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見る/開く - ROSEリポジトリいばらき

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見る/開く - ROSEリポジトリいばらき
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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「自動車社会」はいかに論じられてきたか-2-現代技術論
の課題とかかわって
高橋. 智子 / 井原. 聡
茨城大学教養部紀要(25): 155-174
1993
http://hdl.handle.net/10109/9684
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します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。
お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
一現代技術論の課題とかかわって一
The Study of Historical Approach to Motorization
−From the Viewpoint of the Theory of Modern Technology
高 橋 智 子
(Tomoko TAKAHASHI)
井 原 聰
(Satoshi IHARA)
V睡.自動車交通と公害
皿.鼎談「文明と交通」をめぐって
P(.自動車文明をどうみるか一マンフォードの「文明論」をめぐって一
X.自動車技術と技術論について
X[.おわりに
(以下前号に掲載)
1.はじめに
皿.最初の「マイカー」批判一湯川利和rマイカー亡国論』をめぐって一
皿.「安全自動車」論の登場一星野芳郎「自動車時代の野蛮」をめぐって一
N.自動車社会偏重の告発一富山和子r自動車よ驕るなかれ』をめぐって一
V.マイカーと公共交通体系
W.自動車交通と道路建設
VH.自動車交通と公害
「マイカー」の普及する要因は大気汚染や交通渋滞などにかかわる外部不経済の社会的費用を負
担しないで,しかも公共の道路を自由に使うことができるという,自動車の「経済性」にあると主
張する論者は多い12°)。したがって自動車の利用にともなう社会的費用の内部化を主張する社会的費
用論は,総合交通体系論と同様に1970年代に登場し盛んに議論された。
その一人,宇沢弘文は「道路建設と自動車保有台数の拡大という悪循環のプロセスを通じて,交
通事故はふえ,公害現象は年々悪化し,歩行者・住民の受ける被害が加速度的に大きくなって」き
たことを取り上げ,「この悪循環の鎖を断ち切るためには,自動車通行によって発生する社会的費
用を自動車を利用する人々が負担するという本来の立場にたち返ることが,まずなによりも重要な
156
茨城大学教養部紀要(第25号)
ことになってくる」121)と主張した。
この社会的費用の内部化と汚染者負担の原則を自動車のユーザーに適用する合理性は,「自動車
交通は市民の基本的権利を構成する要素ではなく,むしろ,選択的なかたちで消費されているもの
である」122)ことに求められていた。つまり,「すべての人が自動車を保有したときに,自動車通行に
よって他の人々の基本的権利が侵害されないように道路網を建設し,整備するということは,ほぼ
不可能に近い」し,「自動車従量税,通行料金などによって,自動車を所有し,あるいは運転するコ
ストが高くなったとき,自動車所有あるいは運転に対する需要がはるかに低くなると考えられる」
ので,「支払い能力があり,支払う意志をもつ人だけが自動車を所有し,運転できる,という市場機
構的な原則が貫かれるべき性質のもの」123)だというのであった。
当時は「マイカー・モータリゼーション」に反対するならば,必ず社会的費用論に賛成しなくて
はいけないという世論がかなり強かったといわれる124)。しかし,すでに見てきたように「マイカー」
の普及は「利用者の自由な選択」の結果などではなく,公共交通体系の不備を自らの手で補完する
ためのいわば強制された選択という側面をもっていた。だから通勤・生活手段として無理をしても
自動車が欠かせない人々にとって,自動車税,ガソリン税さらに通行料などの経済的負担から自動
車所有を断念することは,通勤・生活手段の一部破綻を意味し,まさに市民の基本的権利を奪われ
る側面をもっていた。また当然のことながら,仮に上述のような社会的費用が支払われたからと
いって,大気汚染や交通事故がなくなるわけではない。だから汚染源となる「公害」自動車の大量
生産を続ける自動車産業や産業用道路建設に公共投資を集中させたわが国の国土開発計画や行政の
在り方そのものの批判へと向かわなければならなかったはずである。
さらにいえば,社会的費用の内部化の問題はこと自動車交通や道路建設のみに該当するものでは
ない。それこそ70年代には,新幹線やジェット機による騒音,振動被害をはじめ,空港や港湾整備
にともなう生活環境・自然環境の破壊が社会問題になっていたのである。こうした社会的費用のす
べてを内部化するならば,当然ながらその費用は膨大なものになるに違いない125)。内部化あるいは
汚染者負担と称してそのすべてを自動車のユーザーが負担することなどもちろん不可能である。そ
もそも道路建設が産業発展の基盤整備を目的にしたものであったのだから,恩恵をこうむる諸産業
の関連貨物運輸に負担を迫るなら費用の内部化の主張にも意義があったといえる。しかし事実は高
速料金に関する運輸産業への優遇制度が今日でも歴然として存在しているのである。
この社会的費用の内部化と汚染者負担の原則は,確かに60年代にはじまる公害反対運動の中で提
起された貴重な考え方ではあった。しかし,国民が生活することによって生じるいわゆる「生活公
害」を,企業がその利益のために行う生産活動に伴って生じる公害と同列に扱うことができないの
はいうまでもあるまい。「マイカー」による大気汚染は「生活公害」に相当する性格をもつといって
もいいすぎではなかろう。だからこそ低公害車開発の声は強く,汚染の少ない自動車の開発が世界
の各地で試みられたのである。しかし後述するように,自動車による大気汚染の中で占める貨物・
営業用トラックの割合は圧倒的でもある。したがって貨物輸送など原料や商品の物流と国民の足と
しての交通とは分けて論じる必要があると考えられるのであって,「自動車社会」=「マイカー社
会」ととらえていたのでは問題は解決されないだろう。
図6に車種別自動車保有台数の推移を示した。戦後の乗用車の普及は,他の自動車とは比較にな
らない伸びを示している。「自動車社会」といえば,すぐに乗用車しかも自家用車あるいは「マイ
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
157
カー」が想像されるのは当然かも知れない。しかし実際には,1970年代初頭の乗用車とトラックの
台数はほぼ同じであった。また自家用車といっても1965年では自家用乗用車保有総数141万4,137台
