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歴史教育における 絵画史料の活用に関する研究

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歴史教育における 絵画史料の活用に関する研究
研究題目
歴史教育における
絵画史料の活用に関する研究
兵庫教育大学大学院 学校教育研究科
教科・領域教育専攻 社会系コース
M93516G 佐藤 廣
1994年12月20日
目
次
序一研究の目的と方法一
1
第1章 歴史教育における絵画史料活用の意義
5
第1節 絵画史料の概念と特性
6
1
絵画史料の概念
6
2
絵画史料の特性
10
3
歴史教育における絵画史料活用の意義 …一…一一一…一一
15
第2節 絵画史料活用に関する先行研究の成果と課題 …・一…一・
22
1 歴史学者の絵画史料読解過程から
授業構成のあり方を探る研究 …………一 22
2 「見る」活動の特質から社会科
授業構成のあり方を探る研究 …一……… 28
3 絵画史料を活用した授業における
歴史理解のあり方を探る研:究 …・…一一一… 34
4 先行研究の成果と課題 40
第2章 歴史教育における絵画史料活用の現状 一1・……一一一…一一
47
第1節 歴史教科書における絵画史料の扱われ方の分析 ……一一一
48
1 各種資料中における絵画資料の比重 …一・……一一・一一…
48
2 絵画史料の内容と扱い 一一一……一一一一…・・一…一一…一一…一
52
第2節 絵画史料を活用した歴史授業実践の分析 …一一一一………一一
76
1
授業実践の分析の視点
76
2
分析の結果と考察
81
第3章 絵画史料を活用した歴史授業モデル …一一一一…一一一一一一一一一一一一123
第1節 歴史学における絵画史料読解方法論の抽出 …一一一一……124
1 絵画読解の一般的方法論 一……一……一一一…一一……一・……124
2 歴史学者・美術史学者による読解事例の分析 一…一127
3 読解事例からの具体的方法論の抽出 ………一一…一一一一…134
第2節 絵画史料を活用した歴史授業の構成原理 ……一一一一一一…144
1 目標設定と史料選択の原理 一一一…一一…一…一一………一一一一一一一一144
2 授業過程の構成原理 …一一一……一一一…一一…………一………一…一145
第3節 絵画史料を活用した歴史授業モデル 一一一一一一一一一一一一一一一一一一…148
1 時間の多層性をとらえさせる
ことをねらう授業モデル …一一一148
2 虚構性を含む史料から事実を
とらえさせることをねらう授業モデルー一一……174
結 一研究の成果と今後の課題一
203
序一研究の目的と方法一
1 研究の目的
1980年代以降に歴史教育界で注目を集めた実践のうちのいくっかは,
絵画史料をその実践での主要な資料として用いたものである。例えば,
有田和正氏の「長篠合戦図屏風」を用いた授業、,安井俊夫氏の徳川家康
の肖像画を用いた授業、,加藤公明氏の足利義満の肖像画を用いた授業や
「一遍上人絵伝」を用いた授業3などがこれに該当しよう。そして,これ
らの他にも,上記の実践から示唆を受けて行われたものかどうかは別と
して,数多くの絵画史料を用いた実践がなされてきており,さらには,
絵画史料を用いた授業に焦点を当てた実践事例集4も,出版されている。
絵画史料の利用が,近年の歴史教育における一つのブームとなっている
といってよい状況を呈しているのである。
しかし,個々の実践における絵画史料の用いられ方の間には,非常に
大きな落差がある。一部の優れた実践を除く,ほとんどの実践は,絵画
史料を非常に安易に用いているように思われる。例えば,絵画史料活用
の意義を充分検討しないまま,絵画史料を単に事実的知識を読み取らせ
るための資料として用いるに留まっていたり,絵画史料さえ使えば子ど
もの学習意欲を喚起できるという単純な発想から,絵画史料のある一面
を利用したりしているにすぎないような事例があるからである。
一方,実践の増加に伴って,教科教育の研究者の問でも,絵画史料を
利用した授業をめぐる研究が進められるようになり,絵画史料を用いた
授業の構成のあり方を考えていく上での重要な指摘がいくつかなされて
きている、。しかし,それらの先行研究においても,絵画史料活用の意義
1
の多角的な検討は充分なされているとはいえず,また,ごく少数の実践
事例についての分析が行われている例はあるものの,多くの事例分析に
もとづいて,実証的に絵画史料の用いられ方に見られる傾向や問題点を
分析した研究はないようである。
そこで,本論文では,以上に述べたような,絵画史料を用いた歴史の
授業をめぐる現状を踏まえて,歴史教育における絵画史料活用の意義の
多角的な解明や,先行授業実践での絵画史料の利用方法に見られる傾向
と問題点の実証的把握などを行った上で,問題点を克服し得る授業の構
成原理と具体的な授業モデルを提示することを目的として,研究に取り
組むことにした。
2 研究の方法
前記の目的を達成するために,以下のような手順で研究を進めること
にした。
ω 絵画史料の概念規定と,その特性・意義の解明
本研究で対象とする絵画史料の概念規定を行った上で,絵画史料
の持つ特性について整理して,現代の子どもたちの実態への対応,
従来の歴史教育に見られた問題点への対応,近年の歴史学界の動向
への対応という3っの観点から,歴史教育における絵画史料活用の
意義を明らかにする。
(2》先行研究の残した成果と課題の整理
絵画史料を用いた授業構成のあり方についての先行研究の分析を
行って,継承すべき成果と未解明の課題とを明らかにする。
2
③ 歴史教科書および授業実践事例の分析と考察
歴史の教科書における絵画史料の扱われ方にはどんな特色がある
のか,先行授業実践事例は歴史教育における絵画史料活用の意義や
先行研究の継承すべき成果を踏まえたものになっているのか,など
の点についての分析を行い,教科書や実践事例における絵画史料の
扱われ方の特色や問題点を明らかにした上で,問題点克服のあり方
を考察する。
(4}絵画史料を活用した歴史授業の構成原理と授業モデルの構築
上記のω∼(3》の段階での研究の成果を踏まえ,さらに,歴史学に
おける絵画史料の読解方法論のうちの有用な部分をも取り入れて,
絵画史料を効果的に活用する歴史授業の構成原理を構築した上で,
具体的な授業モデルを提示する。
〈註〉
1 有田和正「子どもが熱中する教材開発法」(『教育科学社会科教育善
276号,明治図書,1985年,57∼63頁)
2 安井俊夫「家康はすごいやつか」(『学びあう歴史の授業』青木書店,
1985年,62∼76頁)
3 加藤公明「義満の肖像画で教科書の中世史像を塗りかえる」および
「一遍上人絵伝に中世の息吹を発見する」 (『わくわく論争1考える
日本史授業』地歴社,1991年,U7∼125・126∼140頁)
4 千葉県歴史教育者協議会日本史部会編『絵画史料を読む日本史の
授業』国土社,1993年,佐藤仁「絵巻物でする歴史発見学習』明治
図書,1994年など
3
5 たとえば,江間史明「絵画資料分析と歴史教育一研究ノートー」
(東京大学教育学部教育申容研究室『教育内容研=究』第6集,1988年,
49∼61頁)
4
第■章 歴史教育における
絵画史料活用の意義
第1節 絵画史料の概念と特性
絵画史料とは,字義通り解釈すれば,絵画という形態をとった史料
ということになるが,具体的にどんな資料をその範疇に含めるかという
ことになると,解釈には微妙なばらつきが出るのではないだろうか。そ
こで,本節では,本研究で対象とする絵画史料の概念規定を行うととも
に,絵画史料の有する資料としての特性を整理し,絵画史料を歴史教育
において利用することの意義を明らかにしていく。
1 絵画史料の概念
歴史教育には実にさまざまな種類の資料が用いられているが,これら
の資料の類型化を試みた研究に吉川幸男氏のものがある。吉川氏は歴史
教育に用いられる資料を,「その資料のさまざまな部分の意味を,学習
者自ら創造的に読解できる資料かどうか」,および「生の原史料に対す
る現代人の加工や創作の手がより少ないか,より多く入っているか」の
2つの指標によって,次のように大きく4っに類型化している、。
意味固定的
原
創
典
作
意味流動的
6
意味固定的な資料とは多様な解釈の余地の少ない資料で,典型事例は
文字資料である。これに対して,意味流動的な資料とは多様な解釈ので
きる余地の多い資料で,具体的には図像資料がこれに該当する。また,
原典資料とは,端的に表現すれば歴史学で研究の材料とされるような資
料であり,創作資料とは,歴史学の研究の成果を踏まえて生み出された
資料である。A∼Dの各類型について,吉川氏は,以下のような具体例
を挙げている。
A(意味固定的な原典資料)……
古文書など
B(意味固定的な創作資料)……
現代の作家による歴史物語など
C(意味流動的な原典資料)……
絵巻物など
D(意味流動的な創作資料)……
想像画など
本研究で絵画史料という場合,AやBの資料を含まないことはもちろ
んである。問題はDに該当する想像画を典型例とする資料群であるが,
ここでは,これらも絵画史料とは区別して扱うことにする。想像画など
は表現の形態として絵画という形をとってはいるが,そこに示された図
像は現代人の想像にもとつくものであり,その図像から読み取れること
がらも,あくまでも「現代人はこう解釈している」といったレベルのも
のである。絵巻物などの原典資料としての絵画から読み取られる情報が
その絵画が作成された当時の社会の状況や人々の心性などを反映したも
のであるのと比べ,その情報の質に明らかに相違があるからである。
ただし,ここで注意しなければならないのは,C類型としてまとめら
れている資料群にも,さまざまな性質のものが含まれているということ
である。
7
黒田日出男氏は絵画を活用した歴史学研究の第一人者として知られて
いるが,その黒田氏によって,歴史学の立場から,AおよびCに該当す
る資料群,すなわち,歴史学でいうところの史料の細かい類型化が行わ
れている、。そこでは,吉川氏のいう意味流動的な原典資料が「アナロ
グ史料」と表現され,さらに15の類型に区分されている。また,絵巻
物などの,画像と言語とを併用した史料を対象とする「アナログ・デジ
タル史料」という区分も設けられている。黒田氏の示している諸類型の
うち,「アナログ史料」「アナログ・デジタル史料」に関係する部分の
みを示すと,次のようになる。
アナログ史料(画像史料)
a 壁画(高松塚古墳・法隆寺など)
b 模様・紋様
c 織物の紋様・柄・絵
d 陶磁器の形・絵柄など
e その他の家具・調度品の絵柄など
f 仏画(曼陀羅などを含む)・垂 画(神像などを含む)・写経
絵など
g 肖像画・頂相など
h 山水画・花鳥風月画など
i 初期風俗画(洛中洛外図屏風・南蛮図屏風などを含む)など
j 風景画・静物画・写生画・細密画など
k 写真(さまざまな写真)・無声映画など
1 絵図・絵地図(境内図などを含む)など
m 建築指図・設計図・想像図など
8
n 案内図・道中図・観光図など
o 地形図・日本図・世界図・天文図など
アナログ・デジタル史料(画像・文字列史料)
a 絵巻物(縁起絵巻・物語絵巻・御伽草子・職人歌合絵巻・年中
行事絵巻など)
b 絵解きの行なわれた絵画(参詣曼陀羅・十界図・地獄極楽図そ
の他)
c 小説の挿絵・図版など
d 映画・漫画・劇画など
e 広告など
黒田氏のいうアナログ史料の概念は本研究で用いる絵画史料の概念に
近いが,b∼eの紋様・絵柄など,およびkの写真・無声映画などは,
他の史料と多少性質が異なるように思われる。紋様・絵柄などは,絵画
というよりもデザイン的な要素が強く,また,写真・無声映画は光学的
な画像であり,絵画の画像とは,社会の状況やそれを写した人物の心性
を反映する程度が異なると考えられるからである。これに対して,黒田
氏の区分ではアナログ・デジタル史料とされているものでも,映画以外
は,文字と分離して扱うのであれば絵画史料に含めて扱っても問題はな
いように思われる。
以上のことから,ここでは,黒田氏のいうアナログ史料の諸類型の中
から,b∼eの紋様・絵柄などとkの写真・無声映画などを除き,アナ
ログ・デジタル史料から文字を除去したものを加えたものを,絵画史料
として扱っていくことにしたい。
9
2 絵画史料の特性
前項で述べたことがらにも関連するが,絵画史料の資料としての特性
は,簡単にいえば文字資料と対極をなす意味流動的な資料であり,かっ
原典資料であるということである。ここでは,この意味流動的な原典資
料という基本的特性から派生する絵画史料の諸特性について整理してお
くことにしたい。
ところで,絵画史料の特性については,既に何人かの先行研究者がそ
の論考の中で言及している。最初に,それらの先行研究者が,絵画史料
の特性について,どのような指摘をしているのかを概観していくことに
する。
まず,文字資料,および創作資料との対比から,絵画史料の特性につ
いて述べた論考である,吉川幸男氏のものから見ていこう。吉川氏は,一
文字資料との比較を通し,
図像資料が文字資料と決定的に異なる点は, 「記号」と「意味」の
関係の流動性にある。日本語古語の語彙と文法を知っていれば古文書
の読解はなんとかできよう。知らない語が出てきたときにも古語辞典
などを引くであろう。ことばという記号と意味との対応関係はきわめ
て明確である。ところが図像資料の場合,(中略)画像のどの部分の
図像が記号に相当し,それぞれ何を意味しているかを読み取るための
「図像辞典」 「イメージ辞典」などはなく,読解者が自らの経験から
積み上げてきた,頭の中のイメージの辞書にたよらざるを得ない,(中
略)いわば文字資料を読む際の語彙と文法に相当するものを自分でっ
くってゆかなければならない。3
10
と述べている。ここでは,絵画史料と文字資料では,読解のされ方に違
いがあって,絵画史料の読解には,文字資料読解の場合のような一定の
基準がないことが指摘されている。 また,吉川氏は同じ論文の中で,
画像の中に描かれたり作られたりする図像は,そのような図像が何
者かによって描かれたという事実のみを示し,内容的に何らかの歴史
的事実をただ写実的に写し取ったものではない。 (中略)画像から引
き出されるべきことは,実際にこのようなことがあったという歴史的
事実の情報ではなく,鉄砲が登場した頃の合戦の様子とか平安時代の
貴族の生活とか幕政改革に対する民衆の反発など,もっと象徴的な意
味であろう。このような象徴的な意味を読解するためには,画像をい
くつかの部分に分節し,それぞれの意味を創造的に,つまりこの部分
をなぜこのように描いたの回ろうという視点から読み取ってゆかな
ければならない。文字資料のように事実を確定した後に解釈が行わ
れるのではなく,最初から読解者による主観的な解釈が入り込むので
ある。4
とも述べている。この部分では,絵画史料と文字資料では,伝達する情
報の質,すなわち伝達内容に違いがあり,絵画史料からは,文字資料で
なら読解可能であるような具体的な歴史的事実の読み取りは難しく,読
解者自身の努力によって,その絵画が象徴的に示しているものを読み取
っていく必要のあることが指摘されている。このことは,絵画が写真な
どの光学的な画像とは異なる,人間の手になる画像であることに由来す
る特性である。
11
さらに,吉川氏は,
われわれは原典資料に向かうとき,歴史研究者となり,資料の意味
するところを読み取り,解釈をして自らの歴史理解を構築していく。,
と述べ,絵画史料の持つ原典資料としての側面から生ずる特性について
も目を向けている。
次に,高等学校における日本史教育の実践家である加藤公明氏の論考
に目を通すことにする。加藤氏は,絵画史料の持つ特性について,次の
ように述べている。
絵画史料の教材としての特性を考えると,まず第一は事実確認の容
易さである。 (中略)そこに何が描かれているかは高校生でも視覚に
よって比較的容易に認知することができる。複雑な手続きや一定の技
術なしに直接史料を読みとることができるわけで,生徒の興味と関心
を引きやすいことはいうまでもない。
第二は,そこからどんな歴史的事実をつかみ出してくるかだが,絵
画史料の無定型とも言える自由さは重要である。文献史料であれば,
それは文字をもって何らかの情報が記されており,その情報の解釈が
事実のすべてである。しかし,絵画史料の場合はけっして史料自身が
雄弁に自己を主張することはない。むしろ読み手がいかなる視点や関
心をもって史料のどこに着目するかが問題であり,,その差異によって
同一の史料からいくつもの違った事実をつかみ取ることができるので
ある。6
12
加藤氏の第一の指摘は,絵画史料においては,画像,すなわち何が描
かれているのかということの把握が容易であるということである。この
ことは,絵画史料から読み手に直接伝達される情報の内容が人物の様子
や器物の形態などといった非常に具体的なものであること,および,読
み手が情報を受け取る過程で,基本的に,特殊な前提,例えば,古語の
習得というようなものが必要でないということに由来しているといって
よいだろう。
加藤氏の第二の指摘は,絵画史料の提供する情報は,読み手の独創的
な解釈を許す余地に富んだものであるということである。このことは,
絵画史料が,例えばそこに登場する人物の履歴や現に行っている行為の
目的などといった無形の事実についての情報を伝えることに適していな
いこと,および,読み取りの進め方に,文字資料の場合のような特定の
ルールが存在していないということに由来するものである。
以上,吉川幸男氏と加藤公明氏の指摘する絵画史料の特性を見てきた
が,ここで気づくことは,それらの特性が,読み手に伝達される情報の
質や内容に関するもの,情報の読み取りの方法に関するもの,非光学的
な画像資料であることに由来するもの,原典資料であることに由来する
もの,の4類型に大きく分類できるのではないかということである。
このような観点に立つと,絵画史料の持つ特性は,次のように整理で
きるだろう。
(D 伝達される情報の質・内容に関する特性
・人物や器物,あるいはそれらの集合体として描かれた社会事象の
ある場面の視覚的特徴については,非常に具体的な情報を提供す
る(特性a>。
13
・描かれた人物や事象の外見からだけでは読み取れない属性につい
ての情報は,直接的には伝達することができない(特性b)。
(2》情報の読み取りの方法に関する特性
・言語の習得が読解の前提とはならず,他国で作成されたものから
でも,古い時代のものからでも,ある程度の基本的な情報の読み
取りが可能である(特性。)。
・読み取りの進め方などに,文章の読解の場合のような特定の手順
がなく,読み手の独自の関心や思考法などに応じた工夫を取り入
れる余地が多い(特性d)。
③ 非光学的な画像資料であることに由来する特性
・描かれているものは必ずしも歴史的な事実ではなく,事実の象徴
である(特性e)。
(4》原典資料であることに由来する特性
・他人の行った解釈の理解ではなく,読み手自身による解釈を可能
にする(特性f)。
これらのうち,特性a・cは,子どもたちに絵画史料を親しみやすく
取り組みやすい資料だと感じさせ,学習への参加を促す効果を持つもの
と思われる。また,特性b・d・e・fは,互いに相侯って,歴史学習
を,単に歴史学者や教師の歴史観を伝達する場ではなく,子どもたちが
自分なりの歴史観を主体的に構築していく場とする効果を生み出すもの
と思われる。
歴史授業では,ここに示したような絵画史料の諸特性を踏まえ,その
活用を図っていく必要があるだろう。
14
3 歴史教育における絵画史料活用の意義
本項では,歴史学習に絵画史料読解を導入する意義について,現代の
子どもたちの実態への対応,従来の歴史教育の問題点の克服,歴史学界
における研究対象についての認識の変化への対応という3つの観点から
論じていくことにする。
平野昇氏は,現代の子どもたちの実態について,
子どもたちの変化ですけれども,活字離れと言うか,とにかく文字
はきらいです。国語的な学力が低下していますので,15年くらい前
の子どもたちには読み取れたプリントを,そのままうちの組に出した
としたら,とても読めないと思うんですね。7
と述べて,子どもたちに,文字資料に対する抵抗感が強まっていること
を指摘している。
また,藤井千之助氏も,
中学校,高等学校での授業においては,全般的に多量の板書やプリ
ントがみられる。 (中略)しかし,多量の板書やプリントが生徒の歴
史内容理解,さらには,生徒の歴史認識を発展させることに直ちにつ
ながっているとは言えない。むしろ生徒の歴史学習に対する意欲の減
退を招くことさえある。8
と述べ,一般的には文字資料主体であるプリントの多量配布が,子ども
の学習意欲をそぐ危険性を指摘している。
15
一方,加藤公明氏は,
生まれたときからカラーテレビ・ビデオやグラビア雑誌,まんが本
といったビジュアル文化の中で成長してきた生徒たちである。彼らの
絵画を見る目,色彩や構図にたいする感覚は旧世代の教師や研究者以
上のものがあるはずであり,そこから彼らが豊かで鋭い歴史認識を創
造してゆく可能性は大きい。g
と述べ,現代の子どもたちが視覚資料に対する優れた読解力を秘めてい
る可能性のあることをも指摘している。
以上の各指摘の内容をまとめると,現代の子どもたちには,文字を媒
体とした学習への抵抗感が強いという傾向が見られるものの,視覚的な
資料に対しては,優れた読解力を秘めている可能性があるということに
なる。
子どもたちのこのような実態を踏まえると,絵画史料は,彼らにも比
較的受け入れられやすく,また,彼らの学習意欲を高揚させる可能性を
持つ資料として,意義深いものといえるだろう。
次に,従来の歴史教育の問題点の克服にどう関与できるのかという観
点から,絵画史料の持つ意義をみていくことにしよう。
伊東亮三氏は,従来の社会科教育の問題点について,
(従来の一般的な:引用者)授業で子どもに与えられる学力とはど
んなものであろうか。それには多くの説明を要しないであろう。 (中
略)羅列的知識の暗記,事典的知識の記憶,これが,一般に社会科で
養われている学力である。(中略)このような授業から,みずから考
16
える子どもや社会的判断力が育つわけはない。、。
と述べ,個別的知識の習得に力点が置かれ,思考力・判断力などの育成
が疎かにされるような状態が続いてきたことを問題としている。
また,平野三二は,
10年くらい前までは文章の資料を中心にしていました。それでは
だめだという考えにだんだんなってきたんですけども,一つには,文
章の資料で出しますと,どうしても教師の読み取り方を子どもに強制
しがちになることに気づいたからです。たとえば,阿丞河荘の農民た
ちが作った片仮名の文章なんかを扱いますと,領主はこんなに酷かっ
たんだ,農民たちは必死で覚えた文字でこうやって手紙を書いたんだ
と結論づけてしまいがちです。教師の読み方で一つの歴史観を教えこ
んでしまう傾向になりやすいわけです。u
と述べ,文字資料中心であった従来の歴史学習では,形の上では資料の
読解という活動をさせている場合でも,実質的には,それが教師によっ
て用意された一定の歴史観を子どもに把握させるための活動になりがち
なことを指摘している。
絵画史料は,前項で指摘したように,読解の手順が特に定まってはお
らず,各自の関心にもとづいて読解の視点を設定し,解釈の結果にも独
自性を出すことのできる余地が多いことを特色としている。また,解釈
を行わせた後に,その解釈の妥当性について吟味させる活動を取り入れ
れば,その過程で,子どもたちに二二の知識を活用させる場面を設定す
ることも可能になってくるだろう。従って,歴史学習に絵画史料読解と
17
いう活動を導入することは,従来の歴史教育で思考力などの育成とそれ
に伴う知識の活用が疎かにされてきたことや,特定の歴史観の注入がな
されがちであったという問題点を克服するための一つの有力な方策とな
り得るという点においても,有意義であるといえよう。
最後に,歴史学界の近年の動向との関連から見た場合に,歴史学習で
絵画史料の活用を進めていくことが,どんな意義を有するのかを見てい
こう。
近年,歴史学においても,絵画が史料として重視されるようになって
きているが,このような傾向は,フランスのアナール派の学者たちの活
動に代表される「新しい歴史学」の動きに刺激を受けて生じたものだと
いわれている。
「新しい歴史学」の特色について,金子邦秀氏は,次のように整理し
ている。
「新しい歴史学」の「新しさ」は,第一に,長期的枠組み,あるい
は緩やかに変化していく歴史二構造の重視,−社会=歴史における時間
の多層性や空間の多層性の重視等にそれが表れている。つまり,従来
の歴史学が変化を第一義的に問題にしたのに対して,噺しい歴史学」
にあっては,社会のより基底にあって人々を規定している枠組みを重
視している。 (中略)第二に,「新しい歴史学」の「新しさ」は,多
種多様な資料に基づいた歴史学の可能性を示したところにある。ル篇
ゴフやル=ロワ=ラデュリらによれば,資料は歴史のある一方向が産
み出したものであるが,その資料は「虚偽」のものであってもよいと
される。 「虚偽」の資料も,それを産み出した時代に生きた人々の産
み出した「真」の資料であって,時には「現実」を偽りながら「現
18
実」を語っているのである,とされる。、2
すなわち, 「新しい歴史学」とは,政治史を主要な研究対象とし,そ
の結果,政治体制の顕著な変革の契機を作った特定の個人や特定の事件
に目を奪われがちになる傾向のあった従来の歴史学の偏向性を克服し,
社会・生活・文化・精神などといった,劇的な変化は示さないけれども
重要なものに目を向けていこうとする歴史学なのであり,研究方法の面
でも,虚構性を含む史料のような,従来はあまり顧みられてこなかった
種類の史料にも意義を見い出そうとするものなのである。
注意しなければならないのは, 「新しい歴史学」は決して政治史など
を軽視しているわけではないということである。福井憲彦氏が指摘して
いるように,最終的に問題なのは, 「長期的時間枠のみが歴史認識にお
いて本質的に重要だ,ということでは」なく,「歴史における多層的な
時間の諸層が,ある社会のある時点において,どのような相互連関性を
もって全体を成り立たせているのかを,明らかにすること」、3だとされ
ている。
ところで,ここで問題となるのは,回しい歴史学」によって問題と
されている従来の歴史学が持っていた偏向性に,これまでの歴史教育も
;覆われてきていたということである。
金子氏は,この問題に関して,
「新しい歴史学」はシミアンによれば,「歴史家という部族がいだ
く三つの偶像」,すなわち「政治の偶像」「個人の偶像」「年代の偶
像」を打ち壊したところにその意義がある,とされる。そして,この
3つの偶像が,実は旧来の歴史教育にも存在しているものであること
19
に思い至るとき,われわれは自ら,この偶像を打ち破ることが必要な
のである。、4
と述べている。歴史教育においても,政治史偏重の傾向を反省すべきで
あるとしているのである。
このような動向を踏まえ,従来の歴史教育の内容や方法の改善を図ろ
うとする時,ここでも,絵画史料の読解活動を授業に取り入れることが
意義を持ってくる。絵画史料の読解という活動は,もともと社会や生活
などといった従来の歴史学においては重視されてこなかった要素の歴史
をも浮かび上がらせて,多層的な歴史の全体像を解明することを目的と
し,虚構性を含む史料の中からさえ,事実を読み取っていこうとする方
法論に立脚して,「新しい歴史学」を推進する人々によって始あられた
ものだからである。
以上で述べてきたように,歴史教育に絵画史料の読解という活動を導
入することには,さまざまな点で意義を認めることができる。従って,
今後,大切になってくるのは,それらの意義を充分に理解し,それに照
らして意味のある用い方で絵画史料の活用を図っていくことであろう。
〈註〉
1 吉川幸男「歴史学習における図像資料の活用」 (『現代社会科教育
実践講座10』ニチブン,1991年)62∼63頁
2 黒田日出男「史料学と絵画史料」 (『週刊朝日百科 日本の歴史・
別冊1』朝日新聞社,1988年)4∼6頁
3 吉川幸男 前掲論文 64頁
20
4
吉川幸男 前掲論文 64∼65頁
5
吉川幸男 前掲論文 66頁
6
加藤公明『わくわく論争!考える日本史授業』地歴社,1991年,126頁
7
稲垣忠彦ほかrr蒙古襲来』の授業を批評する」 (稲垣忠彦ほか
『シリーズ授業4 社会』岩波書店,1992年)63頁
8
藤井千之助『歴史意識の理論的・実証的研究』風間書房,1985年,
30頁
9 加藤公明 前掲書 126頁
10伊東亮三「到達目標の明確化と社会科授業の改造」 (伊東亮三編
『達成目標を明確にした社会科授業改造入門遅明治図書,1982年)
10∼11頁
ll稲垣忠彦ほか 前掲批評会記録 63頁
12金子邦秀「歴史教育をめぐる思潮」 (金子邦秀編『新中学校社会科
授業方略の理論と実践 歴史編』清水書院,1992年)12∼13頁
13福井憲彦r「新しい歴史学」とは何か』日本エディタースクール出
版部,1987年,10∼11頁
14金子邦秀 前掲論文 13頁
21
第2節 絵画史料活用に関する先行研究の成果と課題
歴史教育における絵画史料活用に関する先行研究には,現状では歴史
学者による絵画史料読解の過程に着目して授業構成のあり方を探ろうと
するもの,画像を見るという活動に固有な特質を踏まえて授業構成の
あり方を探ろうとするもの,絵画資料を活用した授業における子どもの
歴史理解のあり方を明らかにしょうとするもの,という3つの類型が見
受けられる。本節では,以上の各類型の画像資料活用に関する研究につ
いて,整理・検討を行い,それぞれの成果と課題とを明らかにしていき
たい。
1 歴史学者の絵画史料読解過程から授業構成のあり方を探る研究
ここで検討の対象とするのは,歴史学者による絵画史料読解過程の分
析を行い,そこで明らかにされることから歴史教育が学ぶべきことを考
察しようとした研究であり,具体的には江間史明氏による研究,および
原田智仁氏による研究がある。
まず,江間氏による研究、の概要を見ていこう。江間氏は,歴史学者
による絵画史料読解過程の事例として,黒田日出男氏による「東郷荘絵
図」の読解,および「一遍上人絵詞伝」の読解を取り上げて,それぞれ
の読解過程とそこでの読解内容の概要を具体的に紹介・分析した上で,
その結論として,
図像の意味を探索する時,歴史家は,当該の図像を,描き手が描力、
ねぼなら嶽からたものとしてとらえる必要がある。
22
このように図像をとらえることによって,歴史家は, 「どうしてこ
んな図像を描いたのか?」という「問い」をたてることができるので
ある。この「問い」は,描き手を制約している文化的・政治的な文脈
に歴史家が目を向けることを意味する。
(中略)
結局,歴史家は,個々の図像の意味を探索するためには,何らかの
文脈を推定し,補わなければならないのである。
(中略)
その際,個々の図像に即した妥当な解釈がなされた場合には,絵画
資料分析は,新たな歴史像を提起できるのである。、
という指摘をしている。
江間氏がここでいう「文脈」の推定・補足とは,具体的には黒田氏が
「東郷荘絵図」に描かれた2人の人物が乗った船の図像は,湖上の境界
を示す「動く中分線」として描かれたものではないかとする解釈を導き
出す際に, 「東郷荘絵図は,地頭と領家の下地中分を示す絵図である。
両者の境界の設定に何ら曖昧な点はないはずだ」という推定を行ってい
ると考えられることなどを指している。
以上のような指摘をした上で,江間氏は黒田氏の「東郷荘絵図」読解
の過程を参考にして作成した授業案を提示している。授業の流れの概要
を示すと,次のようになる。
第1段階:「東郷荘絵図」を生徒に配布し,東郷荘の領域を予想させ
る。
第2段階:1258年に下地中分が行われたことを知らせ,その際の地頭
23
分と領家分の境界を予想させる。
第3段階:東郷湖も分割されたのだろうかという問題を投げ掛けた上
で,湖とその周囲の図像から気づくことを指摘させ,それ
ぞれの図像の意味することについて考えさせる。
第4段階:2人の人物が乗った船の図像についての黒田氏の解釈を紹
介し,その解釈が妥当だと思うか否かについて考えさせる,
第5段階:「東郷荘絵図」に描かれたものは全て地頭と領家の間で分
配の対象とされたものであるとの黒田氏の解釈を紹介した
上で,絵図の中から両者が分配したと思われるものを見っ
けさせる。
以上が,江間氏の研究の概要である。では,この研究がどんな意義を
持ち,どんな課題を有しているのかを次に検討してみることにしたい。
まず,江間氏の研究は,次のような指摘をしているという点で,意義
深いといえるだろう。すなわち,歴史学における絵画史料の読解とは,
「どうしてこんな図像を描いたのか?」という問いを念頭に置いて絵画
に三時し,その絵画史料を作成した絵師が生きた時代の社会の状況など
を追究していくことであるという指摘である。
この指摘は,歴史教育において,絵画史料を資料として用いる場合に
も,同じように,絵画をもとに,その絵画が描かれた時代の社会の状況
などを追究させていくことが大切になることを示唆してもいよう。
ところが,せっかくこのような意義深い指摘をしているにもかかわら
ず,江間氏自身は,その指摘を授業案作成にあまり生かしてはいない。
江間氏の授業案には,「東郷荘絵図」を使用した図像の読み取り・吟味
などの学習活動が随所に取り入れられており,受け身的な学習場面の割
24
合が少ないという意味においては,絵画史料を使用した効果が現われて
いるといえるが,この授業の結果,多くの生徒が獲得する知識は,おそ
らく,中世の荘園では下地中分が行われた,そして,黒田氏は絵図の申
の船などの図像についても中分の状況を示したものと解釈している,と
いった類のものになるのではなかろうか。
先述した江間氏の指摘から得られる示唆を生かして授業を構成すると
すれば,「東郷荘絵図」を見た児童や生徒に,当時の人々はなぜこれほ
ど境界線を強調した絵図を描かねばならなからたみか,という疑問を持
たせ,その原因となった社会状況を追究させていくという授業過程を組
むべきであったろう。そうすれば,当時の社会では武家勢力の公家勢力
や寺社勢力に対する蚕食が進みつつあり,公家・寺社はその蚕食に対す
る対応に迫られつつも,有効な対策を見いだし難い状況になっていた,
という時代像を踏まえた理解にまで到達させることができたのではない
だろうか。
では,次に,原田氏による研究,の概要を見ることにしよう。原田氏
の研究は,社会史研究の成果を生かした歴史授業の構成の研究の一環と
して取り組まれたものであり,近藤和彦氏のシャリヴンリに関する研究
成果に依拠しつつ,シャリヴンリの様子を描いた絵画史料(ホゥガース
の版画)を主な資料として,近世ヨーロッパにおける政治文化の実像に
迫らせるための授業を構成しようとしたものである。
原田氏は,まず,近藤氏の研究成果について分析を行って,その理論
を以下に示したような命題の形に整理し,それを参考にして,教育内容
の設定と教材(資料)の選択・構成,および授業過程の構成を行おうと
している。
25
①近世ヨーロッパには,民衆的,エリート的と名づけられる二つの
文化が存在したが,両者の境界は流動的で,相互浸透をともなうせ
めぎあいの関係にあった。【二つの文化ないし民衆文化の構造】
②民衆の世界には,歴史的に伝承レた規範ないし固有の文化をまも
ろうとする共通の世界観があった。【モラル・エコノミー】
③共同体的規範に違犯ないし敵対した者には,集団的制裁の儀礼と
して,騒然たる音響をともなう示威行為がなされた,【シャリヴァリ
の定義】
④シャリヴァリには,刑罰的要素と祝祭的要素の二つが認められた,
【シャリウ》りの二要素】
⑤ シャリヴァリにおける制裁は,強制・懲罰・同調の三局面からな
っていた。【シャリヴァリにおける制裁の三局面】
⑥ホゥガースの版画はシャリヴァリの意味と構図を能弁に示してい
る。 【シャリヴシリの図像分析】、
原田氏は,これらの命題のうち,「①や②はきわめて抽象性・一般性
の高い命題であるのに対し,③・④・⑤と次第に具体性が増し,⑥に至
っては特殊な個別事象の記述となっている」との指摘をした上で,抽象
的なものから具体的なものへと進んでいく, 「いわば(中略)『見えな
いものから見えるものへ』」と展開する論理からは,教育内容の設定と
教材の選択・構成の方法を,また,反対に「『(前略)見えるものから
見えないものへ』」と展開していく論理からは,授業過程の構成の方法
を学ぶことができる5と述べている。そして,前者の論理に沿って,民
衆文化としてのモラル・エコノミーとシャリヴァリを教育内容に,また
ホゥガースの版画を教材に選択するとともに,後者の論理に沿って,次
26
のような問いの構造を組み込んで,絵画史料を活用した授業を設計して
いるのである。
①この図から何がわかるか。(シャリウァリの現象的イメージを形
成する問い)
a この図にはどんなものが描かれているか。 (描かれている事実
を確定させる問い)
b この図は何(主題)を描いたものか。(シャリヴァリ的現象に
着目させる問い)
② シャリヴァリとは一体何だろうか。(シャリヴレリの意味をとら
えさせる問い)
a 人々は何のため(目的)にシャリウァリを行ったのか。 (シャ
リウァリの定義,二つの要素をとらえさせる問い)
b シャリウァリ(制裁)はどのように行われたか。 (シャリウァ
りの三つρ契機をとらえさせる問い)
③人々はなぜ(康因)シャリウ》リを行ったのか。(モラル・エコ
ノミーを導く問い)
