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コミュニティ政策学会 第 8 回シンポジウム

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コミュニティ政策学会 第 8 回シンポジウム
コミュニティ政策学会 第 8 回シンポジウム
開催主旨
1990 年の入管法改正によって、日系外国人に「定住者」などの資格が与えられ在日ブラジル人が
急速に増え始めてから来年で20年目になる。定住傾向が広がる中で多文化共生の問題は、中部地域
においてとりわけ重要な問題となっている。加えて、昨今の経済情勢の激変の中で雇用の流動化が新
たな問題を生み出す恐れもある。様々な問題がある中でも教育問題、ダブルリミテッド状態におかれ
た子どもたちに対する対応は、緊急を要する問題である。
今回のシンポジウムでは、日系ブラジル人の子どもたちの教育権の問題に焦点を当て、この問題に詳しい
北海道大学の小内先生からの問題提起を受けて、日系ブラジル人が多く集住する豊橋市における問題解決
の可能性をコミュニティとして何が何処までできるのかという視点から議論したい。
開催日時 : 2009 年 3 月 28 日(土)
開催場所 : 豊橋市役所
14 時∼17 時
*午前中に理事会開催予定
東館 13 階 講堂
〒440-8501 愛知県豊橋市今橋町1番地
お問合せ先 : コミュニティ政策学会事務局
参加費(資料代として) 500 円
TEL 0565-35-7031
※ 当日会場にて、徴収させていただきます。
(豊橋市在住,在勤,関係者の方は無料)
内
容
(1) 問題提議
小内 透 (北海道大学大学院教育学研究科 教授)
「豊橋市における日系ブラジル人の子どもたちの現状と課題」
(2) パネルディスカッション
事例報告
パネリスト
司会 伊藤 雅春(コミュニティ政策学会理事)
コメンテーター 小内 透
・NHK名古屋放送局の取り組み
・豊橋市岩屋住宅の取り組み
・豊橋市多米地区多文化共生ワークショップの取り組み
鈴木 豊
(岩屋住宅自治会長) ・・・・・・住民
榎本 早菜絵(CSN豊橋) ・・・学生ボランティア
柳原 伸行(NPO法人東三河ハートネット)・・NPO
本馬 基次 (豊橋市企画部国際交流課) ・・・行政
コミュニティ政策学会 (愛知学泉大学コミュニティ政策研究所内)
〒471-8532
愛知県豊田市大池町汐取 1
電話:0565-35-7031
E-Mail:[email protected]
HP:http://www.gakusen.ac.jp/commu/a-compol/
コミュニティ政策学会第8回シンポジウムの記録
『多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題
~豊橋市における外国人児童・生徒の生活支援活動を通して~』
2009.3.28
伊藤:皆さん、こんにちは。私はコミュニティ政策学会の事務局をさせていただいております、
愛知学泉大学コミュニティ政策学部の伊藤と申します。よろしくお願い致します。司会
をさせて頂きます。本日はコミュニティ政策学会第8回シンポジウムにお集まり頂きま
して、どうもありがとうございます。
今日は多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題ということで、特に豊橋市
における外国人児童、生徒の生活支援活動を通してと、タイトルを付けさせて頂きまし
た。特にこの地域、三重、岐阜、愛知、静岡には日系の外国人の方がたくさんお住まい
になっておりまして、豊橋市は全国でも2番目に日系ブラジル人の方が多いということ
があります。コミュニティ政策学会としても、こういった問題に対して、コミュニティ
政策学会なりに考える機会を持ちたいということで今日のシンポジウムを企画させて頂
きました。
本日は豊橋市で2006年、2007年と調査をされた北海道大学の小内先生を問題提起者と
してお招きすることができました。その後、NHK名古屋の佐藤さん、そして豊橋市で
いろいろ活動をされている自治会の鈴木さん、ボランティア活動をされている榎本さん、
東三河ハートネットで地域と一緒にワークショップをやりながら共生の問題について取
り組んでおられる柳原さん、豊橋市の国際交流課の本間さんということで、全国的視野
から豊橋の現場の方までを交えて、パネルディスカッションを企画しています。
5時までという長い時間になりますけれども、こういった問題について基本的なこと
を学びながら、そして現場でのコミュニティの取り組み、問題解決の可能性について、
議論が出来たらいいなということで、会場の方からもご発言を頂きたいと思います。
それでは最初に、コミュニティ政策学会の会長であります中田先生よりご挨拶を頂き
たいと思います。よろしくお願いします。
中田:コミュニティ政策学会の会長の中田と申します。今日はご参加ありがとうございました。
コミュニティ政策学会と言われても、なかなかピンとこない方が多いかと思いますけど、
コミュニティというカタカナ書きにしておりますが、コミュニティは、社会の基本的な
単位であると思っています。従って複合的、総合的な分野で、このコミュニティという
ものを健全に発展させていくというのが社会の発展の一番の基盤であろうということで、
社会について単にあれこれ批判的に見るだけではなくて、この基盤からどう作り上げて
いくのか、再生、あるいは発展させていくのかということを政策的に考えていこうとい
うのがこの学会の趣旨であります。2002年6月にスタートしまして7年目、まだ若い学
会です。対象が総合的ということでありますので、この問題についてはコミュニティに
関わってきたいろんな分野の研究者、政策的ということになりますと、これを進めてい
く上では行政が大変大きな役割を持っています。そして市民の活動団体の方々、こうい
う単に研究者だけの学会というよりも、市民、行政、研究者を含めた総合的、且つ実践
的な学会として活動しているところです。
- 1 -
毎年1回、全国シンポジウムということで、今回は8回になりますけれども、今年は
豊橋でやらせて頂くことになりました。ご承知のように、世界同時不況の中で、特に外
国人の問題が大変深刻になってきているというのはご承知のところであります。これは
普段、あまり表に出てきていない問題がこういう時期に顕在化してきたということかと
思いますし、同時に日本という社会が持っている格差、貧困の構造の問題が、露呈して
きているということかと思います。
今日のテーマは多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題ということで、主
に外国人の児童、生徒の生活支援、学習支援の問題と言うことで取り上げますけれども、
その前に様々な問題があるというもご承知の通りかと思います。国籍の問題でいろんな
問題がありますし、生活の問題、言葉や文化の問題、様々な問題がここには絡まってい
ると思っております。これからこういう外国の方との共生、1つの社会が一民族だけの
国家なんてありませんけれども、ますます多文化共生型になっていく、そういう中で社
会の一番基盤であるコミュニティというところで、どう共生するのかということは、将
来的に大変大きな問題であろうかと思います。
今日取り上げられるのは、その中のほんの一つの視点からということではありますけ
れども、この問題は単に子どもの問題、豊橋、愛知県の問題ということではない広がり
のある問題であろうと思っております。そういう広がりの問題を今日、皆さんと一緒に
考えていきたいと思っております。
問題提起として、豊橋の調査をされているということはありますが、わざわざ北海道
大学大学院の教育学研究科、小内先生に来て頂くことが出来ました。大変、ありがとう
ございます。それからこの学会は市の行政の方も含めているということですから、いつ
も開催地の自治体と学会の共催という形でこういうシンポジウムを組ませて頂いており
ます。今回も豊橋市に大変お世話になりまして、市の後援ということでやらせて頂いて
おります。合わせて本当はスタートの時には、NHKの名古屋放送局の方もご後援頂く、
一緒にやろうということだったんですが、こちらは上手くいかなかったようですが、大
変いろいろお世話になりましてありがとうございます。これは皆様のご参加があって初
めて成り立つことでございます。
5時までちょっと長いのかもしれませんけれども、報告者の方々も含めて、活発な有
益なシンポジウムになりますことをお願いしまして、ご挨拶とさせて頂きます。どうぞ
よろしくお願い致します。
伊藤:ありがとうございました。それでは早速これから始めたいと思いますが、はじめに問題
提起ということで、北海道大学大学院教授の小内先生からお話を45分ほどですが頂きた
いと思います。先生、よろしくお願いします。
小内:こんにちは。ただいま紹介にあずかりました北海道大学の小内と申します。私は群馬県
の太田市の生まれで、太田市でも特に大泉町のすぐ近くで生まれて、高校までそこで過
ごしておりました。その関係もあり、この外国人問題について、少しずつ取り組み始め
たわけです。既にそれでも14~15年経ちました。ブラジルにも4回程行って向こうの実
状も調べましたし、日本では豊橋だけではなくて、豊橋と浜松と大泉、この3つを比較
しながら、いろいろと調べております。
今日は、豊橋の調査を2006年と2007年にやらせて頂きましたので、それに基づいて、
- 2 -
豊橋市における日系ブラジル人の子ども達の現状と課題ということでお話をさせて頂き
ます。ただ現状と言いましても、今、非常に問題になっております、昨年の後半以降の
未曾有の不況の中で起きている様々な問題、これについては直接、ここでは取り上げる
ことが出来ません。むしろ先ほど中田会長先生の方からお話があったように、実は今の
流動的な話というのは元々本質的なものが浮かび上がってきたものだという観点で受け
止めて頂けたらと思います。元々抱えていた姿、現実というものを今日はお話しさせて
頂くという形で理解して頂ければと思います。もう一つだけ、子ども達の現状と課題と
いうタイトルなんですが、主に今日は焦点を、公立小中学校の親子、それからブラジル
人学校に通っている子ども達とその親御さん、この両方を比較しながら特徴についてお
話をするという形で進めさせて頂きます。
早速ですけれども、この写真は湖西にありますブラジル人学校で調査させて頂いた時
に写した写真です。最初に大前提として、そもそも日本の中で日系ブラジル人がどうい
う形で増えてきて、子ども達がどれぐらいいるのかということから簡単にお話をしてい
こうと思います。皆さんもご存じだと思いますけれども、基本的には1990年、正確に言
いますと1989年12月に新しい出入国管理法というのが出来ました。1990年6月にそれが
施行されてそれ以降、急速に今のような形での外国人が増えたということがあります。
それなので1990年以降の動向について、1990年以降に新しくやってきた外国人という意
味で、ニューカマーという言葉を使います。今お話ししたように、出入国管理法が改訂
されまして、基本的には在留資格、ビザが10程増えました。増やしたことに伴いまして、
ずいぶんと外国人人口が増えていきました。これは違法で入ってきている人達を除いた、
法律的に認められた形で入っている人だけの数です。2007年の段階で、200万人を超えて
います。今、日本の中で外国人としてきちんと正式に認められて日本にいる人達ですね。
1978年に76万人だったものです
から、ものすごい勢いで増えて
いる、3倍弱ぐらいに増えてい
るということです。その人口比
はまだまだ少ないけれども、昔
に比べればずいぶん増えて、1.9
%という形になっています。こ
の辺(1990年)が境になって急
に増えています。これは出入国
管理法の改訂に基づくものです。
どういう国籍の人が多いかと
いうと、つい最近、大きな質的な変化がありました。ずっとトップだった韓国・朝鮮籍
の人達が少しずつ減ってきまして、もちろん新しいニューカマーの韓国人の方も来てい
ますけれども、それを相殺しても結局減り続けているわけです。そしてその代わりに急
速に増えたのが中国です。中国が今、トップになりました。2007年の一番新しい統計で
見る限り、中国籍の方がトップ。それで今話題にしようとしているブラジル籍の人達、
ブラジル人がどんどん増えてきたと言っても、中国よりはその勢いは低いわけです。た
だ順番でいくと、中国、韓国・朝鮮、そして3番目がブラジルという風になっています。
- 3 -
ブラジル人は1986年に2000人しかいなかったのに、今では31万人います。31万人という
数字がどういう数字かというと、日本からブラジルに移民した人達の数、これが戦前か
ら戦後にかけて、全部合わせて25万人と言われています。ですからそれを上回る形で日
本にやってきているということになっています。外国籍の人口の中で14%になっている
ということです。
中国のことは今日は話題ではないので横に置いておいて、ブラジル籍の人がなぜこれ
まで増えたかというと、定住者という新しいビザを出入国管理法改訂の時に作ったんで
す。この定住者という定義は、日系三世という定義です。日系三世の人であれば、それ
を証明するものがあれば、日本に自由に住んでいいよというものです。自由に住んでい
いよという自由の意味は何かと言ったら、活動に制限がないという意味です。どういう
仕事をしてもいいと、仕事をしなくてもいい、とにかく住めると。もちろん年限は決ま
っているわけで、それを更新しなくちゃいけないんですけど。それが作られたというこ
とと同時に、もう一方でちょうどブラジルが1980年代、ものすごく経済的にひどい状況
にありました。千%のインフレーションと言われていたことがありました。そのことも
あってブラジルから日本にやってこようとしていた人達がいた時に、日本ではこういう
資格を作って、これは基本的には日本は景気が良かった時期ですので、それで出来るだ
け3K労働に就きたくないという日本人の代わりになる人達、これを呼び込もうとして
こうなったわけです。
ブラジル人の場合には他の外国人とはちょっと違うところがあります。どういうとこ
ろが違うかというと、家族でやってきたり、あるいは単身でやってきたとしてもすぐに
家族を呼び寄せたり、あるいは子どもも一緒に連れてきたり、さらには日本国内でブラ
ジル人同士が結婚したりして、つまり家族で暮らすという形態が多いわけです。他の外
国籍の人の場合は、どちらかというと単身でやってくる人の方が多く、家族を形成する
と言っても日本人と結婚する場合が多い。けれど、ブラジル人の場合は家族で生活する
というのが多くて、必然的に子どもも増えていきます。実はもうすでに2006年の段階か
