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ESSAY 神戸 京都大学大学院 消化器内科・青木貴之

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ESSAY 神戸 京都大学大学院 消化器内科・青木貴之
神戸。
野坂 昭如 の 蛍 の 墓 の 哀 しさ、 自
らと口に出す ので、嫌 われる」
この街 は、 瀬戸 内海 を臨 む緩
州 次郎 の 国際感覚、淀 川長治 の
と世間で よ く言 われるらしい。
やか な気候 に包 まれ、緑 豊 か な
眉 毛、永 島 昭浩 の右足、藤 原 紀
なるほ ど、仰 る通 りだろ う。そ
六 甲 山系 を背 負 った 陽 当 りの 良
香 の 美脚 な ど、 枚挙 に い とまな
れで も、何 と言 われよう と、僕
い南 向 きの斜 面が東西 に細 長 く
い ほ どの 誇 るべ きもの を生 み 出
は、神戸 が好 きだ。断言で きる
広が り、 そ こ を流 れ る幾筋 かの
した。
が、世界 中 にある無数 の街 の 中
で、神戸 は最高 にかけがえのな
小 さな川が穏 や か に刻 んだ谷 が、
い街 だ。 もちろん、“
僕 にとって
上 質 の演奏 家 に よる品の 良 い ア
ここ まで の神 戸 賛辞 をお読 み
ドリブ の よ う に、 風 景 に華 や か
下 さった読 者 の 少 なか らぬ 方 は、
さと楽 しさを添 えてい る。
うん ざ り と した溜息 とと もにお
“
神戸 "と 題 した本稿で僕が語
古 くは源平 の 時代、義経 の逆
察 しの こ とだ ろ うが、 僕 は神 戸
ることがで きるのは、あ くまで、
落 と し伝 説 や敦盛 の悲 劇 を生 ん
に生 まれ、神戸 に育 った。「神戸
僕 に とっての、主観的なあ るい
だの をは じめ、東 山魁 夷 の色彩 、
人 は神 戸 を溺 愛 し、 そ れ をや た
は個人的な神戸 の話 だけだ。/
は"と い うことだ。
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京都大学大学院 消化器 内科
青 男卜 」
貴 :反 と
\客観的 で一 般性 を有する神戸
険 ")が あ る ものだか らだ。
途 中 に、 在 る。 神 戸 の素敵 な店
論 を語 る資格 も資質 も僕 には全
くない。努力次第では、客観的
の多 くは坂道 にあるのだ。
さて、 “個 人 的 な神 戸 自慢
"
視点 を持 つ取 り組み を諦 めて し
をあ と一 つ だ け。休 日の朝 食 に、
まうことの ない誠実な読者 には
贅沢 で豊 か な満足 を求 め るな ら
なれるかもしれないが。
ば、 デ リカテ ッセ ンの ソ ー セ ー
轟
神戸 は坂 の街 だ。
長 い前置 きの最後 に、僕 は神
ジ とフ ロ イ ン ドリー ブの パ ン と
戸 を離 れて十 年 目の春 を迎 えた
い う コ ンビ に勝 る もの は ない と
王子動 物 園か ら十分 ほ ど坂 道
ことを加 える必要があるだろう。
思 って い る。 デパ ー トで も手 に
を上 が った古 い家 の三 階で、成
一般的に言 って、 過去 の記憶、
入 るが、 折 角 な ら本 店 に足 を運
人 の 日とそ の振 替休 日の 連体 に
中で も遠 きにあ りて想 う故郷 は、
ばれ る こ とをお勧 め す る。 どち
遊 び疲 れ て寝 て い た大学 3年 生
美化 あるい は “
個人的な脚色 "
らも、 あれ だ け の 美 味 をそ ろ え
は、 彼 に とって は珍 しい こ とに、
る店 だが、 つ つ ま し く、坂 道 の
未 明 に 目を覚 ま した。 呑 み す ぎ
がなされ る傾 向
(あ
るい は “
危
