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中欧旅行記 - Biglobe

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中欧旅行記 - Biglobe
中欧旅行記
中欧旅行記
4月21日までアイスランドの噴火の影響で危ぶまれたが、4月22日に思い切って出発してみた。9日間の旅行
である。中部ヨ-ロッパ5カ国(チェコ・スロバキア・ハンガリ-・オ-ストリア・ドイツ)をまわり、現地の人と会話をしたり、
歴史的地域の散策をしたり、各地の市場を見たりして興味が尽きなかった。
最初に着いたチェコ・・・プラハのホテルでは噴火の影響で延泊を余儀なくされ、4日程逗留している日本人も多く
いたが、その中には噴火のお陰でプラハをより深く探訪できたと喜んでいた人もいた。不幸なことに当事者は、自然
災害のため旅行保険の適用が効かずに自腹でホテル代や帰国の渡航代を払わなければならないとぼやく。この国
の買い物はコルナ通貨のみ通用するところが多く、チェコ語しか通じないので不便を感じる。プラハ城から石畳を下る
とモルダウ川(ドイツへ流れると名前がエルベ川となる)が現れる。その上に架かっているカレル橋は有名な観光地。
橋には音楽を奏でたり、絵かきがいたり、土産品を売る人がいたりするのを見ながら、いろいろな観光客がごった返し
ながら行き交う。スメタナ、ドビッシ-、ヤナ-チェク等作曲家が多数でているが、スメタナの「我が祖国」が現地で聞く
と感無量となる。橋の上から観る教会や柿色の家並みは美しい。後日、世界遺産チェスキ-クロムロフ旧市街観
光は面白かった。
プラハ城
衛兵交代
カレル橋
城後ろ門の警備兵
下図は街角のキリスト
モルダウ川・前方にかすかにプラハ城見える
下図はバドワイザ-の飲み屋
1
城内から観たプラハ
下図は旧市街
次の日はスロバキアの首都、プラスチラバへ。チェコより経済が劣るが物価は安い。人や家まで埃をかぶったようで
ある。今になってチェコと分離しなければよかったと悔やむ人も多いらしい。接した人の情はあついようだ。石畳の小路
が多く、道を歩くと足裏の刺激が気持ちいい。チェコスロバキアといえば、1964 年、東京オリンピックで活躍した人間
機関車「ザトペック」や体操の華・チャフラフスカを思い出す。もともとチェコスロバキアとして一国であったが、1993年
に国民投票によりチェコから分離独立。そのことを無血革命のため、しなやかで美しい「ビロ-ド革命」とも言われて
いる。
小職、観光途中で突然小用をもよおし、偶々日本大使館があったので日本国民としてWCの使用を要求した
が反応なし。大使は何のための大使なのか!!日本人の役に立つのが日本国大使館なのではないか!!
仕方なく0.5ユ-ロも払って近くのトイレに駆け込む。
ナポレオンを体で護るフランス兵(銅像)
虐げられても踏まれても生きる人の銅像
子供に人気の銅像に似せたパントマイム
スロバキア日本大使館は左端・・・日本人にもWC許可しない
ハンガリ-・ブタペスト・・・何といってもドナウ川!!!北側はオオブタ、ブタ地区、川の南はペスト地区。美しく青
きドナウとは言うけれど。青く澄みきっていない。然し、恋をしている人には青く見えるらしい。小職は人生灰色だから
青く見えない。ピアノの天才リストや現代ハンガリ-音楽の父といわれるコダ-イ等の作曲家が生まれた。町歩く人の
顔は黒髪、黒目。生まれたとき蒙古班が出るというからアジア系が多いらしい。大いに親しみを感じ、バ-でマスタ-
と意気投合。日本に大いに関心あり、メ-ルの交信を約束。第二次大戦時、日独伊三国同盟時プラスアルファ-
でハンガリ-もメンバ-だったのだ。
ブタペスト郊外
ハンガリ-で彼女が出来た
2
王宮
ベ-ト-ベンが滞在した家
大戦時の弾痕跡のある市庁舎
王宮内の流し
ドナウ川を挟み手前ハンガリ-、左前方オ-ストリア、橋の右はスロバキア
オ-ストリア(永世中立国)はウイ-ン・・・・ヒトラ-はここ生まれ。美術学校2回不合格。当時近辺にはユダヤ人
の金持ちが多く、それをうらんだ結果がドイツで軍隊へ、その後昇進しナチを結成。ユダヤ人への恨みを晴らそうとす
る。
ハプスブルグ家のマリア・テレジャ女帝(16人の子供生む。然し、大半は医療不備のため死亡)が造ったシェ-ン
ブルン宮殿は荘厳な建物、贅の限りを尽くした1411の部屋、東京ド-ムの40個分がすっぽり入る大庭園は歩く
