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私 に も 未 来はある の

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私 に も 未 来はある の
2010
FEBRUARY
2
●
FEBRUARY 2010 No.17
No.17
[ジャイカズ ワールド] 平成22年2月1日発行(毎月1回1日発行) 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構
〒102- 8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル 1∼ 6階 TEL 03-5226-9781 FAX 03-5226-6396 http://www.jica.go.jp/
特集
ISSN 1883-2768
子どもたちの明日をはばむ現実
私にも未来はあるの?
FEBRUARY 2010 No.17
編集・発行/独立行政法人 国際協力機構
Japan International Cooperation Agency : JICA
Contents
02
04
春夏秋冬
聖なる夜の行進
特集 私にも未来はあるの?
−子どもたちの明日をはばむ現実
明日を描けない子どもたち
あふれる笑顔と心安らぐ居場所を ケニア
暗闇に生きる命を救うために タイ
もう一度、学ぶこと、生きることの喜びを シエラレオネ
幻肢痛との闘い ボスニア・ヘルツェゴビナ
障がいを乗り越え外の世界へ羽ばたこう パキスタン
心から笑える日が来ると信じて 南アフリカ共和国&ガーナ
地域住民が一体となり子どもたちを守る ニカラグア
世界の子どもと向き合う青年海外協力隊
22
24
ゲンバの風
佐藤 真江 JICA専門家
地球号の子どもたち
カンボジアの子どもたちに
夢と学びの場を
26
ココロとココロ
28
29
30
JICA に聞きたい!
JICA UPDATE
イチオシ!
授業で途上国について教えたい、
どうすればいい?
地球ギャラリー
ベネズエラ
31
∼届け 私たちの思い∼
真の平和を求める若者たちへ 開発と権利のための行動センター
自然に抱かれて育つ
ワラオの子
39
40
MONO語り
森の恵みが生み出したランチョンマット
MY ACTION
黒柳 徹子 女優
JICAのビジョン
すべての人々が恩恵を受ける、
ダイナミックな開発を進めます
Inclusive and Dynamic Development
c Alamy/PPS通信社
表紙 ○
路上で物ごいをしている女の子
(インド)。満面の笑みの裏には
厳しい現実がある。
ストリートチルドレン
路上で暮らすストリートチルドレンは推定1億人。家計を助
けるために町へ出て物ごいをしたり、暴力に耐え切れず家を
飛び出したり、親を亡くしたり、親が育児を放棄したりと、
そ
の理由はさまざま。病気になっても、治療費が支払えず親に
見捨てられる子もいる。
>>事例はP6「あふれる笑顔と心安らぐ居場所を」を。
不適切な処遇
非行による補導から、万引きなどの軽犯罪、傷害や殺人
などの重犯罪まで、途上国では子どもたちが一緒くたに
処遇される場合が多い。
また、留置場や刑務所では、暴
力が合法的な処罰の手段となっている国もある。
>>事例はP6「あふれる笑顔と心安らぐ居場所を」を。
05
February 2010
特集
障がい児の割合は国によって異なるものの、多くの途上国では養
護学校などの支援体制が整っておらず、適切なサービスやケアを
受けられない。また、閉鎖的な社会背景のもとで、
そうした子どもた
ちを家の中に閉じ込めておく場合も多い。
>>事例はP14「障がいを乗り越え外の世界へ羽ばたこう」を。
明日を描けない子どもたち
障がい児差別
子どもなら誰しも、親の愛情を受け、
健やかに成長していく〝権利〟が与えられている。
﹁子どもの権利条約﹂は、
子どもたちの生きる権利、守られる権利、
育つ権利、参加する権利を、
国際的に保障するために定められており、
ほぼすべての国がこれに締約している ※。
にもかかわらず、
いまだ世界には、さまざまな理由から
基本的人権すら保障されない子どもたちがたくさんいる。
明日の自分を夢見るどころか、
今日、生きることさえままならない子どもたち。
未来をはばむこの現実に、目を背けてはいけない。
※ 2 0 1 0 年 現 在の締 約 国は1 9 3カ国・地 域 。日 本は1 9 9 4 年に批 准している。
紛争地に暮らす子どもは推定10億人以上。中に
は、武器を手に兵士として武力集団などで働かされ
たり、性的搾取や強制結婚の対象にされる子ども
もいる。地雷や不発弾に不用意に近づき手足を失
うのは、好奇心旺盛な子どもである場合も多い。
>>事例は
P12「もう一度、学ぶこと、生きることの喜びを」、
P13「幻肢痛との闘い」を。
参 考 国 連 児 童 基 金︵ U N I C E F ︶
﹁ 子どもたちのための前 進レポート﹂2 0 0 7 / 2 0 0 9
少年兵・地雷
HIV/エイズ
HIVに感染している子どもは約230万人。その90%が母子
感染で、治療を受けなければ2歳になる前に命を落とす可
能性が高いが、
その多くの家族は貧しくて治療費が捻出で
きない。エイズで親を亡くした孤児は2010年、2,000万人
を突破するといわれている。
>>事例はP16「心から笑える日が来ると信じて」を。
人身取引
虐待・体罰
児童労働
お手伝いの枠を超えて、健康や就学
が妨げられるような危険な労働に就く
子どもは推定1億5,000万人。貧しい
家庭では、子どもが大切な働き手とな
り、家 計を支えなければならないから
だ。教育の機会を奪う子どもの労働
は、再び貧困を招くという悪循環を引
き起こしている。
しつけという名の下で、親や学校の先
生などから虐待や体罰を受けたことの
ある子どもは、毎年約5億人∼15億
人。
しかし虐待や体罰は、地域によっ
て社 会 的・文 化 的に容 認されていた
り、人目のない場所で行われるため、
実態を把握することが難しい。
>>事例はP19「地域住民が一 体とな
り子どもたちを守る」を。
出生未登録
氏名と国籍を持つことは人間の権利。
しかし、途上国の3カ国に1カ国で出生
登録率が50%に達していない。費用
がかかること、登録施設が遠いこと、
そ
して親の認識が低いことが主な理由
だ。出生未登録の子どもは、教育や保
健など、
ほかの子と同等の行政サービ
スが受けられない場合が多い。
さまざまな労働に従事させられる子ど
もたち。その中でも特に、貧しさから
わが子を手放さざるを得ない親もい
る。性 的 搾 取を経 験した子どもは、
HIV/エイズなど性感染症の危険に
さらされ、教育の機会を逃すだけでな
く、一生、
そのトラウマに悩まされる。
>>事例はP10「暗闇に生きる命を救
うために」を。
February 2010
04
ストリートチルドレン & 不適切な処遇
ケニア
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
KENYA
私にも未来はあるの?
子どもたちの健全な成長が妨げられる要因となっている。
30万人のストリートチルドレン、240万人の孤児―これがケニアの現実。
この状況に立ち向かうケニア人・日本人を取材するため、首都ナイロビに飛んだ。
ケニア
出会えるという。
市内に入ると、林立するビル
きた。東アフリカで最大規模の
や高級ホテルが目に飛び込んで
経済水準にあるケニア。朝夕の
を見る限り、治安上の危険はそ
コミュニティーに守られながら
﹁本 来 な ら 子 ど も は、家 族 や
海外協力隊が活動するナイロビ
市街地から車で約 分、青年
トン・オルーコさ
上級児童専門官のリビングス
そう話すのはケニア児童局
ですよ﹂と山本恭子隊員︵幼児
で く る。
﹁毎 日 こ ん な 感 じ な ん
にと競うように抱っこをせがん
る子どもたち。その上、われ先
と、満面の笑みで駆け寄って来
いつもたくさんの子どもたちが
そ ん な 山 本 さ ん の 周 囲 に は、
もらえるようにしたいんです﹂
されて育ってきたんだと思って
取ることで、いつか、自分は愛
システムが消えつ
いう伝統的な社会
で子どもを守ると
化し、地域ぐるみ
ュニティーが弱体
を基盤としたコミ
が流入、地縁血縁
もたちと一緒になって思いっき
はしない。ただひたすら、子ど
山本さんはその理由を聞いたり
を 負 っ た 子 も 来 ま す﹂
。で も、
子もいます。虐待によるやけど
だり、夜中に泣き出してしまう
ず一人部屋の隅っこで座り込ん
﹁最 初 は、み ん な の 輪 に 入 れ
ではない。ときに、子どもたち
数が少なく、この孤児院も例外
ケニアではまだまだ保育士の
たちに愛されている証拠だ。
る男の子⋮。山本さんが子ども
コ!﹂と叫びながら手を引っ張
の 子 や、
﹁キ ョ ー コ! キ ョ ー
して彼女の頭に乗せてくれる女
と楽しい時間を共有し、肌と肌
できません。だから子どもたち
なのに、ここの子たちはそれが
﹁本 当 は 親 に 甘 え た い 年 ご ろ
たい。ほかの保育士さんたちに、
つも子どもたちと同じ目線でい
き部分は尊重しつつも、私はい
国のやり方があるので尊重すべ
う 人 も い る。
﹁こ の 国 に は こ の
KENYA
昼食を終えてもうひと遊びした後はお昼寝タイム。一つのベッドに
5∼6人、肩を並べて眠るナイロビ孤児院の子どもたち
ケニア
増加する非行・少年犯罪と
ストリートチルドレン
月上旬の首都ナイロビ。一瞬、
さわやかな風がほおをなでる
ラッシュ時になると一向に進ま
なくなる車列が、それを象徴し
﹁街は一人で歩かないように。
れてしまいそうになるほど、過
心部へ延びる道路脇には、観光
車移動もロックは忘れずに﹂
ているかのようだ。
客 に 人 気 の 国 立 公 園 が 広 が る。
渋 滞 に 巻 き 込 ま れ た 車 中 で、
れほど感じなかったが、ビル群
育っていくもの。しかし、貧し
孤児院を訪ねた。ここには、路
のすぐそばに広がるすさまじい
いがために親は子どもを捨てざ
規 模 の ス ラ ム を 目 に し た と き、
∼
上で保護されたり、両親を亡く
腑に落ちた。貧富の差という問
歳の子どもたちが、常時
親と離れ離れにある幼い彼ら
人が暮らしている。
るようになり、生き延びる術と
児童労働、路上生活、薬物、飲酒、
ん。近年ケニアで
教育︶が言う。
のだろう︱。恐る恐る中に入る
非行、犯罪といった形で、罪の
は、職を求めて農
つある。路上生活
を触れ合わせてスキンシップを
に手を上げたり、怒鳴ってしま
り遊ぶ。
る。
るといわれてい
240万人にも上
万人以上、孤児は
チルドレンは
を送るストリート
集まる。庭に咲く花を髪飾りに
村から都市に人口
まうんです﹂
は、一体どんな表情をしている
されることもなく路上で生活す
30
して非行や犯罪に手を染めてし
70
題がケニアに重くのしかかって
いるのだ。聞けば、世界に衝撃
が走った2年前の大統領選挙後
の暴動以降、格差は拡大し、治
安の悪化も招いている。そして
そうした子どもたちは誰に保護
るを得なかったり、危険な場所
愛されて育ってきたと
感じてもらいたい
運がよければ野生のキリンにも
ごしやすい気候だ。空港から中
ここがアフリカであることを忘
12
90 10
したり、育児放棄に遭った0∼
している。
ない子どもたちに暗い影を落と
アフリカの中でも比較的経済状況が良いとされるケニアだが、
その影で貧富の差が拡大し、
で 働 か せ た り し て し ま い ま す。
いた注意を思い出した。街並み
ガイドブックに再三と書かれて
あふれる笑顔と心安らぐ居場所を
この影響は、飢えや病気のほか、
30
from
(上)
ビルが林立するナイロビ市内の様子
(下)
まだ一人で立つこともできない幼いこの子
も、
ナイロビ孤児院で暮らす
ストリートチルドレンが生まれる最大の原因が貧困。養
育費に困って子どもを手放したり、稼ぎ手として物ごい
をさせたりと、親の都合で路上生活を余儀なくされるケ
ースが多い。
また、罪を犯した子どもたちは、子どもの基
本的人権の原則に従って処遇されなければならない
が、重罪ではなく、家出や無断欠席、飲酒などの非行
や軽犯罪である場合も、子どもの権利を無視した司法
制度で裁かれてしまうことがある。
「キョーコ、
キョーコ!」
と、山本さんの
周りにはいつも子どもたちの姿が
06
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February 2010
07
f rom
特集
ケニア
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
それを肌で感じてもらえたら﹂
。
や犯罪も増加している。
ます。月に4∼5人程度でしょ
うか﹂
そう話すのは青年海外協力隊
の矢端信也隊員︵青少年活動︶
。
彼はここで、算数や体育の授業
を受け持ちながら、子どもたち
の生活指導をしている。
﹁そ れ だ け で は あ り ま せ ん。
うそやけんか、盗みが日常茶飯
事です。僕もモノを盗られたこ
とがあります﹂
