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第17号

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第17号
松 蔭 女 子 学 院 大学
宗激 セ ンター
松蔭女子学院短期大学
神戸市態区藤原伯母野山町
1-2-1
夫
淑
道
ク リスマ スを迎 えて
ナザ レの イ エ スと いう お
。
方 の誕 七 日 それ が ク リ ス
。
マスで あり ま す イ エ スは
、
ナザ レの町 で 大 エ ヨ セ フ
の息 子 と し て成 長 さ れ た の
、
です が お L ま れ にな った
。
のは ベ フレ ヘムでし た
、 リ ト、
キ ス
即
イ エスは
ち救 い主 と し て多 く の人 の
尊 敬 を お受 け にな り ま し た
、
やが て イ エス ・キ リ スト
と つづ け て 一つの名 前 のよ
う に呼 ば れ る よ う にな った
。
の です そ の キ リ スト の護
、
L 日を キ リ スト ・マス
、 ら
さ に
ハキ リ スト の努 ﹀
。
それを クリ ス マスと言 うよう にな った わけ です
、
初 期 のキリ スト教徒 たちは キリ ストのなく な った
、
日を 聖な る受難 の日とし て記念 の礼年を し て いまし
、
。
た コー マ帝国 の迫音 のも と に キ リ ストの弟 子たち
、
は つぎ つぎと殉教 の死をとげまし た。 この殉 な の日
。
を記念 の日と し て教会暦 が でき てゆき ました そのよ
うな時代 には、死 は そば にある日常 のこと で、誕生 日
。
のお祝 いをす る余裕 はなか った のです
、
キリ スト の死後 弟 子たちが師 の教 えを受 け ついて
神 の国 の福音を宣 べ伝 え始 め てか ら二百八十年 ほどた
ってから、 や っと キリ スト教徒 にと っての平和な 日が
、
。
や ってきま した キリ スト教 への同情者 コンスタ ン
、
チ ヌス帝 が帝位 に つき ただち に ︵
紀 元こ 一二年︶ ミ
ラノの勅令 を出 し て、 キリ スト教を帝国 公認 の宗 教と
、
きめま した ので も はや迫害 はなく なりました。人び
中
1 9 8 4 年1 2 月6 日菊 子
ー
・
エ
チヤベル ユ ス
12月 6日 発行
1984年
ュ ー ス
・ ニ
ャ ペ ル
チ
(1)
幸
、
と が キ リ スト の誕 生 日 のお祝 いを し た いと 思 う よ う
、
。
にな った のは 丁度 そ の ころ でし た 平 和 のおと す れ
、 リ
ク ス マスのお祝 いは始 ま った の です。
と とも に
、
、
、
キ リ スト教 以 前 の コー マの社 会 では 太陽 が あり
、
。
が た いも の 強 いも の の象 徴 でし た 太 陽 が神 様 でし
、
。
た 太 陽 は冬 が 近 づ く とだ んだ ん お と ろ え ま す が 冬
、
至 か ら後 は 徐 々 に勢 力 をもりか えし 暖 か い春 をよび
、
も ど し そし て夏 の盛 り を迎 え る ごと にな り ま す 。 そ
、
、
れ で人 び と は 冬 こ の ころ の十 二月 二十 五 日を
﹁不
、
。
減 の太 陽 の誕 生 日 ﹂ と し て お祭 り を し て いま し た
長 年 十 リ スト教 を 迫 害 し つづ け た ol マの皇 帝 た ち に
、
、
か わ って ヨン ス タ ンチ ス スが出 現 し て帝 位 に つき
、
キリ スト教 を 保 護 す る よう にな った こと は ついに イ
、
エス ・キ リ ストが嚇 った んだ と い う 気 持 を キ リ ス
ト教 徒 たち に与 え た こと でし よ う。 ﹁イ エス ・キ リ ス
ト こ そ不旗 の太 陽 、 義 の太 陽 で あ る。﹂と彼 ら が確 信 す
る よ う にな った のは 当 然 の こと でし よ う。 紀 元 三 二六
、
、
、
年 に は じ め て 01 マで 十 二月 二十 二 日 に クリ ス
、
それ が 世 界 中 に ひ ろま って い っ
マスの祝 祭 が 行 わ れ
。
た の です
ク リ ス マスを発 し く 祝 う こと が でき ると いう こと は
。
わ た し た ち に平 和 が ある と いう こと です し か し世 界
、
のど こか には ク リ ス マスを発 し く 祝 う こと の でき な