④民衆のシャリヴyリ行為に,支配階層はどう対処したか。(二つ
の文化の構図をとらえさせる問い)6
以上の原田氏の研究で重要なのは,歴史学者の研究方法より導き出さ
れる「見えるものから見えないものへ」と展開する論理から授業過程の
構成方法を学ぶことができるという指摘である。そして,原田氏の示し
た実践案は,この指摘を生かしたものとなっている。
この原田氏の指摘を,先に見た江間氏の指摘から得られた示唆と比較
27
してみると,両者は,非常によく似た内容であることが理解できよう。
結局,本項では,歴史授業で絵画史料を活用しようとする場合には,
「見えるもの」(絵画史料)をよく観察させて,そこに描かれたものを
把握させ, 「なぜ,このように描いたのか」という問いにもとづいて,
「見えないもの」 (絵画史料作成当時の社会の状況など)を追究させる
ことが大切である,ということが明らかになったことになろう。
2 「見る」活動の特質から社会科授業構成のあり方を探る研究
考察の対象を歴史教育に限定したものではないが,画像を「見る」と
いう活動の特質に着目することによって社会科授業構成のあり方につい
て論じようとした研究に,吉川幸男氏のもの,がある。
吉川氏は.社会科の学習において,絵や実物.ビデオなどを「見る」
活動の比重が大きくなりつつあることを指摘し,それらの「見る」活動
が有効な活動であるということに異論はないとした上で, 「どのような
対象をどのように見れば,どのような意味で有効なのか,という社会科
学習の内容・方法論的な根拠づけが十分になされていない」こと,そし
て,そのために「それらの画像から最低何が学習され得るのか,あるい
は授業で到達させたい学習内容に対してそれらの画像がどの程度適切で
あり,どのような画像がより望ましいのか,ということを判断する一般
的な基準」が明らかにできていないことや,児童・生徒が「教師が意図
した以外の内容を,授業で使用された視覚資料から学んでいる可能性」
があるのに「教師はその内容を予見し得ないし,検証も評価もなし得な
い」ことを問題としている。
そして,このような問題意識から,吉川氏はまず「見る」という活動
28
の認知活動としての側面の先行研究,および記号解読過程としての側面
の先行研究を吟味し,その固有の特質を明らかにしょうとしている。
「見る」活動を認知活動としてとらえた先行研究での重要な指摘を,
吉川氏は次のように3点にまとめている。
第一点は,「見る」活動において私たちは「モノ」を見ているので
はなく, 「コト」を見ているのだという指摘である。コトを見るとい
うことは,そのコトに関する理論,信念,経験のすべてが全体として
関与し,知るべきコトの問題意識や,やるべきコトの目標意識に大き
く左右されるのであり,一定の視点から「見る」のではなく,視点を
たえず動かすことによって対象を「コト」として知覚することなので
ある。
第二点は,「見る」活動において私たちは,「意味」を抽出しなが
ら見ているのだという指摘である。 「見る」ときには,必ず特定の
「活動主体(active agen乾)1が想定され,その活動主体が次に何をし
ょうとするか,何に関心をもっかについてのある種の共感(empathy)
を投入した上で,外界の出来事を統合的にながめるのである。いわば
事態の構造性を知覚するのみならず,ある活動主体を想定したときの,
その事態の機能性をも知覚するのである。
第三点は, 「見る」活動において私たちは,外界の対象を知覚して
いるのみならず,自分の位置をも知覚しているのだという指摘である,
視点を動かしながら対象を「見る」ことは,同時に「動かしている自
己」の相対的位置を知覚させ,さらにそこから今度は自己によって見
られるべき世界を構成してゆく。8
29
また,吉川氏はここでまとめたことを整理しなおして,次のように述
べてもいる。
「見る」活動は決して,現る」対象がどのようである,というこ
とを情報として収集する活動ではない。その対象に対して何らかのは
たらきかけをする場合の「見え」を事態(コト)として意識化してゆ
く活動である。それゆえに「見る」活動には常にいくつかの「行為」
と「意味」が内在し, 「自己意識」を伴う。g
そして,以上のような認知活動としての「見る」活動の特質を踏まえ,
「見る」とは本来そのような活動であることを前提に,「見る」活
動のこうした構造を生かした社会科学習活動が組織されなければなら
ない。さもなければ「見るべきものと「見えるもの」とは,ずれたま
まであり, 「見る」学習活動の有効性は十分に生かされ得ないであろ
う。、o
との,重要な指摘をしている。
次に,吉川氏はある画像に表現されている図像の意味を分析したり,
ある表現から何らかの意味が読み取られる過程を分析したりするための
枠組みを提供するものとして,エーコの一般記号論に注目し,その概要
を紹介している。このエーコの一般記号論は「コードの理論」と「記号
生産の理論」から成り立っている。
1コードの理論によれば,ある記号媒体によって表現されているもの
は,表示義(記号表現が意味する第一義的な内容),共示義(表示義か
30
ら派生する意味内容),状況,コンテクストなどの諸要素として示すこ
とが可能であるという。
また, 「記号生産理論」によれば,表現から意味が認識されていく過
程には, 「模像」 (記号媒体が繰り返し現われることによって,記号
単位を形成していくこと),「認知」(ある事物が,その原因との関係
によって,他の何かを表現するものとして理解されること),「提示」
(ある事物から,その事物の属しているもの全体が読み取られること)
などの諸様式が見られるという。
後でも触れるように,吉川氏はこれらの枠組みを利用して有田和正氏
の「長篠の戦い」の授業の分析を行っている。その際の吉川氏の分析の
結果に沿って,上記の各用語がそれぞれ具体的にどのような概念と対応
するものかを例示すると,次のようになる。
〔コンテクスト〕…… 1575年5月21日,長篠の戦い,武田対織田
〔表現〕
〔表示義〕
(状況〕
〔二二義〕
〔二二義〕
鉄砲の絵→鉄砲の大量使用→(仮説)⇒信長の経済政策→新型の支配者
↑ ↑ ↑
《模像》 《認知》 《提示》
以上が,吉川氏による「見る」活動の特質に関する先行研究の整理で
ある。この整理の結果を踏まえ,吉川氏は,
「見る」活動に内在する固有の論理構造を生かした学習活動を組織
31
するために解決しなければならない問題は,学習者側が「行為」と1意
味」を伴わせて「見て」いる視点に,教授者側がどのようにはたらき
かけ,どのように(学習への入り口となり得る視点へ:引用者)移動
させるかという問題である。、、
と指摘し,「見る」活動を取り入れた授業のあり方を考えていく上での
重要な観点を示している。そして,「図像解釈」的な学習過程がとられ
ている授業実践事例として,有田和正氏の「長篠の戦い」の授業を取り
上げ,学習活動の中での子どもの視点の移動と,それに伴う「行為」や
「意味」成立の過程を解明しようとしている。
吉川氏は,先述したエーコの「コードの理論」 「記号生産の理論」を
枠組みとして有田氏の実践を分析し,その結論として,
この授業で状況(circ)を求めるように子どもたちを方向づけてい
るのは,画面の表現面の単位の分節(中略)である。つまり子どもた
ちが画像の中に記号媒体だとみなしたもの(旗が多く立っている,鉄
砲が多い,裸の武将がいる,など)が,状況(circ)を求めるように
仕向けている。視点の移動はここで起こっている。これ以降において
画像を「見る」子どもたちの視点は,画像の中の武将を活動主体にし
た視点へ移動し,武将を活動主体とした「行為」と「意味」を事態(コ
ト)として「見る」ようになるのである,視点の移動を起こす契機は,
教師のはたらきかけではなく,子どもたちの画像を「見る」という
活動自体の中にあって,子どもたちと画像との緊張関係の中から生ま
れてくると考えられる.(中略)旗や鉄砲の多さや裸の武将などの「見
え」は,子どもたちの視点との問に緊張関係を生じさせたために記号
32
媒体とみなされ,視点の移動を引き起こしたのであろう。12
と述べている。そして, 「見る」活動の組織化をはかるために,
望ましいのは(中略)学習者の視点の移動を引き起こすような画像
である。B
としているのである。
以上の吉川氏の研究には,画像資料を用いた授業のあり方について考
える際に無視することのできない論点がいくつも含まれている。冒頭で
紹介した「見る」活動に対する問題意識は今後も継承されていく必要が
あろうし,われわれが見ているものは「モノ」ではなく「コト」である
という指摘も重要である。が,中でも特に重要なのは,学習者の視点の
移動を引き起こす契機の問題であろう。吉川氏の研究は社会科教育全般
を対象としたものであるが,歴史教育に当てはめて考えるならばこの
視点の移動とは,単に絵画史料に描かれている事物・事態を読み取って
いる状態から,そのような事物・事態が描かれるに至った時代背景を追
究しようとする状態への移行と考えることができる。このように考える
ならば,学習者に視点の移動を起こさせられるか否かという点が,絵画
史料を用いた歴史学習を深まりのあるものにするかどうかの鍵を握って
いることになるのである。吉川氏も述べているように,学習者の視点の
効果的な移動を誘うような資料は,よい画像資料であるということがで
きるだろう。
ただし,学習者の視点の移動を引き起こす契機は,どんな場合にも,
「見る」という活動自体の中に存すると考えてよいのだろうか。この点
33
については,まだ,検討の余地があるように思われる。教師の指示や資
料提示の方法の工夫などが,視点の移動を起こさせることに重要な役割
を果たしている場合も存在する可能性があるからである。このような点
について,できるだけ多くの実践事例をもとに検討していくことが必要
になるだろう。
3 絵画資料を活用した授業における歴史理解のあり方を探る研究
歴史授業構成のあり方の解明を直接の目的としたものではないが,子
どもの歴史理解のあり方を探る研究の一貫として絵画史料にもとつく歴
史理解の過程について考察した研究に,池野範男氏のもの、、がある。
池野氏は, 「教室には過去の歴史事象も出来事も存在しない」のに子
どもたちが「現在生起したごとく,歴史事象や出来事を理解する」のは
なぜか,ということを問題として,「それは,現存するもの,現前する
ものを手がかりにして,子どもたちが過去の歴史事象や出来事を構成し
ているからではないだろうか」との仮説を設定している。そして,この
ような「能動的構成論の立場」に立ち, 「歴史授業における歴史理解は
子どもたちがっくるものである」との主張をするためのひとつの根拠を
示すことをねらいとして,以下のような考察を展開している。
はじめに,池野氏は,その主張に根拠を提供する実践事例として,北
俊夫氏および山本典人氏による,絵画史料を用いた自由民権運動の授業
実践の概要を紹介している。両氏の実践は,ともに, 『絵入自由新聞』
明治21年3月14日号掲載の挿絵を原典とする,演説する弁士とその演説
を制止しようとする警察官とを描いた絵画を資料として利用したもので
ある。いずれの授業でも,この絵の解釈をめぐって,弁士の演説内容は
34
聴衆(国民)の側に立ったものなのか,それとも警官(政府)側に立っ
たものなのか,という点が子どもたちの間で問題となり,教師の説明や
教科書の記述から得た情報によって,演説内容は聴衆(国民)の側に立
ったものであることが確認される,という展開となっている。この2つ
の実践事例の分析結果を,池野氏は,
北氏の授業においても山本氏の授業においても,子どもたちは挿絵
をみて,挿絵に示されているひとやものを理解している。しかし,示
されたものだけを理解しているのではない。ひとの感情,ひとの行動
内容,関係を推測し,理解している。その理解は,子どもたち自身が
行っている能動的なものである。また,子どもたちは授業において,
教師より提示された挿絵を理解することを通して,歴史のある場面,
ここで言えば自由民権運動における演説会の場面をも理解している。
歴史授業における子どもの歴史理解というものは,子どもたちの保
持する枠組にしたがって挿絵に示されている人物の特徴と行動を理解
することから派生して,この絵を歴史的状況において理解することで
あるといえよう。、5
とまとめている。
次に,池野氏は,以上の分析結果を受けて,「なぜこのような能動的
な歴史理解がこの絵画資料を用いると可能なのだろうか」ということを
問題とし,この問いに答えるために絵画資料理解の構造の解明に取り組
んでいる。ここで,池野氏は,佐伯絆氏の理解論とファウストの記号論
的認知方略論とを組み合わせて,自身の分析方法を構築している。
佐伯氏の理解論によると,資料を理解するには少なくとも,
35
(1》前提 (制作者にとっては否定され得ない前提となる特定の事実)
(2》主題 (制作者が問題としょうとする特定の事実の特定の側面)
(3》焦点 (制作者によって選択された主題に関する情報)
(4》視 点
①視座(主題や焦点を見ている制作者の眼の位置)
②注視点(制作者によって注目されている点)
という4っの要素の理解が必要であるという。
また,ファウストの認知方略論によると,絵画資料理解には,
[1」
第一段階
画像の認知と把握
[2】
第二段階
記号としてのひと・もの・事柄の解読
[3]
第三段階
描写内容の歴史的状況への関連づけ
[4]
下四段階
制作者の意図の解読
という4つの段階が想定されるという。
池野氏は,ファウストの認知方略の第三段階に,佐伯氏の指摘する4
要素を上に示したものとは逆の順序で組み込んで,絵画資料理解の構造
分析の枠組みとして,次のようなものを提示している。
[1] 第一段階
画像の認知と把握
[2】 第二段階
記号としてのひと・もの・事柄の解読
[3] 第三段階
描写内容の歴史的状況への関連づけ
36
(4}視点の確定
①視座の発見
②注視点の発見
(3》焦点の解読
② 主題の解読
(1》前提の解読
【4] 第四段階
制作者の意図の解読
つついて,池野氏は,上記の枠組みを用いて,北氏や山本氏の授業で
使用された『絵入自由新聞』の挿絵の理解がどのように行われているの
かを分析している。その分析結果の概要を示すと,以下のようになる。
[1] 第一段階 画像の認知と把握
髭を生やした和服の男,帽子をかぶった3人の洋服の男,低いと
ころにいる多くの人々などが,画像として認知される。
【2] 第二段階 記号としてのひと・もの・事柄の解読
髭の男は弁士,洋服の男は警官,多くの人々は聴衆であると解読
される。このうち警官については,弁士の演説を制止しているとい
う解釈,聴衆に演説を静かに聞くよう注意しているという解釈,な
どの複数の解釈が成り立ち得る。
【3] 第三段階 描写内容の歴史的状況への関連づけ
(4》視点の確定
①視座の発見
絵の制作者は,演台の左後方の,弁士と聴衆が見える位置に視座
を置いていることが認知される。
37
②注視点の発見
絵の制作者は,演説の場において弁士と聴衆との間に警官が割り
込むという異常な事態に注目しているということが認知される。
㈲ 焦点の解読
警官は弁士の演説を中止させようとしていると解釈される。そし
て,絵の制作者はそれが異常な事態だということを主張しようとし
ている,と解釈される。
(2}主題の解読
挿絵の出典や人々の服装から,この絵が自由民権運動の一場面を
描いたものであることが理解される。そして,絵の制作者は,警官
が民権運動家とその運動に共鳴する人々の間に割り込む事態を異常
なこととして示そうとしている,と解釈される。
(1》前提の解読
絵の制作者は,運動が正当なものだということを前提にしていた,
と解釈される。
[4] 第四段階 制作者の意図の解読
制作者の意図は,政府の弾圧を批判することであった,と解釈さ
れる。
この分析結果をもとに,池野氏は,
この挿絵を解読する過程で重要なことは,警官の行動をどのような
立場でどのようなものとして見るのか,である。この点に,この挿絵
の制作者の視点が隠されている。
(中略)
38
『絵入自由新聞』のこの挿絵は,人物の行動理解を通して,自由民権
運動どいう歴史事象や出来事はどのようなものかを問うことへの「視
点」を準備するものなのである。歴史学習でこの挿絵を使用するとき
には,この視点を子どもたちに発見することができるように,教師は
指導する必要がある。その指導によって,挿絵に内在する視点を子ど
もたちが発見したとき,子どもたちはこの視点に立って自由民権運動
を理解することができるのである。、6
との指摘をしている。そして,
画像認知と意味理解との二重構造をひとつのものにしているのが,
視点である。
(中略)
絵画資料による歴史理解とは,絵の中にある視点をわれわれが見い
だし,この視点にもとづいて絵全体の意味を理解することである,と
いうことができる。この意味理解が歴史理解なのである。、7
とまとめている。
以上の研究の中でなされている池野氏の指摘のうち,子どもたちは挿
絵に描かれた人物の行動内容や関係などを推測・理解しているという指
摘は,吉川幸男氏の,われわれは絵画に描かれたものを「コト」として
見ている,という指摘と相通ずるものであろう。また絵の制作者の視点
を旧い出すことによって画像認知と意味理解とが結び付けられるという
指摘についても,吉川氏による「視点の移動」の意義の指摘と同様の意
味を持つものといえる。これらの点は,今後の絵画史料活用の研究にあ
39
たって,先行研究の成果として踏まえていかなければならないものだろ
う。
しかし,池野氏の研究は,残念ながら,課題とすべき点においても,
吉川氏の研究と同じ側面を持つものになってしまっている。池野氏は,
絵画に内在する視点にもとづいてその絵画の意味を理解することが歴史
理解であるとしているが,歴史学習では,絵画の制作者の意図や視点と
は関わりのない問題をめぐって,絵画が資料として用いられる場合も想
定し得るからである。たとえば,制作された時代の異なる複数の絵画史
料を用いて,人々の服装などの変化を探るような場合には,個々の絵画
の制作者の意図や視点とは別の次元で歴史理解が行われるのではないだ
ろうか。したがって,絵画史料を用いた歴史学習での子どもたちの歴史
理解が,はたして絵画の制作者の視点にもとづいたものであるのか否か
という点について,多くの実践例に即して見極めていくことが今後の課
題となるだろう。
4 先行研究の成果と課題
以上のように,本節では,3項にわたって先行研究の検討を行ってき
たが,その結果,明らかになった特に重要な成果と今後の課題とをここ
でもう一度整理しておこう。
まず,成果のうち,特に重要なものは,歴史教育において絵画史料を
資料として用いる場合には,その絵画が描かれた時代の歴史学を追究さ
せていくことが大切であり,したがって,絵画史料を用いた歴史学習を
構成しようとする際には,児童・生徒に,なぜこのような絵が描かれね
ばならなかったのか,という問いを持たせ,その絵が描かれる原因とな
40
つた当時の社会状況を追究させていく必要がある,という趣旨の指摘が
なされていることである。これは,美術史学でいうところの,内的意味
を追究することの大切さを指摘したものととらえてもよいだろう。
美術史学者のエルヴ:イン・パノフスキーは,絵画の主題・意味を次の
ような3っのレベルのものに区分している、8。
(1)第一段階的・自然的主題
② 第二段階的・伝習的主題
(3》内的意味・内容
パノフスキーによれば,第一段階的・自然的主題とは,線と色とから
成っている純粋な「形」を,人間・動物などの「対象」の表現として認
めることや,それらの相互関係を「出来事」として認めること,あるい
は,人物の様子が悲しげであるというような「表現的な」特質を知覚す
ることによって把握される主題であり,さらに事実的主題と表現的主題
とに区分されている。この主題は,絵画の鑑賞者の日常的な生活レベル
での感受性によって,とらえることのできるものである。
また,第二段階的・伝習的主題とは,一定の配置と一定の姿勢で晩餐
の食卓に着いている一群の人々は「最後の晩餐」を表現したものである
というような約束事を理解していることによって把握される主題である
とされている。これは,絵画の制作者が所属した文明独自の文化的伝統
などを知っていなければ,とらえることのできない主題である。
そして,内的意味・内容とは,画家によって無意識に作品の中に表現
された,国家・時代・階級・宗教的,もしくは哲学的信条などから成る
基礎的態度を表す根本原理を確認することによって把握されるものであ
41
る。これは,絵画が制作された時代や場所についての全般的な知識と関
連させて解釈することによって,読み取りが可能になるものである,と
されている。
ところで,以上のような3つのレベルでの絵画読解を行うことは,そ
れによって獲得される認識の質との関連から見ると,どのような意味を
持っているのだろうか。上記の3っのレベルでの絵画読解と,その結果
獲得される認識の質との対応関係は,次のように整理することができる
だろう。
自然的主題の読解……………事実の認識
伝習的主題の読解 …………… 因果関係の解釈
内的意味の読解 …………… 因果関係の解釈
この対応関係からわかるように,伝習的主題の読解と内的意味の読解
は,絵画の鑑賞者にとっては,どちらも「なぜこのように描いたのか」
という問いにもとつく,絵画表現とその絵画が作成された社会の環境と
の間にある因果関係を追究する作業となるわけである。従って,以下,
本研究においては,パノフスキーのいう伝習的主題と内的意味をまとめ
て,社会的意味と呼んでいくことにしたい。また,用語の形式の統一の
ため,自然的主題についても,自然的意味という呼称を用いて表すこと
にする。
以上のことを踏まえて,先に見た先行研究での指摘の内容を筆者なり
に表現すれば,絵画史料を用いた歴史学習では,子どもたちを,自然的
意味しか読み取れない状態から,社会的意味を読み取れる状態へと移行
させていくことが大切である,ということになるであろう。
42
次に,先行研究が残した課題について,整理しよう。既に述べたよう
に,絵画史料を用いた歴史学習が深まりのあるものになるかどうかは,
学習者を,単に画面に描かれている事物・事態など(自然的意味)を読
み取っている状態から,そのような事物・事態が描かれる原因となった
時代背景など(社会的意味)を追究しようとする状態へ移行させられる
か否かという点にかかっている。従って,何がこのような移行を引き起
こす契機となっているのかについて明らかにすることが重要になってく
るわけであるが,残念ながら,先行の諸研究では,多くの実践例を踏ま
えての,移行の契機の解明はなされていないのである。
吉川幸男氏は, 「視点の移動」を引き起こす契機は「子どもたちと画
像との緊張関係の中から生まれてくる」とし,教師のはたらきかけは,
契機とはなっていないと述べている。また,池野範男氏は「絵画資料に
よる歴史理解とは,絵の中にある視点をわれわれが見いだし,この視点
にもとづいて絵全体の意味を理解することである」と述べている。確か
に,両氏の見解にもとづいて解釈できる授業もかなり存在するだろう。
しかし,それは,おそらく,絵画自体の主題とその授業で扱う歴史事象
とが一致している場合なのではないだろうか。一口に歴史授業における
絵画史料の利用といっても,その中には,絵画の中に描かれている本来
主題とは無関係な要素(たとえば,主題に真実味を出すために描かれた
背景の中の器物など)に着目させようとしているものもあれば,描かれ
ている事物ではなく,その事物の表現のされ方(たとえば,表現が写実
的であるか否かなど)に着目させようとしているものもあることが予想
される。そして,それらの場合には,先の両氏の見解とは異なるものが
契機となって,子どもたちを社会的意味の追究へと向かわせている可能
性もあるだろう。
43
従って,できるだけ多くの実践例を収集し,そこで利用されている
絵画史料のどんな側面に教師は着目しようとしているのか,また,資料
提示の方法や提示に伴う指示の工夫の中に,子どもたちを社会的意味の
追究へと向かわせる契機となっているものが隠されてはいないのか,と
いった点について,実証的に分析していくことが,残された課題である
といえるだろう。
〈註〉
1 江間史明「絵画資料分析と歴史教育一研究ノートー」 (東京大学
教育学部教育内容研究室『教育内容:研究』第6集,1988年,49∼61頁)
2 江間史明 前掲論文57∼58頁
3 原田智仁「社会史研究に基づく歴史授業構成(H) 一近藤和彦の
popular politicsの研究を手がかりに一」 (『兵庫教育大学研究
紀要』第12巻,1992年,135∼148頁)
4 原田智仁 前掲論文 143頁
5 原田智仁 前掲論文 143∼144頁
6 原田智仁 前揚論文 144頁
7 吉川幸男「社会科学習活動組織化の基礎的研究(D一「見る」活動
の論理と社会科学習一」(山口大学教育学部附属教育実践研究指導セン
ター『研究紀要避第1号,1989年,51∼64頁)
8 吉川幸男 前掲論文 56∼57頁
9 吉川幸男 前掲論文 57頁
10 吉川幸男 前掲論文 57頁
11吉川幸男 前掲論文 58∼59頁
44
12 吉川幸男 前掲論文 60頁
13 吉川幸男 前掲論文 61頁
14 池野範男「歴史理解における視点の機能(1}」 (全国社会科教育学会
r社会科研究』第40号,1992年,23∼32頁)
15 池野範男 前掲論文 25頁
16 池野範男 前掲論文 31頁
17 池野範男 前掲論文 31頁
18パノフスキー『イコノロジー研究』美術出版社,1971年,3∼19頁
45
第2章 歴史教育における
絵画史料活用の現状
第1節 歴史教科書における絵画史料の扱われ方の分析
子どもたちに絵画史料に接する最も基本的な機会を与えている媒体は
歴史教科書である。そこには一般的な歴史書と比べてはるかに多くの,
また,さまざまな分野の絵画史料が掲載されており,子どもたちの多く
は,それらの図版によって, 「蒙古襲来絵詞」や「一遍上人絵伝」とい
った,代表的な絵画史料に対面していくのである。従って,教科書にお
ける絵画史料の扱われ方は,子どもたちの絵画史料に対する見方に大き
な影響を与えることになるといえよう。
では,歴史教科書における絵画史料の扱いにはどんな特色があるのだ
ろうか。本節では中学校歴史的分野の教科書を事例として,教科書中の
各種の資料の中で絵画史料はどの程度の比重を占めているのか,そして
具体的にはどのような絵画史料が取り上げられているのか,といった側
面から,絵画史料の扱われ方の特色を分析していくことにしたい。
なお,分析には,1993年度用の中学校歴史的分野教科書の中で採択率1
の高かった,『新しい社会 歴史』 (東京書籍), r中学社会 歴史的
分野』(大阪書籍),『新版中学社会 歴史』(教育出版)の3っを使
用することにする。
1 各種資料中における絵画史料の比重
ここでは,教科書に掲載されている各種資料の件数を比較し,諸資料
の中で絵画史料がどの程度の比重を占めているのかを分析する。分析は
教科書中の諸資料を絵画史料,想像画,写真,図・表・グラフ,文書の5
類型に分類し,各類型ごとに資料の件数を確認した上で,全ての資料中
48
に占める絵画史料の件数の比率を算出するという方法で行った。また,
絵画史料の占める比重に時代的な差尊見られることも予想されたため,
教科書全体を,大まかに,原始・古代,中世,近世,近現代という4つ
の部分に分割し,各時期ごとの分析も行うことにした。ただし,教科書
間で時代区分に食い違いが見られる部分もあるため,ここでは,次の
ような時代区分にもとづいて分析を行った。
・原始・古代……人類の誕生から平氏による政治まで
(四大文明の成立などを含む)
・中世……………平氏の滅亡から秀吉による政治まで
(十字軍・ルネサンスなどを含む)
・近世……………関ケ原の戦いから戊辰戦争まで
(市民革命などを含む)
・近現代…………明治維新以降
また,分析は,原則として教科書掲載の全ての資料を対象として行っ
たが,特定の歴史事象に関する情報の提供を意図していない資料は,分
析対象から除外した。具体的には,次のようなものを対象外とした。
・表紙等のデザインの一部として使用された絵画史料・写真など
・表紙裏等に掲載された全国の主要史跡一覧など
・即吟の学習内容のまとめ用の年表や折り込み年表など
以上のようにして行った分析の結果を示したのが,表一1∼表一4で
ある。なお,数値は,各資料の掲載件数を意味している。
49
〔十一1〕教科書掲載の資料の件数と絵画史料の割合(原始・古代)
東京書籍
大阪書籍
教育出版
絵画史料
12
18
12
z 像 画
P2
V85365
X48311
ハ 真
U3
R6
│・表・グラフ
カ 書
絵画史料の割合
X
9.1%
11.9%
11.9%
〔十一2〕教科書掲載の資料の件数と絵画史料の割合(中世)
絵画史料
z 像 画
東京書籍
大阪書籍
教育出版
50
47
35
Q24188
Q28155
S20203
真
│・表・グラフ
カ 書
絵画史料の割合
49.0%
50
48.5%
42.7%
〔表一3〕教科書掲載の資料の件数と絵画史料の割合(近世)
絵画史料
z像画
東京書籍
大阪書籍
教育出版
62
73
46
@1
@7
Q4
O202210
O17178
ハ 真
│・表・グラフ
V
カ 書
絵画史料の割合
54.4%
63.5%
54.1%
〔表一4〕教科書掲載の資料の件数と絵画史料の割合(近現代)
東京書籍
大阪書籍
教育出版
絵画史料
20
36
27
z像画
@0
@0
P08
S5
P51
カ 書
P0
Q2
絵画史料の割合
10.9%
13.8%
ハ 真
│・表・グラフ
51
O84397
T2
17.2%
以上の分析結果から,教科書に掲載されている各種資料の中に占める
絵画史料の割合は,いずれの時代においても,かなり高いことが明らか
になった。特に,近世においては,全資料のうちの半数以上を絵画史料
が占めており,中世においても半数近くを占めるに至っている。また,
原始・古代や近現代では,中世や近世と比較すると,絵画史料の割合が
低くなってはいるが,これは,原始・古代では,現代にまで伝来した絵
画史料の絶対数自体が少ないことや,相対的に考古学による発掘史料の
重要度が高いこと,近現代では,歴史事象に関する記録写真が存在し,
それらが絵画史料に代わって利用されている場合が多いことによるもの
であり,必ずしも,それらの時代において,絵画史料が軽視されている
ことを示すわけではない。
このように,絵画史料は,歴史的分野の教科書において,中世。近世
の部分を中心に,資料として非常に重用されているのである。
2 絵画史料の内容と扱い
前項で,絵画史料が教科書においてかなり重用されていることを見て
きたが,本項では,具体的にはどんな絵画史料が掲載されているのかを
見ていくとともに,掲載のされ方に問題点はないのか,という観点から
若干の分析を行うことにする。
掲載のされ方の問題点については,さまざまな角度(例えば,多様な
解釈を導き出すような問いを添えて提示しているか,読解作業に充分に
耐え得るようなサイズ・色調で印刷されているか,など)からの分析が
可能であろうが,ここでは,各々の絵画史料の史料的価値の相違(絵画
の制作年代と,そこに描かれている歴史事象の生起した年代とが近いか
52
どうか)を判断する際の重要な材料となると考えられる,その絵画史料
の制作者・(推定)制作年代・原史料名などについての情報を添えての
掲載になっているか否かという点に分析の観点を絞ることにした。絵画
史料の読解をしょうとする際には,まず,対象とする絵画史料の史料的
価値を適確に把握し,その史料から読み取れる情報の性格を正しく認識
しておくことが,意味のある読解作業をするための最低限の前提条件に
なると考えたことが,その第一の理由である。さらには,問いの添付の
有無やサイズ・色調の適否についての分析によっても,問題点の抽出は
可能であろうが,本文の記述を内容の中心に位置づけた,現状の教科書
観の下では,むしろ,それらの点をめぐる問題点が抽出されるのは当然
であり,ここで分析する意味は薄いζ考えたことが,その第二の理由で
ある。後に示す分析結果一覧表で,○の記号を付された史料は,制作者
や(推定)制作年代,あるいは,それらのことについて知るための参考
になると思われる,原史料名や現在の所蔵書名などについての情報と共
に掲載されていることを示しており,△の記号を付された史料は,掲載
されてはいるが,前記のような情報を伴っていないことを示している。
史料名については,分析結果一覧表では,原則として東京書籍発行の
教科書で使用されているものを記載することにし,東京書籍の教科書に
掲載されていない史料については,その史料を掲載している文献の中で
表の最も左寄りの位置に示されているものにおいて使用されている名称
を記すことにした。
なお,本項では,子どもたちの目に触れる可能性を有する絵画史料の
具体的な事例をより広い視野に立って収集するために,東京書籍および
大阪書籍発行の中学校用の2つの歴史資料集、についても,分析を試みる
ことにした(教育出版からは独自の歴史資料集は発行されていない)。
53
〔表一5〕主な教科書・資料集に掲載されている絵画史料とその扱われ方
晦1
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
アルタミラ
東1辱
大書
教出
.束書
人}1}
△
ラスコーの洞くつにえがいた壁画(今から2万年ほど前)
○
牛の放牧(アルジェリア タッシリ高原の壁画)
○
○
○
タッシリ・ナジエールの収穫のようすをえがいた岸壁両
農耕にはげむエジプト人
○
△
古代エジプトの農作業
9
△
’収穫物を支配者におさめる人々(紀元前25∼24世紀ごろ)
○
麦の収穫
△
王とほりょ(紀元前2600年ごろ)
○
△
重装歩兵戦士(紀元前7世紀)
○
アレクサンドロスの東方遠征
△
奴隷剣闘士
△
十二架上のイエス.
iレ
△
ローマの役人の乎で処刑されたイエス
△
十字架にかけられたイエス
△
孔子
△
銅鐸(伝香川県出土,弥生時代)
○
丁丁にえがかれた住居(奈良県佐味田宝塚古墳出二1:二)
唐の都長安をおとずれた諸外国の人々
△
△
○
△
旅姿の玄i隻
△
聖徳太子の画像(宮内庁蔵)
○
△
天寿国繍帳(飛鳥時代)
○
高松塚古墳壁画(飛鳥時代)
○
中国の墓の壁画
○
O
○
△
△
遣唐使船
△
遭難する鑑真一行(束毎絵伝)
○
ツルファンの樹下美人図(MOA美術館蔵,8一間)
○
il三倉院の樹下美人図
O
鳥毛立女尿風(正倉院に所蔵)
○
○
O
O
薬師寺の吉祥天画像(奈良時代)
荘園の開墾にあたる農民(石山寺縁起絵巻,石lil寺蔵)
○
O
蝦夷と戦う朝廷軍(清水寺縁起絵巻)
54
N血2
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
教出
東山
大書
最澄
△
空海
△
高野山の不動明王
△
宋の町のようす(大和文華館蔵)
○
けまりに打ち興じる貴族たち(年中行事絵巻,田中氏蔵)
○
菅原道真の怨零(北野天神縁起)
○
天皇をもてなす貴族(駒競行幸絵巻,久保惣記念美術館蔵)
O
○
女房装束(大和文華館蔵)
○
束帯(五島美術館蔵)
○
△
絵巻物(源氏物語絵巻)
○
阿弥陀来迎図(知恩院蔵)
○
○
△
O
からすきを使った荒らおこし(松崎天神縁起,防府天満宮蔵)
国司の行列(因幡堂縁起,東京国立博物館蔵)
○
武士の屋敷の門萌の様子(粉河寺縁起絵巻,粉河寺蔵,12世紀)
○
○
O
○
○
地方豪族の屋敷(粉河寺縁起絵巻)
○
○
二二門の乱
△
後三年の役
△
僧兵(真如堂縁起絵巻,真正極楽寺蔵)
○
△
○
僧兵(一遍上人絵伝〉
天皇を讐幽する武士(平治物語絵巻)
○
荘園のようす(紀σ}国舟条田荘,神護寺蔵,12世紀すえ)
△
△
平治の乱(平治物語絵巻,鎌倉時代)
O
△
平氏の都落ち(春日権現霊験記,宮内庁蔵)
○
O
O
O
△
壇ノ浦の戦い
△
源頼朝(伝藤原隆信築,神護寺蔵)
○
鎌倉の町なみ(一・遍上人絵伝,歓喜光寺蔵)
○
○
△
○
弓の手入れ(男金三郎絵詞,国立歴史民俗博物館蔵)
○
弓矢の訓練(男金三郎絵詞,東京国立博物館蔵)
△
○
都の警備に向かう東国の武士(男金三郎絵詞)
ρ
武士の屋敷(一遍上人絵伝,清浄光寺ほか蔵)
武士の屋敷の女性たち
△
O
△
○
△
○
△
O
荘園の分割(伯者国東郷荘の絵図,柳沢氏蔵)
55
△
晦3
絵 画 史 料 私
資料集
教科;1}
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
上書
大書
琵琶法師(慕帰絵詞,西本願寺蔵)
○
○
念仏をすすめる一遍(一遍上人絵低,東京国立博物館田)
○
踊り念仏(一遍上山絵伝,東京国立博物館蔵)
○
.二二像(西本願寺蔵,二親三生前作)
○
教出
回書
大書
△
○
○
△
二二
△
1二二
△
△,
’法然
△
一遍
△
道元
△
鎌倉の出入日←一遍上人絵伝,13世紀末)
○
市の様子(一遍上入絵伝,清浄光寺ほか蔵,鎌倉時代)
○
庶民の台所(松崎天神縁起,防府天満宮歴史二二)
O
○
とうふ売り(七十一番職人歌合,東京国立博物館蔵)
○
そうめん作り(.し一トー番職人歌合,東京国立博物館蔵)
○
おけ作り(三十二番職人歌合,天理大学蔵)
○
建築の作業現場で働く人々‘ i春日権現験記絵,宮内庁蔵,鎌倉時代)
モンゴルの騎兵
○
O
○
○
△
チンギス=ハン
△
北条時宗
△
モンゴル軍との戦い(二二襲来絵詞,宮内庁蔵)
○
○
○
石塁を守る武士(蒙古襲来絵詞).
