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水とともに 2008年9月号 NO.

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水とともに 2008年9月号 NO.
●特集:水資源機構の防災業務と水質事故への対応
●わが町紹介:自然に親しんで心も体もリフレッシュ
∼いなべ市(三重県)∼
−2−
−3−
水資源機構の防災業務と
水質事故への対応
水資源機構は、防災業務計画に基づき、風水、地震などの自然的要因や水質、第三者などの
人為的要因による災害に対して適切に対処し、被害を最小限にとどめるための防災業務を最優
先に取り組む態勢を整えています。
今回の特集では、水機構の防災業務の概要と、特に近年、発生回数が多くなってきている水
質事故への対応について紹介します。
1.水資源機構の防災業務
当以上)を受けたときに、
「①洪水被害の軽減」のため
の操作、あるいは「②利水の安定供給」に支障がない
水機構が行う業務の目的は、大きく以下の 2 つに分
かを判断するために、ダム、堰、水路などの施設に異
類できます。
常がないかを点検し、異常があった場合は必要な対
①洪水被害の軽減
策を講じます。
②利水(水道用水、工業用水、農業用水)
の安定供給
この目的に照らし合わせて防災業務を紹介します。
まず、1 点目は風水害への対応です。治水を目的と
2.平成 19 年度の概況
する施設では、
「①洪水被害の軽減」のための操作を
行います。台風、前線などによってもたらされる大雨は、
平成 19 年度は、台風による浸水被害、地震による土
ときに国民の生命、財産を脅かす洪水となります。水機
砂災害など全国各地で様々な自然災害が発生しまし
構は、これまでに建設したダム、堰などの施設を操作
た。水機構が管理する施設では、延べ 739 回もの防災
し、洪水による脅威を小さくします。
態勢をとり、このうち、風水害が全体の 8 割以上を占め
。
ています(図− 1)
また、治水を目的としない施設については、川へ排
水したり、風水による施設の損傷や取水への影響が出
ないよう、点検や取水停止などの措置をとります。
2 点目は水質事故への対応です。水機構は「安全で
良質な水を安定して安くお届けする」ことを使命とし、
日々絶え間なく水をお送りしています。水質事故、水質
障害については、
「②利水の安定供給」の目的を脅か
す、異常事態です。ダム貯水池への油の不法投棄など、
何らかの異常があった場合に、速やかに浄水場、河川
管理者などに連絡し、異常による影響を極力小さくす
るための対策を講じます。
図−1
3 点目は地震への対応です。大きな地震動(震度 4 相
−4−
平成 19 年度 水資源開発施設における防災態勢状況
特集:水資源機構の防災業務と水質事故への対応
3.防災対応【風水害】
4.防災対応【地震】
水機構が管理する代表的な施設にダムがあります。
水機構の各施設がある市町村の気象庁基準観測点
治水を目的とするダムでは、大雨が降ったときに川の
において、震度 4 以上の地震が発生したとき、または、
水が大幅に増え、
「流域に大きな被害が発生する恐れ
ダムの基礎地盤や堤体底部に設置している地震計が最
がある」という状態のときに、ダムの貯水池に大量の河
大加速度 25gal
川水を受け入れることで、ダムの下流には、安全な水
に参集し、施設の安全と機能を確保するための点検を
。
量を放流し、ダム下流の被害を軽減します(図− 2)
行います。
※1
※2
以上を観測した場合、職員が直ち
震度 5 以上の地震が発生した場合は、取水停止ある
いは通水の減量措置などを行い、第三者被害の防止
対策を講じます。
図− 2
ダムの洪水調節模式図
ダム下流の地域が浸水したときに、
「ダムが放流した
写真− 1
から浸水した」といわれることがありますが、洪水時に
ダムに設置した地震計
ダムが流入量より多い量を放流することはありません。
ダムなどの施設の操作を行う前や操作時には、職員は
点検の結果、異常があった場合は、さらに詳細な点
昼夜を問わず雨の監視や気象情報の収集を行い、ダ
検や必要となる対策を講じます。
ムに入ってくる水量の予測と最適なダム操作方法を検
平成 19 年度は、水機構の施設において、震度 4 以上
討し、操作を行います。現在の気象予測技術では、完
または 25gal 以上を観測した地震が 6 回発生しました。
全に予測することは不可能であるため、予測データと
地震発生後、延べ 14 回の施設の点検を行い異常が
実測データを常に照らし合わせ、ダム下流河川の水位
ないことを確認しました。
上昇傾向などの状況に応じた最適な方法で操作を行
※ 1 最大加速度: 1 個の地震計では、1 方向の揺れしか計測する
ことができないので、通常は 3 つの地震計を組み合わせて
観測しており、そのうちの最大の値(加速度)
。
※ 2 gal(ガル):地震の揺れの大きさ(加速度)を表す単位。
います。
また、琵琶湖や霞ヶ浦などの湖沼施設では、洪水時
の浸水被害を軽減するための水門の操作や、市街地
に降った雨が川に流れなくなり、宅地や農地などが浸
水する「内水はん濫」に対して、排水ポンプを運転し、
河川に水を排出する操作を行います。
5.防災対応【水質事故】
水路やダム貯水池などでは随時、巡視や水質自動監
視装置による監視を行い、水質異常の早期発見に努め
−5−
ています。また、ダム貯水池への油流出事故などが発生
7.水機構における水質事故
と具体的対応
した場合は、河川管理者や利水者などの関係機関へ速
やかに連絡するとともに、発生箇所にオイルフェンスを設
図− 4 は、水機構施設及びその周辺河川等において
置して拡散を防止し、油吸着マットで吸着除去作業を
。
行います(写真− 2)
発生した水質事故件数の推移を表したものです。最近
取水地点においては、汚染された水を取水しないよ
の 3 年間は横這い状態になっています。
う、取水点の変更や取水深を変更するなど、極力障害
が出ないよう対策を講じます。
図−4 水機構施設及びその周辺河川等において発生した水質事故
次に、水質事故への具体的対応事例について紹介
します。
群馬用水は、赤城山南麓や榛名山東麓に展開する
農業地帯へ農業用水を、また、前橋市外 8 市町村に水
写真−2 ダム湖でのオイルフェンス・油吸着マット設置対策
道用水を供給しており、現在は、施設の老朽化などに
伴う改築を併せて実施しています。
平成 20 年 6 月 17 日 6 時 30 分頃に、地元住民から群
馬用水赤城幹線水路の横沢開水路(群馬県前橋市横
6.増加する水質事故
沢町地内)
に、油が流下しているとの情報が入りました
図− 3 は全国一級河川の水質事故発生件数の推移
。
(図− 5)
を表したものです。平成 12 年から増加傾向にあり、平
成 18 年は 1,500 件を超え、平成 10 年の約 3 倍の件数と
なっています。住民らから寄せられる事故情報が増え
ていることも件数増加の要因にあげられます。
図− 5
図− 3 一級河川における水質事故発生件数の推移
−6−
群馬用水施設と汚染範囲
特集:水資源機構の防災業務と水質事故への対応
群馬用水施設を管理する群馬用水総合事業所(群
路、支線水路に多数の油吸着マットを設置し対応しま
馬県前橋市)は、直ちに職員を派遣し、現地確認を行
した。
った結果、油の流下を確認したため警戒態勢に入りま
また、油投棄の情報提供と再発防止を目的とした看
した。
板を掲示するとともに、継続して監視、油吸着処理を
その後、関係機関との情報連絡を密にしながら、水
行い、事故発生から 24 日後の 7 月 11 日に警戒態勢を
路内の油の吸着処理と幹線水路外への流出防止対策
解除しました。今回の油流出において、投棄者は未だ
を行うとともに、消防、警察とも連携しながら原因究明
判明しておりませんが、関係機関の協力を得て適切に
にあたりました。
対処できたことにより、農業への被害をくい止めること
その結果、群馬用水赤城幹線水路の小暮第一暗渠
ができました。
呑み口(群馬県勢多郡富士見村)で潤滑油のようなも
群馬用水総合事業所では、今後も引き続き、水路の
のが不法投棄された形跡が発見されました。
油監視を継続していくとともに、油吸着マット等の資材も
この油流出による汚染範囲は、約 20km にも及ぶも
適正な地点に配備するなどの対策を行うこととしています。
ので、水機構は群馬用水土地改良区とともに、幹線水
写真− 3 オイルフェンス・油吸着マット設置状況
写真− 4
平成 20 年 6 月 20 日付 毎日新聞
−7−
警察による現場検証
特集:水資源機構の防災業務と水質事故への対応
川や水路に、使用済みの油類などを流すことは論外
8.川をきれいにするのは
私たちです!
ですが、設備の管理を十分に行うとともに、その取扱
いには十分に注意することで、川を守ることができます。
図−6 は、平成 19 年度に関東地方で発生した水質事
万が一、川に油や大量に死んだ魚が浮いている場
故の原因別の内訳で、油類が原因物質の約 8 割を占め
合には、最寄りの市町村役場、河川事務所、水機構事
ています。
務所に連絡をお願いします。
特に、油流出事故の場合は、最寄りの消防署へも連
絡をお願いします。
9.