。
い国 も ある と いう こと を 覚 え てお く 必 要 が あり ま す
、
い つか は楽 し いク リ ス マスが来 る
そ のよ う な 国 にも
よ う に祈 り ま し よう 。
﹁セ ・ラビ ィー﹂
︵これ が 人 生 よ ︱ ﹂
、
と 何 か 苦 し いこ
、
、
と 面 倒 な こと
不条 理 な こと が あ
、
るとき わたし の
行 き つけ の ド ラ ン
ブ ル通 り の レ スト
ラ ン ﹁オ ー ベ ルジ
ュ ‘サ ント ル﹂ の
実 人 マダ ムは よく
ことば を 結 んだ も
。
のである
フラ ン ス人 は 一
般 に人 生 を ある 諦
、
念 て受 け と め 逆
に毎 日 の平 凡 な 現
実 を でき る限 り 劇 的 に楽 しく 盛 り 上げ て行 こ
う と す る傾向 が ある。 彼 ら が と か く 仮 装 や変
身 本
人 工︶ を 好 む のも そ の表 わ れ のひ と つで
、
あろう し と き に演 出 や演 技 を も あえ て いと
。
わな いこと にな る
、
あく ま で家 族 のた め の行 事 と し てと ど ま り
贈 り 物 で い っば いの縦 の木 のま わ り に子供 と
大 人 と を集 め る書 び の機 会 にす ぎ な いク リ ス
。
マスのた め の演出 も 例 外 では な い そ の 日 の
た め に町 中 が 一カ月 以 上も 前 か ら 大 がか り な
、
装 飾 を は じ め る のは 日本 のよう に商 作 戦 で
、
。
はな く 徹 底 し て祝 う た め で ある 一カ月 以
、
上前 か ら の準 備 は 今 日 で は世 界 的 に珍 し い
、
こと でも 何 でも な いが それ でも わ た し の見
た シ ヤ ンゼ リ ゼ通 り の落 葵 し た プ ラ タ ナ スの
枝 い っぱ いに豆 電 球 を 施 し た並 木 の白 い電 飾
、
と オ ペ ラ劇 場 の要 に隣 接 し あう ラ ・フ ァイ
エ ットと プ ラ ンタ ンの二 つの百貨 店 前 の大 通
り ︵オ ス マン通 り ︶ の真 上 の空 中 三十 メ ート
、
ル位 に 長 さ 百 メ ート ルに及 ぶ道 路 幅 の金 網
、
、
を張 り そ こ に無 数 の金色 の星 を吊 し それ
ら が中 央 に吊 し たE 大 な ミ ラ l oボ ー ルの光
、
を反 射 し て風 にき ら き ら 輝 く指 景 と は 圧 巻
、
。
であ った と今 でも 思 う も っと も それ も 十
、
年 以 上 の在 パ リ の友 人 によ ると 国 家 的 経 済
、
不況 のせ いて各 区 ご と の予 算 が縮 小 さ れ 以
前 に強 べす いぶ ん大 が か り なも のが 減 って つ
、
まら な く な った と いう こと な のだ が ,⋮。
、
いず れ にせ よ こう いう 風 に気 分 を 煽 って
、
、
お いて ク リ ス マス ・イブ 当夜 には 各 区 の
そう いう仕 掛 け が最高 に電 E を あげ てひ と つ
、
。
残 ら ず点 灯 す る し ビ ルも ま た査 室 点 灯 す る
絵葉 き でも 知 ら れ る前 述 の シ ャ ンゼ リ ゼ のブ
ラ タナ スの並 木 遭 の電 飾 の華 麗 さ は いう ま で
、
、
も な いが 日頃 歯 の ぬけ た よ う な点 灯 でし
か 染 ん で いな か った モ ンバ ルナ ス ・タ ワー
馴
︵
三百 十 メ ート ル の高 層 ビ ル﹀ の五 七階 の全
、
室 の窓 が点 灯 し て 夜 空 にそ びえ 立 つ容 姿 に
、
。
は
﹁ほ う ﹂ と 思 わず 息 を 呑 んだ も の で ある
、
、
折 しも 霧 雨 で 光 に哀 し み が にじ み それ は
。
いか にも 束 り的 情緒 が あ った
、
パ リは こう し て あげ て イヴ を祝 う 明 る い
ノー トル ダム大 聖堂
悌 男
木
鈴
12月 6日 発行
1984年
・ ニ ュ ー ス
ャ ベ ル
チ
(2)
パ リの ク リ ス マ ス
、
、
街 に変 貌 す る が それ にも か か わ らず 家 族
、
連 れ 二人 連 れ で それ ぞ れ の教 区 の教 会 へ向
、
う深 夜 ミ サ に近 い時 刻 ま では い つも よ り ず
っと人 通 り が少 な く 、 酔 っ払 いも 見 か け ず 、
、
。
音外 に静 か で あ る わ た し は 吐 く 息 も白 い