ら、14才以下の人口だけで言いますと、外国籍の中でトップになりました。かつてはも
ちろん韓国・朝鮮籍の子ども達がトップだったんですけど、2006年から、日系ブラジル
人の子どもが外国籍の14才以下の子どもの中で一番という形になっています。ですから
必然的に、日本の外国人の子どもの教育問題を考える時には、ブラジル人の子ども達の
問題を取り上げざるを得ないという必然性が出てくるわけです。在日の韓国・朝鮮籍の
人達ももちろん問題は問題ですけれども、日本社会に長い間根付いている部分がありま
して、それとは質的には違うということで、いろんなところで議論がされているところ
です。
さて、日本全体の状況はこれぐらいにしまして、豊橋はどうなっているかということ
で、豊橋のことについてまず統計的なデータを見ると、豊橋の外国人登録人口は2009年
1月1日で、2万人を超え総人口比5.32%、先ほどの日本の総人口比は1.9%ですから、
それと比べれば4~5倍の数字なので、豊橋市の場合、やはり外国人が相当多くなって
いると考えていいだろうと思います。ブラジル人の数だけで言えば、全国の市町村の中
で浜松に次いで2番目に多いというのは皆さん、ご存じだろうと思います。ちなみにこ
の人口比で言うと、一番多いのは先ほど名前を出しました大泉で、大泉は既に16%です
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からもう豊橋の比ではないんです。でも豊橋も日本の中ではかなり高い外国人の割合に
なっているということです。豊橋の場合、特徴的なのは圧倒的にブラジル人が多いんで
す。外国人人口の中で、韓国・朝鮮籍の比率は非常に低くて、これはこの地域の特徴だ
ろうと思います。外国人はどこの地域にも満遍なく住んでいるのではなくて、国籍別に
住んでいるところに偏りがあります。この辺の豊橋とか浜松は、圧倒的にブラジル人が
多く住んでいるという形になっております。どうも最近、今年の1月のデータで見ると、
ブラジル籍に次いで韓国・朝鮮籍を超えてフィリピン籍が2番目になりました。これは
確実な数字をつかんでいませんけれども、いろんな話を聞きますとフィリピン人という
のは、日本人と結婚する人も多いですけれども、ブラジル人と結婚する人も多いんです。
ブラジル人はビザの資格から言うとすごく安定的なビザなので、その人と結婚するとす
ごく安定的に日本で暮らせるというのがあります。ブラジル人と結婚するフィリピン人
ということもこのフィリピン人が2番目になっている原因かもしれません。
子ども達ですけれども、ブラジル人の就学適齢者、つまり小学校1年からだいたい中
学3年ぐらいまでの人達の数ですが、基本的には数字の取り方というのは、公立小中学
校に通っているブラジル籍の人、それからブラジル人学校に通っているブラジル籍の人、
そして外国人登録人口の中で、この2つの学校のどちらにも行っていない人の数、これ
を組み合わせて作ったのがこの表です。これは豊橋市教育委員会で作った資料を見せて
もらいました。一番新しいデータでいくと、公立小中学校に通っているブラジル人の子
どもは63.6%、これが一番多い割合です。それに次いで多いのがブラジル人学校で、2
割です。6割、2割、そして不明者というのが14.8%になります。不明者というのがい
わゆる不就学の人を含んでいるということです。ただ不就学というのは、以前はかなり
問題だと言われていたんですけれども、実は一番の問題は、不就学かどうかも分からな
い場合が問題でありまして、実際には外国人登録をしている人の中から、この2つの数
字を引いた数がこれであって、実際には外国人登録をしているんだけれども帰国してし
まった人とか、あるいは転居してしまった人とか、それが分からないわけですね。数字
だけが残ってる部分もあって、ここでは慎重に不明者という表現を使っているんだと思
います。最近は昨年の後半以
降の不況の中で、不明者では
なくて、本当の意味で不就学
の人はずいぶん増えてきてい
るようです。ブラジル人学校
に通っていたけれども、もう
通うお金がなくなって家にい
させるとか、あるいは何かで
働かせるとか、そういうこと
が多くなってきているようです。
ちなみに全国と比較してみますと、全国とあまり変わりありません。全国と言っても、
全ての自治体ではないですけれども、不就学の実態を調べようということで文部科学省
が補助金を出して調べた数字がまとまっています。それでいきますと公立学校が6割、
外国人学校が2割、残りが不就学。ここでいう不就学というのは実際に不就学だと確定
- 5 -
出来たもの。実際に訪ねていっていた人のことで、不明の数の中にも実際に不就学者が
含まれている可能性もありますけれども、いずれにしても不就学は意外と少ないという、
そういう宣伝として使われる数字であります。ただ6割、2割という点では豊橋も全国
と同じような数字だということです。
さて、これがだいたい全体的な動向ですけれども、公立学校とブラジル人学校に分け
て、我々が調査をした結果について簡単にお話してみたいと思います。最初に公立学校
の子ども達のお話をしていこうと思います。実はブラジル人の子どもが問題だと言って
いるんですけれども、入管法が改定されてからもう20年ぐらい経つわけですね。そうす
ると、必然的に日本生まれの子ども達が増えてくるわけです。我々も調べてみて、本当
に増えているなと印象を持ちました。私たちは、たまたま1998年に大泉町の学校の調査
をしたことがあります。それと2006年に豊橋、2007年に浜松でも同じようにブラジル籍
の子どもについて調査をする機会を得ました。そうしましたら当然のことながら、1998
年の時には調査になった子ども達は100%ブラジル生まれでした。ところが2006年に豊橋
でやった場合に、4割まではいかないですけれども、3割の後半、35.9%が日本生まれ
になっています。その1年後にやった、これは誤差の範囲かもしれませんけれども、浜
松では4割が日本生まれということになっています。ですからいつまでも外国人で何も
分からない人達が日本
にやってきて、そうい
う子どもを育てるのは
大変だ、学校は大変だ
ろうと思っていると、
意外とそうではなくて、
日本生まれの人達が多
いということで、これ
を少し頭に置いておい
た方がいいかもしれないです。
公立学校の場合には、当然のことながら日本の公立学校ですから、日本語で日本のカ
リキュラムで日本の文化を教えていくわけです。日本の文化を教えていく大前提として、
日本語が分からない人には、日本語を覚えてもらうことが大前提ですから、当然のこと
ですけれども、それを教える時間が必要なわけで、それを教えるところが国際学級と言
われるところです。地域によっては日本語学級とかいろんな言い方をするところがあり
ますが、豊橋では国際学級という言い方をしています。この公立学校と国際学級という
のは、今言いましたように、日本語を教えて、日本の文化を教えていくという役割を果
たすわけで、当然のことながらブラジル人であっても、ブラジル人のアイデンティティ
を教育するわけではありません。日本人として育っていくような教育をしている、これ
は別にいいとか悪いとかの問題ではなくて、そういう役割を持っている。そういう中で、
実は日本で生まれて日本の公立学校に行って、日本語を覚えて日本式の文化を覚えてと
いうことになっていくと、だんだんとアイデンティティそのものが変わっていくわけで
す。家庭ではブラジル人の親御さんと生活していますが、日常の生活時間の大半を日本
の学校で過ごしていきますと、だんだんと脱ブラジル人化していくというふうに考えて
- 6 -
いいんだろうと思います。実際に自分がブラジル人だ、あるいは外国人だと感じるのか
という質問を3つの地域で同じようにやったんですけれども、大泉の時には、外国人、
ブラジル人だとは思わない数字が36.6%だったものが、豊橋では半数以上になっている
ということ、だんだんブラジル人だと思わない数が増えているんです。日本語能力も当
然向上していくわけで、たまたま調査票の中に浜松の時点から入れ始めたので、浜松の
ものしか取れてないんですが、日本語と母国語、母国語という言い方も本当にいいのか、
本当は母語の方がいい、母語と言っても日本生まれ、日本育ちのブラジル人の子ども達
の母語は何かと聞かれたら、本当は難しい問題なのでややこしいんですけど、一応ここ
ではポルトガル語としております。そうすると、こういう数字になっています。一番多
いのは日本語もポルトガル語も出来るという子が一番多いんです。その次に、どちらか
というとポルトガル語の方が分かるという人と、どちらかというと日本語の方が出来る
という人を比べると、日本語の方が出来る人の方が多くなってきているんです。両方出
来るという人と、日本語の方が出来るという人が多くなってきていて、だんだんと日本
語能力は、これは自己評価ですから、端から見るとそれで出来るのかというのがあるか
もしれないですけれど、自己評価でいくと、日本語能力は確実に高まっていると言って
いいと思います。この状況はもっともっと進んでいくだろうと思います。
というのは、今日本の学校に入る前に、子ども達は日本の公立の保育所に入るか、あ
るいはブラジル人の託児所に入るか、その2つのパターンしかありません。あるいはど
こにも入れないかですけれども。ブラジル人の託児所に入れると言っても、それも先ほ
ど言った比率とだいたい同じように考えていいだろうと思います。公立の小学校で6割、
ブラジル人学校で2割と同じように考えると、やはり公立の託児所に預ける人の方が多
いと思います。実際に保育所の調査もやらせて頂きました。保育所の調査では、調査を
やった時点で保育所に預けている親が、保育所が終わった後、どういう学校へ子ども達
を進ませたいかという質問をしました。そうしましたら、日本の保育所が終わった後は、
日本の小学校に上げたいという人達が圧倒的多数です。そうすると、保育の現場で保母
さんにインタビューをしたことがあるんですが、全く言葉のない段階からブラジル人の
子ども達を保育所に預けるんです。そこから言語を学んでいくわけです。もちろん家庭
ではポルトガル語かもしれないですけど、日本の保育所の中では日本語です。言葉のな
い段階から、初めて出会うのは日本語になるわけですね。当然のことながら、日本語が
母語になっているのかもしれない。家庭がポルトガル語ですから、そこがまた難しいと
ころですけれども。そうしますと、日本生まれで日本の保育所に入って日本の小学校に
入って、そうしたらいつまでも我々が学校でブラジル人の子ども達にどうやって日本語
を教えなくちゃいけないかという観点だけでものを考えていたら、話がおかしくなって
しまうという状況になっていると思います。今のことを少し一般化した言い方をすれば、
日本生まれのブラジル人の子ども達は、だんだん日本人化してきていると思います。も
ちろんこれに対して、逆に親は心配することが出てくると思います。
今見たのは主に公立学校のお話ですけれども、他方でブラジル人学校の子ども達はど
うなんだろうということです。豊橋には2つブラジル人学校がありまして、さらに湖西
に1つあり、豊橋からかなり通っているんです。ですから湖西のブラジル人学校を合わ
せて3つの学校を調査させて頂きました。それで見ますと、生まれた場所を調べた時に、
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公立学校と比べるとブラジル生まれの人が多いという傾向があります。日本生まれの人
は、公立学校に行っている比率より少ない。そういう意味では自然な形になっているの
かなという風に思います。ただ日本で生まれた人も2割ほどおりました。更にブラジル
人学校に通っている子ども達というのは、想像出来ることですが、日本の保育所に行っ
ている経験は非常に少ないということで3割程度になっております。ブラジル人の託児
所に行っているのも少ないので、もともとブラジルで生まれて、学校の段階になって日
本にやってきたと考えた方がいいのかもしれない。更に、これは実際に体験したことで
すけれども、日本のブラジル人学校に入っている子ども達、これがブラジル人学校の始
まる前の時間は託児所に預けられて、託児所からスクールバスでブラジル人学校に行っ
て、ブラジル人学校の時間が終わったら、またブラジル人託児所に戻って、そして夜遅
くお母さんが迎えに来る。朝早くお母さんが託児所に預けて、こういう生活をしている
子ども達もおりました。これは非常に驚いたんですけれども、実際にいるわけです。そ
れだけ長く子どもさんを預けているということです。
ブラジル人学校は公立小中学校と違って、ブラジル人性を維持するのに貢献をすると
いう意味を持っているわけです。具体的には教育の内容が、ブラジル準拠になっていま
すので、ポルトガル語で授業をやりますし、ポルトガル語を教える、そういう仕組みに
なっています。それからもう一つ特徴的なのは、ブラジル人学校というのは日本社会と
の接点が非常に少ないというのが特徴だろうと思います。実際には、個別の学校によっ
ていろいろと違いが出てくるんですけれども、大まかに言いますと、全体的にはこれが
特徴と言えると思います。それはどうしてかと言うと、一つは託児機能を非常に重視し
てるんです。学校が終わった後も長く面倒を見てあげるというのがあるんです。それで
も足りない人がブラジル人託児所にまた行くということです。学校の方針がどうかと言
うと、ブラジル人学校が出来たばっかりの時には意外と日本の公立学校との交流があり
ました。少なくて珍しかったものですから、交流する相手のブラジル人学校がないんで
すね。大泉にあるブラジル人学校でもその話を聞きました。出来たばかりの時には、日
本の学校で総合的な学習の時間を使って、ブラジル人学校を訪ねたりだとか、逆にブラ
ジル人学校の生徒達が部活に参加させてもらったりだとか、こういうことをやっていた
わけです。ところが今は、ブラジル人学校は、実は朝鮮学校よりも日本の中で数が増え
てしまいました。全国で今、正確な数は分からないですが、91という数字が一番最近、
私が見た数字であります。91のブラジル人学校が全国に出来ております。そうするとど
ういうことが起きるかと言うと、学校間での交流という時の対象が、公立学校ではなく
てブラジル人学校同士になるんです。ブラジル人学校協会というのも出来ていますし、
そうするといつも何かスポーツの交流と言っても、ブラジル人学校同士になってしまっ
て、そういう意味からいくと日本社会との接点がどんどん少なくなってきているという
のが現状だろうと思います。その中で日本にあるのだから、日本語とか日本文化を少し
勉強した方がいいんじゃないかなと思いますが、それは非常に少ないです。
実際にはブラジル政府が日本にあるブラジル人学校を、ブラジルの正式な教育機関と
