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文先生を中心とした新婦圏(天使長圏)復帰の公式路程(八段階復帰路程)
文先生が、公式路程の説明をされる時には、必ずと言っていいほど、八段階の公式路程を通して人間の完成がなされると
いうように説明をされる。その内容を要約すれば、すべての人類は、八段階の路程を歩まなければならない。八段階には、
二種類存在する。僕の僕、僕、養子、庶子、実子、母、父、神で表される縦的八段階と個人、家庭、氏族、民族、国家、世
界、天宙、神で表される横的八段階の路程だ。文先生は、1989 年 8 月 31 日「八定式」の時に、特に縦横の八段階路程のこ
とを強調して語られた。しかし、文先生のみ言葉を見れば、八段階の路程は、この時に初めて語られた訳ではなく、かなり
以前から語られていたことがわかる。
「皆さんはこの八段階を通過しなければなりません。これを中心として、堕落した世界が上がってきたでしょう?我々の宗
教は上がって行くのではなく、下がっていくのです。下がって行くと言っても、突然下がっていくのではないのです。こっ
そり下りて、また上がって行くのです。ここまで上がって、ここから復帰して行くのです。これが復活です。
三段階は蘇生、長成、完成です。私という個体を中心としてみれば、個人復帰、家庭復帰、国家復帰の三段階です。その
次に家庭を中心として見る時、家庭復帰、国家復帰、世界復帰の三段階です。一段階先立つのです。このように発展してい
くのです。だから、この峠を越えて行ってこそ、頂上に上がって行くのです。
(祝福 72 号
97p
我が家庭の行く道
前編
1971 年
8 月 28 日
清平修練所)
上記のみ言葉は、1971 年に語られたみ言葉だ。このみ言葉だけでなく、文先生は、八定式が定められる何年も前から八
段階の公式路程の話をされていた。
すでに本文の中で説明してきたように、天使長家庭がアダム家庭に接ぎ木されるためには、エバを接ぎ木されなければな
1
らない。すでに、文先生の年齢とイエス様の年齢、再臨主の年齢を中心とした公式路程は提示した。ここでは、アダムから
復帰されるエバの年齢を中心として、新婦圏(天使長圏・選民圏)がどのようにアダム家庭に接ぎ木されていくのかを八段階
の公式路程の説明を兼ねて提示してみたい。それでは、文先生が語られた八段階の公式路程のみ言葉を何種類か挙げて見る
ことにする。
「本当は完成した人間になったとすれば、神の愛によって直接主管されるその人間が、堕落のために、人間の位置を失って、
落ちてしまったね。それが僕の僕の立場だ。無原理圏にね、原理のない世界に落ちてしまった。それで落ちたその人間の世
の中に住んでいるものは無価値なものである。原理圏になんの関係をもつことができない。そういう人間になったんだから、
それを神様が再び再創造の原理過程を通過して、それを戻していこうというのが救援摂理だ。それが統一教会の用語でいえ
ば復帰原理である。
だから結局、本当に摂理されるには、神の子供の立場に立たなければならない。本当は原理主管圏というその基準は、神
の子供として行くべきところである。それは僕が行くところではないんだね。子供が通過すべき過程であった。もともとは
ね。それをはっきり知らなければならない。神の子女として通過すべき過程が原理結果主管圏である。これが直接主管圏ま
で到着して、神の愛によって一つになることによって、理想が実現される。だからその完成圏までには、結果主管圏にある
その過程というものは神の子女として行くべきところであって、僕が行く道ではないんだね。それが問題だよ。しかし、人
間は堕落したんだけれどね、もともと神の子女の立場に立っているというんだね。堕落しない立場からみた場合、もともと
神の子女としてつくられた。堕落はしたんだけれど神の子女のその部分は残っておるんだね。だから神がそれを捨てること
ができない。だから半分はサタンに引っぱられていったような、そういう立場に立っているんだよ。堕落した人間をみれば、
サタンの僕の子供だね。血統的立場からみた場合には僕の子供であり、本性的立場からみた場合には神の子供の立場である。
だから神は本性基準を中心として、原理過程を通過する道以外には道がないんだね。何の話かわかった?」
(祝福 33 号
5p~6p
ホームチャーチと八段階復帰路程
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1981 年
11 月 13 日
韓国)
「だから肉心の願う道は、身体を中心として自分の気ままに、自分を中心としてすべてをやって、自分に対して皆が崇拝す
るような、自分を中心としてすべてをなすということだ。これが肉心の欲望だね。それはサタンの欲望である。そういう立
場だったら神につなぐことは絶対できないんだね。これを完全に無にしなければ神につなぐ道はない。犠牲とか、服従とか、
奉仕とかを願うものはないんだね。服従を願うものはない。犠牲を願うものはない。本当はないんだ。そういうふうにする
のは、外的肉心につながっているサタン圏の要素を減滅させるための一つの作戦、方法である。
そういうふうにして、どうするかというと、上がって行かなければならない。では、最初の段階はどういうようにして上
がって行くのかというと、この世の人たちは皆サタン圏におさまっている。サタン圏をみれば、サタンが主人になって、世
の中の人はサタンの僕になっている。そういうような世界によって神が出発するにはサタン世界の主人の立場に立つことが
できない。一番の最後の立場、サタン世界の僕の僕の立場から始めなければならない。僕の僕の立場に立つというのは、サ
タン世界において主人がない。その主人たるものはサタン世界の僕である。だからその道からその信仰の再出発の基準を得
なければならないんだね。だから僕の僕の道というのは、神様を中心としてではないよ。サタン世界の僕の僕の道におちい
っていかなければならない。そうしたら、自分が信仰の道に行くためにサタン世界の僕の僕の道に立ったとするならば、そ
の立った位置は、一人、その基準を代表したそういう一対一の立場ではないんだね。一対世界的である。だからこの僕とい
うものは自分も知らないうちに(その僕の僕を)憎くて憎くてたまりきれないんだね。仕事をやらせても、「続けてやれ、
死ぬまでやれ」という。
だからこの世の中の僕の中で一番悲惨な道を乗り越えなければ、僕の立場に行く道がない。それが歴史的である。歴史的
というのは過去、現在、未来。だから毎日を、十字架をつけながら殺さないで、それを続けて行くような、そういう道を行
かなければならない。一日の十字架ではないよ。生涯かけての十字架を僕の僕としていじめられながら、そうやっても神の
国に入るには、それを続けていかなければならないのが、神に帰る道である。そういうふうにしてサタンの僕が、「あまり
にも自分がやったことがひどい。彼に対してやらなかったことがない、すべてのことをやった」ということを、自分なりに
感動するような、反省するような動機をもたなければならない。そういうように話しかけてみた場合には、結局、だんだん
感動するんだね。「自分は悪かった」という、悪かったという度がどんどん高くなることによって、天の方がその僕を感動さ
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せるというんだね。そういうようにして、自動的に服従しながら逆に「君が、わたしが君にやったより以上のことをやって
くれ」という立場に立つというと、内心の勝利圏が外心、身体の勝利圏まで拡大する。そういうような基盤を開拓していか
なければならない。
そういうふうにして、僕として立ち、僕の相続圏を受けたとしても、それでもうおしまいではないよ。そうするとサタン
世界の主人のものがまた、サタン主人として世界的に迫害するんだね。ありとあらゆる迫害をする。口で言われないほどに
迫害する。その迫害をうけて受けて、ある期間を通過することによってその主人が、迫害されるその者に感動されて自分自
身を悟りうるようにしないといけない。「自分がまちがっている」、こういうようにして自然屈服されることによって、結局、
サタンの主人を屈服させることができる。わかりましたか?その立場を越えてはじめて、僕の上の養子圏に立つことになる。
養子圏に立ったとしても、結局、サタン世界の養子を中心として迫害するより以上の迫害を受けるんだね。こういうふうな
段階を毎度繰り返しながら上がっていく。
養子の上は何かというと庶子である。養子というのはまるっきり親が違うんだね。庶子になった場合には片親が同じだね。
近くなるんだね。だから養子がその家のすべての相続を受けるには、その親に絶対的信頼を受けなければならない。親から
みた場合には、世の中の子供達と比べてみて、それに务るような養子は願わない。多くの子供と比べて自分の養子になる者
が、その子供より勝るように誇りたい、そういう立場に立つのを願うんだね。だからその養父母は、世に言ったらいけない。
完全に一つになるようにして、その養子によって養父母が自動的に感動されて、「わたしのすべてを、すべての財産を君に
譲っていく」。こういうような立場に立つことによって、初めて養子圏の勝利権を得ることができるんだね。
それを終えた場合には、それから庶子の立場、庶子の立場に上がった場合には実子の立場、その実子の立場に上がるには、
そのまま上がっていかれない。実子になるには原理によって実体基台とうのと同じように、カイン、アベル
カイン、アベ
ル問題がいつもひっかかる。その親の前に必ずカインがある。カインは兄さんである。不良尐年、不良兄さんだね。その兄
さんを救ってこなければ実子になりません。庶子もそうなっているし養子もそうなっている。そういうふうにして実子にな
って帰るには、その二人が一つになる。兄弟が一つにならなければならない。その兄弟が一つになってはじめて何に会うか
というと、母にもどるんだね。その母は二人のカイン、アベルという子供を完全に一つにして、乳を飲ませても、兄さんに
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右を飲ませ、弟に左を飲ませ、それを何回も変えたとしても、その二人が闘ったらいけない。完全に一つになったという外
的に一つになった兄弟基準、そして母と三位基台一体となった後に初めて自分のアダムの方に帰るようになっているんだね。
そのアダムは一人では神に絶対帰れません。エバを抱え、カイン、アベル四位基台をつくって初めて天に帰ることができる。
それが復帰路程である。この道は、アダム一人が堕落したとしても、万民がその路程は皆受け継いでいる。誰でも、その道
を行かなければならない。それで今までの宗教、キリスト教からみれば、独身生活を言った。結婚を許さなかった。それは
カイン、アベル圏に属している。キリスト教をアベルとすれば、この世はカインとして、カイン、アベルが一つにならなけ
れば、母のところにもどっていくことができない。そういうふうになっている。だから復帰路程は、僕の僕から、僕から、
養子から、庶子から、実子から、母から、アダムから神まで八段階。みんな八段階の階段をもっている。霊界へ行くにはこ
の道を勝利していかなくてはならない。霊界と地界にはこのような八段階のはしごが残っている。その一つを上がるには、
数千年、数億数万年もかかるんだね。そういうふうに上がっていく方法を知らなかった。上がっていくには、そのまま直接
こちらからはしごを持って上がれば一番理想的だけれど、そう上がることは絶対できません。必ず上がっていくには、自分
の家から出て行って、怨讐の僕の僕の基準、それは自分の家でそうやるのではありません。自分の家の父母を中心としての
僕の僕ではありませんよ。一番サタン的な所へ行って、そこの僕の僕の立場に立つ。結局、自分を中心として自分自身がア
ベル的僕の立場に立って、カイン敵僕を求めていくんだね。わかりました?
アベル的僕の僕の立場に立って、何を求めて行く?カイン的、サタン的僕の僕の立場を辿っていて、そのカイン的な僕の
僕を感動させて、自然屈服させて、その僕の僕に対して絶対服従する立場に立たなければ、帰ってこられない。絶対帰って
こられない。なぜそうかというと、この原理結果主管圏というその基準は、誰が上がる道かというと、アダムとエバが上が
る道である。だから長男、長女が初めて上がる道である。長男、長女だよ。しかし堕落した世界において、長男が結局はサ
タンの方に立っているんだね。そうだろう。カインが長男だろう。それはアベルを中心として復帰の摂理をするんだから、
カイン自体が長男の立場である。だからアベル自体がいくら原理結果主管圏を上がるといっても、上がる道はないんだね。
上がれない。問題は、長男の立場の基準を受け継いだ後に上がる道が生まれるのであって、その前には絶対上がれない。そ
れは原理である。だから長男のその権限を与えられるには、それを堕落したカイン圏がもっているんだから、僕の僕の立場
にあるカイン圏に辿っていって自動(自然)屈服させて、兄さんの立場の者(カイン)が、「どうぞ、君が私の前に立って、
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兄さんの立場に立って、我を率いて天に帰ってくれ」と言うような僕の僕の立場のアベルを兄さん(カイン)の前に立たせ
て押してやらないというと、(アベルが)兄さんの立場に立つことができない。それを押してくれれば、兄さんの立場に立
ったような基準になって、帰って来ることができる。そして僕の僕の基準から僕に一段階上がるというんだね。わかりまし
た。何の話か。
なぜここで直接上がれないかというと、もともと原理は長男長女が上がるようになっている。長男が上がるようになって
いるのに、摂理に則しているそのアベルは長男ではなく次男だよ。アベルだから。これが問題だ。この問題のために、歴史
は、神の摂理は延長されてきた。これは宗教世界において一つの地獄のどん底みたいなものだ。その淵を乗り越えることが
できなかった。我々はそれを知っている。わかっているから克服して帰って来ることができる。こういうふうにして僕の僕
の立場から兄さんの立場に立って帰ってきた。その基準に上がってきたとしても、主人の基準はまだない。自分は主人では
ない。だから主人の基準を得るには、また出て、サタン世界の主人に対して自分は僕の立場に立って、自然屈服をなすよう
な、そういう苦労の代価を払って、その主人自体が「自分が僕になってもいいから、あんたがこのすべてを受け持って帰っ
てくれ」というように、
(自分を)兄さんの立場、先頭の立場に立たしてくれるようにならなければ、主人の基準に帰ってい
くことはできない。そうして、僕の立場から主人の基準に上がる。それが復帰路程だよ。
それが僕の基準では、まだいけないんだよ。養子の基準に行くには、またサタン世界養子圏に出ていって、そういう闘い
をするんだね。そうして自然屈服させることによって、弟の立場から兄さんの立場を得て、それから始めて帰ってきて僕の
養子の権限をもって上がることができる。それを上がったといっても、庶子の立場には上がれないんだね。また、こういう
ように横に行って、弟の立場から兄さんの立場を自然屈服させる。そういう基準を立たせて、それから実子の基準に上がる
ことができる。実子の基準に上がったとしても、それはそのまま上がっていかれません。カインがおるからカイン世界に行
って、闘って勝利して、二つともに連れてこなければ、実子圏を乗り越えることはできません。これを乗り越えて初めて、
アダムが堕落しない前の基準に立つことができる。
そうなった場合には、アダム一人ではいけないんだね。エバが必要である。エバを得るには、自分自体がエバを創造しな
ければならない。この世の中にイエス様がこられた。メシヤはアダムの代わりだよ。もともとエバは、アダムの肋骨を抜い
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てつくられた。それはアダムにかたどってつくったという意味だね。アダムによってエバはつくられたんだから、アダムは
エバをつくる。エバを復帰しなければならない。エバを復帰するにはどうするかというと、結局、自分の直系、自分の一家
内の家庭ではなくて、サタン圏のカイン的な家庭のある女性を復帰してこなくてはいけない。探してきた者がすべて完成さ
れて理解するものではありません。反対するものである。反対されるようになっている。あらゆる方面に合わないんだよ。
旦那さんの言う、アダムの言葉がみな信じられないし、その旦那さんがいやである。この世的からみれば、仲の悪い夫婦以
上の基準に立たなければならない。それで反対するんだね。反対する内容を耐えて、反対したその者が悔い改めて自然屈服
する、そういう基準に立たなければ帰ってこられない。同じ事だね。そういうふうにして復帰していくんだよ。それが反対
した場合には、まるっきり反対する。その立場を耐えていかなければならない。こういうふうにしてエバを中心として、エ
バが絶対的にアダムに自然屈服するようにならなければ、アダムとしてエバを迎えることができない。
堕落は何かというと、エバがアダムを引っぱっていったことでしょう。その反対に、完全にエバがアダムからどんなこと
を言われても聞くようにならなければならない。アダムがエバに対して、他のところにお嫁に行かせても、どんな乞食みた
いな者に行かせても服従するような、どこへ行かせても服従するような立場に立たなければ復帰はできない。それから(ア
ダムが)他の人を愛したとしても、それを歓迎するような立場に立つような女でなければならない。なぜかというと、過去、
自分自体が堕落をして他の男を愛した歴史をもっているから、それを蕩減するには、そういう立場に立たせても女は不平を
言うことができない。だから今までの女の世界には、妾とかいう立場でも不平を言うことができなかった。そういう歴史の
基準が残っている。
こういうふうにして結局、初めて堕落しない前のエバの立場に立って、二人が一つになる。しかしそれは、絶対、自分自
身を先に立てるのではありません。堕落はエバとかアダムとかが、自分を考えることによって起こったんだから、その反対
に、絶対、自分の思いのままではいけない。自分の旦那様よりも神様に対して、より高く侍らなければならないし、男は自
分の奥さんより神様を第一にしなければならない。そういうように絶対的な立場に立って神の愛を受けることによって、神
の愛の主管圏に立つことによって、原理主管圏の長成期完成基準から、完成基準に上がるんだね。七年間で。いかなる迫害
を受けても、神様がいかなる試験をしても、神の前に道をそれるようなことは絶対にありえない。死んでもこの道を行く、
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この道を行って成す、というような夫婦でなければ、神の直接主管圏に入ることができません。これが復帰路程である。」
(祝福 33 号
8p~18p
ホームチャーチと八段階復帰路程
1981 年
11 月 13 日
韓国)
「その復帰の基準が何かというと、僕の僕から、僕の位置、養子の位置、その次は実子の位置、父母の位置、神様の所に来
るのです。(黒板に書かれる。)これが統一教会の復帰の公式だというのです。
ではこの「僕」とは何かというと、天の側からサタンの側に来た人を指すのです。サタン世界の僕の僕の位置だということ
を知らなくてはなりません。僕の僕から蕩減復帰しなくてはならないのです。その時、彼らは、「彼が我が家を奪いに来た」
と言うのです。「主が来る時は盗人のように来る」と言うのです。サタン世界の泥棒です。それが誰ですか?(イエス様です)。
皆さんもそうです。四方を見回して見て、自分がひどすぎたことを知り、息子を見るのも恥ずかしいし、お母さん、お父さ
んを見るのも恥ずかしいのです。また隣近所を見るのも恥ずかしく、国を見るのも恥ずかしく、世界を見るのも恥ずかしい
のです。それを悟ったので屈服してきたのですね。
皆さんはいつサタンが屈服し、いつカインが屈服するのかを知らなくてはなりません。いつ僕が屈服するのでしょうか?
隣近所で、「あいつを殺さなくてはならない。こいつ死んでしまえ」と、このように迫害されるというのです。そうしたあと
で、サタンが屈服するというのです。皆さんはそのような迫害を受けたことがありますか?皆さんは、僕の僕になってみま
したか、話だけではなく、やってみたことがありますか?「この統一教会の信者たち、みなこの位置に行け」と言ったなら、
一人残らず逃げてしまうでしょう。このアメリカの者たち?