○
元三へ切りこむ武士(二二襲来絵詞)
○
文永の役の恩賞を求める竹崎季長
○
〆
△
高利貸から金を借りる御家人の妻(山王霊験記絵巻,和泉市蔵)
○
悪党(春日権現霊験記絵詞,東京国立博物館蔵)
O
○
後醍醐天皇
△
南北朝時代の騎馬武者の像(守屋氏蔵)
○
戦乱のなかをにげまどう人々(秋夜長物話絵巻)
O
○
室町幕府(町田家本洛中洛外図屏風,東京国立博物飴蔵,室町時代)
○
△
○
○
花の御所
△
足利義満像
△
O
倭憲(倭冠図巻,東京大学史料編纂所蔵)
56
○
O
M4
絵 画 史 料 名
教科婁
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
二二
大書
遣明船(真如堂縁起絵巻,真正極楽寺蔵)
○
△
栄えていたころをしのばせる琉球王の首山城(沖縄県立博物館蔵)
○
首里の王城(琉球国首里廷旧城之図,沖縄県立博物館蔵)
牛を使ったしろかき(大山寺縁起絵巻,東京大学史料編纂所蔵)
資料集
教出
東書
大書
○
○
○
○
二二(たはらかさね耕作絵巻,東京大学史料編纂所蔵)
○
○
水車の利用(石由寺縁起絵巻)
△
本びき二人(三十二番職人歌合,天理大学蔵)
O
大原女(七十一番職人歌合,東京国立博物館蔵)
○
○
○
桶の使用の始まり
△
鍛冶師(職人尽絵)
○
鐙師(職人尽絵)
○
機織師織人尽絵)
○
蒔絵師(職人尽絵)
○
馬借(石山寺縁起絵巻)
△
△
O
O
振り売り商人
△
足軽の活躍(真如堂縁起絵巻,真正極楽寺蔵)
○
△
応仁の乱(真如堂縁起絵巻)
○
一向一揆にたちあがる信徒たち(絵本拾遺信長記)
○
雪舟がえがいた二二山水図(東京国立博物館蔵)
○
○
山水長巻(雪舟筆〉
○
O
天橋立図(雪舟華)
京都の町並み(洛中洛外図屏風非杉氏蔵,16世紀中ごろ)
○
祇園祭り(狩野永徳築,洛巾洛外図屏風,上杉三蔵)
○
O
能を楽しむ人々(洛中洛外図屏風,東京国立博物館蔵,16世紀初め)
○
○
O
連歌の会
△
△
お伽草子(ねずみ草子)
○
川のほとりで紅葉を楽しむ人々(観楓図,東京国立博物館蔵)
○
一服一銭
△
インド洋を行くイスラム商人の貿易船
△
O
16世紀の天文台
○
領主の城と農民(15世紀)
57
△
△
隔5
絵 画 史 料 名
時 代
資料四
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のぞの内容
聞書
大書
刷出
コンスタンチノープルを攻撃する十字軍
東書
大書
△
都市の生活
△
ドイツの中世都市ハーメルン
△
都市のにぎわい
△
ジェノバの港(15世紀後半)
○
ジャックリーの乱
△
聖母子像(中世)
○
○
O
中世の三美神(大英博物三蔵,14世紀)
聖母三関(ルネサンス期)
○
ルネサンスの二二(ボッティチェリ繁,春,15白日)
○
ダ累ピンチのモナ=リザ像(ルーブル美徳館山)
○
O
O
○
ラファエルロのアテネの学堂
○
裁判にかけられるガリレイ
△
免罪符の販売
△
破門警告状を焼くルター
o
△
△
△
△
△
ルター
コロンブスの上陸
△
コロンブスが乗り紐んだサンタマリア号
△
コロンブス
△
マゼラン
△
銀の採掘に働かされるインディオ
△
△(ノ
さとうきびの農園で働く奴隷たち
△
インディオとスペイン人の戦い
△
皇帝を処刑するスペイン人
△
南蛮船の入港と貿易
△
日本にやってきた南蛮船
△
△
南蛮舶の来航
△ r
南蛮人(神戸市立博物館蔵)
“
○
鉄砲鍛冶(和泉各所図絵)
○
ザビエル(神戸市立博物館蔵)
△
バリニャーノ
○
○
△
△
浦蛮寺(南蛮寺扇面図)
○
58
晦6
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
回書
大書
教樹
織田信長(長興寺蔵)
○
○
○
長篠の戦い(長篠合戦図屏風,徳川黎明会蔵)
○
○
○
豊臣秀吉(妙興寺蔵)
○
豊臣秀吉(逸翁美術館蔵)
束書
△
△
○
検地(徳川幕府県治要略,江戸時代)
○
○
朱印船(長崎市立博物館蔵)
○
釜山城の戦い
△
O
△
O
豊臣秀吉(畠山記念館蔵)
大書
9
○
朝鮮の城を攻める日本軍(東莱城殉節図,韓国陸軍士官軍事博物館蔵)
○
朝鮮水軍の亀甲船
△
秀吉の朝鮮侵略
△
名護屋城(肥前名護屋城図屏風)
唐獅子図屏風(狩野永徳筆,宮内庁蔵)
○
おどりを楽しむ人々(一下遊楽図屏風,東京国立博物館蔵)
○
歌舞伎踊り(歌舞伎図巻,徳川黎明会蔵)
○
O
O
○
O
○
阿国の歌舞伎踊り(阿国歌舞伎草子)
○
阿国歌舞伎(阿国歌舞伎草子)
○
千利休
○
1600年ごろの農村の様子(月次風俗図屏風,東京国立博物館蔵)
○
1600年ごろの都市の様子(洛中洛外図屏風,東京国立博物館蔵)
○
江戸城(江戸図屏風,国立歴史民俗博物館蔵)
○
徳川家康(寛永寺蔵〉
○
○
△
O
徳川家康(寛永寺蔵)
○
徳川家康像
△
参勤交代
△
近 世
大名行列
△
O
将軍に新年のあいさつをする大名(徳川盛世録)
○
朱印船(清水寺蔵)
△
キリシタン迫害(吉利支丹物語)、
○
原城あとの攻防(島原の乱図屏風,秋月郷=1二館山)
○
踏絵
△
△
絵踏(シーボルト著,日本)
△
59
○
○
翫7
絵 画 史 料 各
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東憐
出島(長崎市立博物館藏)
大書
資料集
三隅
東言辱
大書
○’
出島
△
出島(円山応閣筆,長崎港之図)
○
長崎屋(葛飾北斎筆,二本東都遊)
○
O
竜踊り(唐二二絵巻,長崎市立博物館蔵)
清の時代のペキンのようす
△
唐人屋敷(唐館絵巻)
○
朝鮮使節の一行(朝鮮来朝図,神戸市立博物館蔵)
○
O
朝鮮通信使の行列(東京国立博物館蔵〉
○
○
琉球使節の一行(沖縄県立博物館蔵)
○
O
貿易でにぎわう琉球の港(琉球貿易図屏風)
△
琉球使節(中山王来朝図)
○
アイヌの風俗(市立函館図書館蔵)
O
蝦夷地の漁業(松前檜山屏風,市立函館図書館蔵)
○
○
O
アイヌとの交易(日本山海名産図会)
近 世
にぎわう北の港(幽幽扉風. シ前町郷土資料館蔵)
○
アイヌの年始の挨拶
△
O
身分によって差のある食事(老農夜話〉
△
O
身分のちがいによる家の配置(新編相模国風土記稿)
職人(江戸名所図屏風)
O
年貢おさめ(円山応挙筆,七難七福図巻,円満院蔵)
○
O
年貢をおさめる農民と立ち合う武士(会津農耕春秋図)
年貢米を納める農民(大和耕作混乱)
○
年貢が納められるまで・耕作の準備(老農夜話)
○
O
O
O
年貢が納められるまで・検見(老農夜話)
年貢が納められるまで・収穫(老農夜話)
年貢が納められるまで・納入(老農夜話)
農家のようす(洛中洛外二二,東京国立博物館蔵)
○
農村の生活
△
、
c植えをする農民(近匪農作業絵図,竜蔵寺蔵)
○
脱穀(老農夜話,東京大学史料編纂所蔵)
○
紅花の生花を加工しているようす(紅花扉風,山形美術館蔵)
60
○
O
○
翫8
絵 画 史 料 名
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
くじら漁(鯨取絵巻,国文学研究資料館蔵)
大書
資料集
教出
○
四書
大書
△
九十九里浜のいわし漁
△
鉱山での採掘のようす(生野町役場蔵)
○
佐渡の金山(佐渡山由絵巻)
○
金・銀の採掘(佐渡鉱【1.1金銀採製全図)
△
○
P
林業の発達(木曽山材木伐出之図)
○
目本橋付近の図(日本橋図,神戸市立博物館蔵〉
○
越後屋のにぎわい(江戸駿河町越後屋店内図,三越資料館蔵)
○
○
蔵屋敷(摂津名所図絵)
○
△
大阪の港(菱垣親綿甲船川口出帆之図,国立史料館ほか蔵)
○
○
O
江戸の豪商,三井家(浮絵駿河町呉服屋図)
堂島の闇闇場
○
△
O
、宿場町(歌川広重筆,御油の宿)
宿場町(歌川広重筆)
○
港町の様子(歌川広重筆)
○
近 世
井原西鶴
△
人形浄瑠璃(国立国会図書鯨蔵)
○
O
人形浄瑠璃(人倫訓蒙図彙)
近松門左衛円
○
△
近松門左衛円
△
歌舞伎(歌舞伎図屏風,早稲田大学演劇博物館蔵)
○
江戸時代初期の歌舞伎(芝居図屏風,東京国立博物館蔵)
O
旅姿の芭蕉と弟子(天理大学蔵)
○
松尾芭蕉
△
△
松罷芭蕉
△
はなやかな振り袖姿の女性(菱川師宣筆,見返り美人図)
○
花見を楽しむ町人(菱川緬宣筆,風俗西山,東京国立博物館蔵)
○
○
紅白山山屏風(尾形光琳筆,MOA美術館蔵)
○
ひな祭り(子宝五節遊,東京国立博物館蔵)
○
元禄時代の京都の町(都鄙図巻,興二院蔵)
○
昌平坂学問所の講義(璽堂講釈図,東京大学史料編纂所蔵)
○
6】
O
○
O
屏風絵(俵屋宗達筆,風神需神図,建仁寺蔵)
○
○
O
○
△
△
N砿9
絵 画 史 料 名
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
綿花栽培の広がり(織耕二二風)
△
○
農村工業の発達
△
木綿を買う商人(河内名所図絵)
東川
大書
○
O
資料集
綿の実のつみとり(三里要務)
○
二つむぎ(綿圃要務)
○
教出
O
徳川吉宗(徳川二二)
○
O
徳川吉宗像(徳川氏蔵)
狩りの様子
△
江戸の火消し.
△
田沼二次
△
印旛沼の干拓
△
銅貿易(長碕古今集覧名勝図絵,長崎il土物館蔵)
○
○
オランダ人との取り引き(蘭館絵巻)
△
Q
天明のききん(二三図録〉
浅間山の大噴火
○つ
O
△
近 世
浅問山の大二二(浅問山夜分土焼之図)
○
一揆(夢の浮橋)
○
△
打ちこわし(至聖江戸市中騒動記,東京国立博物館山)
O
O
O
松平定信
○
△
オランダ語の解剖書(ターヘル・アナトミア,神戸市立博物館蔵)
○
日本の医学書(武田薬品工業蔵)
○
杉田三白
△
肺のさし絵(小田野直武筆,解体新書)
○
LL〆
△
鴫二三
△
シーボルト
△
江戸時代の三二のようす(葛飾北斎筆,地方測騒之図)
○
西洋婦人図(平賀源内筆)
O r、
三囲景図(司馬江三筆,伝1783年)
○
本,;藍宣長
△
本屋の店頭(江戸名所図会,内閣文庫蔵)
○
北斎の風景両(神奈川沖戦国,東京国立博物館蔵)
O
歌川広重のえがいたlll本橋(東海道五十三次)
○
O
○
62
○
△
MlO
絵 画 史 料 名
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
資料半
教出
東書
大はしあたけの夕立(歌川広重筆)
○
浮世絵(喜多川歌麿築,江戸三美人,東京圏立博物館蔵)
○
喜多川歌麿の美人画
○
O
ポッピンを吹く女(喜多川歌麿筆)
東洲斎写楽の役者絵
.O
大谷鬼次の奴江戸平(東洲斎写楽筆)
○
O
おかげ参り(歌川広重築,神宮徴古館蔵)
おかげ参り(文政度御蔭群参山脚,神宮徴古館蔵)
○
O
O
O
寺子膿のようす(一一掃百態,田源町蔵)
寄席(一掃百態,lu原町蔵)
てんぷらといか焼きの屋台(近世職人尽絵詞,東京国立博物館蔵)
△
東海道中膝栗毛(十返舎一九著)
○
エリザベス互世
エリ’
大書
△
Uベス1世
△
△
エリザベス1世
△
近 世
エリザベス1世
△
敗走するスペインの無敵艦隊
△
無敵艦隊の撃滅
△
農村工業
△
イギリスの家内工業のようす
△
イギリスの牧羊行の発達
△
清教徒革命
△
チャールズ五世の処刑
△
クロムウェル
△
名誉革命
△
△
ロック
△
モンテスキュー
△
△
ルソー
独立軍の勝利
△
独立宣言の採択
△
革命前のフランス社会
△
ベルサイユ宮殿
△
63
MIl
時 代
絵 画 史 料 名
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東諜
三つの身分
大書
資料集
東講
教出
△
たちあがる平民
r
大書
△
△
バスチーユ牢獄を襲撃する民衆
△
バスチーユ牢獄の襲撃
△
1789年におこったフランスでのできごと
△
バスチーユの牢獄を襲う民衆
△
,
△
フランス革命一テニスコートの誓い
一
△
処刑されるフランス国モルイ16世
△
革命旗をもっ民衆
△
ナポレオン
△
△
ナポレオンの戴冠式
△
19世紀ごろのイギリス
△
産業革命と都市
△
発展するイギリスの工業と鉄道
、
△
産業革命ごろのイギリスの織物工場
△
△
近 世
炭鉱で働く少年、
△
炭鉱で働く女性と少年
△
むちで打たれる少年
△
イギリスの炭坑で働く少女
△
△
△
工場で働く児童
△
.ウイーン会議
△
普通選挙権を求める人々
△
普通選挙を要求して集会を開くイギリスの人々
△
チャーチストの集会
△
民衆をみちびく自由の女神(ドラクロワ筆,i9世紀)
O
フランスの1848年の革命
△
△
バリケードをきずいて軍隊に向かうパリの民衆
△
ドイツ帝国の成立
△
△
ビスマルク
△
ロシアの農民
△
追われるインディアン
△
演説するリンカーン
△
64
○
Nα12
絵 画 史 料 名
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
リンカーン
資料樂
教艦
東書
大書
△
南北戦争
△
奴隷狩り
△
アフリカの海岸での奴隷のせり市
△
奴隷貿易船の内部
△
売られる黒人奴隷
−
△
ニュートン
△
大学の実験室
△
ダーウィンの風刺両
△
細菌の研究をするパスツール
△
世界初の蒸気自動車の実験
△
海底電信ケーブルを敷設する船
△
落穂ひろい(ミレー筆)
○
セポイの反乱を摺聾する女性 一
△
イギリス軍と戦うインド兵
△
△
△
近 世
東インド会社の造船所
△
東インド会社員のくらし
△
インドの大ききん
△
アヘン戦争
△
△
△.
△
広州の外国商館
△
太平天国軍(リンドレー著,太平天国)
○
△
太平天国軍のテント
△
機織り(尾張名所図会)
△
酒づくり(東京圏業大学醸造博物館蔵)
○
○
○
○
しょう油工場(大日本物産図会)
○
天保のききん(渡辺犠山蟻,荒歳流民救唱酬,国立国会図謙館蔵)
○
○
○
天保のききん
△
大塩平八郎
△
△
大塩平八郎の乱(出汐引汐好賊開集記)
△
幕府の政策を批判した高野長英
△
△
△
外国舶打払令
△
蛮祉の獄(渡辺㌻i‘山筆)
○
65
O
梅13
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
晶出
副書
渡辺岬山
△
水野忠邦
△
土蜘蛛(幕宋)
O
薩摩藩の黒ざとう専売と農民(日本山海名物図会)
△
大書
O
佐賀藩の大砲製造所
△
「
佐賀蒲の改革(精煉方絵図)
○.
ペリーの来航(東京国立博物館蔵)
近 世
△
○
○
登城するハリス(九条家蔵)
○
井伊直弼(豪徳寺蔵)
○
園港した横浜(神奈川県立博物館蔵)
△
△
○
囲国後の物緬の上昇を風刺する錦絵(諸色戯場春昇初)
○
二三の値上がり
○
△
桜田門外の変
△
二宮降嫁の行列
.一
△
鹿児島を攻めるイギリス艦隊(雲間入国戦争図,尚古集成館蔵).
O
○
外国艦隊の下関攻撃
△
ええじゃないか(豊饒御蔭参三図,東京都立中央図書館蔵)
△』
○
ええじゃないか(豊饒御蔭参之図)
○
○
鳥羽・伏見の戦
△
戊辰戦争
△
東京遷都
△
東京に着いた天皇一行
△
四民平等の主張
△
△
士族の商法
△.
富岡製糸場(上州三岡製糸場之図)
○
△
徴兵検査(ビゴー禦)
O
内国勧業博覧会(内国勧業博覧会機械鏑の図)
○
⊂
岩倉使節団の出発
△
開拓使庁舎
△
学校教育の始まり(東書文庫蔵)
O
文明開化のころの山形市(高橋lh一一ξ荘)
○
港のにぎわい(東京都立中央図書館蔵)
○
66
梅図
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
大書
牛なべ
△
東京銀座のれんが街(1874年)
○
れんがづくりの鉄道駅
○
文明闘化
教出
東書
大書
△
△
△
文1歩欄化
△
東京の富裕階層の女子学生
△
郵便局の窓日
△
第一国立銀行
△
電信線
△
西郷隆盛
△
西南戦争(田原坂激戦之図,熊本博物館蔵)
○
地租改正反対一揆
△
民権運動の演説会
△
△
民権派の演説会をやめさせようとしている警察官
△
△
△
△
△
板垣退助
△
大日本帝国憲法発布の式典(和田英作筆,聖徳記念絵両館蔵)
O
○
大日本帝園憲法の発布式
△
△
憲法発布を祝う人々
△
衆議院議員投票の風刺画(ビゴー筆)
○
はじめて国会が閑かれたころ
△
O
○
△
O
帝国議会(参議院庶務部蔵)
帝国議会のようす
△
ノルマントン号事件の風刺画(ビゴー筆)
○
鹿鳴館の舞踏会
O
△
イギリス帝国主義の風刺画
△
東アジアの情勢(ビゴー築)
○
都市に攻め入る日本軍
△
下関条約に調印する日清両国の代表
△
軍人の遺族(宮内庁蔵)
○
帝国主義諸国の連合軍と義和団との戦い
△
義和団事件
△
義和団駆件
△
67
Nd 5
絵 画 史 料 名
時 代
資料集
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
東書
アジア支配を夢見る日本(ビゴー筆,1899年)
大書
教出
爽書
{
大書
O
○
日本をロシアにけしかけるイギリス(ビゴー筆,1899年)
○
日本とイギリスの関係
△
日露戦争(イギリスの新聞)
○
戦場となった満州(絵入ロンドン新聞)
○
. 一
^露戦争後の増税(東京パック,大宮市立漫画会館蔵)
○
O
南京に入城する革命軍
△
桂内閣の軍備拡張政策の風刺画(來京パック)
○
都市の貧しい人々のくらし
△
足尾銅山の労働争議
△
明治初期の小学校の授業のようす
△
匿
(
○
掛図を使った小学校の授業.
△
洋画(黒田溶輝筆,舞妓,東京国立博物館蔵)
(
○
0
読書(黒田清輝筆)
○
夜汽車(赤松麟作筆)
O
収穫(浅井忠筆)
○
日本画(横山大観筆,無我,東京国立博物館蔵)
○
帝国主義諸国の対立
△
○
○
ドイツの軍備増強を風刺した絵
△
セシル=ローズの風刺画
△
空と陸の戦い
△
一
Zガス戦の被害者
△
中国に21か条の要求をつきつける日本
△
[1凪の日曜日
△
ペトログラードでの蜂起
△
民衆を率いるレーニン
△
演説するレーニン
△
演説するレーニン
△
第2回目シア・ソビエト大会で演説するレーニン
△
階K軍縮も要求する風刺両
△
五・四運動
△
成金(和田邦坊筆)
○
68
△
△
△
△
N氏16
絵 画 史 料 名
時 代
教科書
i )内は,情報が添えられている場合のその内容
米騒動(米騒動絵巻,徳川黎明会蔵)
東書
大書
○
○
資料集
教出
聞書
大書
△
名古屋の米騒動
△
米騒動(岡本二平筆)
○
関東大震災
△
関東大震災(鹿子木孟郎築,東京都美術館蔵)
○
A
日本橋付近の火災のようす
△
普通選挙運動
△
東京巾央停車場(交通博物蟷蔵)
○
東京駅
△
映画館
△.