して認定する制度がありまして、それを認定するためには、最低1時間、1コマは日本
語を教える時間がないと認めてくれません。そういうことはありますが、最低ラインに
しているところもたくさんあります。たまたま一つの学校の例ですが、日本語というの
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は、1週間の時間割の中のたった1コマで、これで日本語が出来るようになるとはとて
も思えません。もちろんブラジル人の教育をやるわけですから、いらないと言えばいら
ない。実際には日本語のことは教えていない。ですから日本語能力は当然低いわけで、
ブラジル人のアイデンティティが維持されるという上では非常に有効だと考えてもいい
のかもしれない。この数字を見てもらえば、日本語はなかなか身についていないことが
わかります。身につける場所がないですから。
こういう公立学校とブラジル人学校の子ども達の様子を見てくると、スローガン的な
言い方で大まかに言ってしまえば、分化、分離するブラジル人の子ども達という言い方
が当てはまるのではないかと思っています。分化するというのはどういうことかと言う
と、公立学校の子ども達全員がそうなっているわけではないですけれども、傾向として、
日本人化していく子ども達というふうに特徴づけられるだろうと思います。これに対し
てブラジル人学校の子ども達はブラジル人性を維持している。分離するというのは、先
ほどもお話したように、公立学校とブラジル人学校の子ども達、同じブラジル籍の子ど
も達なのにも関わらず、交流する機会が非常に限られて別の世界に生きているというふ
うになっているのではないでしょうか。もちろんブラジル人同士の子ども達だけではな
くて、日本人の子どもとブラジル人の子どもも、公立学校では当然交流というか、一緒
に生活しているわけですが、ブラジル人学校の子どもと日本の学校の子どもが接する機
会が非常に乏しいということになっています。
今度は親御さんと子どもさんの意識について少し触れてみたいと思います。公立学校
の方から見ていきますと、公立学校の親御さんの意識で最初に確認しておく必要がある
のは、ずるずると長期滞在が進んでしまう問題がよく指摘されています。しかし、この
問題を見ますと実は定住化を意識する親御さんも増えてきているということがあります。
これだけ長く住めば当然それは言えることかと思います。豊橋で見た場合には、とにか
く日本に残りたいというのが、4割弱まで増えてきています。36.3%。意外と昔と比べ
ると増えてきているわけです。何があってもとにかく帰国するというのは1割しかいな
くて、やっぱり条件が整ったらというのが多いです。この条件はもちろん母国の経済状
況が改善されたらが多い。日本は今未曾有の危機だといわれていますけれども、ブラジ
ルはそれに対してBRICSの一角で、経済成長を遂げつつあるといわれていますけれ
ども、やはりなんといっても経済状況を見ると日本の方がずっといいわけで、この経済
状況が改善されたらというのは、いつまでたってもなかなか実現しない。今、十何年住
んだ人が帰ったりしています。ところが、ブラジルで発行されている日本語の新聞の記
事を見てみますと、向こうの人たちも心配しておりまして、日本に戻ってくることを考
えるときに、二回考え直せというスローガンが出ているそうです。やっぱり仕事がなく
なったから帰るといっても、向こうに行っても仕事がないんです。それに仕事がないだ
けじゃなくて、こちらに十年以上住んでしまうと、ブラジルの文化と全然違った文化の
中で生活していますから、なかなか向こうに再適応が難しいということで、向こうの日
系の研究者の中で、帰国症候群という言葉が作られたりしています。これは大人もそう
ですし、子どももそうです。子どもがもし公立学校に入っていて、日本語しか出来なく
なっていた人が、親御さんに連れられてブラジルに帰って、ブラジルの学校に通っても
結局適応できなくて、そっちの不就学になったりするんです。その問題も出てきている
- 9 -
わけで。ですからこれは条件が整ったら戻るということなんですけども、これがなかな
かはっきりしないということで、展望が明確に出せないという人たちが多くいるという
ことです。後で数字を見てもらえば分かると思いますけれども、親御さんたちは子ども
達に日本語を学んで欲しいということで、学校はそれを学ぶいい機会、いい場所だと思
っています。その日本語習得を望んでいるので、そのために日本人との交流というのも、
親から見れば大きな望みになっています。日本人と交流して日本語をきちんと学んで欲
しいという考え方です。その背後には親御さんたちの高学歴志向というのもあって、や
っぱり日本の学校で学んでいくのならば、日本語がよく出来ないと学歴を高く出来ない
という、学歴に対する期待です。日本人と比べたらすごく高い。特に大学院までの期待
が3割とか出てくるわけですから。
しかしもう一方で、母語も学んで欲しいという気持ちも非常に強いようで、日本の学
校で母語を使うのは当然だという考え方や、日本の学校でも母語教育、この母語という
のはポルトガル語ですね。これを教えて欲しい、教えるべきだというのが7割もいるわ
けです。ですからどちらかと言うと、バイリンガル志向ということになるんだろうと思
います。その背景には、当然家庭での会話の問題があって、家庭では親御さん達は日本
語がきちんとできない人が多いですから、そうするとポルトガル語で会話をするのに、
日本の学校に行っちゃうと日本語しか出来なくて、会話が出来ないという悩ましい問題
が出てくるわけです。両方出来れば子どもさんに通訳をやってもらうことになります。
子どもと会話をするときには基本的にはポルトガル語が多いということで、公立学校の
場合で6割、日本語で会話をするのは1割しかいないわけです。ブラジル人学校はもっ
と極端ですね、当然のことですけれども。
教育に無関心なブラジル人という言い方をたびたび耳にすることがありました。私が
大泉の調査をやった時には、7つの学校を回ったんですけど、全ての校長先生が言って
ました。何でこんなに無関心なんだと。子どもを預けっぱなしにして、託児所の代わり
にしてというふうに言っていました。でも調査をするとすごい高学歴志向だし、バイリ
ンガル志向だし。その気持ちをちゃんと家庭教育の中で活かしてるのかという責め方も
できますけど、実際の意識そのものは非常に教育熱心だという部分も見られるわけで
す。ですからそういう意味では教育に無関心なブラジル人という我々の見方自身、これ
も少し見直す必要があるのかなと思います。ただし、親御さんに責任がないわけではな
くて、それだけ教育熱心なのに、子どもの将来に関してはなかなか本当に展望を見出し
ていないという、そういう姿があると思います。というのは、親御さんが、じゃあ公立
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学校を出たら日本の学校で最終学歴をとるのか、そう望んでいるのかなと思うと、必ず
しもそうではないんです。日本で日本を最後の学歴にしたいという人は50%きっている
わけです。ブラジルの学校に行って欲しい、最終学歴の大学や大学院が2割弱いるし、
あるいは、3割は子ども任せというのもいるわけです。これはまだまだ最初に言った、
将来展望、帰国するかどうか不明確だということと少し関係しているんだと思いますけ
れども、こういう状況にあると言えるだろうと思います。
他方、ブラジル人学校の場合どうかというと、ブラジル人学校は公立学校に子どもさ
んを上げている親御さんと違って、はっきりと帰国を前提にしてブラジル人学校に入れ
ています。ブラジルで進学するためにというのが約9割弱。そういう意味から言えば、
日本人が外国に日本人学校を作っていて、日本人学校に行かせて帰国したら帰国子女と
して日本の大学に行かせる、そういう発想と同じだと見ることも出来るわけです。子ど
もさんもその考え方を受け継いでいます。従って、日本の学校にはほとんど行った経験
がないという状況です。2割ぐらいしか行ったことがない。よく言われることですけれ
ども、日本の学校にあげてたんだけれども、いじめとか日本の学校文化に合わないから
転校したんだという言い方をする人がいますけれども、それもいないわけじゃないです
けれども、多数派ではないです。基本的に最初から日本の学校に行かせずに、ブラジル
人託児所とか、ブラジル人学校に通わせていると考えた方がいいと思います。ただその
選択をする一番の中心人物は誰かというと、やっぱり親なんです。子どもよりも親で、
親がそうさせているんです。それは当然最初に言ったこととも関係しますけれども、親
が将来帰国するという気持ちが強いので、なんとしても帰国するというのは56.9%、さ
っき公立学校の数字が1割ですから、ずいぶんと違うんです。帰るということの気持ちの
強い人たちです。ただ、複数回答でどうしても帰ると言いながら条件付のところにも答
えている人も多くて、そういう意味ではそんな確信を持っているわけではない。
それから先ほど言うのを忘れましたけれども、治安の問題というのが実はすごく大き
いんです。私もブラジルに4回ほど行きましたので、いろいろ話を聞きました。ブラジ
ル人の人たちは、日本の治安の良さというのは、すごくありがたがっているんです。こ
んな治安のいいところに住んだら、ブラジルには帰れない。身体性も変わってしまうそ
うです。ブラジルにいるときの体の動かし方というのは、常に何かに襲われないかと用
心しながら歩いているらしいんですけれども、日本に来たら全く無用心になるらしくて、
これは身体性も変わってきちゃっている。長年日本に住んでいた人がブラジルにたまに
帰ったら、何でそんなバッグを気をつけないで持ってるの?という風に言われるらしい
んです。ブラジルでタクシーに乗ったときに、日系人ではない生粋のブラジル人が運転
してたんですけれども、私は日本に行きたいというんです。何故行きたいんですか?と
聞いたら、だって安全でしょって。こんな危ない国はイヤだといいながら自分も赤信号
を渡ってましたけれど。すごい国だなと思いました。
- 11 -
このブラ
ジル人学校
に通わせて
いる親御さ
ん達も高学
歴志向なん
です。この
数字、比較
してみれば
分かるんで
すが、公立
学校に子ど
もを預けて
いる親御さ
ん以上に、高学歴志向です。だからその高学歴をブラジルで実現したいと思っているの
かもしれないですね。こうなってくるとブラジル人学校に子どもを預けている親御さん
は、ブラジルを目指して、ブラジルに帰国することを目指して勉強させていると想像で
きるのですが、同時に意外なことに、ブラジル人学校に対して日本語、あるいは日本社
会に触れる機会、これを要求してるんです。ブラジル人学校に望むことを聞くと、日本
語をきちんと教えて欲しいというのが出てきます。これもある意味、日本に住んでいる
のだから真っ当なことかもしれません。全くそう思わない、あまりそう思わないという
人は本当に少ないんです。とてもそう思うというのがすごく多いんです。それだったら
日本の学校に行けばいいだろうと思うんですけれども、やっぱりさっき言った将来展望
が違うのかもしれない。それから日本の社会に触れるような機会を作って欲しいという
のも多いです。ですから彼ら自身は自分から望んで、日本社会からの接触を絶っている
というわけではなくて、少なくとも子どもには日本社会とうまく触れ合って、日本語も
身に着けて欲しいと思っているのだけれども、ブラジル人学校でそういう運営方針を持
っているところは非常に少ないです。そういう中で、やっぱり将来に対して親御さん達
は揺らいでいるところがあって、あれだけブラジルに帰る、ブラジルに帰るのを前提に
ブラジル人学校にあげていると言っていたのに、最終的な学校についてはそれほどでも
ないんです。ブラジル人学校の通学理由で、ブラジル進学と答えたのは88%、9割弱い
たのに最終的な学校、これをブラジルだと望んでいるのは65%しかいないんです。実際
には子ども次第だという言い方になっちゃうわけです。将来がはっきりしているからブ
ラジル人学校にあげていたという風に見えていたんですけれども、本当のところを探っ
ていくと、意外とそこも揺らいでいるのが現状だろうと思います。
公立学校とブラジル人学校の両方を比較して違いと共通点を考えてみましょう。違い
としては、生まれた場所、将来展望があります。共通点として両方とも高学歴志向、特
にブラジル人学校の方が強かったですけれども、日本人と比べれば高学歴志向です。そ
れと同時に日本人とか日本社会との接触とか交流の要求というのは、どちらの学校の親
御さんも共通して、要求を持っていたと考えていいだろうと思います。更にどちらの学
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校ともバイリンガル志向を持っていた。にもかかわらず、どちらの学校の親御さんも子
どもの将来に関しては揺らいでいたと言っていいだろうと思います。
時間もなくなってきたので最後に課題と展望についてふれます。公立学校の場合には、
これからのことを考えたときに、日本語を出来るだけ覚えるようにするとともに、学業
達成とか進路の問題をきちんと保障するような取り組みをしないと、現実に合わなくな
ってきているのではないかということです。日本語指導から日本語指導プラス学習指導
という考え方をきちんと据えなければいけないだろうと思います。同時にバイリンガル
志向の親御さん達、日本の社会と交流して欲しいと思っている親御さんがブラジル人学
校にたくさんいるのに、何で日本の学校にあげないのかと言ったら、日本の学校にあげ
るとなんだか窮屈だとか、そういう感覚もあるんだと思うんです。ですから、公立学校
ではもう少し柔軟な教育システムというのを作っていく必要があるんだろうと思います。
受け入れ態勢もそうですし、母文化に配慮する必要もあるのかもしれません。受け入れ
態勢の面では、例えば日本ではどうしても学齢主義がありますので、年齢で学年を決め
てしまいますけれども、日本語の能力に応じて学年を年齢よりも低いところに入れてあ
げるとかも考える必要があります。浜松では1年に限りそれをやっています。2歳を超
えてはやってないみたいですけれども。ですからそういう工夫とか、あるいはブラジル
人が多い学校に行きたいと言ったら行かせてあげるとか、いろいろな柔軟なやり方とい
うのも必要になってくるのかもしれないです。
それ以上に大きな問題を抱えているのは、ブラジル人学校だと思っております。公立
学校とか日本社会との交流がなかなか出来ていないという問題があります。ブラジル人
学校には、ブラジル政府がブラジルの学校として認可しているところが90いくつのうち、
半分ぐらいあります。ただ、ちょっと大胆な言い方をするんですけれども、学校として
