
講師となる。
K
i
e
l, H
a
l
l
eへ経て
4
0年 l
こ Wienで教授となる。 4
6
:
1
ー
に
Mainz の教授となり,今日[こ至る。民 ;'L の J まかに,商法,注 j斉 U~ ,
労働:去
を研究している。民法に関する戦前の業績としては, G
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u
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Umrissee
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sSystems,3
5
; Fami
1i
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n undF
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l
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r
b
e,3
8があ,:'), と
くに,前者は高く汗価されている ο 戦後(土
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、
P
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x
i
s(
A
c
P
)の編集をしているほか,民法上では目立った活躍をしていな
(
2
7
) Kegel
,G
erhard (グノレハノレト・ケーゲノレ
1
9
1
2年 6月 2
6日
,
Magdeburgで生れる。 必
4
6
.
:
平
F
三
に K
王
匂
り
引
凶
l
nしλ
ん 品帥
l
日
却
j
r
i
r
i
j,印
5
0:
午
J
子一に敦ほと
1
至る。民法,商法,国際私法,比較法の第一線で活躍している中里私法学
roblemed
e
r
者の一人。業績としては,相殺制度の比較法的研究である, P
Aufrechnung.G
e
g
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l
l
t,3
8!と続き,戦時中よめ戦後 l
てかげでは,戦争の契約 l
と与えだ影響が
主たるテーマとなる, D
ieEinwirkungd
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sK
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i巴g
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RuppundZ
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戸
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tdemAusland
,
4
8
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,49; 持 Empfielt es sich,den Einflus grundlegender
北法
1
1(
1・
1
3
5
)1
3
5
附
1
4
ヘ
~
的・ドイヅ私法学者の経歴と業績
つの主著を世に問うた。
i
c
h
t
l
i
n
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eundK
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s
u
i
s
t
i
kimAufbauvon
ついで R
Rechtsordnungen,4
2を発表して終戦を迎えた 6 日i
p
p
e
lの戦前の業績は,
現在の新らしい私法学の方法論ζ
l対し大きな影響を与えている。ナチス時
代l
と大勢に迎合しなかった(たとえば, 'Ac
P147,207を見よ)Hippelは,戦後
a
dbruchなどとともに,ナチス法体制の批判と新しい法学の樹立に努
は R:
力した。Di
en
a
t
i
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l
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n
u
n
ga
l
sWarnungund
.A
u
f
l
.4
7は
,
Lehre,2
法学者によってなされたナチス批判としては最も
すぐれたものの一つであったし,ついで, V
orbedingungene
i
n
e
rW
i
e
d
e
r
-
gesundung~utigen
Rechtsd~nkens,. 4
7は法学の今後の進むべき道を示
すものであった。 H
i
p
p
e
lはまた Radbruchを尊敬し,
その死f
灸,遺稿の
l
e
i
n
e
sR
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c
h
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v
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e
r,5
4
),GustavRadbruch
編集をするほか(とくに K
a
l
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l
o
s
o
p
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rDenker,5
1を箸わしたが,
これは R
adbruch,
R
e
c
h
t
s
p
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i
l
o
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o
p
h
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e 中の E
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kWolfの序文とともに,代表的な Radbruch
の評伝である。最近は,法秩序の哲学的考察に関するものが多い。 D
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e
P
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r
v
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r
s
i
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nvonRechtsordnung,5
5は法秩序の倒錯という立場から,前述
のナチス批判を発展させ,他方,ソヴェト的体制とも対決しようとするも
innwandelu
n
s
e
r巴sP
r
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r
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c
h
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s,
のである。その他,吃 umAufbauundS
5
7
; Recht,S
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nimAufbauvonS
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n
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n
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n,5
8
がある。
(
2
5
) Hubmann,Heinrich(ハイシリッヒ・フープマシ)
Munchenの講師から
生年不祥。
5
6年頃に E
r
l
a
n
g
e
nの教授となった新鋭私法学者
である。民法のほかに,無休財産 j
去の分野で早くも第一人者である。業績
e
r
s
δ
n
l
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c
h
k
e
i
t
s
r
e
c
h
t,5
3はその後の人格権ブームピ対して基
として,持DasP
礎を提供した。ついで,人格権の発展として著作権法に研究が向けられた。
DasRechtd
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ss
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δ
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nGei
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.
