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通貨制度と危機管理 1.記事の要約 2.論点 3.G7ドバイ会議の概要

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通貨制度と危機管理 1.記事の要約 2.論点 3.G7ドバイ会議の概要
通貨制度と危機管理
2003 年冬学期高山ゼミ
10 月 16 日発表予定
アジア・アフリカ地域担当
2年
文科Ⅰ類
福 岡
恵 美
1.記事の要約
○A-a-and down! , The Economist, September 27th 2003
9 月 20 日にドバイ(アラブ首長国連邦の都市)で開かれたG7(主要 7 カ国財務相・中央銀行総裁会議)での共同声
明は,為替相場の「柔軟性」を要求する辛口なもので,これを受けて市場ではドルの値を大幅に下げた.各国は声明の核心
部分で合意できていないようである.この声明に関して,当初アメリカは政策転換だとしていたが,日・英の当局がこれを
否定すると,「強いドル政策に変更はない」と立場を翻した.しかし市場では対円,対ユーロともにドル安が続いた.アメ
リカの経常収支赤字やアジア諸国の金利上昇予測もあって投資家は米経済に対し警戒気味だ.エコノミストは今回のG
7の姿勢を不安定な世界経済がドル安を望んでいることの表れとみている.日本がマーケットの予想以上に経済回復を
見せる中で,これ以上の円高が進めば日本の市場介入も予想される.また,アメリカは中国の元安に対しても批判を続け
ている.元や他のアジア通貨がドルにペッグ1しているおかげで,ドルが下落すると対ユーロで輸出不利となるからだ.い
ずれもしても,しばらくはドル値下がりが続きそうである.
2.論点
90 年代に起きた 2 つの通貨危機(メキシコ,アジア)を踏まえたうえで,基軸通貨ドルの抱え
る不安定性,という視点から今後の国際的な金融危機管理の方向性について議論する.
3.G7ドバイ会議の概要
当日資料参照
○焦点
①人民元の通貨切り上げをめぐる為替管理問題2
②1との関連で円高阻止に向けた市場介入の問題
③イラク復興費の負担問題
○背景
①②→”jobless recovery”の続く中で失業率が6%を越えるなか,アメリカ製造業界か
らの強い要請.大統領選挙が来年に迫っていることも大きい.
1 peg.連動させること.固定為替相場では,自国通貨を固定する外国通貨の価値の上下に従って,自国通貨の価値も変動す
ることになる.メキシコは「バンド幅」の範囲内で貨幣価値の変動を認める為替バンド制を採用していた.一方,アジア通
貨危機の発端となったタイは通貨バスケット制を採用していたが,ドルの割合がおよそ 8 割と高く事実上のドル・ペッグ.
2 人民元の為替相場は中国当局に管理され,米ドル・ペッグして 8 年余り,事実上の固定相場となっている.経済の実力に
比べて人民元が割安だ,との受け止めは日米欧で一致している.すでに IMF がドル・ペッグから複数の主要通貨によるバ
スケット方式へ転換し,徐々に変動幅を広げる改革案を示している.(asahi.com マネー9/19)
1
割安なレートで事実上も固定相場制をとっている人民元だが,沿岸部と内陸部
の経済格差や投機資金流入などの問題を切り抜けつつ,人民元をどうやって国
際通貨体制に取り込むか.このような議論の第 1 歩となった.
③→アメリカ政府は復興費用を 500∼700 億ドルと試算.うち 300∼500 億ドルの負
担を日本や欧州などに求めたが,試算の根拠があいまいであり,日欧は協力の
余地はそれほど大きくない,と消極的.
4.為替相場制度
※発表では流すので読んできてください
4.1固定相場・変動相場のメリット・デメリット
為替相場制度にはそれぞれ,相場の安定や市場介入のしやすさなどいくつかの特徴がある.中でももっとも両極端に位
置する固定相場制と変動相場制は,一方のメリットが他方のデメリットというふうに表裏一体となっている.そこで固定
相場,変動相場の両方の特色を生かした複合的な為替相場制度が生まれてきた.一般的にあまり貨幣に信用のない小国や
外資をすばやく導入したい新興市場圏の国ではドルに連動した固定相場制を採用する傾向にあるが,90 年代以降減少傾
向にある.一方,通貨統合を進める EU 諸国は標準バスケット方式による固定相場制の原則を維持している.
○固定相場制のメリット
・為替相場の安定性
・インフレ的金融政策を抑制
・金融政策に対する信認
○変動相場制のメリット
・国際収支調整の費用
・金融政策の自由度が高い
4.2いろいろな制度
固定為替相場
変動為替相場
カレンシー・ボード制
一定の固定レートで自国通貨を特定の外貨と交換すること
を法的に約束.香港など.