デパートガール
△
ヒトラー
△
ピカソのゲルニカ(プラド美術館蔵)
○
軍国主義への警告
○
○
△
軍事費増大の風刺画(1931年)
○
ゼルマの死(強制収容所にいた圃家の筆)
○
○
東京大空襲
△
第二次世界大戦の惨禍(丸木位里・曲筆,丸木美術館蔵)
O
O
原爆の投下(丸木位里・俊筆,原爆の図)
○
新憲法の理想をえがいた当時の教科書(文部省著,新しい憲法の話)
69
○
○
分析の対象とした5冊の文献から抽出した絵画史料は合計500件に
及んだが,これらの中には,5冊の文献の全てに掲載されているものも
あれば,そのうちの1っにしか掲載されていないものもあり,それぞれ
の絵画史料の子どもたちの目に触れる機会の多寡には,かなりの格差が
あるものと考えられる。
次に示したような絵画史料は,子どもたちの目に触れる機会が比較的
多いと推察されるものである。
A 5冊の文献全てに掲載されていたもの
長篠の戦い(長篠合戦図屏風,徳川黎明会蔵)
B 5冊の文献のうち4冊に掲載されていたもの
高松塚古墳壁画
武士の屋敷の門前の様子(粉河寺縁起絵巻,粉河寺蔵)
平治の乱(平治物語絵巻)
源頼朝(伝藤原隆信筆,神護寺蔵)
市の様子(一遍上人絵伝,清浄光寺ほか蔵)
モンゴル軍との戦い(蒙古襲来絵詞,宮内庁蔵)
祇園祭り(狩野永徳筆,洛中洛外図屏風,上杉三蔵3)
織田信長(長興寺蔵)
打ちこわし(幕末江戸市中騒動記,東京国立博物館蔵)
北斎の風景画(神奈川月界裏,東京国立博物館蔵)
アヘン戦争
機織り(尾張名所図会)
ペリーの来航 (東京国立博物館蔵)
70
地租改正反対一揆
衆議院議員投票の風刺画(ビゴー筆)
C 3冊の教科書全てに掲載されていたもの(A・B所収を除く)
国司の行列(因幡堂縁起,東京国立博物館蔵)
荘園のようす(紀伊国拝田荘,神考証蔵)
領主の城と農民
検地(徳川幕府県治要略)
脱穀(老農夜話,東京大学史料編纂所蔵)
幕府の政策を批判した高野長英
日露戦争後の増税(東京パック,大宮市立漫画会館蔵)
以上のような絵画史料の多くは,同一の歴史事象について描いた他の
絵画史料が全く伝来していないか,ないしはジ同一の事象を描いた他の
絵画史料よりも,その制作年代の古さ,描かれている情報の質や量,保
存状態などのうちのいずれかで抜きん出ているために,教科書・資料集
に掲載される頻度が高くなっているのであろう。
豊臣秀吉像,バスチーユ牢獄の襲撃,演説するレーニンなどを描いた
絵画史料は,分析した全ての教科書に掲載されているにもかかわらず,
各々に掲載された具体的な絵画史料は全て相互に異なっているが,これ
らの事例では,同一の歴史事象を描き,質的にもさほど差異のない複数
の絵画史料が存在していたわけである。
次に,5冊の文献における絵画史料の制作年代に関わる情報添付の状
況について見てみよう。各文献に掲載された絵画史料について,情報添
付の有無別に,それぞれの件数を示したものが表一6・表一7である。
71
〔表一6〕教科書・資料集掲載の絵画史料への情報添付の有無(全体)
情報添付あり
東京書籍教科書
95
蜊繽草ミ教科書
P04
ウ育出版教科書
U8
結桴草ミ資料集
蜊繽草ミ資料集
@20
@94
5文献平均の割合
53.4%
情報添付なし
52
U7
T1
V9
W3
46.6%
〔表一7〕教科書・資料集掲載の絵画史料への情報添付の有無(外国)
情報添付あり
東京書籍教科書
59809
蜊繽草ミ教科書
ウ育出版教科書
結桴草ミ資料集
蜊繽草ミ資料集
5文献平均の割合
17.1%
72
情報添付なし
30
S3
R0
Q0
Q7
82.9%
以上の集計結果から明らかなように,全体の5割弱の絵画史料には,
その制作年代に関する情報が添付されていないことがわかった。個々の
文献によってその比率は異なってはいるが,情報添付のない史料の比率
が最も低かった東京書籍の教科書でも,35.4%,全体の3分の1強
の絵画史料には,制作年代に関する情報が付されていない。
この傾向が特に顕著に見受けられるのが,外国史に関する絵画史料の
扱い方で,外国史に関するものに限って集計すると,実に全体の8割を
超す絵画史料に,制作年代に関する情報の添付がなされていなかった。
これは,外国の史料については,その史料の出典や所蔵者名などを記載
しても,日本人にはなじみの薄いものであることが多く,わざわざ記載
する意味がないと判断されたり,記載することによって,子どもたちの
“暗記すべき”情報を現状よりも増やしてしまうことがないようにとの
配慮がなされたりしたための結果かと思われる。
もっとも,ここで問題としている,制作年代に関する情報が付されて
いない絵画史料の多くは,その史料に対応する教科書の本文などに記述
されている時代のものであるのかもしれない。しかし,中には,明らか
にかなり後世の史料を,何のことわりもなく掲載している事例も見受け
られるのである。例えば,教育出版の教科書では,ローマ帝国の時代の
キリスト教の成立について記した本文に添えて,17世紀初め頃の制作と
されるエルーグレコ筆の「礫刑」 (プラド美術館蔵)を資料として掲載
しているが,そこに,この絵画が後世のものである旨の説明は付されて
いない。おそらく,ローマ帝国の時代の適当な絵画史料がないために,
ここでは後世の絵画史料を利用しているのであろうが,やはり,後世の
画家の推定にもとつく絵画であることを注記した上で,掲載すべきなの
ではなかろうか。グレコの絵から読み取れるものは,あくまでも17世紀
73
初頭に一人物が抱いていたキリスト処刑の様子に対するイメージなので
あり,ローマ帝国時代の歴史事象ではないのである。
また,前掲の表一5では制作年代に関する情報が添付されているもの
として処理した史料の中にも,同様の問題を持つものがある。教育出版
の教科書に奈良時代の荘園開墾の様子を描いた史料として「石山寺縁起
絵巻」の一場面が掲載されているが,この絵巻は鎌倉時代に制作された
ものであるといわれている。したがって,この場合も,この絵巻が奈良
時代の記録画などを参考にして描かれたものだということが証明される
ことでもない限り,そこに描かれているものは,後世の推定によるもの
として扱わねばならないであろう。教科書には,出典や所蔵者名を併記
してあるので,表一5では制作年代に関する情報が添付されているもの
として扱ったが,この場合も,本来は,絵画自体は後世のものであると
いうことを明記すべきであったろう。
以上で見たように,教科書などでは,読解者がその史料に対する扱い
方を決める際の前提となるはずの,史料の制作年代に関する情報を添付
せずに絵画史料を掲載している場合がかなり多く,中には,かなり後世
の絵画史料を,特に注記も添えずに資料として利用している事例もある
ことが明らかになった。このような掲載のされ方では,子どもたちは,
その絵画史料を,同時代の絵師が記録として描いたものとして読解すれ
ばよいのか,後の時代の絵師が推定によって描いたものとして読解すれ
ばよいのかを判断できず,絵画史料に対する科学的な扱い方を身につけ
る機会を失ってしまうことになるだろう。したがって,今後,教科書な
どにおいては, (推定)制作年代を注記した上で,絵画史料を掲載する
ことが望まれるのである。
74
〈註〉
1 「選択教科拡大で207万冊の増 平成5年度中学校教科書採択
状況」 (『内外教育』第4378号,時事通信社,1992年)3頁
2 r新しい社会 歴史資料集』東京書籍, r中学生の歴史資料』大阪
書籍
3 上杉本洛中洛外図屏風は,現在は山形県米沢市の所蔵となっている
ので,正しくは,米沢市蔵または上杉氏旧蔵とすべきであるが,ここ
では,東京書籍の教科書の記述をそのまま記載した。また,本屏風の
制作者についても,今谷明『京都・一五四七年 描かれた中世都市』
平凡社,1988年によって,狩野永徳説に対する強い疑義が提出されて
いるが,ここでは,大阪書籍の教科書の記述に従った。
75
第2節絵画史料を活用した歴史授業実践の分析
本研究では,ここまでに,絵画史料の読解を歴史学習に導入すること
の意義や絵画史料活用をめぐる先行研究の成果と残されている課題など
について明らかにしてきた。それでは,絵画史料を用いた実践事例は,
先に指摘した絵画史料の意義や先行研究の成果を充分踏まえたものにな
っているのだろうか。また,先行研究の残した課題に対してはどのよう
な答えを示してくれるのであろうか。本節では,これらの点について解
明することを目的とし,先行授業実践(実践案を含む)の分析を行って
いくことにする。
1 授業実践の分析の視点
第1章第1節で指摘したように,絵画史料には,
(1}取り組みやすく,学習意欲を高揚させる可能性を持つ。
②多様な解釈が可能で,思考力などの育成に資する可能性を持つ。
③ 「新しい歴史学」によって利用が進められた史料であり,従来の
歴史教育に見られた政治史偏重などの点を改善する可能性を持つ。
といった意義が認められる。これらのうち,第一の意義は,通常,絵画
史料を用いることに伴って,自然に踏まえることができるものである。
ただし,教師が,絵画史料を授業の全般にわたって中核的な資料として
利用しようとしているのか,導入や展開などの特定の場面で目的を限定
して利用しようとしているのかによって,その意義の大小に格差が出る
76
ことは考えられよう。
問題なのは,第二・第三の意義である。絵画史料は,一般的には多様
な解釈を成立させる余地を持つ媒体であるが,それを利用しようとする
教師が,子どもたちをある一つの解釈に到達させることに性急になり,
自分の意図に反した解釈を無視するような態度で用いれば,第二の意義
は失われてしまうのである。また,多様な解釈をさせたり,それをもと
に論争を組んだりはしていても,そのような活動自体が自己目的化して
いて,個々の解釈の妥当性の吟味が疎かにされていれば,その活動は,
科学的な思考力の育成とは無縁のものとなってしまい,やはり,第二の
意義は失われてしまうのである。
第三の意義についても,これを踏まえた学習を成立させるためには,
教師による絵画史料の意図的な活用がなされる必要があるだろう。従来
の歴史学と歴史教育とに共通して見られた問題のうち,文献史料偏重と
いう点については,絵画史料を用いること自体が,解決への方策となる
わけであるが,政治史・事件史偏重の傾向に象徴される,時間の多層性
に関しての意識の欠如という点などについては,単に絵画史料の利用を
図ることだけでは,その解決はおぼつかないからである。
本節での絵画史料を用いた授業実践の分析にあたっては,以上のよう
な点を踏まえ,各実践が絵画史料の持つ意義を生かしたものになってい
るかどうかを検討していく必要があるだろう。
また,第1章第2節で行った先行研究の成果や課題の整理の結果から
明らかになったことがらにもとつく分析視点も設定することにしたい。
先に見たように,絵画史料の活用をめぐる先行研究には,
(1>絵画史料を用いた授業では,子どもたちを絵画の社会的意味の追
77
究へと向かわせることが大切だ,ということが解明されている。
② 子どもたちを絵画の社会的意味の追究へと向かわせる契機が何で
あるのかという点については,多くの実践事例にもとづいた分析は
なされていない。
といった,成果と課題とが認められる。これらの点を踏まえると,分析
の対象とする各実践が,絵画史料の社会的意味を追究させるものになっ
ているか,また,社会的意味の追究をさせている場合には,何が子ども
たちをそこへ向かわせる契機となっているのか,という点についても,
分析を加える必要が生じよう。
以上の諸点を踏まえ,本節では,次のような5段階の観点を設定し,
収集した先行授業実践事例について,各実践はどの段階まで至っている
のか,また,各段階でのあり方にどのような特色が見られるのかという
点についての分析を試み,授業実践の類型化,および,各類型の特色の
解明を行っていくことにしたい。
1 絵画史料から読み取らせている自然的意味(描写をめぐる事実的
知識)は,主題・要素・表現のうち,どれに関するものか。また,
単一か,複数か。
H 読み手を社会的意味(描写をめぐる自然的意味と絵画史料が作成
された当時の社会状況などとの因果関係をめぐる解釈)の追究へと
向かわせる問いを把握させているか。問いを把握させている場合,
その契機となっているものは何か。
皿 問いを解くための直観的解釈(仮説の設定)を行わせているか。
行わせている場合,引き出している解釈は,単一か,複数か。
78
IV 直観的解釈の当否について,吟味させているか。吟味させている
場合,教師の主導によってか,読み手相互の討論によってか。
V 絵画史料に関する社会的意味の理解へと到達させることができて
いるか。できている場合,「新しい歴史学」の精神を生かしたもの
となっているか。
各実践についての分析の結果は,次のような形式の一覧表を用いて,
示すことにする。表の右端の「自然」以下の各欄は,上記の1∼Vの各
段階における分析の結果を示すものである。
M
学習内容
対象
絵画史料名
自然
周い
鰍
喉
1
主複
2
主複
描
3
主単
描
複
4
藪
指
複
相
5
表単
比
複
教
表の見方は,次の通りである。
79
社会
虚
(D 各欄への記載の有無について
欄内に何らかの記載がある場合には,その実践が,絵画史料活用
によって,その段階にまで到達していることを示す。例えば,上の
M1の事例は,自然的意味の読み取りは行わせているが,それに
もとつく問いの把握の段階へは進んでいないことを示している。
② 「自然」欄への記載について
・主……絵画の主題に関する自然的意味を読み取らせている
・要……絵画の要素に関する自然的意味を読み取らせている
・表……絵画の表現に関する自然的意味を読み取らせている
・単……単一の自然的意味を読み取らせている
・複……複数の自然的意味を読み取らせている
(3》 「問い」欄への記載について
・描……絵画中の描写そのものが問いを持たせる契機となっている
・比……他の絵画などとの比較が問いを持たせる契機となっている
(4) 「解釈」欄への記載について
・単……単一の直観的解釈を引き出している
・複……複数の直観的解釈を引き出している
⑤ 「吟味」欄への記載について
・教……教師の主導によって吟味させている
・相……相互の討論によって吟味させている
㈲ 「社会」欄への記載について
・多……多層性の認識を含む社会的意味を把握させている
・虚……虚構性を含む史料で社会的意味を把握させている
・○……上記の2類型以外の社会的意味を把握させている
80
また,分析の対象とした実践(案)事例は,以下のような原則にもと
づいて,収集と処理を行なった。
(1》実践(案)事例は, 『歴史地理教育』 (創刊号∼第521号),
r教育科学社会科教育』 (創刊号∼第395号),および,管見に
触れた1980年前後から1994年8月までの発行になる社会科教育関係
の単行本中から収集した。、
(2}絵画を資料として利用している実践であっても,現代の創作資料
を利用していることが明らかなものや,創作資料を利用しているの
か,原典資料(絵画史料)を利用しているのかの判断に迷うものに
ついては,分析の対象から除外した。
(3}絵画史料が利用されている実践であっても,具体的な意味の読解
活動を伴わないもの(例えば,歴史上の人物を紹介するに当たって
単にその肖像画を提示しているだけのような場合)や,利用の方法
が明示されていないものについては,分析の対象から除外した。
(4)実践(案)の中の特定の部分に重点を置いて紹介されている事例
については,他の部分を推定により補った上で,分析を行った。
2 分析の結果と考察
上記の原則にもとづいて実践(案)事例を収集したところ,雑誌所収
のもの58件,単行本所収のもの142件,計200件を収集すること
ができた。それらについての分析の結果をまとめたものが,表一8∼18
である。
81
〔面一8〕 雑誌所収の授業実践(案)の分析結果
M
学習内容
対象
絵画史料名
自然
蘭」1
帥
鰍
職
社会
教
○
1
ポストン確辮
高
ボストン茶欝件
主複
2
趨砿がり
中
紀開細荘
主複
3
天下の続
小
細嚴儀豊臣秀吉像
難
4
江戸時働報
小
ターヘルアナトミア
表単
5
大日楴鴎法
小
雛発布獺行列憲法発械典
主複
6
鮪の甑と化政文化
中
謁醸
主複
7
大朧時働躰
高
棘諸国糊,現肋日本姻
表複
8
ペリーの来航
小
ベリーの縫
主複
9
舳購鋤
中
畷灘会舗におけるトバエ
蝉
10
鎌鯖働商腋通
高
磯
蜷
11
江戸噺切鹸
小
浮厳嗣呉醒図
主複
撒
12
口鵜争
中
火中の栗
主複
騨
複
13
中助武士
小
蒙翻
主複
14
室鴫代の翻
小
石峙職巻,洛中湖図帥
主複
15
太閤槻
小
検地之図
主複
描単
複
16
明治繍
小
明治天皇錬幸
主複
17
肪の動きと闘政治
中
紀鯛細鍛図
蝉
18
辮
小
蒙議糊
主複
19
浮騰と覇伎
小
麟子臨風浮騰
表複
騨
複
相
○
20
フランス軸
中
バスチーユ報の騨
主複
騨
単
教
○
21
近代躰の出発
小
麟瀕会
主複
騨
複
教
○
22
大躰綱憲法の縦
中
憲法発布の顛
主単
23
鞍貴族のくらし
小
駒競行幸絵巻
主複
82
騨
騨
M
捌道作厳
出 典
ユ
細悟郎
『歴史地理教育』第2号擶磨書房,1954年,24∼40頁
2
安塚夫
『歴史地理教育』第233号1歴史教育者協議会11975年レ26∼38頁
3
江断固
『歴史地理教育』第344号歴史教育者協議会1982年、21∼27頁
4
躰真人
『歴史地理教育』第357号」歴史教育者協議会,1983年」40∼45頁
5
山酔人
r歴史地理教育』第359号,歴史教育者慾議会払1983年,50∼55頁
6
染野夫
冒歴史地理教育』第416号1歴史教育者協議会,1987年b90∼91頁
7
前町弘
『歴史地理教育爵第437号歴史教育者協議会,1989年}92∼93頁
8
陪野
『塞史地理教育』第446号,歴史教育者協議会g1989年,18∼19頁
9
馴僻
r歴史地理教育』第456号」歴史教育者懐議会,1990年,40∼47頁
10
関原正裕
r歴史地理教育』第457号,歴史教育者協議会,1990年,92∼93頁
11
本堂進
『歴史地理教育耳第476号1歴史教育者協議会;1991年〕48∼49頁
12
騰
『歴史増理教育』第489号,歴史教育者協議会,1992年,90∼93頁
13
倉四二
r歴史地理教育昌第503号,歴史教育者協議会,1993年,44∼45頁
14
木下撫
r歴史地理教育』第504号,歴史教育者協議会}1993年,56∼57頁
15
小川塒
r駐車地理教育醤第520号」歴史教育者協議会,1994年,46∼47頁
16
奥西づi
r義育科学社会科教育渥第9号明治図書,1965年、47∼52頁
17
花田文聴
『教育科学社会科教育画第33号」明治図書,1967年,87∼94頁
18
秋本元之
r教育科学社会科教育g第86号,明拾図書,1971年,88∼93頁
19
細昭
『教育科学社会科教育』第88号,明治図書,1971年,90∼96頁
20
松稽男
r睡中科学社会科教育』第94号明治図書1972年、93∼98頁
21
平鯖一
r敦育科学社会科教育』第101号」明治図書,1973年,96∼101頁
22 鯨正一
r教育科学社会科教育』第119号,明治図書l1974年,94∼100頁
23
r教育科学社会科教育息第125号,明治図書,1974年,66∼71頁
高田賢
83
M2
M
学習内容
絵画史料名
対象
自然
蹄、
鰍
騨
複
麟
社会
24
鎗武士のくらし
小
一趾熾筑騰絵鋤
藪
25
江戸時代の臥文化
小
浮臨雪舳山水画
表単
26
栄え磧族
小
臓行幸雛
主複
騨
27
フランス軸
中
バスチーユ鵯の騨
主複
撒
28
秀吉の全国総
中
検地之図
主複
29
長勧軸
小
長飴姻顯
主複
擁
複
相
○
30
長勧軸
小
長飴鞭顯
主複
撒 複
相
O
31
モンゴル礫来
中
32
離る町人助
小
助六
主複
騨
複
教
○
33
獺嫡ら肚条約虹
小
ノルマントン号事件
主単
描単
複
教
○
34
醍噸
小
劇吉宗像
主単
35
ベリー来航
中
鮪髄櫛たか栃版
主複
顯
複
相
○
36
足糠満
小
足糠瀞
蝉
描単
複
教
O
37
馴腫
小
東髄五十三次
主複
38
馴輝
小
東髄五十三次
主複
39
江購ゆ人々のくらし
小
府鞍部川
蝉
描単
単
教
O
40
江戸㈹町人文化
小
麟観伽図
主複
41
寺子屋
小
法趾騰江戸職人尽舗
主複
42
元との軸
小
43
浮雌を調べる
小
日楯
主複
徽
44
黒鵬来航
小
ベリーの雛
蝉
騨
複
教
虚
45
文明蹴
小
開姻韻麟
主複
46
条緻正
小
ノルマントン肺件
主複
主複
主複
84
M
戴案作鯖
24
高田賢
『教育科学社会科教育翌第125号,明治図書,1974年,66∼71頁
25
細蟹
r教育科学社会科教育』第125号,明治図書,1974年、66∼71頁
26
細有二
冒教育科学社会碧教育』第211号」明治図書1980年,72∼78頁
27
安膿夫
r教育科学社会科教育g第211号,明治図書1980年,86∼92頁
28
原田喬
訂教育科学社会科教育』第219号明治図書,1981年,85∼91頁
29
有田和正
『教育科学社会科教育』第276号1明治図書,1985年g57∼63頁
30
鈴雄二
r教育科学社会科教育爵第287号,明治図書l1986年,85∼88頁
31
大木鰺
冒教育科学社会科教育』第291号」明治図書,1986年、102∼107頁
32
簾充
r教育科学社会科教育』第309号,明治図書,1988年,5∼8頁
33
嗣懇
r教育科学社会科教育且第311号,明治図書,1988年,31∼35頁
34
剛勇
r教育科学社会科教育塵第313号,明治図書l1988年,66∼70頁
35
中興博
r教育科学社会科教育毒第317号」明治図書,1988年,26∼30頁
36
大願道
匡教育科学社会科教育コ第326号,明治図書,1989年,50∼51頁
37
竹内好
『教育科学社会科教育』第326号,明治図書,1989年,68∼69頁
38
石島光夫
r教育科学社会科教育』第326号」明治図書,1989年,68∼69頁
39
軸壁
r教育科学社会科教育』第328号;明治図書1989年,76∼77頁
40
國出勤
r教育科学社会科教育』第328号」明治図書,1989年,76∼77頁
41
齪醐
r教育科学社会科教育』第334号,明治図書,1990年,64∼67頁
42
有蕨郷
r教育科学社会斜教育脚韻340号」明治図書,1990年,60∼61頁
43
洲崎灘
r教育秤学社会容教育』第340号」明治図書,1990年,70∼71頁
44
調剛
r教育科学社会科教育』第340号」明治図書1990年,74∼75頁
45
松藤司
r教育科学社会科教育』第340号,明治図書,1990年,78∼79頁
46
顯甜
E教育科学社会科教育5第340号,明治図書,1990年,84∼85頁
出 典
85
Nd 3
M
学習内容
蘇
絵画史料名
自然
間い
轍
主複
騨
複
麟
47
日中瀞
小
48
族1綜と愁
小
49
水墨配雪舟
小
秋冬山楓舐物融巻
表複
50
浮雌と細広重
小
山水長巻,東海道五十三次
表複
51
杉眩白と腓縮
小
ターヘルアナトミス東医霧
表単
52
伊醗文と畑締鴎法
小
精院韻選拗鵬画
主単
53
江戸文化
小
劇姻大娯鵬前
蝉
54
畑楴鴎法の縦
中
草駒櫨
主複
騨
単
55
灘
小
魏姻
主複
騨
複
56
観
小
検地之図
主複
撒
57
灘
小
検地之図
主複
描単
複
教
58
江戸噺切文化
小
輔座内外臨風
主複
騨 複
相
鯖樽件の風輌
社会
主複
86
0
O
M
実醸作鯖
47
柏木英樹
『教育科学社会科教育置第340号」明拾図書l1990年,86∼87頁
48
神岐弘
r教育科学社会科教育避第347号」明治図書11991年,140∼145頁
49
松瀕一
r教育科学社会科教育』第347号」明治図書,1991年,158∼163頁
50
三襯飼
r教育科学社会科教育』第347号」明治図書,1991年,200∼205頁
51
坂本酵
r教育科学社会科教育』第347号明治図書,1991年,212∼217頁
52
三田測
r教育科学社会科教育』第347号,明治図書,1991年,278∼283頁
53
遠山享
r教育科学社会科教育』第349号,明拾図書,1991年,60∼61頁
54
黒禮治
r教育科学社会科教育』第349号」明治図書11991年,82∼85頁
55
追田畷
『教育科学社会科教育』第352号明治図書,1991年,10∼14頁
56
群類
r教育科学社会科教育』第352号明治図書,1991年,15∼18頁
57
橋本実
r教育科学社会科教育』第352号明治図書,1991年,19∼22頁
58
福永翻
r教育科学社会科教育』第377号」明治図書,1993年,84∼85頁
出 典
87
〔表一9〕 単行本所収の授業実践(案)の分析結果
M
学習内容
骸
絵画史料名
自然
Nα1
周い
鰍
吟味
社会
騨
単
教
○
単
1
ペリー来航と囎
中
ペリー醒賜關ほか
蝉
2
院政と平氏灘
中
天狗草紙
玉壷
3
鑓文化
中
源頼朝像
表単
4
魂
中
蒙趨織詞
主複
5
秀吉の囎侵略と桃由文化
中
獺山楽・永鶴の諸綿
表複
6
小舞化
中
文素燗の錦絵
主複
7
緻文化
中
東海道帳甦挿し絵
至重
8
雄曜物鑓
中
舩塚魎,洛幅外図關帥
難
9
遣離と天平畑
中
額和煉融伝
主複
10
国風文化
中
舐擬儲
蕪
11
武士の生活
中
男鉦郎絵詞
主複
描単
12
新し砿教
中
法然上膿伝ほか
主複
撒
13
蒙罎来
中
蒙趨織詞
主複
14
産勤発達
中
大峙縁起儲
蝉
15
ルネサンス
中
ダ=ビンチなどの作品
表単
16
鉄勧伝来と判スト教
中
長飴姻屏風
蝉
17
大日締国憲勘縦
中
憲法発布の鹸
主複
18
元との軸
小
蒙趨来絵詞
主複
19
嚴と天下昏
小
長飴靹殿
主複
20
江戸と大阪
小
灘駿潮呉鯉図
主複
21
武士の社会と生活
中
験螂絵訊ゼ趾人絵伝
主複
22
瀧
中
蒙醸織詞
主複
23
武士のおこり
中
粉爵麗絵巻
蝉
88
出 典
晦
鶏案御者
1
鶉正鞘か
r中学校社会科の新選路2 歴吏教材の精選とわかる授業』明治図書,1978年、143∼150頁
2
原忠彦
『中学校の歴史教育』地歴社,1979年,70∼71頁
3
原忠彦
r中学校の歴史教育』地歴社,1979年,80∼81頁
4
原忠彦
r中学校の歴史教育』地歴社,1979年,84∼85頁
5
原忠彦
r中学校の歴史教育』地歴社,1979年,106∼107頁
6
原忠彦
『中学校の歴史教育』地歴社,1979年166∼167頁
7
諏誘一
r新学習指導要領の指導事例集 中学校社会科2』明治図書,1979年,70∼78頁
8
畠山絨
r新学習指導要領の指導事例集 中学校社会科2鯉明治図書,1979年,125∼130頁
9
翻敏夫
r中学校社会科指導事典歴史編且東京法令出版,1980年、34頁
10
前田難
r中学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,42頁
11
齪猛
置中学校社会科指導事典 歴史編』東京沫令出版,1980年,47頁
12
渡辺猛
r申学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,48頁
13
石嚇照
r中学校社会科摺導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,51頁
14
石田泰照
r中学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,59頁
15
礫
礫
礫
∬中学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,66頁
18
藤本博
r新学習指導要領の授業展囲 小学校社会科指導細案 6年』明治図書,1980年,68∼75頁
19
棚醒修
『新学習指導要領の授業展開 小学校社会科指導継案6年丑明治図書,1980年,75∼82頁
20
観謙太ほか
r新学習指導要領の授業展開 小学校社会科指導細案 6年』明治図書,1980年,83∼99頁
21
醐賞
r新学習指導要領の授業展閉 中学校社会科指導細節歴史的分野』明治図書11981年、62∼81頁
22
山野芳幸
艮中学校新教育課程実践指導事例集 社会1年』第一法規,1981年,199∼207頁
23
板垣難
r中学校新教育課程実践指導事例集 社会1年遅第一法規1981年,208∼220頁
16
17
r中学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,69頁
r中学校社会科指導事典 歴史編』東京法令出版,1980年,116頁
89
Nα2
M
学習内容
触
絵画史料名
自然
帥
鰍
麟
社会
騨
複
教
○
複
教
○
複
教
○
24
貴族の蠕と關文化
中
蹴鞠i麟
主複
25
蒙醸来
中
蒙膿欄
主複
26
宗教改革
中
解符の販売
主単
27
蓬餅化
中
姫の風景の雛
主複
28
古墨[ジプトの農民生活
中
古代エジプト曜画
主複
29
ローマにいった弊使節
小
ローマ法王の行列に肋る舛使節
蝉
30
魂と鮪のおとろえ
中
蒙趨来糊
主複
31
村の祭り
中
細植神事
主複
32
明治の文化
中
瀬の夕暮
表複
33
武士と飯の蠕
中
遍上熾伝駿郵飼
主複
34
江戸鮪の焔紬
中
徳川家鰍
主複
35
室町1㈹文化
小
驕賭像
主複
36
細巖の鋼統一
小
長齢戦図顯
主複
37
舳瞼陽
小
畷灘会
主複
騨
38
一向噸
中
絵本樋嚴講絵
主複
撒
39
産業軸
中
炭療楊く少年
主複
撒
40
鎌倉仏教
中
領上人絵伝
主複
41
2月齢
中
民衆を導く舳の女神・
蝉
42
躇戦争
中
火物栗
主複
騨
43
簸の生活
小
舐物語儲
主複
騨
44
成金の生活
小
成錬鞘代
主複
45
黒鉛の来航
中
ベリ噸浜上騰図
主複
46
帷の社会と踪
中
一醒絵伴大縮絵詞
藪
90
複
M
実践案地者
24
高橋妃
冒中学校蹟教育課程実践捲導事様集 社会1年量第一法規,1981年,235∼246頁
25
金井正二
r中学校新教育国尽実践指導事例集 社会2年』第一法規11981年,216∼227頁
26
餅俊夫
r子どもが動く社会科歴史の授業記録』一地歴社,1982年,85∼105頁
27
輔舟
r中学校社会科・授業に生きる歴史の教材研究』明治図書,1982年,27∼37頁
28
挙証生
r中学校社会科・授業に生きる歴史の教材研究』明治図書,1982年,68∼77頁
29
森豊一
rたのしくわかる社会科人物史で学ぶ歴史教育上』あゆみ出版11984年,207∼233頁
30
山漏報か
冨中学校社会科のカギ 歴史』岩崎書店,1984年g90∼91頁
31
山稠報か
r中学校社会科のカギ 歴史』岩崎書店,1984年,126∼127頁
32
山下解ほか
r中学校社会科のカギ歴史』岩崎書店,1984年,164∼165頁
33
戦戦夫
r中学校教育評価全集3 社会』ぎょうせい,1984年,193∼208頁
34
安鞭夫
r学びあう歴史の授業』青木書店,1985年,62∼76頁
35
峨入
r小学生の歴史教室上』あゆみ出版,1985年,125∼128頁
36
躰典人
犀小学生の歴史教室 上』あゆみ出版1985年,147∼155頁
37
躰鰍
霞小学生の歴史教室下』あゆみ出版,1985年,23∼42頁
38
甲羅夫
r生き生き教室・社会発言をひきだす社会科の授業』日本書籍,1986年,41∼42頁
39
撃壌夫
r生き生き教室・社会発言をひきだす社会科の授業1日本書籍,1986年,77∼79頁
40
綴喜顔か
露だのしくわかる社会科中学歴史の授業再訂新版』あゆみ出版,1986年,86∼87頁
41
鍵喜彦帥
rたのしくわかる社会科中学歴史の授業再訂新版』あゆみ万引1986年,134∼135頁
42
鍵諺融
rたのしくわかる社会科中学歴史の授業再訂莉版』あゆみ出版,1986年,172∼173頁
43
西尾一
r教育技術の法鎚脇9 歴史授業の全等周・全指示』明治図書,1987年,56∼58頁
44
西尾一
r教育技衛の法剣化39 歴史授業の全発問・全指示』明治図書,韮987年、129∼136頁
45
多畔一
冨中学校社会科の自己学習力指導入門刃明治図書,1987年,96∼108頁
46
懸祥一
9中学校社会科指導事例集社会科課題学習の新展露 人間と生活』三晃書房,1987年,47∼54頁
出 典
91
Na 3
M
学習内容
対象
絵画史料名
自然
周い
鰍
騨
複
吟味
社会
47
大むかしの人ぴと
小
鱗絵画
叢
48
舳購鋤と明瀧法
小
政談灘会
主複
49
条緻正
小
ノルマントン号辮
主複
騨
複
相
○
50
鵬としての順尿
中
醜轍錦飼
主複
騨
複
教
○
51
ペリーの錦絵
中
ベリーの雛
表単
騨
複
教
多虚
52
鍵と農奴
小
十ψ月の絵ごよみ
藪
騨
単
教
○
53
古代判シア
中
判シアの馳ペルシア嚥士
蜷
騨
複
54
魂
中
蒔ランドを攻めるモンゴ輝
主複
55
朧と日明貿易
中
倭調巻
主複
56
イ判ス肺騨命
中
旺の矧エリザベス1世
主複
騨
単
教
○
57
産業軸
中
賑名所齢産業軸当渤瑚
主複
58
黒人繍の韻
中
輸遡に積まれる黙嫌の売買
主複
描単
単
59
江戸賦の学問と文化
中
江戸献の躰脳
主複
60
黒鉛の織
中
ペリーの織
主複
騨
単
61
舳雌踊
中
畷灘会灘会駒入ロ帥
主複
62
樺魍鍼立
中
職卿国侵嗣風魎
主複
騨
複
63
日本鴎法の縦
中
あたらしい憲勘臆し搬
主複
描単
単
64
弥生賦
中
銅鐸絵画
主複
65
鎌倉鮪畷亡
中
病轍蛭鍛記
蝉
66
瀧
中
蒙議欄
主複
67
簸のくらし
小
駒競行幸儲帥
主複
68
武士による政渤始まり
小
験三郎翻
主複
69
天下の統一
小
検地之図
主複
騨
複
教
○
92.
