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dialogue between me and myself
 Title
Author(s)
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン
』の「反省」概念について
橋爪, 由紀
Editor(s)
Citation
Issue Date
URL
人間社会学研究集録. 2012, 7, p.165-193
2012-03-23
http://hdl.handle.net/10466/12593
Rights
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/
人間社会学研究集録7(2011),165−193(2012年2月刊行)
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファル
ンハーゲン』の「反省」概念について
橋爪 由紀
序
ハンナ・アーレント(1906-1975)の『全体主義の起源』1(以下『全体主義』
)
『精神の生』3、遺稿集『責任と判断』所収
第 3 部「全体主義」や『人間の条件』2、
の講義の記録「道徳哲学のいくつかの問題」4などで論じられている〈自己との対話〉
は、アーレントによると、もともとソクラテスが思考の本質として発見し、それを
プラトンが概念的言語に翻訳したものである。またアリストテレスやカントも思考
を内なる対話だととらえた。この伝統的な〈自己との対話〉概念にアーレントは独
自の考えをくわえて、活動的生(vita activa)と観想的生(vita contemplativa)とをつ
なげる、いわば蝶番の働きをするものとして構想したのではないかと考えられる。

大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程(人間科学専攻)
Arendt, Hannah, 1951, The Origin of Totalitarianism, New York: Harcourt, Brace & Co., Elemente und
Ursprünge totaler Herrschaft: Antisemitismus, Imperialismus, totale Herrschaft, 1955, München: Piper
Verlag GmbH., ハンナ・アーレント、
『全体主義の起源 3』
、大久保和郎、大島かおり共訳、みす
ず書房、1974 年。私はここではおもに原著の英語版(ハーヴェストブック・ハーコート社の 1985
年版)を使い、ドイツ語版で補足している。以下、本文において頁数を示す時には、
()内に、
原著の略記 OT と頁数を併記する。
2
Arendt, Hannah, 1958, The Human Condition, Chicago: University of Chicago Press, Vita activa: oder
『人間の条件』
、志
vom t‰tigen Leben, 1967, München: Piper Verlag GmbH., ハンナ・アーレント、
水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994 年。本論ではシカゴ大学出版の 1998 年版使用。HC と略記。
3
Arendt, Hannah, 1978, The Life of the Mind, vol.1 Thinking, New York : Harcourt Brace Jovanovich. ハ
ンナ・アーレント、
『精神の生 上』
、佐藤和夫訳、岩波書店、1994 年。本論ではハーヴェストブ
ック・ハーコート社の 1981 年版使用。LM と略記。佐藤訳は『精神の生活』だが、本論では『精
神の生』とする。というのは、同書の題目と本文中の”life”は、以下の引用にも見られるように、
一義的な「生存、生」を意味すると考えられるからである。
「精神の生を暗示しうる唯一の比喩
.....
は、生きているという感覚(the sensation of being alive)である」
(LM 123 強調は引用者)とアーレ
ントは述べ、またそのあとで彼女が援用した「思考の活動は生である」というアリストテレスの
言葉にも見られるように、アーレントは思考を「生きている」ととらえている。
4
Arendt, Hannah, 2003, Responsibility and Judgment, New York: Schocken books. ハンナ・アーレント、
中山元訳、
『責任と判断』
、筑摩書房、2007 年。
「道徳哲学のいくつかの問題」は 1965 年にニュ
ースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ校で行われた講義の原稿がもとになっている。同論
以外では、
『暴力について:合衆国の危機』所収の論考「市民的不服従」においても〈自己との
対話〉概念について論じられている(ハンナ・アーレント、山田正行訳、
「市民的不服従」
『暴力
について:合衆国の危機』
、みすず書房、2003 年、57 頁~)
。
1
1
166
橋爪 由紀
活動的生は『人間の条件』の主題である。アーレントは同書第 1 章において、
『ニ
コマコス倫理学』でアリストテレスが三つに分類した、幸福を追求するアテナイ市
民の生の形態、すなわち享楽的生、活動的生、観想的生を挙げている(HC 12-13)
。
享楽的生とは肉体の快楽を享受する生のことであり、活動的生とはポリスという共
同体の公的な政治的問題に捧げられる生で、観想的生とは永遠なる事物の探究と観
想に捧げられる哲学者の生だとアーレントは解説している(HC 12-13)
。そして享楽
的生をのぞいた二つの生は、アーレントの思索と著作の主題でありつづける。活動
的生は、
『人間の条件』
で議論されている三つの活動力
(activity)
、
すなわち労働
(labor)
、
仕事(work)
、活動(action)を意味するものとされている(HC 7)
。これらのうち
同書でアーレントが主題として焦点化している活動的生は、三番目の活動である。
一方、観想的生は、晩年のアーレントがとりくみ、執筆途中で亡くなったために完
成させられなかった『精神の生』の主題である。
『精神の生』の序でアーレントは「観想が精神の最高の状態であるという考えは、
西欧の哲学とおなじように古い。
〔…〕思考は観想を目標とし観想に終わる。また
観想は能動性ではなく受動性である」
(LM 6)と述べている。
「観想」についてのこ
の伝統的な考えが妥当性を失ったと考えたアーレントは、同書で精神の活動、すな
わち思考自体について新たに考えている。アーレントのこの考察の基礎となってい
るのが、
「プラトンによれば、思考活動とは、われわれが自己とおこなう無言の対話
である」
(LM 6)という一節に見られる、思考についての考えである。
思考とは〈自己との対話〉である、とアーレントがはじめて述べたのが、
『精神
の生』より 20 年以上前に刊行された『全体主義』においてである。思考とはどのよ
うなものかについてアーレントは『全体主義』のずっと以前から考え、そして、さ
いごの『精神の生』において思考を主題として置いた。
本論では、アーレントの〈自己との対話〉概念がどのようなものか、またどのよ
うにして生まれたかについて考察した。その結果、アーレントが考える、あるべき
思考についてまとめると、つぎのようになる。まず、思考は対象から解放されるべ
きであって、みずからの心を対象としないこと。というのは、みずからの心が思考
の対象となれば、私的なものと公的なものとの境界がぼやけてしまうからだ。その
ためにも思考は現実から切り離されるべきでない。つまり、アーレントが是とする
のは、対象から解放される観想をめざし、なおかつ現実とつながる思考である。そ
のためにアーレントが構想したのが、伝統的な〈自己との対話〉概念に独自の考え
2
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
167
をくわえて、現象世界における活動的生と精神世界における観想的生とをつなげる
蝶番の働きをする、新たな〈自己との対話〉という概念である。
本論の課題は、アーレントの〈自己との対話〉という概念とは何なのかというこ
とについての考察を行い、その上でこの概念の起源を明らかにすることである。す
なわち、アーレントの〈自己との対話〉概念は、彼女が博士論文『アウグスティヌ
)のつぎに書いた、18 世紀に生まれた
スの愛の概念』5(以下『アウグスティヌス』
ユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲン(1771-1833)の伝記『ラーエル・ファル
)における「反省」概念についての議論から生じ
ンハーゲン』6(以下『ラーエル』
たものだということを明らかにするのが本論の目的である。
本論の構成は以下のとおりである。1.ではまず、
〈自己との対話〉概念と「反省」
概念の概要を述べたあとで、両者の関係について検討し、つづいて、先行研究と本
論の意義について述べる。つぎの 2.では、アーレントの著作の『全体主義』と『精
神の生』の中から〈自己との対話〉概念を抜きだして、伝統的な〈自己との対話〉
概念とアーレントのそれとを比較して、アーレントの〈自己との対話〉概念の特徴
をとりだす。本論さいごの 3.では、
『ラーエル』における「反省」概念についての議
論に焦点をあてて、その議論の中からアーレントの考える、あるべき思考をとりだ
し、さらに〈自己との対話〉概念の萌芽となるものを明らかにする。
1.