僕の僕ですから、僕の主人がこう言うのです。「おい、お前はそこにいることはできない」と。また僕の主人は、「おい、
お前のような奴はこうしなさい」と言い、僕が滅びるのを見ようとするのです。そうかというと、「おい、ああいうのを連れ
ていけば金をもうけることもできるし、仕事をさせれば何でもできる」といって他に連れていくのです。そこでまた死ぬほ
ど仕事をさせ、金もうけをするためのありとあらゆることをさせるのです。
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また僕に仕事をさせて、牛を買い、いろんなものを買ったということがみな噂となり、「あれは僕が来てから全部つくっ
たのであって、主人がつくったのではない。この主人を殺せ、殺せ」というほどの噂が立った時に始めて、「これは汗代とし
て」と言ってくれるようになるのです。そのようにして、養子の座に行くことができるのです。
そうすることで、自分の贈物をもって初めて天の前に祭祀を捧げることのできる位置に立つので、養子圏内に行くことが
できるのです。その養子の立場で祭物を供える時、サタンの讒訴できる何らの条件もないのです。養子とはどういう位置な
のかわかりましたか?皆さんが祝福を受けるのは養子としてなのです。
祝福され、次にはたくさんの財産を得ますが、その財産は自分のために得るのではありません。来るべきメシヤ、アベル
のために得るのです。養子になってから、“自分のために稼いだものだ。自分のものだ”と考える人は、絶対に天の国の、
息子、娘の位置に立つことはできないということを考えなくてはなりません。息子、娘として迎えられないというのです。
これが皆さんが行くべき道だというのです。話だけでなく、行かなければならない道だというのです。
そして、養子圏を中心にして、家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくったので、神の真の息子として立ったのです。
これが養子圏内の神側の僕です。これを世界的につくったのがユダヤ教であり、キリスト教でした。また、これは天の側の
天使です。僕は天使長側ですから、カインの側です。天の側のカインです。
皆さんはどのような位置にいるかを知って、70 年代を越えなくてはなりません。皆さんを今どの位置にいますか?サタン
側でこういうことをすべて成して、僕として仕えたことを世界が知り、「ひどすぎる」と噂され、「ムーニーが何の悪いこと
をしたのか」と味方してくれる人をもったのですか?今や「レバレンドムーンが何の悪いことをしたのか」と言われる、今そ
ういう時が来たのです。何の話か分かりますか?(はい)。
ここを通過せずしては結婚生活はできません。子供を生むことはできません。その十字架を背負っていく時には、その息
子・娘を苦労させなくてはならないからです。ですから終わりの日には子をはらんだ女が罪になるというようになっている
のです。養子の位置を経て、息子、娘にならなければならないのです。五色民族が独身生活を強調するのは、蕩減条件を埋
めるためです。そこで、宗教家はみな独身生活をしなければならないのです。この僕の僕の座を経ていく時に妻がいれば、
どれほど気が重いことでしょうか。子供がいればつらく、その苦難を耐えられるでしょうか。どれほど耐え難い苦痛でしょ
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うか。
それで、レバレンドムーンは生れて今日まで何をしてきたかというと、この養子圏を中心として、僕の僕から耐え難い苦
痛を経て、養子の道理、特権を賦与される恵沢を受けたのです。それでは、レバレンドムーンはどのようにその権利を受け
たのでしょうか?サタンと天から、蕩減復帰をしてサインを受けたというのです。」
(40p~43p
摂理から見たアベルの正道
1979 年
12 月 30 日ベルベディア)
天使長圏は養子のようなものです。血筋がないのです。これは伝統ではありません。しかし、それをつないで蕩減するの
です。分かれた霊界を一つにすることによって、そこにおいて真の父母の国を創建することができるのです。これを中心と
して、キリスト教が一国家として統一されたならば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たのです。
(主要儀式と宣布式「地獄解放と天国開門宣布」1998 年 5 月 15 日ブラジル)
すべての統一教会員は、自分たちは必ず八段階の公式路程を歩まなければならないという自覚を持っているはずだ。何故
なら文先生が何度も何度も語って来られたからだ。しかし、過去、統一教会の中で出版された信仰指導書の中で、信仰生活
の中で文先生を中心として、どのように八段階の路程を歩めばいいのかを明確に示している内容は、ほとんどない。
ここでは、アダム家庭と選民圏の関係を中心としてこの八段階の路程を考えてみたい。まずキリスト教の基台を中心とし
て文先生と新婦と選民圏が八段階の公式路程をどのように歩まれていたかを考えてみたい。
すでに説明してきたように、文先生は、キリスト教の中から新婦を迎えなければならない立場であった。キリスト教を基
台とした文先生の路程は、キリスト教を中心とする文先生の使命を中心とした摂理年表で提示した。しかし、まだアダムの
公式路程に対しエバを中心として選民圏がどのようにつながっていくのかが提示されていない。この公式を理解するために
10
は、文先生が歩まれた路程を通して考察していくしか方法がない。
1960 年、地上に初めて真の父母が現れた。今まで統一教会では、この時の文先生の位置を第三のアダムがエバを復帰し
た時として捉えてきた。しかし、すでに説明したように、文先生のこの時の年齢は、40 歳を超えており、神の創造理想を
完全に果たしたとは言えない立場であった。文先生は、キリスト教の失敗によって神の息子と天使長の使命を兼ねて歩まれ
ていたからだ。キリスト教を基台として新婦を復帰し、文先生が理想相対を復帰すべき年齢は、20 歳でなければならない。
「本来 1945 年にキリスト教文化圏世界が先生を支えたならば、先生の今日のような法廷問題ということはあり得なかっ
たのです。その時は、アメリカを中心としてキリスト教が世界を支配し、歴史始まって以来キリスト教文化圏が世界を代表
することのできる第二次世界大戦の直後だったのです。これは歴史上の千載一遇の好機でした。キリスト教が世界を支配す
ることのできる時だったのです。
ではキリスト教思想から考えてみるとき、再臨のメシヤはいかなる時に来られるのかと言えば、キリスト教が世界を支配
することができるそういう基盤をもった時です。分かりますか?(はい)。歴史上、そのような時が今まであったでしょう
か。その時こそ、正に神が最終的な摂理のために働くことができる二千年のキリスト教の歴史において前にも後にもないチ
ャンスだったのです。神様はその絶好のチャンスを知っておられ、この二十世紀のローマとしてアメリカをキリスト教国と
し、世界にキリスト教の基盤を広めてこられたのです。そのためにアメリカがキリスト教文化圏を代表する中心国家として
繁栄していったのです。この時、レバレンドムーンはイエス・キリストの使命にあり、キリスト教は二千年前のユダヤ教の
立場にありました。そしてアメリカはローマの立場にあり、韓国はイスラエルの立場にありました。これらはすべて神側に
なっていたのです。一つの側に立っていたのです。神側にいたのです。イスラエルがローマの統治下にあったのと同じよう
に韓国が直ちにアメリカの統治下に置かれるようになり、法的に軍政に入ったのです。李承晩大統領はキリスト教信者だっ
たので、キリスト教を中心とした大統領の国家形態が始まったのです。そして蕩減の法則によって、個人から家庭、家庭か
ら氏族、民族、国家、世界へと歩まねばならない路程が始まります。もしメシヤを認め一体化するならば、これらが一度に
七年間ですべての路程が達成される、そういう状況にありました。先生が四十歳になる前に世界の復帰は終わっていたかも
11
しれないのです。そうすれば、そのようなキリスト教を背景としてお母様が来られたでしょう。ある意味ではイギリスの女
性の中から選ばれていたかもしれません。一度に成されるのです。
先生はどうすれば世界を早く復帰することができるかということだけを真剣に考えています。しかし、実際に先生は、そ
の運動が韓国から受け入れられなかったために、再蕩減しなければならず、多くの問題が生じるようになりました。もし受
け入れたら、韓国における運動は世界的、宇宙的、天宙的な運動となっていたことでしょう。もし、英国の代表がお母様に
なっていたとしたら、アメリカが生んだ息子のような立場です。自然にお母様に頭を下げ従ったことでしょう。どれほど早
かったかしれません。」
(
31p~32p
愛天日
1984 年
5 月 20 日ベルベディア)
1960 年は、本来、果たすべき公式路程を 20 年延長した形でなされたことになる。しかし、たとえ理想相対を復帰できな
かったとはいえ、文先生は、後の人類のために公式路程を歩まなければならない立場であった。天使長は、アダムに先駆け
てアダムの為に道を真っ直ぐに整えなければならない立場であるからだ。天使長圏から見れば、アダムに繋がるためにはエ
バを通して繋がらなければならないのが原理だ。そのように考えるとこの時に選ばれた韓鶴子女史の立場が重要になってく
る。文先生の生涯は、私生活に至るまで公式路程を説明して来られた。たとえ妻であれ、子女であれ、私情を一切顧みられ
なかった。そしてその例えは、自然や動物や政治、テレビ番組に至るまで公式路程を説明するために語られて来られた。つ
まり文先生が語られる言葉には私的な言葉は一切ないのだ。そのように考えると、韓鶴子女史に対して語られた文先生の言
葉は、エバが歩むべき公式路程を示していると考えられる。文先生が、韓鶴子女史と聖婚式を挙げたのは、1960 年であっ
た。この時の韓鶴子女史の年齢は 17 歳であった。文先生は、40 歳なので 23 歳差の年の差結婚ということになる。文先生
は、この時のことを次のように語られている。
「きょう話す内容は、「昨日と今日」、過去と現在という意味です。一昨日は、私達の誕生日を祝ってくださいましてあり
12
がとうございました。私にとっては満 66 歳の誕生日であり、お母様は、43 歳を迎える誕生日でした。
統一教会においての父母様という、この二人の方について皆さんが考える時、先生は年を取っており、お母様は若く、
その差は 23 歳という年齢の差です。では、どうしてそのような差をもつ夫婦にならなければならなかったのでしょうか。
それは、ただ先生の考えを中心としてそのようになったのではなく、摂理のみ旨の中でそうなったのです。
お母様が1歳のとき、先生は 23 歳でした。差が大きいのです。この世で言えば、父親のような年齢であるといっても過
言ではないほどの差があります。男女の均衡を考える時、なぜそのような差のある年齢において、「結婚」しなければならな
かったのでしょうか。そこには私達人間としての内的な事情があったのではないのです。歴史的な摂理史、だれも知ること
のできない神のみ旨を中心とした復帰摂理を成すためには、あらゆる問題点を解決してこなければならず、そしてその解決
点の上に立たなければ、「祝福」という「家庭」が設定されないのです。
その「家庭」が設定されるためには、一人の男性が願う個人的な目的を中心としてそのまま「祝福」という、「聖婚」というも
のを適用することはできず、そこには必ず歴史的関係、歴史的内容が介在しているという事実があるのです。」
(
6p~8p
昨日と今日
1986 年
2 月 16 日
ソウル本部教会)
このみ言葉は、1986 年に文先生が 66 歳、韓鶴子女史が 43 歳の時に語られたみ言葉だ。文先生がこのような年の差にな
ったのには、先生の個人的な事情ではなく、歴史的な摂理史の中でそうせざるを得なかったというように語られている。つ
まり、本来 20 歳の文先生に対して妻が 17 歳であれば、理想相対として立つことができたが、20 年延長して 40 歳になって
しまった。しかし、この後、理想相対をなすべきアダムが現れたとき、文先生が果たすことができなかった、20 歳のアダ
ムと 17 歳のエバとの子羊の婚宴を完成させなければならない。そのためにエバを 17 歳の少女にして公式路程を示すしかな
かったのだ。
真の御父母様の生涯路程3
13
「お母様を選ぼうとするには、すべての条件が合わなければなりませんでした。前後において合わなければならず、左右で
合わなければならず、上下で合わなければならないのです。合わなければならない第一の条件とは何かというと、どのよう
な血筋を引いて生まれたかということです。サタン世界から讒訴される血統の因縁をもって生まれたか、でなければ、それ
を越えることのできる血統的内縁をもって生まれたかが重要です。
お母様は、エバがアダムを通して造られたのと同じように、何も分からないところから出てこなければならないのです。
親戚が多くてはいけません。三代が後ろについてきてはいけないのです。縦的な基準においては、それは駄目なのです。正
常であってはいけないのです。兄もなく、父もなく、一人です。
お母様一人が生まれるためには、三代が独り子であると同時に、三代が、来たるべき主の前に功労の基盤がなければなら
ないのです。有り難くもお母様の歴史は、お母様の母方の祖母(趙元模氏)から洪順愛ハルモニ、お母様と、三代が一人娘
です。
そうしてみ旨のために……。幼い時にも後援を受けないで、一人で暮らした一人娘……。七代続いての独り子だというこ
とでしょう?
そのような独り子をつくったのは、サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためなのです。それで、お祖母
さんも一人娘で、お母さんも一人娘なのです。三代が巻き込まれていくのです。ですから、お母様は三代の受難を受けたの
です。お祖母さん、お母さんの二人が、信仰に夢中になって歩き回っていたので、「おむつ」と言ってもきちんとつけてく
れ、「御飯」と言ってもちゃんと食べさせてくれたでしょうか。
皆さん、これを知らなければなりません。人間世界の情を知らず、天情の道理を受け継がせるために、骨身が溶けていく
のも意に介さず、一片丹心、神様の前に絶対服従し、絶対従順する道を歩んだのです。
洪ハルモニのような方は、男だろうが女だろうがすべて、信仰の道のためにみなほうり投げて、荷物をまとめて、主を迎
えるために歴史的な受難の道を歩んできたので、お母様も、そのような訓練をした歴史があるのです。それが一番簡単でし
ょう。み旨のために行く夫の道であるならば、情熱を尽くす夫の道ならば、さらに情熱的に尽くすことを望む心をもった家
門が必要だというのです。そのように考えるのです。そうして、先生もお母様を選んだのです。
み旨がなかったなら、先生は、お母様と会うことができません。お母様になる人は、二十代を越えてはいけないのです。
本来は十八歳を越えてはいけないのです。十八歳を一日でも過ぎては、満十八歳を越えてはいけません。エバが十六歳で堕
14
落したので、三年を経て、十九歳に連結されるのです。また、堕落圏で見れば、十代が問題なのですが、韓国的な立場から
見るとき、年齢が若いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。
お母様御自身も、愛を中心として、羊のように従順でなければなりません。あらゆる面で、絶対従順する条件を取り戻さ
なくてはならないのです。それで、全面的に夫のために犠牲にならなくてはなりません。夫を愛することにおいて、絶対的
でなければならないというのです。「私の父にも及ばない。私の兄ほどにもならない」と、比較の基準を置いてはならない
のです。世の中のいかなる男性よりも、先生よりも、おじいさんよりも、誰よりも優れていると思わなくてはなりません。
なぜそうかというと、エデンの園では、エバは男性というものを見ることができなかったのです。男性についてあれこれ考
えたり、他のことを思う余地がなかったのです。
先生は、何も分からないお母様に、十四歳の時に一度会い、そのあと、嫁に来る時までに二度会ったのでした。正式に会
ったのは、十四歳の時です。その時、私が呼んで、今後資格があるか、全部試験をしたのです。
どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘が選ばれたのです。そうして、教会で献
身生活していたおばさんの娘、高校二年になる娘を選びました。妻を得るにしても、私の欲望を中心としてではなかったの
です。
また、私がお母様と結婚する時、「神様、私は結婚する時になりましたので、結婚します」と言って結婚したのではあり
ません。神様が「結婚する時になったのでしなさい」と言ったので、したのです。それが原理です。お母様も、私と結婚す
るという思いをもたずに来たところ、どうにかなって、そのようになったのです。
真の御父母様の生涯路程 4
「先生においては、一九四六年から一九六七年の末までが、二十一年路程に該当するのです。一九六〇年度は先生の第二
次七年路程の最後の年です。統一教会においては、一九六〇年度から家庭出発です。統一教会を中心として見れば、第一次
七年路程が出発する年です。一九六〇年度を中心として、私たちは定着し、出発したのです。
15
原理的に見れば、間接主管圏と直接主管圏があるのです。その期間で、間接主管圏と直接主管圏が連結し、完成したアダ
ムが神様の直接主管圏内に連結されなければなりません。それで、七年路程とは何かといえば、長成期完成級から残された
七年の期間を蕩減する期間です。
先生自身も一九六〇年度を中心として聖婚式をしましたが、成婚式をしたその家庭というのは、あくまでも世の中に勝ち、
世界に勝って、霊界と肉界、全体勝利の基盤を築いた上になされたものではありません。ゆえに、霊界と肉界が束になって
攻勢をかけてくれば、そこで戦ってこれを越えなければなりません。そうしてこそ、本来、人間がサタンの侵犯を受けなか
った位置に立ち、神様の直接的愛圏内に至り、天国に入ることができる本然の家庭基準になるのです。そのように途方もな
い歴史的な事情が残っていることを誰も知らなかったというのです。そのために、先生は一九六〇年度に家庭を祝福してお
いて、蕩減復帰歴史をなしてきたのです。」
十七歳の新婦
「み旨がなかったなら、先生は、お母様と会うことができません。お母様になる人は、二十代を越えてはいけないのです。
本来は十八歳を越えてはいけないのです。十八歳を一日でも過ぎては、満十八歳を越えてはいけません。エバが十六歳で堕
落したので、三年を経て、十九歳に連結されるのです。また、堕落圏で見れば、十代が問題なのですが、韓国的な立場から
見るとき、年齢が若いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。
……
しかも、先生は二十年の間に、十二人の息子、娘を生まなければならないのです。そうして初めて、二千年を蕩減
できるのです。ひたすら尻が丈夫で、腰の力があって、毎年ぼんぼん産んだとしても、無事に生まれるかどうか分からない
