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中国の「三大改革」の現状と展望(PDF:419KB)

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中国の「三大改革」の現状と展望(PDF:419KB)
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1999年
1999年7月No.
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中国の
中国の「三大改革」
三大改革」の現状と
現状と展望
I.序論
1.改革・開放後の中国経済
改革・開放路線は、1978年末の中国共産党第11期3中全会によって決議された経済発展戦略転換を起源と
する。過去3回の失脚を乗り越えて政治舞台に復活したトウ小平の指導のもと、社会主義を堅持しながら積
極的に外国から資本、技術を導入して経済成長を図る対外開放政策がスタートした。そこには、文化大革命
で疲弊した社会、経済を建て直す意図があったことは当然であるが、アジア諸国と比較しても中国一般人民
の所得はあまりに低く、今後、経済成長に伴う人民の生活水準の向上を実現しなければ、中国という国家も
共産党政権も将来はないという危機感があったと推測される。
以後、経済特別区、沿海開放都市、経済技術開発区、デルタ経済開放区、半島経済開放区、辺境開放都
市、ハイテク産業開発区など、一連の外資を導入する地区が誕生し、また、これに呼応するように香港企業、
台湾企業を主体とした大量の外資が進出した。一方で、社会主義市場経済が推進され、起業ブームが起こ
り、国内に無数の企業家、ベンチャービジネスマンなどが生まれた。
海外から流入する資本、技術、経営ノウハウと、国内の潤沢な労働力、スペースが生かされて、中国に高度
経済成長がもたらされた。開放経済体制に踏み切った後の80年代前半に高い成長期を迎え、89年の天安門
事件を挟んで低迷する時期もあったが、90年代前半には再び高度成長を謳歌した。これに伴い、一人当たり
GDPは順調に増加した(図1)。98年の一人当たり所得は、米ドル換算すれば約770ドルに過ぎないが、80年
当時の14倍に達している。トウ小平の意図した「まず人民の懐を豊かにさせる」という大計は実現したとみる
図2 都市住民家庭と農民家庭の一人当たり年収(1997年)
2.噴出してきた矛盾
経済の発展、人民の所得増加が改革・開放経済の光とすれば、当然影もあり、その影が逐年、色濃くなって
いる。ここでは、人民の生活にも密着した問題点を列挙したい。
まず地域による所得格差が生まれ、人民の間に極端な貧富の差が生じた。社会主義統制経済の時代には、
人民の生活は相対的に貧しくとも、極端な貧富の差はなかった。社会を貫いていたものは「不患貧 患不均
(乏しきを憂えず、等しからざるを憂う 孟子)」という観念であったといえよう。ところが開放体制がスタートし、
トウ小平の先富論(富める地域から先に富んで良い)が提起されて、沿海部と内陸部、都市と農村との間に大
きな貧富の差が生まれた。図2は、人民の所得が相対的に高い省・特別市の都市家庭と、相対的に低い省
の農民家庭の一人当たり年収を示しているが、広東省と甘粛省の間には約8倍もの格差がある。
小林重雄
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三大改革」の現状と
現状と展望
また、膨大な外資の進出に加えて、中国国内での起業が奨励されて、伝統的な国有企業、郷鎮企業以外に
も無数の外資系企業、私営企業、個人企業などが生まれた。その他企業と呼称されるこれら企業群は、経営
効率が国有企業、郷鎮企業より高い例が多いため、従業員の給与水準も高い(図3)。このため、これら企業
の経営者、経営幹部、管理職などと国有企業社員との間にも年々、所得格差が生じている。都市部のサラ
リーマン階層にも貧富の差が確実に生まれ、極端な例では、外車を乗り回す階層と自転車しか持たない層と
に分極化している。首都・北京には全寮制の私立高校が誕生し、生徒一人当たりの年間授業料が円換算で
300万円にも相当するが、それを楽々と負担できる親がいる一方で、国有企業に長年勤めた多くの老社員が
レイオフされて月々3,000円程度の生活費しか支給されず、実質上路頭に迷っているのも、今日の中国の現
このような社会主義下における所得格差は、必然的に多くのゆゆしい社会現象を生んでいる。人民の拝金主
義、高収入を求める農民の都市への大量移動(民工潮と呼称)、これに伴う農村の荒廃、将来の食糧不足の
危惧、都市の治安悪化、党員・官僚の腐敗、行政機構ぐるみの脱税幇助や密輸、軍、警察、裁判所のサイド
ビジネスなど、本来、社会主義統治の下であってはならない事象であり、治世上の矛盾と呼ぶべきものであ
政治面では社会主義一党独裁を堅持し、経済面では市場経済を推進したため、法整備の遅れが突出し、党
権力の恣意的横行をチェックする機能がないことが年ごとに顕現化してきたといえる。市場経済を加速させる
反面で、これまで社会主義市場経済の明確な定義が開示されたことはなかった。このために、本来、市場の
監視員、審判員の役割を果たすべき党・政府機構が役割を果たさず、自ら市場の直接プレーヤーとして事業
に参画する余地を残し、結果的に彼らが独占的取引、インサイダー取引に携わるという事態を引き起こす。今
日の中国で「権力の権(中国語でチュエン)を持つ者が銭(同チエン)を持つ」と揶揄される所以である。
端的な例を挙げれば、増値税の輸出還付制度が94年から施行されたが、その後、頻繁に還付率の引き下げ
や課税対象価格の変更がなされた。根本的原因は、増値税の徴収額より輸出還付額の方が多かったからで
あり、背後には輸出業者、税関官吏、税務署官吏、中央や地方の党幹部が共謀した、大量の輸出書類偽造
に伴う還付金詐取(中国では「仮輸出真退税」と表現)がある。
また、沿海都市の経済発展に比べて取り残されたような地方の幹部が不公平の念に襲われ、財政資金を流
用して拙速的に開発区を造成して外資を呼び込もうとし、その結果、財政資金不足となって、住民に支払うべ
きものを支払えない事態がこれまでに頻発している。
中国地場紙によれば、98年に共産党規約違反で処分された党幹部は15万8,000人、検察機関が捜査中の汚
職事件は3万5,000件、そのうち政府機構の課長級以上の官吏でかかわっている者が1,820人いる。なお、こ
のような被摘発者は、全体の一部分に過ぎない。
法整備の遅れも、つとに指摘されている。開放と軌を一にして多くの新法が制定されてきたが、なお法治に
至っていない。98年10月、広東国際信託投資公司が経営破綻し、信託投資公司の林立と経営不振問題が注
目されたが、80年代の最盛期には1,000社近い信託投資公司が存在していた。しかし、今日に至っても「信託
投資公司法」は制定されていない。
経済、産業構造の上でも、ゆゆしい問題が噴出してきた。社会主義経済を、実物的にもイデオロギー的にも
支えてきた国有企業の競争力喪失である。国有企業は、極論すれば人民を食わせるための小社会であり、
社会主義の理想を実現する場であった。ところが、改革・開放体制、市場経済化が推進されれば、強大な国
際競争力を有する外資企業がとうとうと流入し、他方では、国内の起業の隆盛で創設された私営企業、個人
企業などが生存を賭けて企業努力し、競争力を具備するようになる。こうした趨勢の中で、統制経済の遺風
から脱し切れない国有企業の大部分が、製造・生産、国内販路、輸出などの分野で優位を失いつつある。
これと密接不可分の関係にあるのが、金融システムである。中国の金融機関の主体は国有銀行であるが、
統制経済の下では、国有銀行の国有企業向け融資は財政資金の配分という感覚であった。融資を受ける国
有企業も、借入金という意識に乏しく、財政資金を供給されたという感覚に近いのが実態であった。
しかし、開放経済で流入する膨大な外資のもと、中央政府には金融政策や、マクロコントロールが求められ、
国有銀行にも、金融政策に沿った優良企業への支援、審査能力の向上が求められた。しかし、国有銀行の
審査能力は育成されてこなかったのが実情であり、党・政府の指導や干渉の下で国有企業に融資を続けて
きた傾向にある。国有企業が経営不振となれば、必然的に国有銀行の不良債権も増大する。国有企業の多
くが改革を要する事態に陥り、国有銀行を主体とした金融システムも改革を急がなければならない時期を迎
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3.改革の必然性
このように経済が発展し、人民の生活向上が実現する一方で、革命はなお終わっていないという主張に基づ
く一党独裁の下で、国家と人民がどこへ向かって進むのか、漠然として行方の定まらない混沌状態、時代の
進展に合わなくなった行政組織と機能、さらには世界の先端をいくような技術や経営ノウハウを有した外資や
民営企業に比べ、時代の潮流に取り残されつつある国有企業と国有銀行などが、早急に改革されなければ
ならない課題として浮上してきた。
中国が近代国家、大国と呼称されるためには、時代の実情に則した法制度を完備し、高能率の行政機構を
確立し、客観的で公正な司法制度を樹立する必要がある。すなわち、法的に存立を保証された法人や個人
の存在、あるいは引き締まって規律ある行政組織、党や軍、官僚組織の絡んだ密輸やインサイダー取引など
がないような、正義が生かされる社会、都市住民か農民かに関係なく、働く喜びと夢を描けるような社会など
が実現されなければならないであろう。
4.「三大改革」とこれを取り上げる事由
多様の改革を必要とする現在の中国が、最重要かつ喫緊の課題として取り組んでいるのが国有企業の改
革、金融システムの改革、行政機構の改革である。このゆえに、本稿では「三大改革」として、その現状と展
多くの改革の中で「三大改革」が特に重要なのは、国有企業、金融システム、行政組織は国家運営の根幹
で、相互にリンクした関係にあり、いずれかの改革に成功すれば、他の改革も進展するからである。しかも共
産党が国家を指導する力を有している今ならば、改革に着手できる。市場経済化が進展すれば、人民は旧来
のイデオロギーに捕らわれない価値観を持ち、政治の自由も求めるのが社会の必然である。このような趨勢
下で「三大改革」が失敗に終われば、大きな社会変動は避けられない。しかし、今から数年のうちなら、共産
党には抑え込む力が残っている。そして「三大改革」に成功すれば、スリム化した効率のよい行政機構、国際
競争力を具備し、財務内容も優良な国有企業、金融政策に則して機動的に動き、優良企業を育成し得る金融
システムが誕生する。それは副次的に、規律ある社会、夢の描ける人民生活の実現をもたらし、中国共産党
の党・国家体制の下での理想に叶うものでもある。このようにみてくると「三大改革」は、力の劣化が憂慮され
断言できることは、「三大改革」がどのように進展するにせよ、その結果は自由主義、資本主義国の人々が予
想するものとは異なるということである。一党が絶対権力を有している状況下での行政改革は、党内の綱紀
粛正などの面で不徹底さを免れ得ないであろう。「絶対的権力は絶対的に腐敗する(アクトン)」という言葉が
あるが、中国にとって重い課題である。国有企業改革もいくつかの難問を解決していかなければならない。99
年3月、全国人民代表大会では、私有制経済に一定の位置付けが与えられたが、なお社会主義公有制が主
となっている。国有企業の株式化、民営化などを断行しても、株主が国家であれば、所有形態が変わるだけ
の不徹底さに陥る懸念がある。金融システム改革においても同様、国有銀行幹部が同時に党の幹部でもあ
る現状で、銀行が党の干渉を完全に排除できるのか否か、問題が残ろう。
「三大改革」が少しでも成功すれば、行政効率、国有大企業の国際競争力が向上し、中国は近代化、大国化
へ大きく前進する。しかし、社会主義をどの程度変質させ、時代の潮流に合ったものにしていくのか、共産党
に次代を開くアイデンティティーの確立が求められる。それがない限り、「三大改革」の成果は限られたものに
II.国有企業改革の現状と展望
1.問題意識と研究目的
中国においては、国有企業とは、企業の資産が国(政府)によって所有されている企業を意味している。国務
院(内閣)は国有企業に対して、所有権をいつでも行使することができる。中華人民共和国の成立当初から、
国有企業は長期にわたって経済発展の中心であった。ところが、計画経済体制から市場経済体制への移行
に伴って、数多くの国有企業が経営悪化に陥っている、ということがいわれ始めてからすでに久しい。「国有
企業改革」という言葉も、いまや「懐かしのメロディー」の感がある。国有企業改革は、すでに21年前の78年12
月からスタートしたが、残念ながら現在でも国有企業部門全体の赤字問題は解決されていないばかりではな
く、問題解決のための正しい方策も見出だされていないようである。
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当然、国有企業の赤字問題に関しては、中国の学者や政策担当者の間で様々な議論や提案がなされ、多く
の施策が試みられている。とりわけ、朱鎔基首相は98年3月19日の首相就任記者会見で、「3年の時間をか
けて、大多数の大・中規模の国有企業を赤字状態から脱出させ、今世紀末までに大多数の大・中規模の国
有企業で近代的企業制度(株式制)を初歩的に確立する」と公約したため、(注1)国有企業改革について再
び内外の注目が集まった。実は、97年の党大会ですでに国有企業の株式制導入をはじめとする所有制の構
造改革、過剰設備の廃棄や赤字企業のリストラなどによる産業構造改革などの方針を打ち出しており、紡織
業を改革の突破口に「大多数の大・中規模の赤字国有企業を苦境(赤字状態)から脱出させ、今世紀末まで
に大多数の大・中規模の国有企業で初歩的に近代的企業制度を確立する」ことを具体的な目標として設定し
ていた(江沢民総書記の政治報告)。(注2)したがって、国有企業の株式制導入と構造改革の方針は目新し
いものではないが、注目すべきは、3年間で赤字脱出の目標を達成すると公約したことである。こうした国有
企業赤字脱出の目標は、後には、マスコミにより「朱鎔基の『国有企業改革3カ年計画』」と呼ばれるように
さて、朱鎔基内閣は、なぜ国有企業の赤字問題をそれほどに重視するのであろうか。朱鎔基の「国有企業改
革3カ年計画」の対象、目標、およびその進展状況は、はたしてどのようになっているのであろうか。
IIでは、以上の問題意識を踏まえ、国有企業改革に関する考察と分析を試みるが、主な狙いは、朱鎔基の
