Comments
Description
Transcript
子どもの作文「こんな流山市にしたい」について
181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 子どもの作文「こんな流山市にしたい」について 第14回市民協議会資料(181021) 1.作品の募集方法 市内の15小学校の6年生、8中学校の1年生を対象に、夏休みの宿題として、 「こんな流 山にしたい」をテーマとした作文を募集した。 2.作品の応募状況(単位:編) 中学校 小学校 学 校 名 作品数 流山小学校 八木南小学校 18 − 八木北小学校 新川小学校 53 1 東小学校 江戸川台小学校 2 1 東深井小学校 鰭ヶ崎小学校 9 17 向小金小学校 西初石小学校 4 41 小山小学校 長崎小学校 5 1 流山北小学校 西深井小学校 3 15 南流山小学校 2 小学校・合計 172 学 校 名 南部中学校 作品数 − 常盤松中学校 北部中学校 22 15 東部中学校 東深井中学校 22 37 八木中学校 南流山中学校 − 90 西初石中学校 中学校・合計 199 小・中学校合計 371 13 ※小学校では6年生以外の応募も少数あった。 ※中学校は1年生の応募のみ。 ※“−”は、応募なし。 3.審査の経過について(次ページより優秀賞作品の全文を掲載) 1)飯田副代表の発案により、女性の委員による審査委員会を設置し、9月24日に第1回の 会合を行い、飯田、池田、清水、矢畑、増岡委員で371編の作品をおおむね70編ずつ 分け、各々持ち帰り、1次審査を行った。 2)10月1日、第2回審査委員会を実施。上記5名の委員が、それぞれ担当した作品から入 賞作品の候補を推薦し、話し合いの上、小学生の部・22編、中学生の部:21編を一次 審査通過(佳作以上)の作品とした。 3)一次審査通過作品を、飯田委員長、清水委員が持ち帰り、優秀作品の候補作品を選出し、 10月6日の第3回委員会にて、代表も含めた協議の末、小学生・中学生の部、各6編・ 計12編を優秀賞作品とした。うち、小学生の部・2編、中学生の部・3編を、11月2 5日開催のフォーラムにおいて、本人に朗読してもらう作品の候補とした。 4)優秀賞の12編については、市長、江川代表から表彰を行う予定。表彰式は、10月23 日(月)午前9時から、市長室で行う。 5)優秀賞には、表彰状および図書カード(1000 円)、佳作には、図書カード(500 円)を贈呈す る予定。 - 1 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 子どもの作文「こんな流山にしたい」・優秀賞作品 ※朗読は、フォーラムで本人に朗読してもらう作品の候補 【小学生の部】 ●こんな流山にしたい 朗読 八木北小学校 6年2組 桑原 舞帆〔くわばら まほ〕 今、私は流山市と柏市の境に住んでいます。柏には工場が多く、どこでもかなりおそくま で仕事をしている様です。大きな工場では、はなれた場所に駐車場を作ったため、その間を 社員の人が行き来し、タバコ、空き缶、ひどい時には、お弁当の食べ残しがそのまま家の前 に捨てられていた事もあります。シンナーのにおいを出す工場もあります。その工場は缶を 外につみ上げ、ゴミを放置し、火事を出すという最悪な結果をまねきました。どこからとも なく、もしたにおいもします。野焼きです。近くの工場、ななめ前の家、十けん先の家、さ まざま。「私の住んでいる場所とは何だろう。」と、考えさせられてしまいます。 私はここに家族とずっといっしょに暮らしていきたいと考えています。長生きもしたいで す。けれど、この環境ではこれから、だいじょう夫なのだろうか、と不安になってしまいま す。 新しく電車が通ったためにずいぶん家がたちました。ここは、 「流山が良ければ」という場 所ではない様に思います。柏市の人、新しく引越ししてきた人、そして自分達が、少しずつ 気をつければ、そしてルールを守れば、そう音、悪しゅう、ポイ捨ては減ると思います。