Comments
Description
Transcript
参考資料 - 京都大学 大学院経済学研究科・経済学部
『経済セミナー』(1999 年 8 月号) 00.3.8版 ネットワーク・エコノミックス (5) アクセスチャージの経済理論 甲南大学経済学部 依田高典 はじめに 世に曰く、「現代社会は混沌としている」云々。「混沌」とは事態の区分・推 移がはっきりとしない様を表す。現在の情報通信産業を表現するに、この混沌 という言葉こそ適切であろう。良く知られているように、混沌の物語は『荘子』 の応帝王篇に登場する。中央の帝・混沌は南海の帝と北海の帝を厚くもてなし た。両帝は混沌の厚意に感謝して、のっぺらぼうの混沌に耳目鼻口の穴を開け てやることになった。作業が完成した七日目、逆に混沌は死に至った。 前回ネットワーク産業の困難はボトルネック独占をいかに開放するかという ことだと解説した。ボトルネック施設に対する接続料金のことを「アクセス・ チャージ(Access Charge)」という。ネットワーク産業の規制改革や競争政策の 成否はひとえにアクセス・チャージにかかっているといえよう。だが、以下説 明するようにそれが難しい。ボトルネック施設は既存企業にとって生命線であ り、新規企業にとって眼前の刃である。さらに、現代は異種サービス間の融合 が進み、施設ベースのネットワーク競争時代に突入している。従って、ボトル ネック施設はある視点からは全てであり、別の視点からは何でもない。まこと に「天下の万物は、有より生じ、有は無より生ず」(老子)というべきか。 今回のテーマは「アクセス・チャージ」の経済的問題を解説することである1。 繰り返すと、この作業は容易ではない。このわずか 20 年の間にもネットワー ク産業は大きな構造変化を経験してきた。ネットワーク産業は「自然独占」か ら出発し、競争導入後「ボトルネック独占」へ移行した。オープン・アクセス 政策に伴い「バイパス」や「競争的接続事業者 (CAP)」が台頭し、施設ベース のネットワーク競争が本格化する気配である(図1参照) 。このような混沌とし 日本における早期のアクセス・チャージ解説論文としては清野(1993)・吉田(1994)等がある。 ECPR や TELRIC に関する最近の解説論文としては依田(1996)を嚆矢として浅井(1997)・山本 (1997)・山根(1998)・関口(1998)・福家(1998)・山本(1998)等がある。 1 1 た社会経済状勢下で、下手なルールの策定はかえって混沌を死に追いやること になろう。よくよくネットワーク産業の推移を見極める必要がある。 <図1挿入> 第1節 アクセス・チャージの基本概念 ここでは、アクセス・チャージの基本概念を解説する。最初に、Baumol and Sidak (1994a, 1994b)によるベンチマーク・モデルを提示し、それを叩き台として議論 していく。次に、アクセス・チャージの基本ルールとして費用アプローチと費 用&需要アプローチを解説する。 <図2挿入> 1.1 ベンチマーク・モデル 出発点として、次のようなモデルを考えよう(図3参照)。企業 X と Y は最終 財で競争している。ただし、最終財の生産に必要な中間投入財を X は生産する が、Y は生産しない。従って、中間投入財はボトルネック独占である。例とし て、鉄道や電話の「ローカル・ループ」を考えよう。(1)X と Y を中継点 B か ら最終点 C まで平行軌道を所有する鉄道会社とする。X のみが始発点 A から中 継点 B までの軌道を所有している。(2)X と Y を市内交換機 B から市外交換機 C まで回線を所有する電話会社とする。X のみが端末 A から市内交換機 B まで の回線を所有している。 X と Y の最終財の生産量・価格・限界費用をそれぞれ q1 ・ p1 ・ c1、q2 ・ p2 ・ c2 とする。また、X の中間投入財の最終財としての生産量・価格・限界費用を q0 ・ p0 ・ c0 とする。中間投入財の費用関数を C0(q0,q1,q2)、中間投入財の総生産 量を Q=q0+q1+q2 とする。また、支配的企業 X の共通費用をKとおく。共通 費用とは個別に配賦できないような費用のことをいい、経営管理の費用・接続 のオペレーション費用の他に研究開発費用やユニバーサル・サービス費用も含 まれる。各財の限界費用を一定とし、費用関数を次のようにおく。 X の中間投入財費用:C0=c0Q+K 2 X の最終財費用:C1=c1q1 Y の最終財費用:C2=c2q2 Y は中間投入財を生産しないので、自らの最終財を生産するためには、X の 中間投入財を購入しなければならない。