〈自己との対話〉概念
本論 1.-(1)では、アーレントが『ラーエル』や『全体主義』を執筆するまでの背
景について簡単に言及したあとで、
〈自己との対話〉が『全体主義』以降の著作でど
のように記述されているのか見てみる。つづいて、焦点を「反省」概念に移し、
「反
省」概念が生まれた時代背景について見る。そのあとで「反省」とはどのような概
5
Arendt, Hannah, 1929, Der Liebesbegriff bei Augutin, Berlin: J. Springer. ハンナ・アーレント、
『アウ
グスティヌスの愛の概念』
、千葉真訳、みすず書房、2002 年。
6
Arendt, Hannah, 1959, Rahel Varnhagen: Lebensgeschichte einer deutschen Jüdin aus der Romantik,
München: Piper Verlag GmbH., Rahel Varnhagen: The Life of a Jewish Woman, 2000, Baltimore and
London: The Johns Hopkins University Press. ハンナ・アーレント、大島かおり訳、
『ラーエル・フ
ァルンハーゲン:ドイツ・ロマン派のあるユダヤ女性の伝記』
、みすず書房、1999 年。寺島俊穂
訳、
『ラーヘル ファルンハーゲン:あるドイツ・ユダヤ女性の生涯』
、未來社、1985 年。本論で
はピーパー出版社の 2005 年版使用。RV と略記。
3
168
橋爪 由紀
念なのかについて述べて、さらに、
「反省」概念と〈自己との対話〉概念がどのよう
に関連するのかについて、筆者の考えを提示する。1.-(2)では、
〈自己との対話〉に
ついて論じられている先行研究をとりあげ、1.-(3)では、本論の意義について述べ
る。
〈自己との対話〉概念と「反省」概念
(1)
1929 年に博士論文『アウグスティヌス』を出版したアーレントは、おなじころに
自分とおなじユダヤ人女性であるラーエルについての研究に着手し、伝記『ラーエ
ル』の執筆にとりかかる。ナチスが政権を掌握した 1933 年に、アーレントはドイツ
を離れてパリへ亡命し、1938 年にその地で『ラーエル』を完成させる。ふたたび亡
命を余儀なくされて 1941 年にアメリカへ渡ったアーレントは、
反ユダヤ主義や帝国
主義、全体主義について研究して、のちにその成果を『全体主義』にまとめる。
1951 年に刊行された『全体主義』の末尾でアーレントは、
「厳密に言えば、すべ
ての思考は孤独のうちになされ、私と自己との対話(dialogue between me and myself)
である」(OT 476)と述べている。
「思考」とは「私と自己との対話である」と書物の
なかでアーレントがはじめて述べたのが、この『全体主義』においてである。
その後、1958 年に出された『人間の条件』においても、
「プラトンは明らかに、
私と自己(eme emautō)との対話に思考の本質を見ていた」
(HC 76)とアーレント
は述べている。
『人間の条件』では、
「思考の本質」は「私と自己との対話」だとい
うことをプラトンがとらえたとしてアーレントは紹介している。なお、
『全体主義』
では〈自己との対話〉についての議論の中でプラトンについての言及はない。
そして、1975 年にアーレントが亡くなった 3 年後に刊行された未完の著作『精神
の生』第 1 部「思考」において、
「なにものも、一者の中の二者(two in one)であ
る以外に、自己であると同時に自己に対することはできない。この一者の中の二者
をソクラテスは思考の本質として発見し、それをプラトンは、私と自己(eme emautō)
との無言の対話、と概念的言語に翻訳したのだ」7(LM 185)と彼女は記している。
7
プラトンが書いた対話篇『テアイテトス』の中でソクラテスはつぎのように語っている。
「も
っともここにいう言論は、他人に宛てられた言論ではなく、また声に出して語られる言論でもな
い。沈黙の中に自己自身を相手としてのべられるものなのだ」
(プラトン、田中美知太郎訳、
『テ
アイテトス』
、岩波文庫、2011 年、161 頁)
。この一節では、たしかに自己との無言の対話につい
て述べられているが、その対話が思考の本質であるかどうかについては述べられていない。
4
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
169
上の『人間の条件』と『精神の生』からの引用文に見られるように、
〈自己との
対話〉はアーレントが生みだした概念ではない。彼女によれば、
「私と自己との無言
の対話」
、すなわち〈自己との対話〉とは、思考の本質としてソクラテスが発見した
「一者の中の二者」というありようを、プラトンが「概念的言語に翻訳」したもの
である。この伝統的な〈自己との対話〉概念に、アーレントは、他者関係をくわえ
て、活動的生と観想的生とをつなげる、いわば蝶番の働きをする概念として練りあ
げたのではないかと考えられる。このことについては本論 2.で検討する。
つぎに「反省」概念に焦点をあてよう。
『ラーエル』の主人公ラーエルが 1771 年に生まれる前の 17-18 世紀の西欧におい
て、啓蒙思想は、人間の理性と進歩を絶対的に信頼し、近代市民社会の形成を推進
した。
人間の合理的思惟の自律を唱えた啓蒙思想は、
宗教的権威による呪縛から人々
を解放したが、合理性を重視することでかえって自我に制約をもたらした。それに
対して、ラーエルのサロン仲間であるドイツ・ロマン派の詩人フリードリヒ・フォ
ン・シュレーゲルやノヴァーリス8は、芸術批評において自我の解放を目指した。そ
の芸術批評における根本的な要素が「反省(Reflexion / reflection)」概念である。
この「反省」概念に注目して、シュレーゲルやノヴァーリスの芸術批評について
論文「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」で論じたのがヴァルター・ベ
ンヤミンである。ベンヤミンは同論文で、芸術批評においてシュレーゲルやノヴァ
ーリスが、
「反省」を通して精神が普遍へいたる観想への可能性を見出したことを高
く評価する。
「反省」をポジティブに評価したベンヤミン対して、アーレントは『ラ
ーエル』において、
「反省」の力を認めながらも、私的なものと公的なものの境界を
曖昧にする「反省」をネガティブにとらえて、
「反省」批判を展開している。
『ラーエル』で「反省」概念に対置されているのが、
「観想」に類似した概念で
ある「自己思考(Selbstdenken / self-thinking)
」である。ここでアーレントは、
「反省」
概念に対比して「自己思考」という概念を、たしかにポジティブにとらえているも
のの留保している。詳細については本論 3.と結で述べるが、この「自己思考」が、
『ラーエル』のつぎの著作である『全体主義』の末尾で、全体主義的傾向からまぬ
かれるための思想として提示された〈自己との対話〉概念の萌芽なのではないかと
8
ノヴァーリス(本名 Friedrich von Hardenberg)は、ドイツ前期ロマン派の代表的詩人(1772-
1801)
。
5
170
橋爪 由紀
いうことが考えられる。
この〈自己との対話〉概念は、
「反省」のポジティブな側面である観想的生と、
「反
省」のネガティブな側面を補足するために、他者との関係性が付加された活動的生
の二つが、両極として相関するものとして構想されたのではないかと考えられる。
もちろん、1951 年に出版された『全体主義』においてアーレントが〈自己との対
話〉について書いた当初から、そののち 1958 年に出版された『人間の条件』で活動
的生を、1973 年ごろに起筆した『精神の生』で観想的生をそれぞれ主題として書こ
うと構想していたかどうかは定かでない。また、それら三作がまるで『全体主義』
を頂角、
『人間の条件』と『精神の生』とを両底角とした三角形のごとき構図で配置
されるような構想をアーレントがいだいていたかどうかについても定かではない。
だが、
『全体主義』
では観想的生と活動的生とは深く関連づけられている。
すなわち、
自己と対話して観想的生に近づきつつある人は、同胞の呼びかけにより活動的生へ
と切り替わるというように、いわば二つの生の蝶番として〈自己との対話〉は構想
されていると考えられるのである。
『全体主義』において、そのように構想されたと考えられるアーレントの〈自己
との対話〉概念が、同書の 10 年以上まえに書きあげられた『ラーエル』の中で、
「反
省」概念を批判する議論の中から生じたものではないかということについては、本
論の結で検討する。
(2)先行研究
アーレントの著作の〈自己との対話〉に着目するアーレント研究者は少なくない。
たとえばマーガレット・カノヴァンは『アレント政治思想の再解釈』の第 1 章「は
じめに」おいて、
「最もよく知られた、彼女〔アーレント〕の諸著作は本質的に内省
........
