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(1)アジア大陸 ユーラシア(亜欧大陸)の主体部として、地球上最大の

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(1)アジア大陸 ユーラシア(亜欧大陸)の主体部として、地球上最大の
第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
ジア東縁の山脈は、海岸に急で陸側に緩やかな地壇であり、 花さ
(1) アジア大 陸
(11) イタリア半 島 、コルシカ、サルジニア、シシリー
い列島は、太平洋の陥没によって生じた曳裂弧であるといい(「東
(2) 朝 鮮 半 島 と黄 海 裂
(12) イベリア半 島
南 ア ジ ア の 地 理 学 的 研 究 」 1903 年 ) 、F . テ ー ラ ー や A . ウ ェ ゲ ナ
(3) 中 国 の陸 塊
(13) イギリス島
ーは、東南アジアの膨出は、アジア大陸の赤道方向への滑り出しに
(4) インドシナ及 びインドネシア
(14) ライン谷 とオランダ低 地
よるものであるとし、デュトワは、チテス海を挟む南北両大陸が
(5) インドとヒマヤラ
(15) スカンジナビア半 島
(ローラシアとゴンドワナ)ここに向って流動集中したものである
(6) 西 南 アジアの陸 塊
(16) アフリカ大 陸
などとしていたが、地殻の縮退の考えに立って見ると、そうではな
(7) シベリアの陸 塊
(17) 南 北 アメリカ大 陸
く、これは、アジアの核と見られる、アンガラ楯状地(安定地塊、
(8) ヨーロッパ州
(18) グリーンランド
クラトゲン)付近を中心とするアジアの陸心に向って、西太平洋、
(9) アルプス
(19) オーストラリアとその周 辺 地 帯
インド洋、北極海上に広がっていた広大な造陸物質の皮膜が、あた
(10) バルカン半 島 とエーゲ海
(20) 南 極 大 陸
かもゴム皮膜が収縮するように、東から南から、北から一大縮退の
(平 均 標 高 が飛 び抜 けて高 い大 陸 )2,040m
波を起こして、縮退集積してつくられたものと思われ、同じユーラ
シア大陸塊の中でも、アフリカの成立に強く影響されたヨーロッパ
地塊とは、その成立の趣きが全くちがっている。
まず、東から来た質量は、その途中黄海裂ができてからは、アン
ガラとチベットの二陸心に向って縮退し、その厚さを増すとともに、
幾つもの褶曲を起こして立体化し、その後期、大陸縁に大海溝がで
( 1) ア ジ ア 大 陸
きると、それが縮退最後部にはたらいて、大小5つの花さい列島を
ユーラシア(亜欧大陸)の主体部として、地球上最大の質量を集
雁行させ、反対に東に向って縮退してアメリカ大陸をつくった物質
めているアジアの陸塊は、これまでその南部の特徴的な地形から
とは、最後までベーリング地峡でつながり、新生代以降それも切れ
(ヒ マ ヤ ラ の 大 褶 曲 、 南 東 部 の 膨 出 等 )、 F . リ ヒ ト ホ ー ヘ ン は 、 東
て、そこにベーリング海峡をつくったものと解され、また、南方か
ア ジ ア の 基 本 構 造 は 、 支 那 方 向 (北 60°東 )に 近 い 東 西 性 の も の と
ら来た質量は、もとゴンドワナ大陸として南半球に広がっていた、
( R . パ ン ペ リ ー の 提 唱 「 支 那 、 朝 鮮 、 日 本 の 地 形 学 的 研 究 」 1866
一大造陸物質の皮膜が、アフリカ、南米、オーストラリア、南極大
年 )、 断 裂 に よ る 南 北 性 の も の と の 組 み 合 わ せ か ら 成 っ て お り 、 ア
陸等に分かれたとき、その北部を占めていた大質量が(チテス海下
地殻の縮退に関する覚え書き
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第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
の堆積物)、中生代末から新生代にかけ、想像を絶する大運動量を
ら、中国の大別山地に続いていた、主として古い変成岩(片麻岩