のうち47.4%は卸売小売業(14.7%)をはじめとし製造業(11.5%),建設業(4.5%)など業務用
であったし,71年でも690万8,630台のうち32.7%は業務用の自家用車であって,「マイカー」などで
はなかったのである126>。
千万台
・乗用車
4軽自動車
(資料:『陸運統計要覧』運輸省運輸政策局情報管理部,昭和46, 50,63年度版)
図6 車種別自動車台数の推移
もちろん自動車問題は単に保有台数の多寡だけで論じられるものではない。自動車事故や大気汚
染などの公害問題は自動車の走行によって引き起こされるのであって,交通量や走行状態,道路の
構造や自動車自体の性能や特性,あるいは走行距離(貨物やタクシーでは営業キロ)などが考慮さ
れなければならない。一般に自家用車より営業車のほうがはるかに使用頻度は高いと考えられる。
営業車ではその使用効率が重大関心事となるからである。だから自家用車にくらべて営業車の台数
が少ないからといってもその影響は大きい。また台数が少ないとしてもトラックによる事故は乗用
車以上に重大事故につながる危険性をもっていることは明らかである。
以下この点から特徴的なことについて簡単にふれる。
①今述べたように,自動車事故は保有台数の多寡だけでは論じられないが,むろん台数に比例し
ていないわけではない。図7は都道府県別自動車保有台数を,図8は都道府県別事故件数を示した
ものである。明らかに保有台数の多い地域ほど事故発生件数も多いのである。しかし営業者といわ
ゆる自家用車の事故率を比較してみると,図9の1000台当たりの事故件数の推移から明らかなよう
に,70年代以降,営業車は自家用車に比べ乗用車で5倍,トラックで3倍近くも高い事故率のまま
ほぼ横ばい状態になっている。
茨城大学教養部紀要(第25号)
158
百万台
トラック
●バス
x乗用章
‘軽自動皐
an■、””.M照ew細価襯鯨難鯨欄穣賎鮒岨卿襯勲訓耕鄭三蝕働開額綿励織規憩触頗鰍鵡岨訓輪照顔犬分旧頒麟淋鯛鱒湘
(資料:図1に同じ,昭和63年度版)
図7
都道府県別自動車保有台数の推移(1987年現在)
xldi
⑩
30
ro
o
鯵範骨轟岩手竃域山形秋田隅島解馬頓本琉鰯切顎剛顧1予爽塒玉長野山縦駈溜窟山E川褐井岐皇三重費知騨周滋質承鋸御馴」崇良六緬兵犀霞山島融」膿風広島山0香川億島便綴冨知胴佐貝侵崎熊本大分■崎駅島沖組
(1984.12月末)
図8 都道府県別自動車事故件数の推移
自動車1000台当り事故件数
600
500
400
事故台数
300
200
Aas・rv’
,十一十一十一≠
100
楽葦.冷
・葦
\b .“ −s 一“ .ti「s
0
噛魎⇒咄噛一毒「』→』噛一魅_出』.噛_ム_di_±「
55 57 59 61 63 65 67 69 71 73 75 77 79 81 83 85 87
年 度
ロ営業乗用車 +’自家乗用車 ◇営業用トラック ム自家用トラック
図9 自動車1000台当りの事故件数
高橋・井原 「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
159
1960年代に問題になった「神風タクシー」は,会社の要求する1日8,000円の水揚げをあげるため
に,制限速度を無視してでも1日の走行距離を400キロにしようとしたもので,事故を起こしても
会社が専属の事故係を被害者のもとに派遣し,自動車損害補償金と若干の涙金で示談させる12了),と
いう会社の利潤追及の結果登場したものであった。また「合理化」のもとに補助者が削減され,こ
れが左折時のトラックによる巻き込み事故を増大させたことは記憶に新しいことである。運転手の
過酷な労働条件が自動車を「走る凶器」に仕立て上げてきた側面を見逃してはならないだろう。
②表2に車種別窒素酸化物の排出量を示した。トラックではそもそもその排出規制が緩いために
乗用車よりはるかに多い排出量になっている。また同じトラヅクでも積載量が大きいほど窒素酸化
物(NO。)排出量は多くなり,さらにガソリン車であるのかディーゼル車であるのかによっても異
なる。とりわけ直噴式ディーゼルトラックのNO。排出量の大きいことがきわだっている。それに
もかかわらずディーゼル車の占める台数は年々増加し,特に営業用トラックとなるとはるかに多い
台数になっている(図10)。もちろんこれは軽油の価格が意図的に安く設定されており,ディーゼル
車の燃料コストが安くおさえられているからである。したがって東京都内を例にとれば,ディーゼ
ル車の走行割合は,全体の20%であるが,窒素酸化物の排出量では全体の50%を占めている(図1
1)のである。こうした貨物車による公害は,先に述べた意味の自家用車による「生活公害」的問題
とは区別される必要があり,乗用車はもとより,ディーゼル車の低公害化こそ急務の課題なのであ
る。
表2 車種別窒素酸化物排出量(東京都環境保全局調査)
車種
ガソリン乗用車
副室式ディーゼル貨物車
枕s
鵠r気量2000CCクラス
@最大積載量2トン
a[ド
四〇.2
No.5
阿o.8
No.10
直噴式テ’イーセ’ル貨物車
最大積載量2トン 最大積載量4トン 最大積載量10トン
i53年度規制適合車)
i53年度規制適合車)
i58年規制適合車〉
i58年規制適合車)
0.389/km
2。389/km
3.86g/km
6.119/km
11.5&!k冊
@(1.0)
@(6.3)
i10.2)
i16.1)
@(30.3)
0.26
1.53
@(1。0)
@(5。9)
0.22
1.23
2.13
2.67
i10.3)
@(1.0)
@(5.6)
@(9.7)
0.32
1.08
1.94
@(1.0)
@(3.4>
@(6.1)
3.88
i14.9)
3.39
i15.4>
3.46
q10.8)
i58年規制適合車)
7.7
i29.6)
6.8
i30.9)
7.0
i21.9)
注1:ガソリン乗用車及び副室式ディーゼル貨物車の数値は, それぞれ調査対象車の3台の平均値であり,直噴式デ
イーゼル貨物車の各車両数値は,それぞれ調査対象車2台の平均値である.
注2.0内の数値は,ガソリン乗用車を1としたときの比率である.
茨城大学教養部紀要(第25号)
160
単位
百7 単位・百万
30
6 25
5
20
4
台数
姦 15
lO
5
o
o
年度
囮トラガ営業国トラ7ク自家 團乗用車営業 2乗用車自家
年度
囮トラガ営業 団トラガ自家 圏乗用車営業 囲乗用車自家
a.軽油燃料車 b.ガソリン燃料車
図10 燃料別自動車台数の推移
(%)
19.5
十 ← 十†十
走行量
@100
P.1:
・:‘・
80.5
lll隅1111出1131
講灘 灘…{2』 52・3 総 「、画
OQO)0)O) p)n) n)n) nりn)n旨 n㌧ ajO)0)O》〔
B° O0B° B° B° O%°。°0°。°。°。°。°。°。°。°。°
B°B° B°。°。°。°。°。°。°。°。°。°。Q。°一゜一゜ B°
P11鵠;ll巽1階㍑l
撃撃撃件olll;隅lll
B°。°。°。°。°。°。°
撃撃撃戟F19川!:3131!
2』
、4.7:
C875加L’/日)
≧懸・
、.曳樹.
