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New Scenery after the Storm

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New Scenery after the Storm
New Scenery after the Storm
In-Stat Conference, Phoenix, 1999
Invited Talk
解 説
1996年から98年に及んだ嵐の如き半導体大不況は、講演時点の99年にはようやく終息したが、
嵐の前後で半導体業界には大きな構造転換が起こっていた。市場も、製品も、ビジ
ネス・モデルも大転換をきたし、経営者はこれからのかじ取りを模索していた。
また、嵐の中で多くの経営者が業績不振の責めを受けて、半導体分野から離れるケースが見られ
たが、私もその中のひとりであり、この当時は本社の研究開発部門に属していた。
今回の嵐をもたらした大きな要因として、過剰投資にもとづく価格低下があることを上げ、その背景
について述べている。過去の巨大不況の事例も分析の上、「不況のマグニチュード」という概念を提
唱し、「半導体市場の中長期予測は不可能である」という見解を示した。
また、嵐の後の新しい景色として、四つの側面( 製品、市場、地域、製造)からこれを論じ、
すべての面で過去の単純延長にはないことを示した。
嵐の前後で世界各地でハイテク分野の振興に注力している地域を「ポスト・シリコンバレー」としてと
りあげ、これからの新しい動向として紹介している。
将来ビジョンでは、これまでの持論を踏まえてデジタル・コンシューマ製品がこれからの中心となり、
ノマディック・スタイルが広がることを述べている。また、将来の大きな市場ポテン
シャルとして言語処理分野を上げた。
嵐の後の新しい景色
この当時の日立における私のタイトルは取締役・本社技師長である。この前年に半導体の分野から離れ、本社の研究・開
発部門に移っていた。(この背景については第1展示室第17話をご参照ください)。この講演は96年から98年にわたる
嵐のような半導体不況の後で、市場、技術、ビジネス・モデルなど半導体産業構造がどのよ
うに変わったかについて述べたものである。
ダイナミックなブーム(DRAMブーム)は風と共に去りぬ・・・あちこちに新しい景色が見える。
半導体はどこへ向かうのか?
映画のタイトルを踏まえて、当時の半導体関係者がおかれたやるせない雰囲気を表現した。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
半導体不況のマグニチュード
96年から98年にわたる半導体不況を「嵐」として、その大きさ(マグニチュード)を定量化する方法を提案した。95年時点
における予測と実績との差異をとり、3年間の合計をマグニチュード(M)と定義した。マグニチュードは失われた市場の大
きさである。半導体の投資判断をするとき、向う3年間の市場予測に基づくことから、これ
がずれることは経営判断の間違いにつながる。
マグニチュードを比べれば
半導体分野においては過去に3回の大不況を経験した。それらを比べてみると、75年不況ではM4.3、その次の85年
不況ではM23であり、今回の96年不況ではM270となる。(相対比較をする場合は、初期値でノーマライズする)。いず
れにしても今回の不況は超弩級であるといえよう。このような事実に基づくならば「半導体市
場の中長期予測は不可能である」という教訓につながる。
今回不況の主な要因
不況の要因はサプライサイドとデマンドサイドの双方にある。
サプライサイドとしては「95年メンタリティーの後遺症」即ち、もの不足にならぬように、過剰な投資が行われたこと。そして
シュリンク・ショック(チップ・シュリンクによる増産効果)である。
デマンドサイドとしてはパソコンのローエンへのドシフトとアジア経済の落ち込み(金融危機)である。
95年メンタリティーとは
◇半導体市場は97年に200B$を超え、2000年には330B$に達するだろう ◇向こう10年間に、シリコンサイクル
は来ないだろう ◇2000年までに400の工場が必要だ ◇技術者と投資のための資本は著しく不足
するだろう。
95年にはこのようなことを誰も疑っていなかった。群集心理の現象だったのかも知れない。
マーフィーのゴルフの法則
ゴルフ: もし我々が間違いから学ぶとすれば、ゴルファーは地上で最も学んだ人である。