【お知らせ】東海地震に
関する情報
東海地震とは、静岡県の駿河湾の海底に存在する
駿河トラフ
(細長いへこみ)を震源域として、近い将来
図− 6 平成 19 年度事故原因物質別内訳(関東管内)
発生すると予知されている大規模な地震で、現在、日
(作成:関東地方水質汚濁対策連絡協議会)
本で唯一予知の可能性がある地震です。
そこで、地震の可能性が高まった場合に発せられる、
いつもは何気なく流れている川の水も、家庭の生活
東海地震に関する情報名とその対策を参考に掲載し
用水や工場の洗浄水、水田や畑で使う農業用水等様々
ます。
な目的・場所で使用されています。
そのため、ひとたび水質事故が発生すると、浄水場
の取水停止や田畑への送水停止、あるいは、生態系の
破壊という事態にもなりかねません。
また、図− 7 は、原因別の内訳で、事業者のミスが原
因の約 3 割を占めています。
水質事故は、設備の整備不良や操作ミスなどの人的
ミスが原因となるものが多く、日頃からの整備をしっか
り行うことで防げるものです。
図− 7
平成 19 年度事故原因別内訳(関東管内)
気象 HP より
(作成:関東地方水質汚濁対策連絡協議会)
−8−
木曽川水系連絡導水路事業を国土交通省から
水資源機構が承継
木曽川水系の水資源開発の一環として進められて
曽川及び長良川に導水することにより、木曽成戸地
いる木曽川水系連絡導水路事業が、平成 20 年 9 月 4
点において河川環境の改善のための流量を確保する
日に国土交通省から水資源機構に承継されました。
ととともに、徳山ダムで開発した愛知県及び名古屋
今年 6 月に水資源開発促進法に基づく木曽川水系
市の都市用水を最大 4 m 3/s 導水することにより、木
における水資源開発基本計画が一部変更され、同月
曽川で取水できるようにするものです。
に国土交通大臣から水機構に対し木曽川水系連絡導
事業を進めるにあたっては、工事による環境への
水路事業の実施を求められました。これを受けて水
影響を十分調査検討し、これまで培った技術と経験
機構は事業実施計画を作成し、同 8 月 22 日に認可、
を活かして、コストの縮減を図りながら計画的な事
同 9 月 3 日の認可公示を経て、水機構事業としてスタ
業の進捗に努めてまいります。
ートしました。
*
事業の目的は、木曽川水系の異常渇水時 におい
*異常渇水時: 10 年に 1 回程度発生する規模の渇水より厳し
て、本年 5 月に本格的な運用を開始した徳山ダムに
い渇水。具体的には各ダムに確保された流水の正常な機能
確保された渇水対策容量のうち 4,000 万m3 の水を木
の維持のための水がなくなってしまうとき。
国土交通省河川局にて引継書を受領
(右から甲村河川局長、青山水機構理事長)
国土交通省中部地方整備局にて引渡書を受領
(左から佐藤中部地整局長、森田水機構中部支社長)
−9−
水資源機構の施設が所在する市町村の観光名所な
せて十数ヶ所の工業団地があります。
どをシリーズでお届けしています。
その一方で鈴鹿山脈の麓にあることから、渓谷美を有
今回は三重用水の流れる三重県いなべ市を取材し
する宇賀渓や全国でも
ました。
指折りの「花の山」
として
有名な藤原岳など豊か
1 いなべ市プロフィール
な自然にも恵まれてい
ます。
いな べ
とういん
こうした多くの魅力を
三重県いなべ市は、東は桑名市、三重県員弁郡東員
備えるいなべ市ですが、
町、北・西にそれぞれ岐阜県大垣市、滋賀県東近江市
こも の
全てお伝えするのは難し
及び多賀町、南は四日市市及び菰野町に隣接していま
ほくせい
いな べ
だいあん
す。平成 15 年 12 月に当時の北勢町、員弁町、大安町、
いので、今回はその中
藤原町の 4 町が合併して誕生しました。市の面積は
でも特に知っていただき
219.58km 、人口は46,914 人
(平成20 年7 月1 日現在)
で
たい名所をご紹介します。 9 月はリンドウの花が見頃です
2
三重県の北の玄関口にあたり、名古屋から25km 圏内に
2 名所・見どころ
あることから中部圏の一角を構成しています。交通は市の
中央に国道 306 号、365 号線が、また南部には国道 421
あおがわ
あ げ き
号線が走っているほか、桑名方面から市の中心部阿下喜
(1) 青川峡キャンピングパーク
さん ぎ
へは三岐鉄道北勢線が、藤原岳の麓の西藤原へは四日
市方面から同三岐線が延びています。
つに青川峡という
こうした立地条件を生かし、現在、企業誘致が積極的
花の山・藤原岳
鈴鹿三景の一
峡 谷 があります。
に 行 われて
青く見える石の間
おり、市内に
を清流が流る美し
は輸送用機
い峡谷で、時期に
器関係の大
よってはニホンカモ
手メーカーや
シカを見ることがで
セメント工場
きます。市内北勢
など から 成
町にある青川峡キ
る大 小 合わ
ャンピングパークは
− 10 −
わが町紹介(59)
自然に親しんで心も体もリフレッシュ∼いなべ市(三重県)∼
−11−
サイ、ショウブ園を造成中です。
この流域にあり、コテージ、ログキャビン、炭火焼きハウス
などの施設が充実し、多目的に楽しめるオートキャンプ場
になっています。
特に夏場は多くのキャンパーで賑わいを見せ、景観を
含めた環境、施設の充実ぶりは好評です。
約 5,000 本のボタン園
この公園では開園以来、農業振興、農村と都市の交
流、高齢者の活躍の場の創出、循環型社会の実現を理
念に実践しており、平成 20 年、内閣官房が開催した「立
青川峡にて
※
ち上がる農山漁村」 有識者会議において、優良事例と
(2) いなべ市農業公園
して選定されました。中でも河川敷で刈り取られるなどし
て生じた刈り草などの堆肥化や各家庭などで排出された
天ぷら廃油を燃料化し、市内のゴミ収集車や農業公園内
の重機の燃料として再利用するといった取組は環境を考
えた施策として注目されています。
3 月の梅祭り
市内藤原町にあるいなべ市農業公園は、38 ヘクタール
廃食用油再生センター
の梅林公園と18 ヘクタールのエコ福祉広場から成り、梅
林公園は東海エリア最大級 4,500 本の梅林と年間で農業
※ 「立ち上がる農山漁村」…農林水産業を中心とする地域が活
体験ができるクラインガルテン、ブルーベリー園などを配し、
性化している事例を幅広く紹介していく全国的なプロジェクト。
3 月には梅祭り、6 月には梅もぎ取り体験ができます。また、
6 月に収穫した梅で梅ジュース、梅ジャム、梅エキスを製
(3) 屋根のない学校
造・販売しています。
市内藤原町にある
「屋根のない学校」は、その名のと
一方、エコ福祉広場にはパークゴルフ場があるほか、約
おり教室から外へ出て昆虫や植物などに実際に触れな
5,000 本の花が咲き乱れるボタン園が配置され、現在アジ
がら学んでいく施設です。学校にはバッタの原っぱ、
トンボ
− 12 −
わが町紹介(59)
自然に親しんで心も体もリフレッシュ∼いなべ市(三重県)∼
18 年に開業した新しい温泉で「休養」
と
「運動」ができる
健康増進施設でもあります。この温泉はかけ流しのアルカ
リ性単純温泉で、pH 値 9.0 のお湯は温まりやすく湯冷め
をしにくい効果があります。ほかにもトレーニングルームや
物販コーナーがあり、本年 3 月には和風休憩室及び多目
的ホールが、5 月にはマッサージコーナーがオープンし、リ
ラクゼーションのスペースが提供できるようになりました。い
なべ市内散策後の疲れをいやすのにはうってつけと言え
屋根のない学校(全景)
るでしょう。料金はリーズナブルな一人 400 円(小学生以
の池、メダカの池などがあり、自然観察がしやすい環境に
上)
です。
なっています。ここでは毎週植物や昆虫など様々な分野
3 トピック
の専門家が講座を開設し、授業を通じてユニークな視点
を提供してくれます。親子で参加できることから、子供以
国道 421 号線バイパス工事
上に夢中になっている親御さんもいます。
市の南部を通る国道 421 号線ですが、西
(滋賀県東近
江市、近江八幡市)
に向かう途中に鈴鹿山脈がそびえる
いしぐれ
石榑峠を越えなければなりません。この峠は急峻な地形
のため路幅が狭く、しかも急勾配、急カーブが連続してい
るため、現在 2トン車以上の通行規制及び冬期通行が禁
止されています。
親子で昆虫採取、皆さん、楽しそうです