みると怪しいところがあります。ブラジル教育省にも行ってインタビューもしました。
ちゃんと日本のブラジル人学校を見たんですかと言ったら、以前は見ないで認可してた、
書類だけで審査してたって言ってました。ただ最近は、年に1回来る機会があって、そ
こでちょっと見ているんだそうです。そうすると、校庭がないことも知ってるし、建物
が工場の跡だったり、あるいは結婚式場が倒産してその跡だとか、そういうのは見て知
ってるそうです。でも日本は国が小さいから、敷地が小さくてもしょうがないと答えて
ましたけど。すごく条件が悪いんですね。非常に劣悪な教育環境で、それを改善するこ
とが必要なわけで、我々はどうしてもそこにお金をあげて、補助金を出して、何とか手
助けをして各種学校にしてあげてって考えるんですけども、どうもその路線だけでいい
のかなという気がしてくるんです。やっぱりブラジル人学校はもう一方でエスニックビ
ジネスの側面があって、金儲けのところもあるんです、当然のことながら。ですから授
業料も高い。それはブラジル人の中でもそういう意見を持っている人もいます。だけれ
ども、ブラジル人学校は商売でやっているのはおかしいと、なかなか日本人サイドから
は言えない。それだったらもうちょっとブラジル人学校に通っている親御さんの要求も
含めて考えたら、基本的には公立学校にあげて、母文化、母語を学習するための補助学
校としてブラジル人学校を位置づける。こういう考え方だってあるんじゃないかと思い
ます。そうすると授業料、時間が短いから日本の学校終わってから行く、あるいは土曜
日に行く、そのために授業料は少なくて済む、それだったら補助金を出してあげられる、
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そうするともっと安くなる。もちろん完全に帰国を前提にしている人もいるから、全て
をそうしてしまったらまずいのかもしれないですけれども、多くの場合、そういう改善
の仕方というのもあるのかなと思っています。実際に非常に劣悪な教育環境で授業料も
高いですから。
これはこの不況の中で、愛知県が県下のブラジル人学校に依頼して調査をした数値だ
そうです。2008年5月にいた生徒のうち、2009年1月にどれだけ残っているかを調べた。
1,155人がいなくなったんです。どれくらいがブラジルに帰ったか分からないですけれど
も。ブラジルに帰った人も含まれていると思いますし、不就学になって家の中にいる人
もいるだろうと思います。それからなんといっても、ブラジル人学校の親御さんも、公
立学校の親御さんも、いろんなことを考えているみたいですけれども、最終的に子ども
の将来についてはやっぱり揺らいでいてはっきりしない。自分達の出稼ぎのことを中心
にして考えているわけですから、これはある意味当然かもしれません。もうちょっと子
どもの未来をベースにした教育展望、教育戦略を考えないと、いくら周りがいろんな条
件を作ってあげても難しいんだろうと思います。
最後に、これからどのようなことが展開するか分からないんですが、ブラジル人の場
合には日本に定住するか帰るか、この二者択一じゃないですね。行ったり来たりという
人もいるんです。それを考えたときには、そういう姿はブラジル人だけに限らず、世界
各地で起きる可能性があるわけです。そうしたらトランスナショナルという難しい表現
ですけれども、国を超えて行き来しながらでも教育がつながっていくような仕組み、こ
れを作っていくということが、遠い将来の課題になっていくんだろうと思います。日本
の学校を出てもブラジルの学校につながっていかなかったり、あるいはブラジルの学校
を出てもその学歴が日本で意味を持たなかったりというのが、現状です。世界の中では
これを乗り越えるような仕組みの学校が、ほんの少しですけれども出てきております。
私がブラジルに行って訪問した学校、これはすごくリッチな人向けの学校の話しです。
ブラジルはすごい格差社会です。ドイツ系の学校で、実はここはドイツの正式な学校と
して認められているし、同時にブラジルの正式な学校としても認められております。実
際に行き来するかどうか分からないですけれども、子ども達はどちらの学校も出たとい
う学歴をとれることになっています。ただ残念ながらすごいお金持ちの学校なので、普
通の人はなかなか行けない。今のところ、普通のブラジル人を含めてそこの仕組みを作
っていくというのはなかなかすぐには出来ないことだと思いますけれども、遠い将来に
はこういう視点を入れないと、なかなか問題は解決しないだろうと思います。
伊藤:どうもありがとうございました。私は2年前に豊田にある愛知学泉大学に勤めましたが、
豊田には保見団地というのがありまして、初めて行ったときにこれはなかなか大変なこ
とだなという思いがしました。今、母語の話がありましたけれども、親とのコミュニケ
ーションの問題や、抽象的な思考を支えていく言葉を獲得するというところに、非常に
困難を抱えている、そういう子ども達の問題をどう考えたらいいんだろうということが
全く分からなかったんですが、豊富なデータと全体的な話をしていただくと、なるほど、
そういうことかというふうに、少し考える手がかりが出来たような気がします。どうも
ありがとうございました。実は今日、小内先生を紹介していただいた、都築先生が学泉
大学からいらしてます。都築先生も小内先生と一緒に調査をされているそうですので、
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また後ほどパネルディスカッションのときにでも会場から発言いただければと思います。
それでは引き続き、長くなりますけれども、休憩はパネルディスカッションに入る前
ということで、事例報告を3題続けて行いたいと思っています。
実は昨年、テレビを見ていたときに、NHKがポルトガル語との2か国語で番組を放
送しますと聞いたときに、NHKはこういうことをやるんだなということが頭に残りま
した。今回の企画を進める時に、何かNHKがこの問題に取り組んでるんじゃないかと、
気になって飛び込んでいったんです。そうしたら確かにそういう取り組みを意識的にし
ておりますというお話を伺って、今回是非、そのことを話してもらうようお願いしまし
た。またNHKなりの取材の中で捉えている現状についてもお話を伺えればということ
で、今日、かなり無理を言いまして、年度末のお忙しいところ、佐藤さんという編成の
方に来ていただきました。佐藤さん、お願いいたします。
佐藤:NHK名古屋放送局の佐藤と申します。今日お話しする機会を頂きまして、ありがとう
ございます。主催者の皆様、後援の豊橋市の皆様、ありがとうございます。
今日は、NHK名古屋放送局が昨年4月から始めたいくつかの在日ブラジル人向けサ
ービスを簡単ですがご説明させて頂きます。サービスを開始したのは昨年4月からでし
て、ようやく1年が経ちますが、検討を始めたのは2年前、2007年の夏ごろからでした。
最初に、NHK名古屋放送局はどういう視点に立ってサービスを考えているのかをご
説明します。NHK名古屋放送局が第一に考えたのは、生活習慣や文化などお互いの違
いを理解し合う場、もしくは日本人もブラジル人も共に感じたり楽しんだり出来る機会
を作ることでした。例えば、同じ地域に暮らす者同士が議論を重ねて悩みや課題を解決
する方策を考える番組があってもいいと思いますし、違いを越えて共に感動できるイベ
ント、日本の文化をブラジル人の方に知って頂くことと同時に日本人にとっては改めて、
日本にはこういう良さがあると実感して頂けるような発信をしていくことです。
そうした方針に基づいてNHK名古屋放送局が提供しているサービスを、具体的に紹
介させていただきます。1つ目は、FMで放送している「FMトワイライト」(月~金・
午後6時開始・中部地方向け)です。日本語とポルトガル語を話すことができるパーソ
ナリティを金曜日に迎えました。ブラジル・サンパウロ出身で日系三世の歌手・南かな
こさんです。ブラジルの音楽、情報、日本の生活情報を提供している番組です。
次にポルトガル語のポータルサイト(http://www.nhk.or.jp/brasil/)を、昨年の5
月から立ち上げています。ポルトガル語で提供している色々な情報のリンク集が中心で
す。NHK独自のコンテンツとしては、東海地方のニュース、総合テレビの番組「週刊
こどもニュース」の「今週の大ハテナ」をポルトガル語で提供しています。この企画は、
1週間の間に起こった出来事をひとつ取り上げて、子どもが理解できる優しい言葉で分
かりやすく解説するものです。これをポルトガル語に翻訳してホームページに掲載して
います。さらには、在日ブラジル人コミュニティでは有名な有識者が執筆するコラムを
掲載しています。
ラジオ第2放送で、愛知県、静岡県、岐阜県、三重県の東海地方で午前1時から「ラ
ジオジャパン・フォーカス」(毎日・午前1時開始※木・金は午前0時40分開始・東海
地方向け)というポルトガル語のラジオ番組を放送しています。この番組は、海外向け
のNHKラジオ国際放送の番組です。時事トピックスの解説、日本文化を紹介する企画、
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日本語講座といった内容を毎日放送しています。
また、一昨年に豊橋市で開催させて頂きました「ラティーノ・ノドジマン」という、
南米出身者の方が日本の歌を歌う「のど自慢」形式の公開番組を開催しています。昨年
は名古屋市で開催しました。昨年は、ブラジル移住100周年という節目の年で、おかげさ
まで大変盛り上がりました。日本人もブラジル人も一緒になって感動したり、笑うこと
ができるなどご好評をいただきました。私たちがサービスの理念として掲げた「共生の
場」づくりのお手伝いが、微力ながらもできたかなという手応えを掴んでおります。今
年も第3回目を実施したいと考えています。
ここまでNHK名古屋放送局が独自に取り組んでいる地域サービスをご紹介しました。
ほかにも、全国に向けて提供しているサービスとしては、1つはラジオ第2放送の午後
6時半からポルトガル語による国内外の最新ニュースを放送しております。土日は6時2
0分からになります。また、緊急時の多言語放送があります。大津波警報、津波警報、東
海地震の警戒宣言が発表された時に総合・衛星第1・衛星第2・衛星ハイビジョンのテ
レビの副音声、ラジオはラジオ第2放送を使って、英語、中国語、韓国・朝鮮語、ポル
トガル語の4か国語による緊急放送を行うものです。しかしまだ、実際に放送したこと
はありません。
最後に今後に向けてお話しさせて頂きたいと思います。今年1年、取り組んできた感
想ですが、NHKだけでサービスの充実を図ったり、共生の場を図っていくのは限界が
あると私自身は感じています。ですから今日、たくさんの方がお見えになっていますけ
れども、実際にブラジル人へのサポートや支援活動をされている皆様と力を合わせてや
っていきたいと考えています。例えば、1つにはポルトガル語ポータルサイトへ情報を
お寄せいただくこと、または皆様のアイディアや発想を生かしてこのポータルサイトを
自由に利用して情報を受発信していくということもできるのではないかと思います。ポ
ータルサイトを核としたやりとりを通じて、人的なネットワークが構築されて、どんど
ん広がっていけば、在日ブラジル人向けサービスがより多彩で豊かなものになっていく
と考えております。2年目を迎えたNHKのポルトガル語サービスは、皆様のお力を借
りながら、充実を図っていきたいと考えております。
今日お配りした資料に、私の連絡先等も記載しております。情報なりご相談なりお寄
せ頂ければと思っております。どうもご静聴、ありがとうございました。
伊藤:ありがとうございました。是非、この会場に来られている方も、佐藤さんの方に情報提
供をして頂ければと思います。このシンポジウムを組むにあたって、どういった情報を
取り上げたらいいのか、ほとんど情報がなかった段階で、何人かの先生方、淑徳大学の
小島先生にもお聞きしに行って、私なりにいろいろ考えました。そんな中で豊橋市の公
営住宅の壁画を子ども達と一緒に、大学生のボランティアの人達と自治会の人達で作っ
たという話を知ることが出来ました。そういう手作りの現場の話を、データも押さえつ
つ、現場ではどういうことかというのを見ていきたいと思います。次の事例をお聞きし
たいと思います。
資料では最初に、CSN豊橋の榎本さんと書いてあるんですが、パネリストとしてお
呼びしている岩屋住宅の自治会長の鈴木さんから最初にお話を伺って、そして榎本さん
の方に引き継いで頂きたいと思います。鈴木さん、よろしくお願い致します。
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鈴木:皆さん、こんにちは。ただ今紹介にあずかりました、岩屋住宅の鈴木です。では岩屋住
宅の状況について説明させて頂きます。現在、岩屋住宅の所帯数は200で、そのうち70所
帯が外国人が占めている、約1/3が外国人が占めている状況になっております。
今、やっている取り組みについて説明させて頂きます。ここでは3点ほど主なものを
紹介させて頂きます。1つ目は昨年の4月、NHKで紹介されました、地域共生懇談会
を岩屋住宅で行っているということです。これまでに3回程行いまして、外国人の参加
を積極的に呼びかけたところ、だいたい40名ぐらい参加して頂き、大変盛況でした。2
つ目は学生ボランティアCSNの活動を地域の活性化に結びつけたことです。子ども達
の学習支援や慣れない生活のサポートをしてくれています。具体的には夏休み中や毎週
火曜日に子ども達の勉強を見てくれます。勉強だけではなく日本の伝統文化も体験する
ことが出来ました。昨年7月には七夕祭りを開いて、みんなで楽しむことが出来ました。
また、ゴミの始末が出来ない子ども達のためにゴミ箱を作って、一緒に作業することで
ゴミについて考える機会を作りました。3つ目は岩屋住宅の壁面の落書き消しを行った
ことです。前々から壁面の落書きが絶えず困っていたところ、住宅の壁面に子ども達の
絵を描いてきれいにするという提案がありまして、早速自治会、CSN、豊橋市、住宅
課に中心になってもらいまして、地域の塗装業者もこの考えに賛同して頂き、資材を無
償で提供して頂き、多くの子ども達が集まってくれて、いろんな絵を描くことが出来ま
した。これはありがたく思っています。
これらの活動の結果、次のことが言えると思います。地域共生懇談会を開いたことで、
お互いの考えを知ることが出来、いろいろな問題が少なくなりまして、これまで以上に
住み心地の良い住宅になったと思います。ゴミステーションのゴミの始末がきちんと出
来、住宅地内がきれいになりました。早く出勤する外国人の意見を聞いて、ゴミを捨て
られる時間を60分延長したからです。CSNの活動が外国人の日本の慣れない生活を支
