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Page 1 目 次 一、問題の提起 二、「所有論」としての物質代謝過程 三

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Page 1 目 次 一、問題の提起 二、「所有論」としての物質代謝過程 三
文
一、
二、
目 次
ロ ッ
伊
クの生産論
﹁所有論﹂としての物質代謝過程
問題の提起
ロック蓄積論の基本的構成
﹁通商植民委員会﹂
ーマニュファクチュアと農業一
三、
ン
近代的ナショナリスト・ロック
五四
ロックの生産論1
ジ ョ
ージョン
藤
宏
之
一
論
1論
文−
問題の提起
異を示すものに他ならない。むしろ実体的には、ブルジョワ的展開の保護およびその蓄積拡大をもたらすかぎりでの
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
君主権と、 ﹁所有権の維持﹂H立法府とは、 ﹁並存﹂あるいは﹁矛盾﹂するものではなく、労働にもとずく私的所有
ヤ や
およびその純経済的U近代的分解の結果としての私的所有の不平等を﹁保護し奨励しようとする﹂際の、機能上の差
存在を主張する一面をもつものであった。その意味では、単なる人民民主主義論ではない。しかし﹁公共の福祉﹂U
ところでロックの国家論U政治理論は、政治正統論において﹁公共の福祉﹂を、政治機構論においては世襲君主の
とどまり、ロック思想の歴史的性格を見失うことになるのではないか、というものであった。
想において﹁市民革命の論理﹂あるいは近代的な﹁政治正統論﹂を見い出したにしても、それは一面における把握に
的に解明することができるであろう、というのであった。同時にもしこの点の解明が果されないならば、ロックの思
る松下氏、この両氏に典型的にみられるロックにおける﹁公共の福祉﹂目君主権の意義づけに関する問題点を、積極
媒介する関係である、ということを明らかにしえたように思う。この基準によれば、ロックにおいて﹁市民革命の論
ヤ ヤ
理と国民主義匹論理﹂の﹁並存﹂をみる羽鳥氏、および﹁政治正統論と身分的政治機構論との奇妙な矛盾﹂を発見す
﹁自然状態﹂における一定度のブルジョワ的発展とその限界のもたらす重商主義国家U政策体系との、前者が後者を
それによって、ロックにおけるいわゆるコ一重性﹂あるいは﹁妥協性﹂を構造的連関のもとに把握する基準は、
ックの思想の構造的把握のための視点を精緻化することを試みた。
わたくしはさきの﹁ジョン・ロック研究の問題点﹂ ︵﹃商学論集﹄第四三巻一号、一九七四年所収︶において、ロ
二
百公共の福祉﹂U君主権の要請という構造的連関をもつものであり、この意味において﹁公共の福祉﹂U君主権の自
立化はありえない、というものであったのである。
同時にこうした理解は、 ﹁公共の福祉﹂n君主権を近代的ナショナリズムの波頭にたつものとして把握することを
可能ならしめるものであった。つまりこうであった。 ﹁自然状態﹂においては、労働にもとずく私的所有を社会的行
ヤ ヤ ヤ ヤ
為規範とする社会的分業一連合の形成が進行し、商品所有者として現われる行為主体U人間が人為的な社会的関係を
極度に展開する。その場合、その交換の範囲は、原理的には世界大に拡大され、自然的制約は破砕される可能性をも
つといいうるのである。しかし現実の資本制生産の形成過程における商品生産は、その生産・消費の習俗的H種的特
ヤ ヤ や
性に対応する一定の市場圏のもとで展開されることから、そして同時にこの社会的関係が一定の土地面積を不可欠と
し、さらに言語・血統の共通性を基盤とするという意味において、自然的制約をうけざるをえないのである。
このようなブルジョワ的U人為的な社会的関係の展開は、さらに﹁資本主義に必然的な、産業部門間の不均等発展
ヤ や
の事実とそれに伴なう国外市場獲得への要求﹂をもつであろうが、こうした内的発展に対して外圧がある場合、そこ
にいかに限られた形であれ自然性が存する以上、民族への侵犯乃至侵犯への危険として意識され、近代的ナショナリ
ズムとしての厖大なエネルギーが結集されるであろうというのであった。ここでは、内的発展によって外圧が媒介さ
れているのである。ロックにおける﹁公共の福祉﹂H君主権の意義は、まさにこの点にかかわるものであったのであ
る。
こうして、羽鳥氏のいうロックにおける﹁国民主義の論理﹂あるいは松下氏の注目するロックにおける強大な世襲
君主は、視角を転じてこれを眺めるとき、ロック思想の構造的把握の枢要点になっているというものであったのであ
ージョン・ロックの生産論一 三
る。
1論
文t
四
ヤ ヤ
ロック思想を以上のように構造的に把握すれば、羽鳥氏の﹁並存﹂論や松下氏のいう﹁奇妙な矛盾﹂のもつ問題点
は解決され、ロック思想における近代的性格が明らかになったといえようが、しかしこうした把握にとどまるかぎり、
このような構造的連関を現実ならしめたものは、なお積極的に解明されたとはいえない。換言すれば﹁所有権の維
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
持﹂n立法府を前提とし、さらにそれに媒介されて﹁公共の福祉﹂U君主権があるとの構造的連関においては、ブル
ジョワ的展開を前提としつつも、その展開が高位の場合には、 ﹁公共の福祉﹂”君主権の意義は相対的に低下するで
あろうこと、他方、その展開が低位の場合には、それが媒介する﹁公共の福祉﹂機能の強化が要請されること、同時
にこの場合、その正統性の確保の困難性もまた増大するであろうこと、これらのことが、論理的には推論可能であ
り、したがってこの構造的連関は定置されたとはいいがたいのである。
この点については、しかし、さきに経済史学の成果に依拠しての理論的な見透しによって、さらには国家論U政治
理論にあらわれたかぎりでのロックにおける強大な君主権への期待とその位置づけについての解明において、こうし
た構造的連関における﹁公共の福祉﹂”君主権の比重は決して軽いものではないとの予測を与えておいた。
この点をいまふりかえってみれば以下のようであった。一般に初期資本主義段階においては、価値法則が生産過程
をいまだに全面的に捉えて展開しえていないが故に、換言すれば、マニュファクチュア資本の蓄積運動の歴史的制約、
具体的には資本による﹁労働力の包摂﹂と﹁貨幣資本の包摂﹂の歴史的限界が﹁国家的強力による助成﹂n原始的蓄
積政策による解決にまたなければならないということ、および国内市場のかかる暴力的な創出過程が国外市場の威力
的獲得を随伴するということ、以上の意味での生産U流通過程の特殊性U限界の故に、近代的生産力の発展それ自体
のもつ﹁暴力性﹂が可視的にまた拡大化されて存在するであろうということ、これである。もちろん、この生産目流
通過程は、自立した個的所有U経営による富の生産における連合U社会的分業をもつが故に、要請される﹁暴力性﹂
目国家作用は、自由・独立の個的所有H経営の自生的分解を前提にしそれを促進するかぎりで存在理由をもつのでは
あるが。
この点は、ロックに即していえば国家論U政治理論における﹁公共の福祉﹂n君主権の意義の解明によって明らか
にされたことであった。ロックにおいては、商品を生産する私的所有者の人為的な社会的関係H連合こそがまず法目
市民的政治的社会を生むとされていたのであり、被支配者の自立性を無視した法n支配の恣意的設定は峻拒されてい
た。しかし、同時に執行権口連合権及び大権をもつ君主は、 ﹁公共の福祉﹂機能をはたすことが要請されていた。そ
れは所有権の保護・育成という政治権力樹立の目的からの逸脱を意味するものではなかったとはいえ、その目的追求
にあたっては一定の創造性が必然的にともなうのであり、その困難が大きい状況のもとでは、それを担う君・主の機能
的強化がますます進行せざるをえないというものであった。ロックのいう﹁神のごとき﹂君主への期待は、こうして
きわめて大きなものであったように思う。
以上、国家論U政治理論を中心とする分析によってえられたロックの思想の構造的連関のより積極的解明のために
は、ロックによって生産諸過程の把握“生産論がいかに展開されていたかということが、その論理的基底として問わ
れねばならない。かくして、ロック思想の基本的構成は、ロックの生産論のうえに定置される。このような意味での
パエマ
ロックの生産論分析をこの小論は意図するのである。・
︵1︶ なお、小論では、ラヴレース・コレクション︵Oh頃三一首ピ8騨>銃醤ミミ“壁Oミミ。悪鳥亀帖漕トミミ亀&Oミ﹄魯焼㌦§
ージョン・ロックの生産論一 五
一論 文1 . 六
皇§、§ミ物魚旨ぎト曾ぎき導色山。ミ織§竪か醤§o臥。旨聖目。鳴。。嘗一n帥一ω。含。92。︵ω。味一。ω・<目﹂。㎝P図譜
+①ε■︶に含まれるロックの貨幣論、通商・植民地論などの経済関係草稿を直接分析対象にしえていないという意味で、一
定の制約をもっている。
二 ﹁所有論﹂としての物質代謝過程
ロックは、王政復古後の一六六七年︵三十五才︶、王党派に対する議会派の中心人物アシュリ卿︵一。.α>警一。ざ
>旨ぎ塁︾ω匡亀Oo89一8∵o。o。後のシャフツベリー伯爵二9幹鋒8筈畦望︶の主治医.私的顧問となり、多年
の学究生活を送ったオックスフォードからロンドンへ移った。一六七二年︵四十才︶には﹃寺禄授与局﹄︵勺.。、。算讐一。口
9σ雪駄富︶、同年十二月から一六七五年にかけては﹃通商植民局﹄︵↓箒8暮色亀霞山留きα且po暮暮一8︶の主
事の職務につい灯∼しかし一六八二年・チャールズに追われてオランダに亡命したシャフツベリーを追いロックも翌
年秋、オランダに亡命。その後一六八九年、名誉革命後、メアリと共に帰国、以後、常にウイッグ党の中心メンバー
として名誉革命政権の政策に大きな影響を与えた。一六九六年︵六四才︶から一七〇〇年まで、再編された﹃通商植
民委員会﹄の委員を委嘱されている。
この名誉革命前後の官僚時代、ロックは、まさに重商主義政策の中枢に位置し、政治的H権力的局面での抗争と同
時にそれを規定する経済諸過程を凝視することがあった。その間、一六七二年、一六九〇年にそれぞれ執筆され、一
︵2︶ ・・・⋮ 六九二年に匿名で出版された﹃利子・貨幣論﹄は、結局のところ流通主義的視角をまぬがれていないとしても 包括
的で鋭利な生産論であった。そしてT・マンなどの多くの重商主義の諸理論のなかで、 ﹁名誉革命のイデオローグ﹂
、
ハ レ
Uロックのそれは、W・ペテイのそれとともに、最も体系的な生産諸過程の把握U生産論であったといわれている。
ところで・ックの生産論が構想された十七世紀後半とは、イギリスが農工の独立自営小生産者層の自生的な商品経
ハゑ
済への参入と同時にその近代的分解による国内市場の形成を推進基軸とし、国外的には連続的な戦争を伴う血みどろ
の商業競争を勝ち抜いて﹁旧植民地体制﹂の布石をすすめながら、国内的にはピューリタン革命、王政復古、名誉革
ハ 命の激動を通じ、世界史上いち早く絶対王政とその階級的基礎としての旧土地貴族、前期的商業資本の支配を脱し、
マニュファクチュア資本の蓄積条件を国家的H強力的に確保する本来的重商主義政策により、産業革命へとなだれこ
む生産的基礎をきずいていった時期であった。これに対して、復古王政期の﹁ドーヴア密約﹂にその典型的具体的指
標を見ることができるように、絶対主義勢力は、こうした展開を対仏従属・カトリック.再版絶対王政の三位一体に
パ ロ
よって抑圧し、ブルジョワ的H﹁国民的﹂生産力展開をあくまで阻止しようとしていた。田添京二氏によれば、こう
した状況の中でのシャフツベリiHロックを中心とするイギリス国民の基本戦略は、 ﹁再版絶対主義の打倒と対仏従
属からの解放﹂という二重の課題の同時的解決つまり国民経済の自立と政治的独立でなければならなかった、のであ
る。ロックがブルジョワ的展開をあくまで追求しようとするならば、その展開の脆弱性に基礎づけられて、旧土地貴
族、大貿易・商業資本の強力的包摂と所有権の保障による外圧Uフランスヘの対抗のエネルギーの結集以外にはない
であろう。この方向を強力に推進しうる政治権力は何に求められるべきか、これこそがロック政治理論の基本問題で
あったのであろうが、この点の希求は、ロックの経済諸過程把握に基礎づけられていたように思う。以下この点を明
らかにしたい。
パマロ
さて、ロックが﹃統治二論﹄第二篇第五章において、﹁神は人々に世界を共有物として与えたが、同時に、それを生
ージョン・ロックの生産論一 七
一論 文− 八
活の最大の利益と便宜とに資するように利用すべき理性をも、彼らに与えた。⋮・:たとえ大地とすべての下級の被造
ヤ や
物が万人の共有のものであっても、しかし人は誰でも自分自身の一身については、所有権をもっている、⋮⋮彼の身体
の労働冨げ。珪、彼の手の働きはまさしく彼のものであるといってよい。⋮⋮この労働はその労働をなしたものの所
ハ り
有であることは疑いをいれないから、彼のみが自己の労働のひとたび加えられたものに対して権利をもつのである﹂
︵傍点は原文、以下断わりない限り同じ︶として、労働にもとづく私的所有を、自然法n自己保存権の具体化として正当
化したことは、すでによく知られていることである。ここには、労働としての所有といういわば自然史的過程につい
ての説示がある、といってよい。
パ ロ
ところでこの場合、労働にもとづく私的所有“蓄積の範囲は無限定的なものではなく、一定の限定的条件のもとに
パゆソ
ある。自己労働によることはいうまでもないとしても、さらにそれが﹁自分の用に供し得る範囲﹂であること、およ
ハはり
び﹁少なくとも︹自然の恵みが、なお︺共有物として他人にも十分に、そして同じようにたつぶりと残されている﹂
︵訳文中の︹︺内は原文の意を汲んで引用者が挿入した文言、以下同じ︶こと、がそれである。そして﹁この時代には所有
権について争いが起こる理由はありえず、またその所有権が与える所有の大いさについて、何らの疑惑は生じえなか
った。権利と便宜とは一致していた。何故なら、人は自分の労働を投下することができるすべてのものに対して権利
をもっていたので、自分が利用できる以上のものについてまで、労働しようという気にはならかったからである﹂と
ハねり
ロックはいう。ここには自己消費経済社会が典型的に描かれている、といえるだろう。
こうした社会の現実をロックは当時のアメリカに見い出しているのであるが、ここで注目すべきは、この社会把握
が、初期ブルジョワ社会形成の論理的基底となっていることである。というのは、諸社会を貫いて絶えることなく続
けられる人類と自然との問の物質代謝過程の把握を、﹁労働にもとづく所有﹂論として展開した・ックは、物質代謝
過程が近代社会に諒てとる具体的形態の分析をすすめるさ捻、どのような諸条件が満されれば、自給自足的経済
では、この転化のプロセスを検討してみよう。ロックは、この点について次のように語っている。
社会が近代社会に転化するかを説こうとしているからである。
﹁舞H§塁の程度がそれぞ襲った割合の要物宅つこ彪督がちであったが、それと同じように貨幣の発明
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
Hコ藝言。ぎ。§は天々にそうした傾向を継続さ甚ら誰そ墾拡大する機会を与えた.例えば、ここに一つの禁あ
ってどれが世界の他の募との窃の山父易から隔絶嚢ていると仮定し考.そこ窪わず告家族しか住んでい蘇のに、
芋馬手その他の有用動物と栄養のある果物と+万倍の数の人歩養う穀物差するに足る+盆土地とがある.しかし
ヤ ヤ
島にはそれがありふれているとぢ理由からか、あるいは腐敗しやすいという理由からか、貨幣の代わりをするのに適し曙の
が皆無だとしよう・とす薩こんなと・﹄ろで自分自身の勢奎み出したあにせよ、あるいは他人の同じよう嘱敗しゃす
く有用な日用品と交換でき薯の讐よ、自分の家族が使用する以上に、所有物を拡李る雷がだれにありえようか.﹂