(4) 阿下喜温泉「あじさいの里」
トンネル工事施工位置図と工事風景
三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜駅から徒歩約 3 分の
ところにあるのが阿下喜温泉「あじさいの里」です。平成
このような状況を改善するため、現在トンネル工事が行
われています。開通後は通行規制などがなくなることによ
り、近畿圏との交流が改善される効果が期待されています。
4
健康増進施設・あじさいの里
(全景)
三重用水事業について
いなべ市などが位置する三重県北勢地方は降った雨
がすぐ海に流れ出てしまうため、人々は水の確保に悩ま
※
され、農作業や生活に必要な水を
「マンボ」やため池に
頼らざるを得ませんでした。しかし、これらの水源は天候
かけ流しの風呂
− 13 −
わが町紹介(59)
自然に親しんで心も体もリフレッシュ∼いなべ市(三重県)∼
に左右されやすいことから、安定的な水源を求められた
水及び工業用水として送られ、北勢地域の人々の生活や
ことと、この地域の産業の発展に伴い都市用水の需要が
農業、産業を支えています。
高まり、こうした要請に応えるため、三重用水事業が昭和
46 年に農林省(当時)
から水資源開発公団(当時)
に事
業承継され、平成 5 年に完成しました。
渓流取水の員弁川取水工
5 最後に
マンボ構築のイラストと市内にあるマンボ
(いなべ市大安町『旧大安町史』より抜粋)
いなべ市は今回ご紹介した場所以外にも紅葉の聖宝
※マンボ…農業用水として使う目的で、地表から約 2 ∼ 10m
下をトンネル式に横穴を掘り、地下水を集めたもの。
寺、笠田新田刻限日影石、毎年 5 月に開催される草競
馬など多くの見どころがあります。是非足を運んでみて
ください。
最後になりましたが、今回の取材にあたって多大なるご
三重用水は鈴鹿山脈から流れている7 つの渓流(員弁
こ うちだに
ひえ
た びか
み たき
うつ べ
おん べ
川、河内谷川、冷川、田光川、三滝川、内部川、御幣川)
協力をいただいた、いなべ市農林商工課をはじめとする
及び岐阜県牧田川から取り入れた水を中里貯水池、打
関係機関の皆様に厚く御礼申し上げます。
上調整池(三重県いなべ市)
、宮川調整池、菰野調整池
か
さ
ど
(三重県菰野町)
、加佐登調整池(三重県鈴鹿市)
に貯
え、幹線水路、用水路などを経由して農業用水、水道用
問い合わせ先
○ 青川峡キャンピングパーク
TEL 0594-72-8300
URL http://www.aogawa.jp/
○ いなべ市農業公園
TEL 0594-46-8377
URL http://www.city.inabe.mie.jp/
○ 屋根のない学校
TEL 0594-46-6363
URL http://www.city.inabe.mie.jp/
○ あじさいの里
TEL 0594-82-1126
URL http://www.city.inabe.mie.jp/
アースダムとして我が国最大級の中里貯水池
− 14 −
連載
井澤弥惣兵衛為永の肖像(市川 正三 氏画)
高崎 哲郎(作家、土木史研究家)
第六回 弥惣兵衛と名主たち
モデル
∼大開発の規範・飯沼新田∼②
あした
いことは存じていよう。飯沼干拓は杭打ちした後でなけれ
〈もののふの時―晨に出て夜に帰る〉
「新田開発にあたって、大事な問題を話しておきたかっ
ば断言出来ぬが、1000 町歩(約 1000 ヘクタール)以上の
た。それでわざわざ集まってもらった。この干拓事業に失敗
水田が生まれるはずである。水田にするために沼を干し
は絶対に許されないことを改めて強調したいのだ」
ても用水が不足すれば稲は育たぬ。新田を拓く前に、排
ひら
幕府勘定方井澤弥惣兵衛為永は集まった飯沼廻り
水路はもとよりだが用水路をどう確保するかを考える、こ
村々の名主ら40 人を前に語り出した。いつものように脇差
れが紀州流である。代わりの用水、つまり
〈代用水〉
という
を差し、手には扇子を持っている。享保 8 年
(1723 年)
9月
仕法だ。是非これを理解し用地確保に協力願いたい」
1日
(旧暦、今日の9 月 29 日)
夜、飯沼べりの尾崎村名主
弥惣兵衛は一気に語りかけると、茶碗を手に取り茶を
だいようすい
あんどん
左平太宅の大広間である。部屋の四隅に置かれた行燈
すすった。
「今日までの現地見分で、代用水は鬼怒川から引いた
の明かりが弥惣兵衛の顔に陰陽の輪郭を刻む。名主たち
しら ふ
方がよいとの結論に至った。鬼怒川から用水路を掘るに
は全員白面で定刻前に集まった。
「新田開発は皆の協力がなければ進まないことは言う
は随分北の上流部から開削せねばならないだろう。皆は
までもないが、沼の水を排水しただけでは干拓にはならな
ここで生まれ、ここで育った。皆の知っていること、役に立
ちそうなことは何でも教えてもらいたい。
〈川のことは土地
の者に聞け〉
が川普請の鉄則である」
弥惣兵衛は視線を一同にめぐらした後、軽く頭を下げた。
「工費を節約し、工期を早める。そして皆に迷惑のか
からない場所に新堀を掘る。これが拙者の心積もりであ
る。公儀の評議の場でも拙者は自説を曲げたりはしない。
信用されたい」
静かではあるが明快な弥惣兵衛の口調は名主たちに
信頼感と勇気を与えた。
名主左平太邸宅
(現在、茨城県八千代町尾崎)
と左平太の門札(八千代町、今も左平太名)
「拙者の座右の銘は『晨出夜帰』の4 文字でござる」
弥惣兵衛はこう語りかけると立ち上がった。四隅の行燈
− 15 −
水の匠 水の司 ∼私説・井澤弥惣兵衛為永∼
の炎が燃え盛っていた。
吉宗時代の新田開発には際立った技法上の特徴があ
った。吉宗が紀州藩から呼び寄せた技術者たちは、紀州
流を幕府の治水制度の中核に据えた。それは強度を持っ
た築堤技術と多種の水制工を用いた河川流路の制御技
かわよけ
術
(
「川除」
という)
とを使って、大河川の流れを連続長大の
堤防の間に閉じ込めてしまう仕法であった。この水の技術
者の代表格が井澤弥惣兵衛為永その人だった。紀州流
工法によって、大河川下流域の沖積平野や河口デルタ地
帯の開発が可能となった。同時に、堤の各所に堰と水門
を設けて、河川から枯渇することのない豊富な水を農業用
井澤氏系図
水として引き入れることにより、河川流域だけでなく遠方に
まで及ぶ広大な領域に対して田地の灌漑を実現した。
(以下、茨城県史編さん委員会『近世史料Ⅲ 飯沼新
京・四谷の菩提寺心法寺の墓石に刻まれた戒名は、弥惣
発記』
、長命豊『飯沼新田開発』
、大谷貞夫『江戸幕府治
兵衛が「崇岳院殿隆誉賢巌英翁居士」
、元文三戊午歳
水政策史の研究』
、橋本直子「開発の地域史―享保期新
(1738 年)
三月朔日、行年七十六、妻が「清亮院殿楊誉
貞流智室法尼」
、延享三丙寅
(1746 年)
十月二十四日
(行
田開発と関東」
を参考にする)
◇ ◇ ◇
年記述なし)
。入谷永代日緑寄附
(墓石左側の側面)
とあ
享保 8 年(1723 年)
6 月下旬(旧暦)
、和歌山城下を出
る。子どもは長男「正房 楠之丞、弥惣兵衛
(注:後年父
発した弥惣兵衛の一行は、田井ノ瀬に向かい、紀の川を
の名を継ぐ)
、母は井澤氏の女」
。次男「諸喬、長之助、恵
渡り、山口を経て、雄の山峠を越えて、泉州の貝塚に出た。
左衛門、野澤恵左衛門諸延が養子」
。三男「正章 、左
この道は大坂に向かうことから
「大坂道」
と呼ばれ、6 代宗
門」
。長女「女子、小林左十郎長章が妻」
。三男の記述が
直以降の紀州藩主の参勤交代にも使われた。弥惣兵衛
簡単すぎる。弥惣兵衛の郷里海南市の井澤家に残され
もろたか
まさあき
まさふさ
に同行したのは、長男楠之丞正房、紀州藩土木技術者
ている
「伊沢系図」
によれば弥惣兵衛の跡を継いだのは長
ちゅうげん
まさよし
保田太左衛門、同塩路善太郎、槍持ち嘉吉、中間嘉平
男正房ではなく、
「正義、理兵衛、賢岸、大僧都法印、泉
次、それに紀州商人の鈴木文平と兄高田茂右衛門であ
州金熊寺村観尊一代……」
とある。金熊寺は真言宗高
る。鈴木と高田は同じ紀州人であり、目的地も同じ江戸で
野山金剛峯寺の末寺で、同寺には住職正義の墓と位牌
あったことから、弥惣兵衛の配慮で一行と合流した。この
が現存する。同寺の過去帳には「明和八卯(1771 年)
十
きんゆう じ
かいこう
偶然の邂逅は後年重要な意味を持つことになる。弥惣兵