思 いやりは人や動物に対してだけではないはずです。環境にも思いやりをもって、思いやりが もてれば、必ず自分に返って来ると思います。 いつの日か、窓を全部あけてすごせる流山になれる様にみんなで、協力していきたいです。 ●こんな流山にしたい 朗読 鰭ヶ崎小学校 5年1組 白石 桃香〔しらいし ももか〕 私は、二年前から犬を飼いはじめました。名前は“みるく”メスのパピヨンです。犬を飼 うのは初めてで、お散歩に行くのも思い通りにならなく大変でした。みるくも、お散歩が楽 しくないらしく、途中ですわり込んで、動かなくなることがよくありました。ところが、最 近は、私もみるくもお散歩が大好きになりました。だから、近くの時は、私一人でお散歩に 連れて行きます。そうすると、通りすがりの知らない人に、よく声をかけられるようになり ました。初めは、はずかしくて、顔も見られませんでしたし、もちろん返事もできませんで した。しかし、あいさつされたり、「かわいいね。」とか言われたりすると、うれしくて、そ の日はずっと楽しい気持ちになることがわかりました。私もがんばって、あいさつをかえせ るようになると、もっとうれしい気持ちになりました。初対面の人でも、あいさつすると、 うれしくてその日は、素敵な一日になることがわかりました。 みんなが、元気にあいさつできる町は、きっと明るくやさしい気持ちの人がたくさんいる ステキな町なのではないでしょうか? 流山は、昔からのたくさんの自然があり、また、新しく便利な設備の整った町だと思いま す。そんな住みやすい町に、笑顔たくさんの人々が集まれば明るい町になると思います。 そんな明るく希望にあふれる元気でやさしい町に流山がなるといいなと思います。 - 2 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 ●一人一人が 東小学校 6年2組 関根 由希子〔せきね ゆきこ〕 私の住む流山市には、地域によって便利な場所と不便な場所があると思います。 それは、私の弟が幼ち園の時よく中耳炎にかかりました。でも私の住む地域には耳鼻科が 近くになくお母さんは困っていました。車を運転出来ない、車の無い家では病院に行くのも 大変だと思います。もっと歩きでも行く事が出来るきょりに病院があると、小さい子どもの いる家やお年寄りが通うのに便利だと思います。 しかし、良くなった事もあります。それはグリーンバスが出来た事です。私の家の前もバ スが通りますがこの前バスが出来た事で駅まで行く人もずいぶん助かっていると思います。 特に雨の日バスを利用する人は大勢います。通きんや駅の近くに買い物に行く人、お年寄り もよく乗っています。ただ、バスは小さいのですぐに人でいっぱいになります。そして、お 年寄りが立っている事があります。雨の日はすべるので危ないなぁと思います。私だったら すぐに席にすわってもらうのに、他の人を見ているとお年寄りの人が立っているので席をゆ ずってあげたらなぁと思います。 私は一人一人がきづかってお年寄りにやさしい流山市にしていけたらいいなぁと思いました。 ●こんな流山にしたい 鰭ヶ崎小学校 3年3組 しの田 こずえ〔しのだ こずえ〕 わたしは、学童に通っています。今、三年生になり、世の中で、おきているおそろしいじ けんの内ようがわかるようになると、学校に行くとき帰るときふわんでいっぱいです。集だ んとう下校がおこなわれていますが、わたしのように、父母が、はたらいている子どもは、 学童に通います。今は、父母がはたらいている人たちが多いです。だから、四年生いじょう になっても通えるように、学童をもっと考えてほしい。じけんの多くは、小学生がぎせいに なっています。わたしの家にも、今年三月にあきすに入られこわいおもいをしたので家に一 人いるのは、こわいです。流山からじけんがおきることがないように、子どもたちが安心し てすごせるような市にしてほしいです。また、バスなどこう通もふやして子どもだけでも安 心して、流山市内をまわれるような市にしてほしいです。 