えていることは間違いありませんが、言葉や習慣の問題をこのように日常的に支援して
くれることは、子どもにとっても大きな成果があると思います。壁画については、自分
達の住んでいる家をみんなで一緒にきれいにするという、心を一つにした同作業を通し
て、人と人とのつながりが出来たと思います。また子ども達の想いのこもった絵は、住
宅をこれまで以上にきれいにすると共に、そこに住む人間の心もきれいにしてくれたと
思います。これまでの状況の発表はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうご
ざいました。
伊藤:鈴木さん、短くてすみません。またディスカッションの中で補足して頂きたいと思いま
す。鈴木さんは大工さんなんですよね。いろいろ今の活動の中に専門性が発揮されてい
ると思います。じゃあ引き続きまして、CSN豊橋の榎本さんにお願いしたいと思いま
す。
榎本:はじめまして、こんにちは。CSN豊橋の榎本と申します。よろしくお願いします。慣
れないので間違えたらすみません。CSN豊橋という団体の紹介をまずさせて頂きたい
と思います。皆さんご存じの通り、豊橋には約38万人の人口のうち2万人の外国籍の方
が住んでいます。それは20人に1人は外国人ということになります。その外国人の人達
は、どうして日本に来たかと言ったら、やっぱり仕事のため、先ほど出た言葉をお借り
すれば出稼ぎのために来ています。そういった家族で来た人達は、子どもがいるんです
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けれども、子ども達はやっぱり親の都合で来日しているので、留学生とか、本当に日本
に興味があって日本のことを自国で勉強してから来ている人とは違って、チンプンカン
プンで日本に来ている子ども達ばかりなので、日本の文化や言葉についていけない子ど
も達は、どうしても言葉の壁や心の壁の問題が出てきてしまいます。そういった子ども
達をサポートするのがCSN豊橋の役目です。CSN豊橋というのは、浜松学院大学準
教授の津村先生がまず作ったんですけど、その先生のゼミの生徒達が中心になって作っ
たものが浜松に出来ました。その浜松支部を拠点に、どんどん、その支部が出来ていき
ました。次の年から豊橋、静岡と増えていって、現在は豊橋、静岡、名古屋、浜松の4
支部があります。その中の一つの豊橋支部が私が所属している支部です。愛知大学や豊
橋技術科学大学の学生が参加しています。主な活動地域は岩田団地と岩屋住宅の集会所
です。在日外国人児童の就学及び家庭内で抱える問題を見つめ、学習面や精神面、また
生活面でのサポートをしていくことが私たちの活動の意義です。また課外授業を地域住
民と一緒に行うことで、子ども達に社会性を身につけさせるということにも取り組んで
います。このことについては後ほど、詳しくお話ししますが、課外授業というのは勉強
だけではなく、先ほど岩屋住宅の鈴木さんんがおっしゃっていた壁画のことだとかゴミ
のことだとか、そういうことです。
私たちのメインの活動はひまわり教室です。これは外国人の子ども達を対象に、毎週
火曜日と木曜日に開いている活動です。火曜日に岩屋住宅の集会所をお借りして夕方に
やっています。岩田団地の集会所では木曜日にやっています。これがひまわり教室の様
子です。左が岩屋住宅の教室で、右が岩田団地の教室になります。イメージとしては塾
という感じで、授業をやっている感じでもないし、託児所みたいに預かるだけ預かって
遊んでという感じでもなく、寺子屋みたいな感じです。やはり外国人の人達は工場で働
いている人が多くて、子ども達の親も一緒で、工場で働いている親が多いんですけど、
そうするとどうしても帰りが遅くて、例えば岩屋住宅だと6時から始まって7時半に教
室が終わるのに、まだ家に帰ってもお父さん、お母さんが帰ってないという子どももい
たりして、結構、夜遅くまで、暗くなってからでも集会所の前の広場で遊んでいる子ど
ももいます。そういった子ども達のお母さんは帰りは遅いけど、ここに来れば寂しくな
いよという感じで、私たちの教室に居場所を求めて来る子ども達もたくさんいます。ま
た公立の学校で出た宿題が日本語なので、分からない問題が出てきた時に、家だと、ど
うしてもお父さん、お母さんが日本語が分からなかったり、日本の教育がよく分からな
いお父さん、お母さんだと、ここが分からないから教えてって言っても、ちょっと分か
らないってなっちゃって、どこかで教えてもらえるかといっても塾に通ってるわけでも
ないので、ここに来て大学生のお兄さん、お姉さんみたいな存在の私たちに勉強を教え
てもらってます。
私たちのひまわり教室では、毎週火曜日と木曜日に勉強会をやっています。他に毎年
夏休みに遠足に行くのと、11月に愛大祭に行く社会見学をやっています。愛大祭に行く
理由というのは、日本人の子どもはやっぱり中学を卒業したら高校に進学して、高校を
卒業したら働く人もいますし、大体は専門学校や大学に進学するというのが当たり前で、
基本的に中卒という認識はあまりないですよね。でも外国人の子どもは、中学を卒業し
たらすぐにでも働いて欲しいと思っている親御さんもいますし、中卒ですぐ働く子ども
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もいますし、高校とか大学というのを進路の1つとして考えていない子どもがかなり多
くて、進学率もすごく悪いです。最近では大学や高校に通っている外国人の子どももい
ますが、それでも日本人の子どもと比べると進学率はすごく低いので、子ども達に大学
祭という機会で、大学を見てもらって、こういうところで勉強したり生活したりすると
いう進路もあるんだなと、自分の進路の中には仕事をするという進路だけじゃなくて、
大学に行くという、大学のみではないですけど、専門学校や高校という進路もあるんだ
なということを知ってもらいたくて、愛知大学の学祭に連れて行っています。
先ほど言った課外活動の1つとして、団地の中の花壇をお借りしてひまわりを育てて
います。なぜひまわりかと言うと、私たちの教室の名前がひまわりだからです。その花
壇が団地の中にあるということで、子ども達がやっている活動を団地の住民の方みんな
が見るじゃないですか。そうすると、頑張ってるんだなっていって手伝ってくれる団地
の住民の方もいますし、水をやったりするのを手伝ってくれたりとか。これは岩田団地
の活動の様子なんですけど、去年は岩屋住宅でトマトの栽培をしたんですね。トマトは
私たちはトマトについて全然知識がなかったんですけど、住民の畑仕事をやったことの
ある方が、こうやって耕すんだよとか、雑草はもっと定期的に抜いてとか、そういった
助言をたくさんしてくれて成り立っていったんですね。去年の夏にはすごく大きくて美
味しいトマトの実がなって、みんなで食べたんですけど、そういう風に課外活動を通し
て、住民と子ども達が向き合えるようにしています。
ちょっと嫌な話なんですけど、数年前に外国人の子どもが騒いでてうるさいといって、
水をかけた方がいたらしいんですよ。子ども達はやっぱりショックで、うるさくしたの
は確かに悪かったけど、水をかけられたと文句を言ってたんですね。そういった人がい
たのが現実だったんですけど、今は、子ども達が遊んでてもこんにちはと言って挨拶を
してくれる住民の方がほとんどですし、私たち学生に対しても「今日、ひまわりの教室
の日?」と声を掛けてくれる方もたくさんいます。ちょっとずつ住宅内が変わっていっ
たなというのを肌で感じています。
地域の問題は自分達から働きかけるということで、先ほども少し鈴木さんの方からあ
りましたが、ゴミについて考えることに取り組みました。岩屋住宅は2年前までポイ捨
てがすごくて、住宅内にゴミがたくさん落ちてたんですね。それが結構当たり前で、汚
い住宅だったんですよ。それで住民の方から、子ども達のポイ捨てがすごくてね、どう
したらいいかねという相談をCSNが受けまして、それで子ども達に何でポイ捨てしち
ゃうのかと聞くと、面倒臭いという理由がほとんどだったんですけど、その中にはゴミ
箱が近くにないからとか、ゴミ箱が汚いからとか、そういった理由が出てきて、環境に
も問題があると思ったんです。最近の日本の傾向として、ゴミ箱を置かないという傾向
があって、ゴミは自分で持って帰るというのが当たり前になってきたんですけど、それ
はどうしてかと言ったらゴミ箱を管理する人がいないからゴミ箱を置かずに自分で持っ
て帰って、自分の家で捨てるというのが一般になってきたんですけど、それだとやっぱ
り、手にゴミを持ったまま遊びたくない子ども達は、ポイポイ捨ててしまうんですね。
それを防ぐためにもゴミ箱を自分達で作っちゃおうかという話になって、ゴミ箱を作り
ました。
理想の岩屋住宅、こんな岩屋住宅に住みたいということを子ども達とテーマを作って
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考えて、子ども達に絵を描いてもらってこれが完成したものなんですけど。さっきも管
理の話が出たんですけれど、このプロジェクトの趣旨は、ゴミ箱を作って設置して終わ
りじゃなくて、この作ったゴミ箱を自分達で管理していこうということなので、子ども
達に当番で管理をしてもらっています。その管理をしていく上で、例えばゴミ箱の鍵が
壊れちゃったと言ったら、住民の人が直してくれたりだとか、ゴミの分別がちょっと分
からないということがあったら、住民の人が教えてくれたりだとか、そういったゴミ箱
を通して子ども達が頑張っている姿を見て、手を貸してくれるという姿が見られるよう
になりました。
子ども達がポイ捨てをしなくなったら、もちろん住宅はすごくきれいになったんです
けど、元々ポイ捨てをしてたのは、子ども達だけじゃなかったんですね。大人もポイ捨
てをしている人がいたんですけど、子ども達が積極的にゴミ箱を管理して、ポイ捨てを
辞めたので、それを見て大人もポイ捨てをしなくなりました。ゴミ箱を作ったのが一昨
年の11月なんですね。それから半年経って、すごく住宅の中が変わりました。本当にき
れいな住宅になりました。すごく結果が出て、私たちも嬉しいです。
次は岩屋のペインティングプロジェクトなんですけど、さっきも鈴木さんがおっしゃ
ってた話なんですけれど、岩屋住宅のA棟とC棟があるんですけど、その建物の壁にす
ごく落書きが多くて、汚い言葉が書いてあったりだとか、ポルトガル語で書いてあるも
のはちょっと何が書いてあるか分かんないんですけど。中指を立てた絵だとか、汚いも
のがいっぱい落書きされていて、これを消そうという話になったんです。結局、白く消
すのはすごく簡単なことで、白く消したら結局また大きい白いキャンパスを提供するだ
けで、また白くしたところに新しい落書きを書かれてしまうという繰り返しになってし
まうので、それを打破するために、白くしたキャンパスに子ども達自身に絵を描いても
らおうというプロジェクトになりました。これが完成したところなんですけど。この活
動には、子ども達だけではなくて、住民の方も参加しました。それは子ども達が頑張っ
て絵を描いている姿を見て、住民の方も私たちも参加して塗りたいと言ってくださって。
みんなで作り上げた壁だから、またいたずらっ子の子が落書きをしようとした時に、地
域の目がそれを止めてくれるんじゃないかなという願いが込められています。住民の方
もだし、子ども達の中にも、自分達の地域は自分達できれいにしなきゃいけないんだな
という意識がすごく芽生えて、住民同士で協力したことによって、みんなの住宅なんだ
な、自分だけのお城だけじゃなくてみんなが住んでいる所なんだなという意識が子ども
達の中にすごく芽生えたと思います。
さっきも出たんですけど、子ども達自らの働きかけで、大人の意識を変える。よく子
どもは大人の背中を見て育つと言いますけど、私たちがやっていることはその逆で、子
ども達が変わったら、子ども達が頑張っている姿を見たら、やっぱり大人は、子どもが
頑張ってるから自分も頑張んなきゃという感じになって、子ども達の意識が変わってい
ったら大人ももちろん、子どもの親がまず変わって、地域がどんどん変わっていくとい
う連鎖になって、子どもを通して大人の意識も変えようと考えているわけです。
普段から関わりを深め、いじめや犯罪の芽を摘もう。これもその地域との関わりもも
ちろんだし、子ども達と毎週火曜日と木曜日に団地の集会所で会っていろんな話をして、
例えば学校で嫌なことがあって、外国人だからという理由でブラジルに帰れって、ひど
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い言葉を言われたりして、学校で寂しい思いをしている子どももいたりするんですけど、
そういった子が非行に走る前に、私たちの教室を居場所にして、ここに来ることで心が
安らいで非行に走らないように努めようというのが私たちの活動の意義です。地元の私
たちのような大学生が地域のパイプ役になって、子ども達とどうしても町内会とかとい
うものに参加しにくい子ども達もいるんですけど、そういった子ども達も町内や地域に
どんどん入っていけるように、サポートしていけるようなパイプ役に私たちがなってい
けたらなと思います。そういった困っている在日の子ども達の存在をもっと多くの人に
知ってもらいたいねということで、いろんな取材とかはどんどん受けて、こういった会
にも出ています。
最後にこれが私たちの団体のホームページです。これがブログになります。上が連絡
先になります。ご静聴ありがとうございました。
伊藤:榎本さん、どうもありがとうございました。大変、素敵な見事なプレゼンテーションだ
ったと思います。CSN豊橋の方にお話をお願いして良かったなと思って聞いてました。
この学会の特色が出せたのかなと思います。ありがとうございました。
さっき市長さんが覗かれたんですけど、非常にわずかな時間だったんですが、挨拶を
頂く前に帰られてしまいました。榎本さんの話を大変嬉しく聞いていたのではないかと
思います。
それでは最後になりますが、NPO法人東三河ハートネットの柳原さんにお願いをし
ました。これは豊橋市は今、市民協働事業の提案制度というのがあって、いろんなこと
を市民の方と行政でやっていこうという動きが全国にあるんですけど、この地域ならで
はの多文化共生をテーマに、NPOの側から提案をされていろいろ成果も挙げられ、来
年度も取り組もうとされているということで、そういう視点からの報告も豊橋らしいの
ではないかと思ってお話をお願いしました。柳原さん、お願い致します。
柳原:こんにちは。私は東三河ハートネットの柳原と申します。よろしくお願い致します。早
速ですけど、本来なら50分で終わるのですかね。ちょっとまた後があると思いますので、
早口でお話をさせて頂きたいと思います。
