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1C 天使らの反逆 2C 戦う天使 3C 肉なる物 4C イエスの勝利

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1C 天使らの反逆 2C 戦う天使 3C 肉なる物 4C イエスの勝利
2列王記6章 15‐17 節 「霊の目」
1A 霊の攻防
1B 預言者の見る霊の世界
2B 霊の戦い
1C 天使らの反逆
2C 戦う天使
3C 肉なる物
4C イエスの勝利
2A 肉の目との確執
との確執
1B 肉における窮地
2B 霊における圧倒的勝利
3B 霊の目が開かれる祈り
本文
列王記第二 6 章 15-17 節を開いてください。私たちは聖書通読の学びをしていますが、午後に
は 6-7 章を学びたいと思います。
15 神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲してい
た。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。16 すると彼は、
「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。17 そし
て、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその
若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ち
ていた。
今、私たちはエリシャの生涯を学んでいます。エリシャが行なった数々の奇蹟の記録を読んでい
ますが、それが恵みと命の現れであったところを見ています。前回は、借金の取立て屋に脅され
ていた預言者のやもめに、空の器への油という奇蹟を与えました。シュネムの女には、男の子の
誕生と男の子の死からの復活を見せました。そして、預言者のともがらには、飢饉が来たときに毒
の入った瓜の毒を取り除き、わずかな数しかなかったパンから百人分のパンを増やしました。そし
て、アラムの将軍ナアマンのらい病を治しました。
このように、人が困っている中にその必要を満たしていく働きをエリシャが行っていますが、6 章
と 7 章には、「信仰による目」をエリシャが持っていることを見ていきます。今読んだ箇所は、エリシ
ャがイスラエルのために、敵の動きを逐一、王に与えていたことによって起こったものです。アラム
が略奪に来ても、どこを襲ってくるか全て事前にエリシャが王に伝えていました。それでアラムの
王は怒って家臣たちに、「ここに情報漏えいがある。内偵をしているスパイがいるぞ。」と言ったら、
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家臣たちは、「いいえ、預言者エリシャがすべてを伝えて、王様が寝台で奥様にお話しなさってい
る会話までも伝えているのです。」といいました。そこで王は、全軍を遣わして、エリシャの小さな家
を包囲させたのです。武器を何一つ持たない預言者の家に全軍を配置するとは、アラムの王はず
いぶんエリシャを恐れたことでしょう。
その包囲の姿を見た、エリシャの付き人の若者はそれを見て絶体絶命だと思いました。けれども、
エリシャは、「絶体絶命なのは、あちらのほうだ。」と答えて、それで、この若者の目を開いて、見え
るようにしてください、と主に祈りました。そうしたら、エリシャの家を包囲しているアラム軍を取り巻
いて、火の馬と戦車、すなわち神に仕える霊の勢力がいたのです。
1A 霊の攻防
私たちは日頃、絶えず接している世界は二つあります。一つは、目に見える物質の世界です。私
たちの肉眼で認めることのできる世界です。そしてもう一つの世界があります。目に見えない霊の
世界です。物質の世界と霊の世界は、同時に同じ場所に存在することができます。私たちは肉眼
で見ている世界だけで生きていると思いがちですが、常に霊の世界との接触の中で生きていると
いうことを知らないといけません。聖書には、「神は霊です」とあります。
霊の世界なんてありえない、と思われるかもしれません。なぜなら、目に見えないから、と言いま
す。けれども、目に見えなくても目に見える世界によってその存在が確認できるものは、いくらでも
あります。風はいかがでしょうか?風そのものを肉眼で見ることはできますか?いいえ、風によっ
て動くものがあることによって、風の存在を認めることができます。電波はいかがでしょうか?アフ
ガニスタンで宣教の働きをしている人が話していましたが、ある人が初めてテレビを見たのだそう
です。その映像を見たとき、その人はテレビの裏側を見て、その中にある動いているものを確かめ
ようとしたそうです。私たちはその行為を笑ってしまうかもしれません。けれども、目に見えないか
らありえないとする立場は、まさにテレビを見て、その裏側を見ているのと同じことをしています。
ちょうど電波が、物質と同時に存在することができるように、霊の世界は物質の世界と同時に存
在しています。私たちが見ているのは肉眼による物質の世界ですが、絶えずこの霊の世界に接し
ているという現実を知らなければいけません。
1B 預言者の見る霊の世界
聖書に登場する、神に用いられた人々は、霊の世界をはっきりと見る体験を持っています。天か
らの使者、御使いに出会っています。アブラハムは三人の旅人をもてなしていましたが、彼らは御
使いでありました。その一人がヤハウェの使い、イエス・キリストご自身であると考えられます。同
じようにヤコブは、兄エサウに会う前に神の使いと格闘しました。モーセは、ホレブの山で燃える
柴を見ました。けれどもその柴は燃え尽きることはありせんでした。そこに主の使い、主ご自身が
おられました。ヨシュアはエリコを攻略する前に、主の軍の将に出会っています。
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預言者エゼキエルは、霊の世界の幻を次々に見ました。ケルビムの姿を見ました。そして、ダニ
エルは、数々の天使がやって来て、終わりの日に起こることについて、その戦いについて教えられ
ました。新約聖書では、ペテロが牢に入れられた時に御使いが来て、彼の鎖を時、牢の鍵をあけ
ました。パウロは、嵐の中の船において、御使いが来て彼を励まし、船の中にいる者たちは一人も
死ぬことはないと告げました。そしてヨハネは、パトモス島で、終わりの日に起こることを、数々の
御使いの啓示によって幻が与えられています。
2B 霊の戦い
そして、これら御使いは激しい戦いを繰り広げていることが分かります。ヤハウェの使いであるイ
