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鈴 木 大 拙 先 生 と 禅
季報東慶寺 2014 年春号 Vol.11 発行 松岡山 東慶寺 〒 247-0062 鎌倉市山ノ内 1367 JR 横須賀線 北鎌倉駅 徒歩4分 電 話 0 4 6 7 - 3 3 - 5 1 0 0 FA X 0 4 6 7 - 2 2 - 7 8 1 5 E m a i l i n f o @t o k ei j i . c o m w w w. t o k e i j i . c o m 「宗教の時間」 を担当していたディ テレビの「こころの時代」ラジオ 実に五十年以上に亘って、NHK お目にかかりました。 金光さんは、 した。その折りに金光寿郎さんに NHKラジオの収録を依頼され て、東京のスタジオまで出かけま ろにあります。初めて円覚寺で洪 て、深い宗教体験を得ていたとこ 北洪川老師と釈宗演老師に参禅し く、自ら若い頃から、円覚寺の今 大 拙 先 生 の 偉 大 な る と こ ろ は、 単なる学問を修めた学者ではな れたのです。 て当時まだ若き大拙先生が渡米さ 会議に出席され、それが縁になっ まだ若き岡村美穂子さんがおそば 行信証も翻訳なされました。当時 のみならず、晩年は浄土真宗の教 NHKで金光さんは、こんな話 をしてくれました。大拙先生は禅 禅されました。 の亡き後は、宗演老師について参 道心を起こされました。洪川老師 直にすぐれた禅僧の謦咳に接して に 深 い 感 銘 受 け た と 言 わ れ ま す。 をよそって召し上がる、そのお姿 衣の老僧が、質素の机で自らお粥 でした。妙香池畔の虎頭巌上で白 し生かして下さっています。 です。お日様はいつも私達を照ら はあらゆる人を救おうという願い 上って来ていたそうです。本願と きた」と。窓の外を見ると朝日が と、大拙先生は窓の外を指さしま がします。岡村さんが駆けつける 部屋から「美穂子さん」と呼ぶ声 で朝餉の支度をしていると、奥の ず、しばらくして岡村さんが台所 その時お鬚を剃っていて即答でき ない」と訴えました。大拙先生は 弥陀様の本願がどうしても分から 円 覚 寺 横 田 南 嶺 レクターでした。 川老師に相見した時、丁度洪川老 にお仕えしていて、大拙先生に「阿 鈴木大拙先生と禅 ラジオ収録の後、金光さんに色 んな話をうかがいました。なにせ 師は朝のお粥を召し上がるところ 詳細は追ってお知らせ致します。 などを企画準備しております。 師の百回忌となり、記念の展覧会 五十年、二〇一八年は、釈宗演老 二 〇 一 六 年 は、 鈴 木 大 拙 の 没 後 ( 大 本 山 円 覚 寺 派 管 長 ) ています。 日にも、毎日の暮らしに禅は生き に生かされています。朝日にも夕 です。お互い大自然のいのちの中 毎 朝 日 が 上 る、 春 に 桜 が 咲 く、 涼しい風が吹く、大自然のいのち ります。 していればこそ出てきた答えであ 永遠のいのちを坐禅して深く体得 無 我 で あ る こ と、 即 ち 阿 弥 陀 様、 こういう答えは、学者にはでき ま せ ん。 仏 教 の 本 質、 空、 無 相、 した。そして一言「本願が上って 半世紀以上、 宗教番組を担当して、 何百人もの僧侶や宗教者に接して 話を聞いて来られた方です。 私は、 教家に出逢って、一番これはとい 「金光さんは今まで実に多くの宗 う印象に残っている方はどなたで すか」と聞きました。難しい質問 です。しばらくお考えになるかと 思いきや、金光さんは「それは大 拙です。鈴木大拙先生は、やはり 違いました」と即答でした。 今 日、 禅 は Z E N と も 言 わ れ、 海外からも注目されています。か のアップル社のスティーブジョブ ズ氏も若い頃から禅に参じていた 事はよく知られています。 禅が世界に広まったのは、ひと えに鈴木大拙先生のお力によるも のです。明治二十六年、円覚寺の 釈宗演老師が、シカゴの万国宗教 鈴木 大 拙 9 5 歳 東慶寺境内にて 撮影 井 上 正 道 春号 インフォメーション 日 (火) 松岡宝蔵にて 月 ■ 東慶寺仏像展 日までの 日 (日) ま で 月 た だ し、 水 月 観 音 様 は 東慶寺ショップのオリジナル 風呂敷茶箱のたのしみ 展 日 (日) 月 日 (火) 〜 日 (日) 014染司よしおか展 主会場を東慶寺ギャラリー&ショップ で 開 催 し ま す。 