その料金を「アクセス・チャージ」と 呼び、「A」で表す。Y の立場は苦しい。X の競争相手でありながら、お得意様 でもあるからだ。「A」の設定次第で Y の利潤は吹っ飛んでしまう。他方、X だ って楽ではない。中間投入財の生産負担を一身に負わされるので、「A」の設定 次第では過去の投資を償還できず、泣き寝入りの憂き目に遭う。 <図3挿入> 1.2 アクセス・チャージの基本ルール アクセス・チャージの基本ルールとして、平均増分費用・平均単独採算費用・ 損失回避費用・完全配賦費用ならびにラムゼー・ルールについて解説しよう。 (1) 平均増分費用(Average Incremental Cost) A=AICY≡[C0(q0,q1,q2)−C0(q0,q1,0)]/q2 増分費用とは Y が財を供給する場合としない場合の費用の差分を表す概念であ る。1.1 の費用関数の下、アクセス・チャージは A=c0 となる。Y は X の共通 費用を一切負担しないので、アクセス・チャージの下限にあたる。 (2) 平均単独採算費用(Average Stand Alone Cost) A=SACY≡C0(0,0,q2)/q2 単独採算費用とは Y が単独で財を供給するという場合に発生する費用を表す概 念である。1.1 の費用関数の下、アクセス・チャージは A=c0+K/q2 となる。Y は X の共通費用を全て負担するので、アクセス・チャージの上限にあたる。 (3) 損失回避費用(Avoided Cost) A=ACY≡p1−c2−Δc=p1−c1 X と Y の最終財の生産に要する費用の格差を損失回避費用と呼び、Δc≡c1−c2 >0 とすると、Y にΔc の利潤を与える。つまり、アクセス・チャージは X の 最終財価格と限界費用の差に等しい。 (4) 完全配賦費用(Fully Distributed Cost) p0=A=FDC≡c0+K/Q、p1=(c0+K/Q)+c1 3 個別配賦できない共通費用を生産量・限界費用あるいは収入に比例させて収 支均等するよう配賦する考え方を完全配賦費用ルールという。共通費用を生産 量に比例して配賦する場合、マークアップ (K/Q)を最終財価格と中間投入財価 格に上乗せる2。 ここまでの(1)−(4)のルールは費用データに基づいて設定されるので、「費用 アプローチ」と呼ばれる。一般に、費用アプローチは実際に測定可能なデータ を利用するので、実効性が大きいという長所を持つが、需要情報を考慮に入れ ないので社会厚生上の基礎づけを欠くという短所を持つ。 (5) ラムゼー・ルール(Ramsey Rule) A=RAMSEY≡c0+ p2 1+ 2 収支均等条件のもと社会厚生を最大化する共通費用の配賦ルールをラムゼ ー・ルールと呼ぶ。λはシャドウ価格、ηi は需要の超価格弾力性を表す。ラム ゼー・ルールは社会厚生上望ましいが、弾力性の低いサービスの価格を相対的 に高く設定するので所得分配上逆進的という欠点がある。 ラムゼー・ルールは費用と需要の情報を両方斟酌するので、理論的により満 足のゆくものであるが、実際に監督官庁や企業が需要情報を十分に有している かどうか疑問が残る。さらに、平均費用価格設定の収支均等条件がアバーチ・ ジョンソン効果や X 非効率性等の経営非効率をもたらすことが指摘されている。 第 2 節 ECPR の登場 本節では「ECPR(Efficient Component Pricing Rule)」の解説を行う。1990 年代 前半アクセス・チャージが重要な政策課題となるにつれて、最初に脚光を浴び たのが ECPR であるが、逆に 90 年代後半反対派の集中砲火を浴び、ボウモル がその不適切さを認めるに至り、次節で紹介する TELRIC に主役の座を譲った。 <図4挿入> 2.1 ECPR の概要 X の諸サービスの利潤をΠ0=(p0−c0)q0、Π1=(p1−c0−c1)q1、Π2=(A−c0)q2 とおく。以上のサ ービス別利潤の和は共通費用と収支均等(Π0+Π1+Π2=K)する。 2 4 ECPR は古くはウィリックの 1979 年論文、近年はボウモル&シダックの 1994 年の著書と論文によって提唱された(cf. Baumol and Sidak 1994a, 1994b)。そこで、 コンテスタビリティ理論の建設者達は最適なアクセス・チャージを「平均増分 費用+平均機会費用」とすることを主張した。何故なら、 ECPR はコンテスタ ビリティ理論と両立し、厚生経済学上望ましいという 3。