のです。それは年を取った人では大変なことになるので、やむを得ず、できるだけ年の幼い、十六歳以下でも良いと考えた
のです。」
文先生のみ言葉によれば、天使長(選民)圏は、アダムに対して新婦圏として存在するようになる。これは、天使長がエバ
16
を誘惑しアダムを堕落させたという内容を、復帰の公式を通して、アダムがエバを主管し、エバが天使長を主管するという
原理からこのようにならざるを得ない。つまりエバの年齢と成長は、天使長がアダムに繋がるためにはとても重要な問題に
なる。天使長にとってアダムは重要なのは当然ではあるが、それと同じくらいにエバの完成は重要な意味を持つのだ。
「男性達は、女性の後について来ないと宮廷に侍ることができません。世界を統一した後に初めて、堕落しなかった基盤の
上で、再びハンダ付けして、再び祝福してあげることができます。真の父母とエバと子供が一つになった後に、この道を反
対するものが世界にいなくなることによって、初めて天使長に相対圏が授けられるのであなたたちは早く国を治め、世界を
統一した後に来ないといけないのです。それが天使長の使命です。それは先生の話ではありません。す。それが原理観です。
先生の話ではありません。
アダムが完成したら、天使長が男性であれば、女性をつくって、相対をつくってあげなければいけないではないですか。
天下統一された場合には、天使長圏も、そういうような神様の恵みがあります。だから、再び第二のアダムを先生はつくっ
てあげて、奥さんと子供が願うことによって、再び前の奥さんと夫の立場に立たせることができるのです。
そうするには、その期間においては、昔夫婦であった感情を忘れないといけません。自分の子供だという考えがあっては
だめです。それは堕落しなかったアダムの奥さんであり、アダムの子供です。そういう立場に立つことによって、再び、何
も知らなかった堕落前の十六歳につながるのです。そういう立場に立つことによって、真の父母の勝利圏の体を接ぎ木して
あげるのです。
サタン圏において、蘇生、長成、完成の八段階を勝利して、ずーっと回ってきて接ぎ木してあげるのだから、何千年の歴
史過程の堕落アダムの体が、蕩減復帰したアダムの体の立場に立つことによって、サタンの侵害を逃れられるのです。その
ような勝利的な第二の相続権をもらわなければ、旦那さんとして、第二のアダムとして立つことはできません。これが分か
らなければ大変なことです。
これが分からなければ、第二のアダムとして立つことはできません。女性の解決もなく、男性の解決もありません。だか
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ら家庭です。家庭で転換するのです。分かりましたか。先生が世界的に勝利して、国家を訪ねて、国家を中心として氏族的
メシヤ、それを中心として家庭メシヤ、アダム家庭に帰っていくのです。そこでもって転換しないといけないのです。」
(祝福 80 号 53p~55p
第十一回
愛勝日の御言
1994 年
1月2日
漢南洞公館)
このエバの公式路程を知るためには、1960 年から韓鶴子女史が歩まれた路程、あるいは、文先生が韓鶴子女史に語られ
たみ言葉を調べて、今まで提示した三時代のアダムが歩むべき公式路程にエバの路程を重ね合わせて説明しなければ、天使
長圏が果たすべきであった使命が見えてこない。
それでは、文先生が韓鶴子女史に語られたみ言葉を摂理史的観点から見てみよう。まず文先生は、真の母になる資格を持
つ女性は、三代の神に対して功労を積んだ女性でなければならないと語られている。この事は、すでに述べてきたように母、
妻、娘の三代を意味するものと思われる。次に、18 歳を超えてはいけないというみ言葉がある。堕落が 16 歳で起きたので、
それを超えて 17、18、19 歳で連結されるというように語られている。そして気になるのが次に部分である。「先生は、何
も分からないお母様に、十四歳の時に一度会い、そのあと、嫁に来る時までに二度会ったのでした。正式に会ったのは、十
四歳の時です。その時、私が呼んで、今後資格があるか、全部試験をしたのです。」という部分だ。すでに説明したように、
文先生は、語られる言葉は、公式路程を中心として語られている。つまりエバの使命を持つ女性が 14 歳の時に、アダムに
出会うということを意味していると思われる。
このようなみ言葉を整理して考えると、エバがアダムと子羊の婚宴を迎えるのは、17 歳の時であり、アダムの年齢 20 歳
と比較すると 3 歳差と見ることができる。そのような視点に立つと、エバが 14 歳の時に出会うアダムの年齢は 16 歳の時と
いうことになる。ちょうど文先生がイエス様から啓示を受けた年齢と重なるようになるのだ。
それでは、次のみ言葉を見てみよう。
「エバ圏、新婦圏、キリスト教文化圏が滅びていったので、全世界の迫害をすべて乗り越えて、お母様を中心として育て
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ながら、お母様が再びキリスト教を抱いて、これを新婦の立場に立たせ、これを連結しなければならないのです。
ですから、1992 年までは先生が一人です。お母様が横に立つことができませんでした。四十年の峠を越えて、キリスト
教文化圏が旧教と新教を統一することのできる環境的条件ができなければ、お母様が横に立つことができなかったのです。
1945 年から 1952 年までの 7 年で成すべき新婦圏の理想を、迫害による艱難を経て四十年が過ぎ、女性解放圏を立たせた
ので、お母様が認めなければならないのです。1992 年に入って、「世界平和女性連合」を創設して、お母様を中心とした女
性解放運動を宣布して、女性時代へと移行したのです。
1952 年に、キリスト教文化圏が新婦の責任を果たせませんでした。」
(ファミリー97/2
27p
第 30 回「真の神の日」午前零時の御言
1997 年
1月1日
サンパウロ)
このみ言葉は、1992 年に女性解放宣言をされた時の摂理的背景を語られたみ言葉だ。この女性解放宣言に至るまでの摂
理的背景を考えてみることにしよう。1998 年 10 月 3 日「世界統一国開天日」が宣布され、文先生は「長子権復帰」を宣言
された。この年の 10 月 31 日に 6500 双の祝福を通して「交差祝福」を挙行され、さらに一年後の 1989 年に 8 月 31 日に
「八定式」を制定され、
「父母権復帰」を宣言され、
「天父主義」を宣布された。それから 3 年後になされたのが「メシヤ宣
言」であり、女性解放宣言だ。そしてこの時に行われた 3 万双以降の祝福は世界的に拡大していくようになった。この摂理
的に成された一連の内容をエバを中心とした選民圏がアダムに接ぎ木されていく公式として考えてみたい。
このみ言葉の中で文先生は、1985 年から 1992 年の期間は、本来キリスト教を中心として果たすべきであった 1945 年か
ら 1952 年を取り戻すためのものであったと語られている。そして 1992 年から「1992 年に入って、「世界平和女性連合」を
創設して、お母様を中心とした女性解放運動を宣布して、女性時代へと移行したのです。」と語られている。そして「1952
年に、キリスト教文化圏が新婦の責任を果たせませんでした。」と語られている。つまり、本来キリスト教が新婦の使命を
果たしていれば、1992 年の女性解放宣言は、1952 年に真の母の位置に立つ女性を中心として成さなければならない内容で
あったということだ。韓鶴子女史が、文先生と聖婚されたのは、1960 年であり、この 40 年前の摂理を担当する立場ではな
19
いということがわかる。すると誰がこの摂理を担当すべき人物であったのであろうか?次のみ言葉を見てみよう。
「もし 1950 年度に、英、米、仏の連合国が先生と一つになったならば、その時に、今のお父様、お母様、子女様はいない
のです。キリスト教文化圏を中心として、韓半島は分断されずに南北が統一された立場で、文氏と聖進のお母さんの崔氏を
中心として、父母の立場を設定して、迫害のない子女として出発したのです。
そして、一つの世界、一つの国に、一つの民族を中心として、一つの家庭の父母、一つの血族を中心として、平和の世界
へと前進するはずでした。しかし、追放されることによって、先生が待っていた国と世界をすべて失ってしまったのです。
国と氏族、妻子もすべて失ってしまい、放蕩児の立場に落ち、すべてを失わなければならないのです。」
(ファミリー97/2
27p~28p
第 30 回「真の神の日」午前零時の御言
1997 年
1 月 1 日 サンパウロ)
「先生は本来ならば三十歳の時に韓国のキリスト教を一つにすべきでありました。そして国家的な基盤をつくるはずでした
が、韓国のキリスト教会の反対のため、それが成し遂げられませんでした。」
(
49p
創立三十周年記念日に際して
1984 年
5月1日
ベルベディア)
文先生と崔先吉女史は、1944 年に結婚されている。文先生 25 歳の時だ。この後文先生は、韓国解放と共に鹿島組を退職
され、イスラエル修道院に行かれ、金百文から「世界的ソロモン王」の祝福を受けた後、妻子を韓国に残したまま北朝鮮に
出発された。文先生のこの時の原理的立場は、すでに 20 歳の時の子羊の婚宴の時を逃し、神の息子としての使命をもった
まま天使長の立場を兼ねて歩まれていた時であった。本来の文先生の理想相対は、崔先吉女史であったかどうかは、解らな
いがこのみ言葉を見る限りでは、1952 年の女性解放の使命を持っていたのは、崔先吉女子であったと思われる。そしてそ
こに至るまでの 1950 年に韓国のキリスト教を一つにしなければならなかったというみ言葉から推察すると、40 年後の 1990
20
年までに世界的キリスト教を一つにしなければならなかったと視点が蕩減復帰の視点から考えることができる。文先生は、
1945 年から 1952 年にまでに成さなければならなかった内容を次のようにも語られている。
「それでこらから南北が統一されなければなりません。真の父母を中心としてカイン、アベルが一つになるのです。解放前、
先生を米国が支援してくれたら、今日のこのような惨事は生まれないのです。先生を中心としてキリスト教も二つの宗派に
なってしまったのです。韓国キリスト教は神社参拝派と不参拝派、外的には世界的に旧教、新教に分かれました。内的には
韓国で神社参拝を中心として分かれたのです。
先生が神霊的な集団を収拾し、キリスト教もカイン、アベルを中心として一つになったならば、七年の間に世界を収拾す
ることができたはずです。これが神様のみ旨です。そうなれば、1952 年から地上天国、天上天国に向けて、神様のみ旨の
完成時代へと突入したでしょう。ところが、反対されることにより全世界がサタン圏に入ってしまいました。これを取り戻
すために四十年間荒野に追い出されて、上陸作戦を行ってきたら、全世界が反対するのです。」
(ファミリー95/1
15p~16p
第 35 回「真の子女の日」の御言
1994 年
11 月 3 日
水沢里)
「先生が、霊的勝利の覇権を備えた“キリスト教統一世界文化圏”を地上統一の出発点として、南北統一の基盤の上に旗を
揚げていたならば、そこで祝福して、三年半、七年以内に、八億人近いキリスト教徒を祝福して余りありました。
世界は、1952 年、解放の七年後には、統一的天下を成すことができたのですが、すべて逃してしまったのです。これを
再び取り戻すために、1992 年まで……。52 年から四十年でしょう。ですから、92 年です。」
(ファミリー02/10
13p
第 12 回「七・一節」記念礼拝の御言(後) 2002 年
7月1日
中央修練院)
このみ言葉から推察すると、1945 年から 1952 年までに文先生が成さなければならなかった内容が、8 億人を超えるキリ
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スト教の祝福であったとことがわかる。そしてその祝福に関しても次のように言及している。
「第二次大戦直後に先生が現れたのですが、先生は結婚した人たちではなくて、堕落していないアダム、エバのような十代
の立場を訪ねていく使命がありました。統一教会に若い人達が入ってくるのはそういう原理原則によるのです。これが復帰
の重要な概念です。」
(
38p
創立三十周年記念日に際して
1984 年
5月1日
ベルベディア)
「今から五十四年前に、先生は初めは未婚の男女を祝福しようと思いました。その時の未婚の男女とは誰のことですか?
カトリックの神父と修道女たちです。仏教徒もそうです。東洋と西洋には独身生活をする人たちがいましたが、どれほど多
かったでしょうか。彼らを中心として二世たちを祝福するのが、先生の祝福の目的でした。
神様はそのような若者たちを祝福したかったのです。ところが、そのすべてを失いました。それで、蕩減を払うようにな
ったのです。そこで、先生は新しい理想家庭を立てなければならないと宣言したのです。」
(主要儀式と宣布式Ⅲ「真の父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」
1999 年 5 月 30 日
ベルベディア)
つまり文先生が 1945 年から 1952 年までに成さなければならなかった内容とは、未婚のキリスト教徒を中心とした、全
世界の独身男女が対象であったということだ。そしてこの祝福後に女性時代が到来したということになる。統一教会では、
今までこの 7 年間をキリスト教が文先生を迎え入れていたら 7 年間で地上天国ができたと説明してきた。そして金百聞と許
孝彬を中心としたキリスト教が失敗したので、統一教会を代わりに立てて、1985 年、40 年の蕩減期間を勝利して、その 7
年後にメシヤ宣言と女性解放宣言がなされたという説明であった。しかし、この摂理観の延長で「長子権復帰」、
「父母権復
帰」
「女性時代の到来」、
「八段階の復帰路程」の解釈が可能であろうか?事実 1992 年以後、摂理観を全く理解できずに文先
22
生が聖和されるまで時を過ごしてきたのが私たちの姿ではなかったのか?
この文先生がみ言葉の中で語られている内容を、三代王権と四大心情圏の公式を中心として新しく見えてきた摂理的視点
を踏まえて考えてみたい。
そもそも文先生が宣布された「女性時代の到来」とは、女性が何をすべきであった時代であったのであろうか?文先生の
み言葉から考察してみると、女性時代は、全世界の青年男女の祝福がなされた後ということになる。それが本来であればキ
リスト教を中心として 1952 年から出発していたということになる。ここで復帰の公式をもう一度考えてみよう。三代王権
の公式を復帰という視点に当てはめて考えてみれば、本来父母の基台の上に子女の基台が完成するというのが公式ではある
が、復帰は、子女の基台の上に父母を迎えるという視点になる。これを聖書史に当てはめれば、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭
(子女)の基台の上にイエス様(父母)を迎えるというようになる。例えを変えれば、天使長(子女)の基台の上にメシヤ(父母)を
迎えるというようになる。天使長がアダムと繋がるためには、女性を通して繋がらなければならない。アダムの言葉を聞か
ずに天使長の言葉を聞いて堕落したのがエバであるから、エバがアダムの言葉を聞き、天使長を主管しなければならない。
「神様の干渉を受けなくても、アダムの干渉だけを受けて、アダムの言うことだけをよく聞いていれば、女性は解放されて、
神様と同じ位置に入っていくことができるのです。また、息子達は母の言うことだけを聞いていればよかったのです。
このような原則があるので、皆さんも幼かった時には、何か必要なことがあれば母親に話しましたか、父親に話しました
か。父親に話せばよいのに、なぜ父親に話さないのでしょうか?子供達は、母親のほうが近いということなのです。
アダムは神様に近いし、息子娘は母親に近いのです。ですから何かを要求する時には、まず「お母さん」と言うのであって、
「お父さん」とは言わないのです。それはなぜかというと、このような原則があるからです。もし、息子娘がお母さんと一つ
になれば、その息子娘は、お父さんと一つになった位置に自動的に立てるのであり、神様と同じ位置に立てるのです。それ
で、お母さんの言うことをよく聞く人は、孝子になるということになるのです。」
(ファミリー94/3
6p~7p
続・還国とサタン圏整備
23
1993 年
10 月 10 日
ソウル本部教会)
そして天使長にアベル・カインがあるように、エバが復帰されるにはレア・ラケルの公式がある。これが、正妻と妾とい
う形で現れてくる。復帰は、二番目の位置を中心になされるから、天使長圏はまず妾の位置を通して正妻に繋がり、その後
アダムに繋がっていくようになる。このような復帰の公式を経た後に、アダムの愛をエバが受け、子女の位置立つ天使長圏
は真の父母の愛を受けるようになって本然の姿に戻るというのが文先生が提示された公式だ。問題は、この内容がエバを中
心として何時なされるべきであったかと言うことだ。次のみ言葉を見てみよう。
「成約時代を 1992 年に発表しましたが、それは蕩減です。先生が蕩減するのではありません。世界国家をかけて世界の十
字架を負う時なのです。お母様を立てて祝福しなければならないでしょう。解放圏をもたなければならないでしょう。そう
ではありませんか?92 年に入って、お母様が先生の横に立ったのです。ここからお母様を立てるのです。お母様が同じ立
場に立つのです。ここには蕩減の公式があるのです。家庭を越え、氏族を越え、世界を越えなければなりません。今はそん
な時です。「訓読会」が最後です。
皆さん、何千万双の教育をどうしますか?教育できませんか?「訓読会」をするのです。本を分けてあげるのです。『真の
父母』と『祝福と理想家庭』、その次に『南北統一』に全体の内容がすべて入っています。
「この『南北統一』を読んですれ
ば、すでに統一されているのに、文総裁を理解できずにいるこの国は、どうなるのだろうか?」と嘆きながら私に話す人が
多いのです。
深刻なのです。そのような時になり大転換時期に入ったのです。否定することができないでしょう。成約時代、92、93、
94、95、96、97、98 年です。七年路程です。それゆえ、先生がそのような家庭的蕩減の道を開拓してきたのです。今から
は家庭的定着時代です。成約時代の完成がなるのです。分かりましたか?成約時代を発表したのが 92 年でしょう。
(「93 年
です」)。6 数、7 数を揚げて越えるのです。
そして、成約時代の安着です。これをするようになれば、伝統を譲り渡さなければならないでしょう。ご父母様の伝統。
分かりますか?伝統の歴史が残らなければなりません。ご父母様の歴史です。それで、息子・娘は父母の歴史と伝統に従っ
て行ってこそ、初めて天国に行き、理想世界へと越えていくのです。脇道に行けば、地獄に行くのです。一つしかありませ
24
ん。今、全世界の祝福家庭を収拾できる人は、先生一人しかいないではないですか?そうですか、そうではありませんか?
