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若者論再考 ~「いまどきのヤツは」を超えて
Japan Marketing Academy ★ 論文 若者論再考 ~「いまどきのヤツは」を超えて~ ❶ ❷ ❸ ❹ ❺ ❻ ❼ ❽ ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— はじめに 言説の検証 問いの立て直し 調査概要および分析の手順 ひとつめの問い 〜成長 / 進歩に代えて,若者はどこへ向かい何を望むのか? ふたつめの問い 〜消費への関心を低下させる若者は,それでも依然続く消費社会をどのように生きるのか? モデル化の試み おわりに 〜東日本大震災を経て 手塚 豊 る日本社会における新しい「しあわせの尺度」 ● 株式会社博報堂 研究開発局 についての大きな示唆が得られている。以下, 「時代論としての若者論」について,論じてい ❶ ——— はじめに きたい。 「若者が消費をしなくなった」と言われて久 ❷ ——— 言説の検証 しい。のみならず「今の若者は上昇志向がない からダメだ」と言われ,あげく「草食男子」と 1. ほんとうに「若者は消費していない」のか いう言葉からはあたかも若者が欲望自体を失っ はじめに,言説の検証をしておきたい。言わ てしまったかのような印象を受ける。本当にそ れるように若者はほんとうに消費していないの うなのだろうか。欲望の向く先が変わったとは か?じつはその通りである。ただしそれは今に 考えられないだろうか。 始まったことではない。家計調査年報における マーケッターが若者を否定してみても始まら 1980 〜 2010 年の消費支出額を年代別に見ると, ない。マーケティングとは,生活者の中に明日 20 代での支出額がつねに最も少なくかつ変動が への希望を見出し,それを承認することで市場 少ないことが分かる。つまり若者は「今も昔も を成立させる営みだからである。そこで,一切 他年代と較べ安定的に支出が少ない」のであり, の予見を排しフラットな目で彼 / 彼女らと向き 今の若者がかつてよりも消費しなくなったとは, 合ってみた。するとそこからは,まったく新し 少なくとも量的には言い難い。むしろ 40 代 ・50 い生活観と消費観が浮かび上がってきたのであ 代の方が「かつてよりも消費しなくなっている」 る。 のである。 (図− 1) 本稿で「LOTUS」と名づけたそのライフス タイルからは,いわゆる世代論としての若者論 2. 言説の出処はどこか を超えた,成長期から定常期へと移行しつつあ では,なぜ若者は「かつてよりも消費しなく ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 36 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 ■図——1 各年代別 1 ヵ月の消費支出 長期時系列推移(1980-2010) 出典:家計調査年報 3. なぜ若者は消費していないと言われてしまう なった」と言われるのだろうか。弊社ライブラ のか リー等を活用し主要メディアの記事・番組等を 探ったところ,確認しうる限りこの言説の初出 日経 MJ 調査からの報告は, 「消費への関心の は 2007 年 6 月に実施された日経 MJ「MJ 若者調 低下」であった。しかし若者は「消費をしなく 査」であることがわかった。この調査では若者 なった」と言われてしまう。理由は明白だろう。 の「クルマへの興味」 「お酒の飲用意向」など 消費社会において消費者としての特徴が見えな が以前の調査と較べ下がっていること,一方で いということは,消費していないに等しいのだ。 貯蓄への意向が上がっていること等が報告され 消費社会とは消費が自己実現の手段と化した社 ている。調査結果を掲載する同年 8 月の日経M 会である。したがって消費への消極的意向しか J記事には「巣ごもる 20 代」 「ミニマムライフ」 示さない彼 / 彼女らは,その社会の中で特定す といった見出しがつけられ,若者に異変が起き る手掛かりの得られない,いわば姿の見えない 。 ている,という認識が示されている( 図− 2) 存在となる。つまり「消費により自己実現する姿 この報道はすぐさま大前研一氏の個人ブログに が見えない=消費していない」ことになるのだ。 「若者の所有欲自体が減少しているという不思 実際には若者も生存のために日々旺盛な消費 議な現象」として取り上げられ,以後多くのメ を行っている。消費をしなければ生きていけな ディアがこの「異変」を取り上げるうちに,や いというのも消費社会の一面だからだ。そして がて「消費しない若者」との言説は定説と化し 消費以外に自己実現の手段を見出し始めている ていくのである。 (表− 1) のかも知れない。しかし大人たちはそこへ思い を巡らすことなく「消費への関心がない=消費 37 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 ■図——2 日経 MJ「MJ 若者意識調査」記事(2007 年 8 月 22 日) ■表——1 「若者は消費をしない」という論調の報道一覧 ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 38 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 していない」 と結論づけてしまう。