的であり、精神の生活を構成すると思われた、果てしない、自分自身との対話の一
〈自己との対話〉をとお
部であった」9と述べている。つまりアーレントの著作は、
して生まれたとカノヴァンはとらえているのである。
また、
『責任と判断』の訳者中山元は、
「訳者あとがき」でアーレントとソクラテ
スの〈自己との対話〉を対比して、アーレントの〈自己との対話〉が他者との関係
9
マーガレット・カノヴァン、寺島俊穂・伊藤洋典訳、
『アレント政治思想の再解釈』
、未來社、
2004 年、11 頁。
〔〕内の補足と強調は引用者。
6
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
171
を問題としているのに対して、ソクラテスの方は他者に配慮していないと指摘して
いる10。
エリザベス・ヤング=ブルーエルは、評伝『ハンナ・アーレント伝』の「まえが
き」で、
〈自己との対話〉はそもそもアーレントが思考の孤立化を乗り越えるために
仲間と会話したことから生まれたものだと述べている11。そこでは、アーレントが
〈自己との対話〉
を実践していたことと実践の理由について言及されている。
また、
ヤング=ブルーエルは同書第 10 章においても、
『精神の生』で議論されている〈自
己との対話〉概念における、対話する二者の関係に注目し、さらに、活動的生およ
び観想的生と〈自己との対話〉概念とのつながりについて示唆している12。
そして、アーレントの〈自己との対話〉概念の哲学的系譜を分析したのがジュリ
ア・クリステヴァである。クリステヴァは評伝『ハンナ・アーレント』で、アーレ
ントの〈自己との対話〉概念はマルティン・ハイデガーの論文「思惟とは何の謂い
『精
か」に対する応答だと述べている13。また、上の評伝においてクリステヴァは、
神の生』でアーレントが解釈する、プラトンの対話篇『ソピステス』についてのハ
イデガーの読解に注目して、つぎのように解説する。アーレントによると、
『ソピス
テス』においてハイデガーは、
「複数性があるところには直ちに差異があり、この差
異は外部から来るのではなく、二元性の形をまとったそれぞれの実体に内属してい
『精神の生』に
る」14ととらえている。このように解説したあとでクリステヴァは、
おける〈一者の中の二者〉についてのアーレントの考えと、アーレントの解釈によ
るハイデガーの〈一者の中の二者〉の考えとの相違点をつぎのように指摘する。
10
アーレント、
『責任と判断』
、384-389 頁。
Young-Bruehl, Elisabeth, 1982, Hannah Arendt: For Love of the World, New York: Harcourt, Brace &
Co, pp.ⅹⅹⅹⅰⅹ-ⅹl、エリザベス・ヤング=ブルーエル、荒川幾男・原一子・本間直子・宮内
寿子訳、
『ハンナ・アーレント伝』
、晶文社、1999 年。
12
ヤング=ブルーエルは同書で、
「自己言及的思考の過程についてアーレントが重要だと考えた
のは、この世界において思考過程が、それ自体の顕現様態である言語とどのように関係するのか
ということであった」
(Ibid., pp.449)と述べ、
『精神の生』でアーレントが、思考過程とこの世界
との架橋を試みようとしたことについて述べている。
13
ジュリア・クリステヴァ、松葉祥一・椎名亮輔・勝賀瀬恵子訳、
『ハンナ・アーレント:
〈生〉
は一つのナラティヴである』
、作品社、2006 年。クリステヴァは同書で『ラーエル』はアーレン
ト自身の自伝的著作だと示唆しているが、
『ラーエル』と〈自己との対話〉概念との関係につい
ては述べていない。
14
同上書、269-274 頁。
11
7
172
橋爪 由紀
すなわち、ハイデガーが〈一者の中の二者〉に見られる差異を実体とみなしたこ
とに対して、アーレントは外部の世界との接触をとおして〈一者の中の二者〉がふ
たたび一者となり、そのことによって〈自己との対話〉において二者であったこと
をとらえている。つまり、自分以外の人々の存在を必要としない、
〈一者の中の二者〉
についてのハイデガーの考えに対して、アーレントが反論していることにクリステ
ヴァは注目するのである。たしかに、クリステヴァが指摘するように、アーレント
はハイデガーに反論するために、現象世界からの他者の呼びかけを付加して、独自
の〈自己との対話〉の構想を練りあげようと試みたと考えられる。さらに、アーレ
ントの考える〈自己との対話〉概念と、活動的生と観想的生とのつながりについて
クリステヴァも示唆しているのである15。
ここまで見たように、アーレント研究者たちはアーレントの思索および著述活動
と〈自己との対話〉との関係に注目している。だが、活動的生と観想的生のふたつ
の関係に着目するのはヤング=ブルーエルとクリステヴァだけで、その彼女らも、
〈自己との対話〉と『ラーエル』とを結びつけて考えてはいないのである。
(3)本論の意義
1.-(1)で述べたように本論の目的は、
『全体主義』の末尾において全体主義的傾向
からまぬかれるための思想として提示された〈自己との対話〉概念は、
『ラーエル』
での「反省」概念についての議論から生じたものであるということを明らかにする
ことである。
アーレントは『ラーエル』で、啓蒙主義時代にサロンの女主人としてもてはやさ
れたユダヤ人ラーエルが、ナポレオンの侵攻後の愛国主義的なプロイセンで孤立し
て苦悩するありさまを描いている。ラーエルは同化を望み、改名し、受洗して非ユ
ダヤ人と結婚する。このように自分のユダヤ性をはぎとったにもかかわらず、ラー
エルは社会から排除されて孤立し、また出自を棄てたことに苦しんだとアーレント
は書いている。ラーエルとおなじ同化ユダヤ人であるアーレントは、ナチスが政権
を掌握したことで二度も亡命を余儀なくされ、20 年ちかく市民権をもてなかった。
アーレントが『ラーエル』を書きはじめたのはドイツを離れる数年前で、書き終え
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
同書でクリステヴァは「
「常識」の世界と思考の世界の両方の世界の特徴を捉え、それを共に
保つことが必要不可欠なのである」
(264 頁。強調は引用者。
)と述べ、アーレントの探究する思
考における活動的生と観想的生との関係について示唆している。
15
8
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
173
たのが亡命中のパリにおいてである。アーレントは亡命前のドイツで、自分の周囲
にいる知識人たちのナチスへの同一化を目の当たりにして孤立感にとらわれたと
1964 年にテレビのインタビュー番組で語っている16。アーレントは、ラーエルの書
簡集に見られるラーエルの孤立に自分の孤立をかさね、反ユダヤ主義やナチズムに
ついての思索をとおして、同一化からまぬかれるための思想について思索した。そ
の一端が『ラーエル』に記されている。その思索の一端が、のちに『全体主義』に
おいて〈自己との対話〉概念へつながり、アーレントの生涯のライフワークとなる。
アーレントが経験と思索をとおして練りあげた〈自己との対話〉を、いまもなお
全体主義的傾向に染まりやすい、現代社会に生きるわれわれ一人一人が実践する必
要がある、と筆者は考える。そのために、本論では〈自己との対話〉とはどのよう
なものか、またどのように生まれたかについて考察したい。
はじめてアーレントが思考とは〈自己との対話〉であると『全体主義』で述べて
から 20 年あまり経ったのち、
『精神の生』でも彼女は、思考の本質は〈一者の中の
二者〉
、言い換えると〈自己との対話〉であると述べている。
『全体主義』とそれ以
降の二著作の相違点に着目すると、
『全体主義』ののち〈自己との対話〉に関して新
たにくわえられたのは、
『人間の条件』においてはプラトンが〈自己との対話〉に思
考の本質を見ていたという点であり、
『精神の生』においてはプラトンに加えて、ソ
クラテスが〈一者の中の二者〉を思考の本質として発見したという点、そしてアリ
ストテレスやカントが思考とは内なる対話だと述べたという点、さらに〈自己との
対話〉
がどのようにして行われるのかという原理的な追究がなされている点である。
このようにアーレントは過去の偉大な哲学者たちの書物から〈自己との対話〉的
なるものを発掘している。長きにわたって同じテーマを考えつづけていたというこ
とは、アーレントにとって、最後まで納得のいく結論をえられなかったということ
も言えるかもしれない。だが、あとで見るように、全体主義的傾向が無くならない
世界の状況で、それに抵抗するためには〈自己との対話〉が有効だと彼女が根本的
に考えていたからだと言える。
アーレントは〈自己との対話〉について、
『全体主義』にはじまって、
『人間の条
件』や遺稿集『責任と判断』所収の講義記録「道徳哲学のいくつかの問題」などで
16
ハンナ・アーレント、
『アーレント政治思想集成 1』
、齋藤純一、山田正行、矢野久美子共訳、
みすず書房、2002 年、6 頁。
9
174
橋爪 由紀
論じ、
『精神の生』では情熱を傾けて論じているが理論化はしていない。ライフワー