通貨バスケット制
主要取引国の通貨を一定割合ずつ組み入れて独自の固定レ
ートを作る
為替バンド制
バンドと呼ばれる許容変動幅をもった固定相場制.この変動幅
を維持するために経常収支等を調整するマクロ経済政策をとる
管理フロート制
変動相場を採用しつつ,金融当局が必要と判断したら適宜市場
介入する
自由変動相場制
為替変動に金融当局が一切介入しない
5.90 年代通貨危機と日本の対応
5.1共通する特徴
・実質的にドルにペッグする新興市場国で発生
・通貨危機の地域的な伝染・波及
・(たとえアメリカでも)一国の経済力では解決できない規模
2
→
国際協調的介入が必要
5.2メキシコ通貨危機(1994-95)
○背景
80 年代の累積債務問題が一応の収束をみる →外資が再び流入.
*このとき資金流入の形態が銀行融資→株・証券へとシフト
94.1 よりメキシコで NAFTA 始動,同年 OECD に加盟→大量の資本流入
94.3 メキシコの大統領候補暗殺に伴い政治不安高まる
アメリカ経済の回復・安定 長期金利の上昇
→メキシコへの資本流入が急減
○動き
94.12 市場のペソ売りドル買いの圧力強まる.ペソの価値は対ドル 15%下落し,メキシコ政府は
ドル・ペッグを緩めるべく為替バンドの介入バンド幅の上限を 15%引き上げる.
→事実上のペソ切り下げ
外国投資家によるペソ売り,メキシコ証券の売却による株価急落
→95.1.3 米政府・BIS を通じた国際緊急支援対策(180 億ドル)3を発表
しかしペソ暴落収まらず
95.1 以降,アルゼンチン,ブラジル,フィリピン,タイ,マレーシアなどで通貨価値が下落
○米クリントン政権の積極的な介入
―当時,国家財政再建の真最中であり議会は猛反対
―危機の早い段階から支援のために日本を含む OECD 加盟国に圧力
―最終的に支援パッケージは米 200 億ドル,IMF から 178 億ドル4,BIS から 100 億ド
ルまで膨れ上がる.
○日本の消極的な関与
・日本:アメリカの緊急支援策を一応支持するも5,パッケージ策定にはコミットせず
・EU 諸国:クリントン政権のあからさまな圧力や IMF が急場でまとめた支援策に
難色を示す
―80 年代の累積債務問題にこりて日本の銀行や証券会社がメキシコから投資を大幅
に引き上げていた
―バブル崩壊後の不況
→国際支援より国内経済・金融問題を緊急課題とする
海外投資をラテンアメリカからアジアに集中させる
5.3アジア通貨危機(1997-98)
○背景61)東アジアの国の多くがドル・ペッグ制もしくはドル比率の高い通貨バスケット制を採用.
3 内訳はアメリカから 60-90 臆ドル,BIS(国際決済銀行)を通じて 50 億ドル,カナダ 10 億ドル,先進国民間銀行から 30
億ドル(片田 2002 p.105)
4 IMF の資本金は加盟各国の出資によってまかなわれており,割り当てられた出資金額(クウォータ)に応じて投票権
や借入限度額が設定されている.基本的に借入額は合計でクウォータの 300%を上限とするが,このときの融資はメキシ
コのクウォータの 688.4%に相当する.
5 結局,日本は BIS 援助パッケージで 13 億ドルを拠出し,東京銀行・日本興銀・住友銀行・富士銀行が民間銀行の支援パ
ッケージで 4 億ドルを提供した(片田 2002 p.106).
6 97 年の通貨危機は東アジア諸国に大きく波及したが,これらも国では経常収支が赤字であったものの,一般に通貨危機
発生モデルで扱われる財政収支やインフレ率などのマクロ経済変数(ファンダメンタルズ)はそれほど悪くなかった.よ
って本文の 2 点が背景要因として有力とされている(藤原,小川,地主 2001 p200,224)
3
ドル・ペッグ下で 90 年代に入り,円高ドル安→円安ドル高への振幅
円高ドル安のとき:東アジア通貨も相対的に安い
輸出に有利. 過剰な外国資本導入
不動産市場への投資進む
円安ドル高のとき:東アジア通貨も相対的に高い
輸出に不利. 国際競争力の低下から将来収益の低下.