5 小 特!÷ 型 種 1
1’ 、 、
@ \ \ ’㌔ 1 ,
@ 乗
@ 用
++ {+ {+{+ {+++
@ 100 1
・鱒・・・…1脚...・,.闘、、.・,..け..u..,け腫..。.,.,。.ll
繋iO.9 21.2 3.5
欠gllllll;1出摺1㍑1㍑1;1巽1131;:1;llll;1;llll;ll
mo。排出量
撃撃P1311111言㍑1巽1鵬1㍑1謂;纏;;㍑lll隅;llllll;1:
馬゜6°δ゜δQ;°5°;°6°δ゜δ゜6°δ゜6°δ゜。°δ。6°δ。。R船%鮎゜。0。°。°。°。°。°。°O°。°。°。°。°。°。OQ°。q
ノ・§。魯。:。:。§・:。書。§・:。:。:。:。:。:。:。き。9期
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5
5.8
4.9
U,438トン/畢)
@ 購
50.1
ディーゼル車
49.9
ガソリン・LPG車
(注)小型貨物には貨客を含む。
(環境保全局調査)
図11ディーゼル車とガソリン・LPG車の走行量と窒素酸化物排出量(昭和60年度・東京都全域)
むろんこうしたディーゼル車による大気汚染は60年代から指摘されていた。しかし新宿柳町の鉛
公害に端を発して,ガソリン車の排出規制,ガソリンの無鉛化が実施されたものの,ディーゼル車
の排出規制は実施されず,軽油の硫黄含有率は0.4%程度のまま推移するなど軽油良質化の努力も
行われなかった。それどころか税制面からも優遇された軽油の価格はガソリンに比べ相対的に安く
維持され,結果的にディーゼル車の市場は野放しにされたのである。これは当時のモータリゼー
ション批判が主に「マイカー」の増大に向けられていたことと無関係ではあるまい。
一方わが国の自動車産業が,歴史的にアメリカでも生産規模の小さかったディーゼル車の生産に
力をいれることで資本の維持と拡大をはかってきた128)ことを見落としてはならない。だから汚染物
質排出量が少ないトラヅク用の大型ガソリン・エソジンの開発・研究は手抜きをされてきたのであ
る。その一方で小型ディーゼル・エンジンの開発には力が入れられ,とうとうデa一ゼル乗用車の
販売さえ始めたのである。もちろん軽油の価格が安いことによる維持費の減少を期待する消費者の
動向を敏感に察知したものであろうが,大気汚染が社会問題になっていても,汚染物質の排出量が
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
161
多い自動車を平気で発売する自動車産業の利潤追及姿勢は批判されなければならないであろう。
③わが国の排出ガス規制は「国際的にも高い評
価」を受け,排ガス技術は「世界最高水準」にあ
走行距離 0.664 k輌/サイクル
るといわれることが多いが,この排出ガス規制は
基本的には10モード走行での測定値に対して行わ
れるものであることに注意する必要がある。とい
うのは,10モード測定値とは図12に示したように
アイドリング(無負荷運転)や「走る」「止まる」
定行時間 135 秒/サイクル
平均寧速 17.7km/h
章 40
8
A
3
h
)
2
o
「また走る」など,10の走行パターンを組み合わ
せて664メートルを135秒かけて,つまり平均時速
7
速
1
9
6
10
4
5
20 27 42 49 65 79 94104iOS 118 128135
図12 10モード走行
17.7㎞で走行する状態での測定値をいい,この領
域で許容限度値を充足すればよいとされるにすぎない。もちろん排出ガス浄化装置はこの領域で許
容限度値以下になるように設計されている。しかし実際の走行状態は多様であるため,実際の窒素
酸化物の排出量は規制値ほど削減されていないのが現状である1ew)。表2はより実際の走行状態に近
いパターンで測定した結果で,この点を明らかにしようとして東京都が調査したものであった。例
えぽ汚染物質の排出では大きな問題になるアイドリングは,10モード走行では走行前の20秒間と中
間に5秒想定されているだけで,これでは信号の待ち時間にも足りず,渋滞中を考えると全く実態
に合わない。実際のところ図のような10モードで走行するなどということはまずあり得ない。おそ
らくプレイバック・ロボットに平坦かつ広大なグランドででも運転してもらわなけれぼ実現は不可
能といえよう。
そのうえ1986年東京都の調査によれば,燃費向上対策等のため,自動車メーカーが,ギヤの位置
が3速以上になると,窒素酸化物低減対策装置の機能が停止または低下するシステムを採用してい
たことが明らかにされた13°)のであるから,何をかいわんやである。もっともこれはその後の追跡調
査で,88年7月から販売された新型車については改善が確認されたといわれているが,自動車の販
売にあたって,こうした情報はいっさい消費者には知らされないというのが現状でもある。
さらにいえば,自動車排出ガスのうち,規制対象になっているのは一酸化炭素と炭化水素,窒素
酸化物,ディーゼルの黒煙などであるが,このうち窒素酸化物は新車に対してのみ規制されている
にすぎない。また中量車,重量車のディーゼル車に対する本格的な規制は1990年代にはいってよう
やく実施されようとしている段階である。1990年に答申された窒素酸化物,粒子状物質の許容限度
目標値の長期目標は「できるだけ早期に,遅くとも10年以内に達成」がいわれているが,それさえ
最近の景気落ち込みの中,自動車産業の要請で先送りされかねない状況にある。
こうした実態があるにもかかわらず,わが国の排出ガス規制は日本版マスキー法などといわれ,
世界的にも厳しいもののようにとらえられているのである。しかし,アメリカの乗用車に比べて小
型だったわが国の乗用車は,もともと排出ガス量がアメリカの車より少なかったのは当然であっ
て,ことさら日本の技術力が優れていたわけではない。日本の規制値は,車の大きさも走行状況も
異なるアメリカの規制値をそのまま測定方法だけをかえて導入した規制値となっているのだから,
「日本車を利用して日本の道路交通の中での排出ガスを基礎にして,別の規制値を作るべきだ」131)
という批判は当然であろう。
茨城大学教養部紀要(第25号)
162
万トンキロ
3α
1σ
195e 51 52 53 54 55 56 57 56 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 67
(資料:図1に同じ)
図13 貨物輸送量(トンキロ)の推移
60
万人+ロ
50
30
20
10
!S5051 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 ee 83 84 85 86 87
(資料:図1に同じ)
図14 旅客輸送量(人キロ)の推移
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
163
④最近,窒素酸化物について環境基準を上回る地域が都心からさらに周辺部へと拡大されている
ことが問題になっているが,これはディーゼル車の増大とトラックの大型化,走行量の増大などが
原因と考えられる。図13に貨物輸送量(トンキロ)の推移を,図14に旅客輸送量(人キロ)の推移
を示した。トラックの台数は図6からもわかるように1980年代に入り減少傾向にあり,また貨物輸
送トン数も80年代にはいりほぼ横ばいの状態であるにもかかわらず,貨物輸送トンキロだけは増大
を続けているのは,貨物自動車の大型化が進み,走行距離も増大しているものと考えられる。汚染
物質の排出量はまさにこの大型化と走行距離の増大に比例して増加するものである。
窒素酸化物の環境基準が,1978年に非常に強引な形で緩和されたのは記憶に新しいことである。
この緩和によって,それまでは旧基準を達成できないでいた測定局が95%以上に達していたにもか
かわらず,今度はなんと一挙に95%の測定局が新基準を達成するという逆転現象が起こったのであ