(「その通りです」)。
それで、このすべての家庭の塀を完全に壊してしまいました。十二の峠を越えなければならないのです。世界的 36 家
庭、72 家庭、120 家庭、430 家庭、777 家庭、1800 家庭、6000 家庭、6500 家庭、3 万家庭、36 万家庭、360 万家庭です。十
二峠です。天がどれくらい忙しいですか?五月まで全部しようとした 3600 万双をやっていまいました。
(祝福家庭 9 号 34p~36p
第 39 回「真の父母の日」敬礼式後の御言
1998 年
3 月 28 日 漢南洞公館)
1985 年から 1992 年は、1945 年から 1952 年を蕩減復帰したのであり、1992 年に韓鶴子女史が、文先生の横に立ち、こ
こから 1998 年までの 7 年間は、文先生が蕩減するのではなく、韓鶴子女史が責任をもって蕩減しなければならないと語ら
れている。この内容を復帰の公式を中心として考えてみよう。女性の時代が訪れる前に成されなければならない内容は、善
の天使長圏復帰である。それはアベル・カインの公式を中心として成される。つまり、地上にアダムを迎えるための環境準
備が善の天使長を中心として成されなければならないのだ。この善の天使長の位置に立つ人物をアベルと呼び、勝利したア
ベル、つまり勝利した善の天使長を最初に探し求めなければならなかったのが、復帰歴史であったのだ。そして最初に勝利
した善の天使長の位置に立ったのがヤコブであった。その善の天使長の位置の勝利者として神から与えられた称号が「イス
ラエル」であり、この善の天使長を中心として神の摂理成就のために全人類に先駆けて、喜んで祭物の道を歩む集団が選民
なのだ。つまり、選民とは、アダムを迎えるための環境準備を担った天使達の総称と言うことができる。この善の天使達が
父母として来られるアダムに対して子女の位置に立つのだ。その子女達が、どのようにアダムに繋がるかと言えば、母を通
して繋がらなければならない。その母が二種類存在する。それは、来られるアダムに対して新婦の位置に立つ真の母とそれ
以外の女性たちだ。この二人の母の関係は、正妻と妾の位置になり、また姉と妹の位置になる。そしてメシヤと真の母から
生まれてくる子女は、直系の子女(実子)となり、それ以外の女性から生まれる子女は、傍系の子女(庶子)となるのだ。文先
生が八段階の説明で話される実子と庶子との関係は、このような公式を通して語られている。そして二人の母がアダムを中
心として完全に一つになり、実子と庶子を一つにすることによって本然の母子協助がなされ、母の位置が復帰されるように
25
なる。文先生のみ言葉によれば、1992 年がこの母子協助が始まる年であり、この蕩減復帰には善の天使長として摂理を担
当してきた文先生でさえ、口を挟むことができないし、また教えてあげることができない。何故なら文先生が直接指導すれ
ば、天使長の言葉をエバが聞いたことになるからだ。復帰は、どこまでもアダムを中心として成されなければならない。つ
まり、1992 年に、統一教会にアダムが存在したということにもなる。このアダムのことを文先生は、真の師、良心の主体、
真の旦那さん、あるいは、今度来られるアダム、第三のアダムというように表現されたのだ。この期間を母子協助時代とも
表現することができる。つまり 1992 年からは 1999 年は、二種類の母を中心として文先生の直系の子女と傍系の子女が一
つになるべき期間であったと言うことができる。そして 2000 年までに本来文先生がアダムとして果たすべきであった公式
路程を取り戻したということになる。しかし、すでに話したようにすでに 20 歳の時に理想相対を成し得なかった文先生の
歩みは、その後文先生がどんなに苦労しても取り戻すことができない。何故なら人間はタイムマシーンでもない限りは、若
い時代を取り戻すことができないからだ。ゆえに文先生は、三代王権と四代心情圏の公式を中心として選民圏が誰一人悟る
こともできない状況の中で一人蕩減の道を歩まれたのだ。
「女性達は今まで偽りの夫と一緒に暮らしたけれど、真なる夫が訪れる所へ鞄を整理して集まるのです。女性の本当の夫は
堕落しなかったアダムなのです。統一教会の文教主という方は、全世界の女性達に対して代表的な男性なのです。将軍なの
です。世の中には本来の男性がいないのです。皆、天使長の後孫なのです。復帰時代において真なる男性が現れた時、全世
界の男性は天使長の立場にあり、真の父母(再臨主)はアダムの立場にあるため、神様と関係がないのです。下僕と息子は
血統が違うのです。男性はいてもいないのと同じく、女性は天使長が奪っていったので、自分の夫を皆嫌がるのです。それ
で浮気をするのです。二番目の夫を探し求めるのです。近世史において世界を指導する人はどんな人であるかといえば、長
男よりもむしろ、二番目に愛した妻子とか、夫から生まれた子供達なのです。」
(祝福 66 号
55p
女性の重要性
1990 年
2 月 26 日
ソウル本部教会)
「このような精誠を尽くす立場でのみ、イエスが降りて来て、聖霊が上って行くのです。そして新郎と新婦が同じ霊の中で
26
その体が完全に一つになります。その時は、自分のいる所にただ神様だけがおられるのです。故に、神様のみ旨の一つの実
体物として聖霊を受けなければなりません。
聖書を見てみますと、「聖霊を受けなければ新生することができない」とあります。その聖霊は何かといえば、母なる神で
あります。聖霊を受けた人が成長して、二十代から自立する時まで、父と母の立場にあるイエス様と聖霊の守りの下で、霊
界と肉界を連結して、熱心に信仰生活するそのような基準で伝統的因縁を受け継ぐようになる時、霊的救いを受けた実体に
なるのです。ここで、霊的新生がなされるのであります。一人で生まれることはできません。霊的父母の愛の圏内から化身
のようなものであります。」
(祝福 68 号
18p~19p
第八回愛勝日
1991 年
1月2日
漢南洞公館)
「先生は今まで全ての原理を探したのですが、後は霊界の全ての内容にパスしなければなりません。その霊界を失うように
した張本人がエバであります。エバによって霊界と実体世界が失われたために、必ず母が中心とならなければなりません。
ヤコブも母子協助でしたし、ペレヅとゼラをみても、タマルが生死の境地を越えて天の血族を守りました。このように、母
子協助が絶対に必要です。
このような原則を考えてみるときに、原理の道を知ってから先生がしなければならないことは、天上世界のあらゆる霊的
権限を相続しなければならないということです。そうするためには、霊界に通じる婦人がいなければなりません。このよう
なことを準備するために金聖道集団がありました。
霊界に通じることのできる婦人は本妻ではありません。復帰摂理において根が変わらなければなりません。本妻は堕落し
た根であり、新しい根を作るためには、系列からみると本妻を中心とした基準ではありません。必ず、妾とか継母とかでな
ければなりません。ただ言葉だけで、できるのもはありません。歴史時代において、王宮から庶民に至るまで、女性達が愛
の問題でどれほど複雑な闘いの過程を経たか測り知れません。
これを越えるためには、相対的立場からは越えることができません。妾の立場にいる女性は、その本妻に対して、絶対に
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自分の母のように侍らなければなりません。横的には、母と娘のような立場に立たなければなりません。本妻を母のように
侍ることのできる心の姿勢を持たなければ、天の祝福を引き受ける者にはなれません。
霊界に通ずる背後を訪ねてみると、夫に毎日打たれるとか、夫と息子・娘達から迫害を受けています。夫は家長という名
前を持った、一つの家庭を代表した男であります。この夫から暴力を振るわれたり、息子・娘にまで、「お母さんが悪い」と
言われます。更には、妾の子供まで自分の父と一つになって迫害します。こうして、家庭内の二つの迫害を受けながらも、
自然屈伏させることができる過程を経なければなりません。ですから、他の人が知らない所で涙を流し、人知れない悲しみ
の歴史を通過しなければならないということを知って欲しいのです。
悪魔は、神様の摂理が女性を通して収拾されてきたということをよく知っているので、酷く苦痛を与えてきました。刃物
を持って首を刺そうとすることが問題ではありません。脅迫、恐喝までするのです。このような中にいる人は夫婦生活を禁
ずる、その女性が通う教会の牧師が問題となります。“誰々の牧師に心が奪われて浮気して飛び回っている”といった噂が
飛び交います。ここから、家庭が破綻するだけでなく、教会の破綻にまで連結されていきます。更には、これが国の法的問
題にまで至るのです。家庭から教会から法廷にまで行って、国と闘わなければならないのです。行く道がこうなっています。
そうしなければ、国と闘って勝ったという条件を立てることができなかったのです。
故に家庭から反対され、教会から反対され、国から反対されることによって、その反対圏内になる時、神の本格的役事が
始まるのです。これが、復帰路程の女性達が行くべき道です。
今日、世界的に有名な指導者達の殆どは、本妻の血統を通して生まれたというよりも、妾とか第二に愛された人から生ま
れた者であります。愛の基準がどちらが高いかと言えば、本妻より妾の立場にいる、あるいは二人目の立場にいる女性の方
が高いのです。この高い愛の基準の女性を奪ってくることによって、サタン世界を越えたということになります。こうして
歴史が背後で収拾されてくるので、家庭から起こった女性の事件が、教会の牧師を通して世界に繋がれ、これが国の法律の
問題にまでなるのです。
鄭壽源のお祖母さんである金聖道もそうです。家庭から迫害を受け、教会の人から迫害を受け、国から迫害を受け、韓国
にまで問題になりました。必ずそのようになっています。そのような女性が妾の立場とか、継母の立場にいたとしても、本
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妻に対して縦的なお母様のように侍ることによってのみ、歴史的に積み重なってきたあらゆることを蕩減することができま
す。このようにして、反対した基準を分けて、善なることのみを移してくるのです。
お母様になれる本格的な血族は、三代に亘る一人娘であります。誰もが可能なことではありません。金聖道の後を許孝彬
が引き受け、許孝彬の娘が主を迎えるように準備されていました。そこから主が来られ、三代に亘る三人の女性の協助を受
けて聖婚式を行うと、それも蘇生、長成、完成と同じであります。お母様のお祖母さんから、お母様のお母さんから、お母
様に至る三代が一つになると、旧約、新約、成約時代が一つになるのです。そこから、夫婦が初めて定着することのできる
時代に入ります。
今日統一教会にも、お母様を中心として三位基台があります。縦的三位基台があって、横的な三位基台が連結されます。
どこが中心であるかと言いますと、お母様が中心であります。このようなエバ的内的基準を整備することによって、地上世
界の実体圏を形成していくことができます。霊的実体圏がなされるあらゆる歴史的なことを横的に展開していけば、僕の僕
の立場から始まるのです。
先生においてもエバを探し求めなければなりません。どのような女性が現われるかといえば、「私が神様(エホバ)の夫
人である」と言う女性が現われなければなりません。本来エバが誰かと言いますと、アダムの夫人であり、エホバの夫人で
あります。エホバの夫人、神様の夫人ということは、霊的女性を代表した立場であります。そのような婦人は、自分の息子・
娘を中心として十二弟子と同じく、横的基盤を全部準備した家系でなければなりません。十名以上の子女がいなければなり
ません。その息子・娘は直系ではありません。そのように、神は私達が理解することができない環境の中で、このような女
性を選んで摂理して来られました。
先生は、その女性を中心として霊的に一つにならなければなりません。そして一つになることによって、その女性が先生
を証しするようになります。「文先生は、神様の前に僕の立場から出発する」というように言うのです。ここから、精誠を尽
くして侍るようになると、再び証をするようになるのです。「僕の立場から、養子の立場に上がった」というように証をする
のです。更には、「神の国において、イエス様と同じであり、神様の代身です」というように証をするのです。そのような話
を聞かなければなりません。
29
その話を聞くまでは、先生はその婦人に侍るけれども、その話を聞いた後には、完全にその反対になるのです。主管性を
転倒して堕落したために、これを復帰しなければなりません。今までは婦人に対して神様のように、王様のように侍り、息
子の立場で、僕の立場で侍ったけれども、一晩で引っ繰り返るのです。ここから問題が起こるのです。普通の人は、ここで
皆落ちてしまいます。先生を証した婦人は、五十歳以上になるお婆さんですが、それまでは先生が心を込めて侍ったけれど
も、一日で引っ繰り返るから、その御婆さんも判断が難しくなるのです。霊界の人にもなり、実体の人にもなる境地に入る
ようになります。霊界と実体世界の境界線に立つようになります。
ここで、そのお婆さんは霊界を出て、実体を屈伏させて、霊と肉が一体とならなければなりません。霊的基準が先生に移
されたので、そのお婆さんは移された先生の基準の前に屈伏しなければなりません。そうしたならば、そのお婆さんは統一
教会の中心的お婆さんになったことでしょう。それをすることができなかったために混乱が起こるのです。原理を知らなけ
れば収拾することができません。このようなことを三段階経なければなりません。一人が責任を果たせなければ、三段階を
経なければなりません。皆さんは、祝福を受けたということがどんなに恐ろしい立場であるかということを知らなければな
りません。
これから皆さんが霊界に入ったら、先に入った人が列を作って皆さんを讒訴します。「私達はこうして堕落したが、お
前達も何もしなかったではないか」と聞いてくるのです。祝福は、ある遊びごとではありません。
(祝福 68 号 20p~26p
第八回愛勝日
1991 年
1月2日
漢南洞公館)
次に文先生が、韓鶴子女史に対して語られてみ言葉をもう一つ紹介したいと思う。
「先生は今 66 歳です。これは創造数から考えると終りなのです。サタンの数です。66 数はサタンの長成期完成級の数です。
蘇生、長成、完成級で堕落したので三段階圏のその圏に該当するのですから、サタン世界は統一教会を侵犯できる勢力圏が
塞がれてしまいました。これからは統一教会の時代が訪れます。人があまりにも多くなるからです。
30
お母様も 43 歳です。それは婦人を中心としての新しい世界、カナン復帰のための受難の時代を越える数なのです。先生
においても新しい時代へ越えていく数であり、お母様においても 43 数は妊娠して、子供を生んで苦労することから逃れる
という数です。今年が先生の 66 数と、このように合うということは、蕩減復帰歴史から見た時、すべてが数理的になって
いるということです。これから統一教会の信者たちは、愛を基盤とした心と体をもってすれば、いかなることをやっても天
国に通じるのです。これ以上の公的なことはありません。分かりましたか?(はい)。
(ファミリー86/10 (続)昨日と今日
1986 年
2 月 14 日
ソウル本部教会)
「お母様も 43 歳です。それは婦人を中心としての新しい世界、カナン復帰のための受難の時代を越える数なのです。先生
においても新しい時代へ行く数であり、お母様においても 43 数は妊娠して、子供を生んで苦労すりことから逃れるという
数です。今年が先生の 66 数と、このように合うということは、蕩減復帰摂理歴史から見た時、すべてが数理的になってい
るということです。これから統一教会の信者たちは、愛を基盤として心と体をもってすれば、いかなることをやっても天国
に通じるのです。これ以上の公的なことはありません。分かりましたか?(はい。)。」
(ファミリー86/10
45p (続)公的生活
1986 年
2 月 14 日
ソウル本部教会)
このみ言葉は、いずれも 1986 年に語られたみ言葉であり、ここで文先生は、韓鶴子女史の 43 歳の年齢を強調して語られ
ている。
「お母様も 43 歳です。それは婦人を中心としての新しい世界、カナン復帰のための受難の時代を越える数なのです。
先生においても新しい時代へ行く数であり、お母様においても 43 数は妊娠して、子供を生んで苦労すりことから逃れると
いう数です。」という言葉は何を意味しているのであろうか?
すでに説明したように 20 歳で理想相対を成すことができなかった文先生の人生は、神の息子の使命を持ちながら、天使
長の使命を果たさなければならない使命を兼ねて歩まれていた。天使長の使命は、後の人類のために復帰の公式を示さなけ
ればならない。文先生は、自らの生涯を通して蕩減復帰しなければならない立場であった。1960 年に御聖婚された韓鶴子
31
女史は、統一教会という選民圏(天使長)がアダムに繋がるための代表者のような立場である。言うなれば女性型の洗礼ヨハ
ネとも言うことができる。つまり、韓鶴子女史もまた文先生と同じように象徴的な路程を歩まざるを得ない立場であったの
だ。文先生は、公式をすべて知って歩まれているが、韓鶴子女史は、知らない立場で文先生に従っていかなければならない
立場であった。選民圏の中でこれほど愛の十字架の道を歩まれた女性は他には存在しないであろう。その苦労を慮れば、私
などがこのように文章を書くなどの資格はない立場ではあるが、文先生が残して下さった公式路程を書き残さなければなら
ないので、あえて書き記しておこうと思う。
この「お母様も 43 歳」というみ言葉から文先生が理想相対としてエバを迎えた時の本然のエバが歩むべき公式路程が見
えてくる。文先生が 20 歳で子羊の婚宴をなされる時のエバの年齢は、み言葉から 17 歳か、18 歳であったと考えられる。
その事から計算すれば、エバが 43 歳の時には、文先生は、46 歳であったと考えられる。すると 1940 年に子羊の婚宴がな
されれば、文先生の 46 歳の時は、1966 年ということになる。1968 年は「神の日」が制定された年である。
「本体論に迫る」
の中で提示したように本来「神の日」の意味は、文先生の孫が誕生し、その後 7 年路程を終結させる年に定められている。
つまり、1968 年は、アダムとエバの公式路程が完成する年であるのだ。
今まで提示してきた内容を年表に表してみたいと思う。
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1910
1914
1918
1920
メシヤ誕生前 10 年
紀元
1935
前3年 0歳後3年
第
一
次
世
界
大
戦
前
三
年
路
程
文
先
生
誕
生
1948 1950 1952
1954
28 歳
34 歳
1945
1959 1960
1966
40 歳
46 歳
1970
1940
後 7 年路程
前 7 年路程
1940
後
三
年
路
程
7 年路程
長成期完成級
16 歳
イ
エ
ス
様
と
出
会
う
1923 年
25 歳
20 歳
7年
30 歳
7年
7年
7年
7年
7年
子
羊
の
婚
宴
三代王権完成
7年
7年
7年
7年
エバの公式路程
エバ誕生 0 歳
14 歳
17 歳
文先生と
29 歳
24 歳
22 歳
31 歳
年
年
父母の路程
36 歳 37 歳
38 歳
7
7
7
出会う
50 歳
子女の路程
年
万物の路程
7
年
43 歳
48 歳
神
の
日
女性解放時代
僕の僕(個人)
僕(家庭)
正妻:実子(国家)
養子(氏族)
妾
選民圏(天使長圏)の八段階路程
33
:庶子(民族)
母(世界)
父母(天宙)
神
この年表の解説をしたいと思う。本来キリスト教の基台があれば、文先生は、20 歳で 17 歳のエバを迎え子羊の婚宴を迎
えることができた。そうなるとエバの年齢の 17 歳から 24 歳までの期間がエバが文先生に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服
従していく 7 年路程になる。文先生は、この期間を前 3 年半、後 3 年半というように意義づけて語られている。文先生は、
アダムが新婦を迎える時に成さなければならない内容を 1960 年の時に当てはめて次のように語られている。
真の御父母様の生涯路程3
「女性にも、母の立場の女性と娘の立場の女性がいます。それはレアとラケルを象徴しているのです。これは、来たるべき
新郎の本意ではありませんが、天理原則によって、そのような役事が起こるのです。ところで、洪順愛氏という、お母様の
母親がいますが、その母は僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければならないのです。そうして、正にその僕の
娘を、神様の娘として入籍する相続式をしなければならないのです。その式をして初めて、新郎として来られた主の前に、
新婦が策定されたと、新しい時代の前に宣布式をすることができるのです。その時は、統一教会で言えば、一九六〇年度に
該当します。
母を失ってしまったがゆえに、二人の母が必要だというのです。それはどうしてかというと、母というものは縦的なので
す。母と娘は、縦的、横的となるのです。先日、洪氏ハルモニに対して、大母という言葉を使ったのもそのためです。この
お母様から直系になっていないのです。それで、このようなすべてのことを蕩減条件に連結させて、その位置をつかまなけ
ればならないのです。それゆえに、先生を中心として見ても、二番目のお母様なのです。第一のお母様が代を継ぐのは難し
いのです。
レアとラケルが一つにならなければならないのです。心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏が成されな
ければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを全く
すり替えても一つになることができる心情圏、兄が弟になっても良く、弟が兄になっても良いと言える内的基盤の一体圏を
つくっておかなければならないのです。そのような過程を経て、お母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。
34
金聖道のあとを許孝彬が継いで、許孝彬の娘が主を迎えるように準備されたのです。そこで十二弟子のような準備をした
のを見ると実に不思議なのです。そのようなすべての内外を合わせて、主が来て、三人の女性の協助を受け、結婚式をする
ようになるのですが、その時の三人の女性とは何かというと、蘇生、長成、完成と同じなのです。おばあさん、母、娘の三
代が一つに、なったというのは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。そうして初めて、父母が定
着できる時代に入るのです。それゆえに、今日、私たち統一教会も、お母様を中心とした三位基台があるのです。縦的にあ
った三位基台が、横的に展開されるのです。それでは、どこが中心でしょうか。お母様が中心です。
その中で崔元福もそうなのです。崔先生が第一ではありません。お母様が第一です。
「女性」と言えば、堕落した女性と、
堕落していない女性に分けられるのです。エバの直系の後孫と希望の女性です。希望の女性は、イエス様の前に新婦となる
のです。堕落した女性は、イエス様の前に裏切り者です。裏切り者を指導し、許してあげ、アベルに仕えさせるのです。ア
ベルが行くべき法度を立てて、許してあげるのです。それゆえ元福も、お母様の行く道を平らにしなければならないのです。
堕落した母の立場から復帰することができる個人的十字架、家庭的十字架、すべての十字架を負って、お父様の前に、エバ
が失敗したすべてのことを蕩減することにおいて、主導的な役割をしてあげるべき一人の女性がいなくてはならないためで
す。
これに対して、サタン世界を生かしてあげようとするなら、お母様の三位基台を中心とした基準があると同時に、そのお
母様のお母さんの三位基台がなければならないのです。すなわち、お母様のお母さんの三位基台である、おばあさん三代を
置いて復帰しなければならないのです。それで三人の老人たち、池承道老人、玉世賢老人、李奇完老人は一つの家に住まな
ければなりません。この三人がどういう人かといえば、お母様の三位基台の土台になるのです。元福氏の三位基台の象徽的
土台なのですが、これが一つにならなければ、統一教会のすべての伝統的歴史を曇らせてしまう立場の代表者となります。
それゆえ、彼女らは一つの家に住んで、一つにならなければならないのです。
このように、おばあさんたちを三位基台で一つにして、母子協助することができるサタン世界の三人の娘を立ててきたの
です。そのおばあさんたちはすべて、先生が呼んだのではありません。霊界で会わせてくれた人たちです。
理想相対とは何ですか。私が創造した男性、私が創造した女性が理想相対です。神様がアダムとエバを造り、共に生きる
ようにしたのと同様に、再創造して生きるのです。神様が七千年歴史を経てきたのは、エバー人を探し出すためでしょう?