半導体: もし我々が間違いから学ぶとすれば、半導体の人々は地上で最も学んだ人である。
ゴルフではラウンドごとに間違いを起こすが、半導体においてもシリコンサイクルの度に間違いを起こしてきた。
シュリンクショックのインパクト
16MビットDRAMで日本勢は先行組であったが、96年以降マイクロンがシュリンク版で先行し、世界を驚かせた。各社で
も競ってシュリンク版の開発に着手した。64Mの場合も当初予定していたシュリンク版の開発を大幅に前倒しした。これに
よって、「投資なきDRAM増産」ができるようになり、過剰供給に陥ったのだ。価格は垂直
降下の如く下がって行った。
PCのローエンド・シフト
1500$以下のローエンドPCの比率は95年の28%から98年には43%に増え、2001年には59%になるだろうと予測
されている。これによって、トータルの台数は増えても、メモリーの消費量はそれほど増えなかった。
需給のアンバランスをもたらす要因となったのである。
アジア経済の後退
97年に始まったアジアの金融危機によって、域内各国のGDPは例外なく落ち込んだ。97年にはかろうじてプラス成長で
あったが、98年年にはすべてマイナス成長となった。韓国経済はIMF(国際通貨基金)の管理下に置
かれた。ニューズウイークの98年10月12日号では「アジアの受難」として取り上げられた。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
製品構成の変化
嵐の直前の1995年と嵐がほぼ収束した98年における製品構成の変化を示している。DRAMを中心とするメモリの比率
が36%から18%へと半減しているのが最大の特徴。(その中でフラッシュのみが1%から2%へと増大)。これに対してマ
イコンを中心としたロジック系が32%から53%へと急増し、製品構成が大転換したことを
示している。
DRAMメーカーの心の内は
右図は16Mビットと64MビットDRAMの価格の推移である。96年1Qに50$であった16Mの価格は99年1Qには3$ま
で低下。64Mの価格は97年1Qの55$から99年1Qには10$まで急落した。DRAMメーカーの経営者の心境はハム
レットに似たような心境であった。「DRAMビジネスに留まるべきか、抜け出すべきか、それが問
題じゃ」。
システムLSI:ボードからチップへのパラダイム転換
チップの集積度の向上によって、これまでボード上に集積されていた機能はすべてチップ上に集積することが可能になる。
図に示すように、別チップになっていたCPU、フラッシュメモリ、DRAM、ASIC、画像LSI,音声LSIなどは1チップになってしま
う。これがシステムLSIであり、SoC、システム・オンシリコン、システムレベル・インテグレイションなどとも呼ばれ、今後の大
きな動向となる。
システムLSIの背景
なぜシステムLSIに向かうのか? それには市場と技術の二つの側面がある。
市場のニーズ :デジタル・コンシューマ分野の台頭、より高性能でより低価格の要求、携帯性のための低消費電力
技術のシード :微細化技術、集積度(数百万ゲート)の向上、IPコアの集積、EDAツールの進歩
システムLSIの利点:3Dグラフィックエンジンのケース
図に示すのは3Dグラフィック用のシステムLSIである。ボードに構成した場合と比較すれば性能は4倍、消費電力は1/5、
チップ数は1/4、トータルのピン数は1/3となっている。
これによって価格性能比は大幅に改善、小型化が進み、電池寿命は長くなる。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
デジタルコンシューマ市場の立ち上がり
通信市場、コンピュータ市場、コンシューマ市場の製品はデジタル化の進展によって小型・軽量化が進み、「デジタル・コン
シューマ製品」に収束していくだろう。
半導体技術の進化によってこの傾向はさらに助長される。これからのエレクトロニクス市場の中心はデジタル・コンシュー
マ製品になるだろうと予測する。
メガトレンド
PCによって生み出された「ダウンサイジング」のトレンドに代わって、デジタル・コンシューマ製品は「ノマディック・トレンド」
を生むだろう。その中心は携帯電話、PDA、H/PC(Handheld PC)などの携帯性の高い、インテリジェントな情報端末であ
る。H/PCはマイクロソフトが新しく開発したWindows CE搭載のハンドヘルドPCであり、96年
のコムデックスでデビューした。
デジタル ノマド