クとして思索しつづけ、その結果を著述した〈自己との対話〉概念の最終的な形を
アーレントは遺せなかった。それを再構成するのは今後の課題とし、本論ではまず
その起源を明らかにしたい。
2.アーレントの著作の中の〈自己との対話〉
アーレントは『全体主義』の末尾において「厳密に言えば、すべての思考は孤独
のうちになされ、私と自己との対話である」(OT 476)と述べ、他の著作においても、
全体主義的な状況で流されずに抵抗しうる思想として〈自己との対話〉について繰
り返し論じている。本論の 2.では、おもに『全体主義』と『精神の生』における〈自
己との対話〉についての記述をとりだして、
〈自己との対話〉とは何であるのか理解
しようと試みる。
(1)ソクラテスの〈自己との対話〉
本論 1.-(1)で引用した、アーレントの主要な著作における〈自己との対話〉概念
についての記述をここでもとりあげる。
上に挙げた『全体主義』ののちに刊行された『人間の条件』においても、
「プラ
トンは明らかに、私と自己との対話に思考の本質を見ていた」
(HC 76)と彼女は述
べている。さらに『精神の生』で、
「なにものも、一者の中の二者である以外に、自
己であると同時に自己に対することはできない。この一者の中の二者をソクラテス
は思考の本質として発見し、それをプラトンは、私と自己との無言の対話、と概念
的言語に翻訳したのだ」
(LM 185)と彼女は記している。上の『人間の条件』と『精
神の生』からの引用文に見られるように、
〈自己との対話〉は、アーレントによれば、
ソクラテスが対話の相手に語った内容をプラトンが「概念的言語に翻訳」したもの
である。
アーレントは『人間の条件』の注に、
「この言葉はプラトンの至るところに見ら
れる(とくに『ゴルギアス』を見よ)
」
(HC 76)と記している。そののち『精神の
生』においてアーレントは、プラトンの書いた『ゴルギアス』の中から、
〈自己との
対話〉についてソクラテスが対話の相手であるカリクレスに語っている次の一節を
引用している。
10
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
175
ぼくのリュラ琴やぼくが指揮する合唱隊が、音を外したり不協和音を出したりする
方がよいし、大多数の人たちがぼくと言い争う方がよい。一人であるぼくは、それ
ゆえ自己と不調和であったり矛盾したりするよりそれらの方がよいのだ(LM 181 イ
タリック体は、この一節を英訳したアーレントによる)
。
アーレントは、このソクラテスの発言は「非常に逆説的である」
(LM 183)と言
う。
「自己と不調和であったり矛盾したりするより」よいというソクラテスの言葉か
ら、逆にソクラテスは自己と同一でない、つまりソクラテスという一者の中に二者
があるということが読みとれる。したがってアーレントが指摘するように、ソクラ
テスの語りは「逆説的である」
。
つづけてアーレントは上の引用文をつぎのように解説する。
「一人なのだ、それ
ゆえ自己との調和から外れようなどできやしないとソクラテスは言う。しかし、A
はAであるから、真に絶対的に一つであるそれ自体と同一である何ものも、それ自
(LM 183 イタリック体はアー
体と調和しているとか不調和だというのはありえない」
。一者である者が自己と調和したりしなかったりすること、つまり一者の中
レント)
に二者あることについてアーレントは「ありえない」といったんは否定する。しか
しすぐさま、和音は二音以上から作られているとか、
「意識(conscious / Bewusstsein)
」
の語源は「自己と共に知る」ということをアーレントは引き合いにだして、
「私は、
他者に対してだけでなく自己に対しても存在する。後者の場合、明らかに私は単に
一人であるわけではない。私の同一性に差異がさし込まれているのだ」
(LM 183)
と解説する。このようにアーレントは、上のソクラテスの語った一節に、一者の中
に二者があることを見出し、それをソクラテスの〈自己との対話〉だとして自分の
解釈を述べている。
つぎに、
『精神の生』の中でアーレント自身が〈自己との対話〉についてどのよう
に考えているのか、見てみる。
『精神の生』の中の〈自己との対話〉
(2)
ここでは〈自己との対話〉についてアーレント独自の考えが現れている一節を以
下に引用して、その特徴をとりだしたい。
なにものも、一者の中の二者(two in one)である以外に、自己であると同時に自己
に対することはできない。この一者の中の二者をソクラテスは思考の本質として発
11
176
橋爪 由紀
見し、それをプラトンは、私と自己(eme emautō)との無言の対話、と概念的言語
に翻訳したのだ。しかし、ふたたび統一体を構成する、すなわち〈一者の中の二者〉
を一体化するのは思考活動ではない。内部ではなく逆で、外部の世界が思考する人
の中に侵入して思考過程をさえぎったとき、
〈一者の中の二者〉はふたたび一者にな
るのである。自分の名前を呼ばれて現象界に呼びもどされたとき、思考する人はつ
ねに一者であり、まるで思考過程によって二者に分裂していたその人が、ふたたび
ピシャリと結合したかのようである(LM 185)
。
上に引用した前半部分は、本論 2.-(1)の前半で引用した箇所であり、
「一者の中
の二者をソクラテスは思考の本質として発見した」というアーレントの解釈をそこ
で確認した。上の引用文の後半部分でアーレントは、思考する人の思考過程におけ
る〈一者の中の二者〉は、自分の名前を呼ぶ現象界からの呼びかけによって一者に
なると述べている。そしてこの部分が、アーレント独自の発想であり、
『ゴルギアス』
のソクラテスが着目しなかったところである。
ソクラテスは自分の精神の中で自己と対話していることを認めているが、
〈自己と
の対話〉がなぜ行われるのかという〈自己との対話〉自体の根本要素については思
索していない。アーレントは『精神の生』で〈自己との対話〉が、
〈どこで〉
、
〈どの
ように〉行われるのかについて思索していて、上の引用の後半部分では〈どこで〉
について考察している。
ソクラテスも、
このあとでとりあげるアリストテレスもカントも、
〈自己との対話〉
が行われている場については問題としていない。
だがアーレントは、
〈自己との対話〉
が行われている場と行われていない場、そしてそれらの境界に注目するのである。
もっとも彼らが〈自己との対話〉自体について追究していなかったからこそアーレ
ントは、そのことについて考えることの必要性を感じたのだろうが。
アーレントによると、思考する者、すなわち思考過程における〈一者の中の二者〉
は、
「自分の名前を呼ばれて現象界に呼びもどされた」
、そのとき「
〈一者の中の二者〉
はふたたび一者になる」
。つまり、思考する者が〈一者の中の二者〉であるのは、思
考過程という場にあるときのみで、思考するまえは一者であり、思考が終わったあ
とにはふたたび一者となる。すなわち、一者のときには現象界という場にあるとい
うことになる。そして、思考する者が思考過程から現象界へうつる契機となった、
自分の名前を呼ぶ声は、それら二つの場の境界にあるということになろう。
つぎに、
〈自己との対話〉が〈どのように〉行われるのかについてのアーレントの
考えが現れている一節を以下に引用して、見てみる。
12
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
177
人間が本質的に複数者の中で存在するということをより強く示すのは、このこと以
外にはないだろう。すなわち、孤独によって、おそらく人間とおなじく高等動物も
もつ単なる自己意識が生じ、思考活動のあいだは二者であることが意識させられる
ということだ。思考を真の活動にするのは、自己と共にある、自己のこの二者性で
ある。思考が真に活動しているさい、私は問う一者であり、かつ答える一者でもあ
るのだ。思考が弁証法的、および批判的となりうるのは、思考はこの問答過程を経
るからであり、事実、
「言葉の中を進みゆく」という意味である dialegesthai という対
話を経るからである(LM 185 イタリック体はアーレント)。
上に引用した一節でアーレントは、
「孤独によって〔…〕自己意識が生じ、思考
活動のあいだは二者であることが意識させられる」と述べている。意識についての
アーレントの考えは、すでに本論 2.-(1)で引用している。その箇所でアーレントは、
『ゴルギアス』の中でソクラテスが対話の相手であるカリクレスに、自己と不調和
であるより大多数の人たちとの言い争いの方がよいと語った一節について解説して
いるのだが、そこで意識の語源について、つぎのように論じていた。
「意識」の語源
は「自己と共に知る」であり、
「私は、他者に対してだけでなく自己に対しても存在
する。後者の場合、明らかに私は単に一人であるわけではない。私の同一性に差異
がさし込まれているのだ」
(LM 183)
。つまり、意識が生じるそのつどそのつど私た
ちは意識していることを意識する自己を意識する。このような「私」と自己との間
の差異によって〈自己との対話〉ははじまるとして、では〈どのように〉進められ
るのだろうか。