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それで全体蕩減を七年期間にするのですが、それが第一次七年路程の期間であるというのです。
天的な家門や家法による教育をしてきたのです。お母様は知りませんが、堕落の結果失ってしまった娘の基準と、その相
対基準と、神様の前に真の父母の基準、この三つを実体において復帰したのです。
うれしくて「うれしい」と言ってしまったその言葉一つが誤っても、それが教育に変わり、先生がたまにうれしくて、背
中でも一度触れば、「きょうはどうして特にこうなのかしら」とあれこれ考え、それが教育に変わり、後ろをちょこちょこ
ついてきながらも「これはまた何の教育になるのだろう」と気をつけるようになれば、またそれが教育に変わります。あれ
やこれやと東西南北に自由がありません。
いつも神経をとがらせて薄氷の上を歩くように、「きょうは無事だろうか、あすは無事だろうか」と考えつつ、一日一日
を過ごしながら神様に感謝する、そのような生活をしたのです。それを私は知っているのです。ですから立派な夫ですか、
暴悪な夫ですか。(笑い)かといって、私はくどくどと説教はしません。さっと一言言うのです。そのようにして、そこに
拍子を合わせてみると、神聖なる聖母マリヤ以上のお母様になったというのです。(拍手)
蕩減復帰の解怨成就において、エバの完成のための蕩減復帰歴史がなければなりません。先生はアダム復帰完成のための
闘争の歴史を経て、勝利の基盤を築いてきた堂々たる男性として立っていますが、女性が堂々たる女性として立つためには、
エバの蕩減復帰路程があるのです。
七年という期間は、お母様の試練の期間です。その七年間は女として絶対服従し、神様の前に試練を克服した蕩減条件を
立てて、先生の前に相対的な基準を完全に備えなければならないのです。そのような期間は、お母様としての試練の期間で
す。女性として、人間の世界で受けるべきすべての苦衷を味わい、神様のみ旨を中心として消化し、克服して越えなければ
ならない期間であるということを皆さんは知らなければなりません。
統一教会の女性信徒たちが黙ってほうっておかないのです。やたらといじめるのです。目玉をくり抜きたい、唇をかみそ
りで切り裂きたい、そのように思うのです。ですからお母様は、お母様としての合格証を受けるために試験を受けるのです。
試験を受けるとき、教師たちは引っ掛かってだまされるような条件のみ探すのです。一番難しいことで引っ掛けるのです。
お母様の位置に立ってはいますが、訓練を受ける時はお母様ではありません。アベルとして、統一教会の女性たちをすべて
慈しむことができる位置に立たなければならないのです。そのようにして、すべての人が喜ぶようにならなければならない
36
のです。それが難しいのです。統一教会の婦人たちは、お母様を最高に讒訴したのです。突き刺して倒そうというのです。
そのように最も憎しみを受けるところから解放され、憎んでいた人が太鼓判を押し「最も愛する女性の代表である」と、
「私の福をすべてあげてもいいです」と頭を垂れるようになるとき、お母様は、初めてお母様の位置に上がるのです。
第一次七年路程とは何かといえば、相対基盤を完成させる時です。家庭的完成基盤を越えていく時なのです。性格的な面
で先生と合わないのですが、ある一時期に来ると合い始めるというのです。そうすれば、合わなかったことは切り捨てて、
合う所から出発するのです。それが七年路程です。第一次七年路程がどういう期間かというと、み旨を中心としてお母様と
一つになることができる基準を合わせてくる期間です。
信仰で一つにならなければなりません。夫が行く道の前に、妻がああだこうだと言いながら反対する日には引っ掛かるの
です。その次には、体で一つにならなければなりません。実体で一つにならなければなりません。その次には、愛で一つに
ならなければなりません。すべて神様を中心として、信仰で一つになり、実体で一つになり、愛で一つにならなければなり
ません。
それで先生が、先生の家庭の前に讒訴できる内外のすべての基準を整理して勝利した期間、心情的な面において、家庭を
中心として発展してもサタンが讒訴できない起源を完全に決定した、その期間が七年路程だということを皆さんは知らなけ
ればなりません。そこには内的な問題など、複雑な問題がありました。お母様と先生が一つになったといえる心情的基盤は、
この世界の分かれたすべてのことを総合できる、代わりの立場にもなるというのです。世界を一つにまとめた心情の基盤の
上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。
それで先生は、皆さんを直接指導することを中断したのです。先生は一九六四年の夏まで、この場所で日曜の礼拝の説教
をしました。ところで、どうしてそれをやめたのでしょうか。それは外的な問題より、内的な問題がより一層切迫していた
ためです。
七千年歴史を区切りとして完成してこそ、安息圈を越えて、八数の新しい出発ができます。これが第一次七年路程である
のですが、これは皆さんが行くのではありません。その期間は統一教会の文先生が家庭的基盤を築いていく時です。祝福式、
聖婚式のあとから、先生の家庭は幸福な家庭ではありません。家庭的十字架を背負って行く道です。誰かが家庭的十字架を
背負って勝ったという勝利的な立て札を打ち込むまでは、第二次である皆さんの家庭の行く道がありません。
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先生の家庭を中心として四位基台の基盤を広めてきたのです。今、その基盤が広まるとともに皆さんが復帰されるのです。
ここにいる先生の家庭の子供たちの名前を見れば、全部復帰歴史と関係しています。
うちの息子、娘たちは、みなこの中から生まれ、必ずお母様の話を聞いて一つにならなければなりません。この期間には、
先生の家庭で蕩減を受けることがたくさん起きるのです。子供たちまでも、この期間には気を休めることができずに育った
のです。この期間には、家庭で思いがけない不祥事も起きたりするのです。
そしてお母様を迎え、約束して定めたことは、どんなに悔しく無念なことがあっても、今後食口たちの前で「うちの先生
夫婦はけんかをしたんだな」ということを見せてはならないということです。育つ子供たちが多くても、子供たちの前で涙
を流して、お母さんとお父さんがけんかしているという表示を絶対にしてはならないのです。私もそうです。子供たちは小
さな神様です。愛を中心としてよ力近い神様です。絶対服従です。もしお母さんのい心時、子供たちが「お母さん!」と言
って入ってきたら、笑っている子供たちに「なあに!」と言うのです。
また私は子供たちを見てあげることができませんでしたが、全部はできなくても、四番目の息子と娘までは、いつどんな
時でも、)十二時を越えて帰ってきても、寝ている部屋に入ってキスをしてあげ、祈祷をしてあげました。私は父母として、
子供たちの生活に対していちいち指導はできませんでしたが、保護すべき責任があるので、朝夕に祈祷してあげて生活した
のです。
父母と子女と万物が一つにならなくては、神様の愛の圏に到達できません。それで七年の間、お母様を中心として訓練を
し、お母様と子供たちを中心として迫害を受けて大変だったのです。そのような過程を経たのです。
堕落したがゆえに、夫の責任を果たせず、息子の責任を果たせず、万物を失ってしまったのです。それゆえ、そのような
ことを内的な面で蕩減しなけれぱならないのですが、そのような過程を経ながら、「万物の日」、「子女の日」、「父母の日」
を設定し、すべて蕩減してくるのです。それをこの七年期間にしたのです。そのようにしてこの七年期間が終わることによ
って、「神の日」を立てて蕩減の峠を越えるのです。」
この公式は、文先生が理想相対をなすべきであった 20 歳の時にも適用される。ただし、この時は、キリスト教の基盤の
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中にレア・ラケルの基台が成立して初めて成り立つ内容である。キリスト教の基台があれば、17 歳の新婦を中心として第一
次7年路程、つまり父母の路程があったはずである。この期間は、20 歳の新郎として立つ文先生の前に二種類の女性が現れ
る、17 歳の新婦(正妻)とそれ以外の女性たちである。そしてすべての女性の嫉妬を受けながら、あるいは、アダムにどのよ
うな目に合わされてもエバが絶対服従しなければならない死の境地を超えるようなエバが愛の十字架を越えなければなら
ない期間なのだ。それがエバの 17 歳から 23 歳までの 7 年と路程だ。次に 24 歳から 31 歳までが子女の時代になる。この子
女とは、文先生の真の母から生まれる直系の子女とその他の女性を通して生まれてくる選民圏の天使長達(傍系の子女達)と
の一体化の期間になる。女性時代は、1952 年エバが 29 歳の時に始まるようになるので、ちょうど第二次 7 年路程と重なる
期間になる。おそらくここには、文先生のみ言葉をもっと詳しく見れば、3 年半路程の内容があると思われる。
真の御父母様の生涯路程3
三年路程と一九六二年
「この三年は歴史的な転換期です。皆さんには分かりませんが、内的にそうなのです。この期間に参加したことは非常に大
きな栄光です。
今年、この年はみ旨から見る時、重要な年であり、一日一日が重要な日です。イエス様が越えた一つの峠を越えなければ
ならない時です。イエス様は先頭に立って戦われました。イエス様の思想を相続し、神様のために戦える信仰者、最後まで
サタンと戦える信仰者が必要です。
この三年は短い期間ですが、重要な路程を、形象的に象徴的に歩む期間なので、いかなる困難があるとしてもしっかりと
越えなければなりません。この民族が行きたがらない道を行くところにおいて先頭に立ち、世界の民主主義陣営がやりたが
らないところにおいて先鋒とならなければなりません。復帰的な心情、希望的な心情をもって歩んでいる中で倒れるならば、
肉身はサタンが引いていくことができても、精神は引っ張っていけません。霊的に占領されないからです。
39
その次は、栄光の時代に入っていかなければなりません。絶えず戦わなければなりませんが、そのような中でも幸福を謳
歌することができなければなりません。また、そのような中において内部では、環境を整理しなければなりません。
一九六〇年に三年路程を約束して出発しましたが、既に二年が経過し、もう一年しか残っていません。私は寝ても覚めて
も常に、今年この一年をどのように送るべきかを考えています。み旨の前に勝利的な成果を上げるため、惜しげなく捧げる
覚悟で行動しなさい。」
このみ言葉は祝福後の 3 年路程を表している内容を指して語られたみ言葉であり、
「先生は本来ならば三十歳の時に韓国のキリスト教を一つにすべきでありました。そして国家的な基盤をつくるはずでした
が、韓国のキリスト教会の反対のため、それが成し遂げられませんでした。」
(
49p
創立三十周年記念日に際して
1984 年
5月1日
ベルベディア)
このみ言葉は、1952 年に至るまでの前 3 年路程を中心として語られたと考えられる。
三次7年路程は、その後エバ 36 歳までの期間まで計画されていた。三次7年路程は、父母と子女と万物という文先生を
中心とした一つの祭壇として形成されている。キリスト教の基台の上に文先生が公式路程を歩まれれば、1952 年から 1959
年、文先生が 40 歳になるまでには、文先生と新婦から生まれてくる直系の子女とそれ以外の女性達を通して接ぎ木される
天使長圏(傍系の子女)が一つになり、1960 年以後誕生する文先生の孫を中心として、文先生の三代と二代の選民圏の勝利の
基盤の上に三代王権を中心とした皇族圏が完成するようになっていた。そして文先生の直系の子女を中心とする7年路程を
勝利した基台の上で 1968 年 1 月1日に神の日が宣布されるべきであったのだ。しかし、キリスト教が責任を果たすことが
できず、文先生は、7年延長し、崔先吉女史を立てて取り戻そうとされたが、崔一族の反対によって 1959 年に離婚してし
まった。結果、文先生は本来の公式路程を 20 年延長せざるを得なくなり、1960 年に聖婚式を挙げざるを得なくなった。
40
次に選民圏がエバを通してどのようにアダムにつながるかを上の年表を中心として見てみよう。本来文先生は、キリスト
教の基台があれば神の息子の位置で選民圏の中に誕生し、成長し、20 歳で新婦を迎え、66 歳あるいは 67 歳で三代王権を
成すことができた。キリスト教(第二イスラエル選民圏)は、僕の僕の位置で文先生のための環境整備を成して、1920 年メシ
ヤの誕生、言い換えれば主人の誕生によって僕の位置に立つ。そしてメシヤとの生活を通して、メシヤの成長に伴って選民
圏はメシヤを通して心情復帰していくようになる。そして、メシヤの子羊の婚宴の時には、養子圏として参席するようにな
る。養子とは、父がまるっきり違う立場だ。原理的には、メシヤと父が異なる兄弟の立場である。つまり祝福の段階では、
まだ天使長に主管されている立場だ。それは、文先生 20 歳の時であり、この時点での選民圏の立場は、まだ文先生に対し
て養子の立場になる。ここから文先生に対する女性の成長(新婦とその他の女性達)を中心として 12 年後の 1952 年に新婦と
女性達がレア・ラケルの位置に立ち文先生と新婦から誕生した直系の子女(実子)とそれ以外の女性達に繋がる天使長達が傍
系の子女(庶子)として 7 年間を通して接ぎ木されるようになる。そして 1959 年には、母子一体化が勝利し、真の母の位置
が完成するようになる。
それから 7 年後、文先生と真の母から誕生した直系の子女から孫が誕生し、1966 年には、真の父母は、祖父母の位置に
立つようになる。このアダムの三代王権に協助し、善の天使長として参加、参席することによって、天使長圏は、アダム家
庭と同位圏に立つようになる。この内容が八段階の公式路程だ。
文先生は、本来このような公式路程を生まれながらに備えている立場に立たれていたのだ。しかし、キリスト教の基台を
喪失してしまったがゆえに文先生の御聖婚は、1960 年、文先生の 40 歳の時に成さざるを得なかった。最初の予定から 20
年延長した形になってしまったのだ。それでも文先生は、生まれながらに公式路程を背負った立場だ。文先生は、絶対に実
現できない理想を負いながら、1960 年から公式路程を韓鶴子女史を立て、統一教会を選民圏の位置に立て歩んでこられた
のだ。それでは、次に 1960 年から文先生が歩まれた 20 年延長された公式路程を、年表を通して見てみたいと思う。
41
文先生を中心としたエバ復帰と新婦圏復帰の公式路程(八段階復帰路程):20 年延長路程
1950
1954
1958
1960
メシヤ誕生前 10 年
1965 1967
1972
1979
1974
1981
1988 1989
1985 1986
紀元
7
一
勝
日
前 7 年路程
前
三
年
路
程
後3年
父
母
の
日
たエバの象徴的公式路程
17 歳
僕(家庭)
7年
7年
62 歳
66 歳
養子(氏族)
選民圏(天使長圏)統一教会を中心とした象徴的八段階復帰路程
子女の路程
万物の路程
女性解放時代
正妻:実子(国家)
妾
43 歳
:庶子(民族)
42
母(世界)
父母(天宙) 神
世界統一
国開天日
女
性
時
代
到
来
80 歳
69 歳
7年
36 歳
29 歳
22 歳 24 歳
父母の路程
僕の僕(個人)
60 歳
御
聖
婚
7年
14 歳
52 歳 54 歳
47 歳
女
性
解
放
宣
布
後
三
年
路
程
7 年路程
韓鶴子女史を中心とし
八
定
式
後 7 年路程
前 3 年 40
U
C
創
立
年
1999
1992
48 歳
キリスト教の基台を失った文先生は、20 歳の時に理想相対を復帰することができず、その後、天使長の立場に立ち、1944
年に崔先吉女史を立てることによって神霊集団と既成キリスト教(監理教)を中心としてアダム家庭復帰の道を歩まれた。
真のご父母様の生涯路程 1
P256~257
「聖進のお母さんは賢い女なのです。とてもまっすぐで、家門もいいのです。崔氏の門中といえば、定州郡では有名な門中
なのです。そこの本家の娘なのです。また、とてもつましい女なのです。へこたれない女です。これっぽっちも世話になり
たがりません。
彼女は、小学校出の、七年ないし八年の過程の学歴しかない人なのです。それで天のみ旨の中で会った人なのです。まず
世の中から見る時、夫は自分の夫しかいないという人でなければなりません。すべての面において自分が不足なので、夫が
することに順忚できる与件が大きくなければならないのです。また、自分は大きなみ旨を抱いて行く夫の道において、どん
な苦労でも有り難く受けなければならないというのです。個人的にいろいろ見る時、そのようなけた違いな差があればある
ほど、それがみ旨の前に助けになるゆえに、先生は小学校しか出ていない聖進のお母さんを選びました。
彼女は、キリスト教信仰が篤くて、信仰的代表だというのです。そのような観点から見れば、全世界を代表すると同時に
国家を代表して、男の洗礼ヨハネの立場でなく、女として洗礼ヨハネの使命を果たさなければならない立場にいた人が、聖
進のお母さんでした。キリスト教の使命とは何かというと、新婦を提示して、新婦を天の前に連結させることですから、そ
のような観点から見る時、そのような意義があるというのです。その時、聖進のお母さんは、神社参拝の問題を中心として
監獄暮らしまでした経歴をもっていました。そのような女性を探したのです。そのような乙女を探したのです。」
しかし、崔一族の失敗によって、結果的に 1960 年、文先生の 40 歳の時に神霊集団側から韓鶴子女史を真の母の位置に立
て、公式路程を歩まれる形になった。文先生の公式路程は、20 年延長され、韓鶴子女史の年齢を中心として本来エバと選
民圏が歩まなければならない路程を示される形になった。文先生が真の母に立つ立場の女性を 17 歳の女性にしたのは、本
43
来新婦圏がエバを中心としてどのように接ぎ木されるのかを示されるためであったと考えられる。文先生が二重の使命を歩
まれたように、韓鶴子女史を代表とする新婦圏(統一教会)も 1960 年から 1967 年までは、本来キリスト教が成さなければな
らなかった使命を帯びていたことになる。そして同時に 1960 年の時に 17 歳の年齢で出発した真の母を代表とした新婦圏
は、韓鶴子女史の 43 歳の年齢、つまり、本来 1920 年からエバが歩むべきであった公式路程を蕩減復帰する形で歩まれた
のだ。1992 年の女性時代の到来が、本来、1952 年から始まったとするならばエバの年齢を中心としてみた時には、29 歳
ぐらいになる。このような視点を統一教会史に当てはめて考えると、韓鶴子女史の 29 歳の時、つまり 1972 年が女性時代
の到来ということになる。
「それで、これが、1972 年までいくでしょう?何故かといえば、世界的なイエスの恨みを蕩減して晴らし、それと共に、
先生は世界的な新しい出発の布陣を整えておく時が、1972 年度までなのです。
そうする事によって、この家庭は先生と直接に内的因縁を結ぶことができるために、ここから入籍問題が起こるのです。
すべて原理的なのです。大まかな計算ではありません。」
(祝福 78 号
88p
我が家庭の行く道
1971 年
8月
28 日
清平修練所)
このみ言葉の意味を復帰の公式を中心として説明してみよう。文先生の公式路程はキリスト教の失敗によって 20 年延長
された。本来 1952 年から始まる女性時代も、20 年延長され 1972 年から始まるようになったのだ。つまり 1952 年から始
まるべきであった母子一体化の摂理は、1972 年から始まるようになったのだ。その公式を詳しく説明すれば、文先生と新
婦(正妻)とそれ以外の新婦圏の女性が妾の位置に立ち、それに繋がる天使長達が文先生と新婦から誕生する直系の子女(実