外資の流出
2)金融部門による為替リスク管理が十分おこなわれておらず,外国から大量の外貨建て短期資本が
流入してきたこと
…資本の流入が容易であると同時に,流出もおこりやすい
○動き
97 年に入りタイ経済の先行き見通しが急激に悪化,バーツへの売り圧力が高まる.
7 月2日,タイ中央銀行は投機攻撃7に耐え切れなくなり,十数年間維持してきたバスケットペ
ッグ制を放棄し管理フロート制へと移行.
→バーツの切り下げ
これに伴いバーツが急落し(1 ヶ月間で 23%),この影響を受けて 7 月中にフィリピン,マレ
ーシア,インドネシアでも投機攻撃による通貨切り下げが起こった.
(*1)
10 月には通貨切り下げの圧力が台湾・香港・シンガポールにまで波及
11 月 20 日,韓国ウォンの対ドル変動幅を±2.25%から±10%へと拡大したところ,ウォン急落
(*2)
○一貫性を欠いた日本の態度
―3期に区分8
〈Ⅰ期〉積極的で自立的な態度
97 年初夏∼秋(*1)
・97 年 8 月にはタイむけに総額 172 億ドル9の援助パッケージを立ち上げる
*このときアメリカは資金援助に参加しなかった
・9月の世界銀行・IMF 年次総会で,日本はアジア地域諸国の国際収支バラ
ンスを保つための支援基金―アジア通貨基金(AMF)―を提唱
〈Ⅱ期〉アメリカに対し受動的かつ強調的な態度
97 年秋∼98 年半ば(*2)
・香港の通貨危機を境にアメリカと IMF は積極的に主導権を握る
―インドネシアの危機の深刻化もあって,伝染のリスクを強く認識
―日本の AMF 案に強く反対
→廃案
・日本は IMF パッケージに従って50億ドルを支援(1国としては最大額).
・日本国内の特殊事情
―97 年 11 月に山一證券,北海道拓殖銀行が破綻
―政府…アジア金融危機管理には全力で取り組めない
銀行…本音では撤退したいが,国内外で他の債権者と協力するよう圧力
製造業…アジア諸国での投資・経営環境改善を求め,米・IMF の進める構造改
革に賛成
98 年半ば∼99 年(*3)危機の後10
〈Ⅲ期〉注意深く独立性を求める態度
7 ここでの売り攻撃は,タイ政府に米国のドル・ペッグを買い支えるだけの外貨準備があるか,同国経済のファンダメン
タルズは大丈夫か,といったことを市場が疑問視するようになったためである.
8 片田 2002 第 5 章
9 内訳は,日本と IMF が40億ドルずつ,世界銀行が15億ドル,アジア開発銀行が12億ドル.このほかオーストラリア,
マレーシア,シンガポール,香港,韓国などが融資に協力した.
10 確かにアジア通貨危機は 98 年の秋には一応の収束があったかのように見えた.しかしこの秋,ロシアとブラジルで相
次いで外貨引き上げとそれに伴う株価暴落が起こった.これによりアジア危機の伝染効果がまだ生きていることが示さ
れた.両国の経済的苦境は 99 年初めまで続く.Ⅲ期の日本の行動は,こういった背景からでもある(片田 2002
4
・ロシアとブラジルの金融危機でアメリカ・IMF が手一杯の状況
・日本,アジア経済の危機管理に関する政策を提案
「新宮沢構想」
アメリカ・IMF・世銀も歓迎
6.模索される国際通貨制度
6.1国際金融危機管理11の重要性
①ドルの相対的地位低下
慢性的な経常収支赤字 → 赤字は民間の資本流入により補われる
→
資本の流入がストップしたら → ドル大暴落の危険
基軸通貨ドル
の不安定性
・先進国通貨に対するドルの価値の趨勢的な減価12
・90 年代後半のアメリカ好景気
→
2000 年の IT 産業の不振,経済成長鈍化
→“強いドル”政策からの転換
②90 年代以降発生した通貨危機において5.1で挙げたような特徴
―当事国の依って立つ経済基盤に大打撃
―先進国13にとっても無縁の問題ではない
③金融危機への対処の仕方
各国が“私的利益”を追求するだけでは,それぞれの望む利益すら得られない
→各国の政策調整,や全体としての協調政策が必要
6.2国際的な協力体制の枠組み
メキシコ・アジア両通貨危機後,その反省を踏まえて従来の IMF 体制の補完が進む.
何か画期的なシステムが発動したわけではなく,二国間あるいは多国間ネットワークを広げることが中心.