そもそも自己消費量以上の生産は人間の本来的な営みとしての生産諸力の上昇によって必然性をもつのであるが、
もし市場の存在および貨幣の導入によって、剰余労働の商品化が可能となる弩ば、勤労意欲は刺激され、労働にも
とずく私的所有一蓄積は不断に拡大されること髪る、と・ックはぢのである.しかし商品化の契機が存在しない
ならば・その生産諸力の上昇轟止され、皇消費経建会からの転化鏡実化しない.自然法昌己保存権が万人
の理性に直接に啓示されている場合箋いてもこれは同様である.むしろ、﹁自分の生存を保存するというこの自然
パぱロ
的傾向を追求すれば天間皆分の創り手なる神の意毘従っていることになる﹂とぢ・ックにとっては、市場の
九
ージョン・ロックの生産論1
一
1論 文一
存在および貨幣の導入は、この勤労原理を不断に現実化する契機に他ならないということになろう。
この点について、ロックは土地の私的所有が社会的富の増大になるとして、さらに展開する。
一〇
﹁自己の労働によって土地を専有する巷鷺。質糞。ものは、人類の共通財産些08ヨ日808臭気ヨ碧ζ邑を減少させる
のではなく、かえって増加させるのである。何故なら囲い込みをされ開墾された一工ーカーの土地から産出される人間生活の維
持に役立つ食料は、同じ程度に肥沃な一工ーカーの土地が共有のものとして荒地になっている場合に産出されるものの︵きわめ
て控え目にいって︶十倍であろう。⋮⋮この点についてはアメリカのうちいくつかの民族が示している例ほど明瞭な証明はな
い。⋮⋮自然︹判神︺は彼らに他のどの国民にも劣らぬほどの豊富な資源、すなわち食料品・衣服および享楽品として役立つも
のを豊富に生産することのできる肥沃な土地を与えたのである。しかるにそれを労働によって改良することをしなかったため、
われわれの享受している利便の百分の一ももっていない。そこの広大豊饒な領地の王は、イギリスの日傭労働者より、衣食住に
︵蝸︶
おいて劣っているのである。﹂
市場の存在および貨幣の導入は、労働主体の勤労意欲を刺激し、 ﹁労働にもとづく所有﹂“蓄積の不断の拡大を促
す契機となり、しかもこうした進行は、神の法”自然法にまさに適合的な行為として、さらに同時に﹁人類の共通財
産﹂つまり社会的富の総量の増大をもたらすものとして積極的に是認されねばならない、とロックはいうのである。
そして、こうした進行において、さきの所有口蓄積の限定的条件は、打ち破られることになる。条件の一つである
﹁腐敗制限﹂については、 ﹁もし人が自分の所有しているものが無用に減失しないようにその一部を他の何人かに譲
渡するなら、これもまた利用したことになる﹂といい、そして﹁十分な共有物制限﹂については、﹁︹例えば土地所有に
︵16︶
ついていえば︺、人は自分だけでそこからの生産物を利用しきれないほどの土地を、土地生産物の剰余分。<o壱ぎω
パルレ
と交換に金墾受叢ること蟹って、正当に所有する方法を、暗黙の墓的高意蟹って発見したからである﹂
といい、所有U蓄積の限定的条件の打破が是認されるのである。
以上・。ックは・皇消窪済社会からの﹁離陸﹂のプ・セスを描き、市場の存在および貨幣の導入が物謝代謝の
基礎運動・とく露欝嵩な近代市民社会での蓄積過馨対する推進的契機と奮つることを説いた.同時に、自
己消費経済社会録する近代市暴会の生産力的な優位讐主張したのである.私的所有の不平等は、勤労の震の
ハねロ
萎蜜るあとされ王地の私的所宴それがたん鋳有される皆ど毒ず経誉れるかぎりにおいて、労働主
体の力能の増大による社会的富を増大させるからである。
さて・ここか羨のような一し奪﹁これは、ついでに述べ麩けである﹂とぢごとくに、。ックとしてはい
くぶん早手まわしに¢かしかえって彼の心蓼率直簑現している患われるのであるが1初期ブルジ.ワ社会
におけるロックの﹁統治﹂U経済政策の大原則がでてくるのである。
﹁このことから明らかなことは・笙の大き全量合の含ことのほう哲か垂ましいかということ、そして耕地の増加
とそれのモ莉用とが・籍。・き⋮けの重石技璽あるということである.また世の至であって、確立された畠
の法により権力の圧迫や党派の偏狭をしりぞけ、人類の誠実な勤労藝ω什目差保護し奨励しようとする賢明にして神のごとき
者は・たちまち隣国にとってまことに手ごわい君主になるだろうということである。﹂
ロロ
ここ譲物質代謝過程の主体的蘂としてつ蒙れたところの﹁合﹂U労働主体の生産性の重視がみられるので
あるが、それとの関連でとくに﹁耕地の増加とそれの正しい利用﹂についての一言及がある。
物質代謝の自然史的過程を﹁労働にもとづく所有﹂論として展開した・ックが、その不変の主体的纂としての
ージョン・ロックの生産論−
一一
一論 文一 一二
﹁人口﹂とともに、常に人間労働の客体でありまた本源的生産手段でもある﹁土地﹂への政策的配慮を、初期ブルジ
ョワ社会において、とくに求めているのである。これは﹁統治﹂11経済政策のたんなる一例示であろうか。物質代謝
の自然史的過程を﹁労働にもとづく所有﹂論として語る場合、ロックがその具体例として農業生産”土地所有をあげ
ていることは、これまでのいくつかの引用でも明らかであろうが、それと同様に、この場合もたんなる具体例にすぎ
ないのであろうか。
アンドとしての﹁土地生産物の剰余﹂、つまり農業剰余の産出が、社会的富増大の基底的要因であったからこそ、初
そうではない。労働こそが価値の主要な源泉だとするロックにとっては、その労働人口の増大を支える基本的フア
期ブルジョワ社会の﹁統治﹂口経済政策においてとくに配慮が求められているのであ.麺。
ところで農業者をしてこの農業剰余の産出に向わしめる契機は、農業生産それ自体の中にはない。貨幣の導入と市
場の存在、つまり有効需要こそが、この契機だとロックは強調する。
.耐久性と稀少性のあるもの、それ故に蓄積するだけの価値のあるものが何かなければ、たとえ土地がどんなに豊かであって
も、また取り放題に取ることができても、人々はその土地という所有物を拡大するという気にはならないであろう。というのは
部の真中にあ・て、世数徐象b寡暮裏盆争奪、い蕊ぞ露毅士”憩おぞ飾肇濠万象玄禁
一万エーカー或は十万エーカーの優良な土地があり、すでに開墾されまた家畜が十分に備えてあっても、それがアメリカの内陸
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
きないとすれば、その土地に人がどれほどの値をつけるか疑わしいからである。そんな土地は囲い込む値打もないから、自分と
に戻ってしまうであろう。﹂︵傍点は引用者︶
自分の家族のためにそこで得られる衣食住の便を供給する以上の土地は、どんな土地であれ放棄され、再び自然の未開の共有地
オロ
人口の増大目社会発展の基礎をなす農業剰余の産出がスムーズな展開をとげるためには、このような意味で﹁統
治﹂の役割が重要な意義をもつ。こうした理解こそ﹁耕地の増加とそれの正しい利用とが統治の重要な技術である﹂
とロックにいわしめた優越的な理由であったと思うのである。
ロックの所有論はこうしてたしかに、近代的生産主体の成立についての原理的把握とその純経済的分解を労働力能
の上昇在会的富増大として積極的讐認するあであった.したがって社会的富の増大言的とする経済政策の基
調は・所有権の維持と同時鍾済的分解姦欝霧進ずるあt﹁勤労﹂の﹁奨励﹂、具体的には貨幣の導入と
市場の拡大による﹁生産および社会の狭隘な自然発生的限界﹂の打破、つまりは原始的蓄積の正当化1でなければ
ならない、ということになる。
しかし﹁耕地の増大とそれの正しい利用﹂、つまり人口の増加の基本的ファンドとしての農業剰余の産出への政策
的配慮をロックが強調しているように、有効需要の創出は、農業剰余の産出をリードするという連関で主張されてい
たのである。このメカニズムについてのロックの把握を以下具体的に検討したい。
︵、︶。ックがあ。。言一・葺四α§隻§§のω ・奪窪命されおがニハ七一一一年+具とするのは例えば、
アシュクラフト︵幻レ身葺㌔。目凶猛コぎ蔓琶℃睾一色覆。毒”喜じ曇。,の国のω餌鴫。p≦﹃触目一山ミ馬ω焼魚、ミ
、oミ笥ミO貰“註等督“<〇一・図図昌︸コ9♪一80・P裡ω︶である。
︵2︶﹃利子・貨箋﹄のテキストとしては以下のものを用いる︵奮、以下引用は、すべ二識焼鳥、.軌∼と略記すると.ピ。.需。.
ω。馨。。甕。雲霧。∋。。。罷舞暴畳。套・慧。H暴。器註垂・讐。<帥一β。。ま。⇒。二言琴。目
ωo旨8四Bo日げ。﹃o隔頃鶏日富田8コ口些。旨巽一$ど﹃ミミ謬。、﹄o§卜。簿390昌。毛。α三〇ロ・8叫︻。。什。斜一目一〇く。一㎝.
葦メピ。§=。・卜・黛奮あ﹃利子貨箋﹄の執筆よび公刊の時期については、種髪﹁ジョン.・ックの経済
論﹂︵﹃一橋論叢﹄第二六巻四号、一九五一年所収︶、五五一五八頁を参照されたい。
ージョン・ロックの生産論一 ゴニ
一論 文一 一四
︵3︶ ﹁マンリーの同時代人としての経済学者の巨頭は、いうまでもなくウィリアム・ペテイでありジョン・ロックであろう﹂
︵渡辺源次郎﹁一七世紀イギリスにおける利子引下論と賃銀引下論﹂︵﹃商学論集﹄第二九巻一号、一九六〇年所収、三二
頁︶。なお、田添京二﹁経済学の成立︵1︶﹂︵富塚良三編﹃経済分析入門﹄、 一九七二年所収︶および小林昇﹃経済学の形成
時代﹄ ︵一九六一年︶の付論﹁ペテイからスミスまで﹂をそれぞれ参照されたい。
︵4︶ 大塚久雄﹃欧州経済史﹄︵一九五六年、後に﹃大塚久雄著作集﹄第四巻所収︶、大河内暁男﹃近代イギリス経済史研究一国
内市場の研究一﹄ ︵一九六三年︶。
︵5︶ 松尾太郎﹃近代イギリス国際経済政策史研究﹄ ︵一九七三年︶、とくにその第一章を参照されたい。
︵6︶ 田添京二﹁﹃政治算術﹄とべテイのイングランドf従属国における国民生産力の解放について一﹂ ︵小林昇編﹃イギ
リス重商主義論﹄、 一九五五年所収︶、六一−六二頁。王政復古期の経済事情について 山、款§ミ“卜食器頓ミ謹・ミ“ミ?
8ミ鴇皇辱&色葛澄ミ篤き偽鷺。§駐§亀毳毳§恥皇尊。軌ミ、§紹“ミ籍h遷皇卜“ミき§量≧ミ﹄§ミミ軸ミ導“ミ
砺㌣§魁鳶ピ。口αo戸50。Oの著者は、次のようにいう︵引用は助ミ督肉醤吋、軌急辱§跨。醤Ooミミ塁R”oα・い幻■竃oO色・
一8Fピ。邑oF田㎝9括や一〇㎝トからである︶一﹁われわれの国内および国外市場は以前と同様、妨害されたままになつ
ヤ ヤ
ている。われわれは諸関税と利子によって苦しめられている。われわれは以前と同じように、航海条例や、わが国の商人や
商業会社の、いやそればかりでなく外国人の独占によって不利な状況の下にある。⋮⋮われわれは以前よりも多くのマニュ
ファクチュア、商人およびそれ以外の人口、船舶、ストックを国内および国外トレイドにおいて決して持ってはいないので
ある。そして、以前より多くの国富をもっているわけではない。⋮⋮アイルランドおよびイングランドからの羊毛の輸出も
あいかわらず行われている。そしてひよわさ、ぜいたく、酔態、放蕩も変わりない﹂︵マト08︶。なおここで﹁国内および国
外トレイド=oヨom盆明R9讐↓建8﹂とは、﹁国民的トレイドZ彗一8巴↓富3﹂を意味し、﹁トレイダーに個人的には
非常に有益であるが全国民的には有害であり、いやそれどころか国民的トレイドにきわめて破壊的な帰結をもたらす﹂とこ
ろの﹁私的トレイド源貯辞。↓蚕留﹂と区別されている︵P↓︶。
︵7︶﹃慧二論﹄のテキストとしては以下の畠を用いる︵奮、以下引用は、すべて。。q恥、醤ミ軸ミと略記し、第嘉文、
第二論文の区別を−fとし・ま酷の数字のみを記す︶.コ。貴ぎ。辱軸匙①ω。鳶。鵯恥、醤§偽︸軸;。﹃二。ロ一。象。昌
毒言三葺§喜喜且§器幕豊霧ξ鐸。じ聾け江§なお嶺のうち、鈴木秀勇訳﹃統治論﹄︵充五
五年︶喜川透訳﹃藝論﹄︵充六八年︶、鵜飼信成訳﹃市民政府論﹄︵茎ハ八年︶をそれぞれ参青と.訳文について
は、若干変更してある。
︵8︶ Oo亀恥 、 醤 § 鳴 ミ 、 ㌧ H I 二 六 . 二 七
︵9︶﹁狸人間を創り⋮⋮あ人間の中旨環奮家屋器什雪の強い欲秀うえつけた.窪神は、あ人禦⋮⋮
自分自身の不注意や、必要物の欠乏から程なく死んでしまう乙とのないように、つ藷まり人間をいくらかの間生存させたいと
思う神自らの計画に合致するように、食物や国電Bo旨やその他の生活必要物を地上に用意した。すなわち神は人間を創り
⋮⋮この人間に自己保存の手段を与えたのである。だからたとえ創世記のこの神の授与がなくても、人間が、神の意思と許
しとによって、創造物を使用する権利をもっていることは明らかである。自分の生命と生存を保存する欲求、この強い欲求
は神の手によって⋮⋮人間の中にうえつけられている。だから自分の生存を保存するこの自然的傾向を追求すれば、人間は
自分の創り手なる神の慧に従っていることになり、従って人間は創傷農用する権利をもっていることになる.こうし
て人間による創造物の所有は、人間の生存に必要かつ有用なものを利用するために人間が持ったところの権利の上に基礎づ
けられるのである。﹂︵Oミミ醤ミ恥ミ悔HlooO︶ここには、 いわば人間の物質代謝過程がのべられているといってよい。同時に
ロックの労働主体はプロテスタントの神をもつ自立した、経営主体であり、この意味において近代的な質を備えた労働主体
であるといえよう。
︵10︶ OO魁価、醤ミ⇔ミひH一三一
ージョン・ロックの生産論− 一五
1論 文一 エハ
︵11︶ Oo器、 醤 § 恥 醤 、 、 H I 二 七
︵12︶奇S異論ミ恥ミ’H一五一
︵13︶ Oo竃§ミ恥ミ”皿−四八
︵14︶ O。..、§ミ鳥ミ一1一八六、竹内幹敏﹁農業改良と反独占運動における資本主義の精神﹂︵水田洋編﹃イギリス革命!思想
史的研究一﹄、一九五八年所収︶参照。
︵15︶ Oo.。§ミ軸ミ・1一三七.四一、なお、 この時期の土地所有の実態については、山之内靖﹁原始蓄積期イギリス農業にお
ける賃労働の存在形態﹂ ︵﹃史学雑誌﹄第七〇巻一二号、一九六一年所収︶、椎名重明﹁イギリス市民革命の土地変革﹂︵高
橋.古島編﹃近代化の経済的基礎﹄一九六八年所収︶を参照されたい。
︵田︶ OOt恥、 醤 ミ 恥 響 き n 一 四 六
︵17︶ Oミ無醤ミ衡ミ、Il五〇
︵18︶ ﹁商品流通は、形式的にばかりでなく、本質的にも、直接的な生産物交換から区別されている。⋮⋮商品流通にあって
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
は、一方では、商品交換が直接的な生産物交換の個人的および場所的な諸限界をうち破って、人間的労働の質料転換を発展
させる。他方では、登場人物たちによっては制御されえない、社会的な・自然諸関連の一の全範囲が発展する﹂︵溶鼠巽き
b霧函爲驚∼ミ一ω阜ン囚四やω‘Uざ9<R一四界ωo島P一8伊幹旨9長谷部訳ω二三二頁︶。
ところでC.B.マクファーソンは、ロックの﹁自然状態﹂は二つの意味内容からなっていると解釈する。その二つとは
﹁ブルジョワ社会についてのロックの理解﹂と﹁キリスト教的な自然法の伝統﹂とである。この二つの意味内容は、そして
﹁自然権と合理性とにおける階級的差違﹂をロックが認めていたことによって、統一的に理解できると、マクフアーソンは
主張するのである。︵ρ一言卸8ぽ田oP樋ミ狛。ミ幅hミ↓ミ&&、禽鴇鴇、竃誉無電蔵醤ミ凝§魅融。寒8きh8書幅這Oρ
署§一睡伊93㌔8鷺器。Pぼぎ。ざH且巨擘。§ミ§誉§ミ&ミ薄ミ象§鼻目も。長轄。︶・こ
れに対して、ロックはあくまで﹁キリスト教的な自然法の伝統﹂の枠内にとどまっていたのであり﹁所有的個人主義者﹂で
はなく、資本蓄積の拡大に否定的であった、と主張するのは、J・ヴァイナー.B・モリス、P・ラスレット、1.バーリ
ン、J・ダン等である︵冒8げくぎR・、、℃o器。鴇ぞoH&ぞ三三包。ヨ.、霧餌。ユ笹目巴巴FO“醤“無爲旨旨ミミミ&肉S§ミ㌦島
§織、ミミミ、勲馬§黄<〇一、図酋〆pρ倉Zo∼一〇〇ω︸切。旨冨雪国g二ω噛.℃oω器器ぞoH註三ユロ巴尻目四民℃〇一一寓。巴