も っ て 、 イ ン ド 洋 を 開 き つ つ 、 一 大 褶 曲 の 波 を 起 こ し て 北 上 (ト ル
類)に新生代の火成岩(玄武岩等)をともなった、アジア東縁の一
コ か ら イ ン ド シ ナ に 延 び る )、ア ジ ア の 腹 下 に 突 入 し (イ ン ド 突 入 )、
褶曲、内側に黄海裂を生じつつ、その外側の海溝のはたらきと、ア
そこにパミール、チベットの大高原、さらにその抵抗のため、標高
ジア縮退からの脱落によって、太平洋側に張り出しはじめ、やがて
8000m 級 ま で 高 め た 大 ヒ マ ラ ヤ を つ く っ た も の で 、 と く に そ の 両 側
山東半島の南側、江蘇省岸で大別山地とのつながりを断ち、基部中
に見られる二大折れ込みは(東ビルマ折れ込み、西のパキスタン折
朝国境付近には広大な溶岩台地(白頭山付近)をつくりつつ、日本
れ込み)、この部分で、その突入がいかに凄絶であったかを示す貴
列島とつながって(九州西側で)、外方への張り出しを続け、その
重な記録であり、世界にその例を見ないものである。
間に山東半島は西朝鮮湾から、遼東半島は渤海湾から抜け出し、そ
従って、南西部のアラビア半島、南西部のインドシナ半島は、そ
の後、日本列島とのつながりが、壱岐、対馬、斉州島、その他の陸
こで向い側へ縮退していった、アフリカ地塊とオーストラリア地塊
片を散布しつつ断裂して、そこに朝鮮海峡をつくったものと考えら
のつながりを、最後まで保っていた接続部であり、インドネシアの
れる。しかも、この陸塊運動は、顕著な東アジア陸棚上で起こって
飛び石は、そのインドシナからオーストラリアをつないだ地峡(イ
いるわけであり、陸棚が大陸の一部であるとしても(A.ウェゲナ
ンドシナ地峡)が、オーストラリアのアジア縮退への追従中断後そ
ーの頃から特にそれが強調されている)、なおその上で、こうした
こに生じた強大な張力のため、無惨に断裂したもの(インドシナ断
地殻運動が起こり得るものであることを示している。(この問題も
裂)と思われ、その中央にあるパリ・ロンボク間の動物分布に関す
きわめて重要なものであり、今後の研究が期待される)。
る不連続線(ウォーレス線)との関係は、今後の研究にまたなけれ
ばならない。しかし、このような南から東からの大縮退に対し、北
(3)中国の陸塊
極海からの質量は、きわめて緩慢に南下縮退しており、従って、そ
アジアの主部を構成する中国の大陸塊は、南から、インド及びイ
こに顕著な褶曲はつくらず、はやくからアンガラ楯状地を中心とし
ンドシナの地塊に押されて北上した質量と、東方の太平洋から、縮
て、安定した地形を保ってきた。
退してきた大質量が、その中央に向って、大集積してできたもので
あり、華北では古生代の中頃から陸化し始め、石炭・二畳紀に一度
(2)朝鮮半島と黄海裂
海進があって以後、ずっと陸成層の発達が続き、そこに広大なタリ
アジア東縁の地形を特徴づけている、花さいの主要なひとつであ
ムの盆地や、ゴビの砂漠をいだく大高原をつくり、シベリヤ地塊と
る、朝鮮~琉球弧の成立は、もと東シベリアのシホテリアン山地か
の境界には、古生層で諸々推し被せ構造を示す、テンシャン、アル
地殻の縮退に関する覚え書き
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第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
タイ、サヤン等の褶曲をつくっており、造構造推の顕著な中央部で
あり、ともにアジアの地続きであるスンダ陸棚上にある。これに対
は、比較的均質なジュラ系の地層や陸成層が発達して、そこに幾つ
し、セペベス、カーペンタリア湾を残して抜け出したパプア島及び
かの中生代の変動(エンシャン変動)が残り、南部では、古生代を
付近の縁島は、オーストラリア大陸の一部としてその陸棚上にあり、
通じて海進海退を続けていたチテス海上の質量が、南と東から縮退
両者の境界は、セレベスと小スンダの中間を通っている(ウォーレ
圧で盛り上がり、とくにその運動の最も激烈であった西南部では、
ス線はその生物学的境界)、しかもその中、ボルネオ、セレベスの
中生代までチテス海下であった大質量がヒマラヤをおこして大興起