・IMF 追加準備ファシリティ(SRF)14/予防的信用供与
早期警戒システム/緊急融資メカニズム
⇔貸し手のリスク管理が甘くなる「モラル・ハザード問題」
・アジア圏
AMF 挫折からマニラ・フレームワークへ
―地域的な通貨基金を断念し二国間支援の拡充
pp.145-149).
11 危機管理といった場合に 2 つの意味合いがある.ひとつは危機を「予防」することであり,もうひとつは発生した危機
にどう「対処」するかである.だが,経済の相互依存やヘッジファンドの活動が活発になるなか,さまざまな経済危機を予
防することは,実際非常に困難である.したがって,「対処」の面からの危機管理が議論の中心となる.
12 1980 年代後半の先進国通貨に対するドル安はアメリカのドル建て国債に投資している先進国の機関投資家に巨額の
損失をもたらした.それ以降,ドル安を抑制するために,先進国政府はアメリカの民間資本流出を促進するような政策をし
ばしば採っている(藤原,小川,地主 2001 pp.31-32).
13 通貨危機や金融危機が発生したとき,債権者となるのは往々にして先進国の中央銀行,有力銀行,証券会社などである.
14 通常 IMF 融資は累積でクウォータの 300%が上限とされているが,突発的な通貨危機に巻き込まれた加盟国を支援す
るため,融資額に上限を設けていない.
5
7.私見
今回は 90 年代に起きた 2 つの通貨危機を事例として扱ったが,ある一国の危機が 1 週間後,1 ヶ月後には
自分に直面する問題になっているという状況は,国際的な金融秩序の安定が債権国・債務国問わず共通の利
益であることを強く示すものであった.しかし,危機を収拾し秩序の安定を目指すプロセスは,フリードマン
の「レクサスとオリーブの木」で指摘される「互いにオーバーラップし,影響を与えあう三つのバランス」
15 に支配されていたように思う.特に日本はこの三つのバランスに翻弄されることが多く,危機の収拾にあ
ったって一貫した態度や政策方針を示すことができなかった.(アジア市場と自国経済の深い結びつきから
アジア危機解決に乗り出そうとしたり,アメリカ・IMF とのパワーバランスあるいは国内の経済状況に応じ
てそのリーダーシップを放棄したり.5.3参照.)危機には協調して取り組む必要があるが,その中で国際
金融秩序の安定という“公益”と国家のいわば“私的利益”をどう絡ませるか,という視点に立つと,日本は
国際的な経済危機への対処としてある程度一貫性をもった基本姿勢を固める必要があると思う.
この問題は危機のときにとどまるものではない.確かに,経済グローバル化にともない国境を越えた資本
移動はより自由に,活発になり,そういった意味で国家の垣根はずいぶんと低くなった.一時,ドル一極化やド
ル・ユーロ二極化が語られた時期もあったが,当面は国や地域ごとの通貨が消えることはないだろうし,依然
として通貨を軸に一国の経済が評価される仕組みは続く.この中で“危機”に限らず,日ごろの日本の態度や
政策も市場によって監視され,国家の質・変化する国際情勢への対応力として評価されるのである.
冒頭の記事でも取り上げたように,現在アメリカ経済の先行きを懸念してドルの値下がりが加速してい
る.これは一時的な変化なのだろうか.為替相場市場でも,輸出量が大きく成長期に入って久しい中国やイン
ドが視野に入ってくる中で, 長年ドルの相対的地位低下を先進国の協調政策で支えていた構造が変化して
いるのではないか,と私は考える.今回の G7は,ドル牽引型からドル・ユーロ・円によるリスク分散型への
緩やかな転換を象徴している.
《参考文献》
※資料は当日配布します
片田さおり『グローバル・アクターの条件―国際金融危機と日本』(有斐閣,2002)
藤原秀雄,小川英治,地主敏樹『国際金融』(有斐閣,2001)
トーマス・フリードマン 東江一紀,服部清美 訳 『レクサスとオリーブの木』
(草思社,2000)
(中央公論,2001)
田所昌幸『「アメリカ」を超えたドル―金融グローバリゼーションと通貨外交』
岡田義昭『国際金融‐理論と政策‐』(法律文化社,2001)
荒木信義『ユーロ・ドル・円―貨幣から読み解く文化と経済』(丸善,2001)
「投資経済」2003-11 VOL.121 No.11
『現代用語の基礎知識』
(自由国民社,2003)
朝日新聞 http://www.asahi.com/money/ より 9/19-22
The Economist, A-a-and down!, Finance and economics, September 27th 2003
15 ①国家間の伝統的なバランス,②国家とグローバル市場のバランス,③国家と個人(ここではとくに投資家など)のバ
ランス(フリードマン 2000 上,pp.34-36)
6
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