今 年 の 新 作 他 美 し い 色 月 が 会 場 を 飾 り ま す。 日 (火) ~ 手 軽 に 点 て て、 頂 く お 茶 の た め に、 風 吉岡更紗さんの染めワークショップも 月 呂 敷 茶 箱 を つ く り ま し た。 ハ レ の 日 の 開 催 予 定 で す。 詳 細 は ホ ー ム ペ ー ジ 他 家具はすまいの大切な空間エレメント 日 (日) お 陰 様 で 大 好 評 の 「 二 人 の 和 紙 展 」、 日 (火) 〜 今年のテーマは和紙のカルトナージ ュ 、 月 二人の和紙展 家 具。 写 真 家 の 空 間 写 真 と と も に 展 示 なんでも和紙で貼ってみよう。そして 、 日 (土) 時〜 時半 要予約 お 申 し 込 み は 0467-50-0460 東 慶 寺 ギャラリーまで 紙 博 士 関 正 純 先 生 (高 知 県 立 紙 産 業 技術センター 所長)をお迎えします 。 月 「和 紙 今 昔、 そ し て 未 来 へ」 ■ 記念講演会 を 発 表 し ま す。 のたたらのづくをすき込んだ「鉄の紙 」 鎌 倉 の 蓮 で 染 め た 「は す の 紙」 奥 出 雲 し ま す。 建 築 家 / 手 嶋 保、 木 工 / 土 田 家/伊勢崎晃一朗 耕 一、 写 真 家 / 西 川 公 朗、 協 力 陶 芸 であるとする建築家のデザインによる で 発 表 し て ま い り ま す。 た め で は な く、 日 々 楽 し む た め の お 道 Furniture, the element of space 月 日 (土) ~ 日 (金) 家具と空間 展 具 も あ わ せ て、 ご 紹 介 致 し ま す。 20 月 時より本堂前にて 日 (日) 4 灌 仏 会 (か ん ぶ つ え) 午後 ■ 鎌倉の仏像展 展示 お釈迦様が旧暦の四月八日に生まれた 月 日 (日) 月 日 (土) ~ 日 (日) ~ 堂 前 に 長 蛇 の 列 を 作 り ま す。 肌 一 面 に 咲 く と あ っ て、 大 勢 の 方 が 本 は普段一般の方は入れない本堂裏の岩 ポ ッ ト と し て 定 着 し た 「イ ワ ガ ラ ミ」 で 最 も 華 や ぐ 時 季 と な り ま す。 人 気 ス イ ワ タ バ コ、 紫 陽 花 な ど が 咲 き、 一 年 六 月 に 入 る と 東 慶 寺 の 境 内 は 花 菖 蒲、 不定休 時間制限あり 東慶寺本堂裏 月 イワガラミ特別公開 月 奈良国立博物館にて 画像提供:奈良国立博物館(撮影 佐々木 香輔) と の 伝 承 に 基 づ き 行 わ れ る 灌 仏 会 。「 花 祭 り」 と も 呼 ば れ、 東 慶 寺 で も 本 堂 前 に 様 々 な 草 花 で 飾 っ た 花 御 堂 を 作 り、 安置された誕生仏の像に甘茶をかけて お 祝 い し ま す。 水月観音様の拝観について 館 で 開 催 さ れ る 「鎌 倉 の 仏 像」 に 出 展 「水 月 観 音 菩 薩 半 跏 像」 は 奈 良 国 立 博 物 の た め、 三 月 二 十 八 日 よ り 六 月 上 旬 ま 日 (日) 16 で、 東 慶 寺 で の 拝 観 は で き ま せ ん。 あ 月 1 8 15 15 12 8 し か ら ず ご 了 承 く だ さ い。 日 (土) ~ ■ 茶店でお抹茶をどうぞ 月 白蓮舎にて 不定休あり 4 3 10 14 27 6 2 6 6 6 6 6 30 5 1 7 17 4 6 6 5 13 3 4 1 15 22 4 イワガラミ (部分) 撮影 佐々木 勲 吉岡コレクション 「 更 紗 展 」 に よ せ て 吉岡幸雄 吉岡コレクション「更紗展」によせて 影響を与えた訳です。 の場所では栽培されていなかった つて日本やヨーロッパなど温帯性 物は、本来は熱帯性のもので、か す。種を包む綿を採集するその植 で、いつも身に着けているもので 染められてきました。 て開発された特別な技法によって が表されたもので、世界に先駆け インドにおいて木綿布に色と文様 それは、およそ二〇〇〇年前から 年 前 に 日 本 に も た ら さ れ ま し た。 そして、それを見て魅了された 染 色 に 関 わ る 人 が 出 現 し、 京 都、 と、多方面に使われていきました。 