、
冬 の夜 の凍 て つく 霧 雨 の中 を ノ ート ル ・ダ
。
ム寺院 ま で出 か け てみ た 街 の明 るさ と は対
、
照的 に 夜 の中 に ひ っそり と 黒 い塊 のよ う に
、
うず く ま って いるだ け に見 え た こ の寺 院 は
、
、
い った ん内 部 に入 る と 溝 員 電 車 さ な が ら に
。
身動 き でき な いはど 人 々が つめか け て いる
野次 馬 的 な わ た し のよ う な外 国 人 も 多 いのだ
、
。
ろう が そ の割 には寂 と し て人 声 はな い 司
式 の声 と ミ サ曲 を奏 でる パ イプ ・オ ルガ ン の
、
音 色 がゴ チ ック建 築 の蒼 宮 に反書 し て 見 え
る のは人 々 の頭 だ け と いう情 な さ にも か か わ
、
ら ず わ た し は 思 わず 格 を 正 し て いた 。 こう
、
、
いう 在 厳 さ は 摂 然 と た た ずむ 人 々 の 何 か
、
充 足 し た表 値 と とも に これ は い った い何 な
、
。
のか と いう ことを 第 二者 に考 え さ せ る 人
間 の造 るを 大 な ド ラ マ と いう 思 いが 一瞬 頭
、
、
を掠 め た が す ぐ 宗 教 はま だ ま だ フラ ン ス
、
人 の生活 の根 底 に生 き 彼 ら は神 と いう 一点
、
か ら離 れ て いな い と 改 め て痛 感 し た よ う で
。
ある そう 思 う と思 い当 た る こと が い っば い
。
あ った か ら で ある
、
こ のミ サが終 わ る と レヴ ェイ ヨンと いう
、
家 族 そ ろ ってと る夜 の祝 いの食 事 が あり そ
、
れも 終 え てし ま う と フラ ン ス人 は 気 のぬ け
。
た よ う にな る 聖 シ ルヴ ェスト oの祝 日と い
、
われ る大 晦 口 が ある が こち ら の方 はま さ に
、
どう でも い いと いう感 じ で Z クン ス人 は あ
、
。
まり 力 を 入 れ な い 主 と し て友 人 同 士 夜 明
、
、
しを 翔 し て 年 前 零 時 と 共 に 爆 竹鳴 ら し た
、
り しな が ら
﹁ポ ナ ネ ー﹂ ︵
新 年 お め てと う ﹀
と誰 か れ なく 抱 き あ ってキ スし あう 興 奮 が楽
南 ア聖公 会 の ツ ウツ ウ主教
ノ ー ベ ル 平和賞 を受 賞
南 ア フリ カ共 和
国 で ア パ ルト ヘイ
ト ︵
人種隔離 政策︶
反 対 のた め活 動 し
て いる ツウ ツウエ
、
教 に ノ ー ベ ル平
和 賞 が授 与 さ れ る
、
こと に決 ま ったと
十 月 十 七 日 の各 新
聞 は 報 道 し て いま
した。
私 が ツウ ツウ二
教 には じ め て会 っ
、
た のは 一九 七 八
年 の ラ ン ベ ス会 議
が カ ン タ ベリ ーで
、
。
開 か れ た と き でし た こ の会 議 は 世 界 中 の
聖 公 会 の主 教 た ち が十 年 に 一回 集 ま って開 催
。
され る も の です カ ンタ ベリ ー大 三教 の召集
、
によ り 世 界 各 地 か ら 四百 人 も の主教 た ち が
、
、
。
参加 し ま し た そ の機 会 に ケ ント大 学 は
とく に二人 の主教 を 選 ん で神 学時 士 の学 位 を
。
そ の中 の 一人 に選 ば れ た のが
世 界 の トピ ッ ク ス
授与 しました
ッ ウ ッ ウ主 独
12月 6日 発行
1984年
t r ―
ス
・ 二
チ ャ ベ ル
【
31
。
ツウ ツウ主 教 てし た 同師 は み る か ら にた く
、
まし い感 じ の聞 士型 の人 物 でし た が し か し
、
そ の眼 は 案 和 で 相 手 の心を つか ま え る よ う
、
。
な やさ し さ が ありま し た 仲 々み ん な に人
、
気 が あ って 黒 人 解 放 のく る し い戦 を つづ け
、
て いる にか か わ ら ず い つも 愉快 そ う に話 を
し て いま し た。 彼 を 力 づ け た いと いう多 く の
、
主教 た ち の希 望 で 彼 が選 ば れ て学位 を う け
。
る こと にな った のだ と思 いま す
、
そ の ラ ンペ ス会 議 の時 には と く に南 ア フ
、
リカ の問 題 が議 題 に のば り 人 種 隔 離 政 策 の
、
