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ダークツーリズムと観光学

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ダークツーリズムと観光学
ダークツーリズムと観光学
追手門学院大学
井出明
はじめに
日本においてダークツーリズムが新聞等のメジャーメディアで紹介されるよ
うになってから、現在まだ3年程度しかたっていない。しかし、この間、テレ
ビやラジオにとどまらず辞典類にもこの言葉が登場し、一般社会での認知度は
飛躍的に向上したと言っても良いであろう。2013 年には「流行語大賞」のノミ
ネート 50 語にも選ばれ、もはやこの観光形態は酔狂な物好きの趣味の領域とは
言えなくなっている。にもかかわらず、ダークツーリズムは既存の観光学に受
け入れられているとは言いがたい。本稿では、既存の学問領域、特に観光学と
の関係性の中でダークツーリズムの再検討を試みる。 1.既存の観光学におけるダークツーリズムの立ち位置
日本の観光政策の司令塔である国土交通省観光庁は、これまでの枠に収まり
きらない新しいタイプの観光をニューツーリズムと呼び、今後の展開に期待を
寄せているi。同庁の見解によれば、「これまで観光資源 としては気付かれてい
なかったような地域固有の資源を新たに活用し、体験型・交流 型の要素を取り
入れた旅行の形態」がニューツーリズムの核心をなし、具体的には、
「エコツー
リズ ム、グリーンツーリズム、ヘルスツーリズム、産業観光等が挙げられてい
るものの、ダークツーリズムに関する言及はなされていない。
それどころか本稿を執筆している 2016 年 3 月 15 日現在、国土交通省観光庁
のサイトのどこにも、ダークツーリズムというフレーズは存在していないので
ある。
冒頭で述べたように、多くのメジャーメディアで取り上げられているにもか
かわらず、いわば意図的に観光庁がダークツーリズムの存在を無視していると
言っても過言ではないだろう。
この日本の国土交通省観光庁の対応は、アカデミシャンの世界から見ると滑
稽ですらある。Dark Tourism という言葉が登場したのは、1996 年に発行され
た International Journal of Heritage Studies の 2 巻 4 号においてであ
るが、その後この言葉と概念は欧米文明圏のみならず、旧植民地や留学生の出
身国であるアジア・アフリカ圏にも急速に普及した。国際地理学連合(IGU)
の年次大会の観光部門では、2014 年のクラクフのように主要テーマとしてセッ
ションを構成することもあり、国土交通省観光庁がこの概念に関して見向きも
しないというのはまったくもって妙ですらある。
2.ニューツーリズムとの関係
観光庁は、なぜダークツーリズムを議論の俎上に載せることすらしないので
あろうか。観光庁自身がニューツーリズムの必要性を「従来の物見遊山的な観
光旅行・・・」との決別から説明しているように、ダークツーリズムも扱うト
ピックがシビアである以上、遊興から離れたところで成立することとなる1ii。で
は、ニューツーリズムの中にカテゴリーとして成立するかといえば、このニュ
ーツーリズムという言葉自体が、日本でしか使われていない用語であるため、
国際的な広がりを持たないし、それがまた外国人研究者との協働をかえって難
しくしている。そして、ニューツーリズムの中にそれぞれカテゴライズされて
いる文化観光やエコツーリズムといった概念も、世界遺産制度の前では重なり
あうところも多く、それぞれ排他的な存在ではない。WEB サイトでは、所管す
る官庁名を記してあるのだが、現実の観光資源は役所の縦割りを超越した状態
で存在している。ラムサール条約に指定された渡良瀬遊水地などは、エコツー
リズムの聖地でもありながら、足尾鉱毒事件の対応で作られた経緯から歴史観
光の対象にもなる。こうして考えてみると、ニューツーリズムのカテゴリーは
あまり整理されて提案されたものとはいえず、頭に浮かんだ概念を列挙したに
すぎないのかもしれない。分類に理論的一貫性や緻密性もない以上、ニューツ
ーリズム概念に拘泥することは、物事の本質を見失いかねない。
さらに、ダークツーリズムが地域住民にとって扱いにくい情報を対象にする
こともあり、たとえニューツーリズムの観点にたったとしても、それがダーク
ツーリズムという概念を包摂しきれない場面は多々ある。これについては、復
興観光との関係で説明する。
Lennon(2000)などに見られるダークツーリズムの定義は“戦争や災害などの