園。巴三密、肉∼ミ身幅<oドピ×図<”ロ。・ωし08一.勺9霞ピ器一〇芦冒碧訂什ω090ξ彗α勺。一三〇巴↓﹃oo量︸﹃鳶雷乾ミ苛ミ
S。ミ§ト<o︼・<員昌9一﹂O零⋮︻ω風呂切。益p=。σげ。∫ピ。。冨m&ギ。︷$の。H匡8菩。お。p、。ミ苛ミO讐ミ馬ミ雪
<。一.ω伊p9↑H8£qoぎUβ暮一8濤尋ミ苛ミ刈、ミ轟ミ蔓旨§卜。簿魯>ミ融§ミ苛ミ蔚8ミミ&慧恥﹄餐、
§“5ミ皇き騰、、﹃ミ。臼、§驚塁&Oミミ菱ミQミ、.幅O四目耳こ菌ρお$︶。
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
︵19︶ Oミミ嵩ミ恥ミ、II四二、 ﹁国外トレイドは、 ︵もしそれがもっとも有利に営まれるならば︶きわめて多量の人口の増加
を必要とするので、土地の価値をさらに上昇させるであろう。なせなら、土地は、その他の方法では維持できないところの
トレィドに従事する非常に多くの人口を維持しなければならないのであるから﹂︵こOミ誉毳毳皆ト§吋ミ蕾・ミ黛亀旨8ミ鶏魚
ヤ ヤ ヤ ヤ
﹃ミ蟄”oマoFPO︶。﹁人口こそはたしかに最も主要で、最も基本的で価値のある必需品である。マニュファクチュア、海
ヤ ヤ
運、富、征服、それに堅固な領土といったこれらすべては、人口から派生するのであるからである。そして、この主要な必
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
需品は、それ自体としては原料のままであるからして、最高の権威者の手にまかせられるのである﹂︵一玄α”P昌O︶。﹁われ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
われは、わが統治の性格において、フランスに対して特別に優位な立場にある。この統治のもとでは、自由と所有とが、法
と国家構造によって保護されており、トレイドとトレイダーにとって大変な奨励となっているのである。他方フランスのト
レイダーは日々課税に苦しめられており、それは大変な桎梏になっているのである﹂︵一玄劇マ曽一︶。
︵勿︶ R・閂>、い一号拐。コ、這織恥&訟ミ⇔&﹄§ミ塾ミ噛導、一〇〇。83マ這O伊℃・匿ρ
︵21︶ Oo器§ミ偽ミ腎皿−四八
ージョン・ロックの生産論− 一七
1論
文一
ロック蓄積論の基本的構成
ーマニュファクチュアと農業1
三
一八
るといえるであろうが、こうした展開をロックは是認している。このことは、まさにマニュファクチュア資本家及び
にみたとおりである。その他方の極には﹁貧民﹂H賃金労働者が大量に存在している。ここには﹁近代的分解﹂があ
品化による私的所有U蓄積の拡大を、労働力能の上昇U社会的富の総量の増大として積極的に容認したことは、さき
さてロックが労働にもとづく私的所有を自然法H自己保存権の具体化として正当化したこと、そして剰余労働の商
働主体の保護・育成を﹁国民的利害﹂だというロックの経済政策の具体的構想を以下検討してみたい。
る﹁貧民﹂に対しては就業の機会を創出することによって対応する、ということを意味するものであった。生産的労
化を阻止し、あくまでも﹁国民的利害﹂のもとに政策的n強力的に包摂し、同時に﹁近代的分解﹂の一極に析出され
こまれている﹂のであり、この中でのロックの主張は、大貿易・商業資本および旧土地貴族の階級的利害の自己運動
ロ
のなかにこそ、当時における諸利害の葛藤するありさまが、他のどんな問題におけるよりも尖鋭かつ全面的にきざみ
ヤ ヤ ヤ や
氏が正当にも指摘するように﹁﹃利子論争﹄の中核を構成した争点ともいうべき﹃貨幣﹄量をめぐる現状認識の対立
・育成こそが社会的富増大のための経済政策の基調でなければならないということが明確に示されている。関口尚志
ワの社会に関する具体的表象が対応していたように思われる。
エロ
﹃利子・貨幣論﹄に示される﹁利子論争﹂ ﹁貨幣改鋳問題﹂についてのロックの発言には、生産的労働主体の保護
﹃統治三論﹄におけるロックの経済諸過程の理論的把握には、﹃利子・貨幣論﹄に見られるロックの初期ブルジョ
’
地主一借地農と無産の農工労働者との基本的対抗が、 ﹁中産的生産者層﹂的視角から把えられていることを意味して
いるといえよう。
さてこの展開については、ロックの﹁自然利子率﹂あるいは﹁事物の自然の流れ些。召ε益一8ξ器9け圧口鴨﹂
一﹁法令や布告の貫け暮。ω四民。象。$によってではなく﹂1という表現がみられる。しかしここから、人為や法
律をこえて自己を貫徹しようとする初期ブルジョワ社会の自律性への確信をロックが持っていたということはできな
い・ ロックは、 一方で借地農業資本家9ロきけ鳶畦目Rが賃労働者一ぎ。震Rを雇傭し、利潤おお醤ρぎ8ヨ9,
ヰ三房の中から地代お旨を地主固き色。巳﹂目き。匡Rに支払うという形態と、土地保有者一塁魯。鼠R自身が賃
労働者を雇傭するという形態との双方において農産物商品の生産を行なっており、他方では、マニュファクチュア資
本家旨き鼠零9器斜鶏け強oo590夢一Rが原料︵例えば羊毛︶を地主・借地農から買い入れ、労働者、職人誇a一
〇声津eきを雇い、工業生産物を自らの手でか、あるいは商人ヨR。富ヌぼ。ざ5筈8犀08Rを通して販売する
ウヨツ
様子を描いている。ここにみられる農工部門を中心とする社会的分業U商品経済の展開は、しかしロックのみるとこ
パづレ
ろでは、スムーズな展開になりえていない。ロックは経済の自律性への確信を持つことができないのである。
このことの故に、単に自己の経営を純経済的に拡大しようという﹁中産的生産者層﹂の意志を超えた、官僚として
の視角がロックのうちに用意されざるをえない。当時、大貿易・商業資本および旧土地貴族は一般に﹁中産的生産者
層﹂よりはるかに富裕であったことは、いうまでもない。しかも生産力的基盤の脆弱性からして、﹁中産的生産者層﹂
が自らの経営をつうじて、直接的に、国民経済の総体的把握をなしうる立場に立つことは、きわめて困難であったよ
うに思われる。 ﹁中産的生産者層﹂の個別性“分散性を超えた国民経済の総体的把握のための視角こそ、経済官僚と
ージョン・ロックの生産論− 一九
1論 文1 二〇
してのロックの求めたものだろうというのである。ただこの場合、生産的労働主体による労働こそが価値の実体であ
り、社会的富増大もこれを保護・育成する以外にないというロックにとって、用意されるべき官僚的視角は、 ﹁中産
的生産者層﹂的視角と無媒介的に設定されるのではなく、 ﹁中産的生産者層﹂の利害を政策的目強力的に貫徹させる
という意味でのものであったことが注意されねばならない。
ロックの官僚的視角による経済諸過程の把握は、こうして、社会的分業U商品経済の積極的な﹁奨励﹂を意味した
のであるが趣その際、ロックのこの社会的分業についての把握は、平面的なそれではなく、マニュファクチュア資本
を中核とし農業生産をそれに牽引させるといういわば序列的な把握でなければならなかったのである。
だがここでこういいうるためには、一つの問題の解明が必要である。というのは、ロックにおいて労働主体の生産
性への重視があったことが注意されたにしても、その限りでは農工いずれの経営にもそれは見出され、したがって農
工両部門間の序列編成を判別する基準にはなりえないこと、さらには、農業経営者としての土地保有者は、ロックに
よって﹁第一の生産者穿雪質&8R﹂とされ、あるいはまた、 ﹁土地保有者は王国の諸租税の最大部分を負担する
者だから、最大の保護を享受し、法律が︵公共の福祉とのかねあいで︶あたえうる最大限の諸特権と富とを享有すべ
きである﹂とされていることから、経済循環における﹁主導的地位は土地保有者﹂にあたえられている、とする見解
︵5︶ ︵6︶
さえ、可能となること、以上のことである。
ところで、ロックにおける農工間の経済循環について、有効需要が蓄積を規定するという市民社会の特殊歴史的な
法則を適用することによってその序列的構造を明らかにし、この問題の具体的U歴史的意味を探ったものとして、わ
れわれは関口尚志氏のすぐれた業績をもっている。次の記述を参看されたい。
﹁かれ︹目・ック︺が農業生産の担当者たる﹃土地保有者﹄を重視して、これに経済循環の起点たる地位をあたえた最大の理由
は、かれら﹃土地保有者﹄こそが1貨幣の循環に対応する商品生産の流通にそくしてみれば一﹃第一の生産者﹄︵穿2冥。,
身。霧︶であり、﹃第一の販売者﹄︵酵緯ω亀R︶だったからにほかならない。いいかえれば、素材的︵使用価値的.生産力的︶
にみて、食料や原料を生産する﹃具体的・有用的﹄農業労働こそは、つねに社会の﹃自然的基礎﹄であるからにほかならなかっ
た。これにたいして、むしろ経済的発展の牽引力がとわれる︵あるいは経済の運動が、事実上、価値的・生産関係的視点から考
察される︶場合には、⋮⋮﹃富の源泉﹄としての⇒区。、そのなかでも﹃もっとも重要﹄な製造工業︵蜜雪嵐8ε器︶こそが、
ロックの出発点をなしている。そして工業生産の発展←食料や原料︵ならびに土地Vへの有効需要の増大←農業生産者︵したが
パマロ
って地主︶の利益という思考の連鎖がたどられている。﹂
関口氏はロックにおける農工問の経済循環について、有効需要が蓄積を規定するという市民社会の特殊歴史的な法
則を適用することによって、第一に、ロックの﹁﹃経済表﹄の作成動機は、﹃貨幣不足﹄がまず﹃工業生産﹄︵︾H,
暮雪.ω目窪鼠8言希︶を阻害し、それが諸階層の沈滞へと波及していくことを論証することにあ﹂つたこと、第二に、
したがって﹁ロックのいわゆる﹃経済表﹄には工業部門での産業資本には独立した経済主体としての地位があたえ
られていないとしても、 ︹一﹁ロックにあっては、工業部門での初期産業資本はときに応じて甲臭Rや冨ぎ貰9そして
おそらくは冨区ぎ一号昌のなかに分属されている﹂1︺それはまず第一に保護されねばならぬ﹃隅の首石﹄として措定
されていた﹂のであり、この意味で﹁初期産業資本の再生産という視角が、経済循環考察にさいする実質的な基礎視
点となって﹂いること、第三に、こうした﹁経済循環の分析は、⋮⋮初期産業資本が土地所有者を説得するための理
ロ
論的根拠となっている﹂こと、以上の序列的構造を明らかにしたのである。
すでに二でのべたように、ロックには農業生産が社会の﹁自然的基礎﹂であり、そして農業経営目所有者たちにと
ージョン・ロックの生産論− 二一
1論 文− 二二
って、貨幣および市場の存在こそ農業剰余の産出を促すものであり、その私的所有n蓄積限界を打ち破る契機であ
る、との把握があった。農業生産それ自体の中には農業者をして農業剰余に向わしめる契機は存在しないからであ
る。この意味において、農業者たちの欲望にアピールするような対象としての貨幣の導入および市場の存在こそ農業
剰余の産出を促すものに他ならなかった。
ロックの官僚的視角による経済諸過程把握は、こうしてマニュファクチュア資本が農業生産を牽引するという局面
ロ
をたしかにもっていた。農業生産を牽引する﹁マニュファクチュアはどれほどまでも育成にあたいするもの﹂であっ
たのである・しかしこのことから、関口氏のように、ロックにおいては﹁初期産業資本の再生産という視角が、経済
循環考察にさいする実質的な基礎視点﹂であったと言い切るためには、少々の留保が必要であるように思われる。
たしかに﹁初期産業資本︵﹃富の源泉﹄としての↓建8、その中でも﹃最も重要﹄な蜜oo2富。言話︶の再生産こ
そ経済発展の牽引力﹂であった。しかしすでに二でのべたように、価値の主要な源泉を労働にもとめるロックにとつ
ては、労働人口の増大を支える基本的ファンドとしての農業剰余の産出こそが、社会的富の増大の基底的要因である
ヤ ヤ ヤ
と理解があった。この理解こそが﹁耕地の増加とそれの正しい利用とが統治の重要な技術である﹂とロックをして主
張せしめた優越的な理由であった。農業生産を牽引するものがマニュファクチュアであったとしても、そしてマニュ
ファクチュアの﹁育成﹂炉説かれたとしても、ロッグにおける﹁経済循環考察の実質的な基礎視点﹂は、マニュファ
クチュア資本の再生産にのみあったのではなく、それに牽引された農業剰余の産出があわせて﹁基礎視点﹂となって
いたように思われるのである。
このポイントについては、﹃利子・貨幣論﹄におけるロックの次のような言明が役に立つ。
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 画 、 、 、 、 、 、
﹁齢ひ渉少ひ貼弘余恥ひ添いい御しは地代の低下である。それで地代の上昇は国民的見地から関心を払う必要がある。という
伽ゆ稚子伽低下b寮ゆか↑・地御ひb鼻輪ひも卦地所有春0真み朴益がみい、石いで後ひbb懸b公共ひ私益bbひbみ都加
ひ暦齢ひ。それ故に・イングランドにおける地侍み愉下み原跡を究明することこそがわれわれの課題である。
て土地が荒れるにしたがって生産物は減少し、したがってその生産物から得られる貨幣は減少する。⋮・−しかしこれは一般
的には考えられないことである。
二、あるいは、地代は次のような場合に低下する。1、その商品の使用の停止によって。.:・−2、何か他のものがその商品の
埋めあわ茎する場倉・:::3・馨塗︹謙︺市葱価霧所暮、献安慰露籠絡森霧合.・・−−4、ある
いは国産商品に税金がかけられ、借地農が売る商品が安くなり、彼らが買う労働力が高くなる場合。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、⋮、、︹10︶
三、あるいは一国における貨幣がより少なくなることによって。﹂︵傍点は引用者︶
ロックにおける農工間の経済循環把握に対する関口氏の分析は、有効需要が蓄積を規定するという市民社会の特殊
歴史的な法則をもとにして、その序列的構造を明らかにするものであった。たしかにこれは、初期ブルジョワ社会の
再生産構造における﹁土地保有者﹂の位置に関する分析を欠如したままでロッグの経済循環の﹁主導的地位は土地保
有者﹂にあるとする見解、に対する説得的な批判であった。しかし、ロックによるマニュファクチュア資本のもつ経
済発展の牽引力の主張を重視することが正当であるとしても、そこからマニュファクチュア資本を、直ちに、ロック
の﹁経済循環考察の実質的な基礎視点﹂として理解することはできない。これでは、ロッグの経済諸過程把握におけ
る農業剰余の産出の基底的意義が、不鮮明になるからである。
ロックの官僚的視角からの経済循環考察は、こうして、当面の﹁貨幣﹂不足問題への直接的な政策的立言において
はマニュファクチュア資本﹁育成﹂を説きながら、さきの引用からうかがえるように、その﹁実質的な基礎視点﹂
ージョン・ロックの生産論− 二三
一論 文t 二四
を、より端的にいって、マニュファクチュア資本に牽引されたところの農業剰余n﹁地代﹂にこそすえていた、と思
うのである︵この点は、後にのべるように、ロックの保護主義、及びナショナリズム理解の一枢要点になる︶。
ところで、ロックにとって、﹁貨幣﹂不足問題こそ、当面解決すべき政策課題であった。以下この点をみてみよう。
﹁マニュファクチュアは戸どれほどまでも育成にあたいするもの﹂というように、ロックにとっては、農業剰余の
産出を牽引するものとして、マニュファグチュアが重視されていた。つまP生産的労働主体の重視が、価値的一生産
関係視点によって再把握されることによって、ロックにおいては、マニュファクチュア資本の保護.育成こそが経済
政策の基調となり、これによって社会的富の増大が可能となる、とされていたのである。この場合、マニュファクチ
ュア資本の保護・育成とはどのような具体的内容であったかが次に問われることになる。政策H強力によって排除さ
れるべきマニュファクチュア資本にとっての阻害要因とは何んであったのであろうか。ロックはまずこの阻害要因と
して﹁貨幣﹂量の不足をあげている。
﹁貨幣がトレイドに必要な理由は二重に考察できよう。第一に貨幣が労働者と土地保有者とに一というのはここで貨幣の運動は
プロ カド