9がその成果である。
EinS
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n
b
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h,5
その他,雑誌論文にも法目ずべ
きものが多い。代表的なものとして, N
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tundR
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t
s
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l,ACP
附
1
3
北法 1
1(
1・
1
3
6
) 1
3
6
四‘ドイ Y民法学の現涜
R
e
c
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n
s
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t,1
9,2
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.27;
持S
c
h
u
l
d
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h
t,2
1,3
.A
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l
.49;
焚S
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c
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t,24,3
.A
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l
.6
0がそれである。
さら l
,
乙 一般条項の濫用を警告
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n
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l
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n,33も有名である。
した D
ナチス時代に
l関する大著, D
e
u
t
s
c
h
e
s
は大勢に迎合した。 しかし, その中では,経済法ζ
9,2
.A
u
f
l
.43(紹介,吾妻・法協 5
8巻 1号)が評価されるべ
W
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t
s
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s
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c
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t,3
きであろうか。
ナチス立法の最終段階ともいうべき V
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k
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n
作制では自ら主役を演じた。 DasV
Be
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t,
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1
;DasV
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sFundamentG
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,42; V
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g
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nund Buch1
. Entwurf und
" 弓
E
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u
n
g
e
n,42が彼の名とともに残ることとなった。 戦後もいぜんと
、
る
。
して文筆活動をつづけて v
教科書の新版を出したほか, 独立の刊行
rundprobleme d
e
sW
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n
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物としては, G
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rFrau,5
2がある。 58年の 80歳誕生凶には, Recht
undW
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s
c
h
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f
tと題する祝賀論文集を捧げられた。
(
2
4
) von H
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I,F
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z(ブリッツ・ブオシ・ヒツぺノレ)
1
8
9
7年 4月 2
8
臼
, R
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t
o
c
kにおいて,刑法学者 R
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b
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tvonH
i
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e
lの子として生まれる。
Kolnの公法学者, E
r
n
s
tとは兄弟である。 最初, 裁判官をやっており,
1
9
3
0年に F
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n
k
f
u
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j
M
.で講師となる。 3
3年 に は 教 授 と な り , 41年に
5
1年頃) F
r
e
i
b
u
r
gピ移り, 今日 l
乙至る。 教 科 書
Marburgへ移る。 戦後 (
を書かないため, わが国ではあまり知られていないが,民法, 民訴, 法哲
そ講じている代主的弘法学者の俳人である。 教科書壬書かない代りに,
Q
lu
た
だ
ニークなモノグラブイが多い
二L
いずれも難解である。 初期の業績
Zur G
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3
1
; FormalismusundR巴c
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t
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k,
3
5に続
き
1
9世紀の法律行為理論を分析した DasP
roblemd
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巴c
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n
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3
6,および民訴における姉妹編たる W
1
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s,3
9というこ
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3
7
北法 1
1(
1・
1
3
7
) 1
附
1
2
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
vonG
i
e
r
k
eの子。すでに 8
0裁をすぎた老大家である。 G
o
t
t
i
n
g
e
nの 教 授
で,商法学者として令名高い。民法上の著作としては,唱a
chenrechtdes
BGB,2
5,4
.A
u
f
l
.59がある。
その他,主な業績は以下のごとし。
Die
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nSache,1
8
9
9
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託e
s,B
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.1
,1
9
0
1,B
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0
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8
; Handels-und .
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5
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4
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n~.βchtsbücher undi
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n,
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1
;Der
,41;
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t nach deutschem Recht
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7,I
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;Grosed
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rVergangEmh
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nReimspruchen,4
9
: DasRechtd
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e,5
4
.