「国有企業改革3カ年計画」の背景、目標、およびその実施状況を考察することによって、その進展状況と問
題点を明らかにすることである。
なお、IIの構成は以下の通りである。II.2では、国有企業改革の背景と経緯を概観する。II.3では、朱鎔基の
「国有企業改革3カ年計画」の目標とその進展状況を考察する。II.4では、以上の考察と分析の結果を、国有
企業改革に関する現時点での中間評価としてまとめ、国有企業改革の今後の展望を試みる。
2.国有企業改革の背景と経緯
(1) 中国の国有企業の現状
中国においては、1952年当時、国有企業の工業総生産に占めるシェアは41.5%であった(図4)。意外に高い
と受け取る向きもあろう。これらの多くは、第2次大戦後、中国における日本、ドイツ、イタリアなど敗戦国の企
業や工場が国民党政権によって国有化され、革命後、共産党政権に接収された企業である。52年当時、「個
人企業」が20.6%、「その他企業」が34.7%と大きいのは、大部分がいわゆる「民族資本家」の企業であったか
らである。「民族資本家」とは、いわゆる「搾取階級」ではあるが、革命に協力する限りにおいて、その存在を
容認された。しかし、それは57年までであり、それ以後はいわゆる「社会主義的改造」(「公有化」ともいう)の
対象とされ、逐次、国有企業あるいは集団所有企業に改組された。ひとたび「公有化」が始まると、その波は
「搾取階級」とはいえない「個人資本家」にまで及び、民族資本に追随して個人資本までが、農村部では「人
民公社」に、都市部では国有企業あるいは集団所有企業に吸収された。
こうして「公有化」への移行がピークに達した65年には、国有企業の生産シェアは全工業生産シェアの90.1%
に達し、「すべての工業企業の国有化」という指標はほとんど実現したかにみえた。毛沢東は、『政治経済学
読書ノート』の記述からも明らかなように、この指標こそが「社会主義の完成度」を表すものとみていた。だが、
「生産力」の発展段階を超えて、ひたすら「生産関係の変革」を追求する毛沢東路線の下で、工業生産の低
迷、ひいては経済活動の混乱が引き起こされ、指導部はその調整を余儀なくされた。国有セクターとして不適
切な工業企業は、再び非国有化されたが、所属先は「集団所有企業」への格下げにとどまり、「個人企業」や
「私営企業」への転換は厳禁された。改革・開放路線へ転換した78年には、国有企業の工業総生産に占める
シェアはなお77.03%を占めていたが、92年から93年にかけて、ついに5割を割り込んだ。そして96年には3割
台を割り込み、97年現在、工業総生産額の4分の1(25.52%)にまで減少した。
このような現状にあって、もし国有企業こそが社会主義経済の担い手であるという考え方に立つならば、今日
の中国は、すでにその担い手を失っているともいえよう。国有企業に対峙しているのが「個人企業」と「その他
企業」である。「その他企業」は、50年代には「民族資本家」の企業であったが、80~90年代には、主として私
営企業(従業員8人以上)、外資系企業、株式制企業となった。私営企業は改革・開放後、非常に速いスピー
ドでシェアを拡大しているが、外資系企業も強力な市場競争力を武器にシェアを拡大し、92年当時、わずか1
割であったシェアを、97年現在、すでに2割の大台に迫る水準にまで拡大している。株式制企業の多くが、国
有企業からのいわゆる民営化企業であるが、96年末にはすでに9,600社に達したという。(注3)
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このように、国有企業の衰退と「個人企業」、「その他企業」の躍進は明らかであるが、比較的不明確なのは
「集団所有企業」である。改革・開放以前の75年当時、シェアは18.90%であり、主に農村部の生産合作社所
有企業と都市部の区民集団所有企業とから成っていた。改革・開放以後、「集団所有企業」は3割台を維持
し、徐々に最大のシェアを占めるようになった。
このように、20年間にわたる経済改革に伴い、単一の公的所有形態(国有企業と集団所有企業)が支配する
生産体制から、多様な所有形態が並存する生産体制へ移行しつつある。
97年には、中国の工業分野には合計792万2,900社の企業が存在し、そのうち、国有企業は9万8,600社であっ
た。すなわち、国有企業の企業数の割合はわずか1.25%に過ぎず、それ以外は集団所有企業、個人企業、
私営企業、外資企業、株式制企業などである。確かに、国有企業の数は、他の形態の企業数と比較してそれ
ほど多くはないが、その工業生産額は中国の工業総生産額の25.52%、固定資産純額は全工業企業の
63.52%、従業員数は65.0%を占めている(表1)。
こうした状況は、改革・開放政策が実施されて以来、所有形態が急速に多様化しているにもかかわらず、中
国経済に占める地位や国家財政への貢献度(図5)、または社会や経済の安定維持といった面からみたと
き、国有企業が依然として中国経済の重要な存在であり、極めて重要な役割を果たしていることを示してい
る。したがって、国有企業改革の重要性については、いくら強調しても強調し過ぎるということはない。
(2) 国有企業の赤字問題
前述の通り、国有企業は今なお、中国経済において重要な地位を占めているが、国有企業には経営自主権
が欠如しており、また政府の行政機能、政党の政治機能、様々な社会的機能などを負っているという問題が
あって、経営効率が悪い。このため、国有企業の赤字問題はますますひどく、無視できないところまで来てい
表2は、78~97年の20年間に、国有工業企業全体に占める赤字国有企業の割合、赤字国有工業企業の赤
字(欠損)総額、国有企業の黒字(利潤)総額を表したものである。78年に、国有工業企業全体に占める赤字
企業の割合はわずか23.9%であったが、97年には43.9%を占めるようになった。78年に、国有工業企業の赤
字総額は、国有工業企業の利潤総額の9.6%であったが、91年には126.6%、さらに97年には、205.3%にも達
このような国有企業の赤字問題の厳しさに直面して、中国当局はその解決に力点を置くこととなった。その理
由は、以下の2点にある。1つは前述の通り、国有企業が長期にわたって国家財政の主な収入源であるから
である。もう1つは、赤字国有企業の割合や赤字額が年々増大し、近年、赤字国有企業の赤字額が毎年、黒
字国有企業の黒字額(利潤)を上回っており、黒字国有企業の得た利潤が赤字国有企業の赤字(欠損)に
よって帳消しにされているからである。
(3) 国有企業改革の経緯
朱鎔基内閣の「国有企業改革3カ年計画」を検討する前に、まず中国国有企業改革の経緯を振り返ってみよ
78年末の改革・開放路線への転換に伴って、中国国有企業の改革がスタートした。表3は、中国の国有企業
改革の流れを、各段階ごとにまとめたものである。
国有企業改革の最初の段階(78~86年)では「経営自主権拡大」、その後87~92年秋に「経営請負制」が実
施された。だが、こうした改革の施策は、いずれも国有企業の経営悪化問題を解決しなかったため、その後、
92年秋から「近代的企業制度」改革がスタートした。ここでは、国有企業改革の各段階の経緯を詳しく検討・
展開することはできないが、以下では、現段階の改革の位置付けについて簡単な説明をしておきたい。
国有企業改革全体の流れの中で、現段階の改革は「近代的企業制度」改革に位置付けられる。「近代的企
業制度」とは、一言でいえば、市場経済国家における株式会社と有限会社をモデルとする企業制度である。
中国当局は92年10月以降、従来の「経営自主権拡大」と「経営請負制」を特徴とする「放権・譲利」による「政
策調整型改革」から、「近代的企業制度」の確立による制度改革へ方向転換することを決定した。95年には、
さらに「大・中規模の国有企業をしっかりと管理し、小規模の国有企業を自由化・活性化する」方針が公表さ
れ、また97年の党大会で、株式制導入による所有制の構造改革と赤字企業のリストラによる産業構造改革
の方針が打ち出された。後述する朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」(国有企業の赤字脱出)は、このよう
な改革の流れの中に位置付けられている。
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3.朱鎔基の「国有企業改革3ヵ年計画」とその進展状況
さて、朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」の対象、具体的な目標、およびその進展状況は、どのようになっ
ているのであろうか。
(1) 朱鎔基の「国有企業改革3ヵ年計画」の対象と目標
98年3月以降、「国有企業改革3ヵ年計画」が実施されてきたが、まずその対象企業がどれかをみてみよう。
97年現在、中国の工業分野には累計792万2,900社の企業があるが、そのうち、国有工業企業は9万8,600社
余、独立採算の国有工業企業は6万5,900社、その中で、大・中規模の国有工業企業は1万4,820社を数え
る。赤字国有工業企業は、国有企業全体の43.9%を占めており、うち大・中規模の赤字国有企業は約8,000
社である。「国有企業改革3カ年計画」は、すべての国有企業を対象とせず、主に大・中規模の赤字国有企業
(約8,000社)を対象としているが、このうち赤字脱出重点企業はわずか2,300社である(表4)。
次に、朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」の具体的な目標は何かをみてみよう。「国有企業改革3カ年計
画」を考察するに当たっては、それを「1つの目標と2つの重点」に概括することができる。
「1つの目標」とは、3年間で全国の大・中規模の国有企業を基本的に赤字状態から脱出させることである。
具体的には、以下の3点に絞ることができよう(表4)。
1. 大多数の大・中規模の国有企業が、黒字と赤字を相殺した後、経済効果を著しく好転させ、かつ企業利潤
が大幅に増加し、競争力のある大企業と大規模な企業グループが誕生し、経済における国有企業の支配力
が大幅に増大する。
2. 重点2,300社の国有企業の赤字脱出については、98年はその4分の1前後の赤字脱出、99年はその3分の
1前後の赤字脱出、2000年の目標は残る対象企業すべての赤字脱出を目指すこととしている。
3. 大・中規模の国有企業(約8,000社)の赤字脱出については、98年はその3分の1前後の赤字脱出、99年も
その3分の1前後の赤字脱出、2000年は残る国有企業すべての赤字脱出を実現化し、長期間にわたる赤字
企業が、基本的に淘汰されることを目指している。
「2つの重点」とは、(1)紡織業界の赤字脱出、(2)再就職プロジェクトの実施を指す。
(1)の「紡織業界の赤字脱出」については、中国の国有紡織企業の赤字額は、93年から5年連続して大幅に
増加し、93年に19億元の赤字を計上して以来、96年に106億元、97年にも90億元以上に膨らんでいる。96年
には、国有紡織企業は全体の42%の企業が赤字で、国有工業企業全体の赤字比率37%を5ポイント上回っ
た。また、赤字紡織企業の従業員総数は、国有紡織企業の従業員総数の約半分を占めるという。したがっ
て、同業界の赤字脱出を図るための具体的な施策として、今世紀末までの3年間に、全国の紡織機1,000万
錘を強制的に廃棄することを目指している。もしも同業界が赤字脱出を実現するならば、国有企業改革全体
にとって、良好な波及効果をもたらすものと期待されている。
(2)の「再就職プロジェクトの実施」については、主な措置は余剰人員の「分流」と「下崗」である。「分流」とは、
サービス業などの新規事業を興すことによって国有企業の余剰人員を吸収し、徐々に企業本体から分離する
ことである。「下崗」とは、いわゆるレイオフである。レイオフされた人々は、みな、再就職サービスセンターに
送られ、生活補助金の給付、職業訓練、再就職の斡旋などの世話を受ける。一時帰休者への生活補助金に
関しては、財政、企業、および社会統籌(失業保険基金)の3者が資金を出し合って財源を確保すると同時
に、雇用の道を開くため、非国有セクターと第三次産業の発展を促進し、雇用拡大や再就職を支援する役割
を果たしている。こうした再就職プロジェクトによって、2000年までに紡織業界の余剰人員120万人の再就職を
(2) 98年の改革目標とその実績
1) 98年の国有企業改革の目標
朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」の1年目である98年の改革目標は、次の通りであった。
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まず、国有紡織企業の赤字脱出は、国有企業全体の赤字脱出の突破口とされたが、98年の目標は、旧紡織
機480万錘を強制的に廃棄し、余剰人員の削減による一時帰休者60万人を再配置し、赤字額を前年比30億
元削減することである(表5)。
次に、大・中規模の国有企業(約8,000社)については、3分の1前後の赤字国有企業の赤字脱出問題を解決
することである。
第3に、2,300社の赤字脱出重点企業については、4分の1前後の赤字国有企業の赤字脱出問題を解決する
ことである。
第4に、国有工業企業全体の利潤を451億元以上に増やすことである。
2) 98年の国有企業改革の措置
前述したように、98年の改革目標を順調に達成するため、朱鎔基内閣は次のような改革措置を採った。第1
に、「大規模の国有企業をしっかりと管理し、小規模の国有企業を自由化する」政策を引き続き実施し、国有
企業の合併・破産を推進させることである。
第2に、大・中規模の国有企業に経営陣を監督する監察特派員を派遣することである。98年6月26日に第1
期重点国有企業監察特派員学習班の卒業式が行われ、21人の副部長(副大臣)クラス以上の監察特派員が
相次いで国有企業の生産現場に派遣された。これらの監察特派員の任務は、次の2点である。1つは、国有
企業内の各部門の責任者および従業員に対するヒアリングによって、経営陣や経営状況を把握することであ
る。もう1つは、国有企業の財務諸表、各種会計帳簿、関連書類の審査によって、国有企業の財務状況、財
務返済能力、収益力、利潤配分、資産運営と国有資産価値の維持・増大などに関する実態を評価し、また場
合によっては、専門的な会計審査機関による立ち入った再審査をするように、中央政府の国務院に提言する
第3に、一時帰休者の基本生活問題を適切に解決し、あらゆる手段を尽くして再就職プロジェクトを実行する
ことである。一時帰休者を再就職サービスセンターに送り、その基本的な生活費および医療費の支給を保証