終結するのであって、その間に貨幣がどのようなひとの手を通過するにせよ、それは単なる仲介業者にすぎないからであるが、
1支払いをする人の手になければならぬ場合であり、もしこのような人︵たとえば織元︶が貨幣に不足すれば、工業製品蜜雪ぞ
計。9括は生産されず、したがってトレイドは停止し壊滅する。また第二に貨幣が消費者の手になければならぬ場合を想定し
よう。消費者という名称のなかにここでは生産された商品を輸出するために購入する商人蜜R。富暮もふくめて考えているの
パれり
であるが、もしこれら消費者が貨幣に不足すれば生産された商品のねうちく巴需は減少し、したがって王国は価格において損
失することとなる。﹂﹁もし貨幣不足がおこれば、商人による︹生産者からの︺購買と輸出︹外国からの輸入と転売ではない!︺
ならびに工業生産者の製造工業︵>三器口、ω鼠き焦89冨︶は阻害されざるをえない。﹂
︵E︺
ここにはトレぬ肥としての、すなわち流通主義的視角からではあるが、ともかくもマニュファクチュア資本の再生
産“循環・回転にとって、貨幣不足が決定的な阻害要因であることが指摘されている。そして同時に、マニュファク
チュア製品を国内市場及び国外市場で販売する︵﹁わが国の毛織物製品の半分が外国市場に移送され、国内において
は残りの半分が消費される﹂︶商人層がその限りで重視されている。
パ せ ロ パじズめロ
それでは、貨幣量不足を解決する政策は何であろうか。ロックにとっては、貨幣をわが国内に保存しまた海外から
もたらすことが﹁その富に関する王国のただ一つの関心事であり、議会の外にいるわれわれにとっては議会のただ一
つの注意すべきことがらであるように考えられる﹂というがごとく、国内市場の狭隘さに基底されて﹁貿易差額の出
ハ
ツ
ロ
ト レ イ ド
超﹂ではなく入超による﹁金銀﹂の流入こそがそれであった。しかもロンドンの金融業者が資金を﹁独占﹂して﹁貨
ズぼレ
幣不足﹂を激化させていることについての痛烈な批判からもうかがえるように、ロッグは貿易差額による﹁金銀﹂の
流入をそれ自体目的化して主張しているのではなかった。
﹁通貨が1今やその流れはほとんどすべてロンドンに向っているのであるが1比較的非常に少数の人達によって独占されて
いる現状においては、小資本家たち財。巨艦ヨ8閃やそれに不足している人たちはあまりも容易に不当な利子請求や圧迫に身を
さらしてしまうことになっている。そして巧妙で結託した貨幣貸付業者はあまりに大きく無制限なカをもっているので、借りる
人の無知と困窮を食いものにしている。もし貨幣がイングランドの諸地方に、そしてトレイドを行なう際の必要に応じて、多く
の人々の手に平等に配分されているならば、こうした危険は生じないであろう。﹂
パのロ
さらに自らの﹁拙劣な経営旨ど筈窪窪≦によって﹁地価の下落と財産の困窮とで苦しくなっている﹂土地所有
二五
者の、﹁法律の力によって﹂低利を強制し、地価を上昇させようという主張に対して、﹁すべての土地保有者が負債
ージダン・ロックの生産論一 ヤ
一論 文− 二六
をもつとでも想定しないかぎり、それ︹目法定利子引き下げ論︺は、土地一般にかかわるものではない。︹法定利子引
き下げ論者にとって︺あいにくなことには、土地をもつイギリス人︹のおおく︺は貨幣をもっているのであって、
︹こうしたおおくの︺の土地所有者は慎重さとすぐれた経営とによって、⋮⋮世の落伍者とならずにすんでいる﹂と
︵20︺ ︵班︶
いうがごとく、ロッグは法定利子引き下げ論の階級的性格を暴露し、さらに法定利子引き下げの結果が、﹁貨幣不足﹂
の現状のもとでは、法律をくぐっての金融の拡大、つまり自然的利子率の高騰をもたらし、よって借り手たる商工業
に不利になるというのである。しかもその場合には土地所有者自身の利害の損失をも招くとロックは説く。
﹁トレイドの衰退は残りのすべて︹の職業︺を急速にダメにしてしまうだろう。そうなったとき、利子引き下げによる地価の引
き上げをもくろんでいたことを思い知らされるというものである。貨幣が一わが国のトレイドが振興されないために一なくなつ
てしまえば、かれらは地代をはらってくれる借地農も土地の買い手も見つけることはできないのだ。⋮⋮だからかれらは商人な
︹鎗︶
どにもましてトレイドに縁があるのであって、トレイドが立派にいとなまれ維持されるように心をくだかねばならない。﹂
﹁土地保有者の真の利益は、かれの穀物や肉や羊毛がよく売れ高値をよぶということであって、⋮⋮これはイングランドヘより
︵23︶
おおくの貨幣をひき入れることによってのみ可能である。﹂
の諸地域より土地の売れゆきがはやく、高値でもある。﹂■
﹁繁栄せるマニュファクチュアが確立している諸地方、たとえば北部のハリファクス、西部のトートンやエクセタ近傍では、他
︵怨
こうしてマニュファクチュア資本こそがロックにおける経済循環の﹁主導的地位﹂を占めていたのであるが、その
マニュファクチュア資本の再生産U循環・回転の阻害要因としての﹁貨幣不足﹂は、順なる貿易差額による﹁金銀﹂
の流入をつうじて、そしてそれをヌニュファクチュアの生産資本︵及びその生産物の流通にかかわるかぎりでの商業
資本︶へ絶えず転化する経済政策の確立によってこそ、解決されるとロッグはいうのである。いいかえれば、生産費
本に転化されず投機的に利用される商業資本の習的財産としての貨幣ないし高利蒙の一朶もての社会的遊休資
本は・﹁もトレイ墓行なう際の必要に応じて、イングランドの諸地方や多くの人々の手簑り平筐配分されて﹂
いない場合窪﹁大きな危険﹂性竃つことにな餐、没落しつつある土地所有者蟹る楚利子引き下げ論は、
自然的利子率の高騰竃たらし、商工業さらには、﹁慎重さとすぐれた経営﹂を行なっている土地所有者をも圧迫
し・ ﹁もはや土地をもたぬ者がよりおおくの貨幣をもつことになり、土地をもちつづける者はよりまずしくなる﹂が
おり
ハカレ
故に、容認することができないとロックは説くのである。
こうして、ロックの主張するところは、大貿易・商業資本および旧土地貴族の階級的利害をあくまでも﹁国民的利
害﹂U﹁農工籍保護制度﹂に強力的旨摂すること、であったよ畠思う.しかもロックによれば、こうした経済
政策こそ、 ﹁近代的分解﹂によって析出される﹁貧民﹂の地主への負担を軽減するものである。
﹁労働貧民や職人§蓉§§α琶幽きhけ§がその労働まって自らその家族の生蓼鷲できないよ㌶なれば、
彼らは結局は教区の世話にならざるをえなくなる。そうすれば、土地︹所有者︺が重い負担を引き受けることになる。﹂
ロックにおける﹁人類の誠実な勤労を保護し奨励しようとする﹂経済政策の具体的内容は、こうして﹁貨幣﹂量不
足というマニュファクチュア資本の再生産にとっての阻害要因を強力的に排除するものであった。そしてこの政策は
マ三ユファクチュア資本が農業生産を牽引することを可能にすることによって社会的富の増大さをもたらすものとの
認識にささえられていた。
ロックは、 ﹁中産的生産者層﹂の経営”所有を勤労原理によって正当化する︵このことはロックによって経済諸過
程が﹁中産的生産者層﹂的視角から把握されていることを物語る︶とともに、その生産力的基盤の脆弱さを視野に入
ージョン・ロックの生産論一 二七
一.論 文− 二八
れ、これを政策的目強力的に克服する方向を追求すべく官僚的視角を用意したのである。
ところで、ロックにおいて﹁中産的生産者層﹂的視角と官僚的視角とを統一すべき条件は、ただにさきに触れた大
貿易.商業資本や旧土地貴族との対立という国内的条件にとどまらず、当時における外圧、とくにフランス絶対王制
との対立という国外的条件であった。ロックの眼の一方は、 ﹁世の君主であって確立された自由の法により権力の圧
ヤ ヤ ヤ ゐ ハ ざ ロ
迫や党派の偏狭をしりぞけ、人類の誠実な勤労を保護し奨励しようとする賢明にして神のごとき者は、たちまち隣厨
にとってまことに手ごわい君主となるであろう﹂ ︵傍点は引用者︶というように、常に外敵に向けられていた。
この外敵促迫、とくにフランスHコルベールティズムの前期的重商主義政策︵イギリスの﹁国民的産業﹂H毛織物
工業に対抗する強力な工業体系の育成︶および、これを背景にしたルイ一四世の﹁従属国化﹂政策は、客観的には
﹁中産的生産者層﹂にとっての一つの危機であったが、ロックはそれを把えることによって﹁中産的生産者層﹂的視
︵30︶
角H官僚的視角を設定することができた。そしてこの統一的目﹁国民的﹂視角から、大貿易・商業資本および旧土地
貴族の自己目的的運動を阻止しようとしたのである。ここにロックが純経済的分解による私的所有の不平等を正当化
しつつ所有権の保護を説き、他方、旧土地貴族および大貿易・商業資本を政策的n強力的に包摂することによって、
﹁中産的生産者層﹂の保護・育成を﹁国民的利害﹂として説く根拠があるといわねばならない。
以下、ロックの保護主義およびナショナリズムの理解の検討によって、ロックの統一的U﹁国民的﹂視角をさらに
明らかにしてみよう。
︵1︶ ﹁貨幣改鋳問題﹂についての・ックの発言に関しては、種瀬茂﹁ジョン・・ックの貨幣論︵正Y︵続︶﹂︵﹃経済学研究﹄
一、一九五三年および﹃一橋論叢﹄第三二巻五号、一九五四年所収︶を参照されたい。
︵2︶ 関口尚志﹁名誉革命後の金融危機と土地所有−利子論争ならびに土地銀行企画の社会的基盤一﹂ ︵﹃土地制度史学﹄
五号、一九五九年所収︶、七一八頁。なお、マルクスはいう一﹁チヤtルズ二世の王政復古時代から一八世紀の中葉にい
たるまで⋮⋮地主の側から絶えず地代の低下についての苦情が聞かれたということは、きわめて注目すべきことである。
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
︵カルペパーおよびサー・J・チャイルド以来の︶利子率の強行的引下げには産業資本家階級が大いに関与したとはいえ、
この方策の本来の主唱者はやはり地主たち︹一節区区ぢ8器曾︺であった。﹁土地の価値﹂と﹁その引上げ﹂が国民的利益と
して主張されたのである。︵これとはまったく逆に、一七六〇年頃からは、地代、土地の価値、穀物価格、生活手段の騰貴
と、これにたいする製造業者たちの苦情とか、この対象についての経済学的諸研究の基礎をなしている。︶
一六五〇一一七五〇年の一〇〇年間をみたしているのは、わずかな例外はあるが、金融業者︹ヨ8塁aぎ器器曾︺と地
主だち︹固きαaぎ8話馨︺との闘争である。というのは、 のんきに暮していた貴族は高利貸がどのように彼らをつかまえ
るか、また一七世紀末以降の近代的な信用制度と国債制度の形式に伴って高利貸が立法などにおいてどのように彼らを圧倒
ヤ ヤ ヤ ヤ
するかを見て、いまいましく思っていたからである。⋮⋮m顎外は両者︹利子と地代︺を労働の搾取に帰着させており、ペ
ティと同じ立ち場をとっている。両者とも利子の強制的な規制には反対している。地主たちは、利子が低下すれば土地の価
ヤ ヤ
面が拡大することに気づいていた。:⋮とれは恥かが卦地所郁に対立して反抗をはじめる最初の形態であって、利子︹島亨
蔓︺は、資本の蓄積のための、すなわち資本が地主の収入の分けまえにあずかるための、一主要手段であった。だが、産業資
本と商業資本は、多かれ少なかれ地主と手を結んで、資本のこの古風な形態に対立するようになるし ︵客客円き臼ミミ噛§
葛貯軋§さ鳶ミミ♪一↓亀﹂ヨ匡国忌。芽ρ国α・8讐ωψω盆−巽9大内、細川監訳﹃マルクスエンゲルス全集﹄第二六巻
第一分冊、四六五一四六六頁︶。
︵3︶ 種瀬茂﹁ジョン・ロックによる経済の構造的把握﹂︵﹃一橋論叢﹄第三五巻二号、一九五六年所収︶を参照されたい。
︵4︶ 浜林正夫﹁ロック経済思想の社会的基礎﹂︵﹃商学論集﹄第一二一巻六号、一九五四年所収︶、七七頁を参照されたい。浜林
ージョン・ロックの生産論一 二九
1論 文一 三〇
氏は﹁ロックにおける﹃自然﹄は法N権力の助けを必要とするものなのである。いいかえれば、自然利子率の形成にかんし
てロックが﹃貨幣の平等な配分﹄という条件をつけていたことから知られるように、ロックの自由目自然は条件つきのもの
であったともいえよう﹂とのべ、﹁このことは政治論で・ックが自然状態を戦争状態としてではなく平和と善意の状態とし
てとらえ︵ホッブスとの差︶しかもそれを不便な不安定なものとして政治権力の設立を要請したこと︵スミスとの差︶に対
応している﹂ ︵八三頁︶という。
︵5︶㌧ミミ婁幅マOド
︵6︶ 種瀬茂﹁ジョン・・ックによる経済の構造的把握﹂、前掲、二七頁。なお、浜林正夫﹁ジョン・・ック経済論の研究﹂︵﹃商
学討究﹄第二巻三号、一九五二年所収︶においては﹁ロッ.クは産業資本の代弁者であったというよりは、むしろそれと結び
ついているにしろそれを覆っていたところの近代的土地所有階級の味方であった﹂という︵三八頁︶。さらに浜林氏はいう
一﹁ロックの立場はこのように考えてくると、ロックが租税の問題にふれ、税は結局は土地にかかわるものであるからとい
う理由で商品税に反対し、直接土地税を主張しているのは、トーり一であるダヴナントが商品税を主張していることと対比
して、土地貴族に対するブルジョワジーの負担転稼であると解され易いのであるが、むしろ土地所有階級の国家の礎石とし
ての自負のあらわれとみることができないであろうか。あるいはまた生産過程に目をそそぎえなかったロックが、まず租税
負担という形においてのみ、土地の、そうして土地のみの、生産性を裏がえしに主張していると解することは許されないで
あろうか﹂︵三八頁︶と。この浜林氏の理解は、前掲論文にも引きつがれている︵八二頁︶が、こうしたロック像は浜林氏の
重商主義の社会的基礎把握に関わっているように思われる。浜林氏は、重商主義の社会的基盤についての張漢裕、大塚久雄
両氏らの研究を﹁すぐれた試み﹂だとしながらも、 ﹁しかし対象を十八世紀に限定して重商主義の基礎を国民的﹃工業生産
者﹄層に求めるのは重商主義概念をあまりに狭く解することになるのではなかろうか﹂ ︵六三頁︶という疑問を提示してい
る。浜林氏によれば﹁近代的土地所有階級を母胎とし、海外市場を媒介として、ようやく生産力の問題に眼を転じようとし
ているホィッグ的イギリ重商主義と懇そわれ貌哲ック経済論の背後からよみとら誇れば弩ないあ﹂なので
ある・大塚昏£しか垂商主義の社会的蓋を﹁工業生産者誉・焦§塁﹂に求めているが、しかし、﹁ところで、
すでにこの頃には地主のブルジョワ化の広汎な進行の結果、地主層の利害は工業生産者層のそれに基本的に一致あるいは従
属しており・したがって聖層の利害なるものは工業生産者のそれを窪反映していをいうことができる﹂︵大塚﹁重商
主義の社会的基盤﹂︵一九五二年︶﹃著作集﹄第六巻、一五二一三頁︶とのべている。己れは﹃ブリティッシュ.マーチヤン
ト﹄ ︵一七二一年出版︶の分析であるが、こうした見解をロックに即しても基本的にいいうるとしたのが、本文でのべるよ
うに関口氏の研究である。わたくしはこの関口氏の見解を説得的だと考える。しかし後に本文でのべるようにわたくしは関
罠が。ックの﹁経済循馨察旨いする実質的基礎視点﹂を初期産業資李マニ.ファクチ、ア資本の再生産にのみ求
めていること及び﹁イギリス型ボナパルティズム﹂理蟹関しては必ずし高意しない.そしてあ点は、平井俊彦氏の関
罠への批判︵経済史的系譜論﹂!︶旨るように、関・氏の﹁類型論的方法﹂への批判を含琶とに馨う.落し平井
昏鶏的資査近代的産書本とは﹁理論や政募蓋の地平瓢いてあ翌をみるのでなけ盤、具体的なとらえ方
はできない﹂といい・蓋性姦諷しているが、こうし芳法によってえられ昔ックの具体像は、﹁ロックのこうし三
国社会内部の経済循環嚢も、その叢には外国貿易による貿塁額説があり、社会の経済循環もけっして完結したもので
はなかった・のみ弩ず・経済循環はど呈ξ纂の循馨あり、けっして箋過程からの聾構成ではなかった.ここ
にも・ックの重商主義思想の二重構造がからみあっているのであり、そしてこの姿こそが十七世紀の初期ブルジョワ経済思
想の過渡期的な籍をしめしている﹂︵平井﹃・ック瓢ける人間差会﹄一九六四年、≡一責︶というものであった..
