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“一人の人から空の星のように”

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“一人の人から空の星のように”
“一人の人から空の星のように”
新約単篇
ヘブライ書の福音
“一人の人から空の星のように”
ヘブライ 11:12
信仰は、希望の内容を土台から支えて現実にする。信仰はまた、この目で
見ていないものを実地検分ずみと同じにする。(私訳)
ヘブライ書 11 章の初めの所を、そういう風に読めと私に教えたのは、ジョ
ージ・ベックマン先輩でした。私が 2 年生の時です。信頼できるイエスを持
つということは、天で与えられる輝く姿を、もう今ここで確認しているのと
同じだ。また、その権利証書か、検分の確認書を手にしているのと同じだと。
思うにジョージ先輩は、既にその頃から御自分の、今の輝く美しい姿を、天
に見ておられたのです。
パウロの言葉で言うなら、「体を離れて主のもとに住む」(Ⅱコリ 5:8)
喜びです。また、「命であるキリストが現われるとき、あなたもまた、キリ
ストと共に栄光に包まれて現われる」(コロ 3:4)という、その栄光です。
地上では悲しいことに、肉の幕屋は徐々に崩れて見る影もなかったのが、そ
の崩れて行ったみすぼらしい姿とは見違えるように、いま天の光の中にあり
ます。
ヘブライ書にはまた、次の言葉もあります。「外国の地を自分の約束の地
として受けとめたアブラハムは、その地に腰を落ち着けて住んだのだが、あ
れは、ひとえに信仰でだけできたのだ。」(ヘブ 11:9)
かつてアブラハムがヘブロンにあるマムレの樫の木のところに天幕を張っ
たとき、イサクとヤコブはその同じテントに住んで、父と同じ約束を味わっ
たと、ヘブライ書は伝えます。彼らは至近距離から父の生きかたを見たので
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“一人の人から空の星のように”
す。妻のサラは、アブラハムの信仰の生涯を一緒に生きたのでした。サラの
輝きはアブラハムの中に光っていました。
ヨハネの福音書に、「あなたは五十にもならないのに、アブラハムを見た
というのか」(8:57)という言葉があります。ユダヤ人がイエスを揶揄した
言葉です。主は永遠の世界から、アブラハムに目を留めておられました。ア
ブラハムは信仰の目でイエスをはっきり見て、喜びの声を上げたのだと言い
ます。私たちとは次元の違う触れ合いです。
私は、アブラハムを見たことはありません。それでも、私は確かに“アブ
ラハムの影”をこの目で見ました。「外国の地を自分の約束の地として受け
とめたアブラハムは、その地に腰を落ち着けて住んだのだが、あれが正に信
仰であった」とヘブライ書が言ったのと同じものを、ジョージ先輩の中に見
たからです。今から 49 年前、ベックマンさんが京都下賀茂の“樫の木”なら
ぬ“茶の木”の南に最初の天幕をお張りになった時から、私は、エセル姉妹
とお二人の献身―dedicated life―をこの目で見せて頂いたのです。
「あなたは、まだ七十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか?」「は
い、見ました。あれは本当に、アブラハムの影でした。」
四十数年前の懐かしい写真が残っています。下賀茂夜光町の玄関に私たち
若者と一緒に写っておられるジョージ先輩は、まさに三十歳台なかばです。
聖歌 338 の、「いとも良きものを君に献げよ」“Give of your best to the
Master”という歌詞の通り、彼はその生涯の最上の部分―「華の盛り」を
主に献げ、それを日本人のために与えたのです。
今から四十数年前に、その下賀茂の最初の家で私は、毎週土曜から日曜に
かけて、アブラハムのテントに寝泊まりを許されて、そこで、牧師というも
のは教会の人たちに仕えるのにどんな務めをするのかを手を取って教えられ
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“一人の人から空の星のように”
ました。謄写版を刷り、封筒の上書きをし、週報を作り、聖書研究の実習を
させていただき、伝道者としての私の最初の説教も、先輩の御指導のもとに
始められたのです。
聖書学院では、聖書の読み方を教えて頂きました。ローマ書やコリント書
を連続して正面から取り上げ、そこから神学的な講釈ではない普通の人に分
かる福音を話す技術……というより「芸術」に近いものを私はベックマン教
師から受けました。もう一人の先輩マーティン・クラーク氏からは、聖書と
キリスト以外に余分なものを含まない、最もシンプルなキリスト教の精神と
流儀を学びましたが、ベックマン氏からは、聖書そのものの読み方と伝え方
を学んだと思います。
ベックマン兄弟はアメリカ人です。ギリシャ人ではありません。しかし私
に最初のギリシャ語の手引きをして下さったのは、不思議なことにベックマ
ン先生でした。私がギリシャのアテネでマルコス・シオーティス博士に師事
できる基礎を作ったのは、αやβの字の書き方と読み方を私に教えた最初の
恩師、ジョージ・ベックマンなのです。もしこの師生から受けたあの語学の
感動がなかったら、私は家族を置いてアクロポリスの麓に留学することなど、