あと、わたしは、中学・高校といっしょになった学校に通いたいです。流山には、そうい う学校がまだありません。教育についてもまわりの市に負けない市を作って、流山市からた くさんのりっぱな人が出てかつよくしてほしいです。それがわたしの、のぞみです。 ●こんな流山にしたい 鰭ヶ崎小学校 4年1組 白崎 竜成〔しらさき りゅうせい〕 「流山もずいぶん変わったよね。」 母が子供の頃、東京から引っこし来た当時の流山は、家も少なく見わたすかぎり、田や畑 だったということです。田にはザリガニやオタマジャクシがいて、田からつながっている小 川にはメダカが泳ぎ、都会生活では味わうことがなかったことばかりで、見るものすべてが 驚きだったそうです。あそびも今とはちがい、自然の中で一日中あそべた話を聞きました。 ぼくは何より天然のメダカがいたということを聞いてとても驚き、うらやましいと思いまし た。今では家がふえ、田畑や空地はへりました。田も農薬のためか、カエルの卵を見つける - 3 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 ことはほとんどありません。 JRの駅もあり、昨年『つくばエクスプレス』が開通した流山は、これからもっと便利に なり、人口も増加していくと思います。駅周辺には、24 時間営業のコンビニなどが増えてい ます。しかし、便利さと引きかえに失っていくものが多いのはとても残念な気がします。生 物の住みやすい街作りこそ、人間にとっても環境にとっても優しいのではないかと思います。 ぼくの願いは子供のみならず皆のいこいの場としての公園の設備をし、増やしてもらいたい と思います。森林浴をしたり、日光浴をしてくつろげる公園が沢山あれば、赤ちゃんもその お母さんも近所の方々、そしてぼく達子供も皆が元気になる場として生かされると思います。 そしてその自然へ生き物が戻って来てくれたら最高です。今からではだめだとしてもあきら めずにコツコツとつみ重ねていくのが大切だと思います。 ぼくははじめの一歩としてゴミを自分から進んで拾うなど、自然に優しくなれるように考 え行動していきたいと思います。緑が増え小川などには、メダカやオタマジャクシが泳ぎ、 ホオジロなどめったに見られない鳥も飛んでいるしょう来の流山を見たいと思います。 ●明るい流山へ 西初石小学校 5年3組 日東寺 彩〔にっとうじ あや〕 私は流山が大好きです。たくさんの人達がいつも笑っているし、毎日明るいあいさつもか わされているからです。月一回ある「あいさつ運動」のおかげで、ますますあいさつをして くれる人もふえてきました。もっと「あいさつ運動」を進めて、流山市が人との関わり、明 るさにあふれる所になってほしいと思っています。 私は流山の自然も大好きです。森や林がたくさんあり、動植物もたくさん生存しています。 中でも、 「おおたかの森」は自然がたくさん残っていて、いまでもたかが住んでいます。ほか にこんな所はないと思います。昨年「つくばエクスプレス」も開通し、人通りもふえて、ま すますにぎやかになってきました。この森の自然のままの美しさと、そこに住んでいる動物 や植物の二つの大切な物がある「おおたかの森」は、開拓が進んでも、未来に残しておくべ きだと思います。 人間と自然、動物とが協力しあい、助けあって行く流山になってもらいたいです。 流山はこれからも「緑がたくさん残っている所」であってほしいと思います。そして、そ のために少しずつ市のぼ金やイベントに参加して、がんばって行きたいと思います。 流山は、これからも発展していくと思っています。そしてここには、通った人の心をひき つける何かがあります。何年たっても、この何かを失わないようにしてほしいです。 私にとって流山は、二つとないふるさとです。だから私は、流山がいつまでも、明るく、 自然がいっぱいの所であってほしいです。 大人になった時、私は 「私のふるさとは、とってもきれいで明るい所だったんだよ。」 