すなわち、効率的費用 条件を持つ企業のみが新規参入するので、最終財の生産で費用が最小化される。 また、支配的企業が自ら最終財の生産を行うか、中間投入財の生産に特化する かに関して無差別となる。ECPR は次のように設定される。 A=ECPR≡p1−c1=c0+[p1−(c0+c1)] つまり、ECPR はXの最終財価格と限界費用の差(p1−c1)、またはXの中間投 入財の限界費用 (c0)と最終財の機会費用[p1−(c0+c1)]の和に等しい。Yが費用効 率的(Δc>0)である限り正の利潤を獲得できるので、 Y に正しい効率的参入誘 因を与える。X は最終財市場を全て失ったとしても、アクセス・チャージを通 じて機会費用を回収できるので収入に影響を受けない4。 ECPR と他の基本ルールとの関係を指摘しよう。先ず、 ECPR と費用アプロ ーチの関係についてまとめると、増分費用ルールは共通費用を一切Yが負担せ ず、単独採算費用ルールは共通費用を全てYが負担するルールであるから、前 者は ECPR の下限、後者は上限を定める。また、損失回避費用は効率的参入企 業に対してその費用格差分の利潤を保証するから、ここでは ECPR と同一の概 念となる。ボウモル達の仮定が成立する場合、完全配賦費用と ECPR は一致す る。以上、まとめれば下式を得る。 3 ボウモル達の議論には 4 つの仮定がある。(1)中間投入財それ自体は最終財とならない(q0=0)。 (2)支配的企業は収支均等条件を課されている(Π0+Π1+Π2=K)。(3)最終財価格は等しい(p1 =p2)。(4)アクセス・チャージの自他間格差は存在しない。 4 数値例を挙げて説明しよう。ボウモル達に従い、AからCまでの平均費用価格をPAC=$10、 Xの各増分費用を AICAXB=$3、AICBXC=$3、最終財の総生産量を 100、Xの共通費用を$400 と仮定する。Xが得る共通費用回収額は最終財価格から二つの増分費用を引いたものであるか ら、それは$10−3−3=$4 である。故に、ECPR=AICAXB+共通費用回収額=$3+4=$7 と なる。この場合、Xは自ら最終生産財を生産しても、Yからアクセス・チャージを徴収しても 無差別になる。Yの増分費用について3つのケースを考えよう。(1) AICBXC<AICBYC の場合、Y は非効率的企業である。例えば、AICBYC=$4 とする。この時企業Yは平均支出は$7+4=$11 なので、$1 の損失を被る。(2)AICBXC=AICBYC の場合、Yは無差別的企業である。例えば、AICBYC =$3 とする。この時企業Yは平均支出は$7+3=$10 であるので、収支が均等化する。(3)AICBXC >AICBYC の場合、Yは効率的企業である。例えば、AICBYC=$2 とする。この時企業Yは平均 支出は$7+2=$9 であるので、$1 の利潤を得る。 5 AICY≦ECPR=ACY=FDC≦SACY さらに近年、ECPR とラムゼー・ルールの総合化が進んでいる。費用条件な らびに需要条件が対称的な場合には、ラムゼー・ルールはECPR に等しくなる5。 あるいは換言して、XとYの間の費用条件と需要条件が等しい場合、 ECPR は 社会的次善を達成できる(cf. Laffont and Tirole 1994,1996)。 ECPR=RAMSEY if c1=c2、η1=η2 2.2 ECPR の問題点 当初 ECPR がアクセス・チャージ・ルールの主導的役割を果たしたのは、コ ンテスタビリティ理論との対応関係ゆえだといわれる。 ECPR は効率的な参入 企業に参入誘因を与え、非効率的な参入企業に非参入誘因を与えるからだ。こ こでは、ECPR の問題点を考察する(cf. Kahn and Taylor 1994, Tye 1994)。 第一の問題点は、ECPR が参入企業に不当な機会費用まで支払わせることで ある。「不当な機会費用」とはどのようなものか。(1)「独占的レント」。例えば、 Xの共通費用の回収費用は$4 なのに、独占的レント$2 を上乗せして、$6 の 機会費用を要求する場合である。 (2)「経営非効率性の費用」。例えば、アバー チ・ジョンソン効果やX非効率の結果、余計な共通費用の超過額$ 2 を上乗せ して、$6 の機会費用を要求する場合である。いずれにおいても、配分的効率 性や技術的効率性の観点から$2 はYが本来支払う必要のないものである。 第二の問題点は経営効率化誘因の欠如である。