こうした子どもたちを、現地
の教員たちは体罰で押さえ込も
うとする。体罰の恒常化は、文
化 的 な 背 景 も さ る こ と な が ら、
更生学校の人手不足や予算が少
な い こ と も 影 響 し て い る。
﹁体
あれば認められるということで
罰はとても難しい問題。愛情が
分、カベテ更生学校に到着した。
はないし、他方で、どうにかし
ナイロビ孤児院から車で
笑顔をはぐくむ山本さんの姿勢
ここには、警察に補導されたり、
たっぷりの愛情で子どもたちの
は、純朴な子どもたちの心に花
歳の少年約100人が入所して
いる。最長3年の共同生活を通
して、更生と自立を目指すため
に代わって子どもを養育する施
この施設。ナイロビ孤児院とは
日本でいう少年院に相当する
の施設だ。
設はケニア国内にいくつかあ
対照的に、子どもたちに笑顔は
﹁校舎が塀に囲われていたり、
る。しかし、ストリートチルド
が絶対的に不足している。行き
厳重な警備が敷かれているわけ
ない。心の傷の深さを物語って
場がなく、町をうろつく子ども
ではないので、脱走する子もい
レンや保護が必要な子どもの数
たち。近年の経済不安で、非行
のまま孤児院や児童養護施設な
いるのだろうか。
では対外試合を行い、勝利する
﹁で す が 今、こ の シ ス テ ム が
どに送られることもある。
歳︶
た ち に な め ら れ て し ま う﹂
。赴
任してから数カ月は葛藤の日々
だった。
その中で見つけた一筋の光が
クラブ活動。
﹁けんかをしたり、
悪事を働いたりと、元気が有り
余っている子どもたちにはスポ
ーツで汗をかいてもらうことが
一 番 だ と 考 え た ん で す﹂
。矢 端
さんは、自身の特技を生かして
サッカークラブを結成。放課後
鑑別所や更生学校などで長期間
り 調 べ で 暴 力 行 為 が あ っ た り、
く、ケニア側の予算を使うよう
はプロジェクトの経費ではな
研修に必要な機材などの運営費
の練習から始まった活動が、今
違法に子どもを拘束してしまう
に し ま す。
J ICAの 協 力 が 終
うまく機能していません﹂と児
こともあります。子どもを正し
は、ここに入所して2年になる。
わっても、彼らだけで研修を継
童局上級児童専門官のアイ・ワ
く処遇するための能力向上が必
両親が離婚、新しい母親と馬が
イチンガさん。凶悪犯罪と軽犯
続していくことが重要だからで
合わず、
最後はナイフを手に﹁家
罪の子が同じ施設に送られる場
らJ ICA専門家として派遣さ
要です﹂と話す。
を 出 ろ﹂と 脅 迫 し て し ま っ た。
合や、大人と同じ扱いを受ける
がJ ICAの﹁少年保護関連職
れた菅野哲也さん。まだ種をま
す﹂と、国連アジア極東犯罪防
﹁で も、今 は 見 違 え た よ う な 成
ことがあるという。その理由と
員 能 力 向 上 プ ロ ジ ェ ク ト﹂だ。
き始めたばかりのこのプロジェ
こうした問題を解決するため、
長を遂げている﹂と矢端さんは
し て ワ イ チ ン ガ さ ん は、
﹁各 段
児童局、保護観察局、警察、裁
クト。終了する4年先が楽しみ
が施行され、非行・犯罪少年な
止 研 修 所︵UNAFEI︶※か
言う。地味な練習メニューも一
階 で 子 ど も た ち と 接 す る 警 官、
判所、刑務所など少年保護に従
涼しい季節でも昼間は強い日
どの保護・支援に取り組んでい
その成果は十分といえない。ワ
2009年 月から始まったの
つ一つ真剣にこなし、試合でも
裁 判 官、刑 務 官、児 童 専 門 官、
リーダーシップを発揮。地域の
児童保護司、保護観察官などの
スタッフの子どもの処遇に関す
る知識・能力が十分ではないか
らだ﹂と続ける。 年に児童法
差しが照りつける。この日、警
が不足し、 年近くたった今も
補 導 や 逮 捕 さ れ た 子 ど も が、
子どもであれば、警察署からそ
る。犯罪ではなく保護を要する
というように処遇決定を受け
あるいは更生学校︵児童局管轄︶
によって、
少年院︵刑務所管轄︶
、
罪の重軽度、再犯の危険度など
よる鑑別結果を待ち、年齢や犯
ながら裁判所︵裁判所管轄︶に
鑑別所︵児童局管轄︶で生活し
受 け る。子 ど も た ち は そ の 後、
署だ。そして署内で取り調べを
イチンガさんは、
﹁現状では、取
所に向かった。
るケニア政府だが、資金や人材
01
察車両に先導されて郊外の警察
罪の重さや年齢などに
応じた適切な処遇を
選抜メンバーにも召集された。
だ。
キ ャ プ テ ン の 男 の 子︵
て威厳を保たなければ、子ども
軽犯罪を犯してしまった ∼
子どもたちに
健全な生活を
を咲かせつつあった。
5
18
までになっている。
と単純に比較しても、収容能力
ナイロビ孤児院のように、親
10
事する職員を対象にした研修を
17
最初に連れて行かれるのは警察
10
いまや世界で当たり前に使わ
え続ける非行や少年犯罪︱。未
実 施 す る た め の 体 制 を 構 築 し、
来を担っていく子どもたちの明
れるようになってしまったスト
﹁8 月 に 予 定 さ れ て い る 第 1
日を希望あるものにしていく責
非行・犯罪少年の処遇の一層の
回目の研修に向けて、今は研修
任は、私たち大人に課せられて
リ ー ト チ ル ド レ ン と い う 言 葉。
カリキュラムと教官向けの指導
充実化・強化を図ることが目的
マニュアルの作成などを進めて
いる。
居場所を失った子どもたち。増
いるところです。日当や交通費、
となっている。
10
(上)市街地のすぐそば、
キベラスラムを含むランガタ
地区の児童局には「月に150人近い子どもが連れて
こられる」
と、
サロメ・ムマサ児童専門官(左)
の説明を
聞く菅野専門家(右)。他の地区と比べても、
とても大
きな数字だ
(左)生徒たちとミニゲームで汗を流す矢端隊員。
クラ
ブ活動の時ばかりは、
どの生徒にも笑顔が戻る
※国際連合と日本政府との協定に基づき、
アジア・
太平洋地域を中心とした国々の刑事司法行政の健
全な発展と相互協力の促進を目的として、昭和36
年に設立された国連の地域研修所。
(上)
カベテ警察署内の留置所。2畳程度の狭く
薄暗い室内には、逮捕者が重なるように座ってい
た。
この日、子どもはいなかった
(中)
ナイロビ郊外のカサバニ留置所で、子どもの
扱い方について説明する警察のコミュニティー
政策・ジェンダー問題・児童保護局ヌドゥタ・ビトゥ
リーマ・キリンギ局長
(右から2人目)
(下)
警察署によっては、子どもを担当する警官が
配置される施設もある
100万人近くが暮らしているといわれる世界最
大級のスラム「キベラ」。日中、学校に行かず、
ぶらぶらしている子も多い
KENYA
私にも未来はあるの?
08
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09
f rom
特集
タイでは、国内外の多くの18歳以下の子どもたちが
タイ
取引対策は国を挙げて取り組む
にもなっている。
そのため、人身
スに対し、
﹁多分野協働チーム﹂
めていくため、個々の被害ケー
ワークショップや研修による能
始。
MDTメンバーらを対象に、
ネットワークが活発に活動する
NGOや研究者、法律家による
た。ま た、こ の 問 題 に 取 り 組 む
ら の 成 果 を、
MDTで の 取 り 組
など、参考になる点が多い。
これ
力強化に努めている。
ル、各県・自治体レベルで採用
るという方法を中央政府レベ
︵MDT︶を結成して対策に当た
識されている。
人身取引の被害に遭う者の多
みに生かしていきたい﹂
と話す。
引対策を促進するための政府の
タイ政府は2008年、人身取
こ う し た 深 刻 な 状 況 を 受 け、
取り返しのつかない傷を負う。
れることもある。
そして、人生に
臓器移植のために内臓を摘出さ
なく捨てられる。
また、ときには
IV/エイズに感染すれば容赦
い。
何度逃げても連れ戻され、
H
もたちへの報酬は期待できな
を強要されたりする。
当然、子ど
や農場、工場での強制労働など
売春、組織的な物ごい、建設現場
け、性的搾取の対象となったり、
へと送られて監禁や脅迫を受
どもたちは見知らぬ土地や外国
に 連 れ 去 ら れ る こ と も あ る。子
めに売り飛ばし、ときには強引
甘い言葉に乗って親が生活のた
も あ る。と き に は ブ ロ ー カ ー の
ち、8割以上が子どもとの報告
タイ政府が保護した被害者のう
MDTの 運 営 能 力 向 上
ICAは 年3月より、
いのが実情だ。
そこでJ
が十分に機能していな
えており、包括的な対策
など運営面で課題を抱
やスタッフの能力不足
一方で、関係機関の連携
めの画期的な方法だが、
野の人々が協働するた
これは、異なる専門分
支援に取り組んでいる。
に至る一連の被害者保護・自立
訓練による社会復帰・自立支援
的・身 体 的 回 復、
④教 育・職 業
の 認 定、
③シ ェ ル タ ー で の 心 理
①救 出・保 護、
②被 害 者 と し て
メンバーが招集される。
そして、
おり、被害ケースに応じて適宜
まな分野の専門家で構成されて
か、入国管理局、検察などさまざ
ー の 職 員、
NGO、弁 護 士 の ほ
ルワーカー、被害者用シェルタ
MDTは、警察官やソーシャ
で6 割以上も減少したと聞い
で被害に遭う女性の数が3年間
査の強化などにより、不法入国
﹁日 本 で は 空 港・港 で の 入 国 審
ニ ー・レ ー ト ク ラ イ 副 局 長 は、
安全保障省社会開発福祉局のヤ
視 察 し た。タ イ・社 会 開 発 人 間
を進めている日本の取り組みを
の撲滅に向けたさまざまな対策
の受け入れ国として、人身取引
ーの関係者
ェクトで被害者の保護体制を強
織 を 許 し て は な ら な い。プ ロ ジ
そうした心理につけ込む犯罪組
て い る 人 々 や 子 ど も た ち で す。
しを良くするために働こうとし
現しようとしたり、家族の暮ら
同じように自分の将来の夢を実
紀子さん。﹁被害者は、私たちと
務めるJ ICA専門家の織田由
ェクトのチーフアドバイザーを
している。
﹁人 身 取 引 は 決 し て 他 人 事 で
体制、犯罪の処罰、被害者の救
くは、 歳以下の子どもたちだ。
月 に は、
MDTメ ン バ
出・保護に関して規定した﹁人
を目的とした﹁人身取引
年
はない﹂
と強調するのは、プロジ
身取引対策法﹂を施行。
また、人
被 害 者 保 護・自 立 支 援
を傾けなければならない。
にならない叫びに、私たちは耳
きない、そんな子どもたちの声
れ、大人のように権利も主張で
いがために抵抗しても抑えら
で 日 々 を 過 ご し て い る。力 が 弱
ず、尊厳も希望もない暗闇の中
に働かされているのかも分から
いるのか、何のために、誰のため
の子どもたちが、自分がどこに
世界では今この瞬間も、多く
ことに貢献していきたい﹂
。
でもこうした人権侵害をなくす
の問題に気付いてもらい、一つ
化するとともに、広く人身取引
身取引被害者の救出・保護、社
11
促進プロジェクト﹂を開
人 が 来 日。被 害 者
より広くこの問題に
気付いてもらうために
べき最重要課題の一つとして認
へ送られる人身取引の﹁中継国﹂
る。
さらに、中国からマレーシア
の被害者の﹁受け入れ国﹂でもあ
ー、カンボジアなど近隣国から
し国﹂
であり、ラオスやミャンマ
リカなどへの被害者の﹁送り出
だ。
タイは、日本や中近東、アメ
深刻化しているのが、人身取引
いるタイ。
だが、その躍進の陰で
の国境を越えた移動が急増して
済発展に伴い、人・モノ・情報
1980年代以降の急速な経
被害者支援を
より効率的に
暗闇に生きる命を
救うために
会復帰・自立支援を効果的に進
09
国立女性教育会館で行われた日本での研修では、人身取引や外国人
の人権侵害に取り組むNGOとのワークショップや、入国管理局や警
察など日本側関係者との意見交換も行われた
15
警察などに救出・保護され、
シェルターで暮らす子どもたち。職業訓練の一環で装飾品作りを学ぶ。
タイ人
だけでなく、
ラオス、
ミャンマー、
カンボジアなどから送られ、保護された被害者も多い
(撮影:奥野安彦)
タイ
人身取引による搾取の対象として被害に遭っている。
09
from
反人身取引デーに、現地関係者らと出席した専門家の
織田さんと古川緑さん
(後列右から3人目、2人目)
世界では、強制労働や売春、家事労働といっ
た搾取目的で、子どもたちが売買されている。
アメリカ国務省の推定では、毎年60∼80万
人が国境を越えて取引されており、
そのうち約
半分が子どもであるとされている。待遇の良
い仕事や結婚といった魅力的なチャンスをブ
ローカーに約束された親が、貧困から逃れる
ために自分の子を委ねてしまうケースも多い。
18
人身取引
職業訓練の一環で、
シェルターに暮らす人身取引被害者に、手工芸品作りを
指導しているシニア海外ボランティアの飯島好美さん
(左)。
シェルターのスタ
ッフたちと製品について相談する
(撮影:奥野安彦)
タイ
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
THAILAND
私にも未来はあるの?