ノマディック時代の到来を予想した最初の講演は94年のIn-Stat講演(第6展示室にあり)であった。このコンセプトをベー
スにして執筆したのが「デジタル・ノマド」(デビッド・マナーズとの共著)であり、97年に出版された。
一 時 期 ス コットラ ン ドの IT/マ ネジ メ ント部門のベス ト セラー第 3位にラ ンクされた。翌年(98年)には中国 語 版
「遊牧上班族」と日本語版「デジタル遊牧民」が出版された。
応用面のトレンド:ポストPC市場の台頭
1995年から2004年までの応用分野のトレンドを示す。最大セグメントのPCは95年の31%から漸減し、04年には2
5%になる。一方、デジタル・コンシューマ製品は95年の11%から04年には21%まで増大する。
ポストPCに位置づけられるのはデジタル・コンシューマ製品である。
デジタル・コンシューマ市場
1995年から2004年までのデジタル・コンシューマ製品向け半導体市場のトレンドを示す。この間の平均年間成長率は
半導体トータルが10%であるが、デジタル・コンシューマ分野の半導体は18%と予想される。01年までは携帯電話が市
場の牽引役であり、その後はデジタル・テレビである。その他、DVD、H/PC、デジタル・ビデ
オカメラ、カーナビ、デジカメ、テレビ・ゲームなどが続く。
携帯電話の加入者数の予測
1994年から向こう10年間の携帯電話の加入者数の予測を示す。94年時点ではアナログ方式が主流であるが、今後ア
ナログの伸びはなく、デジタルが大躍進する。中でもその中心はGSM(欧州方式)であり、05年には8億件に達する。
CDMA方式がそれに続き05年には2億件となる。PDCは日本の方式であるが、この時点です
でにガラパゴス化の予想がなされている。
デジタル放送の動向
米国、欧州、日本におけるデジタル放送の動向を示す。衛星を使ったデジタル放送は3地域とも96年には
スタートしていた。地上波を使った方式は米国と欧州では99年から始まり、日本では03年から始まる計画
となっている。表の中には画素数とフレーム周波数の標準化の状況が示されている。
カーナビ市場の動向
カーナビの普及が始まったのは日本からである。道路が入り組んで住所がわかりにくいという背景がニーズを生んだので
ある(必要は発明の母)。講演をおこなった99年において日本では約2千万台が普及しており、世界市場の過半を占めて
いた。それ以降は米国、欧州の伸びが大きくなると予想される。また、OSとしてはWindows CEのシェアの急増が予想され
ていた。
新型のTVゲーム機
当時、ゲーム機業界はソニー、セガ、任天堂によって占められていた。新型の導入時期は任天堂が最も早く、
セガ、ソニーの順で続いた。性能(ポリゴン/秒)は後発機ほど高くなっており、任天堂を基準にすれば、セガは15倍、ソ
ニーは約400倍となっている。これはCPU性能やメモリー容量の増強によるものである。ソニーのPS2
は大ブレイクして、ゲーム機は半導体の大市場になった。
さよならパソコン
これは日経マルティメディアの特集記事であるが、パソコンの時代が終わって、モバイル機器やゲーム機などがブレイク
するといった内容である。表紙の写真はセガの「ドリームキャスト」が発売された時のものである。右の表にはPCに続く可
能性を持つ情報端末を列記している。ここに記されているものは、その後10年間でほとんど
実現され、現在はスマホにほぼ集約されている。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
地域的市場動向:日本市場の縮小
この時期、地域別の市場動向は大きな構造転換が進行中であった。特に目立ったのは日本市場の縮小傾向。90年には
40%近くを占め世界トップであったが、2000年にはシェアが半減し、4地域で最低となった。代わって台頭したのが、ア
ジア地域。中でも中国市場は年率15%成長の勢いで拡大した(右図)。この傾向はこの後も
続き、今日アジア市場は世界の過半を占めている。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
ファブレスとファンドリーの成長
90年代の半ば以降、ファブレスとファンドリーは目覚ましい躍進を遂げた。
この間の半導体全 体の平均伸 び率は 10%で あったが、 ファブレスは21%、ファンドリーは28%の高成長を成
し遂げた。垂直統合から水平分業へと、ビジネス・モデルの大転換が始まったのである。
ファンドリーの投資動向
