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第2日・・・・・ライン川

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第2日・・・・・ライン川
ドイツ・オーストリア旅日記
平成 10 年 7 月 1 2日∼ 19 日
水
川
智
雄
「第1日」
羽田を午前11時に出発したエアーフランス機は、一路シャルルドゴール空港に向かう。
日本海を超え、シベリア上空を飛ぶ、高度が高いので、あまり詳しく地形が分かるわけで
はないが、シベリアはほとんど草原の緑だけだ。たまに、細い道路が直線的に続くのがみ
えるだけである。11時間の飛行は長い。イヤホーンの音楽も繰り返しになってしまう。
昼間なので長い時間を眠れないし、時差が4時間分、昼間が長くなるということもある。
2回の機内食を食べるのが唯一の楽しみである。もっとヨーロッパが近ければという気持
ちが強くなってくる。
ヨーロッパに入り、海岸線が見えるようになると、窓から見える景色も変化に富んでき
て、おもしろい。あそこの入り江、港、集落、そして、都市。どこだかわからないのが残
念だ。ところで、日本の上空を飛ぶと、まず、ゴルフ場が目にはいる。しかし、目を凝ら
して探すが、一つも見あたらない。そうこうしている内に機は、シャルルドゴール空港に
到着した。
シャルルドゴール空港はこれから、数時間後に始まるワールドカップ決勝戦に沸き立っ
ていた。地元フランスが初めて決勝戦に進出し、ブラジルと戦うのだ。
しかし、なぜか、ターミナルビルに垂れ下がるポスターには、ブラジルの英雄、「ぺレ」
の写真が・・・・・。
空港内の食堂のウェイトレスや空港職員の中には、顔にフランスの国旗をペインティン
グしている人もいる。ロビーには大きなスクリーンが置かれ、人だかりしている。スクリ
ーンにはワールドカップの歴史的シーンが映し出されていた。しかし、我々はこれから、
乗り換えでフランクフルトに向かわなければならない。予定の時間がかなりすぎ、バスに
乗って、航空機のそばに行く。そこでまた長い時間待つ。なにやら、機内から黒いビニー
ル袋を背負った人が、2人、3人。いままで、機内の掃除をしていたのだ。日本では考え
られないことだ。国営航空会社の「親方日の丸経営」
かと思う。
機は、まもなく、フランクフルトに向かって、出発することになった。ここで機内食が
出る。夕食だ。飲み物は赤ワインを頼み、プラスチックのコップをもらった。しかし、こ
のコップはそこに穴があいており、ワインが瞬く間にこぼれだし、シャツやズボンの上に
こぼれてしまった。スチュワーデスが拭いてくれたが、シャツや下着(そのときは分から
なったが )にワインのしみが付いてしまった。後でガイドに話したらそういうときには、
クリーニング代くらいは少なくとも請求しなくてはいけませんという。「私に言ってくれ
1
たら」と残念がられた。
2時間ほどで、フランクフルトに着く。広く立派な空港である。長い通路を通っていく
と、空港職員用の小型自転車がおいてある。その自転車に無線まで取り付けたものまであ
る。ターミナルビル内を自転車で走り回るらしい。
スーツケースの出てくるのを待っていると、
荷物キャリアーに「 Acer 」のマークが。
これは、台湾の大手パソコンメーカーだ。
最近私の組み立てたパソコンはケースとマ
ザーボードとCD−ROMがこのメーカー
のものだ。他に「 SUMSON 」の名が。こ
れは韓国の大手メーカー三星電気のものだ。
こんなところにも国際化の波が押し寄せて
いるのかと驚いた。時間があったので、こ
この両替所で、初めて、円をマルクに替え
写真1.Acerのキャリア
ることにした。
この空港を出ると、初めてのヨーロッパだ。バスは早速アウトバーンを走り始める。舗
装は、コンクリート舗装が多めのような気がする。しかし、アスファルト舗装がない訳で
はない。ほとんどが平坦な土地であるためか、日本の高速道路のように大規模なトンネル
や橋梁などは見あたらない。
走っている車を見ると、ドイツ製が多い。VW、ベンツ、BMW、OPELといった具