ボウモルは公正報酬率規制や 総括原価方式のような平均費用価格設定を予め仮定した上で、 ECPR の「コン テスタビリティ」を議論している。平均費用価格設定が有効でなければXは独 占的価格設定を行うことができるし、有効であればXの放漫経営が避けられな いだろう。コンテスタビリティ命題の効率性には、配分的効率性と技術的効率 性の二つがあるが、ECPR は前者(効率的参入誘因)を与えるが、後者 (経営効率 化誘因)を与えないのである。従って、ECPR を採用する場合、同時にインセン ティブ規制を実施し、経営効率化誘因を与えなければならない。 第三の問題点は、「価格圧搾(Price Squeeze)」である。もしも中間投入財それ ECPR とラムゼー・ルールの総合化については、Armstrong et al.(1996, 1998)や Vickers(1998)が 詳細な検討を行っている。(1)最終財の等質性・(2)中間投入財と最終財の結合比率が 1 対 1 ・(3) バイパスの不在・(4)固定費用の回収制約が非有効という条件の下では、ECPR とラムゼー・ル ールは一致する。 5 6 自体が最終財として需要される場合(q0>0)、アクセス・チャージ(A)と最終財価 格(p1)を同時に引上げ、最終財需要(q1+q2)から(それ自体最終財としての)中間投 入財需要 (q0)へシフトさせることができる。その結果、支配的企業は新規参入 企業を市場から締め出すことができる6。 第 3 節 TELRIC の勝利? ECPR には幾つかの問題点があることが判った。その批判の論点は、 ECPR ではボトルネック独占の市場支配力を制御できないというものである。そこで、 1990 年代後半再び脚光を浴びたのが「未来指向(Forward-looking)長期増分費用」、 またの名を「TELRIC(Total Element Long Run Incremental Cost)」という。同ルー ルの提唱者は、TELRIC こそ配分効率性 (効率的参入誘因 )・技術的効率性 (費用 最小化誘因)・動態的効率性(効率的投資誘因)を与えるものだと主張している。 米国の FCC ・英国の OFTEL ・日本の郵政省がそろって未来指向長期増分費用 ルールを採用することを表明している現在、アクセス・チャージのグローバル・ スタンダードとなった感がある。しかし、 TELRIC は旧来の増分費用ルールよ りはるかに洗練されているが、依然課題の多いルールだと思われる。 <図 5 挿入> 3.1 TELRIC の概要 TELRIC の提唱者によれば、アクセス・チャージは次のような費用アプロー チでなければならない(cf. Economides and White 1994, 1995)。(1)未来指向費用・ (2)最小化費用・(3)長期費用・(4)増分費用・(5)独占的レントを含まない費用・(6) 内部相互補助を含まない費用・(7)地域間格差を反映した費用。彼らはボトルネ ック独占企業にとって必要最小限な経済的費用のみ補償し、広く参入企業ヘ門 戸を開き、競争を通じて非効率性の解消を図るべきと主張する7。 ECPR の下では経営効率化誘因が作用せず、価格圧搾の危険性が存在する。そこで、Laffont and Tirole(1996)はプライス・キャップのバスケットの中にアクセス・チャージも含める「グローバ ル・プライス・キャップ(Global Price Cap)」を一種のセーフガードとして主張した。 7 Economides and White(1994, 1995)は、非効率的な企業が参入することの社会的損失とボトルネ ック独占の非効率性の社会的損失とを比較考量し、後者の方が大きいことを論じた。 6 7 TELRIC の要点を解説しよう。(1)「未来指向」の費用である。「アンバンドリ ング(Unbundling)」によって細分化されたネットワークの構成要素ごとに、現 在の技術水準からみて合理的な費用のみを計上する。従って、埋没費用は排除 されなければならないし、技術革新がある場合歴史的原価より低水準となる。(2) 最も効率的な生産方式で計算された「最小化費用」であり、全ての生産要素を 可変的と想定した場合の「長期費用」である。(3)一般に地域通信サービスは規 模の経済性を持つので、アンバンドルされた要素の全ての需要量を考慮して計 算された平均費用である。 (4)固定資本の回収のために合理的な共通費用配賦の ためのマークアップを付加することは認められる。しかし、独占的レントや経 営非効率性に起因するマークアップを付加することは認められない。 