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11
f rom
特集
THAILAND
特集
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
子どもたちが誘拐されて少年兵
て し ま っ た。
5 歳以上の多くの
育の機会を内戦によって奪われ
に子どもたちは、その貴重な教
難 民 と な っ た シ エ ラ レ オ ネ。特
200万人以上が難民や国内避
に大きかったカンビア県で、崩
Aは 年より、内戦の被害が特
現 実 の も の と す る た め、
J IC
出 してほ しい﹂︱ そ ん な 思 い を
きることの喜びをもう一度思い
ての子どもたちに、学ぶこと、生
﹁元 少 年 兵 を 含 む 地 域 の す べ
の心に深く大きな傷跡を残し
夢のような経験は、子どもたち
が成立したものの、内戦での悪
園、通学路の整備などが進めら
や、教材、清潔なトイレ、学校菜
一体となり、校舎の補修・建設
した。
その結果、委員会と住民が
イロット・プロジェクトを支援
に、各校のニーズに基づいたパ
り組むための力を育てるととも
力で学校・教育環境の改善に取
プなどを通じ、委員会が自らの
会﹂を設立。
研修やワークショッ
﹁教 育 と コ ミ ュ ニ テ ィ 開 発 委 員
ープの代表などで構成される
え、前へ進み続ける子どもたち。
内戦で経験した悲劇を乗り越
を見据える。
に大きくなるでしょう﹂と展望
どもたちの活躍の可能性もさら
り広い範囲で進めることで、子
んは、﹁社会経済基盤の整備をよ
J ICA専門家の平林淳利さ
ト﹂
も始まった。
県地域開発能力向上プロジェク
地域開発に取り組む﹁カンビア
ど、住民を中心により包括的に
ンフラの整備や生計向上活動な
﹁少年兵﹂という悲劇
として従軍し、一時はその数が
壊した学校・教育環境の改善を
れ、今では魅力的に生まれ変わ
彼らの未来への道筋を、地域住
7 万5 0 0 0 人 が 犠 牲 と な り、
1991年に始まった内戦で
反政府軍の半数にも及んだとも
支援する﹁カンビア県子供・青
った学校に、子どもたちの元気
た。
い わ れ る。彼 ら に は 戦 い へ の 恐
年支援調査﹂を実施してきた。
県
うとしている。
クリニックが専門の
前田倫医師︵西宮市
立 中 央 病 院 麻 酔 科・
ペインクリニック科
部 長︶をJ ICA専
のスタッ
門 家 と し て 派 遣 し、
HOPE
また、医療関係者の間でも認識
囲 に 理 解 さ れ な い こ と も 多 い。
置し、勤務する医療関係者へ技
ックのサテライトユニットを設
都市の総合病院にペインクリニ
雷が潜んでいる。
は薄く、国内にはペインクリニ
地雷による多くの四肢切断者
用意にそれに触れてしまう。
は、知らずに踏むだけでなく、不
え る。好 奇 心 旺 盛 な 子 ど も た ち
地雷は、時に〝おもちゃ〟にも見
だ。小 さ く 色 や 形 も 多 種 多 様 な
の効果もあり、今も幻肢痛で苦
地 雷 被 災 者 が 治 療 を 受 け た。そ
で、1250人に上る子どもの
GO
﹁HOPE ﹂
。こ の
年間
たったのが、オーストリアのN
治療や社会復帰のサポートに当
こうした中で、幻肢痛患者の
会復帰を果たしている。
00人近くが幻肢痛を克服、社
面から地雷被災者を支援し、2
前田さん。
HOPE は、この両
付くような協力も重要です﹂と
の後の成長や教育、就職に結び
めには、痛みのケアと同時に、そ
﹁彼 ら が 社 会 復 帰 を 果 た す た
っている。
が訴えたのが﹁幻肢痛﹂だ。
ある
しむ子は全体の %に減少して
牲者の多くが子どもたちだから
はずもない手足に﹁電気が走る﹂
いる。
が痛む﹂
という症状なだけに、周
たような痛みが伴う。﹁ないもの
て き た の がJ ICAだ。ペ イ ン
このNGOの活動を影で支え
げんしつう
﹁ナイフで突き刺される﹂といっ
った。
﹁悪魔のおもちゃ﹂
ェクト﹂を開始。
主要
ネジメント・プロジ
に対するペイン・マ
ため、
﹁地雷被災者等
の計画を後押しする
及を目指す現地政府
インクリニックの普
008 年からは、ペ
導 し て き た。ま た 2
フに治療法などを指
87
術指導やカリキュラム作成を行
11
ック ※を専門とする病院もなか
09
33
05
被災者を苦しめている。
年 月からは、教育、基礎イ
怖感をなくすための麻薬が打た
げんしつ う
地雷がこう呼ばれるのは、犠
民がJ ICAとともに切り開こ
地雷によって失った手足が痛む
「幻肢痛」
が
た今なお、地中には 万個の地
22
な歓声が戻りつつある。
地域住民が学校・教育環境の改善に立ち上がった。
内の小・中学校 校で、教員や
失った教育の機会を取り戻し、
もう一度前に進もうと、
れ、少女たちはレイプの被害に
大きな心の傷を負ったシエラレオネの子どもたち。
保護者、地域の女性・青年グル
少年兵として戦うことを余儀なくされ、
遭 っ た。20 0 1 年 に 停 戦 合 意
年、ボスニア・
地雷は﹁悪魔のおもちゃ﹂
19 9 2 ∼
内戦により、
いまだ22万個の地雷が地中に潜む
ヘルツェゴビナでは、ムスリム、
セルビア人、クロアチア人の3
民族が旧ユーゴからの独立をめ
ぐ り 争 っ た。こ の 内 戦 に よ る 死
者はおよそ 万人、難民・国内
避難民の数は200万人以上に
及んだ。
だが、紛争の負の遺産はそれ
だ け で は な い。地 雷 と い う 名 の
悪魔の兵器が、人々の体と心に
深 い 傷 を 残 し た。手 足 を 吹 き 飛
ばされたり、飛び散った破片で
失明したり ︱。戦火が過ぎ去っ
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
どもたちに、少しずつ希望の光
一度は絶望のふちに沈んだ子
が見えてきた。
SIERRA LEONE
BOSNIA and HERZEGOVINA
もう一度、学ぶこと、
生きることの喜びを
幻肢痛との闘い
12
February 2010
February 2010
13
(上)左足を失い、幻肢痛を
訴える青年を診察する前田さ
ん(右)。被災当時、小学生
だったこの子も今は成人して
職を得ている
(下)
HOPE’
87では、職業訓
練としてパソコンの指導も行
っている
15
95
シエラレオネ
from
ボスニア・ヘルツェゴビナ
from
少年兵とは、18歳未満の男女による兵士
のこと。その数は、全世界で推定約25万
人。武装集団などに誘拐されていくケース
によるものが最も多く、戦場では最も危険
が及ぶ最前線に駆り出されたり、少女の場
合には性的搾取の対象となることも多い。
いまだに世界の78カ国に地雷が残されてお
り、犠牲者の3分の1が子どもだ。命を取り留
めても、治療やリハビリに必要な金銭的負担
が貧困家庭にのしかかるばかりか、障がいを
負った子どもたちは偏見や差別に苦しめられ
ている。
内戦中は、多くの子どもたちが
政府軍や反乱軍の一員として
c AFP=時事
銃を手にした ○
シエラレオネ
※痛みを和らげるための治療。
(上)真新しい机で授業を受ける中学生。勉強
ができることの喜びがあふれる
(下)学校が再開され、子どもたちにも笑顔が戻
りつつある
87
87
20
20
少年兵
地雷
私にも未来はあるの?
ボスニア・ヘルツェゴビナ
パキスタン
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
の連鎖に巻き込まれる障がい者
れ、
貧困からも抜け出せない︱負
%︶
。障がいが原因で学校に行
満たないという
︵非障がい児は約
81年以降、
パキスタンのジアウ
が﹁国際障害者年﹂に定めた19
障がい者に対する差別がいまだ根強く残っている。
課題。
目まぐるしく移りゆく時間
の前に立ちはだかる、
多種多様な
口の約 %といわれ、
パキスタン
途上国の障がい者の割合は人
孤独な生活を強いられている。
もできない小さな子どもたちも、
たち。
自分の力ではどうすること
パキスタンはアジアでも先立
きる子どもたちの姿がある。
らも、そこにはいつも、懸命に生
そんな悲しい現実を背負いなが
けず、
将来への希望も持てない︱
害者国家政策﹂
を策定。 年に
﹁国
して2002年には、政府が
﹁障
の整備などを積極的に進めた。
そ
い者の教育や雇用の法律・施設
ル・ハック大統領
︵当時︶
は、障が
に な り が ち だ。社 会 か ら 排 除 さ
ある人々への社会保障が後回し
入れ態勢が整っておらず、
特殊学
では、
障がい児の就学率は4%に
も例外ではない。
同国政府の発表
を推進してきた国の一つだ。
国連
って、
障がい者に対する取り組み
し、
縦割り行政や地方分権の遅れ
家行動計画﹂が定められた。
しか
め、
日本では防ぐことのできる障
も 多 い。医 療 施 設 も 十 分 な い た
知的障がいのある子どもがとて
﹁パキスタンには、肢体不自由、
プロジェ
進事業︵通称
A
STAR
を開始した 。 クト︶※﹂
タバード県で
﹁障害者社会参加促
押しすべく、
北西部辺境州のアボ
では、
6割が何の教育も受けてい
象にプロジェクトが行った調査
不 自 由 な 10 0 人 の 子 ど も を 対
う子どもはたくさんいる。
肢体が
それでも、
学校へ行きたいとい
金がない。
問題は山積している。
障がいの種類によっては受け入
も、通学できない距離だったり、
スタンは、
昭和 年代の日本の状
る池田さんによると、
﹁今のパキ
職業訓練校で活動した経験のあ
ちが、
同じく障がいを持ちながら
外の世界を知らない障がい者た
の自宅訪問だ。家に閉じこもり、
がまず取り組んだのが、
障がい者
池田さんとプロジェクトチーム
た。
初めて
〝夢〟
を持てたんです﹂
。
い、違う世界を知ることができ
起こった。
﹁彼はスタッフと出会
い﹂
と、家族の気持ちにも変化が
﹁この子がなりたいなら応援した
きらきら輝かせるわが子を見て、
年に、そうエールを送った。
瞳を
行ってみようよ﹂
。スタッフは少
ら、
新しい社会の形をつくってい
﹁とにかくみんなで楽しみなが
ガンも考案された。
り、
プロジェクトのロゴやスロー
じて、障がいのある子どもによ
あげたいんです﹂
。この活動を通
研ぎ澄まされた能力を生かして
が上手だったりする。
そういった
ことが、
目の見えない子どもは歌
れてもらえない。
通学に必要なお
がいも重症化してしまうんです﹂
ないことが分かっている。
況に似ています。
障がい者が社会
社会に出て生き生きと働くプロ
そのほかにも、
プロジェクトで
せん﹂
。
楽しみながら一緒に学ぼう
参加できる場もほとんどありま
ジェクトのスタッフと出会い、
話
員として、
パキスタンの障がい者
障がいを持った子どもたちに
きたい﹂という池田さん。
現地の
変化に喜ぶ彼らの笑顔を見るの
は障がい児が通常学校の児童と
多く企画、実施している。﹁子ども
が最大の喜びだという。
をすることで、〝心の変化〟
を生み
ある日、こんなことがあった。
同士で、
障がいに対する理解を深
障がいの有無にかかわらず、
す
とって、家庭を出て、初めての社
下肢不自由のため、
学校に行くの
めてもらいたい﹂
。町の清掃活動
べての人が安心して外の世界に
人々が自ら変化を生み出し、
その
をあきらめた少年を訪問したと
からスポーツ大会まで、
その活動
時間を共有できるイベントを数
きのこと。
片足義足で車を運転し
といけないし、
計算もできないと
バーになるには、
文字も読まない
い!僕でもできるかな﹂
。﹁ドライ
言った。
﹁障がいがあるのにすご
の聞こえない子どもは絵を描く
持つ子どもは感性が豊かです。
耳
活動もウリの一つだ。
﹁障がいを
つくる大会など、〝芸術〟
を通じた
また、
写生大会や詩や宗教歌を
る。
で輝ける日が来るよう願ってい
︵STARS︶が〝社会〟という空
国に広がり、よりたくさんの星
は、
いずれこのプロジェクトが全
飛 び 込 め る よ う に ︱。池 田 さ ん
は多岐にわたる。
出したいという狙いからだ。
人専門家は話す。
青年海外協力隊
とチーフアドバイザーの池田直
けいがい
などから法律は形骸化。
そこでJ
食料、
保健医療、
教育、
環境︱目
の中で、
開発途上国では障がいの
学校に行けない
子どもたちのために
社会的な認識不足も相伴い、
いけないんだよ。
もう一回学校に
パキスタン
PAKISTAN
社会保障制度が十分に整備されていないパキスタンでは、
校の数も足りない。
あったとして
06
アボタバード県
パキスタン
障がいを乗り越え
外の世界へ羽ばたこう
て来たスタッフを見て、
彼はこう
鉄道駅の駅長や駅員が協力し、線路
沿いの清掃活動を実施。社会奉仕活
動を通じた交流を、通常学校の校長も
積極的に推進している
from
知的発達障がいのある子どもの家を訪問。同じく障がいを持ちながら働くスタッフ
(左)
を見て、刺激を受けてもらうことも
目的の一つだ
ICAは 年、この行動計画を後
10
会参加の場となるのが学校だ。
し
かし、
地域内の通常学校には受け
20
北西辺境州
通常学校で学ぶ肢体不自由の
子ども。教職員と家族の障がい
に対する理解により、
この学校
では地域の中でもインクルーシ
ブ教育が進んでいる
(上)
6.5キロの長距離ウォークには、特殊学校の児童、医療従事者、県社
会福祉局などから多くの人が参加。歩行者からも温かい声援が送られた
(下)
スポーツ大会で、風船を膨らませる競技に参加する子どもたち。障が
い児と非障がい児が一緒になって、楽しい時間を過ごした
75
途上国で障がいを持った子どもは、障がいを
持たない子どもと比べて、学校に行けなかっ
たり、行けても退学する割合が高い。また、社
会で障がいに対する差別が払しょくされない
ため、子どもを外に出さない
(出せない)親もい
る。差別や社会的排除などが原因で、保健サ
ービスを受けることができないケースも多い。
08
障がい児差別
※社会に出ることができない障がい者(星)
を探し、
社会参加ができるよう
“磨いて”
いくことがテーマ。
PAKISTAN
私にも未来はあるの?
14
February 2010
February 2010
15
f rom
特集
HIV/エイズ
南アフリカ共和国 & ガーナ
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
SOUTH AFRICA & GHANA
私にも未来はあるの?