(
2
3
) Hedemann,JustusWilhelm (ユストゥス・ヴイノレヘノレム・へーデマ
γ1878ド
) 4月 2
4日
, S
c
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nの B
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gで生れる。 1
9
0
3年に B
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で IWini~ となる。
06: 下に Jena の助教授,
0
9{I:に教授となる。
以後長
ιく
J
e
n
aで活躍し, 3
6年(こ B
e
r
l
i
nに移る。現在は Emeritus(退職者)として,
執筆活動を続けている。いうまでもなく,民法と経済 j
去の領域において,
わが国に大きな影響を与えた私法学者である。以下,主な業績をあげよう。
e
r
g
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mnachdemRechtd
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sDeutschen
初期の作品では, DerV
3
; DieVermutungnachdemRechtd
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sDeutschenR
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s,0
0
4につづき,ライフワークと川うべき, D
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t,1
,1
0(一部の紹介,我妻・志林 24巻 3
,
4,
5号)が早くも公干Ij
されている。
:
=
l
:
]
巻
オニ書は, J
I'
1,Dasm
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eBodenrecht,3
0(紹介,我妻・志林
9号
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, J
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2,D
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e Entwic
1
dungd
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sf
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l
l
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nBodem
・e
c
h
t
s,35(紹介,我
妻・法協 5
3巻 1
0号)と続き,わが固に大きな影響を与えている。非常に早い
時期に BGBの註釈学派たることをやめた Hedemannは,さらに Werden
3において,それを宣言した。 第
undWachsenimB
u
r
g
e
r
l
i
c
h
e
nRecht,1
一次大戦後は,
独特な教科書をあいついで著わした。
附
1
1
Einfuhrungi
nd
i
e
北法
1
1(
1・
1
3
8
)1
3
8
西ドイヅ民法学の現況
4
9,2
.A
u
f
l
.(
)
O,最近では,ドイツ比較法学の最高の業績といわれる持Grund5
6が
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zundNormind
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ある。、その他,論文では, D
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s,
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3,1
2
9
;I
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dRechtsneubi
1
dungimFami
1
i
e
n
r
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c
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t,}Z
5
3,5
2
1などが注目されている。
きわめて νャープな学者であり,
英米法
の影響をうけて,帰納的な方法を用いている。そのするどい書評は定評が
ある。今後,もっとも注目すべき学者である。
(
2
0
) Flume
,Werner(ヴエノレナー・ブ Jレーメ)
生年不詳。
ローマ法学
c
h
u
l
zの弟子で, Bonnの講師から, G
o
t
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i
n
g
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nの教授となり,現在は
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Bonnに戻っているロ民法, ローマ j
去のほか
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k三 ι
町冗している ω 民法
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mundKauf,
関係の業績としては,本文で紹介しだ,長 E
4
9;
後DerWegfalld
e
rBereicherungi
nd
e
rEntwicklungvomr
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ischen
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rNiedermeyer,5
3が代表的である
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n
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nRecht,F
O
税法では, S
teuerwesenundRechtsordnung,5
2がある。
(
2
1
) Gernhuber,Joachim(ヨアヒム・グノレンフーパー)
生年不滞。 3
0
代の新鋭グソレマニストである。 Bonnの講師を経て, K
i
e
lの教授となった
が
, 6
0年 l
とT
ubingenI
C移った。
法制史の著述としては
ドイツ法制史,
民法,
商法を専攻する。
DieLandfriedensbewegungi
nI
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nvon1
2
3
5,5
2がある。
民法でほ
D
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wirkungenimS
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8という小 r
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l
t王があ
る。近く,親族法の教科書がでる予定である。乙の l
j
i面i
の論文としては Das
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eVerm
りg
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nLebensg
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t,FamRZ5
9,4
6
5
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t,S
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n
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n
u
n
gundFami0,3
2
6が力作である。
l
i
e,FamRZ6
(
2
2
) vonGierke,Juriu日(ユりヲス・フオシ・ギ~)レケ)
北法 1
1(
1・
1
3
9
) 1
3
9
附
1
0
有名な O
t
t
o
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
(
1
7
)E
i
c
h
l
e
r,Hermann(ベノレマシ・アイヒラー)
生年不詳十日ナチス時
urnberg商科大学の教授である。民法,経
代より活躍している。現在は N
済法を専攻。
ナチス時代の業績とじては,
WandlungendesEigentums.
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s
u
n
gundGesetzgebung
,38カfナ
チス的所有権概念を樹立しようとたものとして有名である(書評,我妻・法協
5
7巻 5号)。戦後の業績としては,特D
i
eRechtslehrevomVertrauen,5
0
;
0;
特I
n
s
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u
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1,5
7,I
I
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s
r
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c
h
t,5
2,6
0があり,かなり活躍している。
(
1
8
) Erman,Walter(ワノレター・ヱノレマ γ1904年 9月 1
9日
, Mun
岨
s
t
e
r
j
W
.で生れる o 3
0年に Munsterの講師となる。現在は Kolnの教授。