第4に、失業者やレイオフされた人々の社会保障問題を処理することである。中国当局(国務院)は97年に、
社会保障制度整備に関する通達を出し、全国統一の都市部の就業者に対する社会的積み立てと個人勘定
を結合する養老(年金)保険制度、医療保険制度の創設、商業保険と社会救済制度の強化などを各機関や
企業に求めた。また、中央政府は、各地区レベルの市(省政府に直轄される市)以上のすべての都市で、住
民の基本生活保障制度の創設を98年度内に完成させ、さらに条件が整った県と鎮においても、早期の制度
創設を促した。そのほか、都市部の住宅積立金制度も創設され、持ち家を促進する住宅制度改革が加速さ
第5に、「国有企業改革3カ年計画」の突破口である国有紡織企業改革を積極的に推進させることである。中
国の国有紡織企業改革においては、91年にも紡織機廃棄の大号令が発せられたが、92~96年の期間中に
は、地方の権益優先などにより、紡織機廃棄が結局21万錘のみにとどまった。また、東部沿海地域では、こ
れによって紡織機総数が確かに削減されたが、残念ながら、東部沿海地域で廃棄された多くの紡織機が西
部内陸地域に移設されてしまった。つまり、紡織機の廃棄という所期の目標がほとんど達成されなかった。こ
うした状況を踏まえて、今回の国有紡織企業改革においては、中国当局は以前の轍(てつ)を踏まないため
に、紡織機の移設や売却ではなく、行政手段と経済手段を結び付けて強制的に廃棄を断行することになっ
た。古くからの紡織生産基地である上海をはじめ、青島、天津、武漢、済南、大連の6都市が紡織機の廃棄・
朱鎔基内閣は、紡織機1,000万錘廃棄計画を予定通り実施するために、以下のような改革措置を採った。
1. 紡織機1万錘を削減するごとに300万元の財政補助金を支給し、財源は中央政府と地方政府が半分ずつ
負担する。
2. また、200万元の利子補給融資を行い、利子補給は地方政府で負担する。
3. 銀行の貸し倒れ準備金から100億元を、紡織業の構造調整の大型案件にかかわる不良債権の処理に充
4. 紡織製品の輸出を支援・拡大する。98年には、紡織製品の増値税の輸出還付率を9%から11%に引き上
げ、欧米向け輸出紡織製品のクォータ総量の15%以上を、輸出自主権のある紡織企業に直接割り当てる。
5. 紡織機械の国内販売については「生産許可証」・「購入認可証」制度を厳格に実施し、紡織加工能力の新
規増設を厳しく抑制する。同時に、紡織機の輸出を奨励し、輸出クレジットを供与し、増値税を全額還付する。
6. 綿花の供給方法を改善し、6%の価格変動を認める。また、輸入綿に代えて新彊綿を利用し輸出する場
合、綿花価格を50キロ当たり90元引き下げ、増値税を徴収しない。(注5)
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3) 98年の国有企業改革の実績
「国有企業改革3カ年計画」の第1年目である98年の国有企業改革の実績については、今回の調査によっ
て、以下のことが明らかになった。
まず第1に、大・中規模の赤字国有企業(約8,000社)についてみると、98年の1年間で、その約3分の1が基
本的に赤字脱出を果たした。(注6)
第2に、2,300社の赤字脱出重点企業についてみると、98年には約4分の1強が基本的に赤字脱出を果たし
た。(注7)
第3に、国有企業改革の突破口とされた紡織業についてみると、98年の実績は以下の通りである。
512万錘の紡織機が廃棄された。これも当初の目標(480万錘)を上回った。
66万人の余剰従業員がリストラされた後に、再配置された。これも当初の目標(60万人)を上回った。
国有紡織企業の赤字額は、97年に90億元であったのに対して、98年に64億8,000万元にまで削減された。(注
8)すなわち、98年の赤字削減額は約25億元で、当初の目標(30億元)にわずか5億元及ばないだけであっ
このように、98年の改革対象企業の赤字脱出は一定の成果を上げ、既定の目標をほぼ達したといえるが、後
述するように、問題点も依然として多く残っている。
(3) 99年の改革目標と改革措置
98年の実績を踏まえ、99年3月に、朱鎔基内閣は新しい改革目標を提示した。(注9)
第1に、大・中規模の赤字国有企業(約8,000社)については、99年の改革目標は、そのうちの3分の1の企業
の赤字脱出問題を解決することである。残りの企業については、2000年に赤字を基本的に解決する予定であ
るが、国有企業全体に占める赤字国有企業の割合を、正常な水準(15%前後以下)まで低下させることが目
第2に、2,300社の赤字脱出重点企業については、99年の改革目標は、そのうちの3分の1の企業の赤字脱
出問題を解決することである。残りの企業については、2000年に赤字を基本的に解決する予定である。
第3に、99年の国有紡織企業の赤字脱出計画は、次の通りである。すなわち、紡織機の廃棄数は1,000万
錘、余剰従業員のリストラ・再配置は120万人、赤字削減額は60億元である。この3つの改革指標は、いずれ
も前年の約2倍に設定されている。(注10)
国家紡織工業局長・杜ギョク洲は、99年1月26日の全国紡織工作会議で「昨年の(国有)紡織業の赤字総額
は64億8,000万元だったから、今年は60億元の赤字削減目標が達成されれば、(国有)紡織業の赤字問題は
ほぼ解決できるであろう」と述べた。
こうした99年の目標を達成するために、朱鎔基内閣は次のような改革措置を採っている。
第1に、新規の工業プロジェクトへの着手を制限することである。
第2に、「大規模の国有企業をしっかりと管理し、小規模の国有企業を自由化・活性化する」政策を引き続き
実施し、国有企業の合併・破産をさらに推進させることである。
第3に、大・中規模の国有企業に、経営陣を監督する監察特派員を引き続き派遣することである。99年1月8
日に卒業式を迎えた第2陣の監察特派員38人が国有企業に派遣された。これとは別に、重大プロジェクト担
当の特派員60人が、1月から国有企業に派遣されている。(注11)
第4に、引き続き余剰従業員をリストラし、経済効果を向上させると同時に、失業者や一時帰休者の基本生活
問題を適切に解決し、あらゆる手段を尽くして再就職プロジェクトの実行と社会保障制度の確立を行うことで
ある。中国当局は、余剰人員の削減が国有企業の経済効果を向上させる重要な措置と考えており、98年以
来、再就職センターの建設を推進することで、国有企業の「従業員削減効果の向上」を図った。
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朱鎔基首相は、99年3月の全人代における政府活動報告の中で、一時帰休者対策として「3本の保障ライン」
方針を発表している。「一時帰休者が再就職した場合、元の国有企業との労働契約を解除しなければならな
い。3年経ってもまだ再就職していない一時帰休者も、元の国有企業との労働契約を解除して、社会保険機
構に移り、失業保険を受け取る。2年間の失業保険受給後もなお就職していない場合、民生部門に移され、
都市部住民の最低生活費を受け取る。」(注12)
4.現時点での国有企業改革に関する中間評価と今後の展望
前述の通り、朱鎔基内閣は99年3月に、98年の改革実績を踏まえて99年の新しい改革目標を提示し、その実
現のために一連の改革措置を採っているが、朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」は、どの程度達成できる
のであろうか。最終的な評価は、いうまでもなく、朱鎔基内閣が設定した改革の期限である3年後、すなわち
2000年末まで待たなければならないが、ここでは、「国有企業改革3カ年計画」の進展状況を参考にしなが
ら、現時点での中間評価を行うとともに、これまで明らかになった重要なポイントをもう一度整理する。最後
に、国有企業改革の今後の展望を試みる。
(1) 現時点での国有企業改革に関する中間評価
まず、これまでの考察によって、朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」の第1年目である98年の国有企業改革
は、紡織機の廃棄、一時帰休者の再就職、赤字額の削減などの指標からみれば、所期の目標をほぼ達成し
ており、すばらしい成果を挙げたことが分かった。中国においては、97年後半以降のアジア金融危機の影響
と、98年夏の東北地域および華南地域で起きた大洪水の影響にもかかわらず、国有企業改革、特に国有企
業の赤字脱出が計画通りに推進されてきた。これに対しては、高く評価したい。
次に、国有企業が長期にわたって国家財政の主な収入源であるにもかかわらず、赤字国有企業の割合や赤
字額が年々増大し、近年、赤字国有企業の赤字総額がほぼ毎年、黒字国有企業の利潤総額を上回ってお
り、黒字国有企業が得た利潤(黒字)が赤字国有企業の赤字によって帳消しにされている。このため、赤字脱
出を目標とする朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」の実施は、大きな意義を持っていると考えられている。
国有企業の赤字脱出に成功すれば、国家財政収入は確保され、ひいては産業競争力も向上するものと期待
第3に、前述の通り、「国有企業改革3カ年計画」は、すべての国有企業を対象とするのではなく、主に大・中
規模の国有企業を対象とし、特に紡織分野における国有企業の赤字脱出は、改革の突破口と位置付けられ
ている。このようにして、1つの産業分野を選んで改革を行うことが、今後、他の産業分野の国有企業改革に
対しても、一定の波及効果があると期待されている。
第4に、国有企業の赤字脱出問題を解決するために、朱鎔基内閣は一時帰休者対策として「3本の保障ライ
ン」方針を打ち出しているが、このような方針を、すべての国民に公示したことは、大きな意義を持っている。
というのは、国有企業改革に伴って大量の余剰人員がリストラされるので、国民の理解と支持を得られなけ
れば、改革の推進と社会の安定に大きな支障をもたらす可能性があるためである。
第5に、これまで中国当局は、大・中規模の国有企業の経営効率を高めるために、経営陣を監督する監察特
派員を派遣してきたが、こうした改革措置の実施はある程度、国有企業の経営改善につながるものと予想さ
(2) 今後の展望
しかし、中国の国有企業改革には、問題がないわけではない。朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」は、限ら
れた分野(紡織業)と、一部の大・中規模の赤字国有企業だけを対象としているので、改革が一定の成果を上
げたにもかかわらず、国有企業全体の経営状況をみたとき、赤字問題は依然として厳しい。
例えば、国家統計局によると、98年の国有企業と国有持株会社の赤字額は、前年比21.9%増の1,023億元に
達した。(注13)また、朱鎔基首相も98年12月の経済情勢報告会で「98年初めに、私は3年間で大多数の大・
中規模の赤字国有企業の赤字を黒字に転換すると申し上げたが、98年は赤字企業の比率が上昇し、赤字額
が増加した」(注14)と述べた。朱鎔基首相の講話では、98年の国有企業赤字に関する具体的な数字は示さ
れなかったが、国有企業全体に占める赤字国有企業の比率と赤字額が、いずれも前年比増加したことが明
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従来、国有企業の赤字問題の根本的な原因が「過剰設備」にあるという見解は、中国の公式見解である。
(注15)朱鎔基内閣は、赤字国有企業の赤字脱出のための重要な措置として、一部の紡織業の紡錘を廃棄
する方針を実施している。つまり、国有企業が保有する「過剰設備」を廃棄すれば、紡織工業の競争力が回
復・強化され、赤字問題が解決されるとしている。
ところが、「過剰設備」は、国有企業の赤字問題の発生原因の1つであるが、根本的な原因ではなく、むしろ
「官業天下」(中国の国有企業が、競争分野だけではなく、非競争分野にも設立されており、今でも多くの産業
分野を独占していること)、「両権混在」(中国政府が、国有企業の所有権のみならず、経営権も掌握している
こと)、「政企混在」(政府の行政機能と企業の経営機能が分離されていないこと)、「党企混在」(政党の政治
機能と企業の経済機能が分離されていないこと)、「社企混在」(様々な社会的機能と企業の経済機能が分離
されていないこと)を特徴とする中国の国有企業制度の非効率性が、国有企業の赤字問題の根本的な原因
これまでの考察からわかるように、朱鎔基内閣は98年の大・中規模の国有企業の赤字脱出目標をほぼ達成
したが、国有企業全体の赤字脱出問題はいまだ根本的に解決されていない。その重要な原因は、国有企業
制度に求められよう。国有企業の赤字問題を根本的に解決するには、国有企業制度の非効率性という問題
を徹底的に解決しなければならないと考える。
これについては、中国当局は92年10月以降、国有企業の「近代的企業制度」改革に着手してきたが、主に(1)
大・中規模の国有企業の株式会社化、(2)小規模の国有企業の「株式合作制」改革、(3)外資による国有企業
のM&A(合併・買収)を中心として行っている。なかでも、国有企業の株式会社化については、97年の党大
会で、その本格的推進が正式に決議された。従来、国有企業は、その所有権と経営権が政府により掌握され
ていた。しかし、国有企業が株式会社形態に転換されれば、企業の株式は個人や法人により所有され、日本
の旧国鉄民営化のように、元の企業はもはや国有企業ではなく、民営化企業あるいは民間企業になる。98年
までに、国有企業から改組・新設された株式会社は、約1万余社に達した。中国では通常、国有企業が株式
会社の形態に転換されると、「国家株」、「法人株」、「個人株」などが発行されるが、「国家株」と「法人株」の流
通は、今のところ、まだ認められていない。これは、国有企業の株式会社化が民営化に突き進むことへの思
想的抵抗があってのことである。しかし、97年の党大会決定によって、従来の公有制の概念が再定義され、
国有企業の民営化への道が大きく開かれたことは間違いない。こうした国有企業の株式会社化は今後、国有
企業制度の非効率性問題と赤字問題の解決に道を開くものと期待されている。
このIIでは、紙面の都合上、朱鎔基の「国有企業改革3カ年計画」とその実施状況を中心として考察・分析して
きたが、国有企業制度の非効率性と、それに対応する国有企業制度の改革に関する検討は、今後の課題と
III.金融システム改革の現状と展望
1.問題意識と研究目的
97年後半以降のアジア金融・通貨危機の発生は、アジア諸国の金融システムの脆さを露呈させた。それに対
し、中国の金融システムは、厳しい外貨管理や、資本勘定が自由化されていないことなどにより、アジア金