結 果 長 期 間 にわ た り家 族 別層 を 強 いら れ て
、
いる 黒 人 労働 者 のた め の 南 ア政 府 に対 す る
、
。 ア
南 では
特 別 の アピ ー ルが行 わ れ ま し た
か って緑 の地 に居 住 し て いた黒 人 た ち は 不 毛
、
の地 に隔 離 さ れ 白 人 雇 用 者 が労 働 力 を 必 要
、
と す る 時 だ け そ の地 域 外 に出 る 計 可 が でる
、
、
も の の 家 族 同 伴 は計 さ れ ず 別 居 を 強 いら
、
。
れ る の です パ スポ ー トは 普 通 外 国 旅 行 の
、
、
た め のも の です が 南 アでは 黒人 は 国内 旅
、
、
、
ー
行 す る にも パ スポ トが 必要 で あ り 旦 つ
白 人 た ち の都 合 のよ い場 合 だ け しか 許 可 が出
。
な いの です
、
ー 、
ー
一九 八〇 年 カ ンタ ベ リ で ラ ンシ 大
、
主教 着 座 のと き 臨 時 首 座 主教 会 議 が開 か れ
、
、
。
ま し た そ の時 は 南 アの ツウ ツウ主 教 が
政府 か ら パ スポ ー トを と り 上げ ら れ て因 って
、
おら れ る の で 何 と か助 け よ う と いう相 談 が
、
。
あり ま し た カ ンタ ベリ ー大 主教 は 全 世 界
、
六千 五百 万人 の信 徒 を も つ 世 界 中 の聖 公 会
、
系 教 会 を代 表 す る指 導 者 です か ら 南 ア政府
、
に対 し ても か な り 影轡 力 を も って いら っし
、
、
。
更 に 世 界 中 の聖 公 会 が ツ
やる よ う です
、
し く わ た し も 学 生街 の サ ン ・ミ シ ェル広 場
、
にく り出 し て同 じ よ う には し ゃ いでみ た が
、
まさ に出 た と こ勝負 と いう 趣 で そ の時 間 を
。
除 いては ほ と んど 盛 り 上 が り は な いので ある
、
大 毎 日 か ら 元 旦 と いうも のは 人 間 の作 る 暦
、
のた んな る節 目 な の で あ って 神 にか か わ ら
。
な いか ら か も 知 れ な い
、
と にかく クリ ス マスに拠 りな が ら以 上 見
、
、
てき た よ う に 先 ず 事 を き っち り計 画 す る
た と えば 仕 掛 け の照 明 の
次 に それ を 実 的 に ︵
、
色 は す べ て白 に続 一し て 枠 を 狙 う な ど ︶ 行
、
う そ し て劇 的 に それ を 盛 り 上げ ると いう運
、
び方 は いか にも フラ ン ス人 ら し いの で あ って
フラ ン ス文化 の大 部 分 は そう いう趣 向 で造 り
。
あげ ら れ た と い っても 過 言 ではな いの で ある
、
稿 を 改 め て それ ら を いず れ述 べてみ た いと
。
思う
ウ ツウ主教 を 支 持 し て いる と いう姿 勢 を 示 す
、
ため 決 議 文 に全首 座 二教 の署名 を求 めら れ
。
ま した
、
昨 年 は ポ ー ラ ンド の労 働 組 合 ﹁連 常 ﹂ の
、
書 記 長 ワ レサ氏 が ノ ー ベ ル平和 賞 を 受 け ら
、
。
れ ま し た ポ ー ラ ンド政 府 と し ては 何 と か
ワ レサ氏 の影害 力 を 小 さ く した いと 努 力 し て
、
、
いる よ う です が ワ レサ氏 の背 後 には コー
マ教 皇 を 頂 点 と す る カ ト リ ック教 会 が支 援 し
。
、
て いる の で 無 茶 な こと は し難 いよ う で す
、
、
同 じ よ う に 南 ア の政 府 にと っては ツウ
、
ツウ主 教 は いさ さ か け む た い, 在 です が 全
、
世 界 の聖 公 会 が 同 師 を 支 援 し て いま す の で
南 ア政府 も これ を 無 視 す る わ け には いか な い
、
。
と思 いま す 我 が松 蔭 女 子 学院 も 母本 聖 公
、
会 に 連 な る 学 校 で あり ま す か ら でき る だ
。
、
け ツウ ツウ主教 を 応 優 し た いも の です
︵
中道淑 夫︶
1984年 12月 6日 発行
・ ニ ュ ー ス
チ ャ ペ ル
{4)
、
ているよう に 確か にオ ルガ ンは人 々の交流
、
秋 の コ ンサ ー ト シ リ ー ズ
を助 ける 一つの道具 に他な りま せんが 日本
、