大前氏が 「不 う認識があればこそであり,「最も新しい時代 思議な現象」と言うように,若者が消費に関心 =最も進んだ時代」を生き,「最も新しい商品 を示さないということは,これまでの消費社会 =最も進んだ商品」を進取する若者こそ「最も という常識からは解釈不能なことなのだ。 進んだ者」であることに疑いの余地はなかった。 かつての若者時代を「最も進んだ人類」との 4. あげく,なぜ若者は「ダメだ」とまで言わ 自覚とプライドを持って生きてきたいまの大人 れるのか たちは,その思いを託しさらなる成長と進歩を では,なぜ消費をしていないと「ダメ」なの 担ってもらうはずの若者たちに,見事に裏切ら か。それは長らく,消費が成長と進歩そのもの れたような気がしているのではないだろうか。 だ(った)からである。白黒テレビがカラーに 変わり,自家用車を手に入れ,パソコンを所有 ❸ ——— 問いの立て直し し,電話はモバイルになり…と,私たちの生活 は確かに消費と共に成長 ・ 進歩してきた観があ 1. 成長期のモノサシで定常期の若者を測って しまう,という誤り る。つまり消費への関心とは成長と進歩への意 欲であり,その関心を持ち合わせない若者とは ついに昨年,日本の人口は減少に転じた。経 すなわち,成長 ・ 進歩を志向しない「ダメ」な 済成長も長らく停滞し,私たちの社会と生活は ヤツなのだ。 稀有な成長と変化の時代を過ぎて,いま定常期 この観点における日経 MJ 調査最大のインパ すなわち諸指標が時間軸に対し平行に推移する クトは,調査結果で関心の低下が指摘されてい 時代を迎えようとしている。私たちの社会とり る「クルマ」 「酒」 「海外旅行」がいずれもかつ わけ消費社会は,今も変わらず成長と進歩を前 ての若者にとって代表的な成長 ・ 進歩の手段で 提として営まれている。しかしいまの若者たち あった,ということだ。これらへの関心を示さ は,消費社会の思惑をよそに,いち早く定常期 ない若者は,かつての若者=大人たちには「成 の新しい価値観を身につけ始めているのではな 長 ・ 進歩の意欲を失ってしまった,ただ草を食 いか。この成長期から定常期への移行時の齟齬 むだけの動物」のように映るのだろう。 が,いまの若者を見えないあるいはネガティブ そしてもうひとつ,このように若者を見てし な存在にしてしまっているのではないだろうか。 まう意識の背景には 「若者は最も進んでいる (べ また,もうひとつ確認しておくべき前提があ き) 」という近代の進歩主義的若者観があるこ る。それは,今の日本はきわめて高度な消費環 とを指摘しておきたい。長らく私たちの社会は 境で定常化している,ということだ。「いまの 成員の中で最も人生経験の浅い未熟な「若者」 若い子は右肩上がりの時代を知らず,不景気し を「最も進んだ者」と見做し,またその役割を か知らないから気の毒だ」という言い方がある 担わせてきた(定常期であれば「最も進んだ者」 が,これは「成長する勢いのある時代を知らな は人生経験豊富な老人であってもよいはずだ) 。 いから気の毒」という意味においてはその通り これは,人類は成長し進歩し続けている,とい かもしれないが,かつての若者と較べいまの若 39 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 者の生活水準が必ずしも低いというわけではな (1)インタビュー結果から若者に特徴的と思わ い。格差の拡大という問題が存在する一方で, れる 142 の「消費 ・ 生活行動」を抽出 彼 / 彼女らはかつては考えられなかったほどの (2)博報堂 20 代社員 15 名からなる分析チーム 多種多様な商品を実に手軽かつ安価に手に入れ がそれら消費行動を解釈し,230 の「消費 られるのだ。そのような消費環境を生まれ育つ ・ 生活意識仮説」を導出 (3)KJ 法などの手法を用い,若者の消費観 ・ 若者たちがかつての若者と同じものを消費に求 生活観を体系化 めると考えるのには,やはり無理があると言わ 以下,調査結果からの引用は『』で記すこと ざるを得ない。 とする。尚,紙面の都合上引用は必要最低限に 2. 定常期における新しい欲望の向く先とは? とどめさせて頂くことをご容赦願いたい。また, ~ 2 つの大きな問い かつての成長期を若者として過ごした 40 代~ ここで本稿において答を出すべき問いを整理 60 代あたりの人々のことを,若者との対比と しておきたい。それが「若者はなぜ消費をしな して便宜上「大人」と記すこととする。筆者も いのか」でないことはもう明らかだろう。ここ この「大人」に含まれることを付け加えておく。 では大きく 2 つの問いを立てたい。 ❺ ——— ひとつめの問い ~成長 / 進 (1)成長・進歩に代えて,若者はどこへ向かい 歩に代えて,若者はどこへ向 何を望むのか? かい何を望むのか? (2)消費への関心を低下させる若者は,それでも 依然続く消費社会をどのように生きるのか? 1. 成長 / 進歩への懐疑 以下,これらの問いへの答について 2010 年 に実施した定性調査結果に基づき考察し,定常 (1)『手に負えないことはしない』 化した時代における若者の新しい生活観と消費 はじめに,かつての若者たちの憧れの消費対 観について明らかにしていきたい。 