私共、東三河ハートネットが平成17、18年、今お話の中に出ておりましたけど、岩田
県営住宅の団地にブラジル人が多くなったということで、愛知県が全体の居住者の50%
にどんどん近ずいたり、50%を超えている団地3つをあげました。西尾市緑町の団地と、
豊田市にある保見団地、豊橋の岩田団地の3団地がモデルとしてあがりまして、外国人
共生支援住宅団地モデル事業を行いました。
簡単に言いますと、豊橋市にブラジル人が多い理由は、これは豊田も同じだと思うん
ですが、今ちょっと景気が、先ほど最初の基調講演の中でお話があったように、経済関
係が大きく変わってきておりますので、今はちょっと大変だと思いますけど。豊橋市に
もトヨタさんの関係のいろんな関連する大きな会社があったり、東側にいくと静岡県で
すけど、その辺に非常に大きな企業があって、外国人を雇用する一つの基盤があるわけ
です。外国人が多くなってくると暮らすところがないので、県営住宅とか市営住宅に非
常に外国人が増えていくという格好になっていると思います。特に民間はなかなか外国
人を毛嫌いして入れてくれないところがあったりするので、どうしてもそうしたところ
に増えていくということになります。私共は岩田団地で、実際には1年ぐらい活動しま
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した。今日の冊子の16ページから書いていますけれども、17年の12月にはクリスマス会、
2月には節分の豆まきをしました。そうしたいろんなイベントもさせていただき日本の
文化に触れて頂きました。ブラジル人が多いということで、豊橋市さんにも協力して頂
いて、ブラジルは地震とかも少ないのかなということで、起震車を持って行って実際に
乗ってもらいました。これは何でかというと、団地の中に暮らしている日本人が非常に
高齢化しているわけですよ。実際に会ってみると65才、70才、もっと上という人達が
大半を占めているわけですね。一方、外国人は非常に若い人達が暮らしているというこ
とで、災害が起きれば日本人が外国の若者に助けてもらうようになることを考えまして、
防災マップ作りをしました。いざ災害が起きたときにどのように避難したら良いのかと
いうことが大切と思いまして行いました。イベントとしてはそのようなことをやらして
頂きました。実際の問題はワークショップで話し合いました。皆さんご存じだと思いま
す、外国人と日本人がうまくいっていないという話はいっぱい出るんですね。出るので
すけどまとまらない。どうしようということで、結局ワークショップをやる。ワークシ
ョップをやるって大変なんです。全部で5組ぐらい作っていくと、1テーブルに何人か
日本語が分かってポルトガル語が分かる人を置いて、その人達に助けてもらって意見を
聞くというやり方をやってきました。その中で、19ページのところから、実際のワーク
ショップの記録が入っています。そういうような問題点をいろいろ聞き出して、それに
対してどうしたら解決できるかというようなことをいろいろ聞いて行いました。そうす
ると、先ほどお話がありましたようにゴミの問題、音の問題、駐車場の使い方がでたら
めだと、いろんな問題が日本人から出ました。それに対して1つ1つ、どうしたらいい
かということをワークショップで解決していこうということを行いました。実際に我々
も、一番初めに行ったら、団地の自治会長さんに車をどこに停めておいたらいいですか
という話をすると、ここに停めてくださいということで行くと、もう車が停まっている
んです。また自治会長さんの所に行って、車が停まっているんですけどといって別の場
所に置かして頂いたりして、当初は先ほど小内先生から治安の話がありましたけど、正
にやりたい放題。何ともならなかったのですけど、実際にワークショップで話し合いを
していったら、最後には話し合えば分かるのですね。何でかというと、日本人がブラジ
ルの人に対して何も教えてあげていないというのがあるようです。ワークショップの中
でそんなことダメだよ、そんなこと何でやったのという話が出てくると、あぁそうです
かということで違いが理解できる。先ほど言った文化の違い、習慣の違い、言葉が通じ
ないなどいろんな問題が大きな問題として上がってきています。例えば、夜うるさくて
眠れない。何でですかと聞くと夜中の2時、3時に洗濯機を回す。団地の中なので、洗
濯機が回り始めると隣の人に音がうるさくて苦になる。何で2時、3時に回すのかとい
う日本人の話し合いはあるのだけど、団地の中全体での話し合いがなされない。これも
ワークショップで出てくると、気をつけますということになる。徐々に改善をされてい
くんですけど、結果としては、団地の中に居住している人だけで話し合いをする術がな
かったということです。我々が行って、そういう話し合いをすると、その話し合いの席
で、あぁそうなのという話が、現場の中でいっぱい出てくるのです。大人同士でやると
どうしても角が立ちやすい、うちのNPOでは、豊橋市に技術科学大学があるので、一
つのゼミの生徒さんが20人ぐらいですけど、うちのNPOの準会員という格好で、学生
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達に事業がある時には手伝ってもらうんですね。そうすると、ワークショップのファシ
リテーターをやってもらい、僕らのメンバーが後ろから、時間がないからこういうこと
も聞いておいた方がいいぞとか指令を出します。そうすると大人が言うと角が立つとこ
ろを、大学生だと角が立たずに素直に聞いてもらえるのです。先ほどもお話がありまし
たけど、愛知大学の生徒さん、技科大の生徒さん達には一所懸命、いろんな方面で頑張
ってもらっています。たまたま豊橋市には3つの大学がありますので、そういう大学の
生徒さんがいろんなところに参加をして、こうした多文化共生とか地域づくり、まちづ
くりに参加してもらえる学生さんが増えていくと、いろんな関係で地域が良くなってい
くかなと思います。先ほど出ていましたけど、私たちも大人の人に教育するわけにはい
かないじゃないですか。どうするかというと、子どもに理解をしてもらって、子どもに
何かをやってもらうことをすると大人が変わっていく。先ほど、榎本さんが発表してく
れた通りですけど、現実的には結構、子どもに大人が教えられる。簡単な話で言うと、
車椅子のマークが駐車場にある。駐車場が少ないのであそこが空いているから入れちゃ
おうと入れると、子どもがあそこは入れちゃいけないよ、車椅子に乗っている人が入れ
る場所だよと言って、子どもにたしなめられる。そうすると大人の人は入れようと思っ
たけど入れない。タバコのポイ捨てにしても子どもに言われてやめたと。そういうよう
ないろんな話がたくさんあるようです。結果として我々もワークショップとかいろんな
ことをやるときに、大学生の生徒さん達に協力を仰いで、一緒にやらしてもらう、結構
学生さんが住民との潤滑油みたいになって、大人同士であると摩擦が起きて進まなくな
るのが、学生が手伝ってくれるおかげで上手く全てのことが回っているというのが現実
にあります。こういう話し合い、ワークショップという手法を何で使うかと言うと、会
議で机を並べて、意見だけをぼんぼん言って、それを後で議事録を取るだけだと、やっ
ぱり大きい声の人が意見を常に言って、おとなしい人は何も言われなくて終わっていく。
ところがワークショップの場合には、みんなポストイットに字を書いて、それを出せる
ということで、どんな小さい意見でも取り入れてもらえるし、どんなに小さい意見でも
議題に乗せてもらえるということで、我々は住民の所に行ったときには、ワークショッ
プの手法を使っていろんなことを解決させて頂いているわけです。
21年度にはいろいろと話が出ているんですけど、団地におられたブラジル人が地域に
持ち家を持つようになったのですね。そうすると今度は団地の中だけのコミュニティで
は済まない。ここから東に行った多米町を1つの場所に選んで、21年度に多文化共生の
意識づくり事業ということで、その地域を対象に行う予定です。その地域は車で5分ぐ
らいで静岡県という、愛知県のちょうど県境ぐらいにあるので、そこが今後、非常に外
国人が増えるであろうということで、次年度はそうした事業を行っていこうと思ってい
ます。時間がなくなってきたのでまた後の方で話をさせて頂きたいと思いますけど。私
のやっている事業と、これから取りかかる事業の報告をさせて頂きました。ご静聴あり
がとうございました。
伊藤:時間のない中、申し訳ありませんでした。ありがとうございました。休憩を入れまして、
と言いましても休憩の後、あまり時間がないんですけど、机の配置を換えたりしますの
で、10分間休憩を入れますが。15分から始めたいと思いますので、よろしくお願いしま
す。
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伊藤:それでは休憩を挟みまして最後、少しディスカッションをしようと思います。ほとんど
時間がないので、もう一度話をこの壇上でするというよりは、もっとこういうことを聞
いてみたいだとか、仲間の方も来ておられると思いますので、会場とのやりとりで残さ
れた時間を使いたいと思います。そうは言いながらその前に、事例の中では直接時間を
取らなかったんですけれども、豊橋市の国際交流課の本間さんに豊橋市の立場からの発
言ということで話を伺っておりませんので、今までのいろんなデータを含めた、全国的
な視点からの豊橋市の位置付けですとか、具体的な事例を聞いたわけですけど、市とし
て補足的にこれは言っておいた方がいいということがありましたら10分ほどでお願い出
来ればと思います。
本間:皆さん、こんにちは。豊橋市役所の国際交流課の本間と申します。本日は年度末の土曜
日というお忙しい時に、お集まり頂きましてありがとうございます。今のお話の中で、
豊橋市についてでありますけれども、皆様方のお手元の資料の中のp25ですけれども、豊
橋市の多文化共生ということで少し資料を添えさせて頂いております。
その中で冒頭、小内先生からも豊橋市の中の子ども達への取り組みなど、ご紹介頂い
ておりましたけれど、25pからあります中で、3番、豊橋市の行う多文化共生施策という
ところを見て頂きますと、豊橋市の人口38万5千人の中で、約2万人の外国人の方が住
んでみえる。とりわけブラジルの方が1万2千人を超えていると。先ほど榎本さんから
もお話がありましたけれども、20人に1人が外国人、更に30人に1人が日系ブラジル人
の方というような市の状況があります。その中で、豊橋市がこれまでに、私共は国際交
流課と言いますが、国際交流関係だけでなく多文化共生につきましても様々な事業を展
開して参りました。
特に人の配置というところを見て頂きますと、特筆すべきは教育委員会の25名という
ことがあります。これは教育委員会の中で教育相談員ということで、バイリンガルの方
を含めて市内の外国人の集中地域の小学校、豊橋でいきますと岩田小学校、多米小学校、
そして自治会長さんがお見えになります岩屋校区ですけれども、こうした大勢の外国人
の集住地域の子どもさんの通われる地区については、教育委員会の方で他市と違って教
育相談員さんを常駐、2名や1名という状況でありますけれども、教育委員会の方から
派遣をしております。更に行政相談ですとか様々な分野でバイリンガルの方を含めた人
の配置というものがありまして、これは他市に比べると進んでいる状況であります。
また情報提供につきましても、日本語版の関係ですと、それぞれの市町村で広報的な
ものがあると思いますけれども、豊橋市につきましてもポルトガル語版につきましては
毎月発行しています。更に多言語の情報提供の中で、英語、中国語、スペイン語など、
年4回の情報提供についても、いろいろな関係各課が関連する中で事業を進めているよ
うな状況がございます。
今日のお話の中でNHKさんの取り組みもあったわけですけれども、平成19年度に豊
橋市ではラティーノ・ノドジマンを開催し、大勢の方の関心を持って頂いたのは大きか
ったかなと思います。
19年11月には岩屋住宅で、CSNと自治会の方と協力をして、子ども達がゴミ箱を作
った。それによってお母さん方が、じゃあ子ども達がゴミを捨てるのをやめたら、それ
を見てお母さん達も、私たちもやらないとと、ゴミを捨てるのをやめた。更に岩屋住宅
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の落書きを消したような、いい事例があります。更に今日、後ろの方に岩田団地の元自
治会長さんがお見えになっておりますけれども、隣におられるハートネットの方が平成1
7年度にモデル地区に取り上げる中で、岩田の団地でもこの6年ぐらいをかけて、今現在
の良好な関係が出来てきたという状況はあります。市内にはまだ市営住宅、県営住宅が
他にもあります。現在の岩屋住宅や岩田団地は良い事例、取り組みとして成功している
地域でありますけれども、他の地域ではまだまだ外国人の世帯として4割を超えている
ようなところがあります。そういった地域では子ども達のゴミの問題、騒音の問題とい
うのが、日常的に全国レベルで、外国人の集中地域では起こっているわけですけれども、
先進的な事例として岩屋住宅、岩田団地のように良い事例として取り上げられる地域も
ありますが、まだまだ地域の日本人市民、外国人市民の歩み寄りがなかなかスムーズに
いかずに、まだまだ今一歩、まだ足りないなぁという状況もあるという実状もあります。
そうした中で豊橋市としても今後、情報の提供についても、それぞれの外国人の大勢
いる集中地域に積極的に足を運びながら、日本人市民、外国人市民のいろいろな意見を
取り入れて、多文化共生実現に向けて様々な事業、21年度も予算計上、予算化している
事業もありますので、そういった事業を実践する中で取り組みをしていきたいと考えて
います。簡単ですけれども。
伊藤:実は会場の中に何人も、報告者になって頂いた方が良かったような方がおいでになって
いるようなので、小内先生、ちょっと振って頂いて。
小内:今日はいろいろな方からお話頂いたんですけれども、全体の流れで言いますと、日本人
のサイドからどういうふうにして共生を作り上げていこうとしているのか、その試みが
基本だったような気がします。ただ実際には、共生というのは日本人サイドだけでは成
り立たないわけで、当事者というかブラジル人側からもこの取り組みに、ある意味一緒
になって参加して頂かないと上手くいかないことがあるわけです。そういう意味で、そ
のような教訓を話して頂ける方がこの会場にもいらっしゃるみたいなので、ちょっと話
して頂きたいんですけれども。
まずお一人、先ほどから出てきています岩田団地の場合には、私も岩田団地を調査さ
せて頂きました。日本人の人と外国人の人と、数百名ずつ調査させて頂いたんですけれ