上の引用文でアーレントは、
「思考が真に活動しているさい、
私は問う一者であり、
かつ答える一者でもあるのだ。思考が弁証法的、および批判的となりうるのは、思
考はこの問答過程を経るから」だと述べている。
「私」に同意できないから、
「私」
と自己との間に差異が生じ、
「自己」
は問いをなげかける。
問いの答えに納得すれば、
〈自己との対話〉はおそらく終了するだろう。
(3)アリストテレスやカントの〈自己との対話〉
『精神の生』でアーレントは、アリストテレスやカントの著作において彼らが思
考を内なる対話だととらえたのち、そのことを否定している一節を引用して、彼ら
の「変節」ぶりについて述べている。
アリストテレスは、魂のうちなる言葉を信じるように、と初期の書物に書いてい
13
178
橋爪 由紀
たのに、のちの書物には「同じ状況、同じ時刻において、A が B かつ A であること
は不可能である」と書いていて、アリストテレスに「変節が見られる」とアーレン
トは指摘している(LM 186)
。思考の法則の一つである「矛盾律」に則するなら、
「同
じ状況、同じ時刻において」
、
「私」と「自己」との間に差異はありえず、それらは
一致しているとされるのである。
同じくカントについても、彼の著作『人間学』において、思考を「自己と語り合
うこと」と定義していたのに、同書の別の箇所では「
「自己と一致して、つねに首尾
一貫して考えよ(Jederzeit mit sich einstimmig denken)
」という命令を「考える人間の
部類にとっての変更不可能な戒め」としてみなされるべき格律の一つにしてしまう
のである」とアーレントは残念そうに述べている(LM 186-187)
。
カントは『人間学』より 10 年あまり前に出版した『人倫の形而上学の基礎づけ』
において
「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ」
という定言的命法を唱えている。それについてアーレントは、カントは「自己と矛
盾してはならない」と考え、定言的命法でそのように述べているのだと指摘してい
る(LM 188)
。
『人倫の形而上学の基礎づけ』でのカントは、ソクラテスとおなじく
「自己と矛盾してはならない」考えていた。つまりカントは、
「私」と「自己」との
間に差異があることを認めていたのだった。そののちカントは、
『人間学』において
も思考を「自己と語り合うことと」定義していたのだが、同書の別の箇所では反対
に、
「自己と一致して、つねに首尾一貫して考えよ」と書いていた。このように、
「自
己と矛盾してはならない」という命令は、
「自己と一致して、つねに首尾一貫して考
えよ」という命令に転化しやすいと言える。
カントのこの「変節」について、アーレントが問題だととらえているように、た
しかに上のふたつの命令には隔たりがあるように見える。すなわち、前者では〈自
己との対話〉が行われるが、後者では「私」と「自己」との間に差異がないため〈自
己との対話〉が行われない。しかし、後者の命令にも、
「私」と「自己」との差異が
暗示されており、それゆえ「自己と一致」せよと命令するのである。
『精神の生』は未完であり、このようにあまり推敲されていない。そのために、
アリストテレスやカントの著述から、
〈自己との対話〉についての両者の考えをとり
だして理解し、何とか自分の構想する〈自己との対話〉概念に使えないかどうか試
行錯誤しているアーレントの姿が、逆に見てとれるのである。
14
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
179
(4)
『全体主義の起源』の中の〈自己との対話〉
本論 2.-(2)の冒頭で引用した『精神の生』からの一節に見られるように、アーレ
ントの〈自己との対話〉概念の特徴は、現象界からの呼びかけにより、思考過程に
あった「
〈一者の中の二者〉が一者となる」ということである。ソクラテスから続い
てきた〈自己との対話〉にアーレントが付け加えたこの考えは、20 年あまり前に書
かれた『全体主義の起源』において、すでに展開されている。
換言すれば、孤独(solitude / Einsamkeit)において私は「ひとりで」ある、すなわち
自己とともにある。それゆえ〈一者の中の二者〉であるが、一方、孤立(loneliness /
Verlassenheit)において私は実際に一者であり、他のすべてのものから見捨てられて
いるのだ。厳密に言えば、すべての思考は孤独のうちになされ、私と自己との対話
である。しかしこの〈一者の中の二者〉の対話は、私の同胞たちの世界との接触を
失うことはない。なぜなら彼らは、私が思考の対話をおこなう相手である、私の自
己に代表されているからである。孤独について問題は、この〈一者の中の二者〉ふ
たたび一者―他のものと決して混同されることのない不変の一者―となるため
には他者を必要とするということだ。私が自分のアイデンティティを確立しようと
すれば、全面的に他の人々に頼らねばならない。そして友情というものが孤独な人々
にとって最大の救いであるのは、この友情が彼らの分裂を解消させ、彼らを思考の
対話―この対話の中では人間はつねに両義的なままだが―から救い出し、彼ら
をふたたび「統一体」にするからである。そしてこの友情のおかげで、取り替えら
れないひとりの、ただひとつの声で彼らに語れるようなアイデンティティが回復す
るのだ(OT 476)
。
『精神の生』の中でアーレントは、思考する〈一者の中の二者〉がふたたび一者
になるために、自分の名前を呼ばれなければならないと書いていたが、名前を呼び
かける人について言及していなかった。上に引いた『全体主義』のこの一節には、
名前を呼びかける人は、呼びかけられた思考する人の「同胞」であり、二人の間に
「友情」があると書かれている。友情のおかげで、思考する人は、見捨てられるこ
となく名前を呼ばれ、思考過程において〈一者の中の二者〉であったのが、ふたた
び「統一体」にもどれるのである。
〈自己との対話〉の中では「人間はつねに両義的
なままだ」というのは、おそらく「私」と「自己」との間に差異があるからだろう。
〈自己との対話〉が続く限り、
「私」と「自己」は一致しない。ゆえに「両義的」で
ある。
『全体主義』においてアーレントは、全体主義の本質を理解しようと試みている。
アーレントによると、全体主義的支配の根底にあると考えられているのが見捨てら
れていること(Verlassenheit)
、すなわち、上の引用文の「loneliness(孤立)
」の経験
15
180
橋爪 由紀
である。ただし、この孤立状態が始めにあって全体主義的支配が行われるようにな
ったとアーレントは言っているわけでも、後者が原因で前者が結果というのでもな
い。イデオロギーの必然的・強制的演繹と孤立の結びつきは、
「全体主義的支配機構
によってはじめて発見され、その目的のために利用された」17のだと言う。つまり、
知らぬ間に全体主義運動がおこっていて、それを分析してみると、運動の構成員の
基本的経験が孤立であり、支配者側が運動を持続させるために構成員の孤立を助長
させていたということが結果として明らかになったということである。
1.-(3)で見たように、アーレントは 1933 年にドイツから離れるまえ、自分の周囲
にいる知識人たちがつぎつぎにナチスへ同一化するありさまを目の当たりにし、孤
立感にとらわれた。孤立の経験が思考活動にどれほど影響をおよぼすか、アーレン
トは理解していたのである。
(5)孤独における〈自己との対話〉
孤立と孤独は、意味が類似した言葉として一般に理解されているが、アーレント
はこれらの概念を明確に区別している。上の引用文にあるように、孤独の状態にお
いて「
〈一者の中の二者〉の対話」が行われる。
「一方、孤立(loneliness / Verlassenheit)
において私は実際に一者であり、他のすべてのものから見捨てられているのだ」
(OT
476)
。つまり、孤立の状態においては一者であるため、思考は行われていないとい
うことになる。このような明らかな相違点があるものの、両者は互いに転化する可
能性があるとアーレントはつぎのように説明する。
「すべて孤独(Einsamkeit)というものには Verlassenheit(孤立)に転化する危険
があり、同様にすべての Verlassenheit には孤独になる可能性があるにもかかわらず、
Verlassenheit と孤独 Einsamkeit は同じものではない」18。そうであるならば、孤立状
態にある者が全体主義運動に奔らされないためには、孤独にならなければならない
ということになる。孤立から孤独に転化する可能性はあり、逆に孤独から孤立へと
転化する危険もあるから孤独を持続しなければいけない。本論 2.-(4)の引用文に見
られるように、孤独にあるのは、思考している人である。すなわち、全体主義運動
に奔らされないのは、
〈自己と対話する人〉なのである。
17
18
Arendt, H., Elemente und Ursprünge totaler Herrschaft, S.976.
Ibidem.,S.976-977.