を 終 わ って
にお いてそれを正 しく道具 たらしめる には
オ ルガ ンを めぐ る文化を新 しく クリ エイトし
、
て いく のだ と いう自覚 が必要 です。
明
鈴
木
雅
、
チ ャベルのオ ルガ ンが完成 し て、よう やく
オ ルガ ンと いう楽器 は 他 の楽 器と違 って、
。
。
二度 め の冬 が来 ようとし て いま す オ ルガ ン
人間と同じ よう に社会的 な存在 であります
、
、
、
は生き物 ですから 季節 によ って絶 えず変化
つま り 気候 に対 し てだけ でなく 人間 に対
しますが、特 に最初 の四季を 一巡するま では
し ても、 生き物 のよう に反応 いた します。
、
、
、
どうし ても初期故障 が出 安
るま に
定
す
で
最
印ち 所有者 に対 し ては それを正 しく活用
。
し て人 々に働 きかけ る ことを求 め、ま た聞く
低 ニー ニ年 は要します ガ ル ニエ ・オ ルガ ン
、
、
の場合 小 さな トラブ ルは常 に起 こ って いま
人 には その働 きかけ に対す る反応 ︵
批評 ︶
、
、
。
、
すが 演奏会 に支障を きたす ほど のも のは 二
を求 めます つまり オ ルガ ンと いう楽器 は
、
、
回程度 で 比較的ど気嫌 のよ い楽 器 と言 える
個人的 な所有 に,し 自分だ け のお蔵 にしま
。
っ
でしよう
ておく こと のできな い楽器 な のです。 ひと
、
、
、
そのような わけ で 九月 から十 一月 ま で の
たび これを手 にしたも のは 正しく用 いて
コンサ ートシリ ーズも無事 に終 わり、残 すは
いく責任 が あると い っても よ いでしよう。特
、
、
十 二月 二十 日 のチ ャリ テ ィ コンサ ートとだけ
に ガ ル ニエオ ルガ ンの ︵日本だ け でなく
、
となりま した。来 年 の パ ッ ハ生甚 三〇〇周 年
全世 界 に於け る﹀特殊性 を考える時 そ の所
、
,
を意議 し て
パ フハと の速這“ と いう シリ
有者 の責任 は絶大 なるも のであります。
ーズ では、現代 におけ る バ ッハ像 の多 様な源
と ころ で、 このような働 きかけ によ って新
、
しく生 み出 される べき オ ルガ ン文化 は、決 し
泉を探 ると同時 に ガ ル ニエ ・オ ルガ ンの持
、
つ限界 にも挑戦 する形とな り このオ ルガ ン
てひとリ オ ルガ ニスト の手 によ ってのみなさ
、
。
、
。
の意外 な幅広 さ に気づ かされま した また
れ得 るも のでは ありま せん む しろ 専 門家
、
九月 の今仲幸雄氏 と のチ ャベル ヨンサ ート で
でな い多く の人 々によ って 来朴 な関心 が寄
、
、
、
は 彼 の演奏 の深 い精神 性を再 認識 す る こと
せられ 熱 心 に耳が傾 けられる時 にのみ ガ
、
ができ 人 の思志 に全くを右さ れな い信 仰 に
ルニエオ ルガ ンが真 価を発 揮する のです。
、
、
ここ数 力月間 に 学外 には 二〇〇余名 のチ
基づ く演奏活動 が いか に尊 いも のか 改 め て
。
ャベル ヨンサ ート友 の会会 員が生まれま した。
思 い知 らされました
、
しか し、松蔭 のチ ャベ ルやオ ルガ ンが、単 な
ま た 公開 レ ッスンをし て下 さ った者名な
、
︼
、
ト、 ・グ ラ
フラ ン
オ
ル
ガ
ニ
ス
ス
X
ス
と
は
る
人
お飾 り“ にならな いた め には ま ず学内
氏
レ ッスンの後 、 オ ルガ ンを めぐる文化 のあり
の人 々の関 心と積極的 な支援 が必要 です。松
、
、
方 に ついて 様 々な議論を する ことが でき
蔭 のすば らし い精神 文化 を無 にす る こと のな
、
。
、
貴重な ≡時 でした けだし ガ ル ニユが書 い
いよう あなた自身 の積極 的 な参加 が不可欠
な のです
。
0 0 0
なお今回 のチ ャベ ル ・ニ ェースに、 こ の秋
の演 奏会 や公開 レ ッスンに対 し て寄 せられた
。
学外 の方 々の声 を いく つかご紹介致 しました
X ・ダ ラ ス氏 の ”Z フン
ス古 典 音 楽 の奏 法 に つい
て・ の公 開 レ ノ ス ンを 受
けて
曽 庫 泉
日本 の音楽 大学 のオ ルガ ン科 では、 ほと ん
、
ど の学生が 木 ッハを中 心とした ドイ ツ音楽
、
はもち ろん コマン派 以降 のリ ストや レーガ
ーら の作 品を 主 に勉強 し てき て いますが、 フ