る。これを数字のマジックといわずして何といえばよいのだろうか。もっともこの基準でさえ現
在,東京都特別区等で達成は0%,横浜市等で18%,大阪市等で19%なのだから問題は深刻なので
ある。
皿.鼎談「文明と交通」をめぐって
東京一博多間の新幹線開業,東京一大阪間の高速道路の開通など,「新しい交通体系の整備に向
かって,巨大な一歩」132)を踏みだしたのは1970年代中頃のことであった。その一方ですでにみた
「交通危機」が大きな社会問題になっていたのである。新しい交通体系の整備が大規模に始まった
この時代は,明治の中期から後期にかけての,当時まったく新しい交通機関であった鉄道が国内に
その主要幹線網を形成し,続いて各地の内部に浸透していき,それによって従来の交通機関であっ
た内陸水路や沿岸行路の一部を駆遂していった頃と「ある種の類似点」をもって受けとめられてい
る1ss)。しかし70年代の新しい高速交通機関の「需要」は,東海道メガロポリスや太平洋ベルト地帯
に発生した。このことは「過去の鉄道網の発達の経過や分布の様式と比較して,著しい差異」をも
つものであった耽つまり全国津々浦々にわたる農業生産地の展開を産業的背景にした時代から,
地域的に偏在した工業生産地の激しい大集積と大都市圏での人口の大集積時代を向かえ,まさにそ
うした地域間を結ぶためのものとして高速交通機関が登場したのである。しかも輸送効率の高いこ
とのみを追及する建設計画では,その体系は必ずしも網状のパターンをもつものではなく,工業地
帯間,大都市間など点と点を結ぶ形で進められ,このことが一層地域間格差を大きくしていったの
である。いうなれぽ謳歌された国土総合開発の基本問題の再検討が,交通問題,環境問題,エネル
ギー問題を抱含して迫られていたのである。
この時代,1975年にrジュリスト』増刊号は「現代日本の交通問題」を特集した。特集では,ま
ず自動車問題の事故や規則の面が検討され,ついで都市・地域と交通問題,国土と交通問題,交通
と環境問題が論じられ,最後に交通政策の展望が述べられた。50名に及ぶそれぞれの立場からの主
張には様々な意見が盛り込まれてはいるが,そのほとんどが何らかの展望を示す必要を感じていた
ことがこの特集での大きな特徴であったといえる。なかでも巻末に掲載された宮本憲一,湯川利
和,富山和子らによる紙上鼎談「文明と交通」では,司会者の宮本が鼎談をはじめるにあたって
「社会問題としての交通ではなく,少し視野を広げて文明と交通の関係」135)について考えてみると
164
茨城大学教養部紀要(第25号)
して,これまでの議論の枠をこえる意欲的な問題を提起した。
つまり宮本は,「いま私たちが問題としようとしている交通というのは,人類が本当に必要に応
じて海を渡り,あるいは知識を交流するという文化や文明のための交通ではなくて,経済的な仕組
みの中で大量に生産するために,大量に物と人をたくさん動かし,情報をたくさん流すという,そ
ういう経済的な交通が生産関係に規制されて動くことからおこる社会問題を交通問題としてとらえ
ている」が,こういう経済的・政治的な交通問題と「人類が生存と文明のために通い合うような
道」としての交通問題とが対立しながら,複雑な問題をはらんで動いているのが現代ではないのか
136)
Cと交通問題を考えるうえで新たな視点を提起したのである。
宮本のこの問題提起は「本来文明というものを開いてきた交通」を議論の出発点におこうという
ものであった。いいかえれば,単なる交通政策論や交通システム論のような専門論議ではなく,等
しく国民諸階層の重層的な文化や文明のための,交流につながる「本来的」な交通問題を考えるこ
とであった。湯川や富山が市民の力に期待をかけ,星野が「人間革命」にまで逃げ込まなければな
らなかったのは,このことを問わず語りに反映していたのかもしれない。交通法規の専門家にいわ
せれば「交通における市民権の確立」’3了)などと表現されるのかもしれないが,ひらたくいえば文化
の担い手である市民自らが「本来あるべき」交通を自らの手で考えることなのであろう。
これまでみたきたように交通問題は,都市構造や産業構i造,国土開発における種々の問題を内包
していた。これを狭い意味での交通政策から論じていたのでは,結局は自動車の通行量をどう削減
するのか,交通事故をいかに減らすのか,交通渋滞をいかに解消するのかといった,いわば「対処
療法」を編み出すことに汲々とせざるを得ない。だからせっかくのモータリゼーション批判にして
も「文明批判」とはならず,せいぜい「マイカー」対公共交通という枠組みから公共交通体系の整
備や総合交通体系の確立を主張するか,あるいは「マイカー」所有者にすべての責任を追わせるか
のような社会的費用論の展開にとどまり,自動車の「賛成派」「反対派」の枠を越えて人類の将来に
とって,文明や文化にかかわっての自動車の位置を明らかにすることはできなかった。
鼎談のなかで湯川は,公共交通体系は「普通の人間が欲している方向ではなくて,巨大な権力の
ようなもので動かされていて,その権力を利益する方向に操作されている」ことを痛感するように
なったと述べ,モータリゼーションを批判するだけではなくて「本当に人々の幸福につながる交
通」が主要なテーマにならざるを得ないとして,かつての自著『マイカー亡国論』でのマイカー対
鉄道というとらえ方が不十分であったことを述懐した138)。また富山は「今後の日本がどうあるべき
かということについても,もっとお互いに研究し,討論し合うということが交通にとっても必要な
課題」だとして,「基本的人権の視点にたって問題を問い直す」必要を強調するようになっていた
139)
B
かれらの最初の課題は「交通はなぜおこるのか」であった。宮本は分業が発達してくると,その
「協業のための手段」として交通は発達してきたと言明する14°〕。つまり交通を地域的に発達させた
基本には,都市と農村という「人類史上の基本的な地域間分業」の成立があった。しかし「集積の
利益を資本が独占」しようとすれば,都市内部でも「生活と生産あるいは営業と生活の場が分離さ
れる」という地域間分業が発達し,都市交通を増大させる。さらに都市郊外では生活の場の分化が
起こり,結局は日常生活の買い物まで交通機関が必要になるような「ムダな交通」も発生したとい
うのである。そして都心は「人間の住む町」ではなくなってしまったと,資本主義社会の中で分業
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
165
が高度に発達した結果が,都市や地域の活性を疎外しはじめていることを指摘した141)。
ここから主要な問題として,分業社会の中で「生産の基盤」としての交通に力を入れてきた結果
増大してきた「ムダな交通」量を減らすために,公共交通輸送体系を確立することが検討された。
もちろん交通政策の面からではなく,国土開発の在り方とかかわる問題としてであった。だから大
都市をかつての下町人情の通うがごとき町に「復元」する問題や郊外の都市整備問題,あるいは地
方へ人口を呼び戻す問題などが,分業社会を改革していく方向で論じられた。そして自立した地域
社会の形成,あるべき生活様式,あるべき民主主義,あるべき政策と,いわばあるべき社会像が論
じられたといえよう。
こうした宮本らの提起は確かに重要であった。しかし,今日までの歴史は必ずしも宮本らの提起
した方向には進んでこなかった。それどころか,70年代後半から80年代を経て,大都市への集中が
いっそう進み,地価の高くなった都心から人々はますます追い出されていった。その一方で私鉄資
本などは不動産から住宅建設,公園などレジャー施設,デパートからスーパーまで,伝統的な多角
経営によって自ら交通需要を一層すさまじい勢いで創出してきた。まさに市民は住宅から買い物,
レジャーまで交通資本の掌中に取り込まれてしまった観さえある。しかも「通勤地獄」「交通戦争」
は依然として変わらないのである。
むろん正しい提起をすれば直ちに世の中が変わるというものではないが,宮本らの議論は,文明
論を展開する必要があるという貴重な問題提起にもかかわらず,実際には当面の交通政策とはいえ