融・通貨危機の直接の影響を、基本的には受けなかった。しかし、中国の金融システムに問題がないわけで
はない。例えば、不良債権問題やノンバンクの経営破綻問題などの発生により、不安な兆しもみられる。この
ため、どのようにしてアジア金融危機の波及を食い止めるのか、いかにして中国にも潜在的に存在する同様
の問題の発生を未然に防ぐのかが、中国当局にとって緊急の課題となった。
このような情勢の下で、97年11月17日から19日まで、中国当局は全国金融工作会議を開催した。同会議で
は、「約3年間をかけて、市場経済体制の発展に相応した金融システムを構築する」ことが金融システム改革
の目標として掲げられた。当時、朱鎔基氏は副首相でありながら、経済金融面での実質的な最高責任者で
あった。とりわけ翌98年3月に首相に選ばれ、首相就任演説の中で金融システム改革を「3つの実行」のうち
の1つとし、3年以内に基本的に解決すると公約したため、金融システム改革については、内外の注目が集
まった。それと同時に、金融システム改革の目標も、後にはマスコミにより「朱鎔基の『金融システム改革3カ
年計画』」と呼ばれるようになった。こうしたことから、本稿でもこの呼称を踏襲する。
さて、朱鎔基の「金融システム改革3カ年計画」の実施から、すでに1年が経過したが、金融システム改革は
どのように進められてきたのであろうか。また、どれだけの成果を上げたのであろうか。そして、どのような問
題点が存在しているのであろうか。
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IIIでは、以上のような問題意識を踏まえ、金融システム改革へのアプローチを試みるが、主な狙いは、「金融
システム改革3カ年計画」の背景、政策、およびその実態を考察することによって、金融システム改革の現
状、特徴、および問題点を明らかにすることである。
なお、IIIの構成は以下の通りである。III.2では、中国の金融システムの現状と問題点を、金融システム改革の
背景として概観する。III.3では朱鎔基の「金融システム3カ年改革計画」とその進展状況を考察する。III.4で
は、以上の考察と分析の結果を結論としてまとめ、最後に金融システム改革の展望を試みることにしたい。
2.金融システム改革の背景
中国においては、改革・開放が78年末にスタートしたが、金融システム改革は比較的遅れており、93年後半
になって、やっと改革が本格化するようになった。だが、その前にも、多くの施策が採られてきた。ここでは、中
国の金融システム改革全般ではなく、主に朱鎔基の「金融システム3カ年改革計画」を取り上げるが、まず、
金融システム改革の背景として、中国の金融システムの現状と問題点を概観したい。
(1) 中国の金融システムの現状
1) 改革・開放以前の金融システム
中国の金融システムの現状を考察する前に、まず改革・開放以前の金融システムを簡単に紹介することが適
切であろう。
中国においては長い間、銀行といえば、中国人民銀行しかなかった。79年以前には、中国の大都市の銀行に
はすべて中国人民銀行の看板がかかり、銀行が行う業務も、貯蓄の吸収、貸し付けおよび送金業務のみで、
広域にわたる手形や小切手などの交換制度はなかった。当時の銀行は、あくまで行政部門の付属物的存在
として、中央政府の金融プランを実行しており、経営は独立したものでなく、損益処理も上納や補填を前提と
こうして、旧計画経済体制を前提とした中国の金融システムでは、現在のような不良債権問題やノンバンクの
経営破綻問題等は基本的には発生しなかったのである。
2) 改革・開放以後の金融システム
中国の金融システムの現状を簡単に図に示すと、図6のようになる。中央銀行である中国人民銀行の下に、
政策銀行3行、国有商業銀行4行、民間商業銀行のほか、都市合作銀行、農村合作銀行、および各種のノン
改革・開放以前の中国人民銀行1行体制から、現体制への転換が始まったのは79年である。当初は、銀行
業務の拡大と金融システムの改善、および競争原理導入のため、中国工商銀行、中国農業銀行、中国建設
銀行、中国銀行の4大国有専業銀行が、中国人民銀行・財政部から独立もしくは再建という形で設置された。
その後、84年に、全国規模や地方規模の民間商業銀行が開設されて以降、金融機関の数は急増し、90年代
初頭のピーク時には、銀行と各種のノンバンクは合わせて6万社を超えた。
一方、金融システムの整備も徐々に進められてきた。中国人民銀行については、79年に4大国有商業銀行
が設置されて以降、商業銀行機能を新設の銀行に移管すると同時に、中央銀行として国務院直轄となった。
ただし、中央銀行の本来の機能を果たし始めたのは84年以降で、さらに中央銀行としての地位、通貨政策、
および金融機関の管理監督の職責が明文化されたのは、95年3月の「中国人民銀行法」施行を待ってからで
また、94年には、新たに政策金融を行う銀行として、国家開発銀行、中国進出口銀行(輸出入銀行)、中国農
業発展銀行の3行が設立され、従来の4大国有専業銀行は自主経営権を持つ国有商業銀行に転換され、政
策金融と商業金融の分離が図られた。翌年95年7月に、待望の「商業銀行法」が施行された。このようにし
て、中国の近代的な金融システムは、基本的に整備・充実されてきた。
旧計画経済体制下での経済主体であった国有企業への資金供給は、引き続き国有商業銀行が担当し、新し
く誕生した非国有企業や、金融ニーズに対しては、ノンバンクや、都市部、農村部の中小金融機関である信
用合作社が担当するという棲み分けが行われてきた。家計の貯蓄も順調に伸び、経済発展を支える投資へ
の資金供給も、時に過剰な信用供与に起因するインフレを伴いつつも、東欧やロシアに比して、比較的円滑
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(2) 中国の金融システムの問題点
前述のように、中国の金融システムはすでに高い評価を得てきたにもかかわらず、なぜ金融システム改革が
必要となるのであろうか。これは、改革・開放路線下での20年間に、国内経済が市場経済化によって急激な
成長を遂げるなか、その過程で発生した多様な資金ニーズやリスクに対応し切れない現在の金融システム
に、まだ多くの問題が存在しているからである。
以下では、中国の金融システムにおける商業銀行の不良債権問題とノンバンクの経営破綻問題に焦点を
絞って検討を加えたい。
1) 商業銀行の不良債権問題
周知のように、中国の国有商業銀行4行は、いずれも不良債権を抱えているが、不良債権規模はどの程度と
考えるべきであろうか。一説には、98年度国家財政の2年分に相当する2兆元に上り、4大国有商業銀行の
場合、貸出総額の20%に達しているといわれる。
しかしながら、99年3月11日に北京で開催された、戴相龍・中国人民銀行総裁の記者会見によると、(注17)
中国では従来、不良債権の概念を、(1)延滞債権、(2)2年以上の延滞債権、(3)回収不能債権の3項目に分類
している。そのため、不良債権イコール回収不能債権ではない。国有商業銀行の広義の不良債権(旧債権分
類での「不良」3項目合計)が貸出総額の約25%を占め、そのうち償却を必要とする破綻先債権が同2.9%、こ
のほかに旧債権分類の延滞債権のうち、償却を要する回収不能債権が同5%程度ある。この見解で計算す
れば、実際の不良債権の比率は約7.9%程度である。
98年末、全金融機関の貸出総額は8兆6,524億元であったが、なかでも国有商業銀行の貸出総額は6兆
8,442億元であるであることから、(注18)国有商業銀行の「不良債権」(25%としては約1兆7,000億元)中、償
却を要する回収不能債権(新債権分類基準)、すなわち本当の不良債権は、約5,407億元(7.9%)程度であると
こうした金融機関の不良債権は、市場経済体制へ移行する過程で発生したものとみられる。不良債権の大部
分が、90年代初期の不動産バブルの崩壊によるものと、長年にわたって蓄積された国有企業への貸出債権
の不良債権化によるものとに分けられる。国有商業銀行4行が貸出総額の9割を国有企業に貸し付けている
ことから考えれば、不動産バブルによる不良債権問題より、国有企業への貸出債権の不良債権化の方が深
刻であることがわかる。中国の不動産バブルによる不良債権の性格はアジア諸国のそれと変わらないが、国
有企業への膨大な貸出債権の不良債権化は、中国の独特の現象であるといえる。その理由については、(1)
地方政府からの国有企業への融資継続圧力、(2)国有企業の損失債権、(3)国有企業の金融信用に対するモ
ラルの欠如、(4)国有企業の返済意識の欠如、などが挙げられる。
いずれにせよ、中国当局にとっては、こうした不良債権をいかに処理するかが金融システム改革の中で重要
な課題となるのである。
2) ノンバンクの経営破綻問題
98年10月に清算を発表した広東国際信託投資公司(GITIC)の事件は、中国の金融システムの不備を一気
に表面化させ、外国金融機関の中国に対する信頼は揺らいでいる。
78年からの改革・開放路線の下で、資金吸収を進めるため、銀行の信託業務の推進が提唱され、信託投資
公司の設立がこの時期から検討され始めた。79年10月に、中国銀行は信託諮詢部を設立し、中国国際信託
投資公司(CITIC)が設立された。その後、銀行の信託部の設立が相次ぎ、また各地に信託投資公司が設立
され、その社数はピーク時の88年には745社に達した。中央政府直属の中国国際信託投資公司を除き、その
ほとんどは、銀行と地方政府が出資、あるいはその一部門として設立したものである。こうした信託投資公司
の資金調達源の約半分は、「信託預金」と「委託預金」と呼ばれる通常1年以上の預金である。資金調達以外
の業務として、貸し付け、投資業務を行い、大部分が証券の引き受けなどの業務に従事するとともに、信託、
保証、プロジェクト管理など多様な業務を行っている。
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こうした信託投資公司が多数設立された背景としては、(1)改革・開放に伴う分権化の進展によって、中央政
府と地方政府の所轄する予算枠外の資金が増加し、この資金を、地方の自主プロジェクトに投資するニーズ
や、銀行の預金金利以上の金利で運用するニーズが発生したこと、(2)改革・開放によって新たな金融ニーズ
が発生し、銀行が正規の業務としては認められない分野に進出するため、信託部門、信託投資公司の設立
によって対応しようとしたこと、(3)外債発行などの外資調達を試験的に実施しようとしたこと、などが挙げられ
こうした信託投資公司の設立経緯から、信託投資公司は、以下のような二重の役割(プラスとマイナス)を果
たしてきた。1つは、改革・開放路線の下で市場経済化が進展したが、既存の金融システムがそれに対応し
切れなかったので、信託投資公司がその空白を埋める積極的な役割を果たしたのである。確かに、ノンバン
クは、地域内の情報に通じ、貸付先のモニタリングと、融資の返済圧力をかけられる(enforcing sanctions)点
で、国有商業銀行よりも優れており、現地では国有商業銀行が貯蓄を動員し、それを融資の形でノンバンク
に投入するシステムが有効に機能しているということになろう。しかし、もう一方で、信託投資公司は規制逃れ
のための金融機関としてマイナスの役割を果たしたのである。市場経済化の進展に伴い、商業銀行と地方政
府は、中央政府と中央銀行の規制を逃れて副業を行うために、数多くの信託投資公司を設立した。
87~89年や93~94年にみられた金融秩序の混乱期には、各種の信託投資公司による不動産や株式投資な
どが活発化するとともに、銀行貸し出しに制限が課せられたが、規制外にある信託投資公司は、こうした融資
を継続し、金融秩序の混乱に拍車をかけてきた。
表7は97年末における、全国の信託投資公司の資産・負債規模を示すものである。この表からわかるように、
信託投資公司の負債額は、人民元建てでは2,692.7億元、外貨建てでは145.9億ドルで、負債比率は人民元
建てと外貨建ての両方とも約85%に達していた。
こうした信託投資公司の経営の問題点としては、(1)高利の資金集めと高利運用により、金融秩序を乱したこ
と、(2)大量の投融資が不良債権化していること、(3)短期資金を投機的案件、中長期案件に融資した結果、資
金繰りがつかなくなり、深刻な流動性リスクにさらされている信託投資公司が多いこと、などが挙げられる。96
年の中国人民銀行による検査結果は、信託投資公司の中で、自己資本不足や不良債権比率が高いこと、違
法経営などに陥っていることを問題点として指摘し、このため損失を計上している会社(ノンバンク)が多く、債
務超過で破産の危機に瀕しているものも多数存在しているとしている。つまり、多数の信託投資公司の経営
したがって、中国当局にとっては、こうした信託投資公司をいかに整理・再編するかが、金融システム改革の
中で重要な課題となるのである。
3.朱鎔基の「金融システム改革3ヵ年計画」とその進展状況
(1) 朱鎔基の「金融システム改革3ヵ年計画」主な目標
前述の通り、朱鎔基首相の「金融システム改革3ヵ年計画」の狙いは、約3年の時間をかけて、市場経済体制
の発展に相応した金融システムを構築することであったが、朱鎔基内閣は同「計画」(大目標)を実施するた
めに、より具体的な目標を相次いで公表した。それらの目標は、次の5点に概括することができる(表8)。
1) 中国人民銀行の管理体制改革
第1の目標は、中国人民銀行(中央銀行)の管理体制改革である。95年3月に公布・施行された「中国人民銀
行法」によれば、「人民銀行は、その職責を履行するにあたり、地方政府、各級政府部門等の干渉を受けな
い」(第7条)、「人民銀行は、その分支機構の統一的な指導と管理を行う」(第12条)とされているが、現実に
は中国人民銀行の地方組織は、常に地方政府の介入・関与を受けているので、事実上、中国人民銀行総行
と地方政府の二重支配制となった。これは、中央政府で決定した統一的な金融政策を地方で施行する際の
大きな障害となっている。しかし、金融危機が勃発した韓国における、政府と財界との癒着した構図は、中国
の地方政府と国有企業の関係にも当てはまることから、金融システム改革の緊急性が認識されるようになっ
た。したがって、省・市・県という行政区画に設置されている中国人民銀行の分行(支店)のうち、省レベルの
分行(支店)を廃止して、いくつかの省をまたぐ経済ブロックごとに「大地区分行」を設置する構想が、97年11
2) 国有商業銀行の管理体制改革
第2の目標は、国有商業銀行の管理体制改革である。国有商業銀行4行の融資総額は、中国全体の商業融
資総額の約7割を占めているが、不良債権総額が、新しい債権分類基準に基づき5,407億元に達し、貸出総