ラ ンス古典音楽を 深く勉 強し て いると いう人
、
。
は少な いと思 いま す 私 も そ の 一人 です が
今回 その音楽 を演表 する に適 したガ ル ニエの
オ ルガ ンで フラ ンスが誇 るオ ルガ ン界 の風
、
雲 児ダ ラ ス氏 の レ ッスンを受け る こと が でき
。
本当 に良 い機会 に恵まれ たと思 って います
レ ッスンの中 で、特 に印豪深か った こと い、
、
、
彼は理知的 で 鋭 い分析力 お 理性 を持 ちな
、
、
がら 決 し てそれ が専門的 になりす ぎず 私
、
、
たち に ュニークな例 解 かり やす い例 を機
りまぜ ながら演奏法を説 明された こと、約 四
時間 に亘 る レ ンスンを 一人 ひとり 丁寧 にみら
。
れた教育 への情 熱 が感 じられた こと です こ
、
れらは き っと彼 の パイ タリ ティある魅 力的
。
な人柄 からもく る のでしよう 私 のこれから
の研究 に広 がりを与 え てくれた内容深 いレ ッ
スンでありま した。
1 9 8 4 年 1 2 月 6 日発行
・ ニ ュ ー ス
ャ ペ ル
チ
松 蔭 チ ャ ペ ル ヨ ンサ ー ト
を問 い て
、
也ートで
日ベ ル直
コンサ
のチ ャ
先 日 私 はな蔭 で時
今仲 さん のパリト ンと鈴木 さ ん のオ ルガ ン演
、
。
奏を 聞か せ て いただ き と ても感 動 しました
、
以前 PTLク ラブ の テレビな送 で今仲 さ ん
、
、
の設 実と証 しを聞 いた こと が あり い つか
生 の演 家 を ぜ ひ 聞 き た いと願 って いま した
、
と ころ こんな にも早く実 現す ると は全 く夢
。
のよう です チ ャベル い っば いにひびさ渡る
今仲 さ ん の歌声と パイブ オ ルガ ンの実業 に私
は思わず身を のり出 し て聞 き入 ってしま いま
、
した。濃奏会 から時 間 が経 ってしま った ので
ひと つひと つの曲 の印象 は混練 し て具体的 に
、
、
はよく語れま せんが ツ o カ ンタータの
、
、
我 次 に感 謝
﹁
天国 の喜 び﹂ シ ユ ッツの ﹁
、
す﹂ ラ フ ァエルの ﹁汚れなき神 の子キ ﹂な
、
、
ど 力強 く それでいて柔が い書 き のある 木リ
ト ンと バイプ オ ルガ ンの書 きは、今な お心 に
。
残 って います
、
私 は今 盲 学校 で少 し音業 の勉強 をし て い
、
。
ます 私 は ハイ ・六リト ンです が 今仲 さ ん
、
のやわ らか い 底力 の ある声 の書 きはどう し
、
。
たら でる のか 心 にと め て励 ん で いま す こ
んな素晴 らし い演奏 を開 かせ て下さ って有難
うどざ いました。
松 蔭 オ ルガ ン演 奏 会 関 係
者 の皆 様 ヘ
島 邦 夫
野 、
ふとしたき っ掛けから この春費校 チ ,ベ
、
ルで のオ ルガ ン演奏会 を聴 か せて いただき
私自 身 パイプ オ ルガ ンの音 を璃 く のは初 め て
、
、
と いう ことも あ って す っかり魅 せられ 題
来機会 のある度 どと に億賛 さ せて いただ いて
、
。
おります 神議実 のため のチ ャベ ルで 礼拝
、
用 オ ルガ ン出 の 神 に仕える演奏者 による定
、
期的 な演奏会 と いう こと で クリ ステ ャンの
、
私 にと って 本 当 に得 がた い貴重 な機会 だと
。
常 々感謝 し ており ます
、
。
さ て 一聴 衆 とし てひと つの事 を ひと つ
、
の感 想と それ に関係 したお願 い と い った こ
、
とを述 べさ せ て いただきたく 事 を取りまし
オルガ ン愛好者 の
。
、
。
た あまり にも客 が少 な い と いう こと です
、
それは即ち チ ャベ ルで のオ ルガ ン演奏 にと
って非常 に不健全 な情 況だと考 えます。 神を
讃美す るため堂内 に書き渡 る オ ルガ ンの音 に
、
、
は 心 の中 で祈 りを共 にささげ る 満 堂 の略
。
衆 こそ適 し いのですか ら
クリ スチ ャン人 口が いくら少な いと言 って
も、 これ程 の ハイ レベ ルの 霞芸 会 にた った こ
、
れだ け の客と は ⋮と いささか 不思議 に思
っておりま した。けれ ども 、聞きますと ころ
、
では 宮伝 活動 を殆 んど行 っておられな いと
。
。
のこと 成程 種 々の法的制約も ある のでし
、
、