だけでも大変だ。マリアの末娘はフランスルイ16世の妃になり、フランス革命でギロチン処刑された。夜はシェ-ンブ
ルン宮殿でコンサ-トを聞く。最後の締めの曲はご当地、ヨハン・シュトラウスのワルツでうっとり、拍手がやまない。感
激す。寝る前にはホテルパブで出稼ぎのドイツ人バーテンと「機会があれば、又英米と戦争しようよ」冗談をいい、笑
いあう。
3
シェ-ンブルン宮殿・・夜コンサ-ト聞く
ヨハン・シュトラウスを従えて
ウイ-ンで彼女できる
宮殿の庭
オッパイの膨らみが男性には見逃せない
ウイ-ンの街
チュ-リップが咲き誇る
菩提樹並木・・剪定終わり若葉が
名指揮者・・カラヤンの館
ハルシュタットはドイツとの国境沿い。岩塩で栄えた町。当時の採掘時犠牲となった多くの作業員の髑髏と手足
の骨のある洞窟へ行く。髑髏棚の下には手足の骨が薪のようにきれいに並べられている。月日が経つと髑髏は小さく
なるものだ。可愛そうに思いその場は撮影しなかった。
飲み屋の後方は教会が睨みを利かす
岩塩採掘者犠牲者の墓・この後ろは沢山の髑髏が祠にある
4
地元の正装者
30 分もバスで行くとザルツブルグへ。モ-ツアルト生誕地。平民であったが、6歳でマリア・テレジャのひざに座って
演奏したこともある。女帝はおこるどころか大変機嫌が良かった。150センチの小男、36歳で死亡。人生の3分の
2は演奏旅行。自分自身は音楽に満足して死んでいったらしい。音楽能力のお陰で貴族扱いにされていた。小職
はかねてよりモ-ツアルトをCDで聞いて楽しんでいる。理由は癖がないリズムだからだ。
地元のマ-ケット
ドイツ・・・マイセンはエルベ川沿い。当初のヨ-ロッパは陶磁器がなく、中国桂林、日本有田、伊万里焼が宮殿の
あちこちに大切に飾られている。東洋の陶磁器を飾って見せるのが王族・貴族の権威の象徴だったらしい。昔から地
震がないから、壁棚から落ちないで輝いている。当時の貴族の憧れは白磁器であり、錬金術師ベッドガ-によりこの
地でマイセン白磁器の技術が向上。製作工場見学。原料を作る、形を作る、色を塗る、焼くといったそれぞれのマ
イスタ-たちが分担作業で名品を作っている。然し、どれも高いのには驚く。有田焼の「ちょっと曰く付き商品」が小
職には似合っている。
組み立てマイスタ-
器の絵付けマイスタ-
燭台
絵付けの過程モデル
お皿の絵付けマイスタ-
5
ドレスデン---バロック様式の宮殿や教会あり。バロック様式は詳細で込み入っていて念の入ったものらしい。
第二次大戦では連合国から強烈な爆撃にあった町だ。
ツインガ-宮殿
ドレスデンの街中
ヒトラ-の遺産・アウトバ-ン
5カ国共通していることは、東ドイツを含め旧共産圏。日本の戦国時代のごとく、スラブ、マジャ-ル、ノルマン、ゲ
ルマン、トルコ、ケルト、モンゴル、ロシア人などなどとの交戦が絶えなかった地区。宗教もカトリック、ルタ-派、ギリシ
ャ聖教、イスラムなどさまざま。教会や建物は見事で世界遺産が多い。ニュ-ヨ-ク、北京、上海や東京のような
都会の派手さ(ビルディング群)がないのがいい。プラハから入国すると他の欧州諸国へ行くのにまったく検問はなくて、
日本の県境を越えるような感覚だ。だから、ヨーロッパ人は自分の好きな国で自由に働いている。僕は現地人とのめ
ぐり合わせが良かったのか、温泉が100以上あるためか、ハンガリ-が好きだ。数ヶ月前福岡天神でピ-タ-・フラ
ンクルの大道芸をみたが、ユダヤ系ハンガリー出身で、数学者、大道芸人として日本で活躍している。(日本名・富
蘭 平太)
リスト、コダ-イやバルト-クなどの名作曲家を輩出する。小職は特に「ハンガリヤ狂詩曲」が大好きだ。悔やまれる
ことは我々1940年代の人と話す機会がなかったこと。どこにいるのやらあって話をしてみたかった。
EU について
学生時代はEEC(欧州経済共同体)と習ってきたが、1993年EC(欧州共同体)へ、それから2009年EU
(欧州連合)として欧州27ヶ国が加盟している。
基を手繰れば、ヨーロッパ統合の動きはすでに 1920 年代から存在し、例を挙げればオーストリアのク-
デンホ-フ・カレルギ-伯爵はヨーロッパ合衆国の結成を主張していた。なんとその人物は日本と大きな関わ
りを持っていたのだ。彼が来日時、東京牛込の骨董商(青山 喜八)の店の前で氷水に足を滑らせ怪我をした。そ
の姿を見てすばやく介抱したのが、喜八の娘・青山 光子(1874年・明治7年生)であった。それからお互いに愛し
合い、両家のもう猛反対を乗り越え結婚。オ-ストリアではク-デンホ-フ・光子と名乗り「黒い瞳の伯爵夫人」とし