象であった「クルマ・酒・海外旅行」について, なぜいまの若者たちは関心がないのか,から見 ❹ ——— 調査概要および分析の手順 ていこう。これはある対象者が実際に口にした 言葉だが,彼 / 彼女らに通底するのは,『手に 答 の 探 求 の た め に, 若 者 に 対 す る イ ン タ 負えないことはしない』という意識である。ど ビュー調査を実施した。概要および分析の手順 ういうことだろうか。彼 / 彼女らは言う。たと は以下の通りである。 えばクルマは,普通の市民がうっかり人を傷つ 1. 調査対象およびサンプル数 :18 ~ 25 歳の大学 けてしまいかねないほぼ唯一の道具であり,ま 生・社会人男女 82 名 た海外旅行は外国語を自在に操れない多くの日 2. 調査方法 : デプスインタビュー 本人にとって,旅先で不測の事態が生じたら「手 3. 調査時期 :2010 年 1 〜 3 月 に負えない」行動である。そして酒は,酩酊し 4. 分析の手順 てしまったら自分自身が文字通り「手に負えな ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 40 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 い」存在と化してしまう。 『 (大人たちが)吐く 失われてしまう』と言う。新しいものを得るよ まで飲む意味が分からない』と,彼 / 彼女らは ろこびよりも,「すでに得たものを失わないよ 口を揃える。 ろこび」の方が大きいのだ。『クルマを手に入 大人たちにとって,これは容易には理解しが れてしまうと,自転車で移動している時の楽し たい意識だろう。なぜならば大人は「リスクを さを失ってしまう』『電車の方が,季節の変化 犯して冒険を重ねることによってこそ,新しい を感じるなど移動する楽しさがある』というよ ものを手に入れ成長 / 進歩していくことができ うに,新しいものを得ることは代わりに何かを る」といういわば近代の「大きな物語」を生き 失うことであり,いま自分が獲得している楽し てきたからだ。クルマに乗ることでより遠くを さを,わざわざリスクを賭してまで失う必要は より自由に旅することができ,海外旅行での不 ない,と彼 / 彼女らは考えるのだ。 自由を克服し見聞を広めることで人生に冒険譚 この意識の背景には,未知 / 非日常の体験か を書き加え,酒席での失敗を重ねることで「酒 ら得られるものはもはやさほどなく,むしろ既 に飲まれない」大人になる。 「若いうちは少し 知 / 日常の中にこそ多くの発見がある,という くらいヤンチャした方がいいんだ」 「おれも若 価値観が存在する。『海外旅行に行って慌しく い頃はけっこう無茶したもんだ」というセリフ 観光するよりも,友達と思い立って近隣に出か は大人から若者へ向けられる常套句だが,これ けた方が,いろんな出会いや発見がある』と彼 らはまさに「冒険→成長→帰還」という物語を成 / 彼女らは言う。成長期においては常に新しい 功体験としてきたという自負によるものである。 もの / 未知のものに関心が向けられてきた。つ しかし,前述の通り高水準の消費環境の中で まり生活の中の変化の側面 ・ 増大していく部分 生まれ育ちそのまま定常化を迎えた彼 / 彼女ら が常に関心の対象であり,消費市場もひたすら には, もはやそれらの消費により解くべき謎も, そこを標的としてきた。しかし若者は「変わら 得るべき成長も存在しないのだ(たとえば近所 ないもの / 既知のもの」に目を向け,その中か のファミリーレストランに行けばわずか数百円 ら小さな変化を見出しそれを楽しみ大切に護ろ でエスカルゴが食べられるような環境で育った うとする。この感受性こそ,ひたすら変化を続 彼 / 彼女らは,はたしてフランス旅行を夢見る ける成長期にはあり得なかった,定常期におけ だろうか) 。したがって,彼 / 彼女らの意識は る新しい欲望の向く先を示唆するものとして注 自ずとそれらのネガティブな側面のみに向かう 目すべきであり,マーケティングの対象たり得 ことになる。 るものである。 2. 成長・進歩に代えて (2) 『失うものへの感受性』 若者の意識はそれらが持つ負の側面に向けら では,新しいもの / 未知のものに価値を見出 れるだけに止まらない。たとえばクルマについ さず「失うものへの感受性」を備える若者は, て, 彼/彼女らは 『クルマを手に入れてしまうと, いったい何に楽しみを見出しているのだろう クルマを持っていなかった時の生活の楽しさが か。ひとつの象徴的な答を紹介しよう。『中学 41 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 時代の同級生としょっちゅう会って,毎回同じ 去にしっかりと碇(アンカー)を下ろし,過去 昔話をして盛り上がっています』 。どうだろう, から今日までを途絶えることのない連続した時 大人には理解しがたいのではないか。いわく, 間として生きようとする若者の意識は,今日よ 同窓会というのはある程度の年齢になり過去を りも明日の方がよりよいことが約束され,未来 懐かしみたくなった頃に開くものであり,同じ のみに目を向けて生きてきた成長期の若者の意 昔話を何度もするというのは,それこそ老人の 識とは時間軸において文字通り 180 度異なるも 習性であり特権ではないか,と。 のである(図− 3)。よりよい未来が約束されな 大人である筆者も最初は同じように感じた。 