合である。その中に、日本車も混じっている。トヨタ、ホンダ、日産、三菱などなど。し
かし、ベンツ、BMWは小型車がほとんどである。日本だと3000 CC クラス以上の大
型車でないと、ドイツ車という感覚がないが、ヨーロッパの人たちは、省エネの観点から
か、大型車には乗っていない。走っている車はほとんどが中型車だ。
もう一つ、サンルーフの着いた車が圧倒的に多い。7割から8割近くもある。これは私
の想像だが、クーラーをつけていないのではないか。ヨーロッパの夏はからっとしている
し、日本ほど蒸し暑くないので、車内に外気を取り込めば、涼しいからだろうと思われる。
ただし、我々の乗ったバスにはクーラーは付いていた。もう一つ、午後八時半とはいえ、
日本の3時か、4時の明るさにも関わらず、ほとんどの車がライトをつけて走っているこ
とだ。日本のオートバイのように安全のためにライトをつけるようにしているのかもしれ
ない。そうこうしている内にホテルに着いた。添乗員の今日から明日にかけての説明を聞
いているときに、ロビーのスナックの方から、「ワァー」という大きな歓声。ワールドカッ
プ決勝戦(フランス対ブラジル )がちょうど、今9時に、始まったのだ。日本からずいぶん
と長いジェット機による旅を続けてきた。部屋に戻って、フランスの勝つのを見届けたら、
眠くなってしまった。明日は六時にモーニングコールがかかるのだ。
「第2日」
2
今日からいよいよ観光が始まる。まずはライン川の船下りである。バスはリュウデスハ
イムに到着。ライン川船下りの今日の出発点だ。
乗船する前にわずかな時間があり、「つぐみ横町(Drosselglasse)」
を歩く。狭い道に酒場
とおみやげやがずらりと並んでいる、朝早いので、酒場で飲んでいる人はいない、夜も更
けてくれば、ずいぶんとにぎやかになり、飲んだり踊ったりするのだろう。そこに日本人
の経営している?店があり、「アイスワイン」を試飲させてくれた。ずいぶんと甘いワイン
だ。
我々の乗った観光船はライン川全長1320kmのうち、リューデスハイム(525k
m)∼ザンクト・ゴアルスハウゼン(560km )間約35kmを2時間かけて下る。天気は
小雨がちょっと降ったりしてあまりよくない。ライン川は里程標が両岸に大きな看板で示
されているので、地図を見ているとどこを今航行しているのかが分かりやすくなっている。
船はケルン・デュッセルドルフ(KD )汽船会社のもので、とても大きい。千人は乗れる
のではないか。このあたりのライン
川の流量は隅田川と変わらないよう
な気がする。
両岸は丘陵が続き、ブドウ畑とな
っていて、丘の中腹あたり、小高い
ところ、船に乗っているとちょうど
いい間隔で古城が見えてくる。昔は、
ここに城主がいて通行料を取ってい
たという。個々の城主がどうゆう方
式でとっていたか知らないが、中世
写真2.ライン川の船下り
には通行する船はずいぶんいろいろと
通行料を取られたのであろう。今も、荷物を積んだ長い背の低い貨物船が多く行き交って
いる。
観光船はほぼ自転車のスピードだ。おもしろいことに、両岸ともに鉄道が走っている。
左岸の方は特急が走っている。船から列車が走っているのを見るのもなかなか趣がある。
もちろん両岸に道路もある。観光船はドイツ語、英語の他に、日本語の説明がある。日本
人のツァーの旅行客がとても多い。いろいろの町を通り過ぎるがどの町にも立派な教会が
あって高い尖塔があるの印象的だ。家々の窓辺に花が飾ってある。こういった風景を見る
のもなかなかのものだ。船は何回か、船着き場による。
有名なローレライは特になにもない大きな岩だ。頂上にはドイツの国旗が立っている。
船内にローレライの曲が流れる。私も口ずさむ。
「汝は、知らねど、心わびて、昔のひとをぞ、こころ身に滲む。侘びしく暮れゆく、ラ
インの流れ・・・・・・」
3
ザンクト・ゴアルスハウゼンで下車した後、
「ラインゴールド・カフェ」
で食事。ます料理、
白ワインで乾杯。店の造りがドイツらしく、なかなか雰囲気のある店であった。
その後、バスでハイデルブルクに向かう。ドイツ最古の大学がある街だ。最初にたどり
着いた新市街は何の変哲もないところだが、ハイデルベルク城に案内されると、雰囲気は