月十日当寺住七年、生年四十八、伝燈大阿闍梨法印賢
衛はじめ全員が江戸に移住するのであり、妻子や従者を
岸彦超、生国紀州野上新村、井澤氏産」
とある。
黒葛原祐『弥惣兵衛父子』
(連載 24)
によれば、弥惣兵
同伴させたと思われる。
彼らは、淀川の普請現場を訪ね、琵琶湖の新田開発を
衛は「享保 9 年春まだ浅い頃妻を失い、現在の妻は後妻
見分し、さらには東海道を東上して長良川、天竜川、大井
で池部家から来ていた」
と記述されているが、これを裏付
川、酒匂川などを視察し、7 月半ばに江戸・品川宿に着い
ける史料が確認できない。以上の資料などから、弥惣兵
かけい
た。その後、勘定奉行筧播磨守配下の御家人から、下谷
衛は紀州藩士時代に同郷の井澤家から最初の妻を迎え
長者町
(注:JR 山手線御徒町駅付近)
の屋敷を確保した
た。晩婚であり、妻との年齢の差は10 歳前後あったので
との連絡があり、弥惣兵衛らは武家屋敷の多いこの地に
はないかと推測される。40 歳代の後半になって正房をもう
移ることとなった。
け、次いで諸喬、さらに正章をもうけた。諸喬は養子となっ
た。正章誕生 1 年後に江戸に呼ばれている
(江戸に出た
ここで弥惣兵衛の係累について触れておきたいが、著名
かんせいちょうしゅうしょ か
ふ
な人物の割には不明な点が多い。
『寛政重修諸家譜』
に
井澤家は「分家」扱いだったとの説もある)
。ここで幼い正
よれば、
「妻は井澤氏の女、後妻は池部氏の女」
とある。東
章を実家に後継ぎとして残し、正章は長じて後正義と名乗
− 16 −
第六回 弥惣兵衛と名主たち∼大開発の規範・飯沼新田∼②
べきだとして、日本で初めて治山治水を説いた法令であ
る。久世大和守、稲葉美濃守、阿部豊後守、酒井雅楽
守の4 老中連名で出された法令は、3カ条からなる簡明な
ものだった。
一、近年は草木の根まで掘り取り候ゆえ、風雨の時分、川
筋へ土砂が流出し、水行き留まり候ゆえ、今後は草木
の根を掘り取ることを禁止する。
二、川上左右の山に木立がなくなりたる所々は、当春より
井澤正義の位牌と墓(墓中央、泉南市金熊寺)
木苗を植付け、土砂が流れ落ちざる様にする。
三、川筋河原等に開発された田畑は、新田畑はもとより古
り真言宗の僧侶となったと考える。
『寛政重修諸家譜』の
田畑であれども、川に土砂が流出する場合は耕作を
「左門」
は「沙門」の誤記ではないだろうか。沙門は出家し
やめ、竹、木、葭、萱を植え、新規の開発を禁止する。
て仏門に入る者を言う。真言宗は妻帯を認めないことか
「掟」
は、新田開発が急展開され始めた当時、行き過ぎ
ら、実家の「系図」が、彼以降を記していないのは当然で
た開発による土砂流出やそれに伴う洪水の頻発を背景に
ある。享保 9 年春に、妻が亡くなったとすれば、長女を産
定められた。山
(森林)
と川は一体のものとして人々の暮ら
んだ後の産後の肥立ちが悪く他界したのではないだろう
しの中に存在し山の問題は即ち川の問題であった。山と
か。今日でいう高齢出産である。その後、弥惣兵衛は池
川の間にどれだけの田畑が作れるか、どれだけの人々が
部氏の息女と江戸で再婚した。心法寺の墓石に刻まれた
生きられるかは、山と川の地形や気候に規定されていた。
妻は後妻であろう。後妻の実家池部氏は幕府役人だった
弥惣兵衛は、半世紀も前の幕府法令を読むように勧めた
と思われる。正房の系譜
(末裔)
は確認されている。
俊才の誉れ高い老中の意図がつかめなかった。
◇ ◇ ◇
彼が吉宗に拝謁した前月の享保 8 年 6 月に、吉宗は
たしだか
享保 8 年
(1723 年)
7 月 18 日、弥惣兵衛は江戸城に初
足高の制という人材登用の制度をつくった。各職種に基
めて登城し、幕府要人に挨拶して回った。勘定奉行駒木
準の高
(俸給)
を定めて、この高に達しない場合には、不足
根肥後守から
「本日上様は隅田川恒例の舟遊びに出掛
分を在職中に限り支給する
「職能給」制度である。勘定方
けられている。21 日に御目通りが叶うようにしたい。辰の刻
弥惣兵衛もこの斬新な制度の恩恵を受けた。
(注:午前 8 時)
には登城願いたい。上様も貴公との面会
吉宗は元紀州藩士で側近を固めた。紀州派の形成で
を楽しみにしている様子だ」
と伝えられた。
『徳川実記』
(享
あった。吉宗の将軍就任に伴い、享保 10 年までに205 人
保 8 年 7 月 18 日の記述)
には、
「紀藩の士、井澤弥惣兵衛
の紀州藩士が幕臣となっており弥惣兵衛もその一人だっ
りんまい
ご よう とりつぎ
為永、新たに召し出されて勘定となり廩米
(注:俸禄)
二百
か きょ
お そばしゅう
こ しょう
こ なん ど
た。彼等の多くは、御用取次、御側衆、小姓衆、小納戸
しゅんり
俵を給う。これは新田の開墾、河渠の浚利など、年ごろ熟
衆、小納戸頭取といった将軍側近に就任している。享保
せしきこえあるをもてなり」
と記されている。
〈米将軍〉
吉宗が、
11 年には御庭番を新設した。御庭番は、江戸城の奥庭の
弥惣兵衛の新田開墾や河渠浚利などに大きな成果を残
警備が表向きの任務であったが、実質は内密の任務とし
ばってき
していることを熟知して抜擢したのである。21 日、幕閣が
て、将軍や御用取次の直々の指令を受け、諸藩の動向や
見守る中将軍に拝謁し、
「紀州流の治水・利水技術を存
幕府役人の行状さらには世間の風聞など様々な情報を収
分に発揮し、大恩に報いる所存であります」
と決意を述べ
集した。御庭番の定員は17 人で、代々世襲制であったが、
のりむら
これも全員が紀州藩出身者で固められた。
た。拝謁後、老中松平乗邑が声をかけた。
そ ち
しょこくやまかわ おきて
吉宗の財政改革で特筆すべきことの一つは、この改革
「貴公は
『諸国山川掟』
を読んでいるか。まだであるなら
を管掌する財政担当部局の機構改革である。そこではま
ばお貸ししよう」
弥惣兵衛は借り受けて早速読んだ。幕府は、寛文 6 年
ず財政専管の老中(勝手掛老中)
の制度を設けたことが
(1666 年)2 月 2 日付で「諸国山川掟」
を発した。新田開
あげられる。前期には水野忠之、後期には松平乗邑をそ
発万能主義の弊害に気づき、本田畑中心主義に転換す
れぞれ勝手掛老中に任命して総括責任者とした。将軍―
− 17 −
水の匠 水の司 ∼私説・井澤弥惣兵衛為永∼
御側御用取次
(紀州藩出身、加納久通、有馬氏倫)
―勝
手掛老中―勝手方勘定奉行―同吟味役
(実務官僚、弥
惣兵衛が抜擢される)
の上意下達体制となった。
お とり か かた
勝手方勘定所の下位分課としては、御取箇方
(年貢収
納担当)
、新田方
(新田開発担当)
、知行割方
(幕臣への
知行・俸禄支給担当)
、道中方(5 街道担当)
などが設け
られた。弥惣兵衛は御取箇方と新田方を主に所管する。
勘定所は享保 6 年閏 7 月の制度改革で、行財政を担当
する勝手方と裁判問題を所管する公事方の2 系統に分か
れ政務処理能力を高めた。
◇ ◇ ◇
さて飯沼新田開発である。時計の針を1 年ほど前に戻
す。飯沼開発をめぐる周辺村々は賛成派ばかりではなか
った。左平太が奉行所に提出した
「願書」
に記された沼廻
り23カ村を列挙する。北から東回り
(地図でいえば右回り)
ふる
に、平塚、芦ケ屋、崎房、尾崎、栗山、馬場、鴻野山、古
ま
ぎ
おお の ごう
ねこざね
か
ど
間木、大生郷、横曽根、横曽根新田、大口、猫実、神田
やま
くつかけ
おい ご
山、幸田、馬立、弓田、沓掛、生子、山、逆井、東山田、
に
れ
仁連(このうち、尾崎村左平太
〈秋葉家〉
、馬場村源次郎
享保 8 年飯沼堀筋大概図
(
『近代史料Ⅲ、飯沼新発記』茨城県史編
さん委員会より転載)
〈同前〉
、崎房村孫兵衛
〈同前〉
、大生郷村伊左衛門
〈坂
野家〉
が推進派の中心人物となる)
。
所を訪れ、先の「願書」の件について取り扱い状況を尋ね
た。
「追って代官を通じて返事をする」
との素っ気ない回答
であった。村々代表はその後も再三にわたって江戸に出向
き
「願書」の件を尋ねたが、確たる返事のないままであっ
た。年が明けて8 年
(1723 年)
になっても、左平太ら村々の
代表は交代で江戸に出て奉行所を訪ね、新田願いを熱
っぽく陳情した。同年 2 月 3 日、江戸町奉行中山出雲守
番所より伝達があり、
「飯沼新田開発願については、代官
松平九郎左衛門、勘定方岡田新蔵の両名に飯沼の調査