い中,確定した過去に関心を向け価値を見出し しかし,彼 / 彼女らの話をくわしく聞いていく それを維持しようとするのは,若者にとってご と,そこに潜んでいる定常化した時代を楽しく く自然なことなのかもしれない。 生きるいくつかの知恵が現出してくるのだ。そ れは大きく次の 3 つにまとめられる。 (2)「一生モノ」へのストック そして過去に目を向ける彼 / 彼女らは,次の (1)過去へのアンカリング ように言う。『細マッチョを目指してからだを 彼 / 彼女らは,先ほどの発言のように昔の友 鍛えている』『高額のベッドを買った。からだ 人との付き合いを途絶えさすことをしない。 『少 に関わるものなので惜しくない』『家族への誕 年時代に遊んでいたケロロ軍曹やポケモンで今 生日プレゼントは欠かせない行事』『社会人に も遊んでいます(筆者注 : ポケモンは今もロン なってからも母と一緒に旅行に行く(筆者注 : グセラーを続けている) 』というように,過去 男子の発言)』『仕事が終わったらとにかく地元 から現在までを連続した時間として生きている の駅まで戻る。同じ吉野家でも地元の吉野家へ のだ。 また, 『中学校の先生をアポなしで訪ねた』 行く』…。ここで挙げられる「からだ ・ 家族 ・ 『自分のルーツ探しをしている』と言うように, 地元」,これらは彼 / 彼女らにとって決して価 過去に強い関心を持つと共に過去との接続を更 値が目減りすることなく,また生涯付き合って 新するような行動を示す。 いかねばならない,まぎれもない「一生モノ」 ここで「過去へのアンカリング」と呼ぶ,過 である。成長期ならばさしずめマンションやク ■図——3 過去へのアンカリング ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 42 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 ルマ・時計・アクセサリーといったものがストッ じて生きてきたかに気づかされ,むしろそちら クの対象だったろうが,いま若者はこれらに対 の方が特殊だったのではないか,とすら思わさ 象を変更し,せっせと蓄えを行っているのだ。 れる。 3. 若者たちの欲望の向く先 (3)日常の反芻 そして 3 つめは, 「日常の反芻」である。 『デ このように,若者の関心は「今日から未来」 ジカメで毎日たくさん写真を撮っている』 『会 ではなく「過去から今日」へと向けられ,過去 社の同僚と互いのブログを読むのが趣味』と言 にしっかりと碇を下ろして今日までの連続した うように,日常を継続的に記録し更新し確認す 時間を生き,自分にとって不変の確かなもの(か ることが彼 / 彼女らの「今日」という日をより らだ ・ 家族 ・ 地元)に価値を見出し,日常の小 確かなものにするのだ。また,一見さして変化 さな変化の中にこそ楽しみを見出す。まだ見ぬ のない日常であっても,記録し観察を続ければ 未来へと欲望を向け続けていたこれまでの成長 そこからさまざまなニュアンスの違いを発見で 期とはまったく異なる価値観がここにはある。 きることに彼 / 彼女らは気づいている。 『飼い これではモノが売れないはずだ,と結論づけ 犬のちょっとしたしぐさに毎日感動を新たにし るのは早計である。それは成長期を基調とした ている』 『毎日撮った写真を「花シリーズ」 「人 マーケティングに囚われているからである。実 シリーズ」などに編集すると,季節の変化や人 際に,すでにこの欲望を捉えた市場は数多く出 の変化に気づけて楽しい』と彼 / 彼女らは言う。 現し,着実に伸張してきていると筆者は見てい 冒頭の『毎回同じ話をして盛り上がる』という るが,そのケースについて論じることは本稿の 行為は,会うたびに過去と今日との接続を更新 紙面の制約が許さないため別の機会に譲り,先 すると共に,同じ話だからこそ毎回異なるリア へ進むこととする。 クションなどを楽しむことができるのだ。 ❻ ——— ふたつめの問い ~消費への どうだろうか。先ほどの中学時代の同級生と 関心を低下させる若者は,そ の話には,実はこのような定常期を楽しく生き れでも依然続く消費社会をど る知恵が隠されているとは考えられないだろう のように生きるのか? か。彼 / 彼女らを「上昇志向がない」 「自分の 殻に閉じこもっている」というのは簡単だが, 1. 若者から見た「消費社会」とは? 未来が必ずしも約束されない時代を生きる若者 次の問いへと進もう。そもそも若者は,消費 たちが, 「今日を楽しみ, かつ確かなものにする」 社会をどのように捉えているのだろうか。彼 / ことに価値を見出すことは至極当然のことに思 彼女らの話を総合すると,それは「企業が次々 える。彼 / 彼女らの話を聞いていると,かつて と自らに都合のよい消費者を作り出しては消費 の成長期を生きた若者たち=つまり我々 「大人」 する社会」ということになる。たとえば調査時 がいかに簡単に過去を切り捨て,未来のみを信 点に市場を流通していた「森ガール」という 43 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 ファッションスタイルがあるが,ある対象者女 ともあれ,このように消費社会への疑念を感 性は筆者の「あなたのファッションはいわゆる じながらも若者は,それでも依然続くこの消費 森ガールというものか」との問いに対し,そう 社会を生き続けねばならない。