子)に対して庶子の位置に立つようになる。ここから母子一体化の摂理によって母(女性)を通して庶子と実子が一つになり、
7 年路程を経て、1979 年には、完成したアダム家庭を中心とした皇族圏を完成し、さらに 1986 年までの7年路程を通して
文先生 66 歳、韓鶴子女史の年齢を中心として 43 歳の時に三代王権と四代心情圏を完成させるという公式路程を説明してい
44
ると思われる。
そしてキリスト教の基台を中心として 1970 年、文先生 50 歳、新婦 48 歳の年齢までに歩まれるべきであった公式路程を
20 年延長し、統一教会の基台を中心として、文先生 70 歳、韓鶴子女史 48 歳の時になる 1991 年までの摂理を通して、ア
ダムと新婦と選民圏が共に歩むべき公式路程を文先生御自身が韓鶴子女史と統一教会を中心として蕩減路程を歩まること
によって提示してくださったのだ。
「1992 年になる前の 91 年に、すべてを整備するのです。
それが、今から十二年前です。十二年です。ですから、きょうは何かというと、十二回目を迎える日なので、これを十二
年を中心として、総決算することができる日なのです。」
(ファミリー02/10
14p
第 12 回「七・一節」記念礼拝の御言(後) 2002 年
7月1日
中央修練院)
ここで注目しなければならないのが、女性時代が始まる前 7 年の 1965 年から、韓鶴子女史が聖婚した後に 7 年路程に当
たる 1967 年、つまりエバの年齢が 22 歳から 24 歳までの三年間だ。文先生のみ言葉には次のような内容がある。
「これからは結婚していない人を伝道しなさい。
私は次回に祝福してあげるのは、純粋な未婚の男女です。親が酒を飲んで浮気した人は、だめです。選んで祝福してあげ
ます。これが、先生がしなければならないことです。誰でも、結婚させる時代は終わりました。世界時代へと入るので、純
潔を守ってきた男女でなければなりません。そして、二十四歳以上はだめです。十七歳から七年です。二十四歳までです。
それは女性として、花が咲く時代です。二十四歳になると、咲いた花がしぼみ始めます。二十四歳を越えた人は先生は知り
ません。
45
そして、純粋な人が祝福されるので、農村の息子・娘でなければなりません。今は、みんな農村を離れました。これから、
農村へ帰って行く時が来ます。農村へ帰って純潔を守り、各家の代表的女性として結婚する時が来るのです。エデンの園で、
アダムが子女を生んだら、アダムは田舎で結婚させたでしょうか、都市で結婚させたでしょうか。(「田舎です。」)牧場で
す。
学者達が、人間の欲望どおり、すべてがなされたらどうなるかを研究した結論があります。それは、科学化された文化発
展の世界でもなく、高層ビルが並んだニューヨークのような都市でもありません。みんな、にぎやかで所要性の多い、公害
が発生する都市は嫌がります。
みんな、原始人に戻っていくべきだというのです。つまり、神様からつくられたままの、純粋な子女の位置へ戻っていく
のです。分かりましたか。草木や魚、昆虫、動物までが、汚れていないものだけが育ちます。雑物ではありません。だから、
人類の希望どおりになされたら、みんなが原始時代に戻って、裸で暮らさなければならないのです。
私たちも、裸で暮らしたらどうですか。恥ずかしいですか。これから破壊されたオゾン層が、だんだん広がると、みんな
裸で生きなければなりません。皆さんの裸も、先生の裸も、比べてみるとたいして変わりません。恥ずかしいことはありま
せん。恥ずかしいと思うのは、堕落した子孫だからです。
これからは、三代が一つの部屋で愛する時代、三代が一つの部屋で花が咲く時代が来るのです。先生の言うことが分かり
ますか。三代の夫婦が、一つの部屋で愛しながら、おじいさんとお父さんの愛し方を、自分の息子・娘に教えてあげる時が
来るのです。そうなれば、その家は一つになるでしょうか、ならないでしょうか。(「一つになります。」)私はこのように
考えているのです。どうして恥ずかしいですか。
(祝福 86 号
56p~57p
私の責任
1995 年
8 月 28 日
水沢里)
「女性は、四十七歳、四十八歳を超えれば過ぎていくのです。十二数の四倍です。四十八歳です。その前に赤ん坊を生まな
ければならないでしょう。それを超えれば難しいのです。すべて数人的な基盤があるのです。ですから、若い時に赤ん坊を
46
生まなければなりません。分かりますか?「はい。」
息子・娘を早く結婚させるのがよいのですか、遅く結婚させるのがよいのですか?(「早くです。」)いくつの時ですか?(「十
八歳です。」)なぜ十八歳ですか?六数の三倍が十八です。十八歳を超えなければなりません。それを超えて、十九歳、二十
歳、二十一歳まで、その三年間で赤ん坊を生まなければ難しくなるのです。その時が、血気が最も旺盛な時です。女性は二
十四歳になると、下がっていくのです。統一教会では、十八歳から二十歳までに結婚させるのが理想的です。」
(祝福家庭 19 号
P89~90 「公的に生き御旨にかなす子女をたくさん生み育てよう。」 2000 年 9 月 20 日
清平修練所)
このみ言葉は、エバが子女を生むためには、18 歳から 21 歳までが理想的で、どんなに遅くても 24 歳までに生まなけれ
ばならないというエバが歩むべき公式路程を示している。エバがアダムの直系の子女を生まなければ天使長圏を救う道がな
くなる。何故なら母子協助時代に入っていくことができないからだ。天使長圏の立場に立って救済という概念で考えるなら
ば、メシヤだけに繋がっても救済は完成しないのだ。どこまでもメシヤとその子女に繋がらなければならない。そのアダム
家庭が三代をもって完成するのが公式ならば、天使長家庭も三代を経なければ完全なる救済はなされないということになる
のは原理的に見ても当然のことだ。
文先生が韓鶴子女史と統一教会の祝福家庭を基台にして歩まれた 1960 年から 1991 年(文先生 71 歳、韓鶴子女史 48 歳)
までの路程は、キリスト教が失敗したが故に、文先生の公式路程に急遽合わせて摂理された観が否めない。つまり、韓鶴子
女史を中心とした選民圏が如何なる勝利を治めたとしても、神の創造理想から見て完全なる勝利には成りえない。何故なら、
復帰は、どこまでもアダムを中心として成されるからであり、文先生の出発が 20 歳の時に果たせなかった時点で実現不可
能であった内容だからだ。この期間は、文先生のためにキリスト教を中心として準備されたものが失敗に失敗を重ね、文先
生自らが生きながらに、たった一人で十字架を背負われて歩まれてきた期間であったとも言うことができる。
47
真の御父母様の生涯路程3
「先生がそのまま満四十の峠を越えれば大変なことになります。それで大急ぎでしたのです。それを偶然に越してしまうよ
うになれば、すべてのものが、ぼとっと落ちてしまうのです。どれだけ深刻だったか、皆さんには分からないことでしょう。
復帰路程で、この四十数を越えることがどれだけ重要な一つの峠であるかということを、皆さんは原理を通して学び、みな
知っていることでしょう。四十の峠を越える時までは、死んではなりません。へたばってもならず、後退してもなりません。
どんなに追われ追われても、最後まで前進しなければなりません。
怨讐に出会うその峠ごとに「私が倒れてはならない。私が死んでは駄目だ。私が死ねばこのみ旨を誰が立てるだろうか。
どんなに苦労をしたとしても、四肢が切られ不具になり、伏して生きるとしても、私は死んではならない」と、どれほど心
の中で念を押したか知れません。
ゆえに先生は、死なずに四十の峠を越える日を待ち焦がれ、歳月が早く過ぎ去ることだけを黙々と願いました。
「青春よ、
早く過ぎ去れ。歳月よ、早く過ぎ去れ。自分にあるすべての宝物が奪われるとしても、来たるべき四十の峠で私は、敗者と
ならず勝者になるんだ」と思いつつ歩んできたのです。また、それは先生の宿願であったのです。」
そのように考えると 1986 年以後、1988 年に制定された「世界統一国開天日」、1989 年に制定された「八定式」、1945 年か
ら 1952 年の期間を蕩減復帰した後、1992 年から始まった女性解放時代とは、どのような摂理的背景をもって成されたもの
かを考えなければならない。文先生は、1986 年までに韓鶴子女史の年齢を中心とした祝福家庭を通して、本来、アダムが神
の息子としてエバと天使長圏を完成させる公式路程を提示された。しかし、それはどこまでも象徴的なものである。何故な
ら文先生が 40 歳の時に出発したからだ。神は、アダムが理想相対を完成するまで摂理を延長される。何故なら神は絶対的
な神であるからだ。
1986 年文先生は、すでに 66 歳になっていた。アダムが歩まなければならない 25 年路程を中心として見たとき、この時の
文先生の年齢は、すでに長成期の完成級にあたる 50 歳を超えており、完全に天使長の位置に立たれて摂理を歩まれていた。
48
「蘇生、長成、完成です。最も重要なものが二番目なのです。二十五歳までを蘇生期とすれば、五十代までが長成期です。
五十代までに自分の出世基盤を築くことができず、五十代以降に出世しようというのは、すでに枯れた落ち葉になるのです。
その秋の園に行って堆肥の山の助けになるだけであって、その根と幹の助けになる時代は過ぎていったのです。」
(ファミリー07/3
P11~13
第24回「愛勝日」のみ言
2007 年 1 月 2 日
天正宮博物館)
文先生が地上でアダム家庭復帰のための摂理を進めるためには、アダムの使命を地上で相続する人物が必要になる。すで
に説明したように文先生は、1960 年、40 歳の時、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の勝利的条件の下に地上にイエス様を準備さ
れた。それでは、文先生を中心としたエバ復帰と新婦圏復帰の公式路程(八段階復帰路程)の年表を参考にしてイエス様を中
心としたエバ復帰と新婦圏復帰の公式路程(八段階路程)の年表を提示したい。
49
イエス様を中心としたエバ復帰と新婦圏復帰の公式路程(八段階復帰路程)
1950
1954
1958
1960
1975
1980
1985
1988
1990 1992
1994
2000
2007
39 歳 40 歳
47 歳
1999
2010
1940
メシヤ誕生前 10 年
1988 世界統一国開天日
1989「八定式」
長子権復帰・父母権復帰
前 7 年路程
U
C
創
立
後 7 年路程
前3年 0歳 後3年
誕 前
生 三
年
路
程
イ
エ
ス
様
誕
生
後
三
年
路
程
長成期完成級
16 歳
使
命
を
悟
る
子
羊
の
婚
宴
1963
年
エバ誕生0歳
25 歳
28 歳
30 歳 32 歳
7年
7 年路程
エバの公式路程
20 歳
17 歳
7年
7年
7年
7年
50 歳
7年
三代王権完成
7年
7年
7年
14 歳
34 歳
22 歳
7年
24 歳
29 歳
7年
36 歳
37 歳
43 歳
48 歳
女性時代到来
母子協助時代
僕の僕(個人)
僕(家庭)
祝福家庭
選民圏(天使長圏):八段階路程
養子(氏族)
兄弟姉妹
(血筋が異なる)
正妻:実子(国家)
妾
50
:庶子(民族)
父子協助時代
母(世界)
皇族圏完成
父母(天宙) 神
祝福家庭は、イエス様の誕生を条件として編成されたものだ。条件祝福家庭の位置を八段階の公式路程の視点で見れば、
イエス様と祝福家庭の関係は、主人と僕の位置に立つ。祝福家庭を中心として編成されたヨセフの氏族の中で祝福家庭は、
実体のイエス様と関係を持ちながら、イエス様自身が子女の愛、兄弟姉妹の愛を体恤して成長して行く過程の中で自らも新
生した立場にからイエス様が成長していく姿を見ながら、自分が今まで堕落圏において通過してきた様々な堕落性に向き合
い、祝福家庭自身がイエス様を通して成長していかなければならなかった。イエス様が子女の愛を体恤するときには祝福家
庭は、イエス様に対して僕の位置になる、イエス様が兄弟姉妹の愛を体恤するときは、祝福家庭は、養子の位置になる。祝
福家庭が僕の位置から養子の位置に変わるのは、イエス様が思春期を迎える 16 歳からになるのではないかと思う。祝福家
庭の基台の上にイエス様が公式路程を歩み、20 歳で新婦を復帰すれば、その時、祝福家庭は、新婦を中心としてイエス様
に接ぎ木されるようになる。その時の祝福家庭の位置は、養子の位置だ。何故ならその時点では、まだ天使長の位置だから
だ。その後 17 歳で聖婚した新婦がイエス様を中心として 7 年路程を歩み 24 歳までに子女を生まなければならない。つまり、
イエス様の 20 歳から 27 歳と新婦の 17 歳から 24 歳までの7年路程は、イエス様と新婦の父母の路程になる。年表で見れ
ば、1980 年から 1988 年ということになる。そして 1985 年から 1992 年が、1945 年から 1952 年を蕩減復帰したというの
であれば、新婦が 22 歳から 29 歳の時がこの時であり、1992 年、新婦 29 歳から 36 歳までが女性解放時代、つまり、新婦
以外の祝福家庭の女性達が、新婦(真の母)に対して、妾の位置に立ち、そこに繋がる天使長達(傍系の子女)とイエス様と新
婦との間に誕生した直系の子女を一つにしなければならないのだ。つまり、1992 年から 1999 年が母子協力時代であり、1999
年を超え 2000 年から父子協助時代が始まるのだ。2000 年を超えるとイエス様に孫が誕生するようになる。そしてイエス様
を中心としてなされた三代を経て形成されるアダム家庭と選民圏が一つになれば、文先生が、本来、1920 年から 1968 年ま
でにキリスト教を中心として成さなければならなかった公式路程を、イエス様が 1960 年から 2008 年までに蕩減復帰した
形になるのだ。このような視点に立って 1960 年から 1991 年までの祝福家庭の果たすべき使命を考えれば、二重の使命を
持っていたと考えられる。一つは、韓鶴子女史を中心として公式路程を象徴的に歩みきること、もう一つは、ヨセフの氏族
の使命を果たし統一教会に来られたイエス様を保護し、子羊の婚宴を 1980 年に勝利すること、そして 1992 年からイエス
様を通して 2010 年までに八段階の路程を勝利することだ。
このような視点を中心にして、1988 年 10 月 3 日に制定された世界統一国開天日と 1989 年 8 月 31 日に制定された八定
51
式の意味を考えてみよう。1988 年 10 月 3 日世界統一国開天日の勝利によって長子権復帰が勝利されたと私たちは学んでき
た。三代王権の公式を中心として長子権復帰という内容を考えてみたとき、大きく分けて二種類ある。一つは、天使長圏に
立てられる長子権復帰であり、もう一つは、アダムと天使長圏との間に立てられる長子権復帰である。文先生と統一教会の
関係で説明すれば、文先生と統一教会員の関係は、アベルとカインの関係である。これをアベル・カインの公式を中心とし
て説明すれば、復帰された善の天使長と堕落した天使長の関係だ。つまり、この関係がイエス様を中心として見たときの天
使長圏におけるアベル・カインによる長子権復帰だ。この二種類の天使長が一つになることによって堕落前のアダムの位置
(未完成の人間)に復帰されるのがメシヤを迎える前の私たちの立場になる。この内容が条件祝福を通してメシアに繋がる前
の天使長の位置になる。次にメシヤを迎えるためには、女性を通じなければならない。女性にもレア・ラケルの公式がある
がゆえに二種類存在しなければならない。それが新婦(正妻)と妾という形で現れてくる。天使長が最初に通じなければなけ
ればならないのは、妾の位置の女性になる。そして妾から真の母に繋がりメシヤに繋がっていかなければならない。繋がる
方法は、メシヤの新婦の胎中に直系の子女がいるときから、妾の位置に立つ女性達は、新婦と完全に一つになり、天使長た
ちは、その真の母の胎中から誕生する直系の子女をメシヤを迎える心情で迎えなければならないのだ。このように母の胎中
から直系の子女と一つになる条件を通して天使長達は、二人の母の胎から生まれた条件が成立するようになる。この公式を
通してなさせるのが、アダム家庭と天使長家庭が一つになることによって成される長子権復帰だ。
「約婚式は、アダム・エバが約婚の時に堕落した、それを復帰しなければならない。堕落して汚れた血統を受け継いだ、そ
の血統を転換しなければならない。これをしないと原罪が脱げないし原罪を乗り越えないと真の子女として祝福される段階
に上がることができない。原理がそうなっているんだね。
堕落した原罪を脱ぐ血統の転換、血肉の交換がこの聖酒式である。
この聖酒式は、イエス様を中心として言えば、聖餐式である。血と肉の代わりにパンとぶどう酒を飲む。堕落したんだか
らイエス様の体を受けることで新しい肉体を受肉しなければならない。それと同じように、この聖酒式は堕落した行程と反
対の方向にもって行かなければならない。
52
堕落は天使長を通し、エバを通したのだから、復帰は、天的天使長の立場に立つ金協会長からはじまる。
生まれかわるには、自分が母のふところに帰ったというような、復帰された母がいなければならない。それが崔元福先生
である。
母から堕落しない前のアダムへの路程を反対に元返ししてこないというと帰ることができない。再び父母のもとに帰るん
だね。そういう路程を通過しなければならない。堕落しなかったアダムの中にある子供の種だね、そういう基準にまで帰っ
てきて、はじめて正式に復活圏に入ることができる。
こういうふうにして、四位基台を中心とした横的四位基台が作られる。だから、先生の子供達を中心として、横的に発展
する。
母は堕落から復帰された母、堕落しない立場の母、そういうような二人の腹の中に元返しするような条件を立て、それ
が何によって、復帰されるかというと愛を中心としてである。堕落は愛を中心にして堕落したのだから、復帰も愛を中心に
して復帰しなければならない。元返しするには、再び腹の中に入るわけにはいかないから、愛を中心として一体となって復
帰していく条件を立てるのである。
そういうふうに復帰したアダムに立ち帰って、一体となって血統をもらわなければならない。それからアダムと一つにな
って肉的に堕落した。それ故に、それを元帰しするには、完全に復帰されたアダムを迎えて、霊的に一つになる式が聖酒式
である。愛の因縁を元帰しする式である。そういう条件を立てなければならない。そうすると、霊的に一つになって神の方
に帰ったその女として、実体として男を復帰するのが結婚式である。
聖酒は何が入っているかというと、それは父母の愛の象徴が入っている。それから血の象徴が入っていないといけない。
それを飲むと、父母の愛と一体となり血と一体となる。こういう内容が聖酒である。
この聖酒はいかに作られるかというと、陸海空を象徴し、全体を象徴しているものから作られた酒である。三種類の酒が
入っている。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれる、ということである。
この式がなければ原罪を脱ぎ、血統を転換することはできない。血統が転換されなかったならば、完成基準を通過して神
53
の愛と一体となることはできない。その全てを蕩減する式であることを知らなければならない。
順序は、日本の久保木会長から金協会長(復帰された天使長)を通し、カインの母である堕落から復帰された母の立場の
崔元福先生、それから堕落しなかった母の立場のお母様である。
ここで、聖酒式をする前に、先生が女達に手を重ねるのは一体化の式である。霊的に一つになる。それを通じ、先生の身
を受けてから相対者と霊的肉的に一体となる。だから、今までは女は娘の立場であったのだけれど、今は霊的には相対者の
立場である。
一身においてそういう立場を通過しなければならない。そこで娘の愛を受けた条件、相対者の愛を受けた条件、それから