額に占める不良債権の比率は約7.9%になっている。(注19)今後、中国の経済発展にとって、その経営基盤
の改善が急務とされることから、金融システム改革の中でも、国有商業銀行の管理体制改革は最も重視され
ている。国有商業銀行の管理体制改革については、次のような4つの具体的な目標が明示されている。
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1. 国有商業銀行の組織改革。中国人民銀行の管理体制改革が、当然ながら国有商業銀行の組織運営に大
きな影響を与えるので、国有商業銀行の組織改革も避けられない。
2. 貸し出し上限枠の撤廃。従来、中国人民銀行は、商業銀行に対する貸し出し上限枠などの監督権限を利
用し、金融市場を直接的に管理してきたが、80年代中期以降、銀行体系の多様化に伴い、国有商業銀行以
外の金融機関が新規融資の中に占める割合が、90年の22%から96年の49%にまで上昇したことや、資本市
場の発展による直接金融比率の上昇、外資の流入などにより、これまでの国有商業銀行への貸し出し上限
3. 法定準備金制度の改革。金融情勢の変化に伴って、法定準備金制度の改革も迫られている。84年に中国
人民銀行が中央銀行の職能を担当して以来、流動性預金に対する法定準備率は、87年に12%、88年に13%
へ引き上げられた。こうした流動性預金に対する法定準備率の引き上げは、経済の過熱抑制に作用したこと
もあったが、その後、準備金はマネーサプライの調整ではなく、農作物の買い上げや、重点プロジェクトといっ
た資金需要の確保に用いられるようになった。また、国有商業銀行は中国人民銀行に資金を預けておけば、
預金金利を上回る金利で運用することができたため、流動性預金に対する法定準備率の枠を超える資金(支
払い準備金)が、中国人民銀行に預けられたままという状態になっていた。
4. 特別国債の発行。国有商業銀行の自己資本比率は低いので、金融リスクを防止するために、特別国債の
発行によって国有商業銀行の自己資本比率を高める必要がある。
こうした国有商業銀行の管理体制改革の主な狙いは、金融危機を未然に防止することと、4大国有商業銀行
の経営基盤の強化である。
3) 銀行、証券、保険の分業管理体制改革
第3の目標は、銀行、証券、保険の分業管理体制を確立することである。従来、中国では銀行、証券、保険の
各業態の業務範囲が明示されてはいなかったが、金融リスクを回避するために、それぞれの業務範囲を明
確にし、業務範囲を逸脱しないよう、分業管理体制を確立することが必要となった。
4) 不良債権処理
第4の目標は、金融機関の不良債権処理である。これに対する措置は、主に(1)「5段階債権分類基準」の導
入と、(2)「金融資産管理会社」の設立である。
(1)の「5段階債権分類基準」の導入については、中国の金融機関の債権は、以前には「正常」と「不良」の2
種類にしか分類されず、「不良」は「延滞」、「期間2年以上の延滞」、「回収不能」の3種類に細分類されてい
たが、こうした債権分類基準は国際基準に合わず、主に不良債権の事後認定であった。実際には、「正常」債
権の中にも、「不良」へ変わる可能性のある債権が含まれていた。一部の金融機関では、こうした分類基準を
利用して、不良債権を顕在化させないよう操作することも可能であった。したがって、中国人民銀行は各金融
機関のリスク管理を自己責任により強化し、不良債権の発生を未然に防止するとともに、既存の不良債権の
額を正確に把握するために、国際基準に基づき、債権分類基準の改訂を図った(「5段階債権分類基準」につ
(2)の「金融資産管理会社」の設立については、前述のように、中国の国有商業銀行は多額の不良債権を抱
えており、金融リスクを回避するために、不良債権を処理するための金融資産管理会社を設立する必要が
5) 金融機関の整理・再編
第5の目標は、金融機関の整理・再編を行うことである。一部の金融機関は、経営破綻で債務返済が困難に
なったため、そうした金融機関の整理・再編を行うことが急務となっている。例えば、93年の景気過熱当時か
ら、ノンバンクの経営破綻が徐々に問題化していた。特に97年後半、アジア金融危機が発生した後、金融危
機の中国国内への波及を防ぐために、金融秩序の整備と金融機関の整理・再編が緊急の課題となった。
(2) 朱鎔基の「金融システム改革3カ年計画」の進展状況
1) 中国人民銀行の管理体制改革の進展状況
98年8月、中国人民銀行総行(本店)の機構改革が行われた後、各地区に設置されていた分行148行の調整
が行われ、11月から上海を皮切りに、12月までに省ごとに設置していた分行(支店)を廃止し、省をまたいだ
全国9店の「大地区分行」(支店)が設置され、99年1月から新しい管理体制がスタートした(表9)。これによっ
て総行(本店)1店、大地区分行(支店)9店、営業管理部2カ所(北京市・重慶市)、中心分行333店、県級分
行1,827店の体制となっているが、通貨政策の決定権は総行(本店)に集中し、分行(支店)はその政策遂行と
監督管理業務に特化する体制が出来上がった。(注20)
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2) 国有商業銀行の管理体制改革の進展状況
中国人民銀行の管理体制改革に伴って、国有商業銀行の管理体制改革も、いよいよ本格化されるようになっ
まず、国有商業銀行の組織改革についてみると、99年内をめどに、各国有商業銀行の省分行と、省都に置
かれた分行の統合や、末端組織の統廃合が進められている。
次に、貸し出し上限枠の撤廃についてみると、中国人民銀行が98年1月から、従来は四半期、年度ごとに各
国有商業銀行に課していた貸し出し上限枠を撤廃し、資産責任管理とリスク管理を基礎とした新しい管理体
第3に、法定準備金制度の改革についてみると、98年3月に、流動性預金に対する法定準備率を13%から
8%に引き下げたほか、同年6月、12月、99年6月に3回連続して預金金利を引き下げた。
第4に、特別国債の発行についてみると、98年8月、中央政府の財政部は、不良債権にあえぐ4大国有商業
銀行の資本金を増強するために、2,700億元の特別国債を発行して、公的資金を導入することを決定した。特
別国債の発行は、98年2月の全人代常務委員会で可決され、期間30年、利率7.2%と定められ、8月に4大国
有商業銀行向けに発行されたが、その購入源(原資)には、前述の流動性預金に対する法定準備率の引き
下げ分(5%)が充てられた。中国政府は、この2,700億元を、資本金の形で各国有商業銀行に注入している。
3) 銀行、証券、保険の分業管理体制改革の進展状況
92年10月に、中央政府の国務院証券委員会とその実行機関として中国証券監督管理委員会(CSRC)が設
立されたが、97年7月に上海、深センの両証券取引所を、それまでの地方政府とCSRCとの共同管理からC
SRCの直接管理下に置き、取引所の総経理、副総経理の任免もCSRCが行うこととなった。そして98年の行
政機構改革によって、これまでの国務院証券委員会は廃止され、証券分野の監督管理業務はCSRCに一本
化された。証券法は、初回審議から5年の歳月をかけて、98年12月29日第9期全国人民代表大会常務委員
会第6回会議で通過、成立しており、99年7月1日から施行されることになった。12章214条から成る証券法
は、中国の証券市場の健全な発展に対する保証となっている。
一方、保険分野については、中国人民銀行から分離・独立する形で、98年11月、中国保険監督管理委員会
が設立された。これにより、保険業に対する監督・管理は徐々に規範化されるようになった。こうして、中国に
おける銀行、証券、保険の分業管理体制が完成した。
4) 不良債権処理の進展状況
金融機関の不良債権処理への取り組みは、まず「5段階債権分類基準」の導入によって進展した。98年2月、
中国人民銀行は国際基準である「5段階債権分類基準」に基づき、広東省を試行区域として、銀行の債権
(貸し出し資産)リスク程度を「正常」、「注意」(関注)、「次級」(不良)、「疑問」(可疑)、「損失」の5段階に分類
し、「次級」「疑問」「損失」の3段階を「不良債権」と定義している(表10)。全国銀行債権の5段階分類作業は、
99年の6月に終了する予定である。
次に、中国当局は、4大国有商業銀行の不良債権処理にあたって、米国の整理信託公社(RTC)や日本など
の経験を参考にしながら、処理方法を検討してきたが、99年1月の中国人民銀行工作会議で、金融資産管理
会社を設立する方針が示された。
99年4月20日、中国建設銀行系の「中国信達資産管理公司」が設立された。(注21)同社の資本金100億元
は、財政部が全額出資した。同社については、96年以前の建設銀行の不良債権2,000億元(240億米ドル)を
すべて処理するとの方針が打ち出されている。また、中国銀行や工商銀行、農業銀行も、金融資産管理会社
の設立準備に入っているという。
さらに、中国当局は、資産・負債比率管理体制の強化の一環として、各国有商業銀行に対して、不良債権比
率を97年末の7.9%(旧債権分類では25%)から毎年2~3%縮小させるよう要求している。また、農村信用組
合の不良債権比率問題も深刻になっており、リスク回避のために毎年、不良債権比率を2~3%減少させる
よう要求している。(注22)
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現状では、不良債権処理は、国有企業改革への支援という名目で、国有企業債務の削減という形で進めら
れている。表11は、これまでの不良債権処理の状況と目標を示している。これらの不良債権償却額は、(国有
企業改革)資本構造合理化の指定都市111市において、指定された国有企業への商業銀行貸し出し債権の
償却分である。その他地域と他の金融機関については、金融機関の財務規定により、破綻先の損失債権も
5) 金融機関の整理・再編の進展状況
中国においては、ノンバンクの経営は、93年の景気過熱当時からすでに問題化し、同年後半にインターバン
ク市場での資金調達が禁止され、95年に地方の信託投資公司が海外からの資金調達を行うに当たって国が
保証することをやめた。93年末の「金融システム改革に関する決定」において、ノンバンクを健全な発展に向
けて誘導する規制方針が打ち出された後、ノンバンクの社数は88年末の745社から98年末の239社にまで閉
中国当局は98年12月に、軍隊や警察、党、行政機関が所有・管理する企業の切り離しや業務移管について、
その再編案を策定し、実行に移すことを発表した。(注23)同案によれば、239社のノンバンクのうち、中央レベ
ルの中国国際信託投資公司(CITIC)、光大国際信託投資公司を存続させるほか、原則的には全国の各省・
直轄市に1社ずつ残すのみとし、他はすべて閉鎖、統合、移管などによって約40社に再編する方針が打ち出
97年時点で、すでに中国農村信託投資公司などは、経営破綻により債務返済ができなくなったため閉鎖され
たが、98年以降、海南発展銀行や広東国際信託投資公司、中国投資銀行などの金融機関も相次いで整理・
再編されるようになった(表12)。
4.現時点での金融システム改革に関する中間評価と今後の展望
これまでの考察、分析によって、朱鎔基の「金融システム改革3カ年計画」の主な目的は、不良債権の処理と
金融リスクの発生を未然に防ぐための金融秩序の整備であることがわかった。ところが、こうした金融システ
ム改革は、どの程度、不良債権処理と金融秩序の整備のために役立つのであろうか。朱鎔基の「金融システ
ム改革3カ年計画」はどの程度達成できるのであろうか。最終的な評価はいうまでもなく、朱鎔基内閣が設定
した改革の期限である3年後、すなわち2000年末まで待たなければならないが、ここでは主に「金融システム
改革3カ年計画」の進展状況を参考にしながら、現時点での中間評価を行う。最後に、金融システム改革の
(1) 現時点での金融システム改革に関する中間評価
まず、中国人民銀行の管理体制改革についてみると、これは本質的には中央銀行の権限の強化を意味し、
金融全体の管理・監督を行う上で、地方政府からの独立性を維持するための方策であるといえよう。これに
よって、中国人民銀行は、管轄区域の金融活動、業務、人事面のすべてにおいて地方政府の介入・干渉を排
除し、金融管理監督能力を高めることで、マクロ調整を本店に集中して行うことができるようになった。
次に、国有商業銀行の管理体制改革についてみると、国有商業銀行の組織改革と貸し出し上限枠の撤廃な
どによって、主に貸付総量規制的な直接的なコントロールから、間接的なコントロールを主とする方向に転換
した。中国人民銀行は国有商業銀行に対して、マクロコントロール指標として、年度、四半期ごとのガイドライ
ンを通知し、各行の資金調達計画作成の参考に供するのみにとどまり、各商業銀行は調達した資金を自らの
判断で運用することが可能となる。また国有銀行の商業銀行化推進、金融の質的向上、不良債権の増加防
法定準備金制度の改革は、各商業銀行に利益をもたらしている。各商業銀行が積極的に潜在的な資金需要
を掘り起こして景気を刺激するよう活動し、各商業銀行の収益の悪化傾向がこれにより改善されることから、
単なる金融緩和を促す措置とは異なり、商業銀行の主体的な融資姿勢を積極化させるための措置であると
国有商業銀行に対する2,700億元の特別国債の発行は、各商業銀行の自己資本比率を国際基準の8%以上
にまで高めるため、高く評価できるものと思われる。
第3に、銀行、証券、保険の分業管理体制改革の実施についてみると、これは金融リスクを回避するために
重要な役割を果たすものといえよう。
第4に、不良債権処理についてみると、「5段階債権分類」の導入によって、銀行債権のリスクの程度が国際
基準により再分類された。これは、各種の金融機関に対する中国人民銀行の監督規制を強化すると同時に、
債権管理が国際基準に則して行われることになり、貸し出しリスク管理が大いに進むこととなる。また不良債
権処理にあたっての金融資産管理会社の設立は、朱鎔基内閣の不良債権処理への決意を表明しているも
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第5に、ノンバンクの統廃合を中心とする金融機関の整理・再編についてみると、これは現在でも幅広く展開
されている。とりわけGITICや中国投資銀行などの大手金融機関の整理・再編は金融リスクを防止するため
の重要な措置であり、本来の意味で金融システム改革を推進しようとする朱鎔基内閣の決意の表れであると
以上のように、金融システム改革の成果は、ほとんどすべてが金融リスクの防止、金融システムの安定に寄
与する改革措置であるといっても過言ではない。