16
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
181
loneliness の危険性について、さらにアーレントは、
「人間の精神の能力で、確実
に機能するために自己も他者も世界も必要とせず、経験にも思考にも依存しない唯
一のものは、自明性を前提とする論理的推論の能力」
(OT 477)
、すなわち演繹する
能力だと指摘する。アーレントは、
「lonely な人間は「いつも次から次へと演繹をお
こない、すべてを最も悪く考える」
」というルターの言葉を援用して、全体主義の極
端主義は、この「すべてを最も悪く考える演繹の過程にほかならない」と述べる(OT
477)
。loneliness における演繹は、アーレントにとって思考とは言えないのである。
(6)アーレントの〈自己との対話〉概念についてのまとめ
『精神の生』第 1 部「思考」のもとになった原稿は 1973 年に書きあげられてい
る。その 22 年前に刊行された『全体主義』の終結部においてもアーレントは、彼女
の思想にとって重要な概念である「孤立(loneliness / Verlassenheit)
)
」を除けば、
〈自
己との対話〉についての構想に関するかぎり、
『精神の生』の中で述べている内容と
おおむね同じことを論じている。すなわち、
〈一者の中の二者〉の様態で自己と対話
していた人は、現象界の他者からの呼びかけによって、現象界に一者として存在す
ることを認識すると同時に、呼びかけられるまで思考過程において自己と対話して
いたことを知るのである。
ここまで〈自己との対話〉についてのアーレントの記述を、
『精神の生』から『全
体主義』へとさかのぼって見てきた。結局のところ、アリストテレスもカントも、
ソクラテスがとらえたように思考を内なる対話だととらえたのは事実であり、思考
についてのこのとらえ方は、ソクラテスにはじまってアーレントまでは継承されて
いると言えよう。だが、ソクラテスをはじめ過去の偉大な哲学者たちからアーレン
トを際立たせているのが、本論 2.-(2)の冒頭に引いた一節に見られる、
〈自己との
対話〉概念にくわえられたアーレント独自の考えである。アーレントによると、思
考過程で対話する二者が一者であると気づくのは現象界からの呼びかけがあってこ
そである。自己と対話する人は、呼びかけによって、その声の持ち主とは異なる人
間である自分を認識すると同時に、呼びかけられる直前まで、呼びかけた人が存在
する場である現象界とは異なるところである思考過程において、自己と対話してい
たということに気づくのである。
ところで、なぜアーレントは〈自己との対話〉を追究しつづけるのだろうか。そ
の直接的契機は、本論 2.-(4)と(5)で見たように、反ユダヤ主義や全体主義などにつ
17
182
橋爪 由紀
いて研究した成果が『全体主義』にまとめられるなかで、全体主義的傾向からまぬ
かれるための思想への切望がアーレントのなかに生じたのだろうと推察される。そ
して、やはり、
〈自己との対話〉とは何なのかということについてアーレントは理解
したかったのである。本論 2.-(1)の冒頭で引用したように、アーレントは『人間の
条件』で「プラトンは明らかに、私と自己(eme emautō)との対話に思考の本質を
見ていた」
(HC 76)と記し、
『精神の生』でも「この一者の中の二者をソクラテス
は思考の本質として発見し、それをプラトンは、私と自己(eme emautō)との無言
の対話、と概念的言語に翻訳したのだ」
(LM 185)と記していた。アーレントは〈自
己との対話〉をソクラテスもプラトンも思考の本質だと見ていたと解釈し、そこか
ら議論を展開していた。つまり〈自己との対話〉は思考の本質であるということを
アーレントは是としていたのである。そしてずっと〈自己との対話〉とは何なのか
思索しそれを書きとめた。思索への没頭がそのまま叙述されているのが『精神の生』
だが、結論をえられないままだった。
アーレントの著作の〈自己との対話〉に焦点をあててみると、アーレントの生は、
思考とは何なのかについて思考しつづけた観想的生だと言える。もちろん、政治と
は何なのか、どうあるべきかということについてもアーレントは思索しつづけ、活
動的生が主題である『人間の条件』をはじめ、政治について多数執筆している。
そうすると、アーレントが構想した〈自己との対話〉は、こう言っていいだろう。
最大の幸福へ至る観想的生を追求して、精神の中で〈自己との対話〉を行っていた
人が、現象界からの他者の呼びかけによって、活動的生を理想とする現象界に移る
と。
〈自己との対話〉の開始によって、思考する人には観想的生につながる可能性が
開かれ、
〈自己との対話〉の過程において、現象界の他者からの呼びかけによって対
話が中断すると同時に、活動的生の扉が開かれる。
〈自己との対話〉はちょうど蝶番
のように位置づけられて、対話の開始時には観想的生の扉が開かれ、終了時にはそ
の扉が閉じられると同時に、活動的生の扉が開かれる。そのようにアーレントは構
想したと言えるだろう。そしてこの構想は、アーレントの好きなソクラテスが立て
た命題「テオリアとプラクシスの一致」の体系化19を目指したことから生まれたも
19
アリストテレス研究者の今道友信は、著作『アリストテレス』の中で、ヘレニズムの哲学者た
ちのもたらした「著しい哲学的進歩」
、すなわち「存在の根拠への実存的近迫であり、実存の根
拠への存在論的接近とでも言うか、主観的確信と客観的真理との接点を求める合理的体系的思索
の新しい形態を樹立したこと」
(今道友信、
『アリストテレス』
、講談社学術文庫、2010 年、440-441
18
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
183
のではないだろうか。
思考について考究し、思考とは〈自己との対話〉であるとアーレントがはじめて
論じたのは、
『全体主義』においてである。この〈自己との対話〉概念について、ア
ーレントはどのような経緯で考えるようになったのだろうか。
本論 1.-(1)と(3)で見たように、1930 年ごろアーレントは『ラーエル』執筆に
着手し、執筆途中の 1933 年にナチスの政権掌握によってドイツから離れ、パリへ亡
命する。1938 年にパリで完成させた『ラーエル』で、アーレントは、反ユダヤ主義
によって差別され孤立したユダヤ人女性ラーエルを書いている。おなじユダヤ人女
性であるアーレント自身も、ナチスへ同一化した周囲から孤立し、身の危険からド
イツを離れざるをえなかった。アーレントは、ラーエルの書簡集に見られるラーエ
ルの孤立に自分の孤立をかさね、反ユダヤ主義やナチズムについての思索をとおし
て、同一化からまぬかれるための思想について思索した。その一端が『ラーエル』
に記されている。その思索の一端が、
『ラーエル』での「反省」概念についての議論
に見られるのである。つぎに『ラーエル』の「反省」概念に焦点をあてたい。
3.
『ラーエル・ファルンハーゲン』と「反省」概念
『ラーエル』第 1 章においてアーレントは、
〈自己との対話〉とすこし類似した
言葉である「自己思考(Selbstdenken / self-thinking)
」について、つぎのよう言及し
ている。
「自己思考は、人を対象とそのリアリティから解放し、思考できるかぎりの
空間と、知識と経験がなくとも理性をもった者ならだれでも到達可能な世界をつく
りだす」
(RV 23)
。この「自己思考」に対比して批判的に論じられているのが「反省
(Reflexion / reflection)」である。
博士論文を完成しつつあるアーレントのつぎの研究テーマが、啓蒙主義時代のベ
ルリンにおいてさまざまな著名な人々が集い交流したサロンの主宰者であったラー
エルに定まるまで、アーレントはドイツ・ロマン主義に関心をもっていた。そして、
ドイツ・ロマン主義の文化を先導した、詩人で批評家のシュレーゲルはラーエルの
サロンの常客だった。シュレーゲルの芸術論の重要な概念である「反省」について、
頁。
)について述べている。このことを今道は、
「ソクラテスの命題「テオリアとプラクシスの一
致」
」の体系的企てだと言い換えて、プラトンやアリストテレスでも企てられなかったこの体系
的企てをヘレニズムの哲学者たちが試みたことを高く評価している(同書、441 頁)
。
19
184
橋爪 由紀
アーレントは『ラーエル』で批判的に論じている。このシュレーゲルの「反省」に
ラーエルが影響を受けたとアーレントは見ているのだが、アーレント自身も「反省」
に強く関心をもつ。本論の 3.では、アーレントの研究テーマをドイツ・ロマン主義
からラーエルへと向かわせた「反省」概念に焦点を当て、アーレントと同じく「反
省」に注目するベンヤミンの「反省」理解とアーレントのそれとを比較して、それ
ぞれの特徴をとりだしたい。
(1)ドイツ・ロマン主義への関心
『ラーエル』の副題は「ドイツ・ロマン派のあるユダヤ女性の伝記」である。1790
年代、ラーエルがベルリンで開いたサロンには、シュレーゲルや政治家で言語学者
のカール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、地理学者でカールの弟アレクサン
ダー・フォン・フンボルト、ルイ・フェルディナンド王子と愛人パウリーネ・ヴィ
ーゼル、そして作家や女優などさまざまな人々が集い交流して、彼らはドイツ・ロ
マン主義時代の文化を先導した。
ヤング=ブルーエルによると、アーレントが 1927 年に交際していたベンノ・ゲ
オルク・レオポルト・フォン・ヴィーゼ・ウント・カイザーヴァルダウは、シュレ
ーゲルについて研究していた20。アーレントは「ベンノ・フォン・ヴィーゼや彼の
友人たちの仲間に加わり、またグンドルフの講義に出席することで、ドイツ・ロマ
ン主義との結びつきを強め、18 世紀の変わり目にドイツ・ロマン主義者たちが集ま
ったユダヤ人のサロンに対する関心や知識を深めた。彼女は、博士論文を終えたと
き、ドイツ・ロマン主義に関する大がかりな研究論文を書くことを考えた。
〔…〕
ついにはラーエル・ファルンハーゲンのベルリンのサロンに特別な興味をもつこと
になった」21。ドイツ・ロマン主義に強い関心を抱いていた人びとのなかに、のち
にアーレントが亡命地パリでギュンター・シュテルンとともに交際することになる
ベンヤミンがいた22。アーレントもベンヤミンも、ドイツ・ロマン派のとりわけシ
20
Young-Bruehl, Hannah Arendt, p.67. ベンノ・フォン・ヴィーゼ(1903-1987)はドイツ文学者。