子供を生んだ場合に父母の愛を受けた条件が立つから、エバ一人によって娘、相対者、母になるから神の愛をこういう路程
を通して完成した条件になる。
だから、相対者は三年間は母の立場である。
これが今から成す聖酒式の内容であるというんだね。」
(祝福 2 号
37p~40p
聖酒式のみことば
1970 年
10 月 10 日
水沢里)
「カイン・アベルは別個に生まれて、戦って長子権復帰をしなければなりませんでした。それが、心情が通じなくてなしえ
なかったのです。それ故に、心情が通じるように神様は、エサウ・ヤコブを双子の立場にされました。そして、弟がレンズ
豆のあつものを兄にあげることを長子権復帰のための一つの条件として、四十代基準において長子権を復帰したのです。し
かし、そこにおいては、まだ母の胎中までサタンが侵入する基盤があります。それでタマルの時代になって、兄(ゼラ)が
生まれる時手を出したので、産婆が赤い糸を巻いたのですが、弟(ペレヅ)が押しのけて兄が引っ込み、弟が先に生まれて
きたために、弟が兄さんの立場になったのです。そこにおいて血統転換の基準が立てられました。その血統を受け継いで、
イエス様が生まれるようになったのです。手に赤い糸を付けたその長子は、将来現れる共産主義を予知していたというので
す。再臨のメシヤが来られる前に、共産党が先に世界を飲み込んで、再臨主に押しのけられて、それから新しい世界に入る
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ということを象徴的に示しています。
ところで、血統転換するには、結婚する前のお父さんの骨肉に潜む子供の種と心情一致する基準を得た後に、お母さんの
胎中を通して再び生まれて来たという条件を満たさなければなりません。誉進様と孝進様が生まれた時、統一教会は、全世
界がわかめの汁を飲んで、韓国で子供を生んだのと同じ条件の下で祝福しました。しかし、「あなた達が生まれたのは母親
の腹どころではない。父の骨肉の子女の基準によって再び生まれ変わった条件を満たして結婚している」と、今回の日本の
若者を祝福している時、先生は熱烈に話してあげました。だから元の子供だというのです。そういう条件を満たして祝福し
ました。難しいものです。
子供は二代の母の門を通過しなければなりません。それは堕落の母と復帰の母です。皆サタンに讒訴される条件を中心に
して、21 の代表物を正して、それを神とサタンと先生が蕩減条件の戦いの真っ只中にサタンを否定し、神と先生の勝利によ
って、神の判断力は正しいという決定のもとに作ったのが聖酒なのです。あなた達は何も知らないでしょう。子供は何も知
らないで貰っても、価値は同じです。それでいいのです。そういう式を終えた後に、祝福式があるわけです。何時間話しま
したか。長く話して、寂しく思わないようにして送らないと先生の気がすまないのです。先生も変わっています。話せば 3
分で皆言える内容ですが、そういう話し方を知らないからこんなに長く話すのではありません。先生の呼吸の雰囲気を知る
のに時間が必要だからです。
それで先生は、統一は愛によらなくてはできないと言っているのです。男性も女性も愛故に存在しています。男女共に生
まれて、夫婦として結婚するのは、愛を中心として何をするためでしょうか。それは、神様を占領するためです。神様を占
領して何をするかと言えば、永遠の縦的な愛を立たせることによって、他に移動しない永遠平和の定着基地を造るためです。
自分を主張して平和ということはありません。共に生き、為に生きることによって平和の基準が高くなるのです。愛なくし
ては平和はありません。
幸福は、秩序の下にあります。犠牲を成さない限り、福の木が育ちません。愛なくしては何も出来ません。愛を中心とし
て皆幸福、だから皆自由です。愛なくして自由はあり得ません。自由が貴いか、愛が貴いか、それを知らないでしょう。勝
手な自由、盲目的な自由は悪に等しい。だから先生はきちんと定義します。責任を持たない自由はあり得ません。原理を離
れた自由はありません。女が男になろうとしてもなれません。原理を離れてはできません。自由の行動を成した場合には、
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善の繁殖をしなければなりません。全部がよいと、あなたのすべてがいいと、そういう結果に立たなければ、自由も何もあ
りません。共産主義の言う自由は破壊の自由です。民主主義を没落、破壊させようとして、憎悪の自由が基準になっている
ことを知らないのです。男性、女性にとって、愛を中心にして戯れ、幸福に生きる以上の自由はありません。そういうこと
を考えながら解放圏を抱くようにしましょう。その大本は真の愛であることがはっきり分かりました。」
(祝福 61 号
59p~62p
既成祝福前の御言
1988 年
11 月 2 日 一和研修院)
「お母様のお腹の中に入っていって新生するのです。
再び生まれなければなりません。では、再びどのように生まれなければならないのかというと、そのままではいけないの
です。それは、真の愛を中心とした真の父の生命の種が連結されていないからです。分かりますか。これは重要な問題なの
です。キリスト教でいう新生のように、どんぶり勘定式ではありません。新生しようとしてお母さんのお腹の中に入っいて
も、その体はサタン的血縁の因縁を持っているので、それを全部断ち切らなければならないのです。
そして次に、どのようにならなければならないのかというと、本然的神様の愛を中心として、真の愛を中心として、真の
父の生命の種を受けたという条件を伝授されなければなりません。分かりますか?お母様を通してお父様と一体になって、
お母様の命令をお父様の命令以上に尊重視する世界まで入っていかなければなりません。」
(ファミリー94/3
66p
続・還国とサタン圏整備
1993 年
10 月 10 日
ソウル本部教会)
「新生の論理が分かりましたか?(はい)。分かりましたか?(分かりました)。では、真の父はどのくらい必要ですか?(絶
対に必要です)。女性においては絶対に必要だと言うのです。ですから全世界の女性は、そのような先生の対象圏に立たざ
るをえないということをよく知らなければなりません。このようにして、再び生んであげなければなりません。再び自分を
生んでくれた相対者に対して、神様の夫人のように侍らなければならないし、神様の息子娘のように侍らなければなりませ
ん。女王と王子王女様のように侍ることのできる夫となって、過去を悔い改め、絶対服従で三年間の期間に一つになって、
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真の父母を迎えて自分の生死圏を乗り越えるために昼であれ、夜であれ、いつでも行動できるような夫になる時、その家庭
は再び勝利した先生の体の完成者として、接ぎ木されて真のオリーブの木となった資格を認められるのです。分かります
か?(はい)。ですから、お母様と一つにならざるをえないのです。また、このような原理があるので、世界は統一されざ
るをえないのです。そして、接ぎ木したというだけで同じ一族になるのです。
そのようにして三年たてば、接ぎ木したその枝は本物の生命の木となり、そこから新しい芽が出てくれば、根は野性の木
の根なので、「バサッ」と切って肥料にしてしまいます。そのように、皆さんを堕落しなかった完全な価値の位置に立てよう
となされる天の心情を考えた時、自分達がいかに罪悪なる群れの中にいたのかということを悔い改めなければなりません。」
(ファミリー94/3
68p~69p
続・還国とサタン圏整備
1993 年
10 月 10 日
ソウル本部教会)
上に挙げたみ言葉は、すべて今まで説明してきた公式路程を説明している。つまり聖酒式の説明もこの公式を説明するた
めの儀式であったのだ。聖酒自体が問題ではなく、聖酒を飲んだか飲まないかが問題ではないのだ。どこまでもアダムの使
命を持つ人物と私達がどのように関係を持ち、生活圏を共にする中で、自分自身を悔い改めて行くかが問題なのだ。そして
三代王権の公式を歩むアダムに対する私たちの姿勢と態度が重要なのだ。
このような長子権復帰の視点に立って、1988 年を見てみると、1988 年は、文先生が統一教会を中心として、韓鶴子女史
が 43 歳の年齢を超える 1986 年を超えた後に制定された内容をもち、さらには、イエス様の公式路程を中心として見れば、
28 歳の時であり、またイエス様の新婦になるべき人物の年齢を中心として見れば、24 歳の年齢を超えた時に制定されたも
のである。つまり、文先生が統一教会を中心として、キリスト教が失敗することによって果たすことができなかった公式路
程を、韓鶴子女史と統一教会(選民圏)を中心として蕩減復帰した勝利圏と、イエス様の公式路程を中心としてその新婦に
直系の子女が誕生する時に制定されたものなのだ。つまり、文先生とイエス様と直系の子女の誕生の三代の勝利圏をもって
制定されたのが世界統一国開天日であったということができる。1988 年には、6500 双の祝福が 10 月 30 日に成されている。
文先生は、この祝福を交差祝福と表現された。交差とは怨讐が一つになる事を意味する。原理が示す交差とは、ザカリヤ家
庭とヨセフ家庭を意味し、またアダム家庭と天使長家庭を意味する。つまりカイン・アベルが一つになることを意味する。
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そして、1988 年一和研修院で「ところで、血統転換するには、結婚する前のお父さんの骨肉に潜む子供の種と心情一致
する基準を得た後に、お母さんの胎中を通して再び生まれて来たという条件を満たさなければなりません。誉進様と孝進様
が生まれた時、統一教会は、全世界がわかめの汁を飲んで、韓国で子供を生んだのと同じ条件の下で祝福しました。しかし、
「あなた達が生まれたのは母親の腹どころではない。父の骨肉の子女の基準によって再び生まれ変わった条件を満たして結
婚している」と、今回の日本の若者を祝福している時、先生は熱烈に話してあげました。だから元の子供だというのです。
そういう条件を満たして祝福しました。難しいものです。」というみ言葉を読めば、それまで 6000 双までの祝福と 6500 双
からの祝福は、違う条件をもってなされたという意味として捉えることができる。「父の骨肉の子女の基準によって再び生
まれ変わった条件を満たした」とは何を指しているのであろうか?この内容は、6500 双の祝福が行われた後、一和研修院
において、文先生が、6500 双の祝福家庭に、直接語られたみ言葉の中にも存在した。私自身が直接文先生から聞いたみ言葉
の内容は、6500 双の祝福は、タマルの勝利圏から成されたものではなく、勝利したアダムの骨髄を中心として成されたもの
であるという内容であったと思う。この場に参加していたみ言葉をよく勉強していた多くの兄弟は記憶されていると思われ
る。おそらくこのみ言葉の意味は、1986 年までは、韓鶴子女史と統一教会を中心としてキリスト教を通して、果たすべき内
容を完全な形で勝利することはできなかったが、選民圏を救済する公式路程を提示することには成功した。しかし、それは
どこまでも象徴的なものであって、完全な勝利とは言えなかった。文先生は、1960 年イエス様を準備することによって、イ
エス様が 28 歳になる 1988 年を中心として、文先生の使命をイエス様が受け継いだという意味で「交差祝福」が成されたと
いう意味として捉えられる。そのように考えるとここで使われている「交差」という言葉の意味は、文先生とイエス様が連
結したという意味にも捉えることができる。例えを代えれば、旧約時代と新約時代が連結したとも言うことができる。
次に 1989 年 8 月 31 日制定された「八定式」について考えてみよう。八定式で文先生は、縦横の八段階の路程を勝利した
と語られ、同年、9 月 1 日に「天父主義」を宣布された。この宣布により父母権復帰が成されたという説明を私たちは受け
てきた。
アダム家庭復帰の公式を中心として考えれば、長子権復帰の勝利の基台の上に父母権復帰が成されるようになる。2000
年前のイエス様の時代にこの公式を例えるなら、長子権復帰は、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになることによってなさ
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れる。そして恩讐の家庭が勝利した基台の上に、父母の位置でイエス様を迎えることができようになる。本来なら、父母の
基台の上に、子女の基台が立つのが原理である。しかし、復帰は、子女の基台の上に父母を迎えなければならないのだ。家
庭復帰という視点でこの公式を当てはめて考えたとき、子女から父母が生まれることは、現実的には不可能だ。アダム家庭
の八人家族の形態は同じでも視点だけを変えて復帰公式が成立するのだ。ザカリヤとヨセフは、イエス様に対して父母の立
場ではあるが、復帰原理の視点に立てば、イエス様に対して子女の立場に立つ。つまり長子権復帰とは、ザカリヤ家庭とヨ
セフ家庭の勝利によって立てられ、父母権復帰は、勝利した子女の基台の上に父母としてイエス様と新婦の子女が誕生した
時に立てられるようになるのだ。
縦横の八段階の勝利とは、文先生が 1986 年までに韓鶴子女史の 43 歳の年齢を中心として、それに連なる天使長圏(統一
教会・祝福家庭が象徴的に歩んだ八段階の路程とイエス様の新婦を中心としてなされる八段階の路程が交差する時を意味す
るのだ。イエス様の公式路程を中心として 1989 年の八定式から 1992 年の女性時代までの意味を考えてみれば、1988 年に
イエス様と新婦との間に誕生した直系の子女を中心として、89 年、90 年、91 年の三年路程を経て、1992 年に新婦と直系
の子女、それ以外の妾の位置に立つ女性と天使長圏(庶子)との接ぎ木が 1999 年までの 7 年間で成されなければならない。
すでに本文で説明したが、本来、神の息子の使命を持つイエス様の基台になる天使長圏は、童男・処女の群れでなければな
らない。イエス様と共にヨセフの氏族の中で育った二世でなければならない。文先生は、この時に合わせる為に、1986 年 4
月 12 日に二世の 36 家庭の祝福を編成され、1989 年 1 月 11 日に二世の 72 家庭の祝福を編成された。そして 1989 年 8 月
20 日「天の真の子女権復帰時代」を宣布されている。本来、1992 年から 1999 年の間にイエス様を中心として造られたア
ダム家庭に統一教会祝福家庭は、1999 年までに二世を中心として接ぎ木され、2000 年から 2007 年までに父子協助時代を
経て文先生が、25 年路程の長成期完成級を超える、50 歳を迎える 1970 年を迎える前の 1968 年にキリスト教を中心として
成さなければならなかった八段階の人類復帰路程を、イエス様の 50 歳の時、つまり 2010 年までに祝福家庭は、八段階復
帰路程を勝利しなければならなかったのだ。
しかし、公式路程はこのようになってはいるが、天使長圏が悟ることができず、父母の基台を準備できなければ、イエス
様の公式路程の内的摂理は、様々な問題が生じたいと考えられる。文先生は、公式路程を歩むために 6 度も牢獄に行き、離
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婚もされたのだ。その理由は、キリスト教が使命を果たさなかったからだ。イエス様も統一教会が使命を悟ることができな
ければ、私達が想像もし得ないような苦難の道を歩まれていたと考えられる。
ここでもう一度、展開してきた、文先生の 1968 年までのキリスト教を中心とした公式路程を整理して考えてみたい。文
先生の神の息子(メシヤ)として完全無欠に公式路程を勝利するためには、文先生の誕生に先駆けてカイン・アベルの勝利し
た天使長家庭を中心としたヨセフの氏族が存在しなければ、文先生が勝利することはかなり厳しくなる。アダムは、エデン
の園で成長したのであり、そのエデンの園こそが天使長氏族圏を意味する。つまり、これがホームチャーチの摂理的意味だ。
ホームチャーチという復帰されたキリスト教(天使長家庭)の氏族の基台の上に氏族のメシヤの使命をもって誕生されるべき
立場であったのが文先生だったのだ。つまり、天使長家庭の基台がなければ、文先生は、氏族のメシヤとして立つことがで
きない。原理講論の復帰原理の視点でホームチャーチを説明すれば、ホームチャーチこそが信仰基台(男性の基台)と実体基
台(女性の基台)の勝利でなされるメシヤのための基台だ。文先生は、このキリスト教を中心として造られたホームチャーチ
の中で0歳から14歳まで子女の愛、兄弟姉妹の愛を天使長と共に成長していくようになる。天使長圏は、文先生が幼児の
時は、父母の心情、僕の体で相対し、文先生と、天使長圏の二世の成長を見守りながら、メシヤが誕生する前に、堕落圏の
中で成長してきた、自分の生活態度(習慣性)を文先生と二世達の関係と成長を通して、自分自身の人生を再度確認しなが
ら、悔い改めながら成長するような形になる。天使長圏(キリスト教)の一世たちは、文先生の誕生の時に、善の天使長を
通して八人家族の形態を成して、一旦は、新しく生まれた立場ではあるが、一世たちが誕生した時には、カイン・アベルの
勝利した家庭を持たない立場で誕生したので、二世が文先生と共に成長して行く姿を通してでしか、メシヤとの心情圏を復
帰することができないのだ。そして文先生が、16 歳の思春期を迎えたとき、アダムの堕落の年齢を越える時を中心として、
天使長家庭からエバを探し出すようになる。そして文先生 20 歳、新婦 17 歳を超えた時に、天使長圏の三代の女性(母・妻・
娘)の母子協助を得て、天使長から娘を奪ってきて、神の娘に復帰しなければならない。文先生の路程を中心として見れば、
1940 年だ。この時、天使長圏は、二世を中心として繋がるようになり、養子の位置で繋がるようになる。文先生は、ここ
から前 3 年半、後 3 年半の 7 年路程でエバを真の母として教育し、堕落しなかったエバの位置に 1947 年までに復帰しなけ
ればならない。この時の新婦の文先生に対する心情は、絶対信仰・絶対愛・絶対服従である。エバが死んでもいいから堕落
した内容を、死んでもいいからアダムに従うという心情に立たなければ復帰がなされない。まさしく新約聖書の「死なんと
60
する者は、生きる」という姿勢で望まなければならない。文先生の新婦は、天使長圏の中から選ばれた一人の女性だ。天使
長圏は、17 歳の真の母の胎中の中に一旦入り、アダムの骨髄を受け継がなければ生まれ変わったことにはならない。新婦
を教育し、完成させるのはメシヤの役目であるが、それ以外の天使長を教育しアダムに接ぎ木する役目は、女性たちが成さ
なければならない。新婦が 17 歳から 24 歳までの 7 年間は、新婦個人が歩む路程ではなく、新婦を真の母の位置に立て、新
婦以外の女性達が妾の立場で新婦と完全に一つになり、文先生を中心として堕落しなかったエバの位置を復帰しなければな
らない。新婦は、理想的には、19、20、21 歳まで、どんなに遅くても 24 歳、1947 年までに文先生と間に直系の子女を生
まなければならない。この直系の子女の誕生を女性達は、メシヤの誕生を待ち望むような心情で腹中から侍り、直系の子女
が誕生することによって二度生まれた立場に立つ。新婦が 22 歳から 29 歳までの 7 年の期間、つまり 1945 年から 1952 年
までがこの公式を歩む期間になる。その後、文先生と新婦(真の母)から誕生した直系の子女と、それ以外の女性(妾)の位置
に繋がる天使長達が庶子の位置にたち母子一体でカイン・アベルを勝利して行く期間が、新婦 29 歳から 36 歳の期間、つま
り 1952 年から 1959 年であった。文先生のみ言葉で説明すれば、母子協助時代であり、大移動の時代である。そして 1959
