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子供の健康の現状と課題

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子供の健康の現状と課題
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弘前大学教育学部附属教育実践総合センター
研究員紀要 第 10 号(通号第 20 号):77~82(2012 年3月)
子供の健康の現状と課題
子供の健康の現状と課題
高橋俊哉 弘前大学教育学部保健体育講座
保健体育講座 高橋俊哉
1. 子供の目は輝いているか?
学校保健という分野の考え方では、子供の健康にはふたつの意味があります。ひとつは、現
に学び、遊び、生活している子供の健康を維持増進して、心身の生育に支障のないようにバッ
クアップするということです。健康を損ねていては、学校生活も日常生活もままならないです
し、もちろん教育の効果も上がらないでしょう。このような生活を支える健康に関しては、子
供はもちろん大人にとっても、その重要性は変わらないものです。子供は健康であるべきだけ
れど、大人はそうでもないなどという人はいないでしょう。
実際、健康に関する行動は子供より大人のほうに問題が多いようにみえます。不健康な生活
習慣、例えば喫煙、飲酒、運動不足、過食もしくは過剰なダイエット、ストレス、その他もろ
もろ。たしかに、子供たちは酒もタバコもやらないし、運動もしているし、食事のバランスも
悪くはないように感じます。
僕達大人はくちぐせのように「子供の頃はよかったな〜」なんていいがちですが、ほんとう
にそうだったでしょうか?筆者は柔道の指導で何度か海外に赴いたことがありますが、日本と
海外の子供達の目の輝きに差があるような気がしてなりませんでした。特に印象的だったのが、
インドの子供たちの目の輝きです。もともとほりが深くて目が大きくてまつげが長いだけかも
しれませんが、インド人にだってのっぺり顔で、あいているんだか閉じているんだかわからな
いシャープな目をした子もいるわけで、そんな子でもやっぱりふたつのまなこはきらきら輝い
ておりました。
もしも、日本人の子どもの目がインドの子供たちと比較して輝きを失っているのだとしたら、
それはこころに健康上の問題がある可能性があります。教育の前提である健康が脅かされてい
るのだとしたら、学校の教育活動全般に支障をきたすことになります。国語も算数も理科も社
会も音楽も図工も体育も学習効果を期待できない事態になるのです。
2. セルフエスティーム(自尊感情)
セルフエスティームというのは日本語では自尊感情と訳しており、字のとおり自分を尊敬す
る気持ち、自分自身を基本的に価値のあるものとする感覚です。自尊感情は、その人自身に常
に意識されているものではありませんが、その人の言動や意識態度を基本的に方向付けるもの
です。また、自分自身の存在や生を基本的に価値あるものとして評価し信頼することによって、
人は積極的に意欲的に経験を積み重ね、満足感を持ち、自己に対しても他者に対しても受容的
になれます。つまり、自分を大切にしない人は他人も大切にしないわけです。そういった意味
で、自尊感情は精神的健康や適応の基盤をなすものです。
自尊感情は、ふたつの要素で構成されています。ひとつは基本的自尊感情であり、もうひと
つは社会的自尊感情です。基本適自尊感情とは自分自身の納得によって獲得する満足感によっ
て成り立つものです。自分の努力によってできなかったことができるようになったというよう
な過程を経て高まる自尊感情です。もうひとつの社会的自尊感情は、他人と比較して自分が優
れているときに得られる自尊感情です。一言で言ってしまうと「優越感」ということになりま
すが、この優越感は相対的なものであり、自分より劣っているものとの比較は優越感であった
ものが、自分より優れているものとの比較では即座に劣等感にたやすく転じてしまうという、
まことに虚ろで頼りないものです。例えば、いじめを受けた子どもが自分よりよわい立場の子
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高橋 俊哉
供をターゲットに逆にいじめる側になるというのは、社会的自尊感情を回復するプロセスと見
ることもできるわけです。
突然ですがアメリカの刑務所ではウエイトトレーニングが盛んです。犯罪に一度は手を染め
た人たちが刑務所に服役してマッチョになって帰ってくる。一見、社会にとってあまり好まし
くない様にも思えるのですが、ウエイトトレーニングを実施すると再犯率が下がるのだそうで
す。トレーニングは規則正しく行うことで誰でも確実に体力の向上を実感できるのですが、こ
の経験が自尊感情や自己効力感(やればできるという感情)を高めるわけです。勝ち負けがあ
るスポーツではなかなか、こうはいかないわけです。
もちろん、これらのことが即座に教育における競争の効果を否定するものではありません。
現実の子供たちの状況をみるにつけ、社会的自尊感情の変化に耐えうる強固な土台としての基
本的自尊感情の育成がますます大切に思えます。
3. セルフエスティームの国際比較
それでは、実際に日本の子供の目は輝いているのでしょうか?それとも光を失っているので
しょうか?セルフエスティームの国際比較を見てみます。この調査は、東京、ソウル(韓国)
、
北京(中国)
、ミルウォーキー(アメリカ)
、オークランド(ニュージーランド)
、サンパウロ(ブ
ラジル)で日本の小学5年生に当たる児童に対して行われたものです。以下の数字は質問に対
して5段階の回答(1 強くそう思う 2 そう思う 3 どちらともいえない 4 そう思わない
5 全くそう思わない)のうち1の“強くそう思う”を選択した割合です。
まず、現在についての質問です。
① あなたは勉強の出来る子ですか?
