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避難世帯家庭訪問から見えること
越谷市震災支援者補助員 高山 恒明 様 こんにちは、高山です。2 階で映画を観た方はわかると思いますが、私は先ほど辻内先生 が撮ったビデオの桜並木のさらに原発に近い、大熊町というところで住んでおりました。 原発から、直線距離にしますと 5 キロのところです。縁があって、埼玉県の越谷市という ところに避難しまして、市の臨時職員として採用され、被災者の家庭訪問をする仕事をし ておりました。現在、140 世帯、312 名の方が避難していらっしゃいます。そのうち宮城の 方は 15 世帯、岩手の方は 10 世帯です。その中で何名か非常に印象深い方がいらっしゃい ましたので、その方の話をさせていただきたいと思います。 ひとり目の女性は、釜石で津波に遭われて、家も仕事もすべて失ったご家庭の方です。 お父さんとご主人が漁師をやっていらっしゃって船を 3 艘持っていらっしゃったそうです けど、それがすべて津波で流されました。義理のお母さんと御本人は食堂をやっていたの ですけど、それもすべて失った。そして小学生の子ども 3 人を抱え、亭主の父親とともに 越谷の方に避難されたわけです。ちょうどそのときに、義理の父親ががんになりまして、 手術をされたそうです。御亭主は一家を支えるために慣れない仕事に就いていらっしゃる んですけれども、その奥さんは以前のような自分の生活が取り戻せずに、悩んでいました。 地元でも働き者で通っていたらしくて、かつての自分の姿を思い浮かべると、あまりに現 実の自分の姿がかけ離れていることがどうも受け入れらなくて、そのことで自分を非常に 責めてらっしゃいました。そして私たち支援員が 2 名で訪問した際に、自分の夫に相談も 愚痴も言えなかった想いが溢れだしまして、私たちの前でぽろぽろぽろぽろ大きな涙を流 されて、苦しんでいらっしゃいました。だれにも自分の苦しみを打ち明けられず、ひとり ですべてを抱え込んでいたそうです。 もうひとりの方は、80 歳過ぎの女性でありましたけど、気仙沼でやはり津波に遭われま した。その方は実の息子の家に避難してきたのですけれど、避難先の家族の心情を察しま して、自分が被災に遭ってつらかった思いを、一切、口にできなかったそうです。そうい う暗い話を家族の中ですることで、さらに息子の家族の迷惑がかかってしまうということ を気にかけまして、やはり、すべてお腹の中に納めていたそうです。その方も私たち補助 委員がおじゃましてお話しを聞いたところ、 「今日はじめて、震災後に震災の話をできる方 に会いました」と言って泣かれておりました。息子さんは当初訪問したときに、玄関で仁 王立ちになられておりまして、 「市役所の人間がなにしにきた」と追い返されそうになった んですけれども、「いや、私たちも被災者なので、ぜひお母さんのお話を聞かせて下さい」 とお願いしたところ、しぶしぶ上げていただきました。それでも息子さんは、家庭内の余 計なことを聞かれたくなかったのでしょうけど、ずっと怖い顔で私たちをにらみつけてお りました。しかしそういった母親のつらい話を初めて聞くうちに、やっぱり目をうるうる されまして、「自分の母親がそんなにつらい思いをしていたのに、俺は今日まで話すら聞い 1 てあげることができなかった」と涙を流されておりました。 次に、田舎の人たちが、こちらに都会の方に避難してこられまして、最初の頃にどうい う言葉を投げかけられて、どういう想いをしたかということを申し上げたいと思います。 富岡から避難してこられました 70 歳の女性が、地元に少しでもとけこもうとして老人会に 入ったそうです。そして何回かそこの老人会に通っているうちにある地元の男性から、「お まえたちはいいな、新聞で見る限り、賠償金がいっぱい出るじゃないか。おれたちは年金 暮らしでピーピーしてるのに。おまえたちは何もしないでたくさんお金がもらえていいな」 と面と向かって言われたそうです。 また浪江町は、 「挨拶の町」として、町ぐるみで挨拶運動をしております。小学生から大 人まで、知らない人でもすれ違ったらときにでも、 「お早うございます」、 「こんにちは」と いうのが当たり前の光景です。そこから避難している人は、ごく普通の当たり前のことだ と思って、すれ違った人に「こんにちは」と言ったら、 「お宅、私の知り合いでしたっけ」 と言われたそうです。またアパートの駐輪場がごちゃごちゃになっていたので、好意的に 自転車を整理していたら、ある住人に写真を撮られ、不動産、管理会社に通報されまして、 「他人のものを勝手にいじくりまわしている住民がいる、厳重に注意してくれ」とクレー ムが入ったそうです。そこで管理会社の方から電話が入り、 「ここは田舎じゃないんだから、 勝手に人のものを触るな」とお叱りを受けた方がいます。