南アフリカで増え続ける
エイズ孤児と母子感染
新興工業国の一つとして成長
を続ける南アフリカ共和国。今
年6月のサッカーワールドカッ
プ開催を控え、今、世界中の注
目が集まっている。同時に、必
ずといってよいほど語られるの
が、この国の深刻な貧困問題だ。
アパルトヘイト︵人種隔離政策︶
が撤廃されてから 年以上がた
人口の %に当たる570万人
それを助長しているのが、総
ている。
層の暮らしは一段と厳しくなっ
大きな格差が存在し、低所得者
が6割に達するなど、国内には
った今も、黒人社会の非就業率
15
口︵ ∼ 歳︶の5 人に1人が
V/エイズのまん延だ。労働人
が感染しているといわれるHI
12
49
出産前後、授乳時などに母子感
続 け て い る。中 に は、妊 娠 中、
国内でも最も貧しい地域の一つ
は、全人口の %を黒人が占め、
プによる予防・啓発活動の促進、
ランティアの育成、青年グルー
のキャンプを開催した。キャン
り楽しめるようにと、1泊2日
ョンやダンス、劇などで思い切
されており、その数は年々増え
万人のエイズ遺児がいると推定
親をエイズで亡くした約200
アフリカには、片親もしくは両
人だけの問題ではない。現在南
そ し て、
HIV/ エ イ ズ は 大
2∼3割程度にとどまる。
抗 レ ト ロ ウ イ ル ス 薬 の 普 及 も、
いる。エイズの発症を遅らせる
毎日約1000人が亡くなって
HIV感染者であり、エイズで
15
そして、地域で見捨てられがち
給食センターに集まったエイズ孤児(南アフリカ)。プロジェクトを通じてできた野菜を
使い、栄養価の高い食事が1日3食出されている。また、子どもたちが放課後の時間を
過ごすこともできるこのセンターに、SHAREとJVCは本や遊具を提供している
とされる。この州の2つの地区
97
染し、親が亡くなった後も差別
その脅威がもたらす厳しい現実に直面している。
プ終盤、エイズで母親を亡くし
感染率が世界で最も高いサハラ以南アフリカの子どもたちが、
な、両親を失ったエイズ孤児や、
心から笑える日が来ると信じて
村 で、2 0 0 6 年 か ら、
JI
南アフリカ共和国
や偏見にさらされ、誰も世話を
子どもたちの生活や未来を脅かすHIV/エイズ。
るなど、感染していない子ども
分な食事が取れなくなったりす
通えなかったり、成長期でも十
くなり、学費が払えずに学校に
手をエイズで失えば生活が苦し
少なくない。また、一家の働き
する人が見つからないケースも
協働で実施されている。
ティアセンター︵J VC︶との
E︶
、
NPO法人日本国際ボラン
際保健協力市民の会︵SHAR
ト﹂が、
NPO法 人 シ ェ ア=国
び感染者支援強化プロジェク
加型HIV/エイズ予防啓発及
CAの草の根技術協力﹁住民参
ん。そうした子たちには、ボラ
と、
SHAREの 青 木 美 由 紀 さ
け で 生 活 す る 家 庭 も あ り ま す﹂
ないため、中には子どもたちだ
﹁面 倒 を 見 て く れ る 親 戚 も い
どへのケアも行っている。
なった貧困家庭の子どもたちな
HIV/エイズで親が働けなく
員が涙しながら、悲しみを振り
ちの心に響いたのだ。最後は全
彼女と同じ境遇にある子どもた
そ の 涙 は、無 駄 で は な か っ た。
こたえていたのだろう。しかし
まで抑え込んでいた感情を吐き
て間もない 歳の女の子が、今
この国の最北端、リンポポ州
期訪問・在宅介護支援を担うボ
Oと と も に、
HIV感 染 者 の 定
プロジェクトでは現地のNG
レーニングなどを実
スタッフへの栄養ト
作りや給食センター
改善を目的に、菜園
れる食事の栄養価の
給食センターで出さ
す る。
SHAREとJ VCで は、
域の給食センターが食事を提供
ンティアがお世話をしたり、地
で 彼 ら と 向 き 合 っ て き た、
JV
い、そう実感しました﹂と現地
をつくっていかなくてはならな
/エイズの脅威に負けない社会
笑 顔 で い ら れ る よ う に、
HIV
てしまうんです。彼らがいつも
いても、やっぱりつらくて泣い
﹁普 段 は 笑 顔 で 懸 命 に 耐 え て
絞るかのように歌い続けた。
回、スポーツやダン
ス、劇など子どもた
ための知識・情報や、
て、感染を予防する
ベントの開催を通じ
エイズ孤児やHIVに感染した
ガーナ第二の都市・クマシ近郊。
北 西 に 約5 0 0 0 キ ロ 離 れ た、
南アフリカ・リンポポ州から
ちが楽しめる地域イ
差別・偏見をなくす
子どもたちを支援する地元NG
あるとき、エイズ
る4歳の男の子の死にショック
力隊の浅里美咲さんは、よく知
Oに配属されている青年海外協
孤児がレクリエーシ
ている。
ことの重要性を伝え
子どもたちが子どもらしく
生きるために
Cの渡辺直子さんは話す。
出し、涙した。母の死がよほど
14
施。また、学校の巡
(上)予防・啓発のための劇を演じる青少年グループのメンバー。
「活動を通じて、彼ら
のHIV/エイズの認識は確実に高まった」
と、JVCの渡辺さん
(下)
プロジェクトの一環で、感染者のための菜園研修も行われた。母親から母子感
染した男の子も、菜園の野菜のおかげもあってすくすくと成長している
笑顔でいられる社会を
にもさまざまな影響を及ぼす。
21
南アフリカ共和国 & ガーナ
from
在宅介護のボランティア研修の様子。抗レトロ
ウイルス薬の服用も指導する彼らには、多くの
知識が求められる
広がり続けるHIV/エイズの脅威は、確実
に子どもたちにも及んでいる。国連は、エイ
ズで死亡する6人に1人、新たなHIV感染者
の7人に1人が子どもと推定している。多く
の幼い命が奪われるだけでなく、
エイズで親
に先立たれ保護者を失った孤児には、過酷
な現実が待つ。感染予防知識の不足によ
る、10代の感染も急増している。
ガーナ
16
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February 2010
17
f rom
特集
SOUTH AFRICA & GHANA
把握されているだ
がら、たくましさ、優しさ、笑
る﹂と 浅 里 さ ん。
﹁彼 ら と 気 持
顔を忘れずに力強く生きてい
エイズ孤児が存在
ちを共有することで、私も多く
けでも 万人近い
するといわれてい
る た め に ︱﹂
。そ ん な 思 い を 込
を学んでいるんです﹂と語る。
しがり屋、いたず
め、南アフリカやガーナで、そ
る。サッカーが大
らっ子⋮。世界中
して各地で、多くの人々が支援
﹁HIV/ エ イ ズ に 負 け ず、
のどこにでもいる
を行っている。道のりは決して
好きな子、算数が
であろう、一見普通のこうした
平たんではないが、いつしかそ
子どもたちが子どもらしく生き
子 ど も た ち が、
HIV感 染 者 で
の情熱が実ると信じている。
苦手な子、恥ずか
あるということから、さまざま
な心理的負担と命の危険性と隣
り合わせに暮らしている。
HIVに感染した子どもの保
護者には、路上販売や個人商売
でかろうじて生計を立てる者や
無職の者も多く、生活は厳しい。
食事や健康面など、子どもたち
への悪影響も懸念される。そこ
で浅里さんは、収入向上活動と
してガーナ伝統のビーズを使っ
たブレスレット作りを行ってい
Oのボランティアたちに作品が
護者たちも、海外から来るNG
る。初めは乗り気でなかった保
の幼児。母子感染によるエイズ
に過ぎない。そしてこの国では、
は、不安や厳しい現実と闘いな
﹁HIV感 染 者 や エ イ ズ 孤 児
に取り組んでいるという。
がら、とても意欲的に製品作り
では子どもたちをひざに乗せな
飛ぶように売れるのを見て、今
の発症で、半年間で徐々にやせ
月に亡くなってしまった。
衰えて元気がなくなり、 年
に 奪 わ れ て し ま っ た。
HIVに
イズが広がるガーナ。抗レトロ
若 年 層 を 中 心 に、
HIV/ エ
HIV/エイズで両親を亡く
ウイルス薬の普及も、 %以下
感染さえしなければ⋮﹂
し、しばらく孤児院で過ごした
後、祖母に引き取られていたこ
18
February 2010
14
大きな可能性と尊い命が、簡単
11
﹁彼 の 目 の 前 に 広 が っ て い た
を受けていた。
子どもたちの保護者に、
ガーナビーズを用いたブレスレット
(右)
の作り
方を説明する浅里さん。
「任期が終わっても彼ら自身で活動が継続でき
るよう、
うまく引き継いでいきたい」
と意欲的だ
09
20
収入向上活動に加え、浅里さんは、学校や
地域を回って行う参加型のHIV/エイズ予
防・啓発活動にも協力している
スラムの子どもたちへの
虐待をなくすために
薬 物 中 毒 な ど の 予 防 を 目 指 し、
ナグアのスラムで、暴力や犯罪、
少年・子供・家族省とともに、
マ
画・実施していくという仕組み
る社会活動などのアイデアを、
計
を考え、
学校の清掃をはじめとす
子 ど も が 約2 万 人 い る と い う デ
いう。
出生届すら出されていない
% が養育放棄に遭っていると
的暴力の対象となり、しかもその
成し、
彼ら自身が保護者に呼び掛
のリーダーとなるべき人材を養
いうこと。
そのために、まず地域
体となって現状を変えていく﹂
と
しているのは、
﹁
〝地域の人〟が主
プロジェクトが何よりも重視
改善され、
非行や犯罪の防止にも
ば、
子どもが置かれている環境が
ケーションの在り方が変化すれ
い視点を持ち、
家庭内のコミュニ
時に、
学習を通じて保護者が新し
結び付けば貧困が緩和される。
同
活動も実施。
学んだことが収入に
工芸品教室を開くなど生涯学習
さらに、
保護者を対象にした手
だ。
安全ネットワーク強化プロジェ
﹁青少年とその家族のための市民
めて過酷で危険な環境下にある。
クト﹂
に取り組んでいる。
ニカラグアの子どもたちは、
極
首都マナグアなどで行われた調
ータもあるほどだ。
彼らは学校に
け、
薬物や暴力、
子育てなど、
各家
つながるからだ。
査によると、 歳以下の %が性
も行けず、
ストリートチルドレン
庭が直面する問題について学ぶ
こうした子どもを脅かすリス
参加した保護者たち自身がその
講習を開く。
そして次に、講習に
制度を確立することが重要であ
犯罪を未然に防ぐには、
国として
﹁子 ど も を め ぐ る 暴 力 や 非 行、
の予備軍となっていく。
クを取り除くため、
J ICAは2
問題の解決に向けて何が必要か
暴力による子どもへの虐待は、
現在、深刻な社会問題となっている。
そして 年 月、佐藤さんにう
は話す。
J ICA専 門 家 の 佐 藤 真 江 さ ん
なお え
対する意識も高まっています﹂
と
てくれるようになり、
予防活動に
住む多くの人々が活動に参加し
定めています。
今では、スラムに
り、
プロジェクトの最終目標にも
全国で60万人もの子どもが
地域住民が一
れしい知らせが 。
体となって進めてきたこの活動
が﹁社会リスク予防活動ガイドラ
イン﹂としてニカラグア政府によ
り正式に制度化されたのだ。
地域
で子どもを守るという地道な取
り組みが今、彼らを虐待の危機か
︵ ページに関連記事︶
ら救おうとしている。
NICARAGUA
ニカラグア
ニカラグア
from
(上)
プロジェクトが養成した地域のリーダーが、父母を対象に暴力や非行など
の予防方法について講習を開く
(下)
プロジェクトでは子どもたちの健全な成長を促すため、絵画やスポーツな
どを通じたレクリエーションにも力を入れる。自分でつくった作品をうれしそうに
掲げるスラムの子どもたち
007年3月より、
ニカラグア青
February 2010
19
35
暴力の危機に直面しているといわれるニカラグア。
|
12
地域住民が一体となり
子どもたちを守る
08
子どもに対する虐待は違法性が不明確であ
り、世界中にまん延している。虐待のトラウマ
は心身ともに不安定な状態を生み出し、未就
学、傷害、性感染症、
HIV/エイズ、望まない
妊娠などの問題にもつながる。公にならない
ケースも多く、正確なデータ収集が困難。 70
虐待・体罰
ニカラグア
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
NICARAGUA
私にも未来はあるの?
11
22
f rom
特集
特集
私にも未来はあるの?