ヤスパースのもとで学位取得。
21
Ibid. , p.68. フリードリッヒ・グンドルフ(本名 Friedrich Gundelfinger)はドイツの文学史家。
哲学的文芸学の代表者(1880-1931)
。
22
ベンヤミンは、アーレントの最初の夫であるギュンター・シュテルンの遠い親戚にあたる。
アーレントとシュテルンはパリに亡命後、その地で暮らしていたベンヤミンと交際する
(Young-Bruehl, Hannah Arendt, p.116)
。
20
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
185
ュレーゲルの「反省」概念に注目する。
(2)シュレーゲルの芸術論についてのベンヤミンの解釈
アーレントがドイツ・ロマン主義に関心をもつ 10 年ほど前の 1919 年にベンヤミ
ンは、シュレーゲルの芸術論について考察した博士論文を書いた。ベンヤミンは、
シュレーゲルやノヴァーリスなどのロマン派の人たちが「思惟の反省的な本性のう
ちに思惟の直観的な性格が保証されているのを目撃した」23ことに着目する。そこ
でベンヤミンは、博士論文「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」におい
て、芸術批評そのものがひとつの認識であり、それを成立させる根本的な要素が「反
省」の概念であるとして、シュレーゲルやノヴァーリスの諸著作から多数引用して
ドイツ・ロマン主義における芸術批評を析出して解説する。
ベンヤミンによると、ドイツ・ロマン派の人たちにとって「反省」とは、思惟が
思惟していること自体を思惟することで、それは第一次の思惟であり、その思惟の
作用は第二次、第三次と無限に続き、
「この思惟の思惟は、それが第一次の思惟にそ
の根源をもつという直接性にもとづいて、思惟の認識作用と同一視される。それは
初期ロマン派にとって、あらゆる直観的認識の根本形式をなすものであり、かくし
て方法としての威厳を保持している。それは思惟の認識作用として、それ以外の低
次の認識をかくのごとくみずからのもとに包括し、かくして体系を形成するのであ
「反省」は、対象の直接的認識を根拠にしている。それゆえ思惟が、対象を
る」24。
思惟したことを思惟し、直前の、対象を思惟したことを思惟したことをさらに思惟
し、と幾重にも思惟を重ねていっても、対象の直接的認識は在りつづけることにな
る。したがって、個々人の直接的認識が限界を突破して無限にいたるということを
シュレーゲルやノヴァーリスが体系化しようと試みたことを、ここでベンヤミンは
解説しているのである。
このことを端的にベンヤミンが述べているのが、つぎの一節である。
「ロマン主義
がその認識論を反省概念のうえに根拠づけたのは、この概念がたんに認識の直接性
というものを保証しただけでなく、さらにまた認識過程のもつ独自な無限性という
23
ヴァルター・ベンヤミン、大峯顕、高木久雄訳、
「ドイツ・ロマン主義」
『ヴァルター・ベン
ヤミン著作集 4』
、晶文社、1981 年、20 頁。
24
同上書、30-31 頁。
21
186
橋爪 由紀
ものを保証したからでもあった」25。ベンヤミンは、認識とその対象の在りようが
合致することを保証するという難問を超えようと、
「認識の直接性」を保証しながら
も、無限が生じるものとしてドイツ・ロマン主義の「反省」概念に注目して、博士
論文の主題としたのだ。
ベンヤミンによると、
「ロマン派の人たちにとって、批評は作品の判定であるより
もむしろ作品を完成する方法」26である。すなわち、彼らのいう芸術批評において、
「ある形成物を批評的に認識することはいずれも、その形成物のなかでの「反省」
であって、その形成物のより高次な、自発的に発現した意識段階にほかならない。
批評におけるこのような意識高揚は、原理的にいって無限であり、したがって批評
とは、そこにおいて個々の作品の限局性が方法的に芸術の無限性に関連し、ついに
はその無限性のなかへ移されてゆく媒質である」27。ベンヤミンは、シュレーゲル
の評論「ゲーテの『マイスター』について」には批評の自己反省と自己認識につい
てのシュレーゲル自身の理論が実践されていると述べている。ベンヤミン自身もこ
の博士論文「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」においてシュレーゲル
の評論を批評しているのであるから、シュレーゲルの理論を実践していることにな
ろう。すなわち、シュレーゲルの評論「ゲーテの『マイスター』について」のなか
に隠された真理をとらまえようとするベンヤミンの意識は、形成を終えた完成作品
であるシュレーゲルの評論を批評することによって、いわば破壊する。破壊によっ
て評論「ゲーテの『マイスター』について」は形成物という閉じられた存在でなく
なり、無限に開かれた形成途上の作品となる。
本論 1.-(1)でも言及したが、啓蒙思想は、宗教的権威に対して人間の合理的思惟
の自律を唱えて、旧制度の慣習や制度などの社会的枠組みを合理的なものに転換す
ることを推し進めた。
それによって啓蒙思想は、
たしかに宗教的権威の呪縛から人々
を解放させたが、
合理性を重視することによってかえって自我に制約をもたらした。
自我の解放を目指してシュレーゲルをはじめとするロマン派の詩人たちが行った芸
術批評は、
「反省」という具体的な知的作用によって、思惟それ自体の思惟である観
「反省」によって、彼らは芸術作品の中で無限を見ることが
想を目指したものだ28。
25
26
27
28
同上書、31 頁。
同上書、80 頁。
同上書、78 頁。
アリストテレス、出 隆訳、
『形而上学(下)
』
、岩波文庫、2011 年、153、162-163 頁。アリス
22
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
187
できたのかもしれない。彼らの芸術批評に着目したベンヤミンも、
「反省」に観想の
可能性を見出した。
『ラーエル』における「反省」批判
(3)
ラーエルを研究テーマに決めたアーレントが、ベンヤミンの博士論文「ドイツ・
ロマン主義における芸術批評の概念」を読んでいたかどうかは明らかでない。しか
しながらシュレーゲルの作品については、評論「ゲーテの『マイスター』について」
が掲載されている雑誌『アテネーウム』
(1798 年)や小説『ルツィンデ』が、
『ラー
エル』に付せられた参考文献目録に当然ながら挙げられている。
『ラーエル』本文中
にも、
『ルツィンデ』や評論などから多数引用されてシュレーゲルの芸術論の根本要
素である「反省」概念と「反省」をとおして書かれた作品が批判されている。アー
レントは、シュレーゲルの小説『ルツィンデ』は「反省」をとおして書かれたもの
だとして、つぎのように批判している。
この小説のなかでは、ただある種の気分が描写されているだけで、現実の出来事は
なにひとつ描かれない。いずれの場面も文脈から切り離されて反省がなされ、とく
べつに興味をそそる出来事に仕立てあげられるのだ。まったくつながりがないまま、
主人公の人生は「たがいに関連のない断片の集積」
(シュレーゲル)となる。これら
の断片のひとつひとつは、無限の反省のなかで極度に密度をたかめていくから、つ
いにはロマン主義的意味での一篇の断章となり、
「周囲の世界から完全に隔離され、
ハリネズミのように完成された、ひとつの小さな芸術作品」
(シュレーゲル)となる
(RV 35)
。
小説『ルツィンデ』の問題点は、まさに「反省」によるとアーレントは考えてい
る。文脈がつながらないのは、場面ごとに行われる「反省」のせいであり、その「反
省」が重ねられることによってひとつの場面が濃密となって、ますます断片化が進
む。そうして、小説『ルツィンデ』の主人公の人生は、
「周囲の世界から完全に分離」
されるのである。
これが小説の世界に限るのであれば問題はないだろう。しかしラーエルは実生活
で「反省」を行い、外界で起こった事実を嘘によって取り消すようになった。
「反省」
トテレスによると、神の思惟は「思惟の思惟である」
(307 頁、訳注(20)
)
。
「その思惟は思惟の
思惟」という句は、
「新プラトン派のプロティノスからヘーゲルにおよぶ客観的観念論哲学の根
本命題とも言えよう」という訳注が付されている(317 頁、訳注(8)
)
。
23
188
橋爪 由紀
へのラーエルの傾倒ぶりを、アーレントはラーエルの手紙を引用して描いている
(RV 25)
。もし、身近に「反省」嗜癖症の者がいて、外界と交わろうとせず、事実
を事実として認めないようであれば困るだろう。そういう者が少数者でないとした
ら社会は機能しなくなる。アーレントは『ラーエル』第 1 章で「反省」の問題点を
つぎのように指摘している。
反省は、現実に存在する事態を気分のなかで無に帰せしめるが、それと同時に反省
は、すべての主観的なるものを、客観性や公共性のもつ厳粛な雰囲気と極度の興味
深さで取り巻く。気分のなかで私的なものと公的なものとの境界がぼやける。すな
わち私的なものは公にされ、公的なものは、ただ私的な間柄でのみ、結局はうわさ
話のなかで経験できて語れるものとなる(RV 35)
。
「反省」は精神の中で行われ、無限に至ることが目指されるために幾重にも重ね
られる。そうなると「現実に存在する事態」も、現実なのか虚構なのか区別がつか
なくなり、
「私的なものと公的なものとの境界がぼやける」だろうと想像がつく。
ベンヤミンは芸術批評における「反省」が、観想につうじる可能性を見ただろう
が、現実世界の中で「反省」がいかなる作用を及ぼすのかということについては想
定しなかった。では逆にアーレントは、観想につうじる可能性を「反省」に見出さ
なかったのだろうか。そもそもアーレントは「反省」をどのように理解していたの
だろうか。
「反省」と「自己思考」
(4)
「反省」は、
『ラーエル』第 1 章の中心的な問題であり、第 2・3 章でも数回ほど
言及されている。第 1 章で示された「反省」の定義と特徴を以下に引用する。
思考が思考それ自体に跳ね返り、みずからの心のみを唯一の対象とすれば、思考は
反省 Reflexion となる。もっともそうなると思考は、理性的であるかぎりだが、世界
からすっかり孤立し、世界に無関心になり、唯一の「関心ある」対象である、自分
の内面を庇護することによって無限の力である仮像をつかみとる。反省によって達
成された孤立のなかでは、思考はもはや外部に邪魔されることはないから、無制約
となる(RV 24)
。