i
s
s
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n
s
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l
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sE
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g
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n
t
l
l
m,
民商法,民訴を専攻。戦前の業績としては W
2
9
;P
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g
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g
r
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l
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g
eがあり,
l
l
mBGB,5
2,2
.Au臼 5
8の編集者として,名
戦後ば,持HandkommentarZ
を知られている。最 ;
1
5:の論究としては,
;~Zll
denRechtend
e
sS
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k
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s島1
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n
g
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rSache,]Z6
0,4
1がある。
(
1
9
) Esser,Josef(ヨーゼブ・エッサー
heimjMainで生れる。
1
9
1
0年 3月 1
2日
, Schwan-
4
0年に F
r
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u
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g
j
Br
.の講師
4
1年に G
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l
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の助教授, 4
3年には早くも I
n
n
s
b
r
l
l
c
kの教授となる。戦後, 4
9年 l
こMainz
k移り,今日 l
こ至る。民法,民訴,法帯,比較法と各方面[と活躍しており
最も実力のある私法学者の一人である。今日までに,すでに注目すべき多
くの業績を発表している。戦前のものでは,プィクジヨシについて論じた
Wertl
l
n
dBedeutungd
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k
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n,4
0, 危険責イ寸.をとりあつかっ
r
l
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n
d
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g
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nl
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dEntwicklungd
e
rGefahrungshaftung,4
1があり,い
たG
ずれも今日高く評価されている。戦後の業績の中では,まず法の根本理論
infuhrungi
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eGrundb
e
g
r
i
任ed
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sR
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c
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sundS
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s,4
9,
を論じた E
ついで債権法の代表的教科書の一つである持L
ehrbuchd
e
sS
c
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u
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d
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c
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s,
附
9
北法
1
1(
1・
1
4
0
)1
4
0
f
習
ドイツ''I誌法学の現混
(
1
5
) Do
l
1
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,Hans(ハシス・デレ)ー
1
8
9
3年 8月 2
5日
, B
e
r
l
i
nで生れる。
23年に B
e
r
l
i
nの講師,翌 2
4年に Bonnの教授となる。以後, Strasburg
を経て, 4
6年 K
.Tubingenの教授となり,
同時に,
.
:
R
a
b
e
l
; Heymannの
6年,研究所が
あとをつぎ,比較私法研究所の三代田の所長を兼ねた。 5
HamburgI
乙移転するにつれて,そこの教授となって今日に至る。
比較法,国際私法が専攻課目である
D
民法,
戦前の業績としては, Dasm
a
t
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1
1
e
:
IF
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5
; Derd
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6
; LehrbuchdesR
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c
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s
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f
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c
h
t
s,3
5があり,
ナ
チス時代にかなり活躍した。戦後は大きな仕事をしていないが,気のきい
た論文が多い。
代表的なものとしては,勢G
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n
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・
.
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6
; Vom S
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e,4
9
; 持Dasb
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Gesetzbuchi
nd
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rGegenwart
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0
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3,
3
5
3
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eSamenubertragung,
F
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.1
8
7
250,5
4
;"
J
u
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i
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巴E
ntdeckungen,5
8などをあげることができょう。
(
1
6
) Dulckeit,Gerhard(グノレハノレト・ドウノレカイト
1
9
0
4年 6月 6日
Rigaで生れる。 3
4年に Gottingenの講師, 3
8年に H
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d
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l
b
e
r
gの教授と
なり, S
trasburgを経て, 4
7年に Kiellc移る。 5
4年 1月 1
6日,比較的若
くして死んだ ι ロマニストであるが,民法,法哲学にも詳しい。へーグノレ
a
t
u
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tundp
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sRechtb
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i
学派の一人であった。業績としては, N
Kant,3
1
;E
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巴r
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i