三一
これでは﹁からみあい﹂のメカニズムは明らかにされをはいえず、従って義あ分析視角の有効簑問われをとにな
らぎるをえない。
ロックの生産論1
︵7︶関口、前掲論文、一一頁。
ジョン
−論 文− 三二
︵8︶ 関口、前掲論文、一一頁。
︵9︶﹄ミ無恥鼻 。 ﹄ o 。 。
︵10︶ ㌧ミ禽8斜℃マ8もρ﹁土地収入と土地の価値は、国民的トレイドと調和する﹂︵山嵐、§ミ自卜§吋讐§孕ミ“息切8ミ器
蔓鞘“魯、oマ9fマ一9︶。したがってミークの次のような指摘はロックの一面をたしかについている←﹁アダム・スミ
ス以前のイギリスの経済思想についていえば、生産過程︵交換過程と異なるものとしての︶の分析の問題に関連する諸問
題に興味をもった著述家たちば、ときとして重農主義的な観点をとったのであった。すなわち、かれらは、利潤︵および利
子︶をもって地代から支払われかつ地代に依存するもの、とみなす傾向をもっていた。⋮⋮一七世紀の一パンフレット作者
は、土地所有者は﹃この国のあらゆる富の土台の、そしてまたかれらの所有物たる基礎から生じるあるゆる利潤の、主人で
あり所有者である﹄と主張した。ペティは、そしてロックもある程度は、利潤をもって地代に包含されるものとみなし、利
子をもって地代からひきだされるもの、とみなしていたようである﹂︵押炉竃8F℃三巴8冨昌きαΩ器巴9ωヨぢゅ降−
巴P﹃ミ馬S§ミ奇智ミ慧ミ暫家賃9ぢ田”マω9吉田洋一訳﹃イギリス古典経済学﹄、 一九五六年、五七−五八頁︶。こ
の点の理解は、近代イギリス史理解にとっても一定の意味を持つように思われる。吉岡昭彦氏は﹁戦後の西洋近代史研究に
おいては、.⋮:土地所有の面が等閑視されてきたこと、とりわけイギリスについては土地所有はたんに資本に従属するもの
として処理され、その独自な役割が見落されてきたこと﹂、﹁この欠落した側面に注意を向けた限りにおいてのみ、 ﹃再検討
論﹄は一定の意味をもっこと﹂、 ﹁再生産構造全体の中で地主階級が如何にして土地所有の経済的価値を実現し、階級とし
て自らを再生産しているかという点をみなければならないということ﹂を主張している︵柴田・松浦編﹃近代イギリス史の
再検討﹄一九七二年、所収の﹁イギリス近代史研究の方法的再検討﹂︶。なお同書所収の遅塚忠躬﹁地主制をめぐる諸問題
ーフランス史との対比からi﹂及び楠井敏朗﹃イギリス農業革命史論﹂ ︵一九六九年︶とくに﹁第一章一八世紀のイギ
リスにおける産業構造−産業革命と農業革命との﹃同時併進性﹄の根拠をめぐって一﹂参照。
ところで、﹁地代の低下﹂のこうした諸条件が打破され、農業生産が資本主義的に営まれるとき、開墾による耕地の創出、土
壌・水利・灌漑等々の土地改良、及び農業技術の改良・導入によって、いわゆる自然の征服は格段におしすすめられるであ
ろう。しかし﹁農業は、それとともに資本が開花し、そこに資本がその本源的な定着地をさだめる領域ではけっしてありえ
ないということは、すでに生産局面の内部における⋮⋮中断という点に横たわっている﹂︵界竃窪き♀讐醤聴路旨籍、辱魯暮
“ミ、oミ豫息§qぎミ§智一〇〇鴇一oo、げ霧g讐<oヨ三国雪ぎ¢島ερ蜜。玲”FU8貫<oユoo界ωR一ぎ︸一3ω・ωψ㎝〇一IP高木
監訳﹃経済学批判要綱﹄第三分冊、六一九頁︶。
︵11︶﹄ミ“遷罫マお・訳文は関口尚志氏に多く負っている。
︵12︶ ﹄ミ塁塁ひP旨■
︵13︶ ﹁ロックのいう↓壁号にはt当時の通例的な用語法にしたがって−商業ばかりでなく、産業︵とくに工業生産︶も
また﹃労働︵ピ呂。霞︶と手工業者︵閏彗急。富津B弩︶とによっていとなまれる↓β計﹄としてふくまれていた﹂︹関口、前
掲論文、九−一〇頁︶。﹁トレイドとは、商品を生産し、集積し、分配し、交換することである﹂︵﹃言謹ξ、鳶ミ切も阜
蜜巾三三ωohピ彗毘。︵コρい。注05蟻一83<o一・どP曽O︶。
︵14︶ 、蕊ミ塁きマq鈍なお、十八世紀初頭から半頃にかけてのイギリスの国内市場の規模については、大塚久雄﹃欧州経済史﹄
︵一九五六準、 ﹃著作集﹄第四巻、一三六一七頁︶、および、山下幸夫﹃イギリスの経済思想ーダニエル・デフォウの経済
論とその背景1﹄ ︵一九六八年︶、とくに第一章を参照されたい。
︵15︶ ﹁名誉革命前後に各地で発生した星雲的・兼業的手形割引業者の核心をなしたのは、織元上層一その多くは近代的問屋経
営主一であり、これに各種の生産やその利害に密着する商人がくわわって、ひろく当時の地方商工業者の営みを金融的に援
護していた﹂﹁名誉革命のイデオローグといわれるジョン・ロックは﹃↓富岳に便宜なように地方の隣人たち︵Zo黄ゴ,
げ。瑛$ぎ浮oO9彗蔓︶に貸出す﹄﹃農村の債権者﹄の存在を指摘してその利害を積極的に擁護して﹂いた︵関口尚志
ージョン・ロックの生産論− 三三
−論 文− 三四
﹁イギリス初期地方銀行の存在形態とその基盤一名誉革命前後のイングランドにおける市場および信用の構造とロンドン
の位置一﹂ ﹃金融経済﹄五五号、 一九五九年所収、八一頁︶。
︵16︶ 初期産業資本の貨幣量不足の意義については、山之内靖﹃イギリス産業革命の史的分析﹄ ︵一九六六年︶、とくに五六−
六五頁の記述を参看されたい。当時イングランドにおいて、 一方で﹁われわれは現在充分な貨幣をもっている﹂ ︵チャイル
ド︶とされ、他方﹁とくに地方において﹂貨幣不足の不満がある︵チャイルド︶とされたことは、貨幣量の絶対的不足とい
うよりむしろ、関口氏の指摘されるように﹁興隆途上の初期産業資本こそがだれよりも痛切に﹃貨幣不足﹄からの解放を希
求していた﹂ ︵関口﹁名誉革命後の金融危機と土地所有﹂、前掲、一五頁︶ことを示すものであろう。
︵17︶ ﹄ミミ跨晒マ8・
︵18︶ ﹄ミミ霧斜℃﹂ド﹁デフヰ、ウはすでに一七〇四年の著述のなかでも、イングランド各地の諸製品が・ンドンを経て国内諸他
方で消費する有様を、血液の循環に比喩をもとめて描出しており、したがって十六世紀中葉に典型的だったという国内市場
の地域的封鎖性はその後着々と破壊され、十七世紀の末ごろからは、ロンドンを焦点とする形で統一的国内市場形成への志
向を明らかにしはじめていたといえよう。そしてロンドンはこのような事情を背景にして、外国貿易をも含めた近代的遠隔
地商業の中継基地として繁栄をとげていたのである﹂︵関口尚志﹁イギリス初期地方銀行の存在形態とその基盤﹂、前掲、一
〇八頁︶。
︵20︶ ﹄ミミ翁♪マO“・
︵21︶ hミミ霧♪マ謹●
︵21︶ 法定利子引き下げ論者は、 ﹁拙劣な経営﹂によって負債をおった地主層の利害を代表しているとする関口、前掲論文、と
くに二二頁以下、及び同﹁金融制度の変革ーイギリス市民革命における金融問題を中心として一﹂ ︵大塚・高橋・松田
編著﹃西洋経済史講座﹄W、一九六〇年所収︶、とくに一五二i三頁、を参照されたい。
︵㎎︶ 、ミ蔑8♪マ一“・
︵23︶ ﹄ミミ霧きPαド
︵24︶ ﹄ミ ミ 豊 艶 P ω O ・
︵%︶寒養う。言ックにとって﹁農の忠は雷肇である.⋮とれで栖別資本の素材曲値補習問覆、い
やおうなしに無視されるほかないであろう・そうなると、彼はこの蟹肇部面の資本の循蓼社会的讐本の塵産邊
との絡み合いにおいて把えることができず、結局この資本の循環をG⋮αとして、しかもたえず更新されるものとしてでは
なく、ただ一回限りのものとして把えるほかなくなってしまう﹂﹃市民革命思想の展開﹄一九五七年、昼二−八四頁︶とい
う羽鳥卓也氏の解釈の問題性は、もはや明らかであろう。
︵26︶ ﹄ミミ鴇斜マOω.
︵27︶ ロックの政策的立言の現実化について関口氏はいう。 ﹁イングランド銀行は、・ック的﹃自然的﹄方策を実現していたの
である。あるいは一層厳密に表現すれば、ロックが﹃貨幣﹄量増大を貿易差額にのみ期待せねばならなかったのにたいし
て、イングランド銀行は、この貿易差額論を継承しっっ、これにより国内に確保した金属貨幣を基礎として、尨大な信用貨
幣を発行し、こうして金属貨幣の効用をいく層倍にもたかめるといういわゆる信用創造論を具体化し、かくてロックよりふ。
らに一歩すすんだかたちで﹃自然的﹄な利子率ひきさげを実現したのである﹂︵関口.名誉革命後の金融危機と土地所有﹂、
前掲、一七頁︶。従来九−一四%であった内外商業手形の割引歩合が、銀行設立の一六九四年には四.五i六%に下落し仁
︵関口、同 賈 ︶ 。
︵羽︶ ﹄ミミ鵠トヤ㎝Sこの引用箇所の直接的な論理連関は租税を土地以外にも課する乙との是非についてである。この点、石坂
昭雄﹁名誉革命期における土地単税諭ージ。ン・ロックとイギリスの地租1﹂︵高橋.古島編﹃近代化の経済的基礎﹄、
一九六八年所収︶を参照されたい。なお、・ックには﹁労働学校﹂譲R5品ω98一のプランがある。O戸罫O﹃山口ω什。p・
ージョン・ロックの生産論− 三五
一論 文一 三六
﹄黒蓋トミぎ、籍黛。等§ξ”ピ8αo㌍一38℃P爵令鵠9
︵29︶ Oo器§ミ§艶n一四二、 ﹁陛下の臣民およびヨーロッパのすべてのプロテスタントにとっての安全・宗教・自由・財産
は、まさに対仏戦争の勝利にかかっているのです﹂︵O胃ざど>醤恥旨ミ。遥遠⑩詮“融。、b慧肉ミ嵩斜鷺鳶、ミ静養昔噺冴
﹃、ミ♪誉智ミ讐§気勢↓鳥篭き、ミ“ミ塁嘗吋§き偽層、題§馬ミミ禽禽義貼等葛ミ♪ω二ω8一﹂8俳号oUo象8岳。コ︶。
︵30︶,この点については、山篭言醤蕊亀h爲着付ミ誤,ミ自ミ鴇暑、愚母﹃還軋♪oマ。鍔一留3回目︸O舞どン。マ9f℃マ旨oo一
嵩P及び、ζ・勺二窪二〇ざ>p鴨。−閃︻o口。﹃円3α①ゆコα浮。.G昌暁餌<o仁黄玉〇σ巴曽昌8.8茸8︿Rωド58占Ooo切︸闘8着。§驚
融むき鳶為專菟タ浮ユ紹﹃、−<〇一﹂∼ぎ﹂、ご目を、それぞれ参照されたい。
四 ﹁通商植民委員会﹂
ハ レ
ロックは一六九六年から一七〇〇年まで﹃通商植民委員会﹄の委員であった。この委員会は、一七八二年に﹁通産
省﹂︵ゆ8乱9↓轟号︶と﹁植民省﹂︵Oo一8芭O窪8︶にそれぞれ分かれ独立するのであるが、まず委員会設置の
事情について最初に触れておきたい。
さてこの点についてラスレットいooω一再けは﹁新しい通商委員会の必要性を政治家たちに感じさせたのは、慢性的
︵2︶
でかつ深刻化しつつある貿易収支の悪化と危機的な貨幣事情であった﹂といい、副島京子氏は、ブリストル商人の請
願︵一六九六年︶、J・ポレクスフェン﹃通商・貨幣および信用についての考察﹄ ︵=ハ九六年︶および一六九五年
のJ・ウィストン︵冒ξ名言馨9︶の。パンフレットの検討によって、これらには﹁商工業の問題が﹃適切な取り扱
いをうけていない﹄ことへの批判、不満が共通にみられる﹂とし、さらにつぎのようにいう一﹁商工業が放置され
正しい政策が決定されていない原因として、−⋮商工業政策の立法・決定に関して議会あるいは政府.枢密院が必ず
しも十分な機能をはたしていないことへの批判︹がある︺。これらは単なる批判にとどまらず、商工業政策の立案、
決定過程を、商工業にとって都合のよい、﹃商工業を繁栄の基礎に据えるごとき﹄ものに変革する必要性をうちだし
ている﹂と。
パヨロ
まことにその生産力基盤の脆弱さに制約されてマニュファクチュア資本は政治権力を直接に掌握していない。地主
および大貿易・商業資本の掌握する政治権力が、﹃商工業を繁栄の基礎に据えるごとき﹄政策を追求しないとすれ
ば、マニュファクチュア資本は何らかの独自の政策実現のための方策をとらねばならない。 ﹃通商植民委員会﹄設置
の要求こそ、まさ に こ れ で あ っ . た 。
しかしこの要求は順調には実現しなかった。ラスレットは委員会設置で争われた問題として、H通商と植民が一つ
カウンシル
の委員会で審議されるべきか、それとも二つの委員会に分離されるべきか、口それは大きな代表的な審議会であるべ
きか、それとも小委員会でよいか、日そのメンバーは商人自身かあるいは商業経験者かそれとも専門家かあるいは混
量ッテイ T‡ζ エ責fト
成か・その場合には構成比如何、四委員は君主によって任命されるべきかそれども議会によって任命されるべきか、
の以上四点をあげてい.親。大貿易・商業資本および地主勢力、つまりトーり1派は、君主ウィリアム及びホイッグ勢
り
力に対抗して、委員会を議会の制約下に包摂することを企てていたのである。
デバモトノント
しかし結局、一六九六年五月十五日﹃通商植民委員会﹄は国王に直属する中央行政機構の一部局として設置され
た。それは﹁庶民院のあの︵通産委員会︶企画を、はばむために﹂、 ﹁多くの人々が委員会について提一言しているの
で、彼らをできる限り満足させる方向で委員会が設置されることになり、委員が任命﹂された、と﹃エル、、、タージュ
ージョン・ロックの生産論− 三七
1論 文− 一二・八
ハ レ
急送公文書﹄︵U一ω冨8サ89一、=RBぎ鴨︶﹄がのべるように、基本的に国王nウイッグ派の勝利であったといえる
であろうが、任命された八名の委員はロック、ダヴナント︵ρO、><oβ旨︶、C.レン︵Oぼ馨09R妻器質︶、ウォ
リス︵妻包一δ︶、 ニュートン︵Zo≦8口︶、 ヒースコート︵国窪昏88︶、 J・チャイルド︵臼8冨げO試髭︶、アスギ
ル︵︾詔旨︶であり、この人選の中には、トーリー派への譲歩が明瞭に示されていたのである。このことは、トーリ
パマロ
ーとウイッグの対抗関係が委員会の審議の中で何らかの形態で再現されることを意味した。委員会案が成案となるた
めには四名以上の署名が必要とされた。ホイッグ派は、したがって必ず自己の主張を委員会において貫徹できるわけ
パ レ
ではなかった。
﹃通商植民委員会﹄設置の事情はほぼこのようなものであったといえよう。そしてこの事情の中に、、ロックの政治
機構論におけるあの﹁連合権﹂︵冨考量二お℃o譲R︶の意義づけとの対応を見ることができるように思う。というの
はこうである。すでに別稿でふれたように、ロックの連合権は﹁最高権力﹂としての立法権から直接的規制をうけ
バコソンズ
ないものとして、執行権をもつ君主に属するものと機構化されている。 ﹁コモンウェルスの外部のすべての人格と和
戦、締盟および交渉﹂をする連合権が、立法権の直接的規制外におかれるべき理由として、ロックは﹁外国人に対し
て何が為さるべきかは、彼らの行為や意図と利害の変化に左右されるところが大きい﹂ことをあげ、国内的﹁自然状
態﹂からの脱却がそれ自体労働による所有という事実上の規範”秩序原理を法的に表現するにとどまるのに対して、
分別と叡智に是非とも任せられなくてはならない﹂とし、国外的﹁自然状態﹂からの脱却による国際的秩序形成にあ
連合権の行使については、 ﹁連合権が公共の福祉に役立つように運用されるには、この権力を握っている人々の思慮
ハ レ
っては、一定の創造性を必要とすると説いているのである。この創造的リーダーシップを果たすものとしての﹁神の
ごとき﹂存在を・ロックは君主に求めたのである。ぞこには、大貿易.商業資本および地主がその主要なメンバーに
なっている議会に対する一定の距離感が示されているといえよう。換言すれば、この点が制度的には旧来のように連
合権を君主に属するものとして機構化した現実的理由ではなかったと思われるのである。したがって﹃通商植民委員
会﹄がもし議会の制約下におかれるとすれば、君主のもつ連合権は有名無実化するであろう。しかしロッグにとって
より本質的な問題は、君主のもつ連合権すら、必ずしも初期産業資本の利害にそって行使される保障はない、という
ことであったように思われる。このことの故に連合権の行使は、 ﹁公共の福祉﹂U所有権の保護.育成であ昼かぎり
正統性をもちうるとし、その自己目的化に対しては、抵抗権の行使を用意する、という構成をとることになったのであ
ろう。ロックによれば、国王に直属することになった﹃通商植民委員会﹄も委員の構成によって必ずしも初期産業資
本の利害にそわない委員会案を出すことも予想され、その場合には、委員会の外での請願、パンフレットの出版、示
威運動等による世論形成をはかり委員会に圧力をかけるとともに、最終的には抵抗権を用意せざるをえないというこ
とになるのであ船鳴まことに﹃通商植民委員会﹄こそは、このような意味で﹃イングランド銀行﹄の設立、︵一六九四
年︶ととも面、、相対的に脆弱な経済的基礎をもった初期産業資本のいわば戦略的拠点として、位置づけられたもの、
ハロロ
といえるであろう。国王ウィリアム三世の指名をうけたロックは、この拠点の中心メンバーであった。
ロックの﹃通商植民委員会﹄での主張の基調は﹁国内諸産業の保護﹂であった。この主張はチャイルドに典型的に
示されるような﹁名門旧家﹂的地主や﹁東インド貿易﹂的仲継商人の利益こそが残余の諸社会層の経済的利害に優先
ハせり
さるべきものとの並製と対立するものであった。 ロックはケアリ:︵〇四q、一︶の﹃トレイドに関する一論﹄ ︵一六
九五年、ブリストル︶を高く評価し、﹁私はあなたが考えていることの中に真理と祖国の利益以外の偏見や利害を
ージョン・ロックの生産論旨 三九
一論 文一 四〇
見い出しえない。⋮−トレイドの正しい秩序四二の鐸。三豊轟9窪&oに最も関係のある土地貴族8賃ロ什蔓
ハぬロ
鴨旨ざヨ器がたいていはそれについての正しい認識に欠けていたり、その中にこそ自らの利益があるということに
ついて理解をしていないのである﹂とのべている。 ﹁土地貴族﹂とは﹁下院﹂を意味するものであったから、このこ
パおレ
とはロックが下院にトレイドの問題の処理をまかすことはできないと考えていることを示すものであった。ロックは
﹁土地貴族﹂“下院が﹁トレイドの正しい秩序﹂を考えることができず、よって﹁国家O霊算q﹂の利益を見失な
い、ひいては自らの利益すらも失なうことについての認識の欠如を批判しているのである。 ﹁土地をいためつけるこ
とは、トレイドをふたばのうちにつみとるにひとしい﹂とか﹁貴族やジェントリーがその土地財産と信用をそこなえ
ば、やがて王国は衰亡する﹂と主張する小力ルペッパや、﹃東インド貿易が全外国貿易中もっとも国民的なることを
︵ロ︶
パぬり
論証する﹄と題する著書を公刊したチャイルドらに対して、国内諸産業の保護・育成にこそ﹁トレイドの正しい秩
ハのロ
序﹂を求めねばならないというのがロックの主張するところであった。
ロックの経済政策の基調は、 ﹁国内諸産業の保護﹂であった。 ﹁工業生産の発展←食料や原料︵ならびに土地︶へ
の有効需要の増大←農業生産者︵したがって地主︶の利益﹂という経済循環についての序列的編成把握は、国内市場
を基礎としつつも、その狭隘性から必然化する外国市場の追求に際して、その自立化を許さず、あくまでも農工の
﹁中産的生産者層﹂の利害に結合させようとするものであった。こうした政策基調は、さらにアイルランド政策につ
いてのロックの発言の中に見ることができるように思われる。
︵2D︶
松尾太郎氏によってすでに明らかにされているように、ロックのアイルランド政策についての立言は、まずイング
ランドのマニュファクチュア、とくに毛織物工業保護の立場からのアイルランドの﹁国民的産業﹂11毛織物工業抑圧
と羊毛供給地としての確保を目的とするものであった。アイルランド毛織物工業は、 ﹁食糧の安価、したがって労働
の低価格を武器に安価な毛織物を輸出し、イングランドのトレイドを害する﹂ものとの認識がロックにはあった。
﹁アイルランドにおいては毛織物輸出が私的な輸出業者の利益であるばかりでなく、国民の利益にもなると国民に信じられてお
り、あらゆる種類の障害を打破しようとしている。⋮⋮︹アイルランドの︺人々をその種のトレイドに従事することから切り離
すためのより自然で効果的な方策は、⋮⋮油・ケパだて器・梳毛器などへの課税と、織布工程にある毛織物に対する課税とによ
︵飢︶
って、食糧の安価、したがって労働の低価格を武器に安価な毛織物を輸出しイングランドのトレイドを害することを不可能にす
ることである。﹂
さらにロックはイングランドのマニュファクチュア生産物への国内購買力の源泉として、またそれへの原料および
﹁富の減少の疑う余地のないしるしは、地代の低下である。それで地代の上昇は国民的見地から関心を払う必要がある。..