人類の悲劇を巡る旅”という非常にシンプルなものである。目的や意義につい
ては、解釈で導かれており、論者によってばらつきがある。
1
3.復興観光との関係
日本におけるダークツーリズム研究が本格化した 2012 年以降、ダークツーリ
ズムが復興の妨げになるのではないかという懸念が示されたことがあるiii。2016
年初頭の現状から考えると、この問い掛けは論理的にはもはや意味を失いつつ
ある。
震災当時は、
「復興」と言う言葉はとりもなおさず輝かしい未来を意味してお
り、復興に向かう被災地にダークという言葉を投げかけるのは不適切であると
いう意見もあった。
しかしながら、震災後5年近くを経て、いわゆる「復興」があらたなる破壊
をもたらしていることが各地で報告されている2。大規模土木工事が元々のコミ
ュニティを分断し、もはや震災前の社会を再生することが難しくなるとともに、
論者によっては、
「東北は津波という水で一度破壊され、次に土木工事という土
で二度目の被災にあった」と述べる向きもあり、いわゆる“復興”にまつわる
活動が必ずしも圧倒的支持を得ているわけではないことがわかる。
復興観光と呼ばれる概念は、被災地外からも旅行者を呼び込み、人的および
経済的交流を図ることで、被災地の活性化を目指す営為であると言って良いだ
ろう。その方向性は、
「明るく元気に頑張る被災地」というコンテクストで語ら
れる。
ところが、ダークツーリズムが焦点を当てる箇所は、まさに悲劇の記憶の承
継であるため、被災地の各種のダークサイドも扱うことになる。
人類の教訓を次世代に伝えるという意味では、石巻のボランティア活動のリ
ーダーが公金を横領した話や、高速道路の修復にともなって土建業者が独占禁
止法違反で告発された事件などは、地元の人にとっては触れられたくない話題
であろうが、教訓の承継という観点からは大変重要な意味を持つ34。
例えば、朝日新聞 2015 年 1 月 31 日東京朝刊 1 面では、
「巨大防潮堤、何守る 宮城・雄勝」と題された石巻市雄勝町の復興事業の様子が紹介され、土木工事
が地域コミュニティを分断する状況が報告されている。(オンライン入手先 http://www.asahi.com/articles/ASJ17621SJ17UNHB00V.html 2016 年 3 月 15
日確認)
3 ボランティアの受入を行っていた石巻災害復興支援協議会の代表者は、
同時に
民間企業である藤久建設の代表取締役も務めていたが、同社はがれき処理を市
から請け負ったものの、その一部の処理を無償ボランティアに行わせ、委託金
の一部を横領するという事件を起こした。代表者は、復興関係の多くのイベン
2
また、復興の華々しい掛け声とは一線を画して、現場で生じた様々な悲劇を
語り継ごうとする動きもある。こうした活動を行う人々は、被災地ではマイノ
リティもしくは権力と対峙する存在であることが多い。例えば、女川の七十七
銀行の避難の失敗に関して企業責任を追求した人々は、現地では極めて少数派
の立場であり、東北の大企業である七十七銀行を向こうに回して近親者の死に
ついて記憶を繋がなければならない状況に陥っている5。また、石巻市の大川小
学校の悲劇は、しばしばメディアにおいて言及されるが、一部遺族が石巻市と
訴訟を構えているため、石巻市の公の復興計画や記憶の承継に関する事業から
は一線を画された状況にある6。
被災地の明るく元気な復興を扱う「復興ツーリズム」では、こうした少数者
の悲劇を救い上げることが出来ず、さらに権力側にとって望ましくない記憶は
断絶してしまう。
それ故、権力や体制から一定の距離を保ち、声なき民の悲劇を記憶するタイ
プのダークツーリズムは、一般的な意味での復興観光とは異なる独自の意義を
持ち続ける7。
トで講演などの活動も行っており、その一方で市との強いつながりを指摘され
ていた。なお、石巻災害復興支援協議会は、震災の翌月から稼働し、その翌月
である 5 月に一般社団法人化されている。(2014 年 10 月 31 日朝日新聞宮城全
県・27 ページ等を参照)
4 東北地方では、東日本大震災の応急的な復旧期間が経過したあとでも、高速道
路建設において談合が繰り返されたことが報告されている。(産経ニュース
2016 年 1 月 19 日など http://www.sankei.com/affairs/news/160119/afr1601190004-n1.html 2016
年 3 月 15 日確認)
5 宮城県女川町では、
七十七銀行女川支店で働いていた人々が津波に際して管理
職の指示で屋上に避難したため、命を落とすことになった。遺族の中に、銀行