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iAntretungd
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3
4
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simG
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eHegels,4
7
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g
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c
h
t
巴,
50(
書評,平野・
名大法政論集 1巻 3号); V
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n
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rRechte,5
1(紹介,林
脇・法学研究 2
9巻 9号。ただし,乙れは Westetmannの書評, AcP1
5
2,9
3のひきう
っしである。); R
omischeRechtsgeschichte,52がある。
北法
1
1(
1・
1
4
1
)1
4
1
附
8
τ~
←で~~---てマ
ヶy
-ーヤ
ー[':'f?-:;>
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
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-undS
c
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e
c
k
r
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c
h
t,54を編集している。
(
1
3
) Coing
,Helmut(へノレムート・ゴーイシグ
1
1
9
1
2、
年 2月 28日
, C
e
l
l
e
で生れる。 4
0年に F
r
a
n
k
f
u
r
t
j
M
.の講師,同年さらに助教授となり,以後
8年に教授となる。法史学,法哲学,民法の三分野にわ
ど乙へも動かず, 4
戦前は主として F
r
a
n
k
f
u
r
tにおける
たってめざましい活躍をしている。
ローマ法継学の歴史的研究を行ない,
近世私法史の先鞭をつけだ。
Die
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sgemeineRechti
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,
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nvon1578undd
3
5
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nF
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u
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j
M
.,39(紹介,久保・
法協 6
0巻 4号)がそれである。戦後は,再生自然法論のチャシピオシの一人
主目された。 D
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n Versuch
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s,47に続く, Grundzuged
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l
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h
i
e,50は戦後初の体系的法哲学書として,わが国にも大きな影響
を与えた(紹介,小林・法協 6
9巻 3号
)
。
[
、
最近は民法の而での活躍がめざまし
"
S
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.1
.1
1
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.57;
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C
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t,
9
.A
u
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t
.5
3は,模範的な改訂版として評価されている。その他,人格権に
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59; 屯h
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t,6
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,
解釈論に関する,
特
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nAuslegungsmethoden undd
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nHermen
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k,59が最近 ψ業績である。
(
1
4
) Di
e
t
z,Rolf(ロノレプ・ディーツ
で 5:1~ れる。
32: ドに Köln の講白Ijî ,
1902年 1
0月 14日
Wurzburg
3
5年 (ζGiesenの助教授, 37年 l
こそこ
r
e
s1
au,K
i
e
!,Munster7
",経て,最近 Munchenこ
(
で数民とな'),以後, B
迎えられた。代表的労働法学者の一人である。民法 l
と開する業績としては
A
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t,34(紹介, J
I
I島
・
民法解釈学の諸問題, p
.2
6
3
)
;G
rundrisd
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s
;42;
勢Grundris
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c
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t
s,48がある。
附
7
北法 1
1(
1・1
4
2
) 1
4
2
、
1
九
商てドイヅ民法学の現況
Bo
sch は E
h
e
g
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s
e
t
zの規定する強制民事婚主義に対しはげしい.攻撃を加
え,この点に関する多くの論説を発表している。
(
1
1
) Braga, Sevold (セヴオ jレ ト ブ ラ ー ガ
1
9
1
4年 2月 2
3日,ノレー
マニヤで生れる。 4
9年 I
CErlangenの講師となり, 5
6年 頃 l
とS
aarbrucken
の教授となる ω 専門は国際私法であり, S
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s,54がその主著であるが,
ここでは国籍主義より住所地主義の方が
すぐれているととが主張されている。民法に関するものでは,家族法の分
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sP
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s,AcP1
5
3,1
4
4
;
野で若干の論文がある。 ZurR
Das "
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n Ehegatten,Fam
RZ5
7,3
1
4など。
(
1
2
) vonCaemmerer
,Ernst l
エノレンス J・ブ寸シ・ケメラー
1月 17日
,
Berlin-Charlottenburg で ~Ul る。
30
1
9
0
8
;
1
ゴ
qよ川 39;
1ーまで,
JM'~
私法研究所の研究員 (
R
e
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e
r
e
n
t
) として活躍。 Blomeyerとともに, Rabel
の弟子の双壁である。
戦後, F
r
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n
k
f
u
r
tを経て, 4
7年に F
r
e
i
b
u
r
gi
.B
r
.
の教授となる ι 民商・経済法,比較法,国際私法と活躍範囲はきわめて広
く,代表的私法学者の一人である。独立の著書はほとんどなく,その代り
に,多くのすぐれた論文がある。民法に闘する戦後心主な業禎としては,
Wahrungsgesetzgebung und S
c
h
u
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n
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s
s
e,Suddeutsehe JZ,4
8
;
O
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1
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, 5
2
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3
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B
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う