ではいったい彼 ではないことを明確な理由(森ガールならばこ / 彼女らは,どのように消費生活を営んでいる ういうベルトはしない,といった)を挙げなが のだろうか。 ら,決然と否定した。 「森ガール」というレッ テルを貼られるとやがて自分が消費されてしま 2. ひとつめの知恵 ~消費の変換 う(ようやく「森ガール」ファッションを買い 消費社会に翻弄されないためのひとつめの知 揃えたと思ったら,次号の雑誌は「海ガール特 恵,それは「消費」の意味の変換である。翻弄 集」に変わっている, といった具合に)ことを, されないためには,自らを消費者でなくしてし 物心ついて以来消費社会を生きている彼女はよ まえばよいのだ。もちろん実際に消費者でなく く知っているからだ。だから彼 / 彼女らは『他 なることはできない。だが,意味を変えること 人より目立つようなことはしない(目立つと は可能だ。たとえば以下のように。 レッテルを貼られてしまうから) 』 『ノンブラン ドで気に入ったものを買うようにしている』と (1)「買う」から「作る」へ 口を揃える。これでは消費者としての姿を捉え 『洋服は自分で作る。洋服に所有されたくな られないのも当然である。消費社会に翻弄され いから』 『居酒屋はもう飽きた。それよりもキャ ないように消費する。これが若者の消費に対す ンプに行って自分たちで釣った魚でごはんを作 る基本的態度なのである。 りたい』『最近まわりで「ラーメン二郎」そっ この若者たちの発言は,かつて潜在ニーズを くりの味のラーメンを家で作るのが流行ってい 掘り起こし市場化することで企業と消費者の る』…。もちろんどのケースにも必ず消費が伴 Win-Winの関係を築いてきたマーケティングと うのだが,自分で作るという工程を加えること いう営みが, その後の激しい競争環境の中で 「差 により「企業に消費されない消費者」になるこ 別化のための差別化」を繰り返すうち,いつし とは可能だ。 か「企業が消費者を次々と消費する営み」に変 もうひとつの興味深い「作る」例を挙げよう。 質してしまっていることを痛切に指摘するもの 『わざわざ福井の鯖江の工場まで行ってメガネ である。消費者としての若者の姿が捉えにくく を作った』『若い職人が一人でやっている革製 なっている最大の要因は,成長期のモノサシで 品の工房でサイフを作った』。どちらのケース 定常期の価値観を測ろうとすることにある,と も「職人が作ったものを買った」という消費行 いうのが本稿の主張だが,競争に明け暮れる中 動なのだが,彼 / 彼女らはそれを「作った」と 知らずしらずに「自らに都合のよい消費者」を 言う。ここで気付かされるのは,かつては「家 仕立ててきてしまった私たちマーケッターの営 を建てる」「背広を作る」といった具合に,実 み自体が,本当の消費者の姿を見失わせてし 際には専門家が作ったものを買う場合でも「作 まった可能性も大きい。 る」と言うことがより一般的であった,という ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 44 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 ことである。つまり,かつて「買う」とは「お 『服は捨てません。新しい服と組み合わせた 金を払って製造者に作らせること」であり,あ り自分で加工したりして使い続けます』『履き くまで製造主は自分であった。 「買う」 は 「作る」 つぶす用の靴と 10 年履ける靴を使い分けてい と同義だったのだ。 る』。自分にとっての使用価値が明確であるも 製造者の顔が見え,製造のプロセスが見え, の,既に使用しているものに新たに買い足すこ 製造者と製造主という関係が知覚できた時, 「買 とで単体ではなくトータルでの使用価値が向上 い手」は「作り手」となり消費者から脱却する するようなもの,そのようなものを冷静に選択 ことができるのではないか。現在のように生産 して買うことが彼 / 彼女らの流儀なのだ。 (労働)市場と消費市場が高度に発達した流通 システムを挟みそれぞれ巨大化する中,消費者 (3)「買う」から「編む」へ は「買い手」に留め置かれざるを得なくなって これについては多くの説明を要しないだろ いる。彼 / 彼女らの行動はここから脱却し製造 う。『古着と新しい服を組み合わせて着るのが 主としての実感を取り戻そうとするものである 好き』『高いアクセサリーを,そうとはわから が,それは流通がむしろここまで高度化し,ま ないように,する』『ユニクロをバレずに着こ た IT 技術が発達したことにより,なにも個人 なせる人が,本当のオサレさん(筆者注「おしゃ : 工房でなくともマーケティングにおいて十分に れ」の意)』…。「編む」すなわち買ったものを 実現可能なことだと考えられる。 自分で編集することは,誰にでもできる「消費 されない知恵」であり,また何度でも繰り返せ (2) 「買う」から「使う」へ る「日常の反芻」なのだ。『クリエイティビティ ある対象者女性は『高額のミシンを買いまし よりもエディトリアリティの方が重要。DJ も た。ガンガン使うと思えば惜しくない』 と言う。 デジカメもブログも,編集力が問われる』とい ここでのミシンとは,彼女にとって消費財では う発言は,定常期を生きるために彼 / 彼女らが なく「生産財」であり,自ら生活を作り出すた 重視する能力について端的に物語っている。 