見分を仰せつけたので、この両名へうかがい万端指図を
受け、見分の案内などもするように」
との指示であった。こ
坂野伊佐衛門宅(現 常総市大生郷)
の朗報を聞いた江戸詰の村役人たちは、早速翌 4 日、代
ただ
官松平を訪れ新田願の取り扱いを質した。代官は答えた。
一方、横曽根、横曽根新田、大口の3 村は飯沼開発の
手段として、新堀を掘削するのではなく、現在鬼怒川に水
「この案件は重大であり、勘定方岡田新蔵が御朱印
しゅんせつ
を落としている
「古堀」
を浚渫することによって目的を達し
(注:幕府判断)
にて飯沼の調査見分を行うことになった。
ようとする意見であった。この3 村とは反対に、沼の西にあ
諸用に間違いのないようにせよ。また調査見分のためには
る生子村は、沼廻り村とは言えないが、同村の枝郷が沼
飯沼廻りのどこに着任したらよいか」
廻りにあることから、20カ村と同一歩調をとった。その結果、
21カ村で新堀開削運動を進めることになった。
村役人たちは、着任地として神田山村を指定し代官所
を引き下がった。神田山村を指定したのは新堀開削予定
享保 7 年 9 月 1 日、左平太ら名主代表は江戸町奉行
地に最寄りの場所であるためだった。幕府の調査見分と
− 18 −
第六回 弥惣兵衛と名主たち∼大開発の規範・飯沼新田∼②
同年 8 月 1 日、沼廻り村々代表は松平九郎左衛門の代
官所に呼び出された。重要事項である、と前置きがあって
「飯沼新田開発について、新任の勘定方井澤弥惣兵衛為
永が再見分することになり、近日中に江戸を出立して飯沼
に向かうことになった」
との趣旨であった。幕府新田開発
担当の最高責任者の現地視察が実現した。江戸詰代表
たちは翌 2 日下谷長者町の私邸に弥惣兵衛を訪ねた。面
会拒否は覚悟の上だったが、気さくに応じてくれた。
「飯沼
新田願」の件を遠慮がちに尋ねたところ、8 月 10 日朝江
延命院参道(同院は幕府役人の宿舎となった)
戸を発って現地に入るとの明快な返事であった。左平太ら
村々代表は「見分に都合のいい猫実村に着かれることを
なれば、代官、勘定方はもとより相当数の役人が来郷す
希望したい」
と伝えた。開発は実現に向けて動き出した。
ることになる。その対応を協議した結果、宿泊所について
8 月 7 日から9 日までは二百十日の台風が荒れ狂い飯
は、代官松平の一行は神田山村の延命院(平将門遺跡
沼は大洪水となった。弥惣兵衛一行総勢 10 人は台風の
で知られる)
、勘定方岡田の一行は同村の妙音寺と決め
去った11 日に猫実村に着いた。同日、松平九郎左衛門
た
(両寺院とも格式ある古刹で現存する)
。見分の一行は
の手代峯岸権右衛門も同村に到着した。これは先の調査
2 月 22 日に江戸を発って翌 23 日に神田山村に着任する
見分の件もあって、松平の命を受けて来郷したものであっ
との連絡も入った。
た。弥惣兵衛は御朱印による見分であるとして「新堀筋
享保 8 年
(1723 年)
2 月 23 日は、天候に恵まれず、大雨
願」
、
「古堀浚い願」
ともに調査することになり、8 月 15 日か
であった。見分の一行は予定通り来郷したので、村々役人
ら勾配などの地形や水量さらには地質などの調査を行っ
たちは、大勢が利根川左岸の長谷村船着場(旧岩井市
た。9 月 1 日には舟に乗って飯沼をくまなく視察した。調査
長谷)
まで出迎えた。大雨の中、舟から降りた松平や岡田
は増水した沼の水深を中心に精密に行われた。この日、
ら一行 41 人は村々用意の籠に分乗して神田山村に到着
弥惣兵衛は尾崎村左平太宅に寄宿した。この夜、彼は集
した。一行を迎えた沼廻り20カ村は、名主・組頭など村役
まった名主たちに新田開発のあり方を説いた。新田開発
員全員が神田山村の2 つの寺院に詰め切りで御用を待
には排水による干拓だけでは十分ではなく、水田に必要な
ち受けた。翌 24 日には新堀筋の調査見分が、また25 日
用水
(代用水)
路をも考慮しなければならないと力説した。
「私は全財産をなげうつ覚悟です」
。左平太は弥惣兵
には水量調査が、それぞれ始まった。
飯沼が干拓され新堀が利根川本流に通じるようになれ
衛に決意を伝えた。弥惣兵衛は深くうなずいた。近くに鬼
ば、利根川の増水によっては浸水や冠水の被害も心配さ
怒川があるので用水源として考えるべきであるとして、翌日
れる村もあった。法師戸、出島、大谷口、大崎、中里、
以降鬼怒川を舟で巡視することになった。
(つづく)
。
へ
た
辺田、藤田、岩井の8カ村(いずれも旧岩井市)
で、幕府
の見分役人に新堀反対を訴え出た。この訴えは、公儀と
して一応預かるとのことで結論は先送りされた。
すごう
新堀筋にあたる、猫実、大口、坂手、大塚戸、菅生の5
カ村のうち猫実村を除く4カ村は、新堀のために潰れる田
畑が多く、この潰れ地の地代金や代替地などをめぐって、
沼廻り21カ村との間に再三の交渉があった。が、結論は
出なかった。飯沼見分役人一行は、40 日間の長期にわた
る滞在の中で、実地に新堀筋の予定地、飯沼とその周辺
の土地を見分した。同時に利害に関わる村々の動向も把
握して江戸に帰って行った。
鬼怒川(宗道付近、現在)
− 19 −
木曽川源流の里ビジョン
味噌川ダム管理所
1. はじめに
③行政との協力
この結果、具体的な取組として、4 つのプロジェクトを
味噌川ダムは、延長 229kmを有する木曽川の最上流
立ち上げました。
である、長野県木曽郡木祖村に建設された堤高 140m
①「遊木民プロジェクト」
のロックフィルダムで、平成 8 年 12 月に管理を開始してい
○仲間づく
り、情報収集・発信
ます。
②「四季の彩プロジェクト」
味噌川ダム水源地域ビジョンは、水源地域「木祖村」の
○景観形成、環境保全
自立的・持続的な活性化を促進し、木曽川流域のバラ
③源流の里体験・学びプロジェクト
○体験学習のプログラム開発
ンスのとれた発展に資することを目的に、その名称を
「木
あんばい
④食の塩梅プロジェクト
曽川源流の里ビジョン」
として平成 14 年 3 月に策定され
ました。今回、ビジョン策定から現在までの活動状況に
○
商品開発
ついて紹介します。
3. ビジョン推進体制
2. ビジョンの基本方針と取組方向
「木曽川源流の里ビジョン」に沿った取組を推進する
ビジョン策定にあたり、木祖村が水源地域として活性
ため、ビジョン策定メンバーを中心として、一般公募の村
化していくための課題をあげ、その課題を踏まえビジョン
民、地域づくりや地域改善の活動団体により構成される
「木曽川・水の始発駅フォーラム」を立ち上げました。住
の基本方針を次のとおり設定しました。
○地域を知り、地域に誇りをもつ
民参加型であるこのフォーラムでは、まさに村民が主役と
○地域資源を活かし、地域経済の活性化を図る
なって各プロジェクトの活動の企画、実施、確認を行い
この基本方針のもと、進め方として次のとおり考えま
ながらビジョンの理念の実現化を目指しています。事務
した。
局は木祖村役場に置くことにより、村民への呼びかけ、地
①プロジェクトチームの結成
域情報の管理、関係機関との調整などがスムーズに行
②女性の活躍
われています。
図− 2 木曽川源流の里ビジョン推進体制
図− 1 木曽川源流の里ビジョンの基本方針と取組の方向性
− 20 −
木曽川源流の里ビジョン
4. プロジェクトの活動状況
(1)遊木民プロジェクト
「木曽川・水の始発駅フォーラム」関連の各種会議の
企画運営、フォーラムだよりの作成やホームページによる
情報発信、地域案内人の養成などを行っています。フォ
ーラム総会はこれまで 6 回開催されており、各プロジェク
写真− 4
トの活動報告や計画の確認のほか講演などが行われて
カヌー体験
います。
(4)食の塩梅プロジェクト
(2)四季の彩プロジェクト
特産品の開発と販売促進を検討するプロジェクトで、
源流の里木祖村として、ふさわしい環境や景観の保全
そば実かんりんとうの販売、特産品の開発などを行って
と創造を検討するプロジェクトで、村民のボランティアに
います。各種行事における食のおもてなしにも活躍してい
よる木曽川の環境整備などを行っています。
ます。
写真−5
特産品の開発・試食
写真− 1
木曽川河畔に建て
られた案内板
写真−6
そば実かんりんとう
などの販売
写真−2
木曽川整備作業
5. おわりに
(3)源流の里体験・学びプロジェクト