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eH旦ndlung,F
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4
; Das Problem
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s Kausalzt
1s
ammenhangs im P
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t,5
6
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s
q
u
eatomique,
Revuei
n
t
e
r
.ded
r
o
i
t
compare,1957,6
7
3などがある。その他,統一手形小切手法に関する各国
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
eRechtsprechungzumGenfer
の判例を集めたものとして, I
北法
1
1(
1・1
4
3
) 1
4
3
附
6
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
Neuordnungd
e
rg
e
s
e
t
z
l
i
c
h
e
nE
r
b
f
o
l
g
e,3
8を発表し,相続法の第一人者
としての地位を確立した。
ナチス時代の業績としては,
この他 K
., D
i
e
R
e
c
h
t
s
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d
e
s,41; D
i
e Vermogensverfassung d
e
s
d
e
u
t
s
c
h
e
nHauses,4
3がある。前者は継親子関係を親族関係として認める
べきことを主張したものであり,
これは今日においても,
Boehmerの好
んで論ずるテーマである。後者は,著者によれば,ナチスの世襲農場法を
批判したものである。 Boehmerの家族法観は,個人主義的傾向に反対し,
グルマシ法的要素を強調する点で,ナチス的家族法観と一致する点がある
が他方,相容れない面もあったようである。戦後の代表的業績は,本文で
とりあげたどとし勢G
rundlagend
e
rb
u
r
g
e
r
l
i
c
h
e
nRechtsordnung,1
,5
0,
I
I
/
l,5
1,I
I
/
2,5
2;
持E
infuhrungi
nd
a
sb
u
r
g
e
r
l
i
c
h
eRecht,5
4である。明年
i
奇8
0歳を迎える教ほは,今 [
1もなお講義に研究に活躍している。
(
10
)
Bos
ch,F
r
i
e
d
r
i
c
h(フリードリツヒ・ボッ
νュ
1
9
1
1年 1
2月 2日
Kolnで生れる。 44"干に S
t
r
a
s
b
u
r
gで詩師となる。以後, Bonn,F
r
a
n
k
f
u
r
t
を経て, 4
9年 l
こBonnの教授となり,今日 l
こ至る。カト日ックを代表する
家族法学者であるが,民訴学者としても独特の地位を築いている。戦前の
i
eRegelungd
e
rN
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B
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k
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ni
nE
r
b
h
o
f
業績としては, D
r
e
c
h
t,3
4 をはじめ, 世襲農場法の研究が見られる。戦後は,まず民訴で
濯し, Z
urg
e
g
e
n
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r
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g
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nLaged
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i
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t,4
8;
活t
K
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s
-V
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r
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g
s
h
i
l
f
e,4
9のほか,
AbstammungsklageI
乙関
する論文が注目される。男女同権の問題が議論されるや,カトリックの立
場から最も精力的に活動した
持
観を最も分り易く表現している。
F
a
m
i
l
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n
r
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c
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t
s
r
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f
o
r
m,5
2 は彼の家族法
5
3年 4月 1日以後の事態に対しては,
EheuadF
a
m
i
l
i
ei
nd
e
rRechtsordnugab1
.A
p
r
.5
3,
5
4
; 卦NeueR
e
c
h
t
s
ordnungi
nEheundF
a
m
i
l
i
e,54によって自己の見解を主張するほか, 5
4
年度より, Eheu
ndFamilie誌を発刊して,自ら編集の任にあたり,男女
同権法の成立に対して,大きな貢献をした。男女同権の問題のほかに,
附
5
北法 1
1(
1・
1
4
4
)
1
4
4
、
一
1
西ドイツ民法学の現況
Raumbewirtschaftung
,4
8
; *Das Wohnungsrecht a
l
ss
e
l
b
s
t
a
n
d
i
g
e
s
,4
9
; Kommentarzum M
i
e
t
e
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s
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z und s
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R
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b
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検
5f
.
;G
r
u
n
d
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n
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r Mieten und
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b
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n
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s
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t
z
e
n,5
P
a
c
h
t
e
n,5
2などがある。
(
8
) Blomeyer
,Arwed(アルクェト・プロマイヤー
1
9
0
6年 1
2月 1
6日
,
Wilhelmshavenで生れる。 R
a
b
e
lの弟子で, 3
7年に B
e
r
l
i
nの講師となり
Tubingenを経て, 4
2年に J
e
n
aで教授となる。戦後は Wurzburgを経て
現在は古巣の B
e
r
l
i
nの教授である。代表的比較法学者の一人であり,
民
商法,民訴を講じている。戦前の業績では, S
t
u
d
i
e
nz
u
rB
e
d
i
n
g
u
n
g
s
l
e
h
r
e,
1
,3
8,I
I,3
9が比較法的な研究として評価されている。 戦後の主著は,
特
A
l
l
g
e
m
e
i
n
e
sS
c
h
u
l
d
r
e
c
h
t,5
3 である。
その他,
D
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e Entwicklungd
e
s
5がある。
Z
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l
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c
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si
nd
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y
e
t
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nB
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s
a
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z
u
n
g
s
z
o
n
e,5
(
9
) Boehmer,Gustav(グスターフ・ペーマー
1
8
8
1年 4月 7日,東ド
9
0
9年
, G
r
e
i
f
s
w
a
l
dで講師, 1
3年に同
イツの Pommern地方で生れる。 1
所で助教授となる。
さらにスイスの N
e
u
c
h
a
t
e
lを経て, 2
0年に H
a
l
l
eで
教授となる。さらに, 3
4年に F
r
a
n
k
f
u
r
t,3
6年に Marburgに移り,最後
に4
1年に F
r
e
i
b
u
r
g.