3.2 TELRIC の問題点 TELRIC は大変結構なルールのように思われるが、問題点はないのだろうか。 実はある。第一の問題点は導出方法。TELRIC には、「トップダウン」と「ボト ムアップ」の二つの導出方法がある。トップダウンでは、ボトルネック独占企 業の財務会計データをもとに、そこから増分でない費用を取り除く。ボトムア ップでは、ネットワーク接続や伝送の構成要素ごとに最小費用を積み上げたエ ンジニアリング・モデルを作成する。会計監査上の手続きを踏んだ費用である という点で前者が優れ、既存企業の非効率性を排除し資本費用の測定の明白性 があるという点で後者が優れている。 TELRIC の最終的導出はトップダウンと ボトムアップの融合によって得られるべきである。表 1 は英国 BT の 1994/95 年次の両モデルの比較である。トップダウンとボトムアップで完全に一致した 費用はまだ得られていない(cf. Myers 1997)。 <表1挿入> 第二の問題点は共通費用の回収。 TELRIC の測定にはアンバンドルされた費 用データが用いられる。しかし、実はアンバンドリングにより生産要素が細分 化されればされるほど、共通費用は増大するのである 8。もしも共通費用の回収 他方で、共通費用を管理会計の最新手法である「活動基準原価計算(ABC)」を用いて、可能な 限り個別配賦しようという真摯な努力も試みられている(cf. 福家 1998)。 8 8 が十分認められなければ、既存のボトルネック独占企業は深刻な経営危機に瀕 することになるだろう。特に技術進歩の速やかな産業では、資本設備の歴史的 費用と現在費用の間の乖離は大きい 9。そこで、実際には理論と現実の妥協の産 物であるマークアップ付加を認めた「長期増分費用プラス」方式が採用される ことになる10。マークアップの設定は依然として重要な問題である11。 第4節 競争時代のアクセス・チャージ ここまで議論してきたように、ECPR や TELRIC といえども一長一短があり、 唯一絶対的な解答とはなっていない。さらに、ECPR や TELRIC に共通してい えることは、それらが「ボトルネック独占」を前提としていることである。 「理 論」が膠着している間に、 「現実」の方が先へ進んでしまいかねない。そこで、 ネットワーク競争時代の到来を念頭においた「 M-ECPR」と「料金清算問題」 を解説しよう。 <図 6 挿入> 4.1 ネットワーク競争下での M-ECPR ECPR 提唱者達(Baumol, Ordover and Willig)が 1996 年に FCC での AT&T を代 表した供述で(1)共通費用の逓減・(2)独占レントの存在を理由に ECPR の実効性 に疑問を呈したことから、世論の流れは一気に TELRIC に傾いた。しかし、一 部の ECPR 提唱者(Sidak and Spulber 1998)はなお頑張って、ECPR の洗練化を図 り、「M(Market-determined)-ECPR」を提唱するに至った。旧 ECPR と TELRIC がボトルネック独占を前提としているのに対して、M-ECPR は「バイパス」や 「ネットワーク競争」を見越したルールである点で一考の価値がある。 先ず、彼らは TELRIC の弱点である共通費用の回収問題を法&経済学的視点 9 Linhart and Weber(1997)の試算によれば、技術進歩率が 5%の時には 30%の歴史的費用が、技 術進歩率が 10%の時には 50%の歴史的費用が回収不可能になるという。 10 Meyers(1997)によれば、BT の長期増分費用に 12%のマークアップを加えると、現在費用会計 基準での完全配賦費用とほぼ変わらない水準になるという。 11 また、Katz(1997)は「均一マークアップ」を批判し、マークアップは(1)サービス間・(2)地理 間・(3)需要弾力性間の格差を正しく反映するべきという。 9 から鋭く攻撃する。政府が経済的規制・行政指導を通じて与えてきた「投資の 償還の期待(Investment-backed Expectation)」を一方的に破棄して、既存企業に損 失を与えることは「規制契約 (Regulatory Contract)」の違反に他ならず、通常の 損害賠償責任が政府側に発生するという。これがシダック達の「規制緩和によ る召上げ(Deregulatory Takings)」論の骨子である。この場合、ECPR いうところ の機会費用(Δ)は規制から競争への移行に際した逸失利得ということになる。 