公共交通体系の整備と自動車の交通量の削減という,これまでの議論の枠を一歩もでることのない
課題がたてられ142),その意味では自動車問題の議論での伝統的ともいえる弱点はなお克服されてい
なかったのである。
さらにいえば,彼らの議論の中では,大量高速輸送手段である新幹線やマンモスタンカー,
ジェット機などが自動車と同じレベルで論じられ,しかもそれぞれの登場が技術発達の当然の帰結
ででもあったかのようにとらえられた1ca>。だから富山は,交通手段を「それ自体が一つの刺激と
なって,社会のありかたを,文化の方向を変えていく基盤」144)としながらも,結局のところ自動車
の普及は「明治以来の機械技術至上主義の一つの結実」145)であったとし,自動車が文明の方向をど
のように変えてきたのかを,またどう変えるのかを問うことはできなかったのである。
IX.自動車文明をどうみるか一マンフォードの「文明論」をめぐって一
アメリカの文明批評家ルイス・マンフォードが一貫して都市の文明を論じてきたことはよく知ら
れている亘46)。マンフォードはその都市文明批判の集大成ともいえる著作r歴史の都市 明日の都
市』の中で,「われわれは今日の法律の下で自動車という哀れな物質的利益と引き代えに,都市の生
得権を売渡してしまった」147)と,自動車と高速道路網に埋め尽くされてしまった都市の荒廃を批判
的に描いている。ここでのマンフォードの記述は,自動車の存在を否定したモータリゼーション批
判であるかのように引用されることがあるが1as),マンフォード自身は自動車の存在を否定してはい
ない。
そもそもマンフォードはr技術と文明』の中で,「飛行機はほかの乗物では通れないところも飛ん
で行けるし,自動車は普通の蒸気機関車では登れない勾配もやすやすと越すことができる」149)とし
166
茨城大学教養部紀要(第25号)
て,飛行機や自動車の「特別な利点」を利用することで「電気は低廉におこせるが,鉄道敷設には
不向きな山地」が「商工業にも住宅地域にも向く土地になり得る」15°)可能性がでてきたこと,また,
そうした「山地」が「人間が住むのにいちぽん健康的な土地」であることを強調し151),新たな可能性
に言及していたのである。
もちろん自動車のもつこの「特別な利点」を手放しで賞賛しているのではなく,自動車を「軽々
しく得意気にとりいれた」アメリカやイギリスではその「利点」が活かせないどころか,人口が都
市に依然として流入し,自動車がその密集状態を助長していることを批判してもいる152)。しかしそ
れはモータリゼーション批判ではなく,むしろ自動車の「利点」を活かせない都市の在り方,社会
の発展に対する批判だったといえる。マンフォードにいわせれば,自動車を「単に機械的な対象物
とだけ見倣して,将来利益をもたらすのに適切な施設を編みだす試みは少しも顧み」153}ずに,「以前
の経済的,技術的組織がすでにつくっていた型」IM),つまり産業革命期につくられた都市のなかに
そのまま自動車が持ち込まれ,また「ただ機械の範囲内での改良にあくせくして,そのほかの面の
発明には無頓着きわまる実業家や工場主」が「続々と加速度的な速さで自動車を市場に送り込ん
だ」155)からこそ自動車は社会的な役割をはたせなかったとなる。
そして「迅速な交通・安全交通・徒歩交通・健全な市町村計画の四つはそれぞれ,一つの過程を
形づくる部分」なのであって,「自動車の長距離運転には,出入口のついた駐車場をある一定間隔毎
に設け,主要な幹線交差には陸橋やトンネルをつくってrタウンレス・ハイウェイ』を必要とする
し,また自動車の地方的な局部交通には,町村の近隣単位が主要幹線で分割されることもなく,貫
通運転による騒音で煩わされることもない『ハイウェイレス・タウン』が必要であった」156)と,新
しく登場した自動車の「利点」を活かすための都市計画の必要を説いている。
マンフォードの基本的な主張は「電力網,ラジオ,自動車道路などが,より均衡をえた人口分布
の型を可能にする上できわめて重要なものであり,これによって過密化した大都市よりもはるかに
広範囲な地域に人口を分散させ,恒久的な母体となる緑地という形で田園の重要な資源をも保存す
ることができ,郊外やさらに周辺にあるスラム地域の野放図な拡張と拡散のために自然の恩恵がこ
とごとく抹消されてしまうのも防げる」157)というもので,1930年代にはすでに「窒息の危機に瀕し
て」158)いたアメリカの大都市における生活と,「ガンのような過大成長と過密化のために死滅しよ
うとしている」159)大都市そのものを,「生命保持的な環境に転化」16°)する道を提示しようとしたもの
でもあった。
このように自動車に積極的な役割を見ている点で,これまで検討してきた論者の主張と大きく異
なっているが,ここには,社会活動の目的を「人間により多くの力を与えることではなく,人間を
一層完全に発展させ,人間的にし,文化のとくに人間的属性を実現可能にする」161)ところにおき,
そこで「生命と社会の秩序」が確立されれば,「機械の秩序を包摂し,思考と同様に行動において
も,これを支配するにちがいない」[62〕というマンフォードの確信があるにちがいない。マンフォー
ドの「文明論」については別に稿をおこさなければならない。ここではマンフ、ll 一一ドが自動車をか
つてどのようにみていたかの指摘にとどめる。
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
167
X.自動車技術と技術論について
さて,ひとくちに自動車技術といっても,その包含する意味内容はきわめて広範・多岐にわたっ
て使われている。その一つ一つはすでにこれまでの行論の中でふれたことではあるが,概略を整理
してみれば,①自動車それ自体の諸機能・諸性能を意味するもの,②運転の「技術」まで含めるも
の,③交通運輸技術の体系まで含意するもの,④自動車生産技術の体系を意味するもの等々である。
ここではまず自動車生産技術の体系について述べる。自動車生産技術の体系といえば,自動車用
電気部品を提供するメーカーにはじまり,自動車の部品を製作する無数の下請け工場,組み立てを
行う中心的なアセンブラー工場,そして整備関連産業まで含まれよう。そして当然ながら自動車の
諸機能や性能は,ひとえにこの自動車生産技術の体系に規定される。つまり,わが国固有の自動車
生産技術体系の性格を刻印された形で,商品である自動車の諸機能・諸性能が決定されるといって
もよいであろう。
たとえば,1969年に表面化した欠陥車問題を考えてみよう163)。当時の新聞報道によれば欠陥車総
台数は173万台で1969年当時の自動車登録台数1,112万台の実に15%以上に達していた’M)。これは一
言でいえば,自動車の「大衆化」をめざして「安い自動車」生産をメーカーが追求した結果であっ
たといえる165)。トヨタ自動車本社工場の季節工として働いた経験をもとに著された鎌田慧の『自動
車絶望工場』には,「人間トランスファーマシソ」166)として酷使される労働者の実態が,また生産増
大を労働時間の延長だけで切り抜ける自動車生産現場の実態が告発されている。こうした過酷な労
働実態が生産現場では労災をもたらし,ひいては商品の欠陥をあたりまえのものとしたといっても
過言ではないだろう。
一方ユーザーにとってみれば車の欠陥は事故に結びつき,場合によっては命さえ失いかねないも
のである。同じ工業製品とはいえ,自動車はこの点で明らかに洗濯機やテレビ,エアコンなどと
いった商品と同列に扱うことはできず,もっとも安全が確保されなければならないはずである。し
かしこの時代に欧米への自動車輸出を本格的に展開しはじめた自動車産業は,輸出用にはアメリカ
の規制をはじめ,日本より厳しい安全基準をクリアするための輸出専用の特別仕様車を製造するこ
とはあっても,安全のための各種装備を国内車に装備することはなかったのである16了)。しかもアメ
リカでは欠陥車として回収していた車種であっても,国内ではその事実さえ公表せずに販売を続け