東京 8.4%、ソウル 8.6%、北京 14%、ミルウォーキー43.5%、オークランド 27.6%、サン
パウロ 37.4%
② あなたは友達から人気がありますか?
東京 9.8%、ソウル 11.2%、北京 31.6%、ミルウォーキー35.4%、オークランド 28.9%、サ
ンパウロ 37.4%
③ あなたは正直な子ですか?
東京 12%、ソウル 27.4%、北京 39.3%、ミルウォーキー49.8%、オークランド 47.6%、サ
ンパウロ 54.4%
④ あなたは親切な子ですか?
東京 12.3%、ソウル 26.4%、北京 41%、ミルウォーキー59.1%、オークランド 46.6%、サ
ンパウロ 50.6%
⑤ あなたはよく働く子ですか?
東京 14.3%、ソウル 31.7%、北京 39.5%、ミルウォーキー67.1%、オークランド 38.3%、
サンパウロ 48.5%
⑥ あなたは勇気のある子ですか?
東京 19%、ソウル 28%、北京 37.5%、ミルウォーキー57.8%、オークランド 39.6%、サン
パウロ 48.3%
①~⑥の合計は、東京 12.6%、ソウル 22.2%、北京 23.9%、ミルウォーキー52.1%、オークラ
ンド 38.1%、サンパウロ 45.2%となりました。東京の子供はどのような理由で、こんなに自分
を低く評価しているのでしょうか。たしかに勉強のできる or できないは、テストや通信簿で思
い知らされますから“人に比べて自分は勉強ができない”と思うのも無理はありません。でも
子供の健康の現状と課題
正直や親切や勇気は自分自身の問題で人と比べてどうこういう問題ではないはずですが、この
結果を見るとそんな事まで人と比べてしまっているのかなと思ってしまいます。もっとも、勉
強にしたところで、必ずしも人との比較というわけでもないようなきがするというか、違うや
り方もあるような気がします。
次に将来に関する質問です。
① あなたはみんなから好かれる人になりますか?
東京 10.5%、ソウル 33.5%、北京 55.2%、ミルウォーキー27.9%、オークランド 27.3%、
サンパウロ 45.9%
② あなたは有名な人になりますか?
東京 11.8%、ソウル 39.1%、北京 26.1%、ミルウォーキー19.7%、オークランド 25.2%、
サンパウロ 20.6%
③ あなたはお金持ちになりますか?
東京 12.3%、ソウル 34.4%、北京 29.2%、ミルウォーキー23.4%、オークランド 32.3%、
サンパウロ 18.4%
④ あなたは仕事で成功するひとになりますか?
東京 20.6%、ソウル 60.2%、北京 51.3%、ミルウォーキー52.7%、オークランド 48.5%、
サンパウロ 44%
⑤ あなたはよい親になりますか?
東京 21.1%、ソウル 65.5%、北京 70.2%、ミルウォーキー63.6%、オークランド 57%、サ
ンパウロ 82%
⑥ あなたは幸せな家庭をつくりますか?
東京 38.6%、ソウル 76.3%、北京 68.5%、ミルウォーキー63.5%、オークランド 57%、サ
ンパウロ 85.3%
①~⑥の合計は、東京 19.2%、ソウル 51.5%、北京 50.2%、ミルウォーキー41.9%、オークラ
ンド 41.3%、サンパウロ 49.4%となりました。現在に関しては西高東低の傾向が見られました
が、将来に関しては東京のみ低いという結果でした。特に、良い親になりますか?幸せな家庭
をつくりますか?という二つの質問結果は深刻です。この質問に対して否定的な回答をした子
供は現在の自分の親や家庭をどうみているのでしょか?またその子たちの親や家庭は実際には
どういう状況なのでしょうか?