Δ≡(規制下の純収益)−(競争下の純収益) しかし、競争下の機会費用とは既存企業のそれではなくて、社会全体のそれ でなくてはならない。「バイパス」や「ネットワーク競争」の時代になると、 CATV ・電力系・無線あるいは衛星といった様々な競争的接続事業者(CAP)が登 場する。従って、機会費用は次のように制限される。 Δ≦最効率的 CAP の単独採算費用 M-ECPR は以上の機会費用からなるアクセス・チャージである。 A≡M-ECPR=c0+Δ/Q M-ECPR はネットワーク競争時代の到来を見越したルールといえよう。何故 ならば、旧 ECPR が既存企業の「私的機会費用」の要求であり、TELRIC が新 規参入企業の「ただ乗り」の願望であるのに対して、M-ECPR がアクセス売買 双方から見た「社会的機会費用」の主張だからである。 4.2 ネットワーク競争下での料金清算問題 ネットワーク競争下では、ネットワーク施設を持った事業者間で発信と着信 が行われる。その際の接続料金は双方の交渉に委ねられることになろうが、利 害対立は発生しないのだろうか。否である。施設ベースのネットワーク競争と 国際電話の発着信は同様の構造になっている 12。従来国際電話会社は特殊な分 収制度で料金を清算してきた。消費者価格である「収納料金」とは別にアクセ ス・チャージにあたる「計算料金」を定め、計算料金の 1/2 を「清算料金」と 呼び、「2国間の通信量差×清算料金」だけを出超国が入超国に支払う。しか し、このシステムでは発信が多く収納料金が低い国から着信が多く収納料金が 高い国へ収入が移転することになる。そして、このアンバランスが契機となっ て、現在「コールバック」「国際公専公」「インターネット電話」のような様々 12 国際電話料金の清算制度に関しては奥井(1994)・林(1998 pp.116-122)に詳しい。 10 な代替的サービスが登場している。 国際電話と良く似たネットワーク競争の料金清算問題を Armstrong (1998a)に 従い検討しよう13。X と Y という二つのネットワークがある。Ni を i ネット加 入者数(i=X,Y)・ Qi を i ネット加入者あたり発信数(i=X,Y)・ C を着信側ネット費 用・ A をアクセス・チャージとすると、支払バランスは次のように表わされる。 [NXNY/(NX+NY)](QY-QX)(A-C) もしも X ネットと Y ネットが同じ消費者価格を設定すればアクセス・チャ ージの支払アンバランスは発生しない。しかし、X ネットが高価格・ Y ネット が低価格ならば、低価格ネットの方が多くの加入者を獲得できる (NX<NY)が、 ネット加入者あたり発信数も低価格ネットの方が多い (QX<QY)ので、接続料金 の支払は Y ネット側が超過する。つまり、Y ネットは次のようなジレンマに直 面する。X ネットが高価格の時、Y ネットが低価格に設定すれば、多くのネッ ト加入者を獲得できるので売上げも伸びようが、X ネットに発信超過分だけ清 算料金を支払わねばならない。 しかし、アクセス・チャージのネット間協議を通じてジレンマを解決できる。 何故ならば、アクセス・チャージが十分高ければ、清算料金負担が重くなるの で、片方のネットだけが抜け駆けて低価格を付けることを防止できる。かくし て、「A」の高水準を通じて、価格カルテルのネット間共謀が実現する。 以上の例は、アクセス・チャージがボトルネック独占時代に事業者間の利害 対立問題だったのが、ネットワーク競争時代には事業者と消費者の利害対立問 題にもなる可能性を示唆している。従って、施設ベースのネットワーク競争時 代といえども、事業者同士の自由な交渉によって最善なアクセス・チャージが 常に得られるわけではない。依然アクセス・チャージは厄介な問題なのである。 むすびに 連載形式で原稿を仕上げていく場合、書下ろしとは異なる楽しみがある。そ れはリアルタイムな読者との双方向通信であるが、中央大学直江重彦氏から次 のような私信を頂いた。直江氏は私のテレコム経済学の師であるが、電気通信 産業という市井の真ん中に身を置きながら、どこか山男風の超然とした視点を 忘れずにいる所が値打ちというものである。直江氏かく語りき。 13 より詳細は Armstrong (1998b)・ Laffont, Ray and Tirole (1998)を参照のこと。 11 「今日の通信産業の問題は、基本的には技術革新による産業の構造変化をどうしたら社会の 混乱を引き起こさずに可能にするかにあるのではないかと考えています。