iB
r
.I
乙移り, ζζl
と永住の地を見出した。
民法の専
門家であり,とくに債権法と親族相続法を得意とする。古くより概念法学
と斗ってきた一人である。業績はきわめて多いが,代表的なものをかかげ
ると, D
i
eK
o
n
s
t
r
u
k
t
i
o
nd
e
rb
e
f
r
e
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n
d
e
nSchuldubernahme,0
7(
D
i
s
s
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r
-
t
a
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i
o
n
)
; Der E
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l
l
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n
g
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l
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e,1
0
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h
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e,
A
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.Burgerl
.R
echt,1
9
0
3など初期には債権法関係が多かった。
つ
いで相続法に関心が集中する。 E
r
b
f
o
l
g
eundErbenhaftung,2
7は主著の
i
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y,Grul
)d
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c
h
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eundG
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u
n
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e
rR
e
i
c
h
s
一つであり, N
v
e
r
f
a
s
s
u
n
gでは Art,1
5
4(相続の規定)を担当し,唱t
a
u
d
i
n
g
e
r,E
r
b
r
e
c
h
t,
1
0
.A
u
f
l
.
3
7では,有名な序文その他を執筆し,
北法 1
1(
1・
1
4
5
)
1
4
5
附
4
さらに,
V
o
r
s
c
h
l
a
g
ez
u
r
現在はBe
r
l
i
nの教授。比較法と法哲学を専攻しており,
は第一人者である。
とく 1
[,英米法で
l
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eundd
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c
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著書としては, P
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eUntersuchung
,32; Der.Tat~
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s
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n
dd
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rL
u
g
e
.Einseitragz
u
rAbstimmungvonRechtundE
t
h
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k
,
4
8
; Dascommonlawa
l
sMethoded
e
rR
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c
h
t
s
f
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n
d
u
n
g,
5
2
; 持 Gegenopfer
8がある。本文で述べたように,独特の法哲学的
undOpferverwehrung,5
立場から比較法を展開しているが,文章が晦渋なため,近寄りがたい。
(
6
) B
e
i
t
z
k
e,Gunther( ギ ュ シ タ ー - パ イ ツ ケ
1
9
0
9年 4月 2
6日
,
F
r
e
i
b
u
r
g.
iB
r
.で生れる。 38年に G
i
e
s
e
nの講師となる。 L
e
i
p
z
i
gでも講
義をし, 3
9年に J
e
n
aの助教授,さらに 4
2年に J
e
n
aの教授となる。その
o
t
t
i
n
g
e
nにいたが, 5
9年に Bonnに移った。民法,商法,国
後,長らく G
際私法が研究領域であるが,わが国では,とくに家族法学者として著名で
ある。 戦前の著書としては, D
i
eR
e
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s
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l
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gd
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h,31; J
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h
tundFremdenrecht,38がある。後者は,国際私法上の法人の
a
m
i
l
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n
r
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c
h
t
,4
7,8
.A
u
f
l
.
問題に関する基礎的な文献である。戦後は,持F
・*
D
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l
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b
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c
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t
i
g
u
n
gvonMannundFrau,5
0などで一躍,
5
9;
家族
法の第一線に進出した。この方面では比較的保守的である。国際家族法で
は文字通り第一人者である。
その他,
N
i
c
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g
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t,A
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l
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n
i
s
s
e
n,48も注目すべき業績である。
(
7
) s
ettermann,KarlAugust(カーノレ・アクグスト・ベツターマシ)
1
9
1
3q
'
.8月 4日
, W
u
p
p
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r
t
a
lで生れる。 48年に Munsterの講師となり,
B
u
n
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s
r
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c
h
t
e
rを兼ねていだが,現在は B
e
r
l
i
nの教授である。わが国では
借家法学者として有名であるが,現在の専門はむしろ憲法,行政法である。
echnikundGrenzendesMiet-und
住居法関係の著書としては, Wesen,T
P
a
c
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s,
4
7
;D
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i
e
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r
附
3
北法
1
1(
1・
1
4
6
)1
4
6
商ドイツ民法学の現況
r
e
s
l
a
uの講師となる。戦後長ちく
続法改正委員として活躍した。 40年に B
G
δ
t
t
i
n
g
e
nで講師をしていたが,最近, Mainzの助教授 (
a
.
o
.Pro
f.)とな
る。相続法の専門家として著名であるが,経済法にも明るい。著書として
ieStimmabgabeimSystemu
n
s
e
r
e
rR
e
c
h
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a
n
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l
u
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g
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n,3
7
; Die
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, D
Kunstd
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g
u
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g,51;後 E
r
b
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c
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t,54,4
.A
u
f
l
.60があるほか,
ナチス時代の相続法改正委員会の業績の中には,彼の手になるものが多い。
とくに
Lange,E
r
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u
n
g,a
n
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r
eZuwendungen u
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n
.