M
上野織者
47
有弾正
r授業のネタ 社会3 高学年呈日本書籍,1987年,62∼65頁
48
簾充
r教育技術の法訓化叢書7 この教材・発射で歴史の授業渉変わる』明治図書,1988年,54∼61頁
49
有田鉦
r授業のネタ 社会3 高学年第2版』日本書籍,1988年,136∼137頁
50
川島孝郎
E生き生き教室・社会 日本史の教材づくり』日本書籍,1988年,97∼106頁
51
蝋拡
訂ストップモーション方式による1時凋の授業技術 中学歴史』日本書籍,1989年,115∼126頁
52
久津見宣子
『入問ってすごいね 先生』授業を創る社,1989年,109∼124頁
53
安脚夫
r歴史の授業108時問上』地歴社,1990年、18∼19頁
54
安鞭夫
r歴史の授業108時闘 上』地歴社,1990年,88∼89頁
55
安鞭夫
冒歴史の授業108時問上』地歴荏1990年,94∼95頁
56
安膿夫
犀歴史の授業108時周長』地歴社1990年,134∼135頁
57
安酸夫
r歴史の授業108時間 上』地歴社,1990年,148∼149頁
58
安膿夫
r歴史の擾業108時問上』地歴社』1990年,154∼155頁
59
安神夫
r歴史の授業108時岡上』地歴社,1990年、188∼189頁
60
安膿夫
犀歴史の授業量08時間上』地歴社,1990年,194∼195頁
61
餅鰍
r歴史の授業108時周 下』地歴社,1990年,24∼25頁
62
安撒夫
r歴史の擾業108時間 下』地歴社』1990年,68∼69頁
63
安搬夫
r歴史の授業108時暴露』地歴社,1990年,138∼139頁
64
枇浩一
r教育技衛の法測化90 おもしろい社会科ネタ事例集』明治図書,1990年,16∼18頁
65
枇浩一
霞教育技徳の法姻化90 おもしろい社会科ネタ事例集』明治図書,1990年,19∼21頁
66
聯一
暫教育技勧法馴化90 おもしろい社会科ネタ事例集』明治図書1990年,22∼27頁
67
蘇洋子
冒小学校歴史学習の理論と実践』東京書籍,1991年,81∼90頁
68
五酬蝕
r小学校歴史学習の理論と実践旦東京書籍,1991年,91∼101頁
69
池田繍
r小学校歴史学習の理論と実践昌東京書籍,1991年,114∼123頁
出 典
93
Na 4
M
学習内容
触
絵画史料名
自然
騨
鰍 喉
社会
70
江戸肺}生活と文化
小
駿観物図
主複
71
近鯛家膿立
小
ノルマントン号事艇か
主複
72
舳購働
中
畷灘会
蝉
73
大正汽クラシー
中
成錬鞘代
蝉
74
鮪使と天平文化
小
薙絵伝
主複
75
武士の生活
小
ヨ趾膿伝
主複
76
モンゴル罎来
中
蒙鵜詞
主複
77
室町擶の醗と外交
中
髄購
主複
78
室町噺切民撤化
小
大蜻鎚雛風魍殿
主複
79
桃山文化
中
麟子図屏風松姻
表複
80
姻
小
出島
主複
81
参鮫代
小
日楯
主複
82
舳麟翻
小
政談灘会
主複
83
糠
小
ノルマントン号辮
主複
騨
84
黒鵬来航
小
ベリーの繊黒肋雛
主複
措単
85
ルネサンス
中
荘厳の聖母牧駒聖母
表複
比複
86
第一次堺焔と胸繍
中
21か勧要求成金乗鞘代
主複
87
鞍時働ら鎗献へ
中
甑物懇巻「趾人絵伝帥
難
88
ヨー助パ人の織
中
南蛮屏風
主複
撒
89
足織渤めざしたもの
高
足糠灘
叢
顯
複
相
O
90
鎗胸社会
高
一趾燃伝
難
比複
複
相
○
91
一向噸と巖
高
絵本瀧巖講絵
主複
騨
複
相
92
西ヨーロッパの封建社会
中
十ニケ肋絵ごよみ
主複
94
単
M
鐡等割者
70
腺結
『小学校歴史学習の理論と実践醤東京書籍,1991年b133∼142頁
71
輝国
『小学校歴史学習の理論と実践盈東京書籍,1991年,153∼162頁
72
馴和幸
rストップ方式による教材研究の1単元の授業中学社会歴史塁B本書籍,1991年,151∼168頁
73
舗宣彦
rストップ方式による教材研究の1単元の畏業中学社会歴史』日本書籍,1991年、207∼228頁
74
横顧幸
r現代社会科教育実践講座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年、139∼143頁
75
喜多槻
r環代社会科教育実践講座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年、164∼169頁
76
餌飼
r理代社会科教育実践講座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年、179∼183頁
77
大綴道
r現代社会科教育実嚇座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年、184∼187頁
78
甲終日
r現代社会科教育実践講座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年,200∼204頁
79
鄭胴
r現代社会科教育実践講座9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年、220∼225頁
80
醐網
冒現代社会科教育実践講蓬9 日本の歴史の学習①』ニチブン,1991年,238∼243頁
81
取皿一
r現代社会科教育実践講座10 日本の歴史の学習②』ニチブン,1991年,68∼73頁
82
聯弾
r現代社会科教育実践講座10 日本の歴史の学習②』ニチブン,1991年,158∼163頁
83
目平臥郎
r現代社会科教育実践講座10 日本の歴史の学習②』ニチブン,1991年,174∼179頁
84
麟貢
r現代社会科教育実践講座11 日本と世界の歴史の学習』ニチブン,1991年、38∼43頁
85
耕正信
r現代社会科教育実践講座11 日本と世界の歴史の学習』ニチブン,1991年、128∼133頁
86
秋蜻彦
r現代社会科教育実践講座ll 日本と世界の歴史の学習善ニチブン,1991年,200∼205頁
87
文瀦
r中学校社会科指導資料指導計画の作成と学習指導の工夫』大目書籍,1991年,111∼126頁
88
文鮪
r中学校社会科指導資料揃導計画の作成と学習指導の工夫』大阪書籍,1991年、127∼151頁
89
早臥明
rわくわく論争!考える日本史授業昼地歴社,1991年,117∼125頁
90
臆公明
rわくわく論争!考える日本史授業早舞歴社,1991年,126∼140頁
91
車群夫
r新しい中等社会科へのいざない遇地歴社,1992年,136∼144頁
92
若畝造
『モノからの社会科授業づくり』日本書籍,1992年、58∼66頁
出 典
95
N吐5
M
学習内容
対象
絵画史料名
自然
蹄、
鰍
吟味
社会
93
鞍時胸眠の蟷
中
漱納誰試舐傭儲帥
蜷
94
ルネサンス
中
喬塑鋤
表複
騨
複
教
○
95
惣榊彪と腺の飴
中
洛輔姻
主複
騨
複
教
○
96
モンゴルの襲来
小
主複
撒
複
97
貴知くらし
小
年中行事儲
難
98
荘園の物と武士のおこり
小
大山寺麗儲
主複
99
蒙古の縣
小
蒙罐来蘭
主複
100
士農工商
小
年貢納め絵図
蝉
101
天下の舗
小
駿伎観る人々
蝉
102
陛っくる農民
小
掴翻
蝉
103
日醐
小
帽入を輔しにする日本兵
主複
104 17・18世緻粥嚴文化
高
嬬売りのビラ
主複
O
105 鎗肺膿村
中
粉爵縁起儲
主複
106 江戸賦醐の翻
中
餅肱順農細俗鴎
主複
107
弥蜻代の蟷と文化
高
伝香川県出鱗
108
古麟胸社会と麗
高
109 鞍時肋鮒生活
騨 複
徽
複
教
主複
騨
複
相
家屋頬
主複
描単
複
相
高
粉河寺艇儲
主複
撒
複
相
110 鞍末肋駅文化
高
鯉輔
主複
撒
複
教
lll
応仁畷
高
真如堂繍騰
主複
撒
112
太繊苑と農民
高
検地之図
主複
113
附原嚇、と姓
高
おあむ傭融
主複
撒
複
教
高
夷酋礁松本朝郎の鍵
難
騨
複
教
高
大はし欧肋夕立雨物橋
表複
騨
複
114
115
r鋸」とアイヌ
化政文化とジャボニズム
96
虚
O
O
M
鶏案作鰭
93
懸祥一
r新中学校社会科授業方略の理論と実践歴史縮』清水書院,1992年、46∼51頁
94
願智仁
配新中学校社会科授業方略の理論と実践歴史緬』清水書院,1992年,82∼87頁
95
押明
冒新中学校社会科授業方略の理論と実践歴史編コ清水書院,1992年,144∼149頁
96
平野昇
rシリーズ授業4 社会』岩波書店,1992年、141∼160頁
97
麟隔靴
r新たのしくわかる社{舗6年の授業』あゆみ出翫1993年、73∼76頁
98
鮒鋏治
『新たのしくわかる社会蒋6年の授業』あゆみ出版1993年,77∼80頁
99
桜本記
冒新たのしくわかる社会科6年の授業』あゆみ出演1993年,93∼95頁
出 典
100 醐護
r新たのしくわかる社会科6年の袋業』あゆみ出飯,1993年、120∼121頁
101
醐護
『新たのしくわかる社会科6年の授業』あゆみ出属1993年,124∼125頁
102
醐護
『新たのしくわかる社会科6年の授業』あゆみ出叛,1993年,128∼131頁
103
野曝入
『新たのしくわかる社会科6年の授業』あゆみ}ヒ飯11993年,163∼164頁
104
原田智仁
r地理歴史科教育を考える3杉山書店11993年、70∼77頁
105
弓叡明
r柱で学ぶ歴史学習昌日本書籍,1993年,64∼87頁
106 久細雪
r村で学ぶ歴史学習理日本書霧,1993年、149∼168頁
107
宮願夫
r機甲史料を読む日本史の授業』国土社,1993年,22∼29頁
108
宮願夫
r絵画史料を静む日本史の授業』国土社61993年,30∼37頁
109
吉井哲
匿絵画史料を静む日本史の授業』国土社,1993年、44∼49頁
110
鹿町好
r絵画史科を読む日本史の融業』国土社,1993年,50∼57頁
111
河名勉
r絵画史料を読む日本史の摸業』国土社,1993年,74∼81頁
112
細禰
r絵画史料を読む日本史の授業』国土社,1993年,82∼87頁
113
植籍重
置絵画史舞を読む日本史の授業』国土社,1993年、88∼93頁
l14
楳澤鉄
『絵画史科を読む日本史の授業』国土社,1993年,94∼101頁
115
植糖重
r絵画史料を読む日本史の授業善国土社,1993年、114∼121頁
97
N砿6
M
学習内容
絵画史料名
対象
自然
胤、
鰍 職
社会
116 躰の贈
小
ミシシッピ号
主複
117
倒幕眠衆
高
幕末炉市中脇記
叢
騨 複
ll8
舳1鵜
高
政談演説会
主複
徽 複
119 日溝争と鯨儲
小
鱗をめぐる日瀧
主複
騨
複
教
120
影雛界大戦と大戦賄
高
成金雑献
主複
牌
複
相
O
O
121
江戸肺膿業
中
農耕翻臨風
主複
122 醐賜
中
朧図巻
主複
123 応働乱と囎焔
中
顛難巻
主複
餅囎
中
たはらかさ繍織翻か
主複
肺の雑と自治
中
三十二翻人歌合ほか
主複
元禄文化
中
十,胴俗顯
主複
127
フランス軸
中
殿を軸る舳の女神
蝉
128
イ判スの産業軸
中
賑名所図会
主複
寺子屋と’澱
中
寺子職欄授瓢景
主複
町人の厳
中
助六
主複
措単
単
教
O
131
尊皇鋤ら倒幕まで
中
擁上昇の風輌
主複
132
21か条の要求
中
21か条の要求瓠緬
主複
騨
複
相
O
133
ペリ吻来靴囎
中
瓢頬騰酬細遠景
主複
134
細嚴の統一事業
中
長篠餓躍風
蝉
描単
複
丑35
B瀦争
中
艸頒
主複
136
近世の糊け
高
江戸臨風
戴
比複
複
相
O
137
翻に生きる武士
中
越闘奥雌絵図融
主複
138
鯛魏と珊
中
麗之図
蝉
98
M
鶏案作旙
116
鴨昇
『絵画史料を読む日本史の授業』国土社61993年,122∼129頁
117
若杉温
『絵画史料を読む日本史の授業垣国土社,1993年う130∼137頁
出 典
118 十一
r絵画史料を読む日本史の授業』国土社,1993年、146∼153頁
119 紹誠
『絵画史料を読む日本史の授業』国土社,1993年154∼161頁
120
河名勉
r絵画史料を読む日本史の授業3国士社,1993年,162∼169頁
121
文瀦
冒中学校社会科指導資脊作業的,体験的な学習の充実』麟通信11993年,121∼136頁
122
秋山大路
r新学力観に基づく中学校社会科捲一円案歴史的分野1年』明治図書,1993年,67∼72頁
123
秋献路
冨鋳学力観に基づく中学校社会科指導細案歴史的分野1年』明治図書,1993年,67∼72頁
124
宮本馳
r新学旧観に基づく中学校社会科指導細案歴史的分野1年』明治図書,1993年、73∼79頁
125
宮楯也
r新学力観に基づく中学校鮭会科指導口内歴史的分野1年』明治図書,1993年、73∼79頁
126 醐汁
r新学力観に基づく中学校社会科指導継案歴史的分野1年』明治図書,1993年,107∼114頁
127 鞭茂
紅閨学力観に基づく中学校社会科指導細案歴史的分野2年』明治図書,1993年,20∼29頁
128 姫茂
r新学力観に基づく中学校社会科指導細案歴史的分野2年』明治図書,1993年,20∼29頁
129
関裕幸
r新学力闘に基づく中学校社会科指導細案歴史的分野2年』明沿図書,1993年,127∼133頁
130
黒木俊治
1教育技徳の法劉化126 中学校社会ω』明治図書,1994年,207∼212頁
131
黒木俊治
【教育技徳の法財化126 中学校社会(1}盈明治図書,1994年,213∼217頁
132
赤碩司
『教育技箱の法剣山127 中学校社会⑫遇明治図書,1994年,65∼70頁
133 安剤鋤
匡新しい学力観に立つ中学校社会科の評価・授業改善と通信簿薯明治図書,1994年,55∼73頁
134 安斎囎
r新い、学力観に立つ申学校社会科の評価・授業改善と通信簿』明治図書,1994年,55∼73頁
135
灘彰紀
『中学校社会科歴史の学習課題つく1)盈明治図書,1994年,100∼104頁
136
加訟明
冒子どもが主役になる社会科の授業』国土社,1994年,180∼195頁
137 錦駆
r新たのしくわかる中学社会科歴史の授業(上)』1994年,148∼151頁
138
r新たのしくわかる中学社会科歴史の浸業(上)身1994年、190∼193頁
武田章
99
M7
M
学習内容
触
絵画史料名
自然
帥
騨
139
嚇とアイヌ
中
嚇軸覇儲鰍嗣
主単
140
商業と肺の雑
中
辮蜥騰
主複
141
フランス軸
中
難廠と農民帥
主複
142
産業靴
中
炭擬働く飾
蝉
100
騨
轍
牒
社会
甑
実撚㈱者
139
磯貝磁
『新たのしくわかる中学社会科歴史の授業(上)』1994年210∼213頁
140
磯貝碓
冒新たのしくわかる中学社会科歴史の授業く上)』1994年,214∼217頁
141
梅津蘇
r新たのしくわかる中学社会科歴史の授業(上)』1994年,250∼253頁
142
梅津通郎
冒親たのしくわかる中学社会科歴史の授業(上)』1994年、254∼257頁
出 典
101
〔表一玉0〕到達段階の類型別に見た実践事例数
類 型
自然的意味の読解に留まっているもの (A)
竄「は持たせているが,解釈はさせていないもの (B)
釈はさせているが,吟味はさせていないもの (C)
癘。はさせているが,深まりが見られないもの (D)
事例数
123
@16
@20
@ 4
ミ会的意味の把握に到達させているもの (E)
@37
合 計(A+B+C+D+E)
200
〔表一11〕読み取らせている自然的意味の数十に見た実践事例数
十 型
単一の自然的意味を読み取らせているもの
事例数
34
。数の自然的意味を読み取らせているもの
P66
合計(A+B+C+D+E)
200
〔表一12〕持たせている問いの数別に見た実践事例数
類 型’
単一の問いを持たせているもの
。数の問いを持たせているもの
合 計(B+C+D+E)
102
事例数
55
Q2
77
〔二一13〕引き出している解釈の二二に見た実践事例数
類 型
事例数
単一の解釈を引き出しているの
12
。数の解釈を引き出しているの
S9
合 計(C+D+E)
61
〔表一14〕吟味のさせ方の類型別に見た実践事例数
類 型
教師の主導によって吟味させているもの
褐ンの討論によって吟味させているもの
合 計(D+E)
事例数
26
P5
41
〔表一15〕把握させた社会的意味の類型別に見た実践事例数
類 型
事例数
多層性を認識を含む社会的意味を把握させているもの
1
附¥性を含む史料で社会的意味を把握させているもの
繼Lの2類型以外の社会的意味を把握させているもの
@3
R4
合計(再掲事例があるため,事例数の合計と一致せず)
37
103
〔表一16〕読み取らせている自然的意味の類型別に見た実践事例数
類 型
事例数
G画の表現に関する自然的意味を読み取らせているもの
170
@14
@16
合 計(A+B+C+D+E)
200
絵画の主題に関する自然的意味を読み取らせているもの
G画の要素に関する自然的意味を読み取らせているもの
〔表一17〕問いを持たせる契機の類型別に見た実践事例数
類 型
事例数
絵画中の描写そのものが契機となっているもの
シの絵画などとの比較が契機となっているもの
合 計(B+C+D+E)
62
P5
77
〔表一18〕読み取らせている自然的意味と問いを持たせる契機との関連
読み取らせている自然的意味
問いを持たせる契機
事例数
絵画の主題に関する自然的意味
絵画の中の描写自体
62
〃
他の絵画等との比較
1
絵画の要素に関する自然的意味
絵画の中の描写自体
0
〃
他の絵画等との比較
8
絵画の中の描写自体
0
他の絵画等との比較
6
絵画の表現に関する自然的意味
〃
合 計(B+C+D+E)
104
77
(1}絵画史料の利用目的について
表一8・9を見て,まず,気づくことは,絵画史料を利用しての活動
が自然的意味の読み取りの段階に留まっている実践が多い一方で,件数
は少ないものの,絵画史料を用いて子どもたちをその社会的意味の把握
へと導いている実践も見受けられることである。
このことから,絵画史料を用いた歴史の授業には,大きく分けると,
絵画史料利用の目的を個別的な事実の読み取りやその事実に注目させる
ことに限定し,絵画史料を他の資料と同格に扱っているもの(絵画史料
の従属的利用型)と,絵画史料を授業の中心的な資料に位置づけ,その
社会的意味を追究させる活動を通して,授業のねらいそのものまで達成
しようとするもの(絵画史料の中核的利用型)の2っの類型が存在して
いることが明らかであろう。
個々の実践を,先に示した観点によって区分される5っの段階のうち
どこまで到達しているのかによって類型化し,それぞれの件数を示した
ものが表一10であるが,この表からは,絵画史料の社会的意味の把握を
させている事例は,まだ全体の2割弱しかなく,それに対して,自然的
意味の読み取りの段階に留まっている実践が,全体の6割以上を占めて
いることがわかる。
ただし,自然的意味を読解させるに留まっている実践には,絵画史料
を用いている意味が全くないというのではない。既に指摘したように,
絵画史料の利用には,子どもの学習意欲を高揚させるという効果がある
ので,たとえ自然的意味の読み取りに目的を限定した利用であっても,
絵画史料の利用には,一定の意義を認めることができるのである。
しかし,その利用が従属的なものであれば,一般的には,絵画史料は
105
文章資料などを含む多くの資料中の一資料として扱われることになり,
絵画史料を中核的に利用した授業と比べると,1時間当たりの資料数が
多くなるものと考えられる。多くの資料が次々と提示され,その読解を
こなしていくことによって構成される授業というのは,子どもにはもち
ろん,教師にとっても,負担の重い授業となるであろう。そして,最終
的には,絵画を利用した効果が相対的に薄められたり,一つの資料に対
してさまざまな角度から検討を加え,豊富な情報を引き出すというよう
な経験をする機会を子どもたちから奪ったりすることにつながるのでは
ないだろうか。従って,資料の精選という観点からも,今後は絵画史料
を用いる場合には,それをできるだけ中核的に利用するようこころがけ
ていくべきであろう。
(2)絵画史料の利用段階別に見られた傾向について
では,次に,各観点ごとの分析で,どのような傾向が把握できるのか
を見ていこう。
表一11を見ると,自然的な意味の読解の段階では,複数の意味を読み
取らせているものが,単一の意味しか読み取らせていないものに比べて
多く,全体の8割以上を占めていることがわかる。また,表一13を見る
と,直観的解釈の段階でも,複数の解釈が出されている実践の方が多く,
ここでも,その比率は全体の8割を超えている。これらの2つの段階で
は,子どもの認識の流れが,いわば複線的になる傾向が強いということ
がいえよう。このことは,第1章第1節で指摘した,絵画史料の特性
(読解の手順が特に定められていないことや,読み手独自の解釈が入る
余地の大きいことなど)が正しかったことを裏づけるものであろう。
106
ところが,問いの把握・直観的解釈の当否の吟味・社会的意味の把握
の各段階では,反対に,子どもの認識が単線的になっている事例の方が
より多く見受けられるのである。表一12を見ると,問いの把握の段階に
おいて複数の問いを持たせている実践は,全体の3割弱となっている。
また,表一14を見ると,直観的解釈の当否の吟味の段階で,子どもたち
相互の討論による吟味をさせている実践は全体の3分の1強に留まって
おり,表一15を見ると,社会的意味の把握の段階において,時間の多層
性にも気づかせている実践は,わずか1事例しかないことがわかる。
これらのことは,問いの把握・直観的解釈の当否の吟味・社会的意味
の把握の各段階では,単に絵画史料を用いるだけでは,複線的な認識の
流れを形成することは困難であり,効果的な授業を構成するには教師の
意識的な配慮が必要であることを示しているものと考えられる。
そこで,次に,これら3つの段階のうち,まずは問いの把握の段階に
焦点を当てて,何が子どもたちを社会的意味の追究へと向かわせるよう
な問いを持たせる契機となっているのか,また,複数の問いを持たせて
いる実践とそうでない実践との間にはどのような相違が生じるのか,と
いった点を見ていくことにしたい。
③ 問いの把握の契機について
表一8・9,および,表一17・18を見るとわかるように,絵画史料を
用いて問いを把握させている実践のうちの8割以上は,絵画自体の描写
が契機となって,読み手に問いを持たせる形式のものである。しかし,
全ての実践がそのような形をとっているわけではなく,複数の絵画史料
の比較という活動によって,子どもたちに問いを把握させている実践も
107
存在していることを確認することができた。
これらの絵画史料を用いて問いを把握させている実践において,教師
が読み取らせようとした自然的意味の性格と,問いの把握の契機となっ
たものとの関連を見てみると,絵画の主題に関する自然的意味を読み取
らせようとした実践では,1事例を除き,全て絵画自体の描写が問いを
持たせる契機となっている。これに対して,絵画の要素や表現に関する
自然的意味を読み取らせようとした実践では,全て比較という活動によ
って問いの把握がなされているという関係になっているのである。
表一19・20・21に示した事例は,それぞれ,絵画の主題・要素・表現
に着目させている実践の具体例である。表一19に示した事例では,人々
が武装して稲刈りをしている様子の描写自体が契機となって,読み手に
「なぜ,武装した人々が稲刈りをしているのか」 「だれが何をしている
場面なのか」という問いを持たせている直筆一20の事例は,やや特殊な
事例で,比較の対象とすべき特定の絵画史料の提示がない実践ではある
が,教師が行なった「鎌倉時代になって出現した物(後略)」をr探せ」、
という指示の中には「平安時代以前の市の様子を推定し,それらと比較
して……」という指示が隠されているものと解釈できる。従って,この
事例では,より古い時代の様子との比較によって,絵画中の主題(この
場合は,一遍に切り掛かった人物の一遍への帰依)とは本来関係の薄い
市で売られている商品などの要素に着目させて,「なぜ,この品物は,
鎌倉時代に市で売られるようになったのか」などの問いを持たせている
と考えられるのである。また,表一21の事例では,ペリーの肖像画のう
ち,比較的写実的なものとそうでないものとを比較させることを通し,
「なぜ,人間ばなれをした顔のペリー像が描かれたのか」という問いを
読み手に持たせているのである。
108
〔表一19〕 絵画の主題に着目させている実践例(単行本所収・M91)
一向一揆と信長
学習内容
本願寺刈田
絵画史料名
(
宮原武夫
実践案作成者
『絵本拾遺信長記』より)
高等学校
対象二種
r新しい中等社会科へのいざない』 地歴社, 1992年
出 典
1
本願寺刈田の絵を提示し, 疑問を見つけるように
戦いが行われている中で人々が武装して
稲刈りをしていることに着目させている。
指示して,
2
3
この絵は石山戦争の一場面を描いたものであると
いうことを知らせた後,だれが何をしている場面を
描いているのかについて考えさせている。
「一揆勢が食糧を調達している」
「信長軍が一揆
を挑発している」 などの考えのうち,
指導の流れ
どれが正しい
のかを, 絵の描写を踏まえて吟味させている。
4
兵士たちの中に寝転んだり鎧を脱いだり している
者がいることをめぐり,余裕のある信長軍と見るか
統制のとれない一揆勢と見るのか討論させている。
5
r絵本拾遺信長記』 の本文を示し, この絵が一蝶
信長軍説
の者に固定観念へのとらわれを反省させている。
勢を描いたものであることをとらえさせ,
分析の観点
自然
問い
解釈
吟味
分析結果
主複
描単
複
相
社会
この案にもとづいて, 加藤公明氏によって授業実践
備 考
が行われており, その授業記録3も発表されている。
109
〔表一20〕 絵画の要素に着目させている実践例(単行本所収・恥90)
鎌倉時代の社会
学習内容
備前福岡市
絵画史料名
r一門上人絵伝』より)
加藤公明
実践案作成者
出 典
(
対象校種
『わくわく論争
1
!
高等学校
考える日本史授業』 地歴社, 1991年
福岡市の図に描かれている事物の中から鎌倉時代
に現れたと思われるものを見つけだし, その理由を
説明するための仮説を設定させている。
2
市で売られている米は,二毛作の導入で余剰作物
の獲得に成功した農民たちが商品として持ち込んだ
との説を取り上げ,
3
指導の流れ
当否について討論させている。
描かれた米の量が農民の余剰にしては多すぎると
の批判に着目させ,
地頭たちが年貢米を現金化する
ために持ち込んだと仮説を修正させている。
4
武士が持つ叡慮は,
領地のため命懸けで戦う武士
が馬上での抜刀を容易にするために発明されたもの
との説を取り上げ,
5
当否について討論させている。
提出された仮説のうち,
どの仮説に最も説得力を
感じたかを,事実に即していたか, 論理的であった
かなどの点を基準にして,判断させている。
分析の観点
自然
問い
解釈
吟味
社会
分析結果
要複
比複
複
相
○
1994年に発表された,新しい論文に
記載された実践例、 にもとづいている。比較の指示が
指導の流れは,
備 考
隠されている事例である。
110
〔表一21〕 絵画の表現に着目させている実践例(単行本所収・M51)
学習内容
ペリーの錦絵
絵画史料名
ペリーの錦絵
野崎充広
実践案作成者
出 典
『1時間の授業技術
1
中学校
対象乙種
中学社会歴史』日本書籍,
1989年
ペリーを描いた錦絵3種とペリーの写真とを提示
し,すべてペリーの肖像であることをとらえさせ,
錦絵の写実性に差があることに気づかせている。
2
3種の錦絵を, 本人を見て描いたと思われるもの
後者が人間ばなれ
した顔に描かれていることに気づかせている。
3
人間ばなれした肖像が描かれた理由を考えさせ,
とそうでないものとに分類させ,
中国人のイメージをもとに, 想像を加えて描いたと
考えられることに気づかせている。
指導の流れ
4
肖像の脇に添えられている狂歌に注目させ,この
歌が 「ペリーは, 醜くて,無礼である」 という意味
のものであることをとらえさせている。
5
当時の日本人の外国人観が中華思想に根ざすもの
ペリー像もそのような世界観
の下で描かれたことをとらえさせている。
6
当時の日本で普及していた世界地図を観察させ,
だったことを知らせ,
描かれている世界像は日本中心に歪曲されており,
空想を交えたものであったことを確認させている。
分析の観点
自然
問い
解釈
吟味
社会
分析結果
表単
比単
複
教
多虚
備 考
時間の多層性を認識させることのできる事例である。
111
第1章第2節で見たように,吉川幸男氏は,見る活動において,私た
ちはモノを見ているのではなく,コトを見ているのだという指摘を紹介
しているが,これは1点の絵画を主題に沿って見ていく場合についての
指摘である。複数の絵画を比較しながら見ていくときには,われわれは
それらの中に共通して描かれているモノや一部の絵画には描かれていて
他の絵画には描かれていないモノ(要素)に関心を向けたり,絵画自体
を一つのモノとしてとらえ,その絵画のモノとしての特色(表現)に目
を向けたりしていくことになるのである。
以上のことから,問いの把握には複数の絵画史料の比較という活動が
契機となっている場合も存すること,特に,絵画に描かれた特定の要素
や,絵画の表現の特色に着目した読解をさせようとする場合には,複数
の絵画の比較をさせることが大切であることを確認できるだろう。
(4》把握させる問いの数について
では,次に,問いの把握の段階で持たせる問いの数によって,実践に
どのような相違が現われるのかについて見てみよう。
図一1は,雑誌所収実践事例・梅20における子どもの認識の流れを
図に表したもので,問いの把握段階で把握させる問いを一つに絞って
いる実践の具体例として掲げたものである。一方,四一2は,雑誌所収
実践事例・悔35での子どもの認識の流れを図に表したもので,複数の
問いを把握させている実践の具体例として示したものである。
この両者を比較してわかることは,後者の実践では,授業全体を通じ
子どもたちが絵画史料の読解を通して獲得した豊富な情報と意欲を生か
すような流れになっているのに対し,前者の実践では,問いの把握段階
112
以降の流れが単線的で,絵画史料を用いていない実践と大差ないものに
なってしまっていること,そして,後者では,最終的に把握される社会
的意味が絵画史料から読み取られた具体的事実にもとついた,多面的な
ものになっているのに対して,前者では,一面的なものになっていると
いうことである。ふたつの実践は,絵画をもとに問いを持たせて子ども
たちを社会的意味の追究へと向かわせているという点では一致している
が,絵画の利用に伴う効果の面においては,かなりの差を生じているの
である。
このことは,子どもたちが読み取った個別的な自然的意味を捨象して
作られた抽象性の高い単一の問いにもとつく社会的意味の追究よりも,
たとえ,一見無意味なほど些末な疑問に見えようとも,事実に立脚した
具体性の高い複数の問いにもとづいて行われる追究の方が,子どもたち
ひとりひとりの発想を生かす学習を組織したり,歴史事象に対する多面
的な見方を獲得させたりするのに有効であることを示していよう。吉川
幸男氏も分析の対象としていた,有田和正氏の「長篠合戦図屏風を利用
した実践(雑誌所収実践事例・1虹29)は,近年,注目を集めた実践の
ひとつであるが,この実践も,複数の具体的な問いにもとついそ追究
を行わせるものとなっていることを指摘しておきたい。
以上の分析の結果から,歴史授業で絵画史料を用いる場合には,自然
的意味の読解の段階で子どもたちに絵画をできるだけ丹念に観察させ,
そこで獲得した多くの情報を生かしながら,複数の問いを持たせ,複線
的に追究させていくことが大切だということがいえるだろう。
なお,収集した実践事例の中には,いわゆる風刺画を利用したものも
いくつか見られたが,これらの実践は,いずれも最終的には単一の問い
しか持たせていないと判断されるものであった。
113
〔図一1〕「フランス革命」の授業での推定される子どもの認識の流れ
バスチーユ牢獄の襲撃
↓
↓
↓
↓
城郭のような
大砲を使って 男だけでなく
身分が比較的
建物を襲って
建物を襲って 女性も戦って
高そうな人も
いる
いる いる
参加している
↓
なぜ,このような事件がおこったのだろう
↓
経済状態が悪かったのではないか
↓
↓
↓
国王は豪華な
対外戦争継続 平民は多額の
宮殿で贅沢に
による出費が 税に苦しんで
暮らしていた
かさんでいた いた
↓
国王が勝手に税制を操作できた従来の政治体制を
変革しようとして国民がフランス革命をおこした
114
〔図一2〕 「ペリーの来航」の授業での推定される子どもの認識の流れ
黒船を描いたかわら版
↓
↓
↓
↓
アメリカの旗
船のへさきに 蒸気船なのに
アメリカの船
が現在の国旗
もりのような 帆船のように
は日本のもの
と違っている
ものがある マストもある
と比べ大きい
↓
↓
↓
↓
なぜ,現在の
何のために, なぜ,蒸気船
なぜ,こんな
ものと国旗が
もりを運んで なのにマスト
に大きさに差
違うのか
いるのか があるのか
ができたのか
↓
↓
↓
↓
アメリカの旗
クジラを捕る 燃料の節約の
日本が鎖国を
は州の増加に
ためではない ためではない
していたため
伴って変わる
か か
ではないか
↓
↓
↓
↓
アメリカの国
アメリカでは アメリカは船
日本には黒船
土は太平洋岸
捕鯨がさかん の燃料補給地
を撃退する力
へ達していた
であった を求めていた
はなかった
↓
アメリカは,太平洋で操業する捕鯨船の燃料補給地を
得ようとして,日本の開港を求めてきた。当時の日本
には,この要求を退ける力はなかった。
115
これは,風刺画が,ある事象について単に事実に即して描写したもの
ではなく,絵の制作者の事象に対する解釈を表現したものであることに
由来するものと思われる。すなわち,風刺画を用いた授業では,たとえ
形の上では複数の問い(例えば,人物Aは何を表しているのか,人物B
は何を表しているのか,など)を持たせているように見える場合でも,
結局は, 「この絵は何を表現しようとしたものなのか」というひとつの
問いに収敏してしまうのである。
風刺画は,見る者の興味をかきたてる史料であり,また,歴史事象に
対する同時代の人々の見方を知らせてくれる貴重な史料ではあるが,読
み取りの結果が「解釈の解釈」となってしまい,多様性の乏しいものに
なりやすいという点から見ると,必ずしも望ましい絵画史料とはいえな
いだろう。
㈲ 解釈の吟味のあり方について
次に,解釈の吟味の段階は,どうあるべきなのかについて,考察して
みたい。この段階についての分析は,教師の主導によるものか,子ども
たち相互の討論によるものか,という観点で行ったが,子どもの認識の
多様性を保証し,授業を複線的なものにするためには,後者の方が望ま
しいことはいうまでもない。問題は,その討論の性格であり,理想的な
討論を成立させるための前提条件は何かということであろう。
そこで,分析対象とした実践事例における討論の主題を,複数の仮説
が同時に成立し得る性質のものか否か,また,複数の仮説が同時に成立
し得る場合には,事実にもとつく吟味が可能なものか否か,という点を
指標にして類型化し,各類型の特色を探っていくことにした。この指標
116
にもとづけば,実践事例は,次の3類型に分けられる。
A 最終的には,多様な解釈が成立し得ないもの
B 多様な解釈が成立し得るが,事実にもとつく吟味は困難なもの
C 多様な解釈が成立し得て,事実にもとつく吟味も可能なもの
A型は,歴史授業の討論として最も一般的なものであろう。予め教師
によって解答が用意されているような問題について,子どもたちに一応
予想を立てさせ,その吟味を経てから,正解を知らせるという形のもの
である。このような型の討論にも,教師による一方的な知識の注入を防
いだり,子どもたちに自分なりの仮説を作る経験をさせたりするという
点での意義はある。また,場合によっては,尾原康光氏が指摘している5
ように,子どもたちが持っている誤った固定観念を改めていくための方
略として用いられていることもあるだろう。しかし,子どもたちから,
多様で,しかも同時に成立し得る複数の仮説を引き出して,複線的な認
識の流れを保証していくためには,このA型の討論は適していないので
ある。
次のB型は,単行本所収実践事例・恥107や同108を典型的な事例と
するものである。これらの事例では,考古遺物に描かれた絵画につい
ての多様な解釈を引き出して,それらの当否をめぐる討論をさせてい
るが,議論は平行線をたどり,いわば“議論のための議論”となって
しまっている。これは,それらの絵画が描かれた時代,すなわち原始・
古代について,子どもたちが持っている知識が元来仮説性の高いもので
あり,個々の主張ゐ明確な根拠とはなし得ないことに起因するものであ
る。このような討論も,考古遺物の解釈についての仮説性を意識させる
117
という意味での意義はあるが,子どもたちの出した解釈をもとに合理性
を持った社会的意味を把握させるのには,適さないだろう。
以上で見てきたA型・B型と比べ,次のC型は,絵画史料にもとつく
討論として,理想的なものである。この型の典型例としては,表一20に
示した,加藤公明氏の実践をあげることができよう。この実践では,先
にも見たように,子どもたちに,鎌倉時代になって出現したと思われる
事物を見つけさせ,その当否を吟味させている。そこで行われる討論は,
個々の仮説の当否の吟味について見れば,正しいか,正しくないか,と
いう,二者択一的な結論に至るものであるが,それぞれの仮説が妥当性
を持ったものであれば,子どもたちの着目した事物の数と同じ数の仮説
を,同時に成立させる可能性を秘めたものなのである。
以上の考察の結果を整理すると,解釈の吟味の段階を複線的で意味の
あるものとするためには,子どもたちが事実をもとに吟味することが
できる時代の絵画で多くの着眼点を持ち得るものを用意して,結論を固
定しない形で討論させることが重要だといえるだろう。
(6》 「新しい歴史学」とのかかわりについて
最後に, 「新しい歴史学」の精神を生かしっっ,社会的意味の把握に
至らせている事例の特質について見ておくことにしよう。
前掲の表一10および15からわかるように,絵画の社会的意味の把握に
まで至っている実践は,37事例を確認することができたが,それらの
うちの36事例は,歴史における複数の時間の層のうちのいずれか一つ
にしか目を向けていない実践であった。それらの中には,政治史や事件
史(歴史の表層部)ではなく,文化史や生活史など(歴史の深層部)に
118
着目させようとしている実践も見られるが,歴史のある時点においての
それらの相互関係を認識させる可能性を秘めた実践は,わずか1事例し
か認められなかったのである。また,史料の持つ虚構性に着目させ,そ
こから,歴史的な事実を読解させようとした事例についても,わずか3
例しか認められなかった。しかも,そのうちの1事例は,時間の多層性
を認識させる可能性を持つとした上記の事例と重複しているのである。
このことは, 「新しい歴史学」の提起する問題意識を歴史教育に生か
すことの意義が,既に先学によって指摘されている、のにもかかわらず,
従来の絵画史料を利用した歴史授業の大部分が「新しい歴史学」の表面
的な方法の借用にのみ関心を向け,その根底にある精神はなおざりにし
てきたことを示すものであろう。(もっとも,絵画史料を利用して授業を
行っている教師の大部分には「新しい歴史学」の方法を借用していると
いう意識はなく,単に先行実践などから示唆を得て利用しているだけか
もしれないが。)
先にも述べたように;従属的な利用であっても,絵画史料の利用には
一定の意義が認められるのであるから,たとえ方法論だけであっても,
「新しい歴史学」から学んだものを生かして授業構成を工夫することに
は大きな意義があるのであり,それを否定するつもりはない。しかし,
「新しい歴史学」に歴史授業改善の指針を求めるのであれば,その根本
精神に,もっと注目する必要があるのではないだろうか。
では,収集した事例の中で,唯一,史料の含む虚構性に着目させて,
そこから事実を追究させており,なおかっ,時間の多層性に気づかせる
可能性も秘めた事例について見てみよう。先にも見た表一21に示した実
践が,その貴重な事例である。
119
この事例は,ペリーの肖像画のうち,彼を,天狗のような人間ばなれ
した容貌に描いたものに着目させて,そのような表現の裏にある日本人