それだけ地方と都会ではちょっ と事に対する考え方が違うと御理解いただきたいと思います。 少し話が変わるんですけれども、避難には、津波避難、原発避難、自主避難とさまざま な方たちがいらっしゃいます。それぞれによって、やはり賠償金とか補償金とかが違いま す。そのことが、同じ避難者でありながらいがみあう感情が生じてしまう原因であります。 私自身も津波被害の方に、 「私たちよりもあんたたちの方が賠償金が出るのだからいいじゃ ないか」と言われた経験もございます。しかし、心の傷はどちらがどうのということでは ないと思います。それぞれの立場でつらさが違うだけであって、そういうことをおっしゃ る方は、怒りをぶつけるところがないので、同じ被災者のところに、愚痴というか怒りの 感情をぶつけてしまうのではないかと思っております。私たち原発の被害者には確かに賠 償金が出ておりますが、賠償金も考えてみれば税金が使われていると思うので、それは目 先のことで私は少しも嬉しくありません。やがて、子どもたち孫たちの代にそのリスクが 回っていくと思うからです。 ある日突然、仕事と住まいを失うということが、どれほどつらいことか。それは物質的 な喪失だけでなくて、自己を喪失してしまうとういことです。いちばん最初に述べたよう に、漁師の奥さんではありませんが、やはり元気なときの姿に比べますと、気力も落ちま すし、普通にできていたことがなかなかできなくなるわけです。なにを隠そう、私も家内 も、現在心療内科にかかっておりまして、PTSD と診断されています。家内はこの 2、3 日 の震災の報道で体調を崩し、本日も来る予定でしたが、欠席いたしました。長引く浮き草 生活は著しい気力の低下を招きます。心ない言葉で心に楔を打たれ、さらに深い闇に突き 2 落とされます。別に皆様に腫れ物に触るように接して下さいと言うつもりはさらさらござ いません。ただ、「大変な思いをしたね」という想いを少しでも持って下されば、そういう まなざしで私たちを見て下されば、私たちがどれほど救われるかしれません。 最後になりますけど、今回の災害で行政がどういうことをしたかということを 2、3 申し 上げて終わりにしたいと思います。私の家内と母は、山の中の分校のような中学校の体育 館にある意味、 「隔離」されました。そのとき町役場の役人がしたことは情報操作です。 「外 にはがれきの山があり、道には亀裂が入っていて、自衛隊の大型車両以外は通行できない と、ここからは一歩も出られません」と言われたそうです。 「救出は来なくていい。私もお 母さんも原発も爆発したので、ここで覚悟を決めたので、あなたは子供たちを守ってくれ」 と家内に言われました。しかし、長男と相談し、なにがなんでも救い出すというつもりで、 4 日目に郡山からタクシーで救出に向かいました。そのときに道を走っていましたら、がれ きもなければ道も割れていませんでした。これはなんのための情報操作なんですか。ただ 単に避難者を勝手に移動させないためにやったとしか考えられません。そのときに閉じ込 められていた住民たちの心情はどうだったでしょうか。生きた心地はしなかったと思いま す。もう救出はあきらめたという人が何人もいたと思います。そんな情報操作が何の役に 立つのでしょうか。 それともう 1 点、借上げ住宅の問題です。現在私たち県外に避難している人間は、借り 上げ住宅制度はいちどしか使えません。転居してしまうと、その借上げ住宅制度の権利は 喪失してしまいます。家賃も福島県内の相場で決められております。震災当時、厚生労働 大臣だった細川元代議士にお会いしてそのことをお尋ねしたところ、 「私はそんな指示は出 していない」とおっしゃっていました。それはあくまで役人の方たちが、自分たちの手間 がかかるから、二度の借上げ住宅の移動はならないと言っているだけなのかもしれません。 これはジャーナリストに聞いた話なので、かなりの信憑性があると思います。 些細な話ですが、先ほど 2 階で映画の中でありましたけれども、当初東京電力が、見舞 金ということで 100 万円各世帯に配給しました。しかしあの 100 万円は見舞金でも賠償金 でもありません。一回目の賠償金からすべて引かれました。ですから一回目の請求も、領 収書と 1 ヶ月あたり、ひとりあたま 10 万円ということなので、金額に満たない人は、100 万円の残金を返さなければなりませんでした。東京電力という会社はそういうことを平気 でする会社です。そういった意味で、私個人の意見になりますが、行政も東京電力も、原 発があたかも順調に終息するような報道がなされておりますけれども、まったく信用はし ておりません。 繰り返し申し上げますが、もし、被災した人間に会うことがございましたら、物質的な ことではなく、形に見える援助ではなくて結構ですので、どうぞ優しい眼差しを向けて下 さい。それだけで私たちはどれほど救われるか分かりません。拙い話ですみません。あり がとうございました。 3