夢にも考えなかったでしょう。ヘブライ書はアブラハムについて、さらに次
のように書いています。
「その一人の人から、それも死んだように見えたその人から、あれだけの
子孫が、天の星の数のように、海辺の砂のように、数え切れないほど生まれ
たのである。」(11:12)
ヘブライ書の趣旨はもちろん、アブラハムの子孫が地上で神の民として増
え広がったことですが、これは単にイスラエルの血を引く民族の繁栄を預言
しただけではありません。それは同時に、“アブラハムが信じたと同じ信仰”
の子孫が世界を蔽うできごとを予告しています。
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“一人の人から空の星のように”
ジョージ兄弟は、この大阪聖書学院の初代の教師としても、その全精力と
情熱を注がれました。京都から西宮にお移りになってからは、その西宮の地
からこの中宮まで、誰よりも精勤に通勤なさり、私ども若い教師たちの鑑に
なられました。ついに数年前に、これ以上は講義を続けることは無理と分か
るまで、ローマ書、コリント書からヨハネ黙示録までの釈義と、新約緒論の
講義を担当され、旧約と新約の中間時代史をも教えてくださいました。
先輩からこれらの貴重な賜物を頂いた卒業生の数は、ほとんど百名に達し
ましょうか。北は北海道から南は沖縄に及ぶ、教え子たちのほかに、左京教
会以来宝塚まで 49 年、ベックマン夫妻から福音を聞いて信仰に入った人たち
が、この日本を蔽っているのです。
「一人の人から空の星のように」という表題は、この学生たちを表すのに
は、やや大仰に聞こえましょうか……。決してそうではありません。福音の
業は、連鎖反応の形で、末広がりに進むのです。アブラハムの信仰の種が撒
かれるとき、それは「一人の人から空の星のように」拡散します。私は、そ
の小さな星の一つとして、それが分かります。
ヘブライ書の 11 章が書かれてから少し後の時代に、ヘブライ書と似た内容
―アブラハムやエノクやノアの偉大さをテーマにしたヘブライ語の作品が、
いくつも書かれました。カトリック教会の「旧約続編」に含まれる「シラ書」
や「マカバイ記」はその見本です。例えばシラ書のリストなどは、延々15 頁
に亙る詳細なもので、ヘブライ書の十倍のスペースを割いて、イスラエルの
信仰の英雄たちを称えます。
でも、新約聖書に含まれるヘブライ書の語り口は、それとは全く違ってい
ます。アブラハムやノアやモーセを語るのにも、彼らの宗教者としての偉大
さとか、成し遂げた事業の立派さとかは、まるで“ノーカウント”にして、
ただ一つのことにだけ読者の注意を促します。それは、これらの人たちが、
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そこまで本気で信頼するだけの神を持っていた、ということです。それだけ
大きな、力ある神が、たとえばアブラハムを捉えて、あのような生き方をさ
せた。そんな神を信じられたことが、あの人たちの生涯の秘密であったと。
私たちは今日、愛する先輩ジョージ・ベックマンを称えるために集まった
のではありません。私たちは、ジョージ・ベックマンに命を与えた復活の主
を称えるために集まりました。「一人の人から空の星のように」日本に命の
種を撒かれた天の父を崇めるために集まりました。そして今ついに、神の僕
を「他国に宿る」労苦から解いて、安らぎを与え給うた神を称えるために、
私たちはここに集まったのです。
私は天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれ
て死ぬ人は幸いである』と。」御霊も言う。「然り、彼らは労苦を解かれて
安らぎを得る。その行ないは報われる。」(黙 14:13)
ベックマンさんの印鑑は三つの漢字を使って“別-久-満”と彫られていま
した。今その時が本当に「満ちて」主ご自身が彼を天に呼び戻されました。
ハレルヤ! 栄光はすべてベックマンさんを召した神に!
―以上はジョージ・ベックマン兄の記念式でのスピーチ
(1997/04/26)
[ 付 録 ]
エセル・ベックマン姉の記念式での祈り(終祷)
天にあって支配なさる父、
私たちは、あなた様の栄光を讃えます。
昔エフライムの山地やベツレヘムの野から預言者を起こされたように、ウ
ィスコンシンのあの広い農場のある地から、二人の聖徒を神の器として選び、
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“一人の人から空の星のように”
京都、兵庫と大阪の地に、福音の使者としてお遣わしになりました。
そのジョージさんとエセルさんを通して私たちは、イエス・キリストを知
り、復活の命を受けました。特にエセルさんは、つい先日まで、イエス様の
お力を私たちに証し、力の源を指し示す生涯を全うされました。このことの
故にあなた様の栄光を讃えます。
私たちは、今からその御業の続きが、私たち一人ひとりを用いて輝くこと
を思い、感謝と期待に満ちております。
天の住まいに今、私どもの愛するエセル姉妹を呼び寄せなさった父とキリ
ストに、栄光が限りなくありますように。
アアメン。
(2005/09/05,OBS)
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