ていた。それどころか事故の原因に車の欠陥を問うユーザーに対しメーカーは,ドライバーのミス
や整備不良を対置して自らの責任を回避し,さらに点検・整備の名の下にユーザーの負担で「極秘
の修理」をおこなっていた1°8)のである。さらにいえば1972年にトヨタ,日産は年産売上額で「一兆
円企業」になり,利益金でも国内一位,二位を独占する膨大な利潤をあげていたが,その利潤の一
部さえ国内用の「安全車」のために支出することはなかったのである。1969年の欠陥車問題そのも
のが,ニューヨークタイムスの欠陥車の回収率を高くするために新聞に欠陥を公表すべきではない
かという提案記事が「共通電」で日本に転送されるという,いわば偶然から表面化したものであっ
た正69)。
1967年に世界に先駆けて欠陥車リコール制度を発足させたアメリカからのこの「共通電」は,日
本にも欠陥車リコール制度を義務づける結果をもたらした。その1969年以降,今日に至るまでの欠
陥車届出件数と対象車台数を表3に示した。また図15にはその装置別発生割合を示した。現在でも
168
茨城大学教養部紀要(第25号)
百万台もの車が欠陥車であり,しかもその欠陥は車の主要な装置 表3
欠陥車届出件数及び
すべてにわたっていることがわかる。この欠陥車届出はメーカー
対象台数の推移
に義務づけられたもので,欠陥車かどうかを決定する権利はあく
までもメーカー側にしかない。いまでも車の不調や欠陥を訴えて
くるユーザーにだけ,対象部品を取り代えるという「隠密リコー
ル」が存在し17°),欠陥によって事故が誘発されたのであっても,
事故の責任をメーカーが負うようなことはないのが現実であ
る171)。
先に見た排出ガス対策も,このアメリカ国内での追求から国内
での欠陥車問題の表面化,そして欠陥車リコール制度の国内での
制定と同様に,基本的にはアメリカでのマスキー法制定の動きの
中ではじめて具体的対策がとられたものであった。また,たとえ
ば1966年9月にわが国ではじあて実施された排出ガス規制の一酸
化炭素の排出量規制は,当時すでにアメリカ向け輸出車では実施
されていたものにすぎなかったように,ここでも国内車と輸出車
との内外格差が存在していた。
1972年の環境庁の調査によれば,大気汚染物質のうち,一酸化
炭素の93%,炭化水素の57%,窒素酸化物の39%は自動車が発生
源であった。自動車の排出ガス中の汚染物質を90%削減するとい
うマスキー法の国内導入は,こうした自動車公害の悪化とその対
策を求める世論の高まりを背景に,中央公害審議会のだした答申
に,メーカーがしぶしぶアメリカ向け輸出車レベルに国内車を引
き上げることを承認したものだったといえる。1972年10月に環境
庁が告示したマスキー法の日本版「自動車排ガス量の許容限度の
年度
届出
署
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
合計
対象台数
76
2,561,623
24
10
1,495,096
794,893
16
190,695
6
662,877
6
108,887
8
56,342
9
15
151,518
1,675,857
21
710,252
8
189,477
17
502,331
12
460,925
15
467,577
20
470,907
11
585,767
6
138,397
10
176,305
23
15
1,323,055
18
1,044,198
632,721
17
1,266,116
363
15,665,816
設定方針」では,1976年までに一酸化炭素につい
て2.1g/㎞,炭化水素について0.25 g/㎞,窒
素酸化物について0.25g/㎞まで下げることが決
欠陥車届出の装置別発生割合(装置別リコール届出状況)
(国産車) 俳ガズUtvgse その他
定されていた。しかし,この目標は一気に達成さ
5住3}
れるものではなく,73年,75年,76年と段階的に
車わく車体
規制を強化していくものであった。結果は,窒素
17(45)\
酸化物についての76年規制はそのままの形では実
施されず,当初の目標は78年まで見送られた。こ
の過程での議論を振り返ってみれば1了2),まずもっ
\ma
て問題にされたのは,自動車排出ガス中の窒素酸
l9(5。1)
化物を規制目標値まで減らすことが技術的に可能
か否かであった。そしてトヨタや日産が技術的に
不可能と主張した一方で,7大都市自動車排ガス
規制問題調査団が実現可能の見解を示したことで
注1『19昇,綴瀦職闘蝋殿
3 装面瀕牛数は,リコール届1件にっき,2箇所の欠陥部位があるもatま2件とした
図15 装置別発生割合
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
169
論争が行われた。その際だされたもう一つの問題は,自動車産業が日本経済に占める位置にかかわ
るものであった。つまり「自動車産業こそ日本経済発展のにない手であって,これに規制を加える
ことは,角をためて牛を殺すの例えの通り,日本経済をダメにする」という「自動車擁護論」173)が登
場したのである。結果的には,78年にすべてのメーカーが76年の規制目標値を達成し,自動車産業
は打撃をこうむるどころか,80年に1,000万台を超える生産台数でアメリカを抜いて世界一を誇る
ことになったのは周知のことであろう。
7大都市調査団の報告は,大都市では自治体当局が自動車資本と対決しなけれぼならないほど排
ガス公害による被害が大きくなっていたことを示しているが,調査団の「厳しい規制の下において
のみ,技術水準の向上がありうる」174)という主張は,排ガス規制を強化するように求める世論に大
きな影響を与えていた。しかし実際のトヨタ・日産の規制目標値の達成は,下位メーカーの本田技
研がCVCCエンジンの開発によって,また東洋工業がロータリー・エンジンとサーマルリアク
ターの組み合わせによって,78年にそれぞれ75年規制目標値を達成したのをはじめ,同じ年に富士
重工はSEEC−T方式によって76年規制目標値を達成したことから,市場独占の優位を守ろうと
重い腰をあげて対処したものにすぎなかった。また同時にアメリカへの輸出を意識した対処であっ
たと考えられる。わが国の自動車生産台数は1970年に500万台を突破し,すでにアメリカに継ぐ世
界第2位であって,73年の生産台数700万台のうちトヨタが231万台,日産が204万台とこの2社だ
けで全体の61%の生産を行っていた。そして2社ともが70万台以上を輸出に振りむけていたのであ
る。
いってみれば自動車生産技術の体系を選択する主要企業の性格が,「欠陥車」や「公害車」を作り
だし,資本外強制力が働かなければ自動車の「機能」や「性能」さえ不十分なままになってしま
う,ということである。つまり先に整理した①の自動車それ自体の諸機能・諸性能といったものは
いわば商品としての使用価値が厳しく問われる問題で,④の自動車生産技術の体系に規定されてい
るのである。また②のような運転の「技術」までを自動車技術に含めるとすれば,自動車企業のも
つ性格を見えにくくしてしまうといえよう。
中村静治は,いわばこうした自動車産業の性格を「自動車工場の生産体系,その基軸としての工
作機械構成,これら機械群と組合わされる労働の特質,さらに金属材料と部品工業の成り立ち,お
よび市場構成について,歴史的・国際的視角を加えて検討」175)した。
とはいえ自動車技術の問題は,そのすべてが自動車生産技術と自動車産業の中だけで完結されな
いからこそ,さまざまな意味内容で受け取られてきたといえる。ひとたび商品となって売られた自
動車は,輸送手段として全国を走りまわり,一見市民に「敵対」し,社会に「敵対」するものとし
て街にあふれる存在の側面を否定しきれない。それは自動車がどのような社会の容れ物の中にマッ
チするのかの論議と政策を欠落してきたからでもある。
かつて,兵器生産以外のもので,大規模に市民や社会に敵対する生産物があっただろうか。使用