と言えるように、もっとたくさん流山の良い所を知って、いっぱい思い出が出来るように精 一ぱい努力して行きたいと思います。 流山でなら、自分が正直になれるような気がします。この気持ちをいつまでも思いつづけ られるような未来にしていきたいです。 私は流山が大好きです。 - 4 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 【中学生の部】 ●こんな流山にしたい 朗読 北部中学校 1年1組 岩佐 美奈〔いわさ みな〕 私は『文化財』という言葉を聞くと、何だかスゴく大切なモノで、私とはかけ離れている 気がしました。第一、世界遺産の子供のようなモノで、テレビなどでしか「お目にかかれな い」と思っていました。でも、そういう場所に、いつかは行きたい、と思ってました。 私はある時、車に乗って何気なく外をながめていました。すると、私は小学二年生のころ 見てからずっと大好きだった、 「新川屋」がありました。古くからあるお店らしくて、その外 見からも、日本の「和」という雰囲気がただよっていました。「相変わらず渋いなぁ。」私が ジロジロお店を見ていると、変な看板がありました。「何だアレは。」更に見ると「この新川 屋は文化財に指定されました。」と書いてありました。私は「文化財!?」とビックリしました。 「国が…認めたのか!?」私の頭はパニックになりました。そして何故だかわからないけど、 急に得意な気分になりました。何となくうれしくなりました。 私は家に帰ってすぐに「文化財」をネットで調べてみました。すると、やっぱり新川屋は 文化財でした。しかもそれだけではありません。見た事や行った事のある神社などが同様に 「文化財」に指定されていました。私はすごくうれしかったです。そして「まだまだ流山も すてたモンじゃないな。」と思いました。 私は流山は他の市とちがって何もいい所がない気がしていました。でも今回の出来事で流 山のいい所を知りました。私はぜひとも、この文化財を大事にしてほしいと思いました。そ れとまだこの事を知らない人に、知ってほしいと思いました。そしてみんなでずっとこの町 に文化財を残していってほしいです。みんなにも歴史なんてくだらない、と思わず、どんど ん私達の市、流山から歴史をつくり出していきましょう!! ●大震災から学んだこと 朗読 東部中学校 1年3組 北野 喬大〔きたの たかひろ〕 僕は阪神淡路大震災で、震度五弱を経験しました。まだ一才だったし、当時の記憶はあり ません。ただ地震の揺れで、寝ている僕の頭の真横に時計が落下した事だけは、母から聞か された事があります。衝撃で時計も故障したそうです。それを聞くと運が良かったと心の底 から思います。 流山に住んで七年、当時を振り返りながら今思う事は、ここに住んで災害に遭わないのは たまたまだと思える事です。当時、大きな災害に遭いながらもあまり犠牲者を出さなかった 地区がありました。そこは、普段から福祉活動に力を入れていた地区だそうです。 「あそこに車いすの人が住んでいる。」 「あそこには、ばあちゃんがいる。」 と住民が手分けして助けに行ったそうです。 もし、今流山で大震災が起きたら、どうなるだろう。街中でも点字ブロックの上に駐輪し ている光景等をよく見かけますが、この様な事も改善されない街だと不安は残ります。 今、流山市に必要なことは、逃げる防災から協力の防災ではないかと思います。遠くの親 - 5 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 せきより近くの他人と良く言いますが、みんなで協力し合い、 「自分たちの街は自分たちで守 る」という災害に強い街づくりを目指せればいいと思います。阪神淡路大震災をみんなで風 化させない努力が、将来を背負う自分たちの役目だと思います。世代に関係なくみんなで手 を取り合える街になるよう、思いやりの気持ちを持ち続けていき、僕もできる事からがんば ります。 ●住みやすい町にするために 朗読 南流山中学校 1年3組 高市 侑里〔たかいち ゆうり〕 ニュースでもまいにちのように報告されているように今、日本のいたるところで空き巣の 被害や子供をねらった事件が多発しています。駅前付近や人通りの少ない道、空き地など、 危険な場所がたくさんある流山市はどうでしょうか。親が共働きで、長時間大人が家に居な い家庭もたくさんあるように思われます。 このままでは流山市は、犯罪の多い住みにくい町になってしまうかもしれません。そこで 私は考えました。それは、“明るいコミュニティーづくり計画”です。 この内容はお年寄り達が子供の下校時に散歩をし、子供達に挨拶や一言声をかけたりして もらいます。そして、子供達は挨拶をかえしたり返事をします。そうすることによって小さ いころから挨拶の習慣を身につけることができます。それに町に目がゆきとどき、犯罪をゼ ロに近くすることができるでしょう。また、お年寄りにとって散歩するということは健康に いいことであるし、ご近所との関係深められます。 この近所とのつながりは、地震、火事、共(洪)水などの自然災害が発生した時に力を発 揮します。今後、このような大災害が発生し、建物がくずれた場合、だれが逃げ遅れている かや、どのへんで助けを求めているかだいたいの見当がつくだろうし、避難生活の時おたが い助け合うことができるでしょう。消防署や警察署、救助隊が持ち合わせていない地域に密 着した情報を持つ、「近所間の協力」は、たくさんの人を救い、団結力も深いでしょう。 このように、普段から簡単なことで町全体がつながっていけばいざという時にも役立つと 思います。 ほかにも町全体をつなぐ方法はたくさんあります。近所の公園のゴミ拾いや、町を増やす 活動、フリーマーケットなど行えば、町はどんどん明るくなり、住民達にとっていごこちの 良い、住みやすい町になっていくでしょう。 これまでにだしてきた案に全て共通するのは「協力」です。 「協力」があって初めて「いい 町」になるのではないでしょうか。 私達の住む、流山市はこのような「いい町」になってほしいです。 ●こんな流山にしたい 南流山中学校 1年4組 松原 栄〔まつばら さかえ〕 僕は、小さい時から自然に囲まれた町に憧れていました。だから緑が溢れる流山にしたい です。もちろん理由は他にもあります。 最近は、テレビゲーム・カードゲームなどの家で一人だけで遊ぶ事しかできない遊びが流 〔行〕っています。確かにゲームは楽しいですが物ではできない体験があります。外に出て、 自然と触れ合う機会が子供には必要だと思います。身近な場所に多くの自然が必要です。 - 6 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 自然と緑の会と言う団体を結成して、緑と自然を増やす運動を、呼びかけます。その第一 歩として「家庭で花山盛り計画」をたてます。このプロジェクトは門にプランターを、設置 して季節の花を植えます。春はパンジー・ビオラ・チューリップなど、夏はヒマワリ・アサ ガオなど、秋は、コスモス・キクなどを植えて花をさかせます。すると、近所で 「お宅の花はキレイですね」 などの会話が生れます。つまり一石二鳥です。 第二歩として「家庭で作って食べよう」計画をたてます。このプロジェクトは家で、キュ ウリ・パセリ・トマト・ナス・シソなどの野菜を育てて家族で育てた野菜をおいしく食べる と言う事で自然のすばらしさに気付く事ができます。すると各家庭の食卓で、 「おいしー、家で作ったから新鮮だね」 と言う声がたくさんします。そして時々公園で「野菜パーティー」をします。 第三歩は「市民の花の展覧会」計画をたてます。この計画は、各家庭で花を育てて、家で 一番キレイに育てた花を展覧に出品します。会場はセントラルパークです。理由は、駅に近 くて、駐車場も多くて、市民も集まりやすくて、緑もたくさんあるからです。展覧会で一番 花がキレイだった人には、表彰します。ただし店で買った花ではなく、自分で種から育てた 物に限ります。その証明として、花の成長録を作ります。花は売ってもかまいません。