よう が 少 し組織的 な宣 伝と いう ことを 近
、
隣 の教会関係者 への案内 だけ でも 考慮さ れ
。
ては いかが でし ようか
、
、
聴衆 の数的増加 は 経済的な こと以上 に
、
神議美 と いう御意 図 にも そ いますし 演芸 者
。
にも良 い効果 をも たらすと思 います
オ ルガ ン ヨ ン サ ー ト 所 感
中 山 仰
私 は パ ッハの曲 がよく 理解 できま せん でし
。
。
た 特 に器械 的又 は規則的 な曲程 それより
民族 学的 ある いは ハッキリした テー マを持 っ
。
た 0マン派 の作品 が好 みでした
しか し、 最近は生 のパイプ オ ルガ ン演奏 に
、
触れ たせ いでし ようか バ ンハ以外 の由 が何
。
かも の足 りなく感 じ て来 ました
、
それま での音楽 の間き方 は 自分が陶酔 す
。
る ことだけを求 め て いたよう です 確か に こ
、
れは大事 な要求 です が 演奏会 で聴 いた由 は
自分を超 えた何か に向 って いるような気 が し
ます。 そし てそこから こちら に返 って来 る晴
の感銘 は筆絶 に尽し難 い程大きくな って私 を
。
圧倒 します 今 迄味 わう こと の出来 なか った
。
衝率を受 けました
このような出会 いは感 受性 の強 い人だ け に
起 るも のと思 って いました。
自分 の人生 をも見 つある こと が出来 る素晴
し いこの時を毎 回楽 しみ にし て います。
。
是井とも多 く の人 に残 いて賞 いた いです
12月 6日 発行
1984年
・ ニ ュ ー ス
ャ ペ ル
チ
(6}
G F S世界 大 会
に参 加 し て
英 米 文 学 科 四年
名
出
道
手
G FSと言 っても知 らな い人が ほと んどだ
と思 います ので簡 単 に説 明し ておき た いと思
います。 これは 命寸︺
oo ﹁ユロ 亀︼ のo生e ︻
、
、
の略 で 英国を発生 の地と する 聖公会 の教
会 に つながる少 女達 の集 まり です。活動内容
、
は それぞれ のブ ラ ンチ のリーダ ーに任 され
、
ており と ても自由 な形 で行 われ ます。 ハン
ドク ラ フト、野外活動、英会諸 、 ポ ラ ンテ イ
、
ア 議 習全 など多岐 にわた って います。世界
、
大会 は三年毎 に開催 され 今 回 は十 一回目 で
、
。
開催地 は 日本 でした そし て 大会準備 のた
、
、
めに 東京本部 の スタ ッフを中 心 に 全国 の
メ ンバ ー連 が、惜 しみな い努 力を続 け てきた
。
わけ ですが
、
大 会 は八月 二 一日から 二六 日ま で 東京 ,
。
清里 ・京都 と場所 を移動 し て行 いました 参
ョンの内容 は各国 の首座主教 たち や ク ィーン
、
から のメ ッセージ技露か ら始まり 前回 の誌
、
、
事録 会 計報告 トラ ンスカイ ・プ ロジ ェク
ト報 告、各国活動報告。次期 プ ロジ ェクト、
。
次期開催国 アジ エンダ討議 で終 わります。
ラのは、毎回 プ ロジ ェクト
ブ ●ジ ェクトと いヤ
、
国を 一つ選 ん で GFSで支援 し て いくも の
、
ですが 前回 は トラ ンスカイと いう ア フリカ
。
、
の小 国が選ばれ ました その報告 の中 には
、
私 たち にはと ても信じられな いような 第二
世界 の実状 が章おされていました。次期 プ ロジ
ェクトはカ リブ海諸島 で、次期開催 国は ウ ェ
ールズ に決 まりました。アジ ェングは協議事
、
、
項 のこと です が アイ ルラ ンドか ら二題 レ
、
ツート 日本 から それぞれ 一題ず つ提案 され
、
。
て いました 私 は ジ ュニアの代表 とし て会
、
議 に参 加 し て いたわけ ですが 会議 は英 語 で
、
、
すす められ わからな い部分も多く あり 聞
くだけ でも必死 でした。 それ でも、貴 重な体
。
、
テ
験をしたと思 って います また 今
大
会
の
⋮
ー マい
ヨ命す﹃“
めや りすいヽ中
,い
ほ ︼oい0一す0ヽ “
そし て大会 を 通 し て知 り合 った各 国 の メ ン バ
ーと 全 会 期 中 を 、 ま た 一部 の メ ンパ ーと は
大
、
会後 の ホ ー ムステ イ を 通 じ て 楽 し い時 を す
、
ご し 感 謝 の気持 と 別 れ を 惜 しむ 涙 でも って
。
大 会 を 無 事 終 え る こと が でき た の です
、
、
、
.