の外国人観に気づかせようとした実践である。この実践では,ペリーの
肖像画という絵画史料から,ペリーの来航とそれに伴う鎖国体制の崩壊
という歴史の表層的な部分に関する社会的意味を追究させることも可能
であるし,日本人の外国人観という古い時代からほとんど変化の見られ
ない,歴史の深層的な部分に関する社会的意味を追究させることも可能
となっているのである。
この実践が,このように,歴史における複数の時間の層の存在を認識
させられるものになっているのは,利用した絵画史料の主題と表現が,
それぞれ,歴史の表層的な部分(この場合は外交や政治体制)と深層的
な部分(この場合は集合心性)に規定されたものだったからである。
また,子どもたちが史料の持つ虚構性に着目することができたのは,
同じペリーを描いた絵で虚構性は加えられていないものや,彼の写真と
の比較という活動があったからである。
従って,今後,絵画史料を活用して,複数の時間の層の存在をとらえ
させ,それらの相互関係をつかませる実践を構築しようとする際には,
主題・要素・表現の中に,歴史の表層に規定された部分と深層に規定さ
れた部分とを合わせ持つ絵画史料を準備して,どちらの部分にも子ども
が着目できるように指導していくことが必要だと結論づけることができ
よう。また,虚構性を含む史料の読解を授業に組み込む場合に}よ虚構性
の施されていない絵画,ないしは,それに準ずる資料を,同時に提示す
ることが効果的なのである。
120
〈註〉
1 本論文の成稿直前に,佐藤仁『絵巻物でする歴史発見学習』明治
図書,1994年が出版された。同書に掲載されている実践は,内容的に
見れば,当然,本研究での分析の対象とすべきものであるが,出版の
時期,および資料の形態が本文に記した条件に合致していないため,
分析の対象からは除外してある。また,同書掲載の実践事例は,仮に
それらを分析の対象に加えたとしても,本研究の分析結果や結論に特
に修正を加える必要はないものである。
2 加藤公明「一遍上人絵伝に中世の息吹を発見する」(加藤公明「わく
わく論争!考える日本史授業」地歴社,1991年)128頁
3 江間史明「加藤公明氏の授業『石山合戦』」 (r授業づくりネット
ワーク』第36号,学事出版,1991年,42∼63頁)
4 加藤公明「討論する授業をつくる」 (歴史教育者協議会編rあたら
しい歴史教育7』大月書店,1994年)191∼192頁
5 尾原康光「高校における社会科授業1(社会認識教育学会編r社会科
教育学ハンドブック』明治図書,1994年,357∼366頁)
6 大江一道「社会史と歴史教育の課題」 (『歴史地理教育』第380号,
歴史教育者協議会,1985年,42∼49頁),原田智仁「社会史研究にもと
つく歴史授業構成(1)一阿部謹也氏の伝説研究の方法を手がかりに司
(兵庫教育大学学校教育研究センター『学校教育学研究』3巻,1991
年,17∼32頁)など
121
第3章 絵画史料を活用した
歴史授業モデル
第1節 歴史学における絵画読解方法論の抽出
近年,歴史学の分野においても絵画を史料として活用しようとする試
みがさかんになりっつある。もちろん,歴史学の分野でこのような動き
が生じた背景には,文献史料偏重に対する反省などといった歴史学独自
の事情があり、,歴史教育とは絵画史料活用のねらいは異なるのである
が,絵画読解の方法論については,本研究で参考にできる点を有してい
ると思われる。そこで,本節では,わが国での絵画史料を用いた歴史研
究の中心的存在である黒田日出男氏らの研究をもとに,歴史学における
絵画読解の理論の抽出を行い,授業構成に際して参考にすべき点を明ら
かにしていきたい。
1 絵画読解の一般的方法論
黒田氏は,絵画史料を用いた歴史研究を進めるかたわら,いくつかの
著作で,絵画史料読解の方法論についても言及している。それらは,個
々の作品の読解のレベルでの方法論と複数の作品を利用しての読解のレ
ベルでの方法論とに大別することができよう。
個々の作品の読解のレベルでは,黒田氏は,3っの段階を経て絵画史
料の読解を行っている、。その3段階とは,次のようなものである。
第一段階 ……
事実認識
第二段階 ……
幾何学的構図分析,諸事物の意味論的諸関係の検討
第三段階 ……
総合的把握
124
黒田氏によれば,第一段階の事実認識では, 「画像の一つひとつが一
体何なのかを確認する作業」が行われる。つづいて,第二段階では「画
面の構図上の把握」と「人と人,事物と事物がどのような(中略)諸関
係として描かれているか」の分析という2つの作業がそれぞれ区別して
行われる。そして,第三段階では,「第二段階における二つの作業の重
ね合わせによる総合的把握」が行われるとされる。
また,黒田氏は,絵巻物の読解法について論じた別の論文の中では,
読解のプロセスを次のようにまとめている3。
第一段階
着眼点(疑問点や作品の核心となる箇所)の発見
第二段階
・・
e着眼点についての分析・読解
第三段階
・・
S体構造の把握
第四段階
検証・反証
第五段階
記述・叙述(論拠の最終的な点検)
黒田氏は,第一段階で早い出し得る着眼点の例として,
α}登場人物のコードは何か。
② 描かれている事物にはどのようなものがあり,どのような機能が
あり,何と呼ばれていたのか(名付け)。
(3}登場人物の相互関係をどのように描こうとしているのか。
(4》作品の筋はどのように絵画化されているのか。
㈲ 作品はどのように制作されたのか。
(6》注文主(観賞者)・・詞書制作者・絵師はだれなのか。
(7}原状と伝来過程はどのようなものであったのか。
125
⑧ どのようなモチーフの引用・創造がなされているのか。
⑨ テクストの核心を突く表現にはどのようなものがあるのか。
などを挙げ,作品に対していかに多くの着眼点を見い出すことができる
かが,その作品に対する読み取りの成否に決定的に重要な意味を持つと
指摘している。以下,第二段階では,はじめに見い出した個々の着眼点
についての分析が行われ,第三段階では,それらの分析結果の総合的な
把握がなされる。そして,第四・第五の段階で,分析結果に問題点がな
いかを批判的に点検していくのである。
以上で紹介した黒田氏の2っの方法論を比較してみると,前者が分析
の対象を特に限定していないのに対し,後者は分析対象を絵巻物と限定
しているために,後者で例示された分析の着眼点の中には絵巻物以外の
絵画史料を分析する場合には必要のないものも含まれている。しかし,
このように対象の性質が異なれば分析視点も異なるという点に配慮しさ
えずれば,後者の方法論も,絵画史料の読解方法論として一般化して何
ら問題はないといってよかろう。そして,両者は,一見異なるプロセス
を表しているもののように見えるかもしれないが,実際には,同じ過程
を別々の側面,すなわち画像そのものの把握という側面と問いなどの把
握・解明という側面とに着目して表現したものだということができる。
また,黒田氏は,複数の作品を利用した読解の方法論についても,い
くつかの著作の中で論じている。たとえば,複数の絵巻物を利用して読
解を行う場合や複数の肖像画を利用して読解を行う場合の方法論につい
てである。
複数の肖像画を利用する読解の方法として,黒田氏は次の5っの場合
を挙げている4。
126
(1》ある特定の人物の肖像画群の共通点・相違点の検討
② 互いに血縁関係を持つ人物の肖像画群の類似性の検討
③ 「天子摂関御影」などの似絵図巻における肖像の配列・構成など
の検討
(4)ある特定の身分や地位の人物の肖像画群の時代的な変化の検討
(5}ある特定の時代の肖像画群の時代的な特徴の検討
以上で紹介したような,個々の作品の読解レベルでの方法論と複数の
作品を利用しての読解レベルでの方法論とを適宜組み合わせることによ
って,黒田氏は絵画の読解を進めているものと思われる。ただし,その
組み合わせ方は,絵画の読解によって何を解明しようとしているのか,
また,読解の対象とする絵画史料がどのような性格を持つものであるの
か,などといった要素に応じて様々に変化する性質のものである。そこ
で,次項では黒田氏らによる絵画史料読解の具体的事例についての分析
を行い,それらの中から,本研究で授業構成原理に援用できるような研
究方法を用いている事例を抽出していくことにしたい。
2 歴史学者・美術史学者による読解事例の分析
絵画史料を用いた歴史研究の事例は,近年,次第に増加しっっあり,
前記の黒田日出男皮の他,歴史学者の五味文彦氏や,美術史学者の多木
浩二氏などによって,既に多くの研究成果があげられている。
ただし,当然のことながら,個々の研究はその目的や用いる史料を異
にしているため,絵画史料の用いられ方にもかなりの相違が見られる。
127
たとえば,ある特定の絵画史料を眺めていて湧いてきた問いについて
の追究をしているような事例では,絵画史料は問題把握のための史料と
して利用されているわけであり,ある器物がいっ頃から使用されていた
のかを探るために,たくさんの絵画史料を古いものから新しいものへと
辿りながら見ていくような場合には,絵画史料は問題解決のために利用
されているわけである。そして,このような利用目的の相違に伴って,
同じ絵画史料を用いた研究であっても,その研究の中に占める絵画史料
の役割や重要性には格差が生じてくるのである。
上に掲げた例のうち,後者のような事例からは,授業構成への応用が
可能な方法論を抽出することは困難であろう。当初から目的を限定して
絵画史料を用いているため,子どもたちに自由な読解をさせることが不
可能である上に,膨大な情報処理の過程を含んでおり,授業の中に取り
入れにくいからである。
また,前者のような事例であっても,問題解決の過程がほとんど文献
史料に依拠した研究になっているような場合には,やはり有効な方法論
の抽出は不可能である。黒田氏らの研究の中には,絵画史料を援用して
はいるものの,実質的には文献史料に依拠した研究になっているものも
含まれていることに注意すべきであろう。
以上のことから,黒田氏らの絵画読解事例の分析に際しては,まず,
その研究の中で,絵画史料がどのように用いらているのかについて見て
いくことが必要だといえるだろう。
一方,既に見てきたように,従来の授業実践では,絵画をもとに複数
の問いを把握させることが重要であるのにもかかわらず,複数の問いを
持たせている事例が少なく,さらに,社会的意味の把握の段階で複数の
128
時間の層の存在を認識させ,それらの相互関係をとらえさせている実践
例や,虚構性を含む史料から事実を読み取らせようとしている実践例は
皆無に近いことがわかっている。このような実態を克服するために有効
な方法論を黒田氏らの読解事例から抽出するには,事例の分析に際し,
研究者がいくつの着眼点を設定して絵画史料の読解を進めているのか,
また,研究の成果は複数の時間の層の相互関係をとらえることのできる
ものとなっているのか,虚構性を含む史料から事実を読み取ろうとして
いる側面は見られるのか,といった点についても見ていくことが必要だ
といえよう。
上記の諸点を踏まえ,本項では,黒田氏らの絵画史料を用いた研究の
うち,主なものに対して,次のような観点から分析を行うことにした。
1 絵画史料は,どのような目的で利用されているか。 (問題の把握
か,問題の解決か,結果についての例証か。)
II絵画史料に対して,いくつの着眼点が持たれているか。 (単一の
着眼点か,複数の着眼点か。)
皿 絵画史料は, 「新しい歴史学」の精神を生かす形で用いられてい
るか。 (研究の成果は時間の多層性をとらえることのできるものと
なっているのか,虚構性を含んだ史料から事実を読み取ろうとして
いる側面は見られるのか,或いはどちらの面も見られないのか。)
以上の観点から行った分析の結果を示したものが,表一22である。
なお,表の中で使用した略号は,上に示した各類型を頭文字(下線部)
で表している。
129
〔表一22〕 歴史学者らの絵画史料読解事例の分析結果
M
論 文 名
N吐1
読解者
史襯朋的
齪
翻
黒田日出男
解
複
虚
1
「異香」と「ねぶる」
2
『天狗草紙』における一遍
〃
把・解
単
虚
3
「女」か「稚児」か
〃
解
複
一
4
腰に差す物
〃
把・解
単
一
5
巫女のイメージ
〃
解・
単
}
6
中世の旅姿をめぐって
〃
解
複
}
7
春の年中行事
〃
把
複
一
8
市の光景
〃
把・解
複
一
9
馬のサンダル
〃
解
単
一
〃
解
複
一
10
「獄」と「機物」
丁1
施肥とトイレ
〃
解
単
一
12
幽くさ太郎の着物と髪
〃
把・解
複
一
〃
把・解
単
一
13
「犬」と「烏」と
14
地獄の風景
〃
解
複
虚
15
荘園絵図の世界
〃
把・解
複
一
16
絵図上を航行する帆掛船
〃
把・解
単
一
17
荘園絵図上を歩く
〃
把・解
複
一
〃
例
単
一
18
「荒野」と「黒山」
19
堺争論絵図の世界
〃
把・解
複
一
20
朱色の瞬示
〃
把・解
複
一
21
史料としての絵巻物と中世身分制
〃
把・解
複
一
22
洛中洛外図上の犬神人
〃
把・解
単
一
23
二つの『一遍聖絵』について
〃
把・解
単
虚
130
M
出 典
1
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,6∼14頁
2
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,15∼29頁
3
『姿としぐさの中世史週平凡社」1986年,30∼45頁
4
『姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,46∼50頁
5
『姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,51∼72頁
6
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,73∼96頁
7
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,98∼103頁
8
『姿としぐさの中世史坦平凡祉1986年,104∼111頁
9
『姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,112∼118頁
10
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,l19∼129頁
11
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,13駐∼136頁
12
『姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,138∼146頁
13
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,147∼168頁
14
r姿としぐさの中世史盈平凡社,1986年,169∼192頁
15
r姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,194∼204頁
16
r姿としぐさの中世史2平凡社,1986年,205∼209頁
17
『姿としぐさの中世史』平凡社,1986年,210∼232頁
18
r境界の申世象徴の中世』東京大学出版会,1986年,3∼35頁
19
『壌界の中世 象後の中世塵東京大学出版会,1986年,65∼88頁
20
『愛界の中世 象徴の中世』東京大学出版会,1986年,89∼98頁
21
『境界の中世 象徴の中世』東京大学出叛会,1986年,135∼162頁
22
『箋界の中世 象徴の中世』東京大学出版会,1986年,163∼183頁
23
r週刊朝日百科日本の歴史別冊 歴史の読み方1 絵画史料の読み方昌朝日新聞社,1988年,12∼19頁
131
M2
論 文 名
漁
24
「髭」の中世と近世
読解者
史翻朋的
韻
翻
黒田日出男
把・解
単
多
〃
解
複
一
25
踊り念仏あ画像
26
戦争と「音」
〃
解
単
一
27
九人の僧侶は誰か
〃
把・例
複
一
28
参詣曼陀羅の不思議
〃
把・解
単
一
29
「親鶯伝絵」と犬神人
〃
把・解
単
一
30
駿河大納言邸門前の猿曳
〃
把
単
}
31
天下祭り絵巻の世界
〃
把・解
複
一
32
肖像画としての後醍醐天皇
〃
解
複
多
33
近世の天皇と将軍の肖像画
〃
把・解
複
多
34
旅と風景
〃
把・解
複
一
35
牛の藁沓
〃
解
単
一
36
修行者たちの旅
〃
把・例
単
一
37
旅と社会を物語る杖
〃
把・例
単
一
38
女の旅姿
〃
解
複
一
39
一遍聖に従う「非人」たち
〃
把∼例
単
一
40
絵巻のなかの鬼
〃
把
単
虚
41
王権と行列
〃
把・解
複
一
42
都市の祭礼文化
〃
把
単
}
43
見世物と開帳
〃
解
単
一
44
館の空間を読む
五味文彦
把
複
一
45
絵巻を探る一r鳥獣人物戯画』
〃
把・解
単
虚
46
理想の明治天皇像
多木浩二 把・解
複
虚
132
恥
出 典
24
r週刊朝日百科日本の歴史別冊歴史の読み方1 絵画史料の読み方燈朝日鋳千社,1988年,26∼31頁
25
r週刊朝日百科日本の歴史別珊歴史の践み方1 絵画史科の読み悶悶朝日薪寺社,1988年,32∼38頁
26
E週刊朝日百科日本の歴史猿柵歴史の読み方1 絵画史科の読み加朝日新麗社,1988年,39∼43頁
27
『週刊朝日百科日本の歴史別冊歴史の読み方1 絵画史料の読み方』朝日新聞祉1988年,44∼51頁
28
r週刊朝B百科日本の歴史別置歴史の読み方1 絵画史料の読み方』朝臼新聞社,1988年,52∼56頁
29
r週刊朝日百科B本の歴史別冊戦史の読み方1 絵画史料の読み方」朝日新聞祉1988年,57∼63頁
30
r王の身体 王の肖像』乎凡社,1993年,114∼123頁
31
r王の身体 王の肖像』平凡社,1993年,124∼177頁
32
医王の身体王の嚢中』平凡社,1993年,248∼275頁
33
r王の身体 王の肖像』平凡社,1993年,276∼302頁
34
r朝日百科日本の歴史劇冊歴史を競みなおす10 中置を旅する人々』朝日新劇紘1993年,15∼23頁
35
r朝日百科日本の歴史罰冊歴史を読みなおす10 中世を旅する人々』朝日新聞社,1993年,34∼35頁
36
r朝日百科日本の歴史別濁歴史を読みなおす10 中世を旅する人々』朝日新聞社,1993年,36∼45頁
37
r朝日百科日本の歴史別盃罐史を読みなおす10 中世を旅する人々2朝日新聞社,1993年,46∼54頁
38
r朝日百科日本の歴史別室歴史を読みなおす10 中世を旅する人々盈朝圓新聞社,1993年,55∼57頁
39
r朝日百科日本の歴史虜厨歴史を読みなおす10 中世を族する人々』朝日新聞社,1993年,58∼64頁
40
r朝日百科日本の歴史罰冊歴史を読みなおす5 大仏と鬼』朝日新聞社,1994年,32∼43頁
41
r朝日百科日本の歴史尉認歴史を読みなおす17 行列と見世物』朝日新聞社,1994年,2∼15頁
42
r朝日百科日本の歴史別冊歴史を読みなおす17 行列と見世物』朝日新聞礼1994年,20∼34頁
43
r朝日百科日本の歴史尉厨歴史を重みなおす17 行列と見世物』朝日新聞社,1994年,58∼70頁
44
r朝日百科日本の歴史別量歴史を讃みなおす7 申世の館と都市』朝日薪聞社,1994年,2∼ll頁
45
『絵巻で読む中世』筑摩書房,1994年,15∼44頁
46
r天皇の肖像』岩波書店,1988年,155∼196頁
133
ここでは,46件の事例について分析を行ったが,これらのうち,絵画
史料を問題把握・解決の双方の段階で利用し,着眼点を複数持って読解
を進めながら,時間の多層性の認識につながるような結論に達している
事例としては,M33「近世の天皇と将軍の肖像画」が,また,虚構性を
含む史料から事実を読み取ろうとしている事例としては,甑46「理想の
明治天皇像」が,それぞれ該当することが明らかになった。そこで,次
に,これら2っの事例において研究者がどのような方法論にもとづいて
絵画史料の読解を行っているのかを具体的に見ていき,授業構成の原理
に応用可能な方法論を抽出していくことにしたい。
3 読解事例からの具体的方法論の抽出
まず, 「近世の天皇と将軍の肖像画」,における読解方法論について
見ていこう。
この事例において,黒田氏は,京都泉涌寺に伝わる近世の天皇画像と
徳川恒孝氏所蔵の江戸幕府歴代将軍画像とを主な史料とし,これらを肖
像画群としてまとめて観察した場合にどんなことが読み取れるかを明ら
かにしょうとしている。
本項の課題である絵画読解理論の抽出に必要な範囲で黒田氏の論考を
整理すると,その概要は以下のようになる。
ア 京都泉涌寺には,女帝を除く近世の全ての天皇の肖像画が伝えら
れている。その大部分は作成した絵師が明らかで,男主である天皇
の皇子女の作になるものも多い。
イ 正親町天皇は,1557年に即位し1586年に譲位した天皇である。後
134
陽成天皇は,……(以下,同様に近世の各天皇について,その在位
期間などが確認されている)。
ウ 髭の有無に着目して近世天皇の肖像画を見ていくと,正親町およ
び後即成の両天皇の肖像には髭が描かれているが,それ以後の天皇
には髭が全く見られなくなる。
工 同様にして歴代将軍の肖像画を見ていくと,髭が描かれているの
は家康・秀忠のみで,それ以後の将軍には髭が見られなくなる。
オ 近世初期に幕府から髭を蓄えることを禁ずる法令が繰り返し出さ
れているが,この法令による規制は天皇や将軍にも及んだのであっ
た。
カ このような習俗の変化は,将軍の画像をもとに判断する限り,3
代将軍家光の時代(寛永∼慶安の頃)に起こったと考えられる。
キ 着衣に着目して天皇の肖像を分類した場合には,烏帽子直衣姿・
出家姿・御引直衣姿の3っの型に類型化することができる。
ク 烏帽子直衣は天皇の平常の服装であり,特に馬主が天皇であるこ
とを強調するものではない。この姿の肖像は,近世初期の天皇画像
に集中している。
ケ 出家姿は後水尾・霊元の両天皇の肖像画に見られるものである。
これら2天皇はともに生前に出家をした天皇である。
コ 御引直衣は天皇が束帯着用の臣下に対面する場合に用いる服装で
あり,天皇の肖像にふさわしい服装である。この姿の肖像は,近世
後期の天皇画像に集中している。
サ冠を着用した天皇の肖像の変化に着目した場合,桃園以前の天皇
の冠の繧は垂縷であり,後桃園以後の天皇の縷は立縷となっていく
ことがわかる。
135
後章成天皇 桃園天皇
シ 近世後期に,公家・武家の冠に変化が見られない中で天皇の冠だ
けが伊興へと変化したことには,天皇を特別な存在として表現する
意味があったものと考えられる。
ス 桃園天皇の縷は垂縷であり,次の男帝である後桃園天皇の縷は立
縷となっていることから,縷に変化が現われたのは後桃園天皇の時
代であったと考えられる。
セ 最後の垂縷の天皇である桃園天皇の時代には宝暦事件が,次の女
帝・後桜町天皇の時代には明和事件が起こっている。これらは,天
皇の権威回復を意味する事件であった。
ソ 肖像画における天皇の服装・冠の変化は,宝暦事件以下の一連覇
できごとを背:景とする天皇の自信回復とそれと表裏をなす危機感と
を象徴しているものと考えられる。
タ 歴代将軍の肖像をまとまりとして見た場合,像主の肖似性に着目
すると,それらは4つにグルーピングすることができる。この結果
136
後桃園天皇 孝明天皇
は,血縁の親疎と対応している。
チ 着衣に着目して将軍の肖像を見ていくと,どの将軍も冠直衣姿を
しており,天皇の肖像画と比較すると非常に画一的な服装になって
いる。
ッ 歴代将軍の服装の画…性は,彼らの政治が,家康の創出した幕藩
体制の維持という枠からはみ出すことのない,守旧的なものであっ
たことを示唆していると思われる。
テ 将軍の守旧性とは対照的に,天皇は,自信の回復とそれに伴う冠
の立縷化を進めていった。その到達点を示すのが,縷を直立させた
冠を被る明治天皇の写真である。
ト 従来,明治天皇の冠の特異性については,維新の混乱に伴う故実
の乱れという解釈がなされていたが,むしろ故実を無視しているこ
とに意味があるものと思われる。
137
以上が,黒田氏による読解過程の概略である。では,次に,これらの
読解の各過程が,それぞれど。ような意味を持っているのかについて,
検討していくことにしよう。
まず,アの段階では,主な史料となる天皇の肖像画群の制作者や伝来
の状況についての情報の確認がなされている。その中に,野江に財主の
子女が多いことに触れた部分があるが,この情報は,それらの肖像がそ
の像主の姿をかなり正確に伝えているであろうことを保証するものであ
ると考えられる。すなわち,この段階では,.読解に使用する史料の信頼
性が吟味されているのである。
つつくイの段階では,肖像画に描かれている各天皇の在位期間や,そ
の期間中に起きた特記すべき事件などが確認されている。これらは,以
下で展開される肖像画群読解のための予備知識となる基本的な情報であ
る。
ウ∼カの段階では,髭の有無に着目しての,天皇・将軍の肖像の読解
が行われている。天皇・将軍のそれぞれについて,近世のごく初期の人
物以外には髭が見られないことが肖像画から読み取られ,一般の武士や
民衆が無学化する中にあって,天皇や将軍も例外ではなかったのだとい
う解釈がなされている。
キ∼コでは,服装の差異に着目して天皇の肖像の読解が行われ,近世
初期の天皇の肖像には烏帽子直衣姿のものが多く,後期には御引直衣姿
のものが多いことが読み取られている。ここで読み取られたことがらは
以下の段階で行われる冠の縷の変化についての読解と相挨って,近世後
期になると,天皇が着衣や被り物によって,自身が特別な存在であるこ
とを主張するようになる,という解釈の根拠となっていく。
つついて,サ∼ソの段階では,天皇の冠の形の変化に着目した,肖像
138
の読解が行われている。サの段階で,肖像画の観察から,冠が垂縷のも
のから立縷のものへと変化していくことが読み取られ,シの段階で,こ
の変化には,天皇を特別な存在として表現する意味があったのだと解釈
される。そして,スの段階では,冠の立縷化は後桃園天皇の時に進んだ
との推定がなされ,セ・ソの段階で,変化の生じた背景には宝暦事件・
明和事件の発生とそれに伴う天皇の自信回復があったという解釈がなさ
れている。
次のタ∼ツの段階では,読解対象が歴代将軍の肖像画となっている。
タの段階では,各肖像の像主の容貌に着目して肖像画のグルーピングが
なされ,その結果が歴代将軍間の血縁関係の親疎と対応するものである
ことが確認されている。黒田氏自身が意識しているか否かは不明だが,
この段階は,使用する史料に対する信頼性の確認の段階ととらえること
も可能だと思われる。そして,チの段階では,肖像画群の観察をもとに
歴代将軍の服装が天皇のそれに比べて非常に画一的であることが読み取
られ,ツの段階で,この画一性は,幕藩体制の維持という将軍たちの職
務に関わる守旧性にもとつくものであると解釈されている。
最後のテ・トの段階では,全体のまとめを兼ねて,束帯姿で撮影され
た明治天皇の肖像写真に対する読解が行われている。すなわち,テの段
階で,明治天皇の冠の縷が直立していることが読み取られ,このことは
天皇の自信回復とそれに伴う冠の立縷化の到達点を示していると解釈さ
れる。そして,さらにトの段階で,このかってない形式の縷の出現は単
なる故実の乱れなどによるものではなく,むしろ故実を無視することに
積極的な意味が早い出されて生まれたものであろうという解釈がなされ
て,論が結ばれている。
ここまでの読解の流れを図示すると,図一3のようになる。
139
〔図一3〕 授業構成原理に応用可能な黒田日出男氏の絵画読解過程の事例
読解者
黒田日出男
出 典
「近世の天皇と;将軍の肖像画」
地域・時代
日本 ・近世
読解目的
肖像画から見た天皇・将軍の特質解明
絵画史料名
泉涌寺蔵「正親町天皇像」ほか
史料類型
肖像画(複数)
解明すべき問題の設定
→
基本的な読解方略の決定
肖像画から見た近世の天皇・将軍の特質の解明
(←)
近世の天皇・将軍の肖像画群の比較観察
↓
↓
読解の前提となる情報の確認
像主である各天皇・将軍の在任期間などの確認
↓
絵画史料の信頼性の確認
像主と制作者との関係や像主相互の容貌の類似性などの確認
↓
着眼点の模索
さまざまな着眼点を設定し,分析に価するか否かを検討
↓
↓
↓
↓
着眼点の選択
着眼点の選択
着眼点の選択
着眼点の選択
像主の髭に着目
天皇の服装に着目
天皇の冠に着目
将軍の服装に着目
↓
↓
↓
↓
規則性の検出
規則性の検出
規則性の検出
規則性の検出
(全体的な規則)
(特定群の規則〉
(特定群の規則)
(特定群の規則)
有髭から無髭へ
烏帽子から御引へ
垂縷から立縷へ
画一的で変化なし
↓
↓
↓
↓
情報の補足
情報の補足
情報の補足
情報の補足
近世初期に幕府は
髭を禁ずる法令を
出している
御引直衣は天皇が
臣下に対面する時
の服装である
冠の立層化の直前
に宝暦事件・明和
事件が起きている
将軍の職務は家康
の興した幕藩体制
の維持であった
↓
↓
↓
解 釈
近世男性の無髭化
は天皇・将軍にも
及んでいた
↓
釈
解
肖像画における天皇の服装や冠の変化は,宝暦
事件以下の一連のできごとを背景とする天皇の
自信回復を象徴したものである
↓
証
例
自信回復が頂点に達した時期に位に即いた明治
天皇の肖錬写真を見ると,その冠の縷は完全に
直立したものとなっている
140
解 釈
将軍の服装の画一
性は,彼らの守旧
性を表している
〔図一4} 授業構成原理に応用可能な多木浩二氏の絵画読解過程の事例
読解者
多 木 浩 二
出 典
「理想の明治天皇像」
地域・時代
日本 ・近代
読解目的
明治天皇「御真影」の特質の解明
史料類型
肖像画(および肖像写真)
キョッソーネ筆「明治天皇肖像」
絵画史料名
解明すべき問題の設定
→
基本的な読解方略の決定
明治天皇「御真影」の特質の解明
(←)
明治天皇の青年時代の肖像写真との比較観察
↓
↓
読解の前提となる情報の確認
各々の肖像画・肖像写真の作成または撮影の時期などの確認
↓
着眼点の模索
さまざまな着眼点を設定し,分析に価するか否かを検討
↓
↓
↓
着眼点の選択
着眼点の選択
着眼点の選択
肖像の構図に着目
継手の姿勢に着目
像主の容貌に着目
↓
‘
↓
特質の検出
特質の検出
特質の検出
青年時代の肖像写真に比べて
「御真影」では,容貌全体の
印象が大きく変わり,気品の
ある立派なものになっている
青年時代の肖像写真は全身像
青年時代の肖像写真では椅子
であるが, 「御真影」は七分
にもたれた姿勢だが, 「御真
身の座像であり,像主の存在
感を強めるものとなっている
影」では背筋を伸ばし,威厳
を感じさせる姿勢をしている
↓
↓
↓
解 釈 1
「御真影」は,ある特定の日時の明治天皇の面影を記録したもの
ではなく,その身体を類型的に理想化して表現したものであった
↓
↓
情報の補足
情報の補足
「御真影」の原本は写真ではなく,肖像画作成
の経験豊富なイタリア人・キョッソーネが当時
の宮内大臣の命を受けて描いたものであった
「御真影」の描かれた翌年には大日本帝国憲法
が発布され,さらにその次の年には教育勅語が
出されている
↓
↓
解 釈 n
「御真影」は,明治政府が機能させっつあった新.しい政治体制に
対する国民の協力的な態度を形成する役割を担うものであった
141
黒田氏は,複数の時間の層の相互関係を明らかにすることを特に意識
してこの研究に取り組んでいるわけではないが,本事例は,結果的に,
幕藩体制の存続・崩壊といった表層的な歴史と,天皇や将軍の服飾文化
や心性といった深層の歴史との関係についての認識を可能とする内容と
なっている。従って,ここで用いられている,ある特定の時代の特定の
地位の人々の肖像画群について比較・分析を行い,そこから像主だちの
心性などの歴史の深層的な部分を読み取って,政治体制の存続や変化と
いった歴史の表層的な部分との関係について考察していくという方法論
は,複数の時間の層の存在を認識させることをめざす授業の構成原理に
応用可能であると考える。
また,図一4は,1理想の明治天皇像16における多木浩二氏の読解の
過程を,先の事例と同様の方法で整理・図示したものである。
この事例では,一般に「御真影」とよばれている明治天皇の肖像画と
実際の肖像写真との比較を通し, 「御真影」の天皇の容姿にはかなりの
理想化が施されていることを明らかにした上で,このような操作が加え
られたのは,明治政府が「御真影」に対し,国民の間に天皇制国家に対
する支持の感情を形成する役割を期待したためではないかと解釈してい
る。ここでは,同一の主題を扱った複数の画像史料の比較を通してそれ
らの相違点を見い出し,より現実に近いものと,より虚構性の強いもの
とを峻別した上で,後者に虚構性が加えられた理由について考察すると
いう方法論が用いられているが,この方法論は虚構性を含む史料から事
実を読み取らせることをめざす授業の構成原理に応用することが可能で
あろう。
142
〈註〉
1 黒田日出男「絵画史料から歴史を読むために」 (『シリーズ授業
4 社会』岩波書店,1992年),179∼180頁
2 黒田日出男「絵画史料を読むために」 (『姿としぐさの中世史』,
平凡社,1986年),235頁
3 黒田日出男「絵巻をいかに読むか1 (r講座社会科学の方法 IX』
岩波書店,1993年),209∼212頁
4 黒田日出男哨像画と王権」 (『王の身体 王の肖像』,平凡社,
1993年置,190∼194頁
5 黒田日出男「近世の天皇と将軍の肖像画」(『王の身体 王の肖像』,
平凡社,1993年,276∼302頁)。なお,136∼137頁に掲載した各天皇
の肖像画も,同書より転載したものである。
6 多木浩二「理想の明治天皇像」(『天皇の肖像』岩波書店,1988年,
155∼196頁)
143
第2節絵画史料を活用した歴史授業の構成原理
本節では,これまでに述べてきた,先行研究の成果や実践事例の分析
結果などを踏まえ, 「新しい歴史学」の精神に沿う形で絵画史料を活用
する歴史授業の構成原理を示すことにしたい。
1 目標設定と史料選択の原理
既に見てきたように,歴史授業で絵画史料を用いることには,子ども
たちに,時間の多層性に気づかせたり,虚構性を含む史料からでも事実
が読解できることに気づかせたりする機会を与えるという意義が認めら
れる。しかし,実践事例のほとんどがこのような意義を生かすものとは
なっていなかったことからもわかるように,「新しい歴史学」の精神に
沿う形で絵画史料を活用するためには,教師の意図的な方略が必要であ
る。
具体的には,まず,授業の目標を設定する段階で,歴史の表層部と深
層部の双方にまたがる事実についての理解,あるいは,史料の持つ虚構
性に着目することによって読み取れる事実についての理解を,理解目標
として設定する必要があろう。
また,授業の中で中心的に用いる史料を選択する段階でも,先に見た
「近世の天皇と将軍の肖像画」や「理想の明治天皇像」において,黒田
氏や多木氏が利用していた史料から抽出できる特質を参考に,それぞれ
の授業の目標にふさわしい史料を遠い出す必要がある。
以上の点を踏まえると,絵画史料を活用した歴史授業の構成における
目標設定および史料選択の段階の原理は,次のようなものになる。
144
(1》理解目標の設定
ア 時間の多層性をとらえさせることをねらった授業を構成しよう
とする場合には,歴史の表層部と深層部の双方にまたがる事実に
ついての理解を,目標として設定する。
イ 虚構性を含む史料から事実をとらえさせることをねらった授業
を構成しようとする場合には,虚構性に着目することによって読
み取れる事実についての理解を,目標として設定する。
② 絵画史料の選択
ア 時間の多層性をとらえさせることをねらった授業を構成しよう
とする場合には,歴史の表層部および深層部によって規定され,
なおかっ,その一方には時代的な変化が見られ,他方には変化が
見られないような共通要素を持つ絵画群を史料として選択する。
(近世の天皇と将軍の肖像画群は,この条件に該当している。)
イ 虚構性を含む史料から事実をとらえさせることをねらった授業
を構成しようとする場合には,何らかの歴史的な事実を反映して
虚構性が加えられている絵画と,前者と同一の主題を扱っていて
虚構性を含んでいない絵画,または写真を史料として選択する。
(明治天皇の肖像画と肖像写真は,この条件に該当している。)
2 授業過程の構成原理
実際の授業では,冒頭で,事前に準備しておいた絵画史料を提示する
ことになるが,その際に,教科書での絵画史料の扱いの分析の項で指摘
しておいたように,まず,史料の制作年代に関する情報を添えることを
忘れてはならないだろう。
145
次に,史料の提示を受けて,子どもたちは,自然的意味の読解に移る
ことになる。この段階では,絵画史料からできるだけ豊富な自然的意味
を読み取らせることが望まれるが,万一,子どもたちの読解活動が活発
でない場合でも,最低限,事前に設定した理解目標達成のための前提と
なる要素については,読み取らせておく必要がある。
次の段階では,問いの把握をさせることなるが,ここでも,既に指摘
しておいたように,以下の追究過程を複線的なものにし,子どもたちが
最終的に把握する社会的意味をできるだけ多面的なものとするために,
複数の問いを持たせることが大切である。
以下,問いを解くための直観的解釈とその吟味の過程を経て,子ども
たちを社会的意味の把握へと向かわせるごとになる。これらの段階の中
で特に重要なのは解釈の吟味の段階で,ここでは,まず子どもたちの既
有の知識や独自に入手した新たな情報を最大限に活用させ,問いを解く
ための解釈をできるだけ事実と整合的で合理性の高いものへと練り上げ
させていくことが大切である。そして,個々の解釈に対する子どもたち
の吟味が一通り終了した段階で,教師が用意しておいた資料により最終
的に練り上げた解釈の妥当性を確認させることが適当であろう。
なお,万一,教師が前もって想定していた解釈よりも合理性が高く,
説得力に富む解釈が子どもたちから出された場合には,設定した理解目
標に拘泥せず,新たな解釈を認φる方向で進めるべきである。
いずれにせよ,子どもたちに把握させる社会的意味は,仮説性を含む
解釈であるので,この点を押さえてから,授業を終えるべきであろう。
これまでに述べた点を踏まえ,絵画史料を活用した歴史の授業過程を
構成するための原理をまとめると,以下のようになる。
146
(1》絵画史料の提示
制作年代に関する情報(正確な制作年代不祥の場合には,それに
準ずる情報)を添えて,史料を提示する。
(2》自然的意味の読解
ア 時間の多層性をとらえさせることをねらった授業を構成しよう
とする場合には,歴史の表層部に規定された要素と深層部に規定
された要素を含む,できるだけ多くの事実を読み取らせる。
イ 虚構性を含む史料から事実をとらえさせることをねらった授業
を構成しようとする場合には,一部の史料に虚構性が加えられて
いることを含む,できるだけ多くの事実を読み取らせる。
③ 問いの把握
絵画の比較を通して読み取った事実をもとに,できるだけ多くの
「なぜ,このように描かれているのか」という問いを持たせる。
(4》直観的解釈 ‘
合理性の有無にはこだわらず,できるだけ多数の,問いを解くた
めの解釈を出させる。
㈲ 直観的解釈の吟味
a 既有の知識や自らの力で入手した新たな情報を活用しながら,
問いを解くための解釈を,できるだけ事実と整合的で,合理性の
高いものへと,練り上げさせていく。
b 教師が用意しておいた資料により,練り上げた最終的な解釈の
妥当性を再検討する。
㈲ 社会的意味の把握
授業終了の時点で最も合理性の高いと思われた解釈の内容を把握
させるとともに,あくまでも解釈であることも認識させる。
147
第3節 絵画史料を活用した歴史授業モデル
本節では,先に明らかにした授業構成原理にもとづき,具体的な授業
モデルを作成する。なお,授業の対象としては,中学生を想定すること
にした。
1 時間の多層性をとらえさせることをねらう授業モデル
ω 小単元名 「近世琉球の国王たち」
② 小単元の趣旨と構成原理
本小単元は,ある一定の期間に一定の地位に即いていた人々の
肖像画群を比較し,そこに見られる共通点や相違点を抽出して,
それらが意味するものを追究していく方法により,絵画史料から
歴史の表層的な部分と深層的な部分をとらえさせることをねらう
ものである。ここでは,単に事実的な知識を獲得させるだけでは
なく,絵画読解の方法をつかませることもねらうので,単元は,.