歳から 1967 年の 7 年間で文先生を中心とした堕落世界と全く関係のないキリスト教氏族圏(ホームチャーチ)が新婦 43 歳の
時に誕生するようになる。この内容が入籍であり、皇族圏完成だ。そして、1968 年 1 月1日に神の日が制定され、文先生
がキリスト教を中心として地上天国を完成し、神の創造理想を成就するように摂理されていた。
本来、この公式路程が勝利するためには、20 歳の時に子羊の婚宴を勝利し、理想相対を完成することによって初めて完全
無欠なものとなる。もし、この時を逃せば、メシヤは、神の息子の立場を継承しながら、天使長の使命を兼ねて公式路程を
歩まなければならなくなるのだ。文先生の最初の結婚は、文先生 25 歳の時であった。そして 1946 年 3 月 1 日に聖進様が
誕生された。1946 年は、公式路程を歩む新婦が 24 歳の時に相当する。20 歳の時に理想相対を復帰できなかったことによ
り、天使長の使命を兼ねて歩まれている立場ではあるが、後の人類のために公式路程を示さなければならない。このキリス
ト教を中心として 1968 年までの公式路程を歩む新婦と文先生の直系の子女の使命を担っていたのは、文先生のみ言葉を見
れば、崔先吉女史と聖進様であったと考えられる。1967 年の文先生の離婚は、この公式路程に大打撃を与えたといっても
過言ではないと思われる。
61
「もし 1950 年度に、英、米、仏の連合国が先生と一つになったならば、その時に、今のお父様、お母様、子女様はいない
のです。キリスト教文化圏を中心として、韓半島は分断されずに南北が統一された立場で、文氏と聖進のお母さんの崔氏を
中心として、父母の立場を設定して、迫害のない子女として出発したのです。
そして、一つの世界、一つの国に、一つの民族を中心として、一つの家庭の父母、一つの血族を中心として、平和の世界
へと前進するはずでした。しかし、追放されることによって、先生が待っていた国と世界をすべて失ってしまったのです。
国と氏族、妻子もすべて失ってしまい、放蕩児の立場に落ち、すべてを失わなければならないのです。」
(ファミリー97/2
27p~28p
第 30 回「真の神の日」午前零時の御言
1997 年
1月1日
サンパウロ)
このような視点に立つと、1960 年から 1968 年までの韓鶴子女史を中心とする祝福家庭(天使長圏)の路程は、文先生のキ
リスト教を中心とする公式路程を後に残すために急遽編成されざるを得なかったという観を禁じえない。
そのことを踏まえたうえで、1950 年釜山のボンネッコルから始まり、1954 年 5 月 1 日の統一教会の創立を経て、1968
年までの文先生の公式路程に参加されたすべての食口達、特に 1960 年から 1968 年までの文先生がキリスト教を中心とし
た公式路程を歩まれた期間に文先生のために歩まれた、韓鶴子女史を始めとするすべての祝福家庭の先輩達に心から感謝と
敬意を表したい。特に 1960 年 17 歳の時に聖婚式を挙げられ、文先生が亡くなられるまで選民圏の代表として歩まれた韓
鶴子女史には、心から感謝しなければならない。もし、文先生が 40 歳で 17 歳の新婦を迎えることができなければ、私たち
は、永遠に復帰の公式を知ることはなかったであろう。何故なら、1920 年から 1968 年までの公式路程が提示できなければ、
エバを中心として選民圏が接ぎ木される公式が見えなくなるからだ。
その理由を、最初の公式路程から 20 年延長された 1960 年から 1986 年の公式路程から考えてみよう。文先生は、公式路
程を示すために、崔先吉女史の代わりになる、女性を探さなければならなかった。1960 年に 17 歳の新婦として韓鶴子女史
を選んだのは、この公式路程を残すためであったといっても過言ではないと思う。つまり、韓鶴子女史の年齢 43 歳までに、
エバと天使長圏として立てられた統一教会を通して公式路程を示すためであったのだ。この公式路程を歩まれたのには、重
62
要な意味がある。もし文先生が、2000 年前のイエス様のように何も残すことができずに、亡くなられるようなことになれ
ば、人類が歩むべき復帰の公式路程は、何一つ残らなかったであろう。文先生は、1960 年、17 歳の韓鶴子女性とそれに連
なる統一教会(天使長圏)を中心として、韓鶴子女史 43 歳までに、キリスト教を中心として成さなければならかった公式路程
を再び歩まれたのだ。文先生が 1966 年 5 月1日に発刊された「原理講論」に対して「今あなたたちが学んでいる『原理講
論』、これは歴史路程において成された結果的記録であり、これをいかにして蕩減すべきかということについては、まだま
だ述べていない。それは先生自身が闘って、勝利して切り開いていく。」祝福家庭と理想天国Ⅱ
11P
というみ言葉の真
意は、1966 年の段階では、キリスト教が失敗した状況を復帰する過程であり、具体的な公式路程は、1960 年から 1986 年に
向けて文先生自身が韓鶴子女史を代表とする祝福家庭を通して公式路程を蕩減復帰しなければ教えることができないとい
う意味として捉えることができる。もしこの公式路程を文先生が勝利できなければ、文先生が 1960 年にヨセフの氏族の使
命を持つ統一教会に送られたイエス様が、もう一度文先生と同じように苦労の道を行かなければならなかったであろう。イ
エス様の路程は、今の時点では、解らないが少なくとも天使長の勝利圏が全くなかった文先生よりは、蕩減の内容が軽減さ
れたのではないだろうか?統一教会は、イエス様に対してヨセフの氏族の使命を持っていた。アダムが誕生する前から天使
長が環境準備をしたように、統一教会は、イエス様のために環境準備をしなければならなかった。統一教会は、イエス様が
母の胎中にいるときから侍り、イエス様が母の胎中から誕生した時に一旦新生した立場に立つようになる。1960 年がその時
であったのだ。しかし、2014 年に至るまで、統一教会員の誰一人としてイエス様の存在を知らず、またこのような公式路程
を悟ることができなかった。イエス様がご存命であるならば、現在 54 歳になる。文先生が、エバを中心としてキリスト教(選
民圏)を接ぎ木するために 1968 年までの公式路程があったように、イエス様も 2008 年、47 歳までにエバの年齢 43 歳の時を
合わせて、統一教会祝福家庭を完成させる使命があったはずだ。すでに 6 年の時が経過しているということから考えても、
文先生が天使長の使命を兼ねて公式路程を歩まれたように、イエス様も文先生と同じ公式路程を歩まれたはずだ。そのよう
に考えると、文先生が 40 歳の時にイエス様を送られたように、イエス様も 40 歳の時に再臨主を送られ、文先生とイエス様
が果たすことができなかった、理想相対を復帰し、真の母を中心として選民圏を接ぎ木し、神の創造理想である三代王権と
四代心情圏を中心として地上天国を完成されるであろう。最後に、文先生とイエス様の公式路程を参考にして、再臨主と新
婦を中心としてなされる公式路程を年表にして表してみたい。
63
再臨主を中心としたエバ復帰と新婦圏復帰の公式路程(八段階復帰路程)
1990
1994
1997
2000
2003
2007
2015
2020
2025
2028
2030 2032
2034
2039
2040
2046 2050
メシヤ誕生前10年
前 7 年路程
後 7 年路程
0歳
前3年 後3年
長成期完成級
7歳
16 歳き 20 歳
25 歳
28 歳 30 歳
34 歳
40 歳
46 歳
50 歳
再臨主の年齢
1
9
9
1
・
7
・
1
「
7
・
1
節
」
宣
布
1
9
9
4
・
5
・
1
「
家
庭
盟
誓
」
宣
布
1
9
9
7
・
7
・
8
「
7
・
8
節
」
宣
布
前
三
年
路
程
再
臨
主
誕
生
後
三
年
路
程
使
命
を
悟
る
7 年路程
2003
子
羊
の
婚
宴
14 歳
17 歳
7年
7年
7年
7年
7年
7年
エバの路程
エバ誕生 0 歳
7年
22 歳
7年
7年
7年
36 歳 37 歳
29 歳
43 歳 48 歳
2001・1・13
「神様王権即位式」宣布
2004・5・5
女性解放時代
「雙合十勝日」宣布
僕の僕(個人)
僕(家庭)
選民圏(天使長圏・家庭連合)の八段階路程
養子(氏族)
正妻:実子(国家)
64
妾
:庶子(民族)
母(世界)
父母(天宙) 神
再臨主が文先生とイエス様と同じ公式路程を歩まれるとすれば、来年、新婦と出会う時になる。再臨主の相対となる新婦
は、現在 14 歳、中学生ぐらいの年齢だ。再臨主が 2020 年に子羊の婚宴を実現するためには、ヨセフの氏族の使命をもつ
天使長圏が必要であり、またその天使長圏の中に、エリザベツとマリヤのような二人の女性が必要になる。そしてエバは、
レア・ラケルの勝利した基台を受け継いで、再臨主の前に堕落前のエバの位置で立たなければならない。2020 年、この再
臨主と新婦による子羊の婚宴に神の復帰摂理歴史と文先生とイエス様の生涯のすべてがかかっていると言っても過言では
ない。2020 年以後、再臨主と新婦から生まれてくる直系の子女を中心として、接ぎ木が始まる。特に 2032 年、新婦が子女
を生み育て、母の位置に立ち、29 歳から 36 歳、2032 年から 2039 年の 7 年間で、真の母と直系の子女(実子)、再臨主の前
に妾の位置に立つ、全女性と天使長圏の男性(傍系の子女・庶子)の接ぎ木がなされるようになる。この内容が、血統転換で
あり、天使長が母子協助によって真の母の胎中を通してアダムの骨髄に繋がるという公式路程を表している。
「今まで分かれていたものをすべて連結できる勝利の園を初めてつくって神様に侍り、真の父母として世界中の家庭を訪ね
て皆、接ぎ木してあげるのです。ですから世界中の女性達は、「お母様を中心として、お母様の分身になりなさい」と言うの
です。お母様の分身になれば、その息子娘達が真の母のお腹の中に入っていくという話です。そのようにして再び生み返し
てあげなければなりません。
キリスト教の論理の中には、新生論理というのがあります。新生とは、新しく生まれるということであって再生ではあり
ません。再び生まれ変わらなければならないというのです。再び二回生まれるのです。お母さんのお腹の中から出てきたの
ですが、再びお母さんのお腹の中に入っていかなければなりません。それで、全世界の女性はお母様の分身になり、その息
子娘が、お母様のお腹の中に入っていかなければなりません。神様の創造の時と同じです。お母様のお腹の中のふたごと同
じ位置に入って一つにならなければなりません。
地上でいくら一つになったとしても、その生命の種は堕落した世界から始まったものなのです。分かりますか?堕落した
祖先から始まったので、ここで再びお母様を中心として妊娠したのと同じ立場になるのです。ですから、自分の本来の生命
というものは、お父さんの中の赤ちゃんの種が、お父さんお母さんの愛でもって一つになったその位置から生まれるものな
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のです。そのようなお母さんのお腹の中に入っていない赤ちゃんは、いつまでたってもその位置に行けないのです。」
(ファミリー94/3
65p
続・還国とサタン圏整備
1993 年
10 月 10 日
ソウル本部教会)
「男性達は、女性の後について来ないと宮廷に侍ることができません。あなたたちは早く国を治め、世界を統一した後に来
ないといけないのです。それが天使長の使命です。それは先生の話ではありません。世界を統一した後に初めて、堕落しな
かった基盤の上で、再びハンダ付けして、再び祝福してあげることができます。真の父母とエバと子供が一つになった後に、
この道を反対するものが世界にいなくなることによって、初めて天使長に相対圏が授けられるのです。それが原理観です。
先生の話ではありません。
アダムが完成したら、天使長が男性であれば、女性をつくって、相対をつくってあげなければいけないではないですか。
天下統一された場合には、天使長圏も、そういうような神様の恵みがあります。だから、再び第二のアダムを先生はつくっ
てあげて、奥さんと子供が願うことによって、再び前の奥さんと夫の立場に立たせることができるのです。
そうするには、その期間においては、昔夫婦であった感情を忘れないといけません。自分の子供だという考えがあっては
だめです。それは堕落しなかったアダムの奥さんであり、アダムの子供です。そういう立場に立つことによって、再び、何
も知らなかった堕落前の十六歳につながるのです。そういう立場に立つことによって、真の父母の勝利圏の体を接ぎ木して
あげるのです。
サタン圏において、蘇生、長成、完成の八段階を勝利して、ずーっと回ってきて接ぎ木してあげるのだから、何千年の歴
史過程の堕落アダムの体が、蕩減復帰したアダムの体の立場に立つことによって、サタンの侵害を逃れられるのです。その
ような勝利的な第二の相続権をもらわなければ、旦那さんとして、第二のアダムとして立つことはできません。これが分か
らなければ大変なことです。
これが分からなければ、第二のアダムとして立つことはできません。女性の解決もなく、男性の解決もありません。だか
ら家庭です。家庭で転換するのです。分かりましたか。先生が世界的に勝利して、国家をた訪ねて、国家を中心として氏族
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的メシヤ、それを中心として家庭メシヤ、アダム家庭に帰っていくのです。そこでもって転換しないといけないのです。
お母様の旦那さんは第一のアダム、そうだとすればお母様は第一のエバです。その妹は第二のエバであれば、第一のアダ
ムは第二のアダムをつくってあげればいいというのです。それで兄弟の立場に立って、兄さんに侍ることによって、兄さん
の家督を継いで同じく天国に入ることができるのです。そのようにして女性問題が解決し、男性問題が解決します。ずーっ
ともうお母様の分身になっているのです。だから、天宙から、世界から国家基準まで、お母様の三大圏を備えているのです。
国家基準だから百六十国家を中心として、世界的な父母様が王様のような立場で、横的に第一アダム、第二代イエスさま
です。横的縦的な六千年の願いは、地上に完成された父母様の接点、安着点を求めてきているのです。それは地上です。六
千年の三代目のアダム完成基盤、いくら六千年だとしても、神様から見た場合には三人の子供です。アダムは第一長男、イ
エス様は第二次男、完成されたアダムは第三の子供です。
第三アダムが完成したとすれば、完成基盤というのは縦的ではありません。横的です。これが完成したということは、
アダム完成、イエス完成、最後の完成です。」
(祝福 80 号 53p~55p
第十一回
愛勝日の御言
1994 年
1月2日
漢南洞公館)
2039 年を超えた 2040 年、新婦 36 歳の時に、恩讐の母子が一体化を勝利し、真の母を中心として女性達が全人類(天使長)
を産みかえたという勝利基準を立てることによって真の母の位置が確立し、さらに 7 年かけて 2046 年、真の母 43 歳の時
に、再臨主(真の父)と真の母から産まれた直系の子女を中心とした皇族圏が形成されるようなる。この時には、真の父母か
ら産まれた最初の直系の子女は、20 歳を超え、真の父母の孫が誕生し、三代王権を完成するようになるであろう。
文先生は、生涯をかけて後の全人類が歩むべき公式路程を示され、しかも自らその路程を歩み、92 年の生涯を終えられた
のだ。私達は、文先生、イエス様、再臨主の三代が共に歩まれた時代圏に生きてきたのだ。人類歴史上、このような恵まれ
た人生を送ることができた人が果たしてどれほどいたであろうか?キリスト教の基礎を築き上げた聖パウロの最大の悔い
は、イエス様の生前に、共に暮らすことができず、直接み言葉を受け、指導を受けることができなかったことではないだろ
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うか?クリスチャン達は、いつ来られるかわからないイエス様を迎えるために、生命をかけて宣教に行き、イエス様のよう
に十字架の道を歩んだのだ。私たちは、わずか数十年の間に三人のメシヤを迎えることができる立場にいたのだ。しかも子
羊の婚宴が目前に迫りつつある。たとえ志半ばで再臨主の歩む路程の最中に生命を落とすことがあったとしても、この時代
に生きることができたことは、どれほどの誉であり、喜びであり、栄誉ではなかろうか?今、統一教会は、行くべき道を失
い、さまよっている。統一教会は選民圏であり人類歴史を代表した立場だ。統一教会がさまようということは、世界全体が
さまようのと同じ意味を持つ。この現象は、キリスト教の終末であり、仏教の末法だ。しかし、この時こそ、まさに希望の
時なのだ。私達、祝福家庭は、この希望の時を悟り、アダムを迎えるための準備をしなければならない。そしてもう二度と
メシヤが十字架の道を歩むことがないように天使長としての使命を果たさなければならない。
「一九九五年は解放から五十年目で、半世紀の峠を越える時です。百年間かけて世界は完全に違った世界になるのです。それでこ
そ天国になるでしょう? 一九四五年、第二次大戦からいつが百年目ですか? 二〇四五年です。その時まで世界は、地上天国に
なってしまうのです。そのようになると思いますか、ならないと思いますか? それで、世界のモデル国家を形成すべき時が来たとい
うのです。私が峠を越えて求めるのは何でしょうか?国です。何の国ですか? 神様の構想された国です。サタン世界に染まった国
ではありません。」
(主要儀式と宣布式Ⅲ
P42「言語解放と世界統一」宣布
1995 年 1 月 5 日
済州国際研修院)
「祝福家庭が先生の時代まで行おうとすれば、イエス様のときは一二〇家庭でしたが、再臨主のときは一八〇家庭、もしくは一六○
家庭です。一八〇家庭が原則ですが、この数字を中心として、一九九七年から二〇〇三年までの七年間で消化するのです。ですか
ら、世界はすべて一九九七年から整備運動をしてきました。霊界と肉界すべて……。
それで今後、父母の国に行って、一人が千二百家庭ずつ配置したからには、これは四億双にもなりません。何千万家庭、何百万
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家庭です。これを編成すれば、あらゆる民族感情、国境線、五色人種、分裂、そして文化の格差、そのようなすべてのものがなくなっ
て、一方通行で神様を中心とした故郷が出発し、天国が形成されるのです。…………
すべて終えましたか、終わろうとしています
か? どちらですか? 皆さんは、全員まだ終わっていないのです。先生はすべて終えましたが……。先生は父です。絶対的な父で
す。父の絶対性稟、唯一性稟、すべてが似ているのです。すべてを相続したので、父の成したことと一つになった息子、娘になった
ので、その峠を越えて同じ祝福の場に立つことができるということをサタンは防ぐことができず、神様が否定する道理はありません。
偽りの父母がそのようにしたので、真の父母がこのようにすべてをひっくり返して、「神様、お受けください」と言えば、喜んで受けられ
るでしょうか、泣きながら受けられるでしょうか?…………
「八十年の期間は、全体再出発完成解放の期間だった、アーメン!」。
これが、二千年にぴたっと終わるのです。八十は再出発なのです。この八十年間に世界的なすべてのもの、今まで歴史においてな
されてきたすべてのことを蕩減するのです。」
(主要儀式と宣布式4 「真の御父母様の摂理的責任完遂」宣布
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1999 年 12 月 26 日
ベルベディア)
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