(2) 今後の展望
ところで、中国の金融システム改革には、次の通り、いくつかの問題点が残されており、金融システム改革の
支障となる可能性がある。
第1に、中国人民銀行の管理体制改革は、前述のように、確かに積極的な役割を果たしているが、「大地区
分行」の区割りにおいては、その調整が難航することも想像される。(注24)
第2に、経済成長の鈍化を背景に、国有商業銀行の不良債権は今後、さらに増加する懸念があることであ
る。目下、中国経済は、積極財政によりインフラなどの公共投資が拡大していることを除けば、企業の設備投
資、個人消費、輸出といった需要項目はいずれも不振に陥っている。このような状況の下で、失業者の増加
を伴う国有企業制度の改革はスローダウンせざるを得なくなる。こうしたことが、中長期的にみれば、不良債
第3に、金融システム改革の核心である国有商業銀行の不良債権処理についてみると、中国当局は98年以
降、国際基準により「5段階債権分類基準」を導入し、金融資産管理会社を設立して積極的に対応している
が、既存の不良債権は市場経済体制への移行に伴って発生したものであるから、その処理に必要な膨大な
資金は、最終的に公的資金の投入に頼るしか方法はない。なぜならば、不良債権の温床である国有企業の
経営責任は、もともと政府が財政支出の形ですべて負うべきものであるにもかかわらず、こうした経営責任を
不良債権の形で金融機関に負わせているからである。だが、大量の国債を発行して景気刺激を図る現在の
経済情勢の下で、不良債権処理に巨額の財政負担を求めることは困難であり、急増する失業者への対応な
ど、社会保障制度をソフトランディングに導くための出費も重なることから、不良債権処理は長期化することが
第4に、金融資産管理会社の設立や運営の過程で、モラルハザードや安易な処理をいかに防止するかも今
後の課題であろう。
第5に、金融システム改革としては、経営破綻の銀行やノンバンクの整理・再編が推進されているが、GITIC
の破綻処理を契機として、海外の金融機関や投資家が中国企業に対して不信感を強めている。中国当局は
GITIC事件の教訓から、破綻処理方法のつたなさが引き起こす影響を充分に認識し、今後、対外関係に配慮
した政策措置を取るべきであろう。
第6に、これまでの金融システム改革によって、中国の金融システムは徐々に整備されており、不良債権の
処理も進められているが、従来、国有企業内部の諸矛盾を金融機関につけ回していたため、金融システム改
革の方向は、国有企業と金融機関の経営への政府の介入を排除し、金融機関に自主経営、自己責任を持た
せ、健全な融資先を選別させるフレームワーク構築の実現へと向けさせなければならない。
こうしたフレームワークの構築がこれから模索されるが、問題は今後、中国の国有企業が健全な資金の受け
皿に変わり得るかということである。金融システムの健全性にリスクをもたらしているのが国有企業であるた
め、金融システム改革が真の意味で成功するには、国有企業制度改革の成功が必要不可欠な前提条件とな
るであろう。紙面の都合上、これについての検討は、今後の課題としたい。
IV.行政機構改革の現状と展望
1.問題意識と研究目的
中国の行政機構における改革の現状、および問題点を整理し、その分析結果から近い将来を展望すること
は、行政機構そのものが、現在進展中の経済構造改革を促進する役割を果たしているのかどうかを評価す
る上でも、重要と思われる。(注25)
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仮に、国有企業や金融機関が、過剰な人員や設備の削減といった経営の合理化を通じて、海外の企業や金
融機関と競争していけるだけの力を付けることができたとしても、行政機構から国有企業や金融機関に対す
る過度な関与が続いたのでは、獲得した能力を十分に活用できず、国有企業改革や金融システム改革の成
果を相殺してしまうであろう。反対に、個々の企業や金融機関の経営に対する関与の度合いを減らし、経済
の過熱や停滞を改善させるための財政・金融政策を実行する部門の強化に成功すれば、経済面での改革を
加速させていくための条件を満たしたといえる。
経済構造改革を促すかどうかだけでなく、行政機構の改革は、朱鎔基首相の就任記者会見から明らかなよう
に、政府が取り組むべき最重要課題の一つとして掲げられている。そのため、この改革の頓挫が朱鎔基首相
の政治基盤の弱体化、場合によっては江沢民国家主席・共産党総書記を中心とする指導部全体の権威低下
に直結する可能性も否定できない。
こうした問題意識に基づき、98年3月の国務院(内閣に相当)における機構改革以降、再び注目されるように
なった行政機構の改革を取り上げたい。
IVの研究目的は、以下の3点である。
第1に、行政機構改革の現状と問題点を明らかにする作業を通じて、IIおよびIIIで展開された国有企業改革
や金融システム改革に関する現状分析と展望を一段と深めることである。少なくとも、経済活動にも重大な影
響を及ぼす行政機構改革の進捗状況を評価することで、経済構造改革に対する適切な評価を下す作業に貢
第2の研究目的は、これまで、および今後予定されている主要施策を列挙し、内容解説を行うことである。98
年の着手の時点からそれほど時間が経過していないため、今回の行政機構改革を取り上げた論文や報道の
中には、個別の施策の解説や状況追跡に終始する傾向もみられる。ところが、そうしたものから得られる情報
は、断片的かつ錯綜しがちで、現時点で主要目標をどの程度達成し、着手から「3年」(就任記者会見時にお
ける朱鎔基首相の発言)の期限内でどこまでを目指すのかを把握することは意外と困難である。そこで、『国
務院機構改革プログラムの説明』(中国語では、『国務院機構改革方案的説明』)や『政府活動報告』といった
公式文献に依拠しながら、この1年余りの期間における進捗状況を概観するとともに、今後の主な予定をみ
第3の研究目的は、中国の行政機構が抱える構造的な問題、そして、朱首相が先頭になって進めようとして
いる今回の行政機構改革の独自性を明らかにすることである。そのため、過去、とりわけ80年代後半の中国
で盛んに論じられた「政治体制改革」と比較しながら、検討を進めたい。
上記の研究目的を踏まえ、IV.2以下では、3つの研究目的を果たすための具体的な分析に取り組むが、ま
ず、既存の研究や指導者の演説などに基づき、中国の行政機構における主要な問題点、現在の行政機構改
革に至るまでの経緯を整理したい。
2.行政機構改革の背景と経緯
(1) 行政機構の主要な問題点
中国の指導者達は、行政機構のいかなる部分を主要な問題点と認識していたのか。ここでは、2つの代表的
な演説を利用しながら、主な問題点を確認したい。
一つは、80年8月の共産党中央政治局拡大会議の席上、トウ小平・副首相(当時。以下、敬称略)が行った
「党と国家の指導制度の改革について」と題された演説である[トウ(1980)]。
この演説の中でトウ小平は、共産党と国家の指導体制における弊害を列挙し、その是正を呼びかけた。特に
重要と思われるのが下記の3点である。
第1に、官僚主義的な傾向である。具体例として、人をむやみに叱りつけるとか、権力の濫用、収賄などの、
個人的な心構えが問われる問題だけでなく、「機構が肥大化して、仕事よりも人が多くなる」傾向、権限の曖
昧さといった機構内部の構造的な問題も指摘した。
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中国の「三大改革」
三大改革」の現状と
現状と展望
第2の問題点は、過度の権力集中である。毛沢東・党主席の死去(76年)で事実上終結したとはいえ、文化大
革命が行政機関にもたらした影響は依然として残っていた。とりわけ、共産党の一元的指導という名目で、本
来なら政府や経済組織(当時の国営企業など)が持つべき権限までもが党委員会、最終的には党主席(地方
では、党委員会の書記)に集中し、指導者の「鶴の一声」であらゆる事項が決定される制度について、トウ小
平は、文化大革命のような(政策上の)誤りをもたらす主たる要因と主張した。その上で、過度の権力集中の
なお、指導制度の問題点を列挙する前に、国務院の次期指導者を選出する基準として述べられたことだが、
党務と政務が混同され、共産党が政府にとって代わる状況(「以党代政」)を問題視し、主要な指導者が党と
政府の職務を兼務しないよう求めている。この点は、過度の権力集中の排除の一環であるとともに、以降の
政治・行政面の改革における争点ともなるので、特に明記しておきたい。
第3の問題点として、幹部の任期・退職制度の不備が挙げられる。トウ小平が問題提起した当時、幹部の任
期や退職についての「適切で明確な規定」が存在しなかったため、「四人組」など、ごく一部の幹部は反革命
罪などを理由に解任できたものの、他の幹部は亡くなるまで職務を担当することが可能だった。加えて、文化
大革命中に失脚した人材が相次いで復活したため、次席ポストや閑職の増設、さらには組織の新設を余儀な
くされた。その結果、国務院が抱える機関が100に達するほど機構の肥大化が急速に進み、幹部の任期・退
職制度を整備しなければ、膨張に歯止めをかけられないことが明らかとなった。
もう一つの演説は、87年の第13回共産党大会において趙紫陽総書記(当時)が行った「中国の特色を持つ社
会主義の道に沿って前進しよう」という題の報告である[趙(1987)]。
同報告は、外交、経済、社会の問題についても包括的に述べており、行政機構の問題点のみを言及した文
献ではない。また、前述したトウ小平の演説を「指導的な文献」としているため、基本的な認識ではほぼ一致
している。しかしながら、86年以降、経済体制改革の進展とともに、政治面の改革も必要といった「政治体制
改革」論が活発に展開されていたことを背景に、共産党指導部の側から、政治システム全体の改革を提起し
た点で画期的といえるであろう。(注26)
行政機構に関して、趙紫陽総書記は、共産党の指導およびその強化を前提条件としながらも、党務と政務の
混同や、党が政務をすべて代行することが能率の低下を招いているとの認識を示し、党と政府の機能分離
(「党政分離」)を提唱した。「党政分離」を明言した点では、トウ小平演説より踏み込んだ内容となっている。ま
た、行政機構の肥大化を問題視し、組織の簡素化と人員の削減を明記したことも、行政機構の問題点、さら
には行政機構改革の経緯を述べる上で重要な事項である。
(2) 行政機構改革の経緯
では、上述した問題点をどこまで解決できたのだろうか。80年代から、朱鎔基首相主導の行政機構改革が98
年に始まるまでの期間における行政面での改革を、そうした観点から改めて整理してみたい。
まず、幹部の任期・退職制度については、かなり整備されたといえる。
82年制定の憲法では、元首に相当する国家主席、国務院総理(首相)、副総理、全国人民代表大会常務委
員会委員長(国会議長に相当)など、主要な国家指導者の任期と三選禁止が明記された(トウ小平氏が当時
就任していた中央軍事委員会主席については、三選禁止規定は盛り込まれず)。同規定については、今日ま
また、82年には古参幹部の抵抗を緩和し、引き継ぎを円滑に進展させるため、共産党中央顧問委員会が発
足した。幹部職を退いた人員から構成される同委員会は、以降の中国政治において、一定の影響力を発揮し
てきたが、構成員の相次ぐ死去や、江沢民指導部の権力基盤の強化のためには長老の干渉を抑え込む必
要性が生じてきたことから、92年に廃止された。中央顧問委員会の廃止に伴い、共産党や政府における幹部
の終身制は、ほぼ不可能となった。
官僚主義的な傾向の是正については、一進一退と判断される。
もちろん、中国の指導者達は、幹部の規律の乱れを是正するため、政治教育・思想教育を頻繁に実施した
り、党からの除名や解任などを含む厳しい処分を行ったりもしてきた。しかし、「官倒」(官僚個人あるいは集団
による権力を利用した不正な利益獲得行為)に対する不満が89年の天安門事件を引き起こす一因となった
点、天安門事件後も幹部の汚職や職権濫用の事例が後を絶たない点などを勘案すると、十分な効果を上げ
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そして、日本の省庁に相当する部・委員会の数の削減を柱とする機構改革が実施された結果、81年に100に
まで肥大していた国務院内部の機構の数は、61にまで減少した。ところが、経済建設に対応するという名目で
機構の新設および復活が実施されたため、86年末に機構数は72と、再び増加した。その後、88年と93年に行
政機構改革が実施されたものの、いずれも中途半端な結果に終わった。その判断の主たる根拠として、確か
に常設機構の数は減ったが、非常設機関の設置などの骨抜きが行われたこと、官庁間の権限範囲の曖昧
さ、企業経営への過剰な介入といった問題では、顕著な改善がみられなかった。人員についても、「簡素化→
肥大化→再簡素化→再肥大化」という悪循環から完全には脱却できなかった点を中国指導者層自らが(間接
過度な権力集中については、共産党主席の廃止などを通じて改善に向かっていた。しかし、89年の天安門事
件や、トウ小平の共産党および国家の中央軍事委員会主席引退を契機に、政治的安定が最優先され、権力
の再集中が図られている。現在の江沢民総書記が国家主席と党および国家の中央軍事委員会主席を兼任
していることは、権力再集中の典型といえよう。また、87年の第13回共産党大会で採択された「党政分離」の
方針に基づき、行政機構内部の党組(共産党以外の指導的な役割を果たす組織に設置される、党の指導機
関)の廃止、行政機関に対する共産党の指導を重大な政策決定と人事に限定するといった措置が実行に移
された。ところが、天安門事件以後、こうした試みは頓挫し、党組も復活した。
3.行政機構改革の目標とその進展状況
(1) 朱鎔基首相の行政機構改革の目標
ここでは、2つの分析を行いたい。一つは、朱鎔基首相率いる政府が取り組むべき最重要課題の一つと位置
付けられた行政機構改革における主要な目的を確認することである。そしてもう一つは、本縞の執筆時点(98
年6月)までにどのような措置が実施されたのか、今後の予定で実施が決まっている事項はあるのかといった
点について触れることである。
まず、IV.1で例示した公式文献や朱鎔基首相の就任会見などを材料に、朱鎔基首相主導の行政機構改革が
何を問題点とし、いかなる目標を設定したのか、IV.2で言及した認識から変化があるのかなどについて、確か
めてみよう。なお、材料の中には、第15回共産党大会における江沢民総書記の活動報告が含まれている。確
かに、第15回党大会は97年に開催され、朱鎔基首相が行政機構改革の陣頭指揮を執る98年よりも前の出来