世界の子ども と向き合う青年海外協力隊
ー 子どもたちの明日をはばむ現実
ントルシアでは、家族制度が日本と
業後しばらくは家事をしたり、妹の面倒を
大きく異なり、婚姻率が低く、女性
見たりして生活していたのですが、祖母が
が一人で子どもを育てるケースが多くなっ
センターに送ることを決めたようです。地
ています。
また、児童虐待や非行、少年犯
元のコミュニティーでは、母親のことで肩
セ
罪も後を絶たず、少女に対するレイプ事
件や家庭内の性的虐待が日常的に起き
阿部 由佳
唐澤 直子
セントルシア 青少年活動 福岡県出身
アプトン・ガーデンズ・ガールズ・センター
ニカラグア 青少年活動 神奈川県出身
NGOシーアラビーダ・カサ・ホセマリア
除はしたのか、洗濯はしたのか、
シャワーは
元
浴びたのかと、
ときに疎まれながらも、母親
のように小言を言っていますが、子どもた
ちに目いっぱいの愛情を注ぎ、
そして、彼
らからの強烈な愛情を受け取ることが、私
身の狭い思いをすることも多いようで、
の最大の役割だと思っています。
「みんなが私に親切にしてくれるセンター
ているのが現状です。ガールズセンターで
にいる時が一番楽しい」
と言っています。
クリスチャンは、掃除など施設の仕事を
はそのような問題を抱える12∼16歳の
彼女たちが将来に明るい光を見いだせる
積極的に手伝ってくれる男の子です。パ
少女たちを保護していて、私はクラフトや
よう、少しでも力になれればと思っています。
ソコンやバイクの運転など、新しいことを
数学を教えています。いずれ彼女たちが
卒業して自立していくため、直接的に仕事
に結び付くよう、今は特に洋裁技術の向
クリスチャン・アントニオ・シスネ・ロッハ(15歳)
フランシーナ・アレキサンダー
(15歳)
家族構成 :継父、母、兄、弟
家族構成 :継父、母、妹3人、弟
好きなこと:新しいことを覚える
好きなこと:勉強する
つらいこと:自分の悪い所を直す努力をする
フランシーナは母親から無視されたり身
つらいこと:地元に帰る
体的な虐待を受けたりして、小学校も休
一つ願い事をするなら?:家を建てたい
一つ願い事をするなら?:
高校に進学して英語を勉強したい
みがちで中学に進学できませんでした。卒
将来の夢 :シェフ
将来の夢 :弁護士
上を図るための方法を模索しています。
子が先生にしかられている時、
その状況が
ベ
分からずより恐怖感を感じるようです。
また、
覚えることにとても意欲的なのですが、知
らないから、知る機会がないから、
できない
波田野 圭子
吉川 祥太
ベトナム 養護 埼玉県出身
グエンディエンチエウ特別支援学校
ヨルダン 体育 茨城県出身
ジェラッシュキャンプ小中学校
僕
ことがたくさんあると感じることがあります。
知ることで広がる世界、挑戦するチャンス
を得ることで広がる可能性があると信じ
て、私自身からできるだけ多くの情報を発
信していければと思っています。
が活動しているヨルダンのパレスチ
偏見や差別もあり、
閉鎖的な空間です。
ナ難民キャンプの小中学校では、1
ある日の帰り道、野菜とパンを手一杯に
つの校舎を2つの学校が午前と午後に分
持ったムハンマドと偶然会いました。彼はそ
けて使っています。赴任したばかりの時、
ご
の日学校に来ていなかったので理由を聞く
など、
まだまだ一人でできないことがたくさん
みやジュースビンの破片が散らばっている
と、
「 家の手伝いをしていたんだ。今日は体
あります。今後は私が以前勤めていた盲学
グラウンドで、子どもたちが裸足で駆け回っ
育だったよね、
ごめん」
と言い、言葉に詰ま
っていた僕にパンを一つくれました。
「これ
学校に視覚障がいの子どもが活動しやす
い環境が整っていないため、食事や着替え
校など日本の例を参考に、就学前の子ども
ているのを見て驚きました。
またここの人々
に何をどのように教えるか、
その指導方法を
は国連の定める難民の定義に当てはまら
同僚の先生に伝えていきたいです。
ないため市民権がなく、他のキャンプから
は家族の分だろ」
と最初は断りましたが、
「ショータは家族だ!」
って言ってくれたんで
す。家族や仲間を大切にする思いは彼ら
グェン・タイン・カー
(5歳)
ムハンマド・アブシー
(11歳)
家族構成 :父、母、姉
家族構成 :父、母、兄2人、姉2人、妹2人
難民キャンプで生きる彼らにとって、
自由
好きなこと:友達と学校で勉強する
好きなこと:アラビア語と体育の授業
に運動できる場所、時間は本当に限られ
つらいこと:歩いて移動する
(目が見えないため)
つらいこと:テスト
ています。それでも僕は彼らの夢を守るた
一つ願い事をするなら?:おもちゃがたくさん欲しい
一つ願い事をするなら?:日本に行きたい
めに、
その状況を少しでも改善していきた
将来の夢 :学校の先生
将来の夢 :サッカー選手
いのです。
せのおすそ分けです。あの子、
かけ算がで
ミ
から学んだ大きな財産です。
きるようになったよ!と、
まるで自分のこと
のように喜んで報告しに来てくれた時もあ
ります。
ミクロネシアの子どもたちと接して
田口 佳奈
内藤 久美子
ミクロネシア連邦 小学校教諭 兵庫県出身
マレム小学校
ルワンダ ソーシャルワーカー 静岡県出身
フィデスコ・ルワンダ
路
片付けようとする習慣がまだ残っているの
も事実です。
エマニュエルも学力不足や貧困からく
る複雑な家庭環境などの問題に直面して
いると、笑顔がどれだけ周りの人を幸せに
いますが、立ち止まって悩むのではなく、前
するのかを実感します。モノやおカネは関
向きに生きています。自分のものを一人占
係ない、毎日を
“素敵”
にする方法を、私は
めしないで他人に分けてあげられる優し
彼女たちから学んでいます。
さ、物質的には恵まれていないけれど、廃
物を利用していろんなものを作って遊べる
21
February 2010
ジャスミン・ケラーニ・レイチェル・
イスマエル・ルーイ
(8歳)
エマニュエル・ンシミマナ(11歳)
創造力は素晴らしいです。今私にできる
のは、子どもたちに
“楽しみ”
を提供していく
家族構成 :父、母、弟3人
家族構成 :母、姉、兄
好きなこと:友達と遊ぶ
好きなこと:算数の勉強
つらいこと:家の庭掃除
つらいこと:サッカーの試合でメンバー交替させられるとき
一つ願い事をするなら?:
ハンナ・モンタナ
(大好きな映画の主人公)
に会いたい
一つ願い事をするなら?:
サッカーのスパイクと靴下がほしい
なくても子どもは変わる」
ということに気付
将来の夢 :フライトアテンダント
将来の夢 :銀行員
いてもらいたいと思っています。
こと。彼らの支えとなって、己を否定しない
生き方をしていってもらえるようかかわって
いきたい。職場の先生たちには、
「 体罰が
February 2010
20
神様がNAOEを
運んできてくれた
ジェンダーやマイノリティーをテ
なおえ
ーマに日本やアメリカで研究生活を
送っていた佐藤真江さんが、一転し
て、国際協力のゲンバに飛び込んだ
のは2000 年のこと。青年海外協
力隊員としてドミニカ共和国中部の
ヤマサという村で村落開発に携わっ
たのだ。
﹁厳 し い 開 発 途 上 国 の 現 実 を 知 っ
て、人々に寄り添ってみたい﹂
ったが、そこでの体験は、生活環境
そんな思いで飛び込んだゲンバだ
の厳しさなどから﹁人生観を180
度変えてしまうような日々﹂だった
と言う。しかも、活動は計画通りに
進まない。現地スタッフの家族や子
どもの問題、間違いや失敗の数々 。
…
現地の人々の生活にどっぷりと浸か
り、涙 あ り、笑 い あ り、と き に は 怒
りありの中で活動は進んでいった。
期が終わりに近づいたころだ。村の
達成感を覚えたのは、2 年間の任
人 々 と 一 緒 に 改 良 か ま ど を 作 っ た。
土の上に置いた石に鍋をかけるだけ
のかまどから、熱効率の良いかまど
に改良することで、特に女性たちの
暮らしぶりが大きく変わった。時間
にゆとりが出る。料理を作るのも楽
し い 。後 任 隊 員 の 努 力 も あ っ て、
10 0 台 以 上 の 改 良 か ま ど が 村 に 広
要とされているのか、人々の思いを
しの中に埋もれています。今何が必
﹁国際協力のテーマは、日々の暮ら
やすい社会をつくっていくことだ。
や子どもに対する暴力を防ぎ、住み
都マナグアのスラムで、青少年犯罪
家 と し て 活 動 し て い る。目 的 は、首
ットワーク強化プロジェクト﹂の専門
人とがただつながるだけでなく、
〝心〟
ま す。人 と 人 と の 結 び 付 き は、人 と
っていっているのだと、心を打たれ
の人々が本当に強いきずなでつなが
て い る 住 民 を 前 に す る と、今、地 域
がっていった。
感じ、共感する力が必要だと強く思
という人だけが持つ尊い価値があっ
また、青少年と保護者の生涯学習活
さんは言う。
要 性 を 彼 ら か ら 父 母 に 伝 え て い る。 そ し て 心 は﹁感 動 で 動 く﹂と 佐 藤
っている気がします﹂
てこそ成り立つものだと教えてもら
いました﹂
その時、村の女性が掛けてくれた
言葉を、佐藤さんは今も忘れない。
﹁神様がNAOEを運んできてくれ
た﹂
助 け す る た め で も あ る。さ ら に は、
教 室 で ス キ ル を 学 び、今 で は、そ れ
女は、プロジェクトで開いた手工芸
りのピアスをプレゼントされた。彼
おばあさんからビーズでできた手作
青少年の健全な成長を促すことを目
を生かして現金収入を得ている。
佐藤さんはある日、スラムに住む
的としたレクリエーション、地域内
﹁学 ぶ こ と は 永 遠 に 終 わ ら な い の
動として手工芸教室なども開催。現
の 警 察、学 校、保 健 所 と 連 携 し て、
金収入を得て、貧困からの脱却を手
暴力問題が起こった時の通報システ
成感を感じた瞬間だった。
厳しい途上国の現実に、心から達
ラグアで、J I C A が 実 施 す る﹁青
現在、佐藤さんは同じ中米のニカ
よ﹂
こ う し た 取 り 組 み を 通 し て、
これから先、いろいろな経験の中で
動と勇気をもらいました。私もまた、
﹁おばあさんのこの言葉に、私は感
これまで犯罪から身を守ること
学んでいきたいと思います﹂
人﹂が 増 え て き た。見 え 始 め た
防ぐ取り組みが必要だと考える
﹁そのためには、人々との心からの
体で解決していく仕組みづくりだ。
マは、子どもが抱える問題を社会全
に接し、胸を打たれたことはすぐに
成 果 に、現 地 ス タ ッ フ の モ チ ベ
相手に伝えていきたい。私の感動が
コミュニケーションは欠かせないと
﹁スラムでの生活はとても厳し
伝 わ り、共 鳴 し て、や が て 大 き な う
思っています。いつも心を開いて人々
い で す。そ れ で も、バ ラ ッ ク 小
ねりとなるに違いないと信じている
ー シ ョ ン も 高 ま り、佐 藤 さ ん は
屋の庭先で日が暮れるまで講座
んです ﹂ ︵ ページに関連記事︶
確かな手応えを感じている。
﹁地 域 ぐ る み で 犯 罪 を〝未 然 に〟 佐藤さんの変わることのないテー
のみが重視されていたスラムに
ている。
ム を つ く る な ど といった活動も行っ
犯罪や暴力を
未然に防ぐために
犯罪や暴力を予防していくことの重
ダーを養成し、地域が一体となって
プロジェクトのスタッフたちと手工芸の作品
について話し合う佐藤さん
プロジェクトではまず地域のリー
佐藤 真江さん
を 開 き、暑 い 中、子 ど も た ち の
14 回
第
22
February 2010
February 2010
23
ゲンバの風
ニカラグア
Sato Naoe
少年とその家族のための市民安全ネ
コミュニティーの保護者たちは、
プロジェクトが行う研修を修了すると、
佐藤さんから修了証が手渡される
開発途上国のコミュニティーが抱える問題に取り組む佐藤真江さん。
最も大切にしていることは「地域の人々への共感」。
2000年以来、中米を舞台に、ゲンバのさまざまな課題に挑戦し続けている。
ドミニカ共和国
JICA専門家
ためにボランティアで活動をし
19
(上)協力隊時代、改良かまど
を村人たちとつくる佐藤さん
( 右 )父 母を対 象に実 施され
た手工芸教室の修了式にて
|
さとう・なおえ
1970年静岡県出身。カリフォルニア大学デービス校、富山大学大学
院、名古屋大学国際開発研究課博士課程修了。
2000∼02年、青年
海外協力隊・村落開発普及員としてドミニカ共和国で活動。
02年より
JICAジュニア専門員、
ニカラグア事務所の企画調査員を経て、
07年7
月より現職。
「 感 動 する力 が 、人 の 心を動 かして いる」
1 月、チ ャ リ テ ィ ー バ ザ ー を 開 催。
児童が学年ごとにお店を開いて日用
品 な ど を 販 売 し、そ の 収 益 が 支 援 に
回 さ れ る 仕 組 み だ。ま た、芦 北 町 立
大野小学校は転作田を活用したコメ
月に芦北町国際交
知らなかったことが
恥ずかしい
熊本県八代市と鹿児島県薩摩川内
市を結び、
〝オレンジ〟のマークが印象
しら
的な肥薩おれんじ鉄道︱八代駅から
ぬい
電 車 に 乗 る と、目 の 前 に 広 大 な 不 知
火 海 が 飛 び 込 ん で き た。行 き 先 は 熊
本 県 葦 北 郡 芦 北 町。人 口 約 2 万 人 の
こ の 小 さ な 町 は、老 若 男 女、誰 も が
気 軽 に 参 加 で き る〝町 ぐ る み の 国 際
協力〟で有名だ。
1996 年から芦北町国際交流協
会 が 中 心 と な っ て 実 施 し て い る﹁カ
ンボジア学校建設支援﹂もその一つ。
﹁カンボジアの子どもたちのために募
金活動がしたい﹂
。授業で学校に行け
ない子どもがたくさんいることを知
出 席 す る た め、竹﨑一 成 町 長 率 い る
でも、カンボジアのために何かしたい
ん、学 校 建 設 に 大 き く 貢 献 し た 町 内
人 参 加。岩 本 さ ん を
の小中高生も
はじめ、青年海外協力隊︵ボリビア・
を受けました﹂
。数日間の滞在だった
い で 何 で も 自 分 で や っ て い て。刺 激
野 小 学 校 6 年︶
。
﹁で も、人 に 頼 ら な
驚いた﹂と言うのは一村満輝くん︵大
靴を履いていない子がたくさんいて
一 方 で、
﹁話 に は 聞 い て い た け ど、
いました﹂
。
が少しは役に立っているのかなと思
笑 顔 を 見 て、私 た ち が し て い る こ と
う 言 葉、子 ど も た ち の き ら き ら し た