の避難誘導の誤りを主張し、訴訟を構えた事案があったが、企業側の勝訴で判
決は確定した。(朝日新聞 2016 年 2 月 19 日東京朝刊 2 面等を参照 オンライ
ン入手先 http://www.asahi.com/articles/ASJ2M00RWJ2LUTIL05T.html 2016 年 3 月 15 日確認)
6 大川小学校については、東日本大震災の発生時、教職員による避難誘導の誤り
が指摘されており、多くの子供達の命が失われた。石巻観光協会は、
“石巻・大
震災まなびの案内”という事業を実施しているが、公の案内対象に大川小学校
は入っていない。(石巻観光協会 “石巻・大震災学びの案内”参照
http://www.i-kanko.com/archives/1445 2016 年 3 月 15 日確認)
7 復興庁の会議では、2016 年になって初めて観光の領域が現実的な検討課題と
して取りあげられたが、東北観光アドバイザー会議の第 1 回において、阿部憲
4.ダークツーリズムの射程
このように考えた時、ダークツーリズムの中心的課題が果たして観光学にお
かれていて良いのかという問題が浮かび上がる。ダークツーリズムと言う概念
は、前述のとおり確かに、International Journal of Heritage Studies の 1996
年の特集号で登場し、その後も観光学の中で扱われてきたiv。系譜的には、従来
観光資源とは考えられなかったツーリストの行動分析に切り込んでいった研究
がある以上、観光学が扱う対象であることには違和感はないかもしれない。何
より、人の移動を伴い、そこに非日常性と享受者の非営利性が認められるから
には、観光の定義の核心に入るという考え方も成り立ちうるだろう。
しかし、上記はダークツーリズムを現象面から分析した見方であって、その
目的から考察しているわけではない。ダークツーリズムの最大公約数的な定義
は、
「戦争や災害などの悲劇の場を巡る旅」であるため、実は目的に関しては研
究者間での一致を見ているわけではない。但し、
「悲劇の記憶を承継する」とい
うテーゼをダークツーリズムの目的として主張したとしても、実は矛盾が起こ
るわけではない。サンフランシスコのアルカトラズ監獄のツアーは、確かに娯
楽性の強いものであるが、そこで繰り広げられた受刑者への各種の人権蹂躙に
関する記憶を承継しようとすることは、その旅をより意義深いものにする。さ
らに、しばしばダークツーリズムへの批判として語られる、事件・事故への「覗
き見趣味に過ぎない」という言説に対しても、そこで生じた悲劇をモデル化す
るなり、また何らかの抽象化をするなりして、物見遊山を超えた記憶の承継が
図られるのであれば、その営為はすでに「覗き見」を超えた意義深い体感に昇
華される。
ダークツーリズムの研究を、ツーリストの形態ではなく目的の面から捉え、
その目的を「記憶の承継」においた場合、もはやダークツーリズムの研究は観
子委員(南三陸ホテル観洋 女将)から「ダークツーリズムではない観光イメ
ージ戦略の模索」と記されたプレゼン資料が提出されており、復興過程におい
て不可避的に発生してくる地域対立等の問題点については言及されていない。
また同資料では、本稿において懐疑的に扱っている土木事業についても陸前高
田や女川を含め復興事例として冒頭で複数箇所を紹介しており、震災後シーケ
ンシャル(一次元的)に復興に加速する地域というトーンで全体が貫かれてい
る。
https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-19/Tourism_indu
stry/20160122_siryo4.pdf (2016 年 3 月 15 日確認)
光学の領域に属するものなのかという問いが沸き起こってくる。ダークツーリ
ズムが存在する領域は、情報の承継や伝達という観点から考えた場合、情報学・
社会学・心理学に重心があるかもしれないし、災害の記憶の承継の視点から分
析すると防災や文化人類学に親和性が高いこともわかってくる。また、ピカソ
の“ゲルニカ”や岡本太郎の“明日の神話”を例に出すまでもなく、悲劇と関
連したコンテンツは多数存在する以上、芸術学はダークツーリズムと切り離せ
ない学問であろう。さらに、博物館はダークツーリズムを展開するにあたって
は必須の装置になるが、これはアートマネジメントや文化政策と関係する。そ
して、南京やハルビンの 731 部隊の記憶は、政治運動と結合しうるため、政治
学や国際関係論も当然に関わりを持つ。
このように考えると、ダークツーリズムを観光の問題として捉えることは、