事だが、向こう5年間の政治・経済の基本路線が党大会で決定される状況を勘案すると、分析対象から外す
朱鎔基首相主導の行政機構改革における第1の目標として、「社会主義市場経済」下で求められている役割
を果たすことができる政府・組織への機能転換が挙げられる。
以前、例えば、「政治体制改革」が盛んに論じられた80年代後半にも、「経済体制改革の要求」に応じて、企
業に対する政府の管理を「直接管理を主とする状態」から「間接管理を主とする状態」に転換させるべきとの
主張は存在した[趙(1987)]。しかし当時は、「党政分離」の方が前面に押し出されていたため、機能転換に
ついては二次的な扱いであった。
その後、実質的な市場経済化(例えば、資源配分を市場の機能に委ねる)を目指す「社会主義市場経済」が
共産党および国家の基本方針として承認されたこともあって、マクロコントロール部門、社会の管理部門や公
共サービス部門を強化する一方、企業の「生産・経営の管理」を担当する部門の「調整・削減」と、こうした権
限の「企業への委譲」が、機能転換の具体的な措置として、明示されるようになった。また、「党政分離」が目
標として掲げられなくなったため、機能転換は行政機構改革の目標としての重要度を増したのである。
第2の目標は、組織の簡素化である。これについても、前述した通り、肥大化した機構の弊害が繰り返し指摘
され、何度か改善も試みられた。しかし、権限範囲の曖昧さなどについては残されたままで、機構の肥大化に
伴う弊害のすべてが解消されたわけではなかった。こうした事情を踏まえると、組織の簡素化は、80年代以
降、一貫して続く課題といえよう。
ただし、機構を簡素化しなければならない理由として、従来の認識では明らかでなかった点が新たに加わっ
た。羅幹・国務委員兼国務院秘書長(現在は国務委員のみ、国務院秘書長は日本の内閣官房長官に相当)
が『国務院機構改革プログラムの説明』を述べた際の表現を引用すれば、「管理部門が多く、政策を出すとこ
ろが多い」ことである[羅(1998)]。
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具体例としては、石油化学プラントを挙げておきたい。今回の行政機構改革以前には、石油化学プラントは、
化学工業部、国家経済貿易委員会、国家計画委員会という3つの役所が管轄していた。ある特定の分野を
複数の役所が管轄する状態こそ、業務の重複や政策上の混乱などをもたらすとともに、簡素化を行政機構改
革の主要目標として再び掲げなくてはならなくなった要因と考えられる。
第3の目標は、人員の「(少数)精鋭化」である。
80年代以降、何度も人員削減が実施され、行政機関に従事する人員が一時的に削減されたことは、前述の
通りである。しかし、削減幅が、本来削減すべき水準を下回っていたため、業務を処理するために最低限必
要な人員を上回る状態は依然として続いている。むしろ、国家機関、党、社会団体で業務に携わる人員数の
推移をみていくと、非常設機関の設置などの策により、実質的には増加した可能性を否定できないのが現状
その結果、人件費を柱とする行政管理費の増加に歯止めがかからず、国家財政の赤字を慢性化させただけ
でなく、教育分野などに投入する資金不足をもたらしている(図8)。なお、財政面から、機構改革および人員
の削減が必要との問題意識を、中国の指導者達が鮮明に示している点は、従来と異なる部分であり、今回の
行政機構改革における主要な特徴といってよいだろう。
行政機構が余剰人員を抱えていることに伴う弊害は、国家財政面にとどまらない。経費を賄うことを目的とし
て、各部門が様々な名目で費用を徴収(「乱収費」と呼ばれる)し、国民や外資系企業に余分な負担を強いて
つまり、行政管理費の増大が、国家財政の破綻や海外からの直接投資の冷え込みをも招きかねない状態に
達していることに危機感を感じ、精鋭化の一環として人員の削減、しかも、従来の改革よりも大幅な削減目標
が設定されたといえよう。
そして、精鋭化には別の側面もある。それは、汚職や職権濫用といった腐敗の蔓延を抑え込むとともに、清廉
であると同時に法律に基づいて効率的に業務を処理することを、公務員の職務として各人に定着させること
(2) 2年目を迎えた時点での進展状況
朱鎔基首相が陣頭指揮を執る行政機構改革も2年目を迎え、具体的な成果も出始めている。また、「3年間」
という期間内での公約実現に向けた今後の予定も明らかになりつつある。以下では、2年目を迎えた現時点
における3つの主要な成果と、今後の具体的な予定をみてみよう。
主要な成果として、人員の削減がまず挙げられる。
今回の行政機構改革以前は、副首相が6人、副首相に次ぐ地位の国務委員が8人存在した。しかし、「精鋭
化」の結果、副首相は4人、国務委員は5人に削減された。副首相・国務委員の削減から始まって、国務院全
体で定員数の削減が進んでいる。なお、週刊誌『瞭望』の98年12月7日号は、定員数が47.5%削減されたと
また、削減対象となった人員の処遇に関しては、各種の措置を実施中である。例えば、国務院の副部長(副
大臣)クラス以上の幹部については、研修を経た後、重点大型国有企業の経営状況を監督するための監察
特派員(中国語では、「稽察特派員」)として派遣する制度が導入された。そして、レイオフとなった職員を大学
に派遣し、大卒あるいは大学院修了の学歴を付けさせ、各方面(企業、金融、財務・税務、法律部門以外に
も、コンサルティングを指すとみられる「社会仲介組織」を想定)への再就職を支援する方策も実施されている
第2の主要な成果として、国務院における機構の再編成が挙げられる。
再編成は、98年3月の全人代で承認された『国務院機構改革プログラムの説明』に沿って、始められた。具体
的には、(1)マクロコントール部門(金融・財政政策などを担当)、(2)専業経済管理部門、(3)教育・科学技術・文
化・社会保障・資源管理部門、(4)国家政務部門の4つに分類した上で、統廃合が実施された(表13)。
特に、専業経済管理部門では、機械工業部や化学工業部など、個別の産業あるいは企業の管理・経営に深
く関与してきた6つの部が、日本の通産省に相当する国家経済貿易委員会の一部局として吸収された。その
際、生産計画および分配計画の通達など、部として持っていた権限の一部は引き継がれなかった。
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また、「同じ、もしくは似た職務については、一つの部門に担当させる」という同プログラムの方針に沿って、い
くつかの部門で機能の一本化が実施された。とりわけ、民生部(農村部の社会保険を管轄)や人事部(同部
が管理している機関事業単位の社会保険を管轄)などに分散していた社会保障政策に関する機能を、従来
の労働部を発展させた労働・社会保障部に一本化したこと、また、大別すると郵電部と電子工業部に二分さ
れていた情報政策に関する機能を、新設の情報産業部(中国語では、「信息産業部」)に集約したことなどに
こうした統廃合の結果、日本の省庁に相当する部・委員会の数は、機構改革前の40から29へと減少した。確
かに、国務院の直属機構、直属事業単位などは、部・委員会の統廃合に伴う直属機構への改編があったた
め、43から51に増加した。それでも、国務院全体の機構数では、改革前より減少した。非常設機構などについ
ては、一部を除いて廃止されることが決まった。
他方、マクロコントロール部門については、計画経済において主導的な役割を果たしてきた国家計画委員会
が、権限を大幅に縮小(例えば、産業政策の策定・実施の役割を、国家経済貿易委員会に委譲)され、名称も
国家発展計画委員会に変更となった[JETRO(1999)]。しかし前述の通り、国家経済貿易委員会は権限を拡
大した。中国人民銀行では、運営に関する地方からの干渉を排除し、中央銀行としての独立性を高めるため
の支店再編が、98年に実施された。国家経済体制改革委員会は、首相が主任を兼務し、関係閣僚を構成員
とする議事機構に格上げ(機構数にカウントされず)された。つまり、再編成の過程で、マクロコントロール部
門は全体として機能を強化したといえるのである。
同時に、企業の自己資金および商業銀行融資を利用したプロジェクトの審査、炭坑の地方への移管といっ
た、一部機能の放棄あるいは移譲が進められたこともあって、200余りの「司局級」(日本の官庁における局に
相当)組織を削減できた[JETRO(1999)]。
第3の主要な成果として、国家機関および共産党組織と、企業部門との分離が挙げられる。
これまで中国では、軍隊や司法機関を含めた国家機関が企業を作り、営利を目的とした経済活動も行ってい
た。経費を自ら賄うことを求められてきた事情(抗日戦争の頃からの伝統)から考えれば、やむを得ない面も
あるのかもしれない。とはいえ、通常の経済活動のみを行っていたのならまだしも、密輸に直接関与し、国家
の税収や企業の生産活動に損失を与えるなど、民衆の不満を買うような行為が相次いで指摘された。これで
は、江沢民指導部も、改善すべき問題と判断せざるを得ないと思われる。
そこで、98年の後半以降、国家機関および共産党は、営利を目的とした経済活動から撤退することが指導部
内で確認された。特に、腐敗対策の一環として、軍隊、武装警察部隊、さらには裁判所、検察部門と、営利性
を持つ企業との分離(企業の廃止あるいは地方への移管)が先に実行され、98年12月15日までに作業が完
了した。99年の『政府活動報告』によると、その他の共産党や行政機関についても、中央レベルでは、営利性
を持つ企業との関係断絶が「着実に実施されている」模様である[朱(1999)]。
ところで、「三大改革」の一つとして位置付けられている今回の行政機構改革は、国務院にとどまらない。地
方政府の末端に至るまで、「3年」で同様の改革の実現を求めている。同時に、汚職や職権濫用といった腐敗
を抑え込む目的で、県レベルまでの共産党および国家機関の幹部を対象とした政治教育が実行されることに
なっている。そのために、地方の行政機構改革と政治教育という2点に絞って、今後のスケジュールを整理し
地方における行政機構改革については、99年の『政府活動報告』が具体的な日程を示している[朱(1999)]。
同報告では、地方を省と末端の二つ(具体的な方策の部分では、末端は市レベルと県・郷・鎮レベルとに細分
化)に分け、それぞれ別の実行案を提示している。
省レベルに対しては、「構成する部門の設置は、国務院を構成する部門と基本的に対応させ」、「定員は原則
的に半分に減らす」ことを目標とした改革案を自ら作成して中央に報告し、中央の審査・認可を受けた後で段
階的に実行していくことを求めている。「国務院(中略)と基本的に対応」とは、98年に実施された改革の内容
から推測すれば、専業経済管理部門の統廃合を主として指すとみられる。また、各種報道や『政府活動報告』
の論理的流れ(根拠は後述)に基づけば、改革案の策定中か、実行段階に入ったと考えられる。
末端レベルに対しては、中央の方針に沿って、改革案を策定・実行するという点で、省レベルの場合と同じで
ある。ただし、定員数の削減幅に関して、末端レベルの政府ではなく、省レベルの政府が「実状に基づいて検
討した上で」中央に報告するよう求めている点が大きく異なる。また、機構改革を開始する時期について、県・
郷・鎮レベルでは「慎重を期して来年」に先送りして実施することを提案している(この表現から、省レベルに
加え、末端レベルのうち、市レベルの実施時期は、それ以前の現時点であると推測可能)。
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綱紀引き締めを目的とする政治教育、いわゆる「三講」については、下記のような日程・方式で実施される予
定である[小島(1999)]。(注30)
教材としては、共産党規約、第15回共産党大会の活動報告、歴代指導者(毛沢東、トウ小平、江沢民)の著
述などを使用する。そして、共産党中央と、省レベルより上の政府は、99年上半期までに、それ以下のレベル
の共産党および行政機関は99年内までに、学習を完了(期間は2カ月程度)することを求めている。学習の際
には、監視・点検を行うための人員が共産党中央から派遣され、上級部門(県の場合は市、省の場合は中
央)への書面報告が義務付けられている。
江沢民指導部としては、こうした政治教育の徹底を通じて、中央の指示に対して忠実で、自らを律することの
できる(=腐敗に走らない)幹部が、早急かつ大量に育成されることを狙っている。
4.現時点での行政機構改革に関する中間評価と今後の展望
(1) 現時点での行政機構改革に関する中間評価
進捗状況から判断して、朱鎔基首相が政府の最重要課題の一つと位置付けた今回の行政機構改革は、主
要目標をどの程度達成できたのだろうか。最終的な評価は、朱鎔基首相が設定した期限である「3年」後、つ
まり2000年が終わるまで待たなければならないことを前提に、現時点での中間評価を試みたい。
まず、政府・組織の機能転換という目標については、かなりの程度達成できたといえる。
今回の行政機構改革の前まで企業経営に対する直接管理を行ってきた部門の多くは、統廃合の対象となっ
た。さらに、その多くが国家経済貿易委員会に吸収される際、企業に対する生産計画および分配計画の通達
などの権限を放棄(縮小)した。こうした措置により、企業(特に国有企業)や金融機関が自主的な経営判断を
行うことのできる領域を拡大した点を考えると、経済構造改革の円滑な推進に寄与したと判断してよいだろ
軍や司法機関を含めた国家機関や共産党が直接経営してきた企業を切り離す作業で、具体的な成果がみら
れたことも、職務に専念させるという意味での機能転換を促したといえる。
さらに、計画経済下で絶大な権限を有していた国家計画委員会を除き、財政・金融政策などを担当する部門
は、権限や独立性の点で強化された。その結果、企業などに対する直接的な経営管理から経済のマクロコン
トロールへと、政府の機能転換が制度上一層明確となった。
ただし、これは国務院をはじめとする中央レベルに限定した評価である。地方における機能転換については、
改革案を策定中のところが依然多いため、現時点での評価は不適当と思われる。もし敢えて付け加えるとす
れば、中央で実現した機能転換の原則を地方でも貫くことができた場合、国家機関や共産党組織における機
能転換という目標をほぼ達成したと判断してよいだろう。
また、監察特派員制度が、行政機関による新たな企業管理であり、政府と企業の機能分離、いわゆる「政企
分離」に逆行する側面もあることは否めない。それでも、削減対象となった副部長クラス以上の高級幹部向け
の再就職先を作り出し、定員数の削減作業を円滑に推進するための条件を作り出す方が優先されるなどの