食糧供給者としての土地保有者の利益保護を説いた。アイルランド産肉畜の流入の禁止の主張はその一つである。
︹一つには、国内︺市場に他の︹つまり、国外の︺場所からより安価な同一の商品が供給されることによって︹地代の低下が生
へゑり
ずるの︺である。イングランドの畜産地方では、アイルランド産肉畜の輸入によって地代が低下するにちがいない。﹂
イングランド農業の保護は、労働人口の増大をささえる基本的ファンドとしての農業剰余の産出を保障するという
基底的意義をもつ。さらに注目すべきは、ロックが﹁富の減少の疑う余地のないしるしは、地代の低下である﹂とし
て、 ﹁地代﹂の上昇に、土地保有者の利益とともに、 ﹁公共の利益90賃50。暗き雷鳴a夢。を呂。﹂をも見い
出していることである。
ロックの保護主義論は、低賃銀を武器とする後進諸国から、すでに形成と成熟の途上にある国内市場を守るという
意味で自国諸産業の保護・育成を目ざしている。そして、 ﹁国民的産業﹂としての毛織物マニュファクチュアが﹁ト
ージョン・ロックの生産論− 四一
1論 文一 四二
レイド﹂の牽引車的役割を果すとされて保護・育成が説れていることはいうまでもないが、同時に、それによって牽
引される農業剰余の産出が、たんに土地保有者の利益としてだけでなく、 ﹁公共の利益﹂として一重視されている。こ
れは﹁地代﹂として地主の手に回流した貨幣が、マニュファクチュア生産物への国内購買力の源泉となると同時に、、
﹁王国の諸租税の最大部分を負担する﹂ものであったからであろう。
こうしてロックの政策的立言には、自国諸産業の保護の意図が貫ぬかれている。そしてこの保護主義を実現するに
は、ただに大貿易・商業資本や旧土地貴族との対立という国内的条件にとどまらず、外圧、とくにフランス絶対王制
との対立という国外的条件に政策的H強力的に対応しなければならなかった。この政策を遂行しうる政治権力こそ、
ロックの求めるものであった。ロックはそれを君主権に求めた。地主の負担する地租が、この君主権行使の財政的基
礎であったのである。﹁﹃名望家支配層﹄は国家権力の強化を、たとえそれがどの程度のものであれ、国内政治の観点
からは疑惑の目をもって眺めた。彼らは強力な海軍と強力な対外政策を欲したが、彼らの地方におけるまったく﹃自
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ や
然な支配﹄、コモン・ロー、財産所有などに介入する恐れのある強力な政府や、さらには常備軍などを欲しはしなかっ
露︶
た﹂ ︵傍点は引用者︶とするC・ヒル︵霞FO耳翼8ゴR︶の見解は、これに対応するものであろう。
ロックによれば、君主権は自国諸産業U農工の﹁中産的生産層﹂の保護・育成のための政策を遂行し、 ﹁国富﹂の
増大を図るものでなければならなかった。この目的を追求するかぎり、君主権の機能的強化は支持されねばならなか
︹24︾
つた。このことは、対仏戦争、アイルランド国民産業の抑圧、旧植民地体制の積極的推進を﹁国民的﹂課題として位
置づけることを意味した。そしてこのようなことを意味するかぎり、国権の拡大と経済過程への介入は積極的に是認
︵茄︶
されるべき、ものと、ロックには考えられていたのである。
イングランド銀行の設立と通商植民委員会の設置は、 ﹁中産的生産者﹂の戦略的拠点の成立を意味した。しかし直
接政治権力を掌握しえていないロック陣営にとっては、政治権力を絶えずコントロールする体制が必要であった。現
実の政治権力は必ずしも﹁中産的生産者層﹂の保護・育成のための政策をとるという保障は塗かった。ロックにおけ
おり
る抵抗権の構想は、まさにこのような意味連関において、考えられたものであったように思われるのである。
パぎ
ロックは以上のような意味で重商主義者であった。ロックは﹁中産的生産者層﹂の保護.育成を経済政策の基調と
・し、その実現にあたり、ナショナルなエネルギーをひき出すことができた。近代的ナショナリストとしてのロックを
次に明らかにしてみよう。
︵1︶ ﹃通商植民委員会﹄のフルタイトルは、、=一ω蜜a窃ξ、ωOoヨヨ置匹。器窃8︻O﹃oB。けぎ職葺。↓醤留ohけ三。昏コ丑。ヨ
きユ8﹃ぎω冨9首磯碧O一目鷺。<ぎ㎎昌。国碧冨ユ8ω冒>ヨ。ユ8凹目α匹9︵﹃Ro、.であった。 ﹁委員会は、 ﹃イングラ
ンドのトレイドおよびすべての外国とのいくつかの特殊なトレイドの現状および条件﹄について調査するよう指令されてい
た。さらに﹃王国の貧民を仕事につかせ雇傭し、公共のためになるようにし、よって国民の負担を軽くする適当な方法を考
え﹄ねばならなかった。また委員会は﹃通商についてと同じく植民地の統治と司法行政について﹄責任を負っていた﹂︵客●
O﹃餌自警OPOマO器4℃.“○“︶。
、ぎミ恥ミ物爲ミ、ミ魯§輔導搾。α﹂●矩‘吋〇一8p一〇のヨげユ音。しOOgP辰ρ
︵2︶℃・ピ国色。けこ。言r8犀。喜。瞭§=§一謹。一畳蕾。鐘コ皿。=ゴ。ω。註。3邑。二。8‘毯。。甘§菩。“知馬㍉
︵3︶副景子﹁名誉蕃体制の政治と経済−喬麓委員会盆立と罷1﹂︵﹃歴史学研究﹄三八耳、充竺年︶
三四頁。
︵4︶7鵠ω一。Fβ鼻こ℃﹂自
ージョン・ロックの生産論i 四三
−論 文− 四四
︵5︶﹁ぎω一痒もP。F℃℃﹂畠山参
︵6︶ 副島、前掲論文、三五頁より再引用。なお、副島氏は﹁﹃委員会﹄設立の企画をめぐり、政府と議会の間に一種の権限争
いがあったことがわかるが、その問題はまたの機会に譲る﹂としている︵三五頁︶。O卜型ピ帥ω一〇Foサ含fP区P
︵7︶ 即ピ器ざFoや。幽2マ一お.なお副島、前掲論文は、委員会発足時からスチュアート朝末年までの間に三二名が委員と
なり、その職業構成は、 ﹁四分の三は議員であり、すべてが土地所有者という一見排他的な性格が浮き彫りにされ﹂るとし
ながらも、 ﹁議会におけると同様に、ここでもまた土地所有者的価値体系が支配的﹂との評価を表層をとらえているにすぎ
ないとし、委員会の実質的な性格については、 ﹁製造工業の成長、発展という観点から商工業者の要求をとりあげ、議会に
働きかけ納得させるという姿勢の中にこそ﹃委員会﹄の本質をみるべきであろう﹂という。
︵8 ︶ 副島、前掲 論 文 、 一 、 一 五 頁 。
︵9 ︶Oo器、醤ミ恥ミ・H一一四七、Oh竃、ω包茜05↓︾①卜導幾“、、o鞘織畠。、﹄oミ軸卜。ちや偽”い。ロ血oP一ゆ0㊤廿やω①刈手ω刈φ
Oい7一器一〇FB・o一幹”P]ミ‘
︵10︶
︵n ︶ イングランド銀行設立の意義については、関口尚志﹁金融制度の変革﹂、前掲、とくに一四四i一五一頁を参照されたい。
=冨竃巴霧ξ、ω矯ぎ。ぢ里器臼。訂q亀ω冨3のウィリアム・トゥランバル卿ωマ≦影壁ヨ↓Hロヨげ三一は、一六九五年一
︵12︶
一月一七日付のロック宛手紙で次のようにのべている一﹁私はあなたが通商委員会の委員になるようにとの国王の指名
が、あなたの健康を害することにならないようにと祈ります。もし仮りに健康を害することになるとしても、公的なるもの
浮。讐三8が優先されることを私は確信しています。⋮⋮トレイドに関しての大へんな困難に対してあなたの哲学をお貸
し下さい。今あなたの国はあなたの助力を求めているのです﹂︵7ピ器ざ30㍗ユf℃雫一語︶。なお竃・O旨器8Poマ98
P“8も参照されたい。
チャイルドについては、 ﹁旧土地所有者的桂独占貿易資本的﹃型﹄﹂の思想だとする、関口尚志﹁名誉革命後の金融危機
︵13︶
と土地所有﹂、前掲、ゴニー二一頁、及び、浜林正夫﹁ロック経済思想の社会的基礎﹂、前掲、六九−八一一一頁、をそれぞれ参
照されたい。
︵14︶ いO貰ざ。マ。一“なお、ケァリについては、渡辺源次郎﹁キャリコ論争の背景とJ.ケァリの経済体制の構想﹂︵﹃商学論
集﹄第三〇巻三号、一九六二年︶、とくに二六八一二八七頁を参照されたい。
︵15︶ φピ器=魯“oP9∼Paooからの再引用。OいO貰でンoPo一ε℃P一ωO﹁に9こうした表現は後にスミスにおいて
みられるーー﹁己れら三大階層の、第一のもの︵目地代生活者⋮⋮引用者︶の利益は、たったいまのべたところがらみる
と、社会の一般的利益と密接不可分にむすびついているように思われる。 一方の利益を促進または妨害するものは、なんで
あっても、必然的に他方の利益を促進または妨害する。国家が商業または治安にかんするなにかの規制について討議すると
き、土地の所有者たちがかれら自身の特定階層の利益を促進するというねらいで、それをあやまりみちびくことは、すくな
くともかれらがその利益についてのある一応の知識をもっているならば、ありえないのである。もっとも、かれらは、この
一応の知識をもたぬことがおおすぎる﹂︵>、ωヨ詫ダミ偽ミ尊皇≧夏鳶諜”鼠&03二げ冨q”P謹璽竹内訳︵上︶、三三〇
t三三一頁、水田訳く上V、一二二頁︶。
︵16︶ 国ピ器 一 〇 ∼ o マ 9 什 ‘ 戸 一 ㎝ o o ・
︵17︶ 関口尚志﹁名誉革命後の金融危機と土地所有﹂、前掲、一三頁。
︵18︶ ﹂・チャイルドとともにトリー・フリー・トレイダーの一人であるC・ダヴナントは﹁経費のかさむ当面の戦争を、イン
グランドが乙んなにも長くつづけることができたのは、もっぱらわが海外通商によって三〇年にわたり流入しつづけた巨額
の富ゆえではないでしょうか。いかなる国の土壌でありましょうと、もっぱら自国の自然的物産をもってする交換や、その
輸出によるのみで巨額の富を獲得しうるほど、豊沃ではありません﹂︵Oゴ巴$U.山く9貰計﹄試問訟遷§き。問蕩帖目緊&鶏
目紬ミ籍し①8.田添・渡辺訳﹃東インド貿易論﹄、七頁︶という。関口尚志﹁重商主義の政策論﹂ ︵﹃経済政策講座﹄2、一
ージョン・ロックの生産論− 一 四五
一論 文一 四六
九六四年︶四四−四七頁、参照。
︵19︶ Oい切ミ§蕊犠トミ蒔敏§孕ミ“ミ勧8ミ器鳥目.ミ蟄一◎P鼻‘P60墨一〇げp=胃﹃一ω8曽註勺卑霞ピ器一〇詳”臼.鳶史黛母港
気尋︾蕊卜8ミ暫↓ぎO紙。乱頭三ご喀8試8一ω09辞ざ旨幹酋耳O義。巳・一8qによれば、ロックの経済学関係の蔵書数
は、一二七冊であり、その中には、ペテイ、チャイルド、ダヴナント、ケァリ、アスギルらの著書とともに、切篭帖§義黛
卜爲醤頓響応識勲ミ額&讐O醤、亀畠田、“器oPo劉がみられる。
︵20︶松尾太郎、前掲書、第一章。なお松尾氏は、ロ胃、クにおいては、アイルランド毛織物工業抑圧策が、アイルランドの農業
国化としてではなく、 ﹁麻織物工業への漸次的編成替えとして説かれた﹂ことを明らかにし、ケァリUセイモアω亀田。彗
の構想との差違を指摘している。なお委員会での審議過程及びアイルランドの対応については、民8旨。ざ声問‘↓訂
勺〇一一菖8一ω8犀唱oo呂8国口笛一号蜜。︻8暮一=oβ一〇〇甲ミ09馬sミミ鳶足翼。遷勘ミ皆ミ層N巳‘ωoン<〇一・図朗ぎ.ω一一〇
㎝Oに詳しい。
︵飢︶ 松尾、前掲書、八一一八二頁より再引用。
︵22︶ ﹄ミミ 塁 さ ℃ マ O O I 刈 つ
︵23︶ ﹁イギリス革命の諸問題﹂ ︵﹃思想﹄第四五六号、一九六二年所収︶五七頁。
︵泌︶Oい刃>魯R鉱計︸o葎一畠一↓冨。蔓卑&℃o一三〇巴幻9日目”一身コピoo訂.の田ω奨8≦茜三碧﹃ミミ㊤鶏ミ隷、oミ・
苛ミO讐ミ帖簿ぎ<〇一・図×戸ぎ・鮮一80なお、 ﹁通商植民委員会﹂での審議については、O沖罫O田器898・9r℃マ
“N一−斜N幽.