価値を失った生産物が,廃棄物となって社会に「敵対的」存在になることはあっても,仕様書通り
に使用される生産物そのものが社会に「敵対」することは,少なくとも20世紀の現代までは考えお
よぼなかったといえるだろう。もっともこの意味でいうなら,農薬もその一つの代表例とみること
ができるかもしれない。戦後,農業基本法のもとで「構造改善」と称して日本の農業生産の在り方
は根底から変えられた,安くて豊富な農村労働力を工場労働力として都市に吸引するための役割さ
170
茨城大学教養部紀要(第25号)
え農薬がもっていたといっても過言ではあるまい。さらに「選択的拡大」と称した特定換金作物へ
の生産の集中化が,結果として機械化と農薬の大量使用を余儀なくさせていった。過度の農薬投入
が自然環境を破壊し市民の健康を損なう「敵対的」存在とされたのは今日このごろのことではない。
戦後の農業では,いってしまえば農薬・農機具メーカーと金融とに隷属する,いわば「二重の隷属
状態」が進行したといっても過言ではあるまい。
自動車の普及にも,こうした農業における機械化・農薬普及とおなじ性格が垣間みられるといえ
ないだろうか。自動車の普及というよりは,交通運輸体系の自動車化といったほうが正しいかもし
れない。ちょうど農業の機械化・過度の農薬使用が,必ずしも農民の自由意志ではなかったように
である。
要するに諸産業の一般的な生産手段としての道路に膨大な数の貨物トラックが行き交っているの
であるが,輸送部門は生産の基盤ではあっても,あくまでも補助的生産過程であり,企業からみれ
ば,もっとも節約したい部門の一つなのである。だから徹底してコストの安い輸送手段や方法が追
求される。それは人を輸送しようが,物資を輸送しようが,輸送部門にとってはかわらない。だか
らかつての「神風タクシー」やトラック運転手の過酷な労働条件が自動車を「走る凶器」に仕立て
あげ,社会に「敵対」する存在にしてきたのであろう。中国自動車道という「立派」な高速道路が
あるにもかかわらず,それを使わず山陽道を疾走するトラック群は,高い高速料金を社命によって
回避させられた結果なのである。ために山陽道は第二高速道路と化し,トラックによる事故が圧倒
的に多い路線ともなっている。荷主の指示とあらば10トントラックが一本の醤油瓶を運んで動きま
わる運輸産業の実態は,いまや工場やスーパーの在庫解消・倉庫節約に運輸業が一役かっていると
いうものである。
全国を走り回る自動車に,基本的には工場内におけるマン・マシン・インターフェースの問題
が,そのまま反映し刻印されてしまった,と考えることもできようが,従来の技術規定でこの問題
に十分答えることはできない。こうした弱点の一つは,技術論を生産技術にかかわってのみ論じて
きたということに由来する。したがって自動車だけでなく実際には情報技術や電力のような輸送技
術の体系を,生産技術の体系と関係づけながらどのように見ていくのか,といった問題にも同様に
課題は残されている。
M.おわりに
以上,自動車と「自動車社会」が抱えている諸問題が,どのように論じられてきたのか,また
「自動車社会」の現実がどうであったのか述べてみた。80年代にはいって影を潜めたかにみえた
「自動車社会」をめぐる問題も,自動車による大気汚染の悪化,「第2次交通戦争」と言われるほど
の交通事故死の増大によって,80年代末ころから再び論議が活発化し,国や自治体の手によって新
たな対策が実施されつつある状況になっている。また一方でそれは,地球的規模での環境問題の一
環としても取り上げられ17G),そこでもさまざまな提言が行われている’77)。
これまでの議論からも明らかなように「自動車社会」の問題は,交通問題といった狭い枠組みで
はとらえきれるものではなく,自動車技術や自動車産業の在り方をはじめ,都市問題や国土開発の
在り方,さらにわれわれの生活様式はては国際的問題にまでかかわった,異なるレベルのさまざま
高橋・井原:「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
171
な問題をその中に複合した形で内包している。したがってもっとも単純に見える「低公害車」「安全
車」の開発といった主張さえ,単なる技術的問題として解決されるものでないことはすでに見てき
たところである。
それにもかかわらず,「自動車社会」の問題解決に向けて,電気自動車やメタノール車といった
「低公害車」の開発がもっとも強調される傾向にある。これは,①自動車の交通量の増大が再び深
刻な大気汚染を引き起こし,もはやこれまでのような発生源である自動車そのものに対する対策
(単体規制)では解決されそうにないこと,また②自動車が放出する二酸化炭素の量が地球温暖化
を考えるうえで無視できなくなっていること,さらに③エネルギー源としての石油の枯渇が心配さ
れること,などからみれば当然の提案とも受けとめられる。しかし,ここに挙げた3つの問題はそ
れぞれ,①は交通政策の問題,②は地球温暖化問題,③はエネルギー問題として別個に議論される
問題でもある。電気自動車やメタノール車はこのすべてを一挙に解決するという意味で「理想的」
かもしれないが,それは自動車廃止の主張でも問題のすべてが解決されるのと同様に,具体的な提
案であるようでいて,現在しなければならない課題を先送りする危険性がないでもない。
「低公害車」「安全車」の開発を現実的な課題にさせるためには,むしろ,ディーゼル車の排出ガ
ス規制こそ急務であり,排出ガスの総量規制や交通量の制限というすでに試みられはじめている対
策を,より実効性のあるものにしていく努力こそ求められるものであろう。排出ガスの総量規制と
交通量の制限を行うためには今のところ運輸業者の規制が不可避である。また,ディーゼル車の排
出ガス規制のためには自動車産業にそのための技術開発を行わせる必要があるが,それを実行させ
るために,規制が先送りされるようなことがないよう世論を喚起し,責任追及の声を大きくする時
でもあろう。このほかにも当面の対策として,少なくとも公共機関のパスでは,現在その経済的負
担から耐久年数は11年とされているが,これを汚染物質の排出のすくない新型車に買い替えていく
ことや,ディーゼル車からガソリン車への転換などが求められるであろう。もちろんこれらは自動
車そのものに関しての当面の対策であって,自動車問題を基本的に解決するものではないが,今日
の事態は,実現できることから実行していく必要があるほど深刻度を増しているし,むしろ,こう
した当面の対策によって次の対策を実行するための準備時間を稼ぎだしながら進んでいかなければ
ならないだろう。というのも,この次の段階については,今のところ何等実効性のある合意が得ら
れていないように見えるからである。
むろんこれまでのような自動車の大量生産体制は改められなけれぼならないだろう。この点で
は,市場原理を基礎とした自由主義経済に,何らかの歯止めをかける必要があることは論をまつま
い。しかし,いかなる歯止めをかけるのかについていえば,問題とされるエネルギーの浪費や資源
の浪費,環境破壊といった問題,つまり全体とどう関わっているのかが必ずしも明確にされていな
いために,見通しのある具体的な提案にまでは至っていないというのが実情であろう。したがって
①環境と資源を保全し,地球を人間環境として可能な限り持続すること,②戦争を防止し,平和を
維持すること,③貧困を克服し,社会的経済的な不公平を除去すること,④基本的人権と民主主義
を確立すること,など「人類の歴史的課題」IT8)にまずは取り組まなければなるまい。
まさに宮本らの鼎談で提起されたような「交通と文明」の問題が,つまりあるべき都市計画の具
体的施策の前提として新たな社会形成に向けての哲学的論議とあるべき社会像が求められていると
はいえないだろうか。
茨城大学教養部紀要(第25号)
172
注
120) 以下で述べる宇沢をはじめ,最近では土井淑平「クルマ社会を問い直す」(r技術と人間』,
1991年6月号),NHKの特集番組「クルマ依存社会への警告」(1991年放映)などでもクルマ
普及の要因として指摘されている。