理由から、現時点ではやむを得ない措置と考えられる。
組織の簡素化という目標についても、国務院に限定すれば、一歩前進した。少なくとも、前述した石化プラン
ト、情報政策、社会保障などの分野で、担当官庁の一本化が実現したことにより、「管理部門が多く、政策を
出すところが多い」弊害は緩和されたと判断できる。
ただし、対外貿易経済合作部と国家経済貿易委員会の統合、鉄道部と交通部の統合、国務院が抱えるいく
つかの研究機関の統廃合など、簡素化が必要と思われる部分は国務院においても依然存在する。地方の簡
素化は、99年下半期以降に本格化する予定である。したがって、組織の簡素化という目標の達成状況は、そ
うした点を割り引いて評価しなければならないであろう。
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人員の精鋭化については、国務院では、定員数の47.5%削減を実現した。半分に減らすことが具体的な数値
目標であった点から考えると、国務院については目標をほぼ達成したと判断できる。後は、削減対象となった
人員に対する各種の措置が効果を発揮せず、非常設組織などを設置して再び抱え込むような事態に陥らな
ければ、期限内の目標達成も現実味を増そう。しかし、質的な精鋭化、地方での人員削減については、相当
(2) 今後の展望
朱鎔基首相が陣頭指揮を執っている今回の行政機構改革は、肥大化した行政機構が財政に対して重い負
担を背負わせているといった明確な問題点を提示したこと、企業や金融機関に対する直接管理を行ってきた
部門の統廃合という具体策を当初から明示したこと、などの点が、従来の改革とは異なっていた。それゆえ、
1年目で顕著な成果を上げることができたのであり、目標達成の度合いも今後高まっていくものと期待され
る。とはいえ、残りの期間で目標を全面達成できるという楽観的な見通しを立てることもできない。なぜなら、
地方での改革は中央以上に困難であるとともに、行政機構改革全体の進展をも左右しかねない問題と考えら
例えば、国務院の場合、改革着手時点の人員が3万3,000人であり、半分の1万6,500人の再就職先を確保す
ればよい。ところが、同じ半減でも、地方の場合は、800万人の半分、すなわち400万人の再就職先の確保が
改革の過程で必要となる。(注31)したがって、現在展開中のリストラ対象人員向けの措置では、対処しきれ
ない可能性も十分にあり得る。また、国務院をリストラされた人員は、能力や、要人との太い人脈といった要
因が評価され、各方面から求人申し込みが殺到しているやに伝えられている。反面、地方の行政機関をリス
トラされた人員は、国務院をリストラされた人員と比べた場合、人脈や能力の面で総じて不利というのが一般
的な見方であり、再就職先を探すのは難しいと思われる。
むろん、国家機関以外に大量の人員を雇用できる先がないなどの地方独自の事情が考慮され、末端レベル
の定員数削減幅については、緩和も可能である[朱(1999)]。それでも、地方全体で50%程度の人員削減を
実施できなければ、朱鎔基首相が進めている行政機構改革は、目標を達成できなかったと評価され、朱鎔基
首相、さらには江沢民指導部全体の権威の低下をも招くことになろう。したがって、「上に政策あれば、下に対
策あり」と、中央の意向通りには必ずしも動かない地方に対する影響力を判断するという側面も含めて、地方
における行政機構改革の進展状況を今後、特に注目しなければならない。
また、「政治体制改革」が盛んに論じられた80年代後半と大きく異なり、朱鎔基首相が先頭になって進めてい
る行政機構改革では、共産党と政府の関係を変更しようとか、「党政分離」を進めようといった目標は掲げら
れていない。政治的安定を最優先事項に掲げている江沢民指導部とすれば、共産党の指導という、中国にお
ける統治の大原則を侵食し、政治的混乱をもたらす可能性を少しでもはらんでいるような措置の実施は回避
したいとの思惑が作用したものと考えられる。
しかし、IV.2での分析から明らかなように、党組は復活し、党務と政務の混同、党が政務を代行することに伴う
能率の低下などの問題は残されたままなのである。権限の範囲がより明確になったと評価できるのは、国務
院の部・委員会の間であり、党組と行政機関の間ではない。
そうした状況下で簡素化を目指した場合、党組が行政機構内部における余分な管理機関あるいは統廃合の
対象として、急浮上することもあり得る。しかも、行政機構の簡素化は、第15回共産党大会の活動報告の中
で「党の活力を強める」ために行わなければならない措置として挙げられている[江(1997)]。
そのため、共産党の指導を維持するために機構の簡素化をさらに推進するのか、現行制度を維持するのか
で指導部の意見が二分し、その調整のために改革が足踏みすることも今後考えられる。
人員の質的な精鋭化も、共産党と政府の関係に本質的な変化を求めてくる可能性がある。
現在展開中の「三講」が短期間で効果を上げ、幹部の腐敗件数の減少などの改善傾向がみられれば、そうし
た厳しい局面に直面しなくて済むだろう。ただし、腐敗を取り締まるべき検察部門の収賄事件が相次いで発覚
するなど、腐敗が広範囲に浸透している現状を、教育だけで短期間に改善することは容易ではない。
もちろん、法制度の整備、司法制度の強化も進めてはいる。ところが、「憲法と法律の範囲内で活動」するとし
ながらも、「人民を指導して憲法と法律を定め」ることも共産党の役割としている[江(1997)]。つまり、共産党
は、法をも超越することが可能である。加えて、裁判所や検察部門に対する共産党の指導も続いている。共
産党の行動については、外部から十分に監督し、抑制できる制度が全く存在しないのである。
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中国の
中国の「三大改革」
三大改革」の現状と
現状と展望
その結果、共産党自身が自らを律することができない限り、腐敗に歯止めをかけることは不可能であり、だと
すれば共産党と一体化している行政機構の精鋭化にも限界があるといえる。少なくとも、世論がそうした認識
に傾けば、行政機構改革は失敗したと判断され、江沢民指導部の退陣、さらには、共産党の一党独裁放棄な
どを求める民衆の運動が各地で噴出しかねない。
以上は、あくまでも最悪の可能性のみを想定した議論である。ただし、そうした状況を避けたい江沢民指導部
が「党が党を管理する」[趙(1987)]ために、共産党と政府の機能の分離を目指した80年代後半の「党政分
離」を、再度持ち出す可能性が今後あること、そうなれば、内部の意見調整に相当の時間が費やされ、改革
が停滞する恐れもあろう。
したがって、行政機構改革の今後を展望し、それに基づいて対中投資の決断から経済構造の改革に対する
評価まで含めた何らかの判断を下すのであれば、簡素化および精鋭化という行政機構改革の主要な目標
が、共産党の指導、共産党と国家の関係をどのように変容させる可能性があるのかといった点まで、考えを
突き詰めておく必要があろう。
注
1. 98年3月20日付け「人民日報」。
2. 97年9月13日付け「人民日報」。
3. 97年10月13日付け「人民日報」。
4. 瞭望週刊社『瞭望』98年7月13日号、99年3月19日付け「人民日報」。
5. 中国紡織総会「中国紡織報」98年6月19日号。
6. 国家経済貿易委員会副主任・鄭斯林氏の講話(99年3月2日付け「人民日報」)など。
7. 同上。
8. 99年3月19日付け「人民日報」。
9. 99年3月2日、19日付け「人民日報」。
10. 曽培炎「1998年度国民経済・社会発展計画の執行状況と1999年年度国民経済・社会発展計画案につい
ての報告」(1999年3月6日第9期全国人民代表大会第2回会議にて)。
11. 98年12月29日、99年1月9日付け「人民日報」。
12. 朱鎔基首相の「政府活動報告」については、99年3月18日付け「人民日報」を参照。
13. 国家統計局『1998年国民経済と社会発展統計公報』1999年。
14. 朱鎔基の講話については、JETRO『中国経済』1999年4月号、p.72を参照。
15. 呉邦国(副首相)「在全国紡織工業深化改革調整構造工作会議上的講話」、石万鵬(中国紡織総会会長)
「在全国紡織工業深化改革調整構造工作会議上的講話」、杜ギョク洲「如何再変成-紡織工業擺脱困境的思
16. 中国国有企業制度の非効率性については、賈(1997)、(1998)、(1999)を参照。
17. 99年3月12日付け「人民日報」。
18. 99年1月13日付け「人民日報」。
19. 旧債権分類では、不良債権総額が1兆7,000億元、貸出総額に占める不良債権比率は約25%である。
20. 99年1月28日付け「人民日報」。
21. 『中国通信』99年5月14日。
22. 中国人民銀行『98年中国金融展望』、p.30。
23. 99年1月1日付け「人民日報」。
24. 例えば当初、上海分行には上海、江蘇、浙江が含まれる構想が有力であったが、江蘇省には別に南京分
行(江蘇、安徽)が設置された。
25. 国家と共産党が、構成人員などの面で一体化している現状を考慮し、本稿では、「行政機構改革」の範囲
を、行政機関やそこで業務に携わる人員だけでなく、裁判所、検察、軍を含めた国家機関、共産党組織およ
び人員にまで拡大している。
26. 「政治体制改革」が活発に議論された80年代後半当時、経済改革の補完的位置付けとしてではなく、三権
分立制の導入や共産党一党独裁の放棄をも含めた政治改革が必要との主張も、一部には存在した。また、
こうした主張が公然と論じられたのは89年の天安門事件までと考えられることから、本稿では、「政治体制改
革」の時期を同事件までと定義する。
27. 厳密にいえば、98年の政府活動報告を行ったのは李鵬首相(当時)である。ただし、次期首相に内定して
いた朱鎔基副首相(当時)の意向が同報告に強く反映されていたと考えられるため、分析対象に含めている。
28. 『中国統計年鑑』では、合計のみが掲載されている。
29. 『瞭望』は、時事問題を分析・論評する総合週刊誌。共産党や国家の指導者および彼らのブレーンによる
寄稿や見解が頻繁に掲載されることで知られている。
小林重雄
さくら総合研究所
さくら総合研究所
RIM 環太平洋ビジネス
環太平洋ビジネス情報
ビジネス情報
1999年
1999年7月No.
No.46p
46p. 26/
26/26
中国の
中国の「三大改革」
三大改革」の現状と
現状と展望
30. 「三講」という言葉は、「講学習、講政治、講正気」(学習、政治、正しい気概を重視する)の中で、講が3回
使われていることに由来する。江沢民総書記が98年に指示し、試験的に実施されてきた。
31. 共産党組織に従事する人なども含む数字。ただし、共産党組織の運営費用は国家予算で賄われているこ
と[唐(1997)p.57]、他に適切な資料も見当たらないことから、この数字を採用した。
主要参考文献
1. 国家統計局『中国統計年鑑』中国国家統計出版社 1998年版
2. 国家統計局『中国統計摘要』中国国家統計出版社 1998年版、1999年版
3. 国家統計局『1998年国民経済と社会発展統計公報』1992年2月26日
4. 国家財政部財政年鑑編集委員会『中国財政年鑑』中国財政雑誌社 1998年版
5. 国家経済貿易委員会副主任・鄭斯林氏の講話(「人民日報」1999年3月2日)
6. 曽培炎「1998年度国民経済・社会発展計画の執行状況と1999年年度国民経済・社会発展計画案について
の報告」(『中国通信』1999年3月23日号所収)
7. 呉邦国(副首相)「在全国紡織工業深化改革調整構造工作会議上的講話」(中国紡織総会『中国紡織報』
1997年12月30日号所収)
8. 石万鵬(中国紡織総会会長)「在全国紡織工業深化改革調整構造工作会議上的講話」(中国紡織総会『中
国紡織報』1997年12月30日号所収)
9. 杜ギョク洲「如何再変成・紡織工業擺脱困境的思路」(『経済管理』1994年第4期所収)
10. JETRO『中国経済』1999年4月号
11. 賈宝波「中国国有企業民営化の摸索」(世界経済研究協会『世界経済評論』1997年12月号所収)
12. 賈宝波「中国国有企業における非効率の原因とその改善政策」(『東瀛求索』1998年第9号所収)
13. 賈宝波「外資による国有企業のM&A」(『東瀛求索』1999年第10号所収)
14. 中国人民銀行『貸し出しリスク分類原則』1998年
15. 中国人民銀行『98年中国金融展望』1998年
16. トウ小平『党と国家の指導制度の改革について』1980年(訳は太田勝洪他編『中国共産党最新資料集
(下)』勁草書房1986年)
17. 浜勝彦「中国行政機構改革の成果と今後の展開」(日中経済協会『日中経協ジャーナル』1999年5月号所
18. 「朱鎔基政府の「3つの完成」の98年の進展(その2)」(JETRO『中国経済』1999年5月号所収)
19. 李鵬『政府活動報告』1998年(訳はJETRO『中国経済』1998年6月号)
20. 李永春他編『第十一届三中全会以来政治体制改革大事記』春秋出版社 1987年
21. 羅幹『国務院機構改革プログラムの説明』1998年(訳は1998年3月12日付け「日刊中国通信」)
22. 江沢民『トウ小平理論の偉大な旗印を高く掲げ、中国の特色を持つ社会主義建設事業を21世紀へ全面
的に進めよう』1997年(第15回共産党大会における活動報告)(訳は1997年9月25日、26日付け「日刊中国通
23. ラヂオプレス『旬刊 中国内外動向』1998年4月10日号、5月31日号、1999年4月30日号
24. 小島朋之『岐路に立つ中国』芦書房1990年
25. 小島朋之「新たな整風工作がはじまる?」(霞山会『東亜』1999年5月号所収)
26. 国分良成『中国政治と民主化』サイマル出版会1992年
27. 北京週報社『北京週報』1998年4月7日号、5月26日号
28. 瞭望週刊社『瞭望』1998年3月12日号、12月7日号、12月28日号
29. 沈才彬『通史とテーマで読み解く中国経済読本』亜紀書房1999年
30. 高原明生「中国・朱鎔基改革二年目の課題」(霞山会『東亜』1999年6月号所収)
31. 唐亮『現代中国の党政関係』慶應義塾大学出版会1997年
32. 趙紫陽『中国の特色を持つ社会主義の道に沿って前進しよう』1987年(第13回共産党大会における活動
報告)(訳は中国総覧編集委員会編『中国総覧1988年版』霞山会1988年)
33. 朱鎔基『政府活動報告』1999年(訳は北京週報社『北京週報』1999年4月6日号)
小林重雄
さくら総合研究所
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