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″ ″Zυ ω Иフ
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37
っ張 り下 ろ され る、 とい う表現
小学校 に行 くと、「昨 日、俺、揺
わ け で もな く、布 団 を蹴 り跳 ば
が “主 観 的 "に は正 確 で あ る。
れ たな と思 って しば ら くした ら
して寒 さに震 えて い たわ け で も
「撹拌 」。 カ クテル を作 る シェイ
ニ ュース 速 報 が 出て ん」 と得意
な い が、 妙 にす っ き りと覚醒 し
カ ー に入 れ られた氷 は こん な気
気 に語 る友 達 の話 を聞 い て、 自
∽
た こ とに首 をか しげ なが ら、 枕
分 な の だ ろ う。 と、 こん な事 を
分 は鈍 感 な のか、 とにか く、 な
Ш
元 の 時計 を手 に取 つた。 まだ六
そ の 時 に思 い浮 かべ る余裕 な ど
んだか 少 し負 けた よ うな気分 に
時 に もな って い な い。 まあ、 ち
勿論 なか った。
なった もの だ。 子供 とい うのは
>
た ビー ルのせ い で尿 意 を催 した
く
の
よ う どいい。今 日は病 理学 のス
そ の撹拌 の 中、彼 が思 った こ
ケ ッチの提 出 日だが、完成 して
とは「つ い に近 くに飛行 機 が 落
い な いの で、 早 め に起 きて描 く
ちた んだ」 とい う こ とだ った。
予 定 だ ったか ら、 そ ろそ ろ起 き
そ れ は、 幼 い 頃、彼 の姉 が 彼 に
小学校 の 頃。「地震が来た ら、
て もいい か。 そ れ に して も、早
「 ソ連 とアメ リ カが戦争始 めて、
机 の 下 に 隠 れ な さ い。
」 先生 の
ミサ イ ル撃 った ら、 ち ょ う ど 日
指示 に従 って、整 然 と並 んだ机
ぼんや り と天 丼 に 目をむ け て
本 の上 でぶ つ か って 落 ちて くる
の下 に、行儀 よ く一 斉 に も ぐり
そ ん な こ とを考 えて い る と、 真
ね んで え」 と言 って怖 が らせ た
こむ訓練 を した。 しか し、 さっ
冬 の朝 の沈 黙 の 中 に、地 鳴 りが
こ とが、 彼 の 中 で 記憶 の 島 と し
きの撹拌 の 中 で、 ベ ッ ドの隣 に
聞 こ えた。 片側 一 車線ず つ の 道
て残 り、 そ ん な こ とは起 こ り得
あ る机 の 下 に も ぐ りこむ なんて、
路が彼 の家 の前 で緩や かな「 く」
な い と判 る歳 になって も、 ソ連
で きる奴 はお らんわ な。 そ もそ
の 字 をな してお り、普段 の 昼 間
とい う国す らな くな った後 で も、
も机 が 転 が って い る。 何 事 もケ
で も、大型車 が速度 を落 と し き
“巨大 な落 下物 へ の 不 安 "と し
ー スバ ー ケ ー ス。全 ての ケ ース
らず に通 る と、 彼 の家 の古 い 木
て続 き、故 障 した飛行機 が 自分
の 訓練 はで きな いの は仕 方 ない
枠 の 窓 ガ ラス を震 わせ た。 こん
の上 に落 ち て きた ら怖 い なあ と
が、 習 つた 通 りにな らな い場合 、
い う心 配 が、 時 々 (ご く時 々 だ
とい うの もあ る こ とを、 小 学 生
ベ ッ ドの横 の 南 向 きの 窓か ら、
が )彼 の 意 識 に浮か ぶ こ とが あ
に も教 えてお くの は結構 大事 な
ひ どい 近視 の 眼 で外 を覗 い た と
ったのだ。
ん じゃな い か。 そ うす れ ばそ っ
す ぎるか ……。
な時 間 に何 の トラ ックか
?