絵画読解の方法を習得させる段階とその応用を試みさせる段階の
二つの部分から構成する。
第一の段階である方法の習得の段階では,近世琉球の国王たち
の肖像画群の読解を学習の中心に位置づけることにした。それら
の肖像画群からは,近世琉球の国王たちの服装が,明朝風のもの
から清朝風のものへという若干の変化を示しはするものの,一貫
して中国風のものであることや,どの国王の顔にも,中国の皇膏
や日本の天皇・将軍らには見られない豊かな髭が蓄えられている
148
ことが読み取れるが,これらのことは,琉球の人々が,薩摩藩の
侵入や中国における明から清への王朝交代という,政治・外交上
の大きな変化を経験しっっも,一貫して,中国との関係や独自の
伝統を重視していたことを反映したものだと解釈できるからであ
る。この場合,薩摩藩の侵入や中国における王朝交代が歴史の表
層部に,琉球の人々による一貫した中国との関係の重視や独自の
伝統の重視が歴史の深層部に該当する。
また,第二段階の方法の応用の段階では,江戸時代の天皇と将
軍の肖像画群を読解の対象として設定した。これらの肖像画群か
らは,徳川家康のみが他の人物とは異なって神像のような特異な
表現で描かれていることや,将軍の服装には江戸時代を通して特
に変化は見られないのに,天皇の服装は,いわば普段着である烏
帽子姿から,天皇の正装である冠を被った姿へと変化していくこ
とが読み取れるが,これらのことは,家康による豊臣氏からの政
権奪取や幕藩体制の創始という実績,その後の将軍たちによるそ
の体制の維持,天皇の一貫した権威の保持と幕府の力の衰えに伴
うその相対的地位の上昇などを反映したものと解釈することがで
きるからである。この場合,家康による豊臣氏からの政権奪取や
幕府の力の衰えとその結果としての崩壊が歴史の表層部に,天皇
炉武士たちから一貫して権威ある存在として認識され続けていた
ことが歴史の深層部に該当する。
なお,本小単元は,近世琉球や江戸時代の通史的な学習を目的
とするのではなく,通史的な学習で得た知識を利用しながら絵画
史料を読解させることをねらったものなので,江戸時代の通史的
学習を終えた後の課題学習としての扱いを想定した。
149
③ 小単元のねらい
ア 理解目標a
近世琉球の国王たちの肖像画群の読解を通して,それらの肖
像画には,国王をはじめとする琉球の人々が,薩摩藩の支配下
に置かれるようになって政治的主体性を失いはしたものの,薩
摩藩の侵入後も,それ以前と同じように,中国との友好関係や
独自の文化を維持していたことを反映していると解釈できる
ことをとらえさせる。
イ 理解目標b
江戸時代の天皇と将軍の肖像画群の読解を通して,それらの
肖像画には,江戸時代を中心とする時代には,豊臣氏から徳川
氏へ,そして徳川氏から明治政府へと実権は移動していくもの
の,武士の意識の中では一貫して天皇こそが真の政治的権威で
あると見倣されていたことが反映していると解釈できることを
とらえさせる。
ウ 能力目標
ある一定の期間に一定の地位に即いていた人々の肖像画群を
比較し,そこに見られる共通点や相違点を抽出して,それらが
意味するものを追究していくことによって,絵画史料から歴史
の表層的な部分と深層的な部分をとらえる方法を習得させる。
(4}想定される説明の構造
ア 理解目標aの説明の構造
A 近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの服装が,文様の疎ら
なものから密なものへという若干の変化を示しはするものの,一貫
150
して中国風のものであることや,どの国王の顔にも,日本の天皇や
将軍には見られない豊かな髭が蓄えられていることが読み取れる。
A−1近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの服装が,一貫して
中国風のものであることが読み取れる。
A−2近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの服の生地が,文様
の疎らなものから密なものへと変化することが読み取れる。
A−3近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らが日本の天皇や将軍
とは異なり,豊かな髭を蓄えていたことが読み取れる。
B 近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国における明から清への
王朝交代という,政治・外交上の大きな変化を経験した。
B−1近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入を受け,政治的主体性を失う
という政治上の大きな変化を経験した。
B−2近世琉球の国王は,重要な貿易相手国であった明が滅亡し,清
の中国支配が始まるという外交上の大きな変化を経験した。
C 近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以後も,
それ以前から続く,中国との関係や独自の伝統を重視していた。
C−1近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以後も,
それ以前から続く,中国との関係を重視していた。
C−1一ア琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以後も,
それ以前と同じように,中国皇帝からの冊封を受けて王位に
即き,衣服の授与を受けていた。
C−1一イ琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以後も,
それ以前と同じように,中国へ留学生を送り,中国の文化の
摂取に努めていた。
151
C−2近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以後も,
それ以前から続く,独自の伝統を重視していた。
C−2一ア琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代以前から
一貫して髭を伸ばしていた。
C−2一イ歴代琉球国王の髭は,中国の皇帝の髭とは形態が異なって
おり,琉球の国王家独自の伝統にもとつくものである。
D 近世琉球の国王たちの肖像画の特色は,琉球の人々が一貫して
中国との関係や独自の伝統を重視していたことを反映したものだと
解釈できる。
D−1近世琉球の国王たちの服装には,琉球の人々が一貫して中国と
の関係を重視していたことが反映していると解釈できる。
D−2近世琉球の国王たちの顔の髭には,琉球の人々が一貫して独自
の伝統を重視していたことが反映していると解釈できる。
イ 理解目標bの説明の構造
E 江戸時代の天皇と将軍の肖像画群からは,徳川家康のみが他の
人物と異なって神像のような特異な表現で描かれていることや,
将軍の服装には江戸時代を通して変化は見られないのに,天皇の
服装は,烏帽子姿から冠姿へと変化していくことが読み取れる。
E−1江戸時代の天皇と将軍の肖像画群からは,徳川家康のみが神像
のような表現で描かれていることが読み取れる。
E−2江戸時代の天皇と将軍の肖像画群からは,江戸時代を通して,
将軍の服装には特別な変化は見られないことが読み取れる。
E−3江戸時代の天皇と将軍の肖像画群からは,天皇の服装が烏帽子
姿から冠を被った姿へと変化していくことが読み取れる。
152
F 江戸幕府成立の前後には,豊臣氏から徳川氏へという政権移動
が起き,その後は,徐々に幕府の力は衰えていって,幕府崩壊の
前後には,徳川氏から明治政府への政権移動が起こっている。.
F−1徳川家康は関ケ原の戦いに勝利を収めて豊臣氏から政権を奪取
し,朝廷から征夷大将軍に任じられて,幕藩体制を創始した。
F−2歴代の将軍は,改革などによって幕藩体制の維持に努めたが,
江戸時代半ば以降,幕府の力は徐々に衰えていった。
F−3江戸幕府の崩壊に伴って,徳川氏から明治政府への政権移動が
が起きている。
G 江戸時代の天皇は,実権の有無にかかわりなく,武士たちから
一貫して真の政治的権威と見倣されていた。
G−1将軍への就任には天皇の任命が必要であったし,家康を正式に
神格化するのにも,朝廷の認可を必要としていた。
G−2新井白石や荻生但錬は,理論上は,武士の真の主君は将軍では
なく天皇だと考え得ることに,大きな危機感を持っていた。
G−3幕末になると,幕府と倒幕派との間で天皇の争奪戦が行われ,
そこで天皇の推戴に成功した倒幕派が勝利を収めている。
H 江戸時代の天皇と将軍の肖像画群の特色は,当時の天皇や将軍の
実態を反映していると解釈できる。
H−1家康の描写の特異性は,豊臣氏からの政権の奪取や幕藩体制の
創始という彼の実績を反映していると解釈できる。
H−2歴代将軍の服装の画一性は,彼らが,家康の創始した幕藩体制
をひたすら維持していったことを反映していると解釈できる。
H−3天皇の被りものが烏帽子から冠に変化することは,幕府の衰え
から,天皇の権威が上昇したことを反映していると解釈できる。
153
(5}理解目標に対応する問いの構造
ア 理解目標aに対応する問いの構造
A 近世琉球の国王たちの肖像画からは,どんなことが読み取れる
か。
A−1近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの服装がどのような
ものであったことが読み取れるか。
A−2近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの服装がどのような
変化を示していることが読み取れるか。
配3近世琉球の国王たちの肖像画からは,彼らの容姿にどのような
特色があったことが読み取れるか。
B 近世琉球の人々は,政治や外交の上で,どのようなできごとを
経験しているか。
B−1近世琉球の人々は,政治の上では,どのようなできごとを経験
しているか。
B−2近世琉球の人々は,外交の上では,どのようなできごとを経験
しているか。
C 近世琉球の国王が,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代の前後を
通じ,一貫して重視していたことは,どんなことか。
C−1近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代の前後を
通じ,外交の上では,どんなことを重視していたか。
C−1一ア琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代の前後を
通じ,中国の皇帝とどのような関係にあったのか。
C−1一イ琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代の前後を
通じ,中国文化に対してどのような態度をとっていたのか。
154
C−2近世琉球の国王は,薩摩藩の侵入や中国での王朝交代の前後を
通じ,自身の生活の上では,どんなことを重視していたか。
ひ2一ア琉球の国王は,薩摩藩の侵入以後,髭を長く伸ばすように
なったのか。
C−2一イ琉球国王の髭の形態は,中国の皇帝の髭の形態を模倣した
ものだったのか。
D 近世琉球の国王たちが中国風の服装をしたり,豊かな髭を蓄え
たりしていたのは,なぜだろうか。
Dヨ近世琉球の国王たちが一貫して中国風の服装を身につけていた
のは,なぜだろうか。
D−2近世琉球の国王たちが一貫して豊かな髭を生やしていたのは,
なぜだろうか。
イ 理解目標bに対応する問いの構造
E 江戸時代の天皇と将軍の肖像画からは,どのようなことが読み
取れるか。
E−1江戸時代の天皇と将軍の肖像画からは,徳川家康の肖像の表現
について,どのような特色が読み取れるか。
E−2江戸時代の天皇と将軍の肖像画からは,将軍の服装について,
どのような規則性が読み取れるか。
E昭江戸時代の天皇と将軍の肖像画からは,天皇の服装について,
どのような規則性が読み取れるか。
F 江戸幕府成立の前後から幕府崩壊の前後に至るまでの間,政治
の実権は,どのように推移しているか。
155
F−1江戸幕府成立の前後には,政治の実権をめぐって,どのような
変化が起こっているか。
F−2江戸時代の半ば以降には,政治の実権をめぐって,どのような
変化が起こっているか。
F−3江戸幕府崩壊の前後には,政治の実権をめぐって,どのような
変化が起こっているか。一
G 政治の実権のあり方が次第に変化していく中にあって,天皇は
武士たちからどのような存在と見倣されていたのか。
G−1家康の将軍就任や死後の神格化に際して,天皇は,どのような
役割を果たしていたか。
G−2新井白石や荻生素練は,武士たちの天皇観について,どのよう
なことを指摘しているか。
G−3幕末の幕府と倒幕派との争いの中で,天皇は,どのような役割
を果たしていたか。
H 家康像だけに特異な表現が施されたり,天皇の服装だけが次第
に変化していったりしたのは,なぜだろうか。
H−1家康の肖像だけに,雲や狛犬が描かれて,神像のような表現に
なっているのは,なぜだろうか。
H−2歴代将軍の被りものや衣服に,江戸時代を通してほとんど変化
が見られなかったのは,なぜだろうか。
H−3天皇の服装が烏帽子姿から冠姿へと次第に変化していくのは,
なぜだろうか。
156
(6}授業過程
〔第一段階〕
絵画読解方法の習得
授業過程
教師の発問・指示
1 自然的意味
◎近世琉球の歴代国王の肖像画
を観察して気づくのはどんな
の読解
資科
予想される生徒の回答
①
・近世の肖像画
であることを
確認する
ことか
・身に着けているものを,天皇
や将軍のものと比較してみて
気づくのはどんなことか
・それぞれの国王が身に着けて
いる服の文様を比較してみて
気づくのはどんなことか
・服装以外の身なりで,同時代
の日本の人々と比較してみて
気づくのはどんなことか
2 問いの把握
指導上の留意点
②
②
◎近世琉球の歴代国王の肖像画
を観察して疑問に思うことは
どんなことか
・琉球の国王は,天皇や将軍と
は異なり,中国風の服や被り
ものを身に着けている
・前半の国王の服にはほとんど
文様はないが,後半の国王の
服には多くの文様がある
・当時の日本の人々はほとんど
髭を生やしていないが,琉球
国王は長い髭を蓄えている
・なぜ,琉球の国王は,中国風
の服や被りものを身に着けて
いるのか
・なぜ,前半の国王の服と後半
の国王の服とで,文様が違う
・主発問の後,
しばらく絵を
観察させる
・生徒の発言が
活発なら補助
発問は省く
・教科書などの
絵画史料でも
確認させる
・読解した自然
的意味をもと
に考えさせる
のか
・なぜ,琉球の国王は,日本の
人々が生やさなくなった髭を
長く伸ばしているのか
@ , r 「 「 9 . 「 冒 幽 . . . . . . 一 一 , , 7 曾 , 9
3 直観的解釈
◎近世琉球の歴代国王の肖像画
を観察して疑問に思ったこと
に対し,どんな解釈が可能か
・中国風の服や被りものを身に
着けていることに対し,どん
な解釈が可能か
・なるべく多様
な解釈が出る
ようにする
・中国との貿易で手に入れた服
を身に着けていたら,自然に
中国風になったのでは
・中国に対する憧れがあって,
中国の皇帝の服装をまねして
いたのでは
・国王の暮らしが豊かになり,
服地にぜいたくな織物を使う
ようになったのでは
・中国の皇帝の服装自体に変化
があったので,それに応じて
変えたのでは
・琉球の人々の間に,髭を長く
伸ばしている人ほど立派な人
だという認識があったのでは
・中国の皇帝も髭を蓄えていた
ので,この点でもまねをした
のでは
・国王の服の文様が途中で変化
することに対し,どんな解釈
が可能か
・国王が髭を長く伸ばしている
ことに対して,どんな解釈が
可能か
, , 一 曾 曾 ,
4 直観的解釈
の吟味
Eはじめは生徒
相互の討論で
◎これまでに出されている解釈
に対する反対意見や疑問点は
ないか
・中国風の服装についての解釈
に対する反対意見や疑問点は
ないか
・国王の服装ともなると,由緒
を重んじるので,自然に中国
風になったとは思えない
1.5.7
吟味させる
・必要に応じて
.既習の事項を
再確認する
・服の.布の文様についての解釈
・.
に対する反対意見や疑問点は
ないか
・長く伸びた髭についての解釈
に対する反対意見や疑問点は
ないか
◎これまでの歴史学習で学んだ
事実を踏まえ,新しい解釈を
出してみよう
・中国風の服や被りものを身に
着けていることに対し,どん
な解釈が可能か
・国王の服の文様が途中で変化
することに対し,どんな解釈
が可能か
・国王が髭を長く伸ばしている
ことに対して,どんな解釈が
可能か
◎資料をもとに,解釈の当否に
ついて吟味してみよう
・資料「琉球と中国の交流」の
記述内容から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
゚世の琉球は薩摩藩の支配を
受けていたので,ぜいたくを
始めたというのは不自然だ
・江戸上りの絵の琉球人は短い
髭しか生やしていないので,
髭は長いほどよいのか疑問だ
・中国と長く友好関係にあった
ので,皇帝から服などを授与
されていたのでは
・江戸上りのときと同じように
薩摩藩から中国風の服を着る
よう命じられていたのでは
・中国で明から清への王朝交代
が起こっているので,それが
影響しているのでは
・髭を伸ばすことは反体制的な
姿勢を表すので;薩摩藩への
反発を示しているのでは
③
・服の文様について,中国皇帝
の肖像画から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
④
・髭の問題について,初期国王
の肖像画から,どんなことが
わかるか
・髭の問題について,中国皇帝
の肖像画から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
⑤
・国王の服は,中国の皇帝から
与えられたものであり,薩摩
藩に.強制されたものではない
・琉球の人々は,中国との交流
を義務的に行うのではなく,
自ら進んで行っていた
・明の皇帝の服は文様の密度が
薄いが,清の皇帝の服は文様
の密度が濃い
・琉球国王の服の文様の変化は
中国皇帝の服装の変化に伴う
ものである
・薩摩藩の侵入を受けるよりも
前から琉球の国王は髭を長く
伸ばしていた
・中国の皇帝は髭を生やしては
いるが,琉球の国王のように
長くは伸ばしていない
・琉球国王の髭は,中国や日本
の支配層の慣習とは違う独自
の慣習にもとつくものである
・事実を踏まえ
より合理的な
解釈をさせる
・必要に応じて
既習の事項を
再確認する
・冊封の制度に
ついて簡単に
補説する.
・清は征服王朝
であったこと
を確認する
. 一
5 社会的意味
の把握
◎近世琉球の国王が,中国風の
服装を身に着け,豊かな髭を
蓄えていたのは,なぜだろう
・近世琉球の国王が,中国風の
服装を身に着け,豊かな髭を
蓄えていたのは,琉球王国の
人々が薩摩藩の支配を受ける
ようになった後も,それ以前
と同じように中国との友好や
独自の慣習の維持を願ってい
たためであると解釈できる
か・
158
Eあくまで解釈
であることを
確認して授業
を終える
〔第二段階〕 絵画読解方法の応用
授業過程
教師の発問・指示
難
1 自然的意味
◎天皇と将軍の肖像画の観察を
してみて,気づくのはどんな
⑥
の読解
ことか
・天皇の肖像を比較してみて,
・ほとんどの天皇は公家のよう
な服装をしているが,出家姿
で描かれている人もいる
・公家のような服装をしている
人は,被りものによってさら
に二つの種類に分けられる
・江戸時代の前半には烏帽子姿
の天皇が多く,後半になると
冠を被った天皇が多くなる
・将軍の服装には,被りものの.
形にも衣服の形にもほとんど
変化は見られない
・天皇は例外なく畳の上に敷物
を重ねて座っているが,家康
以外の将軍は畳に座っている
・家康の肖嫁画だけに,狛犬や
雲などが描かれており,神の
ような表現になっている
気づくのはどんなことか
・公家のような服装をしている
人に,さらに相違点はないか
・天皇の服装は,大まかに見る
とどのように変化しているか
・将軍の肖像を比較してみて、
気づくのはどんなことか
・人物の座っているものを見て
気づくのはどんなことか
・人物の周囲の空間を観察して
気づくのはどんなことか
2 問いの把握
◎天皇と将軍の肖像画の観察を
してみて,疑問に思ったのは
どんなことか
3 直観的解釈
◎天皇と将軍の肖像画の観察を
してみて疑問に思ったことに
対し,どんな解釈ができるか
・将軍の服装が変化せず,天皇
の服装は変化していくことに
対し,どんな解釈ができるか
予想される生徒の回答
・なぜ,将軍の服装はほとんど
変化しないのに,天皇の服装
は変化していくのか
・なぜ,家康の燥だけに天皇や
他の将軍と異なる特別な表現
がなされているのか
・将軍は武士なのでおしゃれに
気を使わなかったが,天皇は
流行に敏感だったのでは
・逆に,将軍はそれらしい服装
を心がけていて,天皇は服装
に無頓着だったのでは
・家康は,天皇や他の将軍より
偉い人だということを表して
・家康の肖像だけに特別な表現
がなされていることに対し,
どんな解釈ができるか
指導上の留意点
・江戸時代の絵
であることを
確認する
・生徒の発言が
活発なら補助
発問は省く
・烏帽子と冠と
があることを
補説する
・読解した自然
的意味をもと
に考えさせる
・琉球国王像の
読解の方法を
応用させる
・なるべく多様
な解釈が出る
ようにする
いるので.は
幽 ’ 曹 , 冒 ■ ■ 幽 幽 , 「 冒 . 匿 . 幽 , 曹 r F . . 一 , , 噛 r ■ 幽 一 L ・ , − 幽 一 , , r ■ 匿 一 ’ ■ ■ ■ 一 , 9 r 冒 r ■ 幽 一 , r r . ■ , 冒 曹 匿 . 一 . 一 , , 曾 r ,
4 直観的解釈
の吟味
◎これまでに出されている解釈
に対する反対意見や疑問点は
ないか
・天皇は流行に合わせて服装を
変えていたという解釈に対す
る意見はないか
・天皇は服装に無頓着だったと
いう解釈に対する意見はない
・江戸時代以前の絵にも烏帽子
や冠は描いてあるので,天皇
の服装は新しい形式ではない
・朝廷も古くからの伝統を守る
ことを重んじるはずだから,
服装に無頓着とは思えない.
か
159
・はじめは生徒
相互の討論で
吟味させる
・必要に応じて
既習の事項を
再確認する
・家康は,天皇から将軍に任命
してもらっているのだから,
天皇より偉いとはいえない
・家康は天皇よりも偉い人だと
いう解釈に対する意見はない
か
◎これまでの歴史学習で学んだ
事実を踏まえ,新しい解釈を
出してみよう
・将軍の服装が変化せず,天皇
の服装は変化していくことに
対し,どんな解釈ができるか
・事実を踏まえ
より合理的な
解釈をさせる
・幕府は,禁中並公家諸法度を
制定して,天皇や公家を統制
していたので,服装の特色は
将軍の権力が安定していて,
天皇の権力は不安定であった
ことを示しているのでは
・幕府は,何度も改革の努力を
してはいるが失敗し,最終的
に大政奉還をしているので,
将軍の服装は幕府維持の願望
を,天皇の服装は相対的地位
の上昇を示しているのでは
・幕末に幕府と倒幕派との間で
天皇.の争奪戦が行われたこと
から天皇に権威があったこと
がわかるので,やはり天皇の
級装の変化は,権威の相対的
な高まりを示しているのでは
・家康は長く続いた戦乱の時代
を終わらせて人々が安心レて
生活できるようにしたので,
特別な表現は家康が神のよう
に敬われたことを示している
のでは
・家康は,自分が秀吉の遺言を
守らずに天下を取ったように
だれかが裏切らないかが心配
だったので,自分を裏切れば
神罰が下ると思わせるために
特別な絵を描かせたのでは
・幕府は,家康の偉大さを強調
することで,外様大名や民衆
などから軽んぜられることを
防ごうとして,家康の特別な
絵を見せ,敬わせようとした
のでは
・家康の肖像だけに特別な表現
がなされていることに対し,
どんな解釈ができるか
◎資料をも.とに,解釈の吟味を
してみよう
・「小夜聞書』の記述からは,
⑦
どんなことがわかるか
・『読史余論』 『政談』の記述
⑧
からは,どんなことがわかる
か
160
・江戸時代の朝廷は幕府の意向
を無視しては行動することの
できない存在であり,それに
対する不満を口に出すことも
できない状態であったことが
わかる
・武士たちの間に,自分たちの
本当の主君は将軍ではなく,
天皇だという考え方があった
ことや,新井白石たちがそれ
にかなり危機感を抱いていた
ことがわかる
・必要に応じて
既習の事項を
再確認する
・以上のことから,どのような1
ことがいえるか
・中世以前の絵画史料からは,
⑨
どんなことがわかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
・『家康の神格化』の記述から
}よ どんなことがわかるか
⑩
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
の把握
・教科書などの
絵画史料でも
確認させる
@ . 「 冒 「 ■ . .