一変、赤茶けた城はずいぶんと歴史がある。ガイドがゲーテの悲恋を描いた戯曲「アルト・
ハイデルベルク」の話をしてくれる。ゲーテの詩の石碑があり、「ここで、私は愛し、愛さ
れて、幸せだった 」という言葉が刻まれている。しかし、自分は「若きウェルテルの悩み 」
しか読んだことがないので、今ひとつ実感がわかない。
庭に石造りの門があり、彫刻がなされている。この門は、城主が妻の誕生日のために、
一夜で作らせたという門だそうである。一夜でいったい作れるのだろうか。もちろん石材
と彫刻は事前に準備したのだろうが・・・・。
城門には、立派な彫刻とがっしりとした扉があり、中にはいると、人物の彫刻が付いた
フリードリッヒ館という建物がある。「あの人はどういう人で」とガイドの詳しい説明・・・・
・。その建物の裏側は広いテラスになっていて、間男が飛び降りたというかかとの跡。こ
の足跡にぴったりと合えば、また、再びここを訪れることが出来るとか。自分も靴を脱い
で合わせてみたら、ぴったりと合った。
ここのテラスからネッカー川と ”古い橋 ”の愛称で親しまれるカール・テオドール橋、旧
市街が見渡せて展望がすばらしい。
写真3.ハイデルベルグ城のテラスから見たネッカー川
この城の地下には22万 kl の巨大なワインの樽がある。その脇にも、また大きなワイン
樽がある。年貢として取り立てたワインをためていたと言うが、いったいこの城内ではど
れだけの量のワインを消費していたのだろうと思う。ここで、ワインの試飲が5DMでグ
ラスを持ち帰ることが出来る。小さなグラスなので気分だけの感じだ。
その後バスで、カール・テオドール橋へ。ネッカー川はゆったりと流れている。橋のた
もとに、量水標があり、過去の洪水の水位が刻まれている。これを見ると、橋面を越える
4
ような洪水がある。石造りのアーチ橋では、流されてしまうのでないかと心配になる。橋
を渡って、橋とハイデルベルク城をカメラに収めるとよいアングルになるという。しかし、
橋が大きく写りすぎて、いまいちだ。
本当はさらに進んで高台にある「哲学者の道 」まで行けば、いいカメラアングルになるの
だと後で分かる。よく、ポスターや雑誌などにも載るのがこのアングルなのだ。もっとも
時間がなくてとても、先まで行けなかったが・・・・・。
いずれにしても、この風景は
ヨーロッパを代表するものであ
ることは確かである。「この風景
を写真に収めなければヨーロッ
パの旅は終わらない 」とは、ある
ガイドブックの話。
橋は左岸
側に門が付いている。そこをく
ぐって再び旧市街へ。教会や大
学などがある。中央の通りは、
人通りも多く、なかなか洗練さ
写真4.ネッカー川から見たハイデルベルク城
れた商店街である。
そこに、ファースト・フ−ドがあり、「 軽いサンドウィッチかな 」と思って、なんとなく
頼んだのが、トルコからやってきたというドネルケバブ「羊の肉をローストして、外側か
らスライス、野菜と一緒に薄く丸いパン生地に挟んで食べるもの 」。たいていのものは食
べられるが、このにおいには如何ともし難く、自分には受け付けなかった。後でガイドブ
ックを見ると、この食べ物はドイツに欠かせないものになっていると記されていた。
さらに歩いていくと、シューマンの住んでいたという家。ピアノの小曲「トロイメライ」
で知られるシューマン。自分はピアノ協奏曲や「幻想曲」がロマンチックで好きだ。ガイド
の説明に、財布の中を見ると、50DM札がなんと、美しきクララ・シューマン。大恋愛
の末結ばれた、ローベルト・シューマンの妻。名ピアニストで夫が精神病を患い死んだ後
も、曲を広めた人だ。ちなみに、未亡人クララ・シューマンを愛し、最後まで面倒をみた
のが、ブラームス。うーん、ドイツという国はずいぶんシューマンを大事にしているなと
思う。よほど札を使わずに日本に持ち帰ろうと思ったが、負担が大きく涙をのんでやめる。
その後ホテルに戻ったが、場所は田舎じみた不便なところ、建物もあっさり。夕食の中
華料理も貧弱でがっかりする。風呂は付いていたのでさっと入り寝ることにする。一般の
ツァーというのはこうゆうこともあるのだ。
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