び っ く り し ま し た。あ り が と う と い
本当にたくさんの人が迎えてくれて
年 の 永 里 優 香 子 さ ん。
﹁贈 呈 式 で は、
か め た か っ た﹂と い う 佐 敷 小 学 校6
﹁カンボジアの現状を自分の目で確
引率メンバーとしてサポートした。
場企画財政課の上野友晴さんなどが、
今 年 か ら は 冬 の 時 期 も 活 用 し、新 た
回、当 初 か
箱 が 置 か れ て い る 芦 北 町。家 族 で レ
ジ ア 学 校 建 設 支 援﹂と 書 か れ た 募 金
今 で は、町 中 の 至 る 所 に﹁カ ン ボ
6年の丸山真由子さんは話す。
か し い と 思 い ま し た﹂と 佐 敷 小 学 校
で 知 ら ず に 生 き て き た 自 分 が、恥 ず
物 や 水 も 十 分 に な い な ん て ⋮。今 ま
校 に 行 け な い だ け じ ゃ な く て、食 べ
ら聞く悲しいストーリーの数々。
﹁学
ら支援にかかわってきた岩本さんか
る。カ ン ボ ジ ア 渡 航 歴
ら、カ ン ボ ジ ア に つ い て 授 業 を 受 け
北町国際交流協会の岩本賢二さんか
芦 北 の 子 ど も た ち は 毎 年 数 回、芦
大丈夫!﹂とみんなやる気満々だ。
﹁農作業はお手伝いで慣れているから
村 落 開 発︶に 現 職 参 加 し た 芦 北 町 役
14
っ た、芦 北 町 立 佐 敷 小 学 校 の 児 童 の
年、芦北町はNPO法人JHP・学校
言 葉 が き っ か け だ っ た。そ れ か ら
をつくる会を通じて学校建設の支援
を続けている。
募金活動の主な担い手は、芦北町
の 子 ど も た ち だ。佐 敷 小 学 校 は 毎 年
さ ん で お 菓 子 を 買 っ た 時、お つ り を
も ら っ た ら 募 金 箱 に 入 れ る。そ れ が
日常の光景となっている。
彼らの笑顔に出会うために
月、芦 北 町 が 建 設 を
﹁水の管理をしたり雑草を抜いたり、
人 が カ ン ボ ジ ア に 飛 ん だ。も ち ろ
の ス ワ イ サ カ ウ 村 に 完 成。贈 呈 式 に
り 第4 学 校﹂が 首 都 プ ノ ン ペ ン 郊 外
支 援 し た4 校 目 の 学 校﹁芦 北 ひ ま わ
づ く り に 挑 戦。
﹁カ ン ボ ジ ア 募 金 米﹂ 2 0 0 9 年
と 称 し て、毎 年
流協会主催のイベントで販売してい
第12 回
にサラダたまねぎの栽培を開始した。
15
町 の〝伝 統〟に な り つ つ あ り ま す。
芦北ひまわり第4学校の子どもたちと芦北町の訪問団
が、彼 ら な り に 多 く の こ と を 学 ん だ
その代表的な事業がカンボジアの学校建設支援。
これをリードしているのは、芦北町の小学生たちだ。
年 目 を 前 に、今 が 一 つ の 節 目。こ
熊本県南部に位置する葦北郡芦北町は、町の方針の一つに「国際交流・国際貢献」
を掲げている。
よ う だ。上 野 さ ん も﹁子 ど も た ち は
カンボジアの子どもたちに
夢と学びの場を
も す ぐ に 現 地 に な じ ん で、た く さ ん
本 当 に た く ま し い。私 た ち 大 人 よ り
ています﹂
。
か。新 た な 方 向 性 を 考 え る 時 期 に き
の 伝 統 を ど う 守 り、発 展 さ せ て い く
も 豊 か に し ま す﹂と 竹﨑町 長 は そ の
せ る こ と は、芦 北 の 子 ど も た ち の 心
こ と だ け で は な い。異 国 に 思 い を は
〝カンボジアに学校を建てる〟という
芦北町の国際協力について、
﹁単に
がした。
ていた大切なことを学んだような気
︱︱ 芦 北 町 の 小 学 生 か ら、忘 れ か け
な い、純 粋 に〝人〟を 思 い や る 心
ど も た ち。世 界 中 ど こ に い て も 関 係
合 い な が ら、成 長 し て い く 両 国 の 子
海 を 越 え て 共 に 助 け 合 い、刺 激 し
意 義 を 語 る。
﹁私 た ち の 取 り 組 み は、
を細める。
の こ と を 感 じ 取 っ た よ う で す﹂と 目
15
地球号の
子どもたち
たくさんの作業があるので大変です。
る。
12
(左)
佐敷小学校のチャリティーバザーにて。1円でも多く集めようと、一生懸命お客さんに声を掛ける (右)
カンボジアの子どもたちと折り紙で交流
と 思 っ て﹂
︵5 年 生 遠 原 綾 子 さ ん︶
。
30
24
February 2010
February 2010
25
10
ス ト ラ ン で 食 事 を し た 時、駄 菓 子 屋
(上)
「カンボジア募金米」の田植えをする大野小学校の児童たち。田植えから収穫まで、全校児童
が参加して行われる
(左下)
スワイサカウ村に建設された芦北ひまわり第4学校。
「ひまわり」
という言葉は、町民から公
募して決定したもの。ひまわりのように明るい学校になってほしいという願いが込められている
(右下)
カンボジアの子どもたちに空手の形を教える竹﨑町長
11
∼届け 私たちの思い∼
私たちの地域のアイデンティティーを持
った若者はいなくなってしまいます﹂
中南米の先住民族を支援する﹁開発と
権利のための行動センター﹂
︵以下、行動
センター︶
代表の青西靖夫さんが、200
8年5月に行動センターのブログで発信
したメッセージだ。
これは、グアテマラ西
部のキチェ県コッツアルで若者たちの教
育や社会参加を支えるNGOコンフパス
の代表フリオ氏の言葉だった。
長らく続いた内戦は、村々に暴力の傷
跡を残した。
さらに、マラスと呼ばれる暴
知ることから始まる支援と連帯
コッツアルは先住民族が暮らす地域
でもあり、内戦が終結した今も、先住民
族が抱えるさまざまな問題が残されて
いる。
それを自らの力で解決していける
よう、
〝側面から〟
応援していこうという
のが行動センターの活動だ。
行動センターがグアテマラで活動を
始めたきっかけを﹁そこに、自分たちで
何とかしようとする人たちがいたから﹂
と青西さんは語る。
そしてコンフパスへ
年 間 続いたグアテマラの内 戦は、 万 人もの
20
力グループが村の中に入り込み、やがて
住民までも巻き込んで無意味な抗争を繰
り返すようになっていった。小さな村の
中での撃ち合い。内戦がもたらした悲し
い現実の数々は、人々の生活を圧迫して
いった。
﹁警察も頼りにならず、横行する暴力を
食 い 止 め た の は、コ ッ ツ ア ル で 暮 ら す
人々自身でした。
自衛組織を作り、ときに
は強硬に、またあるときには柔軟な姿勢
でマラスに立ち向かい、村の安全を守ろ
うとしたのです﹂
と青西さんは話す。
その結果、何とか暴力を抑え込むこと
に成功した。そして村の安全が確保され
るにつれ、より良い社会をつくりたいと
考える若者により、コンフパスの活動は
活発になっていった。
の会計管理やデータベースの作成など
導入されたパソコンでは、コンフパス
立が生じることもあるため、彼らが抱え
利用などをめぐって先住民族の間で対
訓練だけではない。ときに、自然資源の
行動センターの支援は、こうした職業
を越え、地域と地域、先住民族と先住民
動のキーマンなどを紹介している。
国境
のための
〝橋渡し役〟
として、専門家や活
通項を持っている。青西さんたちは、そ
を共有し、自らの活動に役立てられる共
か、判例はどうかなど、さまざまな経験
を贈る地道な活動を続けている。
族の人たちの心に、日本からエネルギー
ち自身の手で解決しようという先住民
青西さんは、自分たちの問題を自分た
くりたい﹂
が行われているほか、現在5台のパソコ
る土地問題にも取り組んでいる。
貧困か
せることにつながるのではないでしょ
﹁知るということは、現地に思いをは
あなたの小さな一歩から始まる国際協力
世界の人びとのためのJICA基金
JICAでは、国際協力に関心のある日本の皆さまからの寄付
を、開発途上国の貧困削減や環境保全への取り組みに活用
する「 世界の人びとのためのJICA基金 」で受け付けていま
す。皆さまのご支援をお待ちしております。
お寄せいただいた寄付金は、途上国の貧困削減、医療や教育の提供、
環境問題の解決などに取り組むNGOの活動に充てられます。各支援
活動や寄付金事業収支についてのご報告は、
「 JICA寄付サイト」
で公
表します。
寄付の方法
寄付金の使われ方
「JICA寄付サイト」
からお申し込み下さい。
クレジットカードによる決済
や、銀行・郵便振込みなどがお使いいただけます。
JICA寄付サイトURL:http //www.kifu.jica.go.jp/
CA基金が活用されている。
ンを使って、 人の若者たちにパソコン
族とを
〝つなぐ〟
仕事だ。
中南米情報を積極的に発信し、広く紹介
そして、もう一つ。日本社会に向けて
することも行動センターが重視してい
でいますが、スペイン
うか。
日本に入ってくる中南米の人々の
る活動だ。
語という共通言語で
が多く、多様性に富ん
いろいろな人たちと
声はあまりに少なすぎます﹂
南米で日々起こっているさまざまな出
行動センターのホームページから中
コミュニケーションで
きるという強みも持っ
ています﹂
地域で土地問題とど
んなが心を寄せていくような世界をつ
﹁知ることによって、地球に生きるみ
来事を発信し続けている青西さん。
う向き合っているの
つまり、それぞれの
政府や地方自治体、NGOなど、地域内のさまざまな機関
との関係の在り方について、
ワークショップ形式で議論
する先住民族と行動センターのスタッフ
﹁中 南 米 は 先 住 民 族
が不可欠だ。
ら 脱 却 し、安 定 し た 生 活 を 送 る た め に
か、国 際 法 を ど の よ う に 使 っ て い る の
JICA基金を活用して実施されたパソコン研修で学ぶ若者たち
の使用方法などを教える研修が実施さ
した職を得ることも決して夢ではない
キチェ県
は、そのような問題を解決していくこと
していくために必要なパソコンを提供
グアテマラ
メキシコ
れている。スキルを身に付ければ、安定
のだ。
のよりよい社 会づくりに取り組んでいる。
加を促 進する現 地NGOコンフパスへの支 援を通じて、内 戦 後
中で 、
﹁ 開 発 と 権 利のための行 動センター﹂は、若 者の社 会 参
死 者を出し、今も国 内 各 地に深い傷 跡を残している。こうした
36
す る こ と。そ の た め の 資 金 と し て、
JI
行った最初の支援が、彼らが活動を維持
1996年まで
真の平和を求める
若者たちへ
援も必要です。
このままでは、 年先には
な取り組みが必要ですし、さまざまな支
どうにもなりません。そのためには真剣
死んでいます。暴力を防がないことには
前から、若者の暴力が広がり、若者たちが
えない日々を送っています。
5 年ぐらい
﹁この地域では、多くの若者が将来の見
地域住民の手で勝ち取った平和
開発と権利のための
行動センター
近隣ペテン県の住民組織による自然保護区管理を視察
し、
土地の利用方法を学ぶ先住民族
26
February 2010
February 2010
27
開発と権利のための行動センターの活動の様子や団体の詳細は
ホームページでご覧になれます。
http://homepage3.nifty.com/CADE/
http://cade.cocolog-nifty.com/
行動センターは地域住民組織のリーダー養成研修も
実施。地域内で活用できる資源にはどのようなものが
あるかを話し合う
20
グアテマラ・シティ
行動センターが寄贈したパソコン
を囲んで。パソコンの導入により、
コンフパスの活動の可能性が大
きく広がった
ココロ と ココロ
48
も たちはどんな 生 活 をして
﹁ 開 発 途 上 国 の同 年 代 の 子 ど
みについて 紹 介 す るほか、具 体 的 な
を 通 して 多 彩 な 開 発 教 育の取り 組
いる ん だ ろ う﹂
﹁普 段 何 気 な く 食 べ
補 助 教 材も作 成しています。環 境問
また、先 生方 が授 業で活用できる
プログラム作りも経験できます。
模の課 題 をマンガで 学 ぶ﹁壁 新 聞 ﹂
、
題や感染症など、身 近に迫る地球規
来 るのだろ う﹂︱ 開 発 教 育︵国 際 理
解 教 育︶で は、日 本 での 私 た ちの 暮
ている 食 材 は、ど ん な 国 から やって
ら し に も つ な が る 身 近 な テ ーマ か
の現 状をイラストで分かりやすく 解
学 校に行けない途上国の子どもたち
様 な 価 値 観・文 化 な どを 扱っていま
ら、世 界 の現 状 や 途 上 国の 課 題、多
説 し た 小 冊 子﹁ 学 校 に 行 き たい!﹂
の各種教 材をそろえています。
な ど、総 合 学 習の時 間にも ぴったり
す。
JICAでは、未 来 を 受 け 継 ぐ 小
中 高 生 た ち が 途 上 国 に 関 心 を 持 ち、
訪問して授業を行う﹁国際協力出前
験 者 やJICA職 員 が 直 接 学 校 を
講 座﹂で は、途 上 国 の 現 状、人 々の
さらに、
JICAボランティアの経
育の推 進に力 を入 れています。そし
暮らしや文 化、歌やクイズを盛り込
彼 らの国 際 協 力 活 動への理 解・参 加
て、指 導 に 当 た る 先 生 方 の た め に、
んだワークショップ な ど、多 彩 な プ
につな がるよう、小 中 高での開 発 教
修や、授 業で活用できる補 助 教 材の
授業の実践スキルを磨く参加型の研
ログラムを実施しています。
推 進 員 に ご 相 談 く だ さい。そ し て、
都道府県に配属されている国際協力
ま ず はJICAの国 内 機 関 や、各
提 供 など、さま ざまな 支 援 を 行って
代 表 的 な も の に、途 上 国 を 訪 問
子 ど もたちの国 際 理 解への 第一歩 を
います。
地で活躍するNGOの活 動 などにつ
し、人々の暮らしぶり、
JICAや現
後 押 し す る た め、お 気 軽 にJICA
http://www.jica.go.jp/about/structu
re/organization/domestic.html
国際協力推進員
http://www.jica.go.jp/about/structu
re/organization/suishin
を活用してください。
国内機関連絡先
に 実 際 に 授 業 を 行 う﹁ 教 師 海 外 研
お気軽にご相談ください!