いo■o い,α 拘oい8 と いうも の でし た。 二
加国 は オ ー スト ラリ ア イギ リ ス ガ イ アナ
、
、
アイ ルラ ンド 日本、韓国 、 レツート、 ニ ュ
回 の議 演 は そ の テ ー マに そ ったも の で フイ
ージ ー ラ ン ド 、 フ イリ ピ ン、 シ エ
、
。
ラ レオ
ル ムや展 示 も ありま し た それ ら は 全部 と
、
ーネ 、 ス リ ラ ン カ 、 ト ラ ン スカ イ 、 ア メ リ
ても 印 家 的 な も の で 日頃 平 和 に ついて いろ
、
いろ語 ら れ て いま す が 私 は こ の時 ほ ど強 い
シ ョ ックを う け た こと は あり ま せ ん でし た 。
、
カ ウ ェー ルズの十 四ケ国 でした。海 外か ら
、
九十 名 国内 から九 六名 の参加 が ありました。
、
開会 式 閉会式 は各国 の代表 が それ ぞれ の
、
国 の民族衣装を着 て出席 し と ても事 やか で
国際色畳 かなも のとなりま す。大 会中 のユな
、
、
ブ 0グ ラ ムは 歓 迎 ・歓送 パ ーテ ィー 三日
、
、
、
のセ ッシ ョン 二回 の議演 ツアリ ング キ
ャンプ フ ァイ アー、
ワーク シ ョッブ、一
界都 で
、
、
の ﹁日本 のタ ベ﹂など です が まず セ ッシ
掛 報
1月3日
1
口 荒井章三先生の父上が逝去され
。
ました 神 より の平安 と慰 めを お祈り いた
します。
”
フ〓
ラ ッ シ ュ ・
︻ュ ー ス
◎ 大谷常 蔵先生 が秋 の叙凍 で勲 二等璃宝章
を受けられま した。
、
◎ 服部正先 生は 文部大巨より社会 教育 功
。
労章を受 けられました
◎ 大 学国文 学科 四年生 の戎井秀代姉 は、学
書 展 にお いて最高賞 の文部大 臣賞を受賞 さ
。
れました
ク リ ス マ ス 礼 拝 ・祝 会
、
2 1
9日
月
︲
的 年後 4時半より チャベルにお
いてキ ャンド ル ・サービス、終了後 キ ャo
リングを行 います。
セ月 郷日い 年前 H時より、チ ャベルでクリ
、
スマス礼拝 正午より学生食堂でクリ ス マ
ス ・パーティを行 います。
タ リ ス マス ・テ ャ リ テ ィ ・コ ンサ ー ト
2
︲月 如日内 年後 7時 より、 チ ャベルで行 わ
、
れま すが 今 年 はとく に飢億 に悩む アフリカ
救済 のため の コンサ ートを開きます。
、
出 演者 は鈴木雅 明先生 管藤泉姉、松麿 宮
、
内合 唱団 松蔭 女 子学院大学聖歌隊、曲目 は
、
バ ッハ ヘンデ ルな ど のクリ ス マスの出、入
場料千 円 ︵一般 ﹀八〇〇円 ︵
友 の会 々員︶
五〇〇円 介
本学 々生﹀問合 せは宗教 センター
迄
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