二つは、インドネシア飛び石の一つであると同時に、台湾、フィリ
し、そこにチベットからコンロンに至る、世界最大の大高原をつく
ピン花?の一部でもある。
ったのである。
この飛び石の基部としてアジアから突出している、インドシナ半
東岸の黄海は、この圧縮構造の中国陸塊中、唯一の裂開構造であ
島は、縮退に伴う張力でくびれた幾条かの束状山脈から成り、その
り、単に朝鮮、琉球、花?の基部地裂というだけでなく、アジア大
もとは西の大ヒマラヤに続いているが、これがビルマの北方で、直
陸の褶心が、アンガラとチベットの二大凝心に分かれたことと関連
角以上に折れ曲がり、ビルマ折れ曲がりとも言うべきものをつくっ
していると見られる。また、台湾地塊は、そこからフィリピン、ボ
ているのは、これに対する西側のヒンズークシ折れ曲がりとともに、
ルネオと続く東西花?の一基部で、その南にある海南島も、雷州半
もと、東西方向の直線的褶曲であったものが、恐るべき大運動量を
島とともに不完全花?の一部と考えられる。
もって北上した、インド地塊の突入によって、へし曲げられたもの
であり、イタリアの突入によって生じたヨーロッパのアルプスに近
(4)インドシナ及びインドネシナ
似のものを見る外、世界に類例のないものである。
インドシナからインドネシアへと続く一連の陸地は、さきに南半
また、このインドネシア一帯には、F.A.マイネスの観測以来、
球に広がっていたゴンドワナ大陸が、インド洋を開きつつ、アジア、
顕著な重力異常が観測されているが、この地域の地殻変動の歴史が
アフリカ、南極大陸、オーストラリア等に分裂縮退していったとき、
新しく、今も進行している特殊な地下構造によるものとするものの
その連続が長い間残っていた、アジア、オーストラリア地峡が、ア
外、いくつもの仮説が提出されているが、まだ決定的なものはない。
ジアの縮退に引張られ、それに余り従順でなかった、オーストラリ
ア陸塊の運動との間で、無惨に断裂したもので、世界に稀な一大飛
(5)インドとヒマラヤ
び石地形である。したがって、アンダマン、スマトラ、ジャワはビ
インド亜大陸の地塊は、もと南半球を掩うていたが、ゴンドワナ
ルマに、ボルネオは、マレーを含めたインドシナ半島に続くもので
大陸(そのなれの果てがアフリカ大陸)の北部質量がインド洋を開
地殻の縮退に関する覚え書き
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第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
きつつ、アフリカとの間には、マダガスカル島を、またオーストラ
するもので、両岸一帯の断崖は、アフリカ東岸の断崖と対応するも
リアとの間にはインドネシア飛び石を残しつつ、恐るべき運動量を
のと考えられる。しかし、同じ陸縁の大褶曲でも、ヒマラヤやアル
もって北上し(デカン高原の溶岩は2億数千万年前から北進を始め
プスは、アンデスやロッキー等に比し、顕著な火山を伴なわないこ
ているとされる)、その前面に広がっていたチテス海の大堆積層
とは注意すべきことである。
(古 生 代 か ら 新 生 代 に 亙 る )を 押 し 上 げ 、 へ し 上 げ 、 そ こ に パ ミ ー ル 、
チベット等の大高原をつくるとともに、さらに後続質量を押し上げ
(6)西南アジアの陸塊
て、そこに逆押し被せの構造や縮軸折れ曲がりをつくるまで押し込
インドから西、アフガニスタン、イラン、トルコと続く西南アジ
んで、ついにその圧力の焦点となった中央部では、頂上に古生代の
ア一帯の高原状陸塊は、インド陸塊とともに西インド洋上を北上縮
石 灰 岩 層 を 厚 く 頂 く 最 高 峰 エ ベ レ ス ト を は じ め 、 標 高 8000m を 越 え
退してきたものであり、その縮軸の東はヒマラヤに、西は遠くアル
る も の 、11 峰 を 数 え る い わ ゆ る 世 界 の 屋 根 ヒ マ ラ ヤ を つ く っ た の で
プスにつながるものであるが、中間にバルカン大折損が生じて切断、
ある。
そこにエーゲの多島海を残し、縮軸の北側は、地中海裂の延長であ
したがって、ヒマラヤとヒンズークシとの関係は、E.ジュース
る黒海、裏海、アラル海等の、いわゆるアジア大湖沼列によって限