「思考が思考それ自体に跳ね返り、みずからの心のみを唯一の対象とすれば、思
考は反省 Reflexion となる」
。思考の対象を「みずからの心のみ」と規定したこの定
24
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
189
義は、ベンヤミンが「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」で主題とした
「反省」概念とは異なる。ベンヤミンがシュレーゲルの芸術批評に見た「反省」は、
たとえ思惟行為の初発が芸術批評であったとしても、幾重にも思惟が重ねられ、観
想を目指すであろう思惟の思惟なのだから、思惟の対象は思惟であろう。そうであ
るなら、アーレントとベンヤミンが考える「反省」は同じものではない。
そのことをアーレントも承知しているのだろうか、原文で「反省」は Reflexion と
イタリック体で表記されている。そのためか、
『ラーエル』の日本語版で訳者の大島
、、
かおりは、Reflexion を「反省」と訳さず、
「内省」と訳して傍点をつけている。
Reflexion は一義的には物理学用語としての(光・熱などの)
「反射」
、もしくは一
般的な「反射、反映」という意味をもち、二義的に「反省、沈思、熟考」などの意
味をもつ。一方、
「内省」に相応するのは、ドイツ語では Selbstreflexion である。
「内
省」もしくは「内観」と訳されるこの心理学用語は、自分の意識体験を自ら観察す
ることを意味する。このことと上の引用文の「Reflexion」についてのアーレントの
定義を照らし合わせて大島は「内省」という訳をつけたのかもしれない29。
では、
『ラーエル』での Reflexion「反省」の意味内容が Selbstreflexion「内省」に
適合するのであれば、なぜアーレントは Selbstreflexion とせずに Reflexion としたの
だろうか。
結 「反省」から〈自己との対話〉へ
『ラーエル』の中でシュレーゲルと彼の小説をきびしく批判し、
「反省」に魅せ
られたラーエルも同様に批判しているアーレントは、ロマン派の芸術批評における
「反省」概念をもちろん知っていた。だからこそ批判するのである。ではなぜ、
「思
29
未來社版『ラーエル』の訳者寺島俊穂も
.. Reflexion を「内省」と訳している。また『ラーエル』
の英語版の訳者は、大島のように「内省 Reflexion」と傍点をつけてイタリック体の原語を添えた
りすることなく、そのまま「内省」という意味の”introspection”と訳している(Arendt, H., The Life
of a Jewish Woman, p.90.)
。またヤング=ブルーエルは『アーレント伝』の中で『ラーエル』につ
いて叙述していて、同書で”Reflexion”を”introspection”と表現している(Young-Bruehl, Hannah
Arendt, pp.87- 90.)
。
『ラーエル』は 1938 年に書き上げられ、1958 年にはじめて出版されたのは英
訳版で、原著ドイツ語版はその翌年に出された。ドイツ語版の序文にも”Reflexion”が 3 箇所記さ
れているがイタリック体ではない。大島はいずれも「自己省察」と訳しているが、英訳者
は”introspection”と”reflection”(ibidm., pp.81-82)とを使い分けている。やはり本文の”Reflexion”
は、ドイツ・ロマン主義芸術批評の用語として用いられたのだと考えられる。
25
190
橋爪 由紀
考が思考それ自体に跳ね返り、みずからの心のみを唯一の対象とすれば、思考は反
省 Reflexion となる」というように「反省」を定義したのだろうか。これでは邦訳、
英訳の訳者たちが「内省」のことだととらえざるをえないではないか。
アーレントは、シュレーゲルたちがおそらく観想を目指して芸術批評で行った
「反省」は「内省」にすぎないのだと指摘したかったにちがいない。というのは、
本論 3.の冒頭で引用した一節にもあるように、
『ラーエル』第 1 章においてアーレン
トは、
「反省」に「自己思考(Selbstdenken)
」という言葉を対置しているからである。
ふたたびその一節を引用してみよう。
「自己思考は、人を対象とそのリアリティから解放し、思考できるかぎりの空間
と、知識と経験がなくとも理性をもった者ならだれでも到達可能な世界をつくりだ
す」
(RV 23)とある。アーレントによると、
「自己思考」と「反省」はともに「考え
る」という意味をもつが、両者の違いは思考の対象にある。前者において思考が思
考する「対象とそのリアリティから解放」されているのに対して、後者においては
思考が思考する対象は「みずからの心のみ」である(RV 23-24)
。
「自己思考」は、
アーレントがネガティブにとらえる「反省」と対比されていると言う点で、ポジテ
ィブなものであり、これは観想に似た概念である。この「自己思考」は、シュレー
ゲルが考えベンヤミンがそれを評価した本来の「反省」概念に似ている。
観想への道は困難な道である。それゆえ思惟の思惟を目指しても、いつのまにか
みずからの心が対象となって、とぐろのようにぐるぐる思いめぐらせてしまうので
ある。圧倒的多数者がそうであるにもかかわらず、シュレーゲルを中心にしたロマ
ン派の人たちによって「反省」は、
「私的なものと公的なものの境界」を突破する無
限な力をもつものとして概念規定されたのである。このことに対してアーレントは
危惧をいだいた。それだけでなく、
「反省」と「自己思考」とは対置されてはいるも
のの、どちらにおいても「現実は締め出されてしまう」
(RV 36)という危惧をもア
ーレントはいだいていたのだった。
これらのことからアーレントが考える、あるべき思考についてまとめると、つぎ
のようになる。まず、思考は対象から解放されるべきであって、みずからの心を対
象としないこと。というのは、みずからの心が思考の対象となれば、私的なものと
公的なものとの境界がぼやけるからだ。そのためにも思考は現実から切り離される
べきでない。つまり、アーレントが是とするのは、対象から解放される観想をめざ
し、なおかつ現実とつながる思考である。
26
アーレントの〈自己との対話〉と『ラーエル・ファルンハーゲン』の「反省」概念について
191
『ラーエル』には〈自己との対話〉という言葉はまだ現れていない。しかし、
「自
己思考」もしくは観想、および現実世界というアーレントが重要と考える思考の要
素によって、思考についてのアーレントの構想の輪郭はほぼ見えている。ここに〈自
己との対話〉がはまれば、一気に全体の構図が見えてくる。
さいごに本論の課題を確認しよう。ここまで見たように、
『ラーエル』で「反省」
概念に対置された、
「観想」に類似した概念である「自己思考」は、
『ラーエル』の
つぎの著作である『全体主義』の末尾において、全体主義的傾向からまぬかれるた
めの思想として提示された〈自己との対話〉概念の萌芽だと考えられる。この〈自
己との対話〉概念は、
「反省」のポジティブな側面である観想的生と、
「反省」のネ
ガティブな側面を補足するために、
他者との関係性が付加された活動的生の二つが、
両極として相関する、そのあいだの蝶番の位置にあるものとして構想されたという
ことが考えられるのである。
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宮内寿子訳 晶文社
On the concepts of ‘dialogue between me and myself’ in
Arendt’s works and of ‘Reflexion’ in Arend’s Rahel
Varnhagen
HASHIZUME Yuki
Hannah Arendt’s main works discuss the ‘dialogue between me and myself’ that
Socrates discovered as the essence of thought and Plato translated into conceptual language.
In this paper, the author first examines the concept of this language that was used by Arendt
as a hinge in conception between ‘praxis’ and ‘theōria’. Second, the author presents a
hypothesis on the language, wchich appeared in Rahel Varnhagen in a discussion about
‘Reflexion’ as a romantic term.
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橋爪 由紀
On the concepts of the ‘dialogue between me and myself’
in Arendt’s works and of ‘Reflexion’ in Arendt’s Rahel
Varnhagen
HASHIZUME Yuki
Hannah Arendt’s main works discuss the ‘dialogue between me and myself’ that
Socrates discovered as the essence of thought and Plato translated into conceptual language.
In this paper, the author first examines the concept of this language that was used by Arendt
as a hinge in conception between ‘praxis’ and ‘theōria’. Second, the author presents a
hypothesis on the origin of the language, which appeared in Rahel Varnhagen in a discussion
about ‘Reflexion’ as a romantic term.
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