めの道具= 「使う」 ものである。彼女の意識は 「買 う」というよりも設備投資に近いのだが,考え このように,彼 / 彼女らは「消費者として消 てみればミシンに限らず全ての財は「暮らしの 費されない」ために, 「買う」という行為を「作 生産財」である。企業にとって「買う(買わせ る ・ 使う ・ 編む」へと変換する知恵を身につけ る) 」はマーケティングのゴールかも知れない ている。ここには定常期における新しい消費の が,生活者にとって「買う」は「使う」つまり ありようとマーケティングの可能性への豊富な示 生活のはじまりである。今日の消費社会は, 「買 唆が隠されていると考えるが,いかがだろうか。 う=使う」という等式を「買う=所有する」に 変換し,消費を自己実現手段とすることで発達 3. ふたつめの知恵 ~消費への主導権の獲得 してきたわけだが,若者たちはこれを再変換し そしてもうひとつの知恵,それは,消費社会 ようとしているように見える。 に翻弄されないために自らが消費への主導権を 45 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 握ってしまおう,とするものだ。 準値(あるいは製品自体の価格)が不明瞭とな り,また併行して販路が多様化し IT が普及す (1)等価交換 ることで,交換の対象が製品のみに止まらず情 社会人の対象者男性は言う。 『上司と飲みに 報検索・比較検討・発注・配送等におけるメリッ 行くと,奢られてしまうのがイヤ。何か返さな トや上記の『面倒』のような心理的コストに及 いと,と「借り」が出来た気がしてしまう』 。 ぶまでに多様化している。このような環境下で 筆者などは若い頃上司にご馳走してもらうのを は何を以って「等価交換」とするかを,消費者 心待ちにし,その時の借りはやがて自分が上司 は自己決定せねばならない。上記の『正当な対 となった時に部下にご馳走するかたちで返す, 価』とは,何でも定価で買うということではな というかつての典型的企業社会を生きてきた世 い。自分が正当であると判断した対価を払うの 代だが,考えてみれば,これは年功序列と終身 である。たとえば価格検索サイトは最安値の店 雇用を前提として成り立っていた慣習である。 を探すために利用するのではなく,「等価交換 現在のように雇用形態が多様化し労働市場の流 の自己決定」を行うためのツールなのだ。 動化が進むと, 「上司からの借りを将来部下へ 返す」ことが繰り返されていく,という連鎖は (2)関係承認 成立しないだろう。彼/彼女らはつねに社会 (企 このように交換の際の指標が多様化する中で 業社会を含む)に対してイーブンな関係で居続 「等価交換の自己決定」を行おうとした時,自 けたい,何も約束してくれない社会から借りを ずとクローズアップされてくるものがある。 『無 作ってしまったら束縛されるだけで何もメリッ 名のブランドだけど,デザイナーのコンセプト トはない,と考えている。 に共感して愛用している』『ブルーレイプレー 同じ意識は当然消費に対しても向けられる。 ヤーを持っていないのにソフトだけ買ってし 『何かを買う時には,それに対する正当な対価 まった。そのクリエイターを尊敬しているから』 を払いたい,という気持ちがある』と彼 / 彼女 …。そう,交換する「モノ」ではなく「交換す らは口を揃える。等価交換によってこそ,消費 る相手」が誰なのか,が重要になってくるのだ。 社会に従属しない主体的消費者であり続けられ その交換相手は同じ価値観を持っているのか, るのだ。 信頼できるのか。自分の生活を支えてもらうた このような意識を彼 / 彼女らが持つに至る背 めに,自分も支えるべき相手なのか(貢献と支 景には, じつは消費市場の環境変化がある。 『店 援の関係を結ぶべき相手なのか)。『「応援消費」 まで行って買った方が安い場合でも,出かける という意識が私たちにはあります』と彼 / 彼女 面倒や交通費を考えると,多少割高でも送料を らは言う。ここに至り消費は「交換相手として 払って通販で買ってしまったりする』 。彼 / 彼 持続的関係を結ぶことを承認する(し合う)行 女らにはよくあることだそうだ(筆者にもよく 為」へと変質する。 あることだが) 。今日の消費市場では,多くの このことは,企業から消費者に対するコミュ ジャンルで標準小売価格が撤廃されて交換の基 ニケーションのスタンスについて大きな示唆を ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 46 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 与えるものである。たとえば消費者を「お客 の方が世の中に影響がある』という彼 / 彼女ら 様」と呼ぶ企業を彼 / 彼女らはどう思うのだろ の意識はすでに「ソーシャル ・ コンサンプショ うか?消費者のためにひたすら「至れり尽くせ ン」「バイコット」と呼ばれているものだが, り」であろうとする企業は「関係承認」しても 環境問題の存在が完全に消費の前提と化すな らえるのだろうか?(紙面の制約上,これも答 ど,さまざまな社会課題が消費を取り巻く今日 は別の機会に譲りたい) 。 において,この「消費を通じ社会的存在たる自 らの証を立てる」という行動は確実に広まって (3)存在証明 いくものと思われる。 そして最後が「存在証明」だ。