ども、そのときにお世話になったのが、岩田団地の自治会長だった小池さんです。小池
さんは独自のポリシーを持ちながら、日本人だけでなくブラジル人も一緒に団地作りを
していこうということでいろいろ取り組んでおりましたので、当事者も含めた形での団
地作りの話を少し聞かせていただければと思います。
もうお一方、この学会の会員になっておられるそうですけれども、浜松の市議の方で
山口さんが来てらっしゃいます。山口さんから私の今日の報告の中に、当事者の取り組
みが入ってないんじゃないかという指摘がありました。浜松の内容については私も存じ
上げていなかったので、もしこの場で紹介して頂ければ非常に有り難いです。
とにかく今回、僕らが話した中では、あまり当事者側の取り組みがなかったものです
から、そういう意味でその観点からお話をして頂ければと思います。
小池:突然のお名指しで。ただ今ご紹介頂きました岩田団地の小池と申します。よろしくお願
い致します。今、教授の方からご紹介の中で、日本人の方の側からのブラジル観みたい
な、共生問題についての感想ということでございました。私共が一番懸念しておりまし
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たことは、受け入れる日本人の方の意識の問題が一番強くて、郷に入れば郷に従え、こ
れが一番簡単に口に出てくる言葉なんですが、まず郷とはなんぞということをどうやっ
たら理解してもらえるかということのところに1番、苦心をしたろころでございます。
団地の自治会というものにたずさわりまして足かけ6年になるんですが、とりあえず金
をかけずに汗をかいてできることは何かというところから6年前に手をかけました。と
りあえず始めたことは、お互いに情報は共有する、これは現在も続けておるわけですが、
我々が知り得る情報は、一緒に住んでおるプラジル人、ペルーの方もいらっしゃいます
が、外国人も等しく共有すると。必ず回覧板、又は団地内の放送、その他もろもろ、バ
イリンガルで。最初は通訳の問題であるとか等々で、苦労もしましたが、幸い適任者も
いましたしクリアして参りました。我々はみんなと一緒にこの町を安全できれいで安心
でという、住処にしようじゃないかという一つの方向性をこちらで打ち出して、バイリ
ンガルどうこうというのは、これは一つの手段ですから、我々が敷こうとしているレー
ルを一緒に敷きましょうと、その上に走る電車には必ず一緒に乗りましょうと、そうい
うポリシーで、ちょっと生意気なようですが取り組んで参りました。結果、今現在それ
なりに豊橋市の方々、よく私共の方へおいで頂きますから良くご存じですが、特に交流
課の本間さんにはお世話になりながらやって参りました。牛の歩みのごとくでイライラ
する面も多々ありますが、これはもう仕方のないことですね。子どもを育てるのと同じ
ような気持ちでやらざるを得ない。
それと先ほど教授のお話の中でもありましたが、今、日本にある大不況ですね。もろ
にブラジルの方々、派遣切りで被害を被っている現状です。我々の団地は670世帯、その
うち約280ぐらいかな、もう40%は超えたブラジルの方々が住んでおります。その方々の
大半が、昨年の秋以降職を失って、今現在、困っているということです。昨年の末頃か
ら日本語を教えてくださいという要望が顔を見るたびに、3日ほど、違う方々からいろ
いろ言われましてね、切実なんだなということが私らの方も実感として沸きましたので、
自治会に相談をして回覧板を回してみました。日本語教室を開校しようと思うが希望者
はいらっしゃいますかというご案内ですね。そのときに24~25名の方が回覧板に記帳さ
れて返ってきたんですが、回覧板というのは100%回らないという確率でもありますしね、
ただ単にポッと見て次に回してしまったり、なかなか100%の実行というのはあがらない
もんなんですが、第1回目の当日、実際に押し寄せてきたのは77~78名ということで、
現在も毎週水曜日、日曜日の夜7時から9時までやっております。これも私共の努力だ
けで出来た訳じゃなくて、本日も国際交流協会の佐藤委員もいらっしゃいますが、交流
協会さんからも教材のアドバイスを頂いたり、県の方からのいろいろな人的な援助など
も頂いて、25日の東日新聞にご紹介を頂きました。またご覧になってみて下さい。皆さ
ん、非常に熱心だと書いてあります。日本語が出来ないと職探しも難しいと書いてあり
ます。実際はまだ、あいうえおかきくけこ、ひらがな、カタカナ、簡単な会話というレ
ベルですけれども、何とか早く実際の仕事を探す上で、また仕事を探せたとしても職場
内でコミュニケーションが取れるような会話が出来るように成長してくれたらなという、
そういう思いでおります。
突然のお名指しの上に長話になり恐縮です。このようなことで、これからも永久にエ
ンドマークが来ない作業だと思っておりますので、あとわずかな人生ですが、これに出
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来るだけの情熱でやってみたいと思っています。今日、パネラーでいらっしゃる榎本さ
んも、ひまわり教室で毎週顔を合わせて私のことはよく存じて頂いておりますので、彼
女ともまた協力しながら、あらゆる面からとりあえずブラジルの方々と上手くやってい
けるように、私共だけでなく校区も含めて、それ以外の市も含めて発展してくれるよう
に願っております。本日はどうもありがとうございました。
小内:すいません、突然指名して。私がお話して頂ければ良かったと思ったのは、実は当事者
の視点と言ったんで、それでいきますと、私が初めて訪ねて行った時に、すごく驚いた
ことがありました。それは自治会の機構の中に外国人が必ず入るように仕組みが作られ
ていました。国際部というのを作ったんです。これは小池さんが作ったんです。国際部
の中にブラジル人が入っていました。そのブラジル人が入って何をするかと言ったら、
通訳とか翻訳とかをして、必ず自治会の役員という位置づけを与えた訳です。そうする
と本人達が自治会を運営していく主体にもなっていくわけで、これは単純に日本人の側
が支援をするということではなくて、本人達も自治会を動かしていく中心の1人なんだ
と、こういう立場になっていくわけで、この作り方というのはなかなか良いアイデアだ
ったなと思いました。それはそれを担える人材がいたから出来たということも当然ある
わけで、バイリンガルで読み書きもきちんと出来る、ポルトガル語も日本語も出来る人
がいたから出来たということもありますけれど、いずれにしてもそういう仕掛けを作っ
たものですから、班長さんなんかも普通に回っていってブラジル人に回っていっても何
も問題なかったし、そういう仕組みが出来ていったということです。そこを知っておい
た方がいいかなと思って、ちょっとお話をして頂きたかったところです。
伊藤:パネリストの方から、岩田住宅のことで何か補足されたいことがあればどうぞ。続いて
山口さんにお話をちょっとお伺いしたいと思います。
山口:こんにちは。今日は豊橋市の優れた実践活動を伺わせて頂きました。小内先生の現実を
正確に把握された調査を伺いまして大変勉強させて頂きました。私はたまたま今は市議
会議員でございますけれども、13年ぐらいでしょうか、当事者を中心にした団体の組織
化に関わって参りました。浜松NPOネットワークセンターと申しまして、地域の様々
な課題を担う人達を育てていく組織でございまして、たまたま多文化の外国人の問題も
浜松で大きな問題であったということがございます。常に市民活動の原点に置いて参り
ましたのは当事者主義です。当事者にこそ本当の問題の本質が分かる、それを解決しよ
うとするときに最も力を発揮できるのが当事者であるはずだと。そこに日本人が寄り添
うということを最初から構想しておりました。
今、手短に2つの事例を申しますと、1つは当事者のお父様、お母様と組みたかった
んです。13年前です。しかし彼らはたいへん忙しくて、すぐにブラジルに帰国したりと
安定しませんでした。そこで若者と組もうと考えました。当事者のリーダーを育てよう
ということで、若者を育てる活動をずっとやって参りました。浜松医療援助会の事務局
長は大学に進学したペルー人の男性です。そこまで学生達が育っていきました。もう一
つは、今日の参考になるかと思いますけれども、当事者のお母さん2人が何とか子ども
達の支援をしたいということで立ち上がられたんです。彼らは、成功者なんです。子ど
もが大学まで行った、高校に行った、ご主人が正雇用になった、家も買った、例外的な
成功者なんです。ところが、日本人側の支援者は、子ども達に対する支援が必要だ、子
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どもたちが可哀想だと感じているのですね。ところが、当事者から見ると、子ども達は
可哀想なんじゃない、その障壁を取り除く立場に当事者の支援が必要だとうことで立ち
上がりました。そのうちの1人は、長女が大学まで進学するのですが、その家族は、日
本人の支援者と出会って、大変な困難をクリアできたんですね。私はたまたま市議会議
員ということもありまして、私の事務所を提供して支援する立場にいます。子ども達の
教育を支援するということは即ち彼らの家族のいろいろな問題を解決しながら寄り添う
ということになりまして、縦割り行政の中だけでは出来ないんですね。総合的な彼らの
生活を支えながら、かつ子ども達の教育に関わるということになります。
小内先生にちょっと申し上げてしまったんですけれども、実は今日、お話が出なかっ
た中に、外国人学校と日本人学校を行き来する、途中で不就学になる子ども達がたくさ
んいます。2つの文化、教育を経験した方達が、相談者となって本当にブラジルに帰る
のか、そうでなければやっぱり日本の学校に行こうと。そのためにはそういう支援の仕
組みがあるということを共に考え、情報提供する相談体制があれば、今のさまよう子ど
も達は、ずいぶん早期に救われるのではないかと思っています。従ってやはりバイリン
ガル、バイカルチャーで、当事者のために立ちあがろうとする人達を支援するというこ
とがこれからの地域社会の新たな課題だと思っています。
小内:浜松も実は調査させて頂きまして、ブラジル人学校も公立の小中学校も調査させて頂き
ました。ただ、行き来している話は僕もあまり聞かなかったので参考になりました。そ
れと同時に浜松の公立小学校をいくつか回っていたときに、意外に積極的な取り組みだ
と思ったことがいくつかありまして、それも紹介しておいた方がいいのかなと思いまし
た。今まで僕が振ったのは当事者の話でした。今度はちょっと角度が変わりますけれど
も、学校の中での取り組みの話になってくるんですが、やっぱり学校の中、いろんな先
生が善意でいろんなことに取り組んでいます。ただ、やっぱりなかなか新しいスタンス
で物事を考えるということにはなっていなかったんです。ところが浜松の遠州浜小学校、
これは名前を出していいと思いますけど、かなり有名なところなので。遠州浜小学校で
は、例えば考え方として、外国人の子どもの学習支援をするという感覚ではなくて、外
国人も日本人も含めて学習をしていくという立場に立って取り組みを始めておりまし
た。どういう取り組みかと言うと、小学校の1~2年、3~4年、5~6年、これを2
学年を一緒にして時間割をうまく揃えて、これはなかなか工夫がいったと思いますけれ
ども、2学年一緒の時間割にして、国語と算数の時間、これを1年と2年をごちゃまぜ
にして能力別に再編成して、それでクラスを作って教えていくというやり方をしていた
んです。そうすると能力の違いによって分けていくと、ブラジル人の子ども全てが低い
能力にはならないんです。もっと低い日本人の子どももいるんです。遠州浜小学校の校
区というのは、遠州浜団地なんですね、ほとんどが。そこは低家賃の住宅ですから日本
人も低収入の家庭の子どもが多くて、そこから能力的な問題も出てきているというのが
たぶん背景にあると思うんです。それで日本人と外国人という区別なしに、能力別に再
編成したクラスの中で勉強させていって効果をあげていたというのがあるんです。
普通は外国人の子どもの面倒を見る先生というのが、いろいろなタイプがありますが、
一般的にはあんまりやりたくないんだけど、校長の命令でそれを担当したと、そういう
のが多いんです。大泉のある学校の校長先生に、どういう人を日本語指導学級に付ける
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んですかと聞いたら、日本人の子どもの教育が中心だから、そこであまりマイナスの影
響が出ない人を付けるんだと言って、具体的には新任の若いまだキャリアのない先生を
付けるという話をしていました。だけども、どうも浜松を回っているうちに、是非、外
国人の教育をしたいという、わざわざ大阪外語大学でポルトガル語を学んで専門にして、
それで小学校の教員になった人がいるとか、あるいは別の学校に勤めてたんだけど、わ
ざわざ外国人の指導をしたいので転勤願いを出して外国人の多い学校に移った先生と
か、そういう人達も出てきておりまして、そういう人達が熱意を持ってやれば、かなり
優れた実践が出来るなと感じました。豊橋にもそういう人達はもちろんおりましたけど、
浜松で特にそれを感じました。豊橋にももちろんポルトガル語もスペイン語も出来るよ
うになった先生達の話も聞きました。そういうものがもうちょっと組織的に作られてい
けば、もっと上手く物事は進んでいくんだろうと思います。
一人で引き回して申し訳ないんですが、今の話からつながっていくことは結局、一人
一人がいかに一所懸命やっていくかだけではなく、システムをどう作っていくかという
話になってくるので、そのときには恐らく行政というものが持つ意味、これが大きくな
ってくると思います。今日お話になったパネラーの方々にお聞きしたいんですけれども、
本間さんは別にして、いろいろな取り組みをなさっている訳ですが、その時に、行政に
対して、もうちょっとこういうことをしてくれたら自分達の支援が上手く行くだろうと
か、もうちょっと多文化共生が成功していくだろうと感じておられることとかありまし
たら、要望でもいいですし、批判でもいいですし、お願いしたいと思います。いかがで
しょうか。
鈴木:市役所にお願いですけど。多文化共生という場をたくさん作ってもらえれば、外国人と
の共生が上手く出来るのではないかなと思います。隣の多米、岩田、中野校区もありま
すけど、地域との連携をもうちょっとよくすればいいんじゃないかなと思います。もっ
と地域のことを良く知る必要があると思いますので、そのことについては市の方から協
力頂いて、もう一度多文化共生をやった方がいいかなと思っています。
伊藤:鈴木さん、今のは地域同士のですか?それとも地域と行政の?