情報通信が重要な 役割を果たしている現在、そのインフラを混乱なく新しいインフラに転換させられるかはそ の社会の存亡のかかる重大事だからです。……電話の世界から見ると、ユニバーサルサービ スの確保と相互接続問題が重要な政策課題ではありますが、ネットの世界を作ろうと考えて いる人々にとってはその解決は変革の障害になりかねない問題なのです。情報の世界では、 交通の世界で馬車から自動車に変わったような変革が起こっているわけですから、旧い秩序 でのルールの確立が新しい産業の発展の障害になるのではと危惧しているのです。」 「旧い秩序」でのルールの確立がかえって「新しい混沌」を死に至らしめる ことのないようにすること、これすなわち我々の論じてきたアクセス・チャー ジの課題そのものである。 <次回は『テレコム改革の経済学』です。> 12 参考文献 浅井澄子(1997)『電気通信事業の経済分析』日本評論社. 依田高典(1996)「ローカル・ループのアクセス・チャージに関する経済分析」公益事業研究 48.2: 1-14. 奥井克己(1994)「国際計算料金制度をめぐる最近の動き」永井進編『現代テレコム産業の経済 分析』法政大学出版局. 清野一治(1993)「最適アクセスチャージの理論」林敏彦・松浦克己編『テレコミュニケーショ ンの経済学』. 関口博正(1998)「電気通信の接続会計問題」公益事業研究 50.3:11-17. 林紘一郎 (1998)『ネットワーキング情報社会の経済学』NTT出版社. 福家秀紀(1998)「電気通信事業の公正競争と『接続会計』」公益事業研究 50.2:17-24. 山本哲三(1997)「最適アクセスチャージの理論(上下)」経済セミナー 1997.1-2. 山本哲三(1998)「相互接続料金をめぐる最近の動向」公益事業研究 50.4:63-75. 吉田真人(1994)「事業者間接続料金」醍醐聡編『電気通信の料金と会計』. 山根智仁(1998)「収入要件による接続料金の経済分析」公益事業研究 50.2:9-16. Armstrong, M. (1998a), “Telecommunications,” in D. Helm and T. Jenkinson (eds.), Competition in Regulated Industries, Oxford University Press: 132-159. Armstrong, M. (1998b), “Interconnection in Telecommunications,” Economic Journal 108: 545-564. Armstrong, M., C. Doyle and J. Vickers (1996), "The Access Pricing Problem: A Synthesis," The Journal of Industrial Economics 44.2: 131-150. Armstrong, M. and J. Vickers (1998), "The Access Pricing Problem with Deregulation: A Note," The Journal of Industrial Economics 46.1: 115-121. Baumol, J. B. and J. G. Sidak (1994a), Toward Competition in Local Telephony, Cambridge, MIT Press. Baumol, J. B. and J. G. Sidak (1994b), "The Pricing of Inputs Sold to Competitors," The Yale Journal on Regulation 11: 171-202. Economides, N. and L. J. White (1994), "Networks and Compatibility: Implication for Antitrust," European Economic Review 38: 651-662. Economides, N. and L.J. White (1995), "Access and Interconnection Pricing: How Efficient is the Efficient Component Pricing Rule?" Antitrust Bulletin XL(3): 557-579. Kahn, A. E. and W. E. Taylor (1994), "The Pricing of Inputs