これまでの消 費社会における「自己実現」とは,じつは消費 このように見てくると,成長期のモノサシで に対し従属的な態度に基づくものであったこと は消費者としての姿を捉えることができなかっ は,ここまで論を進めてくれば明白であろう。 た若者たちは,決して消費への意欲を失ったの 消費を「等価交換の自己決定」により行い,交 でも自分の殻に閉じこもっているのでもなく, 換するモノよりも相手との関係構築を重視し むしろ積極的に消費の意味を捉え直し,きわめ 『応援消費』ということばを口にする彼 / 彼女 て自覚的 ・ 主導的に行動を起こし,そして新し らは,より主導的に消費を捉えている。 『選挙 い価値観に基づいた生活を営み始めている姿 で一票を投票するよりも,何を選んで買うか, が,はっきりと浮かび上がってくるのだ。 ■図——4 Lifestyle Of Thriving Under the Surface(LOTUS) 47 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 るからだ。 ❼ ——— モデル化の試み 彼 / 彼女らは,水面上では消費社会から消費 されないために「消費への主導権の獲得」を試 さて,ここまで③に掲げたふたつの問いへの みる。そして消費社会の及ばない水面下で「消 答を探ってきたが,最後にそれらを若者の新し 費の変換」すなわち消費の本来の意味を捉え直 い生活観 ・ 消費観としてまとめてみたい。 し, 「消費のための生活」を「生活のための消費」 へと変換する営みを始めている。 1. 向日葵から蓮花(LOTUS)へ さらにその下には地中がある。ここには確定 本稿で明らかにしてきた若者の姿を蓮花に見 した「過去から今日まで」がある。蓮花がここ 立ててみたのが,図− 4 である。蓮花はおだや にたくましい根茎を蓄えるように,若者たちは かな水面に葉をたゆたわせ,静やかな花を咲か しっかりと「過去へのアンカリング」を行い, せる。このおだやかな水面は定常化した時代を 自分にとって価値が変わることのない「からだ 表し,水面から上は今も続く消費社会である。 ・ 家族 ・ 地元」へのストックを行う。そして蓄 大人たちはこの水面上に現れた,たゆたうばか えられた変わらぬ日常の「反芻」から小さな変 りの若者の姿を見て「捉えどころがない」 「消 化を見出すとともに,今日をより確かなものと 費していない」 「上昇志向がない」と苛立って するのだ。 しまうのだ。 この,若者から導かれた新しい生活観 ・ 消費 大人たちが期待する若者像とは,花でいえば 観のモデルを(そのままだが)「LOTUS」と名 さしずめ向日葵であろう。目に見えて上へ上へ 付けたい。 と成長し, 「私を見て」とばかりに大輪の花を 咲かせて自己主張し,さらに日の当たる方向を 2. THRIVE というもうひとつの成長観 いっせいに向く。この「日」とはすなわちこれ LOTUS とは「Lifestyle Of Thriving Under までのマスマーケティングである。このような the Surface」の略であり,水面の下で THRIVE 若者像を期待したのでは肩透かしを食らうのも するライフスタイル,といった意味である。あ 当然である。なぜならば蓮花は,水面上からは まり聞き慣れない単語だが,THRIVE とは「成 見えない水面下で活発な生活の営みを始めてい 長する ・ 繁栄する」といった意味の英語である。 ■図——5 2 つの成長観 ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 48 http://www.j-mac.or.jp Japan Marketing Academy 若者論再考 3. GROW と THRIVE,ふたつの成長観の承認 「成長」というと GROW の方が一般的に用いら れるが,この語は「Green」を語源とし「植物 若 者 か ら GROW へ の 志 向 が 完 全 に 失 わ れ が繁茂し増大していく」つまり「量的増大とし THRIVE のみを志向する,といった極端な議 ての成長」を表すものである。たとえば「経済 論をするつもりはない。そもそも両者は二項 成長」という場合の成長は GROWTH が用いら 対立の概念ではなく,若者たちは個人ごとに れる。 それらの適切なバランスを取りながら「成長」 対してこの THRIVE とは,古代ノルド語の していくことだろう。現にサッカーその他さ 「thrifask(自分のためにしっかり掴む,保持す まざまの領域で,むしろかつての若者以上に るの意) 」を語源とする語で, 「積み重なるよう GROW を志向して世界へ飛び出していく若者 に増える」 「うまく(すくすくと)育つ」 「その が輩出されている。ビジネスの世界でも,中国 土地に根付く」といった訳語があてられる。ま など GROW の最中にある新興国へと飛び出し た名詞形は THRIFT であり,これは節約 ・ 貯蓄 ていく若者は増えていくだろう。重要なのは, 1) の意を表す 。 GROW という成長期のモノサシに THRIVE と 筆 者 は 本 稿 で 見 て き た 若 者 た ち に, こ の いうもうひとつの成長観を定常期のモノサシと THRIVE という新しい成長観を見出す。過去 して加え,欲望の新しい向く先として承認する にしっかりと根を下ろし,価値の変わらぬもの ことだ。 