源流の里の豊かな地域資源を活かした体験・学習プ
「木曽川源流の里ビジョン」は、これまで各プロジェク
ログラムの開発を進めるプロジェクトで、間伐材を使用し
トリーダーの指導力と木祖村民の熱意により、各プロジェ
た糸鋸コンテスト・
クトが継続的かつ活発に行われてきました。
フェスティバル、カ
また、8 月 30 日∼ 31 日には、木祖村で「第 9 回全国源
ヌー体験、星空を
流シンポジウム」が開催され、味噌川ダム管理所も全面
見る会などを開催
的に協力しました。
し、地域住民や下
味噌川ダム管理所としては、木祖村と共同して各プロ
流住民など多くの
ジェクトが継続的かつ活発に活動し、水源地域の活性
人が参加し、交流
化につながるように、今後とも積極的に支援してまいり
を図っています。
写真− 3
ます。
糸鋸コンテスト
− 21 −
お知らせ
平成 19 年度独立行政法人水資源機構の
役職員の報酬・給与等について
Ⅰ 役員報酬等について
22 年度までに段階的に引上げることとしており、最終的
1. 役員報酬についての基本方針に関する事項
には12 %にすることとしています。なお、平成 19 年度は
① 平成19 年度における役員報酬についての業
地域手当の支給割合を7 %から8 %に引上げました。
績反映のさせ方
理事長は、役員報酬のうち業績手当について、当該
役員の職務実績に応じ、100 分の10の範囲内で増額
し、または減額することができます。平成 19 年度におい
ては、独立行政法人評価委員会の業務運営評価の結
果及び役員の業績を踏まえ、業績手当の増額及び減
額は行わないこととしました。
② 役員報酬基準の改定内容
地域手当の支給割合は、国家公務員と同様に平成
2. 役員の報酬等の支給状況
注 1:
「地域手当」は、民間の賃金水準が高い地域に在勤する役員に支給されています。
注 2:役員の年間報酬等の総額は、本給(本給が反映される地域手当及び業績手当を含む)の自主返上後の額を計上しています。
注 3:
「前職」欄について、
「*」は退職公務員(本府省課長・企画官相当職以上で退職した者)
、
「◇」は役員出向者(国家公務員退職手当法〈昭和 28 年
法律第 182 号〉第 7 条の 3 第 1 項に規定する独立行政法人等役員となるために本府省課長・企画官相当職以上で退職をし、かつ、引き続き
同項に規定する独立行政法人等役員として在職する者)、
「※」は独立行政法人等の退職者であることを示し、いずれにも該当しない場合は空
欄としています。以下「3 役員の退職手当の支給状況」においても同じ。
− 22 −
平成 19 年度独立行政法人水資源機構の役職員の報酬・給与等について
3.
役員の退職手当の支給状況(平成 19 年度中に退職手当を支給された退職者の状況)
Ⅱ 職員給与について
与改定に関する取扱いについて」
(平成 19 年 10 月 30
1.
日閣議決定)
を十分考慮して決定しました。
職員給与についての基本方針に関する事項
① 人件費管理の基本方針
なお、国土交通省独立行政法人評価委員会による
水機構は、独立行政法人通則法
(平成 11 年 7 月 16
平成 18 年度業務実績評価は、
「順調」
との評価を受け
日法律第 103 号。以下「通則法」
という)
第 30 条第 1 項
ています。
の規定において、厚生労働大臣、農林水産大臣、経
イ 職員の発揮した能率または職員の勤務成績の給
済産業大臣及び国土交通大臣から指示を受けた平成
15 年 10 月 1 日から平成 20 年 3 月 31 日までの期間に
与への反映方法についての考え方
おける水機構の中期目標(以下「中期目標」
という)
を
人事評価制度に基づき、毎年、職員の業績評価及
達成するため、この期間における中期計画(以下「中
び能力評価を実施しています。その評価結果を本給の
期計画」
という)
を作成し、主務大臣の認可を受けなけ
増額または減額、昇給、昇格・降格及び業績手当の成
ればならないと定められています。平成 19 年度までの
績率の判定に反映させています。
中期計画においては、人件費
(退職手当を除く)
を含め
た事務的経費について、平成 14 年度と平成 19 年度を
〔能率、勤務成績が反映される給与の内容〕
比較して 13 %節減することとしておりました(実績:
13.3 %節減)
。さらに「行政改革の重要方針」
(平成 17
年 12 月 24 日閣議決定)
を踏まえ、平成 18 年度から平
成 22 年度までの 5 年間において人件費について 5 %
以上の削減を行うこととし、中期目標期間においては
概ね 2 %の人件費を削減することとしておりました
(実
績:5.4 %削減)
。
② 職員給与決定の基本方針
ウ 平成 19 年度における給与制度の主な改正点
ア 給与水準の決定に際しての考慮事項とその考え方
(1)
給与水準決定における社会情勢配慮等の取組とし
て、職員を対象とした本給の5 %カット
(本給が反映さ
通則法第 63 条の規定により、業務の実績を考慮し、
れる諸手当及び業績手当を含む)
を行いました。
かつ社会一般の情勢に適合したものとなるよう支給基
準を定めています。その拠り所の一つが国家公務員の
(2)
国家公務員の平成 19 年度の給与改定に準じ、本給
の改定等を行いました。
給与水準であり、給与改定にあたっては、
「公務員の給
− 23 −
・若年層に限定した本給の引上げ
地域手当の支給地域別の支給割合(3 %∼ 15 %)
は、
・子等に係る扶養手当の引上げ
国家公務員と同様に平成 22 年度まで段階的に引上げる
・地域手当の支給割合の引上げ
こととします
(平成 19 年度は 2 %∼ 12 %)
。
・業績手当の支給月数の引上げ(0.05 月)
2. 職員給与の支給状況
① 職種別支給状況
② 年間給与の分布状況(事務・技術職員)
〔在外職員、任期付職員及び再任用職員を除く。以下、⑤まで同じ〕
年間給与の分布状況(事務・技術職員)
− 24 −
平成 19 年度独立行政法人水資源機構の役職員の報酬・給与等について
〔事務・技術職員〕
③ 職級別在職状況等(平成 20 年 4 月 1 日現在)(事務・技術職員)
④ 賞与(平成 19 年度)における査定部分の比率(事務・技術職員)
⑤ 職員と国家公務員及び他の独立行政法人との給与水準(年額)の比較指標(事務・技術職員)
対国家公務員(行政職(一)
)
116.8
対他法人(事務・技術職員)
108.7
注:当法人の年齢別人員構成をウエイトに用い、当法人の給与を国の給与水準(「対他法人」においては、すべての独立行政法人を一つの法人とみなした
場合の給与水準)に置き換えた場合の給与水準を 100 として、法人が現に支給している給与費から算出される指数をいい、人事院において算出して
います。
− 25 −
■ 給与水準の比較指標について参考となる事項
〔事務・技術職員〕
− 26 −
平成 19 年度独立行政法人水資源機構の役職員の報酬・給与等について
Ⅲ 総人件費について
− 27 −
平成 19 年度独立行政法人水資源機構の役職員の報酬・給与等について
■ 総人件費について参考となる事項
革の重要方針」
(平成 17 年 12 月 24 日閣議決定)
を踏
1 給与、報酬等支給総額及び最広義人件費の増減要因
まえ、平成 18 年度から平成 22 年度までの 5 年間に
① 給与、報酬等支給総額の対前年度比(1.9 %減)
人員の削減及び給与抑制措置(本給 5 %カット)
に
おいて、国家公務員に準じた人件費削減の取組を行
うこと。
よる。
また、国家公務員の給与構造改革を踏まえた給与
② 最広義人件費の対前年度比(0.9 %増)
体系の見直しを進めること。
② 中期計画において設定した削減目標、国家公務
「給与、報酬等支給総額」
、
「退職手当支給額」及
員の給与構造改革を踏まえた見直しの方針
び「福利厚生費」
については減少したものの、
「非常勤
役職員等給与」が増額となったため、最広義人件費
「行政改革の重要方針」
(平成 17 年 12 月 24 日閣議
が昨年度に比べ、0.9 %増額したものである。
決定)
を踏まえ、平成 18 年度から平成 22 年度までの
「非常勤役職員等給与」が増額となった理由としては、
5 年間において、人件費(退職手当等を除く)
につい