Sold to Competitors: A Comment," The Yale Journal on Regulation 11: 225-240. Katz, M. L. (1997), "Economic Efficiency, Public Policy, and the Pricing of Network Interconnection under the Telecommunication Act of 1996," in G. L. Rosston and W. Waterman (eds.), Interconnection 13 and the Internet, Laurence Erlbaum Associates: 15-32. Laffont, J. J. and J. Tirole (1994), "Access Pricing and Competition," European Economic Review 38.9: 1673-1710. Laffont, J. J. and J. Tirole (1996), "Creating Competition through Interconnection: Theory and Practice," Journal of Regulatory Economics 10: 227-256. Laffont, J. J., P. Ray and J. Tirole (1998), " Network Competition: Overview and Nondiscriminatory Pricing," RAND Journal of Economics 29.1: 1-37. Linhart, P. and J. H. Weber (1997), "On Cost-Based Pricing for Regulation," 25th Annul Telecommunications Policy Research Conference (9/27-29/97). Myers, G. (1997), "Long Run Incremental Costs and Regulation of Interconnection Charges for Local Exchange in the UK," 25th Annul Telecommunications Policy Research Conference (9/27-29/97). Sidak, J.G. and D.F. Spulber (1998), Deregulatory Takings and the Regulatory Contracts, Cambridge University Press. Tye, W. B. (1994), "The Pricing of Inputs Sold to Competitors: A Response," The Yale Journal on Regulation 11: 204-224. Vickers, J. (1998), “Regulation, Competition, and the Structure of Prices,” in D. Helm and T. Jenkinson (eds.), Competition in Regulated Industries, Oxford University Press: 23-39. 14 図 1:ネットワーク産業の構造 自然独占 ボトルネック独占 バイパス型競争 ネットワーク競争 図2:基本アクセス・チャージ 単独採算費用 ラムゼー・ルール 完全配賦費用 損失回避費用 増分費用 図3:ベンチマーク・モデル X B A C X Y 図4:ECPR の登場 A=増分費用+機会費用 コンテスタビリティとの対応 ○ 効率的参入誘因 × 生産効率化誘因 15 図5:TELRIC の勝利? ・未来指向の最少費用 ・アンバンドリング ・トップダウンかボトムアップか? ・共通費用回収はマークアップで? 表 1:BT の 1994/95 年次長期増分費用 ペンス/分 市内交換 中継市内伝送 中継交換 トップダウン 0.274 0.144 0.084 ボトムアップ 0.244 0.232 0.090 (出所:Myers 1997 Table4/5) 図6:競争時代のアクセス・チャージ M-ECPR ・競争下の社会的機会費用 ・最効率的単独採算費用が上限 料金清算問題 ・発着信のアンバランス ・アクセス・チャージを通じた共謀 16