と、
妙 な こ とで 得 意 になった り、悔
しがった りす る。
き、 陸 と空 の 境界 も判 らぬ 間 の
撹拌 が どれ ぐらいの時 間続 い
か ら先 を 自分 で 考 える奴 が、 ク
中 の、 しか し、家 の 前 の 道路 よ
たのか は分 か らな い が、 とにか
ラス に何 人 か は出て くるか もし
りは はるか に遠 い ところに、 閃
くそ れが 終 わ り、引 き続 き始 ま
れない。
光 を見 た。
った水 平方 向 の揺 れが落 ち着 い
そ の 光が何 者 で あ るか とい う
疑 間 を持 つ 間 もな く、太 く低 く
強 い音 とと もに、彼 はベ ッ ドか
てか ら、 窓 の外 を見 たが、 飛 行
機 の残骸 はなさそ うだった。
さて。 とにか く眼鏡 が な い と、
何 も行 動 で きな い。 普段 の 自分
そ うか、 地震 な の だ、 これ は、
の家 で す ら、 眼鏡 が な い と トイ
と彼 は漸 く思 い 至 った。 な にせ、
レに も安全 にた ど りつ け な い。
それか ら上下 に強 く振 り回 さ
ず っ と神戸 で暮 らして きた彼 に
踏 み 潰 さな い よ うに慎 重 に手探
れた。跳 ね上 げ られ て は落 ちて
は、地 震 を体 に感 じた記憶 が な
りを して い くと、 ベ ッ ドか らや
くる、 とい うの で はな い。持 ち
か った。 ニ ュース で 震度 1と か
や離 れた ところで そ れ は見 つ か
上 げ られた と思 った ら下 か ら引
2と か の 地 震 が あ った と知 り、
った。 幸 い 割 れて もい な い。倒
ら跳 ね上 げ られた。
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Й′Иttυ ′
s И♭
′
.Iθ ハb.1 2り り7
十 二 年 が経 ち、 当時 の 大学 3
して い た彼 が 力 い っぱい 引 っ張
の朝 日が照 らし始めた。幾筋 か
年 生 は 医師 とな って 十年 目の春
る と部屋 の ドアは開 いた。
の煙 と、炎が、坂 の下 の方 に見
を迎 えた。 そ の 親友 は地震 の翌
えだしたのは もうしばらく後 だ。
年 の春 か ら神 戸 を離 れ、 ここ 2
家 族 の 無事 も確 認 で き、余 震
の 続 く中、 古 い 家 か ら出 る こ
↓
度 か会 って は長 い酒 を呑 んで い
る。 二 十 一 歳 の 予言 なんて当 て
車 は移 動 の た めの 機械 だが、硬
くな い椅 子 に座 って 自家発 電 で
ここか ら先 の光景 は、 “
僕にと
に なる もので はな い。何 十年先
暖房 の 中 ラ ジオ を聞 け る機械 で
っての主 観 的 な神 戸 "と 読者 諸
どころか、 この 十 二 年 で 震 災 に
もあるのだ。
兄 が ご存 知 の “客観 的 な神 戸 で
まつ わ る話 を彼 と した こ とは、
の 出来事 "が 、比較 的 一 致 して
ほ とん どな い。彼 とだ け で はな
須磨 区 で は、 コ ンビニエ ンス ス
い る もの と思 われ る。 僕 よ りは
い。 そ の 間多 くの神 戸 人 と新 た
トア の棚 が倒 れ るな どして、 7
るか に高 い筆力 を もった記者 や
に出会 ったが、 震災 の話 は しな
人が怪我 を した模様。」
文筆家 に よる既存 の文章 に僕 が
い。美 味 しい パ ン屋 や洋 菓子屋
加 える ことは何 も無 い。
や 肉屋 の話 にはなる。
「神戸地方 で地震があ りま した。
彼 の 家 の真 向 か い には、 山麓
の住 宅地 と三 宮 を結 ぶ 路線 のバ
ス停 が あ る。 きち っ としたス ー
客観化、 一 般化 が既 に な され
↓
て い る こ とを語 るの はたや す い
が、個 別性 の 高 い こ とを語 り合
ツに堅 実 なデザ イ ンの ネ ク タイ
う こ とは 難 しい。 また、 本 来 は
を締 め た男性 が、坂 を下 りて き
一 月 ほ ど経 った 頃 だ っただ ろ
てバ ス停 に立 った。 腕 時計 に何