121) 宇沢弘文,r自動車の社会的費用』,岩波書店,1974年, p.79.宇沢は1990年9月号r世界』
の特集「クルマ社会と人間」でも「自動車の社会的費用再論」を展開している。
122)
宇沢,同上書,p.157
123)
宇沢,同上書,pp.156−7
124)
宮本憲一・湯川利和・富山和子,「鼎談・文明と交通」,『現代日本の交通問題』,p.319
125)
社会的費用の計測は宇沢自身が「社会的価値観を反映するもの」(前掲書,p.174)というよ
うに,その方法は確立されてはいない。宇沢は歩道や緩衝地帯整備といった道路の構造変更に
かかる費用を概算し,これを自動車の台数で割ることで自動車1台あたり1,200万円という額
をだしている。この投資額に対する年々の利息分を自動車利用者に賦課するとすれば,一台当
たり年間賦課額は200万円になる(同,p.165)。また宇沢が取り上げた運輸省の試算では1968年
度の自動車の限界的な社会的費用は一台当たりおよそ7万円,また自動車工業会の試算では19
68年度について6,622円であり,さらに1970年に発表された野村総合研究所の鈴木克也の試算
では17万8,960円という数字がはじかれている。
126) 運輸省運輸政策局情報管理部,「使用者別自家用車・バス車両数」,r陸運統計要覧』,昭和4
0年版。pp.131−2「自家用乗用車使用車別車両数」,同46年版, pp.135−6
127) 高田公理,r自動車と人間の百年史』,新潮社,1987年, p.246
128) 中村静治,r現代自動車工業論』,有斐閣,1983年, p.225
129) 東京都環境保全局の調査による。東京都環境保全局大気保全部自動車公害対策室,r東京都
自動車公害防止計画』,東京都情報連絡室情報公開部都民情報課発行,1989年,p.39
同上書,p.40
岡本和理,r自動車用エンジンの性能と歴史』,グランプリ出版,1991年, p.164
有末武夫,「国土交通体系の形成と問題」,r現代日本の交通問題』, p.180
有末,同上
有末,同上
宮本,「鼎談」,p.317
宮本,同上
清水,前掲論文,p.295
湯川,「鼎談」,p.319
富山,「鼎談」,p.320
宮本,「鼎談」,p.321
宮本,同上
「鼎談」,pp.333−5
宮本は戦後20年間の高度成長の過程をふりかえり,「大量生産,大量流通というところから
大量高速輸送手段という技術がどんどん革新されています」として「自動車でいえば高速道
高橋・井原 「自動車社会」はいかに論じられてきたか(2)
173
路,鉄道でいえば新幹線,港湾でいえばコンテナ高速輸送やマンモスタンカーという形にな
り,さらに空港によるジェット機航空という形で交通手段が目ざましい技術革新を遂げまし
た」と述べている。「鼎談」,p.318
144) 富山,「鼎談」,p.317
145) 同上,p.320
146) マンフォードの都市についての最初のまとまった著作は1938年出版された『都市の文化』で
ある。この本は70年代にもアメリカで再版され多くの読者をもった。日本では,1955年に邦訳
(生田勉他訳,丸善)され,74年には同じ訳者によって新しい改訳版が鹿島出版会から出版さ
れている。このほか都市を直接のテーマにしたマンフォードの著作は,邦訳されているものだ
けでもr歴史の都市 明日の都市』(生田勉訳,新潮社,1969年),r都市と人間』(生田勉他
訳,思索社,1972年),r現代都市の展望』(生田勉訳,鹿島出版会)が知られている。
147) マンフォード,r歴史の都市 明日の都市』,生田勉訳,新潮社,1969年, p.411.原著はr歴
史における都市』という書名で1961年に出版された。
148) たとえば土井淑平は「脱クルマ社会論」の中で,自動車の普及が都市そのものを破壊しつつ
あることを主張する拠り所として,マンフォードが「われわれの自動車への異常な熱中ぶり
を,おそらく後世の人は不思議におもうことだろう。かえってわれわれの子孫は,今日の都市
がスピードと虚空間の崇拝という迷信的祭儀のために破壊されつつあったのだということを悟
るならば,数億ドルを投じてまでもいけにえを惑星軌道に射ち込もうとするわれわれの奇妙な
気持ちを理解できるだろう」(p.411)と書いているのを引用している(クルマ社会を考える会
の機関誌r声・クルマ社会』Nα1,1991.5所収,p.60)。
149) マンフォード,r技術と文明』,生田勉訳,美術出版社,1972年, p.292.原著はr都市と文
明』よりまえの1934年に出版された。
同上
同上
同上
同上書,p.290
同上書,p.291
同上
同上
マンフォード,r都市の文化』, p.488
同上
同上
同上書,p.ii,「日本版のための序文」
同上書,p.310
同上
日本の欠陥車キャンペーンは,1969年5月28日付け各社の朝刊経済面で,アメリカにおいて
日本企業が車の回収を行っていたことが報道されたのに端を発した。アメリカでは1966年に欠
陥車の回収を運輸省に届け,かつメーカーがユーザーに書留便で通報する制度(欠陥車リコー
茨城大学教養部紀要(第25号)
174
ル制度)が設けられていた。これはラルフ・ネーダーがゼネラルモータースの欠陥車コルベア
を徹底的に攻撃したことから得られた成果であるが,日本でも1969年に欠陥車届出制度として
リコールが制度化された。
164) 中村,前掲書,p.284
165) 欠陥車をめぐるメーカーとユーザーの熾烈な闘いのなかで,メーカーがあくまでも欠陥を
認めない態度について伊藤正孝はr欠陥車と企業犯罪』(三一書房,1972年)で厳しく批判して
いる。
166) 鎌田慧,『自動車絶望工場』,講談社,1983年,p.143.この本の初版は現代史研究会から197
3年に出版された。
167) 1989年暮れにもNHKが放送した特集「死者半減・西ドイツはこうして成功した∼第二次
交通戦争への処方箋」(1989年12月17日)で,わが国の自動車メーカーが製造している輸出車に
は,車のドアに側面衝突から乗員を保護するための補強板がとりつけられているのに,国内販
売用の車にはこの補強板がついていないことを紹介し反響をよんだ。
168) 伊藤,前掲書,p.73
169) 同上書,p.60
170) 松本健造,rr走る凶器』から『走る棺桶』ヘー安全な車づくりとは」, r世界』,第545号,1
990年9月,p.79
171) 松本,同上,pp.78−9
172) この当時の排出ガス規制をめぐる議論を整理したものとして「座談会r自動車公害』につい
て」(r公害研究』,VOL.6,Nα3,1977年冬, pp.29−46)などを参照した。
173)
同上,「座談会『自動車公害』について」,p.31
174)
同上,P.29
175)
中村静治,『日本の自動車工業』,日本評論新社,1957年,p.4
176)
「自動車社会」の問題は,そもそもアメリカにはじまったもので,今日ではアジアなど発展
と同時に各国の自
途上国でも自動車の普及が著しいことをみればまさに世界的問題といえる。
動車による大気汚染が地球的規模での環境破壊の大きな要因になっている,という意味でも世
界的問題になっている。しかし,ここで後者の問題を,自動車保有台数が先進国にくらべて圧
倒的に少ない発展途上国まで含めて一緒には議論できないだろう。
177) ワールドウォッチ研究所が1984年から発行を続けている地球環境についての年次報告書
r地球白書』では,創刊号から自動車問題が論じられてきたが,1992−93年版では持続可能な
エネルギー・システムのために天然ガス自動車,人間的な都市をつくるための自動車の削減と
環境保護,都市交通網からの自動車の排除と公共交通体系の整備などが提案された(r地球白
書1992−93一いまこそ環境革命を』,ダイヤモンド社,1992年)。
178) 宮本憲一,r環境と開発』,岩波書店,1992年, p.245
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