図の棒グラフの青はファンドリーの売上推移であり、赤は投資額を示している。94年から97年にいたる平均伸び率は売
上が28%であるのに対し、投資は66%であり、投資意欲が極めて旺盛であることを示す。97年には売り上げが約7B$、
投資額は約5.5B$に達した。同期間の半導体全体の売上成長率は10%、投資伸び率
は15%であった。
投資額の動向
95年から98年に至る半導体業界全体の投資額のトレンドを示す。95年から96年にかけて投資が膨らんだが、その後、
急ブレーキのような形で減少に転じている。右上の図は地域別の比率を示している。95年から98年にかけて比率が減
少したのは日本と韓国(いずれもDRAM中心)であり、増大したのは米国(ロジック中心)と台湾(ファンドリー)である。
300mmウエーハ生産はどうなるか
図は300mmウエーハの生産を始める会社数を示している。これまでの予想では99年の初めからパイロット生産が始ま
ると見られていたが、講演当時の見方は2000年中頃からのスタートと見られている。
フレキシブル生産工場
「半導体の市場予測は不可能」ということを教訓として生まれたのがフレキシブル生産工場のアイデアである。能力をいき
なりフル稼働状態(2万枚/月)まで持って行かず、7千枚/月の単位で増減できるようにしておき、市況に応じて増減す
る。投資効率は300mmウエーハ・ラインをフル稼働した場合には及ばないが、200mm
ウエーハよりは高くできる。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
ポスト・シリコンバレーの台頭
世界の各地で「ハイテク・センター」を目指すポスト・シリコンバレーが台頭しつつある。これは情報化時代が生み出す新し
い雇用と富を求めての動きだ。米国ではオースチン、ボストン、シアトル、欧州ではケンブリッジ、ヘルシンキ、テル・アビブ、
アジアではシンガポール、バンガロール、新竹(台湾)などである。
システムLSI設計拠点:アルバセンター
ポスト・シリコンバレーを目ざす一つがスコットランドのリビングストンにあるアルバセンターである。英国およびスコットラン
ド政府から150M$の支援を得て設立された産官学のプロジェクト。システムLSI大学やIP交換所、
設計サー ビス な ど で 5年内に5 00 0人を雇用する計画。地域の大学が連携してシステムLSI設計のための修士
コースを設けている。
シンガポールのシンクロトロン
ポストシリコンバレーを目指すもう一つの例がシンガポールである。シンクロトロンを設置して研究や企業の活動を支援す
る計画。機器はオックスフォード・インスツルメンツのヘリオス2で20本のX線源があり、10本は研究用、10本は企業向
けとなっている。建設中の建物は1周が50m、高さは9mである。
●半導体の嵐
●新しい景色:
1.製品構造の変化
2.市場構造の変化
●台頭するポスト・シリコンバレー
●将来展望
3.地域的市場の変化
4.製造部門における変化
将来ビジョン
これからのエレクトロニクスの発展方向を三つの視点から見ている。技術面ではマルティメディアの進展であり、
あらゆる情報のデジタル化が加速されよう。市場構造はデジタル・コンシューマ製品が中心になって行く。電子機器の携
帯化が進み、ノマディック・ライフ・スタイルが広がって行くだろう。人々は時間や場所の制約から解放される。
コンピュータと人間:コンピュータはいつ人間の頭脳に勝てるか
チェッカーでは94年にコンピュータが勝ち、オセロとチェスでは97年にコンピュータが勝った。将棋は2020年頃、また碁
では2050年頃と予想されていた。しかし、コンピュータの進歩は予想を上回っており、将棋ではすでにコンピュータがプロ
のトップクラスとの対戦成績で上回りつつある。2040年代にはロボット知能が人知を上回
ると予想されており、“Singularity“と称されている。
言葉の壁への挑戦:新しいビジネス・チャンスの到来
1998年のビジネス・ウイークの特集記事“Let‘s Talk !”では、言語処理技術こそ次の大市場(Next Big Thing)という位置
づけで特集を組んでいる。その時には、パソコンが一家に一台といった感じで普及するだろうと予想している。・・・これは
その通り! また、ポータブル通訳機によって人々は言葉の壁を乗り越えるだろう。・・・しかし、これはなお見果てぬ夢の
ままだ。
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