○ 平成18年度まで請負契約としていた水機構の業務
て 5 %以上の削減を行うこととし、中期目標期間にお
の一部の契約方式を見直し、平成19年度より労働
いては、概ね 2 %の人件費を削減すること。総人件費
者派遣契約に変更したこと
改革による平成 17 年度の人件費に対する各年度の
○「高齢者等の雇用の安定等に関する法律」
の施行
人件費の削減率は、概ね、平成 18 年度 1 %、平成 19
に伴い、平成19年度より継続雇用従事者を新たに
年度 2 %とすること。また、国家公務員の給与構造改
雇用し、当該従事者に対する手当を計上したこと
革を踏まえ、必要な給与体系の見直しを進めること。
③ 人件費削減取組の進捗状況
によるものである。
2 「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推
平成19年度の「給与、報酬等支給額」は、13,665,159
進に関する法律」
(平成 18 年法律第 47 号)及び「行政
千円であり、基準年度(平成 17 年度)の「給与、報酬
改革の重要方針」
(平成 17 年 12 月 24 日閣議決定)
等支給額」14,338,034千円に比して672,875千円減少し
による人件費削減の取組の状況
たため、人件費削減率は4.7%、人事院勧告を踏まえ
① 中期目標に示された人件費削減の取組に関する
た官民の給与較差に基づく給与改定分を除いた人件
事項
費削減率(補正値)
は5.4%であった。
人件費(退職手当等を除く)
については、
「行政改
総人件費改革の取組状況
Ⅳ 法人が必要と認める事項
特になし。
− 28 −
術の向上と安全意識の高揚を図り、事業の円滑な推
全国安全週間の 7 月 4 日、独立行政法人水資源機
構本社において平成 20 年度優良工事請負者表彰が実
進に資することを目的としています。
施され、青山理事長より表彰状が授与されました。
平成 19 年度に完成した全国で 503 件(500 万円以
この表彰は、水機構が発注した工事を対象に安全
上)の工事の中から、表彰にふさわしいものが各事
管理、施工管理等に優れ工事成績が優秀であり、他
務所から推薦され、審査委員会の審議を経て今回の
の模範となる請負者などを表彰することにより、水
表彰となりました。
機構事業への理解を深めるとともに請負者の施工技
「総合部門」表彰
「総合部門」表彰は、工事成績が優秀であり、さらに水機構のイメージアップに寄与するとともに、厳しい
工事環境の克服や技術開発などを通して、水機構事業の円滑な推進に貢献した工事を表彰するもので、
平成 8 年度から実施しています。
理事長表彰として以下の3 件が受賞されました。
「総合部門」で表彰された請負者の方々
− 29 −
工 事 名:付替県道第 16 工区工事
工 事 場 所:大分県内
かわ づ
請 負 者 名:河津建設株式会社
工 期:平成18年3月28日∼平成19年9月28日
事 業 所 名:大山ダム建設所
本工事は、大山ダム建設に伴って付け替える県道の施工
を行ったものです。施工区域は急峻な地形で転石が多い条
件の非常に厳しい現場でしたが、豊富な経験を生かし適切
な工程管理と安全管理に積極的に取り組み、無事故無災
害で工事を完成させた点や、破砕した転石を利用した山林
ど水機構のイメージアップに積極的に取り組んだ点などが評
管理用道路の整備や、側溝の破損箇所の取り替えを行うな
価されました。
とよがわ
おお し みず
みなみ おお し みず
工 事 名:豊 川 用 水 二 期 大 清 水 支 線 南 大 清 水
(その 2)工区工事
工 事 場 所:愛知県内
くさか
請 負 者 名:日下建設株式会社
工 期:平成18年8月23日∼平成19年8月7日
事 業 所 名:豊川用水総合事業部
本工事は、支線水路の全面通水開始以来 30 年余りが
経過し、漏水・破損が顕著になったため水路施設改築及
び付帯施設の整備を行ったものです。施工区域は、局地
風が厳しく交通量の多い道路の直近にありましたが、石綿
ップに積極的に取り組んだ点などが評価されました。
管の撤去にあたって、石綿の飛散防止対策として電気防
注:気密性のある筒状のポリエチレン製の袋。
(注)
食用ポリエチレンスリーブ
に管を1 本ずつ入れて運搬す
るなど、周辺地域に配慮した対応により機構のイメージア
や す
ちょうじゃまち
工 事 名:両筑二期 夜須支線水路長者町工区改
築工事
工 事 場 所:福岡県内
請 負 者 名:九州環境建設株式会社
工 期:平成19年10月20日∼平成20年1月27日
事 業 所 名:両筑平野用水総合事業所
本工事は、既設管
(ヒューム管φ 800)
の老朽化に伴い
(注)
管更正工法 により改築したものです。施工区域には多
数の隣接工事がありましたが、それらの工程調整・施工調
整において中心的役割を果たし円滑な施工を実現した点
れました。
や、独自の管更正のチェックシートによる施工管理やパソ
注:地表面を掘り返すことなく、既設管の内面に新たな管を形成する
コンでの工事材料の品質管理に努めた点などが評価さ
工法。
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平成 20 年度 優良工事請負者表彰
「個人部門」表彰
「個人部門」表彰は、水機構が発注した工事を担当した技術者の中から、その工事への取り組み方が
優秀であり、他の模範となる担当技術者を表彰することにより、技術者の資質と意欲の向上を図り、水機構
事業の円滑な推進に資することを目的とするもので、平成 13 年度から実施しています。
理事長表彰として以下の5 名が受賞されました。
表彰された方々
おおはし
ひで き
工事場所:愛知県内
技術者名:大橋 秀樹
工 期:平成18年8月23日∼平成19年8月7日
〔佐伯・りんかい日産特定建設工事共同企業体〕
事務所名:豊川用水総合事業部
工 事 名:群馬用水施設緊急改築利根川サイホン併設
水路工事
か い
すみ お
技術者名:甲斐 澄夫
工事場所:群馬県内
ま がら
〔三井住友・真柄特定建設工事共同企業体〕
工 期:平成17年3月11日∼平成19年7月8日
しんみや
工 事 名:豊川用水二期西部幹線併設水路新宮工区 事務所名:群馬用水総合事業所
(その 2)工事
むらやま
ゆう き
技術者名:村山 祐貴〔株式会社アルス製作所〕
工事場所:愛知県内
つか
工 事 名:塚地区取付道路 1 号橋上部工工事
工 期:平成18年3月24日∼平成19年8月5日
工事場所:岐阜県内
事務所名:豊川用水総合事業部
工 期:平成17年9月23日∼平成19年5月15日
ひら い
ひと し
ちゅうえつ
技術者名:平井 仁司〔中越興業株式会社〕
事務所名:徳山ダム管理所
工 事 名:国道付替雪害防止その 3 工事
か とう
ちかのり
くさか
技術者名:加藤 真規〔日下建設株式会社〕
とよがわ
おお し みず
工事場所:岐阜県内
みなみおお し みず
工 事 名:豊川用水二期大清水支線南大清水
工 期:平成19年3月16日∼平成19年11月30日
(その 2)工区工事
事務所名:徳山ダム管理所
− 31 −
水の話あらかると
第 59 回
編集部
利根川水系の知られざる明治の大プロジェクト
榛名山麓巨石堰堤群
大きいものは優に 1 トンを超える自然石を積み上げた明治期の堰堤が、
榛名山の東南斜面に刻まれた 9 つの沢に点々と残っている。
はちまんがわ
人家の近くにある八幡川の堰堤など比較的早くから知られていたものを除くと、
それらは近年まで人々に忘れ去られ、山林の中でひっそりと眠っていた。
地道な現地調査により、全貌が明らかになってきたこれらの巨石堰堤群は、
明治初期の政府直轄による大規模プロジェクト「榛名山砂防工事」の遺産である。
125 年以上を経た今もなお効力を発揮し、山麓、渓流の安定に寄与している。
自害沢 3 号堰堤。
築造:明治 15 年(1882 年)∼同 17 年
(1884 年)のある年。
明治 36 年(1903 年)
の引継ぎ時の実測値:
高さ 4.5m、長さ 18.1m。
悪沢 8 号堰堤。
築造:明治 15 年(1882 年)∼同 17 年(1884 年)のある年。明治 36 年(1903 年)の引継
ぎ時の実測値:高さ 3.6m、長さ 11.8m。常時流水がある。
− 32 −
榛名山麓巨石堰堤群