京都では祇園祭りの祭礼の装飾に 袋物、お仕覆などに用いられ、更に されていきました。衣装に、敷物に、 とがなかっただけに、人々は魅了 木綿にはまだ馴染みがない上 に、これほど華麗なものを見たこ 運んできたのです。 量に買い込み、はるか遠い日本へ で多彩な装飾を施した木綿布を大 に寄港し、木綿に茜、藍、緑など ンダ、英国などの帆船は、インド ル、スペイン、それに続いてオラ ないヨーロッパ諸国のポルトガ ります。 値するものである、と自負してお 収められている井伊家伝来彦根更 ますので、現在東京国立博物館に 近隣の藩である大津赤星家であり す。 彦 根 藩 井 伊 家 と 関 係 が 深 く、 更紗が手鑑のようになっていま のがあります。これは九十九種の 今回ご覧頂く中には、滋賀県大 津の大名「赤星家」に伝来し、児 して頂くことになりました。 慶寺松岡宝蔵」で、展覧会を開催 更紗」を中心に、この北鎌倉「東 十九世紀までの、いわゆる「古渡 し た、 イ ン ド 更 紗 の 十 七 世 紀 ~ 吉岡幸雄 のです。暖かく、保温性にすぐれ 堺、 長 崎、 鍋 島 の 和 更 紗、 友 禅 こ の 度、 父 の 時 代 か ら 長 き に 渡って、私どもが収集して参りま た木綿の栽培技術が、十五~十六 染、更には沖縄の紅型などの誕生 同時に近年まで、インドのマハ ラジャが使ったとされる、豪華な 更紗という、いかにも異国情緒 ある染色品が、今から四~五〇〇 世紀に日本へようやくもたらされ のきっかけとなったようです。江 金雲母更紗なども展示致し、私ど 写真家 十文字美信のひとこと 今年も十文字先生によるフォト ギャラリー展入賞作品二十点が出 揃いました。 年々投稿数が増え、レベルも確実 に上がっています。なにより嬉し いのは、季節ごとに東慶寺を訪れ ていただき、その時・その場所の 空気を記録として残していただい ていること。皆さまの写真が、多 くの方に東慶寺の四季の姿を知っ ていただくきっかけにもなってい ます。 「凝視」 撮影 ki-chi 岩たばこの花は本当に不思議で面 白い顔をしています。その不思議 な面白さを際立つように撮るには どうしたらいいかよく考えられて いますね。逆光で透けた紫色も美 しい。おぶさったような二輪の花 を よ く 見 つ け ま し た。 奥 の 濡 れ て光っているようなハイライト も 美 し い 効 果 を 上 げ て い ま す。 紗と共通するものが多く、一見に もの更紗収集品の数々を江湖に問 ( 選 評 玉善三郎画伯を経て入手できたも たのです。 戸期の染色の色と文様に多大なる うものであります。 日(火)~ 月 日(日) 円(入山料別途) 500 時半~ 時 要予約 東慶寺まで 0467-33-5100 13 十文字美信 ) (染司よしおか五代目当主) 月 吉岡コレクション 更紗展 日(土) お申し込みは 月 6 時半 (月曜定休) 15 松岡宝蔵 入館料 ■ 吉岡幸雄講演会 時半~ 22 26 8 15 9 4 4 木綿という繊維は、今日の衣生 活では欠かすことの出来ないもの 同じころ、木綿をほとんど知ら インドのマハラジャに伝わった豪華な金雲母更紗 くんじゅう: 薫りが衣に染みいるように、人は学び成長しつづける力をもっている 薫習の集い まつがおか学校 鎌 倉 彫 を 考 え る「三 人 三 様 展」 想 い は 紙 の 中 に 溶 け 入 り、 壁 の 中 で ぼ 中 で 懐 か し く 優 し く 揺 ら い で い ま す。 名も無く素朴なもの 初 め て の 展 示 会 「鎌 倉 彫 を 考 え る 三 ね、 こ の 二 月 に は 東 慶 寺 ギ ャ ラ リ ー で いう根本的なことから話し合いを重 年 が 経 ち ま す 。「 鎌 倉 彫 と は 何 か 」 と の ば か り で す。 た だ 昔 か ら 伝 え ら れ て ん。 ど れ も 自 分 勝 手 な 作 り 方 で 拙 い も め て、 そ れ ほ ど 長 い 時 間 で は あ り ま せ 和紙や漆喰を素材に郷土人形を作り始 ん や り と し ま す。 をいただきました。二〇一六年に 今号は円覚寺 横田南嶺老師に玉稿 編集後記 人 三 様 展」 を 行 い ま し た。 