の言うような対曲関係にあるものではないし、テーラーやA.ウェ
られている。
ゲナーの言うように、南北巨大陸が、赤道方向へ流動して出来たも
また、アジア、アフリカの中間にあって、重要な位置を占めるア
のでもない。
ラビアは、両大陸から強大な張力によって、西側には紅海裂、東側
同時代であっても、その規模においては雲泥の差があり、また、
にはペルシア湾裂等の、切り立った断裂をつくって孤立したもので
その南麓に広がるヒンドマタレの低地の成立も、E.ジュースのい
あり、一帯に高原化している。シナイの楔状地は、紅海裂の北端が、
わゆる「アジア南進の前置低地」ではなく、さきにできた大褶曲と
スエズ裂とアカバ・ヨルダン裂のふたつに叉状分岐したためにでき
後続質量との間に挟まった、押し下げ低地と言うべきものであり、
たものである。
デカンに広がる大玄武岩台地は、このはげしい縮退過程で地下から
噴出した、古第三紀の一大火成岩台地であり(アルプスにおけるイ
(7)シベリアの陸塊
タリア火山と同一の関係)、インドの先端に下がるセイロン島は、
オビ・エニセイ流域のシベリア低地から、その東、沿バイカル台
この大縮退の終期に、インド地塊の東側先端から脱落したものであ
地帯に続く古期褶曲(カレドニア、バリスカン、先カンブリア輪回
り、ベンガル湾のくぼみは、オーストラリアの西北峰の突出と対応
等の)基盤上に広がるシベリアの陸塊は、もと北極海に広がってい
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世界の主な地形 (1)-(20)
た造陸物質の緩慢な南下と、東方及び南方から押し寄せた質量との
上を集めて、東に縮退するアフリカと共に、これと反対に西へ縮退
合成によってできたものであり、造構運動は一般に緩慢で、さきに
していく北アメリカ、グリーンランド等と、その境目に中央大西洋
見た表アジアの激烈な地殻運動地帯とは、全く対蹠的な様相を示し
隆起帯を残して別れ、ヨーロッパの原剛塊であるフェノスカンディ
ている。
アに向って縮退してきたものであり、カレドニア(スピッツベルゲ
とくに、その核部のアンガラ楯状地は、先カンブリア期の変動以
ン―スカンジナビア―スコットランドと続く褶曲=ゴンドワナ紀~
降、あたらしい地殻変動を受けることなく、安定した地域をなして
デボン紀)、バリスカン(ウラル山脈等=石炭紀~二畳紀)等の造
い る 。 そ し て 早 期 に 出 来 た バ イ カ ル 湖 は 、 水 深 1279m を 示 し 、 陸 中
山運動はその間に起きたもの、とくに、最後に起こったアルプス造
に出来た地裂の一つと考えられる。
山は、中生代から新生代にかけ、アフリカが多量の質量を奪って、
ま た 、 狭 い と こ ろ で は 幅 わ ず か に 25 ㎞ に 過 ぎ な い 、ベ ー リ ン グ 海
大高原化するとき、その境目に地中海裂をつくると共に、ヨーロッ
峡は、新生代第三紀末までつながっていた北アメリカ大陸との間の
パ本体を北方に押し曲げつつ、イタリア突入を起こして(インド突
地峡が、双方から張力によって厚さを失い、切れはじめたものであ
入の小裂)、広大なチテス海の堆積層をヨーロッパ本体の上へ押し
り、反対に、ヨーロッパとの境に横たわる、なだらかなウラルの褶
込み、押し上げ、そこにいわゆる推し被せ構造をもつ、アルプスの
曲は、ヨーロッパの陸塊が、大西洋上から東に押し寄せた縮退に関
大褶曲をつくったもので、その激烈さはインド突入に劣らない。
連して、中生代に生まれたものであり(バリスカン造山期)、その
したがって、バルカン―トルコ間のエーゲ海も、もとひと続きで
北部は屈曲しつつ、ノバヤゼムリャとなって、北極海に沈んでいる
あった、アルプス―ヒマラヤ大褶曲が、ここで無惨に折れて出来た
し、オホーツク海・ベーリング海等は、日本海と同様、千島・アリ
ものであり(バルカンの大折損)、ゾイデル海からライン谷に延び
ューシャン等の花綵に囲まれた縁海である。
る大地構も、このヨーロッパ折れ曲がりに伴って生じた背割れと解
され、イベリアの回転も、このときジブラルタルを軸として、左回
(8)ヨーロッパ州
り に 約 30°回 転 し 、そ こ に ビ ス カ ヤ 湾 を 開 い た も の と 解 さ れ る ( イ