根川低水工事」の一環であった。低水工事とは、主に航
八幡川砂防堰堤群など
路維持のために実施する工事のことである。利根川では
榛名山の東斜面を下り下流の滝川を経て利根川に合
度重なる水害のため、明治 33 年に洪水防除の高水工事
しん
流する八幡川(十二沢ともいう)
の上流部・北群馬郡榛
に切り替わるまで行われた。
とうむら
東村新井には、数基の石積み堰堤が残り、かねてから
「八
幡川砂防堰堤群」
として知られていた。土木学会の「現存
する重要な土木構造物 2800 選」
、及び「選奨土木遺産」
にも選ばれており、堰堤のかたわらには群馬県渋川土木事
利根水運の発展、隆盛期に行われた低
水工事
初代内務卿大久保利通が明治 11 年(1878 年)
に「内
務所による案内板が立てられている。明治 18 年
(1885 年)
陸運河網構想」
を提唱するなど、当時は日本の河川舟運
に入植が始まった桃泉開拓地に隣接する、比較的人の目
の発展期だった。利根川筋では、明治 10 年に内国通運
に触れやすい場所にあるこれらの堰堤は、やはり
「2800 選」
会社
(日本通運の前身)
が外輪蒸気船「通運丸」
を投入。
や「選奨土木遺産」
に選定されている自害沢、栗の木沢
現在の栃木県の小山市や群馬県邑楽郡千代田町あたり
の堰堤と同じく、榛名山東南麓の広範囲にわたって明治
の内陸部に航路を広げたほか、多くの同業者が現れ、蒸
政府が行った直轄砂防事業のわずか一部にすぎないこと
気船全盛時代を迎えていた。
おう ら
榛名山付近では、利根川支流烏川で栄えた倉賀野河
が、明らかになっている。
岸(高崎市)
や、利根川上流部の現在の渋川市や水上
町、吾妻川の原町などにも河岸が点在し、物資輸送は江
戸時代から続く舟運が担っていた。安政 6 年
(1859 年)
の
横浜港開港後は、日本を代表する輸出品・絹の搬送で舟
運はますます活況となり、航路確保は急務であった。明治
17 年(1884 年)
に前橋まで鉄道が開通すると、貨物輸送
が鉄道に移行し倉賀野河岸などは衰退したが、利根川全
体で見ると、舟運は鉄道を補完する形で明治、大正期を
八幡川
(十二沢)
7 号堰堤上段。記録によれば 2 段堰堤だったよう
だ。築造:明治 15 年
(1882 年)
∼同 17 年
(1884 年)
のある年。明治
36 年
(1903 年)
の引継ぎ時の実測値:高さ 4.5m、長さ 13.6m。
写真提供:国土交通省利根川水系砂防事務所。
通じて命脈を保った。榛名山東南面においてスケールの
大きな砂防事業が行われたのは、こうした時代であった。
土砂災害が頻発する火山性地質
群馬県のほぼ中央部、高崎の北西に位置する榛名山
は、5 ∼ 6 世紀に大噴火を起こした火山だ。大量の火山
噴出物が山肌を覆い、崩れやすい地質は、悪沢、自害沢
通運丸開業広告。
画像提供:物流博物館
などという名の沢があることにも表れており、土砂災害の常
襲地帯だった。さらに、天明 3 年
(1783 年)
の浅間山の大
噴火による噴出物で、榛名山の東のすそを洗う利根川の
河床が上がっていたことも問題となっていた。明治 14 年
昭和初期の茨城県境町付近の利根川。
画像提供:茨城県立境高等学校
(1881 年)
、この土砂排出を防止するため、内務省の直轄
「榛名山砂防工事」が始められ、明治 27 年に一応の完成
を見るまで続けられた。この工事は、明治 6 年(1873 年)
に設置された内務省が、明治 8 年から32 年(1899 年)
に
9 渓流に 528 ヶ所もの膨大な工事量
明治 36 年(1903 年)
に、砂防事業が国から群馬県へ
かけて、ムルデルらオランダ技師団の指導の下に行った
「利
− 33 −
水の話あらかると
引き継がれたときの引継書「榛名山砂防工事ヶ所明細書」
務所 OBで、今春「榛名山における明治の巨石堰堤群」
と
が群馬県立文書館に保存されている。この記録によれば、
題する論文をまとめた塚田純一氏は言う。
「ラフな手書き図
施工区域は悪沢、滝の沢、自害沢、十二沢(別名八幡
面から工事場所を特定するのは、至難の業でした。石積
沢)
、唐沢、夕日河原、栗の木沢、中河原、ガラメキ沢の9
堰堤は120ヶ所のうち41ヶ所を確認しましたが、数年後に
しんとうむら
沢。現在の渋川市、吉岡町、榛東村、高崎市にわたる広
再訪すると山林に埋もれて発見できなかったものもある。確
い範囲に、明治 15 年
(1882 年)
から同 27 年にかけて巨石
認不能だったのは崩壊したものもあるでしょうが、役割を果
堰堤 120ヶ所、欠止石垣 181ヶ所、積苗工 217ヶ所など、
たし終え山腹に融合したとも考えられます。積苗工などは
合計 528ヶ所という膨大な工事を実施している。しかも近
完全に活着し山地に同化することが使命ですから。後世
か ぐ ら さん
(縄を巻き取るろくろを使っ
代的土木機械などなく、神楽桟
の現況だけを見て事業規模を過小評価することなく、先人
た牽引機)
や二又など旧来の木製道具を使い、人力のみ
の業績の大きさを正しく知ってほしいのです」
。
でやり遂げている。
この意味で堰堤の規模は現況でなく、新設時や過去の
修理時に取られた記録のうち最大寸法を採用すべきだと
している。こうした考え方で集計されたものを見ると、石積
堰堤のうち最大の長さをもつのは長さ33.5mの自害沢 7 号
堰堤(現存)
。また、高さは 7.2m の滝の沢 7 号堰堤が最
大。長さは5 ∼ 10mのものが 58 基と最も多く、高さは3 ∼
5mのものが最も多い。
これらの堰堤はデ・レーケが指導したとされ「オランダ堰
堤」
と呼ばれることがある。デ・レーケの直接の関与を示す
資料は今のところ見つけられていないが、デ・レーケの指導
神楽桟の図
(国土交通省利根川水系砂防事務所パンフレットより)
を受けた2人の日本人技術者がかかわったことは確かなよ
うだ。
一方、現地調査からは、水叩き
(水の落下を受ける構造
物)
や両袖に石垣のあるものなど付帯設備が整った堰堤
の残存率が高いことなど、現代にも生かせる分析結果も
得られたという。また、最近は平成 11 年
(1999 年)
完成の
かん な がわ
神流川支流橋倉川第二砂防堰堤などのように、景観に配
慮してデ・レーケ時代の堰堤を思わせる自然石の乱積み
風の砂防ダムも造られている。百数十年を経ても効果を保
ち、自然に溶け込んでいる榛名山麓の堰堤群は、世紀を
栗の木沢 12 号堰堤。2 段堰堤。築造:明治 14 年(1881 年)
∼同 17
年(1884 年)のある年。明治 23 年(1890 年)の修理時の実測値:
上段・高さ 4.7m、長さ 6.3m。明治 36 年(1903 年)の引継ぎ時の
実測値:下段・高さ 2.7m、長さ 9.1m。常時流水あり。
写真提供:国土交通省利根川水系砂防事務所
超えて現代の人々にも学ぶべき示唆を与えているようだ。
(注)
堰堤の番号は、
『榛名山における明治の巨石堰堤群』
による。
取材協力
塚田純一氏及び国土交通省利根川水系砂防事務所
参考文献
「引継書」を基に数次にわたる現地調査
●『榛名山における明治の巨石堰堤群』
(塚田純一著、
国土交通省利根川水系砂防事務所では前掲の引継
2008 年)
書を基に、昭和 61 年
(1986 年)
から数次にわたり、同砂防
●『利根川百年史』
(建設省関東地方建設局、1987 年)
工事の現地調査を行い、引継書の内容を精査した。堰堤
●『利根川治水史』
(栗原良輔著、1943 年初版)
を実測しそれを図面に起こす地道な作業もしている。同事
●『河岸に生きる人びと』
(川名登著、1982 年)
− 34 −
− 35 −
第 22 回
水とのふれあいフォトコンテスト
入選
「秋影」東 晴子
撮影場所:北海道足寄町オンネトー湖
http://www.water.go.jp
水とともに 2008 年 9 月号 No.60
監修:独立行政法人 水資源機構広報課
発行:財団法人 水資源協会
〒 330-6008 さいたま市中央区新都心 11 番地 2
〒 103-0026 東京都中央区日本橋兜町 22 番 6 号
TEL.048-600-6513(直通)
TEL.03-5645-2991(代表)
「水とともに」のバックナンバーはホームページに掲載しています。
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