鈴木:地域同士の連携を、市役所が中に入ってくれれば上手くスムーズにいくのではないかと
思っています。またうちの町内には課題が多くあります。今後の課題というと、駐車場
の課題が大きな問題です。うちは駐車場がありませんので、道路に停めたり。後は民間
の駐車場を借りるしかありません。あとはゴミ分別ですね。まだ課題が残っておるかな
と思っています。その他には、先ほどチラッと言いましたけれども騒音の問題ですね。
その問題も今、非常に良くなりましたけど、まだなかなか注意しても聞いてもらえんで、
どうしてもという時には110番電話して来てもらって、それで何とか収まる状態で。一
番いいのは市と連携して、他の団地ともお互い情報交換したらいいんじゃないかなと思
っています。
榎本:私たちの団体が行政に思っていることは、2点あります。まず1点目は外国人の人と知
り合うイベントが開催されました。そういったイベントはやっぱり知り合うきっかけに
はなっても結局継続がないので、1回会ってそれ以降、全く会わなかったりということ
が多いんですけど、そうではなくて教室とかそういったものをイベントと考えるならば、
週1回、月1回あるから、教室で出来た知り合いとは継続して仲が保てるんですけど、
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大々的な大きなフェスティバルとか、せっかくいいフェスティバルなのに1回やっただ
けで、次のフェスティバルまで後1年もあるという感じで継続性がなくて、交流の場が
すごく限られてしまうなと思います。
もう1点が助成金のことです。私たちの団体は助成金を頂いて活動させて頂いてるん
ですけど、私たちは本当にラッキーで、条件の項目にきれいに引っかかって活動自体も
認めて頂いてお金を毎年頂けるんですけど、私たち以外の団体で、もっとたくさんやっ
てる団体もあるだろうし、いろんな制限が掛かって助成金がもらえない団体もあって、
結局、ボランティアは全部自分のお金でやろうと思っても、やっぱりそこには先立つも
のがなければ出来なかったり。特に学生、私たちは学生だから学生は一般的にお金がな
いって思われていると思うんですけど、実際本当にお金がなくて、みんな大学生は学校
に行ってバイトをしてという生活をしている中で、ボランティアをやりたくても、例え
ばその教室に行くまでの交通費を全部自腹で出していたら、教室に行ってるからバイト
もしていないわけで、ちょっと稼いだバイト代をその教室に行く交通費に充てていたら、
生活が出来なくなってしまうというのが大学生の現実なんですよね。私たちCSN以外
にも、いっぱいボランティアの活動をしている大学生がいるので、そういった学生にも
あげれるような助成金の制度を作ってもらえたらなと思います。
例えば既にもらっている団体も、この金額では実際足りないから、ここの助成金と、
もう一つの団体の助成金も欲しいなと思った時に、よく助成金の条件に掛け持ちしない
でください、他の助成金をもらっている団体はこの助成金を受けられませんという条件
がよくあるんですけど、そういった条件も必要に応じて使うお金だったら構わないんじ
ゃないかなと、私個人の意見ですけどそう思うので、そういう条件がもうちょっと改善
されていったらいいなというのが私の希望です。
柳原:私はNPOですが、NPOも学生も同じようなもので、みんな自腹みたいな格好になっ
てしまっているんですね。それはそれとして。まずひとつは、地域でこうした今日みた
いな、いろんなことをもう少しやった方がいいのかなと。外国人共生事業として結構進
んでおる地域、一所懸命考えている地域があるのですね。これからやろうとする人達、
どうしたらいいのか分からないというのが結構あって、そういった意味合いの情報がな
いのと、どういう風にやったらいいのかというノウハウがなかなか見つからなくて困っ
ている地域もあると思うのですね。そうしたものをもう少し広い範囲の情報を何とか分
かってもらえるような仕組みが欲しいというのと。もうひとつは、外国人、外国人とい
う話だけにとどまっているんですけど、現実的には地域とか、地域づくりとかいろんな、
役所で言うと一つの課だけではなくて、複数の課が一緒になって出来ることがあると思
うんです。現実的に現在の行政の仕組みからいうと、結構縦割り社会で、本当は国際交
流と市民協働が一緒になった事業をして、同じものを同じように受けてもらえるような、
仕組み作りというのですかね。たぶん行政の中でも、自分はこの課にいるのだけど、よ
そのいろんなイベントにも出て行って、いろんなことを勉強されている職員もお見えに
なるのでしょう。先ほど言われましたけど、こちらの補助金をもらえばこちらの補助金
はもらえんよではなくて、この課とこの課が一緒になってやる事業、一緒になってやれ
ばもう少しいい事業が出来るのではないかなと思います。情報も行政の中で、もっとも
っと共有できる部分があるのかなというのを感じます。これはよその課であってという
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ことは絶対に言わないように、何とかそれをよその課ならよその課でいいのですけど、
それをどこかで受けてもらって、どこどこの課に行くとそれとそれをくっつけてもらう
術があるとか、何かあるといいんですけど。一個ずつの課で済ましていくというのは何
かお金ももったいないし、一回でやれば事業費も少なくて済むこともたくさんあると思
うのですね。是非、そうしたことを行政もそうですし、地域の人達もどこどこが非常に
いい、進んだ事業をやって成功しているから、その事例を簡単に教え合って学べたり出
来るような、そんなような仕組みが出来るといいと思うのですね。これは外部の連中が
言い続けて言って、何とかそれを上手く取り入れてもらえるような格好に出来るといい
のかなと思います。
本間:答えられる範囲で。今、いろいろなご意見を頂きまして、ごもっともということばかり
だと思うんですね。まずひとつは鈴木さんがおっしゃった多文化共生の場づくり、それ
から様々な集住地域同士の交流ということがありますね。それから榎本さんの話の中で
はイベントの継続性ということで同じく交流の場づくり、更に助成金、補助金について
ということがあったと思います。柳原さんの方からは地域による取り組みということで、
地域というのはやっぱり温度差がありますので、情報の共有が必要ですよということ、
行政内縦割り社会の中での横の連携の必要性のお話をいただいたと思うんですが。
ひとつ、21年度からの豊橋市の多文化共生の取り組みの中で、豊橋市では平成18年に
平和、交流、共生という都市宣言をしました。都市宣言の中の共生分野での具体的な行
動計画の一つとして、豊橋市多文化共生推進計画というものをこの20年度に策定中でご
ざいまして、パブリックコメントでご意見を頂いた内容を意見調整し、新年度、来週か
ら始まりますけれども、4月中旬には公表していこうという予定をしていす。その中に
地域での様々な場づくりというのも考えております。多文化共生推進員という、日本語
とポルトガル語の出来る嘱託員を21年度から採用しまして、私の話の中で少し言いまし
たけれども、外国人の集住地域、現場の方に足を踏み入れて、現場での様々な意見を取
り入れていきたいという考え方があります。
助成金、補助金の関係でいきますと、国際交流課は今まで企画部という中に入ってい
たんですが、21年度からは文化市民部という部局に変わります。課の名前も多文化共生
国際部と名称も変更します。多文化共生ということを前に打ち出しまして、部も文化市
民部に移しました。この文化市民部と言いますのは市民課ですとか国保年金課ですとか、
市民の皆さんと直接密接に関係ある部局とともに、平成19年度に市民協働推進課という
のを豊橋市では作ったんですが、市民との市民協働、パートナーシップによる協働とい
うことで、市民の皆さんと共にという合い言葉で市民協働推進課を文化市民部に作りま
して、今度、国際交流課から多文化共生国際課と名称変更し、市民の皆さんと共に、各
種関係団体と一緒に協働しようということで課の名前も変えていったというような経緯
があります。そこで国際交流課は名前を変更し、逆に市民協働推進課と同じ部の中で連
携を取りながらやっていこうと、今進めている状況です。昨今、どこの市町村でもそう
ですが、○○推進計画ですとか、いろんなものを策定をしているわけですが、そうした
新たな計画を策定する場合に、市の庁内の組織として関係するような様々な各課が集ま
って、連携をとりながらやっていくというふうに市町村も横の連携の大切さを今は気づ
き始めていますので、そういった横の連携についてもかなり取れ始めてきているのかな
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ぁと思います。いずれにしてもお金のかかること、かからないもの、いろんなものがあ
りますけれど、行政の中で出来るところから進めていかなければならない、今皆さんの
お話頂いた中では取り組んでいかなければならないと思います。
伊藤:ありがとうございました。そろそろ時間なんですけれども、会場の方でもし後1人ぐら
い、何かご発言があればと思いますがいかがでしょうか。
柳原:今、小池さんがあそこにお見えになりますけど、僕らが中に入っていって、地域で事業
をやろうとしたときに、だいたい行政から何か言われて入り始めるというのが多いんで
すよね。だけどそのときに、地域の人にいかに協力体制を取ってもらえるかもらえない
かというのは、すごく事業に、いい事業になるかどうなるか、大きなポイントだと思う
んです。私はたまたま自治会長さんに恵まれまして、初めのうちは嫌味言われましたけ
ど、本当に最後の最後までしっかりと協力をして頂いて、何とか上手くいったんです。
もしこれが、だいたい地域がそんなに考えてない、考えてるんだけどやらない、そんな
状態のところに行政からNPOとかが頼まれて地域に入り込んだときに、地域の人の協
力体制がないと何も出来ないというか、非常につまらんものになっていくんですね。そ
れが証拠に我々のメンバーが行くと地域の人が場所まで作ってくれて、お茶まで沸かし
てくれて準備してくれている。この事業って3回か4回で終わるという話をすると、若
い子が、もう1回やりましょう、もう1回やりましょうということで乗ってくるんです
よね。地域の人達が協力してくれてるのか、くれないかというのは、すごく大事なこと
です。やり甲斐があるかないか、やらにゃいかんからやるんじゃなくて、一緒になって
少しでも良くしようよという気持ちに地域の人とそれを担当されるところが一心同体に
なって動ける状態を作る。やっぱり何かをやるときに、地域の人の力、もしくは理解が
ないと何となく独りよがりになっていっちゃうんです。ある意味、行政と地域も一体に
なって動けるような状況というのは、今、豊橋市はたぶん出来ていると思うんですね。
一つの事業を頼まれた時に、そこの取っかかりが上手くいくかいかんかというのが全て
かなというような気がしました。地域の自治会にお願いしに行くには、やっぱり僕らだ
けで単体で行くより行政も一緒に行ってもらって頼んでもらわないといけないし、やっ
ぱり自治会も行政も我々も、三位一体になって頑張っていける土壌づくりがすごく必要
だと思いました。
伊藤:ありがとうございました。そろそろ閉めたいと思いますが、小内先生、何かありますか。
小内:まとめになるかどうか分かりませんけれども、これまでのお話を聞きまして、2つばか
り感想があります。1つは様々な取り組み、いっぱいあると思うんですが、今日出され
たものはたくさんの中のほんの少しのものに過ぎないと思います。もっといろんな取り
組みがみんなの中に共有出来るような、そんな仕組みづくりというのが非常に大切では
ないかと思いました。それは何も豊橋に限ったことではなくて、浜松も含めてでもいい
ですし、もうちょっと広げて東海地方でもいいですし、あるいはそれに積み重ねて日本
全体でもいいですけど、いずれにしても様々なところで日常的にかなり一所懸命頑張っ
て、いい面も悪い面も含めて、様々な取り組みが行われているわけですから、それをみ
んなの中に明らかにしていって、それからいいところを伸ばして、良くないところをな
くしていくというような、そんなスタンスで仕組みづくりが出来れば、きっともっと素
晴らしい多文化共生の世の中というものが出来ていくんだろうなと思います。
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それから2つ目なんですけど、非常に残念に思ったことがありまして。というのは、
パネラーの中に当事者、ここで言う当事者というのはブラジル人の方ですね。この方を
入れないと、多文化共生という言い方にはならないんじゃないかなと思います。実は多
文化共生という言葉遣いに対して、すごくクレームをつける研究者もいます。多文化共
生というのはおかしい言い方だと。おかしい言い方というのはどういうことかと言うと、
聞こえはいいけども実際のところ同化の言い換えじゃないかと、こういう言い方をする
人もいます。私が論文を書くときにはそういうものにも目配りしながら書くわけです。
ただ、一般にこういうところで話をするときには、多文化共生というのはいいものだと
いうものを前提にしてお話をしていきます。だけれども多文化共生という言葉を使う人
達が日本人だけで、しかもみんな仲よくやっていきましょうとなっていったときに、本
当にそれでそれぞれの立場を尊重したような内容になっていくかというと、やっぱりど
うしても郷に入れば郷に従えのような発想になりがちになってしまうので、そういう点
から言えば、やはり共生のもう一方の担い手であるはずの外国人、豊橋市ではブラジル
人になると思いますけれども、ブラジル人も舞台に上がってもらって、一緒にそれぞれ
の言い分を言い合いながら新しい社会を作っていく、新しいコミュニティを作っていく、
こういうスタンスで議論をし、実践をしていくことが非常に大切なんだろうなと思いま
した。ただ、それが一つの大きな課題だということが浮かび上がったという点では、今
回のこのようなやり方も一つの意味があったんだろうと思います。今日はいろいろなと
ころからお越し頂きまして、ありがとうございました。こういう機会を作って頂き、私
もここに参加させて頂き、ありがとうございました。伊藤先生、どうもありがとうござ
います。
伊藤:まとめて頂きましたが。今の2番目の点について言いますと、企画をした僕の力量のな
さでありまして、ブラジル人協会の方が豊橋市でずいぶん頑張っているという話も聞い
たんですけど、事前にそこまでお話を聞きに行くことが出来ませんでした。そちらの側
に広げることが出来なかったのは、ひとえに私の力量のなさのせいです。ただ、僕はこ
の問題については全くの素人なんですけれども、非常に重たい問題をどういうふうにし
たらいいかということで、ずいぶんそれなりに悩んだわけです。
今日、こうしてお願いしたパネリストの方々のお話を聞いてみると、やはり具体的な
事例の中に非常に豊かな解決の糸口がある。特にいろんな行政と地域の自治会や町内会、
あるいはNPOのようなものはなかなかくっつかないということは良く言われるわけで
すが、豊橋市の場合にはCSN豊橋の学生の方が非常にその辺、良い働きをしているん
だなぁというのが僕にとっては印象的なことでした。具体的な現場の中から、どういう
ふうにこういう大きな問題についても解決策を見つけていくかというのが見えるような
気がしました。その意味ではこういう問題に対してもコミュニティの可能性というか、
そういうのは大きいんだなというのが企画した僕の印象でした。どうも今日はありがと
うございました。最後に閉会の挨拶ということで、コミュニティ政策学会の鈴木理事に
お願いしたいと思います。
鈴木:今日はどうも先生方、ありがとうございました。またパネリストの皆さんもありがとう
ございました。ちょっと部屋が寒くて震えながらのやりとりだったというふうに思いま
す。今日、この会場にもたぶん、日系ブラジル人の方もお見えになると思いますけれど
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も、そのお話が当事者として聞けなかったというのは残念なことだと思いますし、また
伊藤先生の力量云々ではなくて、この時期というのは外国人、ブラジル人の方も大変生
活不安が高まる中では、ちょっと時期として冷静に話が出来る時期ではないんじゃない
かなとも思って、そういう中では、今日はこういう形で良かったんじゃないかなと思い
ます。ちょうど今月末で雇用保険が切れる方が大変多くなって、今日ちょうど28日です
けれども、ブラジルの方達が行き来をする飛行機が今日、運行されなくなります。もう
これで行き来が非常に難しくなるということです。そういうことがありまして、大変、
生活不安が大きくなってくる。ですから、今日のお話の内容をこれからゆっくりと構え
て議論すべきところと、大変急がなきゃいけないことと、この2つをよく考えて我々学
会の方でも自治体側に対して申し入れ、あるいは連携をして。また皆さんもご自身で、
今日いろいろと、お話し頂いた点について、是非、急ぎ取り組みをしながら成果を見出
していくことが必要なのかなと聞いていて思いました。
さてコミュニティ政策学会では、今日のシンポジウムを踏まえまして、7月4日、5
日と香川県の高松で全国大会を催させて頂きます。今日のような多文化共生というよう
なテーマもその中に入ってくるかもしれません。こういうコミュニティづくりに向けて
自治会、NPO、更には自治体がそれぞれ連携して、よりよいコミュニティづくりを作
っていくための学会としての議論の場、政策づくりの場というものを手がけております
ので、今日、ここにお集まりの皆さんの関心をお持ち頂きまして、学会の本大会、香川
大会の方にもお越し頂けると幸いでございます。今日は大変お忙しい中、多くの方にお
越し頂きましてありがとうございました。これでコミュニティ政策学会の春のシンポジ
ウムを終了したいと思います。ありがとうございました。
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