エス・キリストご自身は神の御子であり神ご自身でありますが、その他の使いは神に仕えている者
たちです。「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされた
のではありませんか。(ヘブル 1:14)」仕える霊であり、魂の救いを得た者たちに仕えるために遣
わされました。ですから、イエス様を信じた者たちは、もちろんご聖霊が私たちを助けてくださって
いますが、その横で天使たちが私たちに仕えています。イエス様ご自身も、この地上におられた時
に御使いの奉仕を受けられました。荒野の誘惑の時に、またゲッセマネの園において、そのとて
つもない苦悩の祈りにおいて、御使いが仕えていたのです。
イエス様は、「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけな
さい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御
顔をいつも見ているからです。(マタイ 18:10)」と言われました。「この小さい者たち」というのは、
一つに実際の幼い子どもを意味しますし、また純粋に神を信じている、神の子どもたちをも意味し
ます。しばしば私たちは、小さな子を見て天使だと表現しますが、それは間違いです。天使ではな
く、天使が神を見上げながらその子たちを守っているのです。
1C 天使らの反逆
けれども、このように神に仕える天使だけではありません。神の秩序に反逆した勢力があるので
す。「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日の
さばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。(ユダ 6)」神に反逆し
た霊どもがたくさんいます。悪魔は、神に反逆した天使であり、彼に従った者たちがいます。黙示
録 12 章 4 節には、イエス・キリストがお生まれになる頃に、三分の一が地上に投げつけられたと
あります。福音書には数々の悪霊どもが出てきますが、彼らは堕落したこれらの天使だった者ど
もであったと考えられます。
2C 戦う天使
これらの天使の力を決して侮ってはなりません。いや、私たちが目で見ている物質の世界、特に
権威や権力、位と言われているものが、これらの目に見えない霊の力によって動いているというこ
とを知るべきです。ダニエルはこうした善と悪の霊の攻防を見ました。10 章には、「ペルシヤの君」
そして「ギリシヤの君」というものが出てきます。そしてイスラエルの君としてミカエルが出てきます。
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ペルシヤは今のイランですが、当時は今のアフガニスタン辺りからパレスチナ、そしてエジプトの
北部を支配した巨大帝国であり、その後に出てきたギリシヤはインドにまで勢力を伸ばし、同じよ
うにエジプトまで支配した世界帝国です。これらの帝国の権力の背後には天使がいて、神に反逆
していたのです。
3C 肉なる物
これらの悪の勢力が、イエス様を心の中に受け入れて信じて、神の聖徒となった者たちに猛烈
な戦いをしかけています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの
世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ 6:12)」
これらの主権、力、暗やみの世界の支配者たち、そして天にいるもろもろの悪霊は、人が神によ
って新しく生まれたからこそ、猛烈に攻撃していきます。自分の支配に従順である者たちに対して
は、別に戦う必要は全くありません。自分の言いなりになっているからです。罪の中に生きている
者たちは、そのようになっていると聖書は教えています。「そのころは、それらの罪の中にあってこ
の世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従
って、歩んでいました。(エペソ 2:2)」これはちょうど、産卵のためにひたすら川上りをする鮭に似て
います。生きている鮭のみが川の流れに逆らっています。川の流れに従っているのは、死んでい
ることを意味するのです。
4C イエスの勝利
けれども、これら罪の中にあって死んでいて、悪の勢力の思いのままになっている者たちをキリ
ストが生かして解放してくださいました。十字架と復活によって、それを行なってくださいました。私
たちはイエス様の十字架と復活を見るときに、その目に見える出来事を思い出すのですが、目に
見えない霊の世界で、イエス様が悪の勢力に対して決定的な勝利を収められたということを決し
て忘れてはいけません。「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立ててい
る債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神
は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱
旋の行列に加えられました。(コロサイ 2:14-15)」あらゆる支配と権威と呼ばれている霊どもを、捕
虜として凱旋の行列に加えられたのです。
さらに、キリストはこれらを完全に制圧された後に、ご自身、教会の頭になられたとあります。「神
は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上にお
いてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかり
でなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、い
っさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教
会にお与えになりました。(エペソ 1:20-22)」分かりますか、この教会はキリストのものなのです。
あらゆる悪の勢力を完全に制圧されたキリストが、教会の頭となっておられるのです。だからイエ
ス様は、ハデスの門もこれに打ち勝つことはできないと約束されました。
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したがって、私たち信者は激しい戦いの中にいます。けれども、その戦いはキリストによってすで
に勝利を得ています。「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信
仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる
者ではありませんか。(1ヨハネ 5:4-5)」
2A 肉の目との確執
との確執
1B 肉における窮地
したがって私たちの戦いというのは、「何を見ているか」の戦いになります。エリシャの家をアラム
軍が包囲しました。朝起きて、エリシャに仕える若者がこう言っています。「ああ、ご主人さま。どう
したらよいのでしょう。」この若者の絶望の嘆きは、目に見えるものだけを見ている私たちの嘆きと
同じです。
皆さんに私がこのように御言葉を伝えていること自体、私は悔い改めの中で行なっています。な
ぜなら、私は以前、日本のというところでは他の国に見られるような聖霊の働きは起こらない、と
思っていたからです。御使いが預言者ゼカリヤこう言いました。「これは、ゼルバベルへの主のこ
とばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。大いな
る山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と
叫びながら、かしら石を運び出そう。(ゼカリヤ 4:6-7)」いかがでしょうか?これまで、何年も働きか
けても決して信仰を持てなかった人であっても、ご聖霊が働かれたら、救いは一瞬のうちに与えら
れます。目で見えるところに従えば、日本人は福音に対してかたくなであります。けれども、ここで
キリストの言葉を心から受け入れて聞いておられる皆さんがいらっしゃいます。私は、「もう日本は
絶望的だ。」と思っていた時期がありました。けれども、それは目に見えることばかりを見ていたか
らに他なりません。
皆さんはいかがでしょうか?自分は魂の救いを受けたけれども、周囲の人々は無理だと思って
いませんか?私が間違った間違いを皆さんも繰り返さないでください!決して目に見えるところに
従って、周囲にいる人々について絶望しないでください。
2B 霊における圧倒的勝利
エリシャは言いました。「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだ
から。」ここの「ともにいる」という言葉は、「味方をしている」と言いかえることができます。エリシャ
と若者に味方している者が、彼らに味方している悪の勢力よりも多いのだから、ということです。パ
ウロが言いました。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だ
れが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ 8:31)」神が味方しておられます。
物理的な窮地を決して甘く見てはいけません。ましてや、悪の勢力に対して私たちは決して甘く
見てはいけません。アラムの軍勢が圧倒的な力でエリシャの家を取り巻いていることは、事実であ
り現実でした。私たちが勝利していると教えると、「ならば、何もしないでも神は自動的に勝利を与
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えてくださるのだ。」と思う人がいます。それは、圧倒的な武力を持ち、最新兵器を持っている軍隊
が、その兵士たちが眠っていたため、貧弱な機関銃しか持っていない敵によって襲撃を受けてい
るような状態であります。サルデスの教会を思い出してください。イエス様がこう言われました。
「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行な
いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。(黙示 3:1-2)」
ですから、私たちは目を覚まして、主にあってこれら悪の勢力に立ち向かうのですが、これらの
巨大な勢力よりも、大能の力を持つ神、そしてそれに仕える御使いたちはそれらの勢力よりも大き
な力を持っているのです。「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったの
です。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。(1
ヨハネ 4:4)」アラム軍はエリシャと若者を包囲していましたが、火の戦車と馬、すなわち戦う天使た
ちは、そのアラム軍を包囲していたのです。包囲する勢力は現実であり強力ですが、私たちに味
方しておられる方は、さらに圧倒的な力を持ってこれらの勢力を制圧することができます。
3B 霊の目が開かれる祈り
だから、問題は自分たちが弱いのではなく、こうした霊の世界を見ることができていない霊の目
がないことです。エリシャの祈りは、「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」でした。
私たちがどれだけ、霊の目を持っていられるかが勝利の決め手になります。だから使徒パウロは、
エペソにある教会の人々にこう書き送ったのです。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すな
わち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがど
のようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の
働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたが
たが知ることができますように。(エペソ 1:17-19)」
ですから、今から祈りましょう。私たちに霊の目が与えられるように祈りましょう。神を知るための
知恵と啓示の御霊が与えられるように祈りましょう。聖徒が受け継いでいるものがどれだけ栄光に
富んだものか悟ることができるよう、祈りましょう。神の全能の力が、信じる者にどれだけ働くのか、
それを知ることができるように祈りましょう。私たちは霊の戦いの中にいます。ご自分の目が開か
れるように祈るだけでなく、互いのためにも祈りましょう。「すべての祈りと願いを用いて、どんなと
きにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、
忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ 6:18)」
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