ベリアの大回転、ビスカヤの開裂)。
ヨーロッパの陸塊は、ユーラシア大陸の一部で、アジアの成立と
関連はあるが、直接的には、むしろ南に隣るアフリカ大陸の成立に、
(9)アルプス
大きな影響を受けている。
すなわち、もとアジア、アフリカともつながって、北大西洋上に
ヨーロッパの象徴ともいうべきアルプスは、これまでF.テーラ
広がっていた造陸物質の皮膜が、同じく南大西洋上の質量の半分以
ーやA.ウェゲナーによって、ヒマラヤと共に、同じチテス地向斜
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世界の主な地形 (1)-(20)
の堆積物が、同じ時代に(中生代から新生代にかけてのアルプス造
そして、ここでもヒマラヤの場合同様、アルプス本体の中には、
山輪回で)、同じ機構で(赤道方向への圧縮)できたものと解され
顕著な火山活動は見られず、後続地塊であるイタリア地内に集中し
てきたが、じつはそうではなく、これは、はじめ地続きであった部
ている。
厚いアフリカ大陸の大縮退(陸心に向う)と、若干の回転(スエズ
付近を軸として時計廻りに)の大歪力が、その境界部に働いて、こ
( 10) バ ル カ ン 半 島 と エ ー ゲ 海
こに東西方向の大地中海裂をつくると共に、その北側に広がる質量
バルカン半島は、もと、アルプスからヒマラヤへと続く、一連の
をヨーロッパ本体の上へ押し上げ、その強力な力は、ヨーロッパ本
大褶曲帯の中間部が、中生代以降おこった、地中海の開裂、ヨーロ
体をも北方へへし曲げたもので(ヨーロッパ折れ曲がり)、その運
ッパの折れ曲がりにあたり、それに追従できないトルコ地塊との間
動の強烈さは、ヒマラヤの場合と同様、言語に絶するものがあり、
に蓄積していった歪力が限界に来て、ついにここで折れ、その後も、
かつてアルプス学者が発見した典型的な横臥褶曲や、推し被せ構造
イ ス タ ン ブ ー ル 付 近 を 軸 と し て 、 90°近 く 右 回 り に 廻 わ り 、 い わ ゆ
等は、いずれも、この恐るべき造山運動の結果として生まれたもの
るバルカン大折損を起こしてできたものであり、こうした例は地球
である。
上に他に例がなく、折損面には、当然のことながら多数の裂片を散
しかも、この強烈な造山運動における物質の圧縮量については、
布し、エーゲの多島海を残している。
ハイムは、はじめ2分の1程度としたが、推し被せ構造が発見され
したがって、バルカンの先端ペロポネソス半島から、クレタ島、
て か ら は 、 4 分 の 1 か ら 8 分 の 1 、 す な わ ち 水 平 距 離 に し て 1,200
ロードス島と続く飛び石は、ジナルアルプス~タウルス褶曲が、折
㎞としたが、仮りに現在のモナコ付近が、対岸のトリポリあたりか
損にあたって、その張力線上に切れ残ったものであり、また、アド
ら 北 上 し て 来 た も の と し て 、 そ の 距 離 は 略 1,200 ㎞ に な る が 、 こ の
リア海岸のエストレヤからダルマチァ沖に配列する島々は、ここか
距離には、ヨーロッパ折れ曲がりに伴う分が含まれており、現にヨ
らイタリア地塊が分裂していくとき、その割れ目に落ち込んだ副褶
-ロッパ上へ押し上げている質量そのものは、それより幾分少いは
曲の断片と考えられる。
ずである。
また、アルプスの東西へのつながりについては、これまでいろい
( 11) イ タ リ ア 半 島 、 コ ル シ カ 、 サ ル ジ ニ ア 、 シ シ リ ー
ろに解されて来たが、西は、マルセイユ海岸からチュニス海岸につ
イタリア半島、及びこれら付属の島々は、地中海の開裂、ヨーロ
ながってアトラスへ、東は数条に分かれ、後バルカン山脈を経、ト
ッパの折れ曲がりにあたり、アフリカ北部のアトラス山地の東部を
ルコのタウルスにまとまっていくという連続が、最も妥当である。
構成していたものが、トリポリ湾を残して抜け出してきたものであ
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世界の主な地形 (1)-(20)
り、アルプスをヨーロッパ地塊の上へ押し上げた後続地塊であると
( 13) イ ギ リ ス 島
ともに、最初つながっていた、バルカンの地塊とは、途中から運動