4. 日本の子供の QOL
ここからは青山学院大学の古荘純一先生の研究をもとに日本の子供の心身の健康状態を探っ
ていきましょう。この研究は WHO の作成した QOL 尺度をもとに、その子供版を作成し6項
目の健康度(身体、情緒、自尊感情、家族、友人、学校)を調査しています。
① 小学生の QOL
総得点は学年が上がるに連れて低下する傾向にあります。領域別に見ると身体、自尊感
情、友達、学校の得点が低下していますが、特に自尊感情の得点が著しく低下する傾向が
見られます。男女別に比較すると、身体、自尊感情は女子が低く、家族、友達、学校は男
子が低い結果となりました。小学生全体の総得点の平均値は 67.47 でした。
(図1)
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高橋 俊哉
図1 小学生の学年別QOL得点と6領域の平均値
② 中学生の QOL
中学生の総得点も学年が上がるに連れて低下する傾向にあります。領域別に見ると全て
の得点が低下していますが、特に自尊感情、学校の得点が著しく低下する傾向が見られま
す。男女別に比較すると、は女子の自尊感情が低くさが目立ちます。中学生全体の総得点
の平均値は 60.93 でした。
(図2)
図2 中学生の学年別QOL得点と6領域の平均値
③ 日本とドイツの比較
日本の小中学生とドイツの同年代に当たる4年生と8年生の平均値との比較です。身体
以外の全ての領域でドイツの得点が高く、特に自尊感情の得点差が大きい結果となりまし
た。
(図3)
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図3 日本とドイツの比較
④ 日本とオランダの比較
ユニセフの幸福度調査によると、オランダは世界一幸福な国ということになっています。
調査結果は全ての領域でオランダが高い得点を示しました。得点差の原因としては、オラ
ンダでは個別学習が浸透していること、ワークシェアーによって両親が家にいる時間が多
いことなどが考えられました。
(図4)
図4 日本とオランダの比較
⑤ オランダ現地学校、日本人学校、日本の学校の比較
このオランダとの得点差は日本人の子供の生来の特質なのでしょうか、それとも教育の
影響が大きいのでしょうか。ここでは、オランダの日本人学校に通っている日本人の子供
に注目してみます。結果は日本に住む日本人の子供よりオランダに住む日本人の子供の得
点がすべての領域で高得点を示しました。
(図5)
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高橋 俊哉
図5 オランダ現地学校、日本人学校、日本の学校の比較
5. 健康まもりはぐくむ教育
冒頭、学校保健における子供の健康には二つの意味があるといっておきながら、二つ目の意
味の話をしませんでした。一つ目の意味は教育を支えるための健康でしたが、二つ目の意味は
健康を獲得するための教育、つまり健康教育ということです。いままで、お話ししたとおり日
本人の子供の健康、とりわけ自尊感情が年齢を経るに従って低下している現実を見ると、学校
における健康教育が機能していないのではないかという危惧を抱かざるを得ません。
学校における健康教育は教科的にいうと保健分野ということになります。でも、実際は保健
の学習のみで、自尊感情をたかめるのはなかなか難しい。いくら、自分が大切な存在なんだよ
と諭したところで、子供たちにその実感がなければ一歩も前には進まないわけです。ヘルスプ
ロモーションの研究で有名なアメリカのローレンスグリーンは“健康教育とは教育そのもので
ある”旨の発言をしています。そしてヘルスプロモーションの重要概念としてヘルシースクー
ルというのがあります。これが日本では全く実現していない。ヘルシースクールというのは子
どもたちの健康を第一に考える教育組織です。すべての学校活動は健康ということを最重要課
題として行われなければならないのです。国語も理科も算数も社会も健康ということを直接的
間接的に学習する。子供たちが自ら考え学んでいく過程で自尊感情を高められる教育が行われ
る学校、それがヘルシースクールです。
いま、日本の子供たちの健康が危ない。そのためには学校が変わらなければいけないという
ことなのかもしれません。
参考文献
1)古荘純一:
「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」光文社新書、2009
2)ローレンス・W.グリーン、マーシャル・W.クロイター「ヘルスプロモーション〜
PRECEDE-PROSEED モデルによる活動の展開〜」医学書院、1995
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