いて 学 び、帰 国 後、そ の 経 験 を も と
http://www.jica.go.jp/hiroba/educ
ator
修 ﹂があり ま す。派 遣 前の研 修 から
JICA地球ひろば「教育関係者の方へ」
帰国 後の授 業の実 践までJICAが
継 続 的にサポートしており、開 発 教
育に興 味 があるけれど、何から 始 め
た ら よいか 分 から ない、という 方 で
も安心して参加できます。
より 効 果 的 な 開 発 教 育 の 指 導 法
者 研 修 ﹂が お 薦 め で す。
JICAの
を 学 び たい 方 に は、
﹁開 発 教 育 指 導
各国内機関が地元のNGOなどと連
携して実 施しており、参 加 型の学 習
先生のためのJICAの
開発教育メニューはこちらから!
28
February 2010
A
3
大学院修了後、2005年JICAに就職。無償
資金協力部
(当時)
、
カンボジア事務所での研
修、人間開発部を経て、08年5月より現職。
「先生方の開発教育の実践が
実りあるものになるよう、お手伝いしています」
Q&A
授業で途上国について教えたい、
どうすればいい?
Q
「開発途上国が抱える課題や、
自分と世界とのつながりについて考えてほしい」。
そんな思いで子どもたちへの教育を実践する先生のために、
J
ICAはさまざまな
メニューを提供している。
(上)研修の成果を踏まえ、学校で開発教育の授業を実践
する教員
(左)
訪問したラオスの小学校で、子どもたちと交流する教師
海外研修の参加者
JICA地球ひろば
市民参加協力促進課
樋口 創
PROFILE
月
∼
日 、北 海 道 函 館 市
19
いうテーマのも と 、 人の参 加 者
る一歩 進んだ国 際 協 力の実 践 ﹂と
アクター間の連 携によって生まれ
ことを目 的としています。
﹁マルチ
にど う 還 元 していくかを 考 え る
際 協 力 を 結 び 付 け 、地 域 活 性 化
集 まり 、地 域が持つリソースと 国
際 協 力 を 実 践 す る 個 人・団 体 が
ントは 、北 海 道 と 東 北 地 方 で 国
ット﹂が開 催されました。このイベ
で﹁ 国 際 協 力マルチアクターサミ
17
た ちは3 日 間 にわたり さ ま ざ ま
な 連 携 のアイデアを 議 論 し 合い
ました。
最 終 日には、今 回のサミットで
得 られた 知 見 を どのように 生か
し 今 後 の 行 動 に 結 び 付 けていく
文 として 採 択 。すでにいくつかの
か、参 加 者の決 意 をサミット宣 言
連 携 企 画は実 現に向けて 動 き 出
2009年
月7∼
日 、デン
18
回締約国会
マークのコペンハーゲンで 、
﹁気候
12
変動枠組条約第
議︵COP
き 、どのセミナーでも 活 発 な 議 論
メッセージ を 発 信 す る こ と がで
ど 、各 国 政 府 とともにJICAの
事 業 促 進 の た めの 制 度 改 善 な
後 発 開 発 途 上 国におけるCDM
減 な ど に 活 用 す る 取 り 組 みや 、
が 提 案 しているCDM を 貧 困 削
地 方 電 化 事 業 を 題 材にJICA
ら 支 援 しました 。セミナーでは 、
発 表 す るセミナーを 企 画 段 階か
現 状 や 成 果 、課 題 、提 案 な ど を
組む気 候 変 動 対 策について、その
ビアの 各 国 政 府 が 、自 国 で 取 り
催 。また、ブータン、
ベトナム、ザン
るサイドイベント
︵セミナー︶を 開
発メカニズム
︵CDM︶促 進に関 す
効 果 の 推 計ツールや 、クリーン開
事 業における 温 室 効 果 ガス削 減
JICAは 開 催 期 間 中 、開 発
︶﹂が開かれました。
15
12
しています。
15
が展 開されました。
ブータンのサイドイベントで基調講演を行うナ
ド・リンチェン環境副大臣
(左)
40
02
「気候変動枠組条約第15 回締約国会議」で
途上国政府とともにメッセージを発信
01
「国際協力マルチアクターサミット in 函館」開催
﹁JICA国際協力中学生・
高校生エッセイコンテスト2009﹂入賞者発表
大 沼 圭 吾さん
● 村田町 立 村田第一中 学 校3年
高 校 生エッセイコンテスト200
﹁ 今 、僕にできること!﹂
︹ 高 校 生の部 ︺
高 橋 実 紗 子さん
● 聖 心 女 子 学 院 高 等 科3年
Thomas Jefferson High School
﹁ 心で ﹂
●
2年
for Science and Technology
藤 生 愛さん
﹁ハンカチの種 ﹂
● 長 野 県 長 野 高 等 学 校1年
草 間 由 紀 子さん
﹁ 実 践+継 続 =∞
︵ 無 限 大 ︶﹂
澤田康幸客員研究員が
﹁円城寺次郎記念賞﹂
受賞
﹁二つの母 国 ﹂
朴 志 海さん
﹂
﹁ Keep On Supporting
● 北 上 市 立 上 野 中 学 校2年
河 之口みなさん
● 立 命 館 宇 治 中 学 校1年
︹ 中 学 生の部 ︺
最優秀賞
もの力作が集まりました。
点、高校生の部2万4452点︶
36点
︵中学生の部4万9084
のためにできること∼﹂。7万35
今回のテーマは
﹁ 行動∼地球と私
9﹂の受 賞 者が発 表されました。
﹁ JICA 国 際 協 力 中 学 生・
03
主 催 する﹁ 第2回 円 城 寺 次 郎 記
授︶
が、日 本 経 済 研 究センターが
員 研 究 員︵ 東 京 大 学 大 学 院 准 教
JICA研 究 所の澤田康 幸 客
JICA 研 究 所 で﹁ JICA 事
提 起 を 行ってきました。現 在は、
貧 困 問 題やODAに関して問 題
研 究 などを 通じ、開 発 途 上 国の
量 経 済 学 の 手 法 を 用いた 実 証
り組んでいます。
果 ﹂などの研 究プロジェクトに取
る 灌 漑 インフラ の 貧 困 削 減 効
手 法 開 発 ﹂、
﹁スリランカにおけ
念 賞 ﹂を 受 賞しました。同 賞は、
歳以
業の体 系 的 なインパクト分 析の
られるものです。
下の若 手・中 堅エコノミストに贈
今 後の活 躍が期 待される
経 済 理 論の分 野で 実 績があり 、
04
澤 田 客 員 研 究 員は、ミクロ計
February 2010
29
45
JICA UPDATE
FEBRUARY 2010
自分たちの経験をもとに、
意見交換をする参加者たち
新 着 情 報
D
VD
『それでも生きる子供たちへ』
B
OOK
世界の子どもたちの窮状を救おうと、7人の名匠と国連児
『HIV/エイズとともに生きる子どもたち ケニア
∼あなたのたいせつなものはなんですか?∼』
童基金(UNICEF)、国連世界食糧計画(WFP)
がコラボ
自分にとって大切なものを尋ねられたら、何と答えるだろうか。HIVに
レートした話題作。爆弾を抱えたルワンダの少年兵、サラ
感染したケニアの子どもたちの答えが、本書である。例えば、
「薬」
エボの泥棒一家、HIVに感染したニューヨークの家族、サ
「水」
「家」・・・。HIVに母子感染し、一生薬を飲まなければいけない
ンパウロの貧民街で廃品を拾って生活する兄妹、
カメラマ
こと。免疫力が低下しているので衛生的な食事を取らなければなら
ンが幻想の中で見た戦地の子どもたち、ナポリの窃盗少
ないのに、水不足で手洗いすらできないこと。差別や偏見が怖くて
年、北京の路上で働く貧しい孤児と愛に飢えた裕福な少
家から出られないこと。子どもたちの答えの奥に隠されたこうした事
女。異なる7つの国を舞台に、厳しい現実の中でたくましく
実に胸が痛む。平易な文章と写真で分かりやすくまとめられており、
生きる子どもたちの姿を、
7つの国の名だたる映画監督た
小学生にも読める内容となっている。
ちが描いている。劣悪な状況にありながら、
そこで生きる子
どもたちの笑顔は素晴らしく、子どもを見つめる監督たちの
まなざしも温かい。
この本を
1人の方に
プレゼント
詳細は
38ページへ
山本敏晴 著
小学館
1,575円
(税込)
B
OOK
c 2005 MK FILM PRODUCTIONS Srl RAI CINEMA SpA
○
2005年/イタリア・フランス/本編130分、特典約40分
監督:ジョン・ウー、
スパイク・リー、
ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、
カティア・ルンド、
エミール・クストリッツア、
ステファノ・ヴィネルッソ、
メディ・カレフ
DVDは3,990円
(税込)
にて好評発売中
発売元:ギャガ株式会社
『国際協力と学校
―アフリカにおけるまなびの現場―』
数ある国際協力の分野の中でも重要な位置を占めるのが「教育」。
著者は、長年開発途上国の教育支援にかかわる中で、
「 教育開
発」の名の下でアフリカに広がる近代学校教育が、現地で本当に
E
VENT
求められているのかを考えてきた。本書では、第二次世界大戦後の
近代学校教育を概観しながら、
「なぜ国際協力をするのか」
「何のた
めの教育なのか」
と、国際協力・教育開発の意味を問うている。一般
春のみんぱくフォーラム2010 西アジア再発見
を「 学校を通じてしか見ることがで
国立民族学博物館では、西アジア展示のリニューアルに合
きていない」
という著者の指摘は、
わせ、
さまざまなイベントを企画している。
その一つが、
アジア
実に示唆に富んでいる。
的には、教育の中心には学校がある、
と考えられているだけに、教育
各地を撮り続ける大村次郷氏の写真展「西アジア、祈りの
風景」。西アジアの人々が神と向き合う静寂が、写真から伝
わってくる。会期中はじゅうたんを作るワークショップや、
イラ
ン映画の上映会なども予定されている。
会期 : 3月30日
(火)
まで
会 場:国立民族学博物館
(大阪府吹田市)
開館時間 : 10時∼17時(入館は16時30分まで)、水曜休館(水曜日が祝日の場合は翌日)
料金 :一般420円、高校・大学生250円、小・中学生110円
TE L : 06-6876-2151 URL: http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/w-asia_renewal09_sp.html
この本を
1人の方に
プレゼント
詳細は
38ページへ
山田肖子 著
創成社
840円
(税込)
February 2010
30
地球ギャラリー
vol.17
種子を触ると魔法のようにパッと開く
俗称カカオ・デ・アグアの花。この種子
を見つけた大人は子どもたちに手渡す
Venezuela
[ ベネズエラ]
文・写真=小松 義夫(写真家)
自然に抱かれて育つ
ワラオの子
A.壁が一つもない家でくつろぐ親子。床はヤシ科の植物の幹で作られている
B.デルタアマクロ州の州都
トゥクピタの舟付き場。ここか
ら下流に向け出発した
D
の首都カラカスに着き、そこか
フライトがつらい。ベネズエラ
日本から南米は遠く、長時間の
族の家の写真を撮りたかった。
陸だと思ったコロンブスたち
が流れ出てくるのでその奥を大
停泊した。上流から大量の真水
回目の航海でオリノコ川河口に
1 4 9 8 年 、 コ ロ ン ブ ス が3
ぎあっているのだ。
ら小さな飛行機を乗り継いでデ
は、デルタに住むワラオ族を捕
ラオの人々は舟で追いかけてく
功を奏した。
地形の水路に入り込んだことが
という。彼らが熟知する複雑な
人前後だが陸の孤島のような町
情報収集をしやすいようにオ
リノコ川に程近い街中の小さな
ホテルに泊まった。ホテルの主
人がたまたまジャマイカの人で
英語が通じた。
川岸にボート屋があったので
交渉してデルタを回ることにし
た。次の日、飲料水、食料など
を 積 ん で ボ ー ト は 出 発 し 、6 時
間ほど下った。オリノコデルタ
の水路は複雑で、潮の満ち干や
川の水の増減でいつも変化して
いる。水路によっては引き潮で
水がなくなっていたところもあ
ったし、午前中は塩水で午後は
真水になる水路もあるという。
ここでは川の水と海の水がせめ
E.ワラオの子どもは親や家族と一緒に
“大きな屋根の下で”
成長していく
上ある。
るスペイン人から逃げ切った、
10
で 、 近 隣 の 町 ま で20 0 キ ロ 以
タという町に来た。人口は
ルタアマクロ州の州都トゥクピ
C.オリノコデルタに住むワラオ族は約2万人。女性たちを
運ぶ丸木舟と水路で遭遇した
D.トゥクピタの空港には小型機しか降り立たない。眼下に
オリノコ川が見えた
らえ調べようとした。しかしワ
オリノコデルタに住むワラオ
C
万
B
F.ワラオ族はベネズエラに住む19の原住種族の一つ。オリノコ川の
下流域に暮らす。水辺に建つ家には壁が一枚もなく、人々の気質は
昔の日本人に似ている気がした
G.兄弟だろうか? 仲が良い二人
H.ワラオ族は子だくさん。母親に甘える男の子
I.寝心地のよいハンモックは、昼間はソファーやいすとして使われる
F
J
K
るして休んだ。上手に寝るコツ
寝るときは梁にハンモックをつ
ワラオ族の村で二泊したが、
と実感できた。
森と家を隔てる壁は必要でない
の蚊もいない。こんなに豊かな
だった。心配していたマラリア
根の下、家の人たちと一緒にな
保つことができ快適だ。同じ屋
に丸まらず、比較的真っすぐに
ると身体を空中で、エビのよう
木々、小動物や魚、ワニなど豊
うことは、オリノコ川、森の
〝屋根だけの家〟で育つ。とい
らは家族の愛情に包まれながら
ワラオ族は子だくさんだ。彼
はり
は少々斜めに横になること。す
ってぶら下がるのが何だか楽し
かな自然とともに命がはぐくま
れていくわけだ。きっと、心豊
い。
夜、近くの木に懐中電灯を当
いた。水路には魚やワニがい
になったのは、一緒に過ごした
この村に来て穏やかな気持ち
かな人間になるだろう。
る。森では夜行性の小動物が動
大人も子どもも人間としての誇
てたらサギが枝に止まって寝て
く気配もする。森や水路の仲間
りを持ち、平穏に暮らしている
vol.17
を感じながらの眠りは自然に抱
地球ギャラリー
からだと思った。
「地球のくらし写真展」
会期:3月28日
(日)
まで
10:00∼17:00 ※祝日除く月曜休館
場所:県立地球市民かなが
わプラザ3F 企画展示室
入場無料
問:
(財)
かながわ国際交流
財団 学習サービス課
TEL:045-896-2899
URL:http://www.k-i-a.or.