イギリス島は、もとその北に続くスカンジナビアからアイスラン
方向がちがっていったため、やがて、アドリア海の地裂をつくって
ド、グリーンランドをつないで、北大西洋上に広がっていた大カレ
互いに相分れた。
ドニア褶曲の一部で、ヨーロッパ・アフリカ大陸塊の東方縮退にあ
また、付属島の中、コルシカ・サルジニアの二島は、モナコ付近
たり、先行するバリスカンの褶曲との間に、白海からイギリス海峡
の海岸に付着して、トリポリ湾西端のハンマット湾、ガベル湾等か
にいたるバルチック地裂の発生によって、しだいにその縮退から脱
ら、また、シシリー島は、同じくトリポリ湾の東詰シドラ湾から、
落し、続いてスカンジナビアとも切れて、そこに北海断裂をつくり、
それぞれ抜け出してきたものと考えられ、現在のトリポリ湾の横幅
本体も割れて、アイルランドを分けた。そしてその後、折れ曲がっ
が、抜け出したイタリア等の全長より著しく狭小なのは、イタリア
てくるヨーロッパの背が接近して、ドーバー海峡の幅をせばめたも
地塊等は、北上にあたって軸方向にかなり伸び、反対にアフリカは、
ので(この幅は今後さらに狭ばまろう)、また、イギリス島がフラ
東西方向に大きく縮退したことに原因するものと考えられる。
ン ス 海 岸 か ら 切 れ て い っ た こ と を 示 す 、地 質 の つ な が り は 、1752 年 、
フランスの地質学者N.デマンが指摘していることであり、内部が
( 12) イ ベ リ ア 半 島
ひどい氷河期の作用を受けていることも特徴的である。
イベリアの地塊は、一見独立した単純な地塊に見えるが、これは
もと、東のアルプス、南のアトラスとつながって、北大西洋上から
( 14) ラ イ ン 谷 と オ ラ ン ダ 低 地
縮退して来たものであり、地中海裂の進行、ヨーロッパの折れ曲が
これは、従来、古期陸背斜に生じた一連の地溝と解釈されてきた
りに伴って、物質を押し上げるかわりに、ジブラルタルの接点を軸
が、縮退の理論から見ると、ヨーロッパ折れ曲がりによって、この
として、左回りの回転運動を起こし、外側にあたる大西洋側に、裂
部分に大張力が働き、ゾイデル海からライン谷に向って進行した、
開 度 90°に 及 ぶ ビ ス ケ ー 湾 を 開 き 、内 側 地 中 海 側 に は 、 半 円 に 近 く
一大背割れによってできた地溝と解され、その後、ゾイデルの開口
曲 が り 込 ん だ マ ル セ イ ユ の 折 れ 込 み 湾 を つ く っ て 、約 30°左 に 回 転
部は、ラインの流れと沿岸海流の運ぶ土砂によって、しだいに埋め
したものであり(イベリア回転)、内部の地質、構造は、アトラス
立てられ、そこに顕著なデルタや砂州をつくったものである。
山地と共に「褶曲を免がれたアルプス」の姿を示すもので、その構
従って、この部分の背割れ運動が続く限り、オランダ地域の地盤
造の主体でアルピレネーは、フランスのオーベルニューを経て、ア
沈下が、かつて中世に起ったゾイデル海の侵入といったかたちで繰
ルプスの本体につながっている。
り返され、そこに自然は海をつくり、人間は陸をつくるという、果
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世界の主な地形 (1)-(20)
てしない斗いが続くことになるのである。
えられるが、その形体は、陸縁に大褶曲帯をもち、中央が盆状にな
っている他の諸大陸とちがって、その陸縁は、単調で、その上切り
( 15) ス カ ン ジ ナ ビ ア 半 島
立ち、北部に二条に分かれて東西に走る新期の(白堊紀及第三紀)
スカンジナビアは、はじめ、ヨーロッパの原核フェノスカンジア
アトラス褶曲、南部に古期ケープ褶曲、東北部にアビシニア熔岩台
の一部として、カナダ、グリーンランドをつくるローレンシアとつ
地等を見る以外は、どこにも大きい褶曲は見当たらず、全体が標高
ながっていたものであるが、ヨーロッパの縮退にあたって、グリー
6,700m の 巨 大 卓 状 大 陸 を な し て お り ( マ ス 縮 退 、 こ の 特 異 な 縮 退
ンランドの東岸から分離し、途中アイスランドを落とし、やがてカ
が起った理由の究明は、今後の重要課題である)、大陸東部を縦断