に蓄えをし,変わらぬ日々を積み重ねながら いま書きながら気づいたが,この「欲望」と その中に楽しみを見出すことで,人生を充実 いうことば自体がおそらく GROW 概念の支配 した確かなものにしていく。GROW が増大の 下にある。私たち大人はまずそこから変えねば ために常に未知の世界 ・ 未来を指向するのに対 ならない。そこで最後に,論文らしからぬ下世 し,THRIVE はむしろ既知の世界 ・ 過去を指向 話な欲望の例を挙げ,本稿を締めくくることと し,量よりも密度の濃さ ・ 確からしさを重視す しよう。下世話というからには女性読者には申 る。これもひとつの成長のかたちではないだろ し訳ないが男性に関する例である。男性の読者 うか。冒頭で紹介した若者たちの「成長への懐 諸兄は男なら誰しも「女性にもてたい」と思い 疑」とは GROW という成長観へと向けられた 続けてきたことと思うが,さて,ここで諸兄が ものであり,これこそまさしくかつての成長期 考える「もてたい」とは,「より多くの女性に における成長観である。 好かれたい / 飲み屋でもちやほやされたい」と これらふたつの成長観は,そのまま「ふたつ いった「量的増大」つまり GROW への欲望で の無限」と符合する。すなわち積分(=GROW) はないだろうか(図星でしょう w)。つまり私 と微分(=THRIVE)である。無限の増大を前 たちは無意識のうちにごく自然に GROW 文脈 提に築かれてきたのがこれまでの成長観だとす の成長観で欲望を捉え,語り,判断しているの れば,パイが一定であってもその中を無限に細 だ。対してTHRIVE概念での「女性にもてたい」 分化(= 日常の反芻)することでの成長も可能 という欲望とは,「ひとりの女性と時間を重ね, なのだ。 しっかりと根の付いた関係を築き,変わらぬ 49 http://www.j-mac.or.jp JAPAN MARKETING JOURNAL 124 ● マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) Japan Marketing Academy ★ 論文 日々の中にこそ人生の楽しみと充実を見出した 意識を変えた」のではなく「すでに起きつつ い」ということになる。どうだろう,ご理解頂 あった日本人の意識変化を震災が顕在化した」 けただろうか?あるいはこれを読んで, 「ひと ことを意味する。一過性ではない,より根本的 りの女性とも深い関係を築きたいけど,飲み屋 な変化が起きているのである。かつてのバブル でもちやほやされたいし,二者択一はできない 崩壊時は,「清貧の思想」に代表されるような なあ」などと邪まなことを考えた貴兄,じつは 反省ムードも束の間,「喉元過ぎれば熱さを忘 あなたは GROW と THRIVE ふたつの成長観を れ」たかの如く,バブル以前と同様に GROW 両立する欲望としてすでに承認しているのだ。 基調のマーケティングが繰り返されたわけだ が,今回の変化は「喉元過ぎれば」とやり過ご ❽ ——— おわりに 〜東日本大震災を経て すことはできないだろう。その意味において, LOTUS に見る若者の生活観 ・ 消費観は世代論 東日本を震災が襲ってから,一年が経とうと ではなく「時代論」に属するものであり,また している。かの大震災は東北地方に甚大な被害 世代論(= 消費社会論)では姿さえ見えなかっ をもたらしたのみならず,原発の事故により関 た若者が,時代論の下では依然「進んでいる」 東ひいては全国に大きな影響をもたらした。私 存在 = 先行指標たり得ることを確認して,本稿 たちがそこに見たのは,日常というフィクショ を締めくくりたい。 ンの底が割れ,リアルが露呈した姿であった。 最後に,私たちプロジェクトチームが出会っ スイッチを入れれば当たり前のように点く部屋 た若者たちは,けして「消費の変換」だの「主 の明かりは, じつは当たり前ではなかったのだ。 導権の獲得」だので自己防衛に汲々としている それは,原発というリスクを GROW という成 のではなく,むしろ消費社会への従属による自 長観で覆い隠し続けることにより享受されてき 己実現から解放され,みなとても自由で穏やか たものであり,しかもそのことに気づいていな で楽しそうだったということを,(ここまでお かったことに,私たちは気づかされてしまった 読み頂ければすでにお分かりだったろうが)付 のである。 け加えておく。 そして同じ年に, 日本の人口は減少に転じた。 もちろんこれは偶然の一致だが,私たち日本人 注 1)ジーニアス英和大辞典(初版),研究社新英和大辞 典(第 6 版),研究者英語語源辞典(初版) が GROW 一辺倒の成長観を見直すべき時機は 確実に到来している。 本稿で紹介した調査は震災の一年前に実施さ れたものであるが,その時点ですでに若者は, 手塚 豊(てづか ゆたか) 震災後の大人たちがようやく抱いた「成長 / 進 株式会社博報堂 研究開発局主席研究員。1985 年国際 歩への懐疑」をはっきりと表明している。つま 基督教大学卒業。同年博報堂に入社し,以後マーケ り震災以前から定常期への大きな意識変化は始 ティングプランナーとしてクライアントの諸戦略立 まっていたのである。これは「震災が日本人の 案に従事。2008 年より現職。 ● JAPAN MARKETING JOURNAL 124 マーケティングジャーナル Vol.31 No.4(2012) 50 http://www.j-mac.or.jp