︵25︶ ロックが﹁中産的生産者層﹂の保護・育成のための政治権力を希求したということが明らかにされたとしても、その政治
権力は﹁経済の自律性﹂を外的に保障するというよりもむしろ生産“流通過程に構造的に介入するものであったのだから、そ
してまたこうした経済政策を遂行する政治権力において強大な君主権の比重が決して軽くないのであったのだから、市民革
命が打倒すべき絶対主義権力との構造的対比が必要となろう。封建制の末期に成立する絶対王政が﹁それ自身ブルジョワ的
発展の一産物﹂とされ、周知の産業規制体系が絶対主義官僚機構をその支柱とする絶対君主によって図られたとされるかぎ
り、国家n政治権力による経済諸過程への介入の有無ではなく、まさにその介入の構造的内実が問われねばならない。そし
てこの乙とによってこそ前期的・商人的重商主義と﹁固有の重商主義﹂との対抗関係、したがってまた絶対王政から初期ブ
ルジョワ国家への近代的h構造的転換が明らかにされるであろう、というのである。以下この点に簡単にふれておきたい。
さて、絶対主義の理論家として、乙こでまずジェームズ一世やR・フイルマー︵客コーヨ。づ旨。。oo﹂一①器︶にも影響を持つ
たとされるJ・ボーダン︵蜜弩ωo岳旨旨8γ嶺8︶をとりあげ、その経済政策論”主権論を検討し、ついでフイルマーに
言及することにしたい。︵ジェームズ一世については、さしあたり、ρ7009F、ミミ“負馬目壽。薯筆軸帖嘗肉醤魁“翼斜、、o、嵩
山亀8轟き蔑ミ蛍“鞭︵堀・升味訳﹃イギリス政治思想1﹄、一九五二年︶の第一章を参照されたい。︶
ところですでに経済史学の立場からではあるが絶対主義研究においてみらるべき一定の成果があるように思われる。田中
豊治氏は﹃イギリス絶対王政期の産業構造﹄︵一九六八年︶において、局地内分業n局地的市場圏と共同体内.間分業U首
都市場圏という二つの量的にも質的にも異なり互に根抵から排除しあう.分業体系の経過的な癒着.抱合にもとづいた特異
な分業構造一局地的市場圏内部の生産諸力の発展の不均等性と共同体規制による共同体間分業への歪曲一とそこに展開
する特異な支配形式−小ブルジョワ・ブルジョワ層の上昇転化ならびに王権に集約される公的領有と私的土地所有の対極
的分裂︹半封建的地主制︺と﹂が、絶対王政の経済的基抵であることを明らかにしているのである︵八頁︶。評一感ことに絶対
王政の経済政策の基調は、一定程度の近代的進化をまさに遺産として前提しつつ、それを﹁封建的逆編制﹂すること、に他
ならなかったのである。
このことは封建制の構成基盤としての﹁村落共同体﹂乃至﹁都市”ギルド共同体﹂の動揺に対して、その地方的特権を打
破し、全国画一的産業規制を図ることによって、再編成することを意味した。ボーダンはこの点について次のようにのべて
ージョン・ロックの生産論− 四七
1論 文1 四八
いる。 ﹁すべての状況において美徳であるところの適度さが、貴族制乃至君主制下のすべての種類の組織およびギルドにか
んしても遵守されるべきである、とわたしはのべているのである。そうした結合体をすべて廃止することは野蛮なティラ一一
イに他ならず、国家をかい滅することになる。しかしすべての種類の集合体や団体を何んであれ許しておくことは叉、危険
である。それらはしばしばわれわれがあまりにも多くの実例を知っているところの謀叛と不法な独占のかくれみのでもあっ
たからである。こんなわけで時々は布告を出して団体を廃止することが必要だとされる。もっともそういう布告は非常に評
判がわるいのではあるが。しかし善いものも悪いものも同様に根絶してしまうよりはむしろ弊害だけをとりのぞいた方がよ
いのである。﹂Q窪P切。象P動蹄馳S謬無き“OOミミO隷尋恥ミき幅卸げユα閃。α四目血賃卸器冨80げ﹃︼≦卓冒↓ooざざO風9斜
一〇㎝伊マ一〇Sなお、密m口切O急P﹃魯魚防弾切OOむ妬&黛OOミ§O醤ミ俺“馬♪σOぎ磯90け9容儀ωOαぎ賢Oめ匙讐ミ蔚讐鳥ユO口O
ぎ8国昌嘘一昌げ鴇家号”巳囚8=$節目α℃仁三幽昌aぎ一890会ε阜且9き一具﹃oα目餓oPσ同国魯器9U2屯器蜜?
冨9国碧話鼠戸﹁這8を参照した。︶﹁コモンウェルスは相異なる慣習をもつ多くの都市と地方Oo旨旨Gコ島国邑ギ?
<ぎ8¢を含むものである。しかしそれらが唯一人の主権者の権威に従属し、主権者によって作られた法と布告に従うかぎ
り、それらはコモンウェルスを構成しているのである﹂︵ま置。マトoO︶。
絶対王政は封建制の危機的様相、すなわち下からの小ブルジョワ・ブルジョワ的経済の澎湃たる発展に対して、たんなる個
別的な解決策によってではなく、全機構的規模において対決”再編しようとするものであった。より具体的には、都市日商
工業と農村”農業との併列的な分業関係というよりは、むしろ農村を都市への豊富低廉な農畜産物の供給源として体制的に
確保し、都市と農村とを﹁特権と非特権との序列︵支配11従属関係︶﹂︵田中、前掲書、三一九頁︶で編制し、都市的支配と
の関連における輸出貿易および輸出向け産業部門の発展を優先的に保護する︵コモンウェルスの﹁国是﹂︶ものであった︵な
お、この点については田中﹁﹃コモンウェルス﹄国家の一形態﹂、高橋・松田編﹃近代化の経済的基礎﹄一九六八年所収、を
も参照されたい︶。ボーダンはこの点について次のようにのべている。﹁センサスを行なうことによってえられる第一の利点
は人々の配列に関することである。もしすべての個々の臣民の数・年齢・身分がわかれば、どれほど多くが軍役に求められ
うるかということや家に残る人がどれだけかということ、それに植民地建設に派遣されたり要塞のような公役への強制労働
に傭われる人の数が判断できるのである。それぞれの都市の住民の生存に必要な食料の供給量を見積もることができる。こ
れはとくに包囲攻撃に対して都市に食糧を供給せねばならないとき、有益である﹂︵ま一α”℃P一〇。一,一〇〇N︶。﹁外国から輸入す
る原料への関税は低く、製造品へのそれは高くされるべきであり、外国からの製品の輸入や鉄.皮.鋼鉄.羊毛.亜麻糸.
き、国王は租税で利益をうることができる。このような禁止は、一五六三年スペインのフィリッ.プ二世が、それより数年前
生糸等の原料のわが国からの輸出は、ともに禁止されるべきである。このようにすれば臣民は製造業で利益をうることがで
のイングランドの女王の同様な措置に対抗してとったところのものである﹂︵ま置・マ一〇〇〇〇︶。
以上のような小ブルジョワ・ブルジョワ的経済︵分業構造に即していうならば、自立的再生産圏としての局地的分業”市
場圏の展開︶に対する﹁封建的逆編制﹂としての絶対王政の経済政策は、ボーダンが﹁非常に評判がわるい﹂と認めざるを
えないように、封建制の危機を収束しうるものではなかった。このことは、この政策およびその形成一執行の超越性を、っ
まり政治権力の絶対性一恣意性i﹁独占﹂体系に対応する一を物語るものであった。ボーダンにおける主権論は、主権
者n君主が﹁絶対的永続的権力﹂をもち、それは神が命ずるところの自然法を逸脱する権力をもたないという意味で全くの
恣意性をまぬがれている︵一三“ワ8P脇︶とはいえ、 ﹁臣民の同意とはかかわりなく﹂ ﹁公共善﹂け法が設定されると
いう構成をもつものであった︵ま合う鴇︶が故に、 つまり自然法の唯一の解釈が主権者にのみ独占されるということの故
に、その絶対性は恣意性を許容しうる、と言いうるものであった。したがってボーダンにおいては抵抗権は否定されるので
ある。ただ、しかし、臣民U被支配者の一定の主体性がある以上、絶対君主がいかに一方的に支配しようということを志向
したとしても、その支配を貫徹できないことはいうまでもない。つまり自然法一神法の独占的解釈者としての絶対君主が、
正当な解釈を行ないえていないことが明白になればボーダンにおいても受動的抵抗は認めざるをえない、というのであり、
ージョン・ロックの生産論− 四九
一論 . 文1 、 五〇
ここに絶対王政の支配”被支配の関係における、またそうした関係を正当化するイデオロギーにおいて、被支配者の主体性
が反映しているといえるのである。 ﹁コモンウェルスとは主権的権力をもって多くの家族とそれらの間で共通の事柄とを正
しく統治することである﹂︵詮芦P一︶。﹁主権とか絶対的権力とかの原理的指標は、臣民の同意とはかかわりなく、すべて
の臣民に対して一般的に法をおしつける権利である﹂︵量貸マ認︶。 ﹁ある臣民の祖国の支配者の人格は、その父親以上に
常に神聖で不可侵たるべき、神によって命じられ且つ派遣された存在である。それ故に彼がいかに邪悪で残酷なティランで
あるとしても臣民が主権者君主に対して害を加えることはどのような状況であれ許されない。しかし臣民は神法や自然法に
違反する命令に服従せずに逃亡し、攻撃を回避するために隠れ、更に主権者の生命や名誉を攻撃するよりも死ぬことは許さ
れる﹂︵8一阜POoo︶。
ボーダンの経済政策論は、 ﹁一定程度のブルジョワ的発展﹂を前提としつつ、これを﹁封建的逆編制﹂せんとするもので
あり、この政策は絶対主権に担われる、とされていた。そしてこの主権者の絶対性は、 ﹁︹ボーダンにおいては︺コモンウ
ちによって任命されるのではないしとトゥーリーによっても指摘される︵蜜・一・↓ooぎド8ム霊﹂P母。身&09℃回答く︶よ
エルスという人為的社会は家族という自然的な社会をモデルとしている。そこでは父は、子供たちを支配することを子供た
うに、なかば、父権的権力に牽引されていた。︵ただし、﹁父権以上に常に神聖で不可侵たるべき神﹂とされるように、ボー
ダンにおいて血縁的愛の神への愛に対する決定的な鱈位置が明瞭に示されていることが看過されてはならない。︶そして絶
対主権の絶対性を絶対王制の動揺の進行段階においてこの父権的権力によって弁証したのが、R・フィルマーであった。フ
ィルマーは人間社会の起源をアダムに求める。アダムは神によって全世界の所有者であると同時に支配者として授権されて
いる。そして、神は人々の父としてのアダムを唯一の支配者一私的所有者としたのだから、父としてのアダムによって生ま
れ九人々は、すべてアダムの被支配者であり、私的所有権をもたない。まことにラスレットが指摘するように﹁︹フィルマ
一にあっては︺家族は常に存在してきたし、家族こそが政治社会であったのだから、政治社会は常に存在してきたし、ある
いはイブの創造以来存在してきた﹂︵℃・い器ざ∼ぎ貸。α偉9δロ㌦コ、黛、ミ、暮“負蕊織O暮雨、菊。∼ミh“﹄ミミ軸物。、象、凌。ぴ鳴、、
聖ミ医甕ぎ三富。鐘邑婁§9註毒﹃四二葺§。彗ξ℃・ピ¢面一鼻塞。↓世塁2ω︶のであり、
フィルマーにおいては、人間社会は所与的u自然的に、政治社会である。いいかえれば人間にとって﹁自然状態﹂なるもの
は、本来的に存在しない、ということになる。そして現実の絶対主権はアダムからの世襲として把握される。血統であるこ
とが権力の正統性の根拠とされるという場合には、血統が自然的一所与的関係以外の何ものでもないことから、権力の実体
化“超越化は、本来的であるといえよう。こうしてフィルマーにおいては、ボーダンにおける自然法の唯一の解釈者として
の主権者が、自然的”所与的なものとしての血統によって正統性U絶対性を獲得するのである。﹁フィルマーの著作を重要
にしたのは、絶対主義と世襲権の結合昌08目げぎ韓ざp竃38ピ膏旨ロβαぎ希岳冨qユ磯耳であっ忙。絶対主義は、﹃リ
ヴァイアサン﹄におけると同じように強力である。しかしフィルマーはそれを、世襲権と結合したのである。一六八○年に
は﹃リヴァイァサン﹄は完全に支持されなくなっていた。⋮⋮世襲権は、ほとんど一般的に受け入れられたのである。.
フィルマーの著作の一六七九年と一六八○年での出版によって生じた問題は、世襲の性格についてであっ仁﹂︵国ωヨ。﹂α
ω﹂。ω。。5ピ。。ぎ。区国品一一昌=げ。巨富ヨ”g。肋象。ミ寄§嘗亀。ミミ識ミミ一三窃8旨§−。︻”吋鴇ω。三口の=ロ
菱幅§もb■。一“も。戯。︶。oい9評ミ﹂区三α琶一ξ㌔。ま8帥註9一言置。。h℃器量国語。ヨ一p一。げ昌ピ。。犀。・、。、ミ“亀触
動ぎミ参区員ド一8♪なお田中浩﹁サー・ロバート・フィルマーの﹃家父長制論﹄H﹂ ︵東京教育大学文学部﹃社会科学
論集﹄第一六号、一九六九年、所収︶は、 ﹁革命前の反王権理論の諸類型﹂を詳細に検討することによって、フィルマーの
国王絶対主権論が対決する理論は﹁﹃被治者の同意﹄理論や抵抗権理論またその財産理論﹂であったことを明らかにしてい
る。参照されたい。
ロックのこうした絶対主義主権論に対する批判については、別稿﹁ジョン・ロックの絶対主義批判﹂ ︵仮題︶を予定して
いる。
ージョン・ロックの生産論t 五一
1論 文− 五二
︵26︶ この点については、大塚久雄﹁重商主義の社会的基盤﹂︵前掲、 ﹃著作集﹄第六巻︶、一五九−一六一頁、小林昇﹁重商主
義ーイギリス初期ブルジョワ国家の経済政策体系−﹂︵﹃西洋経済史講座﹄H、一九六〇年、所収︶、三八六−一、一九〇頁、
を参照されたい。
︵27︶ 対仏戦争、 ﹁旧植民地体制﹂推進等の重商主義政策に対するス;、スの批判を参照占、﹂れたいーー﹁本章で指摘した重商主義
的諸規制にあっては、わが製造業者の利益に何よりも格別の注意が払われ、そして消費者の利益というよりも、むしろ他の
数種の生産者の利益が、その犠牲とされてきたのである﹂︵︾ωヨ一9一〇P含fP89竹内訳︵中︶、三五六一七頁、水田
訳く下V、一、一七七頁︶。﹁グンート・ブリテンが自発的に領有植民地にたいするすべての権威を放棄し、植民地が自らその為
政者を選任し、自分たちの法律を制定し、かつ自ら適当と思うとおりに和戦をとりきめるのに、まかせるべきだと提案する
のは、世界のどの国民によっても、けっして採用されなかったし、また将来も決して採用きれないであろうような一方策を
提案する乙とになるであろう﹂︵一三8℃P㎝o。∵鱒竹内訳︵中︶、二九九頁、水田訳く下V、一〇一.一︶。
五 近代的ナショナリスト・・ック
ロックの経済政策の基調は、農工の﹁中産的生産者層﹂の立場からの私的所有の維持と、農業生産の牽引力として
のマニュファクチュアの再生産の阻害要因としての﹁貨幣﹂不足を大貿易・商業資本および旧土地貴族の利害の政策
的”強力的包摂によって解決するもの、であったのである。これこそが、 ﹁人類の誠実な勤労を保護し奨励しようと
する賢明にして神のごとき者﹂U政治権力の政策でなければならないと、ロックはいうのである。
ところでこの政策実現は、大貿易・商業資本口旧土地貴族との対立という国内的条件にとどまらず、当時における
外圧、とくにフランス絶対王制との対立という国外的条件のもとで追求されなければならなかった。ここには した
パ ロ
がってくヨま5暮暮二〇轟房ヨVともいいうるようなナショナルなエネルギーの発現があった。当時の外敵促迫は、
客観的には﹁中産的生産者層﹂にとっての一つの危機であったが、ロックはそれをただに﹁中産的生産者層﹂の危機
にとどまらず、ナショナルな危機として把えることによって、このエネルギーを嚮導するところがあったように思わ
れる。
ロックは農工の﹁中産的生産者層﹂の再生産、つまりトレイドが国際商業戦の中で国民的課題として追求されてい
ることを正当に視野の中に入れている。
コマヨス
[,︹金や銀といった︺資源をもたない国の場合には致富のためには征服か通商かの二つの方法しかない。征服によってローマ人は
世界の富の主人となった。しかし現在の環境のもとでは、我々の武力によって世界の富を獲得することができるというように考
える人はいないであろうし、それに征服された民族の略奪物や貢納物は、統治の費用の供給の基金にされ、場合によれば不足さ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
え生じ、同時に人々が享楽を求めたり虚栄に走ることにさえなる、と私は思う。
したがって通商こそが富裕にとっても存立にとっても我々に残された唯一の途である。わが国の有利な地理的条件は、航海に
大胆でかつ熟達したわが国民の勤労ならびに性向と相俟って、おのずから我々を通商に適応きせた。かくてイングランドの国民
は今日に至るまで商業によって維持されてきた。そうしてトレイドは殆んど放任されて僅かに上述した自然的利益に助けられた
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
だけで、われわれに富の充実をもたらし、また、この王国をどの隣接諸国よりも優越させるというほどではなかったにせよ、少
なくともそれらの国々と対等ならしめてきた。そこで、もしトレイドの利益がより一層広くかつ深く理解されるならば、船舶の
改善が多くの競争者を立上らせることにならなかったのであるから、疑いもなくわれわれは何等の困難なしにひきつづいて安泰
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
であろう。ここ数代の治世のあきれかえるような諸政策はこルらの競争者に海洋。覇権︺を求めさせてきたのである。その競争