残っ た花は老人ホームにかざります。 この計画の費用は、ボランティアや募金で集めます。色々な会社に寄付してもらいます。 そのお金で花の種・プランター・植木鉢・スコップ・ジョウロなどを買ったりします。 最後に自分の意見で終わりにします。 「自ら花を育てて、自ら野菜を育てて、育てた物を飾り、育てた物を食べる」などを、する 事で自然のすばらしさに気付く事ができる。 ●こんな流山にしたい 南流山中学校 1年6組 石原 未彩希〔いしはら みさき〕 私が考える今の流山市の良い所は江戸川があり、河川敷で散歩が出来たりする事、土手が あり公園もたくさんあるので思いっきり外で遊べる事です。それに、つくばエクスプレスが 開通し都内に出るのにとても便利になった事です。だが、それの反対に流山市の悪い所もあ ります。流山市の悪い所は最近すごく痴漢、引ったくりなどと言う犯罪が多いという事です。 それは人の心を傷つける事でもあります。そんなことを平気でやる人が居るなんて本当に最 低です。人の心も考えてほしいと思いました。そしてもう一つ悪い所はゴミのポイ捨てです。 最近よく道路に空き缶やおかしのゴミが落ちているのが目に入ります。それは長所である自 然をこわす事でもあるのです。これはあくまで人が何も考えずに人(自)分勝手に行った事 です。自分達の住む所位自分達できれいにしてほしいと思いました。 そこで私が市民として流山市を良くするため出来る事を考えてみました。 『市の清掃活動・ ボランティア・お年寄りや障害者とのふれあい』などと沢山出来ることがありました。いつ もはそういう機会があっても、勇気が出なくて、行くことが出来ません。だけど今度そうい う機会があったら是非ともチャレンジしてみたいと思います。色んな人とふれあってみたい です。 私はこれからの流山市をきれいで自然がいっぱいあって便利で、みんなが笑顔で嫌な思い - 7 - 181021 資料8子どもの作文「こんな流山市にしたい」 をする人がいない!!そんなステキな市になればいいなと思います。そのために今、私は私 が出来る事にたくさんチャレンジをして、あたり前だけどもポイ捨てをしない事もしっかり 考えていきたいと思います。 たくさんの人とふれ合い出会って、みんなが笑顔で居られるように少しでも協力をして流 山市が向上していけばいいです。私が大人になったら、温かい流山市に帰りたいです。 ●こんな流山市にしたい 南流山中学校 1年5組 岩元 響〔いわもと ひびき〕 ぼくはどんな流山市にしたいかというと、歴史や文化がある建物や行事を大切にしていき たいということです。 一つは幕末に活躍した新撰組の局長近藤勇の陣屋跡です。ぼくは、これからの流山市民に 流山ゆかりの近藤勇の歴史に触れてほしいと思います。なぜなら、昔、この流山にこのよう な人がいてこのようなことをしたなどという流山の歴史を知ってほしいからです。そして流 山の事をより深く知ってほしいからです。 二つ目は、今なお走り続けている流山鉄道です。現在この辺りは、武蔵野線や常磐線、つ くばエクスプレスなどが走っているなか未だ走り続ける流山鉄道はすごいと思います。その 裏には流山鉄道を使う人、動かす人がいるからだと思います。 ぼくが思うのは、この流山には、自然がかなり多いということ、昔懐かしの風景が広がっ ていることが流山市の特徴だと思います。しかし、今流山市はどんどんビルが立ち非常に便 利になりました。空き地が減りビルや建物が建ち並びあまり空き地がありません。 ぼくは、あまりビルや家が建たなくてもいいので、空き地や森林、沼地を減らさないでほ しいのが理想の流山市だと思います。流山おおたかの森駅の周りやつくば駅みたいに自然と 人との共存が理想です。そして、歴史ある建物やこの流山市の文化を後々まで伝えていき文 化を残す。そのような町づくりが必要だと思います。 そのために市民全員で理想の町づくりが必要ならば積極的にそうじやゴミひろいなどを参 加していき、そして初めて自分やいろんな人が目指していた理想を見出せ、だから実現でき ると思います。 - 8 -