うか。大 阪 の 大 学 に通 ってい た
主 観 的 で 個 人 的問題 で あ るの に、
度 も 目をや り、少 し首 をか しげ
親友 が、「ゆっ くり風 呂 にで も入
安易 に一 般化 して語 りか け るの
て は、 道路 に 身 を乗 り出 してバ
」 と下宿 に よんで
りにお い でや。
は危 険 だ。 真 実 を見 失 う危 険 と、
ス がや って くるはず の東 の 暗 闇
くれ た。 小 さなユ ニ ッ トバ ス だ
悲 しみ と真 摯 に向 き合 い なが ら
を幾度か覗 き込 んだ。
ったが、 とて も気 持 ち よか った。
何 とか 現 実 との折 り合 い をつ け
夜 は 当然、呑 ん だ。 そ の 頃 の 多
て よ うや く保 たれ て い る弱 い 立
くの 人が そ うで あ った よ うに地
場 の心 を傷付 け て しまう危険だ。
「病理 のス ケ ッチの締 め切 り、
延期 になんや ろ うなあ。」
やが て、 辺 りに都 市 ガス の 臭
震 に関連 す る体験 を、 お互 い に
い が 漂 い だ した。家 々か ら人 々
話 し続 けた。語 るべ きエ ピソー
が 表 に出 て きた。寝 巻 きに コー
ドは尽 きる こ とはなか ったのだ。
轟
神戸 は坂 の街 だ。
トを羽織 った 人 もい たが 着 替 え
て い た人 も多 い。 ス ー ツ姿 の 男
「何 年 た っ て も、何 十 年 た っ
性 は、 バ スの 到着 をあ き らめ、
て も、 この先 どっかで神 戸 の 人
坂 道 を何分 か上 れ ば地 盤 が強
いつ もな らヘ ッ ドライ トが現 れ
と会 った ら、 必ず震災 の話 に な
く被 害 が少 な い 地域 にな り、十
るは ず の 東 の 間 を見 なが ら、 自
るんや ろなあ」 と親友 は言 った。
分 も下 れ ば、大 きな被害 が あ る
宅 の方へ と坂 を上 って い った。
そ の通 りだ と思 った。
地域 にな った。僕 だ って あ の小
学校 の 同級 生 の 家 に い れ ば、 ニ
1千 万 ドル の夜 景 とよばれ た
無数 の灯 りの 群 れ も消 えて い た
↓
ュース 速報 の 前 に地震 を感 じて
′
″ フ陶υω 乃 洗Iθ pら .12η 7
く
とが で きた。 寒 い。車 に入 った。
年 は海外 勤務 だが、必 ず 年 に何
∽ ∽ ヽ>
早朝 の間の街 の姿 を、やがて冬
F
れ た本箱 を ど け て、 ラグ ビー を
> く ∽ ∽ Ш
い たの だ ろ う。震災後 のボ ラ ン
観的な故郷 の街
テ イアの手 厚 さ と治安 の 良 さが
的 な被 災体 験 "
世 界 か ら賞 賛 を受 け たが、 坂 道
い や死 だ。 それ
を軸 に、 被 害 の 大 きか った地域
僕 はさせていた
と、 被 災後 も比 較 的余裕 の あ っ
「地震が きた C
た地 域 が近接 して い た とい う都
に潜 り込み な さ
市 の構 造 の 影響 は無視 で きな い。
言 って しまって
しか し、坂 道 だ けで な く、他 に
問す る。
も無 数 の 軸 が あ って、 その こ と
そ して深夜 の 病棟 や研 究室 で
が神戸 人 に震災 の記憶 を語 らせ
ふ と、 数千 の命 が損 なわれ つ つ
ない、 と もい えるのではないか。
あ った夜 明 け前 の街 の 間 の 中 で、
ス ー ツ を着 てバ ス停 で腕 時計 を
神戸 は震 災 を体験 した。 この
世 の全 ての 人 には、 各 々の “主
気 に して い た男性 の 姿 を思 い 出
す のだ。
遺 伝 子 組 換 えヒトG‐ CSF誘 導 体 製 剤
指定医薬品/処 方せん医薬品*
く
薬価基準収載〉
③
ノイアダプ 注
:31器
Neu‐ uピ brlnieCttOn輩翼R亀話稔膳梗
電
]魂 鷲
*注 意 ―医 師 等 の処方 せん により使 用 すること
「
「
■「効能・効果」
、用法・用量」
、使用上の注意
事項」は製品添付文書をご参照ください。
Ⅲ
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