春ゆ、我々の失策ないし貨幣不足によって我々の手中からすべリ落ちるトレイドのあらゆる部分を彼等自身の手中につかみとろ
ージョン・ロックの生産論i ・ 五三
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
1論 文一 五四
うとしている。これは確かなことである。そうしてもし一度失われてしまうと、挽回しようとしても、その注意は時宜を失して
不可能であろう。なぜなら、トレイドの流れは水の流れのようにそれみずからの水路をつくるから、⋮後になってその方向を変
ハ ロ
えることが難しいからである。﹂︵傍点は引用者︶
ロックにとってはトレイドの追求が国民的課題として把握されるべきものであったのである。換言すればロックに
おけるナショナルなエネルギーはたんに外圧への対抗という意味で無媒介的なものにではなく、まさに国富の増大と
政治的独立とに結びつくかぎりでのトレイドの追求においてこそ、発現されるべきものであったといえよう。さきに
明らかにした﹁工業生産の発展←食料や原料︵ならびに土地︶への有効需要の増大←農業生産者︵したがって地主︶
の利益﹂という経済循環についての序列的把握こそロックにおけるナショナルなエネルギー制御の論理的基礎であっ
たのである。この把握には、いわゆる﹁農工連帯保護制度﹂がみられ、これこそ近代的ナショナリズムの経済的基礎
であったのである。というのはこうである。
ロックの﹁自然状態﹂におけるブルジョワ的展開は、商品所有者としての個人相互の価値法則による交換を通じ
て、行為主体U人間の自然的制約を破砕する可能性を内的論理としてもつものであるといえようが、しかし、この展
開過程は、事実上その範囲を世界大に拡大させるものではなく、むしろ一定の範囲内に限るという形においてのみあ
りえたのであり、この意味において、自然的制約を完全に破砕できない。資本制生産の形成過程における商品生産が
その生産・消費の習俗的U種的特性に対応する一定の﹁市場圏﹂のもとで展開されていること、同時にこの社会的関
係のブルジョワ的展開において農業生産が一定の土地面積を不可欠とするという意味で、さらにそこでの生産物が自
然的成長に多かれ少なかれ依存づるという意味でその展開を阻止されるということ、以上によって自然的制約をまぬ
ージョン・ロックの生産論i 五五
初期ブ︾ジョワ社会の経済循環がいかに人為的口社会的関係の展開として描かれたにしても、それが、なお自然性U
こうして近代的ナショナリズムの実体的基盤は、一定の土地面積U国土であるといえるのである。ロックにおいて
いるといってよい 。
ここには、近代主権国家の一国的成立は、国境の意味の厳密化をその最も基底的な内容としてもっことが語られて
然の共同社会讐。讐碧山器3冨一8旨ヨββ︷ξから離れ、明文の同意によって、より小さくいくつかに分れた部分社会ωヨ巴一段
パ ロ
o区会≦ユa器80寅二〇目に結合する何の必要もなかった。﹂
る。そしてもし堕落した人々の腐敗と邪悪がなければ、このほかにはどのような社会も不要だろうし、また人々がこの大きい自
人類全体に共通の自然法によって、全人類は一つの共同社会となり、他のすべての被造物とは別個の一つの社会をつくってい
これらの国々に対してもっていた自然の共有権の主張を放棄した。このようにして、はっきりした合意によって地球のおのおの
︹4︶
の部分について、相互間に所有権を確定したのである。
ばれた同盟も、他国所有の土地に対するあらゆる権利の主張を明示的または黙示的に否定し、相互の同意によって、本来彼らが
﹁労働と勤勉によってはじまった所有権は契約と合意によって確定されることになった。そしてさまざまの国家や王国の間で結
おいてはこの点が次のようにのべられている。
リ、変更したりすることは、すでにこれを占取している他集団との対立を意味する﹂といいうるのである。ロックに
ヤ ヤ パ ロ
で、国民経済は一定の土地を占取する地縁共同体のもとにある。そしてこの地縁共同体が﹁占取の対象を拡大した
一定の土地面積については何物によっても代位不可能であるが故にこの点での自然的制約は破砕できない。この意味
ん商品経済の展開はその生産・消費の習俗的U種的特性における自然的制約をたえず稀薄化するであろうが、しかし
がれえない。こうして、資本制生産の形成過程は一国的規模での国民経済のそれとして把握できるのである。もちろ
申
f論 文− 五六
所与性の制約のもとにあることを否定することはできないのである。
さらにロックは、すでにみたように、常に人間労働の客体であり、また本源的生産手段たるこの自然目土地と物質代
謝過程の不変の主体的要素たる労働力一般目人口との結合、つまり農業生産への、政策的配慮を特に強調していた。
ところで農業者をして労働人口の増大を支える基本的ファンドとしての農業剰余の産出に向わせる契機は、農業生
産それ自体の中にはない。貨幣の導入と市場の存在、つまり有効需要こそこの契機だとっかんだロックは、農業生産
を牽引するものとしてのマニュファクチュアの﹁育成﹂を説いたのである。マニュファクチュアに牽引されての農業
剰余の産出の飛躍的拡大こそ初期ブルジョワ社会U国富形成の基底的役割を担う、というのであった。
こうしてロックによる経済循環の序列的把握にみられる﹁農工連帯保護制度﹂は、国土という実体的基盤を不可欠
とし、さらには、マニュファクチュアに牽引された農業生産H蓄積の拡大による国富の基底的強化をもたらすという
意味において、重商主義的国際商業戦におけるナショナルなエネルギーの発現をささえる経済的基礎たりうるもの、
であった。これは、戦費を﹁海外通商﹂に求めるチャイルドnダヴナントらのトーリー・フリー・トレイダーの主張
や、フランス絶対王制の﹁前期的ナショナリズム﹂とは異なるところのものであった。ロックの近代的ナショナリズ
ム︵それは﹁イギリス型ボナパルティズム﹂である︶の社会的基盤は、こうして﹁第一の生産者﹂としての土地保有
者のみならず、地代取得者としての地主および旧来のく鶏富馨窪8賄費盈轟Vに依拠する小農をも含むものであっ
たように思われる。
ヤ ヤ
ところで﹁イギリス型ボナパルティズム﹂の社会的基盤を、 ﹁資本制農業︵よりひろく資本制生産︶の競争に直面
して急速に貧窮化しつつあった旧来の︽霊房馨88h貴息眞︾に依拠する﹃小農﹄ ︵よりひろく﹃小土地保有者﹄︶
ヤ や
ならびに小農地代︵ボグひろく﹃小生産者地代﹄︶収取者としての旧地主﹂にのみ求める見解を示しているのは関口
ヤ や
ハ レ
尚志氏である。たしかに関口氏が指摘するように﹁利子論争﹂でのロックの批判は、一つには﹁拙劣な経営﹂者に向
けられていた。ここから関口氏は﹁ロックは眼前の土地所有者︵土地を﹁所有﹂する農業経営者や地代収取者︶のな
かに、対照的な二類型をはっきり区別し、非合理的経営に立脚する者にたいしてはいささかの同情もしめさなかっ
た﹂といい、さらに拙劣“非合理的経営者が﹁トーリー派自由貿易論﹂的貿易資本ならびに小商工業者と結合し、
﹁近代ブ・ルジョワジーによる階級的独裁に対抗して﹂ ﹁準オランダ型経済構造﹂への傾斜をともなった﹁イギリス型
パマレ
ボナパルティズム﹂への社会的エネルギーの母胎であったと、説くのである。
いうまでもなく、本来のボナパルティズムとは、ブルジョワジーとプロレタリアートとの均衡の上に、ブルジョワ
ジーとプロレタリアートヘの両極分解の起点をなす自作農“分割地農民を社会的基盤︵“ナポレオン軍隊の中核︶と
して、外圧に対抗すべく実現された一見独自的な相貌を呈する、実はブルジョワジーの専制権力である。フランスに
おいては、革命期における﹁土地再分配を契機とする小農および過少農の増強と再生産は、まさに当時のマ、ニュファ
ハ ロ
クチュアの存在形態によって必然ならしめられていた﹂とされるように小農の分解が遅れたのであるが、イギリスの
場合、関口氏の指摘にもあるようにこの近代的分解はマニュファクチュアによって牽引されて進んでいた。この故に
関口氏は本来のボナパルティズムに対して﹁イギリス型ボナパルティズム﹂を構想するのであろうが、その際、その
社会的基盤を分解によって貧窮化する﹁拙劣な経営﹂者にのみ求めているのである。たしかに資本制生産の競争に直
ヤ ヤ
面して貧窮化する土地所有者が反資本主義的な対応を示し﹁近代ブルジョワジーによる階級的独裁に対抗﹂すること
はありえようが、しかし彼等が土地所有者であるかぎり、外敵による国土の侵犯ないしその危険が意識される時、分
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
ージョン・ロックの生産論1 五七
ヤ ヤ ヤ ヤ
一論 文− 五八
解によって富裕化する土地所有者とともに、国民的結集の一翼を担うことがないであろうか。関口氏の﹁イギリス型
ボナ。ハルティズム﹂把握の中には、 ﹁窮乏化する小ブルジョワ下層﹂は必ず反動的な﹁暗い﹃国家主義﹄的ナショナ
リズム﹂の社会的基盤となり、それに対して﹁繁栄に赴く小ブルジョワ上層﹂は﹁明るい﹃国民主義﹄的ナショナリ
パ ヲ
ズム﹂のそれとなる、という大塚久雄氏の理解との同質性をみることができるように思われる。
しかし国民経済のもとでの交通は、その人為的n社会的関係がかぎりなく自然的制約を稀薄にするにしてもなおか
つ一定の土地面積U国土の上において展開するという意味において、自然性を完全には破砕できないということは、
前述のとおりである。初期資本主義社会が、その内部的対抗関係の存在にもかかわらず、まさにこの一定の土地面積
H国土を無視して存在しえないとするならば、この国土への外敵促迫に対しては、内的交通を実現するという共同性
“一定の連帯が発生しうるであろう。ロックが連合権の機能としてまず国境の意味の厳密化を求めたのは、そして
﹁自分の拙劣な経営によってひだりまえになった連中のために、 Oo房鼻口ニ8を変更するなどという政策をとった
国家が存在するだろうか﹂とのべ、抵当に入っている土地にも租税が賦課されることを正当化したのは、このことの
パゆレ
故であったように思われる。
そして同時にこの点は﹁租税は、土地がその国の大きなファンドである国ではぎ曽8信糞曙毛ぎ3些。胃唱8け
国章αδ冒富民誰の手から直接支払われ、どのように工夫されようとも、大部分土地に帰着する。国民を主として
維持しているものは何んであれ、統治自身をもささえるのである≦富誘。薯Rgo需。豆。諺9諜ぞ目・一具。ぎa
げざ暮暮昌。讐<R目白。葺霊智。旨㎝駐。開8﹂として、ロックによって土地単税論が主張されたことと関わるので
ハれり
ある。ロックは﹁土地がその国の大きなファンドである国﹂目イギリスと対比して、 ﹁オランダでは、土地がその国
のストックの非常にわずかな部分しか形成しない。トレイドはその国の最大のファンドであり、その財産は一般に貨
幣である﹂雄いう。工業が自国の再生産構造の土台から遊離し、トレイドの循環の起動点を国外にもっている﹁オラ
ンダ型貿易国熱げではなく、イギリスは、マニュファクチュアに牽引されて農業剰余の産出が促進され国富の基底を
支えている、という経済構造をもっている。この農業剰余こそ︿旨旨冨旨旨豊8巴置目﹀を支えるものに他ならない
とロックはいうのである。
土地という自然を国土として把握することによって、そしてマニュファクチュァに牽引されて農業剰余を産出する
農業生産U所有者を把握することによって、国土をナショナリズムの基底にすえるとともに、農工の﹁中産的生産者
層﹂の保護・育成を﹁国民的利害﹂として政策化することによって、ロックはナショナルなエネルギーの合理的展開
が可能となる、との展望をもった。そして﹁神のごとき﹂君主は、まさにこの展開の波頭に立つものであったといえ
るであろう。
︵14︶︵蔦︶
︵1︶ 関口尚志﹁イングランド銀行と重商主義i銀行創設の社会的推進主体f﹂H︵﹃経済学論集﹄第三一巻二号、一九六五
ヤ ヤ
年︶、三九頁の註㎜を参照されたい。
︵2︶ 一ミミ霧斜℃マお占↑﹁国外トレイドがもっとも有利に営まれるならば、一国家は、自然的にそうであったよりもはるかに
強大になるであろう。なぜならば、貨幣と人口とは、ふつうは、国力を形成するものであるからである﹂。︵頓証智識ミ亀卜“醤,
吋ミ詩“ミ黛ミ防8ミ篭鳥臼ミ§”oPgf唱・二︶。﹁わがトレイドの規制ほど、国家の安全を実効的に確保するものはな
い。なぜならば、それによってこそ、すべての人々を害のない有益な職業につかせ全体としての満足と調和がもたらされる
からである﹂︵一三α︸P曽O︶。
︵3︶ 岩間一雄﹁中国におけるナショナリズム﹂︵﹃社会思想﹄一一四、一九七一年︶二五頁。なお社会的関係の合理的貫徹を阻
ージョン・ロックの生産論一 五九
止する自然的所与性の他の一つのものとしての血縁性について、
1論 文一
﹁血縁性による交通遽断は機能的に廃棄し得る﹂というに
六〇
Oo器§ ミ 恥 ミ ” n I 四 五
ついては、同、二四−二五頁の記述を参看されたい。
)
13121110987654
この点はロックの自然法論及び認識論への分析視角ともなる。ロックにおいて﹁個人の認識の相対性﹂が主張されている
田一︶。
とくにフランスは、羊毛という特別な原料に不足している﹂︵山嵐帖§註“ご隷簑§3ミ亀銭貸8ミ魯魚↓遮特︸oマ9fマ
原料を持っていないし、フランスも、わがイングランドにくらべれば、はるかに少ない原料しか自国産では持っていない。
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ や
めぐる戦争によって妨害されないで、安定することになるからである。他方、オランダは、自国産ではマニュファクチュア
て国内産でえられる。このことは、大変有利である。なぜならば、輸入税がはぶけるし、マニュファクチュアは海洋覇権を
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
収︶による。 ﹁イングランドではマニュファクチュアにとって、もっとも重要でのぞましい原料は、生糸をのぞけば、すべ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
大塚久雄﹁オランダ型貿易国家の生成−絶対王制の構造的停滞の一類型一﹂L ︵一九六〇年、 ﹃著作集﹄第六巻、所
誉帖恥還界℃・爲■
﹄蕊異象さマ3,9﹂玄α‘P8。︸O碧ドン。マ9什‘マミω、
﹄ミ塁霧斜℃■謡・
大塚久雄﹁現代とナショナリズムの両面性﹂ ︵一九六四年︶、 ﹃著作集﹄第六巻、三〇六一三一六頁。
遅塚忠躬﹁フランス革命史研究の問題点﹂ ︵﹃土地制度史学﹄第二八号、一九六五年、所収︶、五三頁。
関口尚志﹁イングランド銀行と重商主義﹂日前掲、二九頁。
関口尚志﹁名誉革命後の金融危機と土地所有﹂前掲、二一頁。
〇〇q塁着§“着、’皿一一二・八
) ) ) ) ) ) ) ) ) (
14
)
と同時に﹁特別に能力を量盈猛人の嶺と指豪許容汽て婁﹂こ畠ついて、H.アースレフは、﹁.ックの政治
哲学においては・自然状盤おけるすべての人票自毯の鐸者でなければならないとは決して考えられていない.ゆ数
の人が生来の能力によって﹃難鷺蕃書塁﹄を・つる!で充須のである﹂という︵=・>加﹃ω一。︷騰葛。.什餌け。。賄
翼§昌§。貴畳目芦ぎ逗§。℃喜もヒω㎝−奮。こミ§§♪互先四、#。.犀。・ぎ。臼暁“h怖
。議§ミ塁。ユ惹け言§§§・ζ・け・ω§藝婁・量垂一;σ﹃四目ωも旨旨︻三瞬。・一§℃.ま.一﹁わ
れわれが国王に彪がうのは里蓋い力をも農制することができるからといって、それを恐れていゑめでなく︵も
恐怖から服従するのであれば、暴君や泥棒や海賊でもその権威を確立することになるであろう︶、国王がわれわれを支配す
る権利をもっているという理由により、良心によって服するのである.すなわち自然法が、里や立法葦その他い架る
.あ誘である﹂︵コ。責問肇§、ミ§。⊇蓑琶菖揖く・言。蒼コる図臨。目2畢℃・一・。。・浜林正夫
名でよばれよう立切の上位書し慕う青髭叩ずるから、なのである.このように実定法の拘束力旨釜援拠する
訳﹃自然法論﹄、 一九六二年、 一七二頁︶。
︵正︶﹁自治と信託の理論の儀者隻あ・ックと、通商植民委員会の創設者の頁として、その初期の過程に影響力を与え、
かくしてその箆肇の原響作成しを毫の・ックあ間臣、顕著なパラ㌧クスがもちろん存在する.しかしこの
パラ㌧クスは・羅家と行政官あ間にあるので肇い.養地罐の正当瑳、・ックの自里無論の部書価.け
。臨ビ。菱巴萄弩藝鴫おである﹂︵罫ω爵。言コ一叶も三・㎝−ま︶.対仏従属からの解放−独立の達成とイギリ
ス国民経済の自立に際してのナショナ妾あ発穆、・ックにとっては合理的であろうが、しかし、それが一種の﹁帝国
六一
主義摯﹂︵レi三と麓轟圧をと嘉う!碧、われわれにとっては歴史的なものである.このことは、←、ひさに
ヨン・ロックの生産論一
﹁ブルジョワ”地主主導の民族解放﹂を必然ならしめる歴史的制約にかかわる。
ージ
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