雫 一 幽 一 一 . 一 ド
5 社会的意味
・江戸時代の天皇には,政治的
な実権はなかったが,武士の
観念のレベルでは,真の主君
と考えられていた
・古い絵画史料をもとに考える
と,烏帽子は普段着で,冠は
正装のようだから,江戸時代
後半の天皇の方が天皇として
よりふさわしい姿で肖像画に
描かれていることがわかる
・江戸時代の天皇には,実権は
なかったが,政治的な権威は
備えていたので,幕府の実力
が衰えるとともに相対的地位
が上昇し,このことが服装に
反映した
・家康は,死後「東照大権現」
という神になっていること,
この神格化を行うには朝廷の
許可が必要だったこと,朝廷
は幕府の強い要講で許可した
ことなどがわかる
・家康は自然に敬われたのでは
なく,幕府によって神格化が
行われていること,幕府には
朝廷を動かす力はあっても,
独力で家康を神格化する権威
はなかったことがわかる
・家康の表現の特異性と将軍の
服装の画一性は,家康による
豊臣氏からの政権奪取や幕藩
体制の創始と,以後の将軍に
よるその維持への願いを反映
したものと解釈でき、天皇の
暇装が次第に正装へと変化し
ていくことは,天皇が実権の
有無とはかかわりなく政治的
権威と見倣され続けていて,
江戸時代後半になると幕府の
衰微に伴ってその権威を相対
的に高めてきたことを反映し
たものと解釈できる
.◎将軍の服装は画一的なのに,
天皇の服装には変化が見られ
たり,家康だけに他の人物に
は見られない特別な表現が施
されたりしているのは,なぜ
だろうか
161
・あくまで解釈
であることを
確認して授業
を終える
《資料1》近世琉球の国王の肖像画
①尚早王(在位1589∼162D
②尚豊王(磁1621∼164D
③尚貞享(雄1669∼1710)
④尚敬王く在位1713∼1752)
⑤尚罫狂(磁1804∼1835)
⑥尚育王(雄1835∼1858)
162
《酬2》天皇・将軍の身なり
孝明天皇(雄1846∼1866)
徳川吉宗(雄1716∼正745)
《酬3》琉球と中国との交流
1368年,元が滅んで明が成立すると,明の洪武門は周辺の国々へ使者
を送り,明への入貢(皇帝への服属を誓い,贈り物を献上すること)を
促した。当時,琉球の有力者であった察度は,入貢すれば,申国の皇帝
から琉球の国王として正式に認められることや,献上品への謝礼として
より多くの品々が手に入ることなどに着目し,入貢の誘いに応じること
にした。このように,中国の皇帝のもとに入貢し,かわりに国王として
承認されることを,冊封を受けるという。以後,代々の琉球の国王は,
琉球が沖縄県として日本に編入されるまで,中国皇帝からの冊封を受け
続けていくことになった。琉球の国王が身につけていた王冠や衣服は,
冊封を受けた証として,中国皇帝から与えられたものであった。また,
この間,琉球国王は何度も中国への留学生の派遣を行って,中国文化の
摂取にも努めていた。このように,琉球王国は政治・経済・文化の全て
の面において,中国と深い関係にあったのである。
163
《資料4》明・清の皇帝の肖像画
①明の神事(磁1572∼1620)
②明の光宗(雄1620∼1620)
,塁1.斡㌧」ヅ
③明の蕪宗(磁1620∼1627>
④清の順治帝(磁茎643∼1661)
⑤清の康煕帝㈱1661∼玉722)
⑥清の雍正夢(磁1722∼1735)
164
《資料5》近世以前の琉球国王
薩警
.鰻
縷
箋,
誌駿‘ボ
盤
①尚円王(雄1470∼1477)
②尚真王(雄1477∼1527)
165
《資料6一ア》江戸時代の天皇の肖像画
①饅言成天皇(在伽586・蓋611)
②後水尾天皇(醐611∼1629)
③後光明天皇㈱1643∼1654)
④後西天皇(磁1654∼1663)
⑤霊元天皇(磁1663∼1687)
⑥中御門天皇(磁1709∼1735)
166
⑧桃園天皇(雄1747∼1762)
⑦桜町天皇(在位1735∼1747)
v卑
@ }ダヒ、
鱗鉱
⑨後桃園天皇(在位1770∼1779)
⑩光格天皇(雄1779∼1817)
⑪仁孝天皇(磁1817∼1846)
⑫孝明天皇(碓1846・1866)
167
《資料6一イ》江戸時代の将軍の肖像画
①徳川家康(雛1603∼1605)
②徳川秀忠(在任1605∼1623>
無 謳
ロ
④徳川綱吉(硫1680∼1709)
③徳川家光(在任1623∼165D
鰹
脳
丞±二1工.=二=ゴ「置1
竺_》.雛避稔螢盤一,欝ム
⑥徳川吉宗(磁1716∼1745)
⑤徳川家宣(雛1709∼1712)
168
⑧徳∴_①
/繋騰認
⑩徳川家嫡(磁1837∼1853)
⑫徳川霧謡
169
《資料7》
『小夜聞書』(18世紀纈)
近ごろは,幕府の力が非常に強い。天皇を特に敬う様子もなく,何事
も,幕府の一存でとり行われてしまっている。不満があっても,最近の
朝廷は昔の力を失ってしまってはっきり抗議することもできないため,
天皇は非常にお悩みになっているということである。天皇に仕える公家
たちも,みんな口を閉ざしてしまっている。完全に幕府次第の世の中に
なってしまったと,嘆かない人はいない状態である。
《資料8》
r読史余論』と『政談』
新井白石の匡読史余論凶 (18世紀前半)
将軍という官は,天皇から与えられたものである。また,将軍の家臣
たちが称している,○○守とか××介などという官も,天皇から受けた
ものである。このように,主君と家臣とがともに天皇から官を拝領して
いれば,たとえ実質的には主君と家臣であっても,正式には,あくまで
ともに天皇の家臣だということになる。これで,家臣は,本当に将軍を
敬うであろうか。
荻生租錬の『政談』 (18世紀前半)
大名たちは,全て将軍の家臣ではありますが,官位は天皇から受けて
いますので,心の中では,自分の本当の主君は天皇なのだと思っている
者もいるでしょう。今は幕府の勢いが強いから将軍に従っているだけだ
などという考えの者がいなくならない限り,幕府の力が衰えたときには
大変なご:とになる恐れがあります。
17◎
《資料9》烏帽子姿と冠姿
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年中行事絵巻 巻二より
年中行事絵巻 巻五より
ユ71
麟乙同蛛D轟
露 . 一. 一「….一一r .己・
智.一『..骨》
《資料10》家康の神格化
1616年4月,病の床にあった家康は,「私が死んだら研光に神として
祭ってくれ。そうすれば,江戸や幕府の領地を守ってやろう。」という
遺言を残して亡くなった。
同年6月,幕府は京都に使者を送り,天皇から家康を神とするための
正式な許しを得ようとした。ところが,過去には征夷大将軍を神として
祭った例がなかったため,この要求は,朝廷に拒否されてしまった。
7月になると,幕府は再び,朝廷に使者を送り,家康の神格化を許可
するよう,もう一度強く迫った。そこで,結局,天皇も家康を神として
祭ることを承認し,家康に「東照大権現」という神号が与えられること
になった。
172
〈各資料の出典,または参考文献〉
1 瀬底正博編r南の王国 琉球』日本放送出版協会,1992年,78∼79
頁(原資料は,鎌倉静江覆蔵)
2 黒田日出男「近世の天皇と将軍の肖像画」(r王の身体王の肖像』
平凡社,1993年),284・297頁(原資料は,泉涌寺および徳川恒孝氏蔵)
3 豊見山和行「冊封の様相」(琉球新報国界『新琉球史』近世編(上),
1989年),79∼83頁,田名真之「近世久米村の成立と展開」(琉球新報
社編 前掲書),218∼221頁,高良倉吉『琉球王国』岩波書店,1993
年,44∼47頁の記述を参考に作成
4 苗田聯盟『中興歴史旧説十』世新出版社,1984年置112・119・120東,
劉家駒編r中國歴史暴説十一』無位出版社,1984年,33・43・61頁
5 瀬底正博編 前掲書 78∼79頁(原資料は,鎌倉静江氏蔵)
6 黒田日出男 前掲書 279∼299頁(原資料は,泉涌寺および徳川恒孝
氏蔵)
7 藤田覚「国政に対する朝廷の存在」(辻達也編『日本の近世2天皇
と将軍:』中央公論社,1991年),330∼331頁掲載の史料を参考に作成
8 辻達也「幕藩体制の変質と煙幕関係」(辻達也編 前掲書),213頁,
藤田覚r幕末の天皇』講談社,1994年,36頁掲載の史料を参考に作成
9 小松茂美編rコンパクト版日本の絵巻8 年中行事絵巻』中央公論
社,1994年,11・25頁(原資料は,田中氏蔵)
10 今谷明『武家と天皇』岩波書店,1993年,150∼159頁の史料と記述を
参考に作成
173
2 虚構性を含む史料から事実をとらえさせることをねらう授業モデル
(1》小単元名 「明治天皇のr御真影』」
② 小単元の趣旨と構成原理
本小単元は,同一の主題を描いた複数の絵画の比較を通して,
それらを虚構性の強いものとそうでないものとに峻別させ,特定
の絵画だけに虚構が加えられていることの意味を追究させていく
という方法により,歴史的事実をとらえさせることをねらうもの
である。ここでも,事実的な知識の獲得と合わせ,絵画読解の方
法の習得をねらったので,先に示した授業モデル同様に,読解の
の方法を習得させる段階とその応用を試みさせる段階の二段階で
単元を構成することにした。
絵画読解の方法習得の段階では,明治天皇を描いた肖像画群の
読解を中心的な学習活動として位置づけた。それらの肖像画群の
中には,実際の明治天皇の容姿をできるだけ忠実に描写しようと
していると思われるものと,実際よりも容姿を理想化して描いて
いると思われるものとがあり,後者が含んでいる虚構性には,明
治政府が,大日本帝国憲法や教育勅語の制定などを柱として進め
ていく新しい国家体制の建設に向け,国民の間に協力的態度を形
成していくためのシンボルを必要としていたことや,条約改正と
いう大きな課題の解決に向けて,天皇に欧米の元首たちに劣らな
い威厳を備えることを期待していたことなどが反映していると解
釈できるからである。
174
また,絵画読解方法の応用の段階では,徳川家康の肖像画群を
中心的な資料として,授業モデルを構成した。家康の肖像画に
は,彼が生前に自ら命じて描かせたと伝えられていて画像からも
全く理想化が加えられていないと判断できるもの,彼を直接知る
人物によって作成されたことがわかっている俗人として描かれた
もの,彼の死後に大量に作成されている東堅砦権現としての神像
形式のものなど多様な形式のものが見られるが,これらのうち,
神像形式の肖像画が含んでいる虚構性には,家康の生前における
幕藩体制の創始という実績,死後の体制の安泰や子孫の繁栄への
願い,後継の将軍や幕閣たちの家康の権威に対する依頼心などを
反映したものと解釈することができるからである。
なお,本小単元も,明治時代の通史的な学習を終えた後の課題
学習としての扱いを想定し,設計を行っている。
③ 小単元のねらい
ア 理解目標a
明治天皇を描いた肖像画と写真との比較を通して,肖像画に
は虚構性が加えられていることを読み取らせ,そこには,明治
政府が,帝国憲法や教育勅語の制定などを柱として進める新し
い国家体制の建設に向け,国民の間に協力的態度を形成してい
くためのシンボルを必要としていたことや,条約改正という課
題の解決に向け,天皇に欧米の元首らに劣らない威厳を備える
ことを期待していたことが反映していると解釈できることをと
らえさせる。
175
イ 理解目標b
徳川家康の肖像画群を相互に比較させることを通して,彼の
肖像画には多様な形式のものがあることを読み取らせ,これら
のうち,神像形式の肖像画が含んでいる虚構性には,家康の生
前における幕藩体制創始という実績や,死後の体制の安泰や子
孫の繁栄への願い,後継将軍や幕閣の家康の権威に対する依頼
心などが反映していると解釈できることをとらえさせる。
ウ 能力目標
同一の主題を描いた複数の絵画の比較を行い,それらを虚構
性の強いものとそうでないものとに峻別して,特定の絵だけに
虚構が加えられていることの意味を追究していくことによって
歴史的事実をとらえる方法を習得させる。
(4}理解目標の説明の構造
ア 理解目標aの説明の構造
A 明治天皇を描いた肖像画群には,実際の天皇の容姿をなるべく
忠実に描写しようとしているとものと,実際よりも容姿を理想化
して描いているものとがある。
A−1明治天皇を描いた肖像画の中には,実際の天皇の容:姿をできる
だけ忠実に描写しようとしているものがある。
配2明治天皇を描いた肖像画の中には,実際よりも容姿を理想化し
て描いているものがある。
176
A−2一アいわゆる「御真影」の天皇は,写真に写っている天皇より
肉づきがよくなり,容貌全体のバランスも整って,気品ある
顔立ちとなっている。
A−2一イ写真では天皇は椅子にもたれた姿勢であるが, 「御真影」
では椅子にもたれることなく,背筋の伸びた姿勢で描かれて
いる。
B 「御真影」が描かれた1888年頃の明治政府は,内政面では憲法
の制定や国会の開設に備えての体制の整備,外交面では条約改正
という大きな課題を抱えていた。
B−11888年頃の明治政府は,内政面では憲法の制定や国会の開設に
備えての体制の整備という大きな課題を抱えていた。
B−21888年頃の明治政府は,外交面では,不平等条約の改正という
大きな課題を抱えていた。
C 「御真影」の持つ虚構性には,明治政府が,恵法の制定などを
柱とした新しい国家体制の建設に向け,国民の協力的態度を形成
していくためのシンボルを必要としていたことや,条約の改正と
いう課題の解決に向け,天皇に欧米の元首たちに劣らない威厳を
備えることを期待していたことが反映していると解釈できる。
C−l r御真影」の持つ虚構性には,明治政府が,当時の内政面での
重要な課題であった憲法の制定などを柱とした新しい国家体制の
建設に向け,国民の協力的態度を形成していくためのシンボルを
必要としていたことが反映していると解釈できる。
177
C−2 「御真影」の持つ虚構性には,明治政府が,当時の外交面での
重要な課題であった条約の改正という課題の解決に向け,天皇に
欧米の元首たちに劣らない威厳を備えることを期待していたこと
が反映していると解釈できる。
イ 理解目標bの説明の構造
D 徳川家康の肖像画には,困り果て疲れ切ったような表情と姿勢
で描かれているもの,周囲に雲や狛犬などを配して神像のように
描いたもの,家康自体の姿勢や服装は前者とほぼ同じで雲などの
の装飾は施さないものなど,多様な形式のものがある。
D−1徳川家康を描いた肖像画の中には,困り果て疲れ切ったような
表情と姿勢で描かれているものがある。
D−2徳川家康を描いた肖像画の中には,肖像の周囲に雲や狛犬など
を配して,神像のように描いたものが多く見られる。
D−3徳川家康を描いた肖像画の中には,家康の姿勢や服装は前者と
ほぼ同じで,雲などの装飾は施さないものもある。
E 関ケ原の戦いなどで勝利を収めて,幕藩体制を創始するという
実績を残した家康が,その体制の安泰やそれに伴う子孫の繁栄を
願いながらこの世を去ると,彼の後を継いだ将軍やその幕閣たち
は,生前の実績を背景として彼を神格化し,その権威を利用して
幕藩体制を維持していこうとした。
E−1家康は,関ケ原の戦いなどで勝利を収め,幕藩体制を創始する
という実績を残した。
178
E−2家康は,彼の創始した幕藩体制の安泰やそれに伴う子孫の繁栄
を願いながら,この世を去っていった。
E−3後を継いだ将軍たちは,家康を神格化し,その権威を利用して
幕藩体制を維持していこうとした。
F 家康の肖像画のうち,神像形式の肖像画群が含んでいる虚構性
には,家康の生前における幕藩体制の創始という実績や,その死
に際しての体制の安泰や子孫の繁栄への願い,後継将軍や幕閣の
家康の権威に対する依頼心などが反映していると解釈できる。
F−1神像形式の家康像が持つ虚構性には,彼の生前においての幕藩
体制の創始という実績が反映していると解釈できる。
F−2神像形式の家康像が持つ虚構性には,死に際しての家康の体制
安泰やそれに伴う子孫繁栄の願いを反映していると解釈できる。
F−3神像形式の家康像が持つ虚構性には,後継将軍や幕閣の家康の
権威に対する依頼心が反映していると解釈できる。
⑤ 理解目標に対応する問いの構造
ア 理解目標aに対応する問いの構造
A 明治天皇を描いた肖像晶群を,天皇の肖像写真と比較すると,
どのようなことに気づくか。
A−1明治天皇を描いた肖像画の中で,実際の容姿をできるだけ忠実
に描写しようとしていると思われるものはないか。
A−2明治天皇を描いた肖像画の中で,実際の容姿よりも容貌などを
理想化して描いていると思われるものはないか。
179
A−2一ア「御真影」の天皇の容貌を,写真のそれと比較した場合,
どのような違いが見いだせるか。
A−2一イ 「御真影」の天皇の姿勢を,写真のそれと比較した場合,
どのような違いが見いだせるか。
B r御真影」が描かれた1888年頃の明治政府は,内政面や外交面
で,それぞれ,どんな課題を抱えていたか。
B−11888年頃の明治政府は,内政面においては,どのような課題を
抱えていたか。
B−21888年頃の明治政府は,外交面においては,どのような課題を
抱えていたか。
C 明治天皇のいわゆる「御真影」に理想化が施されたのは,なぜ
だろうか。
C−1当時の日本の内政課題から考えると,明治天皇の「御真影」に
理想化が施されたのは,なぜだろうか。
C−2当時の日本の外交課題から考えると,明治天皇の「御真影」に
理想化が施されたのは,なぜだろうか。
イ 理解目標bに対応する問いの構造
D 徳川家康の肖像画群を,相互に比較して見た場合,どのような
ことに気づくか。
D−1徳川家康の肖像画群を,彼の表情や姿勢に着目して,比較して
見た場合,どのようなことに気づくか。
180
D−2徳川家康の肖像画群を,周囲に描かれたものに着目して,比較
して見た場合,どのようなことに気づくか。
D−3徳川家康の肖像画群には,先に見た二つの様式のものの他に,
どのようなものが含まれているか。
E 家康自身や,後を継いだ将軍と幕閣たちは,どのようなことを
願い,どのようなことを行っているか。
E−1徳川家康は,生きている間に,どのような実績を残しているの
だろうか。
E−2家康は,この世を去っていくときに,どのようなことを願って
いたのだろうか。
E−3後を継いだ将軍たちは,どのようなことを願い,そのために,
どのようなことを行ったのだろうか。
F 家康の肖像画として,神像形式のものが数多く作成されている
のは,なぜなのだろうか。
F−1家康が生前に残した実績から考えると,彼の神像形式の肖像画
が数多く作成されているのは,なぜなのだろうか。
F−2家康の死に際しての遺言から考えると,彼の神像形式の肖像画
が数多く作成されているのは,なぜなのだろうか。
F−3後の将軍らの願いや行動から考えると,家康の神像形式の肖像
画が数多く作成されているのは,なぜなのだろうか。
181
⑥ 授業過程
〔第一段階〕
絵画読解方法の習得
授業過程
教師の発問・指示
醐
ユ 自然的意味
の読解
◎明治天皇の「御真影」を写真
と比較してみて,気づくのは
①
②
どんなことか
・天猛の服装について, 「御真
ない.が, 「御真影」の天皇は
多くの勲章をつけている
・写真の天皇は白っぽいズボン
姿だが, 「御真影」の天皇は
黒っぽいズボンをはいている
・「御真影」の天皇は,写真の
天皇に比べて肉づきがよく,
整った容貌をしている
・写真の天皇は椅子にもたれて
いるが, 「御真影」の天皇は
胸を張っている
・天皇の容姿について, 「御真
影」と写真とを比較してみて
気づくのはどんなことか
◎明治天皇の「御真影」を写真
と比較して疑問に思うことは
どんなことか
・なぜ,「御真影」の天皇と,
写真の天皇とで,勲章や衣服
について違いがあるのか
・なぜ,「御真影」の天皇の方
が,写真の天皇よりも容姿が
立派になるのか
@ 一 幽 一 「 , , , , , 一 「 一 9 , , 「 「 ■ 「 幽 「 冒 「 「 「
3 直観的解釈
◎明治天皇の「御真影」を写真
と比較して疑問に思ったこと
に対し,どんな解釈が可能か
・勲章や衣服についての変化が
見られることに対し,どんな
解釈が可能か
指導上の留意点
・肖像画と写真
の制作年代を
・写爽の人皇は勲章をつけてい
影」と写真とを比較してみて
気づくのはどんなことか
2 問いの把握
予想される崖徒の回答
確認する
・生徒の発言が
活発なら補助
発問は省く
・読解した自然
的意味をもと
に考えさせる
,
・なるべく多様
な解釈が出.る
ようにする
・勲章の装着は,天皇が日本の
近代化のために尽くしたこと
を示しているのでは
・服装の変化は,当時の日本が
西洋の服制を取り入れていた
ことに関係があるのでは
・天皇としての経験を重ねて,
・写真と比較して天皇の容姿が
立派になることに対し,どん
な解釈が可能か
貫禄をつけてきたことを反映
しているのでは
・富国強兵などの政策が順調に
進んで,国の近代化に自信を
持ったことを示すのでは
一
4 直観的解釈
の吟味
◎これまでに出されている解釈
に対して疑問に思う点や反対
意見はないか
・勲章や衣服についての解釈に
対して,疑問に思う点や反対
意見はないか
・容姿の変化についての解釈に
対して,疑問に思う点や反対
意見はないか
・君主が国のために尽くすのは
当然なので,その結果,勲章
をもらうというのは不自然だ
・貫禄がついたとしても,写真
の天皇の容貌が, 「御真影」
のようになるとは思えない
・「御真影」作成は,日清戦争
や日露戦争よりも前だから,
自信をつけるには早すぎる
182
・はじめは生徒
相互の討論で
吟味させる
・必要に応じて
既習の事項を
再確認する
◎これまでの歴史学習で学んだ
事実を踏まえ,新しい解釈を
出してみよう
・勲章や衣服についての変化が
見られることに対し,どんな
解釈が可能か
・事実を踏まえ
より合理的な
解釈をさせる
・写真と比較して天皇の容姿が
立派になることに対し,どん
な解釈が可能か
◎資料をもとに,解釈の当否に
ついて吟味してみよう
・資料「年老いた明治天皇」の
写真画像から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
③
・資料「勲章の制度の整備」の
記述内容から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
④
・資料「礼服の制度の整備」の
記述内容から,どんなことが
わかるか
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
⑤
・国会ができても,天皇が一番
偉いことを示すために,勲章
を作って身につけたのでは
・服装の変化は,条約の改正に
向けて,日本の欧米化をより
強く訴えるためだったのでは
・国民に天皇を尊敬させるため
に,わざと,実物よりも立派
に描いたのでは
・日本が近代国家になったこと
を外国に印象づけるために,
わざと,立派に描いたのでは
・必要に応じて
・「御真影」とは別人のような
容姿であり,貫禄や自信など
は感じられない
・「御真影」に描かれた天皇の
容姿は,実際のものより理想
化されたものだった
・「御真影」作成の直前に日本
で最高の勲章が作られ,それ
を天皇自らが身につけている
・勲章の制度の整備は,天皇の
権威を高め,秩序を保つこと
をねらって行われている
・軍人の礼服を,欧米諸国での
慣習に合わせて,途中で上下
とも黒のものに変えている
・明治政府は,日本の諸制度の
欧米化について,細かい点に
まで気を配っていた
・撮影の経緯に
既習の事項を
再確認する
ついて簡単に
補説する
@ 」 ・ 曹 , 「 炉 「 . . 一 . . ・ 」 一 丁 , 「 ,
5 社会的意味
の把握
・「御真影」に描かれた天皇の
服装が以前と変わっているの
は,国内の秩序の確立のため
に勲章制度が整備されたこと
や日本の欧米化を進めるため
に礼服の形が変化したことに
よるものであり,天皇の容姿
の理想化は,国会開設の後も
国内の秩序を維持するために
天皇に権威を感じさせる必要
があったことや,欧米諸国と
の条約改正を速やかに進める
ために,日本の近代化を印象
づける必要があったことによ
るものであると解釈できる
◎「御真影」に描かれた天皇の
服装が以前撮影した写真とは
変わり,容姿も理想化されて
いるのは,なぜだろうか
183
Eあくまで解釈
であることを
確認して授業
を終える
〔第二段階〕 絵画読解方法の応用
授業過程
教師の発問・指示
責料
1 自然的意味
◎徳川家康の肖像画群を相互に
比較してみて,気がっくのは
どんなことか
・服装や姿勢・表情に着目して
⑥
の読解
気づくのはどんなことか
・家康の周囲の表現に着目して
肖像画を比較してみた場合,
気づくのはどんなことか
◎徳川家康の肖像画群を相互に
比較して,疑問に思ったこと
はどんなことか
3 直観的解釈
◎徳川家康の肖聖画群を相互に
比較して,疑問に思ったこと
に対し,どんな解釈が可能か
・肖像の家康の服装や表情など
の吟味
・主発問の後,
・なぜ,肖像の家康の被りもの
や姿勢・表情などが変化して
いくのか
・なぜ,神像形式の肖像の方が
多く,しかも互いによく似て
いるのか
・読解した自然
的意味をもと
に考えさせる
ニ康が,一戦国大名から征夷
大将軍へと,出世していった
ことを示しているのでは
しばらく絵を
観察させる
・生徒の発言が
活発なら補助
発問は省く
・「御真影」の
読解の方法を
応用させる
・なるべく多様
な解釈が出る
ようにする
・家康は,天下を取るのに苦労
はしたが,老後は幸福だった
ことを示しているのでは
・家康が,江戸時代の民衆から
神のように敬われていたこと
を示しているのでは
・家康自身が,人々に,自分を
神として敬うよう命じたこと
を示しているのでは
・家康の肖像に,神像のような
形のものが多いことに対し,
どんな解釈が可能か
4 直観的解釈
ルとんどの絵は,冠を被り,
きちんとあぐらをかいた姿勢
で描かれている
・烏帽子を被り,足を組んで,
頬杖をつき,疲れ切った表情
で描かれているものがある
・浴衣のような衣を着て,頭巾
を被り,片膝を立てた姿勢で
描かれているものもある
・家康の周囲に雲や狛犬などを
配して,神像のような表現に
なっているものが多い
・神像形式の肖像画に中には,
複製をしたように,細かい点
まで似ているものがある
・.
が変化していくことに対し,
どんな解釈が可能か
指導上の留意点
・それぞれの絵
の制作年代を
確認する
、・
肖像画を比較してみた場合,
2 問いの把握
予想される生徒の回答
◎これまでに出されている解釈
に対して疑問に思う点や反対
意見はないか
・服装や表情についての解釈に
対して,疑問に思う点や反対
意見はないか
・はじめは生徒
相互の討論で
吟味させる
・浴衣のような衣を着て,頭巾
を被った姿というのは,大名
にも将軍にもふさわしくない
・肖像の表情は,家康の心理で
はなく,作者や依頼主の心理
を反映しているはずだ
1.84
・神像形式の肖像が多いことに
ついての解釈に対して,疑問
に思う点や反対意見はないか
◎これまでの歴史学習で学んだ
事実を踏まえ,新しい解釈を
出してみよう
・肖像の家康の服装や表情など
が変化していくことに対し,
どんな解釈が可能か
・民衆は,身分制度などで統制
される立場だったので,家康
を敬っていたとは思えない
・家康自身やその子孫が制作に
関係している絵には,個人的
な思いが込められていて鯛性
的なのに対し,他の作品は,
機械的に制作されていたこと
を示しているのでは
・神像形式の肖像が増える時期
は,鎖国や農民統制の完成期
と一致しているので,家康の
肖像が,幕藩体制を維持する
ために利用されていたことを
示すのでは
・家康の肖像に,神像のような
形のものが多いことに対し,
どんな解釈が可能か
◎資料をもとに,解釈の当否に
ついて吟味してみよう
・「旅姿の芭蕉と弟子」の描写
から,どんなことがわかるか
・F家光の描かせた家康」から
どんなことがわかるか
⑦
⑧
・以一ヒのことから,どのような
ことがいえるか
・事実を踏まえ
より合理的な
解釈をさせる
・必要に応じて
既習の事項を
肖確認する
・系図で家康と
義直らの関係
を確認する
・芭蕉が頭串姿なので,頭巾は
身分とは関係なく,生活の中
で使われていたことがわかる
・家光が,頭巾や浴衣を着した
姿の普段着の家康像を数多く
描かせていることがわかる
・家光は,徳川家康という生身
の人間をかなり熱烈に慕って
いた.
・資料「家康の神格化」の記述
から,どんなことがわかるか
⑨
・資料「東照宮の増減」の情報
から,どんなことがわかるか
⑩
・以上のことから,どのような
ことがいえるか
5 社会的意味
の把握
・家康は,死後の江戸の安全を
気にかけていたこと,幕府が
家康の神格化の許可を朝廷に
求め,東照大権現という神号
を得たことがわかる
・江戸時代には,東照宮は外様
大名の領地にまで建設されて
いたが,明治時代になると,
壊されたり,他の神社に合併
されたりしたことがわかる
・神格化は,幕府の主導で推進
されており,人々が自ら信仰
したわけではない
・徳川家康の肖像画の中には,
◎徳川家康の肖像画の中に多様
な形式のものが見られ,特に
神{象形式のものが多いのは,
彼を人間的に描いた個性的な
ものと,神として描いた様式
なぜだろうか
化されたものが見られるが,
後者の事例が多いのは,幕府
が,家康を神格化して全国の
大名たちに祭らせることを通
して,彼らを統制し,体制の
維持を図ろうとしていたため
であると解釈できる
185
・あくまで解釈
であることを
確認して授業
を終える
《資料1》明治天皇の肖像画
1888年作成(いわゆる「御真影」)
186
《資料2》明治天皇の肖像写真
1873年撮影
187
《資料3》年老いた明治天皇
’
’
ノ ノ
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’
∼
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188
《資料4》勲章の制度の整備
明治政府は,1875年,欧米の制度を参考に旨
して,勲章の制度を定めた。しかし,はじめ
から制度が充実していたわけではなく,その1
後,勲章の種類は徐々に増えていっている。
1888年には,大日本帝国最高の勲章である大
勲位菊花章頸飾が制定されているが,明治期
〔大勲位菊花章頸飾〕
の勲章制度は,一応,
この頃に完成したといってよいだろう。
1889年に発布された大日本帝国憲法では,国民に勲章を与えることは
天皇の大権のひとつとされているが,当時の勲章の制度は,天皇を頂点
として国民を序列化するためのものだったのである。
《資料5》礼服の制度の整備
明治政府は,187茎年,近衛兵を組織し,軍服の制定に取り掛かった。
政府は,軍事制度については基本的にフランスのものを参考にしていた
ので,兵士の服装も,フランス式の,胸部に肋骨のような飾りがついた
デザインのものを採用した。また,1873年には,イギリス海軍の制度に
ならって,礼服・略服・夏服などの区別をすることになったが,軍服の
細部の形式などについては,以前のままであった。
礼服のズボンについては,当初,白いものを用いていたが,1877年,
欧米では,特別な場合を除いて上下とも黒服を着用することがわかった
ため,日本でも黒いものを着用するように変更がなされたということで
ある。
189
《酬6》徳川家康の肖像画
ア 徳川家康(1542∼1616)自身が三方ケ原の戦いG572>の後で描かせた
と伝えられている作品
190
イ 徳川義直α600∼1650)が描いた作品
エ91
ウ 徳川家光G604∼1651)が1641年頃に描かせたと伝えられている作品
192
エ 良純法親王(1619議1671渤の款記がある作品
193
灘
灘鍵.
麟
オ 木村了琢の筆で,天海q536∼1643)の賛がある作品
194
力 幕府が1637年頃に近江国来迎寺に奉納した作品
195
キ 尊敬法親王(1647檎1680没)のものかと推定されている賛がある作品
196
ク 幕府が1651年頃に鳳来山東照宮に奉納したと伝えられている作品
197
《資料7》旅姿の芭蕉と弟子
’ ノ
198
《資料8》家光の描かせた家康
家光が夢の中で見た家康の姿を描かせたと伝えられている
作贔で,これらの他にも同様の作品がいくつも残っている。
199
《資料9》家康の神格化
1616年4月,病の床にあった家康は,「私が死んだら日光に神として
祭ってくれ。そうすれば,江戸や幕府の領地を守ってやろう。」という
遺言を残して亡くなった。
同年6月,幕府は京都に使者を送り,天皇から家康を神とするための
正式な許しを得ようとした。ところが,過去には征夷大将軍を神として
祭った例がなかったため,この要求は,朝廷に拒否されてしまった。
7月になると,幕府は再び,朝廷に使者を送り,家康の神格化を許可
するよう,もう一度強く迫った。そこで,結局,天皇も家康を神として
祭ることを承認し,家康に「東照大権現」という神号が与えられること
になった。
《資料10》東照宮の増減
家康が亡くなった翌年の1617年,日光東照社が建設されたのを皮切り
に,御三家をはじめとする大名たちは,各地に次々と東照宮を建設して
いった。中には,有馬氏のように,外様大名でありながら御三家よりも
早い時期に東照宮を祀ったものもあった。
全国の東照宮のうち創建年代のわかっているものについて,その年代
別に数を見てみると,元和年間から慶安年間(1615∼1652)創建のもの
が,全体の過半数を占めており,非常に多いことがわかる。
東照宮の数は,その後も,わずかずつ増えていっていたが,明治時代
になると,多くの東照宮が,廃止されたり,他の神社に合祀され,所在
不明になったりという運命をたどったようである。
200
〈各資料の出典,または参考文献〉
1 猪瀬直樹「メディアとしての天皇制」(r週刊朝日百科日本の歴史
109』,朝日新聞社,1988年),10−315頁
2 猪瀬直樹 前掲論文 10−314頁
3 海野福寿『日本の歴史18日清・日露戦争』集英社,1992年,296頁
4 宮内庁書陵部の詫間直樹氏の御教示と堀毛一麿「勲章」 (『世界大
百科事典8』平凡社,1972年),607∼608頁,佐藤昌三「勲章」 (『国史
大辞典4』吉川弘文館,1984年),1015∼1016頁の記述を参考に作成
5 宮内庁書陵部の詫間直樹氏の御教示と堀毛一麿「軍服」 (『世界大
百科事典8』平凡社,1972年),626∼627頁の記述を参考に作成
6 高橋三相破編『別冊歴史読本徳川家康その重くて遠き道』新人物
往来社,1978年,口絵図版,岡崎市編『家康の画像と遺品』,1992年,
4∼18頁,岡崎市編『三河武士と家康の肖像画』,1994年,59頁
7 熱田公ほかr中学社会 歴史的分野』大阪書籍,1993年,134頁
8 高橋千旦手編 前掲書 口絵図版
9 今谷明『武家と天皇』岩波書店,1993年,150∼159頁の史料と記述を
参考に作成
10額賀大興「死後,家康はどのようにして祀られたか1(高橋千劔破編
前掲書),218∼219頁,高藤晴俊「主要東照宮一覧」 (『国史大辞典
10』吉川弘文館,1989年),112∼113頁の記述と資料を参考に作成
201
結
研究の成果と今後の課題一
1 研究の成果
論文の冒頭で述べたような目的と方法で研究を進めてきた結果,
以下の成果を得ることができた。
(1}絵画史料活用の意義について
先行研究における指摘を参考にしながら,絵画史料活用の意義
を探っていった結果,絵画史料には,文字資料に対する抵抗感が
強い現代の子どもたちの実態への対応思考力や判断力の育成が
疎かにされてきた従来の歴史教育の問題点への対応, 「新しい歴
史学」が注目を集めている近年の歴史学界の動向への対応,とい
う観点から見てそれぞれ意義のあることが明らかになった。
② 先行研究の残した継承すべき成果について
先行研究の内容分析の結果,歴史教育における絵画史料の活用
については,子どもたちに,まずその絵画から事実的知識(以下,
自然的意味と呼ぶ)を読み取らせた上で,なぜこのような絵が描
かれねばならなかったのかという問いを持たせ,絵画表現とその
絵画の作者の生きた社会の状況との関係をめぐる因果関係の解釈
(以下,社会的意味と呼ぶ)へと向かわせていくことの重要性が
共通して指摘されていることが明らかになった。
(3》教科書における絵画史料の扱われ方の特色について
中学校歴史的分野の教科書を分析した結果,教科書では中世・
近世の部分を中心に絵画史料が非常に重用されているものの,そ
の史料の制作年代確認に役立つような情報を添えずに,単に絵画
203
史料のみを掲載している事例が多く,史料読解を困難にしている
ことがことが明らかになった。この傾向は外国の史料に著しい。
(4》絵画史料を利用した授業実践に見られる特色と問題点について
雑誌および単行本から収集した200件の実践事例を対象に,
そこに見られる傾向や問題点の分析を行った結果,自然的意味の
読み取りの段階に留まっているものが多く,社会的意味の把握へ
と到達させている事例は,全体の2割弱しか見られないこと,お
よび,自然的意味の読み取りや直観的解釈の段階では,複線的な
展開をしている事例が多いのに対し,問いの把握の段階や解釈の
吟味の段階では,単線的な展開になっている事例の方が多く見ら
れる傾向にあること,社会的意味の把握に至らせている実践でも,
「新しい歴史学」の精神を生かしていると思われる実践はきわめ
て少ないことが明らかになった。また,絵画史料を用いた実践の
中には,絵画の主題とは本来無関係に描かれた絵画中の要素や表
現法に着目させ,子どもたちに問いを持たせるものもあること,
そして,この要素や表現に着目させるには,他の絵画史料(ない
しは,それに準ずるもの)との比較をさせることが有効であるこ
とも,明らかになった。
(5}歴史学における絵画史料読解方法論について
絵画史料を用いた歴史学者や美術史学者の論考の中から,研究
方法,あるいは結論から見て「新しい歴史学」の精神を生かした
研究となっていると判断でき,なおかつ,追究の過程が複線的に
なっている事例を抽出し,そこで用いられている方法論の解明を
試みた。その結果,黒田日出男氏による,ある一定期間の権力者
の肖像画群を史料として,彼らの心理と政治体制の変化の関係に
204
ついて考察した論考における研究の方法や,多木浩二氏による,
同一人物の肖像画と写真を史料として,肖像画に施された虚構性
と当時の社会状況との関係について考察した論考における研究方
法が,授業の構成に応用可能であることが明らかになった。
(6}絵画史料を活用した歴史授業の構成原理について
上記の(1》∼⑤での研究の成果をもとに考察した結果,絵画史料
を活用して「新しい歴史学」の精神を生かした授業を構成するに
は,以下の諸点に配慮する必要のあることが明らかになった。
・時間の多層性の認識,または,虚構性を含む史料からの事実の
読解を,授業の目標の中に組み込むようにする。
・時間の多層性の認識,または,虚構性を含む史料からの事実の
読解を行わせるのに適した絵画史料を準備する。
・制作年代に関する情報を添えて,絵画史料を提示する。
・絵画の要素や表現に着目させたい場合には,他の絵画史料また
はそれに準ずるものとの比較を行わせる。
・授業の過程は,自然的意味の読解,問いの把握,直観的解釈,
解釈の吟味,社会的意味の把握の各段階から構成する。
・問いの把握の段階では「なぜ,このように描いたのか」という
因果関係についての問いを持たせるようにする。
・解釈の吟味の段階では,できるだけ子ども相互の検討により,
解釈が合理的なものに練り上げられていくようにする。
⑦ 絵画史料を活用した歴史の授業モデルについて
⑥で示した原理にもとづき,時間の多層性をとらえさせること
をねらう授業モデルと虚構性を含む史料から事実をとらえさせる
ことをねらう授業モデルとを,具体的に提示した。前者は,ある
205
一定期間に一定の地位に即いていた人々の肖像画群を比較させ,
そこに見られる共通点や相違点に着目させて,それらが意味する
ものを追究させていくという方法により,歴史の表層部と深層部
の双方をとらえさせることをねらうものとした。また,後者は,
虚構性を含んだ絵画とそれと同じ主題を扱った写真を比較させ,
絵画に見られる虚構性に着目させて,そこに加えられた虚構性の
意味について追究させていくという方法により,歴史的な事実を
とらえさせることをねらうものとした。
2 今後の課題
本研究で示した授業モデルの有効性は,あくまでも仮説的なもの
である。従って,本授業モデルにもとづいて実際に授業を試み,
その有効性の確認,あるいは問題点の抽出と改善を行っていく必要
ある。また,ここで示した2つのモデルは,結果的にではあるが,
いずれも肖像画を主たる絵画史料として用いたものとなっている。
よって,肖像画以外の絵画史料を用い,なおかっ,同様のねらいを
達成できるような,他の授業モデルを開発していくことも,今後の
課題としていきたい。
206
謝
辞
本論文の作成にあたり,指導教官の原田智仁先生には,終始,きめの
細かい御指導を頂き,研究面についてはもちろんのこと,教育者として
の御姿勢にも,学ばせて頂くべき点が多々ありました。私がこの論文の
完成を見ることができたのも,原田先生との出会いがあったればこそと
思います。厚く,御礼を申し上げます。
また,岩田一彦先生には,教科教育の真の発展につながる研究のあり
方などについて教えて頂くとともに,授業モデルに対する御助言を頂き
ました。中村哲先生には,研究に取り組む姿勢,特に実践事例を重視す
ることの大切さを教えて頂くとともに,私の研究の不充分な点に対して
御助言を頂きました。尾原康光先生には,社会科の授業を見直していく
ための新しい視点を教えて頂くとともに,さまざまな場面で研:究の推進
を支えて頂きました。さらに,柴田一先生,河村昭一先生他の社会系の
先生方には,社会諸科学の研究方法や最新の研究成果など,論文作成の
上でも参考になることがらを教えて頂きました。以上の各先生方に深く
感謝申し上げます。
また,私に貴重な研修の機会を与えて下さるとともに研究を側面から
支えて下さった,愛知県および名古屋市の各教育委員会の方々や,伊豆
原充前校長先生,早瀬憲一現校長先生をはじめとする名古屋市立浄心中
学校の新旧の職員の方々にも,深く感謝いたします。
以上に御名前を記させて頂いた方々以外にも,多くの方々に出会い,
御世話になった2年間でした。本当に,有難うございました。
1994年12月20日 佐藤 廣
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