て尊敬された。その証拠にグラン社から東洋的神秘の香りをモチ-フにした「MITSUKO」という香水が今でも欧州
にある。二人の間には二人の子供をもったが、生涯帰国することはなかった。67歳没。
話はそれたが、当時の米、ソ連の強大国に対抗として、W・チャ-チル等が先導し、司法、経済、共通外交、安
全保障等の統合を具現化し、発展したのが現在のEUである。
6
車のこと
ナンバ-プレ-トの頭はH=ハンガリ-、D=ドイツ、A=オ-ストリア、CZ=チェコ、SV=スロバキア、F=フラン
ス、R=ロシア、NL=オランダなど欧州の道路はそんな車が通るのが普通だ。すれ違う車のナンバ-を見るのはとに
かく面白い。 GSでオランダ人夫婦に「遠いところから来ましたね」。といって話しかけたら、「あなたこそ随分遠いのに、
自分は近すぎるよ」と逆にやられた。走っている車はドイツ車=ワ-ゲン、BMW,ベンツ、アウディ フランス車=シト
ロエン、プジョ- イタリ-=フェラ-リ 日本車=トヨタ、ニッサン、スズキ、ホンダ、マツダ、スバル 韓国=現代、G
M大宇 など見かけた。ドイツ車が群を抜いて多いが、日本車もかなり走りはしている。ヨ-ロッパはディ-ゼル車が多
い。WCチップ要らずの用足し場所はガソリンスタンド兼コンビニスタイルの店。0.5ユ-ロ~1.0ユ-ロの支払いは
勿体無い。
家電のこと
テレビは韓国サムソン、LGが各ホテル、美術館などに設置が多い。世界的に攻勢を大統領自身が営業しており、
日本のメ-カ-をト-タルしても負けている。日本として大いに愁うべき問題である。「鳩山首相!世界の首脳はも
っと商売人だよ。しっかりしてよ」といいたい。パナソニックは偶に見かけるくらいだ。オランダフィリップ社のブラウン管テレ
ビも見かけたがこれは後々駄目かな。中国ハイア-ルも脅威である。
話はそれるが、経由したソウル・インチョンハブ空港は6車線。日本にはない規模で料金は安価だ。ベトナムやラオ
ス人は大韓航空でインチョン空港経由してプラハへ行っている。実際に小職の隣席はベトナム人でチェコへ何人も
稼ぎに行くということだった。釜山港湾経由で世界に物資が運ばれている。造船も韓国がNO1.中国が続く。鉄鋼
は中国、韓国だ。
世界の経済発展は西へ西へと向かっているとの説もある。エジプト→ギリシャ・ロ-マ→スペイン→英国―米国→
日本→韓国・中国→インドへと進んでいる感じがする。こんな状況も歴史の力学なのかと思いたくもなる。
ギリシャに端を発するPIGS(アイルランド、スペイン、ポルトガル、イタリ-、ギリシャ)の経済問題は中欧には余り切
迫感がなさそうだ。只、中欧は旧共産圏時代の名残がいまだに生きている。それはお客に対するサ-ビス精神がみ
られない。今のロシアや中国の田舎も店頭のお客に愛想のない店が多く、警察にトイレ聞くも、鼻先であっちだと教
える。そんな調子だ。ユ-ロ通貨がチェコだけは通じないところが多い。ユーロ圏ではないのだろうか?
フランスは旧植民地国の出稼ぎ、イギリスは旧植民地国とポ-ランドからの出稼ぎ、ドイツはトルコや東欧からの
出稼ぎが多いと聞く。以前トルコに行ったときアンカラ近くのコンヤでタクシ-に乗ったらドイツ語で話しかけられ、英語
は通じなかった。いずれにしても欧州全域での人の往来は珍しいことではない。日常茶飯事のことなのだ。
食料のこと
車窓から見える風景は、高い山がなく、平原ばかりだ。一部スロバキアとオ-ストリアには一部山間部はあるが、
平野が続く。見渡す限り小麦畑、ぶどう園、牧場などなどが延々と続く。食事もビ-ル、ワインが注文しただけ出てく
る。野菜料理も豊富。黒パン、白パン、フランスパンなど取り放題。牛肉、豚肉料理も美味いのが出てくる。価格も
高くはない。輸入品はなく自給できている状況は日本とは違う。勉強になったことは、ビ-ルの一人当たりの消費量
はドイツではなく、世界一はチェコなのだ。バドワイザ-ビ-ルはそもそもチェコであり、2番手がアメリカなのだ。アメリカ
のバトワイザ-はチェコ移民がつくったものなのだろう。ヨ-ロッパ諸国には、食の不安は想定できない。
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中欧のお花を観てください!!
プラハ市内の花屋さん
ブタペスト桜満開
運がよいのか悪いのか、予定通りに帰国できて家族の心配を拭い去った。仏様に感謝。乱筆、お許しあれ。
2010/5/4 執行 宏
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