D
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n
k
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c
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i
f
tは彼の執筆にかかる。
(
4
) Ba
ur,F
r
i
t
z(プりツツ・パヲノレ
1
9
1
1年 7月 6日
, Di
1
1i
n
g
e
nで生
れる。 4
0年に T
ubingenの請師。 G
i
e
s
e
nを経て,現主l
ニ
は Mainzの教授。
民法,農業法,民訴が専門である。戦前の著書としては, E
ntwicklungund
Reformd
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sS
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h
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d
e
n
s
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r
s
a
t
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c
h
t
s,
35; D
i
eBindunganEntscheidungen
u
n
t
e
rb
e
s
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e
r
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rB
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s,40(
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l,D
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t の改訂!仮を出し
t
a
t
i
o
n
s
s
c
h
r
i
f
t
)あるほか, S
ていた (
3
.
5
.A
u
f
l
.4
2
4
4
)
。戦後は土地法に│羽する j
告
書
, G
r
u
n
d
s
t
u
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k
s
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c
ht
,
4
8
; DerVerkehr m
i
tl
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n
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-und f
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w
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r
t
s
c
h
a
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l
i
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e
n Grundstucken,
Kommentar,49があるほか,農業法に関する論文が多く,この方 i
団 では指
導的地位を占めている。民訴にも詳しく,非訟事件に関する体系的著書で
reiwi
1
1i
g
eG
e
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i
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t
s
b
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r
k
e
i
t,1
,5
5のほか, J
u
s
t
i
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u
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s
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tundr
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c
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s
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g
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c
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eUntersuchung
54がある。なお近 I
Jとして L
ehrbuchd
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sS
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n
r
e
c
h
t
sが Beck位より 1
1
1
版されるようであるが,教授の以上の程照からいって期待できるであろう
(
5
) Becker
,W
alter(ワノレター・ペツカー
ドで生れる。
O
1
9
0
5年 7月 1
2日,ポーラシ
K
a
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s
e
r
W
i
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l
m(
現M
ax-Planck)I
n
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a
t
r
e
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t(以下,比較私法研究所と略称)でアメ P
カ法を専攻した。 3
7年に Hamburgの講師となる。
北法 1
r(1・
1
4
7
) 1
4
7
附
2
戦後, Mainzを経て.
附・ドイツ私法学者の経歴と業績
五十嵐
清
現在西ドイツで大学教授として活躍している学者のうち J 民法を担当し,本文で
言及したものを中心とじて, ABC)
慣に以下の表を作制した。 ただし,戦後活躍した
が,すでに死亡している学者も若干含まれている。他方, 資料不足のため除外したも
のや,かんたんにとどめたものも多い。精粗まちまちであるが,この程度でも, 何か
の役に立てば幸いである。なお業績のうち持印のあるものは,本文で言及したもので
ある。
(
1
) Aubin,Bernhard(ぺノレシハノレト・オパシ
D
u
s
s
e
l
d
o
r
fで生れる。
書として
1
9
1
3"
下1
1月 1
3日
,
比較法学者であり,現在 S
aarbruckenの 教 授 。 著
R
e
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t,5
2
(
m
i
tZ
w
e
i
g
e
r
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)は
,
ドイツの大学[ておげる比較法教育の現状を示すもの
として有益である(紹介,高木・法学新報 6
1巻 1
0号)
0 )
1
l
:
作
Derj
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nF
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k
r
e
i
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hunds
e
i
n
eReform,5
8は 最 近 の フ ラ
シスの大学法学教育の改正を論じた本格的な著書である。その他,ブラシ
ス法,ギ
9i/ヤ法,国際私 j
去に関する論文が多い。
(
2
) s
a
l
l
e
r
s
t
e
d
t,Kurt(ケノレト・パヲジュテ、、。ト
1
9
0
5午 1
2月 2t口
,
Hohensalzaで生れる。 4
7年 l
とH
e
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d
e
l
b
e
r
gの講師, 4
9年[と K
i
e
lの教授と
r
なり,現在は Bonn の教十乏民?去、やろが,む L 久 il~i 去や経済:去の学者とし
r
b
r
e
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t,E
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i
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nund
て有名である。民法に関する右書としては, I~ ( E
G
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nP
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l
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n,3
9がある。
(
3
) Ba
rtholomeyczik
,Ho悶 t(ホノレスト・ノ4ノレトロマイチタ
月1
3日
, G
oldenauで生れる。
ナチス時代 l
,
と
F
付 1
1
9
0
3年 8
H
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hLangeの 下 で 相
北法 1
1(
1・
1
4
8
) 1
4
8
Fly UP