jp/plaza/news/komatsuy
oshio.html
かれている気がしてとても幸せ
小松義夫さんの写真展が
開かれます。
G
J . 水 路が 合 流するところに砂
の浅瀬がある。子どもたちの格
好の遊び場だ
K.お母さんのお手伝い。オリノ
コ川の水で食器を洗う
H
I
ララ州で保健・衛生教
育を行う看護隊員
JICAの活動
地球ギャラリー
in ベネズエラ
Vol.17
Venezuela
貧困・格差の是正、
環境問題の克服を
口 承 伝 統を残す
活 動を 通じ、先
住民の人材育成
に取り組む隊員
ベネズエラ
Illustration / Hori Takao
石油の輸出で国の経済は比較的潤っているもの
の、ベネズエラでは貧富の差や地域・社会格差が
広がっている。JICAは主に青年海外協力隊の活
動を通じ、貧困削減や格差の是正、環境問題など
に取り組んでいる。
オリノコデルタ
カラカス
ララ州
オリノコデルタ地 帯で、隊員も参
加した現地NGOによる環境教育
プログラムに集まった村人
トゥクピタ
オリノコ川
ベネズエラ
石油、天然ガス、鉄鉱石などの天然
然環境の変化でその生活や文化が
の啓発活動、農村医療の質と効率性
資源が豊富なベネズエラ。経済では
脅かされつつあり、
自給自足が難しくな
の向上支援などを行っている。
国家総収入の約半分を占める石油の
ったことによる貧困問題も生じている。
さらに、
日本で行われる研修では、環
輸出に支えられ、中南米地域ではトッ
そこで、協力隊が現地NGOとともに活
境、中小企業育成、保健医療、防災な
プクラスの所得水準を誇る。だが一方
動。植林によるエコ・ツーリズムの促進
どの分野を対象に研修員を受け入れ
で、石油に依存した産業構造は国際
と生計向上に努めた。
ている。
また、
ベネズエラが日本方式の
価格の変動に脆弱で、先住民を含む
一方、
ボリバル州では、地元NGOに
地上デジタル放送の導入を決めたの
低所得者層の貧困問題も深刻化して
よる先住民のための教育機関に協力
を受け、今年2月に約20人の技術者
いる。
そんな中、JICAは主に青年海外
隊が派遣され、各村落に伝わる口承
が参加する研修を実施するほか、
JICA
協力隊の派遣を通じ、貧困削減や地
伝統を文字化し、本に残していく活動
専門家の派遣も予定されている。
域・社会格差の是正、環境保全などに
を支援。先住民の若手リーダーとの共
取り組んでいる。
また、
日本へのベネズ
同作業を通じ、貧困、文化・アイデンテ
エラ人研修員の受け入れも積極的に
ィティーの喪失といったさまざまな課題
行っている。
に取り組む人材の育成に貢献した。
オリノコデルタの大自然とともに、
自
コロンビア
エンジェルフォール
ボリバル州
ブラジル
ぜいじゃく
■JICAの協力実績
(人数ベース)
2009年3月31日現在
2008年
累計
研修員受入
27人
1,278人
ララ州では、看護隊員が保健・医療
専門家派遣
2人
261人
給自足の生活を営んできた先住民ワ
支援を実施。農村巡回診療の中で、
青年海外協力隊
1人
65人
ラオ族。
しかし、近年の社会環境、自
生活環境や人々の健康改善のため
ベネズエラの代 表 的 な 定 食﹁パベジョン
︵
︶﹂。どこの食 堂で も 食べら
Pabellón
れ る一品 だ 。ワンプレートに、
ライス、
カ
ラ オタ︵ 黒 インゲン豆 を 塩 味 に 煮 た も
の︶、
タハーダ︵ 調 理 用バナナ をスライス
して揚げ たもの︶、そして今 回 紹 介 する
﹁カルネ・メチャーダ﹂
︵細切り牛肉を野
菜 と一緒に煮 込んだ もの︶などの定 番メ
ニューと、目 玉 焼 き 、
チーズがセットにな
って出てく る。値 段 も 庶 民 的で安 く 、
い
一 皿だ。
ろいろな 味が一度に楽 しめるお す すめの
︻ 材料︵4人前︶︼
︿カルネ・メチャーダ﹀
牛かたまり肉︵バラ肉 、もも肉など︶
70
0グラム/タマネギ半 個 / 赤ピーマン2
個 /ニンニク2片 / 固 形スープの素1個
/ 塩 大さじ1・小さじ1/ケチャップ・し
ン・こしょう
︵お好み︶
各少々
ょう ゆ 各 小 さじ1/ 油 大 さじ1/クミ
︻ 作り方 ︼
鍋に入れ、牛肉がかぶる程度の水を入
1.
大さじ1の塩と牛かたまり肉 を 圧 力
12
れて煮る。圧 力がかかってから極 弱 火
分 。火を止め、圧 力が抜けるまで
置く。
で
く。
2.
すべての野菜類をみじん切りにしてお
裂く。ゆで汁はキッチンペーパーなどで
3.
肉 を 取り 出し 、冷めたら 手で 細かく
こし、
2カップ分を取っておく。
4.
フライパンに油 を 入れてニンニクを 炒
め、香りが出たらタマネギを加える。火
が通ってきたらクミンと残りの野菜類
を入れてよく炒める。
5.
裂いた肉・ゆで汁・スープの素・塩 小さ
入 れてしばらく 混ぜ、水 分が少し 残
じ1・こしょう・ケチャップ・しょうゆを
る程度まで煮込んで完成。
☆ 圧 力 鍋がなければ、肉が軟らかくなる
まで3時 間 程 煮 る 。長 ネギの緑 色の部
文・写真=伊勢織穂理
分や、
セロリの葉などを束ねて一緒に入れ
るとなお良い。
ベネズエラを代表する料理として、人々に愛される
パべジョン
支所開設 2003年
首都:カラカス
面積:91万2,050k㎡
(日本の約2.4倍)
人口:2,790万人
(2008年)
公用語:スペイン語
宗教:国民の大多数がカトリック
1人当たり国民総所得(GNI)
:12,830ドル(08年)
経路:日本からの直行便はなく、
カナダ、アメリカ経由が一般的。
通貨:ボリバル・フエルテ
(VEF)
1VEF=約43円
(2010年1月現在)
気候 : 熱帯地域に属しているが、
標高により気温は大きく異なる。
カラカスが
ある中央平原は4∼10月が雨期、11∼3月が乾期。南部のギアナ高地など
は年間降水量が多く、雨期にはスコールが毎日のように降る。
ベネズエラ料理
細切り牛肉と
野菜の煮込み
「カルネ・メチャーダ」
(ベネズエラ・元青年海外協力隊員)
37
February 2010
February 2010
36
月 号 を 読 ん で]
■ 経 済 成 長 と 気 候 変 動のこ と が 大 き く 取 り 上 げ ら れ ま す が、
38
February 2010
[
感 染 症 につい て も 関 連 性 が あ る と 思 い ま す 。 日 本 は 影 響 を
受 け に くい と 思ってい ま し た が、 新 型 イ ンフルエン ザの 例 か
ら も 他 人 事 で は あ り ま せ ん 。 地 球 とい う 枠 組 み で 考 え て い
く 必 要 性 を あ ら た めて 感 じ た 今 月 号 で し た 。
︵ 兵 庫 県・ 歳・男 性・公 務 員 ︶
■﹁ 死 の 海 ﹂ と 呼 ば れ る ほ ど 汚 染 の 進 ん だ 洞 海 湾 の 写 真 に、
﹂ と 我 が 目 を 疑って し まい ま
し た 。 し かし 今 で は 、このひどい公 害 から 立 ち 直った 経 験 が、
﹁ 本 当 に あ の北 九 州 の海 なの
途 上 国の支 援 に活 かさ れ ている といいま す 。 北 九 州の方 々の
強 さ と た く ま し さ、そ し て 優 し さ や 温 かさ が 感 じ ら れ る 素
月 号 を 読 ん で]
晴 らしい記 事 だ と 思いまし た 。 ︵ 大 分 県・ 歳・女 性・司 書 ︶
[
■ 日本の省エネ 技 術の特 集 を 、 なるほ ど 、 と 思いな がら 読み
ま し た 。こ れ まで 省エネ と かエコと か 言 う と 、 漠 然 と し た 興
味 を 最 近のエコブームが 引っ張って 行って し まった 印 象 が あ り
ま し た が、 日 本 の 技 術 が 途 上 国 の 経 済 成 長 の 助 け に な る と
事 はぜひ続 けて 欲 しいと 思いま す 。
歳・女性・会社員︶
は、 す ば ら し い こ と と 思 い ま し た 。こ う い う 掘 り 下 げ た 記
︵島根県・
■ 地 元 のセ カンドハンドの 記 事 が 入ってい たので 、 特 別 支 援
学 級 の生 徒 に読 み 聞 かせ た 。 カンボ ジアの子 供 た ち の明 日の
幸 せのた めに 小 指 会 がが ん ばっている 姿 は そ れ だ けで 生 徒 を
勇 気 づ け た よ う だ 。﹁ 幸 せ と は 何 か?﹂ と 記 事 中 に あった 。
生 徒 に 問 う た 。﹁ 家 族 といる こ と ﹂ と 答 え て く れ た 。いつも
の 授 業 内 容 と 違ってい た け れ ど 、 生 徒 と じ かに 語 り あ え た 。
① ラオスの紙布織ランチョンマット
② 書籍『HIV/エイズとともに生きる子どもたち』
(p30参照)
③ 書籍『国際協力と学校』
(p30参照)
申 込 先 (株)国際開発ジャーナル社 業務部(発送代行)
住 所 〒107-0052 東京都港区赤坂2-13-19 多聞堂ビル
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F A X : 03-3582-5745(『JICA’
s World』編集部宛)
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歳・男 性・中 学 校 教 員・工 藤 護 ︶
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今年はアフリカ独立の年から50周年!
50年の歩みとJICAの支援を振り返りつつ、
近年の開発課題や最新の取り組みについて紹介します。
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氏名・住所・電話番号・ご希望の号
数 もしくは 送 付 期 間 を 明 記 の
上、下記にお申し込みください。
◎応募締切: 2010 年3 月 15日
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申込方法
添付のアンケートはがき、Eメール、FAXから、本誌に対す
るご意 見やご感 想 、
またJ I C Aへのご質 問を、氏 名・住 所・
電話番号・職業・年齢・性別・ご希望のプレゼントを明記の
上、お送りください。ご記入いただいた個人情報は統計処
理およびプレゼント発送以外の目的で使用いたしません。
当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。
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﹁ 先 生 、 私 も 人 の 役 に 立 ち たい。﹂ そ ん な 目 を し て い た 。 さ
わ や かな 1 時 間 だった 。
︵ 香 川 県・
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本誌をご希望の場合は
送料ご負担(200円)
にて
お送りいたします。
プレゼ
ント
付き
本誌へのご意見・ご感想や
JICAへのご質問を
お寄せください。
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次 号 予 告(2010年3月1日発行予定)
アフリカの鼓動
FEBRUARY 2010 No.17
編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 Japan International Cooperation Agency : JICA
〒102-8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル1∼6階 TEL:03-5226-9781 FAX:03-5226-6396 URL:http://www.jica.go.jp/ 本誌掲載の記事、写真、
イラストなどの無断転載を禁じます。
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©Yuki Asada
森の恵みが生み出したランチョンマット
女性が機織り機の前に腰掛け、一
森の国とも称されるラオスは、かつ
織り物としても評判だ。
本一本、丁寧に糸を紡いでいく―。
ラ
ては国土の約7割が緑に覆われてい
村人たちの森への思いが織り込ま
オスでは、祖母、母親から娘へ、各家
たが、焼き畑や違法伐採などが原因
れたラオスの紙布織。食卓に温かい
庭で織り物の技術が伝えられるのが
で、今ではその面積が5割以下に減
彩りを添えてくれるアイテムだ。
古くからのならわしだ。
少している。そこでJICAは、1996年
どの町のマーケットに足を運んでも、
より森林保全プロジェクトをスタート。
あちこちで目にするのは彼女たちが
現地の人々とともに、森林の保全・復
心を込めて織った色鮮やかな布。す
旧に取り組んできた。
べてが手作り。
この世に一枚しかない
木材を安定した収入源に活用でき
異国情緒あふれる織り物に、世界中
れば、森を大切に守ろうという意識も
の観光客は誰もが魅せられる。
高まるはず―。そんな願いからJICA
その中でもここ、首都ビエンチャン
専門家が紹介したのが「紙布織」の
の北、バンビエン郡の織り物はちょっ
技術。男性が木から作った和紙を糸
とユニーク。一般的な織り物と同様、
状にし、女性がそれを機織り機で織り
横糸はコットンかシルクだが、縦糸に、
込んでいく。
まさに、
日本とラオスの伝
現 地の木 材を素 材にして作られた
統工芸の出会いから生まれた製品。
し
“紙の糸”
が使用されているのだ。
ぶ おり
機織り機で和紙からできた糸を織り込んでいく女性
★ 紙布織ランチョンマットを3人の方にプレゼント!
詳細は38ページへ→
ラオス
染色は草木染めで、
“自然に優しい”
バンビエン郡
Vol.17 ラオス
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