かえってその可能性を矮小化してしまうことになりかねないのではないだろう
か。同時に、観光学の領域では、未だダークツーリズムを積極的に迎え入れる
ことが困難な状態にあるといえ、これは、旧来型の観光学者が感じてしまう独
特の違和感に起因しているv。観光はこれまでレジャーに近い概念で論じられて
きており、余暇学会が観光を扱うなどしているため、悲劇や哀しみとは直接に
関連しない学問体系を作ってきた。そこに、ダークツーリズムが割って入るこ
とは、現在の観光学の調和への乱入となるため、エスタブリッシュメントの側
は、当然の事ながら警戒を持って接することになる。
しかし、それでもなお、現地に赴くことは、情報だけでは感じることの出来
ない対象の圧倒的な存在感を味わうことができるし、災害や戦争の悲しみの承
継は単なる左派の政治運動を超えた普遍的な価値を有しているといえる。現場
に行かなければわからないことがある以上、それは、
「非日常的な移動」がもた
らす価値であり、この点においてかろうじて観光学が関わる意義もまた存在す
るのである。
日本の観光学の系譜は、悲劇の価値を積極的に取り上げる活動をこれまで十
分にはしてこなかった。世界遺産との関係性で言えば、2014 年に文化遺産に登
録された富岡の製糸工場に関しても、全時代ではないにせよ、一部労働搾取的
な時期があったのにもかかわらず、そうした悲しみの記憶を受け継ぐ議論は観
光学では起こってこなかった。2015 年の明治日本の産業革命遺産の世界遺産登
録に関しても、韓国から徴用に関するクレームはついたものの、産業災害や公
害、労働問題に関連する地域のダークサイドを見つめようとする動きは希薄で
あった8。さらに、2016 年の世界遺産登録を目指していた長崎の教会群とキリス
ト教関連遺産に関しては、ユネスコの関連機関から禁教や弾圧への言及が不十
分だという指摘がなされ、日本政府は推薦の取り下げに追い込まれることにな
ったが、観光関連学会なり観光学の研究者コミュニティでこうした議論が事前
に熱心に交わされることもなかった。このように、元々我が国の観光学におい
ては地域資源の影を見ようとする動きがそもそもあまりなかったと言えよう。
しかし、この 3 年間の日本をめぐる世界遺産登録の課題を俯瞰するに、地域
のダークサイドを見ないままに、議論をすすめることはもはや難しくなってき
ている。
同時に、メディアや実際の旅人たち、そして観光以外のドメインの学問がそ
の価値をダークツーリズムに見出している以上、観光学および観光業の外の領
域からこの概念の浸透が図られ、やがては独自の存在価値を持ちながら、無視
できない学問の分野に育っていくことが期待されよう。
ダークツーリズム研究に関わるということは、こうしたダイナミズムの中に
身をおくことにほかならず、新しい学問分野の生まれるまさに“瞬間”を見る
ことになる。
謝辞 本研究の経費の一部は、科学研究費基盤研究(C)「日本型ダークツーリズムの
確立と東北の復興を目指して」
(研究代表者 井出明)、科学研究費基盤研究(C)
「道の駅を活用した観光振興と防災インフラに関する研究」
(研究代表者 麻生
憲一)、日本観光研究学会研究分科会「ダークツーリズムと近代化産業遺産研究
会」(研究代表者 井出明)によって賄われている。
但し、2015 年の明治日本の産業革命遺産の登録に先立って、筆者らが日本観
光研究学会に問題提起を行い、
「ダークツーリズムと近代化産業遺産研究会」の
設置が認められ、現在まで検討が続けられている。
8 参考資料
i 国土交通省観光庁 WEB サイト 「ニューツーリズムの振興」
(最終更新日:
2016 年 3 月 11 日):http://www.mlit.go.jp/kankocho/page05_000044.html 2016 年 3 月 15 日閲覧
ii Lennon,J & Foley,M (2000)“Dark tourism— the attraction of death and
disaster”, CENGATE Learning
iii 大森信治郎(2012)「
「復興ツーリズム」或いは「祈る旅」の提言 : 「ダーク・
ツーリズム」という用語の使用の妥当性をめぐって 」『観光研究』 24 巻 1 号,
pp.28-31
iv International Journal of Heritage Studies (1996) vol2 Issue 4, Routledge
v 溝尾良隆(2015)『観光学―基本と実践 改訂版』古今書院,PP146-148
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