レドニア造山帯の主体部として、ヨーロッパの陸心方向に縮退し、
する大裂谷(紅海から大断層、大湖沼列と続く)は、地殻運動の謎
中期以降、イギリス島との断裂、白海からイギリス海峡へと続く、
を秘めて縦に走り、褶曲片麻岩から成るマダガスカルも、そのとき
一部に海底森林の跡を残すバルチック地裂の発生、それに長い氷河
大陸本体から分離し、インド地塊の縮退に追従北上して、今日の位
の作用によって、今日の形体をとるにいたったものであり、極北石
置に来たゴンドワナ解体における残地である。A.ウェゲナーは、
炭の宝庫といわれるスパールバス(スピッツベルゲン)は、このカ
この裂谷をとくに重視し、これはインド陸塊が、アフリカ東岸から
レドニア造山帯の北端が欠けおちたものである。
分離北上していくときできた不完全な副地裂で、大陸が分離移動す
ま た 、こ の 地 塊 が 、100 年 間 に 1 m 余 の 割 合 で 隆 起 し て い る こ と が
る初期の段階を示す貴重なものであるとしたが、そうした解釈をも
観測され、その原因が、一万年前プライストシーン世まで、ここを
含めて、この裂谷がもっている意味はきわめて重大である。また、
被っていた数百米に及ぶ内陸氷の重量による、地殻の歪みの回復補
A.ウェゲナーは、大陸の移動過程で、アフリカ大陸のかなり大き
整作用として、説明されているが、地殻縮退の理論からすれば、そ
い回転(エジプト付近を軸として時計方向に)を考えているが、縮
の中には、陸地の立体化による厚さの増大という、すべての陸塊に
退説でも、いくらかそうしたことがあったとすると、地中海開裂、
共通する要因も加わっているものと思われる。
ヨーロッパ屈折、バルカン折損等が説明し易い(単にアフリカ大陸
の強引な東西方向の縮退が原動力と見るだけより)利点がある。
( 16) ア フ リ カ 大 陸
アフリカのいくつもない欠損の中、大西洋側のギニア湾は、南米
アフリカ大陸は、その漂礫岩層の分布や寒北シダ(グロリプテリ
ブラジルの北東肩ブランコ岬の抜け出した跡、地中海側のトリポリ
ス)の化石の分布状態等から、太古(古生代から中生代にかけ)に
湾は、イタリアの地塊がコルシカ、サルジニア、シシリー等の地塊
は南極圏内にあり、古い変成層に富むゴンドワナ大陸の主要部と考
とともに抜け出していった跡であることは、指摘するまでもない。
地殻の縮退に関する覚え書き
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第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
( 17) 南 北 ア メ リ カ 大 陸
有名なサンアンドレアス大断層は、カリフォルニアの地塊がその南
地球の裏側で、北は北極圏から、南は南極圏近くまで、主として
端で切れ、半島となって北方へ縮退していったとき生じたものと考
南北に走る諸要素で構成されている、連続逆三角形の南北アメリカ
えられ、縮退に伴う縁部のずれとしては、他に例のない大規模なも
大陸は、これまで、その質量が、陸心とともに大西洋の幅だけ西に
のである。
移動してきたものである(A.ウェゲナー等)、 と解釈されきた
中央アメリカが、紐の様な陸地とわずかの島々でできているのは、
が、陸地の縮退仮説からすれば、その陸心はあまり動いておらず、
物質を南北両アメリカに奪いとられたためであり、紐の部分も、あ
その南北に走る中央大陸軸に向って、西太西洋上の質量が東から、
るいは近い将来、パナマ、ニカラグワ等の地峡で断裂し、インドネ
東太平洋上の質量が西から(マントル対流理論では、東向きの流れ
シアの様に飛び石地殻をつくることになるかも知れない。
を強調していないが)、それぞれ大縮退し、前部質量によって、ま
南米の西縁を走るアンデスは、ロッキーと同じ時期(アルプス造
ず大陸の厚さが増し、ついで後部質量によって、東にラブラドル、
山期)に同じ機構でできたものであり、その岩石は古く海岸から急
アパラチア、及びブラジルの山地を、西には、世界最長の大褶曲コ
に数千mにそびえ、ところどころに火山を噴出させ、南部は、地質
ルジレラの山系(ロッキー、アンデス)を押し上げ、その間を、陸
時代における氷河の侵食でかなり変形しており、海上近くには、大