き た 素 材 の 力 に 助 け ら れ 「昔 を 今 に す 土佐和紙も土佐漆喰も想い出の風景の に す る た め に、 東 慶 寺 で 発 足 し て 約 一 「鎌 倉 彫 を 考 え る 会」 が 鎌 倉 彫 を 元 気 展 示 会 で は、 今 の 生 活 に 合 う 手 ご ろ で 張り子と漆喰の人形展 の流れの端っこを頼りなくゆらゆら漂 作られ伝えられてきたもの、そんな時 た も の、 そ し て 名 も 無 き 人 々 に よ っ て いとお願いしましたところ、原稿 鈴木先生のことを何か書いてほし その事を老師に相談に伺い、まず ます。 覧会をしたいと思い準備しており 人です。このお二人を顕彰する展 慶寺の近代史には欠かせないお二 には釈宗演百年遠忌迎えます。東 鈴木大拙没後五十年、二〇一八年 使 い た く な る 器 を テ ー マ に、 パ ス タ 皿 る」 と い う 思 い で 作 っ て い ま す。 人の奥底の悲しみ喜び祈りが形になっ し た 皿 や 鉢、 従 来 の イ メ ー ジ を 超 え る 田村雅昭 漆 喰 張 り 子 達 磨 制 作 覚 書 な ど 洋 食 に も 栄 え る 器 や、 銀 や 錫 を 施 鎌倉彫の新しい可能性を提案しました。 お 客 様 の 反 応 は 好 評 で、 養 老 孟 司 先 生 な ん と も 無 謀、 不 遜、 罰 当 た り を 承 知 を 作 り ま し た。 に書かれているようなお話があっ な ど、 各 種 関 連 行 事 に も 沢 山 の 方 々 に の 上、 ま あ 郷 土 人 形 作 り の 無 知 ゆ え の 白隠達磨図から漆喰張り子の達磨さん 足 を 運 ん で 頂 き ま し た。 会 期 中 は 予 期 暴 挙 と い う こ と で お 許 し 下 さ い。 りながら、このことを書こうと老 の講演や作り手三人を囲んでの食事会 せ ぬ 大 雪 に も 見 舞 わ れ ま し た が 、「 考 江 戸 中 期、 白 隠 さ ん の 時 代 に は、 現 在 師からも即答をいただきました。 たそうです。五十年もの長期にわ え る 会」 と し て の 一 歩 を 踏 み 出 す こ と のような丸に近いダルマ型はまだ出現 先生と一緒に暮らした方、勉強し う ば か り の 我 が 生 き 様 で す。 が で き ま し た。 せ ず、 起 き 上 が り 小 法 師 に 初 祖 達 磨 大 田村雅昭(草流舎主宰) 「考 え る 会」 で は 次 回 の 展 示 会 に 向 け 師を重ねあわせるという白隠さんのお た方、助手をした方などまだまだ えられたというお話をしてくださ る方が、即答で「鈴木大拙」と答 たって大勢の宗教者に会われてい て 動 き 出 し て い ま す。 今 後 の 活 動 も 御 お ら か な 諧 謔 ぶ り が う か が え ま す。 ご健在です。新しい切り口の展覧 会を目指して準備をしたいと思っ ています。 松岡宝蔵では、初めて所蔵以外の 宝物で企画展を開催します。東慶 寺に更紗は残っていませんが、吉 織などの歴史を感じていただけれ 岡先生所蔵の貴重な更紗で糸・染 ば幸いです。(米) 企画 稲生一平 も の で は あ り ま せ ん が、 ま ず は 田 村 さ ん を 応 援 し な く て は と い う 思 い で す。 物 作 り は 人 づ く り、 容 易 に 継 承 で き る の 三 月 の 展 覧 会 を お 願 い し ま し た。 を塗った独特の風合いに魅了されてこ 自然素材の彩色にうっすらと土佐漆喰 会 い、 張 り 子 の 人 形 の 不 思 議 な 魅 力 と 土佐和紙を訪ねての旅で田村さんに出 の は 郷 土 玩 具 も 例 外 で は あ り ま せ ん。 日本の手仕事が音をたてて消えていく 期 待 く だ さ い 。 矢 澤 寛 彰 ( 漆 芸 家 ) 黄檗の僧が伝えたという中国の起き上 が り 「不 倒 翁」 の 気 配 を 白 隠 達 磨 図 の 中 に 感 じ る こ と が あ り ま し た。 達磨さんの形を作るのにほとほと困り 果 て、 う さ ば ら し に 河 原 に 出 か け 寝 っ 転がったら目の前に石の達磨さんがい ま し た。 小 石 に 鼻 の 部 分 を 少 し 足 し て、 そ の ま ま 型 に し ま し た。 この達磨さんのおかげで白隠達磨の重 圧 か ら 少 し 開 放 さ れ、 開 き 直 っ て 作 る こ と が 出 来 ま し た。