化と堆積で生じた中央大平原がつないでいる。
陸縁に沿ってアタカスの海溝が走っている。
北米大陸の原剛塊であるカナダ楯状地は、五大湖付近から、カナ
これに対し、東部台地は、かつてのゴンドワナ大陸の一部で、古
ダ、グリーンランドと続いて、ローレシアをつくっており、世界最
期の褶曲から成り、アフリカと同様、断層崖にかこまれた卓状高原
大の楯状地で、太古代の岩石が広く広がり(古生代以降の地層を欠
で、西に向って緩斜し、そこに浅海から隆起し、かなり堆積物で掩
く)、その西南部ミシシッピ川流域の剛塊でも、古生層が深く掩っ
われた低平な中央大平原が広がり、流れの緩やかなアマゾン、ラプ
ているだけで、古来褶曲をうけておらず、これらを中心にして、外
ラタ等の流域となっている。
方に向って地質構造が次第に新しくなっている。とくに、大陸縁を
南米と南極大陸をつなぐ飛び石のフェゴ等、フォークランド諸島
つくる東西の褶曲帯の中、東の内に緩く海岸に向って急斜するアパ
の弧状配列は、A.ウェゲナー理論の見せ場となっているが、大陸
ラチア山脈は、バリスカン造山帯に属して、古生代末から中生代初
がはるばる西進して来たにしては、余りにも弧が浅く、本来ならば
めにかけて、また数条の大山脈の中に溶岩台地や大峡谷、大盆地等
弧は吹き破られている筈である。
を含む西のロッキー山脈は、アルプス造山帯に属して、中生代から
新生代にかけてできたものであり、カリフォルニア湾から北に走る
地殻の縮退に関する覚え書き
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第七節
世界の主な地形 (1)-(20)
( 18) グ リ ー ン ラ ン ド
( 20) 南 極 大 陸 ( 平 均 標 高 が と び 抜 け て 高 い 大 陸 ) 2,040m
この大陸は、もとカナダ、スカンジナビアとつながって広がって
この大陸は、始生代、先カンブリア層を基盤とし、古生代、中生
いた、古い剛塊が断裂してできたものであり、褶曲も認められるが、
代の諸岩層や褶曲帯で構成され、中生代から始まったゴンドワナ大
平 均 1,900m 程 の 高 度 を 保 ち 、 険 阻 な 傾 斜 を も っ て 海 に 臨 ん で い る 。
陸の解体に際し、南米、アフリカ、オーストラリア、ニュージーラ
しかし、全体に厚い氷床に掩われているため、くわしい地形はわか
ンド等の諸陸塊がすべて北上縮退するとき、南米とオーストラリア
らず、縁辺部に列なる深いフィヨルドは、スカンジナビア半島の遠
を継ぐ、南半球飛び石の主要部として、取り残されたものであり、
い昔の姿を想像させている。
新生代以降、氷床に覆われているが、石炭紀から二畳紀、三畳紀頃
に気温も高く、動植物の棲息に適していた、南米につながる南極半
( 19) オ ー ス ト ラ リ ア と そ の 周 辺 陸 地
島付近の西南極は、太平洋褶曲帯の一部と考えられ、横断山脈以東
オーストラリアは、もと南半球のゴンドワナ大陸の一部で、もと
の東南極は、アフリカやオーストラリア、ニュージーランドにつな
ははるか南方まで延びていたインド地塊の東側にあり、比較的新し
がる地質構造をもっており、海岸もアフリカ等と同じく、陸棚らし
い時代まで、南極大陸を経て南米へつながり、水半球の橋をつくっ
いものは殆どなく、海岸からただちに数百メートルの海底に落ち込
ていたものであるが、南極大陸と切れて後、途中にニュージーラン
んでいる。
ド等を残しながら、アジアの縮退に追従するかたちで北西方向に移
動するとともに、周囲の質量を集めて、厚さを増し、東縁に沿って
は一大褶曲をつくり、その過程で、北側には、カーペンタリア湾か
らニューギニアを抜け出させ、南側では、タスマニア島を脱落させ
たものと考えられる。
この大陸に顕著な褶曲が少ないのは、集めた質量が少量であった
ことと、アフリカ式のマス縮退をしたためと考えられ、海岸の断崖、
単調、西部山地の高台状中央平原の台状も、アフリカやインドと共
通したところがある。
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地殻の縮退に関する覚え書き
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